山岡鉄秀 日本よ、もう謝るな! (2017) 

jump to 2022.05.10

2022.03.24

 2014年に、オーストラリアのシドニー郊外のストラスフィールド(Strathfield)という市の駅前の公有地に、

「慰安婦像」の設置運動が起きて4月1日に市議会で公聴会が開かれるはこびになりました。

そのとき、山岡さんは、現地に住んで、働いていましたが、

前日の3月31日に、仕事中の彼のパソコンに、

ある日本人女性のメッセージの拡散メールが届きました。

日本人の皆さん、明日の午後6時、市庁舎に集まってください!公聴会が開かれます!

 山岡さんは、至急関係者を集め、初対面の10名弱の人達と対策をねります。

少し引用します。33頁。

 明けて4月1日、私は平静を装っていつもどおり仕事をし、定時の午後5時きっかりに会社を出ると車に飛び乗った。

 ストラスフィールドは人口4万人弱。うち、中国韓国系住民が30%を占める。

夕暮れに白壁が浮かび上がる市庁舎の周囲に、何やら楽しげなお祭り騒ぎの一団がいた。

中高年の中国人・韓国人男性の群れだ。すでに戦勝ムードで歓談している。

三人のお地蔵さんのような銅像の絵を掲げて記念撮影に興じているグループもある。

普段は接することのないタイプの人々で、70〜80名はいるようだ。

 日本側もメールの拡散が効いたのか、主に女性が30人ほど集まっている。

 公聴会での論戦の様子は、是非、本書を読んでいただくとして、

論戦は、功を奏し、ダニエル・ボット市長は、

この問題は市で判断できる問題ではないので、州や連邦の大臣に意見を求めます。

と逃げて、先送りになりました。

 しかし、アボット首相、ビショップ外相達も、「これはあくまでも市の問題である」と逃げます。

 2014年9月に、市長が交代し、ジュリアン・バカリ市長になります。

市長は、問題に決着をつけず、先延ばしにしたのですが、2016年9月の市長改選の前の

2016年8月11日に、特別会議を開催して表決することになり、再度、公聴会が開かれます。

 公聴会の様子も、是非、本書をお読み下さい。

 結果、市長を含めた6人の全員一致で、慰安婦像設置計画は、否決されました。

 さて、今回の「慰安婦像」設置運動を指揮したのは「日本の戦争犯罪を糾弾する中韓連合

(the Korean committee of United Austral Korean-Chinese Alliance Against Japanese War Crimes)

