庭野日敬 法華経の新しい解釈 (1960) |
2019.5.30
庭野日敬(1906-1999)さんは、立正佼成会の開祖です。
立正佼成会は、法華経を軸にして、その調和・平和・共存の精神を学び伝えようとする在家の宗教団体です。
庭野さんは、「新釈法華三部経 全十巻」という詳しい解説書を書かれましたが、
その入門書として一冊にまとめられたのが、本書です。
はじめに から、少し引用します。
「法華経」には、幻の世界のような場面があったり、おとぎ話のような物語があったり、
かと思うと非常に含みの多い哲学的なことばが出てきたりして、
なんだか現実の生活から離れた、不思議な神秘的な教えのような気がします。
それで、たいていの人が「とても法華経は深遠でわからない」とさじを投げたり、
「いまの世には通用しない夢のようなものだ」と、あたまから問題にしなかったりするのです。
(中略)
わたしがいちばん残念に思うのは、仏の最高の教えのこめられた「法華経」の見かけが、いかにもむずかしそうであることです。
そして限られた人たちだけの研究物か、宗教専門家たちの占有物のようになっていることです。
そのために、日本中の人びと、いな地球上全体の人びとにほんとうに親しまれず、理解されず、
したがって人びとの生活の中へ浸みとおってゆきにくいということです。
わたしがこの本を書こうと考えた趣意の第一は、ここにあるのです。
あくまでも法華経の元の形は尊重しますけれども、何よりも大切なその精神が、
現代の人びとに理解され、共感されるようにということを本意として、解説してみようと考えたわけです。
法華経は、一部分だけ読んだのでは理解されるものではありません。
法華経は、深い教えであると同時に、すばらしい芸術作品であるともいわれておりますとおり、
お経の全体がひとつの劇のようにあらわされています。
だから、初めから終わりまで読みとおさなければ、ほんとうの意味をつかむことはできません。
ところが、あのむずかしいことばの多いお経を初めから終わりまで読みとおして、
その意味をつかむのは、容易なことではないのです。
どうしても、現代人の頭で理解できるような解説が必要なのです。
わたしがこの本を書こうとした第二の趣意はここにあるのです。
しかし、高度の芸術作品であるだけに、あくまでも元の形は尊重しなければなりません。
また、芸術作品であるだけに、その経典(かなまじり訳でもよい)には、
わたくしたちの魂に浸みこんでくるような、なんともいえぬ力強さがあります。
それで、この本を読まれるときに、経典を参照しながら読まれると、なおいっそうよく理解できると思います。
その参考のために、平楽寺書店版の『訓訳法華経並開結』の何頁何行目にあるかということを、傍注によって示しておきました。
この本は、一冊にまとめられてはいますが、結構、分厚い本です。
最新版は、携帯に便利なように、文庫本版になっていますが、全5巻となっています。
私も、あせらず、巻一から読んでいます。
:現在の閲覧者数:
ご意見等がありましたら、think0298(@マーク)ybb.ne.jp におよせいただければ、幸いです。
ホームページアドレス: https://think0298.stars.ne.jp