石川啄木 悲しき玩具 原文 現代語訳 対比

2018.7.1 更新2018.7.9

 「悲しき玩具」は、明治45年、啄木の死の二ヵ月後に出版されました。

明治43年に出版された「一握の砂」から、 2年しかたっていないのですが、「悲しき玩具」のほうは、かなり読みやすくなっています。

訳をつけなくてもいいものがほとんどなのですが、念のため、現代語訳をつけました。

 語順を入れ替えると、意味がわかりやすくなる場合は、詩の形を無視して、あえて語順をいれかえたところがあります。

 

呼吸(いき)すれば、胸の中(うち)にて鳴る音あり。 凩(こがらし)よりもさびしきその音!
息をすれば、胸の内で鳴る音がある。 その音は木枯らしよりもさびしい!

眼閉づれど、心にうかぶ何もなし。 さびしくも、また、眼をあけるかな。
眼を閉じても、何も心に浮かばない。さびしいことだが、再び、眼をあけるのだ。

途中にてふと気が変り、つとめ先を休みて、今日も、河岸(かし)をさまよへり。
途中でふと気が変わり、勤め先を休んで、今日も、川岸をさまよいました。

咽喉がかわき、まだ起きてゐる果物屋を探しに行きぬ。秋の夜ふけに。
喉が渇いて、まだ起きている果物屋を探しに行きました。秋の夜更けなのに。

遊びに出でて子供かへらず、取り出して走らせて見る玩具(おもちや)の機関車。
子供が遊びに出かけて帰らない。玩具の機関車を取り出して走らせてみる。

本を買ひたし、本を買ひたしと、あてつけのつもりではなけれど、妻に言ひてみる。
本を買いたい、本を買いたいと、あてつけのつもりではないけれど、妻に言ってみる。

旅を思ふ夫の心!叱り、泣く、妻子(つまこ)の心!朝の食卓!
旅を思う夫の心! 叱って泣く、妻と子の心! ああ、朝の食卓!

家を出て五町ばかりは、用のある人のごとくに 歩いてみたれど――
家から出かけて500m程は、用事のある人のように歩いてみたけれど――

痛む歯をおさへつつ、日が赤赤と、冬の靄(もや)の中にのぼるを見たり。
痛む歯を押さえながら、太陽が赤々と、冬の靄の中に昇るのを見ました。

いつまでも歩いてゐねばならぬごとき 思ひ湧き来ぬ、深夜の町町。
いつまでも歩いていなければならないような思いが湧いて来ました、深夜の町々。

なつかしき冬の朝かな。湯をのめば、湯気がやはらかに、顔にかかれり。
なつかしい冬の朝だなあ。さ湯を飲むと、湯気がやわらかく顔にかかりました。

何となく、今朝は少しく、わが心明るきごとし。手の爪を切る。
何となく今朝は少し私の心は明るいようだ。手の爪を切る。

うっとりと 本の挿絵に眺め入り、煙草の煙吹きかけてみる。
うっとりと本の挿絵に眺め入って、タバコの煙を吹きかけてみる。

途中にて乗換の電車なくなりしに、泣かうかと思ひき。雨も降りてゐき。
途中で乗り換えの電車がなくなったのに、泣こうかと思った、雨も降っていた。

二晩おきに、夜(よ)の一時頃に切通(きりどほし)の坂を上(のぼ)りしも ―― (つと)めなればかな。
二晩おきに、夜中の一時頃に切通の坂を上ったのも ―― 仕事勤めだからかな。

説明 湯島の切通坂に、この句の歌碑が建っているそうです。夜勤帰りに、夜中の坂を上るときの心情です。

しっとりと 酒のかをりにひたりたる 脳の重みを感じて帰る。
しっとりと酒の香りに浸っている脳の重みを感じて帰る。

今日もまた酒のめるかな!酒のめば 胸のむかつく癖を知りつつ。
今日もまたお酒を飲んだなあ! お酒を飲むと胸がむかつく癖を知りながらも。

何事か今我つぶやけり。かく思ひ、目をうちつぶり、酔ひを味はふ。
今私は何事かをつぶやいた。こう思って、眼をつむり、酔いを味わう。

すっきりと酔ひのさめたる心地よさよ!夜中に起きて、墨を磨るかな。
すっきりと酔いがさめた心地よさよ! 夜中に起きて、墨をするかな。

真夜中の出窓に出でて、欄干の霜に 手先を冷やしけるかな。
真夜中に出窓にでて、手すりの霜で、手先を冷やしたんだよ。

どうなりと勝手になれといふごとき わがこのごろを ひとり恐るる。
どうなりと勝手になれというように、私のこの頃を、ひとり恐れる。

手も足もはなればなれにあるごとき ものうき寝覚!かなしき寝覚!
手も足も離れ離れになっているような、もの憂い寝覚め!かなしい寝覚め!

