謡曲 百萬 |
2018.3.5 更新2018.3.8
登場人物
A 男、和州三吉野の者
B 門前の者
C 百萬
D 子 幼き人 奈良西大寺あたりで拾った子
<次第>
ワキ 竹馬にいざや法(のり)の道、竹馬にいざや法の道、まことの友を尋ねん
A いざや、竹馬に乗って仏法の道を、いざや、竹馬に乗って仏法の道を、真の友を尋ねましょう。
<名ノリ>
ワキ 「これは和州三吉野の者にて候、またこれに渡り候ふ幼き人は、南都西大寺のあたりにて拾ひ申して候、
A 「私は、和州三吉野の者でございます、またここにいらっしゃる幼い人は、南都西大寺のあたりで拾いましてございます、
この頃は嵯峨の大念仏にて候ふほどに、この幼き人を連れ申し、念仏に参らばやと存じ候
今日この頃は、嵯峨の大念仏が行われていますので、この幼い人を連れまして、念仏に参りたいと存じます
<問答>
ワキ 「門前の人の渡り候ふか、 A 「門前の人でいらっしゃいますか、
アイ 「門前の者とお尋ねは、いかやうなるご用にて候ぞ B 「門前の者かとお尋ねですが、どのようなご用でございますか
ワキ 「幼き人を伴ひ申して候、何にてもあれ面白きことの候はば、見せてたまわり候へ
A 「幼い人を連れましてございます、何でもよろしい面白いことがございましたら、見せていただきたく存じます
アイ 「さん候、この嵯峨の大念仏は、人の集まりにて候ふあひだ、面白きことあまたござ候ふ中にも、
B 「そうでございますか、この嵯峨の大念仏は、多くの人が集まりますので、面白い事がたくさんございます中でも、
百万と申して女物狂の候、これを呼び出しお目にかけ申さうずるが、何とござあらうずるぞ
百万と申す女物狂いがございます、これを呼び出してお目にかけたいと思いますが、どうでございましょうか
ワキ 「さあらばその百万とやらんを見せてたまはり候へ A 「そうであれば、その百万とやらを、見せてくださいませ
アイ 「心得申して候、ただ呼び出しては出で申さず。念仏を悪しざまに申せば、もどかしきとて出で申し候、
B 「心得ましてございます、ただ呼び出しては出てきません、念仏をあしざまに唱えますと、もどかしいといってでてきます。
やがて呼び出し申さうずるあひだ、まづかうかうお通り候へ すぐ呼び出しますので、まずは、こちらにお通りください
ワキ 「心得申し候 A 「心得ましてございます
アイ 南無釈迦、南無釈迦、南無釈迦
地 南無釈迦、南無釈迦、南無釈迦
アイ 南無釈迦牟尼仏(むにぶ)
地 南無釈迦、南無釈迦、南無釈迦
アイ さあみさ、さあみさ、さあみさ
<問答>
アイ 「蜂が刺いた B 「蜂が刺した
シテ 「あら悪(わる)の念仏の拍子や候、わらは音頭を取り候べし
C 「あらなんと出来のわるい念仏の調子だこと。わたしが音頭を取りましょう
アイ 「某(なにがし)は下手にて候、方々音頭を取って面白うおん申しやれや
B 「わたくしめは、下手でございます、皆さまがた、音頭を取って、面白くお唱えなされや。
(渡り拍子)
シテ 南無阿弥陀佛
地 南無阿弥陀佛
シテ 南無阿弥陀佛
地 南無阿弥陀佛
シテ 弥陀頼む
地 「人は雨夜(あまよ)の月なれや、雲晴れねども西へ行く
説明 弥陀頼む人は雨夜(あまよ)の月なれや、雲晴れねども西へ行く は、玉葉和歌集の西行の歌で、
阿弥陀如来を頼りにする人は、雨の世の月なのだなあ、雲は晴れないけれども西に進んで行きます
シテ 「阿弥陀佛や なまうだと
説明 南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ) が、なまみだ となり、ウ音便化して、なまうだ となる。
