朝日新聞社 福島原発事故・吉田調書報道に関する見解 (2014.11.12)

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2022.09.15

 朝日新聞社は、吉田調書な関する報道に関して、朝日新聞社報道と人権委員会を開き、

見解をまとめ、以下のサイトに、pdf資料として発表しています。

2014/11/12
https://www.asahi.com/shimbun/3rd/prc20141112.pdf

 また、翌日11月13日の朝刊特設紙面でも発表し、以下のサイトでも公表しています。

日新聞社「吉田調書」報道 報道と人権委員会(PRC)の見解全文(1)
https://www.asahi.com/shimbun/3rd/20141113txt1.html

朝日新聞社「吉田調書」報道 報道と人権委員会(PRC)の見解全文(2)
https://www.asahi.com/shimbun/3rd/20141113txt2.html

朝日新聞社「吉田調書」報道 報道と人権委員会(PRC)の見解全文(3)
https://www.asahi.com/shimbun/3rd/20141113txt3.html

報道と人権委員会(PRC) インデックスへ
https://www.asahi.com/shimbun/3rd/prc.html

 長文で読みにくいので、以下に、再録し、重要部分を赤字で示すことにします。

 

「福島原発事故・吉田調書」報道に関する見解

                       2014年11月12日
                       朝日新聞社報道と人権委員会
                       委員 長谷部恭男
                       委員 宮川光治
                       委員 今井義典

1章 当委員会の調査の経緯と見解の要旨
1.1 調査の経緯
1.2 見解の要旨
2章 本件記事の内容と見出しについて
2.1 本件記事とその影響
2.2 「所長命令に違反」はあったのか
2.3 命令に違反した「撤退」はあったのか
2.4 欠落した発言内容
2.5 2面の記事について
2.6 朝日新聞デジタル
2.7 総合英語ニュースサイト
2.8 20日付報道の総括
3章 本件報道に至るまで
3.1 特別報道部
3.2 調書入手と事前作業
3.3 記事作成作業と他部による事前チェック
3.4 20日付紙面の組み込みとその過程における社内からの疑問
3.5 続報と社内賞
3.6 問題点
4章 本件報道後の対応
4.1 社外からの指摘
4.2 朝日新聞社の対応
4.3 問題点

1章 当委員会の調査の経緯と見解の要旨

1.1 調査の経緯

 本年5月20日付朝刊掲載の「吉田調書」入手に関する報道について、朝日新聞社の編集部門から9月11日、当委員会に対し、記事作成過程や報道内容などについて見解を示すよう求める申し立てがあった。

当委員会は同日、持ち回り方式の委員会で受理することとし、その旨を朝日新聞社に通知した。

 当委員会はただちに調査を開始し、吉田調書、東京電力内部資料、政府・国会・東電・民間の各事故調査報告書の関連部分をはじめ約60点の収集資料を精査し、

本件報道を担当した取材記者、担当次長、特別報道部長その他編集部門を中心に延べ26人から直接聴き取り、37人から報告書の提出を受け、本件報道を検証した。

そして、9回にわたって委員会を開催して審議し、東京本社最終版をもとに以下の通り本件見解をまとめた。
なお、吉田調書からの引用部分は原文のままである。

1.2 見解の要旨

A 政府が福島第一原子力発電所の所長であった吉田昌郎(まさお)氏(2013年死去)の調書をはじめ772人の聴取結果書を一切公開しないという状況の中で、吉田調書を入手し、その内容を記事とし、政府に公開を迫るという報道は高く評価できるものであった。

また、原子力発電所の過酷事故への人的対処に課題があることを明らかにしたことは、意義ある問題提起でもあった。

 しかし、報道内容には次に指摘するような重大な誤りがあった

その上、本件報道についての批判や疑問が拡大したにもかかわらず、危機感がないまま、適切迅速に対応しなかった
結果的に
記事の取消しに至り、朝日新聞社は社外の信頼を失う結果になった

B 第1に、1面記事は「所長命令に違反 原発撤退」の横見出しと、「福島第一 所員の9割」の縦見出しにあるように、所長命令に違反して所員の9割が撤退したとの部分を根幹としており、前文はそれに沿う内容となっているところ、「所長命令に違反」したと評価できるような事実は存在しない。裏付け取材もなされていない。

 第2に、「撤退という言葉が通常意味するところの行動もない
「命令違反」に「撤退」を重ねた見出しは、否定的印象を強めている

 第3に、吉田調書にある「伝言ゲーム」などの吉田氏の発言部分や「よく考えれば2F(福島第二原子力発電所)に行った方がはるかに正しいと思った」という発言部分は掲載すべきであったのに割愛されており、読者に公正で正確な情報を提供する使命にもとる

 第4に、2面記事にも問題がある。
葬られた命令違反」の横見出しの下における吉田氏の判断(「福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待て」という指示の前提となった判断)に関するストーリー仕立ての記述は、取材記者の推測にすぎず、吉田氏が調書で述べている内容と相違している。読者に誤解を招く内容となっている

 以上を総合すると、当委員会は、朝日新聞社が9月11日、当該記事について「多くの所員らが所長の命令を知りながら第一原発から逃げ出したような印象を与える間違った表現のため、記事を削除した」措置は妥当であったと判断する。

C 次に、取材過程から記事掲載までにおいては、

秘密保護を優先するあまり、吉田調書を読み込んだのが直前まで2人の取材記者にとどまっており、編集部門内でもその内容は共有されず、記事組み込み日当日の紙面最終責任者すら関連部分を読んでいなかったという問題点、

組み込み日前日から当日にかけて、記事を出稿した特別報道部内や東京本社の他部、東京本社内の見出しを付ける編集センター、校閲センター、大阪本社から、見出しや前文等に対し疑問がいくつも出されていたのに、修正されなかったという問題点、

紙面全般の最終責任を負うゼネラルエディター(以下「GE」)、担当部長が取材チームを過度に信頼し各自の役割を的確に遂行しなかったという問題点などが存在する。


D さらに、本件報道後の対応については、ネットメディアも含めた社外からの批判と疑問への軽視過信による行き過ぎた抗議、危機感の希薄さ、危機管理の著しい遅れなどを指摘でき、編集部門と広報部門の在り方について見直すべき点がある。

E 基本的には、読者の視点への想像力と、公正で正確な報道を目指す姿勢に欠ける点があった。
見解本文に示したいくつかの視点をも参考に、ジャーナリズムに携わる組織の在り方についての検討が必要である。


 なお、最後に、本件記事を出稿した特別報道部について付言する。
これまで調査報道で優れた成果を上げてきた
本件取材チームには過信があり、謙虚さを欠いたことは疑いない

また、本件取材チームに対する過度の信頼があり、そのことが、相互批判が醸成されない一因となった。
したがって、特別報道部における取材チーム編成の在り方、部内外からの指摘を受け止める仕組み、その他検討すべき点がある。

調査報道は、新聞ジャーナリズムの柱の一つであり、その重要性は今後いっそう増していく。
改革は、より組織的に調査報道を展開することを可能とする方向でなされるべきである。

2章 本件記事の内容と見出しについて

2.1 本件記事とその影響

 朝日新聞の5月20日付朝刊は、2011年3月当時、福島第一原発所長だった吉田氏が政府事故調査・検証委員会の長時間の聴取に答えた内容を記録した非公開の文書を入手したことを報じた。

1面記事は、縦見出しで「政府事故調の『吉田調書』入手」と特ダネ記事であることを示した上で、横見出しで大きく「所長命令に違反 原発撤退」とうたい、もう一本の縦見出しは「福島第一 所員の9割」としていた。

2面記事も横見出しで「葬られた命令違反」と展開し、1、2面を合わせ、本件記事の内容は、読者に「所長命令に違反」し、「所員の9割」が「撤退」したことを根幹部分として伝えるニュースであるとの印象を与えた。

