夏目漱石 私の個人主義 (1914) |
2018.7.25
私の個人主義の短縮版です。残した文章も、難解語句は省くなど、読み易いように、適宜修正していますので、
引用される場合は、原典と比較してください。
青空文庫のサイトは、https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/772_33100.html です。
漱石は、学習院の若者の前で、他人本位ではなく自己本位 に生きることの大切さをとき、
まだ日本が外国と戦争していた時代に個人主義的に生きることの大切さを、必死に語っています。
●私は今日初めてこの学習院というものの中に入りました。
もっとも以前から学習院は多分この見当だろうぐらいに考えていたには相違ありませんが、はっきりとは存じませんでした。
中へ入ったのは無論今日が初めてでございます。
(中略)
●この会はいつごろから始まって今日まで続いているのか存じませんが、そのつど、あなた方がよその人を連れて来て、講演をさせるのは、一般の慣例として少しも不都合でないと私も認めているのですが、
また一方から見ると、それほどあなた方の希望するような面白い講演は、いくらどこからどんな人を引張って来ても容易に聞かれるものではなかろうとも思うのです。
あなたがたにはただよその人が珍らしく見えるのではありますまいか。
●私が落語家から聞いた話の中にこんな諷刺的のがあります。
昔あるお大名が二人、目黒あたりへ鷹狩に行って、方々を馳け廻った末、大変空腹になったが、あいにく弁当の用意もなし、家来とも離れ離れになって食欲を充たす糧を受ける事ができず、仕方なしに二人はそこにある汚ない百姓家へ馳け込んで、何でもいいから食わせろと云ったそうです。
するとその農家の爺さんと婆さんが気の毒がって、ありあわせの秋刀魚を炙って二人の大名に麦飯を勧めたと云います。
二人はその秋刀魚を肴に非常に旨く飯を済まして、そこを出たが、翌日になっても昨日の秋刀魚の香がぷんぷん鼻を衝くといった始末で、どうしてもその味を忘れる事ができないのです。
それで二人のうちの一人が他を招待して、秋刀魚のご馳走をする事になりました。
その旨を承わって驚ろいたのは家来です。
しかし主命ですから反抗する訳にも行きませんので、料理人に命じて秋刀魚の細い骨を毛抜で一本一本抜かして、それを味醂か何かに漬けたのを、ほどよく焼いて、主人と客とに勧めました。
ところが食う方は腹も減っていず、また馬鹿丁寧な料理法で秋刀魚の味を失った妙な肴を箸で突っついてみたところで、ちっとも旨くないのです。
そこで二人が顔を見合せて、どうも秋刀魚は目黒に限るねといったような変な言葉を発したと云うのが話の落になっているのですが、
私から見ると、この学習院という立派な学校で、立派な先生に始終接している諸君が、わざわざ私のようなものの講演をお聞きになろうというのは、ごちそうに飽いて、目黒の秋刀魚がちょっと味わってみたくなったのではないかと思われるのです。
(中略)
●私は大学で英文学という専門をやりました。
その英文学というものはどんなものかとお尋ねになるかも知れませんが、それを三年専攻した私にも何が何だかまあ夢中だったのです。
その頃はジクソンという人が教師でした。私はその先生の前で詩を読ませられたり文章を読ませられたり、作文を作って、冠詞が落ちていると云って叱られたり、発音が間違っていると怒られたりしました。
試験にはウォーズウォースは何年に生れて何年に死んだとか、シェクスピヤのフォリオは幾通りあるかとか、あるいはスコットの書いた作物を年代順に並べてみろとかいう問題ばかり出たのです。
年の若いあなた方にもほぼ想像ができるでしょう、はたしてこれが英文学かどうだかという事が。
英文学はしばらく措いて、まず、文学とはどういうものだか、これではとうてい解るはずがありません。
それなら自力でそれを窮め得るかと云うと、まあ盲目(めくら)の垣(かき)覗(のぞ)きといったようなもので、図書館に入って、どこをどううろついても手掛りがないのです。
これは自力の足りないばかりでなく、その道に関した書物も乏しかったのだろうと思います。
とにかく三年勉強して、ついに文学は解らずじまいだったのです。
私の煩悶は、まず、ここに根ざしていたと申し上げても差支ないでしょう。
●私はそんなあやふやな態度で世の中へ出て、とうとう教師になったというより教師にされてしまったのです。
幸に語学の方は、怪しいにせよ、どうかこうかお茶を濁して行かれるから、その日その日はまあ無事に済んでいましたが、腹の中は常に空虚でした。
空虚ならいっそ思い切りがよかったかも知れませんが、
何だか不愉快な煮え切らない漠然たるものが、至る所に潜んでいるようで堪まらないのです。
しかも一方では自分の職業としている教師というものに少しの興味も持ち得ないのです。
教育者であるという素因の私に欠乏している事は始めから知っていましたが、
ただ教場で英語を教える事がすでに面倒なのだから仕方がありません。
私は始終中腰で、隙があったら、自分の本領へ飛び移ろう飛び移ろうとのみ思っていたのですが、
さてその本領というのがあるようで、無いようで、どこを向いても、思い切ってやっと飛び移れないのです。
●私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。
私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ちすくんでしまったのです。
