渡辺周 葬られた原発報道 (2019) 

2023.09.13 

 渡辺周 (わたなべ まこと) さんは、2016年に朝日新聞を退社された方で、政治家の わたなべ周 さんとは、別人です。

 東洋経済ONLINE の著者頁に、以下のように紹介されていました。

渡辺周 (わたなべ まこと) ワセダクロニクル 編集長

1974年神奈川県生まれ。2000年から朝日新聞記者。東京本社特別報道部などで調査報道を手掛け、高野山真言宗の資金運用の実態などを報じたほか、原発事故後の長期連載「プロメテウスの罠」で高レベル核廃棄物がテーマの「地底をねらえ」、大熊町のルポ「原発城下町」を執筆。

2016年3月に朝日新聞社を退社後、探査報道に特化した「ワセダクロニクル」を創刊。ワセクロは、電通や共同通信の癒着を暴いた「買われた記事」や北朝鮮による元動燃の核科学者拉致疑惑「消えた核科学者」など13シリーズを発信。日本外国特派員協会の「報道の自由推進賞」やジャーナリズム市民支援基金の「第1回ジャーナリズムXアワード」の大賞など5つの賞を受賞した。

 朝日新聞で、吉田調書報道を手がけたのは、特報部の木村英昭記者ですが、
同じく特報部所属の渡辺周記者は、朝日の記事封殺の姿勢を批判して、二人一緒に退社し、
探査ジャーナリズムNGO「ワセダクロニクル」を立ち上げました。

 「ワセダクロニクル」のウェブサイトで、渡辺周名で「葬られた原発報道」というレポートを連載しました。

 以下の2つの記事で、その間の事情を知ることができます。

ワセダクロニクル「吉田調書報道の真実」前編
「吉田調書」を報じた朝日新聞特報部元記者らが改めて検証!
誤報ではない「吉田調書報道」をなぜ朝日新聞は自ら葬り去ったのか
https://lite-ra.com/2020/03/post-5304.html

ワセダクロニクル「吉田調書報道の真実」後編
封印された朝日吉田調書報道の“続報”とは……検証を続け、
新事実を明かした元特報部記者たちに朝日新聞が圧力、記事の削除要求
https://lite-ra.com/2020/03/post-5305.html

 ワセダクロニクルのウェブサイトは、現在は存在せず、
Tansa というサイトに移されていました。 https://tansajp.org/

 レポートは、13個の記事からなっています。

葬られた原発報道
https://tansajp.org/columnists_category/nuclear/

第1回 『国が壊れても記者は黙る』国・日本の共犯者は誰だ
https://tansajp.org/columnists/3471/

2019/05/02
第2回 福島からの叱咤
https://tansajp.org/columnists/3484/

2019/05/03
第3回 『圧倒的に池上コラム』
https://tansajp.org/columnists/3487/

2019/05/08
第4回 朝日新聞『記者会見』のウソ
https://tansajp.org/columnists/3509/

2019/05/22
第5回 『功名心』か封じた続報
https://tansajp.org/columnists/3591/

2019/11/11
第6回 幻の紙面か問うた『福島第一原発事故の宿題』
https://tansajp.org/columnists/4868/

2019/11/12
第7回 『危機管理人』の登場
https://tansajp.org/columnists/4902/

2019/11/14
第8回 安倍政権の『慰安婦問題検証』に身構えた朝日社長
https://tansajp.org/columnists/4921/

2019/11/21
第9回 『水に落ちた朝日』をたたいてビジネス
https://tansajp.org/columnists/5075/

2019/12/19
第10回 拝啓 朝日新聞社長、渡辺雅隆さま『記事の削除要求』にお答えします
https://tansajp.org/columnists/5426/

2019/12/27
第11回 拝啓 朝日新聞社長、渡辺雅隆さま 『記事の削除要求」の撤回を求めます
https://tansajp.org/columnists/5465/

2020/03/22
第12回 社長がウソをつく『報道機関』との法廷対決
https://tansajp.org/columnists/5989/

2020/03/27
第13回 東京地裁が認めた『新聞記者は会社員』
https://tansajp.org/columnists/6025/

 記事が分かれていて、読みにくいので、以下に、一括表示します。

渡辺周 葬られた原発報道 (2019)
https://tansajp.org/columnists_category/nuclear/

2014年9月11日、朝日新聞社が原発「吉田調書」のスクープ記事を取り消した。
取り消しは「捏造」があった時の処置だが、記事に誤りはない。
全国の弁護士194人は「報道の使命を自ら放棄した」と抗議し、福島の被災者は「原発事故の後こそ『ペンは力なり』が試されている」と怒る。
ジャーナリズム史に残る事件で何があったのか。

2019年05月01日17時32分 渡辺周
「国が壊れても記者は黙る」国・日本の共犯者は誰だ(1)
https://tansajp.org/columnists/3471/

記者が黙った。国が壊れたーー。

ワセクロは「世界プレスの自由デー」の5月3日、韓国のドキュンメンタリー映画『共犯者たち』を上映するとともに、韓国公共放送KBSのジャーナリストらを招いてシンポジウムを開きます。
冒頭の言葉はこの映画のキャッチフレーズです。「満員御礼」、多数の方に応募いただきました。誠にありがとうございます。

映画では、2013年まで大統領だったイ・ミョンバク氏に放送局の経営陣がおもねり、次々に報道がつぶされていく様子が描かれています。弾圧の過程では、多くの記者が解雇されたり左遷されたりしました。

日本でも2014年、朝日新聞の原発事故についての報道が取り消されるという事件が起きました。東京電力福島第一原発の所長、吉田昌郎氏を政府が事故の後に聴取した「吉田調書」についての報道です。政府は吉田調書を秘密にしていたので、報道がなければ明るみに出ることはありませんでした。

「東日本壊滅」。吉田調書では、原発事故時に吉田所長が思い描いたという言葉が記されています。まさに「国が壊れる」瀬戸際だったのです。

しかし、吉田調書報道は朝日新聞社によって取り消されました。取り消しというのは、「なかったことにする」ということです。しかも、ほとんどの記者は黙認しました。「記者が黙った。国が壊れた」ではなく、「国が壊れても記者は黙った」のです。

担当記者2人は懲戒処分を受け、その後朝日新聞を退社しました。そのうちの一人である木村英昭は、私と共にワセクロを立ち上げ編集幹事を担っています。

説明 懲戒処分で減給となったのは、木村英昭さんと、宮崎知己さんです。

私は、吉田調書報道を担った朝日新聞の特別報道部にいました。取材班にはいませんでしたが、木村は私の左隣の席でした。間近にいて見聞きしたこと、そして、取り消しについて調べたことをご報告していきます。

ジャーナリズムは誰のためにあるのかを考えるきっかけにしていただければ幸いです。

「汚れっちまった」 3・15

福島第一原発の事故後、放射能汚染により多くの人がふるさとを追われました。今も約4万人の人が避難生活を余儀なくされています。

原発事故の被災者を取材したのは、私が「プロメテウスの罠」というシリーズの「原発城下町」という連載を手がけた時でした。

私が取材した男性はふるさとの大熊町にもう住めなくなっていました。「汚れつちまつた悲しみに」というフレーズで始まる中原中也の詩を書き写すほど落ち込んでいました。東京で五輪が開かれると決まった日には「福島だけが取り残されるようで寂しい」と電話してきました。

では、事故が発生して以降、最も多くの放射性物質が福島第一原発から外に出たのは、いつでしょうか?

意外に知られていないのですが、大地震から4日後の2011年3月15日午前9時です。毎時1万1930マイクロシーベルトという桁違いの線量を記録しました。

「吉田調書」報道とはこの前後に福島第一原発であった本当のことを、政府が秘していた「吉田調書」を入手して報じたものです。

まずは、3月15日のことをご説明します。

吉田所長が見出した「チャンス」

2011年3月15日午前6時42分、福島第一原発の吉田所長は所員約720人にある「命令」を出しました。

「所員たちは第一原発の敷地内の放射線量の低いところにとどまって待機するように」

福島第一原発では前日の3月14日、核燃料が入っている格納容器が壊れるかもしれないという見方が広がりました。壊れれば所員が大量に被曝してしまいます。東電は、第一原発から10キロ離れた隣町の「第二原発」への「撤退」を決めていました。翌3月15日未明、衝撃音が発生します。前夜からの撤退計画が実行に移されることになりました。

ところが、格納容器が壊れているのではなく、圧力を計測する装置が故障しているだけかもしれないという情報が東電本店から届きました。吉田所長は「2号機の格納容器は壊れていないかもしれない」と考えを変えました。

もし、格納容器が壊れていないのなら第二原発に撤退する必要はありません。720人の所員が引き続き原発事故の対応にあたれる可能性があります。

そこで吉田所長は第二原発に撤退してしまわずに、第一原発に残るよう命じたのです。吉田所長はあきらめてしまわずに、ギリギリでチャンスを見出したのです。

解説 吉田所長は、「ギリギリでチャンスを見出した」と言い切っていますが、これは単なる憶測です。吉田所長が、格納容器が壊れていないので、第二原発に撤退する必要はないと判断したという証拠は無いと思います。 

説明 渡辺さんは、吉田所長が第一原発に残るよう命じたと言い切っていますが、朝日新聞の検証委員会は、吉田所長は、、『高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機』のようにテレビ会議で伝えたのであって、明確に第一原発に残れと指示したわけではないと結論づけています。

9割の所員がいない間に、最高値の放射性物質

ところが吉田所長が見出したチャンスが生かされることはありませんでした。

吉田所長の命令とは裏腹に、720人のうちの約9割にあたる650人が、第一原発を離れて第二原発に行ってしまっていたのです。

しかも、第二原発に行った所員たちの8割以上は翌日の3月16日になっても戻ってきませんでした。東電テレビ会議に記録されています。ところが、このことを誰も問いません。「撤退した所員は戻ってきた」と勘違いをしている人もいます。

650人の所員がいなくなった後の3月15日午前9時、第一原発正門付近で毎時1万1930マイクロシーベルトを記録します。これは福島第一原発事故での最高値でした。その後も、高い放射線量が継続的に放出されていきました。

事故から8年経った今も4万人が避難生活を送る福島の汚染は、この時の放射性物質の流出が大きな影響を与えたと考えられないでしょうか。もし650人が第一原発にとどまり作業にあたっていたらーー。

でもそのことはいまだに検証されていません。

東電会見が伝えなかったこと

吉田所長の「所員たちは第一原発の敷地内の放射線量の低いところにとどまって待機するように」という命令は、第一原発と東電本店をつないだテレビ会議で伝えられました。このテレビ会議は、第二原発や柏崎刈羽原発、オフサイトセンターにもつながっていました。

その2時間後の3月15日午前8時35分、東電は東京で記者会見を開きます。所員は吉田所長の命令に反して、9割にあたる650人が第二原発に行ったあとです。

ところが、東電は記者会見でこう公表します。

−−所員は一時的に第一原発内の安全な場所へ移動した−−

つまり東電は、所員が吉田所長の命令通りに行動したと、事実とは違うことを記者会見で公表したのです。第二原発に撤退した事実を把握していなかったのか、ウソをついたのかはわかりません。

「過酷事故に誰が対処するのか」

朝日新聞はこの日のことを、2014年5月20日の朝刊で報じました。

1面トップの主見出しは「所長命令に違反 原発撤退」。上記で説明したことを「東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた」と書きました。

2面には当時特報部員だった木村が、「再稼働論議 現実直視を」という見出しで解説を書きました。

吉田調書が残した教訓は、過酷事故のもとでは原子炉を制御する電力会社の社員が現場からいなくなる事態が十分に起こりうるということだ

「その時、誰が対処するのか。当事者ではない消防や自衛隊か。特殊部隊を創設するのか。それとも米国に頼るのか」

私はこの記事を読んだ時、「その通りだ」と納得しました。原発の現場責任者である所長でさえ、事故が起きるとコントロールできないのです。現代の科学技術のレベルで、人間社会が原発に頼ることはとても危険だと思いました。