後述の朝日新聞総合英語ニュースサイトの5月20日付記事(同日夕方発信)の英文見出しを通じて、海外にも所員が命令を無視して逃げたという誤解が生まれた

以下、まず、所員の9割に「所長命令に違反 原発撤退」と表現する事実が、吉田調書や取材記者らの取材で裏付けられていたかについて検討する。(文中の肩書は断りのない場合は5月時点)

2.2 「所長命令に違反」はあったのか

A 1面記事には次のとおり記載されている。

「(2011年3月15日の)午前6時42分、吉田氏は前夜に想定した『第二原発への撤退』ではなく、『高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機』を社内のテレビ会議で命令した。

『構内の線量の低いエリアで退避すること。その後異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう』」

「待機場所は『南側でも北側でも線量が落ち着いているところ』と調書には記録されている」

「吉田氏の証言によると、所員の誰かが免震重要棟の前に用意されていたバスの運転手に『第二原発に行け』と指示し、午前7時ごろに出発したという」

「本当は私、2F(福島第二)に行けと言っていないんですよ。福島第一の近辺で、所内にかかわらず、線量が低いようなところに1回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんです」

B この事実を「所長命令に違反」ととらえた理由について、取材記者たち、特別報道部長及び担当次長は概略、以下のように説明している。

吉田氏は3月15日午前6時42分、緊急時は第二原発に退避するとの前夜からの計画を変えて、第一原発近辺にとどまるように所長としてテレビ会議で指示した。

これは、東電の内部資料や広報文書と合致している。
第一原発の最高責任者としての発言であり、「命令」にあたる。

テレビ会議の映像には、所員を指揮するはずのGM(グループマネジャー)とよばれる部課長級の幹部社員も何人か映っており、命令を聞いていたことは間違いない。
9割の所員が第二原発に行ったことについて、記事では慎重に「命令に背いた」「逃げた」という表現を用いないという配慮をした。
しかし、指示したこととは違う結果になったのだから、「違反」という言葉を選択することは許されると考えた。


C 吉田氏は調書で「福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもり」と述べているがが、それは

‥豕電力柏崎刈羽原子力発電所の所員がテレビ会議を見ながら発言を分単位で記録した時系列メモ(柏崎刈羽メモ)が、6時42分の欄に「構内の線量の低いエリアで退避すること。

その後本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」との吉田氏の発言を記録していること

東電本店が午前8時35分の記者会見で「一時的に福島第一原子力発電所の安全な場所などへ移動開始しました」と発表していることなどから、「近辺」か「構内」かの相違はあるが、裏付けられる。

 しかし、吉田調書を検討すると、
ゝ氾鳥瓩了惻┐禄螳に的確に伝わっていなかったのではないか、そもそも「第一原発近辺にとどまれ」との指示を発した態様には問題があるのではないか、さらには

△修Δ靴浸惻┐妥当であったのか、という疑問が生ずる。

第一原発では当時、3月12日の1号機原子炉建屋の爆発、14日の3号機爆発の後、2号機格納容器の圧力も14日夜から異常上昇していた。

吉田氏は、チャイナシンドロームのような状況も想定していた。

14日夜には、操作や復旧作業のために最低限、必要な人員を残して、他は第二原発に退避させることを考えた。
まず、協力企業の社員に帰るよう指示し、さらに作業に関係がない人員数、バスの台数と運転手を確認し、すぐに発進できるよう準備することなどを指示している。

15日午前6時12分ごろには構内で衝撃音と振動が発生するとともに(後に4号機建屋の爆発と判明)、2号機の圧力が低下したとの報告が入り、2号機格納容器の破損が疑われ、吉田氏がテレビ会議で「メルト(炉心溶融)の可能性」と発言するなど、緊迫した局面だった。

そして、退避のためのチャコールマスクが準備され、6時27分には退避手続きの説明がテレビ会議で流れ、

6時32分には清水正孝氏(当時社長)が「最低限の人間を除き退避すること」、

33分には吉田氏が「必要な人間は班長が指名すること」と発言した。

この時点までは、吉田氏は最低限必要な人員以外は第二原発に退避させることを考えており、それに基づいていくつもの指示を重ねていたとみることができる。

ところが、6時42分、吉田氏はテレビ会議で、これまでと異なる内容の指示を発した。
その時点では、すでに退避に向けた行動が始まっており、免震重要棟の緊急時対策室は騒然としていたと見られる一方、吉田氏は、周囲に対し、これまでの命令を撤回し、新たな指示に従うようにとの言動をした形跡は認められない。


 まず,亡悗靴銅荳犁者たちは、本件記事の当事者である所員から、吉田氏の指示を直接・間接に聞いたとの証言を得ていない。

吉田氏は調書で、15日朝を振り返り「本当は私、2F(第二原発)に行けと言っていないんですよ。
ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。

私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しようがないなと」と話している。

部下にうまく情報伝達されなかった理由を「伝言ゲーム」とも言っている。
吉田氏の指示が所員の多くに的確に伝わっていた事実は認めることができない。


 また、すでに第二原発への退避行動が進行している最中における重大な計画変更であるから、通常は計画の変更を確実に伝えるため、何らかの積極的な言動があるべきであると思われるが、そのような事実も認められない。

△砲弔い討蓮吉田氏は調書の中で「2号機が一番危ないわけですね。
放射能というか、放射線量。(多くの所員が詰めていた)免震重要棟はその近くですから、ここから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれというつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。
それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2F(第二原発)に行った方がはるかに正しいと思ったわけです」と述べている。
所員が2Fに行ったことを肯定しており、第一原発やその近辺への退避指示は適切ではなかったことを認めている。


 そもそも、所員は免震重要棟に退避していた。鉄筋コンクリート造で気密性があり、高性能フィルター付きの換気装置を装備している免震重要棟以外に、より安全な場所を見いだすことは不可能だった。
そして、さらに高い放射線を警戒して、「2Fまで退避させようとバスを手配した」状況なのに、第一原発構内やその近辺で、免震重要棟以外に、多くの所員が退避できるような「比較的線量の低い場所」があった可能性は低い。
屋外では放射線被曝(ひ・ばく)のリスクが格段に高まることを考慮するなら、合理性に乏しい指示だったともいえ、少なくとも極めてあいまいな指示が出たことになる。

こうした指示を聞いた所員がいるとしても、彼らはこれまでの第二原発への退避命令が撤回され新たな指示が出されたとは理解できなかったであろう。

線量の低い状況が当面は続くと見込まれる安全な場所がなければ、第二原発に退避する、指示をそう理解するのが自然な状況であった。

命令とは「上位の者が下位の者に言いつけること。また、その内容」(「広辞苑」第6版)をいう。
以上のように、吉田氏の指示は的確に所員に伝わっていなかったとみるべきである(裏付け取材もなされていない)。

さらに極めて趣旨があいまいであり、所員が第二原発への退避をも含む命令と理解することが自然であった。

したがって、実質的には、「命令」と評することができるまでの指示があったと認めることはできず、所員らの9割が第二原発に移動したことをとらえて「命令違反」と言うことはできない

本件記事の見出しは誤っており、見出しに対応する一部記事の内容にも問題がある。

2.3 命令に違反した「撤退」はあったのか

A 1面記事は前文で「所員の9割にあたる約650人が(中略)待機命令に違反し、10 粗遒諒‥臑萋鷂業へ撤退していた」とし、1面本文では「道路は震災で傷んでいた上、第二原発に出入りする際は防護服やマスクを着脱しなければならず、第一原発へ戻るにも時間がかかった。