そうしてどこからか一筋の日光が射して来ないかしらんという希望よりも、こちらから探照灯を用いてたった一条(ひとすじ)でいいから先まで明らかに見たいという気がしました。
ところが不幸にして、どちらの方角を眺めてもぼんやりしているのです。ぼうっとしているのです。
あたかも嚢(ふくろ)の中に詰められて出る事のできない人のような気持がするのです。
私は私の手にただ一本の錐さえあれば、どこか一カ所突き破って見せるのだがと、あせり抜いたのですが、
あいにくその錐は人から与えられる事もなく、また自分で発見する訳にも行かず、
ただ腹の底では、この先、自分はどうなるだろうと思って、人知れず陰欝な日を送ったのであります。
●私はこうした不安を抱いて大学を卒業し、同じ不安を連れて松山から熊本へ引越し、
また同様の不安を胸の底に畳んでついに外国まで渡ったのであります。
しかしいったん外国へ留学する以上は多少の責任を新たに自覚させられるにはきまっています。
それで私はできるだけ骨を折って何かしようと努力しました。
しかしどんな本を読んでも依然として自分は嚢の中から出る訳に参りません。
この嚢を突き破る錐はロンドン中探して歩いても見つかりそうになかったのです。
私は下宿の一間の中で考えました。つまらないと思いました。
いくら書物を読んでも腹のたしにはならないのだとあきらめました。
同時に何のために書物を読むのか自分でもその意味が解らなくなって来ました。
●この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだと悟ったのです。
今までは全く他人本位で、根のないうきぐさのように、そこいらをでたらめにただよっていたから、駄目であったという事にようやく気がついたのです。
私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまう、いわゆる人真似を指すのです。
一口にこう云ってしまえば、馬鹿らしく聞こえるから、誰もそんな人真似をする訳がないと不審がられるかも知れませんが、事実は決してそうではないのです。
近頃はやるベルグソンでもオイケンでも、みんな向うの人がとやかくいうので、日本人もその尻馬に乗って騒ぐのです。
ましてその頃は西洋人のいう事だと云えば、何でもかでも盲従して威張ったものです。
だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴して得意がった男がごろごろしていました。
ひとの悪口ではありません。こういう私が現にそれだったのです。
たとえばある西洋人が甲という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、
その評の当否はまるで考えずに、自分の腑に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触れ散らかすのです。
つまり鵜呑と云ってもよし、また機械的の知識と云ってもよし、とうていわが所有とも血とも肉とも云われない、よそよそしいものを我物顔にしゃべって歩くのです。
しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞めるのです。
●けれどもいくら人に賞められたって、元々人の借着をして威張っているのだから、内心は不安です。
手もなく孔雀の羽根を身に着けて威張っているようなものですから。
それで浮ついた心を捨て、落ち着かなければ、自分の腹の中はいつまで経ったって安心はできないという事に気がつき出したのです。
●たとえば西洋人がこれは立派な詩だとか、口調が大変好いとか云っても、それはその西洋人の見るところで、私の参考にならん事はないにしても、私にそう思えなければ、とうてい受売りをすべきはずのものではないのです。
私が独立した一個の日本人であって、決して英国人の奴婢でない以上は、これくらいの見識は国民の一員としてそなえていなければならない上に、世界に共通な正直という徳義を重んずる点から見ても、私は私の意見を曲げてはならないのです。
●しかし私は英文学を専攻する。
その本場の批評家のいうところと私の考えと矛盾してはどうも普通の場合気が引ける事になる。
そこでこうした矛盾がはたしてどこから出るかという事を考えなければならなくなる。
風俗、人情、習慣、さかのぼっては国民の性格皆この矛盾の原因になっているに相違ない。
それを、普通の学者は単に文学と科学とを混同して、甲の国民に気に入るものはきっと乙の国民の賞讃を得るにきまっている、そうした必然性が含まれていると誤認してかかる。
そこが間違っていると云わなければならない。
たといこの矛盾を融和する事が不可能にしても、それを説明する事はできるはずだ。
そうして単にその説明だけでも日本の文壇には一道の光明を投げ与える事ができる。
こう私はその時始めて悟ったのでした。
はなはだ遅まきの話で慚愧の至りでありますけれども、事実だから偽らないところを申し上げるのです。
●私はそれから文芸に対する自己の立脚地を堅めるため、堅めるというより新らしく建設するために、文芸とは全く縁のない書物を読み始めました。
一口でいうと、自己本位という四字をようやく考えて、その自己本位を立証するために、科学的な研究やら哲学的の思索にふけり出したのであります。
今は時勢が違いますから、この辺の事は多少頭のある人にはよく解せられているはずですが、その頃は私が幼稚な上に、世間がまだそれほど進んでいなかったので、私のやり方は実際やむをえなかったのです。
●私はこの自己本位という言葉を自分の手に握にぎってから大変強くなりました。
彼ら何者ぞやと気慨が出ました。