説明 危険だと騒ぐだけでは、物事は解決しません。そのことがあることによる危険と、ないことによる危険を比べて、そのことの是非を議論しないといけないのです。朝日新聞は、原発がないときの停電の危機性についても、ちゃんと調査し報道しなければならないのです。

朝日社長「読者に誤った印象を与えた」「関係者を厳正に処罰」

ところが「所長命令に違反 原発撤退」という表現は、「第一原発の所員が臆病で逃げ出したと書いているのに等しい」という批判が他メディアから出てきました。現場が混乱し、所員に吉田所長の言葉が伝わらなかった可能性がある以上、「命令」「違反」「撤退」の三つの言葉の組み合わせは不公平で、所員の名誉を傷つけたという主張です。

では、なぜ「命令」「違反」「撤退」という言葉が記事では使われたのでしょうか。私は木村記者を含む取材班3人に話を聞きました。話を総合すると次のようになります。

(1)「命令」という言葉: 吉田所長は原子力災害の現地対策本部の責任者で、対応の判断と決定は吉田所長が負っていた。吉田所長が「東日本壊滅」をイメージするような深刻な状況で、戦時下にも匹敵する。単なる「指示」ではなく、「命令」だ。

(2)「違反」という言葉: 命令を知らなくても、違った行動をとれば違反だ。一方通行の標識を見落として道路に進入して「知らなかった」といっても、交通違反になるのと同じだ。

(3)「撤退」という言葉: 第二原発に行ったことが故意とはいえないので、「逃げた」という表現は使わないことにした。「撤退」を使ったのは、第二原発が第一原発から10キロ離れていて、何かあってもすぐ戻れない上、9割の所員が第二原発に行ったから。また、撤退の翌日も所員の8割が第一原発に戻っていなかった。

解説 1割の人は、戻ったのですから、撤退ではありません。10kmですから、必要があれば、戻れるのです。

しかし、取材班の主張は聞き入れられませんでした。記事が出てから3ヶ月半後の2014年9月11日、木村伊量社長は、杉浦信之編集担当役員、喜園尚史広報担当役員と共に、突然、記者会見を開き、記事を取り消しました。木村社長は冒頭、次のように述べました。

「朝日新聞は『吉田調書』を政府が非公開としている段階で入手。吉田調書を読み解く過程で評価を誤り、『命令違反で撤退』という表現を使った結果、多くの東電社員らがその場から逃げ出したかのような印象を与え、間違った記事だと判断いたしました。『命令違反で撤退』の表現を取り消すと共に、読者及び東電の皆様に深くお詫びを申し上げます」

そして木村伊量社長はマイクを置き、杉浦、喜園の両役員と共に立ち上がるとお辞儀を6秒間しました。お辞儀が終わるといいました。

「これに伴い、報道部門の最高責任者であります杉浦信之編集担当の職をとき、関係者を厳正に処罰をいたします」

記者会見には、会見を手伝う関係者以外は朝日新聞の社員は入れませんでした。私はインターネット中継で会見を見ながら、こんなことを考えました。

「福島の人はどう思っているんだろう」

その一端を知る機会を、記事の取り消し後まもなくして得ることになりますが、また次回に。

2019年05月02日9時45分 渡辺周
福島からの叱咤 (2)
https://tansajp.org/columnists/3484/

朝日新聞は2014年9月11日、木村伊量社長らが記者会見を開き、吉田調書報道を取り消して謝罪しました。1面トップの見出し「所長命令に違反 原発撤退」という表現が、読者に「東電社員らがその場から逃げ出したかのような印象を与えた」ことが理由でした。

朝日新聞の取り消し理由がおかしいことは、「葬られた原発報道」の1回目でお伝えした通りです。記事の主眼は、「いったん原発事故が起きると誰も事態をコントロールできなくなる」ということでした。

しかし、新聞社のトップが「間違った記事だった」と頭を下げたのです。朝日新聞には読者からの苦情が殺到しました。読者窓口の「お客様オフィス」ではいつもの担当者だけでは人が足らず、各部署から応援に入りました。私も電話で苦情を受け付ける仕事を手伝いました。取材班ではないとはいえ、記事を出したのは私が所属する特別報道部です。引き受けないわけにはいきません。

そこで触れたのは、読者からの思いがけない声でした。

「自分の意見いうな」、読者との「想定Q&A」用意

お客様オフィスでは、読者からの電話に対して「勝手に自分の意見をいわず、朝日新聞社としての見解を伝えるように」と指導され、次のような想定問答を渡されました。

読者からの想定質問: 「ひどい誤報だ。社内のチェック態勢はどうなっていたのか」

回答例: 「5月20日付の記事で福島第一原発の事故の際、『所長の待機命令に違反し、東電社員ら9割が第二原発に撤退』と報じました。しかし、これは間違った表現であり、記事を取り消しました。調書を読み解く過程で評価を誤り、十分なチェックが働きませんでした。(くわしくは紙面をご覧ください) このたびは読者のみなさまの信頼を損ね、大変申し訳ありません。心から反省し、おわびします」

心にもないことをいって謝ることなどまっぴらでした。

でもそれは杞憂に終わりましたーー。私が受けた吉田調書報道に関する電話の主は、1時間にわたり、いかに記事の取り消しが 間違っているかということを熱弁しました。

「元東電社員」の朝日読者が「へこへこ謝るな」

「なんでへこへこ謝るんだよ」

私が受話器を取ると、いきなり男性に怒鳴られました。

男性は福島在住の63歳。東電の職業訓練校である東電学園を卒業後、東電で働いたこともある建築士で、朝日新聞の50年来の読者といいます。

男性の義母は原発事故後、6箇所の施設を転々とし、いわき市の高齢者施設で90歳で亡くなりました。男性は「年寄りはたらい回しにされると認知症が進むし、弱るんだよ。原発事故の関連死で何人の老人が亡くなったと思ってるんだ」と怒ります。

記事の取り消しについては、こういいました。

「サンゴ事件の時のようなねつ造じゃないじゃないか。吉田所長が1F(福島第一原発)で待機しろといったのに、2F(福島第二原発)に行ってた。状況的には命令違反じゃないか。あの時は東日本が壊滅するかどうか紙一重の状況の中で、1Fにとどまれといったんだよ」

「あの原発を、9割がいなくなった後の50人で動かそうなんて無理だ。しかも各分野の専門家がそろっていなかっただろう。第一原発なんて40年経った老朽施設だから、あちこちが壊れたはず。俺は建築士だからわかるが、配水管の接合部なんて20年ももたない」

「一度事故が起きたらアンコントロールド(制御不能)になる。これが本質だ。放射能の前ではみんな一緒。大熊町に『原子力 明るい未来のエネルギー』という看板があって、今や草がぼうぼう、イノシシが10頭走ってるのを見た。あれが原発の姿だと思うんだ」

「ペンは力なり」を試されている時

男性の怒りは、ジャーナリストたちへの期待の裏返しのようでした。「あんたら悔しくないのか」と次のように語りました。

「今回のような謝り方をしていると、2回目の原発事故が起きた時に『あの時批判したのに』と朝日がいえなくなるぞ」

「第二次大戦の時は、良心的な人が牢屋に入り、新聞は戦争を煽った。同じ失敗を繰り返すのか。今回は第二次大戦の時に匹敵するくらい『ペンは力なり』を試されている時だと俺は思う。普段は駄文を書いても許すよ。ここぞという時に踏ん張って勝負しなきゃ。しっかりしろよ」

そして1時間ほど私と話をした最後に、こういって電話を切りました。

「お前社員なんだろ、お前が今日から主筆をやれ。こんなところで、くそじじいの話を聞いているようじゃだめだ。今から外に出て働いてこい」

私は感動しました。この男性の話をメモにして、同じ特報部員の同僚たちに知らせました。そのうちの一人はそのメモを「特報部のドアに貼ってやりたいです」と返事をくれました。

新聞労連は「吉田調書報道」に賞、弁護士194人も取り消しに抗議の申し入れ

吉田調書報道の取り消しには、市民や学者、弁護士らも反対の声をあげました。ジャーナリストは、大きなウネリになるほどの連帯はありませんでしたが、それでも出版物や集会で積極的に声をあげる人が出てきました。

新聞社の労働組合でつくる新聞労連は、吉田調書報道に対して2015年1月に「特別賞」を出しました。受賞理由は以下の通りです。

「非公開とされていた調書を公に出すきっかけになったという点で、昨年1番のスクープと言っても過言ではない。特定秘密保護法が施行され、情報にアクセスしにくくなる時代に、隠蔽された情報を入手して報じた功績は素直に評価すべきだ。朝日新聞社は記事を取り消したが、選考委員は『虚報やねつ造と同列に論じるのはおかしい』との見解で一致した」

弁護士は北海道から九州までの194人が賛同して、朝日新聞社に申し入れました。抜粋して紹介します。

「『命令違反で撤退』したかどうかは解釈・評価の問題です。吉田所長が所員に福島第一の近辺に退避して次の指示を待てと言ったのに、約650人の社員が10キロメートル南の福島第二原発に撤退したとの記事は外形的事実において大枠で一致しています。同記事を全部取り消すと全ての事実があたかも存在しなかったものとなると思料します」

「貴紙報道は政府が隠していた吉田調書を広く社会に明らかにしました。その意義は大きいものです。この記事は吉田所長の『死を覚悟した、東日本全体が壊滅だ』ということばに象徴される事故現場の絶望的な状況、混乱状況を伝えています」

「『吉田調書』報道関係者の『厳正な処分』を貴社木村伊量社長が公言されています。しかしながら、不当な処分がなされてはならず、もしかかることが強行されるならばそれは、現場で知る権利への奉仕、真実の公開のため渾身の努力を積み重ねている記者を萎縮させる結果をもたらすことは明らかです。そのことはさらに、いかなる圧力にも屈することなく事実を公正に報道するという報道の使命を朝日新聞社が自ら放棄することにつながり、民主主義を重大な危機にさらす結果を招きかねません」

これだけ各方面から記事取り消しに反対する声が上がっているということは、少なくとも吉田調書報道に対する評価は否定的なものだけではないということです。

しかし、朝日新聞社は記事を取り消しました。

取り消しとは、報道内容を全否定することで、ねつ造やでっち上げの時に取られる措置です。そのことは朝日新聞社もよく知っているはずです。

ではなぜ朝日新聞社が記事を取り消したのでしょうか。

本当の理由は次回に。

2019年05月03日8時01分 渡辺周
「圧倒的に池上コラム」(3)
https://tansajp.org/columnists/3487/

なぜ朝日新聞社は吉田調書報道を取り消したのか。そのヒントとなる言葉が、朝日新聞が取り消しがあった2014年を振り返る時に使う「一連の問題」という言葉です。

「一連」というのは、2014年に朝日新聞であった三つの出来事を指しています。

(1) 8月初旬に慰安婦報道の検証結果を掲載。その中で、1982年から掲載した記事を取り消した。「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」という吉田清治氏の証言がウソだった。だが朝日新聞はウソの証言を掲載したことについて謝罪しなかった。

(2) 9月初め、朝日新聞が慰安婦に関して吉田清治氏が証言した記事を取り消したことについて、池上彰氏が朝日新聞のコラム「池上彰の新聞ななめ読み」で、「慰安婦報道検証 訂正、遅きに失したのでは」と書こうとした。だが朝日新聞は掲載しなかった。

(3) 9月11日、朝日新聞が原発「吉田調書」報道を取り消した。

当時、慰安婦報道の検証で朝日が謝罪しなかったことに批判の火の手が上がり、池上さんのコラムが掲載されなかったことで大炎上しました。9月11日に木村伊量社長が記者会見を開くと聞いたときは、(1)の慰安婦検証と(2)の池上コラム不掲載について謝罪する会見かとばかり、私は思っていました。

ところが記者会見は、原発の吉田調書報道取り消しを発表するために開かれました。木村社長が「関係者の処罰」を言明したのは吉田調書報道の関係者についてのみです。

強烈な違和感を覚えました。それは私だけではありませんでした。

社長がいない場での本音

2014年10月6日午後2時、東京・築地にある朝日新聞本社の15階レセプションルームに、朝日新聞の社員約300人が詰めかけました。「一連の問題」について、朝日新聞の幹部たちによる説明を聞くためです。

