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夏目漱石 草枕  原文 現代語訳 英訳 対比

2017.12.19  訳了|一 2018.1.4|二 2018.1.24|三 2018.2.5|四 2020.12.8|

 原文、直訳英訳 の形で、対比表示します。

●山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。  山道を登りながら、私は、こう考えた。
Walking up a mountain track, I fell into thinking.

●智に働けば角(かど)が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
知恵で行動すると角が立つ。感情に乗じると流される。意地を通すと窮屈だ。とにかく人の世は住みにくい。
If you do rationally, things go harsh, if you do emotionally, you will be swept away, if you insist, you feel tight. Anyhow the human world is an uncomfortable place to live in.

説明 二つ目の「情に掉させば流される」は、情を水に例えたものですが、流される とあるので、水流や時流に流されてしまうのだから、

   掉さすとは、水流に逆らっているのかなと、子供のころ読んだ時には、思っていたのですが、辞書を引くと

   掉さすとは、棹を水底に突っ張って船を進める、流行についていって上手にたちはたらく と説明されています。

   しかし、これは、水流が弱い時の話なので、流されるほど水流が強い時どうなるかは、色んな場合が考えられそうです。

●住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
住みにくさが高まると、住み安い処へ引っ越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれ、絵ができる。
When the uncomfortableness increases, you want to move to some other place where life is more comfortable.  When you realize that life is uncomfortable wherever you may move, then the poem is cited and the picture is borne.

●人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。
人の世を作った者は、神でもなく、鬼でもなく、向こう三軒両隣にちらちらする普通の人である。
This world is created not by the work of god nor devil, but by the ordinary people around us.

ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
普通の人が作った人の世が住みにくいからと言って、引っ越す国はないだろう。
Even if you find it uncomfortable to live in the world created by the ordinary people, there is no other place to which to move.

あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
あるとしても人でなしの国に行くことになるだけだ。人でなしの国は人の世よりも、もっと住みにくいだろう。
Even if there is one, it can only be a non-human country.  Such a country will be much more uncomfortable than the world created by the ordinary people.

説明 前半の「越す国があれば人でなしの国へ行くばかりだ」は、意味の取りにくい文章です。

   越す国があるとしても、それとは別の人でなしの国に行く という解釈と、その越す国に行っても、そこは人でなしの国だ

   という解釈があり、私は後者の解釈をとりました。

   人でなし とは、所謂ひとでなし(人非人)、人でない人 という取り方と、人でない者 すなわち、神や鬼 という取り方があります。

●越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
引っ越すことができないこの世が住みにくければ、住みにくい所を、いか程か、くつろぐことができ、短い命を、短い間でも、住みよくしなければならない。
If there is no escape from this world in which you find hard to live, you have to make it a little more comfortable and you have to make your short life more livable even for a short time.

ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降(くだ)る。
ここに詩人という天職ができ、ここに画家という使命が降りてくる。
Here comes the vocation of the poet, and here comes the mission of the painter.

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。
あらゆる芸術家は、人の世をのどかにし、人の心を豊かにするので、尊いのだ。
All the artists are precious, because they are able to make peaceful the human world and to make rich the human mind.

●住みにくき世から、住みにくき煩(わずら)いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。
住みにくい世から、住みにくい煩悶を引き抜いて、有難い世界を目の前に写すのが、詩であり、絵画なのだ。
It is a poem or a painting that can depict a blessed world in front of our eyes by removing uncomfortable troubles from the troubled world.

あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。
あるいは音楽と彫刻です。細かく言うと写さなくてもいいのです。ただ目の前に見れば、そこに詩も生き、歌も湧いてくるのだ。
Or it is the music or the sculpture.  Strictly speaking, it does not need to depict.  If only you see the blessed world in front of you, a poem is born and the music pours out.

着想を紙に落さぬともキュウソウの音は胸裏に起る。
着想を紙に書き落とさなくても、美しい音は心の中に起こる。
No need to write your thinking down to paper.  A beautiful song will occur in your mind.

丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自から心眼に映る。
絵具は、イーゼルに向かって塗りつけなくても、五色の醸す美しさは自ずから心眼に映る。
No need to impaste a canvas at the easel.  Colourful beauty will naturally show in your mind eye.

ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁(ぎょうきこんだく)の俗界を清くうららかに収め得れば足る。
ただ自分が住むこの世を、このように観ることができ、心の中のカメラに、道徳が乱れ濁った俗世間を清く美しく収得できれば十分なのだ。
It suffices if you look at the world as it is but take a beautiful photo of the ugly world with a camera inside you.

この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家にはセッケンなきも、かく人世(じんせい)を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく清浄界(しょうじょうかい)に出入し得るの点において、またこの不同不二(ふどうふじ)の乾坤(けんこん)を建立し得るの点において、我利私慾の覊絆(きはん)を掃蕩(そうとう)するの点において、―― 千金の子よりも、万乗(ばんじょう)の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。
この故に、声の無い詩人に一つの句もなく、無色の画家に一つの絵がなくとも、彼等が、このように人生を感じることができるという点において、このように煩悩を解脱できるという点において、このように清浄な世界に出入りできるという点において、唯一無二の世界を建築できるという点において、私利私欲の束縛を掃討できるという点において、彼等は、金持ちの子よりも、大国の君主よりも、どんな俗界の人気者よりも、幸せである。
Even for a poet with no verse yet and a painter with no picture yet, they can view the life in this way, attain nirvana, have passport to the purified world, and build one and only world of their own.  This is why they are happier than a child of the rich, a monarch of the big power, or the beloved of any earthly society.

●世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。
この世に住むこと20年にして、この世は住む甲斐のある世であると知った。
When I had lived in this world for twenty years, I at last realized that this world is worth living in.

二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。
この世に住むこと25年にして、明暗は表裏一体で、日があたる所には必ず影が差していることを悟った。
When I had lived in this world for 25 years, I realized that light and dark are sides of the same coin, and that wherever the sun shines shadows also must fall.

三十の今日はこう思うている。  30年の今日は、このように思っている。
Now, at thirty years old, here is what I think.

――喜びの深きとき憂いよいよ深く、楽みの大いなるほど苦しみも大きい。
喜びが深い時は憂いはいよいよ(より一層)深く、楽しみは大きいほど、苦しみも大きい。
When joy deepens, also sorrow deepens, and the greater the joy is, the greater the sorrow is.

これを切り放そうとすると身が持てぬ。片づけようとすれば世が立たぬ。
両者を切り離そうとすると身が持ちません。片付けようとすると、世が立たない。
If you try to separate them, your body cannot stand.  If you try to clear them, the world crumbles.

金は大事だ、大事なものが殖えれば寝る間も心配だろう。
金は大事ですが、その大事なものが増えると、寝る間も心配になるだろう。
Money is essential, but if the money increases, anxiety will inhibit your sleep.

恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。
恋は嬉しいけれど、嬉しい恋が積もれば、恋をしない昔がかえって恋しかろう。
Love is delightful, but if the love swells, you will miss the happier days before love.

閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下がおぶさっている。
閣僚の肩には数百万の足を支えています。背中には重い天下がおぶさっている。
Cabinet ministers bear millions of people on their shoulder, while they must bear the tremendous burdens on their back.

うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……
おいしい物も、食べなければ惜しいが、少し食べれば飽き足らず、十分食べれば、あとが不愉快だ。
You envy delicious foods before you eat, you want more when you some, but you feel disgusted when you eat more than enough.

●余の考えがここまで漂流して来た時に、余の右足は突然坐りのわるい角石(かくいし)の端を踏み損くなった。
私の考えがここまで漂流して来た時に、私の右足が突然不安定な角張った石の角を踏みそこなってしまった。
As my drifting thoughts reached this point, my right foot failed to step the angular edge of an unstale rock

平衡を保つために、すわやと前に飛び出した左足が、仕損じの埋め合せをすると共に、余の腰は具合よく方三尺ほどな岩の上に卸りた。
平衡を保つために、それと前に飛び出した左足が、失敗の埋め合わせをするとともに、私の腰も都合よく1m四方の岩の上におりた。
I tried to keep balance by shooting my left foot forward, which compasated my failure, and frtunately I sat on awide boulder about three feet across.

肩にかけた絵の具箱が腋の下から躍り出しただけで、幸いと何の事もなかった。
肩にかけた絵具箱が脇の下から踊り出ただけで、幸い何事もなかった。
The paint box, hanging from my shoulder, jumped forward a little under my arm, but otherwise no damage was made.

●立ち上がる時に向うを見ると、路から左の方にバケツを伏せたような峰が聳えている。
起き上がるときに向こうを見ると、道路から左の方にバケツを伏せたような峰がそびえている。
Standing up, I looked forward, and found a mountain peak shaped like an inverted bucket soaring to the left of the path.

杉か檜か分からないが根元から頂きまでことごとく蒼黒(あおぐろ)い中に、山桜が薄赤くだんだらに棚引いて、続(つ)ぎ目が確と見えぬくらい靄(もや)が濃い。
杉か檜かわからないが麓から山頂まで、ことごとく深緑で覆われている中に、山桜が薄赤く何段にも横長くのび、継ぎ目がはっきり見えないくらい靄が濃いい。
It was covered from base to peak in dep green with the trees, which could be cypress or ceder. Several pink lines of mountain cherry extend horizontally, with connection points being obscured by deep mist.

少し手前に禿山が一つ、群をぬきんでて眉に逼る。
少し手前にはげ山が一つ、群を抜きんでそびえ、眼前にせまってくる。
A little nearer is a bald mountain rising sharply above others and pressing me down in front of my eyes.

禿げた側面は巨人の斧で削り去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底に埋めている。
はげた側面は、巨人の斧で削り去ったのか、鋭い面を
Its naked flank might have been slashed by the ax of some giant

説明 やけに谷の底に埋めている の訳し方は、よくわかりません。

   鋭い平面は、地滑り跡 で、地滑りが谷底を埋めている光景を語っていると思います。

天辺(てっぺん)に一本見えるのは赤松だろう。枝の間の空さえ判然(はっきり)している。
山頂に一本見えるのは赤松だろう。枝の間にすけて見える空も、はっきり見える。
The single on the peak would be a red pine.  Through the branches, the sky can be seen clearly.

行く手は二丁ほどで切れているが、高い所から赤い毛布(けっと)が動いて来るのを見ると、登ればあすこへ出るのだろう。
行く先は、200m程で途切れているが、向こうの高い所から赤いケットを着た人が動いて来るのを見ると、このまま昇ればあそこに出るのだろう。
The path disappears about 200 yards ahead, but the sight of a red-cloaked figure walking far above suggests that the path will lead to that place.

路はすこぶる難義だ。  道路は、非常にきつい。  The path is terribly hard.

●土をならすだけならさほど手間も入るまいが、土の中には大きな石がある。
土を平らにならすだけなら、そんなに手間は要らないが、土の中には大きな石がある。
It would be easy to level the path made from soil.  However, rocks exist in the soil.

土は平たいらにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。
土は平らにできても、石は平らにならない。小さな石は砕けばいいが、大きな岩は始末のしようがない。
The soil can be levelled, but the rocks are not.  Small rocks can be smashed, but larger rocks cannot be treated.

掘崩した土の上に悠然と峙(そば)だって、吾らのために道を譲る景色はない。
岩は掘り崩した地面のうえに悠然とそびえ、私たちのために道を譲る気配がない。
They sit high above the levelled path, never willing to make way for us.

向うで聞かぬ上は乗り越すか、廻らなければならん。
向こうが(岩が)、こちらの言う事を聞かなうえは、乗り超えるか、横を回らなければならない。
Then we have to climb over them or go around them.

巌(いわ)のない所でさえ歩きよくはない。 山道は、岩のない所でさえ、歩き易くはない。
It is not easy to walk the mountain path, even if there are no large rocks.

左右が高くって、中心が窪んで、まるで一間幅を三角に穿(く)って、その頂点が真中を貫いていると評してもよい。
左右が高くて、中心がくぼんで、

説明 後半の幾何学的な状況がよくわかりません。

路を行くと云わんより川底を渉ると云う方が適当だ。
山道は、道路を進むというよりも、川底を渡るという方があっている。
Walking this mountain path can be expressed better by fording a riverbed.

固より急ぐ旅でないから、ぶらぶらと七曲へかかる。
もとより急ぐ旅ではないので、ぶらぶらと歩き、七曲に通りかかる。
From the very beginning this is not a pressing journey.  I walked slowly and came along a heavily winding path.

説明 七曲 は、道や坂が、幾重にも折れ曲がっていること。また、その場所。

 into●たちまち足の下で雲雀の声がし出した。谷を見下したが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。
すぐさま足の下の方でヒバリの声がしだした。谷をみおろしたが、ヒバリがどこで鳴いているのか、影も形も見えない。
Suddenly a skylark burst into singing just below me.  Gazing down into the valley, I cannot see any sign of the bird.

ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙しく、絶間なく鳴いている。
ただ声だけが明確に聞こえる。せっせと忙しく、絶え間なく鳴いている。
Only the song can be heard clearly.  The song is busy and incessant.

方幾里(ほういくり)の空気が一面に蚤(のみ)に刺されていたたまれないような気がする。
数里四方の空気が一面に、蚤に刺されていたたまれないような気分になっている。
The whole boundless air spreads around me, and make me feel like running away after bites of fleas.

あの鳥の鳴く音には瞬時の余裕もない。  ヒバリの鳴く声には、瞬時の余裕もない。
The skylark never stops singing for an instant.

のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。
ヒバリは、のどかな春の日を、鳴きつくし、鳴きあかし、鳴き暮らさなければ、気が済まないと見える。
It seems that the skylark would not be satisfied unless he keeps singing, stays singing, continues singing throughout a calm spring day.

その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。
その上、ヒバリは、空をどこまでも昇っていく。いつまでも昇っていく。
Moreover, the skylark climbs up and up into the sky.  He keeps on climbing.

雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。  ヒバリは、きっと雲の中で死ぬに違いない。
He is sure to die among the clouds.

登り詰めた揚句は、流れて雲に入って、漂うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡(うち)に残るのかも知れない。
ヒバリは空を昇り詰めた結果、流れて雲に入り、漂っているうちに形が消えてなくなり、ただ声だけが空の中に残るのかも知れない。
After climbing to the top of the sky, he flows into clouds, and dispaaears during floating, and finally only the song may remain in the sky.

●巌角(いわかど)を鋭どく廻って、按摩なら真逆様に落つるところを、際どく右へ切れて、横に見下すと、菜の花が一面に見える。
岩角を鋭く回って、盲目の按摩なら真っ逆さまに落ちてしまうような所を、際どく右に曲がって、横を見下ろすと、菜の花が一面に見える。
I turn a sharp rocky corner, then at the place where a blind man may easily fall, make a accute right turn.  Looking down, I find far below a wide carpet of field mustard.

雲雀はあすこへ落ちるのかと思った。いいや、あの黄金の原から飛び上がってくるのかと思った。
ヒバリはあそこに落ちるのかと思った。いや、ヒバリはある金色の原から飛び上がってくるのかと思った。
The lark would fall down to that place, I wondered.  No, instead, the lark would fly up from there, I thought.

次には落ちる雲雀と、上る雲雀が十文字にすれ違うのかと思った。
さらには、落ちるヒバリと、昇るヒバリが十文字にすれ違うのかと思った。
Then I further wondered that a falling skylark and a flying-up skylark might cross each other.

最後に、落ちる時も、上る時も、また十文字に擦れ違うときにも元気よく鳴きつづけるだろうと思った。
最後に、ヒバリは、落ちる時も、昇る時も、十文字にすれ違うときも、元気よく鳴き続けるのだろうと思った。
At last, I thought the falling skylark, the flying-up skylark, the crossing skylark were always singing vigorously.

●春は眠くなる。猫は鼠を捕る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。
春は人が眠くなる。猫はネズミを捕ることを忘れ、人は借金があることを忘れる。
Spring makes us sleepy.  The cat forgets to chase the mouse, and men forget that they owe money.

時には自分の魂の居所さえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼が醒める。
時には自分の魂の在処さえ忘れて正気がなくなる。ただ菜の花の畑を遠くに眺めたときに、目が覚める。
At times I become unconscious forgetting the site of my soul.  I wake up when I look at the distant field mustard.

雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然する。
ヒバリの声を聞いたときに、魂の在処がはっきりわかる。
When I hear the skylark sing, I notice the site of my soul.

雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。
ヒバリが鳴くのは、口で鳴くのではない、魂全体で鳴くのだ。
The skylark sings not with his throat, but with his entire soul.

魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。
魂の活動が声に現れたもののなかで、ヒバリの声ほど元気のあるものはない。
Among the voices where the act of the soul is expressed, none is more vivid than the voice of the skylark.

ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。
ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが、詩である。
Oh, what a joy!  To think this way, and to enjoy this joy - this is poetry.

●たちまちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうちで覚えたところだけ暗誦して見たが、覚えているところは二三句しかなかった。
すぐにシェリーのヒバリの詩を思い出して、口の中で覚えたところだけ暗唱して見たが、覚えているところは二三句しかなかった。
Suddenly Shelley's poem on the skylark came into my mind.  I tried to recite it to myself, but I could remember only two or three verses.

その二三句のなかにこんなのがある。  その二三句のなかにこんなのがある。
These are a few of those verses:

  We look before and after      And pine for what is not:
  私たちは過去と未来を見つめ   無いものに恋い焦がれる

  Our sincerest laughter        With some pain is fraught;
  私達の最も誠実な笑いが     何か苦しみをはらんでいる   

    Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.
  私たちの最も甘美な歌は、最も悲しい思いを告げる歌である

「前をみては、後(しり)えを見ては、物欲(ものほ)しと、あこがるるかなわれ。
 前を見ては 後ろを見ては 物が欲しいとあこがれているんだな、私は

 腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極みの歌に、悲しさの、極みの想、籠もるとぞ知れ」
 お腹からの笑いといえども、苦しみの底にあるでしょう。美しさの極みの歌に、悲しさの極みの想いが籠っていると知りなさい」

●なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌う訳には行くまい。
なるほどいくら詩人が幸福でも、あるヒバリのように思い切って、一心不乱に、すべてを忘れて、喜びを歌うわけには行かないだろう。
Indeed, no matter how joyful the poet may be, he cannot try to sing his joy as the skylark sings passionately forgetting everything around him.

西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく万斛(ばんこく)の愁などと云う字がある。
西洋の詩には勿論のこと、中国の詩にも、大量の愁い という言葉がある。
AS a matter of course in thw Western poem, there are phrases of "abundant sorrow" in the Chinese poem.

説明 斛は、十斗=百升=千合

詩人だから万斛で素人なら一合で済むかも知れぬ。
詩人だから万斛で、素人なら一合で済むかも知れない。
The non-poet may need sorrow much smaller than the poet.

して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨(ぼんこつ)の倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。
そうしてみると、詩人は、普通の人よりも苦労性で、凡人の倍以上に神経が鋭敏なのかもしれない。
The poet may worry much more than the non-poet, and may be twice more nervous that the non-poet.

超俗の喜びもあろうが、無量の悲も多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。
詩人には、超俗の喜びもあるだろうが、無限の悲しみも多くあるであろう。それなら詩人になるのも考え物だ。
The poet may enjoy exceptional joy, but he may experience boundless sorrow.  Let me hesitate being a poet.

●しばらくは路が平で、右は雑木山、左は菜の花の見つづけである。
しばらくは、道路は平らで、右に雑木林、左に菜の花畑を、見続けて行く。
T
he path continues level for a while.  On the right was a bush, and on the left continues the field mustard.

足の下に時々蒲公英(たんぽぽ)を踏みつける。 足の下に、時々タンポポを踏みつける。
Here and there I tread on dandelions as I walk.

鋸(のこぎり)のような葉が遠慮なく四方へのして真中に黄色な珠を擁護している。
タンポポは、のこぎりのような葉が、四方に伸びて、真ん中に黄色の珠を守っている。
Their saw-toothed leaves spread horizontally and defends the golden orb in the center.

菜の花に気をとられて、踏みつけたあとで、気の毒な事をしたと、振り向いて見ると、黄色な珠は依然として鋸のなかに鎮座している。
菜の花に気をとられて、タンポポを踏みつけたあとで、気の毒なことをしたと、振り向いてみると、黄色の珠は、依然としてのこぎりの中にどっしり座っている。
Paying attention to field mustard, I sometimes tread on dandellions.  I feel sorry for that, and look back to find that golden orb is still nestling being protected by saw-toothed leaves.

呑気なものだ。また考えをつづける。  呑気なものだ。また考えを続ける。
What a carefree creature!  I return to my thoughts.

●詩人に憂(うれい)はつきものかも知れないが、あの雲雀を聞く心持になれば微塵の苦もない。
詩人に憂いはつきものかもしれないが、あのヒバリを聞く気持ちになれば、少しも苦しみはない。
Sorrow may be something indispensable to the poet, but when he listen to the lark singing, all the sorrow melt away.

菜の花を見ても、ただうれしくて胸が躍るばかりだ。  菜の花を見ても、ただ嬉しくて胸が躍るだけだ。
The sight of the field mustard make his heart dance with delight.

蒲公英もその通り、桜も――桜はいつか見えなくなった。
タンポポもその通り、桜も、その通り − しかし、桜は、いつのまにか見えなくなった(季節ではない)。
Likewise with the sight of dandellions, and also cherry blossoms.  Cherry blossoms are already gone out of sight.

こう山の中へ来て自然の景物に接すれば、見るものも聞くものも面白い。
このように山の中に来て自然の景色に接すれば、見るものも、聞くものも、面白い。
Here among the mountains, surrounded by the delights of nature, everything you see and hear is a joy.

面白いだけで別段の苦しみも起らぬ。  面白いだけで、別に苦しみは起こらない。
It is just a joy, no suffering does occur.

起るとすれば足が草臥(くたび)れて、旨いものが食べられぬくらいの事だろう。
山の中で苦しみが起こるとすれば、脚がくたびれて、旨いものが食べられないくらいの事だろう。
As for the sufferings among the mountains, you legs may be tired, or you cannot eat delicious dishes.

●しかし苦しみのないのはなぜだろう。  しかし苦しみがないのは何故だろう。
But why is there no sufferings here?

ただこの景色を一幅の画として観、一巻の詩として読むからである。
ただ、この景色を、一枚の絵として見、一巻の詩として読むからである。
Simply because you see the scenery as a picture, and read the scenery as a poem.

画であり詩である以上は地面を貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲(ひともうけ)する了見も起らぬ。
絵であり詩である限りは、地面を貰って開拓する気にもならないし、鉄道を通らせて一儲けする考えも起きない。
As long as it is a picture or a poem, you don't mean to get the land to cultivate it nor run the railway to make fortune.

ただこの景色が――腹の足しにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も心配も伴わぬのだろう。
ただ、この景色が、すなわち、腹の足しにも、月給の補いにもならないこの景色か、景色としてのみ、私の心を楽しませてくれているから、苦労も心配も伴わないのだろう。
This scenery, which does not fill your belly nor add anything to your salary, makes my heart enjoy as the scenery without accompanying any suffering nor anxiety.

自然の力はここにおいて尊とい。  自然の力は、ここにおいて、尊い。
This is why the power of nature is precious to us.

吾人の性情を瞬刻に陶冶(とうや)して醇乎(じゅんこ)として醇なる詩境に入らしむるのは自然である。
私の性状を、一瞬に養成し、純粋にして純粋な詩境に入らせるのは、自然である。
It is the nature that can instantly discipline my hearts and minds, and lead me into the pure unsullied world of poetry.

●恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。
恋は美しいでしょう、孝行も美しいでしょう、忠君愛国も結構でしょう。
Love may be beautiful, filial duty may be beautiful, loyalty and patriotism may be fine.

しかし自身がその局に当れば利害の旋風(つむじ)に捲き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩んでしまう。
しかし自身がその局面に当たれば、利害の旋風に巻き込まれて、美しい事にも、結構なことにも、目は眩んでしまう。
But, when you are actually involved with them, the violent flurry of advantages and disadvantages will blind you to all the beautiful and fine things.

したがってどこに詩があるか自身には解しかねる。 従って、どこに詩があるか、自分ではわからなくなる。
Therefore you cannot understand by yourself where is a poem.

●これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。
これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の立場に立たなければならない。
In order to understand this, you have to put yourself at the third-person's position.

三者の地位に立てばこそ芝居は観て面白い。小説も見て面白い。
第三者の立場に立ってこそ、芝居は観て面白く、小説も読んで面白い。
As standing on the third-person's position, you feel the play interesting and the novel appealing.

芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚へ上げている。
芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自分の利害は棚にあげている。
The person who find the play interesting or the novel appealing, leaves his self-interest temporarily behind.

見たり読んだりする間だけは詩人である。  見たり読んだりする間だけは、詩人である。
While he sees and reads, he is a poet.

●それすら、普通の芝居や小説では人情を免かれぬ。
見たり読んだりする間ですら、普通の芝居や小説では、人情を免れる事はできない。
However while he sees the usual play and reads the usual novel, he cannot escape from human feelings.

苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。  苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。
He suffers, rages, clamors, and cries.

見るものもいつかその中に同化して苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。
芝居を観る者も、いつしか、その中に同化して、苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。
While seeing the play, he assmilate himself into the play, and suffers, rages, clamors, and cries.

取柄は利慾が交らぬと云う点に存するかも知れぬが、交らぬだけにその他の情緒は常よりは余計に活動するだろう。
芝居や小説の取柄は、利欲が入ってこないという点にあるかもしれないが、入ってこないだけに、その他の情緒は、いつもより余計に活動するだろう。
The merit of plays and novels may be being devoid of love of gain.  But being devoid of love of gain may activate other emotions far more than usual.

それが嫌だ。  それが嫌だ。  I hate that.

●苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。
苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりするのは、人の世につきものだ。
Suffering, raging, clamoring, crying, all of these behaviours belong to the human world.

余も三十年の間それを仕通して、飽々した。 私も、この30年間それをしとおして、飽き飽きした。
For thirty years, I had been doing such behaviours of my own, and now I am tired of them.

飽き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。
飽き飽きした上に、芝居や小説で同じ刺激を繰りかえすのでは、大変だ。
Add to this, such behaviours are replayed in the theater and in the novels.  This is serious!

余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞するようなものではない。
私が欲する詩は、そんな世間的な人情を鼓舞するようなものではない。
The poems I desire are not those that inspire such worlly emotions.

俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である。
俗念を放棄し、しばらくの間でも塵に穢れた世の中を離れた気持ちになれる詩である。
They are the poems that make me feel away from the dusty dark world if only for a short time.

いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。
どんなに傑作でも、人情を離れた芝居はなく、是非を超えた小説は少ないだろう。
However great it may be, the play cannot separate from human emotions, and also the novel cannot neglect reason.

どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。
どこまでも世間を出る事ができないのが、芝居や小説の特色である。
The characteristic of plays and novels is their incapability of escaping from the human world.

ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌の純粋なるものもこの境(きょう)を解脱する事を知らぬ。
特に西洋の詩になると、人事が根本になっているので、いわゆる純粋な詩歌なるものにおいても、この境地を解脱することを知らない。
Especially when it comes to Western poems, they are based on human affairs.  Even the purest poems cannot escape from this state.

どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世の勧工場(かんこうば)にあるものだけで用を弁じている。
どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、この世のデパートにあるものだけで用を述べている。
All the way they get trough love, justice, freedom, and all other items sold in the department store.

いくら詩的になっても地面の上を馳けてあるいて、銭の勘定を忘れるひまがない。
いくら詩的になっても、地面の上を駆けたり歩いたりして、銭勘定を忘れる時がない。
However poetic they may be, they never forget moving around the earth nor exchanging commercial business.

シェレーが雲雀を聞いて嘆息したのも無理はない。
シェリーがヒバリを聞いて、溜息をついたのも無理はない。
I deeply understand Shelly giving a sigh when he heard larks singing in the sky.

●うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。
うれしい事に、東洋の詩歌は、そこを解脱しているのがある。
To my happiness, some Eastern poems did escape from the earthly affairs.

 採菊東籬下、悠然見南山  菊を採る 東籬の下、悠然として南山を見る。
 家の東側の垣根の下で菊を採り、悠然として、南山を見る
 
Beneath the eastern hedge, I pluck chrysanthemums, and I gaze serenely at the Southern Hills.

説明 中国晋末宋初の詩人陶淵明の詩。東籬は、家の東側の垣根

ただそれぎりの裏(うち)に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。
ただそれだけの中に、暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。
In this simple setting, there appears a scene, where the stifling world is completely forgotten.

垣の向うに隣りの娘が覗いてる訳でもなければ、南山に親友が奉職している次第でもない。
垣根の向こうに隣の娘が覗いているわけでもなければ、南山に親友が教職についているわけでもない。
It does not mean a next-door girl is peeping in beyond the hedge, it also does not mean that his intimate friend got a teaching position at the Southern Hills.

超然と出世間的(しゅっせけんてき)に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。
超然と俗世間を離れたかのように利害や損得の汗を流し去った気分になることができる。
You feel in such mood that you have been washed clean of the sweat of worldly self-interest as if you separate yourself from the ugly world.

 独坐幽篁裏、弾琴復長嘯  独り幽篁の裏に坐し、琴を弾じて復長嘯す、
 独り奥深い竹藪の中に座り、琴を弾いて、長々と歌う、
 
Seated alone in a deep bamboo grove, I plunk the lute, and hum a melody of long duration,

 深林人不知、明月来相照  深林人を知らず、明月来たりて相照らす。
 深い竹藪には人がおらず、明るい月が来て、相照す
 
No one is in the grove, and only the bright moon comes to shine on me.

説明 中国唐代の詩人王維の詩。幽篁は、奥深い竹藪。長嘯は、長々と歌うこと。

ただ二十字のうちに優に別乾坤(べつけんこん)を建立している。
たった二十字のうちに、十分に、別天地(俗世間とは別の出世間的な天地)を建立している。
In these four lines, a whole new world is constructed.

この乾坤の功徳は「不如帰」や「金色夜叉」の功徳ではない。
この天地の功徳(御利益)は、「不如帰」や「金色夜叉」の御利益ではない。
The virtues of this new world are not the ones of contemporary novels such as "Hototogisu" or "Konjikiyasha".

汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後に、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。
汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義などで疲れ果てた後に、すべてを忘却してぐっすり寝込むような御利益である。
They are the virtues equivalent to those of fast sleep after you become entirely exhausted by the world of steamships, trains,  rights and duties, morals and manners (such as you experience in the above novels).

説明 汽船は、不如帰にでてきます。尾崎紅葉は、汽車が苦手でした。

●二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。
新しい二十世紀に睡眠が必要というならば、二十世紀にはこの出世間的な詩の味は大切である。
If the sleep is necessary for this new 20th century, the poetry of transcendence must be essential for the 20th century.

説明 出世間的 は、世間のわずらわしさから超然としている様子 のことです。

惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気な扁舟(へんしゅう)を泛かべてこの桃源に溯るものはないようだ。
惜しいことに現今の詩を作る人も、詩を読む人も皆、西洋人にかぶれているので、わざわざ呑気な小舟を浮かべてこの桃源郷に遡ろうとする人はいないようだ。
Regrettably, today, men who write poems, and men who read poems are all infected by the Westerners so that they are not going to float leisurely a small boat to row upstream to the land of Paradise.

余は固より詩人を職業にしておらんから、王維や淵明の境界(きょうがい)を今の世に布教して広げようと云う心掛も何もない。
私はもとより詩人を職業にしていないから、王維や陶淵明の境地を今の世に布教して広げようとする気持ちはない。
From the very beginning I am not a poet by profession, and have no intention to preach the ground of Wang Wei or Tao Yuanming.

ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。
ただ私にはこういう興味を感じることが、演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。
For me, the delights felt in these poems give more healing than theater shows or dance parties do.

ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。 ファウストよりもハムレットよりも、有難く感じられる。
I believe they are more valuable than Faust or Hamlet.

こうやって、ただ一人絵の具箱と三脚几を担いで春の山路をのそのそあるくのも全くこれがためである。
私が、こうやって只一人、絵具箱とイーゼルを担いで、春の山道をのそのそと歩くのも、全くこのためである。
This is why I stroll alone along the spring mountain path carrying a paint box and an easel.

淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間でも非人情の天地に逍遥したいからの願い。
陶淵明や王維の詩境を自然から直接に吸収して、少しの間でも非人情の天地をぶらぶら歩きたいからの願い。
My desire to stroll awhile in the realm of unhuman detachment, absorbing the atmosphere of Yuanming and Wang Wei directly from the Nature.

説明 岩波漱石全集の解説によると、非人情は、人情・不人情を超越したもので、漱石独自の用語。

一つの酔興だ。  一種のものずきだ。  This is a whim of mine.

●もちろん人間の一分子だから、いくら好きでも、非人情はそう長く続く訳には行かぬ。
勿論、私は、人間の一人だから、いくら非人情が好きでも、非人情がそう長く続くわけにはいかない。
Of course, being a member of human, I am not allowed to stay long in the realm of unhuman detachment no matter how much I may love it.

淵明だって年が年中南山を見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで竹藪の中に蚊帳(かや)を釣らずに寝た男でもなかろう。
陶淵明だって年がら年中南山を見つめていたのでもあるまいし、王維も好んで竹藪の中に蚊帳を張らずに寝た男でもないでしょう。
Tao Yuanming too would not have gazed year long at the Southern Hill, and Wang Wei too would not have slept in his beloved bamboo grove without a mosquito net.

