Manyo Luster 万葉集 (2002) |
2021.01.21
リービ英雄さんは、万葉恋歌に続いて、この本を出されました。
https://pie.co.jp/book/i/4331/
書名の Manyo Luster は、万葉の艶(つや) の意です。
リービ英雄さんの万葉和歌の英訳が、井上博道さんの写真で飾られています。
万葉恋歌は、宮田さんの切り絵に飾られた本ですが、
こちらは、写真の方が、多いので、写真集のような仕上がりになっています。
スタンフォード大学のbookhavenというサイトに、Cynthia Havenのブログがあるのですが、
2010年2月のkotodama という投稿は、リービさんに関するものです。
http://bookhaven.stanford.edu/2010/02/kotodama/
リービさんが、この大学で講演したことに基く投稿で、下のほうに講演の写真があります。
●In a nation where so few
learn second languages,
殆どの人が、第二言語を勉強しない国において、
some may consider Ian Hideo
Levy’s experience a warning:
人は、考えるかもしれません|イアン・ヒデオ・リービの経験は、警鐘であると|。
the Berkeley-born author
picked up a passion for Japanese language and literature.
バークレー生れのこの著者は、ピックアップしました|日本語と日本文学への情熱を|。
説明 pick up は、つまみあげる、拾いあげる、(車で)拾う、(〜に)気が付く
Then “a kind of crazy
schizophrenic drive probably brought me to the point of writing Japanese.”
その時、「一種の気違いじみた分裂症気味の衝動が、私をもたらしました|日本語を書きたいという地点まで|。
●Now he holds the distinction
of being the only gaijin to write award-winning books in Japanese.
今、彼は、保持しています|卓越さを|唯一の外人であるという|賞をとった本を日本語で書いた|。
●“I haven’t spoken publicly in
English for 20 years,” he told a largely Asian audience last week at the
Humanities Center
「私は、話したことはありません|公に|英語で|20年の間|。」彼は、語りました|多くはアジア系の聴衆に、先週、人文センターで|。
(20 years would put it back to
the time he left a tenured position as a Stanford prof to move to Tokyo).
(20年は、戻すでしょう|スタンフォードの終身教授を辞めて東京に移った時に|。)
The audience laughed. 聴衆は、笑いました。
“This sounds like a very
understanding audience, so I think this will go well.”
「これは、非常に理解力のある聴衆のように思えたので、うまくいくと思いました。」
●“I’ve said in lectures in
Japan, when I was in my twenties if there were a pill I could take to become a
Japanese writer, I would have taken it.”
「私は、言いました|日本での授業で|、私が、20代のとき、飲むことができる錠剤があったなら|日本の作家になるために|、私は、飲んでいたでしょうと。」
Instead, he said, “it was a
process that went on for twenty years.”
そうではなく、彼は、言いました、「あるプロセスを20年間続けたんです。」
●It seems “kind of silly and
stupid” to him now.
それは、ようです|「なにか愚かで馬鹿げたこと」の|今の彼にとっては|。
Recalling his youthful
illusions, he said,
若き日の錯覚を思い出しながら、彼は、言いました、
“I probably had a very
arrogant feeling that I could become what people around me described as
‘Japanese.’
「私は、多分、持っていました|傲慢な感覚を|私がなることができるという|私の周囲の人達が日本的であると言い表すものに|。
My sincerity, my youth,
allowed me to believe this would happen,” he said.
私の誠実さと、私の若さは、許しました|私が信じる事を|これが起こると|。」 彼は、言いました。
●“It was probably a very
impure desire, from point of view of language.
「それは、多分、非常に不純な願いでした|言語の観点からすれば|。
I’ve gone beyond that.” 私は、それは、通り過ぎました。」
●He settled for translation at first: 彼は、よしとしました|翻訳で|最初|:
He began work on Man’yōshū
(万葉集 “The 10,000 Leaves”), with its waka, an ancient form of poetry in a 7-5-7-5
syllabic pattern.
彼は、始めました|仕事を|万葉集で|古代の詩の形式である7-5-7-5音節パターンの和歌を含む|。
“Part of me was in the 7th and
8th century, the other part of me was in late 20th century Tokyo,” he recalled.