私も行きました。なぜこんな滅茶苦茶な取り消しが行われたのか、質問するためです。

出席したのは次のメンバーです。木村伊量社長は出席しませんでした。

【編集部門】前編集担当役員の杉浦信之さん、新編集担当役員の西村陽一さん、前ゼネラルマネジャーの市川速水さん、前ゼネラルエディターの渡辺勉さん

【営業・管理部門】販売担当役員の飯田真也さん、社長室長の福地献一さん

以上の中で、吉田調書報道の取り消し記者会見に出席していたのは、編集部門の責任者だった杉浦さんです。杉浦さんは冒頭にこういいました。

「私は9月11日の記者会見で吉田調書の報道を取り消し、社長が謝罪するという中で、編集担当の職を解かれました」

「しかし、私自身の中では、9月の冒頭にあった池上コラム(不掲載)の中で、まさに朝日新聞の名誉を傷つけたことが最も大きいと感じていました」

「私自身、吉田調書で解任されていますが、私の中では現在でも、池上コラム(不掲載)が最も重大な責任であったと感じています」

私は驚きました。木村社長と共に記者会見に出席した編集部門の責任者が、「池上コラムの不掲載が最も重大な問題」と発言したのです。しかし木村社長は、池上コラムの不掲載では誰の責任も問うていません。吉田調書報道だけで、杉浦さんの解任と関係者の「厳正な処罰」を決めたのです。

「木村社長がいないところで、本音を出したな」。私はそう感じました。

販売担当の役員「池上コラムで一気に部数が落ちた」

私は杉浦さんに「なぜ池上コラム不掲載が吉田調書より問題だと思ったのか」と尋ねました。

杉浦さんはいいました。

「朝日新聞の最も大事なリベラルさ、多様な意見を載せるということを大きく傷つけたことが、私の中では最も大きな問題だと思っています」

私は再度聞きました。

「当時の編集の責任者がそう思っているのに、なぜ記者会見が吉田調書で行われたのか」

すると杉浦さんは一言。

「そこはわかりません」

私は出席した他の幹部全員にも質問しました。

「杉浦さんは、池上コラムの不掲載が一番問題だといった。出席している他の方も、慰安婦報道の検証、池上コラムの不掲載、吉田調書の三つのうちどれが一番問題か、理由とともにいってください」

販売担当役員の飯田さん: 「営業サイドの立場で申し上げると、慰安婦報道の検証ではそれほど部数が落ちなかった。一気に落ちたのは広告不掲載も含めて池上コラム問題、続いて吉田調書」「部数の問題でいうと、池上さんのことで傲慢さが出てきたということで、部数が落ち始めた」「吉田調書は取り消しがあった。当初は表現の問題なのかなと思っていた。しかし世間がみたのは、朝日新聞が取り消したこと。それは社長会見も含めてそうだ」

編集担当役員の西村さん: 「私は池上コラム見合わせの影響が圧倒的に大きいと思っている。朝日新聞は幅広い異論を積極的に取り入れて、紙面で展開することが強みだっただけに、その信用を傷つけたという非常に大きな問題だったと思う。私からいえるのは以上」

社長室長の福地さん: 「少なくとも吉田調書については、あれだけの展開をした記事を取り消したので、それをもって職を解くというのはやむを得なかったと思っている」

ゼネラルマネジャーの市川さん: 「(杉浦)編担が解任された直接の理由は吉田調書。しかし池上問題がかなり大きいと思う」

ゼネラルエディターの渡辺さん: 「現時点で軽重はつけられない」

編集の最高責任者「記者会見で初めて解任知った」

出席した幹部6人のうち4人が、「一連の三つの問題」のうち、池上コラム不掲載をあげたのです。

そこには新旧の編集部門の最高責任者も含まれています。なぜ「一番問題」と思っている池上コラム不掲載はお咎めなしにして、吉田調書報道だけで処分を決めたのか。誰が処分を決めたのか。私は、一人ずつ再度回答するよう求めました。

しかし、前編集担当役員の杉浦さんは「私自身は記者会見の社長の言葉で解任されると聞いた」、販売担当役員の飯田さんは「編集幹部の交代を決めるのは社長です」。他の幹部たちはまともに答えられませんでした。

何のための幹部なのでしょうか。私は頭に血が上りました。

「社長がいないとわからないなら社長を呼んでくれ。これだけエライ人が揃っていて、分からない、分からないといわれたら説明会を開く意味がない」

300人入っている会場からは若干の拍手が起こりましたが、ほとんどは沈黙していました。後日、「渡辺くん、あんなに吊るし上げない方がいいよ」と人事処遇を気にして老婆心からいってくる社員もいました。

それにしても不思議なのは、「池上コラム不掲載が一番問題」と幹部たちが思いながら、吉田調書報道が矢面に立ったことでした。

私はその理由を社内の有志と共に取材することにしました。

2019年05月08日11時49分 渡辺周
朝日新聞「記者会見」のウソ(4)
https://tansajp.org/columnists/3509/

慰安婦報道の検証、池上コラムの不掲載、原発吉田調書報道。三つのうちで「池上コラムの不掲載」が最も問題だと、朝日新聞の幹部たちが考えていたことは本欄3回目の「圧倒的に池上コラム」でお伝えした通りです。新旧の編集の最高責任者2人もそう考えていました。

しかし、池上コラムを掲載しなかったことには何のお咎めもありませんでした。木村伊量社長は吉田調書報道で「関係者の厳正な処罰」を記者会見で宣言したのです。

なぜだろう?

私は朝日新聞社内の有志とともに取材を始めた時に、こんなことを考えました。

「池上コラム不掲載への批判をかわすため、原発事故の吉田調書報道を『生贄』として差し出したのではないか」ーー

社内外の取材を始めると、池上コラムを不掲載にした過程で、朝日新聞の幹部たちが木村社長に抗えず失態を重ねたことがわかってきました。

幻の「池上コラム」、見出しは「過ちは潔く謝るべきだ」

そもそも、2014年8月初旬の慰安婦報道の検証について、池上彰さんに原稿をお願いしたのは、朝日新聞でした。当初は検証紙面の中で原稿を書いてほしいとお願いしました。ただ検証紙面で原稿を載せるには、池上さんのスケジュールが合いませんでした。検証紙面の中ではなく、コラム「池上彰の新聞ななめ読み」で慰安婦報道検証について書いてもらうことになりました。

8月27日午後、コラムを担当するオピニオン編集部に池上さんの原稿がメールで届きました。

朝日新聞は過去の慰安婦報道を謝罪するべきだーー

そういう内容でした。朝日新聞はこのときの慰安婦報道検証で、吉田清治氏のウソの証言を元にした記事を取り消しました。しかし、謝罪はしていませんでした。

原稿には「過ちは潔く謝るべきだ」と見出しがつき、ゲラになりました。ゲラは5階の編集局長室に届けられました。そこで封筒に入れられ、局長室のゼネラルマネジャー補佐が幹部たちに届けました。

「こんな原稿載せるなら社長を辞める」

ゲラは木村社長のもとにも届けられました。

通常は、社長が記事をチェックすることはありません。ただし、慰安婦報道の検証に関する記事は経営上の危機管理案件として扱われていました。木村社長、編集担当役員の杉浦信之さん、広報担当役員の喜園尚史さん、社長室長の福地献一さんら「危機管理ライン」の経営陣は、記事をチェックすることになっていました。

「安倍政権が河野談話を見直し、朝日新聞の過去の報道もやり玉にあがるのではないか。朝日の社長が国会に呼ばれることもありうる」

こうした危機感が慰安婦報道の検証を行う動機だったからです。

編集担当役員の杉浦さんらが、池上さんのコラムについて木村社長に報告に行きました。池上さんの原稿を読んだ木村社長は、激怒していいました。

「こんな原稿を載せるんだったら社長を辞める」

木村社長が怒ったのを受け、杉浦さんの部下にあたるゼネラルエディターの渡辺勉さん、ゼネラルマネジャーの市川速水さんら編集部門の責任者で話し合いました。

その結果、見出しを「過ちは潔く謝るべきだ」から「訂正遅きに失したのでは」に変更し、杉浦さんが木村社長と再び交渉することになりました。しかし、木村社長は譲りませんでした。

「あの時、ガバナンスの底が抜けた」

木村社長の方針を受け、池上さんに原稿の修正をお願いすることになりました。

池上さんの携帯電話にオピニオン編集部の部長代理が「至急会いたい」と留守番電話を入れました。

池上さんと連絡がとれ、8月28日の夕方にテレビ番組収録中の池上さんに会いに行くことになりました。会いに行ったのは、ゼネラルエディターの渡辺勉さん、オピニオン編集部長の市村友一さんと部長代理です。収録の合間なので時間は15分。朝日側は、「このままでは原稿を掲載できない。お詫びがないという部分をもう少し抑えてくれないか」「外部から攻撃を受けている状況だ。危機管理の観点からこのままでは載せられない」と伝えました。池上さんの返答はこうです。

「細かい表現に関しては検討の余地があるかもしれないが、骨格は変えられない。掲載するかどうかは朝日新聞の編集権の問題だから私はとやかくいうつもりはない。しかし『何でも自由に書いてください』といわれて書き始めた経緯があるから信頼が崩れたと考える。連載は打ち切らせてください

ゼネラルエディターの渡辺勉さんは、会社に戻った後、杉浦さんに再度「このまま池上さんのコラムを載せるべきだ」と迫りました。でも杉浦さんは木村社長に「こんな原稿を載せるなら社長を辞める」とまでいわれています。首を縦に振ることはありませんでした。

池上さんのコラムはすでに翌朝の29日付朝刊用のゲラになっています。編集現場では「社長命令だ、外せ」と急きょ、紙面から外す作業が行われました。

「証拠隠滅」をしようとしたのでしょうか、池上さんのコラムが載っているゲラはシュレッダーにかけることも指示されました。

しかし、池上さんのコラムを掲載しなかったことを週刊新潮と週刊文春が察知します。9月2日には週刊文春がネットで速報しました。それ以降、朝日新聞社内でも批判が起こり、記者がツイッターでこの問題を発信したり、編集局長室にデスクらが集団で乗り込んだりと騒然としていきます。当時の編集局幹部はこういいました。

「あの時、ガバナンスの底が抜けた」

シラを切った社長

以上が池上コラムを掲載しなかった経緯です。

しかし、週刊文春の速報から9日後の9月11日、朝日新聞は記者会見でウソをつきます。会見は原発吉田調書報道の取り消しについてですが、池上コラム不掲載についても質問が相次ぎました。

それに対して、杉浦さんは「池上コラムの不掲載は自分の判断だ」、木村社長は「感想を述べただけだ」と答えました。

例えば、週刊文春の記者とのやり取りは以下のようなものでしたーー。

「こちらでは木村社長の判断があったというようなことを聞いている」

木村社長は答えます。

「私が指示した事実は一切ありません。その後の(池上さんとの)交渉の経過も含めて私は全く存じておりません」

「(池上さんの原稿の内容が)厳しいという感想はありましたので、感想をいった覚えはあります。それ以上のことはありません」

文春の記者はさらに聞きます。

「それを杉浦さんは忖度したのか」

その質問が出た瞬間、杉浦さんは自分が答えようと木村伊量さんからマイクをもらおうとしますが、木村社長は気付かずに続けます。

「忖度したということはなかったと私は認識しています」

そしてマイクを引き取った杉浦さんがいいます。

「私自身の判断でございます」

第三者委「不掲載は実質的に社長の判断」

この記者会見でウソがあったことは、まず慰安婦報道の検証をする朝日新聞社の第三者委員会が報告します。委員会のメンバーは以下の通りです。

委員長:元名古屋高裁長官の中込秀樹さん、委員:外交評論家の岡本行夫さん、国際大学学長の北岡伸一さん、ジャーナリストの田原総一朗さん、筑波大学名誉教授の波多野澄雄さん、東大教授の林香里さん、ノンフィクション作家の保阪正康さん

