新潮日本古典集成 源氏物語1 (1976,2014)    

2021.01.19

 新潮社の日本古典集成の、最大の特徴は、現代語訳が付いていないことです。

 1970年に出版された小学館の日本古典文学全集の源氏物語は、

上段 注釈、中段 原文、下段 現代語訳の三段組でしたが、

1976年出版の新潮社の日本古典集成は、上段 注釈、下段 原文 の二段組で、

本文の中の主要部分の右側に、現代語訳が、色を変えて書き込まれていますし、

省略されている主語を、括弧つきで示したり、会話部分は、「」を付けたりと工夫してくれています。

 現代語訳が、完結していないので、原文を読みながら、意味を理解するということになり、

原文を味わうという意味では、最高の学習法ですが、

現代語に置き換えたわけではないので、理解が、完全ではない可能性も残しています。

 原文が、難解なとき、現代語訳は、構文を変えて、意訳して逃げてしまうことがありますが、

新潮社方式だと、原文に忠実に読み、解釈することが必要になると思います。

 校注者は、以下の二名です。

石田穣二(いしだ じょうじ) 1925年2月24日−2003年5月11日

清水好子(しみず よしこ) 1921年6月8日−2004年12月10日

 2014年に、新装版が出版されたのですが、この時、すでに、お二人は亡くなっておられますので、

内容は、全く同じです。旧版は、箱入りでたが、新版は、箱無しです。

 

 源氏物語1 の巻末に、源氏物語の成立について と題する解説があります。

その末尾の部分を紹介します。

 江戸時代初期、北村季吟の『湖月抄』の本文は、ほぼ三条西家本の系統であり、

その注釈も、『細流抄』『孟津抄』に負うところが大きい。

『湖月抄』は、『細流抄』『孟津抄』に主として拠りながら、『河海抄』『花鳥余情』の要をとり、

要するにそれまでの注釈、いわゆる旧注の粋を集めて作られたもので、

以後のこの物語の流布、ならびに研究に決定的な役割を果たした。

のみならず、今日なお、この物語の読解の指針たるを失わない好著で、

このことは、この物語の注釈にいわゆる旧注の果たした役割が、

いかに重い意味を持つかということを証するものである。

 近世国学、いわゆる新注の業績としては、契沖の『源注拾遺』と、宣長の『玉の小櫛』の二著をあげるべきであろうか。

『玉の小櫛』は、最初の総論的部分だけでなく、新しい年立(としだち)の作製や、

『湖月抄』の誤りを正した注釈上の新見にも、注目すべきものがある。

宣長の説いた「もののあわれ」とは、要するに色好みの心ということであり、

それは、平安末から中世を通じてこの物語が読みつがれてきた精神の基盤、

具体的には代々の歌詠みの心 − 平たく言えば、日本の古典文学の伝統 − を、

明確に言いあらわそうとしたものにほかならない。

萩原広道の『源氏物語評釈』は、近代において評判のよい注釈書であり、

それなりに敬意を表すべき労作ではあるが、すでに心を失って、頭でこの物語を解こうとしている。

ここで失われているものの大きさは、はかり知れないものがある。

現代の注釈は、『湖月抄』までひとまずもどり、さらに遡って、

中世源氏学の秘められた価値を現代に生かすべく努めねばならぬであろう。

 

 

 

     

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