朝な朝な 撫でてかなしむ、下にして寝た方の腿のかろきしびれを。
毎朝、下にして寝た方の腿の軽いしびれを、撫でて悲しむ。

曠野(あらの)ゆく汽車のごとくに、このなやみ、ときどき我の心を通る。
荒野を行く汽車のように、この悩みが、時々、私の心を通る。

みすぼらしき郷里の新聞ひろげつつ、誤植ひろへり。今朝のかなしみ。
みすぼらしい故郷の新聞を広げながら、誤植を拾いました。今朝の悲しみです。

誰か我を 思ふ存分叱りつくる人あれと思ふ。何の心ぞ。
誰が、私を思う存分叱りつける人がいてくれと思う。どういう心だ。

何がなく 初恋人のおくつきに詣づるごとし。郊外に来ぬ。
何となく、初恋の人のお墓に参るようだ。郊外にきました。

説明 おくつき は、お墓のことで、漢字は 奥津城です。

なつかしき 故郷にかへる思ひあり、久し振りにて汽車に乗りしに。
なつかしい故郷に帰る思いがしました、久しぶりに汽車に乗ったときに。

新しき明日の来たるを信ずといふ 自分の言葉に 嘘はなけれど――
新しい明日が来たのを信じるという、自分の言葉に嘘はないのだが。

考へれば、ほんとに欲しと思ふこと有るやうで無し。煙管をみがく。
考えると、本当に欲しいと思う事が、有るようで無い。キセルを磨く。

今日ひょいと山が恋しくて 山に来ぬ。去年腰掛し石をさがすかな。
今日ひょいと山が恋しくて、山に来ました。去年腰かけた石をさがしましたよ。

朝寝して新聞読む間なかりしを 負債のごとく 今日も感ずる。
朝寝坊して新聞を読む時間がなかったのを、負債のように、今日も感じる。

よごれたる手をみる ―― ちゃうど この頃の自分の心に対ふがごとし。
よごれた手をみる ―― 丁度も、最近の自分の心に向かうように。

よごれたる手を洗ひし時の かすかなる満足が 今日の満足なりき。
汚れた手を洗った時のかすかな満足が、今日の満足でした。

年明けてゆるめる心!うっとりと 来し方をすべて忘れしごとし。
年が明けて緩んだ心! うっとりとして、過去をすべた忘れたように。

昨日まで朝から晩まで張りつめし あのこころもち 忘れじと思へど。
昨日まで、朝から晩まで張りつめていた あの心持を、忘れまいとは思っても。

戸の面には羽子突く音す。笑う声す。去年の正月にかへれるごとし。
戸の外に羽根を突く音がする。去年の正月に帰った気分だ。

何となく、今年はよい事あるごとし。元日の朝、晴れて風無し。
何となく、今年はよい事があるようだ。元旦の朝は、晴れていて風がない。

腹の底より欠伸もよほし ながながと欠伸してみぬ、今年の元日。
お腹の底からあくびをおよおして、ながながとあくびをしてみた。今年の元旦に。

いつの年も、似たよな歌を二つ三つ 年賀の文に書いてよこす友。
毎年、似たような歌を二つ三つ、年賀の手紙に書いてよこす友達よ。

正月の四日になりて あの人の 年に一度の葉書も来にけり。
正月の四日になって、あの人の、年に一度の葉書も来ましたことよ。

世におこなひがたき事のみ考へる われの頭よ!今年もしかるか。
この世で行い難い事のみ考える私の頭よ! 今年もそうか。

人がみな 同じ方角に向いて行く。それを横より見てゐる心。
人がみんな同じ方角に向かってゆく。それを横から見ている私の心。

いつまでか、この見飽きたる懸額(かけがく)を このまま懸けておくことやらむ。
いつまでだろう、この見飽きた懸額を、このまま懸けておくことになるんだろうか。

説明 やらむ は、にやあらむ が変化したもので、〜だろうか、ではなかろうか の意。

ぢりぢりと、蝋燭の燃えつくるごとく、夜となりたる大晦日かな。
蝋燭がじりじりと燃え尽きるように、大晦日も夜になったしまったことよ。

青塗(あをぬり)の瀬戸の火鉢によりかかり、眼閉ぢ、眼をあけ、時を惜しめり。
青塗りの瀬戸の火鉢によりかかって、眼を閉じて、眼を開けて、時間を惜しんだことよ。

何となく明日はよき事あるごとく 思ふ心を 叱りて眠る。
何となく明日はいい事があるように思う心を、叱って眠る。

過ぎゆける一年のつかれ出でしものか、元日といふに うとうと眠し。
過ぎて行った一年の疲れが出たんだろうか、元旦だというのに、うとうと眠い。

それとなく その由るところ悲しまる、 元日の午後の眠たき心。
それとなく、それが依って立つところが悲しくなる、元旦の午後の眠たい私の心。

ぢっとして、蜜柑のつゆに染まりたる爪を見つむる 心もとなさ!
じっとして、ミカンのつゆに染まった爪を見つめている私の心もとなさよ!