第三者委員会は、池上コラムを掲載しなかった経緯について次のように結論づけます。

「朝日新聞は、池上氏のコラムを掲載しないこととした経緯について、社長の木村は池上氏のコラムの原稿について感想は述べたがあくまで感想を述べただけで、掲載見送りの判断をしたのは杉浦であるという趣旨の説明をした」

「しかし、8月27日に池上氏から原稿を受け取った際、編集担当を含む編集部門は、これをそのまま掲載する予定であったところ、木村が掲載に難色を示し、これに対して編集部門が抗しきれずに掲載を見送ることとなったもので、掲載拒否は実質的には木村の判断によるものと認められる

3年後の告白

しかも木村伊量さん自身が、社長を退任後に文藝春秋2018年2月号で、真実を告白します。

この号の特集は「私は見た!平成29大事件の目撃者」。木村伊量さんの記事は「朝日前社長初告白『W吉田誤報』の内幕」というタイトルです。「W吉田誤報」とは、慰安婦報道での「吉田清治証言」と、福島第一原発の吉田昌郎所長の「吉田調書報道」の双方を指しています。

木村伊量さんは「告白」をする理由についてこう書きます。

「当時の経緯やトップとしての判断を、できるだけ正確に書き残すことは、やや大げさなもの言いをするなら、歴史に対する責任ではないか、という思いが去来してもおりました。社を退いて三年。それなりの時間が経過したこともあり、今回、編集部の求めに応じたしだいです」

池上コラムのゲラを読んだ時のことは、次のように振り返りました。

「一読して『役員全員で検証記事のトーンを決めたのに、『おわびがない』という一点をもって検証記事の意味はなかったと言われ、読者の不信を買うようなら、ぼくは責任をとって社長を辞めることになるよ』と、かなり厳しい調子でコメントしたと記憶しています」

木村伊量さんは、「社長を辞めることになる」「かなり厳しい調子でコメントした」といったことを自ら認めているのです。記者会見でいったのは「感想を述べただけ」です。

結局、当時の朝日新聞に最も強い逆風が吹いたのは「池上コラムの不掲載」であり、不掲載を判断したのは、社長だった木村伊量さんなのです。

そのことを隠し、批判の矛先を変えるために「生贄」として差し出されたのが、原発の吉田調書報道だったと私は考えます。吉田調書報道が取り消されるまでの過程を詳細に検討すれば、よりはっきりします。

次回以降の本欄でお伝えします。

2019年05月22日12時28分 渡辺周
「功名心」が封じた続報 (5)
https://tansajp.org/columnists/3591/

「池上コラム不掲載」への批判をかわすため、朝日新聞社は「原発吉田調書報道」を取り消すことでそちらに注目を集めようとしました。それは前回の「朝日新聞『記者会見』のウソ」でお伝えした通りです。

吉田調書報道の初報は2014年5月20日です。その取り消しは同じ年の9月11日。3ヶ月半もの時間があります。その間、朝日新聞社は吉田調書報道について何をしていたのでしょうか。

経緯をたどると、「功名心」から対応が遅れた末に、自滅した朝日新聞社の姿がありました。

3年連続「新聞協会賞」を狙った朝日

朝日新聞社は当初、吉田調書報道を批判した雑誌に対して、抗議や謝罪を求めるなど強気でした。法的手段も辞さない構えでした。

それどころか朝日新聞社は、吉田調書報道で新聞協会賞を狙っていました。新聞協会賞は日本の「マスコミ」では栄誉ある賞とされ、新聞社は受賞回数を競い合っています。朝日新聞社は、特別報道部が中心となった記事が2012年と2013年に連続で受賞していました。いずれも原発事故に関する報道で、2013年は「手抜き除染」、2012年は連載「プロメテウスの罠」で受賞しました。

社長の木村伊量さんは、特報部記者たちを交えた宴席で、こんなことを得意げに話していたのを覚えています。その宴席は、東京本社の本館にあるレストラン「アラスカ」でありました。

「朝日が原発事故の報道で連続して受賞するものだから、読売の幹部は苦虫をかみつぶしたような顔をしていたよ」

もし、吉田調書報道が受賞すれば原発事故の報道で3年連続の受賞になります。朝日新聞社は2014年7月3日、吉田調書報道で新聞協会賞に応募しました

結局は7月25日に1次審査で落選しましたが、朝日新聞社が吉田調書報道を社外にアピールする「看板」として活用しようとする姿勢は変わりませんでした。

さらに、8月28日には、翌2015年度の会社案内に掲載するため、CSR推進部の担当者から、吉田調書報道の取材班に掲載用ゲラのPDFファイルがメールで送られてきました。

タイトルは「『吉田調書』が語るもの」。そこには、記事が取り消された後に懲戒処分を受けることになる取材班の2人の顔写真も載っていました。

封じられた続報

朝日新聞社が吉田調書報道を社の功績としてアピールしようとする中で、犠牲になったのが「続報」です。ことごとく載りませんでした。

吉田調書報道の最初の記事の見出しは「所長命令に違反 原発撤退」となっていました。福島第一原発の所員が「『逃げた』と書いている」との批判が出ました。しかし、記事には「逃げた」と一言も書かれていません。主眼は、原発の過酷事故のもとで誰が事故の収束に対処するのか、を問うものでした。

批判は記事の主旨とズレたものでした。このため、続報を出すことで、記事の主旨と根拠を詳しく説明しようとしました。そして、6月4日に広報部長の岡本順さんを交えた編集サイドとの話し合いで、詳報を用意することが決まりました。

最初に予定された掲載日は7月4日です。総合面と特設面を使って、続報を展開することになりました。

しかし、7月2日に中止が指示されました。中止を決めたのは、「危機管理ライン」と呼ばれる編集担当役員の杉浦信之さん、社長室長の福地献一さん、広報担当役員の喜園尚史さんです。

取材班には担当デスクから「理由は追って説明する」と伝えられました。

翌日の7月3日に、新聞協会賞の応募の締め切りを控えていました。朝日新聞社の幹部は協会賞の審査を前に記事に傷をつけたくなかった、と幹部の人は教えてくれました。

次の掲載予定日は7月24日に設定されました。新聞協会賞に応募した7月3日、取材班に「新聞協会賞の1次審査日である7月24日に向けて詳報紙面を作るように」と再度指示があったのです。ところが、これも実現しませんでした。協会賞の審査にプラスに働くのかマイナスになるのか揺れていました。

グズグズしている間に

吉田調書報道は7月25日に1次審査で落選しました。吉田調書報道で新聞協会賞を受賞する目的はなくなりしたが、8月に入ると状況が刻一刻と変わっていきます。

まず8月5日と6日に朝日新聞が慰安婦報道の検証を掲載しました。ところが、ウソの証言をもとにした記事を取り消したのに謝らなかったことへ批判が起きます

8月18日には産経新聞が吉田調書を入手し、朝日新聞の報道内容を批判します。朝日新聞が5月20日に吉田調書を入手して以降、マスコミ各社は調書を入手できず報道できませんでした。しかし、政府が吉田調書の公開を決定する前後から、他社が次々と手に入れたのです。そこからは堰を切ったように大手マスコミが吉田調書について報道します。次のような具合です。

日本テレビ(8月23日)、NHK(8月24日)、読売新聞(8月30日)、共同通信(8月31日)、毎日新聞(8月31日)。

この最中の8月25日、朝日新聞は9月1日に総合面と特設面を使って吉田調書を詳報することを決めます。この日、担当デスクは取材班に編集担当役員の杉浦さんの言葉を伝えました。「杉浦さんは『強く行け』『絶対に謝るな』といっている」

「功名心」再び

ここでまた朝日新聞社の幹部たちは「功名心」をのぞかせます。

吉田調書報道は落選したものの、「徳洲会から猪瀬直樹・前東京都知事への5000万円提供をめぐる一連のスクープ」については、新聞協会賞が内定していました。9月3日が正式発表なので、掲載日を9月1日から9月5日に延ばすことになったのです。

ところが9月2日に「池上コラム」を朝日新聞が掲載しなかったことが週刊文春にスクープされます。これを機に、それまでになかったような逆風が朝日新聞を襲いました

結局、9月5日に予定されていた吉田調書報道の詳しい続報も中止になりました。

整理すると、7月4日、7月24日、9月1日、9月5日の計4回、朝日新聞は吉田調書報道への批判に応えるための続報を出そうとしました。それらのすべてが実現しなかったのです。

報道内容に批判が寄せられることは、よくあります。報道した側の意図が誤解される場合もあります。

その場合、私たちジャーナリストは追加で記事を出したり放送したりして内容を補っていきます。捏造でない限り、それが読者や視聴者への説明責任です。記事を取り消すことはありえません。

しかし、朝日新聞社は、読者への説明責任よりも、会社の功名心や組織の防衛を優先したのです。

吉田調書報道を、当初は新聞協会賞を取るために利用し、追い詰められた土壇場では社長を池上コラムの逆風から守るための「生贄」として差し出したのです。

「幻の続報」が一体どんな内容だったのかは、次回お伝えします。

2019年11月11日11時43分 渡辺周
幻の紙面が問うた「福島第一原発事故の宿題」(6)
https://tansajp.org/columnists/4868/

みなさん、こんにちは。ずいぶんと寒くなってきましたね。

さて、前回から日が空いたので、まずはこれまでのおさらいをしておきます。

ーー2011年3月15日午前9時、東京電力の福島第一原発は事故後最大の放射線量を記録しました。所員の9割が隣町の第二原発に撤退した直後でした。第一原発の吉田昌郎所長はその日の午前6時42分、所員たちに第一原発の構内にとどまるよう命令していました

ところが、吉田所長の命令は実行されませんでした。

これに対して、東電本店はこの日の記者会見で事実と異なる発表をしました。

「所員たちは第一原発にいる」

このときの真相が明るみに出たのは3年後でした。政府事故調は事故後、吉田所長を聴取した調書をつくっていました。朝日新聞社はその調書を入手したのです。それをもとに2014年5月20日、朝日新聞社は「所長命令に違反 原発撤退」とスクープしました。

ところが朝日新聞社は2014年9月11日、その「吉田調書報道」のスクープを取り消します。社長の木村伊量さんは記者会見で頭を下げました。慰安婦問題で謝罪しなかった朝日新聞社の姿勢を批判した「池上コラム」を不掲載にしたことで批判が高まり、追い込まれていたからです。この批判をかわすため、吉田調書報道を「生贄(いけにえ)」にしました。

記事を取り消すというのは、「あれはウソでした」というに等しいことです。戦後すぐ、指名手配され潜伏していた共産党幹部とのインタビューを朝日新聞がでっち上げた「伊藤律架空会見事件」がそうでした。しかし吉田調書報道では、調書は記者の手元にあり、事実と異なる部分はありません。

この処分に対し、取り消しに反対する声が次々と朝日新聞社に寄せられました。

福島で被災した男性は、読者窓口に電話でこう言っています。

「原発は事故が起きたら制御不能だと伝えた記事だ。ペコペコ謝るな」

「吉田所長が1F(第一原発)で待機しろといったのに、2F(第二原発)に行ってた。状況的には命令違反じゃないか」

「あの時は東日本が壊滅するかどうか紙一重の状況の中で、1Fにとどまれといったんだよ」

また、全国の弁護士194人が抗議の申入書を朝日新聞社に提出しました。

「圧力に屈することなく事実を公正に報道する使命を自ら放棄することにつながる」

記事を取り消す前、朝日新聞は記事への批判を受けて立つ姿勢でした。批判に応える詳報記事まで用意していました。その詳報を出す掲載日は、4度にわたり計画されました。しかし、とうとう掲載は実現しませんでした。ーー

以上がこれまでのおさらいです。では、掲載されなかった「幻の詳報」とはどんなものだったのでしょうか。

「取り消し」6日前に

私の手元に、6,000字以上に及ぶ吉田調書報道についての「幻の詳報」原稿があります。取材チームがあった特別報道部が作った原稿です。

もちろん特報部が勝手に作った原稿ではありません。

編集担当役員の杉浦信之さんや、ゼネラルエディター(編集局長)の渡辺勉さんの下で原稿作りが進められ、1、2、3面を使って大展開する予定でした。掲載予定日は、9月5日。吉田調書報道が取り消される6日前のことです。