「私の一部は、7世紀、8世紀にいました、残りの部分は、20世紀後半の東京にいました。」
彼は、思い起こします。
●But one voice stood out at
about the point when he began to run out of “stock deification words” for
describing the court rituals with the emperor-god.
しかし、ある声が、立ち上がりました|時点のあたりで|枯渇し始めた|「在庫の神格化用語」が|皇神の居る宮廷儀式を記述するための|。
“Once you go to heaven you may
do as you please, but on earth, you do as the emperor wishes” almost jumped from
the page.
「おまえは、一旦、天国に行けば、好きなようにできるかもしれないが、地上では、帝が望むようにする。」
The words belonged not to the
ritual Japanese praise, but to Asian continental thought — and to the 8th
century poet who wrote them.
この言葉は、儀式的な日本人が賞賛するものには属しません、しかし、アジア大陸の考え方に属します、そして、この言葉を書いた8世紀の歌人に属します。
●Kotodama had led him through
time to a kindred spirit: the early poet Yamanoue no Okura (660–733 A.D.).
言霊は、導きました|彼を|長年を通して|一人の同類の精神:古い歌人 山上憶良(660-733 A.D.)に|。
Recent research has revealed
that the famous Japanese composer of court waka was, in fact, Korean
最近の研究が、解明しました|宮廷和歌の最初の有名な日本の歌人は、実際、朝鮮人だと|。
– so Levy isn’t the first
acclaimed gaijin writer.
ですから、リービは、最初に評価された外人作家ではないのです。
●His translation of the
Japan’s masterpiece anthology earned him a National Book Award in 1982.
彼の翻訳|日本の最高傑作の名詩集の|、は、彼にもたらしました|全米図書賞を1982年に|。
It also led to an
unanticipated consequence:
それは、また、予期しない結末も導きました。
the author Kenji Nakagami
wrote that Levy’s writing was good, but that he should write in Japanese next.
作家の中上健次は、書きました|リービの本は、良かったが、彼は、次は、日本語で書くべきだと|。
●So he did. 彼は、そうしました。
His debut novel in Japanese,
Seijoki no kikoenai heya (A Room Where the Star-Spangled Banner Cannot be Heard)
received the Noma Prize for New Writers in 1992.
彼の日本語のデビュー小説、星条旗の聞こえない部屋、は、受けました|野間文芸新人賞を1992年に|。
Other awards followed: 別の賞も続きました:
the Osaragi Jiro Prize for
Chiji ni kudakete in 2005;
大佛次郎賞を、「千々にくだけて」で、2005年に
the Japan Foundation Special
Prize for Japanese Language in 2007,
日本語ための国際文化奨励賞を、2007年に
and the Ito Sei Prize for
Literature for Kari no mizu last year.
伊藤整文学賞を、「仮の水」で、昨年(2009年)
●“One begins writing because
one reads something,
「人は、書き始める、人は、何かを読むからだ、
and one wants to try oneself
and see if one can write,”
人は、試すことを欲します|自分が書けるかどうか|。」
he said, in his slightly
formal diction that is no longer quite at ease before English-speakers.
と、彼は言いました、彼の少し形式的な話し方で、その話し方は、もはや、英語話者達の前では、気楽なものではありません。
●Now he’s reached a new
turning point: “One who was a translator has become translated.”
今、彼は、新しい転回点に到着しました:「翻訳者だった人が、翻訳されるようになりました。」
He just signed a contract for
the first Chinese translation of his work.
彼は、丁度、彼の作品の対処の中国語への翻訳の契約のサインをしたところです。
ブログの最初に、リービさんのこの本の写真があるのですが、
リービさんは、この本の894-895頁に、山上憶良の「好去好来の歌」の一部を取り上げています。
万葉集 巻5-894
神代より 言ひ伝て来らく It has been
recounted down through time
かみよより いいつてくらく 長年、物語られてきました
そらみつ 倭の国は since the age
of the gods:
そらみつ やまとのくには
神々の時代から
皇神の 厳しき国 that this land
of Yamato
すめかみの いつくしきくに
この大和の国は
言霊の 幸はふ国と is a land of
imperial deitie' stern majesty,
ことだまの さきわうくにと
皇神の厳しい国であり
語り継ぎ 言ひ継かひけり a land blessed
by the spirit of words.
かたりつぎ いいつがいけり
言霊に祝福された国なのです。
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