吾輩は猫である 

2015.3.12

 明治時代に大変革をとげる日本語は、明治30年代に、なんとかそれなりに定着します。この時期にベストセラーになった夏目漱石の「吾輩は猫である」を例にした具体的な解説が、68頁にあります。

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 まず、西洋風に主語が多く使われるようになり、それにつれて、人称代名詞や所有形容詞の使用頻度が高くなり、やがて、指示代名詞や指示形容詞も増えてくる。

 (中略)
 吾輩は時々忍び足に彼の書斎を覗いて見るが、彼はよく昼寝をして居る事がある。
 (中略)

 また、そうした主語にしても、(中略) 本来の日本語ではほとんど使われなかった無生物や抽象名詞が登場したり、さらには、「何々するのが」といった表現が主語として顔を出したりするようになるだろう。

 空気が急に固形体になって四方から吾が身をしめつける如く思はれました
 条理が明晰で秩序が整然として
 殊に著しく吾輩の注意を惹いたのは

 これらは当然ながら、動詞構文を中心とする日本語にあって、西洋流の名詞構文的な考え方が強くなってきたことを示しているわけであり、そうした傾向は、名詞的な発想によって「主−客」の意識を際立たせ、対象を見すえて分析するような視点を引き入れてくるにちがいない。

これまで「なんだか春めいてきたなあ」という動詞を中心にした癒合的な表現をしていた日本語は、Spring has come のような西洋的思考法の影響で、「(うららかな)春が来た」というぐあいに名詞構文を多用するようになり、対象化された「春」には「うららかな」などの形容詞が付加されるようになってくるのである。

それはまた、「〜自身」という言いまわしが用いられたり、名詞に対して形容詞句が重ねられたり、さらには、「〜するところの」とか「〜なる」とかいった関係代名詞的な説明が加えられたり、挿入記号が使われたりするところにもはっきりとあらわれている。

 (中略)
 神経胃弱性の主人は眼を丸くして問ひかけた
 主人の威光を振り廻はして得意なる彼は

 こうした状況では、主体の立場や見地、あるいは客体の位置というものも強く認識され、「一種の見地から」、「人間の観察点から云へば」、「彼の説によると」、「此点に就ては」などの表現が多く使われるようになるだろう。

==============================ここまで

  なぜ、「だろう」と推測形が使われているのかよくわかりませんが、このような具体的な例示がたくさんあげられています。夏目漱石のような先人たちが、ものの言い方を考えだしてくれて、読者がそれを愛し、流行することによって、日本語が豊かになってきたんだなと実感しました。

         

ホームページアドレス: http://www.geocities.jp/think_leisurely/


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