今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは、実にこの自我本位の四字なのであります。
●自白すれば私はその四字から新たに出立したのであります。
そうして今のようにただ人の尻馬にばかり乗って空騒ぎをしているようでは、はなはだ心元ない事だから、
そう西洋人ぶらないでも好いという動かすべからざる理由を、立派に彼らの前に投げ出してみたら、自分もさぞ愉快だろう、人もさぞ喜ぶだろうと思って、
著書その他の手段によって、それを成就するのを私の生涯の事業としようと考えたのです。
●その時私の不安は全く消えました。私は軽快な心をもって陰欝なロンドンを眺めたのです。
比喩で申すと、私は多年の間懊悩した結果、ようやく自分の鶴嘴(つるはし)をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです。
なお繰り返していうと、今まで霧の中に閉じ込まれたものが、ある角度の方向で、明らかに自分の進んで行くべき道を教えられた事になるのです。
●かく私が啓発された時は、もう留学してから、一年以上経過していたのです。
それでとても外国では私の事業を仕上げる訳に行かない、とにかくできるだけ材料を纏めて、本国へ立ち帰った後、立派に始末をつけようという気になりました。
すなわち外国へ行った時よりも帰って来た時の方が、偶然ながらある力を得た事になるのです。
●ところが帰るや否や私は衣食のために奔走する義務がさっそく起りました。
私は高等学校へも出ました。大学へも出ました。後では金が足りないので、私立学校も一軒稼ぎました。
その上私は神経衰弱に罹りました。
最後に下らない創作などを雑誌に載せなければならない仕儀に陥りました。
いろいろの事情で、私は私の企てた事業を半途で中止してしまいました。
私の著わした文学論は、その記念というよりもむしろ失敗の亡骸です。しかも畸形児の亡骸です。
あるいは立派に建設されないうちに地震で倒された未成市街の廃墟のようなものです。
●しかしながら自己本位というその時得た私の考は依然としてつづいています。
否、年を経るに従ってだんだん強くなります。
著作的事業としては、失敗に終りましたけれども、その時確かに握った自己が主で、他は賓(ひん)であるという信念は、今日の私に非常の自信と安心を与えてくれました。
説明 自己が主で、他は賓である とは、自己が、第一で、他人は、もてなすべき客 というような意味です。
私はその引続きとして、今日なお生きていられるような心持がします。
実はこうした高い壇の上に立って、諸君を相手に講演をするのもやはりその力のお蔭かも知れません。
●以上はただ私の経験だけをざっとお話ししたのでありますけれども、そのお話しを致した意味は全くあなたがたのご参考になりはしまいかという老婆心からなのであります。
あなたがたはこれからみんな学校を去って、世の中へお出かけになる。
それにはまだ大分時間のかかる方もございましょうし、またはおっつけ実社界に活動なさる方もあるでしょうが、
いずれも私の一度経過した煩悶(たとい種類は違っても)を繰返しがちなものじゃなかろうかと推察されるのです。
私のようにどこか突き抜けたくっても突き抜ける訳にも行かず、何か掴みたくってもヤカン頭を掴むようにつるつるしてじれったくなったりする人が多分あるだろうと思うのです。
もしあなたがたのうちですでに自力で切り開いた道を持っている方は例外であり、またひとの後に従って、それで満足して、在来の古い道を進んで行く人も悪いとは決して申しませんが、(自己に安心と自信がしっかり附随しているならば、)しかしもしそうでないとしたならば、どうしても、一つ自分の鶴嘴(つるはし)で掘り当てるところまで進んで行かなくってはいけないでしょう。
いけないというのは、もし掘りあてる事ができなかったなら、その人は生涯不愉快で、始終中腰になって世の中にまごまごしていなければならないからです。
私のこの点を力説するのは全くそのためで、何も私を模範になさいという意味では決してないのです。
私のようなつまらないものでも、自分で自分が道をつけつつ進み得たという自覚があれば、あなた方から見てその道がいかに下らないにせよ、それはあなたがたの批評と観察で、私には少しも損害がないのです。
私自身はそれで満足するつもりであります。
しかし私自身がそれがため、自信と安心をもっているからといって、同じ径路があなたがたの模範になるとは決して思ってはいないのですから、誤解してはいけません。
●それはとにかく、私の経験したような煩悶があなたがたの場合にもしばしば起るに違いないと私は鑑定しているのですが、どうでしょうか。
もしそうだとすると、何かに打ち当るまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。
ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。
容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首をもたげて来るのではありませんか。
すでにその域に達している方も多数のうちにはあるかも知れませんが、もし途中で霧か靄(もや)のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。
必ずしも国家のためばかりだからというのではありません。
またあなた方のご家族のために申し上げる次第でもありません。
あなたがた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申上げるのです。
