山崎紀美子 日本語基礎講座 三上文法入門 

2015.3.14

 手元に三上章さんの原典が無いので、山崎さんの本に基づいて、三上文法の要点を勉強することにします。クリティカル(批判的)に読むつもりですので、厳しい意見をいうこともありますが、それは山崎さんに対してではありません。三上文法のまとめの部分と、私の意見の部分が混在してまぎらわしいので、私の意見の部分は赤字にしています。

"主語"ではやっていけない

 日本語で、「Xは、」とか「Xが、」を表す文節を主語と呼びますが、主語とはよべない場合があります。その例として、

象は、鼻が長い

それは、私がします。

の二つが取り上げられています。「象は」と「鼻が」と二つの主語候補があるのは説明できない、「それは」は主語ではない。従って、日本語には主語はなく、「Xは」を題、「Xが」を主格とよぶことにしますと説明されています。

 しかし、この説明では、混乱が生じます。

「鼻が長い」は「背が高い」と同じ形ですので、「鼻が長い動物」「背が高い人」のように名詞を修飾する形容詞節とみなすことができます。従って、「象は」は、「鼻が長い」の主語、「鼻が」は「長い」の主語であると、どちらも主語であると説明することが可能です。

 また、「それは」は、主語ではなく、目的語です。「それを」という目的格に、副助詞「は」が作用して、「それは」になったものです。

 「Xは」を題と呼ぶことには賛成です。しかし、「Xは」は主語ではないのではなく、主語である題や、目的語である題や、「何々には」のように「何々に」に付加した題など、いくつかの場合があるので、主語ではない場合もあるということなのです。

題(topic)と解説(comment)

吾輩は猫である。
太郎は、次郎に花子を紹介しました。
この本は、友達が買ってくれました。

 これらの文において、「Xは」と残りの部分は、題(主題、題目)と解説の関係にあります。題と解説の関係は、日本語独自のものではなく、たとえば、英語では、topic-commentの関係として捉えられています。かなり普遍的な言語現象だと思われます。

 日本語には、たまたま、この題を明示的に表す「は」という助詞があるのです。

 面白いですね。「たまたま」だったのかどうか、いつか歴史を調べてみたい気分です。後ででてきますが、題は、ピリオド超えという強力な作用があります。

有題文と無題文

無題文 きのう花子がディズニーランドへ行った。
有題文 きのう花子は、ディズニーランドへ行った。

英語ではどうでしょうか

There is a book on the desk.  机の上に本がある。
It is raining.           雨がふっている。

これらの例に含まれる主語は、日本語に訳す場合に、「Xは」で訳すことはできません。なぜなら、題ではないからです。

 私は何々です。と自己紹介を始めるときは、私が題になっていて、私が何々でするというときは、題は私にではなく、ほかにあるということなんでしょうね。題とは、何か、もっとわかりやすい説明を思いつきたいものです。

格助詞「がのにを」

 英語では、名詞が格語尾を失い、わずかに代名詞において、主格、所有格、目的格という三つの格が区別されているだけです。

 英語が属すところの、インド・ヨーロッパ語族には、ロシア語のように六つの格を持つ言語もあれば、サンスクリットのように八つの格を備えている言語もあります。

 日本語は、といえば、「X+格助詞」を格変化と考えれば、サンスクリットに近いと言えるかもしれません。

Xが=主格、Xの=属格、Xを=対格、Xに=位格、Xへ(、に)=与格、Xから(、に)=奪格、Xで=具格、Xと=共格、

 「が」には、いくつかの用法があります。能動主格は、「何々する」という動詞の示す動作の主体を表します。所動主格は、「ある」とか「聞こえる」のよえに受身にすることのできない所動詞に係る主格です。

 部分主格は、形容詞文において、手前にある題の一部を表す主格のことで、「象は鼻が長い」の「鼻が」がそれにあたります。鼻は象の部分であると考えるのです。

無題化

 

 

         

ホームページアドレス: http://www.geocities.jp/think_leisurely/


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