9割の所員がすぐに戻れない場所にいたのだ」とし、2面本文でも「待機命令に反して所員の9割が第二原発へ撤退」と記述している。


B 「撤退」という表現を用いた理由について、取材記者たちと担当次長は、概略、以下のように説明している。

吉田氏や東京電力は、「退避」という言葉を使っているが、第一原発所内やその近辺への退避と、10僧イ譴紳萋鷂業への退避は、全く意味が違う。
第一原発所内やその近辺への退避は、状況が変わればすぐ戻れるが、第二原発に退避すると、簡単には戻れない。防護服の着脱にも時間を要する。
また、第一に残ったのは69人にすぎず、9割にあたる約650人が移動している。
緊急時対策本部を第一から第二に移す用意もしていたことなども踏まえて、「撤退」という言葉を使った。移動した所員を批判する意図は全くなかった。


C 「退避」と「撤退」では、読者の受け止め方はかなり違う。

「退避」は退いて危険を避けるという意味で、戻る可能性もあることを含むが、「撤退」はそこを撤去して、退くという意味と受け止めるであろう。

約650人が第二原発に移ったと言っても、第一原発には吉田氏たち69人が残っており、本部機能はまだ第一原発にあった。
そして、いったん第二原発に移動した所員らの相当数が正午以降に第一原発に戻っている。

「命令違反」に「撤退」が重なる横見出しは、通常の言語感覚からみて、否定的印象をことさら強めており、読者に所員の行動への非難を感じさせるものとなっている。

2.4 欠落した発言内容

A 本件記事には「所長命令に違反 原発撤退」の横見出しに関わる吉田氏の証言のうち、割愛された部分がある。

前述の
「伝言ゲーム」について述べた部分()と、「よく考えれば2F(第二原発)に行った方がはるかに正しいと思った」と述べた部分()である。

これらについて、取材記者たちと担当次長らは、意図的に掲載しなかったわけではないとし、連動していた朝日新聞デジタルには、いずれの部分も載っていると説明している。

B 仮に掲載していれば、それだけ読者の判断材料も増え、記事の印象も随分、違ったものになっていただろう。

「所長命令に違反 原発撤退」との主見出しに対しても、組み日当日、社内で疑問が広がった可能性もある。

朝日新聞社の社是である朝日新聞綱領には「真実を公正敏速に報道し」とある。

さらに、朝日新聞綱領に基づき、具体的な記者倫理を定めた朝日新聞記者行動基準は「基本姿勢」の【独立と公正】の項目で、「独立性や中立性に疑問を持たれるような行動をとらない。 公正で正確な報道に努め」と求めている。

,六惻┐的確に伝わらなかったとの吉田氏の認識を△六惻┐適切ではなかったという吉田氏の反省を、それぞれ示しており、読者に公正で正確な情報を与える使命に照らすと、掲載すべきであった

記事は、公正性、正確性への配慮を欠いていた。

なお、朝日新聞デジタルの特集サイトへのアクセス数は後述のとおり多かったが、朝日新聞本紙の読者数にははるかに及ばない。

2.5 2面の記事について

A 2面では「線量上昇せず 待機命令」との見出しの下、記事本文で吉田氏が第二原発への退避ではなく、第一原発構内などの線量が低いエリアへの待機「命令」に切り替えたいきさつについて、以下のように記述している。

「2号機格納容器の爆発が疑われる事態だった。
計器を確認させると、格納容器の上部側の圧力は残っていた。
吉田氏は『(格納容器が)爆発したということはないだろうな』と思ったが、圧力計が壊れている可能性は残るため、『より安全側に判断すれば、それなりのブレーク(破損)して、放射能が出てくる可能性が高い』と考えた」

「吉田氏は一方で、構内や緊急時対策室内の放射線量はほとんど上昇していないという事実を重くみた。
様々な情報を総合し、格納容器は壊れていないと判断。現場へすぐに引き返せない第二原発への撤退ではなく、第一原発構内かその付近の比較的線量の低い場所に待機して様子を見ることを決断し、命令した」

「吉田氏が驚いたのは、第二原発に離れた中に GM と呼ばれる幹部がいたことだ」

B 吉田調書(2011年7月29日聴取)には、次のような記述がある。

「本店本部とのやりとりで、退避させますよと。そのときにドライウェル圧力がまだ残っているのに格納容器が爆発するわけないとか言っているんですけれども、格納容器の圧力計なんか信用できるか、安全側に考えるんだと。
(中略)シビアな側に現場としては考えて退避するんだということで、バスを用意させて退避させたりしたわけです」

また、「本店側としては、まだ格納容器の圧(力)、ドライウェルの圧(力)が残っているんだからという意見をおっしゃる方もおられたということですか」という問いに答えた次のような記述がある。

「はい。私も瞬間そう思いました。私自身も、ドライウェルの圧力が残っているから、サプチェン(サプレッションチェンバの圧力)ゼロでも爆発したということはないだろうなとは思ったんですけれども、(爆発)音がしたというからね。(中略)音がしたということと、ゼロ、この2点は大きいと思ったんです。

だから、これをより安全側に判断すれば、それなりのブレーク(破損)して、放射能が出てくる可能性が高いので、一回退避させようと言って、2F(第二原発)まで退避させようとバスを手配したんです」

さらに、2011年11月6日聴取の調書でも、「(東電)本店からすると、ドライウェルの圧力があるんだから問題ないだろうと。それは遠くにいるから思うんであって、(爆発の)音を聞いて、サプチャンが(圧力)ゼロになったら、危ないと思うのは当たり前でしょう」などと同趣旨のことを述べている。

このように、吉田氏は当時、格納容器が爆発していないと「瞬間そう思いました」ということであり、その後は一貫して、格納容器の爆発を疑って、所員を退避させたと語っている。

C 取材記者たちは、上記の記事について、吉田調書のほか、構内や緊急時対策室内の放射線量は爆発音の後でもほとんど上昇していないという事実、東電本店が2号機の格納容器が壊れていないと判断したことを主な根拠として、記事のように記述したと述べている。

D 緊急時対策室内の放射線量が爆発音の後でも極端に上昇しなかったこと、また、東電本店が2号機の格納容器は壊れていない、と判断したことは認められる。

しかし、吉田調書からは、
本件記事とは逆に、吉田氏は本店が格納容器が壊れていないと判断した根拠としたドライウェルの圧力計の値をあまり信用しておらず、サプレッションチェンバの圧力がゼロになっていることで、「かなり危うい」と判断していたことがうかがえる。

さらに、記事にあるGMが第二原発に離れたことを知って「驚いた」事実を示す
吉田氏の言葉は調書にはない

以上からすれば、2面における吉田氏の判断過程に関する記述は、吉田氏の「第一原発の所内かその近辺にとどまれ」という「命令」から逆算した記者の推測にとどまるものと考えられる

仮に推測を記述するとしても、記事としては、吉田氏が述べていることと、記者の推測を峻別(しゅん・べつ)して記述し、読者に誤解が生じないようにすべきである。

そして、推測を交えたストーリー展開が許される場合があるとしても、それは経験則上そうであることが推認できる場合でなければならない。

前記の記事はそのような場合にあたるとはいえず、むしろ、吉田氏の語ったことと相違している。

2.6 朝日新聞デジタル

 インターネット版の朝日新聞デジタルは朝日新聞と連動する形で、
19日午後6時にツイッターで「
特報 吉田調書を朝日新聞が入手しました。明日の朝刊で詳報します」と伝え、
特集サイトでは連載企画の
「吉田調書」のプロローグを公開した。取材記者の1人が担当した。
収容枠に新聞のような制約がないこともあって、長文の連載企画となり、6月9日までに合計9本をリリースした。

