山崎庸佑 人類の知的遺産 ニーチェ (1978) 

2018.1.22

 この本は、ニーチェの哲学全般に関する解説書ですが、今、私は、ニーチェが明治期の日本の思想界にどんな影響を与えたかについて調べるために、この本を読んでいます。

 さて、ニーチェは、既存の価値を否定し、ニヒリズム(虚無主義)の到来を予言しました

 そして、そのニヒリズムの世界において、私たちの取りうる態度が、二つあると指摘しました。

 受動的・消極的ニヒリズム  絶望と、疲労困憊で、周りの状況に身をまかせ、受動的に生きる態度。

 積極的・能動的ニヒリズム  既存の価値がない中で、自ら積極的に価値や仮象(appearance)を生み出して積極的に生きる態度。

 ニーチェは、積極的ニヒリズムを肯定し、超人(overman, superman, super-human)であるべきと説きました。

 

 ここで、山崎さんの言葉を、少し引用します。

 世界は、そして、その世界のなかの私は、なにゆえに存在するか。私はどこからきて、どこへいくのか。

この謎は、我々各人が、各人の仕方で、各人の生涯をかけて追及すべきものである。

 ニーチェの思索と生涯もまた、この存在の謎への挑戦であり、「人生が生きるに値する」ことを確かめようとした彼の戦歴は、

我々各人において戦われるべき終わりなき悪戦苦闘に、なにほどかの援助と示唆をあたえてくれるであろう。

それはまた、我々の先輩達が、無意識にもせよ、ニーチェに求めたものであったろう。

 もっとも、後述する高山樗牛、登張竹風の「個人主義」に始まり、阿部次郎の「人格主義」に至るまでの、明治・大正期の代表的なニーチェ受容のあとをみて、

今日恐らく誰もが不思議に感じるのは、ニーチェの名前から反射的に連想され、存在の謎への挑戦の具体的な動機となるはずの

「ニヒリズム」の問題が、散発的な例外(例えば夏目漱石)を除けば、殆ど話題の前面にでてきた形跡がないことであろう。

 これはおそらく、文化に対する根底からの懐疑というものを知らず、大勢としては、ひたすら文明開化の道を邁進した明治、

およびその余光を受けつつ教養主義の微温を保ちえた大正の雰囲気に生きた人達と、

第二次世界大戦をはさむ昭和という動揺と変化の時代を生きる我々との時代的な差異にもよるであろう。

 『西洋の没落』(1918-22年)で知られるシュペングラーは、ニーチェがおかれた歴史的状況はどこまでもヨーロッパ的であり、

デカダンス、ニヒリズム、価値転換、力への意志、ディオニュソス的なものといった概念は、ただ西洋文明の本質に深く関係するだけだとし、

わざわざ日本人の例を出して、「日本人が・・・・・ツァラツストラと何の関係があるだろう」と付け加えている。

(中略)

 シュペングラーと同系統とされる歴史家トインビーによれば、ある文化を解体し、思想・宗教・文芸・道徳・政治・科学・技術、等々の構成要素を考えてみたとき、技術のように精神的な価値の低いものほど、他の文化圏に浸透しやすい。
(中略)
これは一種の歴史法則であり、そのうえトインビーも指摘したように、異質の文化圏から放射される文化的に価値の低い要素は、放射を受けた文化の最も深い所をも、いずれは毒するようになるであろう。

 ヨーロッパの科学革命と産業革命に端を発した技術や政治経済上の諸関係は、今日、地球上のいかなる地域に対しても孤立的であることを許さない。

確かに、技術や制度の上では、いわゆる合理化の波が地球全体をおおい、世界を全く均質化しかねない勢いにある。

しかも、日本に関する限り、欧米の科学技術の摂取に忙殺されていた時代ならとにかく、

戦後の今日では、放射された「文化的価値の低い」もの、つまり、単にヴィタールなもの・生活力的なものが、

我々の側のより精神的な層にまで影響を及ぼし始めていることも、おそらくは万人の実感するところであろう。

(中略)

 私は今、「欧米の科学技術の摂取に忙殺されていた時代ならとにかく、戦後の今日では」と述べたが、

しかし、単にヴィタールなもの・生活力的なもの第一主義の技術的メンタリティによる精神の混乱は、

明治・大正期においても、第一級の知識人の意識がすでに映していた混乱である。

 例えば、読んだ英訳本『ツァラトゥストラ』に多くの量の書き込みを残し、また最近その研究もされている漱石の『それから』には、

「西洋の圧迫」や「欧州から押し寄せた津波」について、次のような言及がみえる。

  こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、ろくな仕事はできない。

  ことごとく切り詰めた教育で、そうして目の廻る程こき使われるから、揃って神経衰弱になっちまう。

  話をしてみたまえ、大抵は馬鹿だから。

  自分の事と、自分の今日の、ただ今の事より外に、何も考えてやしない。

  考えられない程疲労しているんだから仕方がない。

  精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴っている。

  のみならず、道徳の敗退も一所に来ている。

  日本中何処を見渡したって、輝いてる断面は一寸四方も無いじゃないか。悉く暗黒だ。」

(中略)

趣旨としては上記のものとだいたい同じ文明批評が、処女作『吾輩は猫である』にもみえ、

そこにはニーチェの名前も直接出てくるので、重ねて引用しておこう。

  とにかく人間に個性の自由を許せば許すほどお互いの間が窮屈になるに違いないよ。

  ニーチェが超人なんかかつぎ出すのも全くこの窮屈のやり所がなくなって仕方なしにあんな哲学に変形したものだね。

  ちっと見るとあれがあの男の理想のように見えるが、ありゃ理想じゃない、不平さ。

  個性の発展した十九世紀にすくんで ・・・・ 大将少しやけになってあんな乱暴を書き散らしたのだね。

  ・・・ あの声は勇猛精進の声じゃない、どうしても怨恨痛憤の音だ。

 独仙君の論議は、更に続き、

  吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果不自由を感じて困っている。

  それだから西洋の文明などはちょっといいようでつまり駄目なものさ。

  ・・・・ 見たまえ個性発展の結果みんな神経衰弱を起こして、始末がつなくなった・・・・

 漱石の文明批評の背後にうつ病を基盤にした個人的な不満があったというのは事実かもしれない。

また、英文学専攻でありながら、西洋への同化に反発し、西洋の自由圧をいいたてたのは、

明治・大正期の知識人では、確かに例外であったかもしれない。

しかし今日では、「欧州から押し寄せた津波」、あるいは「アメリカから押し寄せた津波」と、それによる混乱を意識しない人のほうがむしろ例外であろう。

戦後、ニーチェに対する関心が絶えず新たに喚起され、研究所の数も年を追う毎に増加している理由の一つも、

恐らくは、今日という時代のニヒルな精神状況にあるだろう。

 

 以上、漱石の先見性に関する山崎さんの指摘を、面白く拝読しました。

 

 

    

ホームページアドレス: http://www.geocities.jp/think_leisurely/

 


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