イェイツ 鷹の井戸 (1917) |
2020.2.25
私は、イェイツの戯曲「鷹の井戸」を、杉本博司さんのパリ・オペラ座でのバレー公演で初めて知りましたが、
松岡正剛さんは、ずっと以前からご存じで、松岡正剛・千夜千冊 (2020年2月21日で、1733夜) でも、
わりと初期の 2002年4月15日の518夜で、とりあげておられます。
https://1000ya.isis.ne.jp/0518.html
松岡さんは、イェイツではなく、昔風のイエーツという表記をお使いです。
イェイツ (1865-1939) は、日本の能に触発されて『鷹の井戸』を書いたといわれていますが、
松岡さんは、厳密にいうと、こうであると、以下の様に詳しく説明されています。
米国人アーネスト・フェロノサは、日本滞在中(1878-1890)に、平木禿木に伴われて、梅若実に能の謡を教わったのですが、
1908年に亡くなった後、フェロノサ未亡人が、フェロノサの能に関する草稿と訳稿を、
詩人で米国人のエズラ・パウンドに届けます。パウンドは、これを読んで驚き、研究を加えて、
1916年に、フェロノサ、パウンド共著で「能:日本の古典演劇の研究」として発表します。
エズラ・パウンド (1885-1972) は、1908年にロンドンに移り、イェイツと親交を結び、1913年からは秘書として働いていました。
イェイツも、1914年くらいから、グレゴリー夫人が集めたアイルランドの神話や伝説を調べていましたが、
パウンドから、能の話を聞いて、アイルランドの幻想と、能の幻想は通底しているのではないかと感じ、
戯曲「鷹の井戸」の執筆を1915年に開始し、1916年にロンドンで上演し、1917年に出版しました。
1916年の上演のとき、鷹の女を日本人ダンサー伊藤道郎が演じました。
1939年に伊藤道郎が帰国して、日本でも、「鷹の井戸」を上演しましたが、
横道満里雄が、改作して、翻案新能「鷹の泉」とし、1949年に初演しました。
横道は、更に手を加えて、「鷹姫」とし、1967年に初演して、観世寿夫が演じましたが、
それを松岡さんも御覧になったそうです。
松岡さんは、「この『鷹姫』は、さらに高橋睦郎によって発展せられ」と書かれているので、調べたところ、
高橋睦郎さんの書いた「能の時空とイェイツ」という講演を見つけました。
http://the-yeats-society-of-japan.jp/wp-content/uploads/2017/YeatsStudiees/YeatsStudies31.pdf
興味ある方には、是非、読んでいただきたいのですが、最初の部分を少し、引用します。
今日の「能の時空とイェイツ」という題なんですが、できるだけ大げさな題をつけておけば、
後でつめることができるので、大げさな題をつけておきました。
内容としては<イェイツ原作、松村みね子訳『鷹の井戸』の能化について>とでも考えていただければいいかと思います。
1990年の12月22日と23日、渋谷松涛の観世能楽堂において、観世寿夫13回忌記念能というのが行われまして、
そのための作品を橋の会という能を上演する団体から委嘱されまして
イェイツの『鷹の井戸』を能にすることになりました。
橋の会という会自体が、観世寿夫という、僕はこの人は 100年に一度現れるか現れないかの大天才
だと思っておりましたけれども、この方の追慕の気持ちから生まれた会なんですけれども。
そういう意味で、寿夫さんの13回忌の企画になったのです。
観世寿夫さんという方は、横道萬里雄さんの『鷹姫』という作品を数度上演 されてお りま した。
僕もそれを何度か見てますけれども、横道萬里雄先生というのは能楽界の大長老であられる方ですか ら、
そういう方の『鷹姫』という作品があるのに、何故僕のところに依頼が来たのかということで、
改めて『鷹姫』の台本を再読 してみたんですが、『鷹姫』は、能の構造文体というものを
どこまでイェイツの戯曲の『鷹の井戸』あるいは『鷹の井戸にて』に近づけうるかという
1つの試みだったのだとの結論に達 しました。
イェイツの戯曲の『鷹の井戸にて』は、正直言って能とはいえないもので、まったく別種のものですから、
これをどこまで、つまりこの戯曲に能の文体、文脈をどこまで近づけるかというのが横道先生の試みだったと思います。
それなら逆にイェイツ『鷹の井戸 にて』をどこまで能の文脈、文体に近づけうるかという、
そのことが僕のやるべき仕事ではないかと考えたんです。
そこで当然能 とは何かという問題になってくるわけですが、これは野上豊一郎先生はじめ、
さまざまな定義の可能性がありますけれども、その中の1つ の可能的定義として、例えば僕はこういうふうに考えます。
それはワキという霊媒をたてて、歴史上または伝説物語上の人物をシテとして呼び出 し、
その特殊な生と死の磁場を語らせることで人間一般の生と死の本質を照 らし出す。
そういう劇構造をもったものが能だろうかと思います。
それはワキが多くの場合仏僧か神官であることが証明しているといえるのではないか。
(中略)
いずれに して も、こういうワキという霊媒をたてて、シテとしての歴史上、伝説上の人物を呼び出すという一種の降霊術。
降霊術に大変深入りしたイェイツが、能についてパウンドを通 して、いろいろ教えられかつ理解を深め、惹かれたのは当然だろうと思います。
ただ、イェイツの能の導入役を果たしたパウンドの能理解ということ自体、当時の文化格差からいって当然のことなんですけれども、かなり誤解がある。
そしてそのパウンドを通して、イェイツが理解した能はさらに、誤解が増幅しているということは十分考えられるわけで、
その結果『鷹の井戸にて』というような大変な玄妙不可思議な作品が生まれたわけですが、
それはある意味ではかえって幸せだったと思うんですね。
逆にその能でもヨーロッパ劇でもないものが出現することによって、能の本質を証明してくれたことになるからです。
高橋さんの講演は、まだまだ続きますので、興味をおぼえられた方は、是非、読んでください。
2016年に上演された「鷹姫」は、横道萬里夫さんの1967年のものか、高橋さんが手を加えた1990年のものかは、わかりません。
さて、「鷹の井戸」に、5種くらいの翻訳があるようですが、入手可能なのは、3種です。
一つは、松村みね子訳で、角川文庫として初版が1953年、復刊が1989年に出版されました。
松村みね子は、ペンネームで、本名は、片山広子 (1878-1957)です。
歌人、随筆家で、アイルランド文学の翻訳のときに、このペンネームを使われました。
2つ目は、高橋康也訳で、白水社の現代世界演劇2 (1971) および、筑摩世界文学大系71 (1974) に収録されています。
高橋康也 (1932-2002) さんは、英文学者で、多数の翻訳も出版されています。
3つ目は、風呂本武敏訳で、タイトルは『鷹の泉』となっていて、山口書店のイェイツ戯曲集 (1981) に収録されています。
風呂本武敏 (1935-) さんも、英文学者で、多数の翻訳も出版されています。
私の手元には、松村訳と、高橋訳があります。
松村訳は、日本語の戯曲の体裁のために、かなり意訳されていますが、
高橋訳は、かなり原典に忠実に訳されています。
現在、原文の英語テキストの対訳を進めていますので、そのうち、アップする予定です。
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