やはり余った菊は花屋へ売りこかして、生えた筍は八百屋へ払い下げたものと思う。
やはり余った菊は花屋に売り倒し、竹藪に生えたタケノコは八百屋に払い下げたものと思う。
He must have sold leftover chrysanthemums to flow shop, and he must have sold bamboo shoots to grocery shop.

こう云う余もその通り。  こういう私もその通りだ。     And I am no different.

いくら雲雀と菜の花が気に入ったって、山のなかへ野宿するほど非人情が募ってはおらん。
いくらヒバリと菜の花が気に入ったって、山の中で野宿するほど非人情が強まってはいない。
No matter how much I love skylarks and field mustards, my unhuman detachment does not extend to camp out in the mountains.

こんな所でも人間に逢う。  こんな山の中でも人に会う。  Even in this deep mountain, we meet with other humans.

じんじん端折の頬冠や、赤い腰巻の姉さんや、時には人間より顔の長い馬にまで逢う。
爺端折の頬かむりや、赤い腰巻の姉さんや、時には、人より顔が長い馬にまで出会う。

説明 爺端折は、歩き易いように、または、雨で濡れないように、着物の後ろの裾をからげて帯の結び目の下に挟み込むこと。

百万本の檜に取り囲まれて、海面を抜く何百尺かの空気を呑んだり吐いたりしても、人の臭いはなかなか取れない。
百万本の檜に囲まれて、海抜何百尺かの高地の空気を吸ったり吐いたりしても、染みついた人の臭いはなかなか取れない。
Being surrounded by thounds of cypress trees, you may breathe in the highland air, but the air is still tainted by the smell of human.

それどころか、山を越えて落ちつく先の、今宵の宿は那古井の温泉場だ。
それどころか、山を越えた目的地の、今宵の宿は、那古井の温泉場だ。
No, far from it, I am crossing the mountain to the destination, which is a inn in the hot-spring resort of Nakoi.

説明 那古井は、架空の地名。漱石は、五高在職中、熊本県玉名郡天水町小天の温泉で遊び、それを素材としている。

●ただ、物は見様でどうでもなる。  ただ、ものは見方でどうにでもなる。
Things can be seen anyway, according to how they are seen.

レオナルド・ダ・ヴィンチが弟子に告げた言に、あの鐘の音を聞け、鐘は一つだが、音はどうとも聞かれるとある。
ダ・ヴィンチが弟子に告げた言葉に、あの鐘の音を聞け、鐘は一つだが、音はどうとも聞かれるとある。
Among the teachings of Leonardo da Vinci to his disciples, was 'Listen to the bell.  The sound is one, but can be heard in any way you please.'

説明 ダ・ヴィンチの手記に「その響きの中に君の想像するかぎりのあらゆる名前や単語が見出される鐘の音」とあります。

一人の男、一人の女も見様次第でいかようとも見立てがつく。
一人の男、一人の女も見方次第で、どのようにも見定めることができす。
Any one man or any one woman can be interpreted anyway, according to how you view them.

どうせ非人情をしに出掛けた旅だから、そのつもりで人間を見たら、浮世小路の何軒目に狭苦しく暮した時とは違うだろう。
どうせ非人情をするためにでかけた旅なので、そのつもりで人間をみたら、浮世で狭苦しく暮らした時とは違うでしょう。
Since I have started my trip to devote myself to unhuman detachment, let me look at humans in that mood, and I will find them different when I lived uncomfortably in the human world.

よし全く人情を離れる事が出来んでも、せめて御能(おのう)拝見の時くらいは淡い心持ちにはなれそうなものだ。
たとえ全く人情を離れることができなくても、せめて、能を拝見する時くらいは、淡い気持ちになれそうなものだ。
Even if I cannot get away from human feelings, I will be able to be in the light detachment when I view the stage of Noh drama.

能にも人情はある。七騎落でも、墨田川でも泣かぬとは保証が出来ん。
能にも人情はあって、七騎落でも、墨田川でも、泣かないとは保証ができない。
Even Noh has its human feelings.  Take Shichikiochi or Sumidagawa, and there is no guarantee for you not to weep.

しかしあれは情三分芸七分で見せるわざだ。  しかし能は、情が三分、芸が七分で見せる芸だ。
But Noh is the game, which works with three-tenth of emotion and seven-tenth of art.

我らが能から享けるありがた味は下界の人情をよくそのままに写す手際から出てくるのではない。
私たちが能から受ける有難味は、人間界の人情をよくそのままに写す手際からくるのではない。
The benefit we receive from Noh is not from its ability to depict human feelings of this world.

そのままの上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長な振舞をするからである。
そのままに写すうえに芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあってはならない悠長な振る舞いをするからである。
It is because Noh depicts the human feelings as they are,
dress them with layers of art, and shows them performing dance too slow to be found in the real world.

●しばらくこの旅中に起る出来事と、旅中に出逢う人間を能の仕組と能役者の所作に見立てたらどうだろう。
この旅中に起こる出来事と、旅中に出会う人間を、能の仕組みと能役者の所作に見立てたらどうだろう。
Let me for a while compare the events and people I meet during my trip with the plot and actors of a Noh play.

まるで人情を棄てる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまでは漕ぎつけたいものだ。
全く人情を棄てる訳にはいかないだろうが、根本が詩的な旅だから、非人情をやるついでに、なるべく節約してそこまでは漕ぎ着けたいものだ。
I will not be able to get away from human feelings, but this trip is intended to be poetic.  So while trying to do unhuman detachment, I will cut as much human feelings as possible, and make the comparison meaningful.

説明 なるべく何を節約して、どこまで漕ぎ着けたいか は、いろんな解釈ができると思いますが、英訳では、

   なるべく人情を節約して、能となぞらえることができるぐらいには漕ぎ着けようという意味で訳しました。

南山や幽篁とは性(たち)の違ったものに相違ないし、また雲雀や菜の花といっしょにする事も出来まいが、なるべくこれに近づけて、近づけ得る限りは同じ観察点から人間を視てみたい。
(私の旅は、)南山や竹藪とは性格の異なったものに違いないし、ヒバリや菜の花と一緒にすることもできないだろうが、なるべくこれに近づけて、近づけることのできる限りは、同じ観察点から人間を見てみたい。
My trip is different in nature from the Southern hills and the bamboo grove, and cannot be identified with skylarks and dandellions.  But I will try best to come close, and as far close as I can approach, I want to view humans in the same viewpoint.

芭蕉と云う男は枕元へ馬が尿(いばり)するのをさえ雅な事と見立てて発句にした。
芭蕉という男は、枕もとへ馬が尿をすることをさえ、優雅なことと見立てて、発句にした。
The poet Basho found elegance in the sight of a horse urinating near his pillow, and made it into a start poem.

説明 芭蕉の奥の細道の句「蚤虱馬の尿する枕もと」(蚤や虱にせめられ馬が尿する音も聞こえてくる枕もと)を指しています。

余もこれから逢う人物を――百姓も、町人も、村役場の書記も、爺さんも婆さんも――ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう。
私も、これから会う人物を、百姓も、町人も、村役場の書記も、爺さん婆さんも、ことごとく大自然の点景として描きだされたものと仮定してとり行ってみよう。
I will treat the people I am going to meet during this trip as the figures depicted in the pictures of wild landscape.

もっとも画中の人物と違って、彼らはおのがじし勝手な真似をするだろう。
もっとも絵の中の人物と違って、彼等はめいめい勝手な振る舞いをするだろう。
Of course, they are not the figures in the pictures, each of them will behave differently.

しかし普通の小説家のようにその勝手な真似の根本を探ぐって、心理作用に立ち入ったり、人事葛藤の詮議立てをしては俗になる。
しかし普通の小説家のように彼等の勝手な振る舞いの根本を探って、心理作用に立ち入ったり、人事葛藤の詮索をしたら俗になる。
But it is vulgar to survey the fundamentals of their respective behaviours, to delve into the psychological aspects, and to pry into the conflict of human affairs.

動いても構わない。画中の人間が動くと見れば差し支ない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。
彼等が動いても構わない。画中の人間が動くのだと見れば支障ない。画中の人物は、平面以外にはでることができない。
They may move.  Regard it as the figures in the picture are moving.  Figures in a picture cannot get out of the plane.

平面以外に飛び出して、立方的に働くと思えばこそ、こっちと衝突したり、利害の交渉が起ったりして面倒になる。
平面外に飛び出して、立体的に動くと思うからこそ、こちらと衝突したり、利害の交渉が起きたりして面倒になる。
If you think they get out of the plane and move in 3D, then they may collide with us or cause interest collision.  This is troublesome.

面倒になればなるほど美的に見ている訳に行かなくなる。
面倒になればなるほど、美的に観ている訳に行かなくなる。
If it becomes troublesome, you cannot view them aesthetically.

これから逢う人間には超然と遠き上から見物する気で、人情の電気がむやみに双方で起らないようにする。
これから会う人には超然と遠い上から見物する気持ちで、人情の電気が無暗に双方で起こらないようにする。
I will look at the people I meet during this trip away from a transcendent perspective, and try not to prevent any spark of human feelings fly between him or her and me.

そうすれば相手がいくら働いても、こちらの懐には容易に飛び込めない訳だから、つまりは画の前へ立って、画中の人物が画面の中をあちらこちらと騒ぎ廻るのを見るのと同じ訳になる。
そうすれば相手がいくら動いても、こちらには容易に飛び込めないので、絵の前に立って、画中の人物が画面の中をあちこちと騒ぎまわるのを見るのと同じになる。
Then, however actively they may move, they may not easily jump into my heart.  This is the same as my watching the people in a picture moving around within the picture.

間三尺も隔てていれば落ちついて見られる。あぶな気なしに見られる。
間が1mも隔たっていれば、落ち着いて見られる。危なげなしに見られる。
If I stand one meter away from them, I can watch them with poise.  I can watch them safely.

言を換えて云えば、利害に気を奪われないから、全力を挙げて彼らの動作を芸術の方面から観察する事が出来る。
言葉を換えていえば、利害に気を奪われないから、全力をあげて彼等の動きを芸術の方面から観察することができる。
In other words, without any conflict of interest, I can observe their actions from the artistic point of view with no hesitation.

余念もなく美か美でないかと鑒識(かんしき)する事が出来る。
雑念なく、美か美でないかと鑑識することができる。
Without being distracted I can judge whether there is beauty or not.

●ここまで決心をした時、空があやしくなって来た。  ここまで決心したとき、空が怪しくなってきた。
Just as I had reached this conclusion, the weather conditions were getting ominous.

煮え切れない雲が、頭の上へ靠垂(もた)れ懸っていたと思ったが、いつのまにか、崩れ出して、四方はただ雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。
煮え切らない雲が、頭上にもたれかかっていたと思ったが、いつのまにか、崩れだして、周りじゅう雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。
I was aware the uncertain clouds were pressing overhead, but meanwhile they began to spread out.  While I suspect myself in the sea of clouds, a gentle spring rain began to fall.

菜の花は疾くに通り過して、今は山と山の間を行くのだが、雨の糸が濃(こまや)かでほとんど霧を欺くくらいだから、隔たりはどれほどかわからぬ。
菜の花はとっくに通り過ぎて、今は山と山の間を行くのだが、雨の糸が濃やかで殆ど霧と間違うくらいなので、山との隔たりがどれ程かわからない。
I had already passed through the field mustards, and am now walking between two hills.  I cannot tell how close I am from the hill, because strings of rainfall are so fine that it is almost like a mist.

時々風が来て、高い雲を吹き払うとき、薄黒い山の背が右手に見える事がある。
時々風が吹いて来て、高い雲を吹き払うとき、薄暗い山の尾根が右手に見えることがある。
Sometime a gust wind blows away the high clouds, and a dark-grey ridge of the hill shows itself to my right.

何でも谷一つ隔てて向うが脈の走っている所らしい。
何でも谷を一つ隔てた向こうに、山脈が走っているらしい。
I heard a mountain range runs along across the valley.

左はすぐ山の裾と見える。深く罩(こ)める雨の奥から松らしいものが、ちょくちょく顔を出す。
左はすぐ山の裾のようだ。深く立ち籠めた雨の奥から松のようなものが、ちょくちょく顔を出す。
My immediate left seems like the foot of a hill.  From the depth of deep haze, things like pine trees show themselves at times.

出すかと思うと、隠れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、何となく不思議な心持ちだ。
顔を出すかと思うと、隠れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、何となく不思議な気分だ。
They show themselves, then they hide themselves in the haze.  Whether it is the rain, the trees, or the dream that move.  I feel weird.

●路は存外広くなって、かつ平だから、あるくに骨は折れんが、雨具の用意がないので急ぐ。
道路は案外広くなって、かつ平らだから、歩くのに骨は折れないが、雨具の用意がないので急ぐ。
The path is now wide and flat.  Walking is not troublesome, but my lack of rain gear makes me hurry.

帽子から雨垂(あまだ)れがぽたりぽたりと落つる頃、五六間先きから、鈴の音がして、黒い中から、馬子がふうとあらわれた。
帽子から雨だれがぽたりぽたりと落ちる頃、10mほど先から、鈴の音がして、黒い中から、馬子がふと現れた。
When rain drops began to drip from my hat, I heard about 10m ahead the jingling of a small bell, and a packhorse driver appeared from darkness.

説明 馬子は、馬子にも衣装の馬子で、馬に客や荷物を乗せて街道を行き来した職業の人のこと。

「ここらに休む所はないかね」  (私)「ここらに休む所はないかね」
I ask, "Would there be a place to rest near here?"

「もう十五丁行くと茶屋がありますよ。だいぶ濡れたね」 (馬子)「あと1.5km行くと茶屋がありますよ。だいぶ濡れましたね」
He answers, "There is a teahouse about one and half km ahead.  Oh, you are wet, aren't you?"

●まだ十五丁かと、振り向いているうちに、馬子の姿は影画のように雨につつまれて、またふうと消えた。
まだ1.5kmかと、振り向いている間に、馬子の姿は影絵のように雨につつまれて、またふと消えた。
Still one and half km to go! While I looked back, the driver's figure was enveloped like a shadow in the rain, and disappeared at last.

●糠(ぬか)のように見えた粒は次第に太く長くなって、今は一筋ごとに風に捲かれる様までが目に入る。
霧雨のように見えた雨粒は次第に太く長くなって、今は、一筋ごとに風に巻かれる様子までが目に入る。
Fine-grained rain drops are getting larger and larger, and now I can see each string of rain drop being wound by the wind.

羽織はとくに濡れ尽して肌着に浸み込んだ水が、身体の温度(ぬくもり)で生暖く感ぜられる。
羽織はとっくに濡れ尽くして肌着に浸み込んだ雨水が、体のぬくもりで生暖かく感じられる。
My jacket was entirely saturated, and the rain drops that soaked my shirt and warmed by my body make me feel lukewarm.

気持がわるいから、帽を傾けて、すたすた歩く。 気持ちが悪いので、帽子を傾けて、すたすた歩く。
It make me feel unpleasant, and I hurried my way tilting my hat low.

●茫々(ぼうぼう)たる薄墨色(うすずみいろ)の世界を、幾条の銀箭(ぎんせん)が斜めに走るなかを、ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思えば、詩にもなる、句にも咏まれる。
ぼんやりした薄墨色の世界を、何本かの銀色の矢が斜めに走る中を、ひたすら濡れて行く私を、私ではない人の姿と思えば、詩にもなるし、句も詠まれる。
In the vast grey world, arrows of silver rainwater are falling obliquely.  I am getting wet patiently.  If I regard my wet figure as that of other than me, I can write a poem as a poet.

有体(ありてい)なる己れを忘れ尽くして純客観に眼をつくる時、始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和を保つ。
あるがままの私を忘れつくして純客観的な眼をつくる時、初めて私は、絵の中の人物として、自然の景色と美して調和を保つ。
Totally forgetting myself as I am, and regarding myself in the purely objective viewpoint, I can treat myself just as a figure in a picture.  In this way I can harmonize myself with wild nature as the figure in a picture.

ただ降る雨の心苦しくて、踏む足の疲れたるを気に掛ける瞬間に、われはすでに詩中の人にもあらず、画裡の人にもあらず。
降る雨が心苦しく、踏む足が疲れたのを気にかけた瞬間に、私は、すでに詩中の人でなく、絵の中の人でもない。
As soon as I become conscious about the annoyance of falling rain and the tiredness of my walking legs, I am not a man in the poem nor in the picture.

依然として市井の一豎子(じゅし)に過ぎぬ。  依然として、市内の一人の子供にすぎない。
I am nothing but a insensitive child on the street I used to be.

雲煙飛動の趣も眼に入らぬ。  雲煙飛動の趣意も目に入らぬ。
I do not feel the beauty of the cloud and mist swept rapidly in the sky.

説明 雲煙飛動は、雲や霞がすばやく飛んでいく風景のことですが、筆跡が生き生きとして勢いがあることを称することもあります。

落花啼鳥(らっかていちょう)の情けも心に浮ばぬ。  落花啼鳥の情緒も、心に浮かばない。
I feel no poetic sentiment on the falling blossoms or the crying birds.

説明 孟浩然の春暁の「春眠暁を覚えず、処々に啼鳥を聞く、夜来風雨の声、花落つることを知んぬ多少ぞ」によります。

蕭々(しょうしょう)として独り春山を行く吾の、いかに美しきかはなおさらに解せぬ。
ものさびしく独り春山を行く私が、いかに美しいかはなおさら解らない。
I don't appreciate how beautiful I am, who is walking alone in the lonely mountain of spring.

初めは帽を傾けて歩いた。後にはただ足の甲のみを見詰めて歩いた。終りには肩をすぼめて、恐る恐る歩いた。
始めは帽子を傾けて歩いた。次には、ただ足の甲のみを見つめて歩いた。最後には肩をすぼめて歩いた。
In the beginning, I walked tilting my hat low.  Next, I walked looking at nothing but my feet.  Finally, I plodded unsteadily with my shoulders hunched.

雨は満目(まんもく)の樹梢(じゅしょう)を揺(うご)かして四方より孤客(こかく)に逼る。
雨は見渡すかぎりの樹や梢をゆりうごかして、四方から一人の旅人に迫る。
The rain sways the trees and branches that extend as far as the eye can see, and attacks the solitary traveller relentlessly from every direction.

非人情がちと強過ぎたようだ。 非人情がすこし強すぎたようだ。
I might have gone a little too far to the unhuman detachment.

 

●「おい」と声を掛けたが返事がない。 「おい」と声をかけたが返事がない。
"Hi! Anyone there?", but there was no answer.

●軒下から奥を覗くと煤けた障子が立て切ってある。向う側は見えない。
軒下から奥を覗くと、すすけた障子が閉め切られていて、向こう側は見えない。
Standing beneath the eaves, I looked inside.  Back in the room, the screen door was compltely shut.

五六足の草鞋(わらじ)が淋しそうに庇から吊されて、屈托気にふらりふらりと揺れる。
五六足のわらじが、淋しそうにひさしから吊るされて、退屈気にふらりふらりと揺れている。
Half a dozen pairs of straw sandal are hung from the eaves, swaying bored.

下に駄菓子の箱が三つばかり並んで、そばに五厘銭と文久銭が散らばっている。
下に駄菓子の箱が三つばかり並んで、そばに小銭が散らばっている。

●「おい」とまた声をかける。土間の隅に片寄せてある臼の上に、ふくれていた鶏が、驚ろいて眼をさます。ククク、クククと騒ぎ出す。
「おい」とまた、声を掛ける。土間の隅に片寄せた臼の上に、ふくらんでいた鶏が、驚いて目を覚ます。ククク、クククと騒ぎ出す。
"Anyone there?", I called again.  Several fowls awoke, and began clucking.

敷居の外に土竈(どべっつい)が、今しがたの雨に濡れて、半分ほど色が変ってる上に、真黒な茶釜がかけてあるが、土の茶釜か、銀の茶釜かわからない。幸い下は焚きつけてある。
敷居の外のかまどが、今しがたの雨に濡れて、半分ほど色が変わっていて、その上に真っ黒な茶釜がかけてあるが、土の茶釜か、銀の茶釜かわからない。幸い火はたかれている。

●返事がないから、無断でずっと這入って、床几の上へ腰を卸した。鶏は羽摶きをして臼から飛び下りる。
返事がないから、無断でずっと入って、椅子の上に腰を下ろした。鶏は羽ばたきをして石臼から飛び降りる。
Again there was no answer, so I took the liberty of  going in and sat down on a bench.

今度は畳の上へあがった。障子がしめてなければ奥まで馳けぬける気かも知れない。
鶏は、今度は畳の上にあがった。障子が閉めてなければ、奥まで駆け抜ける気かもしれない。

雄が太い声でこけっこっこと云うと、雌が細い声でけけっこっこと云う。
雄が太い声で、こけっこっこと鳴くと、雌が細い声で、けけっこっこと鳴く。

まるで余を狐か狗(いぬ)のように考えているらしい。 まるで私を狐か犬のように考えているようだ。

床几の上には一升枡ほどな煙草盆が閑静に控えて、中にはとぐろを捲いた線香が、日の移るのを知らぬ顔で、すこぶる悠長に燻(いぶ)っている。
椅子の上には一升マスほどの大きさの煙草盆が静かに控えていて、中にはとぐろを巻いた線香が、時がたつのを知らん顔で、すこぶる悠長に煙っている。

雨はしだいに収まる。  雨はしだいに収まってくる。  The rain gradually eased.

●しばらくすると、奥の方から足音がして、煤けた障子がさらりと開く。なかから一人の婆さんが出る。
しばらくすると、奥の方から足音がして、すすけた障子がさらりと開く。なかから一人の婆さんが出てくる。
Presently, I heard footsteps in the back room.    Then an old woman came out.

●どうせ誰か出るだろうとは思っていた。 どうせ誰かが出るだろうとは思っていた。
I had expected that someons must eventually come out.

竈(へつい)に火は燃えている。菓子箱の上に銭が散らばっている。線香は呑気に燻(くすぶ)っている。
かまどに火は燃えている。菓子箱の上に小銭が散らばっている。線香は呑気に煙っている。

どうせ出るにはきまっている。  どうせ出てくるには決まっている。  Someone must eventually appear.

しかし自分の見世を明け放しても苦にならないと見えるところが、少し都とは違っている。
しかし自分の店を開け放しても苦にならないとみえるところが、少し都会とは違っている。
They seem to think it all right to leave their shop wide open and unattended.  This is kind of different from the city ways.

返事がないのに床几に腰をかけて、いつまでも待ってるのも少し二十世紀とは受け取れない。
返事がないのに椅子に腰かけて、いつまでも待っているのも、少いささか20世紀とは受け取れない。
To go in without any answer, and sit and wait as long as necessary.  This also does not fit for the new 20th century.

ここらが非人情で面白い。その上出て来た婆さんの顔が気に入った。
ここらが非人情で面白い。その上、でてきた婆さんの顔が気に入った。
This seems unhuman and make me interested.  Moreoer, I am teribly fond of the face of the old woman.

●二三年前宝生の舞台で高砂を見た事がある。その時これはうつくしい活人画だと思った。
二三年前、能の宝生の舞台で高砂を見たことがある。その時これは美しい活人画だと思った。
Two or three years ago, I went to see Takasago at the Hosho Noh theater.  Then I thought that it was a beautiful portrait picture.

箒を担いだ爺さんが橋懸を五六歩来て、そろりと後向きになって、婆さんと向い合う。
箒を担いだ爺さんが橋懸りを五六歩来て、そろりと後向きになって、婆さんと向い合う。
The old man, carrying a broom over his shoulder, took 5 or 6 steps on the stage, turned back slowly, and came face to face with the old woman.

その向い合うた姿勢が今でも眼につく。
その向い合った姿勢が今でも眼についている。
I still remember the pose, as they stand facing each other.

余の席からは婆さんの顔がほとんど真むきに見えたから、ああうつくしいと思った時に、その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった。
私の席からは婆さんの顔がほとんど正面に見えたから、ああ美しいと思った時に、その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった。
From my seat, the old woman's face was directly acing me.  When I think it beautiful, her facial expression was imprinted on my mind like a photo.

茶店の婆さんの顔はこの写真に血を通わしたほど似ている。
茶店の婆さんの顔はこの写真に血を通わしたくらい似ている。
The face of the old woman in front of me now resembles the face obtained by bringing life to the photograph.

「御婆さん、ここをちょっと借りたよ」  "Ma'am, excuse me sitting here."

「はい、これは、いっこう存じませんで」  "Yes, please.  Sorry, no idea you were here."

「だいぶ降ったね」   "It certainly did rain, didn't it?"

「あいにくな御天気で、さぞ御困りで御座んしょ。おおおおだいぶお濡れなさった。今火を焚いて乾かして上げましょ」
"Yes, terrible weather.  You must have had hard time.  Heavens, you are soaked.  I will light a fire soon."

「そこをもう少し燃しつけてくれれば、あたりながら乾かすよ。どうも少し休んだら寒くなった」
"Please, fuel the furnace.  I will worm up and dry off.   I got cold sitting here."

「へえ、ただいま焚いて上げます。まあ御茶を一つ」
"All right.  I will get it going right now.  How about a cup of tea, now?"

と立ち上がりながら、しっしっと二声(ふたこえ)で鶏を追い下げる。
と立ち上がりながら、しっしっと、ふた声で鶏を追い下げる。
She stood up, and shooed the fowl away.

ここここと馳け出した夫婦は、焦茶色の畳から、駄菓子箱の中を踏みつけて、往来へ飛び出す。
ここここと馳け出した鶏夫婦は、焦茶色の畳や、駄菓子箱の中を踏みつけて、往来へ飛び出す。

雄の方が逃げるとき駄菓子の上へ糞を垂れた。  雄の方が逃げるとき駄菓子の上へ糞を垂れた。

「まあ一つ」と婆さんはいつの間にか刳(く)り抜き盆の上に茶碗をのせて出す。
「まあ一つ」と婆さんは、いつの間にかお盆の上に茶碗をのせて出す。
"Here you are." says the old woman, reappearing with a teacup on a tray.

茶の色の黒く焦げている底に、一筆がきの梅の花が三輪無雑作に焼き付けられている。
お盆の茶色の黒く焦げている底に、一筆がきの梅の花が三輪、無雑作に焼き付けられている。

「御菓子を」と今度は鶏の踏みつけた胡麻ねじと微塵棒を持ってくる。
婆さんは、「御菓子を」と今度は鶏の踏みつけた胡麻ねじと微塵棒を持ってくる。
"Have a cake." She fetches me a sesame twist and a ground-rice stick.

説明 胡麻ねじは、米粉、ゴマ、飴を原料に、長方形にしてねじった駄菓子。

   微塵棒は、微塵粉(もち米の粉)と砂糖を原料に、棒状にして少しねじった駄菓子。

糞はどこぞに着いておらぬかと眺めて見たが、それは箱のなかに取り残されていた。
糞はどこかに着いていないかと眺めて見たが、それは箱のなかに取り残されていた。

●婆さんは袖無の上から、襷(たすき)をかけて、竈(へっつい)の前へうずくまる。
婆さんは、袖無の上から、たすきをかけて、かまどの前にうずくまる。

余は懐から写生帖を取り出して、婆さんの横顔を写しながら、話しをしかける。
私は懐から写生帳を取り出して、婆さんの横顔を写生しながら、話しかける。
I take out my sketchbook, and talk to her while drawing her profile.

「閑静でいいね」   "It's nice and peaceful here, isn't it?"

「へえ、御覧の通りの山里で」  "Yes, but just a little mountain village."

「鶯は鳴くかね」   "Do you hear Uguisu sing?"

「ええ毎日のように鳴きます。此辺は夏も鳴きます」  "Yes, we hear everyday.  They sing in summer too."

「聞きたいな。ちっとも聞えないとなお聞きたい」  "Oh, I'd love to hear now.  None is singing, I want to hear all the more."

「あいにく今日は――先刻(さっき)の雨でどこぞへ逃げました」
"Unfortunately, today, they have gone off somewhere due to the rain."

●折りから、竈のうちが、ぱちぱちと鳴って、赤い火が颯(さっ)と風を起して一尺あまり吹き出す。
おりから、かまどの中が、ぱちぱちと鳴って、赤い火が急に風を起して三、四十センチほど吹き出す。

「さあ、御あたり。さぞ御寒かろ」と云う。  "Please come nearer.  You must be frozen."

軒端(のきば)を見ると青い煙りが、突き当って崩れながらに、微(かす)かな痕(あと)をまだ板庇(いたびさし)にからんでいる。
軒(のき)の端っこを見ると青い煙りが、軒に突き当って崩れながらに、かすかに残って、まだ板庇(いたびさし)にからまっている。

説明 軒(のき)は、屋根が建物の壁よりも外に延びている部分のことで、

   庇(ひさし)は、出入口や窓などの上にとりつけた小さな屋根のこと。

「ああ、好い心持ちだ、御蔭で生き返った」   "Yes, wonderful.  I am completely revived."

「いい具合に雨も晴れました。そら天狗巌(てんぐいわ)が見え出しました」
"The weather has cleared up.  Look, you can see Tengu Rock."

●逡巡として曇り勝ちなる春の空を、もどかしとばかりに吹き払う山嵐の、思い切りよく通り抜けた前山の一角は、未練もなく晴れ尽して、老嫗の指さす方にサンガンと、あら削りの柱のごとく聳えるのが天狗岩だそうだ。
ためらい勝ちで曇り勝ちな春の空を、もどかしいと吹き払う山嵐が、思い切りよく通り抜けた前山の一角は、未練もなく晴れ尽して、老婆の指さす方に、鋭く尖り、あら削りの柱のように聳えているのが天狗岩だそうだ。
Until a wile ago the spring sky was tentatively cloudy. The stormy wind from mountain has swept away the cloudy sky, while it resolutely passed through to the corner of the front hill.  Now the sky is crisply clear. To the direction the old woman points, there is a towering rock soaring like a rough-hewn pillar.  This must be Teng Rock.

●余はまず天狗巌を眺めて、次に婆さんを眺めて、三度目には半々に両方を見比べた。
私はまず天狗岩を眺めて、次に婆さんを眺めて、三度目には半々に両方を見比べた。
I gazed first at the rock, then at the old woma, and thirdly half at the rock, half at her, comparing them.

画家として余が頭のなかに存在する婆さんの顔は高砂の媼(ばば)と、蘆雪のかいた山姥(やまうば)のみである。
画家としての私の頭のなかに存在する婆さんの顔は高砂の媼(おうな)と、長沢蘆雪の描いた山姥(やまうば)だけである。
As an artist, I have two images of the old women's faces in my mind.  That of the old woman in Takasago of the Noh play, and that of the mountain witch in the picture by Nagasawa Rosetsu.

蘆雪の図を見たとき、理想の婆さんは物凄いものだと感じた。
長沢蘆雪の絵を見たとき、理想の婆さんは物凄いものだと感じた。
When I looked at the picture of Rosetsu, I felt that the ideal image of the old woman was terrible.

紅葉のなかか、寒い月の下に置くべきものと考えた。
理想の婆さんは、紅葉のなかか、寒い月の下に置くべきものと考えた。
She should be set among autumn leaves, or beneath a cold moon, I thought.

宝生の別会能を観るに及んで、なるほど老女にもこんな優しい表情があり得るものかと驚ろいた。
宝生の別会能を観ることになり、なるほど老女にもこんな優しい表情がありえるのかと驚ろいた。
When I happened to see the Noh play at the Hosho Noh theate, I was astonished that an old woman could have such gentle face.

説明 別会能は、定例の月次(つきなみ)会に対して、春秋など年に一二度臨時に行われる能のこと。

あの面は定めて名人の刻んだものだろう。 あの能面は、きっと名人が刻んだものだろう。
The mask must be carved by the master-hand.

惜しい事に作者の名は聞き落したが、老人もこうあらわせば、豊かに、穏やかに、あたたかに見える。
惜しい事に作者の名前は聞き落したが、老人もこのように表わせば、豊かに、穏やかに、暖かに見える。
Regretably I failed to get the name of the carver. Dipicted in such a way, the face of the old woman can be expressed as rich, tranquil, and warm.

金屏(きんびょう)にも、春風(はるかぜ)にも、あるは桜にもあしらって差し支ない道具である。
あの能面は、金屏風にも、春の風にも、あるいは桜にも、あしらって(とりあわせて)差し支えない道具である。
The mask is something that can be fitted to the gold screen, the spring wind, and the cherry blossom.

余は天狗岩よりは、腰をのして、手を翳して、遠く向うを指している、袖無し姿の婆さんを、春の山路の景物として恰好なものだと考えた。
私は、天狗岩よりも、腰を伸ばし手をかざして、遠くむこうを指している、袖なし姿の婆さんを、春の山道の景色としてふさわしいと考えた。
The old woman is now pointing her hand off into the distance, with her back straight.  I found this figure of hers match the scene of mountain path in the spring much better than Tengu Rock does.

余が写生帖を取り上げて、今しばらくという途端に、婆さんの姿勢は崩れた。
私が写生帳を手に取って、もう少しという途端に、婆さんの姿勢が崩れた。
No sooner I picked uo my sketchbook to sketch her, than she moved.

●手持無沙汰に写生帖を、火にあてて乾かしながら、 私は、手持ちぶさたに、写生帳を火にあてて乾かしながら、
Idly holding the sketecbook toward the fire to dry it, I talked to her:

「御婆さん、丈夫そうだね」と訊ねた。  "You look very healthy, I must say."

