矢沢潔 経済学はいかにして作られたか? (2001) |
2020.4.28
本書は、矢沢サイエンスオフィスの経済班というグループが編纂したものです。
古本屋でみつけたのですが、普通の経済学の本とは、見た目が違うので、購入しました。
最初のところに、この本の目的は、
経済学や経済理論がどのようにして作られたのかを歴史物語あるいは人間ドラマとして描き出し、
これを読んだすべての読者を、日本経済や世界経済を熱烈に議論する人へと誘惑することだ
と書かれています。
なかなか全体を読み通すことはできませんが、まず、少しずつ読んで、内容を紹介したいと思います。
さて、新型コロナ禍は、経済に大きな影響を与えつつあります。
コロナが去ったあと、経済は、ちゃんと蘇ってくれると、期待していますが、蘇らないかもしれません。
第二次大戦後、日本の経済は、めちゃくちゃでしたが、日本は、蘇りました。
しかし、それは、世界経済の中に、上手に組み込まれることができたからです。
世界経済が、駄目になっていたら、日本も、簡単には再生できなかったかもしれません。
新型コロナ禍が終わった時に、世界経済がどこまでダメージを受けているか、まだ、知りませんが、
大恐慌以来の落ち込みとも言われているので、まず、アメリカで発生した大恐慌と、
それに対してアメリカのとったニューディール政策について、復習してみたいと思います。
本書の、35-38頁に、「世界恐慌」はこうして起こった という記事があります。
1929年、アメリカは、空前の経済的繁栄を謳歌していました。
しかし、10月24日、株価の大暴落が起きる『暗黒の木曜日』が起こりました。
当時のフーバー大統領は、アメリカ経済は健全で、繁栄は続いているのだと声明をだしましたが、効果はありませんでした。
1930-31年にアメリカの何百万人もの農民が農場を失いました。
1932年には、自動車生産は、株価暴落前の24%まで激減しました。
1933年に、アメリカの失業率は25%以上になりました。
当時、このような大規模な不況が起こることを予測した経済学者は、一人もいませんでした。
当時の主流であった新古典派の経済学者達は、大恐慌が始まった後でも、
生産と雇用の低下は一時的なもので、状況はすぐに戻ると断言しました。
1936年に、ケインズは、新古典派の主張とは逆に、「経済は本質的に不安定である」といいました。
生産や価格や失業率に小さな動揺が起こると、市場の『見えざる手』によって均衡を取り戻すのではなく、
むしろしばしば増幅されて深刻な不況に発展すると分析しました。
本質的に不安定な市場に対しては、政府が介入して、仕事や所得を創り出す必要があると主張しまた。
続けて、39-43頁の ルーズベルトと「ニューティール」の結末 も、紹介します。
1933年に、ルーズベルト大統領が着任したとき、「大恐慌」は、4年目で、危機の最中でした。
ルーズベルトは、当初、ケインズに助言を求めましたが、ルーズベルトが実施したニューディール政策は、
ブレイン・トラストと呼ばれる私的なグループの助言によるものでした。
だが、ニューディールの下で行われた補助金交付や公共投資によって政府支出が激増すると、
アメリカ国民は国家財政が破綻するのではという不安を抱いた。
ニューディールは、最初の3年間は失業者を多少とも救済したものの、
1937年まで経済回復の兆しはほとんど見られなかった。
そしてようやくこの年、工業生産はいったん大恐慌直前の1929年の水準に戻り、回復が本格化したかに見えた。
そこでルーズベルトが赤字財政から脱するために政府支出を抑えると、生産が急落して景気はふたたび失速した。
一方この時期、ヨーロッパや極東アジアには不穏な空気が漂っていた。
1938年、ついにドイツはオーストリアを併合し、39年にはポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が場舞った。
1941年12月には日本軍がハワイの真珠湾に奇襲攻撃を加え、日米間でも全面戦争が始まった。
大恐慌への対策は、第二次世界大戦の勃発という流れの中に、飲み込まれてしまいました。
今後の世界経済が、どれだけダメージを受け、どのように回復していくのか、注視したいと思います。
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