歴史小説の史実と虚構・脚色 

2016.1.15

 私達は、日本の戦国時代や明治維新の時代について、歴史小説でいっぱい学びました。

日本の古代も、これらの時代に負けない大変革の時代です。ヤマト朝廷の建国の歴史ですし、

朝鮮半島や中国大陸での国の存亡をかけた激しい戦争の影響も受けましたし、

文化的には、短歌や長歌が和歌へと発展し、仏教が伝来して、日本人に受け入れられていきました。

 

 この時代についても、歴史小説でいっぱい学びたいのですが、気になるのは、

歴史小説のどこまでが史実でどこが虚構や脚色なのかということです。

 NHKの朝の連続テレビ小説(朝ドラ)でも、明治時代の歴史的な人をとりあげることがありますが、

話を面白くするために、かなり作り話が加えられています。

朝ドラの場合は、名前をそのまま使っていないので、どこを本当の話ととるかは視聴者の責任ということでしょうか。

 NHKの大河ドラマの場合は、どうでしょう。太閤秀吉は、何度もとりあげられて、いろんな秀吉像が描かれてきました。

 

 歴史小説の場合は、本名を使って物語が語られます。平気で作り話をされても、困るのです。

また、日本の古代史の場合は、「古事記」や「日本書紀」に書かれていることが、どこまで真実かという問題もあります。

歴史は、勝利者というか、生き残った人たちが語り作られるもので、死んでしまった当人が語ったものではありません。

歴史のどこまでを、史実と考えるかは、私達個人の問題で、多くの人が信じたものこそが、歴史なのかもしれません。

 

 会田雄次さんの「歴史小説の読み方」(1986)という本があり、その序で、

「史料を十分探索し、史料批判も行った真の意味での歴史小説というのは、案外乏しいというのが現実である。

しかも、過去の人物が傑出した人材であり、その業が大きく意義があればあるほど、

それを描く作家の方の人間洞察力も大きく鋭くなければならぬ。そういう作家はそう多くないのだ。

 さらに歴史や歴史小説には読む方の問題がある。歴史から学ぶ、過去の人材から学ぶといっても、それは

過去の人物と、歴史や歴史小説の書き手と、読み手の三者のぶつかり合いによって得られるものである。

すばらしい歴史小説でも読み手と読み方如何によって全然役に立たないときがある。

無心に読めばよいなどというのは無責任極まる言い方で、そういうときの無心というのは無心どころか、

大抵の場合、無反省、つまり無意識な先入見だらけというのが殆どである。」

と述べておられます。

 

 この本で、司馬遼太郎、海音寺潮五郎、新田次郎、子母沢寛、吉川英治の著名な5人の作家について、

彼らの作品を論じ、読み方を論じています。

全部紹介したいところですが、まず、司馬遼太郎の部分から少しご紹介します。

 

 産経新聞の夕刊に昭和36年の高度成長期に始まり4年にわたり連載された「竜馬がゆく」は、読者の圧倒的な支持を得ました。

戦時と戦後にまっとうな基礎教育も専門教育も受け得ず、ただ直感力だけを頼りに我武者羅に働くしかなかった

モーレツ社員の気分に、竜馬の生き方がぴったりと合ったからでょう。

 氏の筆は驚くべき説得力を持つけれど、竜馬が果たしてあれほどの器量人であったかどうか。あれほど天衣無縫な人間だったか

どうかは疑問である。氏の好みをすべて竜馬にぶち込んで行き、それが時代の要求と相乗効果をあげたのではなかろうか。

 サンデー毎日に連載(昭和38年8月〜41年6月)された「国盗り物語」は、斉藤道三を描いたものだが、

編集部のすすめで延長することになり、織田信長を書くことになるが、これが氏の小説歴の中での転機となった。

膨大な史料の存在する信長にぶつかって、氏は史料を読む楽しさ、歴史解釈の面白さに目覚めたのではないか。

 信長は中央権力者そのものであり、統一後の日本をいかに統治すべきか具体的な政策が構想されていて、

氏は、こういう革新的な信長のやり方を具体的に叙述するとともに、何故こんな時代にこんな超合理主義者が

生まれたのかを見事に解明してみせてくれたのだ。

 秋山兄弟を描いた「坂の上の雲」は、サンケイ新聞夕刊に、昭和43年4月から47年8月まで連載される。

明治時代なので信長よりもはるかに膨大な史料がある。氏はあえてそれにぶつかった。驚くべき勉強ぶりだったといえよう。

 氏の次の大作は、大久保利通と西郷隆盛の宿命的な対立を基本とした「翔ぶが如く」(昭和47年1月〜51年、毎日新聞連載)である。

大久保と西郷の対決を描きながら、世界情勢の中で日本は現実主義の道を歩まざるを得なかったと捉えている点では、

小説というより歴史に近いが、西郷軍の悲惨な全滅の仕方は、薩摩人の生き方の巨大な典型例であり、

この大作の終末部分は極めて写実的な描写ながら詩的な香がただよい、個性的な小説として終わっている。

「坂の上の雲」が小説とすべく苦労を重ねながら結局は「歴史」になってしまったのと対蹠的でさえすらある。

氏は西郷によって救われたといってもよい。同時にそれは日本の救いであろう。

西南の役などがなく、明治日本が文明開化、富国強兵の現実路線を何の抵抗もなく歩み続けたとしたら、

私達の歴史は功利性だけの余りにも安手なものになり下ってしまっただろうからである。

 

 司馬遼太郎の歴史小説は、私も若い頃、かなり熱中して読みました。

かなり読み飛ばしながら読んだと思うので、また、じっくり読み返したいと思っているところです。

 

         

ホームページアドレス: http://www.geocities.jp/think_leisurely/


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