5月20日午前6時にアップされた第1章1節「フクシマ・フィフティーの真相」では、新聞記事には割愛され、掲載されなかった前述の証言部分も、原文のまま、引用された。

本文中の一部に、「命令に反して」、「撤退」、「命令違反の離脱行動」という表現がある。
また、2.5で指摘した問題点もある。
これらは訂正されるべきである

しかし、その他はニュース仕立てではなく、読み物的な企画でもあり、見出しなどに問題となる表記はない。

なお、朝日新聞デジタルの特集サイトには19日からの1週間で、アクセス数が109万あった。

2.7 総合英語ニュースサイト

朝日新聞の総合英語ニュースサイトであるAJWは、本件5月20日付記事の見出しを「90% of TEPCO workers defied orders, fled Fukushimaplant」にして、20日夕方に発信した。

直訳すれば、「東電の所員の9割は命令を無視して、福島原発から逃げた」との表現となった。
公然と反抗するなどを意味する「defy」の過去形を使った。

「所長命令に違反 原発撤退」の見出しと記事から、この英単語を選択した。
訳したのは長年翻訳作業にあたってきた社員で、AJWの次長もこれを了解した。

また、5 月20日付記事は国外の主要紙、通信社などが取り上げ、そこでも、「Panicked Workers Fled Fukushima Plant in 2011 Despite Orders」(ニューヨーク・タイムズ紙)とされる等、東電の所員が命令を無視して逃げたとの情報が広まった。

2.8 20日付報道の総括

 本件は公開されていない「吉田調書」を独自に入手しての報道であり、大きな意義を持つスクープ記事だった。

記事の根幹部分は1、2面で横見出しとなった「所長命令に違反 原発撤退」「葬られた命令違反」に沿う内容となっているところ、そのような事実は、取材で裏付けられた客観的な事実としては認めることはできなかった。

さらに、取材記者の推測が事実のように記載されている部分もあった。

取材は尽くされておらず、公正性と正確性に問題があったといわざるを得ない。

3章 本件報道に至るまで

3.1 特別報道部

A 朝日新聞社の特別報道部は記者クラブでの取材に頼らない、独自の調査報道を目指して設置された。
前身の特別報道チームは2006年4月、東京編集局長直属の部門として発足。
政治や経済、社会などの各部記者とは異なり、政治面、社会面といった固有の紙面を持たないために、日常的に一定の出稿量を求められることはない。
09年に特別報道センター、11年10月から特別報道部となった。
現在は部長と3人の次長を含め、総員で20人を超す。さまざまな経歴を持つ記者たちが集まっている。

 11年3月の東日本大震災後は、原発事故関連の取材、報道にも力を入れ、朝刊3面で連載中の「プロメテウスの罠(わな)」は12年度の日本新聞協会賞を受けた。
また、現地での手抜き除染を取り上げた特ダネが13年度の日本新聞協会賞を受賞し2年連続の栄誉となった。


B 本件5月20日付報道の中心となった取材記者2人は、震災時、原発取材にあたり、その後の異動で特報部の次長や、特報部の取材チームへの応援記者として活躍していた
また、20日付報道の担当次長も、手抜き除染の取材チームを率いるなど、特報部内での実績を重ねていた。
特報部長も、かつて自身が新聞協会賞を受賞したことがあり、調査報道の経験も長かった。

3.2 調書入手と事前作業

A 東京電力福島第一原発の事故をめぐり、政府事故調査・検証委員会は772人から聴取を行ったが、聴取結果書の原本は内閣官房で保管され、非公開だった。
吉田氏は11年7月から同11月にかけて延べ30時間近い聴取を受けた。

 取材記者の1人(当時経済部所属)は、吉田調書全文の写しを昨年、独自に入手した
分量はA4判で約400呂△辰拭
記者は原発事故発生当時から取材に携わり、専門知識もあったが、
この分野に詳しい別の取材記者(朝日新聞デジタルの専門記者であるデジタル委員で、報道局員を兼ねていた。以下「デジタル委員」)とともに、分析を進めた
2人は事故発生直後から一緒に取材にあたり、連載記事のほか、東京電力のテレビ会議映像記録に関する複数の共同著作物などもあった。

 9割の所員が第二原発に移動したことはすでに知られている。
一方、吉田氏が東電のテレビ会議で、構内の線量の低いエリアに退避すること等を指示したことは、前述のとおり柏崎刈羽メモに記録されており、朝日新聞はすでに11年5月13日付朝刊において、東京電力の内部資料の記述として報じている。

2人も共著の「福島原発事故 タイムライン 2011−2012」(岩波書店)で引用している。
このように所員の退避行動が記録されている吉田氏の指示どおりでないことは既知の事実であるとみることができる。
取材記者の1人は、吉田調書のニュース価値がこの指示にあると考えた理由について、「吉田調書での生の言葉を読んで初めて柏崎刈羽メモの意味が分かった」と述べている。
もう1人は「『撤退問題』も含めて、この問題にこだわってきた。
一時待機の命令はこれまで報じられていなかった」と、吉田調書のこの部分を初報として取り上げた理由を説明している。

 2人はごく少数の上司らに吉田調書入手の事実を伝えたが、情報源秘匿を理由に現物は見せなかった。

B 吉田調書を入手した取材記者は今年1月に特報部に異動した。
これを受けて特報部長は3月ごろ、次長の1人を吉田調書に関する取材・報道の担当デスクに指名した。
特報部長は2人の取材記者を原発問題に詳しい記者として評価していた。
担当次長についても特報部での2年間の実績を買っており、政治部経験も長いことから、吉田調書を始めとして聴取結果書の全面公開を政府に求めていく紙面展開をするには適任であると考えた。
この3人のチームならば、大きな判断ミスはないと信用していた。
特報部長は吉田調書の閲覧を特に求めなかった。

 担当次長はデジタル委員とはかつて特報部の同僚だったが、調書を入手した取材記者とは初めての仕事だった。
このため、担当次長によると、信頼感のあったデジタル委員をキャップ格にし、取材記者からの原稿はデジタル委員があらかじめ目通しすることを原則にしたという。

 担当次長は吉田調書を瞥見(べっ・けん)したが、専門用語が多く、分量もあったため、精読はせず、取材記者らが作成した抜粋と資料をもとに2人から説明を受けた。

 吉田調書は朝日新聞の紙面で特ダネ記事として報道する一方、同時に、朝日新聞デジタルでも特集サイトでの連載企画を行う方向で、編集、デジタルの両部門で調整が進んだ。
朝日新聞デジタルの企画記事は、デジタル委員が原稿の準備を進めた。

 5月12日、調書を入手した取材記者は担当次長に、初報の原稿案を示した。

 その前文には「吉田氏の命令に違反して、第一原発にいた9割に当たる約650人が約10粗遒卜イ譴紳萋鷂業まで離脱し」と書かれていた。
本文には「命令違反撤退」とも記載されていて、この段階から「命令違反」「撤退」のキーワードが使われていた。

3.3 記事作成作業と他部による事前チェック

A 5月14日ごろ、記事を紙面に組み込む日が同19日とほぼ固まった。
編集部門の出稿責任者である GE、特報部長、担当次長、デジタル委員らの協議で、朝日新聞デジタルと連携した紙面とすることが確認された。
新聞記事も、初報だけでなく、続報を3、4回、出稿していくことも決まった。
GE は「間違いなく一級の特ダネだと思った」と述べている。
GE は担当次長に吉田調書の閲覧を求めたが、担当次長は情報源が明らかになるので避けたいと述べたため、それ以上要求しなかった。

 東京の編集部門は、毎週2回、水曜日と金曜日に、紙面企画会議を開く。
特ダネも含めた大きな記事や連載企画などはここに提案され、掲載の可否や扱い、組み日などを論議する。
しかし、本件は、高度の秘匿性を理由に、あえてこの会議に諮らず、原稿は組み日当日に出稿することとされた。

担当次長と2人の取材記者は、紙面化に向けて協議を重ねた。
担当次長によると、14〜17日の間に、取材記者、デジタル委員との原稿のやりとりは少なくとも5回にのぼった。
議論になったのは、東電の所員が「逃げた」の表現であり、結局、削ることになったという。