地 「誰かは頼まざる、誰か頼まざるべき C 「誰が頼らない、誰が頼らないでしょうか
シテ これかや春の物狂 C これでしょうか、春の物狂いとは
地 乱れ心か恋草(こいぐさ)の 乱れ心でしょうか、恋の草が
シテ 力車に七車(ななくるま) 力車に七車
地 積むとも盡きじ 積んでも積みきれません
シテ 重くとも引けやえいさらえいさと 重くてもお引きなさい、えいさらえいさと、
地 一同に頼む弥陀の力、頼めや頼め、南無阿弥陀仏 一同で頼む阿弥陀の力、頼めや頼め、南無阿弥陀仏
<上ゲ歌>
地 げにや世々ごとの、親子の道に纏(まと)はりて、親子の道に纏はりて、なほこの闇を晴れやらぬ
本当に前世でも来世でも、親子の道に付きまとわって、なおもこの闇が晴れ渡らない
シテ 朧月(ろうげつ)の薄曇り 朧月(おぼろづき)の薄曇り
地 僅かに住める世になほ三界の首枷(くびかせ)かや、牛の車の永久(とことわ)に、いづくをさして引かるらん、えいさらえいさ
みすぼらしくも生きているこの世になお「子は三界の首枷」でしょうか、牛の車は、永遠に、どこを目指して引かれていくのでしょう、えいさらえいさ
説明 わづかにすめる の 住める は、澄める も掛けています、牛の車は、わたしたち衆生を極楽に導いてくれます
シテ 引けや引けやこの車 お引きなさい、お引きなさい、この車
地 物見なり物見なり 見ものですよ、見ものですよ
シテ げに百萬が姿は 本当に、百万の姿は 説明 百万は、狂った女の名前
地 もとより長き黒髪を もともと長い黒髪を
シテ 荊棘(おどろ)の如く乱して 茨のようにかき乱して 説明 荊棘は、いばらなど、とげのある木
地 古(ふ)りたる烏帽子引き被(かづ)き 古びた烏帽子を引きかぶり
シテ また眉根黒き乱れ墨 また、眉根に乱れた黒い墨
説明 眉を黒い墨で書いていて、その端っこが乱れている様
地 うつし心か群烏(むらがらす) 正気でしょうか、群れ烏が
説明 現し心は、正気ですが、移し心 と書いて、変わりやすい心、浮気心を指すこともあります。
また、現(うつつ)は、現実、正気という意味で、夢うつつ は、夢と現実の間、夢心地、夢見心地の意味ですが、
夢うつつ の 夢が抜けて うつつ という言葉で、夢心地を表す使い方もなされます
シテ 憂かれと人は、添ひもせで 憂くあれと、我が子は、付き添いもしないで(どこかに行ってしまい)
説明 群れ烏は、浮かれ という言葉の枕言葉のように使われていて、浮かれ は、憂かれ の掛け言葉として使われているようです
地 思はぬ人を尋ぬれば (母のことを)思ってくれない子供を探し求めているのよ
シテ 親子の契り麻衣(あさごろも) 親子の契りは麻衣のように薄いものでしょうか
地 肩を結んで裾に下げ
シテ 裾を結びて肩に懸け
説明 肩を結んで裾に下げ、裾を結びて肩に懸け は、服装が乱れている様を表していると思われます
地 筵片(むしろぎれ) むしろの切れっばしや
シテ 菅薦(すがごも)の 菅の荒むしろのような
地 乱れ心ながら南無釋迦弥陀仏と、信心を致すも我が子に逢はん為なり
乱れた心ではありながら南無阿弥陀仏と、信心いたしているのも、我が子に会いたいたためです
シテ 南無や大聖(だいしょう)釋迦如来、我が子に逢はせ狂気をも止め、安穏に守らせ給ひ候へ
どうか釈迦如来さま、我が子に合わせたまえ、私の狂気を止めたまえ、安穏にお守りくださいませ
子方 「いかに申すべき事の候 ねえ、申し上げたいことがあります
ワキ 「何事にて候ぞ 何事でしょうか