「はい。ありがたい事に達者で――針も持ちます、苧もうみます、御団子の粉(こ)も磨きます」
"Yes, I am glad I am still quite active.  I sew, I spin, I grind flour."

説明 岩波漱石全集の解説によると、芋は、麻・芋麻(からむし)の繊維。 績む(うむ)は、績ぐ(つむぐ)こと。

●この御婆さんに石臼を挽かして見たくなった。しかしそんな注文も出来ぬから、
I had a sudden desire to watch her turnimg the mill-stone.  Of course I did not make such a request.

「ここから那古井までは一里足らずだったね」と別な事を聞いて見る。
"Nakoi is less than 4 km from here, isn't it?" I changes the subject.

「はい、二十八丁と申します。旦那は湯治に御越しで……」
"Yes.  it's about 3km.  Are you going to the hot spring there?"

「込み合わなければ、少し逗留しようかと思うが、まあ気が向けばさ」
"I might stay there for a while, if it is not crowded.  It depends how I feel."

「いえ、戦争が始まりましてから、頓と参るものは御座いません。まるで締め切り同様で御座います」
"Oh no, it won't be crowded.  Since the war began, the visitors declined abruptly.  It is as good as closed."

説明 この戦争は、日露戦争(1904-5)の事です。草枕は、1906年に発表され、日本は、戦勝ムードでした。

「妙な事だね。それじゃ泊めてくれないかも知れんね」
"That's odd!  Then they may not let me stay there."

「いえ、御頼みになればいつでも宿めます」  "Yes, they will.  If you visit, they welcome you."

説明 この「いえ」は、Turney訳では、Yes ですが、McKinney訳では、No になっています。

「宿屋はたった一軒だったね」  "There is only one inn, isn't it?"

「へえ、志保田さんと御聞きになればすぐわかります。村のものもちで、湯治場だか、隠居所だかわかりません」
"Yes. Just ask for Shioda, and you will have no trouble finding it.  He is a rich man of the village.  You cannot tell whether it is an in or his hermitage house."

「じゃ御客がなくても平気な訳だ」  "That's why he is all right without guests."

「旦那は始めてで」   "Is this your first time?"

「いや、久しい以前ちょっと行った事がある」  "No, I have been there a long time ago."

●会話はちょっと途切れる。  The conversation stops for a while.

帳面をあけて先刻の鶏を静かに写生していると、落ちついた耳の底へじゃらんじゃらんと云う馬の鈴が聴え出した。
写生帳をあけて、さきほどの鶏を静かに写生していると、落ちついた耳の底へ、じゃらんじゃらんという馬の鈴が聴え出した。
I opened my sketchbook, and was sketching the fowl quietly, when the clang of horse bell began to penetate my cool ears.

この声がおのずと、拍子をとって頭の中に一種の調子が出来る。
この音が自然と拍子をとって、頭の中に一種のリズムができる。
This sound automatically beat time, and set up a rhythm in my head that grew into a kind of yune.

眠りながら、夢に隣りの臼の音に誘われるような心持ちである。
眠りながら夢に、隣りの臼の音に誘われているような気持ちである。
I felt as if the sound of hand-mill, which is turning next door, were lulling me in my dream.

余は鶏の写生をやめて、同じページの端に、 春風や惟然(いねん)が耳に馬の鈴  と書いて見た。
私は鶏の写生をやめて、同じページの端に、 春風や惟然が耳に馬の鈴  と書いて見た。
I stopped sketching the fowl, and wrote on the same page: Spring wind, To the ears of Inen, The sound of horse bell.

説明 岩波漱石全集の解説によると、漱石の草稿では、春風や昔しを鳴らす馬の鈴 だったのが、高浜虚子に見せた後、こう改めました。

   惟然(いぜん)は、広瀬惟然で、江戸中期の俳人で、芭蕉の門人。芭蕉の句を唱えながら、諸国を歩いて回りました。

山を登ってから、馬には五六匹逢った。逢った五六匹は皆腹掛をかけて、鈴を鳴らしている。今の世の馬とは思われない。
山を登り始めてから、馬には五六匹会った。会った五六匹は皆腹掛をかけて、鈴を鳴らしている。現代の馬とは思われない。
Since I had started up the hill, I had met five or six horses.  All of them were girthed old style with jingling bells.  They scarcely belonged to the present world.

●やがて長閑(のどか)な馬子唄(まごうた)が、春に更けた空山一路の夢を破る。
そのうち、のどかな馬子唄が、春たけなわの空山一路の夢を破る。
Presently the tranquil sound of a packhorse driver's song broke the dreamy atmosphere of the mountain path in the midst of spring.

説明 王維の詩「鹿柴」に、「空山人を見ず ただ人語の響きを聞く」とあり、李華の「春行興を寄する詩」に、「春山一路鳥空しく啼く」とあります。

憐れの底に気楽な響がこもって、どう考えても画にかいた声だ。
憐れの底に気楽な響きがこもっていて、どう考えても画に描いた声だ。
There is carefree tone in his piteous song.  This is nothing but the song dipicted in a picture.

 馬子唄の鈴鹿越ゆるや春の雨
  The song of a pack-horse driver,  spreads over the mountain-pass,  spring rain falling

と、今度は斜(はす)に書きつけたが、書いて見て、これは自分の句でないと気がついた。
と、今度はななめに書きつけたが、書いてみて、これは自分の句でないと気がついた。
I rapidly jotted down these phrases, and after having written, I noticed that these are not my original.

説明 正岡子規に「馬子歌の鈴鹿上るや春の雨」という句があるようです。

「また誰ぞ来ました」と婆さんが半ば独り言のように云う。
"Oh, here comes someone else," said the old woman half to herself.

●ただ一条(ひとすじ)の春の路だから、行くも帰るも皆近づきと見える。
ただ一本の春の道なので、行く人も帰る人も、皆親しい(知り合い)ようだ。
Since this is the only one path across the mountain, all the passengers seem to be of acquaintance with each other.

最前逢うた五六匹のじゃらんじゃらんもことごとくこの婆さんの腹の中でまた誰ぞ来たと思われては山を下り、思われては山を登ったのだろう。
先程会った五六匹のじゃらんじゃらんという鈴の音も、この婆さんの腹の中で「また誰か来た」と思われては山を下り、思われては山を昇ったのだろう。
Those five  or six horses with jingling bells might have been greeted by the old woman with "Here comes someone else" in her mind each time on their way up or way down the mountain.

路寂寞(じゃくまく)と古今の春を貫いて、花を厭えば足を着くるに地なき小村に、婆さんは幾年の昔からじゃらん、じゃらんを数え尽くして、今日の白頭に至ったのだろう。
道はひっそりと、昔から今までの春を貫いて、花を(踏むのを)厭うと、足をつく場所もないこの小村に、婆さんは、何年前からじゃらんじゃらんの鈴の音を数え尽くして、今日の白髪頭に至ったのだろう。
Here in this tiny settlement, where this quiet path, being visited by the spring for many years, is so crowded with flowers that you cannot find the place to tread if you hate to tread on the flowers, I wondered how long she had been living here counting the visits of the bell jingling, with her hair getting as white as now.

馬子唄や白髪も染めで暮るる春  (馬子唄や 白髪も染めずに 暮れる春)
Oh,The song of a pack-horse driver! with my white hair untinted, the spring draws to its end.

と次のページへ認(したた)めたが、これでは自分の感じを云い終(おお)せない、もう少し工夫のありそうなものだと、鉛筆の先を見詰めながら考えた。
と、私は、次の頁に書いたが、これでは自分の感じを言い果たせない、もう少し工夫のありそうなものだと、鉛筆の先を見つめながら考えた。
I write this down on the next page, but this cannot express my feeling sufficiently, requires some more refinement. I sat there gazing fixedly at the point of my pencil.

何でも白髪という字を入れて、幾代の節と云う句を入れて、馬子唄という題も入れて、春の季も加えて、それを十七字に纏めたいと工夫しているうちに、
何とか白髪という字を入れ、幾代の節という句を入れ、馬子唄という題も入れ、春の季語も加えて、十七文字に纏めたいと工夫しているうちに、
Let me use the word "white hair", "age-old", "song of a pack-horse driver".  While I am pondering this way,

「はい、今日は」と実物の馬子が店先に留って大きな声をかける。
"Hello, there!", said the real pack-horse driver in a loud voice, stopping in front of the shop.

「おや源さんか。また城下へ行くかい」  "Ah, Gen-san.  Are you going to town again?"

「何か買物があるなら頼まれて上げよ」  "If you want me to get something for you, just let me know."

「そうさ、鍛冶町を通ったら、娘に霊厳寺の御札を一枚もらってきておくれなさい」
"Well, if you are passing through Kaji-cho, would you get me a temple talisman dor my daughter?"

「はい、貰ってきよ。一枚か。――御秋(おあき)さんは善い所へ片づいて仕合せだ。な、御叔母さん」
"All right. Just one?  Your daughter Aki made a happy mariage.  How happy she is, Ma'am!"

「ありがたい事に今日には困りません。まあ仕合せと云うのだろか」
"Well, she has no particular worries in life.  Perhaps we could say she is happy."

「仕合せとも、御前。あの那古井の嬢さまと比べて御覧」
"Of course, she is.  Just compare her with the young lady of Nakoi."

「本当に御気の毒な。あんな器量を持って。近頃はちっとは具合がいいかい」
"Yes, I feel so sorry for her.  She is so good-looking.  Is she any better these days?"

「なあに、相変らずさ」   "No, just the same."

「困るなあ」と婆さんが大きな息をつく。  "What a pity," said the old lady in a sigh.

「困るよう」と源さんが馬の鼻を撫でる。  "What a pity," responded Gen-san, stroking his horse's nose.

●枝繁き山桜の葉も花も、深い空から落ちたままなる雨の塊まりを、しっぽりと宿していたが、この時わたる風に足をすくわれて、いたたまれずに、仮りの住居を、さらさらと転げ落ちる。
枝の多い山桜の葉も花も、深い空から落ちてきたままの雨の塊まりを、しっとりと宿していたが、(その雨の塊りは、)この時吹きわたる風に足をすくわれて、いたたまれずに、仮りの住居を、さらさらと転げ落ちる。
The leaves and flowers of the mountain cherry tree were holding the rain drops keeping their shape just as they had dropped from the deep sky.  The rain drops, however, lost their balance and began tumbling down from their temporary residence due to an abruptly passing gust of wind.

馬は驚ろいて、長い鬣(たてがみ)を上下(うえした)に振る。 馬はその音に驚いて、長いたてがみを上下に振る。
The horse was startled and tosses his long mane up and down.

「コーラッ」と叱りつける源さんの声が、じゃらん、じゃらんと共に余の冥想を破る。
「コーラッ」と叱りつける源さんの声が、じゃらん、じゃらんと共に私の冥想を破る。
"Whoa there!"  The scolding voice of Gen-san as well as the sound of the jingling bells broke my meditation.

●御婆さんが云う。  The old lady says:

「源さん、わたしゃ、お嫁入りのときの姿が、まだ眼前に散らついている。裾模様の振袖に、高島田で、馬に乗って……」
"Gen-san, I vividly remember the sight of her wedding parade.  Sitting on the horse in front of me, in the long-sleeved kimono dress, with her hair shaped in the Takashimada style..."

「そうさ、船ではなかった。馬であった。やはりここで休んで行ったな、御叔母さん」
"Oh, yes.  We did not go by sea.  We came by land on a horse, and stopped off here for a while, I remember."

「あい、その桜の下で嬢様の馬がとまったとき、桜の花がほろほろと落ちて、せっかくの島田に斑(ふ)が出来ました」
"Yes, that's right.  When the horse stopped just under the cherry tree, some cherry petals fell over her, and flecked her nice Takashimada hair."

●余はまた写生帖をあける。この景色は画にもなる、詩にもなる。
私はまた写生帖を開く。この景色は画にもなる、詩にもなる。
I opened my sketchbook again.  Such a scene might make an excellent picture or a poem.

心のうちに花嫁の姿を浮べて、当時の様を想像して見てしたり顔に、
心の中に花嫁の姿を想い浮べて、当時の様子を想像して見て、したり顔に、
Imagining in my mind the figure of the bride and the scene of the parade, and being pleased with myself, I jotted down:

  花の頃を越えてかしこし馬に嫁
  Through blossoming spring, praise be to the bride, on a horse back.

と書きつける。

不思議な事には衣装も髪も馬も桜もはっきりと目に映じたが、花嫁の顔だけは、どうしても思いつけなかった。
不思議な事に、衣装も髪も馬も桜もはっきりと目に映ったが、花嫁の顔だけは、どうしても思いつかなかった。
Strangely enough, although I could imagine the clear images of her wedding dress, her hair style, the horse, and the cherry tree, I could not visualize the bride's face.

しばらくあの顔か、この顔か、と思案しているうちに、ミレーのかいた、オフェリヤの面影が忽然と出て来て、高島田の下へすぽりとはまった。
しばらくあの顔か、この顔か、と思案しているうちに、ミレーの描いた、オフェリヤの面影が忽然と出て来て、高島田の下へすぽりはまった。
I was pondering this face or that face for a while, just when the face of Millais' Ophelia came to me, an slipped neatly into the bride's face.

これは駄目だと、せっかくの図面を早速取り崩す。  これは駄目だと、せっかくの図面をさっそく取りけす。
This won't do, I thought, and quickly disintegrated the image just integrated.

衣装も髪も馬も桜も一瞬間に心の道具立から奇麗に立ち退いたが、オフェリヤの合掌して水の上を流れて行く姿だけは、朦朧と胸の底に残って、棕梠箒(しゅろぼうき)で煙を払うように、さっぱりしなかった。
衣装も髪も馬も桜も一瞬に心の道具立から奇麗に立ちのいたが、オフェリヤが合掌して水の上を流れて行く姿だけは、朦朧と胸の底に残って、ほうきで煙を払うように、さっぱりしなかった。
The images of her wedding dress, her hair style, the horse, and the cherry tree instantly disappeared from my mind canvas, but it remained the image of Ophelia with her hands folded in prayer, being carried along by the stream, and left me in a mood when you wipe out a cloud of smoke with a broom in vain.

空に尾を曳く彗星の何となく妙な気になる。  空に尾を曳く彗星がもたらすように何となく妙な気分になる。
I was in a strange mood just as you may fell when you witness a long-tailed comet streaking across the sky.

「それじゃ、まあ御免」と源さんが挨拶する。
"Well. Excuse me but I'll be on my way." said Gen-san, bowing

「帰りにまた御寄り。あいにくの降りで七曲は難義だろ」
"Drop in again on your way back.  I am afraind the rain have made the winding path much more difficult."

「はい、少し骨が折れよ」と源さんは歩き出す。源さんの馬も歩き出す。じゃらんじゃらん。
"I am afraid so." Gen-san replied as he began to walk.  His horse also started to walk.  The bells went jingling again.

「あれは那古井の男かい」   "Does he come from Nakoi?", I asked.

 「はい、那古井の源兵衛で御座んす」  "Yes, he is Gen-bei of Nakoi."

「あの男がどこぞの嫁さんを馬へ乗せて、峠を越したのかい」
"Did he once lead some bride on horseback over the mountain pass?"

「志保田の嬢様が城下へ御輿入のときに、嬢様を青馬(あお)に乗せて、源兵衛が覊絏(はづな)を牽いて通りました。
"Yes, when Shioda's daughter went to the town for her wedding, Gen-bei passed through here with her on his horseback.

――月日の立つのは早いもので、もう今年で五年になります」
-- Oh, my! Time flies.  It was five years ago."

●鏡に対(むか)うときのみ、わが頭の白きを喞(かこ)つものは幸の部に属する人である。
鏡に向かうときのみ、自分の頭が白いのを嘆く人は、幸せの部類に属する人である。
Those who lament their white hair only when they face against the mirror belong to a happy breed.

指を折って始めて、五年の流光に、転輪の疾き趣を解し得たる婆さんは、人間としてはむしろ仙に近づける方だろう。
指を折って数えて始めて、五年の年月が流れたことに、速く回る車輪のような趣を理解し得た婆さんは、人間としてはむしろ仙人に近づいた方だろう。
T
his old woman, who comprehended the swiftness of the turning wheel of Time just as she counted the passage of fice years by bending her fingers, seems to be a human who is more like a mountain hermit.

余はこう答えた。 私は、こう答えた。   I responded as followe:

「さぞ美くしかったろう。見にくればよかった」
"She must have been so beautiful in her outfit.  I wish I had benn here then."

「ハハハ今でも御覧になれます。湯治場へ御越しなされば、きっと出て御挨拶をなされましょう」
"Ha, ha, ha.  You can still see her.  If you stay at the hot spring resort, she is sure to come out to welcome you."

「はあ、今では里にいるのかい。やはり裾模様の振袖を着て、高島田に結っていればいいが」
"Oh, she is now back at the village.  It would be wonderful if she could wear the long-sleeved kimono dress with her hair shaped in Takashimada style."

「たのんで御覧なされ。着て見せましょ」  "Ask her.  She may dress up for you."

●余はまさかと思ったが、婆さんの様子は存外真面目である。
私はまさかと思ったが、婆さんの様子は意外に真面目である。
I very much doubt this, but the old woman was unexpectedly serious.

非人情の旅にはこんなのが出なくては面白くない。  非人情の旅には、こんなのが出てこないと面白くない。
The journey of non-fuman detachment cannot be interesting if such a kind of episode did not occur.

婆さんが云う。  婆さんが、言う。  The old woman continues:

「嬢様と長良の乙女とはよく似ております」  "She is very much like the Nagara maiden."

「顔がかい」   "In her face, you mean?"

「いいえ。身の成り行きがで御座んす」  "No, I mean in the way things turned out for her."

「へえ、その長良の乙女と云うのは何者かい」  "So, who is this Nagara maiden?"

「昔しこの村に長良の乙女と云う、美くしい長者の娘が御座りましたそうな」
"They say there lived in this village a beautiful daughter of a rich man.  They called her the Nagara maiden."

「へえ」  "Whoa!"

「ところがその娘に二人の男が一度に懸想(けそう)して、あなた」
"But, two men happened to fall in love with her at the same time."

「なるほど」  "I see."

「ささだ男に靡(なび)こうか、ささべ男に靡こうかと、娘はあけくれ思い煩ったが、どちらへも靡きかねて、とうとう
"She spent day and night worrying whether to give her heart to the man called Sasada or to Sasabe, but shw was sorely torn between the two, and finally,

説明 ささだ男は、万葉集にでてくる ささだをとこ 小竹田の男 に由来するようですが、ささべ男は、漱石の創造のようです。

 あきづけばをばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも
 (秋になると尾花の上につく露のように はかなく消えてしまいそうに私は 思われるのです)
 
As a dew, which lies on the autumn leaf, may evaporates, So I may seem to disappear.

説明 秋づけば、尾花が上に おく露の 消えぬべくも 吾はおもほゆるかも は、万葉集巻八に出てくる日置長枝娘子の歌です。

   尾花は、ススキの花(穂)のことです。

と云う歌を咏んで、淵川へ身を投げて果てました」
Composing this poem, she threw herself into the Fuchi river to death."

●余はこんな山里へ来て、こんな婆さんから、こんな古雅な言葉で、こんな古雅な話をきこうとは思いがけなかった。
私は、こんな山里へ来て、こんな婆さんから、こんな古雅な言葉で、こんな古雅な話をきこうとは思いもかけなかった。
I had little expected to hear such a quaint tale from such a old woman in such a quaint tongue, when I arrived at this mountain village.

「これから五丁東へ下ると、道端に五輪塔(ごりんのとう)が御座んす。ついでに長良の乙女の墓を見て御行きなされ」
"About 500m to the east down the hill, there is a five-stone pagoda by the roadside.  It is the tomb of Nagara maiden. Why not visit it?"

●余は心のうちに是非見て行こうと決心した。   私は心の中で是非見て行こうと決心した。
I made up my mind that I  would do this.

婆さんは、そのあとを語りつづける。  婆さんは、そのあと語り続ける。  The old woman continued:

「那古井の嬢様にも二人の男が祟りました。  "Shioda's daughter also had the misfortune to be loved by two men.

一人は嬢様が京都へ修行に出て御出での頃御逢いなさったので、一人はここの城下で随一の物持ちで御座んす」
one was a man she had met while she was studying in Kyoto, and the other was the richest man in the town."

「はあ、御嬢さんはどっちへ靡いたかい」    "Which one did she choose?"

「御自身は是非京都の方へと御望みなさったのを、そこには色々な理由もありましたろが、親ご様が無理にこちらへ取りきめて……」
"She herself definitely wanted to marry the man in Kyoyo, while for various reasons her father made her marry the other man..."

「めでたく、淵川へ身を投げんでも済んだ訳だね」
"She didn't have to end up throwing herself into the Fuchi river, did she?"

「ところが――先方でも器量望みで御貰いなさったのだから、随分大事にはなさったかも知れませぬが、
"Ah, but ... the husband wanted her because of her beauty, and maght have taken very much care of her.

もともと強いられて御出なさったのだから、どうも折合がわるくて、御親類でもだいぶ御心配の様子で御座んした。
But sonehow things did not go very well, because she was forced into the marriage.  His family seemed very worried about how it was going.

ところへ今度の戦争で、旦那様の勤めて御出の銀行がつぶれました。
Meanwhile the war broke out, and the bank where he worked went bankrupt.

それから嬢様はまた那古井の方へ御帰りになります。  Then she went back to Nakoi.

世間では嬢様の事を不人情だとか、薄情だとか色々申します。
People say she is heartless and unfeeling and so on.

もとは極々内気の優しいかたが、この頃ではだいぶ気が荒くなって、何だか心配だと源兵衛が来るたびに申します。……」
She used to be a gentle and reserved girl, but these days she is turning a bit wild.  Every time Genbei comes here, he says how worried he is about her..."

●これからさきを聞くと、せっかくの趣向が壊れる。  このさきを聞くと、せっかくの趣向がこわれる。
It would ruin my plan if I listened to her any further.

ようやく仙人になりかけたところを、誰か来て羽衣を帰せ帰せと催促するような気がする。
ようやく仙人になりかけたところを、誰か来て羽衣を返せ返せと催促するような気がする。
I was almost becoming a mountain hermit, but it seemed that someone came and asked me to come back to the place I used to be.

七曲の険を冒して、やっとの思で、ここまで来たものを、そうむやみに俗界に引きずり下されては、飄然(ひょうぜん)と家を出た甲斐がない。
七曲の危険をおかして、やっとの思いで、ここまで来たものを、そうむやみに俗界に引きずりおろされては、ふらりと家を出た甲斐がない。
Taking the risk of winding mountain path, I managed to climb up to this place.  If I was forced back to the vulgar world again, there is no use in my starting an aimless journey.

世間話しもある程度以上に立ち入ると、浮世の臭いが毛孔から染込んで、垢で身体が重くなる。
世間話もある程度以上に立ち入ると、浮世の臭いが毛孔から染み込んで、垢で身体が重くなる。
If you let yourself become involved with worldly gossip more than a certain amount, you may feel as if the smell of this wretched world were seeping into you through the pores of your skin, and thick coating of your grime makes you weigh more.

「御婆さん、那古井へは一筋道だね」と十銭銀貨を一枚床几の上へかちりと投げ出して立ち上がる。
"Ma'am, this path goes straight to Nakoi, doesn't it?", I asked, tossing a small coin onto the table.

「長良の五輪塔から右へ御下りなさると、六丁ほどの近道になります。路はわるいが、御若い方にはその方がよろしかろ。
"You can take a shortcut of 600m, if you climb down to the right of the five-stone pagoda.  The path may be rough, but it would be better for a young man as you.

――これは多分に御茶代を――気をつけて御越しなされ」
--  Thanks for the generous payment. Take good care of your trip."

    

●昨夕(ゆうべ)は妙な気持ちがした。  夕べは妙な気持がした。
Last evening I had an unsettling feeling.

●宿へ着いたのは夜の八時頃であったから、家の具合庭の作り方は無論、東西の区別さえわからなかった。
宿へ着いたのは夜の八時頃であったから、家の具合や庭の作り方は勿論、東西の区別さえわからなかった。
It was 8 o'clock in the evening when I arrived at the inn, so that I could not see the style of the house, the makeup of the garden, as well as the direction of east and west.

何だか廻廊のような所をしきりに引き廻されて、しまいに六畳ほどの小さな座敷へ入れられた。
I was led through a long winding corrider, and at last shown into a small room.

昔来た時とはまるで見当が違う。  昔来たときとは、まるで勝手が違う。
It was quite unlike my memory of the previous visit.

晩餐を済まして、湯に入って、室へ帰って茶を飲んでいると、小女が来て床を延べよかと云う。
夕食を済まして、湯にはいって、室へもどって茶を飲んでいると、小女が来て床を延べようかと言う。
After dinner, I took a bath.  When I was sipping a tea back in the room,
a young maid came in and asked if it was OK to make the bed.

●不思議に思ったのは、宿へ着いた時の取次も、晩食の給仕も、湯壺への案内も、床を敷く面倒も、ことごとくこの小女一人で弁じている。
不思議に思ったのは、宿へ着いた時の取次も、夕食の給仕も、湯壺への案内も、床を敷く面倒も、ことごとくこの小女一人ですましている。
Strangely enough, all the work are done by this little maid alone, including the reception at the arrival to the inn, serving the meal, showing me to the bathhouse, and making the bed.

それで口は滅多にきかぬ。と云うて、田舎染みてもおらぬ。
それでいて、彼女は滅多に口は利かず、と言って、田舎染みでもいない。
What is more, she scarcely speaks, but she is not at all countrified.

赤い帯を色気なく結んで、古風な紙燭(しそく)をつけて、廊下のような、梯子段(はしごだん)のような所をぐるぐる廻わらされた時、
赤い帯を色気なく結び、古風な明かりをつけて、廊下のような、はしご段のような所をぐるぐるまわらされた時、
When I was shown to my room along a long corridor or staircase by her, who wears red belt curtly around her waist, holding an old-style lantern,

説明 紙燭は、こよりに油をしみこませて、灯火に用いたもの。

同じ帯の同じ紙燭で、同じ廊下とも階段ともつかぬ所を、何度も降りて、湯壺へ連れて行かれた時は、
同じ帯の同じ明かりで、同じ廊下とも階段ともつかぬ所を、何度も降りて、湯壺へ連れて行かれた時は、
and when I was shown to the bathhouse through the same corridor and staircase by her with the same belt and the same lantern,

すでに自分ながら、カンヴァスの中を往来しているような気がした。
すでに自分ながら、キャンヴァスの中を行き来しているような気持ちがした。
I felt as if I were a figure moving around in a painting.

●給仕の時には、近頃は客がないので、ほかの座敷は掃除がしてないから、普段使っている部屋で我慢してくれと云った。
給仕の時に、近頃は客がないので、ほかの座敷は掃除がしてないから、普段使っている部屋で我慢してくれと言った。
While serving my evening meal, she apologized for showing me into a everyday room because other guest rooms were not cleaned due to the recent lack of guests.

床(とこ)を延べる時にはゆるりと御休みと人間らしい、言葉を述べて、出て行ったが、その足音が、例の曲りくねった廊下を、次第に下の方へ遠(とおざ)かった時に、あとがひっそりとして、人の気がしないのが気になった。
床を敷く時には、「ゆっくりとお休み」と人間らしい言葉をかけて、でていったが、その足音が、例の曲がりくねった廊下を、次第に下の方に遠ざかった時、あとがひっそりとして、人の気がしないのが気になった。
After making the beds, she left, saying "Have a good night's sleep." with the human warmth in it.  After her footsteps grew distant as she walked away through the winding corridor and staircase, there remained silence.  The lack of any sense of human presence made me a little nervous.

●生れてから、こんな経験はただ一度しかない。  生まれてから、こんな経験はただ一度しかない。
I had ever had this experience only once in my life.

昔し房州を館山から向うへ突き抜けて、上総から銚子まで浜伝いに歩いた事がある。
昔、房州を館山から向こう側に突き抜けて、上総から銚子まで海岸伝いに歩いたことがある。
Many years ago I crossed the Boso peninsula from Tateyama to the east, and walked along coastline through Kazusa to Choshi.

その時ある晩、ある所へ宿(とまっ)た。ある所と云うよりほかに言いようがない。
その時ある晩、ある所へ泊まった。ある所と言うよりほかに言いようがない。
One night during the trip, I stayed at some place.  I have no other way than to say some place.

今では土地の名も宿の名も、まるで忘れてしまった。第一宿屋へとまったのかが問題である。
今では土地の名も宿の名も、まるで忘れてしまった。第一、宿屋へ泊まったのかも問題である。
I entirely forgot the name of the place and the name of the inn.  I was not sure whether it was an inn or not.

棟(むね)の高い大きな家に女がたった二人いた。   棟の高い大きな家に女がたった二人いた。
It was a large high house, where there were only two women.

余がとめるかと聞いたとき、年を取った方がはいと云って、若い方がこちらへと案内をするから、ついて行くと、荒れ果てた、広い間をいくつも通り越して一番奥の、中二階へ案内をした。
私が泊めるかと聞いたとき、年を取った方がはいと言い、若い方がこちらへと案内をするから、ついて行くと、荒れ果てた広い間をいくつも通り越して一番奥の、中二階へと案内した。
I asked for the vacancy, the elder woman said yes, and the younger woman guided me to follow.  She passed through a number of large deserted rooms, and showed me to the fartherest room at one-and-a-half-story level.

三段登って廊下から部屋へ這入ろうとすると、板庇(びさし)の下に傾きかけていた一叢(ひとむら)の修竹が、そよりと夕風を受けて、余の肩から頭を撫でたので、すでにひやりとした。
階段を 三段登って廊下から部屋へ入ろうとすると、板庇の下に傾きかけていた竹藪が、そよそよと夕風を受けて、私の肩から頭を撫でたので、すでにひやりとした
Climbing three steps up, I entered the room, just when a clump of bamboo, leaning under the eaves, swayed in the evening wind, and brushed me from my shoulder to my head with its leaves.  A shiver of chill ran through me.

椽板はすでに朽ちかかっている。  縁側の板敷はすでに朽ちかかっている。
The wooden floor of the verandah was almost decayed.

来年は筍が椽を突き抜いて座敷のなかは竹だらけになろうと云ったら、若い女が何にも云わずににやにやと笑って、出て行った。
来年は筍が縁側を突き抜いて座敷の中は竹だらけになるだろうと言ったら、若い女は何も言わずににやにやと笑ってでていった。
I joked her by saying that next year the bamboo shoots would penetrate the verandah and the room would be occupied by the bamboo.  She only left the room smiling without saying a word.

●その晩は例の竹が、枕元で婆娑(ばさ)ついて、寝られない。  その晩は例の竹が、枕元でばさばさして、寝られない。
That night I could not sleep because of the rustling sound of the bamboo near my pillow.

障子をあけたら、庭は一面の草原で、夏の夜の月明(つきあき)らかなるに、眼を走しらせると、垣も塀もあらばこそ、まともに大きな草山に続いている。
障子をあけたら、庭は一面の草原で、夏の夜の月が明らかので、眼を走らせると、垣根も塀もありゃしない、真正面に大きな草山に続いている。
I opened the screen door to see the garden, which was a sea of grass under the bright moonlight of summer night.  I let my eyes travel beyond, and found that the garden continues to a great grassy hill, without any intervening hedge or wall.

草山の向うはすぐ大海原でどどんどどんと大きな濤(なみ)が人の世を威嚇(おどか)しに来る。
草山の向こうは、すぐ大海原で、ドドーンドトーンと大きな波が人の世をおどかしにくる。
Beyond the grassy hill was the great ocean, which was thundering with large waves to menace the human world.

余はとうとう夜の明けるまで一睡もせずに、怪し気な蚊帳のうちに辛防しながら、まるで草双紙にでもありそうな事だと考えた。
私はとうとう夜の明けるまで一睡もしないで、怪しげな蚊帳の中で辛抱しながら、まるで草双紙にでもありそうなことだと考えた。
I couldn't sleep a wink until dawn, exercise my patience in a tiny room.  I thought this might well be a scene of some story book.

●その後旅もいろいろしたが、こんな気持になった事は、今夜この那古井へ宿るまではかつて無かった。
その後旅もいろいろしたが、こんな気持になった事は、今夜この那古井に泊まるまではかつて無かった。
Since then I had been on many trips, but I had never felt like that until this night in Nakoi.

●仰向(あおむけ)に寝ながら、偶然目を開けて見ると欄間(らんま)に、朱塗りの縁をとった額がかかっている。
仰向けに寝ながら、偶然目を開けて見ると欄間に、朱塗りの縁取りの額が掛かっている。
Lying on my back, I happened to open my eyes and found high on the wall a frame with red-lacquered edges.

文字は寝ながらも 竹影払階塵不動 と明らかに読まれる。
文字は寝ながらも 竹影払階塵不動 とはっきり読める。
Lying on my back. I could clearly read the words: "Bamboo shadow sweeps the stair, no dust moves"

説明 竹影払階塵不動は、菜根譚にある句 竹影階を払って塵動かず

   読まれる の れる は、動詞の未然形につき、受身、可能、自発、尊敬の意味を表します。

   読める は、可能動詞と呼ばれ、現代日本語で発達しました。五段活用の動詞が、可能動詞を持っています。

   読まれる が 読める に転じたと思われますが、可能の意味で使われます。

   一方で、着る 食べる は、五段活用ではなく、着れる、食べれる は、文法的には間違いで、着られる、食べられる の ら抜き言葉と呼ばれています。

大徹という落款(らっかん)もたしかに見える。  大徹という落款もちゃんと見える。
Signature seal could be clearly seen as "Daitetsu".