目的は批判に応えることです。

2014年5月20日に「所長命令に違反 原発撤退」という見出しの記事を出して以来、週刊誌などのメディアは「第一原発の所員が臆病で逃げ出したと書いているのに等しい。東電社員の名誉を傷つける。朝日新聞は日本人を貶めた」といった趣旨の批判をしていました。ネット空間も巻き込んだ「朝日バッシング」が起きていました。

しかし、吉田調書報道の真意は、「原発は過酷事故が起きると制御不能になる」と伝えることです。「逃げた」とも書いていません。

取材班は初報を出す前、吉田所長の命令が伝わっていなかった所員もいたことを確認し、「逃げたとは書けない」と判断していました。

「幻の詳報」のうち、特報部長の市川誠一さんの解説は「吉田調書報道」が本当に伝えたかったことがよく現れています。

私は市川さんの原稿を読んだ時、これを世に出すことこそ読者への責任だと思いました。

以下がその全文です。

特報部長解説の全文

「原発事故はひとたび起こると広大な地域の住民の生命・安全を脅かします。二度とこうした惨事を繰り返さないためにも、福島第一原発事故で得られた教訓や反省点を今後に生かさなければなりません。しかし、事故から3年以上たったいまも、過酷事故が起きた時に、暴走する原発を誰が制御するのかという人的対策は進んでいません」

「吉田調書には、事故が深刻化するなかで『東日本壊滅』という事態まで想像したという吉田所長の言葉が出てきます。結果的にそこまでの事態は避けられましたが、大量の放射能汚染が起きて13万人近くが今も避難生活を強いられている現実を忘れるわけにはいきません」

「私たちは、政府が非公開としてきた吉田調書をいち早く入手し、その中から政府や東電が明かしてこなかった新事実を見つけ、他の証拠と照らし合わせながら報道してきました。『第二原発への撤退問題』はその一つです」

「その報道の目的は、過酷事故のもとでは危機対応に必要な作業員が大量にいなくなることもあり得るという現実を直視し、組織・体制のあり方を根本から練り直す必要があることを問いかけることにあります」

「原子炉の暴走を最後に止めるのは結局『人の手』です。電力会社の所長以下限られた所員で対応するのか。それとも公的機関による特殊部隊をつくるのか。政府と電力会社は、事故が残した宿題にまだ答えを出していません」

「政府は原発設置の審査を厳しくしました。ハードの性能をどんなに高めても事故は起こりえます。その時にどんなメンバーが危機対応にあたるのか。交代要員をどう確保するのか。政府はどんな支援をするのか。法制化を含め、こうした問題はほとんど手つかずのままです」

「政府はこのほど方針を転換し、吉田調書を開示すると発表しました。政府事故調が作成したほかの調書も本人の同意があれば開示していく方針です。朝日新聞もこの機会を生かし、真相解明に資する報道を読者や国民のみなさんに提供していく所存です。【特別報道部長・市川誠一】」

以上がその全文です。

第一原発所員の声も紹介

私の手元にある「幻の詳報」では、市川さんの解説のほかにも以下の内容が含まれています。

(1) 政府事故調の吉田調書以外に、テレビ会議で東電社員が取ったメモが吉田所長の命令を裏付けている

(2) 東電は記者会見で、緊急時に現場に残ることが義務付けられている幹部を含め、所員の9割が第二原発に撤退したのに所員は第一原発にとどまっていると説明した

(3) 所員の9割が第一原発を離れた後、4時間の間に2号機から白煙や湯気が大量に上がり、4号機では火災が起きた

(4) 第一原発の所員に吉田所長の待機命令はまったくといっていいほど届いていなかった。テレビ会議システムがつながった部屋と別の場所にいた所員もいた

いずれも読者に知らせるべき内容です。

特に、(4)の第一原発の所員の声は、初報に「所員が逃げた」と思わせる意図はなかったにせよ、誤解をされたのならしっかり記事で伝えるべきです。

しかし、9月5日の掲載に向けて準備していたこれらの原稿はお蔵入りとなりました。朝日新聞社は読者に伝えることを放棄したのです。

6日後の取り消しまで、朝日新聞社内は刻一刻と状況が変化していきます。何があったかは次回以降に。

2019年11月12日18時26分 渡辺周
「危機管理人」の登場 (7)
https://tansajp.org/columnists/4902/

朝日新聞社は、吉田調書報道についての朝日新聞バッシングに応える「詳報記事」を、2014年9月5日の朝刊で出そうとしました。内容は「過酷事故に対処するのは誰なのか」を問うものでした。

しかしそれは、9月3日に掲載中止が決まってしまいました。その時、朝日新聞社内で大きな混乱が起きていたのです。

社長特命で大阪から乗り込んできた常務

朝日新聞東京本社に9月3日、大阪本社から一人の役員が乗り込んできます。大阪本社代表で常務の持田周三さんです。持田さんは政治部出身の「策士」といわれる人で、日増しに激しくなる「朝日バッシング」への危機管理のため、社長の木村伊量さんが呼びよせました。

持田さんは、東京本社15階の自分の役員室に4人の編集幹部を呼びつけました。

呼ばれたのは、ゼネラルマネジャーの市川速水さん、ゼネラルエディター(編集局長)の渡辺勉さん、取材チームが所属する特別報道部長の市川誠一さん、ゼネラルマネジャー補佐の菊池功さんです。

4人から吉田調書報道への批判に応える詳報について説明を聞くのが、持田さんの目的でした。

15階役員室で「詳報」のボツ決定

持田さんは編集幹部4人から詳報紙面についての説明を聞き、怒ります。深刻化する朝日新聞社の現状を反映していないと、持田さんは受け止めたからです。

朝日新聞の社説などが載る「オピニオン面」には、ジャーナリストの池上彰さんが担当する「池上彰の新聞ななめ読み」というコラムがあります。2014年8月29日掲載予定の池上コラムの原稿が、朝日新聞を批判していました。池上さんは、慰安婦問題の検証でウソの証言を元にした記事を取り消したのに、朝日新聞が謝罪しなかったことを問題にしていました。ところが社長の木村さんが「こんな原稿を載せるんだったら社長を辞める」とボツにしてしまったのです。

池上コラムがボツになった−−。その事実は、持田さんが東京本社に乗り込んでくる前日の9月2日、週刊文春にスクープされていました。編集局長室に、事実の説明を求める各部デスクが乗り込むなど、社内は騒然としていました。

ある編集幹部は「あの時ガバナンスの底が抜けた」と表現したほどです。

持田さんは編集幹部4人に対し、吉田調書報道の批判に対抗する「経過の詳報」ではなく、批判を浴びるようになった原因を「検証」する紙面を作り直すよう指示しました。つまり、吉田調書報道は批判をあびるような間違いを犯したということを前提にした記事を作れ、ということです。

4人を帰した持田さんは、政治部の次長(デスク)、特報部の次長と編集委員を呼び、「検証」紙面の作成を指示します。

批判をおさめたかった人たち

そのころ、社会部や科学医療部などからは「所長命令に違反」と書いたことが批判を浴びる原因だったとの声が強まっていました。

9月3日、各部のデスクが集まる会議で、次のような意見が出ました。「批判の核心は『命令に違反した』と表現した点にあり、そこに答えない記述をいくら詳細に展開しても、批判はおさまらない」

第一原発の所員が所長命令に違反していたことは事実です。会議で出た意見は、批判をかわすためにはどうすればいいか、に集中していました。

結局、朝日新聞社内では9月3日以降、「報道機関として何を伝えたいか」よりも、「どうやったら朝日新聞への批判をおさめることができるか」というモードに流れていきます。

「とにかく東電社員の名誉回復を」

吉田調書報道取材チームの中心は特報部記者の木村英昭さんと、デジタル編集委員の宮崎知己さんでした。

その2人には8月28日、翌2015年度の会社案内のゲラが届けられています。そこに吉田調書をスクープした記者として2人が紹介されていたからです。

そのゲラには、木村さんの言葉が紹介されています。「原発報道 批判忘れず知る権利に応える努力を」というタイトルが付けられています。以下、引用します。

「あの日、2011年3月11日、東京・内幸町にある東京電力本店にいました。地震発生直後から駆けつけました。記者では一番乗りでした。ですが、あれよあれよと悪化する原発事故をどう取材すればいいか、戸惑うばかりでした。どれほどの報道ができたのか、今も悔しい思いをしています」
「同時に、僕たち大手メディアの人間は原発報道を巡り、読者から『大本営発表だ』などと厳しい批判も浴びました。〈3.11〉以降、僕はその批判を忘れないようにしています」
「吉田調書は未曾有の原発事故の検証と原因解明に大きく資するでしょう。吉田調書を僕に託してくれた理由があるとすればそんな思いからだったかもしれません。その気持ちに応えなくてはなりません」
「〈3.11〉で読者から刃(やいば)を向けられた批判を戒めにしながら、読者の知る権利に応える奉仕者として、これからも汗をかいていきたいと思っています」

しかし1週間後の9月3日には、木村さんは特報部長の市川さんから「取材班を外れるように」との連絡を受けます。

翌日の4日午後2時すぎ。部長の市川さんは特報部の部屋で木村さんにいいました。

「とにかく(撤退した)650人の名誉回復を図らなければならない」

「名誉毀損の訴訟リスクも想定される」

市川さんは宮崎さんにも電話をし、取材班を外れるよう言い渡しました。

9月2日に「池上コラム」不掲載事件が発覚してから、あっという間の暗転です。

水道橋の「デニーズ」で

9月4日の午後9時30分頃、2人は東京ドームの近く、水道橋にあるファミリーレストランの「デニーズ」で落ち合いました。

そして、宮崎さんが向かいに座った木村さんにこういいました。

「最悪の時を覚悟したほうがいい」

「その時」は、1週間後に迫っていました。

2019年11月14日17時46分 渡辺周
安倍政権の「慰安婦問題検証」に身構えた朝日社長(8)
https://tansajp.org/columnists/4921/

高まる「朝日バッシング」に、朝日新聞社長の木村伊量さんは2014年9月3日、「危機管理人」として、常務・大阪本社代表の持田周三さんを東京本社に呼び寄せました。持田さんはただちに吉田調書報道の編集幹部4人に会います。その3日後、東京都品川区にある社長の木村さんが暮らしていたマンションを訪れました。

「木村さん、どうもね、吉田調書は大波になりそうです」

木村さんは驚きました。

木村さんは吉田調書報道が紙面に出たその年の5月、「これは超ド級のスクープだ」と喜び、編集担当役員の杉浦信之さんに電話して新聞協会賞応募を打診していたほどだったからです。

そんな木村さんに、持田さんは「慰安婦報道」を持ち出します。

「すでに慰安婦報道が問題になっている。そこへ今度のこと(吉田調書報道)で、大波をかぶると、ひょっとしたら木村さんの進退問題になるでしょう」

木村さんにとって、「慰安婦報道」は自身の進退に直結する問題でした。

証言「うそ」でも謝罪しないと決めたのは

2014年当時、「慰安婦報道」は朝日新聞社にとっての懸案事項として覆いかぶさっていました。

慰安婦問題について朝日新聞社は、関係者を名乗る吉田清治氏(故人)の「韓国の済州島で200人の若い朝鮮人女性を狩り出した」という証言を記事にしていました。1982年9月2日付の大阪本社版朝刊社会面が初報で、合わせて16回、証言が記事になっています。

その後、吉田氏の証言の信ぴょう性が疑われるようになります。しかし朝日新聞社は証言の真偽を判断しないまま、放置してきました。

1993年、河野洋平官房長官が元慰安婦に「おわびと反省」を示した政府声明を、談話の形で発表しました。いわゆる「河野談話」です。ところが2012年に民主党政権から第2次安倍政権に代わりました。朝日新聞社内に不安が広がります。「河野談話を見直すのでないか」「吉田証言を元にした報道について、朝日の社長が証人喚問で追及されるのではないか」と考えたからです。2014年には安倍政権が慰安婦問題を検証する方針を発表します。