もし私の通ったような道を通り過ぎた後なら致し方もないが、もしどこかにこだわりがあるなら、それを踏み潰すまで進まなければ駄目ですよ。
もっとも進んだってどう進んで好いか解らないのだから、何かにぶつかる所まで行くよりほかに仕方がないのです。
私は忠告がましい事をあなたがたに強いる気はまるでありませんが、それが将来あなたがたの幸福の一つになるかも知れないと思うと黙っていられなくなるのです。
腹の中の煮え切らない、徹底しない、ああでもありこうでもあるというような海鼠(なまこ)のような精神を抱いてぼんやりしていては、自分が不愉快ではないかしらんと思うからいうのです。
不愉快でないとおっしゃればそれまでです、またそんな不愉快は通り越しているとおっしゃれば、それも結構であります。
願わくは通り越してありたいと私は祈るのであります。
しかしこの私は学校を出て三十以上まで通り越せなかったのです。
その苦痛は無論鈍痛ではありましたが、年々歳々感ずる痛みには相違なかったのであります。
だからもし私のような病気に罹った人が、もしこの中にあるならば、どうぞ勇猛にお進みにならん事を希望してやまないのです。
もしそこまで行ければ、ここにおれの尻を落ちつける場所があったのだという事実をご発見になって、生涯の安心と自信を握る事ができるようになると思うから申し上げるのです。
●今まで申し上げた事はこの講演の第一篇に相当するものですが、私はこれからその第二篇に移ろうかと考えます。
学習院という学校は社会的地位のいい人が入る学校のように世間から見傚されております。
そうしてそれがおそらく事実なのでしょう。
もし私の推察通り大した貧民はここへ来ないで、むしろ上流社会の子弟ばかりが集まっているとすれば、
今後あなたがたに附随してくるもののうちで第一番に挙げなければならないのは権力であります。
換言すると、あなた方が世間へ出れば、貧民が世の中に立った時よりも余計、権力が使えるという事なのです。
前申した、仕事をして何かに掘りあてるまで進んで行くという事は、つまりあなた方の幸福のため安心のためには相違ありませんが、
なぜそれが幸福と安心とをもたらすかというと、あなた方のもって生れた個性がそこにぶつかって始めて腰がすわるからでしょう。
そうしてそこに尻を落ちつけてだんだん前の方へ進んで行くとその個性がますます発展して行くからでしょう。
ああここにおれの安住の地位があったと、あなた方の仕事とあなたがたの個性が、しっくり合った時に、始めて云い得るのでしょう。
●これと同じような意味で、今申し上げた権力というものを吟味してみると、
権力とはさっきお話した自分の個性を他人の頭の上に無理矢理に圧しつける道具なのです。
道具だと断然云い切ってわるければ、そんな道具に使い得る利器なのです。
●権力に次ぐものは金力です。これもあなたがたは貧民よりも余計に所有しておられるに相違ない。
この金力を同じくそうした意味から眺めると、これは個性を拡張するために、他人の上に誘惑の道具として使用し得る至極重宝なものになるのです。
●してみると権力と金力とは自分の個性を貧乏人より余計に、他人の上に押し被せるとか、または他人をその方面におびき寄せるとかいう点において、大変便宜な道具だと云わなければなりません。
こういう力があるから、偉いようでいて、その実非常に危険なのです。
先刻申した個性は、おもに学問とか文芸とか趣味とかについて自己の落ちつくべき所まで行って始めて発展するようにお話し致したのですが、実をいうとその応用ははなはだ広いもので、単に学芸だけにはとどまらないのです。
私の知っている兄弟で、弟の方は家に引込んで書物などを読む事が好きなのに引きかえて、兄はまた釣道楽に憂身をやつしているのがあります。
するとこの兄が、自分の弟の引込思案でただ家にばかり引き籠もっているのを、非常に忌まわしいもののように考えるのです。
必竟は釣をしないからああいう風に厭世的になるのだと合点して、むやみに弟を釣に引張り出そうとするのです。
弟はまたそれが不愉快でたまらないのだけれども、兄が高圧的に釣竿を担がしたり、魚籃(びく)を提げさせたりして、釣堀へ随行を命ずるものだから、まあ目をつむってくっついて行って、気味の悪い鮒などを釣っていやいや帰ってくるのです。
それがために兄の計画通り弟の性質が直ったかというと、決してそうではない、ますますこの釣というものに対して反抗心を起してくるようになります。
つまり釣と兄の性質とはぴたりと合ってその間に何の隙間もないのでしょうが、それはいわゆる兄の個性で、弟とはまるで交渉がないのです。
これはもとより金力の例ではありません、権力の他を威圧する説明になるのです。
兄の個性が弟を圧迫して無理に魚を釣らせるのですから。
もっともある場合には、――例えば授業を受ける時とか、兵隊になった時とか、また寄宿舎でも軍隊生活を主位におくとか――すべてそう云った場合には多少この高圧的手段は免かれますまい。
しかし私はおもにあなたがたが一本立になって世間へ出た時の事を云っているのだから、そのつもりで聴いて下さらなくては困ります。
●そこで前申した通り自分が好いと思った事、好きな事、自分と性の合う事、幸にそこにぶつかって自分の個性を発展させて行くうちには、自他の区別を忘れて、どうかあいつもおれの仲間に引きずり込んでやろうという気になる。
その時権力があると前云った兄弟のような変な関係が出来上るし、また金力があると、それをふりまいて、ひとを自分のようなものに仕立上げようとする。
すなわち金を誘惑の道具として、その誘惑の力で他を自分に気に入るように変化させようとする。
