瀬戸内寂聴・梅原猛他 般若心経のこころ (1992) |
2019.2.14.
梅原猛さんが、1月12日にお亡くなりになった。1925年3月生まれなので、享年93歳です。
ご冥福を祈るために、何冊か本を取り出して読んでいるのですが、その一冊が、これです。
雑誌プレジデントに掲載された何人かの著者の記事が、単行本にまとめられたのですが、
最初の記事が、瀬戸内寂聴さんと梅原猛さんの「とらわれない心、とらわれない生き方」という対談です。
瀬戸内寂聴さんは、1922年5月生まれで、梅原さんよりも年上で、現在96歳です。
対談が発表されたのは、1989年の6月号なので、30年も前です。
瀬戸内さんが66歳、梅原さんが64歳と、お二人とも、まだまだお元気です。
瀬戸内さんは、1973年に出家されました。直後の1975年にくも膜下出血で倒れたのをはじめとして、
2010年に、脊椎圧迫骨折と、胆嚢癌と、いろんな大病を経験されてましたが、すべて克服されました。
瀬戸内さんは、1974年に京都 嵯峨野に曼荼羅山 寂庵という寺院を開いていますが、
そこで話した法話をまとめて、1988年に『寂聴 般若心経』という本を出版されたばかりなので、
この対談も、般若心経に関わるものになりました。
梅原 「瀬戸内さんのところにやって来る人たちは、やはり「般若心経」に関する興味を持った方が多いのですか。」
瀬戸内 「いえ、『般若心経』について書いたのはつい最近ですから。
その前から、観音様の日、つまり毎月18日に法話をすることを決めたんです。
そのときに、せっかく大勢の人が来るんだから、なにか一つ筋を通そうと思って、
毎回いろいろな話題の後で、「般若心経」を少しずつ話していったんです。
自分も勉強になりますから。
(中略)
うち(寂庵)は一応お寺にしています。でも、単立寺院なんですね。
なぜ私が単立で天台宗を離れたかというと、宗派にとらわれないお寺をつくりたかったんです。
私は天台宗で教えていただいたから、拝み方は全部、天台宗の形ですけれども、
寂庵は何宗でもいい。
だから、観音様とお釈迦様と阿弥陀様を祀ってあるんです。
それから、お不動さんの軸も掛けてある。
なんでも好きなように拝みなさいということです。
だから、ありとあらゆる方がみえます。キリスト教の方もたくさんみえます。
ただ、「せっかく来たんだから、お経をあげますか?」と聞くと、皆、「あげたい」というもんですから、
そのとき、「般若心経」がいちばん短くていいので、一緒に開経偈から回向文までやるんです。
私が木魚をたたいてね。
そうしたら、「ああ、お寺に来たような気がする」といって帰りますから、何も話さないで済む。」
梅原 「沈黙は仏教の最高の説法ですよ。」
続いて、寂聴さんは、この本を書くにあたり、いろいろな本を参考にしたが、弘法大師の説明が一番わかりやすかった。と言います。
それを受けて、梅原さんは、博識を披露します。
梅原 「あれは、弘法大師空海の独自な解釈ですね。
つまり、弘法大師というのは教相判釈が大好きなんです。
あの「般若心経」という短い経典の中に全仏教があると、彼は考えた。
一つ一つの文字を解釈して、ここは三論だとか、こは法相だとか、ここは天台だとかいう形で、深読みをした。
あれは、私どもから見れば、たいへん独創的な解釈だと思います。」
この後、瀬戸内さんは、般若心経の最後のマントラ
羯諦 羯諦 波羅羯諦
波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
ギャテイ
ギャテイ ハラギャテイ ハラソウギャテイ ボジソワカ
に話を移します。
瀬戸内 「最後はなるほど、これは密教で、マントラで、結局はマントラで祈るしかないんだなあというふうに理解したんです。
マントラは宇宙語でしょうね。」
(中略)
瀬戸内 「密教も今、たいへんな人気ですね。密教は、宇宙の生命を扱いますでしょう。
今の若い人たちは、宇宙とかUFOとか、その種のものがとても好きみたいで、
それらとどこか通じるんじゃないかと思うんです。」
梅原 「そう思いますね。つまり、どちらかというと鎌倉仏教というのは人間中心ですが、
ところが、平安仏教というのは宇宙が中心でした。
今、私は、人間中心の文化が行き詰ってきたのではないかと思うんです。
もう一度、人間を宇宙の中に返して、そこから考えなければならないという時代にきたので、
それで密教が流行ってきたのではないかと睨んでいます。
宇宙の実在の大日如来と一体になる。
(中略)
梅原 「やはり宇宙的であることはいいなあ。
だから、小さい自我の上に立っていると、いろいろと思い煩ったりなんかして・・・。」
このあと、とらわれずに生きることはいいことで、その点、今の若い人たちは割ととらわれない生き方をしているが、
とらわれない代わりに、今度は生命力がなくなり、欲望がなくなり、シラケちゃった。それは、困る。と話が進み、
梅原 「般若心経は、巨大な欲望を持って、そしてその欲望にとらわれるな。
欲望にとらわれないことによって人生は開けてくると説いている。
確かに、とらわれますよ、人間は。でも、とらわれるけど、
やがて欲望にとらわれまいとする、長い間の戦いの中で自由な境地が開けてくるというわけです。」
と、まとめます。
このあとに他の著者による般若心経の詳しい解説があるのですが、それらを読んでも、すぐに分かったとはなりません。
般若心経について、わかりやすい解説をという人のためには、
瀬戸内さんの『寂聴 般若心経 生きるとは』の方がいいと思いますので、項を改めて、解説したいと考えています。