夏目漱石 明暗 

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2019.10.9

 「明暗」は、夏目漱石の新聞連載小説です。

朝日新聞に、大正5年(1916年) 5月26日に、第1回を開始しましたが、

漱石が、同年12月9日に死去したため、12月26日に、第188回を掲載後、未完となりました。

 1990年になって、水村美苗さんが、『続明暗』を発表して、1990年の芸術選奨新人賞を獲得しました。

その文体は、漱石の文体を模擬したものでしたが、それは、

水村さんが、中学生の頃、アメリカに引っ越すことになり、望郷の念にかられながら、

明治大正期の日本文学を愛読した結果、身に着けたものでした。

しかし、水村さんは、1999年に発表した 「漱石と『恋愛小説の物語』」という文章において、

もっと子供の頃、「小公女」「若草物語」「足長おじさん」「ジェーンエア」「嵐が丘」などの

英国ビクトリア朝の女流作家の書いた少女文学がとりあげている恋愛・結婚の問題を、

漱石が「明暗」において、継承していることこそが、「続明暗」を書きたいと思った主因だと語っています。

 

 漱石の「明暗」は、やたら難しい漢字を使ったり、今では死語となってしまった当時の衣装や文物の名前などが

沢山でてきて、読者を、疲れさせます。

そこで、現代の読者には無用と思われる言葉は、置き換え、または、削除してみることにしました。

 まだ、作業途中ですが、現在版を、順次、示します。

 これから、何度も読み返しながら、難しい単語を改定していきますが、何度も、読み返すなかで、

私なりの続明暗も、考えていきたいと思っています。

 

 漱石は、明暗を新聞小説として発表しました。新聞小説は、一気に読むことはできず、

毎日届く新聞で、時間をかけて、ゆっくりと読むことしかできません。

しかし、NHKテレビの朝ドラが、いい例なのですが、毎日毎日、少しずつ話が進み、

登場人物たちと、半年ないし一年つきあうことこそが、朝ドラが人気になる理由です。

 漱石の「明暗」は、少しずつ、もしくは、何度も繰り返して、読むべき作品だと思います。

 

 夏目漱石は、現代でも、有名な作家なのですが、彼の作品をちゃんと読んだ人は、驚くほど少ないのです。

私も、漱石の「こころ」などの小説は、くどくどと何度も繰り返す、押し付けがましい文章なので、

読むのが大嫌いです。

 でも、幸い、「明暗」には、そういう嫌味はなく、読みやすい文章だと思います。

 

 また、漱石の小説は、一人の主人公の主観で書かれることが多かったのですが、

明暗では、登場する何人かの人物の主観で物語が語られ、

多彩な人間関係を描いた小説として、楽しむことができます。

 

 漱石は、当て字 を多用していますが、本来の漢字におきかえました。

 漱石は、宅という字に、うち とフリガナを当てて多用していますが、

 フリガナ無しで、宅 を、うち と読むのは、難しいので、家(いえ) という字をあてることにしました。

2022.01.18

 「明暗」の難しい漢字を、置き換え、または削除する作業が、頓挫していたのを思い出し、

再開するために、新しくなった定本漱石全集の第11巻を図書館から借りてきました。

 全集は、字が大きく、フリガナもふられていて読みやすいだけでなく、

注解が沢山ついていて、より深く読むことができるので、じっくり読むには、おすすめです。

 

 「明暗」の主人公の津田は、痔の治療を受け、入院手術しますが、これは、漱石の実体験です。

全集の注解の関連部分を少し紹介します。

 漱石は明治44年8月、大阪朝日新聞主催の関西講演の際に胃潰瘍を再発、

湯川病院に約1ヶ月入院して9月14日に帰京したが、入院中から肛門部に異常を覚え、

帰京直後に佐藤恒祐医師の治療を受けた。

さらに翌大正元年9月26日から10月2日まで同医師の佐藤診療所に入院して

根本的な切開手術を受けている。同医師の回想「漱石先生と私」によれば、

漱石は帰京後、大阪に引き続いての入院を好まず、

胃腸病の主治医で牛込赤城下町に開業していた須賀保の往診を乞い、

たまたま須賀の所に碁を打ちに行っていた佐藤が、性病専門にもかかわらず

治療に当たることになったという。

診断は、肛門周囲膿瘍で、明治44年9月下旬から45年4月にかけて通院と往診を繰り返し、

数回の切開で一旦は小康を得たが、大正元年9月に至って再度悪化、

9月26日に本格的な痔瘻の手術を受け、10月2日まで入院した。

術後の経過はきわめて良好で、10月末に痔疾は完治した。

 「漱石先生と私」に掲載された、佐藤診療所の地図と、内部の配置図が、全集にも掲載されています。

 また、「明暗」冒頭の、医者の診断ですが、漱石の明治44年12月4日の日記に以下の記述があるそうです。

此朝佐藤さんへ行って又痔の中を開けて疎通をよくしたら五分の深さと思ったものがまだ一寸程ある。

途中に瘢痕が瘤起してゐたのを底と間違へてゐたのださうで、其瘢痕を掻き落してしまったら

一寸ばかりになるのださうである。しかも穴の方向が腸の方へ近寄ってゐるのだから

腸へつづいてゐるかも知れないのが甚だ心配である。」

 津田は、「苦笑の内に淡く盛り上げられた失望の色」を浮かべましたが、それが、漱石の心情です。

 

 これから1ヶ月くらいかけて、漢字の置き換えをやってゆきます。

なお、宅(うち) を、家(うち)、に変えたいと以前書きましたが、思い直して、

にしようかとも考えたのですが、結局、宅(うち) とすることにしました。

 

 

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