子方 「これなる物狂をよくよく見候へば、故郷(ふるさと)の母(はわ)にて御(おん)入(に)り候
「この物狂いをよくよく見ますと、故郷の母でいらっしゃいます
「恐れながら外(よそ)の様(よう)にて、問ふて賜はり候へ 「おそれながら、何も知らないふりをして、尋ねてくださいませ
ワキ 「これは思ひも寄らぬ事を承り候ものかな。やがて問うて参らせうずるにて候
「これは思いもかけない事をお聞きしました。すぐに尋ねてみましょう
いかにこれなる狂女(きょうじょ)。おことの国里(くにさと)は何處(いづく)の者ぞ
ねえねえ、そこの狂女、あなたの故郷は、どこの方ですか。
シテ 「これは奈良の都に百萬と申す者にて候 私は奈良の都の百万と申す者です
ワキ 「それは何故(なにゆえ)かやうに狂人とはなりたるぞ それがどうして、このように狂人となられたのか
シテ 「夫(つま)には死して別れ、唯一人ある忘れ形見のみどり子に生きて離れて候程に、思ひが乱れて候
「夫には、死に別れ、唯一人いた忘れ形見の幼子には生き別れとなりましたので、心が乱れたのです
ワキ 「さて今も子と云ふ者のあらば、嬉しかるべきか 「さて、今でも子という者がいたら、嬉しいでしょうか
シテ 「仰せまでもなし、それ故にこそ乱れ髪の、遠近人(おちこちびと)に面(おもて)をさらすも、もしも我が子に廻りや逢ふと
「おっしゃるまでもありません、そのためにこそ、あちこちの人に乱れ髪の面目をさらすのも、もしかして我が子に巡り会うかもと、
「車に法(のり)の声立てて、念仏申し身を砕き、我が子に逢はんと祈るなり
「車に乗って、仏法の声を立てて、念仏を唱え、身を砕いて、我が子に会いたいと祈るのです
ワキ 「げに傷はしきおん事かな。まこと信心わたくしなくは、かほど群集(くんじゅ)のその中に、などかは廻り逢はざらん
「本当にお気の毒なことです。まことに信心に私心がないなら、これほどの群衆の中に、どうして巡り会わないことがありましょう。
シテ 「嬉しき人の言葉かな。それにつきても身を砕き、法楽の舞を舞ふべきなり。囃(はや)して賜(た)べや人々よ
「嬉しいお言葉ですこと、それについても身を砕き、法楽の舞を舞いましょう、囃してください、皆さま方
「かたじけなくもこのお仏も、羅睺為長子(らごいちょうし)と説き給へば
「恐れ多くも、ご本尊のお仏さまも、ラゴは、私の長子であるとお説きになっていらっしゃいますので
説明 羅睺、もしくは羅睺羅は、釈迦の長子で、法華経に、以下の様に記されています
我為太子時 羅睺為長子 我今成仏道 受法之法子
私が出家前の太子の時、羅睺は、私の長子で、私は仏道を完成し 彼は教えを受けた教えの弟子です
<次第>
地 我が子に鸚鵡の袖なれや。親子鸚鵡の袖なれや百萬が舞を見給へ
我が子の会うための鸚鵡の袖となれ、親子が会うための鸚鵡の袖となれ、百万の舞をご覧あれ
<一セイ>
シテ 百(もも)や萬(よろず)の舞の袖 百万の舞の袖が
地 我が子の行方、祈るなり 我が子の行方を祈ります
<イロエ>
<クリ>
シテ げにや惟(おも)んみれば、何處(いづく)とても住めば宿 誠に考えてみれば、何処であっても住めばそこが家
地 住まぬ時には故郷もなし。この世はそもいづくの程ぞや
住まなければ故郷もない。そもそもこの世の命はどれ程あるのでしょうか。
シテ 牛羊径街(ごようけいがい)に帰り、鳥雀(ちょうじゃく)枝の深きに聚(あつ)まる
牛や羊は険しい家路を帰り、鳥や雀は生い茂った枝に集まる
説明 杜甫「牛羊帰径険 鳥雀聚枝深」
地 げに世の中は徒(あだ)波の、寄辺(よるべ)は何処(いづく)雲水(くもみず)の、身の果ていかに楢(なら)の葉の梢の露の故郷に
