安田登 能 650年続いた仕掛けとは (2017)

2018.6.1

 安田さんの本は、去年、ウォーキングの本を紹介しましたが、他にも何冊かもっていて、順次紹介したいと思っています。

2冊目に、この本を、取り上げました。

 出だしが印象的なので紹介します。

 初めて能の舞台を見たのは、高校教師をしていた24歳の頃のことです。

それまで、音楽には夢中だったものの、血道を上げていたのはジャズなど西洋の音楽でした。

能など全然観ていなかったのです。

 全然どころか、存在は知っていたものの「あんなしんき臭いの見てられるか」と、どちらかというと否定的でさえありました。

それがいまやその「しんき臭いの」を仕事にしているのだから人生はわからない。

その最初の能鑑賞だって、高校の同僚の美術の先生が、一緒に行く人が急にだめになったからと誘ってくれた席でした。

 ですが、この最初に観た舞台で、「幻視」をしたのです。

この時の『松風』という演目は須磨の浦(現在の神戸市須磨区付近)が舞台なのですが、はっきり水面に浮かぶ月の風景が見えた。

こういうと怖がられるかもしれませんが、集中して舞台やパフォーマンスを見て何かを読みとろうとすると、

フィクションの情景が実際に思い浮かぶものです。

それがこの時の私でした。

(中略)

 よく、「能はわからない」と言われます。

ですが、バンドに明け暮れていた自分がここまで夢中になって続けてこられた魅力を話したい、そんな風に思っています。

なにしろ能は、やっていてお得なことが多い。

よく言われますが単に「眠くなる」だけだったら、そもそも650年も愛され続けるわけがありません。

 能を芸能として大成させたのは世阿弥ですが、信長、秀吉といった戦国時代の雄のみならず、

式楽化(公式行事で使う芸能として認定)し政治のシステムに組み込んだ徳川幕府、

それを強固にした歴代の将軍や大名たち、明治の功労者たちに至るまで、

各時代のトップマネジメントのための芸能として優れているからにほかなりません。

松尾芭蕉や夏目漱石の創作が能に裏打ちされていることは、あまり知られていませんが、事実です。

(中略)

 今や、新しく門を叩く若い知識層の方が増えています。

皆さん、生来の勘のよさでこの能の効能に鼻が利くようです。

いったいなにがそんなに長年の間、一定数の熱狂的ファンを生み出してきたのか、

日本を導いたエリートたちをとりこにしたものはなにか。

 その秘密を、この一冊でお伝えしていきます。

 

第一章 能はこうして生き残った

第二章 能はこんなに変わってきた

第三章 能はこんなふうに愛された

第四章 能にはこんな仕掛けが隠されていた

第五章 世阿弥はこんなにすごかった

第六章 能は漱石と芭蕉をこんなに変えた

第七章 能は妄想力をつくってきた

第八章 能を知るとこんなにいいことがある

 

 以下に、いくつか興味深い所を紹介します。

22頁

 織田信長が幸若舞の『敦盛』で「人生五十年〜」の節を舞ったことはよく知られています。(中略)

テレビなどの影響で、本能寺の変で自害の直前に舞ったと思っている人が多いのですが、

信長の伝記である『信長公記』によれば、信長がこれを舞ったのは桶狭間の戦いの前です。

 

56頁

 謡は、古典や、土地の物語や神楽を選りすぐった「名場面集」とも言えます。

その編集者は観阿弥・世阿弥をはじめとする能作者たちです。

そして世阿弥は、『源氏物語』や『平家物語』などの古典を舞台で上演できるようにした。

言わば、古典の立体化という偉業を成し遂げました。

これは世界的に見ても、刮目すべき功績です。こういうことをしている人はいません。

 

124頁

 小宮豊隆、野上豊一郎、野上弥生子、安倍能成など、夏目漱石と親交のあった人や門人の多くは能の謡を習っていますが、

そのきっかけを作ったのは高浜虚子だったようです。

虚子の出身地の松山は下掛宝生流の謡が盛んで、実家は代々宝生流と深い関係がありました。

なんと自身も数度、ワキとして舞台を勤めたほどです。

 

129頁

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。

 『草枕』冒頭の有名な一節です。

人はどうも情に流されていまうものだ、だから本来は情というものは邪魔なのではないか。

イギリスに渡った漱石は考えました。そして『草枕』の主人公は情を超越した旅、すなわち「非人情の旅をしよう」と旅に出ます。

 この旅で、主人公の洋画家はワキで、山中の温泉宿へ行き、宿で那美という若奥様と出会います。

彼女がシテということになるのか、その別れた夫との邂逅を通して、戦争による死やそれをもたらした西洋文明を語ります。

 

158頁

 鎌倉時代に後深草院二条が自伝形式で日常を綴った『とはずかたり』には、源氏物語ごっこのような遊びが書かれており、

古典を遊び直す試みは既に公家文化の中にあったことがわかります。

ただそれを劇として見せたのは、世阿弥が世界でも初めてです。

海外を見わたしても、さまざまな形態を試みた古代ギリシャ演劇にさえ、古典を立体化させたものはほとんどありませんし、

シェイクスピアには古典から材を取ったものは多くありますが、世阿弥のような古典の立体化とはちょっと違います。

 最近では、『テニスの王子様』や『弱虫ペダル』といったコミックが、ミュージカル化あるいは舞台化されていて、

「2.5次元」というジャンルが確立されているそうです。(中略)

思えば、宝塚歌劇団はこの動きを先取りした存在だったといえるでしょう。

 

 

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