説明 確か は、形容動詞なので、確かに見える は ちゃんと見える という副詞の意味と、〜が確かであるように見える という形容動詞としても解釈できますので、文脈をとらえることが必要です。

   確か は、副詞としては、多分 という意味ですが、確かに は、副詞としては、絶対 という意味です。

余は書においては皆無鑒識(かんしき)のない男だが、平生から、黄檗の高泉和尚の筆致を愛している。
私は書においては全く鑑識のない男だが、平生から、黄檗の高泉和尚の筆致を愛している。
I am by no means a connoisseur of caligraphy, but I have always loved the caligraphy of priest Kosen of the Obaku sect.

説明 黄檗宗は、江戸時代初期に来日した隠元を開祖とする禅宗の一派。

隠元も即非も木庵もそれぞれに面白味はあるが、高泉の字が一番蒼勁(そうけい)でしかも雅馴(がじゅん)である。
隠元も即非も木庵もそれぞれに面白味はあるが、高泉和尚の字が一番枯れていて力強く、しかも品があって洗練されている。
Ingen, Sokuhi, Mokuan, each of them has his own strong point, but the caligraphy of Kosen is the most powerful, elegant and refined.

説明 隠元は、明の禅僧で、1654年に来日。即非も木庵も隠元の招きで来日。高泉和尚も、隠元の招きで1661年に来日。

今この七字を見ると、筆のあたりから手の運び具合、どうしても高泉としか思われない。
今この七字を見ると、筆のあたりから手の運び具合は、どうしても高泉としか思われない。
Looking at these seven characters now, I am sure that it is the work of Kosen, based on the strength of brush and the flow of hand.

しかし現に大徹とあるからには別人だろう。ことによると黄檗に大徹という坊主がいたかも知れぬ。
しかし現に大徹とあるからには別人だろう。ことによると黄檗に大徹という坊主がいたかも知れない。
But the signature Daitetsu means that it was written by other person than Kousen.  There might have been a priest named Daitetsu in the Obaku sect at that time.

それにしては紙の色が非常に新しい。どうしても昨今のものとしか受け取れない。
それにしては紙の色が非常に新しい。どうしても昨今のものとしか受け取れない。
But the color of the paper looks very new.  It can only be considered as a recent work.

●横を向く。床にかかっている若冲の鶴の図が目につく。
横を向く。床の間にかかっている若冲の鶴の図が目につく。
I looked sideways.  I noticed the painting of cranes by Jakuchu that hanged in the alcove.

これは商売柄だけに、部屋に這入った時、すでに逸品と認めた。
これは商売柄だけに、部屋に入った時、すでに逸品と認めた。
This being my profession, I recognized it as a masterpiece, as soon as I entered the room.

説明 商売柄 は、通常は、名詞だけで、副詞的に用いて、商売の関係上 といった意味で用いられます。

若冲の図は大抵精緻な彩色ものが多いが、この鶴は世間に気兼(きがね)なしの一筆がきで、一本足ですらりと立った上に、卵形(なり)の胴がふわっと乗かっている様子は、はなはだ吾意を得て、飄逸の趣は、長い嘴のさきまで籠っている。
若冲の図はふつう精緻な彩色ものが多いが、この鶴は世間に遠慮なしの一筆がきで、一本足ですらりと立った上に、卵形の胴がふわっと乗かっている様子は、私の思う通りであり、のんきの趣旨は、長い嘴のさきまで籠っている。
Most of Jakuchu's works are full of delicate colors, while this crane is a ink-brush painting drawn with a single defiant brushstroke.  The crane is standing on its single leg, and its egg-shaped body is poised softly on the leg.  This whole situation is my extreme favorite.  And the sense of lightheartedness is omnipresent even at the tip of the beak.

床の隣りは違い棚を略して、普通の戸棚につづく。戸棚の中には何があるか分らない。
床の間の隣りは違い棚を省略して、普通の戸棚に続く。戸棚の中には何があるか分らない。
Next to the alcove was a ordinary cupboard.  I cannot tell what is in the cupboard.

●すやすやと寝入る。夢に。  I slip into a gentle sleep, and into dream.

●長良の乙女が振袖を着て、青馬(あお)に乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と、ささべ男が飛び出して両方から引っ張る。
長良の乙女が振袖を着て、馬に乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と、ささべ男が飛び出して、両方から引っ張る。
The Nagara maiden in her long-sleeved kimono dress is riding a horse through the mountain pass.  Suddenly the Sasada man and the Sasabe man leap out and pull her from both sides.

説明 青馬も白馬も、どちらも「あお」と読むので、混乱の元なのですが、語源的には、青毛の馬は、黒色です。

   ネットの情報なのですが、「あおうまのせちゑ」という宮廷行事では、日本に多くいた黒い毛の馬を使っていたのですが、

   醍醐天皇の好みにより、葦毛の馬、即ち、白馬が使われるようになり、白馬のことも「あおうま」と呼ぶようになったようです。

女が急にオフェリヤになって、柳の枝へ上って、河の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。
The Nagara maiden suddenly become Ophelia, climbs a willow tree, drops with a broken branch, and being drifted by the stream, sings in a beautiful voice.

説明 シェークスピアのハムレットで、ヒロインのオフィーリアは、正気を失って柳の木に登りますが、枝が折れて小川に落ち、溺死します。

救ってやろうと思って、長い竿を持って、向島を追懸けて行く。
私は、 救ってやろうと思い、長い竿を持って、向島を追っかけて行く。
In order to save her, I am racing along the bank with a long pole.

説明 突然、向島という地名がでてきます。明治時代、向島でボートレースが行われていて、こういう光景がおなじみだったのでしょう。

女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、行末(ゆくえ)も知らず流れを下る。
女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、行方も知らず流れを下る。
She floats without struggling, smiles, and sings, being drifted not knowing where to be drifted.

余は竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。  私は、竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。
I yells desperately after her, with the pole on my shoulder.

●そこで眼が醒めた。腋の下から汗が出ている。妙に雅俗混淆(がぞくこんこう)な夢を見たものだと思った。
そこで私は眼が醒めた。腋の下から汗が出ている。妙に雅俗混交な夢を見たものだと思った。
Then I awoke.  My armpits were soaked with sweat.  I wondered what a strange dream mixed with the poetic and the vulgar.

昔し宋の大慧禅師と云う人は、悟道の後、何事も意のごとくに出来ん事はないが、ただ夢の中では俗念が出て困ると、長い間これを苦にされたそうだが、なるほどもっともだ。
昔、宋の大慧禅師という人は、道を悟った後、何事も思うようにできない事はないが、ただ夢の中では俗念が出て困ると、長い間これを苦にされたそうだが、なるほどもっともだ。
Long ago, the Zen priest Daie claimed that he could do anything he wanted to do after the attainment of enlightened mind, but was long time complaining that he could not manage not to have vulgar thoughts in his dreams.  Now it persuades me.

説明 大慧禅師(1089-1163) は、南宋、臨済宗の僧。

文芸を性命(せいめい)にするものは今少しうつくしい夢を見なければ幅が利かない。
文芸を生命にするものは、もう少し美しい夢を見なければ、幅が利かない。
One who devotes his life to art cannot attain his goal unless he can sleep with a little more beautiful dreams.

説明 生命は、新聞の生命、商人の生命 という使い方のとき、物事の存立や維持の原動力の意味となります。

   幅 は、横幅・余裕・ゆとり という意味合いから、幅が利く、幅を利かせる では、勢力があり、自由にふるまう という意味になります。

こんな夢では大部分画にも詩にもならんと思いながら、寝返りを打つと、いつの間にか障子に月がさして、木の枝が二三本斜めに影をひたしている。
こんな夢では、殆ど絵にも詩にもならんと思いながら、寝返りを打つと、いつの間にか障子に月がさして、木の枝が二三本斜めに影をひたしている。
Thinking that these dreams could not help making pictures or poems, I rolled over and found that the moonlight was pouring on the paper screen doors, on which the oblique shadows of two or three branches were casted.

説明 影をひたす とは、障子に影が写っていて、水の中にひたっているように見えることを意味しています。

冴えるほどの春の夜だ。  冴えわたるような春の夜だ。  Chilling night of the spring.

●気のせいか、誰か小声で歌をうたってるような気がする。
気のせいか、誰かが小声で歌をうたっているような気がする。
It may be just a imagination, but I can hear someone singing in whispers.

夢のなかの歌が、この世へ抜け出したのか、あるいはこの世の声が遠き夢の国へ、うつつながらに紛れ込んだのかと耳を峙(そばだ)てる。
夢の中の歌が、この世へ抜け出したのか、あるいはこの世の声が遠い夢の国へ、夢うつつのうちに紛れ込んだのかと耳をそばだてる。
I strained my ears to catch the sounds wondering whether the songs of my dream slipped into this world or whether a voice of this world slipped into the distant realm of my dream.

説明 うつつ は、現と書き、現実、正気 の意味ですが、夢うつつの誤用で 正気でない と言う意味にも使います。

   夢うつつながら とは、夢か現かという状態で、という意味で、正気でない ことをあらわします。

たしかに誰かうたっている。  確かに誰かが歌っている。  Yes, someone is definitely singing.

細くかつ低い声には相違ないが、眠らんとする春の夜に一縷(いちる)の脈をかすかに搏たせつつある。
その歌は、 細くかつ低い声には違いないが、眠ろうとする春の夜にわずかな脈をかすかに打たせつつある。
The voice was undeniably thin and low, but a thin thread of sound was pulsing faintly in the sleepy spring night.

説明 一縷 は、ほんのわずか という意味で、現在でも、一縷の望み という言い方で残っています。

不思議な事に、その調子はとにかく、文句をきくと――枕元でやってるのでないから、文句のわかりようはない。――その聞えぬはずのものが、よく聞える。
Strangely enough, putting the melody aside, when I listen into the words, I can easily hear the words, in spite of the fact that the song is not so near at the pillow that the words could not be recognizable.

説明 とにかく は、原型は、とにもかくにも で、あのようにも、このようにも、どのようにも と言う意味ですが、

   〜は、とにかく、〜は、ともかく、という使い方のときは、〜は、さておき という意味になります。

あきづけば、をばなが上に、おく露の、けぬべくもわは、おもほゆるかもと長良の乙女の歌を、繰り返し繰り返すように思われる。
They seem to be the repeat of the song of Nagara maiden: As a dew, which lies on the autumn leaf, may evaporate, So I may seem to disappear.

説明 前述のように、長良の乙女は、この歌を詠んで、淵川へ身をなげました。

●初めのうちは椽に近く聞えた声が、しだいしだいに細く遠退いて行く。
始めのうちは、縁側近くに聞こえた声が、次第しだいに細く遠のいて行く。
At first the voice was vear at the verandah, but it grows gradually fainter and more distant.

突然とやむものには、突然の感はあるが、憐れはうすい。
突然と止むものには、突然の感じはあるが、憐れはうすい。
If a thing finishes suddenly, you may feel the suddenness, but you may not feel the loss keenly.

ふっつりと思い切ったる声をきく人の心には、やはりふっつりと思い切ったる感じが起る。
きっぱりと思い切った声をきく人の心には、やはりきっぱりと思い切った感じが起こる。
If you hear a voice spoken decisively, you are sure to have a decisive feeling in your mind.

 説明 起きる と 起こる の違いについて一言。もともとは、起きるは、人や動物の場合、起こるは、物事の場合に用いたのですが、

   〜が原因で起きる病気 とか、〜な感じが起きる のようなときは、起こる でなくとも、通用するようになりました。

これと云う句切りもなく自然(じねん)に細りて、いつの間にか消えるべき現象には、われもまた秒を縮め、分を割いて、心細さの細さが細る。
これという区切りもなく自然に細って、いつのまにか消えてしまうような現象には、私もまた、秒を縮め、分を割いて、心細さの細さが細る。
If a phenomena fades away naturally with no real pause or break, I feel lonesome where loneliness becomes more lonely.

説明 秒を縮める、分を割く の意味を調査中です。現代は、スポーツで、1秒を縮める というと、1秒短縮することになりますし、

   時間を割く というと、時間をやりくりして、他の事に使う という意味で使います。

死なんとしては、死なんとする病夫のごとく、消えんとしては、消えんとする灯火のごとく、今やむか、やむかとのみ心を乱すこの歌の奥には、天下の春の恨みをことごとく萃(あつ)めたる調べがある。
死のうとしては死のうとする病人のように、消えようとして消えようとする灯火のように、今止むか、今止むかとのみ心を乱すこの歌の奥には、この世の春の恨みをことごとく集めたような調子がある。
Like a dying patient who is about to die, like a flickering flame which is about to go out, my heart becomes disturbed by waiting anxiously when the song will stop. In the depth of this song there are all the earthly bitterness of the spring within its rhythm.

説明 漢詩では、春恨 という言葉がよく出てきます。春の季節に陥りやすい感傷的な気分のことです。

●今までは床の中に我慢して聞いていたが、聞く声の遠ざかるに連れて、わが耳は、釣り出さるると知りつつも、その声を追いかけたくなる。
私は、今迄は寝床の中で我慢して聴いていたが、聞こえる声が遠ざかるにつれて、私の耳は、釣りだされると知りながらも、その声を追いかけたくなる。
So far I had patience to stay in bed listening, but as the voice went farther away, my ears wanted to follow, knowing that I might be hooked like a fish.

細くなればなるほど、耳だけになっても、あとを慕(した)って飛んで行きたい気がする。
細くなればなるほど、耳だけになってしまっても、私は、後を慕って、飛んで行きたい気がする。
I felt like flying after the voice, as my body became thiner and thiner so that my body finally became only ears.

もうどう焦慮(あせ)っても鼓膜に応えはあるまいと思う一刹那の前、余はたまらなくなって、われ知らず布団をすり抜けると共にさらりと障子を開けた。
もうどう焦っても鼓膜に応答がなくなると思う瞬間の直前に、私はたまらなくなって無意識に布団から抜け出るとともに、すっと障子を開けた。
As the voice faded away, the response of my eardrums became almost none however hard I concentrated to listen.  Just at that moment, I lost my patience, jumped out from my bed, and opened the paper screen door.

途端に自分の膝から下が斜めに月の光りを浴びる。寝巻の上にも木の影が揺れながら落ちた。
All at once the lower part of my legs was bathed in moonlight.  The shadows of trees fell over my night robe.

●障子をあけた時にはそんな事には気がつかなかった。
When I opend the paper screen door, I did not notice such things.

あの声はと、耳の走る見当を見破ると――向うにいた。
あの声はと、耳が動く方向を見ぬくと ―― 向こうにいた。
My probing ears searched for the voice.  My eyes looked accordingly --  there it was.

花ならば海棠かと思わるる幹を背に、よそよそしくも月の光りを忍んで朦朧たる影法師がいた。
花海棠かと思われる幹を背にして、よそよそしくも月の光を忍んで、朦朧とした影法師がいた。
There reclining against the trunk of Hanakaido was a dim shadow that were icily hiding from the moonlight.

明 花ならば海棠とは、花海棠のことと解釈すると、バラ科リンゴ族の耐寒性の高木です。

あれかと思う意識さえ、確とは心にうつらぬ間に、黒いものは花の影を踏み砕いて右へ切れた。
見えたものはあれかと思う意識さえ、はっきりとは意識されない間に、黒い影法師は花の影を踏み砕いて、右に切れた。
Before my being able to think what it was conciously in my mind, the black shadow moved off to the right crushing the shadow of flowers.

説明 野球で、投げたボールが、右に切れる というと、右方向にそれる、ずれる という意味です。

わがいる部屋つづきの棟の角が、すらりと動く、背の高い女姿を、すぐに遮ってしまう。
私がいる部屋につづいた建物の角が、すらりと動く背の高い女の姿を、すぐに遮ってしまう。
The figure of a tall woman moving swiftly was soon hidden by the ege of a building next to my room.

●借着(かりぎ)の浴衣一枚で、障子へつらまったまま、しばらく茫然としていたが、やがて我に帰ると、山里の春はなかなか寒いものと悟った。
宿の浴衣1枚で、障子につかまったまま、しばらく茫然としていたが、やがて我に返ると、山里の春はなかなか寒いものだと悟った。
I stood there clad only in the single layer of inn's yukata with my hand holding the screen door.  When I came to myself again, I ealized that the spring of the mountains were extremely cold.

説明 つらまる[捉まる]は、とりすがる、つかまる の意。

ともかくもと抜け出でた布団の穴に、再び帰参して考え出した。
それはともかくと、抜け出した布団の穴に、再び戻って、考え始めた。
Anyhow I I returned to the hollow of my bed from which I had jumped out, and began to think.

括(くく)り枕のしたから、袂時計(たもとどけい)を出して見ると、一時十分過ぎである。
枕の下から、懐中時計を取り出して見ると、一時十分過ぎである。
From beneath the pillow, I extracte my pocket watch, and it was 10 minutes past one.

再び枕の下へ押し込んで考え出した。 懐中時計を再び枕の下へ押し込んで考え始めた。
Putting my watch back under the pillow, I began to think.

よもや化物(ばけもの)ではあるまい。化物でなければ人間で、人間とすれば女だ。
よもや化け物ではないだろう。化け物でなければ人間で、人間とすれば女だ。
It couldn't be an apparition.  If it was not an apparition, it was a human.  If human, it was a woman.

あるいは此家(ここ)の御嬢さんかも知れない。しかし出帰(がえり)の御嬢さんとしては夜なかに山つづきの庭へ出るのがちと不穏当だ。
あるいは此の家の御嬢さんかも知れない。しかし出帰りの御嬢さんとしては夜中に山続きの庭へ出るのは少し不穏当だ。
Perhaps it was the daughter of this household.  But it was unseemly for a woman who came back after divorcement to come out at night into the garden connected to the mountain.

何にしてもなかなか寝られない。枕の下にある時計までがちくちく口をきく。
何としてもなかなか寝られない。枕の下にある時計までがちくちくと音を立てる。
Anyway, I could not sleep again.  I could hear the watch under my pillow ticking.

今まで懐中時計の音の気になった事はないが、今夜に限って、さあ考えろ、さあ考えろと催促するごとく、寝るな寝るなと忠告するごとく口をきく。怪しからん。
今まで懐中時計の音が気になった事はないが、今夜に限って、さあ考えろ、さあ考えろと催促するように、寝るな寝るなと忠告するように音を立てる。けしからん。
I had never been troubled by the sound of a watch, but tonight, the watch urged me by making the sound: "Think. Think. Don't sleep. Don't sleep."   Damn it all!

●怖いものもただ怖いものそのままの姿と見れば詩になる。
怖いものも、ただ怖いものそのままの姿と見れば、詩になる。
As for something frightening, regard it frightening just as it is, then a poetry can be born.

凄い事も、己れを離れて、ただ単独に凄いのだと思えば画になる。
凄い事も、自分を離れて、ただ単独に、凄いのだと思えば絵になる。
As for something amazing, egard it amazing independent of yourself, then it can be a painting.

失恋が芸術の題目となるのも全くその通りである。  失恋が芸術のテーマとなるのも全くその通りである。
Exactly the same is true when the lost love can be the subject of art.

失恋の苦しみを忘れて、そのやさしいところやら、同情の宿るところやら、憂のこもるところやら、一歩進めて云えば失恋の苦しみそのものの溢るるところやらを、単に客観的に眼前に思い浮べるから文学美術の材料になる。
失恋の苦しみを忘れて、そのやさしいところや、同情が宿るところや、憂のこもるところや、一歩進めていえば失恋の苦しみそのものの溢れるところ等を、単に客観的に眼前に思い浮べるから文学美術の材料になる。
You must forget the pain of your
lost love, and just think about its tenderness, compassion, melancholy simply befor your eyes, then they will become the stuff of literature and art.

世には有りもせぬ失恋を製造して、自から強いて煩悶して、愉快を貪ぼるものがある。
世間には有りもしない失恋を作り上げて、自分から強いて煩悶して、愉快を貪ぼる作家がいる。
There are some authors who create fictional lost love, put themselves forced into agonies, and enjoy the pleasantness of the situation.

常人はこれを評して愚だと云う、気違だと云う。  普通の人はこれを評して愚だと言う、気違いだと言う。
The common person considers them as foolish or mad.

しかし自から不幸の輪廓を描いて好んでそのうちに起臥するのは、自から烏有(うゆう)の山水を刻画(こくが) して壺中の天地に歓喜すると、その芸術的の立脚地を得たる点において全く等しいと云わねばならぬ。
しかし、自分から不幸の輪郭を描いて、好んでその中に住むのは、自分から実在しない山水を描いて、壺の中の天地に歓喜するのと比べて、芸術の立脚地を得たという点においては、全く等しいと言わねばならぬ。
But if you compare the person who is willing to live inside the contour of unhappiness he himself had drawn, and the artist who draws the non-existent landscape paintings and feels rejoice in living inside, the two must be said equivalent in the viewpoint of establishing the artistic standpoint.

説明 壺中の天地とは、市中で薬を売る老人に会い、その持つ壺の中に入れてもらい、酒肴の御馳走になったという故事に基きます。

この点において世上幾多の芸術家は(日常の人としてはいざ知らず)芸術家として常人よりも愚である、気違である。
この点においてこの世の大勢の芸術家は(日常の人としてはいざ知らず)芸術家として普通人よりも愚であり、気違いである。
In this point the many artists of the world are mader and more foolish than the common man as long as they are artists (I am not talking about how the artists are in their daily life.)

われわれは草鞋旅行(わらじたび)をする間あいだ、朝から晩まで苦しい、苦しいと不平を鳴らしつづけているが、人に向って曾遊(そうゆう)を説く時分には、不平らしい様子は少しも見せぬ。
私達は、旅行をする間は、朝から晩まで、苦しい苦しいと不平を言い立てますが、人に向かってかつての旅を語る時には、不平らいし様子は少しも見せない。
We complain the hardships of our trip by foot from morning to night while traveling.  But, when we talk to others about our past journey, we show not the slightest hint of our complaint on the hardships. 

説明 曾遊は、曾遊の地 と使って、かつて行った事がある場所 という意味になります。

面白かった事、愉快であった事は無論、昔の不平をさえ得意に喋々(ちょうちょう)して、したり顔である。
面白かった事や、愉快だった事は勿論、昔の不平をさえ得意気におしゃべりして、したり顔である。
We take pride not only in talking about the interesting and pleasant things in the past, but also in willingly talking about our complaints in the past.

これはあえて自ら欺くの、人を偽わるのと云う了見ではない。
これは、あえて自分を欺くとか、人を偽わるとか言う話ではない。
This is not done with any conscious intent of deceiving ourselves or cheating other people.

旅行をする間は常人の心持ちで、曾遊を語るときはすでに詩人の態度にあるから、こんな矛盾が起る。
旅行をする間は普通の人の気持ちで、かつての旅を語るときはすでに詩人の態度にあるから、こんな矛盾が起こる。
This contradiction occurs because while traveling we have the feelings of the common people, but while telling the past journey we have the attitude of the poet.

して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。
こうしてみると、四角な世界から、常識と名前がつく一角をなくして、三角の中に住むのを芸術家と呼んでもいいだろう。
Then from the four-cornered world, let us remove one corner the name of which is common sense, and let me call an artist the person who lives in the three-cornered world.

●この故に天然にあれ、人事にあれ、衆俗の辟易して近づきがたしとなすところにおいて、芸術家は無数の琳琅(りんろう)を見、無上の宝ロ(ほうろ)を知る。
この故に、天然のことであれ、人事のことであれ、大衆がしりごみして近づきがたいとみなす所において、芸術家は、無数の美玉を見、無上の美玉を知る。
This is why the artist can find and see the numberless jewels and the priceless jewels in places, both in nature and in human affairs, where the common people hesitate to enter.

俗にこれを名(なづ)けて美化と云う。  俗に、これを名付けて美化という。
This is commonly referred to as beautification.

その実は美化でも何でもない。燦爛(さんらん)たる彩光は、炳乎(へいこ)として昔から現象世界に実在している。
その実際は、美化でも何でもない。きらびやかに輝き彩る光は、明らかに、昔から現象世界に実在している。
But this is not at all the beautification. Clearly, the shining beautiful light always existed in this phenomenal world.

ただ一翳眼(いちえいがん)に在って空花乱墜(くうげらんつい)するが故に、俗累の覊絏(きせつ)牢(ろう)として絶ちがたきが故に、栄辱得喪(えいじょくとくそう)のわれに逼(せま)る事、念々切(せつ)なるが故に、ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず、応挙が幽霊を描くまでは幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。
ただ眼にかげりがあると、空中に花が舞って、物事の真相がわからないが故に、世間の煩わしい事柄は、固くしっかりしていて、絶つことが難しい故に、名誉、恥辱、利益、損失などの関心事が私に迫ることが痛切であるが故に、ターナーが汽車を描くまでは汽車の美が分からず、応挙が幽霊を描くまでは幽霊の美が分からずに、人生を過ごすのである。
If we have a gray spot in our eye, we cannot see the real world.  The inextricable affairs of social life are so tight that we cannot get free from them.  We are so much interseted with the social affaire, such as honor, reproach, gain and loss.  Because of these constraints, we live our life being unable to realize the beauty of steam engine if Turner had not depicte it or being unable to realize the beauty of ghoast if Okyo had not dipicted it.

説明 一翳在眼空花乱墜 は、景徳伝灯録 巻十 にある言葉で、目の中に(病気があったり埃が入ったりして)
   一か所翳(かげ)りがあると、実際には花が無いのに、空中に花が乱れ飛んでいるように見えることから、

   心の病に陥っていると、本心がくもりさえぎられ、虚偽の仮相しか見えない ことを言います。

   栄辱得喪 は、名誉と恥辱と利益と損失 などの世俗的な関心事のこと。

●余が今見た影法師も、ただそれきりの現象とすれば、誰れが見ても、誰に聞かしても饒(ゆたか)に詩趣を帯びている。
私が今見た影法師も、ただそれきりの現象だとすれば、誰が見ても、誰に聞かせても、豊かに詩趣を帯びている。
If the apparition I had just seen was considered just as it was, then it bears richly the poetic atmosphere, no matter who saw it or spoke of it.

――孤村の温泉、――春宵の花影、――月前の低誦、――朧夜(おぼろよ)の姿――どれもこれも芸術家の好題目である。
――孤村の温泉、――春宵の花影、――月前の低誦、――朧夜の姿――どれもこれも芸術家の好題目である。
A hot spring in an isolated village, shadow of flowers on a spring evening, a voice singing softly in the moonlight, a figure in in the dim night, each of these is theexcellent subject for the artist.

この好題目が眼前にありながら、余は入らざる詮義立をして、余計な探ぐりを投げ込んでいる。
この好題目が眼前にありながら、私は要らない詮索をして、余計な探りを入れている。
Although having these nice subjects at hand, I was unnecessarily serching for others, and probing superfluously.

せっかくの雅境に理窟の筋が立って、願ってもない風流を、気味の悪るさが踏みつけにしてしまった。
せっかくの雅境に理窟の筋が通って、願ってもない風流を、気味の悪るさが踏みつけにしてしまった。
I was in a precious envioroment, and the plot was reasonable.  I, who felt scary, destroyed this heaven-sent opportunity.

こんな事なら、非人情も標榜する価値がない。もう少し修行をしなければ詩人とも画家とも人に向って吹聴する資格はつかぬ。
こんな事なら、非人情も標榜する価値がない。もう少し修行をしなければ詩人とも画家とも人に向っていいふらす資格はつかぬ。
If this goes on, I cannot advocate the non-human detachment.  I should have to train myself s little more before I could be qualified to say to others that I am a poet or that I am an artist.

昔しイタリアの画家サルヴァトル・ロザは泥棒が研究して見たい一心から、おのれの危険を賭にして、山賊の群に這入り込んだと聞いた事がある。
昔、イタリアの画家サルヴァトル・ロザは泥棒を研究して見たい一心から、自分の危険を賭けて、山賊の群に入り込んだと聞いた事がある。
I remember hearing that long ago an Italian painter Salvador Rosa, who sincerely wanted to understand robbery, risked his life to join a band of mountain bandits.

飄然(ひょうぜん)と画帖を懐にして家を出たからには、余にもそのくらいの覚悟がなくては恥ずかしい事だ。
ふらりと画帳を持って家を出たからには、私にもそれくらいの覚悟がなくては恥ずかしい事だ。
Because I already strolled off to this journey with a sketchbook, it would be shameful if I did not have such kind of resolution.

●こんな時にどうすれば詩的な立脚地に帰れるかと云えば、おのれの感じ、そのものを、おのが前に据えつけて、その感じから一歩退(しりぞ)いて有体(ありてい)に落ちついて、他人らしくこれを検査する余地さえ作ればいいのである。
こんな時にどうすれば詩的な立脚地に帰れるかと言えば、自分の感じそのものを自分の前に据えつけて、その感じから一歩退いてあるがままに落ちついて、他人らしくこれを検査する余地さえ作ればいいのである。
Then how can I regain the poetic point of view? I have only to put my own feelings set up in front of me, take one step back, calm down to my usual self and investigate myself dispassionately.

詩人とは自分の屍骸(しがい)を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有している。
詩人は自分の死体を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有している。
The poet has the obligation to perform a postmortem on his dead body, and make publick the state of his disease.

その方便は色々あるが一番手近なのは何でも蚊(か)でも手当り次第十七字にまとめて見るのが一番いい。
その手段は色々あるが、一番手近なのは何でもかでも、手当り次第、十七文字にまとめて見るのが一番いい。
Among the many available methods, the simplest is to compose the 17-syllable poem about anything around him.

十七字は詩形としてもっとも軽便であるから、顔を洗う時にも、厠に上った時にも、電車に乗った時にも、容易に出来る。
十七文字は詩形としてもっとも簡便であるから、顔を洗う時にも、トイレに行った時にも、電車に乗った時にも、容易に出来る。
The 17 syllable-poem is the most easy-to-use style among the poems, you can compose one while you are washing your face in the morning, or you are on a train.

十七字が容易に出来ると云う意味は安直に詩人になれると云う意味であって、詩人になると云うのは一種の悟りであるから軽便だと云って侮蔑する必要はない。
十七文字が容易に出来るという意味は、安直に詩人になれるという意味であって、詩人になるというのは、一種の悟りであるから簡便だといって侮蔑する必要はない。
The easiness of the 17-syllable poem means that you can easily become a poet.  You should not derogate it because of its easiness.  To become a poet is not dependent on the easiness of its method but on the acquirement of sense.

軽便であればあるほど功徳になるからかえって尊重すべきものと思う。
簡便であればあるほど、御利益になるから、かえって尊重すべきものと思う。
The simpler, the more beneficial.  You should respect it all the more.

まあちょっと腹が立つと仮定する。腹が立ったところをすぐ十七字にする。
まあちょっと腹が立ったと仮定する。腹が立ったところを、すぐ十七文字にする。
Say something has made you angry.    Then you make it into a 17-syllable poem.

十七字にするときは自分の腹立ちがすでに他人に変じている。
十七文字にするときは、自分の腹立ちがすでに他人に変っている。
When you have composed a 17-syllable poem, your anger is transformed into other person's anger.

腹を立ったり、俳句を作ったり、そう一人が同時に働けるものではない。
腹を立てたり、俳句を作ったり、そう一人が同時に働けるものではない。
Because you cannot be angry and compose a poem at the same time.

ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するや否やうれしくなる。
ちょっと涙をこぼす。この涙を十七文字にする。するや否や嬉しくなる。
You shed tears a little.  You make the tears into a 17-syllable poem.  And suddenly you become happy.

涙を十七字に纏めた時には、苦しみの涙は自分から遊離して、おれは泣く事の出来る男だと云う嬉しさだけの自分になる。
涙を十七文字にまとめた時には、苦しみの涙は自分から遊離して、おれは泣く事の出来る男だという嬉しさだけの自分になる。
When you composes a poem, the tears are etached from you.  You are now feeling a happiness that you are a man who is capable of shedding tears.

●これが平生から余の主張である。  これが普段からの私の主張である。  This has been my long conviction..

今夜も一つこの主張を実行して見ようと、夜具の中で例の事件を色々と句に仕立てる。
今夜も一つこの主張を実行して見ようと、寝床の中で例の事件を色々と句に仕立てる。
Tonight let me excute my conviction, and I in my bed began to compose the night's happenings into poems.

出来たら書きつけないと散漫になっていかぬと、念入りの修業だから、例の写生帖をあけて枕元へ置く。
出来たら書きつけておかないと散漫になってはいけないと、念入りの修業だから、例の写生帳を開いて枕元へ置く。
You become distracted unless you write it down when a poem comes to your mind.  This must be a careful exercise, so I opened my sketchbook and put it by the pillow.

説明 いかぬ は、口語的には、いかない ですが、現代では、可能動詞の否定形 いけない の方を多用すると思います。

「海棠(かいだう)の露をふるふや物狂ひ」と真先に書き付けて読んで見ると、別に面白くもないが、さりとて気味のわるい事もない。
「海棠の露をふるふや物狂い」と真先に書き付けて読んで見ると、別に面白くもないが、さりとて気味の悪い事もない。
I first wrote down "Dews on Hanakaido tree, being shaken, by a mad woman".   It is no good, but it is no bad, no weird.