実にこの世の中ははかない波で、寄る辺はどこに、雲や水のようにこの身の果てはどうなるのか、梢の露が降る故郷の奈良に
シテ 憂き年月を送りしに 辛い年月を送っていましたが
地 さしも二世(ふたよ)とかけし仲の、契りの末は花鬘、結びも留めぬ徒(あだ)夢の永き別れとなり果てて
あれほど来世までと誓いを掛けた夫婦の仲の契りの末ははかなくて、花蔓を結びも留めもしないで、はかない夢の長い別れとなり果てて
シテ 比目(ひぼく)の枕、しき波の 比目のように枕をならべて敷いた
説明 比目:比目魚は二匹並んで泳ぐといわれることから、男女が枕を並べて寝ること。此目魚とは中国でヒラメを指す
地 あはれはかなき、契りかな あわれで、はかない契りでしたこと
奈良坂の、児手柏(このてがしわ)の二面(ふたおもて)、とにもかくにもねじけ人の、亡き跡の涙超す
「奈良坂の児手柏の両面のようにとにもかくにもひねくれた人」と歌われたようなひねくれた夫の亡き後の、涙があふれて
説明 万葉集「奈良山の、児手柏(このてがしは)の二面(ふたおもて)。かにもかくにもねじけ人の徒(とも)」
奈良山の児手柏の両面のように、ああも言うこうも言うねじけた野郎だ
説明 児手柏は、ヒノキ科コノテガシワ属、常緑高木。葉はヒノキに似ているが、枝が直立していて、表と裏の区別がはっきりしない
袖の柵(しがらみ)隙(ひま)なきに、思ひ重なる年なみの、流るる月の影惜しき
袖で涙を隙間なく留めたのに、夫への思いが重なる毎年の、流れる年月が名残惜しい
説明 袖の柵、隙なきに は、意味不明なので、とりあえず、袖を柵として涙を隙間なく留めたのに と訳しました
西の大寺の柳蔭、みどり子の行方白露の、置き別れて何地(いずち)とも知らず失せにけり
西大寺の柳の木陰で、幼子が行方知れずになり、置き別れて、どことも知れず失せてしまいました
一方(ひとかた)ならぬ思ひ草、葉末(はずえ)の露も青丹(あおに)よし、奈良の都を立ち出でて、かへり三笠山
ひとかたならぬ思いを抱いて、あおによし奈良の都をうち出でて、三笠の山を振り返り見つつ
佐保(さお)の川をうち渡りて、山城に井手の里、玉水は名のみして、影うつす面影浅ましき姿なりけり
佐保川をうち渡り、山城に出でて、井手の里にいたり、井手の里の玉水は名ばかりで、水面に映る私の面影はあさましい姿でした
かくて月日を送る身の、羊の歩み隙(ひま)の駒、足に任せて行く程に、
こうして月日を送る我が身の、羊の歩み幅程度の狭い駒足ではあるけど、足にまかせて進むうちに、
都の西と聞えつる嵯峨野の寺に参りつつ、四方(よも)の景色を眺むれば
京都の西と聞こえていた嵯峨野の寺に参拝しながら、四方の景色を眺めますと
シテ 花の浮木(うきき)の亀山や 桜の花が満開の亀山や
地 雲に流るる大堰川(おおいがわ)、まことに浮世の嵯峨なれや。
浮いた花びらが雲のように流れる大堰川、まことにこれぞ嵯峨ですが、これが本当に浮世の性(さが、習わし)なのでしょうか。
盛り過ぎ行く山桜、嵐の風、松の尾小倉の里の夕霞。
盛りを過ぎ行く山桜に、嵐山の風を待ち、松の尾や小倉の里には夕霞が立ち込めています、
立ちこそ続け小忌(おみ)の袖、挿頭(かざし)ぞ多き花衣、貴賎群集(くんじゅ)する、この寺の法(のり)ぞ尊(たっと)き。
立ってこそ続け小忌衣の袖、挿頭の多い花衣、貴賤が大勢集まるこの寺の仏法こそ尊いものです
説明 挿頭は、花や枝を髪や冠に差すこと、花衣は、花見のときなどの華やかな衣装
かよりもこれよりも、ただこの寺ぞありがたき。