という団体ですが、2014年9月に、以下の活動方針を、韓国系メディアに宣伝しました。

長くなりますが、引用します。43頁

1 我々は、日本政府の安倍首相および政治家が靖国神社に参拝したことに強く抗議し、

  韓国と中国に謝罪することを要求する。

2 我々は、日本の軍国主義復活、歴史修正主義、慰安婦や南京大虐殺のような戦争犯罪を

  豪州人、および豪州在住の韓国系中国系の第二世代に伝えるため、

  展示会、フォーラム、セミナーなどを行なう。

3 我々は、日本軍が朝鮮人、中国人、その他のアジアの若い女性を拉致して

  性奴隷にしたことを広く知らしめるために「三姉妹」の像を豪州に複数建立する。

4 我々は、世論を興し、日本政府に圧力をかけ、物言わぬ良心的日本人を目覚めさせ、

  日本が嘘の歴史を次世代に伝えることを阻止する。

5 我々は、アボット首相に、第二次世界大戦中、日本が侵略し、女性の基本的人権を蹂躙した

  ことを認めるよう、日本がアジアのなかで最良の友人だという認識を変えるよう、要求する。

6 我々は、豪州政府に、日本を同盟国と見做すのを止め、韓国と中国を日本と同等に待遇するよう、

  現在の日本重視の外交政策を変更することを要求する。

7 我々は、米国政府に、日本に騙されずに、安倍の狡猾な悪魔のような本音を重視し、

  日本が再び軍国主義に戻るのを阻止し、日本を韓国や中国より尊重する外交政策の転換を求める。

8 我々は、韓国と中国両国の利益のため、両国人民が共闘し、

  以上の目的が達成されるまで活動を続けることをここに宣言する。

 ここまで、あからさまに書くと、オーストラリアでの活動にさしつかえるのではないかと、私は思いますが、

彼らの目的は、基本、自国民の反日教育であり、その一環として、海外への反日活動をしているので、

反日教育の要素は隠しようがないのだと思います。

 山岡さんの、慰安婦像設置阻止活動については、以下の産経新聞のインタビュー記事でも、

読むことができます。

豪州に飛び火した慰安婦像設置運動は「反安倍・反日および日豪分断に過ぎない」 
JCN代表、山岡鉄秀さんに聞く

 

 さて、この本は、慰安婦像設置阻止以外にも、いくつかのテーマを扱っていますが、

もう一つ紹介します。山岡さんは、144頁で、以下のように語ります。

 いま、世界中に建っている慰安婦像を見て違和感を覚えないだろうか?

なぜ慰安婦があのように若いのか。まるで子どもである。

そう、あの慰安婦像は小学生だ。小学生の慰安婦など荒唐無稽だ。

では、なぜ存在しなかった小学生慰安婦が銅像になっているのか?

それには訳がある。

 1991年9月16日付朝日新聞大阪版に

「女たちの太平洋戦争 読者の手紙 教え子を女子挺身隊に・・・・・ 池田正枝(68)」という記事が載った。

要点は以下のとおりである。

 池田正枝氏は韓国生れの教師で、11、12歳の教え子の少女たちを挺身隊として半島から富山の軍需工場に送った。

敗戦時、5人の帰国を確認したが、残るひとりの消息がつかめず、46年間、悩み続ける。

しかし発見された少女は元気で、5人の子の母になっていた。

そこで「挺身隊の年長の人は従軍慰安婦に送られた」と挺対協の尹代表に言われ、

従軍慰安婦の苦しみ、教え子たちの苦悩を知らなかったこと、

南北分断の責任も私たちにあると反省した、

という内容だった。

 実際には、少女たちは全員日本の工場で働いて、無事に帰国していた。

ひとりは学校に報告しなかったので所在不明だった。

しかし、この記事がその後、とんでもない誤報につながっていく。

 1992年1月15日、当時の宮澤喜一首相訪韓の前日、朝日と提携関係にある東亜日報が

衝撃的な社説を掲載した。

「12歳の『挺身隊員』

 本当に天と人がともに憤怒する日帝の蛮行だった。

当時、この学校に勤務して、彼女らを挺身隊に送った日本人担当教師池田(68・女)は

『勤労挺身隊』に送ったと話している。(中略)

しか、それは真っ赤な嘘だった。

勤労挺身隊という名前で動員されたあと、彼女らを従軍慰安婦に回した事実が、

さまざまな人の証言で立証されているからだ。

池田が罪悪感のため、韓国の方向の空を眺めることができないまま独身で暮らしてきた

と話すことを見ても、池田は勤労挺身隊の正体が何かよく知っていたのだろう。

このように動員された従軍慰安婦は8万〜20万名と推算される」ます。

 これはどう見ても、完全な誤報ですが、これに対して、朝日イブニングニュースは、

2つの記事を発信します。

朝日イブニングニュース(1992年1月16日付)

韓国の女子小学生が日本兵の性奴隷にされたとの告発

(Korean Primary School Girls Alledgedly Used as Sex Slaves for Japanese Soldiers)

朝日イブニングニュース(1992年1月20日付)

韓国が慰安婦問題で賠償請求か

(ROK May Demand Compensation for Comfort Women)