手を打ちて 眠気の返事きくまでの そのもどかしさに似たるもどかしさ!
手を打って、眠気の返事を聞くまでの、そのもどかしさに似ているもどかしさよ!

説明 眠気の返事 とは、目の前で手をバチンと打たれて、眠気かに正気にかえるさまを指すと解釈します。

やみがたき用を忘れ来ぬ ―― 途中にて口に入れたる ゼムのためなりし。
止みがたい用事を忘れてきた ―― 途中で口に入れたゼムのためだった。

明 止みがたい の、止む は自動詞なので、止みがたい心 抑えきれない心 のような使い方をするのですが、

   ここでは、止むをえない用事 のような意味で使われているのではないかと、思います。

   ゼム は、口中清涼剤です。漱石の自転車日記にも、「余はポケットからゼムを出して呑んだ。」とあります。

すっぽりと蒲団をかぶり、足をちぢめ、舌を出してみぬ、誰にともなしに。
すっぽりと布団をかぶり、脚を縮めて、舌を出してみた、誰にということなしに。

いつしかに正月も過ぎて、わが生活(くらし)が またもとの道にはまり来れり。
いつしか正月も過ぎて、私の暮らしは、また、もとの道にはまってきましたことよ。

神様と議論して泣きし ―― あの夢よ!四日ばかりも前の朝なりし。
あの夢で、神様と議論して泣きました ―― 四日ばかり前の朝でした。

家にかへる時間となるを、ただ一つの待つことにして、今日も働けり。
家に帰る時間となることを、ただ一つの待つことにして、今日も働きました。

いろいろの人の思はく はかりかねて、今日もおとなしく暮らしたるかな。
色々の人の思惑をはかりかねて、今日もおとなしく暮らしたのだなあ。

おれが若しこの新聞の主筆ならば、やらむ ―― と思ひし いろいろの事!
私がもしこの新聞の主筆であれば、やろう ―― と思った色々の事!

石狩の空知郡(ごほり)の 牧場のお嫁さんより送り来きし バタかな。
石狩の空知郡の牧場のお嫁さんから送って来たバターかな。

外套の襟に頤(あご)を埋め、夜ふけに立どまりて聞く。よく似た声かな。
外套の襟にあごを埋めて、夜更けに立ち止まって聞く。よく似た声だなあ。

Yといふ符牒、古日記の処処にあり ―― Yとはあの人の事なりしかな。
Yという記号が、古日記の所々にある ―― Yとはあの人の事だったかな。

百姓の多くは酒をやめしといふ。もっと困らば、何をやめるらむ。
百姓の多くは酒を止めたという。もっと困れば、何を止めるのだろう。

目さまして直ぐの心よ!年よりの家出の記事にも 涙出でたり。
目を覚まして真っすぐの心よ! お年よりの家出の記事にも、涙がでました。

人とともに事をはかるに 適せざる、わが性格を思ふ寝覚かな。
人と一緒に、事を計ったのに、適していない私の性格を思う寝覚めかな。

何となく、案外に多き気もせらる、自分と同じこと思ふ人。
何となく、案外に多いのではないかと言う気がする、自分と同じことを思う人が。

自分よりも年若き人に、半日も気焔を吐きて、つかれし心!
自分よりも年が若い人に、半日のあいだも気焔を吐いて、疲れた心よ!

珍らしく、今日は、議会を罵りつつ涙出でたり。うれしと思ふ。
珍しく、今日は、議会を罵りながら涙が出たよ。うれしいと思う。

ひと晩に咲かせてみむと、梅の鉢を火に焙りしが、咲かざりしかな。
一晩で、咲かせてみようと、梅の鉢を火にあぶりましたが、咲かなかったことよ。

あやまちて茶碗をこはし、物をこはす気持のよさを、今朝も思へる。
誤って茶碗を壊し、物を壊す気持ちの良さを、今朝も思いました。

猫の耳を引っぱりてみて、にゃと啼けば、びっくりして喜ぶ子供の顔かな。
猫の耳を引っ張ってみて、ニャーとないて、びっくりして喜ぶ子供の顔かな。

何故かうかとなさけなくなり、弱い心を何度も叱り、金かりに行く。
何故こうなのかと情けなくなり、弱い心を何度も叱って、金を借りに行く。

待てど待てど、来る筈の人の来ぬ日なりき、机の位置を此処に変へしは。
待てども待てども、来るはずの人が来ない日でした、机の位置をここに変えたのは。

古新聞!おやここにおれの歌の事を賞めて書いてあり、二三行なれど。
古新聞!おやここにおれの歌の事を褒めて書いている、二三行だけど。

引越しの朝の足もとに落ちてゐぬ、女の写真!忘れゐし写真!
引っ越しの朝の足元に、落ちていた、女の写真が!忘れていた写真が!