次に「花の影、女の影の朧(おぼろ)かな」とやったが、これは季が重なっている。
次に「花の影、女の影の朧かな」とやったが、これは季語が重なっている。
Next I wrote down "Shadow of flowers, shadow of a woman, I feel hazily."  But this has double season words.

しかし何でも構わない、気が落ちついて呑気になればいい。
しかしどうでも構わない、気が落ち着いて、呑気になればいい。
But it doesn't matter.  The point of the exercise is to relax and take things easy.

それから「正一位、女に化けて朧月」と作ったが、狂句めいて、自分ながらおかしくなった。
それから「正一位、女に化けて朧月」と作ったが、狂句めいていて、自分ながらおかしくなった。
Then thirdly, "Inari fox, changed to a woman, under the hazy moonlight."  This one is quite absurd, I have to laugh.

説明 正一位は、稲荷神社の異称なので、キツネのこと。

●この調子なら大丈夫と乗気になって出るだけの句をみなかき付ける。
この調子なら大丈夫と乗気になって、出るだけ沢山の句をみなかき付ける。
I thought I was fine, and in a high mood, I wrote down as many poems as they occured to me.

  春の星を落して夜半のかざしかな       Spring stars, taken down at night, to her hair accessaries.

  春の夜の雲に濡らすや洗ひ髪           Spring night, clouds are damped, by the washed hair.

  春や今宵(こよひ)歌つかまつる御姿     Spring night, the beauty figure, sings her song.

  海棠の精が出てくる月夜かな             The Spirit of Hanakaido, ventures out, in a moonlight night.

  うた折々月下の春ををちこちす           Poems and poems, wandering here and there, in the spring moonlight.

  思ひ切つて更け行く春の独りかな        I dared to go, in the hight of spring, how alone I am!

などと、試みているうち、いつしか、うとうと眠くなる。
Writing down these poems, I became sleepy, and fell into sleeping.

●恍惚と云うのが、こんな場合に用いるべき形容詞かと思う。
Perhaps the adjective "entranced" is the most fitting to be used in this situation.

熟睡のうちには何人(なんびと)も我を認め得ぬ。明覚の際には誰あって外界を忘るるものはなかろう。
熟睡中には誰も我を認め得ない。覚醒の際には誰であっても外界を忘れるものはなかろう。
No one can recognize himself while he is fast asleep.  On the other hand, no one can be oblivious to the outside world while he is wide awake.

ただ両域の間に縷のごとき幻境が横わる。 ただ二つの領域の間には、細い糸のような幻想境がある。
But between the two states, there lies a strip of fancy region.

醒めたりと云うには余り朧にて、眠ると評せんには少しく生気を剰(あま)す。
醒めているというには余りに朧であり、眠っているというにはいささか生気を残す。
It is the region where you are too vague to be called awake and you are too vivid to be called asleep.

起臥の二界を同瓶裏(どうへいり)に盛りて、詩歌の彩管(さいかん)をもって、ひたすらに攪き雑ぜたるがごとき状態を云うのである。
起き伏しの二界を同じ瓶(かめ、ビン)の中に盛って、詩歌の絵筆でもって、ひたすらにかき混ぜたような状態を言うのである。
It seems like the state where two worlds of sleep and awakeness are placed in a single pot and thoroughly blended with the brush of poetry.

自然の色を夢の手前までぼかして、ありのままの宇宙を一段、霞の国へ押し流す。
自然の色を夢の手前までぼかして、ありのままの宇宙を一段と、霞の国へ押し流す。
Make the colors of Nature vague as if they are one step before dream, and push the real world one step into the world of mist.

睡魔の妖腕をかりて、ありとある実相の角度を滑かにすると共に、かく和らげられたる乾坤(けんこん)に、われからと微(かす)かに鈍き脈を通わせる。
睡魔のすご腕をかりて、ありとあらゆる実相の角度を滑かにすると共に、このように和らげられた天地に、自分からと微かに鈍き脈を通わせる。
Use the temptation power of the sleepyness to smooth the sharp angles of all the real aspects, and in the world softened in this way, you must spontaneously make faint and dull beats.

地を這う煙の飛ばんとして飛び得ざるごとく、わが魂の、わが殻を離れんとして離るるに忍びざる態(てい)である。
地を這う煙が飛ぼうとして飛び得ないように、私の魂が、私の殻を離れようとして離れるに忍びないという様である。
Just as the smoke, crawling along the ground, vainly wants to rise high, my spirit cannot bear to leave my body.

抜け出いでんとして逡巡(ためらい)、逡巡いては抜け出でんとし、果ては魂と云う個体を、もぎどうに保ちかねて、インウンたる瞑氛(めいふん)が散るともなしに四肢五体に纏綿(てんめん)して、依々(いい)たり恋々(れんれん)たる心持ちである。
抜け出ようとしてためらい、ためらっては抜け出でようとし、果ては魂という個体を、非道に保ちかねて、盛んな目に見えない気が、散るともなく四肢五体にからみついて、離れがたく、思い切りが悪くて忘れられない心持ちである。
The spirit tried to leave, but hesitated.  It hesitated, but tried to leave again.  Finally, the spirit failed to keep its body, and I now feel as if some invisible but vital entity is clinging to my body, producing a sensation of unwillingness, undecisiveness and unforgettableness.

●余が寤寐(ごび)の境(さかい)にかく逍遥していると、入口の唐紙(からかみ)がすうと開いた。
私が現とも夢ともつかない境地にこのようにふらついていると、入口の唐紙がすっと開いた。
While I was wondering between sleep and awakeness, a door of my room smoothly slided open.

あいた所へまぼろしのごとく女の影がふうと現われた。余は驚きもせぬ。恐れもせぬ。ただ心地よく眺めている。
開いた所へ幻のように女の影がふうっと現れた。私は驚きもしない、恐れもしない、ただ、心地よく眺めている。
And in the doorway the shade of a woman suddenly appeared.  I was not surprized.  I feared not.  I was just gazing at it pleasantly.

眺めると云うてはちと言葉が強過ぎる。  眺めると言うと、すこし言葉が強すぎる。
I used the word "gazing", but it is a little too heavy.

余が閉じている瞼の裏(うち)に幻影(まぼろし)の女が断(ことわり)もなく滑り込んで来たのである。
私が閉じている瞼の裏には、幻の女が、断りもなく滑り込んできたのである。
I would rather say that a phantom woman slid into my closed eyelids without permission.

まぼろしはそろりそろりと部屋のなかに這入る。仙女の波をわたるがごとく、畳の上には人らしい音も立たぬ。
幻はそろりそろりと部屋の中にはいる。仙女が波を渡るように、畳の上には、人らしい音も立たない。
The phantom slowly glided into my room.  Like a sprite walking on the wavy surface of the water, she did not make any sound of footsteps on the matted floor.

閉ずる眼のなかから見る世の中だから確とは解らぬが、色の白い、髪の濃い、襟足の長い女である。
私の閉じている目の中から見る世の中だから、しかとは解らないが、色の白い、髪の濃い、襟足の長い女である。
As I was looking with my eyes closed, I could not be sure, but it was a woman with pale skin, long black hair, and long neckline.

近頃はやる、ぼかした写真を灯影にすかすような気がする。
近頃はやっている、ぼかした写真を明かりにすかすような気がする。
It was like a blurred photograph, which was all the fashion these days.

●まぼろしは戸棚の前でとまる。戸棚があく。白い腕が袖をすべって暗闇のなかにほのめいた。
幻は戸棚の前で止まる。戸棚があく。白い腕が袖をすべって暗闇の中にほのめいた。
The phantom stopped in front of the cupboard.  The cupboard door opened.  A white arm emerged smoothly from the sleeve, and gleamed in the darkness.

戸棚がまたしまる。畳の波がおのずから幻影を渡し返す。入口の唐紙がひとりでに閉(た)たる。
戸棚がまた閉まる。畳の波が自然と幻影を渡し返す。入口の唐紙がひとりでに閉まる。
The door closed again.  The floor mat rippled, and bore the phantom back to the door, which then automatically closed.

余が眠りはしだいに濃(こま)やかになる。人に死して、まだ牛にも馬にも生れ変らない途中はこんなであろう。
私の眠りは次第に濃やかになる。人が死んで、まだ牛にも馬にも生れ変らない途中はこんなであろう。
My sleep went deeper and deeper.  I imagined the condition I was in should be the one a dying person was in. 

●いつまで人と馬の相中(あいなか)に寝ていたかわれは知らぬ。 いつまで人と馬の間に寝ていたか私は知らない。
How long I was sleeping like a dead man, I don't know.

耳元にききっと女の笑い声がしたと思ったら眼がさめた。
No sooner than I heard the chuckle of a wooman laughing, I awoke.

見れば夜の幕はとくに切り落されて、天下は隅から隅まで明るい。
見れば、夜の暗闇はとっくに明けていて、世の中は隅から隅まで明るい。
The darkness of the night had already broken, and the world was filled with light everywhere.

説明 夜の幕、夜の帳 は、夜の暗闇 の事を言うので、幕を切り落とす は、夜の暗闇が明ける と訳しました。

うららかな春日(はるび)が丸窓の竹格子を黒く染め抜いた様子を見ると、世の中に不思議と云うものの潜む余地はなさそうだ。
うららかな春の日が丸窓の竹格子を黒く染め抜いた様子を見ると、世の中に不思議というものの潜む余地はなさそうだ。
The sweet spring sunlight was pouring on the bamboo lattice-work in the round window.  I was convinced that there was nowhere left for anything eerie to hide itself in this world.

説明 竹格子を黒く染め抜くとは、どういう状況かについては、調査中です。

神秘は十万億土へ帰って、三途の川の向側へ渡ったのだろう。
神秘は十万億土の彼方の極楽浄土に帰って、三途の川の向こう側に渡ったのだろう。
Mystery must have returned back to the place it had been.

●浴衣のまま、風呂場へ下りて、五分ばかり偶然と湯壺のなかで顔を浮かしていた。洗う気にも、出る気にもならない。
浴衣のまま、風呂場へ下りて、五分ばかり漫然と湯壺の中で顔を浮かしていた。洗う気にも、出る気にもならない。
Wearing yukata (night lobe) I went down to the bathhouse.  I did not feel like washing myself nor getting out.

説明 偶然 は、寓然の誤りか。ここでは、意味の上で、漫然 としました。

第一昨夕はどうしてあんな心持ちになったのだろう。---
Why on earth had I felt so peculier last night?

昼と夜を界にこう天地が、でんぐり返るのは妙だ。 昼と夜を境にこんなに天地がでんぐり返るのは妙だ。
It was so strange that crossing the boundary between day and night the world should utterly tumble over.

●身体を拭くさえ退儀だから、いい加減にして、濡れたまま上がって、風呂場の戸を内から開けると、また驚かされた。
身体を拭くのさえ大儀だから、いい加減にして、濡れたまま上がって、風呂場の戸を内から開けると、また驚かされた。
Being too bothersome to wash myself, I got out of bath without washing and with wet body open the door from within.  And then I was surprized again.

「御早う。昨夕はよく寝られましたか」  "Good morning,   I hope you slept well last night."

●戸を開けるのと、この言葉とはほとんど同時にきた。
These words came at the same time as I opened the door.

人のいるさえ予期しておらぬ出合頭の挨拶だから、さそくの返事も出る遑(いとま)さえないうちに、
人がいることさえ予期していない出合頭の挨拶だから、早速の返事も出るひまさえないうちに、
As I did not expect anyone there, this unexpected greeting upset me.  Before I could utter my reply,

「さ、御召しなさい」  "Here, put on this."

と後へ廻って、ふわりと余の背中へ柔かい着物をかけた。
The voice moved behind me, and put a soft kimono onmy shoulders.

ようやくの事「これはありがとう……」だけ出して、向き直る、途端に女は二三歩退いた。
I managed to say,"Oh, thank you." and turned back.  The woman took two or three steps back.

●昔から小説家は必ず主人公の容貌を極力描写することに相場がきまってる。
For long it is believed that the authors of novels do their best to describe the looks of their heros or heroins.

説明 相場が決まっている とは、慣習や社会通念によって、だいたいの結論がでていることを言います。

古今東西の言語で、佳人の品評に使用せられたるものを列挙したならば、大蔵経(だいぞうきょう)とその量を争うかも知れぬ。
If you list up the words and phrases in the languages from all ages and cultures that were devoted to evaluate the beauty of heros and heroins, the amount would be enormous in volume.

この辟易すべき多量の形容詞中から、余と三歩の隔りに立つ、体(たい)を斜めに捩って、後目(しりめ)に余が驚愕と狼狽を心地よげに眺めている女を、もっとも適当に叙すべき用語を拾い来ったなら、どれほどの数になるか知れない。
この閉口するような大量の形容詞の中から、私と三歩隔たって立つ、体を斜めにねじって、、流し目で私の驚愕と狼狽を心地よさそうに眺めている女を、最も適切に表すべき用語を拾ってきたなら、どれほどの数になるかわからない。
From this sickening amount of massive adjectives, I am not sure how many words would be needed, if I choose the most appropriate words to elaborate the woman who stands three stepsseparated from me, twisting her body obliquely, casting a sidelong glance at me, who is in surprise and in shock.

しかし生れて三十余年の今日に至るまで未だかつて、かかる表情を見た事がない。
しかし生れて三十余年の今日に至るまでに、未だかつて、こんな表情を、私は見た事がない。
But I have never seen such an expression as is on her face now until today for thirty some years since I was born.

美術家の評によると、ギリシャの彫刻の理想は、端粛(たんしゅく)の二字に帰するそうである。
美術家の批評によると、ギリシャの彫刻の理想は、端粛の二文字に帰するそうである。
According to the opinions of artists, the ideal of the ancient Greek sculpture can be summed up to "energy in repose".

端粛とは人間の活力の動かんとして、未だ動かざる姿と思う。
端粛とは、人間の活力が動こうとして、未だ動かない姿と思う。
"Energy in repose" means the human energy about to move but not yet in move.

動けばどう変化するか、風雲か雷霆(らいてい)か、見わけのつかぬところに余韻が縹緲(ひょうびょう)と存するから含蓄の趣を百世(ひゃくせい)の後に伝うるのであろう。
動けばどう変化するか、風雲か激しい雷か、見わけのつかぬところに余韻がはっきりしないで存在するから含蓄の趣を百代の後に伝えるのであろう。
When it moves, how does it change?  Will it be the wind god or the lightening god, no one can tell.    This is where ambiguous afterglow persists, and will be able to convey the sense of implications to the generations through the centuries.

世上幾多の尊厳と威儀とはこの湛然たる可能力の裏面に伏在している。
世の中の数多くの尊厳と威厳とは、この静かで動かない可能力の裏面に伏在している。
Many of the dignity and majesty of this world are dormant at the back side of "energy in repose".

動けばあらわれる。あらわるれば一か二か三か必ず始末がつく。
動けば、現れる。現れれば、一か二か三か、必ず決着がつく。
When it moves, it reveals itself.  When revealed, it surely reaches the conclusion one, two, or three.

一も二も三も必ず特殊の能力には相違なかろうが、すでに一となり、二となり、三となった暁には、タデイ帯水の陋を遺憾なく示して、本来円満の相に戻る訳には行かぬ。
一も二も三も必ず特殊の能力には相違ないだろうが、すでに一となり、二となり、三となった暁には、泥をかぶり水に濡れる悪習を遺憾なく示して、本来円満の相に戻る訳には行かぬ。
Each of the conclusion one, two, or three must be based on its special power, but now that it has changed into the conclusion one, two, or three, it has suffered from the bad habit of being thrown mud at or being drowned in water, and it cannot get back to the original form of harmonious serenity.

この故に動と名のつくものは必ず卑しい。 この故に動と名のつくものは必ず卑しい。
For this reason, everything that is connected to motion is always vulgar.

運慶の仁王も、北斎の漫画も全くこの動の一字で失敗している。
運慶の仁王も、北斎の漫画も全くこの動の一字で失敗している。
Both the gurdian statues of Unkei and the comic cartoons of Hokusai failed on account of this very motion.

動か静か。これがわれら画工の運命を支配する大問題である。
動か静か。これがわれら画工の運命を支配する大問題である。
Motion or repose.  This is the great problem that governs the fate of us artists.

古来美人の形容も大抵この二大範疇のいずれにか打ち込む事が出来べきはずだ。
古来美人の形容も大抵この二大範疇のいずれにか打ち込む事が出来るべきはずだ。
We should be able to classify the discriptions from ancient time of the beautiful women into these two great categories.

●ところがこの女の表情を見ると、余はいずれとも判断に迷った。
ところがこの女の表情を見ると、私はいずれとも判断に迷った。
But when I looked at the exprssions of this woman, I was unable to dscide which category.

口は一文字を結んで静である。眼は五分のすきさえ見出すべく動いている。
口は一文字を結んで静かである。眼は五分のすきさえ見出すべく動いている。
Her mouth was closed, forming a single line, and still.  Her eyes were moving around actively as if anxious not to miss even the smallest hole.

顔は下膨(しもぶくれ)の瓜実形(うりざねがた)で、豊かに落ちつきを見せているに引き易えて、額は狭苦しくも、こせついて、いわゆる富士額の俗臭を帯びている。
顔はしもぶくれのうりざね形で、豊かに落ちつきを見せているのに引きかえて、額は狭苦しくも、こせこせしていて、いわゆる富士額の俗っぽさを帯びている。
She had a oval face with large jowl and keeps a rich and well-poised countenance, but had a narrow forehead and shows a fussy and vulgar expression.

のみならず眉は両方から逼(せま)って、中間に数滴の薄荷(はっか)を点じたるごとく、ぴくぴく焦慮(じれ)ている。
のみならず眉は両方からせまって、中間に数滴の薄荷油を点じたかのように、ぴくぴく焦れている。
Not only that, her eyebrows were near each other, and twitched fretfully as if several drops of mint oil were poured between
.

鼻ばかりは軽薄に鋭どくもない、遅鈍に丸くもない。画にしたら美しかろう。
鼻だけは軽薄に鋭どくもなく、遅鈍に丸くもない。絵にしたら美しかろう。
Her nose was perfect, being neither too sharp and lippant nor too round and dull.  It would have made a nice picture.

かように別れ別れの道具が皆一癖あって、乱調にどやどやと余の双眼に飛び込んだのだから迷うのも無理はない。
こんなに別々の道具が皆一癖あって、乱調にどやどやと私の両眼に飛び込んだのだから迷うのも無理はない。
These various elements, each of which had its own accent, jumped into my two eyes in chorus.  No wonder I felt bewildered.

●元来は静であるべき大地の一角に陥欠が起って、全体が思わず動いたが、動くは本来の性に背くと悟って、力めて往昔の姿にもどろうとしたのを、平衡を失った機勢に制せられて、心ならずも動きつづけた今日は、やけだから無理でも動いて見せると云わぬばかりの有様が――そんな有様がもしあるとすればちょうどこの女を形容する事が出来る。
本来は静であるべき大地の一角に欠陥が起きて、全体が思わず動いたが、動くのは本性に背くと悟って、つとめて昔しの姿にもどろうとしたのを、平衡を失った機勢に制せられて、心ならずも動きつづけた今日は、やけだから無理にでも動いて見せるといわんばかりの有様が――そんな有様がもしあるとすれば、ちょうどこの女を形容する事ができる。
Imagine that the earth, which should be safe in repose, got a fault and quaked spontaneously, but cautioned itself that motion was against its nature, and tried to get back the previous shape.  In spite of its will, the earth could not resist the force that created the fault, and kept on quaking.  And today the earth was about to say that it wanted to show us its forcing itself to move desparately.  If such situation could exist, it would be the one that could depict this woman.

●それだから軽侮の裏に、何となく人に縋(すが)りたい景色が見える。
それだから軽侮の裏に、何となく人にすがりたい気配が見える。
Therefore behind her look of contempt, I can see a emotion to lean to others.

人を馬鹿にした様子の底に慎み深い分別がほのめいている。
At the bottom of her sneering attitude, I can see a prudent wisdom.

才に任せ、気を負えば百人の男子を物の数とも思わぬ勢の下から温和(おとな)しい情けが吾知らず湧いて出る。
才に任せ、気負えば百人の男子を物の数とも思わない勢の下から温和な情けが我知らず湧いて出る。
Under her momentum to hundle a hundred men utilizing her talent and spirit, a tender compassion is pouring out by itself.

どうしても表情に一致がない。  どうしても表情に統一がない。
There is no consistency in her expression.

悟りと迷いが一軒の家に喧嘩をしながらも同居している体だ。
悟りと迷いが一軒の家に喧嘩をしながらも同居しているような体裁だ。
It is as if enlightenment and bewilderment are living together while quarreling.

この女の顔に統一の感じのないのは、心に統一のない証拠で、心に統一がないのは、この女の世界に統一がなかったのだろう。
The lack of consistency in her face is the evidence of the lack of consistency in her heart, and the lack of consistency in her heart may be due to the lack of consistency in her world.

不幸に圧しつけられながら、その不幸に打ち勝とうとしている顔だ。不仕合な女に違ない。
It is the face being oppressed by the misfortune but struggling to defeat the misfortune.   Poor woman!

「ありがとう」と繰り返しながら、ちょっと会釈した。  "Thank you." I repeated and bowed slightly.

「ほほほほ御部屋は掃除がしてあります。往って御覧なさい。いずれ後ほど」
"Ha,ha,ha,ha,ha.  Your room is now cleaned.  Go and see.  I will come and see you later."

と云うや否や、ひらりと、腰をひねって、廊下を軽気(かろげ)に馳けて行った。
というや否や、ひらりと、腰をひねって、廊下を軽やかに馳けて行った。
As soon as she said so, she twisted about and ran off along the corridor lightly.

頭は銀杏返に結っている。白い襟がたぼの下から見える。帯の黒繻子(じゅす)は片側だけだろう。
頭は銀杏返しに結っている。白い襟足が後ろ髪の下から見える。帯の黒じゅすは片側だけだろう。
Her hair was set in Icho-gaeshi style.  Her slender white neck was visible under the hair.

説明 帯の表と裏の材質を変えたものを腹合帯(はらあわせ)と呼んで、片面を黒繻子としたものが多かったようですが、

   流行のはやりすたりの変遷が複雑で、黒繻子が片面だけかと思案する意味合いがわからないので、

   当面、現代語訳、英訳では、省略します。

     

●ぽかんと部屋へ帰ると、なるほど奇麗に掃除がしてある。ちょっと気がかりだから、念のため戸棚をあけて見る。
ぽかんとして部屋へ帰ると、なるほど奇麗に掃除がしてある。ちょっと気がかりだから、念のため戸棚をあけて見る。
Absently I returned to my room, and found, indeed, that my room had been cleaned.  Something was on my mind, so just to make sure, I opend the cupboard.

下には小さな用箪笥が見える。   In the lower part, there was a small chest.

上から友禅の扱帯(しごき)が半分垂れかかって、いるのは、誰か衣類でも取り出して急いで、出て行ったものと解釈が出来る。
上から友禅の腰帯が半分垂れかかっているのは、誰か衣類でも取り出して急いで出て行ったものと解釈が出来る。
From the top hanging down a part of kimono belt garnish, which suggested that someone had hurriedly taken out some clothes.

扱帯の上部はなまめかしい衣裳の間にかくれて先は見えない。片側には書物が少々詰めてある。
腰帯の上部はなまめかしい衣裳の間にかくれて先は見えない。片側には書物が少し詰めてある。
The upper part of the belt garnish was hidden among the gaudy feminine clothes.
To one side of the chest was a pile of books.

一番上に白隠和尚の遠良天釜(おらてがま)と、伊勢物語の一巻が並んでる。
On top was the Oteragama by Zen priest Hakuin, and a volume of the Tale of Ise.

昨夕のうつつは事実かも知れないと思った。
The apparition of the previous night might have been real, I thought.

●何気なく座布団の上へ坐ると、唐木の机の上に例の写生帖が、鉛筆を挟んだまま、大事そうにあけてある。
何気なく座布団の上へ坐ると、机の上に例の写生帳が、鉛筆を挟んだまま、大事そうに開けてある。
Unintentionally I sat on a cushion and found that my sketchbook was laid open importantly on the desk with a pencil tucked between the pages.

夢中に書き流した句を、朝見たらどんな具合だろうと手に取る。
昨夜、 夢中に書き流した句を、朝見たらどんな具合だろうと手に取る。
I picked it up to check how the poems would read this morning, which I had feverishly scribbled down last night.

「海棠の露をふるふや物狂」の下にだれだか「海棠の露をふるふや朝烏(あさがらす)」とかいたものがある。
「海棠の露をふるふや物狂」の下に誰だか「海棠の露をふるふや朝烏」と書いたものがある。
Under "Dews on Hanekaido tree, being shaken, by a mad woman", someone had scribbled "Dews on Hanekaido tree, being shaken, by a morning crow".

鉛筆だから、書体はしかと解らんが、女にしては硬過ぎる、男にしては柔か過ぎる。
鉛筆だから、書体はしかと解らないが、女にしては硬過ぎる、男にしては柔らか過ぎる。
Being written in pencil, the handwriting style is rather vague. It looks too firm for a woman's hand, and too soft for a man's hand.

おやとまた吃驚(びっくり)する。  おやとまた、びっくりする。  Another surprise!

次を見ると「花の影、女の影の朧かな」の下に「花の影女の影を重ねけり」とつけてある。
Under the next poem "Shadow of flowers, shadow of a woman, I feel hazily." added was "Shadow of flowers, shadows of a woman, doubled and overlaid."

「正一位女に化けて朧月」の下には「御曹子女に化けて朧月」とある。
Under "Inari fox, changed to a woman, under the hazy moonlight." added was "Prince of the house, changed to a woman, under the hazy moonlight."

真似をしたつもりか、添削した気か、風流の交(まじ)わりか、馬鹿か、馬鹿にしたのか、余は思わず首を傾けた。
真似をしたつもりか、添削した気か、風流の交わりか、馬鹿か、馬鹿にしたのか、私は思わず首を傾けた。
This may be an attempt, correction, elegant exchange, foolishness, or befooling? I wondered.

●後ほどと云ったから、今に飯の時にでも出て来るかも知れない。出て来たら様子が少しは解るだろう。
She had said she would come and see me later, she might come any time or at lunch time.  When she did come, I would ask her explanation.

ときに何時だなと時計を見ると、もう十一時過ぎである。よく寝たものだ。
ところで今は何時かと時計を見ると、もう11時過ぎである。よく寝たものだ。
Checking at my watch, it was aleady past eleven.  How well I slept!

これでは午飯(ひるめし)だけで間に合せる方が胃のためによかろう。
これでは昼飯だけで間に合せる方が胃のためによかろう。
Skipping my breakfast would be better for my stomach.

●右側の障子をあけて、昨夜の名残はどの辺かなと眺める。
右側の障子をあけて、昨夜の名残はどのあたりかなと眺める。
I slid open the shoji door at the right-hand side, and looked for the echoes of the last night events.

海棠と鑑定したのははたして、海棠であるが、思ったよりも庭は狭い。
花海棠と鑑定したのは、案の定、花海棠であるが、思ったよりも庭は狭い。
The tree I judged to be an aronia was indeed an aroma.  The garden was smaller than I thought.

五六枚の飛石を一面の青苔が埋めて、素足で踏みつけたら、さも心持ちがよさそうだ。
五六個の飛石を一面の青苔が埋めて、素足で踏みつけたら、さぞ心持ちがよさそうだ。
Five or six stepping-stones were almost covered by a carpet of green moss. Stepping on barefoot would make me feel pleasant.

左は山つづきの崖に赤松が斜めに岩の間から庭の上へさし出している。
左は、山から続いた崖に、赤松が、斜めに岩の間から庭の上へ、さし出している。
To the left was a cliff face of the back hill, with a red pine tree growing out over the garden.

海棠の後にはちょっとした茂みがあって、奥は大竹藪が十丈の翠りを春の日に曝している。
花海棠の後には、ちょっとした茂みがあって、奥は大竹藪が30mの緑を春の日にさらしている。
Behind the aroma was a small clump of bushes, and further behind was a large clump of bamboo bushes with theri green leaves shining under the spring sun.

説明 丈は、3mなので、十丈は、30mになります。これが比喩なのか、本当なのかは、わかりません。

右手は屋の棟で遮ぎられて、見えぬけれども、地勢から察すると、だらだら下りに風呂場の方へ落ちているに相違ない。
右手は、建物の棟で遮ぎられて見えないけれども、地勢から察すると、だらだらと下って風呂場の方へ落ちているに相違ない。
The right-hand side was cut off by the roofline of the building, and could not be seen, but judging from the basic terrain, it must slope gently down to the bath-house.

●山が尽きて、岡となり、岡が尽きて、幅三丁ほどの平地となり、その平地が尽きて、海の底へもぐり込んで、十七里向うへ行ってまた隆然と起き上って、周囲六里の摩耶島となる。これが那古井の地勢である。
山が終って岡となり、岡が終って幅300mほどの平地となり、その平地が終って海の底へもぐり込んで、70km向うへ行ってまた隆然と起き上って、周囲24kmの摩耶島となる。これが那古井の地勢である。
The basic topography of Nakoi area can be explained as follows.  The mountain slopes change to a hill, which in turn changes to an flat land area about 10m wide.  The flat land dips under the sea, and rises again about 70km beyond to make Maya island of 24 km in circumference.

温泉場は岡の麓を出来るだけ崖へさしかけて、岨(そば)の景色を半分庭へ囲い込んだ一構(ひとかまえ)であるから、前面は二階でも、後ろは平屋になる。
温泉場は、山の麓を出来るだけ崖へ延ばして、切り立った崖の景色を半分庭へ囲い込んだ構造であるから、建物の前面は二階でも、後ろは平屋になる。
The hot-spring inn was built on a slope at the foot of the hill as close as possible to the hill, incorporating the scenery of the hill into its garden.  Thus the inn was two-storey high at its front, but one-story high at the back garden.

椽(えん)から足をぶらさげれば、すぐと踵は苔に着く。 縁側から足をぶらさげれば、すぐと踵は苔に着く。
So when I sat at the edge of the verandah and dangled my legs, my heels could easily touch the moss below.

道理こそ昨夕は楷子段をむやみに上ったり、下ったり、異な仕掛の家と思ったはずだ。
道理で、昨晩は、楷子段をむやみに上ったり、下ったり、妙な仕掛の家と思ったはずだ。
I could now understand why the previous evening I had had to go up and down all those flights of stairs and imagined that the building was so strangely planned.

●今度は左り側の窓をあける。  Then I opened the windoe to the left.

自然と凹む二畳ばかりの岩のなかに春の水がいつともなく、たまって静かに山桜の影をひたしている。
自然に凹んだ二畳ばかりの岩のなかに春の水が、いつともなくたまって、静かに山桜の影がひたっている。
There was a wide rock, naturally hollowed out in the middle.  The hollow was filled with spring water, and held the reflection of a wild cherry tree.

二株三株の熊笹が岩の角を彩どる、二株三株の熊笹が岩の角を彩どっている、
Two or three clupms of dwarf bamboo
added colors to the edges of the rock.

向うに枸杞(くこ)とも見える生垣があって、その向うに枸杞(くこ)のような生垣があって、
Beyond was a hedge of what looed like red-berried kuko bushes,

外は浜から、岡へ上る岨道(そばみち)か時々人声が聞える。
その外は浜から岡へ上る崖道であろうか、時々人声が聞える。
Beyond the hedge there would be a narrow track, because I occasionally heard the voices of passers-by.

往来の向うはだらだらと南下がりに蜜柑を植えて、谷の窮まる所にまた大きな竹藪が、白く光る。
往来の向うはだらだらと南下がりで、蜜柑が植えられて、谷が終わる所にまた大きな竹藪が、白く光る。
Beyond the track orange trees were planted on the gentle southern slope, which led to a large bamboo grove gleaming white reflecting the sunlight.

竹の葉が遠くから見ると、白く光るとはこの時初めて知った。
竹の葉は、遠くから見ると白く光るとは、この時初めて知った。
For the first time I realized that bamboo leaves didd gleam white when seen from a distance.

藪から上は、松の多い山で、竹藪から上は、松が多い山で、
Above the bamboo grove the hill was populated with pine trees.

赤い幹の間から石磴が五六段手にとるように見える。
松の赤い幹の間から石磴が五六段手にとるように見える。
Through the red trunks of pine trees five or six stone steps were clearly visible.

大方御寺だろう。多分、お寺だろう。
Maybe there would be a temple around there.

●入口の襖をあけて縁へ出ると、
I opened the enterence sliding door, and went out to the verandah.

欄干が四角に曲って、 the railing bent at a right angle

方角から云えば海の見ゆべきはずの所に、中庭を隔てて、表二階の一間がある。
In the direction to which I could see the sea, across an inner garden, there stands a second-floor room.

わが住む部屋も、欄干に倚(よ)ればやはり同じ高さの二階なのには興が催おされる。
It is strange my first-floor room is level with this second-floor room.

