山口謠司 日本語を作った男 上田万年とその時代 (2016) 

2016.11.29

 図書館で、この本を借りてきました。結構、部厚い本なので、ゆっくり読んでいます。

 主人公の上田万年さん (1867-1937) (万年は、かずとし と読むのですが、本人も、まんねん と言っているようです) は、

東京帝国大学国語学研究室の初代主任教授で、明治政府の国語調査委員会の主事を務め、新しい日本語作りに貢献した人です。

 

 さて、明治、大正、昭和、戦後、にかけて、日本語は、大きく進化しました。これら進化した項目を、一つ一つ取り上げて、

調べることは、それ自体興味深いことなのですが、私が、最も、知りたいと欲していることが一つあります。

 それを、本書の61頁に、明確に表現されているので、引用します。

 

 山本夏彦が言う文語文の「妙」は、「簡にして要を得る」ということである。

 中島敦の「山月記」などは、まさに百年ののちにしてなお、朗々と声に出して読みたくなる名文であろう。

   (山月記の引用。省略)

 しかし、こうした文章は、必ずしも説明文には向かない。思想は語ることができても哲学を論じることはできない。

中国で分析的な哲学が育たなかったのは、まさにこうした「簡にして要を得る」ことができる漢語の持つ限界でもあった。

 

 私にとって、漢文は、まだ、チンプンカンプンですが、文語は、簡にして要を得ていて、かつ美しい文章として、心に響きます。

しかし、簡にして要を得た文章では、難しく複雑な内容を語ることができないのです。

 一方で、何度でも繰り返し口にする、俳句、短歌、詩、さらには、歌詞は、説明的な文章ではなく、簡にして要を得た美文であることが必要です。

 

 私は、言語の持つ、この二つの方向性を、明確に意識しながら、日本語について、深く考えていきたいと考えています。

 

 この本では、森鴎外夏目漱石を、対極において、この問題を取り上げることを基調に、展開されています。

 

 

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