説明 落ちてゐぬ、が、落ちていたり とどう違うのかについては、よく分かりません。

その頃は気もつかざりし 仮名ちがひの多きことかな、昔の恋文!
その頃は気もつきませんでした、仮名の間違いの多い事かな、昔の恋文には!

八年前(ぜん)の 今のわが妻の手紙の束!何処に蔵(しま)ひしかと気にかかるかな。
八年前の、今のわが妻の手紙の束! どこにしまったかと気にかかるかな。

眠られぬ癖のかなしさよ!すこしでも 眠気がさせば、うろたへて寝る。
眠れない癖の悲しい事よ!少しでも眠気がさせば、うろたえて寝る。

笑ふにも笑はれざりき ―― 長いこと捜したナイフの 手の中にありしに。
笑うにも笑えませんでした ―― 長いこと探したナイフが、手のなかにあったことに。

この四五年、空を仰ぐといふことが一度もなかりき。かうもなるものか?
この四五年、空を仰ぎ見るということが一度もなかった。こうもなるものか?

原稿紙にでなくては 字を書かぬものと、かたく信ずる我が児のあどけなさ!
原稿紙にでなくては、字を書かないものと、かたく信じている我が子のあどけなさよ!

どうかかうか、今月も無事に暮らしたりと、外(ほか)に欲もなき 晦日の晩かな。
どうにかこうか、今月も無事に暮らしたと、他に欲もない 月末の夜かな。

あの頃はよく嘘を言ひき。平気にてよく嘘を言ひき。汗が出づるかな。
あの頃はよく嘘を言った、平気でよく嘘を言った。汗がでるかな。

古手紙よ!あの男とも、五年前は、かほど親しく交はりしかな。
古手紙よ!あの男とも、五年前は、こんなに親しく交わったんだなあ。

名は何と言ひけむ。姓は鈴木なりき。今はどうして何処にゐるらむ。
名は何と言っただろう。姓は鈴木でした。今は何処にどうしているだろう。

生れたといふ葉書みて、ひとしきり、顔をはれやかにしてゐたるかな。
生れたと言う葉書を見て、ひとしきり、顔をはれやかにしていたなあ。

そうれみろ、あの人も子をこしらへたと、何か気の済む心地にて寝る。
そうれみろ、あの人も子供をこしらえたと、何か気が済む心地で寝る。

『石川はふびんな奴だ。』 ときにかう自分で言ひて、かなしみてみる。
『石川は不憫なやつだ』 時に自分でこう言って、悲しんでみる。

ドア推してひと足出れば、病人の目にはてもなき 長廊下かな。
ドアを押して一足出れば、病人の目には果てもない長廊下かな。

重い荷を下したやうな、気持なりき、この寝台の上に来ていねしとき。
重い荷を下ろしたような気持ちでした、この寝台の上に来て寝たときに。

そんならば生命が欲しくないのかと、医者に言はれて、だまりし心!
それならば命が欲しくはないのかと、医者に言われて、黙った心!