B 記事には、原発の専門的な用語が多い。
担当次長は科学医療部と政治部に初報の事前チェックと、続報への取材協力を求めた。
記事組み込みの前日となる5月18日午後3時に、科学医療部次長、同部記者、政治部記者らが集まった席で、紙面用とデジタル用の予定原稿が示された。
打ち合わせは約3時間半にわたった。
担当次長の趣旨説明の後、その場でデジタル用、紙面用の順に予定原稿を約1時間かけて読み、意見交換をした。
科学医療部の参加者からは「所長命令にどの程度強制力があるのか、位置づけがはっきりしない」「『違反』と言っていいのか」「『指示に反して』や、『意に反して』ではどうか」といった質問や代替案が出た。
担当次長は「そこはすでにいろいろ議論した上で、こうなった。
所長命令があったことは複数の東電内部資料で裏付けられている。
周りに多くの人がいて聞いていることは明らか。『違反』も『反して』も変わらない」などと説明した。

 出席者からは、デジタル用予定原稿にあった「伝言ゲームのあれのところで」という吉田氏の発言に関する質問も出た。
これはどういう意味か、650人が移動するには相当なバス台数が必要なはずで、なぜ全部が第二原発に行ったのか。
特報部側からは「そこは努力しているがわかっていない」「今後の課題」などとの答えがあった。

 18日の打ち合わせで、吉田調書のコピーは示されなかった。
取材記者らが打ち直したファイルは閲覧可能と伝えられたが、分量が多いのに記事に該当する部分が特定されておらず、結局、出席者は当該部分を読むことはなかった。

 本件記事について、特報部は法的な視点からの見解、いわゆるリーガルコメントは求めなかった。
担当次長は「固有名詞が出てくるのは吉田氏だけであり、特に必要とは考えなかった」としている。

3.4 20日付紙面の組み込みとその過程における社内からの疑問

A 5月19日、記事の組み込み日を迎えた。午後3時半から報道・編成局長室で開かれた当日組みの紙面を検討する会議(デスク会)には、その日の紙面の責任者である当番編集長のほか、出稿各部の次長、編集センターの各面担当次長らが出席した。
テレビ回線をつなぎ大阪、西部、名古屋の各本社の当番編集長らも参加した。

 冒頭、GEが発言した。一級の特ダネ記事が出稿されること、朝日新聞デジタルと連携した紙面になること、午後6時にツイッターで特ダネ記事を予告し、同時に朝日新聞デジタルでは吉田調書のプロローグが展開されることを説明し、協力を求めた。
デスク会では、本紙用デジタル用とも予定原稿は示されていない。

 担当次長は、「吉田調書は一級の歴史的資料」であるとし、福島第一原発が危機に直面した3月15日に、所員の9割が福島第二原発まで撤退したのは所長の待機命令に背く形であり、GM(グループマネジャー)と呼ばれる幹部クラスまで撤退していた事実は衝撃である、などと説明した。

 デスク会かその後のやりとりで、大阪本社側は「『命令』ではなく、『指示』ではないか」との質問をした

これに対して、担当次長は「他にも支える取材資料があり、間違いない」という趣旨の回答をした。

東京の当番編集長はデスク会後、「調書を見せてほしい」と担当次長に要請した。

しかし、秘密保持や調書自体が多量であることなどを理由に断られた

 見出しとレイアウトを担当する編集センターの1面担当の総合面デスクは、デスク会と前後して当番編集長と話し合い、見出しを大きく構える紙面とすることで一致した。

 午後6時すぎ、ツイッター予告とデジタルの特集サイトでの「吉田調書」のプロローグ公開が予定通り行われた。
編集部門内は初めての試みに、ある種の興奮状態にあった。


B 大阪本社では午後5時半以降、見出しをつける編集センターの総合面デスクと編集者の間で、

『命令』より『指示』という表現が適切ではないか

命令を無視して逃げたというより、命令の内容が十分伝わらなかったのでは

待機命令を聞いていることの裏はとれているのか

吉田氏は『命令』『撤退』という言葉は使っていないが、大丈夫か」などの指摘が次々と交わされた。

午後8時すぎ、大阪の総合面デスクは東京の総合面デスクへの内線電話で、これらの疑問点を告げた。

 東京本社の総合面デスクは特報部に照会した上で、「命令」については調書以外に裏付ける資料がある、「違反」は「命令とは違う場所に移動したのだから命令違反と言える」、「撤退」については「すぐに戻れない状態であり退避でなく撤退」と回答した。

大阪では、大阪紙面のみ「所長指示通らず原発退避」という見出しも検討した。
しかし、最終的には東京の見出しに追随した。
ただ、東京が2面に掲載した東京電力のコメントを、大阪の独自判断で、1面に引き上げた。

 午後10時ごろ、東京本社では、遠隔地に配る紙面の大刷りを見ていた特報部員が「現場は混乱していたのでは。
現場の声を入れた方がいいのでは」などとの指摘を取材記者2人にした。
しかし、受け入れられなかった。

 午後11時ごろ、記事の語句や表現、言い回しなどをチェックする校閲センター員の1人は「命令違反」の横見出しが、所員を責めているように読めるので「書き換えるべきではないか」と、編集センターの担当者に提起した。

しかし、担当者から「第二、第三のスクープがある。今日は書いてないこともあるようだ」と言われた。

 東京本社の1面最終紙面は、本記の前文をベースにして、「所長命令に違反原発撤退」の横見出し、「福島第一 所員の9割」の縦見出しとなり、当番編集長も了承した。

3.5 続報と社内賞

 取材チームからは、「吉田調書」の原稿が20日以降も出稿された。
朝刊1面の見出しだけを挙げる。「ドライベント、3号機準備 震災3日後 大量被曝の恐れ」(21日付)▽「吉田氏、非常冷却で誤対応 『私の反省点。思い込みがあった』」(23日付)▽「事故調、調書の開示想定 吉田氏ら全772人分」(24日付)――と続いた。その間、他のメディアの追随はなかった。

 一方、朝日新聞デジタルの「吉田調書」の特集サイトは、20日午前6時から、プロローグに次ぐ2本目の企画となる「フクシマ・フィフティーの真相」を掲載した。
6月9日までに計9本が掲載された。最初の1週間で109万のアクセスがあった。

 非公開の「吉田調書」を入手した報道と、連動しての朝日新聞デジタルの企画に、5月21日、担当役員による編集担当賞とデジタル担当賞が贈られた。

3.6 問題点

 取材から紙面組みまでの過程に関し、いくつかの問題点を指摘できる。

 第1に、秘密保護を優先するあまり、吉田調書を読み込んだのは2人の取材記者にとどまり、社内でその内容が共有されることがなかった。
報道の漏洩(ろう・えい)防止や情報源の秘匿に注意を払うことは、記者として当然のことである。
とりわけ、政府が非公開としている吉田調書を入手したのであるから、2人の取材記者が細心の注意を払ったことは十分に理解できる。

それでも、現場での出稿責任を一義的に負うことになる担当次長は読むべきだったし、遅くとも記事の紙面化が具体的となった時点では、紙面に最終的に責任を持つ GE、上司である特報部長そして当日の当番編集長は少なくとも記事に関連する調書部分を精読すべきであった。

 専門的な知識、用語の多いテーマであることから、記事内容や見出しの適否を検討するには、担当記者以外の専門的知識を有する記者にも、2、3日の余裕を持って閲覧させるべきであり、部長、担当次長もそのように指示すべきであった。
少なくとも、初報記事の関連部分は開示すべきであった。