社長の木村さんは、自身が主導して、朝日新聞のこれまでの慰安婦報道を検証すると決めます。

前任の社長の秋山耿太郎さんは「蒸し返すだけだ、やめたほうがいいぞ」と木村さんに忠告しました。その他にも反対意見がありました。しかし、木村さんは「これをやらないと朝日新聞は次に踏み出せない」と検証に踏み切ります。

検証チームの記者は韓国の済州島に行き、島の住民約40人に取材しました。吉田氏の子息にも話を聞きました。その結果、吉田清治氏の証言はねつ造だったことが確実になります。

さあどうするか。

今の社長も「謝っちゃいけません」

訂正だけですむ話かどうか。朝日新聞社として謝罪する必要はあるのか。

編集局を束ねるゼネラルエディター(編集局長)の渡辺勉さんは「謝罪するべきだ」と腹を決めます。検証紙面案をつくり、そこには「おわび」をする旨が明記されました。

しかし2014年7月16日、役員と編集幹部の集まりで、社長の木村さんは謝罪に反対する立場を明らかにします。

謝罪すれば他の慰安婦に関する記事まで信ぴょう性を疑われることになる。慰安婦問題そのものがなかったことだと読者に受け取られるのではないかーー。

同様の意見は他の役員からも出ました。後に木村さんは周囲に「今の社長の渡辺(雅隆)君なんかも、最も『謝っちゃいけません』って(いっていた)」と語っています。

結局、社長の木村さんの意見が通りました。

朝日新聞社は8月5日に検証紙面を掲載し、吉田氏のうその証言を元にした記事16本を取り消しました。しかし謝罪しませんでした。

その結果どうなったか。それは次の回で。

2019年11月21日17時11分 渡辺周
「水に落ちた朝日」をたたいてビジネス(9)
https://tansajp.org/columnists/5075/

2014年8月5日、朝日新聞社は特集紙面で過去の慰安婦報道を検証しました。原発事故の吉田調書報道を、朝日新聞社が取り消す約1ヶ月前のことです。吉田調書の「吉田」とは、東京電力福島第一原発の所長だった吉田昌郎氏のことです。

慰安婦報道の検証では、1982年から掲載された16本の記事について、うその証言があったことを認め取り消しました。証言は「山口県労務報国会下関支部動員部長」を名乗る吉田清治氏(故人)によるものでした。この吉田清治氏は「韓国・済州島で200人の若い朝鮮人女性を狩り出した」とうそをついていました。

しかし、記事を取り消したのに朝日新聞社は謝罪しませんでした。謝罪することで、他の記事の信憑性まで疑われ、慰安婦問題がないと誤解されることを懸念したからです。このあたりの経緯は第8回の「安倍政権の『慰安婦問題検証』に身構えた朝日社長」をお読みください。ところが謝罪しないことが読者や他メディアの批判を招き、さらに朝日新聞の慰安婦報道全体がバッシングの対象になっていきます。

つまり、原発の吉田調書報道が取り消される前に、すでに、朝日新聞社批判は猛烈な勢いで高まっていたのです。

この慰安婦報道を検証をめぐる批判を受け、朝日新聞社は「水に落ちた犬」のようになったわけです。

ところが、それを「ビジネスチャンス」と捉えた新聞社がありました。

「購読申し込み」のフリーダイヤルつきチラシ

私の手元に2種類のチラシがあります。

いずれも読者を獲得するために作られたもので、毎日新聞社と読売新聞社のものです。

毎日新聞社のチラシのタイトルは「従軍慰安婦報道 朝日の誤報問題 毎日新聞はこう報道しています」。毎日新聞がいかに慰安婦問題を正しく報じてきたかアピールしています。例えば、吉田清治氏の証言については「『強制連行語る』男性を21年前に批判」と題して、1993年にソウル特派員が書いた記事を紹介しています。気になったので、その記事の原文にも当たって読んでみました。「『強制連行語る』男性」、つまり吉田清治氏の記述は、2,187字の記事のうちの109字。「まじまじと(吉田清治氏の)顔をみてしまった」と書いているだけでした。ところが、チラシになると、「『強制連行語る』男性を21年前に批判」の見出しがつけられるのです。

読売新聞社のチラシのタイトルは「慰安婦報道検証 読売新聞はどう伝えたか」。読売新聞の社説「『吉田証言』ようやく取り消し」や、「長年、日本をおとしめてきた朝日新聞の責任は大きい」という読者の声を紹介しています。

両社のチラシとも、購読申し込みのためのフリーダイヤルが掲載されています。

ジャーナリストの卵の怒り

毎日新聞のチラシは、当時の朝日バッシングのさなか、20代のジャーナリスト志望の若者が私の同僚に手渡したものです。

その若者はカラーチラシを見せてくれました。自宅のポストに入っていたそうです。その若者は怒っていました。

「商売のために、新聞社が新聞社を攻撃して恥ずかしくないのでしょうか」

朝日新聞社が慰安婦報道を検証してから約2ヶ月後の2014年10月15日。新潟で日本新聞協会が開いた第67回新聞大会でのことです。毎日新聞社と読売新聞社のトップは販売の現場について「やり過ぎ」を認めるような発言をします。

毎日新聞社の社長の朝比奈豊さんは、この時の新聞大会の決議にある「品格の重視」を取り上げ「販売の現場でもかみしめていかなければいけない」。読売新聞グループ本社社長の白石興二郎さんは「朝日の訂正報道の直後、読売の販売現場の一部で、行き過ぎた販売活動により迷惑をかけたとすれば、おわびしたい」と語りました。

しかし、同じようなことは100年前にもありました。朝日新聞社が「国をおとしめた」とバッシングを受け、そこに同業者が便乗して商売に走るという構図です。次回はそのお話をしたいと思います。

2019年12月19日10時35分 渡辺周
拝啓 朝日新聞社長、渡辺雅隆さま 「記事の削除要求」にお答えします(10)
https://tansajp.org/columnists/5426/

連載「葬られた原発報道」の記事に対し、朝日新聞社から「記事をただちに削除するように」との要求が私あてに届きました。連載はまだまだ続きますが、今回は公開の場で、朝日新聞社の渡辺雅隆社長に対し、私の見解をお伝えし、インタビューを申し入れることにしました。

「要求は固くお断りします」

渡辺雅隆さん、お久しぶりです。

最後にお会いしたのは2014年9月、神楽坂のバーで偶然出くわしたときですね。あのときは原発の「吉田調書報道」を朝日新聞社が取り消した直後でした。あなたはまだ労務やコンプライアンスなどを担当する役員で、私は朝日の特別報道部員でした。

あれからお互い立場が変わりましたが、お元気ですか。

こちらは小舟ながら仲間と支援者に支えられ、独立・非営利のジャーナリズム組織として前進しています。

さて、2019年11月28日付で朝日の広報部から、「葬られた原発報道」で掲載した記事の一部内容に対して「削除要求」が届きました。私の回答は以下の通りです。

── 朝日新聞社の要求は、固くお断りします。なぜこのような、自分たちの手足を縛るような要求書を送ってきたのか。その真意を確認し報道するために、渡辺雅隆社長に取材を申し込みます。──

朝日の「削除要求」の中身

広報部によるワセクロへの記事削除要求の内容については、社長のあなたはご存知でしょうが、念のためご説明します。

削除要求の対象は二つあります。

一つ目の対象は、ワセクロが2019年11月11日にリリースした「葬られた原発報道」の6回目「幻の紙面が問うた『福島第一原発事故の宿題』」の中の記述です。

私たちは朝日新聞が掲載しなかった吉田調書報道の「幻の詳報記事」を入手し、報じました。朝日新聞社は、2014年9月11日に吉田調書報道を取り消す6日前まで、「取り消し」ではなく詳報記事によって、読者に説明責任を果たそうとしていたのです。

その「幻の詳報記事」には、吉田調書報道の目的を書いた特報部長の解説や、事故当時の福島第一原発の所員の声が載っています。

ところが、朝日新聞社は、その記事から「幻の詳報記事」の部分を削除しろ、というのです。

朝日新聞社が主張する削除要求の理由は以下の通りです。

── (1)当該の記事は社内で検討した結果、読者への説明として適切ではないとの判断に至り、掲載を見送った

(2)未公表の取材結果や記事を漏洩(ろうえい)した者の行為はジャーナリストとしての重大な職務倫理違反に該当する

(3)上記(2)の行為は、朝日新聞社の就業規則や記者行動基準にも違反。記事作成当時に朝日の特報部に在籍した渡辺周が、ワセクロに記事を掲載したことは極めて遺憾 ──

二つ目の対象は11月12日リリースの7回目「『危機管理人』の登場」です。私たちは、朝日新聞社が2015年度で使う予定だった会社案内の中身を手に入れ、それを記事で報じました。

会社案内には、吉田調書報道をスクープした記者2人が写真付きで掲載されていました。会社案内のゲラは2014年8月28日に2人に届いており、吉田調書報道を朝日が取り消したのはその2週間後です。あっという間に「会社案内にも載るヒーロー」を「記事取り消しの戦犯」にした証拠なのです。

しかし、朝日は以下のように主張し、会社案内の記述も削除するよう要求しています。

—「未公表となった朝日新聞社の会社案内の草稿の一部が無断で掲載されています。これについても、ただちに貴サイトから削除するよう求めます」—

以上が朝日の広報部から送られた削除要求の中身です。

「印象」で記事を取り消した朝日

次に、私が朝日の「幻の詳報記事」を掲載した理由をご説明します。

朝日新聞社が吉田調書報道を取り消した理由はこうです。

—「所長命令に違反 原発撤退」という表現が、読者に対して「東電社員があたかも逃げ出したのような印象を与えた」—

しかし、朝日はいったいどうやって「読者の印象」を分析したのでしょう。朝日は明らかにしていません。

ただ、これだけはいえます。読者に誤った印象を持たせたというのなら紙面で説明するべきだ、と。

実際、朝日はそれを実践しようとしました。

詳報記事を出そうとしたのは計4回、最後は吉田調書報道取り消しの6日前だったことは、本欄5回目の「『功名心』が封じた続報」でお伝えした通りです。

朝日が今回削除要求を求めているのは、その際に封じた「幻の詳報記事」です。

この「封じた幻の詳報記事」は、読者に対して真摯(しんし)な内容です。

特報部長だった市川誠一さんは、吉田調書報道の目的について署名入りの「解説」でこう書いています。

「報道の目的は、過酷事故のもとでは危機対応に必要な作業員が大量にいなくなることもあり得るという現実を直視し、組織・体制のあり方を根本から練り直す必要があることを問いかけることにあります」

原発事故を経験した日本社会では共有するべき内容です。実際、ワセクロには読者からこんな声が続々と寄せられました。

「原発事故の教訓がよく伝わった」

「封じた幻の詳報記事」には、第一原発の所員たちによる「所長の命令が伝わっていなかった」という証言も載っています。

これは、朝日新聞社が吉田調書報道を取り消した理由を知る上でとても重要です。

もし本当に「東電社員があたかも逃げ出したかのような印象を読者に与えた」ことが取り消しの理由ならば、「封じた幻の詳報記事」を掲載し当時の第一原発所員たちの声を伝えればいいのです。

「第一原発所員の声」を掲載しなかった朝日

ところが朝日は第一原発の所員たちの声を掲載しませんでした。

なぜか?