湯壺は地の下にあるのだから、入湯と云う点から云えば、余は三層楼上に起臥する訳になる。
The bathing room is below the ground level, from which my room is thought to be on the third floor

●家は随分広いが、向う二階の一間と、余が欄干に添うて、右へ折れた一間のほかは、居室台所は知らず、客間と名がつきそうなのは大抵立て切ってある。

客は、余をのぞくのほかほとんど皆無なのだろう。
客は、私を除く以外ほとんど皆無なのだろう。
It suggests that apart from myself there are virtually no guests.

〆(しめ)た部屋は昼も雨戸をあけず、あけた以上は夜も閉てぬらしい。
閉めた部屋は昼も雨戸を開けず、開けた以上は、夜も閉めないらしい。
Shuttered rooms are not un-shuttered during daytime, and if un-shuttered, the rooms were not closed during night.

これでは表の戸締りさえ、するかしないか解らん。
I am not certain whether they close the main gate at night.

非人情の旅にはもって来いと云う屈強な場所だ。
This is the best place for the traveller like me who is trying to get away from the world.

●時計は十二時近くなったが飯を食わせる景色はさらにない。
時計は十二時近くなったが、飯を食わせる気配はさらにない。
It is almost noon by my watch, but there is no sign of serving my meal.

ようやく空腹を覚えて来たが、空山不見人(ひとをみず)と云う詩中にあると思うと、一とかたげぐらい倹約しても遺憾はない。
ようやく空腹を覚えて来たが、空山不見人という詩中にあると思うと、一食ぐらい倹約しても心残りではない。ようやく
I am feeling a little hungry, but I don't mind skipping one meal if I consider myself as a hermit who was totally alone in a barren mountainside in a Chinese poem.

説明 ひとかたげ(担げ)は、ひとかつぎの意味ですが、ひとかたけ(一片食)は、一回の食事 を意味し、こちらの意味で使っていると考えられます。

画をかくのも面倒だ、俳句は作らんでもすでに俳三昧に入っているから、作るだけ野暮だ。
Let me start painting, but it is tiresome.  No good to make poems, because I am already in a mood of versing poems.

読もうと思って三脚几(き)に括りつけて来た二三冊の書籍もほどく気にならん。
I am not in a mood of reading one of a few books I binded on my canvas tripod.

こうやって、煦々(くく)たる春日(しゅんじつ)に背中をあぶって、椽側に花の影と共に寝ころんでいるのが、天下の至楽である。
こうやって、暖かな春の日でに背中をあぶって、縁側に花の影と共に寝ころんでいるのが、天下の至楽である。
It is the supreme pleasure to be lying on the verandah among the shadows of blossoms feeling the warmth of the spring sun shine on my back.

考えれば外道に堕ちる。考えると邪道に堕ちる。
If I were to think, I would be drawn into perversion.

動くと危ない。 It is dangerous to move.

出来るならば鼻から呼吸もしたくない。
Had it been possible I would no like to breathe from my nose.

畳から根の生えた植物のようにじっとして二週間ばかり暮して見たい。
I wish to stay here without moving for a fortnight as if I were a plant that took root here through the matted floor.

●やがて、廊下に足音がして、段々下から誰か上ってくる。
At last I heard someone walking up the stairs and along the passageways.

近づくのを聞いていると、二人らしい。
As the sound came nearer, I found that the sound was from the steps of two people.

それが部屋の前でとまったなと思ったら、一人は何なんにも云わず、元の方へ引き返す。
The sound stopped in front of my room, and one of them walked back without a word.

襖があいたから、今朝の人と思ったら、やはり昨夜の小女郎である。
The door opened.  It was not the woman this morning, but the young girl who had showmn me to my room last night.

何だか物足らぬ。  I feel not satisfied.

●「遅くなりました」と膳を据える。朝食の言訳も何にも言わぬ。
'Sorry to have kept you waiting.'  So saying, she prepared the meal. She said nothing about the breakfast.

焼肴に青いものをあしらって、椀の蓋をとれば早蕨(さわらび)の中に、紅白に染め抜かれた、海老を沈ませてある。

ああ好い色だと思って、椀の中を眺ながめていた。
I was staring into the bowl, admiring thecolors of the contents.

●「御嫌いか」と下女が聞く。 "Don't you like it?", asked she.

●「いいや、今に食う」と云ったが実際食うのは惜しい気がした。
"Yes, I am about to eat." Replying that I thought it a pity to eat it up.

ターナーがある晩餐の席で、皿に盛るサラドを見詰めながら、涼しい色だ、これがわしの用いる色だと傍の人に話したと云う逸事をある書物で読んだ事があるが、
I remember reading a book about Turner telling that one evening at a dinner when he was gazing at at the salad of his plate he remarked to the neighboring persons that these are just the colors I wanted to use in my paintings.

この海老と蕨の色をちょっとターナーに見せてやりたい。
I wished I could have let Turner see the colors of those shrimps and ferns.

いったい西洋の食物で色のいいものは一つもない。
There is not a single dish of western foods which has attractive colors.

あればサラドと赤大根ぐらいなものだ。
If it exists, it can only be salad and radishes.

滋養の点から云ったらどうか知らんが、画家から見るとすこぶる発達せん料理である。
I have no knowledge about nutrition, but from the artistic point of view the western dish is extremely uncivilized.

そこへ行くと日本の献立は、吸物でも、口取でも、刺身でも物奇麗に出来る。
On the other hand, Japanese dishes are made beautiful whethrt it be soup, hors d'oeuvres or raw fish.

会席膳を前へ置いて、一箸も着けずに、眺めたまま帰っても、目の保養から云えば、御茶屋へ上がった甲斐は充分ある。

●「うちに若い女の人がいるだろう」と椀を置きながら、質問をかけた。
"Is there a young lady in the household?", I asked as I put down the bowl.

「へえ」 「ありゃ何だい」 「若い奥様でござんす」
"Yes, sir." "Who is she?" "The young mistress."

「あのほかにまだ年寄の奥様がいるのかい」 "Is there another older mistress?"

 「去年御亡おなくなりました」 "She died last year."

「旦那さんは」  "Is there the master?"

「おります。旦那さんの娘さんでござんす」  "Yes, he is alive.  She is his daughter."

「あの若い人がかい」 「へえ」  "The young lady, you mean?"  "Yes."

「御客はいるかい」 「おりません」 "Are there any other guests?" "No, sir."

「わたし一人かい」 「へえ」  "Just me then."  "Yes."

「若い奥さんは毎日何をしているかい」 "What does the young mistress do every day?"

「針仕事を……」  "She does sewing works."

「それから」 「三味を弾ひきます」 "Any other?" "She plays the shamisen."

●これは意外であった。  This was an unexpected answer.

面白いからまた 「それから」と聞いて見た。 Being interested, I asked "Any other?"

 「御寺へ行きます」と小女郎が云う。 "She goes to the temple."

●これはまた意外である。御寺と三味線は妙だ。
This is also an unexpected answer.  The temple and the shamisen are rather strange.

「御寺詣まいりをするのかい」  "Does she go there to pray?"

「いいえ、和尚様の所へ行きます」 "No. She goes there to see the priest."

「和尚さんが三味線でも習うのかい」  "Does he learn to play the shamisen?"

「いいえ」  「じゃ何をしに行くのだい」  "No."  "Then why?"

「大徹様の所へ行きます」 "She goes there to see Daitetsu."

●なあるほど、大徹と云うのはこの額を書いた男に相違ない。
I got it.  Daitetsu must be the man who wrote the words of the frame.

この句から察すると何でも禅坊主らしい。
The words suggests a Zen priest.

戸棚に遠良天釜(おらてがま)があったのは、全くあの女の所持品だろう。

「この部屋は普段誰か這入っている所かね」  "Somebody usually use this room?"

「普段は奥様がおります」  "Young mistress does."

「それじゃ、昨夕、わたしが来る時までここにいたのだね」  「へえ」
"Then she must have been here untill I arriver last night." "Yes."

「それは御気の毒な事をした。  "Then I am sorry for her.

それで大徹さんの所へ何をしに行くのだい」  「知りません」
By the way why does she go to see Daitetsu?" "I am afraid I don't know."

「それから」 「何でござんす」  "What else?"  "I beg your pardon?"

「それから、まだほかに何かするのだろう」  "I mean, what other things does she do?"

「それから、いろいろ……」  "Then, other things..."

「いろいろって、どんな事を」  「知りません」  "What other things?"  "I don't know."

●会話はこれで切れる。飯はようやく了る。 The conversation ended.  My lunch also ended.

膳を引くとき、小女郎が入口の襖を開たら、中庭の栽込みを隔てて、向う二階の欄干に銀杏返しが頬杖を突いて、開化した楊柳観音(ようりゅうかんのん)のように下を見詰めていた。
小女郎が、 膳を引くときに入口の襖を開たら、中庭の栽込みを隔てて、向う二階の欄干に銀杏返しの女が頬杖を突いて、開化した楊柳観音のように下を見詰めていた。
The girl took the table, and oprned the Fusuma door.  I caught sight of the woman standing on the verandah with her elbows resting on the rail.  She was gazing downwards.

説明 楊柳観音は、33観音の一人で、右手に柳の枝を持っている。

今朝に引き替えて、はなはだ静かな姿である。
女は、 今朝に引き替えて、はなはだ静かな姿である。
Compared to her appearance this morning, she is now sitting quietly.

俯向いて、瞳の働きが、こちらへ通わないから、相好(そうごう)にかほどな変化を来たしたものであろうか。
俯向いて、瞳の動きが、こちらへ通わないから、顔にこんなにも変化をもたらしたものでしょうか。
Since she was looking downwards I cannot read her eyes' movement.  Does it cause such a large difference in the looks of her face?

昔の人は人に存するもの眸子(ぼうし)より良きはなしと云ったそうだが、
昔の人は人にあるもので、瞳よもり良いものないと言ったそうだが、
Someone long ago once said that nothing speaks for a man than his pupils,

なるほど人焉(いずく)んぞカクさんや、人間のうちで眼ほど活きている道具はない。
なるほど人はどうして隠すことができようか、人間のうちで眼ほど活きている道具はない。
Indeed a man cannot hide.  The eye is the most expressive organ in the human body.

寂然と倚(よ)る亜字欄の下から、蝶々が二羽寄りつ離れつ舞い上がる。
女がひっそりと寄り添っている手すりの下から、蝶々が二羽、寄ったり離れたりしながら舞い上がる。
From beneath the rail on which she was leaning silently, two butterflies came dancing erratically upwords.

途端にわが部屋の襖はあいたのである。
All of the sudden the fusuma door of my room opened.

襖の音に、女は卒然と蝶から眼を余の方に転じた。
襖の音に、女は突然、眼を蝶から私の方に転じた。
At the sound of opening door, she turned her eyes from the butterflies towards me.

視線は毒矢のごとく空を貫いて、会釈もなく余が眉間に落ちる。
女の 視線は毒矢のごとく空を貫いて、挨拶もなく私の眉間に落ちる。
Her gaze shot through the air like a poisoned arrow, and hit me between my eyes.

はっと思う間に、小女郎が、またはたと襖を立て切った。
私がはっと思っている間に、小女郎は、突如、襖を閉め切った。
Just when I was astonished, the girl shut the fusuma door.

あとは至極呑気な春となる。  あとは、至極、呑気な春となる。
Immediately the happy spring returned.

●余はまたごろりと寝ころんだ。たちまち心に浮んだのは、
I sprawled on the floor.  Soon the following lines came into my mind

  Sadder than is the moon's lost light,      失われた月の光よりも悲しい

   Lost ere the kindling of dawn,           燃え立つ暁が終わり

   To travellers journeying on,            道行く旅人たちにとって

  The shutting of thy fair face from my sight. 貴女の美しい顔が私の視界から閉ざされることは、

と云う句であった。

説明 メレディスの「シャグパットの毛剃り」の「バナヴァーの物語」で王子が婚約者に向かって歌う歌です。

もし余があの銀杏返しに懸想して、身を砕いても逢わんと思う矢先に、今のような一瞥の別れを、魂消(たまぎ)るまでに、嬉しとも、口惜しとも感じたら、余は必ずこんな意味をこんな詩に作るだろう。
もし私があの銀杏返しの女に恋慕して、身を砕いても会おうと思っている矢先に、今のような一瞥の別れを、たまげるまでに、嬉しいとも、悔しいとも感じたら、私は、必ず、こんな意味をこんな詩に作るだろう。

その上に  And then

  Might I look on thee in death,            死して貴女に会えるのであれば

  With bliss I would yield my breath.         至福のうちに、私は、命を棄てましょう。

と云う二句さえ、付け加えたかも知れぬ。

幸い、普通ありふれた、恋とか愛とか云う境界(きょうがい)はすでに通り越して、そんな苦しみは感じたくても感じられない。
幸い、私は、普通のありふれた恋とか愛とかいう境地はすでに通り越して、そんな苦しみは感じたくても感じられない。
Fortunately I was already through the triteness of falling in love, and cannot feel such pangs of love even if I had wanted it.

しかし今の刹那に起った出来事の詩趣はゆたかにこの五六行にあらわれている。
しかし、今の瞬間に起きた出来事の詩趣は、豊かにこの五六行に表れている。
But the tang of the event just now happened is captured by these 5 or 6 lines of the poem.

余と銀杏返しの間柄にこんな切ない思はないとしても、二人の今の関係を、この詩の中に適用(あてはめ)て見るのは面白い。
私と銀杏返しの間柄にこんな切ない思いは無いとしても、二人の今の関係を、この詩の中にあてはめてみるのは面白い。
There are no such yearning feelings between she and I, but it would be interesting to apply our current relationship into this poem.

あるいはこの詩の意味をわれらの身の上に引きつけて解釈しても愉快だ。
あるいはこの詩の意味をわれらの身の上に引きよせて解釈しても面白い。
Or it is interesting to interpret this poem applying to our relationship.

二人の間には、ある因果の細い糸で、この詩にあらわれた境遇の一部分が、事実となって、括りつけられている。
A part of the situation depicted by the poem is made real, and bundled to both of us by a thin thread of causality.

因果もこのくらい糸が細いと苦にはならぬ。  Such a thin thread does not cause any pain at all.

その上、ただの糸ではない。 Moreover, this is no ordinary thread.

空を横切る虹の糸、野辺に棚引く霞の糸、露にかがやく蜘蛛の糸。

切ろうとすれば、すぐ切れて、見ているうちは勝れてうつくしい。

万一この糸が見る間に太くなって井戸縄のようにかたくなったら? 

そんな危険はない。 There is no fear of that happening.

余は画工である。  I am an artist.

先はただの女とは違う。  She is not a usual woman.

●突然襖があいた。  Suddenly the door opened.

寝返りを打って入口を見ると、因果の相手のその銀杏返しが敷居の上に立って青磁の鉢を盆に乗せたまま佇んでいる。
I rolled over to see the gate, and found her standing there carrying a tray with a green porcelain bowl on it.

「また寝ていらっしゃるか、昨夕は御迷惑で御座んしたろう。
"Are you still sleeping?  I might have troublrd you too much last night.

何返も御邪魔をして、ほほほほ」と笑う。
I have bothered you several times. Ha, ha, ha!" smiled she.

臆した景色も、隠す景色も――恥ずる景色は無論ない。

ただこちらが先を越されたのみである。  I felt she was definitely ahead in the game.

「今朝はありがとう」とまた礼を云った。 "Thanks for yor help this morning." I said again.

考えると、丹前の礼をこれで三返云った。  This is the third time I thanked her for her help.

しかも、三返ながら、ただ難有うと云う三字である。 Each of three times, I just said "Thank you"

●女は余が起き返ろうとする枕元へ、早くも坐って
While I was trying to get up, she came to my bedside and sat.

「まあ寝ていらっしゃい。寝ていても話は出来ましょう」と、さも気作に云う。
"Oh, you should keep lying.  We can talk while you are lying." She said in a friendly voice.

余は全くだと考えたから、ひとまず腹這になって、両手で顎を支え、しばし畳の上へ肘壺の柱を立てる。
I totally agreed, and rolled flat on my belly, rested my chin on my hands,

「御退屈だろうと思って、御茶を入れに来ました」
"You might be bored, so I 've come to make you some tea."

「ありがとう」またありがとうが出た。 "Thank you." I thanked her again.

菓子皿のなかを見ると、立派な羊羹が並んでいる。
Looking into the bowl of cakes she brought, I found yokan cakes.

余はすべての菓子のうちでもっとも羊羹が好だ。
I like yokan the best among all the cakes.

別段食いたくはないが、あの肌合が滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。

ことに青味を帯びた煉上げ方は、玉と蝋石の雑種のようで、はなはだ見て心持ちがいい。

のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹は、青磁のなかから今生れたようにつやつやして、思わず手を出して撫でて見たくなる。

西洋の菓子で、これほど快感を与えるものは一つもない。

クリームの色はちょっと柔かだが、少し重苦しい。

ジェリは、一目宝石のように見えるが、ぶるぶる顫えて、羊羹ほどの重味がない。

白砂糖と牛乳で五重の塔を作るに至っては、言語道断の沙汰である。

「うん、なかなか美事だ」

「今しがた、源兵衛が買って帰りました。これならあなたに召し上がられるでしょう」

●源兵衛は昨夕城下へ留ったと見える。  Gembei must have stayed overnight in the town.

余は別段の返事もせず羊羹を見ていた。  I made no reply, just looking at the yokan.

どこで誰れが買って来ても構う事はない。 It does not matter who bought where the yokan.

ただ美くしければ、美くしいと思うだけで充分満足である。
If it is beautiful, I am satisfied by being able to think it beautiful.

「この青磁の形は大変いい。色も美事だ。ほとんど羊羹に対して遜色がない」
"The shape of this bowl is splended.  Color is all right.  It is as beautiful as the yokan."

●女はふふんと笑った。  The woman gave a short and low laugh.

口元に侮どりの波が微かに揺れた。  A vague flicker of contempt appeared about her mouth.

余の言葉を洒落と解したのだろう。  She might have taken my words as joke.

なるほど洒落とすれば、軽蔑される価はたしかにある。
Taken as a joke, it certainly deserves scorn.

智慧の足りない男が無理に洒落れた時には、よくこんな事を云うものだ。
When fools try to make clever remarks, they usually say these words.

「これは支那ですか」  "Is this Chinese?" I asked.

「何ですか」と相手はまるで青磁を眼中に置いていない。
"Pardon?" She was not at all concerned with the bowl.

「どうも支那らしい」と皿を上げて底を眺めて見た。
"It looks like Chinese to me." I took the bowl, and looked at the unserside.

「そんなものが、御好きなら、見せましょうか」
"Are you interested in this kind of thing?  Shall I show you some more?"

 「ええ、見せて下さい」  "Yes, please."

「父が骨董が大好きですから、だいぶいろいろなものがあります。
"Father likes curios very much, and has plenty of these. 

父にそう云って、いつか御茶でも上げましょう」
I will tell him about you.  He will invite you to have a cup of tea."

●茶と聞いて少し辟易した。 茶と聞いて少し困った。
When I heard the word "tea", I became a little hesitant.

世間に茶人ほどもったいぶった風流人はない。
世間に茶人ほどもったいぶった風流人はない。

広い詩界をわざとらしく窮屈に縄張をして、極めて自尊的に、極めてことさらに、極めてせせこましく、必要もないのに鞠躬如(きくきゅうじょ)として、あぶくを飲んで結構がるものはいわゆる茶人である。
広い詩の世界をわざとらしく窮屈に縄張をして、極めて自尊的に、極めて故意に、極めてせせこましく、必要もないのに身を屈めて畏まり、泡を飲んで結構がるものが、いわゆる茶人である。

あんな煩瑣な規則のうちに雅味があるなら、麻布の聯隊のなかは雅味で鼻がつかえるだろう。
あんな煩わしい規則のうちに雅味があるなら、麻布の連隊のなかは雅味で鼻がつかえるだろう。

説明 つかえる は、道がつかえる、後がつかえる のようにつかえる対象が主語になり、道がふさがる、後が詰まるの意味になる場合と

   頭がつかえる、車がつかえる のようにつかえるものが主語になる場合があります。

   鼻がつかえる の場合、鼻がなにかにつかえる という意味ではなく、鼻がふさがる、鼻が詰まる の意味だと考えられます。

廻れ右、前への連中はことごとく大茶人でなくてはならぬ。
「 廻れ右、前へ」の連中はことごとく大茶人でなければならない。

あれは商人とか町人とか、まるで趣味の教育のない連中が、どうするのが風流か見当がつかぬところから、器械的に利休以後の規則を鵜呑にして、これでおおかた風流なんだろう、とかえって真の風流人を馬鹿にするための芸である。
茶は商人とか町人とか、まるで趣味の教育のない連中が、どうするのが風流なのか判断・予想がつかないので、機械的に利休以後の規則を鵜呑にして、これでおおよそ風流なんだろう、とかえって真の風流人を馬鹿にするための芸である。

「御茶って、あの流儀のある茶ですかな」
"When yoy say 'tea' is that 'tea with school style'?"

「いいえ、流儀も何もありゃしません。 "No, it is independent of school style.

御厭なら飲まなくってもいい御茶です」
 It is the tea you don't have to drink if you do not want to drink."

「そんなら、ついでに飲んでもいいですよ」
"Then, I would be delighted to drink."

「ほほほほ。父は道具を人に見ていただくのが大好きなんですから……」
"Aha! My father just loves to show his tools..."

「褒めなくっちゃあ、いけませんか」 "Do I ought to say nice?"

「年寄りだから、褒めてやれば、嬉しがりますよ」
"He is an old man.  If you say nice, he would be delighted."

「へえ、少しなら褒めて置きましょう」 "OK.  I will praise them a little."

「負けて、たくさん御褒めなさい」  "As a bonus, please praise them much"

「はははは、時にあなたの言葉は田舎じゃない」
"Ha, ha, ha.  By the way you speak in accent not provincial."

「人間は田舎なんですか」  "I myself is a country girl."

「人間は田舎の方がいいのです」  "As a persom it is better to be a country girl."

「それじゃ幅が利きます」  "Then I can be proud of."

「しかし東京にいた事がありましょう」  "You might have lived in Tokyo, might not?"

「ええ、いました、京都にもいました。渡りものですから、方々にいました」
"Yes, I have lived in Tokyo. In Kyoto, also.  I had lived in many places."

「ここと都と、どっちがいいですか」 "Which do you like better, here or metropolice?"

「同じ事ですわ」 "No difference."

「こう云う静かな所が、かえって気楽でしょう」
"Life must be more confortable in a quite place like this.  Do you agree?"

「気楽も、気楽でないも、世の中は気の持ちよう一つでどうでもなります。
"Whether you are comfortable or not depends entirely on how you think.

蚤の国が厭になったって、蚊の国へ引越しちゃ、何にもなりません」
If you felt unconfortable in the land of fleas, what is the use of runnung away to the land of mosquitoes?

「蚤も蚊もいない国へ行ったら、いいでしょう」
"How about going to to the land where there are neither mosquitoes nor fleas?"

「そんな国があるなら、ここへ出して御覧なさい。さあ出してちょうだい」と女は詰め寄せる。
"If there is such a country, show it to me. Show it to me.", she said edging closer.

「御望みなら、出して上げましょう」と例の写生帖をとって、
"All right, I will show you if you like." So saying, I took my sketchbook,

女が馬へ乗って、山桜を見ている心持ち――無論とっさの筆使いだから、画にはならない。
and drew a sketch where a woman on a horseback is looking at mountin cherry trees. It could hardly be called a picture.

ただ心持ちだけをさらさらと書いて、  It is just a rough impression.

「さあ、この中へ御這入りなさい。蚤も蚊もいません」と鼻の前へ突きつけた。
"Now, go into this picture.  There are neither mosquitoes nor fleas." I pushed the picture just under her nose.

驚くか、恥ずかしがるか、この様子では、よもや、苦しがる事はなかろうと思って、ちょっと景色を伺うと、
Will she be surprised, or will she be embarrassed?  Thinking she will never be discomforted, I watched her for a moment.

「まあ、窮屈な世界だこと、横幅ばかりじゃありませんか。
"My. What a tight space.  It has only lateral width.

そんな所が御好きなの、まるで蟹ね」と云って退けた。
Do you like such a place?  You must be a crab."  She pushe out my picture.

余は 「わはははは」と笑う。  This made me burst out laughing.

軒端に近く、啼きかけた鶯が、中途で声を崩して、遠き方へ枝移りをやる。
A nightingale near the eaves began to sing, stoped singing, and flew to the branches far away.

両人(ふたり)はわざと対話をやめて、しばらく耳を峙(そばだ)てたが、
We both stopped talking, and waited to hear the bird sing again.

いったん鳴き損ねた咽喉は容易に開けぬ。
Once he has stopped singing, he may not easily start singing again.

「昨日は山で源兵衛に御逢いでしたろう」 「ええ」
"Dif you meet Gembei in the mountain?" "Yes."

「長良の乙女の五輪塔を見ていらしったか」  「ええ」
"Did you go and see the tome of the maid of Nagara?"  "Yes."

「あきづけば、をばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも」
"As a dew, which lies on the autumn leaf, may evaporates, So I may seem to disappear."

と説明もなく、女はすらりと節もつけずに歌だけ述べた。
Suddenly she recited the song in a flat even voice.

何のためか知らぬ。  I don't know why.

「その歌はね、茶店で聞きましたよ」  "I heard the song at the tea-house."

「婆さんが教えましたか。  "Did the old woman teach it to you?

あれはもと私のうちへ奉公したもので、私がまだ嫁に……」
"She used to be a maid at my house.  Before I marriage ..."

と云いかけて、これはと余の顔を見たから、余は知らぬ風をしていた。
She stopped here, searching into my face, and I pretended to know nothing.

「私がまだ若い時分でしたが、あれが来るたびに長良の話をして聞かせてやりました。
"It was when I was still young.  Whenever she come and see me, I would tell her the story.

うただけはなかなか覚えなかったのですが、何遍も聴くうちに、とうとう何もかも諳誦してしまいました」
She could not memorize the song. But repeatedly hearing, she finally managed to commit all the song to memory."

「どうれで、むずかしい事を知ってると思った。
"Oh, that explains it.  I wondered why she knows something so difficult.

――しかしあの歌は憐れな歌ですね」  But that is a sad song, isn't it?"

「憐れでしょうか。私ならあんな歌は咏みませんね。
"Sad song?  I would never write such a song.

第一、淵川へ身を投げるなんて、つまらないじゃありませんか」
In the first place, throwing herself into the river is meaningless."

「なるほどつまらないですね。あなたならどうしますか」
"Yes, it is meaningless.  What would you have done in her place?"

「どうするって、訳ないじゃありませんか。  "What would I?  It is quite simple.

ささだ男もささべ男も、男妾にするばかりですわ」
I would have taken both the Sasada man and the Sasabe man as lovers."

「両方ともですか」 「ええ」  "Both of them?"  "Yes."

「えらいな」 「えらかあない、当り前ですわ」
"That's clever."  "Not at all.  It is a matter of course."

「なるほどそれじゃ蚊の国へも、蚤の国へも、飛び込まずに済む訳だ」
"I see. Now you don't have to end up in the country of mosquitoes or the country of fleas."

「蟹のような思いをしなくっても、生きていられるでしょう」
"You don't have to behave like a crab in order to carry on living."

●ほーう、ほけきょうと忘れかけた鶯が、いつ勢を盛り返してか、時ならぬ高音を不意に張った。

一度立て直すと、あとは自然に出ると見える。

身を逆まにして、ふくらむ咽喉の底を震わして、小さき口の張り裂くるばかりに、

 ほーう、ほけきょーう。ほーー、ほけっーきょうーと、つづけ様に囀(さえず)ずる。

「あれが本当の歌です」と女が余に教えた。 「あれが本当の歌です」と女が私に教えた。
"That is real poetry," said the woman.

    

 

「失礼ですが旦那は、やっぱり東京ですか」
"Excuse me, sir, but it seems to me you are from Tokyo."

「東京と見えるかい」  "Why do you think so?"

「見えるかいって、一目見りゃあ、――第一言葉でわかりまさあ」
"I could see at a glance.  And as soon as I heard you speak."

「東京はどこだか知れるかい」    "Can you tell where in Tokyo?"

「そうさね。東京は馬鹿に広いからね。――何でも下町じゃねえようだ。山の手だね。山の手は麹町こうじまちかね。
"Let me see.  Tokyo is quite wide.  I am sure you are not from dwontown.  Somewhere uptowm.  Say, Kojimachi?

 え? それじゃ、小石川? でなければ牛込か四谷でしょう」
  No?  Then, Koishikawa?.  Otherwise, Ushigima or Yotsuya."

「まあそんな見当だろう。よく知ってるな」
"Oh, yes.  Somewhere around there.  You know very well!"

「こう見めえて、私(わっち)も江戸っ子だからね」
"Yes, sir.  You may not believe, but I was born in Tokyo."

「道理(どうれ)で生粋(いなせ)だと思ったよ」  "All right.  That explains your energy."

「えへへへへ。からっきし、どうも、人間もこうなっちゃ、みじめですぜ」
"Oh! Not at all.  How miserable I am when I come down to this!"

「何でまたこんな田舎へ流れ込んで来たのだい」
"How come you drifted into the country like this?"

「ちげえねえ、旦那のおっしゃる通りだ。全く流れ込んだんだからね。すっかり食い詰めっちまって……」
"Yes, you are right.  I almost drifted to this place.  I was out of job..."

「もとから髪結床の親方かね」   "Have you all been the master of the barber's shop?"

「親方じゃねえ、職人さ。え? 所かね。所は神田松永町でさあ。
"I was not the master.  I was just a barber.  The place?  It was at Matsunaga-cho in Kanda.

 なあに猫の額見たような小さな汚ねえ町でさあ。  It was just a small dirty town.

 旦那なんか知らねえはずさ。あすこに竜閑橋てえ橋がありましょう。
  You may not know, but there is a bridge named Ryukan-bashi.

 え? そいつも知らねえかね。竜閑橋ゃ、名代な橋だがね」
  Aha!  Yuo don't know it.  Ryukan-bashi is the famous bridge around there."

「おい、もう少し、石鹸(しゃぼん)を塗けてくれないか、痛くって、いけない」
"Hey! Add a little more soap, please.  It is hurting me."

「痛うがすかい。私(わっち)ゃ癇性(かんしょう)でね、
"Hurting?  Sorry, but I am fussy about my profession.

どうも、こうやって、逆剃(さかずり)をかけて、一本一本髭の穴を掘らなくっちゃ、気が済まねえんだから、
I cannot finish without shaving against each of root holes of beards.

――なあに今時の職人なあ、剃るんじゃねえ、撫でるんだ。
No, the barber of today doesn't shave.  He just strokes.

もう少しだ我慢おしなせえ」  Just put up with it a little longer, please."

「我慢は先(さっき)から、もうだいぶしたよ。
"I have been putting up enough of it.

御願だから、もう少し湯か石鹸をつけとくれ」
For heaven's sake add some water or soap, please."

「我慢しきれねえかね。そんなに痛かあねえはずだが。
"You cannot stand, can you? It can't be true.

全体(ぜんてい)、髭があんまり、延び過ぎてるんだ」
The trouble is your beard is a little too thick and long.