 さらに、特報部が科学医療部、政治部と打ち合わせた18日の会議には、朝日新聞デジタルの特集サイト用のプロローグ部分の予定原稿及び2本目の「フクシマ・フィフティーの真相」の予定原稿が示されていた。
後者には、その後に引用されなかったことが問題となる証言部分が載っていた。
しかし、19日当日の紙面作りの過程において、デジタル紙面の予定原稿は編集者や他の記者たちに示されなかった。
20日付紙面に対応する吉田調書の記載部分やデジタルの2本目の予定原稿が社内で一定程度、共有されていたら、見出しと記事内容は異なったものとなった可能性がある。
朝日新聞デジタルでは4月ごろから複数のスタッフも加わって、予定原稿づくりの作業が進められていた。
しかし、本紙の編集センターでは、組み込み日当日になっても秘密保持を理由として情報の共有がなされていなかった。行き過ぎというほかない。

 第2に、19日時点でも、見出しや記事内容について多くの疑義が社内の各方面から出されていた。
しかし、これらの問題提起はほとんど取り上げられることなく終わった。
担当次長は、大阪本社からのデスク会前後での指摘は認識しているが、他からの指摘は認識していないと述べている。
紙面の最終責任者はGEであり、当日の責任者は当番編集長だが、これら責任者には伝わっていない。
なぜなのか、その原因を点検する必要がある。

 第3に、自信と過度の信頼も影響している。
吉田調書を入手し検討した取材記者たちは福島原発事故の取材に関しては自負があり、2人だけでの仕事にこだわり、他からの意見を受け付けない姿勢がみられた。
その結果、専門性の陥穽(かん・せい)にはまった。
担当次長も局内で高い評価を受けていた。
GE、部長らは、そうした取材記者2人と担当次長の3人のチームを過度に信頼し、任せきりの状態だった。部長と GE がその役割を的確に果たさなかったというほかない。

4章 本件報道後の対応

4.1 社外からの指摘

A 東電社長の国会証言

 5月21日、衆院経済産業委員会に参考人として出席した東京電力の広瀬直己社長は、朝日新聞の報道に関連した質疑で、

「吉田の指示を直接聞いた人間から改めてその点を確認し、ヒアリングをいたしましたところ、吉田の指示は、線量の少ない1F(福島第一原発)の敷地内がもしなければ、2F(福島第二原発)も避難先として検討せよという指示だったというふうに申しております」と、

吉田氏の命令は1Fにとどまるよう強く指示した内容ではなく、2Fを避難先として容認する二段構えの指示だったと説明し、命令違反との報道内容を否定した

B 門田隆将氏のブログ、週刊誌及びネットメディア

 5月31日、吉田氏に対するインタビューを著書にまとめたことがあるノンフィクション作家の門田隆将氏は、ブログに「お粗末な朝日新聞『吉田調書』のキャンペーン記事」と題し、「記事を読んでも、所員が『自分の命令に違反』して『撤退した』とは、吉田氏は発言していない」、「意図的に捻(ね)じ曲げられた」報道で、「(所員たちを)貶(おとし)める内容の記事」と批判する文章を載せた。

 6月9日発売の週刊ポスト6月20日号は、「朝日新聞『吉田調書』スクープは従軍慰安婦虚報と同じだ」「韓国メディアは日本版『セウォル号事件』と報道」との見出しで、門田氏投稿による特集記事を、

同月10日発売の写真週刊誌FLASH6月24日号も門田氏の見解を中心に、東京電力の見方などを取り上げて、朝日のスクープはウソとする特集記事をそれぞれ組んだ。

 6月中において、朝日新聞記事を取り上げたネットメディアは少なくとも十数件あった。
そして、その約半数が報道内容を否定的にとらえていた。


C 通信社及び新聞

 7月中旬、共同通信は連載企画「全電源喪失の記憶 証言 福島第一原発 最終章」の配信を始めた。
実名による証言を中心とした第二原発への退避の状況についての詳報であった。
吉田氏の待機命令を認識していた所員は一人も登場せず、「命令違反 撤退」を否定する内容となっていた。

 8月18日、産経新聞の朝刊は、吉田調書を入手したとして「『全面撤退』明確に否定」「命令違反の撤退なし」と報じた。吉田氏は「『伝言ゲーム』による指示の混乱について語ってはいるが、所員らが自身の命令に反して撤退したとの認識は示していない」との見方を示した。
命令違反を否定する元所員の談話も掲載した。

 8月30日、読売新聞は朝刊で、吉田氏の聴取記録が明らかになったとし、「第二原発へ避難正しい」との見出しと記事で報じた。

 8月31日、毎日新聞の朝刊も、共同通信が入手した吉田調書から全容がわかったとし、「吉田調書『全面撤退』否定」の見出しで取り上げた。
社会面では、
朝日新聞の報道に「悔しい」と話す元東電社員を紹介した

4.2 朝日新聞社の対応

A 抗議書

 6月上旬、週刊誌から相次いで取材申し込みがあった。
担当次長、広報部長、編集部門で危機管理を担当するゼネラルマネジャー(以下「GM」)の部下であるゼネラルマネジャー補佐(以下「GM補佐」)らの集まる会議が開かれ、対策を協議した。

担当次長は「少なくとも外形的には命令違反の行為があったことは間違いない」と主張し、この論理で対処していくこととなった。

 朝日新聞社は、前記週刊誌2誌に対し、広報部長名で訂正と謝罪記事の掲載を求め、「誠実な対応をとらない場合は、法的措置をとることも検討します」とする「抗議書」を送り、10日付と11日付朝刊にそのことを伝える記事を掲載した。

 また、8月、産経新聞と同紙に寄稿した門田氏に対しても、同趣旨の抗議書を送った。

B 所員の取材

 担当次長は記事掲載翌日の21日、原発取材経験のある部員からの指摘を受けて、現場にいた所員に取材する必要があると考え、取材記者たちに指示した。

 しかし、朝日新聞の報道に対する反発もみられ、取材の協力は得られなかった。
結局、命令を聞いたという人物の取材はできなかった。


C 7月紙面計画

 6月下旬、朝日新聞の編集部門は今年度の新聞協会賞の編集部門(企画)に、朝日新聞デジタルとの連動に重点を置いて、「吉田調書」報道をエントリーすることを内々で決めた。応募の締め切りは7月3日だった。

 この新聞協会賞も意識して、紙面全般の責任者であるGEは吉田調書報道の目的を読者に改めて説明する紙面を計画した。
6月27、28両日、特報部の担当次長のほか、社会部次長、デジタル編集部次長らが集まって協議した。
7月2日組み(3日付)で、「吉田調書」報道の目的が「原発事故の真相を明らかにし、原発政策の今後を考える議論の材料を提供すること」「第一原発を離れた一人ひとりの行動の是非を問うことではない」ことを伝える一方、外形的事実があったとして、「命令違反」や「撤退」の初報を補足説明する内容の記事を中心とする予定だった。

 しかし、予定原稿には「命令違反」であることを補強する取材事実はなかった。
GEは、掲載しても、「命令違反はやはりなかった」という批判を免れることはできないと判断し、編集部門トップの取締役編集担当らとも協議した上で、7月1日、掲載を見送った。
GMもそのころには、記事に対する疑念を感じていたが、現場の判断を優先して、動くことはなかった。


D 9月紙面計画

 朝日新聞は8月5、6日と、いわゆる慰安婦問題の特集記事を掲載した。
7月はその準備に追われたが、掲載後も他メディアからの批判も含めて反響は多く、編集担当も含めた危機管理担当の役員たちと編集幹部はその対応にも追われた。

 8月18日、前記のとおり産経新聞が吉田調書を入手したと報道したことを重く受け止め、編集担当やGEの指示で8月21日、GM補佐が初めて、吉田調書の開示を受け、読み込んだ。
また、事態は深刻であると考え、編成局長補佐の1人を吉田調書報道の担当補佐(以下「担当補佐」)とした。

