清水義範 漱石先生大いに悩む (2004) |
2024.08.05
明治維新の文明開化のとき、言文一致運動が起こり、夏目漱石が、「吾輩は猫である」という演説口調を流行させました。そのときの漱石の苦労を、架空の話を加えて推理小説仕立てにしたものです。
推理小説なので、真面目に読まないと、すじがわかりません。
以下に、あらすじを解説しますので、ネタバレの嫌いな人は、ご注意ください。
一、虚の章 一通の書簡
40歳くらいのT氏が、祖母の遺品の中に手紙を見つけ、祖母が、これは大変な値打ちのあるものだよと言っていたのを思い出して、私のところに持ってきた。
巻紙に毛筆でしたためたもので、日付は11月14日 署名は夏目金之助 、宛名は桂美禰
手紙の内容を、現代語訳すると以下のとおり
28頁
手紙を頂戴ありがたく拝見しました。文章に御興味がおありとの事なかなか感心に思います。ことに、言文一致は会話の引き写しにて、作者の心持ちは伝え得ても、思想の記述には不適切ならずや、との御考察には感じ入りました。・・・
私も何か一つ書いてみようと思いながら、書く内容と書く文章の取り合わせがシックリいかぬ気がして、様々考案中です。いっそ演説口調にしたほうが議論向きかもしれないというお考えには、はたと手を打ちました。よさそうですね。一度試してみましょうか。実はある雑誌から、なんでもいいから書いてみろと声をかけられているのです。・・・・
漱石全集の第14巻と第15巻の書簡集2252通の中には、桂美禰宛の手紙はない。桂宛の手紙もない。
T氏の祖母は、桜井松子といい、1909年に生まれ、1989年に80歳で亡くなった。
祖母の母は、ミトという名前で、1886年生まれで、1956年に70歳で没。
このミトさんの旧姓が桂で、桂ミトさんが、桂美禰ではないか?
手紙の中の、「ある雑誌から、何でもいいから書いてみろと声わかけられている」というのが、ホトトギスだとすると、書かれた小説が「吾輩は猫である」で、手紙の書かれた年は1904年で、ミトさんは、18歳。
ミトさんは、短歌をやっていたので、その時の号が、美禰なのではないか?
二、実の章 明治37年(1904年)
金之助は、本郷区千代田の借家住まい。森鴎外が10年少し前に、一時住んだ場所です。
森鴎外は、舞姫や即興詩人で、すでに有名人。
59頁
それに比べて、おれの人生のつまらなさはどうだ、と金之助は思う。
まずもって有名人ではない。・・・・ そして、貧乏である。
62頁
ロンドンでは、それが自分の使命だと思っていたから、寸暇を惜しんで猛勉強をした。下宿部屋に閉じこもって勉強ばかりして、ノイローゼになったほどだ。何人かの日本人に、夏目は発狂した、と言われたほどに精神にゆがみをきたした。
なのに日本に帰ってきて、ただ薄給で教師をしているだけなのである。名教授だと賞賛されるでもなく、大学者だともちあげられるでもない。東京帝大で講義を始めてみると、学生たちは前のヘルン先生のほうがよかったと不満気な顔をした。ヘルン先生というのは小泉八雲という日本名も持つラフカディオ・ハーンのことである。
不機嫌にならざるを得ない、というのが近頃の金之助であった。
65頁
そういう虚子が、先日こんなことを言ったのだ。
「先生。『ホトトギス』に何か書いてくれませんか。先生ならいいものが書けるって気がするんです。小さなエッセイのようなものはこれまでに二、三書いてもらいましたが、ああいうのではなく、そうですね、小説がいいと思います。先生ならこの日本に全く新しい小説を生み出せるような気がするんです」
金之助は虚子の言葉を思い出しているうちに、ついニヤニヤしてしまった。
三、虚々の章 新しき文体
漱石の書簡中に、美禰という名前を見つけてギクリとした。しかし、これは、美禰喜衛七という男だったことがわかり、頓挫。
桂美禰から来た手紙を想像してみる。
116頁
言文一致運動は、しゃべるように書く、という運動ですが、しゃべるように書くのでは気持ちの伝達はできても、思想の伝達には不向きではないでしょうか。つまり、言文一致は情緒的な文章になりがちで、論理的文章にはならないような気がします。論理の通った議論の文章を書きたいのなら、普通のしゃべり口調を取り入れるのではなく、いっそ演説のような口調で書いたほうがうまくいくような気さえします。
桂美登さんの、覚書ノートが見つかる。美登さんには、一歳年下の妹がいて、名前がイネ。
ミトと、イネの共同ペンネームが、美禰てはないか。
ところが、桂イネは、19歳のときに自殺したことがわかる。
四、実々の章 処女出版 明治38年
寺田寅彦がかつて漱石に紹介した桂美禰について、漱石が寅彦に近況を訊く。
寅彦は、彼女の親が商売に失敗して破産したという噂を紹介する。
その数日後、桂イネが、訪ねてくる。
191頁
「あの小説を書くについては、いろいろなきっかけがあるのだが、そのひとつがきみからもらった手紙だった。それはちゃんと知っておいてもらおうと思ってね」
漱石が美禰に、家の倒産について訊くと、お金持ちからの縁談の話があり、事業の立て直しができるのだが、縁談は、断りたい。先生から、お金を貸していただけないか。
「百円あれば、とりあえず意にそまない縁談を断ることができる。」
「もちろん、お金は返します。働きに出て、お借りしたものは返すつもりです」と頼む。
三日後に、漱石を訪ねると
「この金は返さんでもよろしい。僕に小説上のヒントをくれたことへの礼だ」
「そういうわけにはまいりません。お返しするつもりです。」
「いいんだ。ただし、そう何度も力になるわけにいかんから、これ一回きりにしてもらいたい」
「それから、これをちゃんと言っておこう。僕が『猫伝』を書くについて、きみの手紙から文体をどうするのかのヒントを絵て、これで書けたんだということはどこで誰に言ってもらっても構わない。私がいい手を教えてやったから書けたのよと、大いに吹聴してもらっても文句は言わない。」
美禰はびっくりして金之助の顔を見た。そして、その厳しい表情を見ているうちに、恥辱で顔がすーっと青ざめていった。
「だからこれで一切が終わりです」
五、虚実の章 とこしえの煩悩
桂イネは、家にもどり、親に百円を渡しますが、そのあと、自殺してしまいます。
姉のミトは、妹の遺品の中に、漱石からの手紙を三通みつけます。
206頁
あの百円は、もしや夏目先生から借りたのではないだろうか。そしてその百円を借りる時に、何かの行き違いからイネは大きな辱めを受けたのではないか。夏目先生に誤解され、軽蔑されたと感じ取って、意地の張ったイネは生きていけなくなったのでは。
姉のミトは、漱石を訪ねます。その現場を、著者はタイムスリップして目撃します。どんな話し合いになったかは、想像してみてください。
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