真夜中にふと目がさめて、わけもなく泣きたくなりて、蒲団をかぶれる。
真夜中にふと目がさめて、わけもなく泣きたくなって、布団をかぶる。

話しかけて返事のなきに よく見れば、泣いてゐたりき、隣の患者。
話し掛けて返事がないので、よく見れば、泣いていました、隣の患者は。

病室の窓にもたれて、久しぶりに巡査を見たりと、よろこべるかな。
病室の窓にもたれて、久しぶりに巡査を見たと、喜べました。

晴れし日のかなしみの一つ!病室の窓にもたれて 煙草を味ふ。
晴れた日の悲しみの一つ! 病室の窓にもたれて、タバコを味わう。

夜おそく何処やらの室の騒がしきは 人や死にたらむと、息をひそむる。
夜遅くにどこやらの部屋が騒がしいのは、人が死んだのであろうと、息をひそめる。

(みやく)をとる看護婦の手の、あたたかき日あり、つめたく堅き日もあり。
脈をとる看護婦の手が、暖かい日もあり、冷たく固い日もある。

病院に入りて初めての夜といふに、すぐ寝入りしが、物足らぬかな。
病院に入って初めての夜だというのに、すぐ寝入ったのは、物足らないかな。

何となく自分をえらい人のやうに 思ひてゐたりき。子供なりしかな。
何となく自分をえらい人のように、思っていました。子供だったかな。

ふくれたる腹を撫でつつ、病院の寝台(ねだい)に、ひとり、かなしみてあり。
ふくれたお腹を撫でながら、病院の寝台に、ひとり、悲しんでいました。

目さませば、からだ痛くて 動かれず。泣きたくなりて、夜明くるを待つ。
目を覚ますと、体が痛くて、動くことができない。泣きたくなって、夜が明けるのを待つ。

びっしょりと寝汗出てゐる あけがたの まだ覚めやらぬ重きかなしみ。
びっしょりと寝汗が出ている 明け方の まだ覚めやらぬ重い悲しみ。

ぼんやりとした悲しみが、夜(よ)となれば、寝台(ねだい)の上にそっと来て乗る。
ぼんやりとした悲しみが、夜となれば、寝台の上にそっと来て乗る。

病院の窓によりつつ、いろいろの人の 元気に歩くを眺む。
病院の窓によりながら、色々の人が、元気に歩くのを眺める。

もうお前の心底(しんてい)をよく見届けたと、夢に母来て 泣いてゆきしかな。
もうお前の心底をよく見届けたと、母が夢に出て来て、泣いて行ったのだなあ。

思ふこと盗みきかるる如くにて、つと胸を引きぬ ―― 聴診器より。
私の思うことを聞かれるようなので、つと胸を引きました ―― 聴診器から。

看護婦の徹夜するまで、わが病ひ、わるくなれとも、ひそかに願へる。
看護婦が徹夜するまで、私の病が悪くなれとも、ひそかに願っている。

説明 願へる の「る」は、完了の助動詞「り」の已然形と解釈しした。

   自発の助動詞「る」は、動詞の未然形につくので、願はる だと、自然に願う、願わざるをえない の意となります。

病院に来て、妻や子をいつくしむ まことの我にかへりけるかな。
病院に来て、妻や子をいつくしむ、誠の私に帰ったのかな。

もう嘘をいはじと思ひき ―― それは今朝 ―― 今また一つ嘘をいへるかな。
もう嘘は言うまいと思った ―― それは今朝のこと ―― 今また一つ嘘を言ったんだなあ。

