謡曲 経正

2018.4.11

登場人物

シテ 平 経正(たいら つねまさ)  平 経盛の嫡子

ワキ 僧都行慶  葉室大納言光頼の子

●ワキ
これは仁和寺(にんなじ)御室(おむろ)に仕え申す、僧都(そおづ)行慶にて候。
私は、御室御所の仁和寺にお仕えする、僧都行慶であります。

説明 仁和寺は、後宇多天皇が出家後にお住みになったことから、御室又は御室御所と呼ばれています。

さても平家の一門但馬の守経正は、いまだ童形(とおぎょお)の時より、君御寵愛なのめならず候。
さて平家一門の但馬の守平の経正は、まだ童形の時から、主君のご寵愛が尋常でございません。

説明 童形は、元服前の稚児。 君は、仁和寺の覚性法親王、守覚法親王。

然るに今度(こんど)西海(さいかい)の合戦(かせん)に討たれ給いて候。
しかし、この度、西海の合戦でお討たれになりました。

また青山と申す御(おん)琵琶は、経正存生(ぞんじょお)の時より預け下されて候。
一方、青山という琵琶を、経正が存命の時から、お預け下されていました。

説明 経正は、鳥羽天皇の皇子の覚性法親王に仕え、親王から、この琵琶を拝領しました。

かの御(おん)琵琶を仏前に据(す)え置き、管弦講(かげんこう)にて弔い申せとの御事にて候ほどに、役者を集め候。
この琵琶を、仏前に据え置き、管弦講で弔いなさいとのお言葉でしたので、管弦の役者を集めております。

●ワキ
げにや一樹の蔭に宿り、一河(いちが)の流れを汲むことも、皆これ他生(たしょお)の縁ぞかし。
まことに、一樹の蔭に宿り、一河の流れを汲むことも、皆、これ、他生の縁でありましょうよ。

説明 説法明眼論に、「一樹の下に宿し。一河の流を汲み、一衣の同宿、一日の夫妻、一所の聴聞、暫時の同道、半時の戯笑、一言の会釈、一坐の飲酒、同杯同酒、一時の同車、同畳の同坐、同詠のー臥、軽重に異有リ。親疎に別有る、皆是れ先世の結縁なり。」

ましてや多年の御(おん)知遇、恵みを深くかけまくも、かたじけなくも宮中(きうちう)にて、
まして、永年の知遇や恩恵を深くかけられて、かたじけなくも、宮中で

法事をなして夜もすがら、平の経正成等(じょおとお)正覚(しょおがく)と、弔い給うありがたさよ。
法事を執り行って、一晩中、平の経正よ、悟りを得て成仏せよと弔いなさる有難さよ。

説明 深くかける の かけ と、かけまく (口に出して言うこと、心に掛けて思うこと の意) を掛け、掛けなくも かたじけなくも と韻を踏んでいると解釈されます。

説明 成等正覚 は、菩薩が仏の悟りである等正覚を成し遂げること

〔上歌〕

●地謡
殊(こと)にまた、かの青山と云う琵琶を。かの青山と云う琵琶を。亡者のために手向(たむ)けつつ。
ことに、また、かの青山という琵琶を、かの青山という琵琶を、死者の霊に手向け[ささげ]つつ

同じく糸竹の声も仏事をなし添えて、日々(にちにち)夜々(やや)の法(のり)の門(かど)、
同じく、管弦の音楽を鳴らして法事に添え、毎日毎晩の仏門は、

貴賎の道もあまねしや、貴賎の道もあまねしや。
貴賤を問わず、あまねく行き渡る、貴賤を問わず、あまねく行き渡る。

説明 糸竹 は、管弦のこと。糸が、弦楽器、竹が、管楽器。

<シテ登場>

●シテ
風枯木(こぼく)を吹けば晴天(はれてん)の雨。月平沙(へいさ)を照らせば夏の夜の、
風が枯れ木に吹く音は、晴天の雨のよう。月が平砂を照らすと、夏の夜の霜のよう。

霜の起居(おきゐ)も安からで。仮に見えつる草の蔭。露の身ながら消え残る、妄執(もおしゅう)の縁(えん)こそ、つたなけれ。
夏の夜の霜の起きて居る様が安らかでないように、仮に草葉の陰に見えた露のように消え残った我が身の、妄執の縁こそ、何とはかないことか。

説明 白楽天「風吹枯木晴天雨、月照平沙夏夜霜」 妄執は、心の迷いから起こる執念。

●ワキ
不思議やな。はや深更になるままに。夜の燈火幽(かす)かなる。光の中に人影の。あるかなきかに見え給うは。如何なる人にてましますぞ。
不思議だなあ。はや夜は更けてしまったが、夜の灯火の幽かな光の中に、人影があるともないとも見えるのは、いったい、どんな人でいらっしゃるのか。