 山岡さんは、この2つの記事を、重要であるとして、全訳を付けています。

一つ目の方は、長いのて、ここではふれませんが、2つ目の方を紹介します。

 韓国の外相は宮澤首相がソウルを離れたほんの数時間後、第二次世界対戦中、

日本軍相手の売春を強要された何万人もの韓国人女性に対する賠償を要求する可能性があると述べた。

 今週、公にされた書類によれば、11歳と12歳の小学生が日本に徴用されたことがわかっている。

日本は、少女たちは兵士のための調理や洗濯をするために徴用されたと述べているが、

新たに明らかになっている証拠は異なる事実を示唆している。

 最後の文章は、曖昧に書かれていますが、少女たちは、調理や洗濯以外のこともさせられた証拠があると述べて、

一つ目の小学生性奴隷の記事を、間接的に支持していると思われます。

 朝日新聞は、日本語版では、以下のような記事を書いています。

1992年1月16日付の大阪版

「韓国のマスコミには、挺身隊イコール従軍慰安婦としてとらえているものが目立ち、

韓国人の多くは『日本は小学生までを慰安婦にしていた』と受け止めている」

1992年3月7日、ソウル発コラム「透視鏡」

「韓国人の多くはいまも、挺身隊を慰安婦の同義語ととらえている。

挺身隊と慰安婦の混同に見られるように、歴史の掘り起こしによる事実関係の正確な把握と、

それについての情報交換の欠如が今日の事態を招いた一因になっているといえる」

 朝日は、情報交換の欠如を他人事のように書いていますが、

朝日イブニングニュースの2つの記事を読むと、

朝日新聞は、韓国の挺身隊と慰安婦の混同に無関係ではないと感じます。

2022.05.10

 前回は、この本の 第一部 オーストラリア発・慰安婦像設置をこうやって阻止した を紹介しましたが、

この本には、第二部、第三部 と別のテーマも取り扱っていますので、改めて、取り上げます。

 その前に、序 敗戦レジームという「死に至る病」 について、紹介します。

 ロシアのウクライナ侵攻により、非武装中立では駄目だという考えが、日本人の主流を占めるようになり、

今後、憲法改正の問題が、より真剣に語られるようになると期待しています。

 ロシアは、チェコやハンガリーの動乱を、武力で抑えつけたという歴史があり、

多国に軍事介入する国だということは、昔から、分かっていましたが、

ウクライナの場合は、ウクライナ軍が反撃し、長期的な戦争となり、

かつ、その内容が、日々、詳細に全世界に報道される状況下で、

ロシアの侵略は、許されてはいけないことであることが、

世界の民主主義国家の国民達の共通の考えとなりました。

 また、侵略されて、すぐに降伏しないためには、反撃能力がなければならないことも、わかりました。

 また、核兵器を持っていないと、ロシアという国は、核を使うぞと、脅してくる国であることもわかりました。

 日本国憲法の前文のように、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と、のんびり構えていては、

だめだということを理解しました。

 さて、この本の序 では、日本国憲法の九条第二項の以下の文言を取り上げています。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない

陸海空軍その他の戦力 とは、自衛のための戦力も、含まないのかとか、

交戦権とは、何かという問題がありますが、それよりも前に、

これを認めない とは、どういうことかというのが、著者の指摘です。

交戦権は、これを保持しない、というのなら、自分で自分を縛る憲法の文章ですが、

認めない とは、誰が、認めないのでしょうか

 これは、明らかに、連合国、もしくは、アメリカが、認めないのです。

これは、敗戦国の憲法です交戦権なるものは、認めてらえませんでした

 しかし、1951年のサンフランシスコ講和条約の第五条(c)で、以下のように承認されました。

連合国は、日本が主権国として国連憲章第51条に掲げる個別的自衛権または集団的自衛権を有すること、

日本が集団的安全保証取り決めを自発的に締結できることを承認する。

 そうです、日本は、独立国家として、自衛権を持つことが認められたわけですから、

日本は、自ら、堂々と、憲法を改正して、自衛権を有することをうたうべきなのです

 憲法改正の議論を許さなかった、日本のこれまでの論調に、おおいに憤りを感じます。

 

 ご意見等がありましたら、think0298(@マーク)ybb.ne.jp におよせいただければ、幸いです。

 ホームページアドレス: https://think0298.stars.ne.jp