どっちにしても非常な危険が起るのです。
●それで私は常からこう考えています。
第一にあなたがたは自分の個性が発展できるような場所に尻を落ちつけべく、自分とぴたりと合った仕事を発見するまで邁進しなければ一生の不幸であると。
しかし自分がそれだけの個性を尊重し得るように、社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向を尊重するのが理の当然になって来るでしょう。
それが必要でかつ正しい事としか私には見えません。
自分は天性右を向いているから、あいつが左を向いているのは怪しからんというのは不都合じゃないかと思うのです。
もっとも複雑な分子の寄って出来上った善悪とか邪正とかいう問題になると、少々込み入った解剖の力を借りなければ何とも申されませんが、
そうした問題の関係して来ない場合、もしくは関係しても面倒でない場合には、自分がひとから自由を享有している限り、他にも同程度の自由を与えて、同等に取り扱わなければならん事と信ずるよりほかに仕方がないのです。
●近頃自我とか自覚とか唱えて、いくら自分の勝手な真似をしても構わないという符徴に使うようですが、その中にははなはだ怪しいのがたくさんあります。
彼らは自分の自我をあくまで尊重するような事を云いながら、他人の自我に至っては毫も認めていないのです。
いやしくも公平の眼を具し正義の観念をもつ以上は、自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと同時に、その自由を他にも与えなければすまん事だと私は信じて疑わないのです。
我々は他が自己の幸福のために、己れの個性を勝手に発展するのを、相当の理由なくして妨害してはならないのであります。
私はなぜここに妨害という字を使うかというと、あなたがたは正しく妨害し得る地位に将来立つ人が多いからです。
あなたがたのうちには権力を用い得る人があり、また金力を用い得る人がたくさんあるからです。
●元来をいうなら、義務の附着しておらない権力というものが世の中にあろうはずがないのです。
私がこうやって、高い壇の上からあなた方を見下して、一時間なり二時間なり私の云う事を静粛に聴いていただく権利を保留する以上、私の方でもあなた方を静粛にさせるだけの説を述べなければすまないはずだと思います。
よし平凡な講演をするにしても、私の態度なり様子なりが、あなたがたをして礼を正さしむるだけの立派さをもっていなければならんはずのものであります。
ただ私はお客である、あなたがたは主人である、だからおとなしくしなくてはならない、とこう云おうとすれば云われない事もないでしょうが、それはうわつらの礼式にとどまる事で、精神には何の関係もない云わば因襲といったようなものですから、てんで議論にはならないのです。
別の例を挙げてみますと、あなたがたは教場で時々先生から叱られる事があるでしょう。
しかし叱りっ放しの先生がもし世の中にあるとすれば、その先生は無論授業をする資格のない人です。
叱る代りには骨を折って教えてくれるにきまっています。
叱る権利をもつ先生はすなわち教える義務をももっているはずなのですから。
先生は規律をただすため、秩序を保つために与えられた権利を十分に使うでしょう。
その代りその権利と引き離す事のできない義務も尽さなければ、教師の職を勤めおおせる訳に行きますまい。
●金力についても同じ事であります。
私の考えによると、責任を解しない金力家は、世の中にあってならないものなのです。
その訳を一口にお話しするとこうなります。
金銭というものは至極重宝なもので、何へでも自由自在に融通が利く。
たとえば今私がここで、相場をして十万円儲けたとすると、その十万円で家屋を立てる事もできるし、書籍を買う事もできるし、または花柳社界を賑わす事もできるし、つまりどんな形にでも変って行く事ができます。
そのうちでも人間の精神を買う手段に使用できるのだから恐ろしいではありませんか。
すなわちそれをふりまいて、人間の徳義心を買い占める、すなわちその人の魂を堕落させる道具とするのです。
相場で儲けた金が徳義的倫理的に大きな威力をもって働らき得るとすれば、どうしても不都合な応用と云わなければならないかと思われます。
思われるのですけれども、実際その通りに金が活動する以上は致し方がない。
ただ金を所有している人が、相当の徳義心をもって、それを道義上害のないように使いこなすよりほかに、人心の腐敗を防ぐ道はなくなってしまうのです。
それで私は金力には必ず責任がついて廻らなければならないといいたくなります。
自分は今これだけの富の所有者であるが、それをこういう方面にこう使えば、こういう結果になるし、ああいう社会にああ用いればああいう影響があると呑み込むだけの見識を養成するばかりでなく、
その見識に応じて、責任をもってわが富を所置しなければ、世の中にすまないと云うのです。いな自分自身にもすむまいというのです。
●今までの論旨をかいつまんでみると、
第一に自己の個性の発展をしとげようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。
第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。
第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならないという事。
つまりこの三カ条に帰着するのであります。
●これをほかの言葉で言い直すと、いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。