●シテ
われ経正が幽霊なるが、御(おん)弔いのありがたさに、これまで現れ参りたり。
私は、経正の幽霊ですが、お弔いの有難さに、こうして参上しました。

●ワキ
そも経正の幽霊と、答うる方を見んとすれば、また消え消えと形もなくて。
そもそも経正の幽霊と、答える方向を見ようとすると、姿が消えて、形が失せ、

●シテ
声は幽(かす)かに絶え残って   声は幽かに残って

●ワキ
正(まさ)しく見えつる人影の   まさしく見えた人影が

●シテ
あるかと見れば       あるかと見れば

●ワキ
また見えもせで       また見えもせず

●シテ
あるか             あるのか

●ワキ
なきかに            ないのか

●シテ
陽炎(かげろお)の             陽炎の

〔上歌〕

●地謡
幻の。常なき身とて経正の。常なき身とて経正の。もとの浮世に帰り来て。それとは名のれども
幻の、定まらない身として経正は、定まらない身として経正は、元の浮世に帰って来て、それだと名乗るけれども

その主の。形は見えぬ妄執の。生(しぉお)をこそ隔つれども我は人を見るものを。
その声の主の姿形は見えない、その見えない妄執は、生を隔ててはいるものの、私は人が見えているのに、

げにや呉竹の、筧(かけひ)の水は変わるとも、住みあかざりし宮の中。幻に参りたり夢幻に参りたり
本当に呉竹の筧の水は変わっても、住んで飽きることのない宮の中に、幻となって参りました、夢幻になって参りました。

説明 平家物語 巻7 経正都落ち で、経正は、青山の琵琶を、覚性法親王の後の守覚法親王に返します。

   親王が「あかずしてわかるる君が名残をば のちのかたみにつつみてぞおく」と読み
       心ならず別れていくあなたの名残のこの琵琶を、後の形見として包んで置いておきますよ

   経正は「呉竹のかけひの水はかはるとも なほすみあかぬ宮のうちかな」 と返します。
       呉竹のかけいの水は変わっても、今なお澄んだこの宮の中は、住んで飽きません

●ワキ
不思議やな経正の幽霊形は消え声は残って、なおも言葉を交わしけるぞや。
不思議だなあ、経正の幽霊の姿形は消えても、声は残って、なおも言葉を交わしているぞ。

よし夢なりとも現(うつつ)なりとも、法事(ほおじ)の功力(くりき)成就して、亡者に言葉を交わすことよ。あら不思議の事やな。
たとえ夢であっても現であっても、法事の功徳が成就して、死者と言葉を交わすとは。あら不思議な事だな。

●シテ
われ若年の昔より宮の内に参り、世上に面(おもて)をさらすことも、偏(ひとえ)に君の御恩徳(おんどく)なり。
私は、若年の昔から、御室御所に参内し、世の中に顔を知られるようになったのも、ひとえに御室の君の御恩です。

中にも手向(たむ)け下さるる、青山の御(おん)琵琶。娑婆にての御(ご)許されを蒙(こおむ)り。常は手馴れし四つの緒に。
中でも、手向けて下さった青山の琵琶は、生前娑婆にて弾くことを許され、常に手になじんだ四本の弦に、

●地謡
今も引かるる心ゆえ。聞きしに似たる撥音(ばちおと)の、これぞ正しく妙音の、誓いなるべし。
今も心が惹かれているので、かつて聞いた音に似た撥音の、妙なる音は、これぞ正しく仏の妙なる誓いであるでしょう。

●地謡
さればかの経正は。さればかの経正は。未だ若年の昔より。外(ほか)には仁義礼智信の、五常を守りつつ。
ですからあの経正は、ですからあの経正は、まだ若年の昔から、外では、仁義礼智信の、五常の徳を守りつつ、

内にはまた花鳥風月、詩歌管弦を専らとし。 内では花鳥風月、詩歌管弦に集中し

春秋(はるあき)を松蔭の草の露水のあわれ世の心に洩るる花もなし、心に洩るる花もなし。
春秋を待ち迎え、松陰の草の露、水の泡、哀れこの世の、心に洩れる花はない、心に洩れる花はない。

●ワキ
亡者のためには何よりも、娑婆にて手馴れし青山の琵琶。おのおの楽器を調(ととの)へて。糸竹の手向けを勧むれば
死者のためには何よりも、生前娑婆にて弾きなれた青山の琵琶、楽師たちが各々楽器を調えて、管弦の調べを手向けると

●シテ
亡者も立ち寄り燈火(ともしび)の影に。人には見えぬものながら。手向けの琵琶を調(しら)むれば
死者も灯火の影に立ち寄り、人には見えないものの、手向けの琵琶を演奏すると

