杉本苑子 散華 紫式部の生涯 (1991) 

2020.8.1

 コロナ禍で、しばらく休止状態だった図書館の古典ブックトークが、再開試運転のため、

今日、開催されました。コロナの第二波が到来中なので、再休止になる可能性大です。

 今日、私は、この本のあらすじを紹介しました。

 杉本苑子 (1925.6.26-2017.5.31) さんは、(歴史)小説家で、2002年に文化勲章を受賞されました。

「散華」は、婦人公論、昭和61年(1986)3月号-平成2年(1990)1月号 に、47回連載され、

1991年に上下二巻本として出版され、1994年に中公文庫本になりました。

 紫式部の生涯を小説にしたのは、本書が初めてですし、その後も出ていません。

登場人物も多数なので、記憶力と推理力がないと、一読しただけでは、よく理解できません。

とりあえず、章ごとのあらすじを示します。

峠道の賊

紫式部の父、藤原爲時、は、播磨の守となり、大市(おおいち)(姉)と、小市(こいち)(紫式部)と、弟の薬師麿(やくしまろ)(弟)が生まれるが、妻は最後の産をこじらせて亡くなる。

為時が京にもどった後、為時の妹、周防(すおう)、が、三人の子達とともに生活する。

墓参りに出かけたとき、死体に化けた強盗が、助けにきた武士を襲う事件を目撃する。小市は、後で会った藤原保輔が、死んだふりをした賊であることを見抜く。

天延四年六月十八日の大地震を経験する。

蜻蛉日記

小市の大伯父為雅(ためまさ)の妻の妹が、蜻蛉日記の著者で、若い小市は、執筆中の写本をもらう。

為時は、師貞(もろさだ)親王(後の花山天皇)の御所に副侍読として出仕

魔火

為時は、薬師麿に学問を教えるが、姉の小市の方が出来が良く、落胆する。

御所は何度も火事。天正五年の火事は魔火の速さで広がる。三か所から火柱があがり、放火が疑われる。

麗ノ女御 (うるわしのにょうご)

師貞親王が花山天皇となり、為時も出世する。

花山帝の後宮の弘徽殿女御 藤原忯子(ていこ) は、「麗しの女御」と呼ばれ帝の寵愛を独り受けていたが、懐妊するも体調悪く、8ヶ月の身重のまま病死。花山帝は、悲嘆にくれる。

小市は、賀茂の河原の水遊びに同行するが、危ない目に合い、藤原保輔に助けられる。

蓮の葉の露

右大将藤原済時(なりとき)邸の法華八講に参加する。大池の蓮の葉に朝露がおりている。

藤原道隆、道兼、道長の三兄弟も参加。

寛和二年六月、花山帝が、藤原道兼にだまされて、出家して退位する。

冬の季節

一条帝が即位。為時は、失職。一条帝の母の藤原詮子(あきこ)が皇太后となり、権力を得る。

道隆が摂政となり、定子が中宮になる。詮子と定子の関係が、ぎくしゃくする。

死神

大市が27歳でみまかる。道隆、道兼が、あいついで亡くなる。

夏ごろも

為時が、淡路守に任ぜられるが、愁訴すると、道長の取り計らいで、越前守に変更。

従兄の藤原宣孝から、執拗に求婚される。小市は、父に同行して、越前に行くことを決める。

宣孝は、次の別れ歌を残す。夏ごろも薄き袂をたのむかな 祈る心のかくれなければ

越前国府

小市は、越前で二度の冬を過ごすが、長徳四年二月、御厨ノ乳母が急死した時、帰京を考える。

移りゆく日々

小市は、京の伯父為頼の看病のため、帰京を決める。

小市は、宣孝と契り、懐妊する。長保元年(999)十月に、女児を産む。

長保三年(1001)四月、宣孝は病死。

光る源氏、輝く日ノ宮

小市は、源氏物語を書き始め、中ノ君(橘為義の娘万奈児)や周防達に見せる。

寛弘二年(1005)、新内裏が消失したとき、道長から、中宮彰子への出仕を打診される。

出仕

断りきれず、寛弘二年師走に、中宮彰子の御所(土御門邸)に出仕。女房名は、紫式部。

道長に、書庫の手伝い係を任じられるが、迫られたあと、実家に逃げ帰る。

道長呪詛事件

寛弘四年(1007)に再び、出仕。場所は新内裏。源氏物語は、半ば過ぎあたりまで執筆済。

寛弘五年(1008)の夏頃には、主要部分が完成。

彰子中宮が懐妊。土御門邸に里帰り。小市も、同行。

道長から、彰子御産の逐一を、私的な記録として書き留めるよう依頼。

寛弘五年(1008)9月11日。無事、皇子が誕生。

寛弘六年、道長呪詛事件で、藤原伊周(これちか)は失脚する。四ヶ月後に復権するも、

寛弘七年正月15日、無念のうちに亡くなる。

宇治十帖

彰子中宮から、つづきが読みたいと請われ、やんわり断っていた小市は、藤原伊周の無念の死を知り、

寛弘七年二月初めに、源氏物語の続編の宇治十帖を書き始め、六月半ばに書き終える。

人形から賢后へ

小市は、道長を圧倒するほどの資産家の藤原実資(さねすけ)に仕えている伯母の陸奥ノ御(むつのご)に、彰子中宮への接近を頼まれる。

24歳で二児の母の彰子は、道長の言うなり人形から脱皮して、一条帝の妻で、子らの母として、道長に対する態度が厳しくなる。

寛弘八年に、一条帝が崩御。亡くなる前に、彰子に、亡き定子皇后の忘れ形見敦康親王の庇護を頼む。

小市も、彰子に、中宮の何たるべきかを教え、権力の盛衰について教え、彰子は、賢后に育っていく。

ねむの花

道長は、紫式部を里に帰らせる。小市は、健康を崩し、45歳で亡くなる。

越後国司の父為時は、小市の死を知り、任期途中で職を辞し、京にもどり、出家したあと、行方不明。

為時の出家得度式に立ち会った周防は、佇む兄為時の傍らに、ねむの大木が盛り上がるばかり花をつけて、風もないのにかぼそく散り落ちていたのを思い浮かべる。

消えて行く人にふさわしい散華だった。

 

 

     

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