城内康伸 「北朝鮮帰還」を阻止せよ (2013) 

2021.06.19

 中国が強大になり、覇権主義を隠さなくなり、新たな冷戦の時代が始まろうとしています。

冷戦の時代には、スパイが暗躍します。日本には、これまでも、北朝鮮や中国のスパイが活動してきましたが、

今後は、さらに厳しくなるかもしれません。

 この本は、韓国からのスパイという特殊なケースですが、図書館で見つけて読みました。

 

 日本には、終戦時に、国内に200万人の在日コリアンがいましたが、

朝鮮戦争が始まる1950年までに、約140万人が帰還したそうです。

日本人も、外地などに居住していた民間人は、660万人以上いたそうですが、

1946年松までに、500万人が引き揚げました。

 在日コリアンは、その大多数が、朝鮮半島南部から来た人達で、

日本に残った約60万人のうち、北朝鮮地域から来た人達は、全体の3%の2万人弱でした。

 ところが、1958年9月に、金日成が、在日同胞の帰国を歓迎すると演説し、状況がかわりました。

少し引用します。33頁

 北朝鮮が相次いで帰還者を受け入れる積極的な姿勢を示したことで、帰還実現の運動は爆発的に広がった。

朝鮮総聯の発表によると、帰還希望者は、1958年10月10日現在で約17000人。

それが、1959年1月末になると、約11万7000人にまで達した。

 この運動の盛り上がりを受けて、藤山愛一郎外相は、1959年1月29日の衆議院本会議でいかのように答弁しました。

「北鮮帰国の問題につきましては、政府は、居住選択の自由という国際通念に基きまして

これを処理したい考えのもとに、ただいまその具体的方法を検討いたしております。」

 この藤山発言は、韓国に激震を走らせます。

46頁
 大統領・李承晩は、(1959年)2月9日、AFP通信の書面取材に応じ、

「日本が韓国人を共産主義の奴隷に追い込もうとしている」と非難。次のように糾弾した。

「日本は、これまで韓国人を奴隷同然に、はなはだしく家畜扱いしてきながら、今度は10万以上の韓国人を共産主義者たちが占領している北朝鮮に送還する動機が人道主義にあると言い張っている。

 日本は在日同胞を処遇するにおいて、人道主義を示したことはまったくなかった。

また、日本がこれら韓国人に対して犯した罪の代価を支払ったこともない」

 しかし、日本世論は、北朝鮮への帰還を強く支持し、マスコミも藤山発言を後押しします。

47頁
 例えば、「朝日新聞」は「北鮮への帰国を望む人たちに対しては、その切なる希望をかなえるのが当然の措置である」(1959年9月2日付朝刊社説)と力説した。

ライバル紙である「読売新聞」も「日本画いつまでも北鮮帰国の意思をもつ朝鮮人の帰国を引き伸ばしていたら『非人道』の非難を受けることになるだろう」(2月1日付朝刊コラム「編集手帳」)と主張した。

 そして日本政府は、北朝鮮への帰還を認めることとなり、

李承晩は、「北朝鮮帰還」を阻止するためのスパイを日本に送り込むことになります。

そして、この韓国秘密工作隊の活動を取材調査したのが、この本です。

 韓国内で組織され、訓練を受けた工作隊は、第一陣が、1959年11月に日本に密航します。

しかし、李承晩は、1960年になって、4月19日に起きた民衆革命により、

4月26日に大統領を下野することとなり、帰還阻止作戦は、中止されます。

 

 さて、北朝鮮帰還は、粛々と実行され、大勢の人が、北朝鮮に帰還しました。

 ウィキペディアの「在日朝鮮人の帰還事業」から、一部を引用します。

日本と北朝鮮には国交がなかったため、帰国にまつわる実務は、日本赤十字社(日赤)と朝鮮赤十字会(朝赤)の日朝両国の赤十字社によって行われた。

1959年12月14日に最初の帰国船が新潟県の新潟港から出航したのを皮切りに、帰国事業は、数度の中断を含みながらも1984年まで続いた。

計93,340人が北朝鮮へ渡航し、そのうち少なくとも6,839人は日本人妻や被保護者といった日本国籍保持者だった。

また在日朝鮮人には日本から地理的に近い朝鮮半島南部の出身者が多く、彼らにとっては、祖国ではあるが異郷への帰還となった。

 

 

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