吉本隆明 夏目漱石を読む (2002, 2009) |
2026.11.04
この本は、吉本隆明さん(1924-2012)が行った下記の講演をまとめて、2002年に筑摩書房から出版されました。
1990年7月31日によみうりホールで行った講演 渦巻ける漱石−「吾輩は猫である」「夢十夜」「それから」と、
1992年10月11日に紀伊国屋ホールで行った講演 青春としての漱石−「坊っちゃん」「虞美人草」「三四郎」と、
1993年2月7日に紀伊国屋ホールで行った講演 不安な漱石−「門」「彼岸過迄」「行人」と、
1991年7月30日によみうりホールで行った講演 資質をめぐる漱石−「こころ」「道草」「明暗」の
オリジナルの講演は、
糸井重里さんの「ほぼ日」 というサイトの中の、「吉本隆明の183講演 フリーアーカイブ」
の中に登録されています。
A127 渦巻ける漱石−「吾輩は猫である」「夢十夜」「それから」
A143 青春としての漱石−「坊っちゃん」「虞美人草」「三四郎」
これらの講演は、文字起こしされていて、上記のサイトで、「この講演のテキストを読む」を
クリックすると読むことができますし、テキストをダウンロードすることもできます。
この本は、2003年の第2回小林秀雄賞を受賞しました。
文庫版には、関川夏央さんの解説「私たちが漱石を持ち吉本隆明を持つ幸運」が付いています。
一部分を紹介します。
282頁
『門』を含め、漱石の小説に出現する三角関係が、西欧のような不倫小説、恋の手管の小説には絶対ならないのはなぜか。
三人のうちの誰かが、あるいは全員が破滅しなければすまぬといった方向へ進行するのはなぜか。
吉本隆明の立てた問は、まさに近代日本と近代日本文学の本質を衝いている。
三角関係における男たちは、かならず親友同士である。同性愛に近い緊張感をはらんでさえいる。
ゆえに、「それから」に強い刺激を受けた武者小路実篤が、大正8年(1919年)に書いた小説『友情』も、おなじ構造を持たざるを得なかった。
(中略)
昭和になると、小林秀雄、長谷川泰子、中原中也の三人が、この独特の関係のありかたを実人生上で実践する。
こちらでは、突然姿を消した小林秀雄が頼った先が、当時奈良にいた志賀直哉のもとであったのは象徴的だ。
みな漱石山脈の谷や尾根を歩き続けている。
漱石の、三角関係への執着、あるいは癒しがたい悔恨の源がどこにあったかはわからない。
江藤淳は、漱石のすぐ上の兄とその妻であった登世との関係を強調する。・・・・・
きっかけとしてそういうことがあったということは大いにあり得ても、おもに漱石の資質だろうという。
並みはずれて強い自責と悔恨の念を肥大させかつ普遍化して、文学化しなければ決してやまなかった資質である。
それは、幼少時の育ちに発して学生時代にはぐくまれ、ロンドン留学体験によってときに病症を呈するまでに発展した、その資質である。
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