●ワキ
時しもころは夜半楽。眠りを覚ます折節(おりふし)に  折も折、時刻は夜半楽。眠りを覚ますその折に

●シテ
不思議や晴れたる空かき曇り。にわかに降り来る雨の音
不思議なことに、晴れていた空がかき曇り、にわかに降ってきた雨の音

●ワキ
しきりに草木を払いつつ。時の調子もいかならん
しきりに草木を打ち払いつつ、季節の調子はどうなるのか。

●シテ
いや雨にてはなかりけり。あれ御覧ぜよ雲の端の
いや雨ではありませんでした、あれを御覧なさい、雲の端の

●地謡
月に双びの岡の松の。葉風は吹き落ちて。急雨(むらさめ)の如くに訪れたり。
月の明かりに並んで見える双ヶ岡の松の、葉が風に吹き落ちて、にわか雨のように音を立てて訪れたのだよ、

面白や折からなりけり。
面白い、丁度その時だったのだ。

大絃はそうそうとして。急雨(むらさめ)の如し。さて。小絃は切々として。私語(ささめごと)に異ならず。
大弦は、けたたましく鳴り響き、にわか雨のようだ。小弦は、切々として、ひそひそ話にほかならない。

●地謡
第一第二の絃(けん)は索々として。秋の風、松を払って疎韻落つ。
第一第二の弦は、響き渡っている。秋の風は、松を払って、絶え絶えに響く。

第三第四の絃(けん)は、冷々(れいれい)として。夜の鶴の子を憶うて籠の中に鳴く
第三第四の弦は、冷え冷えと響き、夜の鶴が子を思って籠の中で鳴く。

説明 白楽天 「第一第二絃索々 秋風払松疎韻落 第三第四絃冷々 夜鶴憶子籠中鳴」 (和漢朗詠集)

鶏(とり)も心して、夜遊(やいう)の別れとどめよ。 暁の訪れを告げる鶏も、心して、夜遊びの時との別れを留めよ。

●シテ
一声(いっせい)の鳳管(ほおかん)は 笙の一声が、

●地謡
秋秦嶺(あきしんれい)の雲を動かせば。鳳凰もこれに愛でて。梧竹(きりたけ)に飛び下りて。翼を連ねて舞い遊べば。
秋秦嶺の雲を動かせば、鳳凰もこの音を愛でて、梧竹に飛び下りて、翼を連ねて舞い遊べば、

説明 公乗憶 「一声鳳管 秋驚秦嶺之雲、数拍霓裳 暁送候山之月」 (和漢朗詠集)
         鳳管(笙)の一声は、秋秦嶺の雲を驚かす、霓裳の数拍は、暁に候山の月を送る

律呂(りつりょ)の声々に、情声に発す。声文(あや)をなすことも。昔を返す舞の袖。衣笠山も近かりき、面白の夜遊(やいう)やあら面白の夜遊や。
陽と陰の音律で、人の情けが声に発し、楽の声が言葉のあやをなすこともある。昔を思い返しては、舞の袖を翻し、衣笠山も近かった、面白い夜遊びだ、ああ、面白い夜遊びだ。

説明 衣笠山は、仁和寺の北東 1km 程の近くにあります。

●地謡
あら名残惜しの夜遊やな。  ああ、名残惜しい夜遊びだな。

●シテ
あら恨めしやたまたま閻浮(えんぶ)の夜遊に帰り。心を延ぶる折節に。また瞋恚(しんに)の起こる恨めしや。
ああ恨めしい。たまたまこの世の夜遊びの時に帰り、心を慰めていたその折々に、また怒りの心が起きる恨めしさよ。

●ワキ
前に見えつる人影の。なお現るるは経正か。   前に見えた人影が、再び現れたのは、経正か。

●シテ
あら恥ずかしや我が姿。早や人々に見えけるぞや。あの燈火(ともしび)を消し給えとよ。
ああ恥ずかしい。我が姿。早くも人々に見えたのか。あの灯火を消してくださいと。

●地謡
燈火を背けては。燈火(ともしび)を背けては。  灯火を脇にそらしては、灯火を脇にそらしては。

共に憐れむ深夜の月をも。手に取るや帝釈(たいしゃく)修羅の戦いは
共に憐れむ深夜の月をも、手に取るやいなや、帝釈天と阿修羅の戦いは、

火を散らして。瞋恚(しんに)の猛火(みょおか)は雨となって身にかかれば。払う剣は、他を悩まし我と身を斬る。
火を散らし、怒りの猛火は雨となって身にかかれば、払う剣は、他を悩まし、我が身を斬る、

紅波(こおは)は却って猛火となれば。身を焼く苦患(くげん)。恥ずかしや。
赤い血しぶきの波は、かえって猛火となつて、我が身を焼く苦しみ患いが恥ずかしい、

人には見えじものを。あの燈火を消さんとて。その身は愚人。夏の虫の。火を消さんと飛び入りて。
人には見えないものを、あの灯火を消そうとして、愚人のその身は、夏の虫のように、火を消そうと飛びこんで、

嵐と共に燈火を、嵐と共に燈火(ともしび)を、吹き消して暗まぎれより。魄霊(はくれい)は失せにけり魄霊の影は失せにけり。
嵐と共に灯火を、嵐と共に灯火を、吹き消して、暗闇に紛れ、亡霊は失せてしまいました、亡霊は失せてしまいました。

 

 

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