岡本隆司 中国の論理 (2016) 

2020.4.12

 昨年、岡本さんの「歴史で読む中国の不可解」という本を読みました。以下、「不可解」と略します。

その2年前に執筆されていたこの本が、図書館にあったので、借りてきました。

 なかなか難解な本なのですが、新型コロナの為、図書館が急遽、5月7日まで長期の臨時休館になり、

借り続けないといけないので、何回か読み直そうと、チャレンジしています。

 「不可解」で、岡本さんは、中国がかくも傲慢なのは、儒教のせいであると解説されていましたが、

こちらの本で、儒教とは何か、もっと詳しく、解説しておられます。

 しかし、明や清の時代のように、中国が、名実ともにアジアの宗主国だったときは、中国が儒教の考え方のまま

他国に接することはあったにしろ、産業革命に成功し近代化した西洋諸国と相対峙した中国が

何故、中国の論理を変えなかったのかが、私の疑問です。

 その意味では、著者も同じで、著者にとっても中国は謎の国です。

例えば、「はじめに」の「言行不一致」の節から、少し、引用します。

 謎というのは不気味で、不安をかき立てるし、実害を被る時さえある。

謎の中国を廻っては、往々にして不愉快な事象もまぬかれない。

 言行が一致しないことは、その一つ。

いっていることとやっていることが著しく異なる、というわけで、なかんづく政府の言動がきわだっている。

政治・権力というのは、多かれ少なかれ二枚舌の習性があるものだが、中国は格段に甚だしい。

(中略)

 もっともそれを極論して、全くのウソつき、と断じてしまうのは、いささか躊躇する。

おそらく故意にウソをついているのではない。

中国人じしんにとっては、むしろごく自然なふるまいなのだろう。

われわれにそれがウソ、不自然に見えていまうところに、謎の核心がある。

 例えば、今回の中国発の新型コロナ騒動にしても、発生直後、中国人が大勢諸外国に旅行して、

病気を拡散させてしまったという初動ミスがあるのに、中国政府は、決して、誤りを自ら認めて謝ることはしません。

しかし、「誤りを認めて、誤ったら、許してあげる」と考えるのは、多分、日本人だけで、

世界的に考えれば、絶対に謝らないほうが正解で、日本人の論理の方が、特殊なのかもしれません。

 

 岡本さんも、以下のような説を展開されます。137頁。

 われわれ日本人は、同じ時期に明治維新・「文明開化」を実践したため、

ともすればそのコースが正当で、あたりまえだと考えがちである。

そこを基準・ものさしにして、たとえば中国の近代化を過程は緩慢、成果も貧弱だとみなしかねない。

しかしそれは、いわば結果論であって、いわれのない偏見でもある。

 日本が急速に西洋化をはたしえたのは、日本なりの条件があり、

中国が日本とは異なる進み方をしたのも、中国なりの事情があった。

(中略)

 日中で何より異なるのは、西洋化に対する政府の意欲と社会の支持である。

日本では民間・社会の活動が政府権力の政策と提携し、こもごも表裏一体となって近代化を推し進めた。

(中略)

 それを「文明開化」と呼ぶ。時流に敏感で、すぐ最先端のファッションにとびつき、

模倣をいとわないのは、軽薄といえば軽薄、自前のものを持っていないあかしでもある。

(中略)

 中国は到底、同じではない。(中略) いかに西洋が圧倒的な力・技術・文物を有していても、

それを素直にすぐれていると認識したり、ましてやそのまま直輸入したりするのは難しかった。

(中略)

 それでも内憂外患のさなか、対処に苦しみ、前途を憂う当局者・知識人にとって、「洋務」の必要性は減じない。

となれば、旧態依然の意識・思考と論理に沿ってでも、西洋化をうながす必要が出てくる。

その所産がたとえば、「中体西用」だった。

 日本の明治維新は、よく「和魂洋才」といわれた。(中略) 少し噛み砕くと、

「体」は本体・原理、「用」は末梢・実用といった意味になり、そのかぎりでは各々「魂」「才」と通じる。

(中略)

 しかし、「体」「用」が異なるのは、互いをまったの別ものと分離して考えることである。(中略)

重要な「体」はあくまで中華・儒教であり、士大夫エリートの担うべきものだが、「用」も重要ではないにせよ、

現実には必要なので、西洋という外夷の技術を軍人や商人など庶民がとりいれる、とすれば

何とかそれまでの秩序原理に抵触しない。

 そうした「中体西用」をあてはめる具体的なよすがとなったのが、いわゆる附会(ふかい)だった。

 附会とは、ひらたくいえば、こじつけの意である。

西洋が中国と「異なる」とすれば、それは「劣る」ことと同義なので、西洋に倣うのは論外となってしまう。

事実そう考えるエリート・知識人が、大多数だった。

そこで、西洋のすぐれた部分は、「異なる」のではなく、つとに中国の古代・古典に存在したものだ、

と附会する・こじつけることで、西洋化を正当化しようという論理である。

 この後、岡本さんは、附会の歴史を詳しく解説して、最後に、附会では不可だという認識が広まり、

「革命」へとつながったと説明し、さらに、今なお「革命」をとなえなければならない現代中国は、

まだ根底では変わっていないからかもしれないと解説されます。

 

 なかなか頑固な国のようですが、日本のように変わり身のはやい国も、めずらしいのではないかと思います。

日本は、極東に位置し、隣国は、ロシア、北朝鮮、韓国、中国、台湾です。

幸い、海は隔てていますが、こういう国々を隣国として、生きていかねばなりません。

 

 

     

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