私は朝日が吉田調書報道を取り消した真の理由は別にあると考えます。

ジャーナリストの池上彰さんの朝日新聞でのコラムを掲載しなかった事件が起こりました。このことへの批判をかわすことが目的だったのです。つまり、吉田調書報道を「生贄(いけにえ)」にしたのです。

詳しくは、連載3回目「圧倒的に池上コラム」、4回目「朝日新聞『記者会見』のウソ」をご覧ください。

朝日が政府の広報機関になるなら別ですが

広報部の削除要求では、ワセクロが朝日の未公表の詳報記事を報道したことについて「漏洩」ととらえています。その上で、「ジャーナリストとしての重大な職務倫理違反」であり、「朝日新聞社の就業規則や記者行動基準に違反する」と断定しています。

しかし、ワセクロという独立したジャーナリズム組織にとって、朝日は取材・報道の対象です。社会に必要な情報と判断すれば報道します。

私は朝日の社員でもありません。たとえ社員であっても、組織人ではなくジャーナリストとしての倫理を優先するならば、他メディアを使って報道することすら何ら問題はないと考えます。

お聞きしたいのは「朝日新聞は取材対象の内部情報を報じたことはないのか」ということです。

そんなことはないですよね。

これまで朝日が探査報道の成果として放ってきた数々のスクープは、取材対象が隠している内部情報を暴いたものです。それらを「漏洩」と呼びますか?

漏洩と呼ぶのは「不都合な事実を暴かれた側」が使う言葉です。

未公表の会社案内をワセクロが報じたことについては、「無断掲載だ」という理由で広報部は削除を要求しています。

これも同じような質問ですが、朝日は取材対象の許可がなければ何も報じないのですか?

そんなことないですよね。

例えば朝日は「桜を見る会」に安倍晋三首相の事務所が関わっている証拠として、事務所からの参加案内を報じました。朝日は安倍首相に「報じていいでしょうか」と許可を取ったのですか。

ワセクロの今回の報道に対して、このような削除要求をしてくるようでは、現場は取材できません。内部告発者が、組織から糾弾(きゅうだん)されるリスクを冒して情報を提供しようとしても、こう判断されることでしょう。

「朝日は、自分のことを組織を裏切って情報を漏洩した人間だとみなすので、提供はやめておこう」

そうなれば、探査報道はできません。もちろん、朝日が探査報道はあきらめて、政府や大企業の広報機関になるなら別ですが。

朝日社長への取材、12月26日正午までにお返事を

今回の「削除要求」について、渡辺社長にお聞きしたいことがあります。ぜひインタビューさせてください。

12月26日正午までにお返事をください。

私たちの「葬られた原発報道」は、まだまだ続きます。

原発事故に対してジャーナリズムが果たした役割を検証することが、次々に再稼働していく原発に不安を持つ人たちへの説明責任だと思うからです。私たちも原発事故の取材を続けます。

2019年12月27日17時43分 渡辺周
拝啓 朝日新聞社長、渡辺雅隆さま 「記事の削除要求」の撤回を求めます(11)
https://tansajp.org/columnists/5465/

渡辺雅隆さん、こんにちは。

前回の記事であなたへのインタビューの要請をしました。これに対して、昨日、朝日新聞広報部の担当者から連絡がありました。

インタビューは「辞退させていただきたいと存じます」とのことでした。取材を受けないというのは、あなたの意思なのでしょうか。

まず確認しておきたいことがあります。

ワセダクロニクルに対して削除要求をしてきたのは朝日新聞社の広報部でした。社長の渡辺さんもご存知のことでしょう。私たちは、削除する必要があるとは思っていません。なぜ削除を要求されるのか、その真意が知りたい。そう考えて、社を代表する渡辺さんに取材を申し入れたのです。

改めてあなたに取材を申し込みます。そして、朝日新聞社のワセダクロニクルへの記事削除要求の撤回を求めます。

この2点に関してお返事をください。1ヶ月間返事をお待ちします。年明け2020年の1月27日正午までに回答をください。

渡辺さん、ぜひあなたに耳を傾けてほしい声があります。現場の記者たちの声です。前回の記事をリリースしてから、朝日新聞の記者からは続々と自分の会社の対応を嘆く声が私たちに寄せられています。

「こんなことしてたら新聞社として終わる。堕ちるところまで墜ちた」
「朝日の対応は支離滅裂」
「社内は声を上げられる雰囲気ではないので、ワセクロがガツンとやってください」

もちろん、朝日の記者だけではなく、ほかのジャーナリストたちからもメッセージが届いています。それは朝日とワセクロのやり取りを興味本位で楽しむものでは決してありません。みんな、健全なジャーナリズムの使命が失われていく危機感を持っていました。

以下に、私の先輩ジャーナリスト3人のメッセージを紹介します。ぜひお読みください。

ではご回答をお待ちしています。

マーティン・ファクラーさん(元ニューヨーク・タイムズ東京支局長)
「ジャーナリストを黙らせようとすれば朝日も傷つく」

朝日新聞は2014年、慰安婦報道の検証と原発吉田調書報道で安倍政権とその協力者と対峙した。その際に他メディアは朝日を非難の標的にした。だが朝日を攻撃することで、結局はメディア全体が信頼を失った。

あの時に攻撃された朝日が、今度はほかのジャーナリストを攻撃する。とても皮肉だし、ガッカリする。しかも相手は、真の探査報道を実践しようと挑戦している小さなNGOのワセダクロニクルだ。

もちろん、朝日にはワセクロに異議を唱える権利はある。しかし、朝日は応答の仕方を間違えた。

朝日はほかのジャーナリストを黙らせようとするべきではない。こういうことをしていると、情報は制限され、真実は隠され、市民社会が弱くなる。日本社会の人々が、自分たちの歴史について知る機会を否定することになる。

もし朝日がワセクロに異論があるならば、朝日はほかの方法をとるべきだ。朝日は、福島第一原発事故を自分たちがどのように取材し、報道したかを社会に開示すればいいのだ。原発事故をめぐって何が起きていたのかを私たちにもっと知らせるべきだ。

同じジャーナリストを黙らせることは、酷い過ちだ。全てのジャーナリストを傷つけ、結局は朝日自身も傷つく。朝日はそのことを認識するべきだ。

山田厚史さん(元朝日新聞編集委員、独立メディア・デモクラシータイムス代表)
「恥ずかしい行為、現場の記者がかわいそう」

原発「吉田調書」記事をなぜ取り消したのか、検証することは公益性のある行為だ。2014年当時、朝日新聞社の経営幹部たちは取材班の記者たちを「罪人」に仕立て上げて記事を取り消し、編集に経営が介入した池上コラム不掲載問題の当事者である木村伊量社長を逃した。明らかに経営の判断ミスだった。

しかしながら、朝日新聞社も会社なので、過ちをおかすこともあろう。思考停止してしまうこともあるだろう。それが「吉田調書」記事を取り消す過程で、残念ながら起こってしまった。

しかし、時間が経てば、その過ちを見つめ直すこともできよう。当時の経営の判断の誤りを見直すことで、朝日新聞が抱える脆弱性を補完することができるはずだ。自分たちのおかした過ちを検証して、そこから教訓を得るべきだろう。

それなのに、朝日新聞はワセダクロニクルに対して、就業規則などを持ち出して記事の削除要請をしてきた。これはおかしな論理だ。なぜなら、ワセクロの記事は、ジャーナリズムがおかした間違いを検証する報道だ。繰り返すが、公益性の高い行為だ。

自分たちに都合の悪い情報が流出すると、記事を削除しろなどというのは、ジャーナリズムが市民社会に生存する基盤そのものを毀損(きそん)する行為であることを知るべきだ。朝日新聞は今回の記事削除要請によって、内部情報や内部資料を得て報道することはしないということを自ら宣言したようなものだ。現場の記者に多大な影響を及ぼすだろう。恥ずかしい行為だと自ら認識すべきだ。

情けない。本当に情けない。一生懸命やっている現場の記者たちがかわいそうだ。

柴田鉄治さん(ジャーナリスト、元朝日新聞論説委員・社会部長)
「記事の『取り消し』を取り消すべきだ」

私はいまから60年前に朝日新聞社に入社し、25年前に定年退社したОBです。原発がらみの問題なので、科学部長、社会部長、論説委員などを経験したと経歴も記します。ワセダクロニクルの求めに応じ、私の意見を申し上げます。

2014年9月、当時の木村伊量・朝日新聞社社長が記者会見して発表した「原発事故に関する『吉田調書』の記事を取り消す」という決定は誤りだと主張して、株主総会にも出て渡辺・現社長に『記事の取り消しを、取り消してほしい』と要望した者です。

私の見るところ、5月20日に朝日新聞の一面トップに載った「吉田調書」の記事は、間違った記事ではなく、立派なスクープ記事なのです。当の朝日新聞も直前まで新聞協会賞の候補に推薦していたほどのスクープだったのです。

それが一転、取り消しとは? それも単なる誤報ではなく、でっち上げの「虚報」だという扱いです。朝日新聞でいえば、過去の「伊藤律事件」や「サンゴ事件」並みの扱いだったのです。

どうしてこんなとことが起こったのでしょうか。それは、同年8月に載った「20年前の従軍慰安婦に関する検証記事」と無関係でないことは言うまでもありません。20年前でも誤った記事に対する検証記事では、読者に謝らなければならないのに、その謝罪がなく、「謝るべきだ」と書いた池上彰氏の論文をボツにした、という二つのミスが重なって、激しい朝日バッシングが始まり、それに対応しようとして、もっと重大な三つ目のミスを犯してしまったのだと言えましょう。

吉田調書の記事は、見出しがちょっときつすぎたかな、といった程度のことで、そんなことは続報で追加すれば済む話です。それを虚報扱いにして記者まで処分し、退社にまで追い込んだのですから、私が「記事の取り消しを取り消せ」と主張していることは、分かっていただけると思いますが、どうでしょうか。

2020年03月22日12時17分 渡辺周
社長がウソをつく「報道機関」との法廷対決 (12)
https://tansajp.org/columnists/5989/

東京電力福島第一原発の事故から、9年が経ちます。

昨年9月には、原発事故の刑事責任を問う裁判で、東京地裁は当時の東電幹部3人に無罪を言い渡しました。

しかし、原発問題をこれで終わらせることはできません。ワセダクロニクルはこの「葬られた原発報道」のシリーズで引き続き、朝日新聞の原発「吉田調書」記事取り消し事件で何があったのか報じていくつもりです。

今回は、この記事取り消し事件をめぐる裁判についてお伝えします。

判決は3月23日、東京地裁で

裁判の原告は、取材班の中心だった木村英昭さん(現ワセクロ編集幹事)です。被告は、朝日新聞社。

木村英昭さんが2018年3月に提訴しました。訴因は名誉毀損ですが、木村英昭さんの目的は、朝日新聞社に「記事取り消しを取り消させる」ことです。

裁判には、同じく吉田調書取材班の主力だった宮崎知己さん(現月刊「FACTA」編集人)も陳述書を提出しました。その中で宮崎さんはこう主張しています。

「吉田調書には国や東電が隠している事実が多く含まれ、(原発事故への対応の)反省材料が凝縮しているという思いは今も変わらない」

判決は2020年3月23日午後1時10分、東京地裁712号法廷で言い渡されます。以下、これまでの原告と被告の応酬を振り返ります。

ジャーナリストへの「死刑宣告」

裁判で原告の木村英昭さんは「吉田調書報道の取り消しは、筆者のジャーナリストとしての名誉を傷つけた」と主張しました。記事を取り消されるのはジャーナリストにとっては「死刑宣告」だといいました。

その重大性を示す例として、木村英昭さんは戦後すぐに朝日が取り消した「伊藤律架空会見」を挙げています。朝日の記者が、指名手配中の共産党幹部、伊藤律に兵庫県の山中でインタビューしたという架空の記事を書き、掲載されました。完全な「捏造」です。事実が判明した後、朝日新聞社は記事を取り消しました。

それに対し、吉田調書報道は事実そのものです。

木村英昭さんたちの記事には「所長命令に違反 原発撤退」とあります。福島第一原発の職員が、吉田昌郎所長の待機命令に反して職場を離脱した、という内容です。

そう記述した根拠を、木村英昭さんはこう説明しています。

—【所長命令】あの事故のさなか、東電のテレビ会議システムが動いていて、第一原発や東電本店、新潟の柏崎刈羽原発などで会話が共有されていた。柏崎刈羽原発の所員がその会話をメモしていた。そのメモのなかに、吉田昌郎所長が福島第一原発の所員に対して、第二原発への撤退ではなく、そのまま第一原発に待機するよう、所内のマイクを通じて命じたことが記録されていた。「待機命令」は「吉田調書」の記述どおり、間違いなく出ていた。
—【撤退】9割の所員が第二原発に撤退してしまい、第一原発で対応にあたる人がほとんどいなくなった。撤退後、第一原発正門付近で毎時1万1930マイクロシーベルトを記録し、その後も、高い放射線量が継続的に放出された。
—【違反】吉田所長の待機命令に反し、所員の多くが第二原発に撤退した。しかも、第二原発に行った所員たちの8割以上は翌日の3月16日になっても戻ってきていない。それは東電テレビ会議に記録されている。

朝日の「重大な事実誤認」

これに対して朝日新聞側は次のように主張します。

—「所長命令に違反 原発撤退」という見出しは、多くの所員が所長の命令を知りながら第一原発から逃げ出したような印象を与える間違った表現だったため、記事を取り消した。
— このような誤った表現になったのは、吉田所長の命令が所員に伝わっていたかどうかを確認する作業が不足していたためだ。所員が第二原発に退避したのは、命令が所員に伝わっていなかったためであり、そのことを原告が把握できなかったからだ。

しかし、朝日は重大な事実誤認をしていました。

木村英昭さんは裁判で、記事が出るまでの経緯を次のように説明します。

— 記事執筆前の取材で、吉田所長の命令を聞いていたのに第二原発に行った所員がいたか確認した。命令は伝わっていなかった。
— そのため、「意図的に逃げた」という表現は使わず「命令違反撤退」という記述にした。

朝日側は、吉田所長の命令が所員に伝わっていなかったことを取材班が「確認しなかった」から、「命令違反撤退」という表現になった、と思い込んでいたようです。

どうやって「読者の印象」を測ったのか?