 25日、GE、特報部長らが吉田調書のうち初報の記事内容に該当する部分と関連の東電内部資料を初めて読み、その上で紙面計画を協議した。初報から3カ月余が経過していた。
早ければ30日ごろの組み予定で、特報部が1面と総合面、特設面を使った予定原稿を作ることになった。
そして、報道・編成局長室がその内容をチェックすることを決めた。

 紙面計画は、初報には見出しも含めて誤りはないとの基本姿勢だった。
吉田調書と東電の内部資料で裏付けられた事実を時系列で正確に表し、とくに吉田調書の該当箇所は全文を掲載することとした。
「命令」「違反」「撤退」の定義を示し、福島原発事故のような大事故において、混乱により人的対応がとれなくなる危うさのあることを示すことを狙いとした。

 その後、前述のとおり読売新聞、毎日新聞と他メディアからの批判報道が続き、紙面計画は9月2日組みに延期された。

 9月2日、編集担当と危機管理担当の複数の役員、GEらが原稿を読み意見交換し、再延期を決めた。
この夜、8月29日付で掲載予定だった池上彰氏のコラムの掲載を一時見合わせていたことが報道され、大きな問題となり、GMらは対応にあたっていた。


E 最終判断

 担当補佐は、特報部作成の予定原稿は外形的な事実はあるということを前提としているが、その内容は他メディアの批判に対する反論となっておらず、読者の理解も到底得られないのではないか、と考えた。
GEとも諮った上で、担当補佐は9月2日午後、編集部門の主要各部の統括デスク(筆頭次長)を集めて予定原稿一式を渡し、翌3日、意見を聞いた。

 「現場にいた人たちの取材がない」「強い言葉を選んだ結果、実態からずれてしまっているのに、この予定原稿の内容はそのことに応えていない」「批判の核心は『命令に違反した』と表現した点にあり、そこに応えない記述をいくら詳細に展開しても、批判はおさまらない」

 各部の統括デスクの意見は、ほとんどが厳しい内容だった。

 5日、特報部長は、統括デスクらの意見集約の報告を受けて、GEと担当補佐に対し、「予定原稿は説得力がなく、取材による裏付けもない」と述べ、

朝日新聞が運営する総合英語ニュースサイトAJWでさえも「逃げる」と英訳したことを挙げ、「結果として650人の名誉を傷つけてしまった」と総括し、初報については「おわびするしかないと考える」と述べた。

これを境として、記事を訂正もしくは取り消す方向での検討が始まった。

 担当補佐の下に新たに検討チームが編成され、取材担当記者と担当次長はこのチームから外された。
このころ、政府の吉田調書の公開は9月15日からの週と予測されており、これより前での紙面化を目指した。
しかし、公開日が11日と早まり、公開前の紙面化は困難となった。
編集担当、GE、担当補佐、GM補佐らは、危機管理担当の役員らとも連絡を取り合いながら、対応策を協議した。
全社的な危機管理態勢となった。

 訂正か、取消しか、なかなか決まらなかった。
10日夜から11日未明にかけて、編集担当ら編集幹部の協議で、初報は「所長命令に違反 原発撤退」の1面横見出し部分と「所員の9割」の縦見出し部分が、記事の根幹部分にあたるが、その根幹部分が誤りである以上、記事は取り消さざるを得ないと判断した。
そして、記事を取り消すという方針を危機管理に関係していた複数の役員に報告して、了承を得た。

 11日正午、報道・編成局は臨時部長会を開いた。
その会議において、担当補佐は「これまでは、誤っていても本質は別の点だという取材側の論理で反論してきた。
その結果、『問題のすり替え』との反発を招いてきた。
読者の目線でこの記事を判断すれば、根幹が誤っており、語句の訂正では対応できない。
取り消さざるを得ない」と説明した。

 検討チームは10日から、政治部次長を統括デスクにして、経緯報告をまとめる作業を行っていた。
その報告は、12日付の2面で展開された。

 特報部長は、10日担当次長らに対して、11日取材記者たちに対し記事には問題があったことを紙面で公表することを伝えた。

F 社長会見

 木村伊量朝日新聞社長は、政府による吉田調書の公開日である9月11日、記者会見を行い、5月20日付記事を取り消し、読者と東京電力の関係者に謝罪した
その中で、「『命令に違反 撤退』という記述と見出しは、多くの所員らが所長の命令を知りながら第一原発から逃げ出したような印象を与える間違った表現のため、記事を削除した」とし、「調書を読み解く過程での評価を誤り、十分なチェックが働かなかったことなどが原因と判断した」と説明した。


 朝日新聞は13日付朝刊1面で、「吉田調書報道巡り 抗議撤回しおわび」「本社、作家・雑誌・新聞社に」の見出しで、抗議書を送っていた作家の門田隆将氏、週刊ポスト、写真週刊誌のFLASH、産経新聞社に、おわびの意思を伝えたことを報じた。

 さらに、17日付朝刊社会面では「東京電力と関係者の皆様に改めておわびします」「『吉田調書』報道で本社」の見出しで、朝日新聞社が改めて東電と関係者におわびしたことを伝えた。

4.3 問題点

 本件での朝日新聞の事後対応については、いくつかの問題点を指摘できる。

 第1に、読者の視点(読者がどう感じたか)についての想像力の欠如と危機意識の希薄さがある。
いかに専門性が高く、経験豊かな記者でも、報道を誤る危険は常にある。

人は過ちをもたらした思考から容易には逃れることはできない。
迅速にこれをただすという機能は当事者である取材チームには働かない。
門田氏のブログも含めた複数のネットメディアの指摘と二つの週刊誌から批判を受けた時点で、これを軽視せず、危機管理態勢に入り、取材チーム以外の人員が吉田調書を引き取って読み、読者の視点から検証すべきであった。
編集部門において、あるいは第三者による、醒(さ)めた曇りのない目で見ることができ、客観的に判断することができる危機対応体制を構築する必要があると思われる。

新聞社の重大な危機のほとんどは、編集部門に起因する。
だが、直接担当するGM補佐は1人であり、しかも、他の多数の役割も兼任している。
そのため、外からの批判に対する判断は、第一次的には現場である各部に任されていた。

編集部門の要望を受けて、抗議文を送り続けた広報部のあり方も含めて、体制を見直すべきだろう。

 第2に、速やかな事後対応が必要だったのに怠った。
7月紙面計画があり、進行していた紙面化が実現していれば、読者から一定の理解が得られ、その後共同通信、産経、読売、毎日の各紙と続く批判報道やネット上での非難にある程度の抑制効果が生じ、最終的には見出しと記事の取消しは免れなかったであろうが、方向転換するきっかけにはなり得たという見方がある。
他方、予定されていた記事の内容は説得力がなく、掲載すれば非難はより高まったはずであり、根幹部分である「命令違反 撤退」を補強する取材ができなかった以上、その時点で見出しと記事を取り消し、所員の名誉を傷つけたことを率直に謝罪すべきであった、という見方がある。
後者の見方からは、掲載を見送ったことは適切であったということになる。
いずれの観点に立つにしろ、無為に時が過ぎ、9月11日に至ったのは、遅きに失したというべきである。


 第3に、記事掲載後も情報源の秘匿を重視するあまり、また危機意識の希薄さも加わり、吉田調書の社内における開示、情報共有が遅れた。
8月21日に至り、GM補佐が開示を受け、読み込んだ。それ以降、社内論議が急速に進展した事実をみると、情報共有が遅れたことが悔やまれる。

 以上の事後対応に関しては、上層部の責任が大きい。

 なお、9月11日の社長会見の直前まで、記事を訂正するか、取り消すか決まらなかった中で、同11日組みの紙面づくりも始まっていた。
記者会見直前の数日における全社的な危機対応は、遅きに失したとはいえ、評価できる。
担当次長と担当記者たちにも、本件記事の見直しが伝えられており、その点では相応の手順が踏まれたともいえよう。


