宇山卓栄 民族で読み解く世界史 (2018)

2021.08.13

 この本は、世界史全般にわたっているのですが、今は、日本、朝鮮、中国に関わる部分を読んでいます。

 第7章は、「朝鮮人」とは何か というタイトルです。

 主要部分を抜き出しながら引用します。

 朝鮮人のルーツを要約すると、大きな2つの流れにまとめることができます。

それは、韓人と満州人の流れです。(中略)

 韓人とは、朝鮮半島の南部から中部にいた民族で、半島の中心的な原住民であり、

いわゆる朝鮮人の本家本元といえます。

韓人は1世紀ごろから馬韓・弁韓・辰韓という国をつくります。(中略)

後に5世紀ごろ、馬韓は百済に、弁韓は任那に、辰韓は新羅に、それそけれ発展していきます。

一方、満州人の存在も重要です。実は、この満州人の存在が朝鮮半島においてきわめて大きく、

長い歴史のなかで、彼らが朝鮮半島を事実上、支配し、韓人と混血を繰り返し、一体化していきます。

(中略)

 ソウルの南側を東西に流れる大河、漢江(ハンガン)があります。

おおまかにいうと、漢江を境にして北側が満州人のエリア、南側が韓人のエリアでした。

(中略)

 もともと、力の強弱でいえば、韓人よりも満州人のほうが圧倒的に強かったのです。

満州に広大で肥沃な平野部をもつ彼らは、人口も多く、中国との接触により、先進的な文化や技術を取り入れていました。(中略)

韓人の政権である新羅は農耕民族らしく封建的な身分制に固執したため、組織や社会が硬直化し、発展が阻害されていました。

北の満州人はこうした硬直を打ち破り、新たに新政権の高麗を樹立したのです。

 今日でも韓国では、南西部の全羅道の出身者は政財界では少なからず冷遇され、出世しにくいという傾向があります。(中略)

王建率いる高麗(満州人勢力)に対し、新羅(韓人勢力)と後百済(韓人勢力)が対立していました。

新羅はいち早く王建に降伏しますが、後百済は最後まで抵抗しました。

後百済は今日の全羅道の全州市や光州市に根拠をもつ王国でした。(中略)

最終的に王建が後百済を倒し、朝鮮を統一します。

 このとき、敵国の後百済の人々は、高麗によって奴隷民に貶められました。(中略)

全羅道の地域は搾取され続け、政権への大きな恨みが蓄積します。

韓人と満州人という民族の違いも、この恨みに輪をかけました。(中略)

 反体制的な性格の強い全羅道の光州市では1980年、民主化を求め、大規模な暴動が起きています。

軍がこれを鎮圧し、多くの死傷者を出しました(光州事件)。

  高麗の次の李氏朝鮮も、満州人政権ですが、満州人と韓人の混血が朝鮮半島全域で進み、

両者の区別は殆ど意識されなくなってきたそうです。

 

 さて、中国も、モンゴル人に征服されてとなったり、満州人に征服されてとなったりした歴史を持っています。

モンゴルは、チンギス・ハンの時代に広大なモンゴル帝国を樹立しました。

フビライ・ハンは、大都(現在の北京)を帝都に定め、元を樹立しました。

 モンゴルに支配されたロシア人は、モンゴルの支配を「タタールの軛(くびき)」と呼びました。

タタールは、モンゴル人を指し、くびきは圧政による自由の束縛を指します。

 しかし、モンゴル人の支配は、実際には、穏健なものだったそうです。

15世紀末に、ロシアの当時の政権が、民族意識を煽るために、この言葉をはやらせたのだそうです。

 現代の韓国が、日本統治時代に日本に搾取されたと反日教育を行なっているのと同じだにと感じました。

 ところで、モンゴルは、中国に対しては、穏健政策を取らなかったそうです。

本文を引用します。263頁

 モンゴルの各地での寛容な共存政策について、唯一、例外であったのが、中国人や中国文化に対する政策でした。

モンゴル人は非常に合理主義的な民族でした。

モンゴル人は、儒教をはじめとする中国文化に偏狭な守旧性を感じ取り、これだけは例外的に認めなかったのです。

 フビライは、漢字さえ国家の公用文字と認めませんでした。

フビライは、チベット仏教(ラマ教)を保護し、チベット仏教の教主パスパを国師とし、

彼にチベット文字を基礎とするパスパ文字をつくらせ、これを公用文字としました。

 

 

 

 ご意見等がありましたら、think0298(@マーク)ybb.ne.jp におよせいただければ、幸いです。

 ホームページアドレス: https://think0298.stars.ne.jp