何となく、自分を嘘のかたまりの如く思ひて、目をばつぶれる。
何となく、自分を嘘のかたまりのように思って、目をつむった。

今までのことを みな嘘にしてみれど、心すこしも慰まざりき。
今迄のことを、みな嘘にしてみたが、心は少しも慰まなかった。

軍人になると言ひ出して、父母に 苦労させたる昔の我かな。
軍人になると言い出して、父母に、苦労させた昔の我かな。

うっとりとなりて、剣をさげ、馬にのれる己が姿を 胸に描ける。
うっとりとなって、剣をさげ、馬に乗っている自分の姿を、胸に描いた。

説明 描ける は、描く の已然形+完了の助動詞「り」の已然形 との解釈でいいのか、検討中です。

藤沢といふ代議士を 弟のごとく思ひて、泣いてやりしかな。
藤沢という代議士を 弟のように思って 泣いてやったんだなあ。

何か一つ 大いなる悪事しておいて、知らぬ顔してゐたき気持かな。
何か一つ 大きな悪事をしておいて 知らぬ顔していたい気持ちかな。

ぢっとして寝ていらっしゃいと 子供にでもいふがごとくに 医者のいふ日かな。
じっとして寝ていらっしゃいと 子供にでも言うように 医者が言うこの日かな。

氷嚢の下より まなこ光らせて、 寝られぬ夜は人をにくめる。
氷嚢の下から 眼を光らせて 寝られない夜は人を憎みました。

春の雪みだれて降るを  熱のある目に かなしくも眺め入りたる。
春の雪が乱れて降るのを 熱のある目で 悲しくも眺め入りました

人間のその最大のかなしみが これかと ふっと目をばつぶれる。
人間のその最大の悲しみが これなのかと ふっと目をつぶりました。

廻診んの医者の遅さよ!痛みある胸に手をおきて かたく眼をとづ。
回診の医者の遅い事よ! 痛みがある胸に手を置いて 固く目を閉じる。

医者の顔色をぢっと見し外に 何も見ざりき ―― 胸の痛み募る日。
医者の顔色をじっと見たほかに 何も見なかった ―― 胸の痛みがつのる日に。

病みてあれば心も弱るらむ!さまざまの 泣きたきことが胸にあつまる。
病んでいれば心も弱るだろう! 様々の泣きたいことが胸に集まる。

寝つつ読む本の重さに つかれたる 手を休めては、物を思へり。
寝ながら読む本の重さに 疲れた手を休めては、物を思いました。

今日はなぜか、二度も、三度も、金側(きんかは)の時計を一つ欲しと思へり。
今日は何故か、二度も三度も、金の時計を一つ欲しいと思いました。

いつか是非、出さんと思ふ本のこと、表紙のことなど、妻に語れる。
いつか是非、出そうと思う本のこと、表紙のことなどを、妻に語りました。

胸いたみ、春の霙(みぞれ)の降る日なり。 薬に噎(む)せて、伏して眼をとづ。
胸が痛み、春のみぞれの降る日です。薬にむせて、伏して目を閉じる。

あたらしきサラドの色の うれしさに、箸をとりあげて見は見つれども ――
新しいサラダの色の 嬉しさに、箸をとりあげて、見る事は見たけれど ――

子を叱る、あはれ、この心よ。 熱高き日の癖とのみ  妻よ、思ふな。
子を叱る、この心の哀れさよ。熱の高い日の癖だけとは 妻よ、思うな。

運命の来て乗れるかと うたがひぬ ―― 蒲団の重き夜半の寝覚めに。
運命が来て乗れるのかと 疑いました ―― 布団が重たい夜中の目覚めに。

たへがたき渇き覚ゆれど、手をのべ  林檎とるだにものうき日かな。
耐え難い渇きを覚えたけれど、手を伸ばして 林檎をとるだけでも物憂い日かな。

氷嚢のとけて温めば、おのづから目がさめ来り、からだ痛める。
氷嚢が融けて温まれば、自然と目が覚めてきて、体を痛める。

いま、夢に閑古鳥を聞けり。 閑古鳥を忘れざりしが かなしくあるかな。
いま、夢に閑古鳥を聞きました。閑古鳥を忘れなかったことが、悲しいことです。

ふるさとを出でて五年(いつとせ)、病をえて、かの閑古鳥を夢にきけるかな。
故郷を出て五年、病気になって、あの閑古鳥を夢に聞きましたことよ。

閑古鳥 ―― 渋民村(しぶたみむら)の山荘をめぐる林の あかつきなつかし。
閑古鳥 ―― 渋民村の山荘を囲む林の 夜明けがなつかしい。

ふるさとの寺の畔(ほとり)の ひばの木の いただきに来て啼きし閑古鳥!
故郷の寺のほとりの ひばの木の 頂に来て鳴いた閑古鳥!

脈をとる手のふるひこそ かなしけれ ―― 医者に叱られし若き看護婦!
脈をとる手の震えこそ、悲しいものよ ―― 医者に叱られた若い看護婦!

いつとなく記憶に残りぬ ―― Fといふ看護婦の手の つめたさなども。
いつとなく記憶に残りました ―― Fという看護婦の手の冷たさなども。

はづれまで一度ゆきたしと 思ひゐし かの病院の長廊下かな。
端っこまで一度行きたいと思っていました あの病院の長廊下かな。

起きてみて、また直ぐ寝たくなる時の 力なき眼に愛でしチュリップ!
起きてみて、また直ぐ寝たくなる時の、力ない目でチューリップをいつくしむ!

堅く握るだけの力も無くなりし やせし我が手の いとほしさかな。
堅く握るだけの力もなくなりました 痩せた我が手の いとおしさかな。

わが病の その因るところ深く且つ遠きを思ふ。 目をとぢて思ふ。
私の病の その因る所が深くかつ遠いことを思う。目を閉じて思う。

かなしくも、 病いゆるを願はざる心我に在り。何の心ぞ。
悲しくも、病が癒えることを願わない心が私の中にある。何の心ぞ。

新しきからだを欲しと思ひけり、 手術の傷の 痕を撫でつつ。
新しい体を欲しいと思いました、手術の傷の痕を撫でながら。

薬のむことを忘るるを、それとなく、たのしみに思ふ長病(ながやまひ)かな。
薬を飲むことを忘れることを、それとなく、楽しみに思う長病かな。

ボロオヂンといふ露西亜名が、何故ともなく、幾度も思ひ出さるる日なり。
ボロオヂンというロシアの名前が、理由もなく、何度も思い出される日です。

説明 ボロオヂンは、ロシアの革命家クロポトキンの変名で、啄木は彼の著作を愛読しました。

いつとなく我にあゆみ寄り、手を握り、またいつとなく去りゆく人人!
いつとなく私に歩み寄り、手を握り、またいつとなく去ってゆく人々よ!