あれよりもこれよりも、ただ、この御寺こそありがたいものです
かたじけなくもかかる身に、申すは恐れなれども、二仏の中間(ちゅうげん)我等如きの迷ひある。
畏れ多くもこのような身に、申し上げるのは恐縮ですが、二仏の中間の世に、私達のように迷える者の
説明 二仏の中間 とは、釈迦滅後と弥勒の出現の中間の世のこと
道明らめん主(あるじ)とて、毘首羯磨(びしゅかつま)が造りし赤栴檀(しゃくせんだん)の尊容(そんにょう)、
道を明らかにしようとする主として、毘首羯磨が作った毘首羯磨のお釈迦様の尊像は、
説明 毘首羯磨は、帝釈天に仕える工芸を司る神
やがて神力(じんりき)を現じて、天竺震旦(しだん)我が朝三国に渡り、ありがたくもこの寺に現じ給へり
直ちに神力を表して、天竺、震旦、わが国と三国に渡って、ありがたいことにこの寺に出現なさったのです
説明 震旦は、支那、中国のこと
シテ 安居(あんご)の御法(みのり)と申すも 安居の御法要と申すものも
地 おん母(はわ)摩耶夫人(まやぶにん)の孝養(きょうよう)のお為なれば、佛もおん母(はわ)を、悲しみ給ふ道ぞかし。
おん母摩耶夫人の孝養の為なので、仏もおん母をお悲しみになる道でありますよ
いわんや人間の身としてなどかは母(はわ)を悲しまぬと、子を怨み身を喞(かこ)ち、肝胆してぞ祈りける
まして人間の身としては、どうして母を悲しまないことがありましょうか。我が子を恨み、我が境遇を嘆き、真心を込めて祈りました
親子鸚鵡の袖なれや百萬が舞を見給へ 親子が会うための鸚鵡の袖となれ、百万の舞をご覧あれ
あら我が子、恋しや ああ、我が子が恋しい
シテ これ程多き人の中に、などや我が子のなきやらん。あら我が子恋しや我が子賜(た)べなう南無釈迦牟尼仏と
これ程大勢の人の中に、どうして我が子がいないのだろう。ああ、我が子が恋しい、我が子を下さい、南無釈迦牟尼仏
地 狂人ながらも子にもや逢ふと、至心(しじん)はなきを、南無阿弥陀仏、南無釋迦牟尼仏南無阿弥陀仏と
私は狂人ではありますが、我が子に会うことができるかと、深い信仰心はないままに、南無阿弥陀仏、南無釋迦牟尼仏南無阿弥陀仏
心ならずも逆縁ながら、誓ひに逢はせて、賜(た)びたまへ
心ならずも逆縁ではありますが、ご誓願にあわせて、お与えください
ワキ 余りに見るも傷はしや、これこそおことの尋ぬる子よ、よくよく寄りて見給へとよ
あまりに、見るも痛ましい、さあ、これこそあなたの尋ねる子ですよ、よく近寄って見なさいませ
シテ 心強(こころづよ)や、疾くにも名のり給ふならば、かやうに恥をば曝(さら)さじものを。あら怨めし。とは思へども
まあ、意地の悪いこと、すぐにもお名乗りになれば、このように恥じをさらしたりはしなかったのに、ああ、恨めしいとは、思いますが、
地 たまたま逢ふは優曇華(うどんげ)の花待ち得たり、夢か現(うつつ)か幻か
偶然会うことができたのは、三千年に一度咲く優曇華の花を待つことができたのです、夢か現か幻か
よくよくものを案ずるに、よくよくものを案ずるに。かの御本尊は元よりも、衆生の為の父なれば、母(はわ)諸共に廻り逢ふ。
よくよく思案するに、よくよく思案するに、御本尊の釈迦如来さまは、衆生のための父なので、母共々にめぐりあうのです。
法(のり)の力ぞありがたき。願ひも三つの車路(くるまじ)を、都に帰る嬉しさよ、都に帰る嬉しさよ
仏法の力こそ有難い、願いが満ちて、車路を、都に帰る嬉しさよ、都に帰る嬉しさよ
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