ニスベット 木を見る西洋人 森を見る東洋人 (2004)  

2025.07.18

 「思考の違いはいかにして生まれるか」という副題がついています。 

木を見る西洋人 森を見る東洋人」というタイトルは、日本人向けのタイトルで、

原題は、The Geography of Thought -- How Asians and Westerners think differently... and Why です。

訳すと「思考の地理学 --- アジア人と西洋人の思考は、どう違うのか、その理由は」です。

 原著は、2003年に出版され、アメリカ国内の反応は、極めて好意的だったようです。

村本由紀子さん訳の本書は、2004年に出版され、原著者による「日本語版への序文」には、

東洋と西洋の考え方に優劣はない」というタイトルがついています。一部を紹介します。

●古代の社会生活や思想を研究しているアジア人、西洋人の専門家たちは、本書が古代中国とギリシアの特徴を正確に記述していると保証してくれた。
また、現代の社会生活や思想に関する記述についても同様の評価を得ることができた。
東アジアをよく知るアメリカやヨーロッパの人々は、本書の結論の大部分に賛成してくれた。
ただし、東洋にあまりなじみのない西洋人の反応はのったく違っていた。
彼らは、自分たちとこんなにも違う考え方をする人がいるとは信じがたいと言っていた。
(中略)
●本書は、東洋と西洋の考え方は単に異なっているだけであって、どちらが優れているなどと考えるのはばかげていることをはっきりと述べている。
アジア人学生たちは、自分たちのものの考え方が評価されると知って安心し、ときには元気づけられた。
西洋的な思考が役に立たない場面で、アジア的思考に多くの利点があることを本書は示していたからである(逆もまた真であることは言うまでもない)。

目次

序章 世界に対する見方はひとつではない
 「普遍性」への疑い
 認知科学者は間違っていた?
 思考に関わる謎
 本書の概略
 西洋人・東洋(東アジア)人の定義

第1章 古代ギリシア人と中国人は世界をどう捉えたか
 自分の人生を自分で選択したままに生きる --- 主体性の観念
 世の中から切り離された私は存在しない --- 調和の観念
 抽象的な「本質」の重視
 不変不動の世界
 人間万事塞翁が馬
 
 真実は双方にある
 連続体としての世界
 自然の発見から科学の発明へ
 万物は関連している
 「矛盾」への関心
 中庸を導く弁証法

第2章 思考の違いが生まれた社会的背景
 アリストテレスと孔子を産んだ社会
 生態環境から認知にいたる流れ
 知の進歩はいかにして起こったか
 場依存性
 導かれる予測

第3章 西洋的な自己と東洋的な自己
 一般論の限界
 東洋の自己と人間関係
 相手が変われば自分も変わる
 対照的な自分への評価
 相互独立、相互協調
 IBMの調査からわかったこと
 二者択一では語れない
 変化する視点
 不思議な選択
 討論の伝統をもたない人々
 「選び」か、「合わせ」か --- 交渉のスタイル
 異なる価値観

第4章 目に映る世界のかたち
 包括的に見るか、分析的に見るか
 原子論的なエピソード
 大陸の知の歴史と「ビッグ・ピクチャー」
 世界を知覚する
 「トンネルのような視野」
 環境への注意
 世界を制御する
 コントロール幻想
 安定か、変化か
 未来の姿をどう見るか

第5章 原因推測の研究から得られた証拠
 個人の属性か、周囲の状況か
 行動の原因をどこに求めるか
 勝利や敗北の理由
 アイデンティティと原因推測
 性格は変えられるか
 性格特性の共通性
 属性だけに着目する誤り
 因果モデルをつくる
 後知恵を避ける
 西洋人は単純さを好み、東洋人は複雑さを仮定する

第6章 世界は名詞の集まりか、動詞の集まりか
 古代中国人の関心
 現代人の思考における「カテゴリー」対「関係」
 規則にもとづく分類
 カテゴリーと議論の説得力
 対象物の世界で育つか、関係の世界で育つか
 属性、安定、カテゴリー
 西洋の知の世界と二分法
 それは言語のなせるわざか
 言語構造の違いと思考プロセス

第7章 東洋人が論理を重視してこなかった理由
 論理がたどってきた運命
 論理か、経験か
 論理と望ましさのどちらをとるか
 「どちらか」対「どちらも」
 弁証法的な解、非弁証法的な解
 対立的な命題への対処
 信念を正当化する原理
 インチキ話
 相反する感情
 「非論理的」な東洋人が数学を得意とする理由

第8章 思考の本質が世界共通でないとしたら
 西洋人データの限界
 この違いは重要な問題なのか
 文化相対主義を超える
 西洋の思考の習慣
 東洋の思考の習慣
 教育と検査の方法
 どの文化に対しても公正な検査は可能か

エピローグ われわれはどこへ向かうのか
 認知の違いはなくなるか
 東洋人の価値観は西洋化する?
 価値観は多様化を続ける?
 世界が収束へ向かうもうひとつの可能性

 著者のニスベットさんは、1941年生まれの社会心理学者で、この本は、心理学の立場から、思考に取り組んだ研究の集大成を世に問うたものです。

 第8章の「文化相対主義を超える」という節は、以下のような勇ましい言葉で始まります。

●20世紀初頭に、哲学者と心理学者は分業を成し遂げた。
心理学者は、人がいかに考え、いかに行動するかを明らかにするという記述的(descriptive)な仕事を与えられた。
哲学者は、人がいかに考え、いかに行動するべきかを語るという規範的(prescriptive)な仕事を与えられた。
ときには哲学者が心理学者の仕事を眺め、人が実際に何をしているかを見出そうとすることもあったが、ごく稀な話に過ぎなかった。

●しかし、たとえ哲学者が心理学者の仕事をもっと注意深く眺めていたとしても、普遍性(universality)についての確信が誤りだと気づくことはなかっただろう。本書で報告された研究の成果が、心理学者に影響を与え、やがて哲学者にも影響を与えるものと私は信じる。

 心理学手法が、認知という哲学的問題に斬り込んで、どれだけの成果を挙げ得るのか、

この本をじっくり読んで、確認したいと考えています。

 

ご意見等がありましたら、think0298(@マーク)ybb.ne.jp におよせいただければ、幸いです。

ホームページアドレス: https://think0298.stars.ne.jp