それをもう一遍云い換えると、この三者を自由に享け楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受ける必要が起って来るというのです。
もし人格のないものがむやみに個性を発展しようとすると、ひとを妨害する、権力を用いようとすると、濫用に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。ずいぶん危険な現象を呈するに至るのです。
そうしてこの三つのものは、あなたがたが将来において最も接近しやすいものであるから、あなたがたはどうしても人格のある立派な人間になっておかなくてはいけないだろうと思います。
●話が少し横へそれますが、ご存じの通りイギリスという国は大変自由を尊ぶ国であります。
それほど自由を愛する国でありながら、またイギリスほど秩序の調った国はありません。
実をいうと私はイギリスを好かないのです。嫌いではあるが、事実だから仕方なしに申し上げます。
あれほど自由でそうしてあれほど秩序の行き届いた国は恐らく世界中にないでしょう。
日本などはとうてい比較にもなりません。
しかし彼らはただ自由なのではありません。
自分の自由を愛するとともに他の自由を尊敬するように、小供の時分から社会的教育をちゃんと受けているのです。
だから彼らの自由の背後にはきっと義務という観念が伴っています。
England expects every man to do his duty といった有名なネルソンの言葉は決して当座限りの意味のものではないのです。
彼らの自由と表裏して発達して来た深い根柢をもった思想に違いないのです。
●彼らは不平があるとよく示威運動をやります。
しかし政府は決して干渉がましい事をしません。黙って放っておくのです。
その代り示威運動をやる方でもちゃんと心得ていて、むやみに政府の迷惑になるような乱暴は働かないのです。
近頃女権拡張論者と云ったようなものがむやみに狼藉をするように新聞などに見えていますが、あれはまあ例外です。
例外にしては数が多過ぎると云われればそれまでですが、どうも例外と見るよりほかに仕方がないようです。
嫁に行かれないとか、職業が見つからないとか、または昔しから養成された、女を尊敬するという気風につけ込むのか、何しろあれは英国人の平生の態度ではないようです。
名画を破る、監獄で断食して獄丁を困らせる、議会のベンチへからだを縛りつけておいて、わざわざ騒々しく叫び立てる。
これは意外の現象ですが、ことによると女は何をしても男の方で遠慮するから構わないという意味でやっているのかも分りません。
しかしまあどういう理由にしても変則らしい気がします。
一般の英国気質というものは、今お話しした通り義務の観念を離れない程度において自由を愛しているようです。
●それで私は何も英国を手本にするという意味ではないのですけれども、要するに義務心を持っていない自由は本当の自由ではないと考えます。
というものは、そうしたわがままな自由は決して社会に存在し得ないからであります。
よし存在してもすぐ他から排斥され踏み潰されるにきまっているからです。
私はあなたがたが自由にあらん事を切望するものであります。
同時にあなたがたが義務というものを納得せられん事を願ってやまないのであります。
こういう意味において、私は個人主義だと公言してはばからないつもりです。
●この個人主義という意味に誤解があってはいけません。
ことにあなたがたのようなお若い人に対して誤解を吹き込んでは私がすみませんから、その辺はよくご注意を願っておきます。
時間がせまっているからなるべく単簡に説明致しますが、
個人の自由は先刻お話した個性の発展上極めて必要なものであって、
その個性の発展がまたあなたがたの幸福に非常な関係を及ぼすのだから、
どうしても他に影響のない限り、僕は左を向く、君は右を向いても差支ないくらいの自由は、
自分でも把持(はじ)し、他人にも附与しなくてはなるまいかと考えられます。
それがとりも直さず私のいう個人主義なのです。
金力権力の点においてもその通りで、俺の好かないやつだから畳んでしまえとか、気に喰くわない者だからやっつけてしまえとか、悪い事もないのに、ただそれらを濫用したらどうでしょう。
人間の個性はそれで全く破壊されると同時に、人間の不幸もそこから起らなければなりません。
たとえば私が何も不都合を働らかないのに、単に政府に気に入らないからと云って、警視総監が巡査に私の家を取り巻かせたらどんなものでしょう。
警視総監にそれだけの権力はあるかも知れないが、徳義はそういう権力の使用を彼に許さないのであります。
または三井とか岩崎とかいう豪商が、私を嫌うというだけの意味で、私の家の召使を買収して事ごとに私に反抗させたなら、これまたどんなものでしょう。
もし彼らの金力の背後に人格というものが多少でもあるならば、彼らは決してそんな無法を働らく気にはなれないのであります。
●こうした弊害はみな道義上の個人主義を理解し得ないから起るので、自分だけを、権力なり金力なりで、一般に推し広めようとするわがままにほかならんのであります。
だから個人主義、私のここに述べる個人主義というものは、決して俗人の考えているように国家に危険を及ぼすものでも何でもないので、
他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬するというのが私の解釈なのですから、立派な主義だろうと私は考えているのです。
●もっと解りやすく云えば、党派心がなくって理非がある主義なのです。