●やけに頬の肉をつまみ上げた手を、残念そうに放した親方は、棚の上から、薄っ片(ぺら)な赤い石鹸を取り卸ろして、水のなかにちょっと浸したと思ったら、それなり余の顔をまんべんなく一応撫で廻わした。
親方は、やたらに私の頬の肉をつまみ上げた手を、残念そうに放し、棚の上から、薄っぺらな赤い石鹸を取り下ろして、水の中にちょっと浸したと思ったら、それなり私の顔をまんべんなく一度撫で廻わした。

裸石鹸を顔へ塗りつけられた事はあまりない。

しかもそれを濡らした水は、幾日前に汲んだ、溜め置きかと考えると、余りぞっとしない。
しかもそれを濡らした水は、幾日か前に汲んだ、溜め置きの水かと考えると、余りぞっとしない。

●すでに髪結床である以上は、御客の権利として、余は鏡に向わなければならん。
すでに床屋として商売している以上は、御客の権利として、私は鏡に向わなければならない。

しかし余はさっきからこの権利を放棄したく考えている。  しかし私はさっきからこの権利を放棄したいと考えている。

鏡と云う道具は平らに出来て、なだらかに人の顔を写さなくては義理が立たぬ。
鏡という道具は平らにできていて、なだらかに人の顔を写さなくては道理が立たない。

もしこの性質が具わらない鏡を懸けて、これに向えと強いるならば、強いるものは下手な写真師と同じく、向うものの器量を故意に損害したと云わなければならぬ。
もしこの性質が備わらない鏡を懸けて、これに向えと強いるならば、強いるものは下手な写真師と同じく、向うものの器量を故意に損害したといわなければならない。

虚栄心を挫くのは修養上一種の方便かも知れぬが、何も己れの真価以下の顔を見せて、これがあなたですよと、こちらを侮辱するには及ぶまい。
虚栄心を挫くのは教育上の一つの方法かも知れないが、何も自分の真価以下の顔を見せて、これがあなたですよと、こちらを侮辱するには及ばないだろう。

今余が辛抱して向き合うべく余儀なくされている鏡はたしかに最前から余を侮辱している。
今私が辛抱して向き合わなければならなくされている鏡はたしかに先程から私を侮辱している。

右を向くと顔中鼻になる。左を出すと口が耳元まで裂ける。
右を向くと顔中が鼻になる。左を出すと、口が耳元まで裂ける。

仰向くと蟇蛙を前から見たように真平に圧し潰され、少しこごむと福禄寿の祈誓児(もうしご)のように頭がせり出してくる。
仰向くと蟇蛙を前から見たように真平におし潰され、少しかがむと福禄寿の申し子のように頭がせり出してくる。

いやしくもこの鏡に対する間は一人でいろいろな化物を兼勤(けんきん)しなくてはならぬ。
いやしくもこの鏡に向かう間は、一人でいろいろな化物を兼務しなくてはならぬ。

写るわが顔の美術的ならぬはまず我慢するとしても、鏡の構造やら、色合や、銀紙の剥げ落ちて、光線が通り抜ける模様などを総合して考えると、この道具その物からが醜体を極めている。
写る私の顔が美術的でないのはまず我慢するとしても、鏡の構造や、色合や、裏の銀紙がはげ落ちて、光線が通り抜ける模様などを総合して考えると、この道具自体が醜体を極めている。

小人(しょうじん)から罵詈(ばり)されるとき、罵詈それ自身は別に痛痒(つうよう)を感ぜぬが、その小人(しょうじん)の面前に起臥(きが)しなければならぬとすれば、誰しも不愉快だろう。
小人から罵られるとき、罵りそれ自身には別に痛みもかゆみも感じないが、その小人の面前に寝起きしなければならぬとすれば、誰しも不愉快だろう。

●その上この親方がただの親方ではない。

そとから覗いたときは、胡坐をかいて、長煙管で、おもちゃの日英同盟国旗の上へ、しきりに煙草を吹きつけて、さも退屈気に見えたが、這入って、わが首の所置を托する段になって驚ろいた。
外から覗いたときは、胡坐をかいて、長煙管で、おもちゃの日英同盟国旗の上へ、しきりに煙草を吹きつけて、さも退屈気に見えたが、入って私の首の処置を托する段になって驚ろいた。

髭を剃る間は首の所有権は全く親方の手にあるのか、はた幾分かは余の上にも存するのか、一人で疑がい出したくらい、容赦なく取り扱われる。
髭を剃る間は私の首の所有権は全く親方の手にあるのか、はたまた幾分かは私の上にも存するのか、一人で疑い出したくらい、容赦なく取り扱われる。

余の首が肩の上に釘付けにされているにしてもこれでは永く持たない。

●彼は髪剃を揮(ふる)うに当って、毫も文明の法則を解しておらん。
彼は髪剃を使うに当って、少しも文明の法則を解していない。

頬にあたる時はがりりと音がした。揉み上げの所ではぞきりと動脈が鳴った。

顋(あご)のあたりに利刃(りじん)がひらめく時分にはごりごり、ごりごりと霜柱を踏みつけるような怪しい声が出た。
顎のあたりに、よく研いだ刃がひらめく時分には、ごりごり、ごりごりと霜柱を踏みつけるような怪しい声が出た。

しかも本人は日本一の手腕を有する親方をもって自任している。

●最後に彼は酔っ払っている。旦那えと云うたんびに妙な臭いがする。時々は異(い)なガスを余が鼻柱へ吹き掛ける。

これではいつ何時、髪剃がどう間違って、どこへ飛んで行くか解らない。

使う当人にさえ判然たる計画がない以上は、顔を貸した余に推察のできようはずがない。
剃刀を使う当人にさえはっきりした計画がない以上は、顔を貸した私に推察のできようはずがない。

得心ずくで任せた顔だから、少しの怪我なら苦情は云わないつもりだが、急に気が変って咽喉笛でも掻き切られては事だ。
納得して任せた顔だから、少しの怪我なら苦情は言わないつもりだが、急に気が変って咽喉笛でも掻き切られては事件だ。

「石鹸(しゃぼん)なんぞを、つけて、剃るなあ、腕が生なんだが、旦那のは、髭が髭だから仕方があるめえ」と云いながら親方は裸石鹸を、裸のまま棚の上へ放り出すと、石鹸は親方の命令に背いて地面の上へ転がり落ちた。

「旦那あ、あんまり見受けねえようだが、何ですかい、近頃来なすったのかい」 「二三日前来たばかりさ」

「へえ、どこにいるんですい」  「志保田に逗まってるよ」

「うん、あすこの御客さんですか。おおかたそんな事(こっ)たろうと思ってた。

 実あ、私(わっし)もあの隠居さんを頼って来たんですよ。

 ――なにね、あの隠居が東京にいた時分、わっしが近所にいて、――それで知ってるのさ。

 いい人でさあ。ものの解ったね。

 去年御新造が死んじまって、今じゃ道具ばかり捻くってるんだが――何でも素晴らしいものが、有るてえますよ。

 売ったらよっぽどな金目だろうって話さ」

「奇麗な御嬢さんがいるじゃないか」 「あぶねえね」

「何が?」 「何がって。旦那の前めえだが、あれで出返りですぜ」 「そうかい」

「そうかいどころの騒じゃねえんだね。全体なら出て来なくってもいいところをさ。

 ――銀行が潰れて贅沢が出来ねえって、出ちまったんだから、義理が悪るいやね。

 隠居さんがああしているうちはいいが、もしもの事があった日にゃ、法返しがつかねえ訳になりまさあ」

「そうかな」

「当り前でさあ。本家の兄たあ、仲がわるしさ」

「本家があるのかい」

「本家は岡の上にありまさあ。遊びに行って御覧なさい。景色のいい所ですよ」

「おい、もう一遍石鹸(しゃぼん)をつけてくれないか。また痛くなって来た」

「よく痛くなる髭だね。髭が硬過ぎるからだ。旦那の髭じゃ、三日に一度は是非剃そりを当てなくっちゃ駄目ですぜ。

わっしの剃で痛けりゃ、どこへ行ったって、我慢出来っこねえ」

「これから、そうしよう。何なら毎日来てもいい」

「そんなに長く逗留する気なんですか。あぶねえ。およしなせえ。益もねえ事った。

 碌でもねえものに引っかかって、どんな目に逢うか解りませんぜ」

「どうして」

「旦那あの娘は面はいいようだが、本当はき印ですぜ」

「なぜ」

「なぜって、旦那。村のものは、みんな気狂だって云ってるんでさあ」

「そりゃ何かの間違だろう」

「だって、現に証拠があるんだから、御よしなせえ。けんのんだ」

「おれは大丈夫だが、どんな証拠があるんだい」

「おかしな話しさね。まあゆっくり、煙草でも呑んで御出なせえ話すから。――頭あ洗いましょうか」

「頭はよそう」

「頭垢だけ落して置くかね」

●親方は垢の溜った十本の爪を、遠慮なく、余が頭蓋骨の上に並べて、断わりもなく、前後に猛烈なる運動を開始した。

この爪が、黒髪の根を一本ごとに押し分けて、不毛の境(きょう)を巨人の熊手が疾風の速度で通るごとくに往来する。

余が頭に何十万本の髪の毛が生えているか知らんが、ありとある毛がことごとく根こぎにされて、残る地面がべた一面に蚯蚓腫(めめずばれ)にふくれ上った上、余勢が地磐(じばん)を通して、骨から脳味噌まで震盪を感じたくらい烈しく、親方は余の頭を掻き廻わした。

「どうです、好い心持でしょう」 「非常な辣腕だ」

「え? こうやると誰でもさっぱりするからね」  「首が抜けそうだよ」

「そんなに倦怠(けったる)うがすかい。全く陽気の加減だね。どうも春てえ奴あ、やに身体からだがなまけやがって

 ――まあ一ぷく御上(おあ)がんなさい。一人で志保田にいちゃ、退屈でしょう。ちと話しに御出なせえ。

 どうも江戸っ子は江戸っ子同志でなくっちゃ、話しが合わねえものだから。

 何ですかい、やっぱりあの御嬢さんが、御愛想に出てきますかい。どうもさっぱし、見境(みさけえ)のねえ女だから困っちまわあ」

「御嬢さんが、どうとか、したところで頭垢が飛んで、首が抜けそうになったっけ」

「ちげえねえ、がんがらがんだから、からっきし、話に締りがねえったらねえ。――そこでその坊主が逆せちまって……」

「その坊主たあ、どの坊主だい」 「観海寺の納所坊主(なっしょぼうず)がさ……」

「納所(なっしょ)にも住持(じゅうじ)にも、坊主はまだ一人も出て来ないんだ」

「そうか、急勝(せっかち)だから、いけねえ。

 苦味走(にがんばし)った、色の出来そうな坊主だったが、そいつが御前さん、レコに参っちまって、とうとう文をつけたんだ。

 ――おや待てよ。口説(くどい)たんだっけかな。いんにゃ文だ。文に違えねえ。

 すると――こうっと――何だか、行きさつが少し変だぜ。うん、そうか、やっぱりそうか。するてえと奴さん、驚ろいちまってからに……」

「誰が驚ろいたんだい」  「女がさ」

「女が文を受け取って驚ろいたんだね」

「ところが驚ろくような女なら、殊勝(しお)らしいんだが、驚ろくどころじゃねえ」

「じゃ誰が驚ろいたんだい」 「口説た方がさ」

「口説ないのじゃないか」

「ええ、じれってえ。間違ってらあ。文ふみをもらってさ」

「それじゃやっぱり女だろう」

「なあに男がさ」

「男なら、その坊主だろう」

「ええ、その坊主がさ」

「坊主がどうして驚ろいたのかい」

「どうしてって、本堂で和尚さんと御経を上げてると、突然あの女が飛び込んで来て――ウフフフフ。どうしても狂印だね」

「どうかしたのかい」

「そんなに可愛いなら、仏様の前で、いっしょに寝ようって、出し抜けに、泰安さんの頸っ玉へかじりついたんでさあ」

「へええ」

「面喰ったなあ、泰安さ。気狂に文をつけて、飛んだ恥を掻かかせられて、とうとう、その晩こっそり姿を隠して死んじまって……」

「死んだ?」 「死んだろうと思うのさ。生きちゃいられめえ」

「何とも云えない」

「そうさ、相手が気狂じゃ、死んだって冴えねえから、ことによると生きてるかも知れねえね」

「なかなか面白い話だ」

「面白いの、面白くないのって、村中大笑いでさあ。

 ところが当人だけは、根が気が違ってるんだから、洒唖洒唖(しゃあしゃあ)して平気なもんで

 ――なあに旦那のようにしっかりしていりゃ大丈夫ですがね、相手が相手だから、滅多にからかったり何なんかすると、大変な目に逢いますよ」

「ちっと気をつけるかね。ははははは」

●生温い磯から、塩気のある春風がふわりふわりと来て、親方の暖簾(のれん)を眠たそうに煽る。

身を斜(はす)にしてその下をくぐり抜ける燕の姿が、ひらりと、鏡の裡に落ちて行く。

向うの家では六十ばかりの爺さんが、軒下に蹲踞(うずく)まりながら、だまって貝をむいている。

かちゃりと、小刀があたるたびに、赤い味が笊のなかに隠れる。

殻からはきらりと光りを放って、二尺あまりの陽炎(かげろう)を向へ横切る。

丘のごとくに堆(うずた)かく、積み上げられた、貝殻は牡蠣か、馬鹿か、馬刀(まて)貝か。
丘のようにうずたかく積み上げられた貝殻は、牡蠣か、馬鹿貝か、まて貝か。

崩れた、幾分は砂川の底に落ちて、浮世の表から、暗らい国へ葬られる。
崩れた貝殻の幾らかは砂川の底に落ちて、浮世の表から、暗い国へ葬られる。

葬られるあとから、すぐ新しい貝が、柳の下へたまる。

爺さんは貝の行末を考うる暇さえなく、ただ空しき殻を陽炎の上へ放り出す。

彼れの笊(ざる)には支うべき底なくして、彼れの春の日は無尽蔵に長閑(のど)かと見える。
彼のざるには、底がないので、彼の春の日は、無限にのどかにみえる。

●砂川は二間に足らぬ小橋の下を流れて、浜の方へ春の水をそそぐ。

春の水が春の海と出合うあたりには、参差(しんし)として幾尋(いくひろ)の干網が、網の目を抜けて村へ吹く軟風に、腥(なまぐさ)き微温(ぬくもり)を与えつつあるかと怪しまれる。
春の水が春の海と出合うあたりには、長短不ぞろいの網が乾されていて、網の目を抜けて村へ吹く軟風に、なまぐさい温もりを与えているのではないかと思われる。

その間から、鈍刀(どんとう)を溶かして、気長にのたくらせたように見えるのが海の色だ。

●この景色とこの親方とはとうてい調和しない。

もしこの親方の人格が強烈で四辺の風光と拮抗するほどの影響を余の頭脳に与えたならば、余は両者の間に立ってすこぶる円ゼイ方鑿(えんぜいほうさく)の感に打たれただろう。
もしこの親方の人格が強烈で周りのの風光と拮抗するほどの影響を私の頭脳に与えたのならば、私は両者の間に立って、物事はぴったり合わないなという感に打たれただろう。

幸にして親方はさほど偉大な豪傑ではなかった。

いくら江戸っ子でも、どれほどたんかを切っても、この渾然(こんぜん)として駘蕩(たいとう)たる天地の大気象には叶わない。
いくら江戸っ子でも、いくらたんかを切っても、この一つに溶けあってのどかな天地の大いなる気性には叶わない。

満腹の饒舌(にょうぜつ)を弄して、あくまでこの調子を破ろうとする親方は、早く一微塵(いちみじん)となって、怡々(いい)たる春光の裏(うち)に浮遊している。
お腹いっぱいのおしゃべりで、あくまでこの調子を破ろうとする親方は、すぐにこなごなになって、心が喜ぶ春の光の中に、浮遊している。

矛盾とは、力において、量において、もしくは意気体躯において氷炭相容(ひょうたんあいい)るる能わずして、しかも同程度に位する物もしくは人の間に在って始めて、見出し得べき現象である。
矛盾とは、力において、量において、もしくは、意気や体つきについて、両立することができず、しかも、同程度に位置する物もしくは人の間にあって始めて、見出すことのできる現象である。

両者の間隔がはなはだしく懸絶するときは、この矛盾はようやくシジンロウマして、かえって大勢力の一部となって活動するに至るかも知れぬ。
両者の間隔がはなはだしく離れているときは、この矛盾は次第にすりへり消滅し、かえって大勢力の一部となって活動するに至るかも知れない。

大人(たいじん)の手足(しゅそく)となって才子が活動し、才子の股肱(ここう)となって昧者(まいしゃ)が活動し、昧者の心腹(しんぷく)となって牛馬が活動し得るのはこれがためである。
大人の手足となって才子が活動し、才子の手足となって愚か者が活動し、愚か者の心となって牛馬が活動し得るのはこれがためである。

今わが親方は限りなき春の景色を背景として、一種の滑稽を演じている。

のどかな春の感じを壊すべきはずの彼は、かえって長閑な春の感じを刻意に添えつつある。

余は思わず弥生半ばに呑気な弥次と近づきになったような気持ちになった。

この極めて安価なる気エン家(きえんか)は、太平の象(しょう)を具したる春の日にもっとも調和せる一彩色である。

●こう考えると、この親方もなかなか画にも、詩にもなる男だから、とうに帰るべきところを、わざと尻を据えて四方八方の話をしていた。

ところへ暖簾を滑って小さな坊主頭が

「御免、一つ剃って貰おうか」

と這入って来る。白木綿の着物に同じ丸絎(まるぐけ)の帯をしめて、上から蚊帳のように粗い法衣(ころも)を羽織って、すこぶる気楽に見える小坊主であった。

「了念さん。どうだい、こないだあ道草あ、食って、和尚さんに叱られたろう」

「いんにゃ、褒められた」

「使に出て、途中で魚なんか、とっていて、了念は感心だって、褒められたのかい」

「若いに似ず了念は、よく遊んで来て感心じゃ云うて、老師が褒められたのよ」

「道理どうれで頭に瘤が出来てらあ。そんな不作法な頭あ、剃(す)るなあ骨が折れていけねえ。今日は勘弁するから、この次から、捏(こ)ね直して来ねえ」

「捏ね直すくらいなら、ますこし上手な床屋へ行きます」

「はははは頭は凹凸(ぼこでこ)だが、口だけは達者なもんだ」

「腕は鈍いが、酒だけ強いのは御前だろ」

「箆棒(べらぼう)め、腕が鈍いって……」

「わしが云うたのじゃない。老師が云われたのじゃ。そう怒るまい。年甲斐もない」

「ヘン、面白くもねえ。――ねえ、旦那」

「ええ?」

「全体(ぜんてえ)坊主なんてえものは、高い石段の上に住んでやがって、屈托がねえから、自然に口が達者になる訳ですかね。

こんな小坊主までなかなか口幅(くちはば)ってえ事を云いますぜ

――おっと、もう少し頭(どたま)を寝かして――寝かすんだてえのに、――言う事を聴かなけりゃ、切るよ、いいか、血が出るぜ」

「痛いがな。そう無茶をしては」

「このくらいな辛抱が出来なくって坊主になれるもんか」

「坊主にはもうなっとるがな」

「まだ一人前じゃねえ。――時にあの泰安さんは、どうして死んだっけな、御小僧さん」

「泰安さんは死にはせんがな」

「死なねえ? はてな。死んだはずだが」

「泰安さんは、その後発憤して、陸前の大梅寺へ行って、修業三昧じゃ。今に智識になられよう。結構な事よ」

「何が結構だい。いくら坊主だって、夜逃をして結構な法はあるめえ。

御前なんざ、よく気をつけなくっちゃいけねえぜ。とかく、しくじるなあ女だから

――女ってえば、あの狂印はやっぱり和尚さんの所へ行くかい」

「狂印と云う女は聞いた事がない」

「通じねえ、味噌擂(みそすり)だ。行くのか、行かねえのか」

「狂印は来んが、志保田の娘さんなら来る」

「いくら、和尚さんの御祈祷でもあればかりゃ、癒るめえ。全く先の旦那が祟ってるんだ」

「あの娘さんはえらい女だ。老師がよう褒めておられる」

「石段をあがると、何でも逆様だから叶わねえ。和尚さんが、何て云ったって、気狂は気狂だろう。

――さあ剃(す)れたよ。早く行って和尚さんに叱られて来めえ」

「いやもう少し遊んで行って賞められよう」

「勝手にしろ、口の減へらねえ餓鬼だ」

「咄(とつ)この乾屎ケツ(かんしけつ)」

「何だと?」

 青い頭はすでに暖簾(のれん)をくぐって、春風に吹かれている。

  

●夕暮の机に向う。障子も襖も開け放つ。宿の人は多くもあらぬ上に、家は割合に広い。
夕暮の机に向う。障子も襖も開け放つ。宿の人は多くはいない上に、家は割合に広い。

余が住む部屋は、多くもあらぬ人の、人らしく振舞う境(きょう)を、幾曲(いくまがり)の廊下に隔てたれば、物の音さえ思索の煩にはならぬ。
私が住む部屋は、その多くもいない人が、人らしく活動している場所から、長い廊下を隔てているので、物音も思索の煩いにはならない。

今日は一層(ひとしお)静かである。主人も、娘も、下女も下男も、知らぬ間に、われを残して、立ち退いたかと思われる。
今日は一層静かである。主人も、娘も、下女も下男も、知らぬ間に、私を残して、どこかに立ち退いたかと思われる。

立ち退いたとすればただの所へ立ち退きはせぬ。霞の国か、雲の国かであろう。
彼等が、立ち退いたとしても、ただの所へ立ち退きはしない。霞の国か、雲の国かであろう。

あるいは雲と水が自然に近づいて、舵をとるさえ懶(ものう)き海の上を、いつ流れたとも心づかぬ間に、白い帆が雲とも水とも見分け難き境に漂い来て、果ては帆みずからが、いずこに己れを雲と水より差別すべきかを苦しむあたりへ
あるいは、雲と水がひとりでに近づいて、舵をとることさえ物憂い海の上を、いつ流れたのかも気付かないうちに、白い帆が、雲とも水とも見分けがたい境界に漂ってきて、最後は、帆みずからが、どこに、自分を雲と水から区別すべきかを苦しむ所に

――そんな遥かな所へ立ち退いたと思われる。
――そんな遥かに遠い所へ立ちのいたと思われる。

それでなければ卒然と春のなかに消え失せて、これまでの四大(しだい)が、今頃は目に見えぬ霊氛(れいふん)となって、広い天地の間に、顕微鏡の力を藉(か)るとも、些(さ)の名残を留めぬようになったのであろう。
それでなければ、彼等は、突然、春のなかに消え失せて、これまでの四大元素が、今頃は目に見えぬ霊気となって、広い天地の間に、顕微鏡の力をかりたとしても、わずかな名残を留めぬようになったのであろう。

あるいは雲雀に化して、菜の花の黄を鳴き尽したる後、夕暮深き紫のたなびくほとりへ行ったかも知れぬ。
あるいは彼等は、雲雀に化けて、菜の花が黄色いと鳴き尽した後、夕暮が深い紫のたなびくほとりへ行ったのかも知れない。

または永き日を、かつ永くする虻(あぶ)のつとめを果したる後、蕋(ずい)に凝る甘き露を吸い損ねて、落椿(おちつばき)の下に、伏せられながら、世を香(かん)ばしく眠っているかも知れぬ。
または彼等は、長い日を、さらに長くする虻(あぶ)のつとめを果した後、雄しべや雌しべに凝結する甘い露を吸い損ねて、落ち椿の下に、伏せられながら、芳香の中で眠っているかも知れない。

とにかく静かなものだ。  Anyhow, everythig is calm around me.

●空しき家を、空しく抜ける春風の、抜けて行くは迎える人への義理でもない。
空っぽの家を、空しく抜ける春風が空しく抜けて行くのは、風を迎える人への義理でもない。

拒むものへの面当(つらあて)でもない。自から来りて、自から去る、公平なる宇宙の意(こころ)である。
風を拒む人へのあてつけでもない。自分から来て、自分から去る、それは公平な宇宙の心である。

掌に顎を支えたる余の心も、わが住む部屋のごとく空しければ、春風は招かぬに、遠慮もなく行き抜けるであろう。
てのひらに顎を支えた私の心も、私が住む部屋のように空しければ、春風は、招いていないのに、遠慮もなく吹き抜けるであろう。

●踏むは地と思えばこそ、裂けはせぬかとの気遣(きづかい)も起る。
踏んでいるのは地面だと思えばこそ、裂けたりしないかとの気遣いも起こる。

戴(いただ)くは天と知る故に、稲妻の米噛(こめかみ)に震う怖れも出来る。
拝んでいるのは天だと知っているので、稲妻がこめかみに震える恐れもでてくる。

人と争わねば一分(いちぶん)が立たぬと浮世が催促するから、火宅の苦は免かれぬ。
人と争わなければ面目が立たないと、浮世が催促するから、火宅の苦は免かれない。

説明 火宅の苦 は、現実世界は燃える家のように苦しい ということ。

東西のある乾坤(けんこん)に住んで、利害の綱を渡らねばならぬ身には、事実の恋は讎(あだ)である。
東西のある天地に住んで、利害の綱を渡らなければならない身には、事実の恋は敵である。

説明 事実の恋は、文脈により、事実を恋する という意味にも、実際にあった恋 という意味にもなります。

   讎、仇 は、敵のことです。例えば、仇討。恩を仇で返す の場合は、仕返し という意味です。

   あだ には、徒という字もあてられ、無駄という意味にもなります。例えば、親切があだになる。

目に見る富は土である。
The wealth you see is as worthless as dust.

握る名と奪える誉(ほまれ)とは、小賢かしき蜂が甘く醸すと見せて、針を棄て去る蜜のごときものであろう。
名声を握り、名誉を奪うことは、小賢しい蜂が、甘く醸しているように見せて、針を捨て去る蜜のようなものでしょう。

説明 蜜蜂は、針をもっていますが、蜜が針を持っているわけではないので、この文章の意味はよくわかりません。

いわゆる楽みは物に着するより起るが故に、あらゆる苦しみを含む。
いわゆる楽しみは、物に執着することにより起こるので、あらゆる苦しみを含んでいる。

ただ詩人と画客なるものあって、飽くまでこの待対(たいたい)世界の精華を嚼(か)んで、徹骨徹髄(てっこつてつずい)の清きを知る。
ただ詩人と画家というものがあって、あくまでこの相対世界の精華を咀嚼し、骨身にしみることの清潔さを知る。

霞を餐(さん)し、露を嚥(の)み、紫(し)を品(ひん)し、紅(こう)を評(ひょう)して、死に至って悔いぬ。
彼等は、霞みを食べ、露を飲み、紫を品評し、紅を品評し、死に至っても悔いない。

説明 紫は、紫雲、紫煙など。紅は、紅葉、紅霞など。

彼らの楽は物に着するのではない。同化してその物になるのである。
彼等の楽しみは、物に執着するのではない。同化して、その物になるのである。

その物になり済ました時に、我を樹立すべき余地は茫々(ぼうぼう)たる大地を極めても見出だし得ぬ。
その物になってしまったときには、自己を樹立すべき余地は、この広い大地の果てまで行っても見出すことはできない。

自在に泥団を放下して、破笠裏に無限の青嵐を盛る。
自由自在に泥の固まりの肉体を捨て、旅の疲れ笠の中に夏のさわやかに風を沢山盛る。

いたずらにこの境遇を拈出(ねんしゅつ)するのは、敢えて市井の銅臭児(どうしゅうじ)の鬼嚇(きかく)して、好んで高く標置するがためではない。
いたずらにこの境遇を捻出するのは、敢えて市井の銅臭児が鬼嚇して、よろこんで高く掲げるためではない。

説明 銅臭児(どうしゅうじ)は、銅貨の臭いがぷんぷんする俗物。鬼嚇(きかく)は、鬼の面をかぶり、人をおどかすこと。

ただ這裏(しゃり)の福音を述べて、縁ある衆生を麾(さしまね)くのみである。
ただこの間の福音を述べて、縁ある衆生を手招きするだけである。

説明 這裏は、この間 という意味のようですが、同じ発音の舎利は、仏舎利で、釈迦の遺骨のことで、舎利子は、釈迦の十代弟子の一人なので、這裏の福音は、キリスト教の福音ではなく、仏教の福音だと思います。

有体(ありてい)に云えば詩境と云い、画界と云うも皆人々具足(にんにんぐそく)の道である。
ありのままに言えば、詩の境地と言っても、絵の境地と言っても、皆、誰にでも本来備わっている道である。

春秋に指を折り尽して、白頭に呻吟するの徒といえども、一生を回顧して、閲歴の波動を順次に点検し来るとき、かつては微光の臭骸(しゅうがい)に洩れて、吾を忘れし、拍手の興を喚び起す事が出来よう。
年齢を重ねて、白髪の頭に呻いている人といっても、一生を回顧して、経歴の周期的な変化を順次に点検してきたとき、かつては、かすかな光が体から漏れて、我を忘れて拍手した感興を思い起こすことができるだろう。

説明 岩波の漱石全集の注解によると、人間の内面に光を認めるのは、神秘主義の特徴で、感興は単なる興奮や悦楽ではなく、人間の意識の根源に根差した恍惚を意味するのだそうです。

出来ぬと云わば生甲斐のない男である。  できないと言うなら、域外のない男である。

●されど一事に即し、一物に化するのみが詩人の感興とは云わぬ。
しかし、一つの事に適応し、一つの物に化けるのみが、詩人の感興であるとは言わない。

ある時は一弁の花に化し、あるときは一双の蝶に化し、あるはウォーヅウォースのごとく、一団の水仙に化して、心を沢風の裏(うち)に撩乱せしむる事もあろうが、何とも知れぬ四辺の風光にわが心を奪われて、わが心を奪えるは那物(なにもの)ぞとも明瞭に意識せぬ場合がある。
ある時は一本の花に化け、ある時は一対の蝶に化け、あるいは、ワーズワスのように、一群の水仙に化け、その心を恵み深い風に吹かれるままに水仙と共に揺れ動くにまかせる事もあるだろうが、何とも知れない周囲の風光に我が心を奪われて、私の心を奪ったのは何物かとも明瞭に意識しない場合がある。

説明 岩波の漱石全集の注解によると、この状態は、主客合一でありつつ、それとして客も意識されない、純粋意識の状態です。

ある人は天地の耿気(こうき)に触るると云うだろう。
ある人は、天地に充ちている春の光り輝く大気に触れると言うだろう。

ある人は無絃の琴を霊台に聴くと云うだろう。
ある人は、自然の霊妙な調べを、耳でなく、心に聞くと言うだろう。

またある人は知りがたく、解しがたき故に無限の域にセンカイして、縹緲(ひょうびょう)のちまたに彷徨(ほうこう)すると形容するかも知れぬ。
また、ある人は、知りにくく、理解しにくいので、無限の領域にゆっくりとどまり、ひろびろとした場所にさまようと言い表すかも知れない。

何と云うも皆その人の自由である。  どう言うのも皆、その人の自由である。

わが、唐木の机に憑りてぽかんとした心裡の状態は正にこれである。
私が、木の机にもたれて、ぽかんとした心理の状態にあるのは、まさにこれである。

余は明かに何事をも考えておらぬ。またはたしかに何物をも見ておらぬ。
私は明らかに何事も考えていない。または、確かに何物も見ていない。

わが意識の舞台に著るしき色彩をもって動くものがないから、われはいかなる事物に同化したとも云えぬ。
私の意識の舞台に著るしい色彩をもって動くものがないから、私はいかなる事物に同化したとも言えない。

されども吾は動いている。 世の中に動いてもおらぬ、世の外にも動いておらぬ。ただ何となく動いている。
しかし私は動いている。 世の中に動いてもいないし、世の外にも動いていない。ただ何となく動いている。

花に動くにもあらず、鳥に動くにもあらず、人間に対して動くにもあらず、ただ恍惚と動いている。
私は、 花に動くのでもなく、鳥に動くのでもなく、人間に対して動くのでもなく、ただ恍惚と動いている。

●強いて説明せよと云わるるならば、余が心はただ春と共に動いていると云いたい。
強いて説明しろと言われるならば、私の心はただ春と共に動いていると言いたい。

あらゆる春の色、春の風、春の物、春の声を打って、固めて、仙丹に練り上げて、それを蓬莱の霊液に溶いて、桃源の日で蒸発せしめた精気が、知らぬ間に毛孔から染み込んで、心が知覚せぬうちに飽和されてしまったと云いたい。
あらゆる春の色、春の風、春の物、春の声を打って、固めて、仙人の霊薬に練り上げて、それを蓬莱山の霊液に溶いて、桃源の日光で蒸発させた精気が、知らない間に毛孔から染み込んで、心が知覚しないうちに飽和されてしまったと言いたい。

普通の同化には刺激がある。刺激があればこそ、愉快であろう。

余の同化には、何と同化したか不分明であるから、毫も刺激がない。
私の同化には、何と同化したか明白でないから、少しも刺激がない。

刺激がないから、窈然(ようぜん)として名状しがたい楽(たのしみ)がある。
刺激がないから、奥深く解りにくくて、言い表すことのできない楽しみがある。

風に揉まれて上の空なる波を起す、軽薄で騒々しい趣とは違う。
風にもまれて、上の空にある波を起す軽薄で騒々しい趣とは違う。

目に見えぬ幾尋の底を、大陸から大陸まで動いているコウ洋たる蒼海の有様と形容する事が出来る。
目に見えない深い底を、大陸から大陸まで動いている広く青い海の有様と形容することができる。

ただそれほどに活力がないばかりだ。しかしそこにかえって幸福がある。
ただ、それほどに活力がないだけだ。しかし、そこにかえって幸福がある。

偉大なる活力の発現は、この活力がいつか尽き果てるだろうとの懸念が籠もる。
偉大な活力の発現には、この活力がいつか尽き果てるだろうとの懸念がこもっている。

常の姿にはそう云う心配は伴わぬ。 通常の姿にはそういう心配はない。

常よりは淡きわが心の、今の状態には、わが烈しき力の銷磨しはせぬかとの憂を離れたるのみならず、常の心の可もなく不可もなき凡境をも脱却している。
通常よりは淡い私の心の、今の状態には、私の激しい力が消耗しはしないかとの憂いを離れただけでなく、通常の心の可もなく不可もない凡庸の境地をも脱却している。

淡しとは単に捕え難しと云う意味で、弱きに過ぎる虞を含んではおらぬ。
淡いとは、単に捕えがたいという意味で、弱すぎるというおそれを含んではいない。

冲融(ちゅうゆう)とか澹蕩(たんとう)とか云う詩人の語はもっともこの境を切実に言い了せたものだろう。
冲融とか澹蕩という詩人の言葉はもっともこの境地を切実に言いおおせたものだろう。

●この境界を画にして見たらどうだろうと考えた。しかし普通の画にはならないにきまっている。
この境地を絵にしてみたらどうだろうと考えた。しかし、普通の絵にはならないに決まっている。

われらが俗に画と称するものは、ただ眼前の人事風光をありのままなる姿として、もしくはこれをわが審美眼に漉過して、絵絹の上に移したものに過ぎぬ。
私達が俗に絵と呼ぶものは、ただ目前の人や風景をありのままの姿として、または、自分の審美眼でろ過して、キャンバスのうえに描いたものに過ぎない。

花が花と見え、水が水と映り、人物が人物として活動すれば、画の能事は終ったものと考えられている。
花が花と見え、水が水と映り、人が人として働けば、絵の仕事は終わったものと考えられいる。

