加賀野井秀一 日本語は進化する 情意表現から論理表現へ |
2015.3.3 更新 2015.7.2
とてもいい本に巡り会うことができました。そう、明治以降、日本語は世界と対等につきあっていくために、進化したのです。そして、まださらなる進化が必要なのです。
表表紙裏の内容宣伝がすばらしい出来ですので、ここに全体引用します。
「思考する日本語」の誕生
私達の日本語はどのようにして生み出されたのか。また、どのように変化しようとしているのか?
明治初期、様々な文体に四分五裂していた日本語は、翻訳語の導入や言文一致などの努力を経て、中心的な文体を獲得する。借物の思考を強いる漢文訓読体や和語的情念から解放された日本語は、明晰で分析的な言語へと進化する。
ここ百年の日本語の歩みを清新な視点でとらえ直し、敬語・男女言葉・翻訳語など多様な特質を論じながら、西洋語とは異なるその独自の論理性を探る「日本語論」決定版。
2015.3.3
序章の 「思考の身体」としての日本語 において、
『忘れもしないが、わが国の大哲学者といわれる西田幾多郎 (1870-1945) の文章にはじめて接したとき、私は、その世評の高さと文章のひどさとのギャップに、われとわが目を疑ったものだった。読者の皆さんにも、ためしに次のような一節をご覧いただきたい。
時と空間との矛盾的自己同一的に自己自身を形成する世界の時間面的自己限定としての空間否定的に、(後略)』
と語って提示された例文は、確かに、何度読み返しても意味が不明な悪文です。
さらに続けて、西田の文章を「病的」だとか「奇怪」だとかいって攻撃した小林秀雄の批判を紹介しています。
『小林によれば、いわゆる哲学者と称する人々が「表現の事事しさと内容の空しさとのコントラスト」をもって「よくも揃いも揃って、寝言のような事を言ってゐるものだと呆れ果てた」というわけなのだが、彼はそこで西田をもひきあいに出して、「氏の孤独は極めて病的な孤独である」と診断し、この孤独が「日本語では書かれて居らず、勿論外国語でも書かれてはゐないといふ奇怪なシステムを創りあげて了った」ものと考える。そうしておいて小林は、いかにも批評家らしく、「今日の学者達の独善が容易に改らないのは、彼等が本当に健全な無遠慮な読者を持ってゐないのが、一番大きな原因だと思ふ」と結論づけるのである。』
この後、林達夫の文章も引用して、話が展開するのですが、ここでは省略します。興味をもたれた方は、是非、本文をお読みください。結論として、西田幾多郎の時代には、まだ、日本語が哲学を語れるほどには、進化していなかったのです。
明治以降、日本語は大きく進化しました。その進化の様子が、この本に詳しく解説されています。以下に、私が興味をもって勉強した箇所について、取りまとめてみます。
吾輩は猫である 2015.3.12
象は鼻が長い 2015.3.4
2015.7.2
5.2節の「和語的情念からの解放」は、非常に示唆に富む内容です。以下に部分引用します。
ここから
「源氏物語」に見る「延伸の論理」
たとえばここに「源氏物語」の有名な冒頭部がある。
いづれのおほん時にか、女御更衣あまた侍ひ給ひけるなかに、
いとやむごとなき際(きわ)にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり
やっかいなのは「いとやむごとなき際にはあらぬが」の部分であり、ここで「特に貴い身分ではないけれど」と訳して失敗された方もおありだろう。(中略) 私達はこの「が」を、ともすると逆接の接続助詞ととらえてしまうのだが、当時の感覚からすれば、単なる格助詞と見るべきであって、「特に貴い身分ではない人が」と訳さねばならないということだった。
もちろん、こうした格助詞の「が」「に」「を」は接続助詞としても使われるわけで、まあ絶対に格助詞としなければならないものでもないようだが、それでも、その場合には、前後の句に極めて微妙な関係ができ、やはり私達の感じる逆説的なニュアンスですますわけにもいかないらしい。むしろ私達はここから、この時代の日本語は、二つの事象が同時的なものか継起的なものかということだけを表現し、前後の句の関係が順接か逆接かについては、殆ど言及しなかったのだということを学ぶべきであるだろう。従って、従来の日本語の連なりは、ぎくしゃくとねじれることもなく、後ろへ後ろへと広がるようになっていった。いつだったか、ある和歌の名手に心得をうかがったとき、「おおらかに一続きに詠みなさい」と繰り返し強調されたことを思い出すのだが、これもまた同じ論理であるにちがいない。
(中略)
かつての日本語では、こんな具合に、結果とも理由とも並列ともつかない節関係によって、後ろへ後ろへと単純に続いていくのである。これをして国語学者の阪倉篤義氏は「延伸の論理」と名づけられたが、正しくそこにこそ古典日本語の本質が表れている。
係り結びの特性
係り結びとは、「係り」に「ぞ、なむ、や、か」がくれば「結び」は連体形、「こそ」がくれば已然形になるという、あれである。「涙流る」を例にとると
涙ぞ 流るる
涙こそ 流るれ
だが、なぜそうなるのか。それは、「涙ぞ」や「涙こそ」のように主部に強い感情をこめると、述部が「流る」では軽くてバランスがとれなくなるからである。(中略)「結び」の部分でこのバランスが回復されるまでは、「係り」の感情過多はずっと重くのしかかり、話者をひときわ感情的にしてしまう。
こうした「係り結び」は、現代日本語ではすっかり失われてしまい、代わりに、「涙が流れるのだ」「まさに涙が流れるのだ」「ほかならぬ涙が流れるのである」などの表現がその役割を担っている。これらが意味するのものは、本体部分の「涙が流れる」という客観的な事実は事実として置いておき、感情はまた別個に、副次的な言葉や助辞類によって付加しようとする分析的な心の動きであるだろう。話者はこれによって、感情に翻弄されるところからわずかながらも身を離し、知的な秩序へと移行することができるのである。
助動詞の削減=複合化
この傾向はまた、従来の日本語に見られた数多くの助動詞が、現代語ではめっきり減少してきたこととも符号する。例えばここで、かつて「鳥鳴く」に付加されていた推量の助動詞をいくつかあげ、それに現代語訳をつけてみよう。
鳥鳴かむ 鳥が鳴くだろう
鳥鳴かじ 鳥は鳴かないだろう
鳥鳴きけむ 鳥が鳴いただろう
鳥鳴くらむ 鳥が鳴いているだろう
鳥鳴かまし 鳥が鳴くだろうに
鳥鳴くらし きっと鳥が鳴くだろう
両者を比べてみると、まずは、かつての助動詞の精妙なことに驚かされるに違いない。それにひきかえ現代語は、「だろう」を繰り返すばかりの単調さである。一見したところ、現代語の表現力が低下したようにも思われるが、勿論、そのようなことはさらさらない。よく見ればわかるのだが、「鳴かむ」と「鳴かじ」との間には、「推量」と「打消の推量」との違いがあり、これを現代語は「鳴く」+「だろう」と「鳴かない」+「だろう」というそれぞれ二つの要素で表しているのである。
(中略)
結局、現代の日本語は「係り結び」の消滅や助動詞の削減=複合化といった現象を通じて、現実のモノや感情と一対一で呼応するようなかつての「癒合的」なあり方から、次第に、「分析的」で「抽象的」な方向へと歩みを進めているように思われる。
ここまで
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