渡辺惣樹 誰が第二次世界大戦を起こしたのか (2017)

2019.6.11

 この本には、フーバー大統領『裏切られた自由』を読み解く という副題が付いています。

フーバー大統領 (第31代、任期1929-1933) の『裏切られた自由』は、米国で2011年に出版されました。

その邦訳が、2017年に、上下2巻、約1300頁の分厚い本で出版されました。その翻訳者が、渡辺惣樹さんです。

 『裏切られた自由』は、第二次世界大戦に至る政治状況を詳細に検証した本で、

フーバーは、これを大事業と呼んで取り組んでいたのですが、出版が目前となった

1964年に、フーバーは、90歳で亡くなってしまいました。

 死後、フーバー財団は、出版準備を進めましたが、結局、出版されませんでした。

その理由は、よくわかりませんが、従来の歴史観とは真っ向から対立し、

ルーズベルト大統領(FDR)の業績を批判する内容だったため、

反論の嵐が巻き起こるのをおそれたためだと考えられています。

しかし、ほぼ、50年たった2009年に、フーバー財団は、ナッシュを編集者に迎え、出版準備を進めて、

2011年に出版されました。

 『裏切られた自由』という書名は、意味深ですが、渡辺さんの本は、

誰が第二次世界大戦を起こしたのか」と、さらに、踏み込んだタイトルになっています。

 本書の136頁は、『戦争への道:ドイツと日本を刺激する (2) 日本を追い込む』と題して

以下のように書かれています。

 FDR政権は日本を徹底的に敵視する外交を進めていた。

ルーズベルトは「隔離演説」以来、日本をアメリカの敵国と見做した。

1939年7月には日米通商航海条約の破棄を通告し、条約は翌40年1月に失効した。

同年8月にはオクタン価の高い航空機燃料を、9月には屑鉄を禁輸した。

1941年6月には石油製品そのものが許可制となり、7月には日本の在米資産を凍結した。

8月には石油製品が全面禁輸となった。

 このようにとどまるところを知らない経済制裁は、FDR政権が仕掛けた戦争行為そのものであることは、

現代の歴史家、特に軍関係者の間では常識となっている。

 

 当時の近衛内閣は、アメリカとの和平の道を探っていましたが、果たす事ができず、

1941年10月18日に総辞職し、東条英機内閣が発足しました。

そして、12月8日に日本は真珠湾を攻撃し、アメリカが日本に宣戦布告し、太平洋戦争が始まりました。

12月11日に、ドイツ、イタリアもアメリカに宣戦布告し、第二次対戦は、世界大戦となりました。

 第二次世界大戦は、1939年に、ヨーロッパで開始し、1941年には、ドイツはソ連戦に突入していました。

 アメリカでは、世論が、ヨーロッパの第二次大戦に参加することを拒否していたのですが、

これを機にヨーロッパでの戦争にも参入することになります。

 

 真珠湾攻撃をきっかけに、アメリカが第二次世界大戦に参入することになったことから、

ルースベルト大統領が日本に経済戦争を仕掛けたのは、日本がアメリカに開戦させるためだったという説もありますし、

いや、日本が戦争を開始するとは思ってもいなかったという説もあります。

 フーバーは、アメリカの参戦に反対の立場をとっていましたが、

ヨーロッパ方面の外交に手詰まりしなっていたFDR政権が、日本に対して意地悪をしている、

ちょっかいを出しているという情報が、政権内部に近い者を通じてフーバーの耳にはいっていたそうです。

その全貌を知るための調査が、『裏切られた自由』となったわけですが、

渡辺さんは、この本の最後を、以下の言葉でまとめています。

 フーバーは、自身の感情を抑え、可能なかぎり資料に語らせることを心掛けた。

第二次大戦をこの『裏切られた自由』に触れずして語ることはもはやできない。

あの戦争は始まりも終わりも腑に落ちないことばかりであった。

『裏切られた自由』にはその「不可思議さ」を解く重要なヒントが溢れている。

生きているうちにこの書に巡り合えたことは幸運だったと思っている。

 

  『裏切られた自由』 が、どのような論調で書かれているのかを示すために、一か所引用してみます。

第41章 日本を刺激する方法 その四:真珠湾

 グルー駐日大使は何度も注意を促していた。

日本は、アメリカの言うとおりの国になるか、飢えて死んでしまうかの選択を迫られれば、

自殺行為(hara-kiri)になることがわかっていながら戦うことを選ぶ可能性がある。

(この警告どおり)日本は、12月7日(訳注:米国時間)に真珠湾を攻撃した。

 ルーズベルト大統領は、12月8日、議会で演説し、日本帝国に対する宣戦布告の承認を議会に求めた。

同11日には、ドイツおよびイタリアに対する宣戦布告を求めた。

こうして我々は第二次世界大戦に参戦した。

我が国の主要同盟国は、ソビエトと大英帝国となった。

 スチムソン陸軍長官は、どこかでアメリカが戦争に突入することをひたすら望んでいた。

彼は12月7日の日記に次のように書いた。

「日本が我が国を攻撃したとの報を受けた時、私の最初の感慨は、

これでようやく我が国がどっちつかずの立場にいることから解放されたというものだった。

(日本の真珠湾攻撃で)国民がようやく一致団結できる。」

 

 

 

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