朝日側は裁判中、記事取り消しの理由として「読者に間違った印象を与えた」ことを強調しました。しかしそれは以下に述べる通り、事実と異なります。

— 朝日は2014年8月いっぱいまで、吉田調書報道を高く評価していた。新聞協会賞に応募したり、翌年度の会社案内で吉田調書報道をアピールしたりした。
— ところが同年9月に入ると記事への評価は激変し、2週間足らずの9月11日に記事を取り消した。判断を180度覆す根拠となる「読者の印象」をどうやって測ったのか。

記事を取り消す最大の根拠となる「読者の印象」を、どういう方法で調べたのか。朝日は、この疑問に答えていません。

わずか8行の報告

実は2014年8月29日、朝日新聞の「池上彰の新聞ななめ読み」のコラムが載ることになっていました。従軍慰安婦問題に関し、吉田清治氏がした虚偽証言記事を朝日新聞が取り消したことについて「慰安婦報道検証 訂正、遅きに失したのでは」というものでした。ところが朝日はこの記事を不適当とし、掲載しないことを決めてしまったのです。この決定は社内で大きな反発を呼びました。

結局、朝日は池上さんに謝罪し、コラムはのちに掲載し直すことになります。

2014年9月12日の朝刊1面は、トップ記事が「吉田調書記事の取り消し」報告だったのに対して、池上コラム不掲載についてはその経緯をわずか8行で報告しただけでした。

池上コラムの不掲載を決めたのは社長の木村伊量さんでした。社長を守るためには池上コラム不掲載事件を小さく見せなければなりません。そのために吉田調書報道を「生贄(いけにえ)」で差し出し、大きく扱ったというのが原告側の見方です。

朝日側は「池上コラムの批判をかわすため、別の記事を取り消すことなどあり得ない」と否定しました。本当にそうでしょうか?

社長の木村伊量さんは、当時の記者会見で池上コラム不掲載の判断について問われ、こう答えています。

「編集担当の判断に委ねた」

「編集担当」とは編集部門のトップの役職で、当時は杉浦信之さんでした。ところが木村伊量さんは、朝日新聞社の社長を退任後、雑誌『文芸春秋』2018年2月号に寄せた手記で次のように書きました。

「一読して『役員全員で検証記事のトーンを決めたのに、『おわびがない』という一点をもって検証記事の意味はなかったと言われ、読者の不信を買うようなら、ぼくは責任をとって社長を辞めることになるよ』と、かなり厳しい調子でコメントしたと記憶しています」

木村伊量さんは、「社長を辞めることになる」「かなり厳しい調子でコメントした」といったことを自ら認めているのです。記者会見でいったのは「感想を述べただけ」です。

つまり、社長の木村伊量さんは記者会見ではウソをついていたのです。

原告の木村英昭さんは裁判でこう批判しました。

「池上コラム不掲載問題については、社長が満天下に向かって真実でないことを平然と述べるという、ありえないことが起こった。記事の取り消しに影響を与えていないはずはない」

194人の弁護士の言葉

今回の裁判は、原告の木村英昭さん個人が名誉を傷つけられたため、110万円の損害賠償を求めるという体裁を取っています。

被告である朝日側は「朝日新聞社として吉田調書報道の誤りを認め、記事を取り消して謝罪しただけ」と主張します。木村英昭さん個人の名誉を傷つけたかどうかは関係がないという立場です。

吉田調書事件を取材した記者の木村英昭さんや宮崎知己さんらは懲戒処分を受けています。しかし、記事の見出しをつける整理記者や、その日の紙面に責任を持つ「当番編集長」はお咎めなしです。

一部だけを処分しておいて、裁判では「朝日新聞社として」の責任を強調するのは矛盾しています。

原発事故に強い関心を持つ弁護士たちは、朝日の記事取り消しに不信感を抱きました。記事を「原発事故の絶望的な状況を伝えている」と評価した上で、朝日に記者の処分反対の申し入れをしました。その数は194人に上っています。

「現場で知る権利への奉仕、真実の公開のため渾身の努力を積み重ねている記者を萎縮させる結果をもたらすことは明らかです。そのことはさらに、いかなる圧力にも屈することなく事実を公正に報道するという報道の使命を朝日新聞社が自ら放棄することにつながり、民主主義を重大な危機にさらす結果を招きかねません」

民主主義に必要なジャーナリズムをどう守るか。この裁判ではそのことが問われています。

2020年03月27日16時34分 渡辺周
東京地裁が認めた「新聞記者は会社員」(13)
https://tansajp.org/columnists/6025/

原発「吉田調書」記事取り消し事件で、木村英昭さん(現ワセクロ編集幹事)は、朝日新聞社を相手取って「記事取り消しの処分を取り消す」ことを目的に名誉毀損訴訟を起こしました。詳しくは前回の「社長がウソをつく『報道機関』との法廷対決」をお読みください。

判決は2020年3月23日、東京地裁で言い渡されました。

東京地裁は記事取り消しが正しいか間違っているかに触れることを避け、訴えを棄却しました。その理由は理解を超えるものでした。

「たとえ署名記事であっても、記事には新聞社に全ての責任があるから、記事を取り消したとしても記者個人には何の影響もなく、名誉毀損にはあたらない」

つまり「記事取り消しは会社の権利であり、それは記者個人とは関係ない」ということです。しかし木村さんの記事は署名記事であり、それを取り消されて個人の名誉に関係がないということはありえません。

「新聞記者は会社員でしかない」と司法がお墨付きを与えたことになります。

田中裁判長「記者個人は名誉毀損の対象にならない」、証人不採用の訴訟指揮

裁判長は田中寛明判事。裁判の経過でも、原告の木村さんの証人申請を採用しないなど、記事取り消しについて判断することに消極的な姿勢でした。

判決文に書かれた、田中裁判長らの判断はこうです。

「本件各記事が原告の個人名を掲げて批判する内容を含むものとは認められない」

「本件各記事」とは、2014年9月11日の吉田調書報道の記事取り消しにあたり、朝日新聞社が取り消しの経緯を大きく伝えた記事のことです。インターネット記事も含みます。

その記事の中では、原告の木村さんの名前は掲載されていません。だから「木村さん個人の名誉を毀損していない」という理由です。

二枚舌

東京地裁の判断は、朝日新聞側の言い分をそのまま受け入れていました。

朝日の言い分はこうです。

── 吉田調書報道の記事が「所長命令に違反 原発撤退」という見出しを掲げていたことが、「読者に所員が逃げ出したかのような印象を与えた」ため記事を取り消した。取材班は吉田調書を読み解く過程で評価を誤った。取材源の保護に気を遣うあまり情報を共有していた記者が少なく、チェック機能が十分働かなかった ──

そして朝日側は「取材班」に木村さんが含まれていることを認めながらも、「吉田調書を読み解く過程で評価を誤った」のは朝日新聞社だと主張しました。

つまり、「評価を誤った」のは社としての朝日だから、木村さん個人の名誉を傷つけたわけではないという論理です。

しかしそれは、まったく現実と合わないものです。

取り消された2014年5月20日付記事には木村さんの署名が入っています。

「所長命令に違反 原発撤退」という見出しがついた1面トップの記事にも、2面の「再稼働論議 現実直視を 担当記者はこう見た」という解説にも署名があります。

読者はだれも、木村さんの記事が間違っていたので取り消されたと認識します。

さらに朝日は木村さんを懲戒処分にし、そのことを2014年11月29日の朝刊で報じています。「前特別報道部長ら6人処分 朝日新聞社『吉田調書』報道」という見出しです。

記事では「取材チームの前特別報道部員」と木村さんを特定できる形で懲戒処分を伝えています。当時の編集担当役員、西村陽一さんは木村さんを処分した理由をこう書きました。

「未公開だった吉田調書を記者が入手し、記事を出稿するまでの過程で思い込みや想像力の欠如があり、結果的に誤った記事を掲載してしまった過失があったと判断しました」

裁判では木村さんの誤りではなく、朝日新聞社としての誤りであると主張しています。しかし懲戒処分を伝える紙面では、記事を書いた木村さんらに「思い込みや想像力の欠如があった」と責任を問うています。

二枚舌です。

朝日のジャーナリスト“不存在”宣言

「記者の名誉を毀損するものではない」とする判決に反し、読者の多くは「木村記者がウソの記事を書いた」と受け止めました。

記事取り消し事件の後、木村さんはインターネットなどで厳しい個人攻撃を受けました。週刊誌などからも追いかけられ、自宅に帰れずビジネスホテルを泊まり歩いたほどです。

NHKから「取材班の木村さんと宮崎知己(現『FACTA』編集長)さんが自殺したそうだが本当か」という問い合わせが朝日新聞社にあったほどです。驚いた上司たちが確認に走ったほどです。

田中裁判長や朝日側の「個人の名誉を傷つけたわけではない」という主張は、あまりにも現実とかけ離れています。

今回の判決は、ジャーナリストにとってどんな意味があるのでしょう。

朝日は自社の記者たちに「あなたたちは全員、組織人であってジャーナリストではない」と宣言し、東京地裁がそのことを追認しました。

つまり、「マスコミ」では、存在するのは会社という組織であって、個としてのジャーナリストは存在しない、というわけです。

裁判で負けないための対策とはいえ、「個としてのジャーナリスト」を否定する組織は社会から必要とされません。新聞社やテレビ局に所属する記者たちは、今回の朝日の「宣言」と東京地裁の判決に抗うべきだと私は思います。

記事の「取り消し」の取り消しを

木村さんが裁判を起こした最大の目的は「記事の取り消しを取り消すこと」です。

木村さんはこう述べ、控訴します。

「吉田調書は、制御不能に陥った原発を誰が止めるのかを問題提起する一級の資料です。第一原発の所員が第二原発に撤退しているさなかに、事故後最高の放射性物質の漏洩を確認した。翌日になっても所員の8割が第一原発に戻っていないことが東電のテレビ会議で記録されている。原発で事故が起きると、そういうことが現実に起きるのです。吉田調書は、制御不能に陥った原発を誰が止めるのかを問題提起する一級の資料です」

「朝日新聞は組織防衛のため、そのもっとも重要な問題提起を抹殺してしまった。吉田調書報道の名誉を回復することで、原発を巡るさまざまな議論が活性化するでしょう。それは『記事の取り消しを取り消させる』ことでしか果たせません」

ワセダクロニクルは引き続き、吉田調書報道をめぐり朝日の社内外で何があったのかを検証していきます。

 

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