与謝野晶子 新訳源氏物語 (2001) 

2018.10.19

 島内さんの「文豪の古典力」を読んで、今、流通している与謝野晶子訳の源氏物語は、

1938−1939年(昭和13-14年)に出版された新新訳源氏物語で、

1911-1912年(明治45年-大正2年)に出版され、初めての文学的翻訳として当時広く読まれた新訳源氏物語とは異なることを知りました。

 与謝野晶子は、1942年(昭和17年)に亡くなり、生前、新新訳は、余り売れませんでしたが、

終戦後、多数の出版社から出版され、広く普及するようになりました。

 『新新訳源氏物語』のあとがきに、晶子は、次のように語っています。

 私は今を去る28年の昔、金尾文淵堂主の依頼によって、源氏物語を略述した。

新訳源氏物語がそれである。森林太郎、上田敏 二博士の序文と中沢弘光画伯の絵が添っていた。

その三先生に対して粗雑な解と訳文をした罪を爾来二十幾年の間私は恥じつづけて来た。

いつかは三先輩に対する謝意に代えて完全なものに書き変えたいと願っていたのであるが実現は困難であった。

 

 新訳は、抄訳で、新新訳は完全訳なのですが、新訳の後書きを読むと、晶子は抄訳であることを誇っています。

 源氏物語は我が国の古典の中で自分が最も愛読した書である。

正直にいえば、この小説を味解する点について自分は一家の抜き難い自信をもっている。

 この書の訳述の態度としては、画壇の新しい人々が前代の傑作を臨模[模写]するのに自由模写を敢えてする如く、

自分は現代の生活と遠ざかって、共鳴なく、興味なく、徒に煩瑣を厭わしめるような細個条を省略し、

主として直ちに原著の精神を現代語の楽器に浮き出させようと努めた。細心に、また大胆に努めた。

必ずしも原著者の表現法を襲わず、必ずしも逐語訳の法に由らず、原著の精神を我が物として訳者の自由訳を敢えてしたのである。

(中略)

 なお、従来一般に多く読まれていて難解の嫌いの少ないと思う初めの桐壺以下数帖までは、

その必要を認めないために、特に多少の抄訳を試みたが、

この書の中巻以後は原著を読むことを煩わしがる人々のために意を用いて、殆ど全訳の法を取ったのである。

 

 晶子は、意図的に全訳ではなく、抄訳をしたのですが、何故、それを恥じて新新訳を出したのでしょうか。

  

  新訳の序文で、上田敏は、源氏物語の現代口語訳が与謝野晶子の筆に成って出版されることを知って、

適当の時期に、適当の人が、この興味あってしかも容易からぬ事業を大成したのは、文壇の一快事だと思う と祝したあと、

昔読んだままのあの物語の記憶から、所々の忘れ難い句が念頭に浮かぶ と述べて、

「野分だちて、にはかにはだ寒き夕暮れの程は、おぼしいづること多くて」という桐壺の帝の愁い など、

いくつかの名場面を挙げています。

 この桐壺帝の場面を、晶子は、新訳で、以下のように抄訳しています。

ある日、秋誓い冷たい風の吹く夕方に、また靫負の命婦という人をお使いにやられた。

 

 晶子は、これを抄訳しすぎたと恥じたのかもしれませんが、上田敏は、抄訳の必要性を以下の様に説明しています。

 しかも時代の変遷は自ずから節奏[リズム]の変化を促し、旋律[メロディ]は同じでも、拍子[テンポ]が速くなる。

それゆえ古えの文章に対する時は、同じ高低、同じ連続の調子が現れていても、何となく間が延びているため、

とかく注意の集中が困難であり、多少は努力なくては、十分に古文の妙を味わえない。

古文の絶妙なる一部分を詞華集[アントロジー]に収めて、研究玩味する時は、原文の方がよかろう。

しかし全体としてその豊満なる美を享楽せむとするには、一般の場合において、どうしても現代化を必要とする。

与謝野夫人の新訳はここにその存在の理由を有していると思う。

 したがってこの新訳は、みだりに古語を近代化して、一般の読者に近づきやすくする通俗の書といわんよりも、

むしろ現代の詩人が、古の調べを今の節奏[リズム]に移し合わせて、歌い出た新曲である。

これはいわゆる童蒙[何も知らない子供]のためにもなろうが、原文の妙を解し得る人々のためにも、

一種の新刺激となって、すこぶる興味あり、かつ裨益する[役立つ]所多い作品である。

と、語り、最後を以下の様に結んでいます。

この新訳は成功である。

 晶子は、この新訳を、明治44年1月から大正2年10月という短い時間で書きあげました。

晶子は、別途、源氏物語講義 というより詳しい翻訳を進めていたのですが、こちらの翻訳の話がきたときに、すぐ受けました。

お金の必要があったためです。

 晶子は、源氏物語の最初は、かなり大胆に抄訳しましたが、後半では、殆ど、全訳したと書いています。

 

 晶子の新訳は、新新訳の出版後、絶版となっていたのですが、2001年に、角川から出版され、読むことが出来るようになりました。

これから、ゆっくり全体を読んで、訳し方の違いの変遷を味わってみたいと思います。

 

 

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