友も妻もかなしと思ふらし ―― 病みても猶、革命のこと口に絶たねば。
友も妻も悲しいと思うらしい ―― 病んでも猶、革命のことを口から絶たないので。

やや遠きものに思ひし テロリストの悲しき心も ―― 近づく日のあり。
やや遠いものに思ったテロリストの悲しい心も ―― 近づく日がある。

かかる目に すでに幾度び会へることぞ!成るがままに成れと今は思ふなり。
こんな目に すでに何度も会ったことよ! 成るがままに成れと今は思うのです。

月に三十円もあれば、田舎にては、楽に暮せると ―― ひょっと思へる。
月に三十円もあれば 田舎では楽に暮らせると ―― ひょっと思いました。

今日もまた胸に痛みあり。 死ぬならば、ふるさとに行きて死なむと思ふ。
今日もまた胸に痛みがある。死ぬのならば、故郷に行って死のうと思う。

いつしかに夏となれりけり。 やみあがりの目にこころよき  雨の明るさ!
いつのまにか夏となりました。病み上がりの目に心地がいい 明るい雨よ!

病みて四月 ―― そのときどきに変りたる くすりの味もなつかしきかな。
病んで四ヶ月 ―― その時々に変わりました薬の味がなつかしいこと。

病みて四月 ―― その間にも、猶、目に見えて、わが子の背丈のびしかなしみ。
病んで四ヶ月 ―― その間にも、なお、目に見えて、我が子の背丈が伸びたことの悲しみ。

すこやかに、背丈のびゆく子を見つつ、われの日毎にさびしきは何ぞ。
すこやかに背丈が伸びてゆく子を見ながら、私の日ごとの淋しさは何だ。

まくら辺に子を坐らせて、まじまじとその顔を見れば、逃げてゆきしかな。
枕のほとりに子を座らせて、まじまじとその顔を見ると、逃げて行きましたことよ。

いつも子を うるさきものに思ひゐし間に、その子、五歳になれり。
いつも子がうるさいものと思っていた間に、その子は、五歳になりました。

その親にも、親の親にも似るなかれ ―― かく汝が父は思へるぞ、子よ。
親にも、親の親にも似てはいけない ―― このようにお前の父は思いますよ、我が子よ。

かなしきは、(われもしかりき) 叱れども、打てども泣かぬ児の心なる。
悲しいのは、(私もそうでした) 叱っても叩いても泣かない子供の心ですよ。

「労働者」「革命」などといふ言葉を 聞きおぼえたる 五歳の子かな。
「労働者」「革命」などという言葉を 聞きおぼえた 五歳の子かな。

時として、あらん限りの声を出し、唱歌をうたふ子をほめてみる。
時たまに、ありったけの声を出し、唱歌を歌う子を褒めてみる。

何思ひけむ ―― 玩具をすてておとなしく、わが側に来て子の坐りたる。
何を思ったのか ―― 玩具を捨てておとなしく、私の傍に来て子供が座りました。

お菓子貰ふ時も忘れて、二階より、 町の往来を眺むる子かな。
お菓子を貰う時も忘れて、二階から、町の往来を眺める我が子かな。

新しきインクの匂ひ、目に沁むもかなしや。 いつか庭の青めり。
新しいインクのにおいが目に染みるのも悲しいことです。いつか庭も青くなりました。

ひとところ、畳を見つめてありし間の その思ひを、妻よ、語れといふか。
一か所、畳を見つめていたときの、その思いを、妻よ、語れというのか。

あの年のゆく春のころ、眼をやみてかけし黒眼鏡 ―― こはしやしにけむ。
あの年のさりゆく春の頃、眼を病んでかけた黒メガネ ―― 壊してしまっただろうか。

説明 こはしやしにけむ の文法を検討中です。壊しにけむ に、係り助詞の や が入り、補助動詞 す が入ったのかなと思っています。

薬のむことを忘れて、ひさしぶりに、母に叱られしをうれしと思へる。
薬を飲むことを忘れて、久しぶりに、母に叱られたことをうれしいと思った。

枕辺の障子あけさせて、空を見る癖もつけるかな ―― 長き病に。
枕の傍の障子をあけさせて、空を見る癖もつけたのだなあ ―― 長い病で。

おとなしき家畜のごとき 心となる、熱やや高き日のたよりなさ。
おとなしい家畜のような心となる、熱がやや高い日のたよりなさよ。

何か、かう、書いてみたくなりて、ペンを取りぬ ―― 花活(はないけ)の花あたらしき朝。
なにか、こう、書いてみたくなって、ペンを取った ―― 花瓶の花が新しい朝。