第5 本見解の公表について
 当委員会は、本見解を申立人である朝日新聞社に通知するとともに、朝日新聞社に対して、朝日新聞等において適切な方法で公表することを求める。
 

 

2022.09.16

 この委員会報告は、長文で、一見詳しそうにみえるのですが、結構繰り返しが多く、

また、原文を、細切れにしていて、見えなくなった部分があります。

 例えば、2011年5月20日朝刊1面の、大見出しの後の最初の説明文は、以下の通りです。

東京電力福島第一原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎氏(2013年死去)が政府事故調査・検証委員会の調べに応えた「聴取結果書」(吉田調書)を朝日新聞は入手した。それによると、東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた署員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10南の福島第二原発に撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた。

 署員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10南の福島第二原発に撤退していた。

のあとに、

 その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた。

という文章があって、読者を誘導し、煽っているのですが、この部分は、報告に全く含まれていません。

 また、吉田氏の待機命令に違反し という部分に関して、吉田さんが、

「福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもり」

と言っているので、朝日新聞としては、命令ではなく、指示 と言い変えたようですが、

実際に第二に避難したことが、この指示に対する違反にあたるのかどうかを、正当に評価する必要があります。

 避難ではなく、撤退という言葉を使ったことから、朝日新聞の魂胆は明確なのですが、

撤退を避難に戻したとしても、委員会としては、さらに、

第二への避難が、吉田さんの指示に、反しているのか、沿っているのかの判断をするべきではないでしょうか。

吉田さんは、指示に反しているとは、思っていないようです。

2022.09.17

 さて、吉田調書問題においては、社長が超特急の謝罪を行いましたが、

何人かの社員は、謝罪に同意せず、反論の本も何冊か出版されましたので、改めて取り上げるつもりですが、

ここでは、webでの反論の一つを、紹介します。

2020/03/11
ワセダクロニクル「吉田調書報道の真実」前編
「吉田調書」を報じた朝日新聞特報部元記者らが改めて検証!
誤報ではない「吉田調書報道」をなぜ朝日新聞は自ら葬り去ったのか
https://lite-ra.com/2020/03/post-5304.html

朝日新聞特報部でこの吉田調書報道を手がけた木村英昭記者は、
同じく特報部所属の
渡辺周記者とともにこの朝日の記事封殺の姿勢を批判して同社を退社。
探査ジャーナリズムNGO「ワセダクロニクル」を立ち上げている。

そして、あらためて吉田調書報道とその後の朝日社内の動きを取材。
「ワセダクロニクル」のウェブサイト(https://www.wasedachronicle.org)で
同サイトの編集長もつとめる渡辺周名で「葬られた原発報道」というレポートを連載している。

  このワセダクロニクルのウェブサイトは、現在は存在せず、
  Tansa というサイトになっています。 https://tansajp.org/

今回はこの渡辺周、木村英昭が所属する「ワセダクロニクル」取材班に改めて、
吉田調書報道とその後に何が起きたかについてのレポートを依頼した。

それは、放置された原発事故の事実に迫ると同時に、この国のメディアの内実を暴露するものでもある。
前後編に分けてお送りするので、ぜひじっくり読んでほしい。

 

 「ワセダクロニクル」取材班の反論の一部を紹介します。 内容は、最初の記事のままです。

午前6時42分、吉田所長は福島第一原発の所員約720人に「命令」する。
 「所員たちは第一原発の敷地内の放射線量の低いところにとどまって待機するように」

 吉田所長は第二原発に撤退してしまわずに、第一原発に残るよう命じた。ギリギリでチャンスを見出した。

 ところが吉田所長が見出したチャンスは生かされなかった。
吉田所長の命令とは裏腹に、720人のうちの約9割にあたる650人が、
第一原発を離れて第二原発に行ってしまったのだった。

 650人の所員がいなくなった。午前9時、第一原発正門付近で毎時1万1930マイクロシーベルトを記録する。
その後も、高い放射線量が継続的に放出されていく。
もし650人が所長の待機命令通りに第一原発にとどまり作業にあたっていたら──。
そのことはいまだに検証されていない。

 吉田所長の「所員たちは第一原発の敷地内の放射線量の低いところにとどまって待機するように」
という命令は、第一原発と東電本店をつないだ
テレビ会議で伝えられた

このテレビ会議は、第二原発や柏崎刈羽原発、オフサイトセンターにもつながっていた。
命令から2時間後の3月15日午前8時35分、東電は東京で記者会見を開いた。

所員は吉田所長の命令に反して、9割にあたる650人が第二原発に行ったあとの時刻だ。
ところが、東電は記者会見でこう公表する。

 「所員は一時的に第一原発内の安全な場所へ移動した」

 つまり東電は、所員が吉田所長の命令通りに行動したと、事実とは違うことを公表した
第二原発に撤退した事実を把握していなかったのか、ウソをついたのか、そのいずれかになる。

 朝日新聞はこの日のことを、2014年5月20日の朝刊で報じた。
1面トップの主見出しは「所長命令に違反 原発撤退」。
2面では「東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた」と書いた。

 後編は、以下のサイトにあります。 

ワセダクロニクル「吉田調書報道の真実」後編
封印された朝日吉田調書報道の“続報”とは……検証を続け、
新事実を明かした元特報部記者たちに朝日新聞が圧力、記事の削除要求

https://lite-ra.com/2020/03/post-5305.html

 

 

〈関連記事〉=連載継続中 
ワセダクロニクル/特集「葬られた原発報道」

として、ワセダクロニクルに連載中の記事が紹介されますが、
それらの記事は、現在、Tansa で、よむことができます。

葬られた原発報道
https://tansajp.org/columnists_category/nuclear/

2014年9月11日、朝日新聞社が原発「吉田調書」のスクープ記事を取り消した。
取り消しは「捏造」があった時の処置だが、記事に誤りはない。
全国の弁護士194人は「報道の使命を自ら放棄した」と抗議し、
福島の被災者は「原発事故の後こそ『ペンは力なり』が試されている」と怒る。
ジャーナリズム史に残る事件で何があったのか。

2019/05/01
第1回 『国か壊れても記者は黙る』国・日本の共犯者は誰た」
https://tansajp.org/columnists/3471/

2019/05/02
第2回 福島からの叱咤
https://tansajp.org/columnists/3484/

2019/05/03
第3回 『圧倒的に池上コラム』
https://tansajp.org/columnists/3487/

2019/05/08
第4回 朝日新聞『記者会見』のウソ
https://tansajp.org/columnists/3509/

2019/05/22
第5回 『功名心』か封じた続報
https://tansajp.org/columnists/3591/

2019/11/11
第6回 幻の紙面か問うた『福島第一原発事故の宿題』
https://tansajp.org/columnists/4868/

2019/11/12
第7回 『危機管理人』の登場
https://tansajp.org/columnists/4902/

2019/11/14
第8回 安倍政権の『慰安婦問題検証』に身構えた朝日社長
https://tansajp.org/columnists/4921/

2019/11/21
第9回 『水に落ちた朝日』をたたいてビジネス
https://tansajp.org/columnists/5075/

2019/12/19
第10回 拝啓 朝日新聞社長、渡辺雅隆さま『記事の削除要求』にお答えします
https://tansajp.org/columnists/5426/

2019/12/27
第11回 拝啓 朝日新聞社長、渡辺雅隆さま 『記事の削除要求」の撤回を求めます
https://tansajp.org/columnists/5465/

2020/03/22
第12回 社長がウソをつく『報道機関』との法廷対決
https://tansajp.org/columnists/5989/

2020/03/27
第13回 東京地裁が認めた『新聞記者は会社員』
https://tansajp.org/columnists/6025/

 これらの記事は、まだ読んでいませんので、改めて、報告します。

 

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