朋党を結び団隊を作って、権力や金力のために盲動しないという事なのです。
それだからその裏面には人に知られない淋しさも潜んでいるのです。
すでに党派でない以上、我は我の行くべき道を勝手に行くだけで、そうしてこれと同時に、他人の行くべき道を妨げないのだから、ある時ある場合には人間がばらばらにならなければなりません。
そこが淋しいのです。
私がかつて朝日新聞の文芸欄を担任していた頃、だれであったか、三宅雪嶺さんの悪口を書いた事がありました。
もちろん人身攻撃ではないので、ただ批評に過ぎないのです。
しかもそれがたった二三行あったのです。
出たのはいつごろでしたか、私は担任者であったけれども、病気をしたからあるいはその病気中かも知れず、または病気中でなくって、私が出して好いと認定したのかも知れません。
とにかくその批評が朝日の文芸欄に載ったのです。
すると「日本及び日本人」の連中が怒りました。
私の所へ直接にはかけ合わなかったけれども、当時私の下働きをしていた男に取消を申し込んで来ました。
それが本人からではないのです。
雪嶺さんの子分 ― 子分というと何だか博奕打のようでおかしいが、― まあ同人といったようなものでしょう、どうしても取り消せというのです。
それが事実の問題ならもっともですけれども、批評なんだから仕方がないじゃありませんか。
私の方ではこちらの自由だというよりほかに途はないのです。
しかもそうした取消を申し込んだ「日本及び日本人」の一部では毎号私の悪口を書いている人があるのだからなおのこと人を驚ろかせるのです。
私は直接談判はしませんでしたけれども、その話を間接に聞いた時、変な心持がしました。
というのは、私の方は個人主義でやっているのに反して、向うは党派主義で活動しているらしく思われたからです。
当時私は私の作物をわるく評したものさえ、自分の担任している文芸欄へ載せたくらいですから、
彼らのいわゆる同人なるものが、一度に雪嶺さんに対する評語が気に入らないと云って怒ったのを、驚ろきもしたし、また変にも感じました。
失礼ながら時代後れだとも思いました。封建時代の人間の団隊のようにも考えました。
しかしそう考えた私はついに一種の淋しさを脱却する訳に行かなかったのです。
私は意見の相違はいかに親しい間柄でもどうする事もできないと思っていましたから、私の家に出入りをする若い人達に助言はしても、その人々の意見の発表に抑圧を加えるような事は、他に重大な理由のない限り、決してやった事がないのです。
私はひとの存在をそれほどに認めている、すなわちひとにそれだけの自由を与えているのです。
だから向うの気が進まないのに、いくら私が汚辱を感ずるような事があっても、決して助力は頼めないのです。
そこが個人主義の淋しさです。
個人主義は人を目標として向背(こうはい)を決する前に、まず理非を明らめて、去就を定めるのだから、ある場合にはたった一人ぼっちになって、淋しい心持がするのです。
説明 向背(こうはい)を決する とは、従うか、背くかを決めること です。
理非を明らむ とは、道理にかなっているか否かを明らかにすること です。
それはそのはずです。槙雑木(まきざっぽう)でも束になっていれば心丈夫ですから。
説明 槙雑木 は、真木撮棒 の当て字で、切ったり割ったりしてある薪 のことです。
真木撮棒 も当て字のようで 薪雑把 が元字のようです。
雑把は、ざっぱ、ざっぽう と発音され、雑にまとめられた の意で、大雑把 は、今でも使われます。
●それからもう一つ誤解を防ぐために一言しておきたいのですが、
何だか個人主義というとちょっと国家主義の反対で、それを打ち壊すように取られますが、そんな理窟の立たない漫然としたものではないのです。
いったい何々主義という事は私のあまり好まないところで、人間がそう一つ主義に片づけられるものではあるまいとは思いますが、説明のためですから、ここにはやむをえず、主義という文字の下にいろいろの事を申し上げます。
ある人は今の日本はどうしても国家主義でなければ立ち行かないように云いふらしまたそう考えています。
しかも個人主義なるものを蹂躙(じゅうりん)しなければ国家が亡びるような事を唱道するものも少なくはありません。
けれどもそんな馬鹿げたはずは決してありようがないのです。
事実私共は国家主義でもあり、世界主義でもあり、同時にまた個人主義でもあるのであります。
●個人の幸福の基礎となるべき個人主義は個人の自由がその内容になっているには相違ありませんが、各人の享有するその自由というものは国家の安危に従って、寒暖計のように上ったり下ったりするのです。
これは理論というよりもむしろ事実から出る理論と云った方が好いかも知れません、つまり自然の状態がそうなって来るのです。
国家が危くなれば個人の自由が狭められ、国家が泰平の時には個人の自由が膨脹して来る、それが当然の話です。
いやしくも人格のある以上、それを踏み違えて、国家の亡びるか亡びないかという場合に、かん違いをしてただむやみに個性の発展ばかりめがけている人はないはずです。
私のいう個人主義のうちには、火事が済んでもまだ火事頭巾が必要だと云って、用もないのに窮屈がる人に対する忠告も含まれていると考えて下さい。
また例になりますが、昔し私が高等学校にいた時分、ある会を創設したものがありました。
その名も主意も詳しい事は忘れてしまいましたが、何しろそれは国家主義を標榜したやかましい会でした。
もちろん悪い会でも何でもありません。
当時の校長の木下広次さんなどは大分肩を入れていた様子でした。