放たれし女のごとく、わが妻の振舞ふ日なり。 ダリヤを見入る。
放たれた女のように我妻が振舞う日です。ダリヤを見入る。

あてもなき金などを待つ思ひかな。 寝つ起きつして、 今日も暮したり。
あてのない金などを待つ思いかな。寝たり起きたりして、今日も暮らした。

何もかもいやになりゆく この気持よ。 思ひ出しては煙草を吸ふなり。
何もかも嫌になっていく、この気持ちよ。思い出してはタバコを吸うのです。

或る市にゐし頃の事として、友の語る 恋がたりに嘘の交じるかなしさ。
或る町にいた頃の事として、友が語る恋物語に嘘が混じる悲しさよ。

ひさしぶりに、ふと声を出して笑ひてみぬ ―― 蝿の両手を揉むが可笑しさに。
久しぶりに、ふと、声を出して笑ってみた ―― ハエが両手を揉む姿のおかしさに。

胸いたむ日のかなしみも、かをりよき煙草の如く、 棄てがたきかな。
胸が痛む日の悲しみも、香りのいいタバコのように、棄てがたいかな。

何か一つ騒ぎを起してみたかりし、先刻の我を いとしと思へる。
何か一つ騒ぎを起こしてみたかった先刻の私を、いとしいと思った。

五歳になる子に、何故ともなく、ソニヤといふ露西亜名をつけて、呼びてはよろこぶ。
五歳ににる子に、何故ともなく、ソニアというロシア名をつけて、呼んでは喜ぶ。

説明 ソニアは、ドストエフスキーの「罪と罰」に出てくるソーニャのことという説と、

   女性革命家ソフィア・ペロフスカヤではなかろうかという説があります。

 

   *

説明 土岐哀果が病の床にいる啄木から預かったノートには、一頁に四首ずつで50頁ほどありましたが、

   この箇所が空欄となっていたため、一首分空けてあるのだそうです。

解けがたき 不和のあひだに身を処して、ひとりかなしく今日も怒れり。
解決の難しい不和の間に身を処して、独り悲しく今日も怒った。

猫を飼はば、その猫がまた争の種となるらむ、かなしきわが家。
猫を飼えば、その猫がまた争いの種となるだろう、悲しい我が家。

俺ひとり下宿屋にやりてくれぬかと、 今日もあやふく、 いひ出でしかな。
俺だけを下宿屋に遣ってくれないかと、今日もあやうく、いい出したかな。

説明 あやうく は、現代では、あやうく間に合った という言い方の場合は、実際 間に合った ことになりますし、

   あやうく乗り過ごすところだった という言い方の場合は、実際は、乗り過ごしませんでした。

   啄木は、言い出してしまったのでしょうか、それとも、あやうく言い出すところだったのでしょうか。

ある日、ふと、やまひを忘れ、牛の啼く真似をしてみぬ、―― 妻子の留守に。
ある日、ふと、病を忘れ、牛の啼く真似をしてみた ―― 妻と子の留守の間に。

かなしきは我が父! 今日も新聞を読みあきて、 庭に小蟻と遊べり。
悲しいのは私の父! 今日も新聞を読みあきて、庭で小蟻と遊んでいた。

ただ一人の をとこの子なる我はかく育てり。 父母もかなしかるらむ。
ただ一人の男の子の私は、こう育った。父も母も悲しかったでしょう。

茶まで断ちて、わが平復を祈りたまふ  母の今日また何か怒れる。
茶まで断って私の回復を祈りたまう母が、今日また何か怒っている。

今日ひょっと近所の子等と遊びたくなり、呼べど来らず。 こころむづかし。
今日ひょっと近所の子等と遊びたくなり、呼ぶが来ない。人のこころは難しい。

やまひ癒えず、死なず、日毎にこころのみ険しくなれる七八月かな。
病は癒えない、死なない、日ごとに心のみ険しくなる七八月かな。

買ひおきし 薬つきたる朝に来し 友のなさけの為替のかなしさ。
買い置きした薬がつきた朝に来た、友の情けの為替の悲しさよ。

児を叱れば、泣いて、寝入りぬ。 口すこしあけし寝顔にさはりてみるかな。
子を叱ると、泣いて、寝入った。口を少し開けた寝顔にさわってみるかな。

何がなしに 肺が小さくなれる如く思ひて起きぬ ―― 秋近き朝。
何となく、肺が小さくなったように思って起きた ―― 秋が近い朝。

秋近し! 電燈の球のぬくもりの さはれば指の皮膚に親しき。
秋が近い!電灯の球のぬくもりに さわると指の皮膚に親しい。

ひる寝せし児の枕辺に 人形を買ひ来てかざり、ひとり楽しむ。
ひる寝した子の枕辺に 人形を買って来てかざり、一人楽しむ。

クリストを人なりといへば、 妹の眼がかなしくも、 われをあはれむ。
キリストは人間であると言うと、妹の眼が悲しくも、私をあわれむ。

縁先にまくら出させて、ひさしぶりに、ゆふべの空にしたしめるかな。
縁先に枕を出させて、久しぶりに、夕方の空に親しめるかな。

庭のそとを白き犬ゆけり。 ふりむきて、 犬を飼はむと妻にはかれる。
庭の外を白い犬が行った。振り向いて、犬を飼おうと妻に諮った。

 

 

         

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