象は鼻が長い |
2015.3.4
229頁に、「象は鼻が長い」に関して、面白い理論が展開されているので、紹介したい。
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「日本語の主語・述語と呼ばれるものの働きは、まさにこの宛名書きの形式に一致する。
ためしに、主語をめぐる議論で有名になった「象は鼻が長い」の一文を考えてみよう。
そもそも日本語に主語という概念がふさわしいかどうかも検討せずに、「象は」が主語か「鼻が」が主語か、など論じることはやめにして、今は、この表現の論理展開だけに注目していただきたい。
まずこの表現は、「象は」と言って、語るべき主題を提示し、さらにこの主題のなかで「鼻」を限定することによって、順次、その内実を語っていく。
つまり、日本語の論理プロセスも、基本は宛名書きと同じく、大きなカテゴリーから次第に小さなものへと絞り込んでいくスタイルなのである。
(中略)
とりわけ、このプロセスにおける最初の「〜は」という表現などは、日本語の特徴をきわだたせるものであるとともに、単なる言語学な視点をこえたところで、豊かな思想的意味をかいま見せてくれもする。
通常、学校文法では「〜は」「〜が」「〜も」などの格助詞をしたがえるものを「主語」と呼んではばからない。しかしながら、「佐藤はもうとっくに来ているけれど、鈴木はまだ見ていないなあ」というような場合、「鈴木は」の部分を主語と呼ぶわけにもいかないだろう。
そこで国語学者たちは、「〜は」という表現に「主題提示」といった定義をあたえて、決着をつけたように思い込む。
そして、思い込んで安心し、「〜は」のもつ認識論的な重要性をすっかり見逃してしまうのである。
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日本語の宛名書きが、何々県 何々市 何々町 何丁目 何番地 と、大きなカテゴリーから次第に小さいものへと限定するのは、日本語が後置詞「の」を使っていることのおかげです。年号を含んだ日付も、年号から始めて、2015年の3月の4日を、2015.3.4 と表記できます。
日本語の論理プロセスが、大きなカテゴリーから次第に小さなものへと絞り込んでいくスタイルであるというのは、そのとおりだと思います。
しかし、「学校文法では「〜は」「〜が」「〜も」などの格助詞をしたがえるものを「主語」と呼んではばからない」は、間違いです。「は」は、格助詞ではなく、副助詞で、主格だけでなく、目的格にもなり、「何々には」などと、いろんな助詞に付加して、「主題提示」の役割を果たします。
「鈴木は」は、「鈴木を」の「を」が「は」に置き換わったもので、もとより主語ではありません。従って、日本語には主語がないことの説明にはなっていません。
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