その会員はみんな胸にメダルを下げていました。私はメダルだけはご免蒙りましたが、それでも会員にはされたのです。
無論発起人でないから、ずいぶん異存もあったのですが、まあ入っても差支なかろうという主意から入会しました。
ところがその発会式が広い講堂で行なわれた時に、何かのはずみでしたろう、一人の会員が壇上に立って演説めいた事をやりました。
ところが会員ではあったけれども私の意見には大分反対のところもあったので、私はその前ずいぶんその会の主意を攻撃していたように記憶しています。
しかるにいよいよ発会式となって、今申した男の演説を聴いてみると、全く私の説の反駁に過ぎないのです。
故意だか偶然だか解りませんけれども勢い私はそれに対して答弁の必要が出て来ました。
私は仕方なしに、その人のあとから演壇に上りました。
当時の私の態度なり行儀なりははなはだ見苦しいものだと思いますが、それでも簡潔に云う事だけは云って退けました。
ではその時何と云ったかとお尋ねになるかも知れませんが、それはすこぶる簡単なのです。
私はこう云いました。―― 国家は大切かも知れないが、そう朝から晩まで国家国家と云ってあたかも国家に取りつかれたような真似はとうてい我々にできる話でない。
常に国家の事以外を考えてならないという人はあるかも知れないが、そう間断なく一つ事を考えている人は事実あり得ない。
豆腐屋が豆腐を売って歩くのは、決して国家のために売って歩くのではない。
根本的の主意は自分の衣食の糧を得るためである。
しかし当人はどうあろうともその結果は社会に必要なものを供するという点において、間接に国家の利益になっているかも知れない。
これと同じ事で、今日の昼に私は飯を三杯たべた、晩にはそれを四杯に増やしたというのも必ずしも国家のために増減したのではない。
正直に云えば胃の具合で決めたのである。
しかしこれらも間接のまた間接に云えば天下に影響しないとは限らない、否、見方によっては世界の大勢に幾分か関係していないとも限らない。
しかしながら肝心の当人はそんな事を考えて、国家のために飯を食わせられたり、国家のために顔を洗わせられたり、また国家のために便所に行かせられたりしては大変である。
国家主義を奨励するのはいくらしても差支ないが、できない事をあたかも国家のためにするごとくに装うのは偽りである。
― 私の答弁はざっとこんなものでありました。
●いったい国家というものが危くなれば誰だって国家の安否を考えないものは一人もない。
国が強く戦争の憂いが少なく、そうして他から犯される憂がなければないほど、国家的観念は少なくなってしかるべき訳で、その空虚を充たすために個人主義が入ってくるのは理の当然と申すよりほかに仕方がないのです。
今の日本はそれほど安泰でもないでしょう。貧乏である上に、国が小さい。
したがっていつどんな事が起ってくるかも知れない。
そういう意味から見て吾々は国家の事を考えていなければならんのです。
けれどもその日本が今が今潰れるとか滅亡の憂目にあうとかいう国柄でない以上は、そう国家国家と騒ぎ廻る必要はないはずです。
火事の起らない先に火事装束をつけて窮屈な思いをしながら、町内中駈け歩くのと一般であります。
結局、こういう事は実際、程度問題で、いよいよ戦争が起った時とか、危急存亡の場合とかになれば、
考えられる頭の人、― 考えなくてはいられない人格の修養の積んだ人は、自然そちらへ向いて行く訳で、
個人の自由を束縛し個人の活動を切りつめても、国家のために尽すようになるのは天然自然と云っていいくらいなものです。
だからこの二つの主義はいつでも矛盾して、いつでも撲殺し合うなどというような厄介なものでは万々ないと私は信じているのです。
この点についても、もっと詳しく申し上げたいのですけれども時間がないからこのくらいにして切り上げておきます。
ただもう一つご注意までに申し上げておきたいのは、国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える事です。
元来国と国とは辞令はいくらやかましくっても、徳義心はそんなにありゃしません。
説明 辞令は、職の任免のときに交付される文章ですが、応対時の挨拶言葉も指します。例 外交辞令
詐欺をやる、ごまかしをやる、ペテンにかける、めちゃくちゃなものであります。
だから国家を標準とする以上、国家を一団と見る以上、よほど低級な道徳に甘んじて平気でいなければならないのに、
個人主義の基礎から考えると、それが大変高くなって来るのですから考えなければなりません。
だから国家の平穏な時には、徳義心の高い個人主義にやはり重きをおく方が、私にはどうしても当然のように思われます。
その辺は時間がないから今日はそれより以上申上げる訳に参りません。
●私はせっかくのご招待だから今日まかり出て、できるだけ個人の生涯を送らるべきあなたがたに個人主義の必要を説きました。
これはあなたがたが世の中へ出られた後、幾分かご参考になるだろうと思うからであります。
はたして私のいう事が、あなた方に通じたかどうか、私には分りませんが、もし私の意味に不明のところがあるとすれば、それは私の言い方が足りないか、または悪いかだろうと思います。
で私の云うところに、もし曖昧の点があるなら、好い加減にきめないで、私の宅までおいで下さい。
できるだけはいつでも説明するつもりでありますから。
またそうした手数を尽さないでも、私の本意が充分ご会得になったなら、私の満足はこれに越した事はありません。
あまり時間が長くなりますからこれでご免を蒙ります。
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