玉上琢弥 源氏物語評釈 (1964) |
2017.12.11
玉上琢弥(たまがみたくや)(1915−1996) さんは、京大国文科で、澤瀉久孝(おもだかひさたか)さんの教えをうけました。
Wikipedia によると、京大の助手時代の1951年から、谷崎潤一郎さんの源氏物語の現代語訳の新訳の手伝いをし、事実上の監修者となったそうです。
谷崎さんは、1935年から1941年に旧訳を行い、1954年に新訳を訳了しました。さらに、1964年から1965年に新々訳が刊行されます。
その新々訳が、「ですます」体になったのは、玉上さんの影響ではないかと言われているそうです。
また、玉上さんご自身でも、現代語訳をなされ、角川文庫版として、私たちの手に入いることができ、私も何冊かもっていますが、
もう一つ、角川から、源氏物語評釈 12巻別巻2巻 全14巻の大作も、刊行されました。
幸い、近所の図書館の蔵書にあるので、第1巻を借りてきました。
興味深い解説が満載です。少し、紹介します。
物語の語り出し (29頁)
「源氏物語」以前の物語は、「今は昔」という語り出しがふつうでした。
ほかにこういう語り出しはないかと探してみると、先輩の女流歌人伊勢の家集(個人作品集)の最初に
「いづれのおほん時にかありけん。大御息所と聞ゆる御局に大和に親ある人さぶらひけり」とあることに気づく。
伊勢は、宇多天皇の七条の后に仕えた人で、『源氏物語』の作者紫式部は、この伊勢に大いに注目していたらしい。
(中略)
ところで、この伊勢をここで思い出すことにどういう意味があるのであろうか。
それを今すぐ言ってしまうのはやめにしよう。読みすすむにつれてわかってゆくおもしろみを期待していただこう。
女のものの言い方 (53頁)
もう一つ注意しておきたいことは、わかる限りは省略して、言わないふうがあったことである。
現代でも京都人、とくに婦人は、お互い同士わかることは、ほんの一、二語いって、うなずきあい、そばにいる者がわからないでいると、頭がわるい、とばかり軽く笑うことがあって、わたくしなど腹をたてさせられてしまう。
共通の知識を認め合って喜び、わからない者はグループ外とする行き方は、階級語・隠語を発生させるが、物語は平安時代宮仕え人の言語で書かれているのであって、女でもこの言い方のわからない者もいようし、男はもっと違った言葉使いをするのがふつうで、女房言葉の使える男は限られていた、と思う。
『源氏物語』の中では、光る源氏とその子以外では、主上と皇族が女房ことばを使っていて、藤原氏になると大臣たちでもすでに違い、身分の低い者はさらに違う。
音読の美 (56頁)
この当時の物語の、ほんとうの楽しみ方は、女房に読ませて耳から聞くものであった、とわたくしは考えている。
今日のように黙読するのと、耳から聞いて楽しむのとでは、ずいぶん違いがあると思う。
この後、いくつか具体的な説明があるのですが、いささかわかりにくいので、
もっと都合のよいところで、ゆっくり説明することにするが、ここも何度か声を出して読んでみられれば、会得されることろがあるであろう。
ところで、少し話がずれますが、人の話を耳で聞くとわかりやすいことに関して、私は、落語家の例で説明したいと思います。
二人の会話が続くところで、せりふの主が明示されていないとき、黙読している場合は、読みながら、誰のせりふかを判断しなければなりません。
しかし、落語家は、声色を変えてしゃべってくれるだけでなく、しゃべる前に、顔の向きを変えて、次のせりふが誰のせりふなのかを事前に教えてくれます。
このように、読みながら話のすじを追っかけるのと、話のすじをわかった人が話してくれるのを聞くのとでは、大きな違いがあると思います。
つまり、音読を耳で聞くからわかるのではなく、話をわかった人が読んでくれるからわかるのです。
ホームページアドレス: http://www.geocities.jp/think_leisurely/
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