もしこの上に一頭地を抜けば、わが感じたる物象を、わが感じたるままの趣を添えて、画布の上に淋漓として生動させる。
もしこれ以上に少しだけ抜け出すならば、自分が感じた事象を、感じたままの趣きを添えて、キャンバスの上に元気よく動き出すように描く。

ある特別の感興を、己が捕えたる森羅の裡に寓するのがこの種の技術家の主意であるから、
ある特別の感興を、宇宙万象のなかの自らが捕えた姿に映すのが、この種の芸術家のめざす所なので、

彼らの見たる物象観が明瞭に筆端に迸(ほとば)しっておらねば、画を製作したとは云わぬ。
彼らが見た物象の姿が明瞭に筆致にみなぎっていなければ、絵を描いたとは言えない。

己れはしかじかの事を、しかじかに観、しかじかに感じたり、その観方も感じ方も、前人の籬下(りか)に立ちて、古来の伝説に支配せられたるにあらず、
私は、あれこれの事柄を、あれこれに観、あれこれに感じたとして、その見方も感じ方も、先人の影響のもとに立って、古来の伝説に支配されたのではない。

しかももっとも正しくして、もっとも美くしきものなりとの主張を示す作品にあらざれば、わが作と云うをあえてせぬ。
しかも、最も正しく、最も美しいものだとの主張を示す作品でなければ、私の作品だという主張は、あえてしない。

●この二種の製作家に主客深浅の区別はあるかも知れぬが、明瞭なる外界の刺激を待って、始めて手を下すのは双方共同一である。
この二種類の芸術家に、主客深浅の区別はあるかも知れないが、明確な外界からの刺激を受けて、初めて作品を製作するという点ではどちらも同じです。

されど今、わが描かんとする題目は、さほどに分明(ぶんみょう)なものではない。
しかし、今、私が描こうとしている主題は、そんなに明瞭なものではない。

あらん限りの感覚を鼓舞して、これを心外に物色したところで、方円の形、紅緑の色は無論、濃淡の陰、洪繊(こうせん)の線(すじ)を見出しかねる。
ありえる限りの感覚を総動員して、主題に形や色を与えようとしても、形の四角や丸、色の赤や緑は勿論も影の濃淡、線の太い細いも、見出すことができない。

わが感じは外から来たのではない、たとい来たとしても、わが視界に横たわる、一定の景物でないから、これが源因だと指を挙げて明らかに人に示す訳に行かぬ。
私の感じるものは、外から来たものではない。たとえ、外から来たとしても、私の視界にじっと横たわる事物ではないので、これが原因だと指さして明示することはできない。

あるものはただ心持ちである。この心持ちを、どうあらわしたら画になるだろう。
あるのは、ただ、気持ちです。この気持ちを、どう表したら絵になるのだろう。

――否この心持ちをいかなる具体を藉りて、人の合点するように髣髴せしめ得るかが問題である。
いや、この気持ちを、どんな具象を用いて、人が理解できるように映し出すことができるかが問題なのだ。

普通の画は感じはなくても物さえあれば出来る。
普通の絵は、感じることはなくても、物さえあれば描ける。

第二の画は物と感じと両立すればできる。
第二の絵は、物と感じが、両立すれば描ける。

第三に至っては存するものはただ心持ちだけであるから、画にするには是非共この心持ちに恰好なる対象を択ばなければならん。
第三の絵は、存在するものが気持ちだけなので、絵にするには、この気持ちに、格好な対象を選ばないといけない。

しかるにこの対象は容易に出て来ない。出て来ても容易に纏(まとま)らない。
しかし、この対象は、容易にはでてこない。でてきても、容易には、まとまらない。

纏っても自然界に存するものとは丸で趣を異にする場合がある。
まとまっても、自然界に存在するものとは、まるで趣きが違う場合がある。

したがって普通の人から見れば画とは受け取れない。
従って、普通の人から見ると、絵とは受け取れない。

描いた当人も自然界の局部が再現したものとは認めておらん、
描いた当人も、自然界の局面が再現したものとは認めていない。

ただ感興の上(さ)した刻下の心持ちを幾分でも伝えて、多少の生命を惝怳(しょうきょう)しがたきムードに与うれば大成功と心得ている。
ただ感興がさしたその時の気持ちを少しでも伝えて、多少の命をぼんやりできないムードにすることができれば大成功と心得ている。

古来からこの難事業に全然の績(いさおし)を収め得たる画工があるかないか知らぬ。
昔から、この難事業に全面的な成績を収め得た画家がいたかどうかは知りません。

ある点までこの流派に指を染め得たるものを挙ぐれば、文与可の竹である。
ある程度までこの流派をやり始めることができたものを挙げると、まず、文与可の竹です。

雲谷門下の山水である。

下って大雅堂の景色である。

蕪村の人物である。

泰西の画家に至っては、多く眼を具象世界に馳せて、神往の気韻に傾倒せぬ者が大多数を占めているから、この種の筆墨に物外の神韻を伝え得るものははたして幾人あるか知らぬ。
西洋の画家にいたっては、多くは、目を具象世界に走らせて、心引かれるものの気高さに傾倒しない者が大多数を占めているので、この種の、筆で物を越えた神なる趣を伝えることができる者が、はたして何人いるかはわかりません。

惜しい事に雪舟、蕪村らの力(つと)めて描出した一種の気韻は、あまりに単純でかつあまりに変化に乏しい。
惜しい事に、雪舟や蕪村が努力して描出した一種の気韻は、余りに単純で、余りに変化に乏しい。

筆力の点から云えばとうていこれらの大家に及ぶ訳はないが、今わが画にして見ようと思う心持ちはもう少し複雑である。
筆力の点から言うと、到底これらの大家に及ぶわけはなすが、今、私が絵にしてみようと思う心持は、もう少し複雑である。

複雑であるだけにどうも一枚のなかへは感じが収まりかねる。
複雑であるだけにもどうも、一枚の中には収まることができない。

頬杖をやめて、両腕を机の上に組んで考えたがやはり出て来ない。

色、形、調子が出来て、自分の心が、ああここにいたなと、たちまち自己を認識するようにかかなければならない。

生き別れをした吾子を尋ね当てるため、六十余州を回国して、寝ても寤めても、忘れる間がなかったある日、十字街頭にふと邂逅して、稲妻の遮ぎるひまもなきうちに、あっ、ここにいた、と思うようにかかなければならない。

それがむずかしい。この調子さえ出れば、人が見て何と云っても構わない。画でないと罵られても恨はない。

いやしくも色の配合がこの心持ちの一部を代表して、線の曲直がこの気合の幾分を表現して、全体の配置がこの風韻のどれほどかを伝えるならば、形にあらわれたものは、牛であれ馬であれ、ないしは牛でも馬でも、何でもないものであれ、厭わない。

厭わないがどうも出来ない。写生帖を机の上へ置いて、両眼が帖のなかへ落ち込むまで、工夫したが、とても物にならん。

鉛筆を置いて考えた。こんな抽象的な興趣を画にしようとするのが、そもそもの間違である。

人間にそう変りはないから、多くの人のうちにはきっと自分と同じ感興に触れたものがあって、この感興を何らの手段かで、永久化せんと試みたに相違ない。

試みたとすればその手段は何だろう。

たちまち音楽の二字がぴかりと眼に映った。

なるほど音楽はかかる時、かかる必要に逼られて生まれた自然の声であろう。

楽は聴きくべきもの、習うべきものであると、始めて気がついたが、不幸にして、その辺の消息はまるで不案内である。

●次に詩にはなるまいかと、第三の領分に踏み込んで見る。

レッシングと云う男は、時間の経過を条件として起る出来事を、詩の本領であるごとく論じて、詩画は不一にして両様なりとの根本義を立てたように記憶するが、そう詩を見ると、今余の発表しようとあせっている境界もとうてい物になりそうにない。

余が嬉しいと感ずる心裏の状況には時間はあるかも知れないが、時間の流れに沿うて、逓次に展開すべき出来事の内容がない。

一が去り、二が来り、二が消えて三が生まるるがために嬉しいのではない。

初から窈然として同所に把住する趣で嬉しいのである。

すでに同所に把住する以上は、よしこれを普通の言語に翻訳したところで、必ずしも時間的に材料を按排する必要はあるまい。

やはり絵画と同じく空間的に景物を配置したのみで出来るだろう。

ただいかなる景情を詩中に持ち来って、この曠然として倚托なき有様を写すかが問題で、すでにこれを捕え得た以上はレッシングの説に従わんでも詩として成功する訳だ。

ホーマーがどうでも、ヴァージルがどうでも構わない。

もし詩が一種のムードをあらわすに適しているとすれば、このムードは時間の制限を受けて、順次に進捗する出来事の助けを藉らずとも、単純に空間的なる絵画上の要件を充たしさえすれば、言語をもって描き得るものと思う。

●議論はどうでもよい。ラオコーンなどは大概忘れているのだから、よく調べたら、こっちが怪しくなるかも知れない。

とにかく、画にしそくなったから、一つ詩にして見よう、と写生帖の上へ、鉛筆を押しつけて、前後に身をゆすぶって見た。

しばらくは、筆の先の尖がった所を、どうにか運動させたいばかりで、毫も運動させる訳に行かなかった。

急に朋友の名を失念して、咽喉まで出かかっているのに、出てくれないような気がする。

そこで諦めると、出損なった名は、ついに腹の底へ収まってしまう。

●葛湯を練るとき、最初のうちは、さらさらして、箸に手応がないものだ。

そこを辛抱すると、ようやく粘着(ねばり)が出て、攪き淆ぜる手が少し重くなる。

それでも構わず、箸を休ませずに廻すと、今度は廻し切れなくなる。

しまいには鍋の中の葛が、求めぬに、先方から、争って箸に附着してくる。

詩を作るのはまさにこれだ。

●手掛りのない鉛筆が少しずつ動くようになるのに勢を得て、かれこれ二三十分したら、

青春二三月

愁随芳草長

閑花落空庭

素琴横虚堂

蛸掛不動

篆煙繞竹梁

と云う六句だけ出来た。読み返して見ると、みな画になりそうな句ばかりである。

これなら始めから、画にすればよかったと思う。なぜ画よりも詩の方が作り易かったかと思う。

ここまで出たら、あとは大した苦もなく出そうだ。しかし画に出来ない情を、次には咏って見たい。

あれか、これかと思い煩わずらった末とうとう、

独坐無隻語

方寸認微光

人間徒多事

此境孰可忘

会得一日静

正知百年忙

遐懐寄何処

緬邈白雲郷。

と出来た。もう一返最初から読み直して見ると、ちょっと面白く読まれるが、どうも、自分が今しがた入った神境を写したものとすると、索然として物足りない。

ついでだから、もう一首作って見ようかと、鉛筆を握ったまま、何の気もなしに、入口の方を見ると、襖を引いて、開け放った幅三尺の空間をちらりと、奇麗な影が通った。はてな。

●余が眼を転じて、入口を見たときは、奇麗なものが、すでに引き開けた襖の影に半分かくれかけていた。

しかもその姿は余が見ぬ前から、動いていたものらしく、はっと思う間に通り越した。

余は詩をすてて入口を見守る。

●一分と立たぬ間に、影は反対の方から、逆にあらわれて来た。

振袖姿のすらりとした女が、音もせず、向う二階の椽側を寂然として歩行あるいて行く。

余は覚えず鉛筆を落して、鼻から吸いかけた息をぴたりと留めた。

●花曇の空が、刻一刻に天から、ずり落ちて、今や降ると待たれたる夕暮の欄干に、しとやかに行き、しとやかに帰る振袖の影は、余が座敷から六間の中庭を隔てて、重き空気のなかに蕭寥(しょうりょう)と見えつ、隠れつする。

●女はもとより口も聞かぬ。傍目も触らぬ。椽に引く裾の音さえおのが耳に入らぬくらい静かに歩行いている。

腰から下にぱっと色づく、裾模様は何を染め抜いたものか、遠くて解わからぬ。

ただ無地と模様のつながる中が、おのずから暈されて、夜と昼との境のごとき心地である。女はもとより夜と昼との境をあるいている。

●この長い振袖を着て、長い廊下を何度往き何度戻る気か、余には解からぬ。

いつ頃からこの不思議な装をして、この不思議な歩行(あゆみ)をつづけつつあるかも、余には解らぬ。

その主意に至ってはもとより解らぬ。

もとより解るべきはずならぬ事を、かくまでも端正に、かくまでも静粛に、かくまでも度を重ねて繰り返す人の姿の、入口にあらわれては消え、消えてはあらわるる時の余の感じは一種異様である。

逝く春の恨を訴うる所作ならば何が故にかくは無頓着なる。無頓着なる所作ならば何が故にかくは綺羅を飾れる。

●暮れんとする春の色の、嬋媛(せんえん)として、しばらくは冥邈(めいばく)の戸口をまぼろしに彩どる中に、眼も醒むるほどの帯地は金襴か。

あざやかなる織物は往きつ、戻りつ蒼然たる夕べのなかにつつまれて、幽闃(ゆうげき)のあなた、遼遠のかしこへ一分ごとに消えて去る。

燦めき渡る春の星の、暁近くに、紫深き空の底に陥おちいる趣おもむきである。

●太玄(たいげん)のモンおのずから開けて、この華やかなる姿を、幽冥の府に吸い込まんとするとき、余はこう感じた。

金屏を背に、銀燭を前に、春の宵の一刻を千金と、さざめき暮らしてこそしかるべきこの装の、厭う景色もなく、争う様子も見えず、色相世界から薄れて行くのは、ある点において超自然の情景である。

刻々と逼る黒き影を、すかして見ると女は粛然として、焦きもせず、狼狽もせず、同じほどの歩調をもって、同じ所を徘徊しているらしい。

身に落ちかかる災を知らぬとすれば無邪気の極である。知って、災と思わぬならば物凄い。

黒い所が本来の住居で、しばらくの幻影を、元のままなる冥漠の裏(うち)に収めればこそ、かように間セイ(かんせい)の態度で、有と無の間に逍遥しているのだろう。

女のつけた振袖に、紛たる模様の尽きて、是非もなき磨墨(するすみ)に流れ込むあたりに、おのが身の素性をほのめかしている。

●またこう感じた。うつくしき人が、うつくしき眠りについて、その眠りから、さめる暇もなく、幻覚のままで、この世の呼吸を引き取るときに、枕元に病を護るわれらの心はさぞつらいだろう。

四苦八苦を百苦に重ねて死ぬならば、生甲斐のない本人はもとより、傍に見ている親しい人も殺すが慈悲と諦らめられるかも知れない。

しかしすやすやと寝入る児に死ぬべき何の科があろう。

眠りながら冥府に連れて行かれるのは、死ぬ覚悟をせぬうちに、だまし打ちに惜しき一命を果すと同様である。

どうせ殺すものなら、とても逃れぬ定業(じょうごう)と得心もさせ、断念もして、念仏を唱えたい。死ぬべき条件が具わらぬ先に、死ぬる事実のみが、ありありと、確かめらるるときに、南無阿弥陀仏と回向をする声が出るくらいなら、その声でおういおういと、半ばあの世へ足を踏み込んだものを、無理にも呼び返したくなる。

仮りの眠りから、いつの間とも心づかぬうちに、永い眠りに移る本人には、呼び返される方が、切れかかった煩悩の綱をむやみに引かるるようで苦しいかも知れぬ。

慈悲だから、呼んでくれるな、穏かに寝かしてくれと思うかも知れぬ。それでも、われわれは呼び返したくなる。

余は今度女の姿が入口にあらわれたなら、呼びかけて、うつつの裡から救ってやろうかと思った。

しかし夢のように、三尺の幅を、すうと抜ける影を見るや否や、何だか口が聴けなくなる。

今度はと心を定めているうちに、すうと苦もなく通ってしまう。なぜ何とも云えぬかと考うる途端に、女はまた通る。

こちらに窺う人があって、その人が自分のためにどれほどやきもき思うているか、微塵も気に掛からぬ有様で通る。

面倒にも気の毒にも、初手から、余のごときものに、気をかねておらぬ有様で通る。

今度は今度はと思うているうちに、こらえかねた、雲の層が、持ち切れぬ雨の糸を、しめやかに落し出して、女の影を、蕭々(しょうしょう)と封じ了る。

   

寒い。手拭を下げて、湯壺へ下くだる。

●三畳へ着物を脱いで、段々を、四つ下りると、八畳ほどな風呂場へ出る。

石に不自由せぬ国と見えて、下は御影げで敷き詰めた、真中を四尺ばかりの深さに掘り抜いて、豆腐屋ほどな湯槽を据える。

槽とは云うもののやはり石で畳んである。

鉱泉と名のつく以上は、色々な成分を含んでいるのだろうが、色が純透明だから、入り心地がよい。

折々は口にさえふくんで見るが別段の味も臭もない。

病気にも利きくそうだが、聞いて見ぬから、どんな病に利くのか知らぬ。

もとより別段の持病もないから、実用上の価値はかつて頭のなかに浮んだ事がない。

ただ這入る度に考え出すのは、白楽天の温泉水滑らかにして凝脂(ぎょうし)を洗う と云う句だけである。

温泉と云う名を聞けば必ずこの句にあらわれたような愉快な気持になる。

またこの気持を出し得ぬ温泉は、温泉として全く価値がないと思ってる。この理想以外に温泉についての注文はまるでない。

●すぽりと浸かると、乳のあたりまで這入る。湯はどこから湧いて出るか知らぬが、常でも槽の縁を奇麗に越している。

春の石は乾くひまなく濡れて、あたたかに、踏む足の、心は穏やかに嬉しい。

降る雨は、夜の目を掠めて、ひそかに春を潤おすほどのしめやかさであるが、軒のしずくは、ようやく繁く、ぽたり、ぽたりと耳に聞える。

立て籠められた湯気は、床から天井を隈なく埋めて、隙間さえあれば、節穴の細きを厭わず洩れ出でんとする景色である。

●秋の霧は冷やかに、たなびく靄は長閑に、夕餉炊く、人の煙は青く立って、大いなる空に、わがはかなき姿を托す。

様々の憐れはあるが、春の夜の温泉(でゆ)の曇りばかりは、浴(ゆあみ)するものの肌を、柔らかにつつんで、古き世の男かと、われを疑わしむる。

眼に写るものの見えぬほど、濃くまつわりはせぬが、薄絹を一重破れば、何の苦もなく、下界の人と、己れを見出すように、浅きものではない。

一重破り、二重破り、幾重を破り尽すともこの煙りから出す事はならぬ顔に、四方よりわれ一人を、温かき虹の中に埋め去る。

酒に酔うと云う言葉はあるが、煙りに酔うと云う語句を耳にした事がない。

あるとすれば、霧には無論使えぬ、霞には少し強過ぎる。

ただこの靄に、春宵の二字を冠したるとき、始めて妥当なるを覚える。

●余は湯槽のふちに仰向の頭を支えて、透き徹る湯のなかの軽き身体を、出来るだけ抵抗力なきあたりへ漂よわして見た。

ふわり、ふわりと魂がくらげのように浮いている。世の中もこんな気になれば楽なものだ。

分別の錠前を開けて、執着の栓張(しんばり)をはずす。どうともせよと、湯泉のなかで、湯泉と同化してしまう。

流れるものほど生きるに苦は入らぬ。流れるもののなかに、魂まで流していれば、キリストの御弟子となったよりありがたい。

なるほどこの調子で考えると、土左衛門は風流である。

スウィンバーンの何とか云う詩に、女が水の底で往生して嬉しがっている感じを書いてあったと思う。

余が平生から苦にしていた、ミレーのオフェリヤも、こう観察するとだいぶ美しくなる。

何であんな不愉快な所を択んだものかと今まで不審に思っていたが、あれはやはり画になるのだ。

水に浮んだまま、あるいは水に沈んだまま、あるいは沈んだり浮んだりしたまま、ただそのままの姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない。

それで両岸にいろいろな草花をあしらって、水の色と流れて行く人の顔の色と、衣服の色に、落ちついた調和をとったなら、きっと画になるに相違ない。

しかし流れて行く人の表情が、まるで平和ではほとんど神話か比喩になってしまう。

痙攣的な苦悶はもとより、全幅の精神をうち壊わすが、全然色気のない平気な顔では人情が写らない。

どんな顔をかいたら成功するだろう。ミレーのオフェリヤは成功かも知れないが、彼の精神は余と同じところに存するか疑わしい。

ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味を以て、一つ風流な土左衛門をかいて見たい。

しかし思うような顔はそうたやすく心に浮んで来そうもない。

●湯のなかに浮いたまま、今度は土左衛門の賛を作って見る。

雨が降ったら濡れるだろう。

霜が下りたら冷つめたかろ。

土のしたでは暗かろう。

浮かば波の上、

沈まば波の底、

春の水なら苦はなかろ。

と口のうちで小声に誦しつつ漫然と浮いていると、どこかで弾く三味線の音が聞える。

美術家だのにと云われると恐縮するが、実のところ、余がこの楽器における智識はすこぶる怪しいもので二が上がろうが、三が下がろうが、耳には余り影響を受けた試しがない。

しかし、静かな春の夜に、雨さえ興を添える、山里の湯壺の中で、魂まで春の温泉(でゆ)に浮かしながら、遠くの三味を無責任に聞くのははなはだ嬉しい。

遠いから何を唄うたって、何を弾いているか無論わからない。そこに何だか趣がある。

音色の落ちついているところから察すると、上方の検校さんの地唄にでも聴かれそうな太棹かとも思う。

小供の時分、門前に万屋と云う酒屋があって、そこに御倉さんと云う娘がいた。

この御倉さんが、静かな春の昼過ぎになると、必ず長唄の御浚(おさら)いをする。御浚が始まると、余は庭へ出る。

茶畠の十坪余りを前に控えて、三本の松が、客間の東側に並んでいる。この松は周り一尺もある大きな樹で、面白い事に、三本寄って、始めて趣のある恰好を形つくっていた。

小供心にこの松を見ると好い心持になる。

松の下に黒くさびた鉄灯籠が名の知れぬ赤石の上に、いつ見ても、わからず屋の頑固爺(かたくなじじい)のようにかたく坐っている。

余はこの灯籠を見詰めるのが大好きであった。

灯籠の前後には、苔深き地を抽いて、名も知らぬ春の草が、浮世の風を知らぬ顔に、独り匂うて独り楽しんでいる。

余はこの草のなかに、わずかに膝を容るるの席を見出して、じっと、しゃがむのがこの時分の癖であった。

この三本の松の下に、この灯籠を睨めて、この草の香を臭かいで、そうして御倉さんの長唄を遠くから聞くのが、当時の日課であった。

●御倉さんはもう赤い手絡(てがら)の時代さえ通り越して、だいぶんと世帯じみた顔を、帳場へ曝してるだろう。

聟とは折合がいいか知らん。燕は年々帰って来て、泥を啣んだ嘴を、いそがしげに働かしているか知らん。

燕と酒の香とはどうしても想像から切り離せない。

●三本の松はいまだに好い恰好で残っているかしらん。鉄灯籠はもう壊れたに相違ない。

春の草は、昔し、しゃがんだ人を覚えているだろうか。その時ですら、口もきかずに過ぎたものを、今に見知ろうはずがない。

御倉さんの旅の衣は鈴懸のと云う、日ひごとの声もよも聞き覚えがあるとは云うまい。

●三味の音が思わぬパノラマを余の眼前に展開するにつけ、余は床しい過去の面のあたりに立って、二十年の昔に住む、頑是なき小僧と、成り済ましたとき、突然風呂場の戸がさらりと開いた。

●誰か来たなと、身を浮かしたまま、視線だけを入口に注ぐ。湯槽の縁の最も入口から、隔たりたるに頭を乗せているから、槽に下る段々は、間二丈を隔てて斜めに余が眼に入る。

しかし見上げたる余の瞳にはまだ何物も映らぬ。しばらくは軒を遶る雨垂の音のみが聞える。三味線はいつの間まにかやんでいた。

●やがて階段の上に何物かあらわれた。広い風呂場を照すものは、ただ一つの小さき釣りランプのみであるから、この隔りでは澄切った空気を控えてさえ、確と物色はむずかしい。

まして立ち上がる湯気の、濃かなる雨に抑えられて、逃場を失いたる今宵の風呂に、立つを誰とはもとより定めにくい。

一段を下り、二段を踏んで、まともに、照らす灯影を浴びたる時でなくては、男とも女とも声は掛けられぬ。

●黒いものが一歩を下へ移した。踏む石はピロウドのごとく柔やわらかと見えて、足音を証にこれを律すれば、動かぬと評しても差支ない。

が輪廓は少しく浮き上がる。余は画工だけあって人体の骨格については、存外視覚が鋭敏である。

何とも知れぬものの一段動いた時、余は女と二人、この風呂場の中に在る事を覚った。

●注意をしたものか、せぬものかと、浮きながら考える間に、女の影は遺憾なく、余が前に、早くもあらわれた。

漲り渡る湯煙りの、やわらかな光線を一分子ごとに含んで、薄紅の暖かに見える奥に、漾わす黒髪を雲とながして、あらん限りの背丈を、すらりと伸した女の姿を見た時は、礼儀の、作法の、風紀のと云う感じはことごとく、わが脳裏を去って、ただひたすらに、うつくしい画題を見出し得たとのみ思った。

●古代ギリシャの彫刻はいざ知らず、今世仏国の画家が命と頼む裸体画を見るたびに、あまりに露骨な肉の美を、極端まで描がき尽そうとする痕迹が、ありありと見えるので、どことなく気韻に乏しい心持が、今までわれを苦しめてならなかった。

しかしその折々はただどことなく下品だと評するまでで、なぜ下品であるかが、解らぬ故、吾知らず、答えを得るに煩悶して今日に至ったのだろう。

肉を蔽えば、うつくしきものが隠れる。かくさねば卑しくなる。

今の世の裸体画と云うはただかくさぬと云う卑しさに、技巧を留めておらぬ。

衣を奪いたる姿を、そのままに写すだけにては、物足らぬと見えて、飽くまでも裸体を、衣冠の世に押し出そうとする。

服をつけたるが、人間の常態なるを忘れて、赤裸にすべての権能を附与せんと試みる。

十分で事足るべきを、十二分にも、十五分にも、どこまでも進んで、ひたすらに、裸体であるぞと云う感じを強く描出しようとする。

技巧がこの極端に達したる時、人はその観者を強うるを陋とする。

うつくしきものを、いやが上に、うつくしくせんと焦せるとき、うつくしきものはかえってその度を減ずるが例である。

人事についても満は損を招くとの諺はこれがためである。

●放心と無邪気とは余裕を示す。余裕は画において、詩において、もしくは文章において、必須の条件である。

今代芸術の一大弊竇(へいとう)は、いわゆる文明の潮流が、いたずらに芸術の士を駆って、拘々として随処に齷齪たらしむるにある。

裸体画はその好例であろう。都会に芸妓と云うものがある。色を売りて、人に媚びるを商売にしている。

彼らは嫖客に対する時、わが容姿のいかに相手の瞳子に映ずるかを顧慮するのほか、何らの表情をも発揮し得ぬ。

年々に見るサロンの目録はこの芸妓に似たる裸体美人を以て充満している。

彼らは一秒時も、わが裸体なるを忘るる能あたわざるのみならず、全身の筋肉をむずつかして、わが裸体なるを観者に示さんと力つとめている。

●今余が面前に娉テイ(ひょうてい)と現われたる姿には、一塵もこの俗埃(ぞくあい)の眼に遮(さえ)ぎるものを帯びておらぬ。

常の人の纏える衣装を脱ぎ捨てたる様と云えばすでに人界に堕在する。

始めより着るべき服も、振るべき袖も、あるものと知らざる神代の姿を雲のなかに呼び起したるがごとく自然である。

●室を埋むる湯煙は、埋めつくしたる後から、絶えず湧き上がる。

春の夜の灯を半透明に崩し拡げて、部屋一面の虹霓(にじ)の世界が濃かに揺れるなかに、朦朧と、黒きかとも思わるるほどの髪を暈して、真白な姿が雲の底から次第に浮き上がって来る。その輪廓を見よ。

●頸筋を軽く内輪に、双方から責めて、苦もなく肩の方へなだれ落ちた線が、豊かに、丸く折れて、流るる末は五本の指と分れるのであろう。

ふっくらと浮く二つの乳の下には、しばし引く波が、また滑らかに盛り返して下腹の張りを安らかに見せる。

張る勢を後へ抜いて、勢の尽くるあたりから、分れた肉が平衡を保つために少しく前に傾く。

逆に受くる膝頭のこのたびは、立て直して、長きうねりの踵につく頃、平たき足が、すべての葛藤を、二枚の蹠(あしのうら)に安々と始末する。

世の中にこれほど錯雑した配合はない、これほど統一のある配合もない。

これほど自然で、これほど柔やわらかで、これほど抵抗の少い、これほど苦にならぬ輪廓は決して見出せぬ。

●しかもこの姿は普通の裸体のごとく露骨に、余が眼の前に突きつけられてはおらぬ。

すべてのものを幽玄に化する一種の霊氛(れいふん)のなかに髣髴として、十分の美を奥床しくもほのめかしているに過ぎぬ。

片鱗を溌墨淋漓(はつぼくりんり)の間あいだに点じて、キュウ竜(きゅうりょう)の怪を、楮毫(ちょごう)のほかに想像せしむるがごとく、芸術的に観じて申し分のない、空気と、あたたかみと、冥バク(めいばく)なる調子とを具えている。

六々三十六鱗を丁寧に描きたる竜の、滑稽に落つるが事実ならば、赤裸々の肉を浄洒々(じょうしゃしゃ)に眺めぬうちに神往の余韻はある。

余はこの輪廓の眼に落ちた時、桂の都を逃れた月界の嫦娥(じょうが)が、彩虹(にじ)の追手に取り囲まれて、しばらく躊躇する姿と眺めた。

●輪廓は次第に白く浮きあがる。今一歩を踏み出せば、せっかくの嫦娥(じょうが)が、あわれ、俗界に堕落するよと思う刹那に、緑の髪は、波を切る霊亀(れいき)の尾のごとくに風を起して、莽(ぼう)と靡(なび)いた。

渦捲く煙りを劈(つんざ)いて、白い姿は階段を飛び上がる。

ホホホホと鋭どく笑う女の声が、廊下に響いて、静かなる風呂場を次第に向へ遠退く。

余はがぶりと湯を呑のんだまま槽の中に突立つ。驚いた波が、胸へあたる。縁を越す湯の音がさあさあと鳴る。

   

 

御茶の御馳走になる。相客は僧一人、観海寺の和尚で名は大徹と云うそうだ。俗一人、二十四五の若い男である。

●老人の部屋は、余が室の廊下を右へ突き当って、左へ折れた行き留りにある。

大さは六畳もあろう。大きな紫檀の机を真中に据えてあるから、思ったより狭苦しい。

それへと云う席を見ると、布団の代りに花毯(かたん)が敷いてある。無論支那製だろう。

真中を六角に仕切しきって、妙な家と、妙な柳が織り出してある。

周囲は鉄色に近い藍で、四隅に唐草の模様を飾った茶の輪を染め抜いてある。

支那ではこれを座敷に用いたものか疑わしいが、こうやって布団に代用して見るとすこぶる面白い。

インドの更紗とか、ペルシャの壁掛とか号するものが、ちょっと間が抜けているところに価値があるごとく、この花毯もこせつかないところに趣がある。

花毯ばかりではない、すべて支那の器具は皆抜けている。どうしても馬鹿で気の長い人種の発明したものとほか取れない。

見ているうちに、ぼおっとするところが尊い。日本は巾着切りの態度で美術品を作る。

西洋は大きくて細かくて、そうしてどこまでも娑婆気(しゃばっけ)がとれない。

まずこう考えながら席に着く。若い男は余とならんで、花毯の半なかばを占領した。

●和尚は虎の皮の上へ坐った。虎の皮の尻尾が余の膝の傍を通り越して、頭は老人の臀の下に敷かれている。

老人は頭の毛をことごとく抜いて、頬と顎へ移植したように、白い髯をむしゃむしゃと生はやして、茶托へ載せた茶碗を丁寧に机の上へならべる。

「今日は久し振りで、うちへ御客が見えたから、御茶を上げようと思って、……」と坊さんの方を向くと、

「いや、御使をありがとう。わしも、だいぶ御無沙汰をしたから、今日ぐらい来て見ようかと思っとったところじゃ」と云う。

この僧は六十近い、丸顔の、達磨を草書に崩したような容貌を有している。

老人とは平常からの昵懇と見える。

「この方かたが御客さんかな」

●老人は首肯(うなずき)ながら、朱泥の急須すから、緑を含む琥珀色の玉液を、二三滴ずつ、茶碗の底へしたたらす。

清い香りがかすかに鼻を襲う気分がした。

「こんな田舎に一人ひとりでは御淋しかろ」と和尚はすぐ余に話しかけた。

「はああ」となんともかとも要領を得ぬ返事をする。淋しいと云えば、偽りである。淋しからずと云えば、長い説明が入る。

「なんの、和尚さん。このかたは画を書かれるために来られたのじゃから、御忙がしいくらいじゃ」

「おお左様か、それは結構だ。やはり南宗派かな」

「いいえ」と今度は答えた。西洋画だなどと云っても、この和尚にはわかるまい。

「いや、例の西洋画じゃ」と老人は、主人役に、また半分引き受けてくれる。

「ははあ、洋画か。すると、あの久一さんのやられるようなものかな。あれは、わしこの間始めて見たが、随分奇麗にかけたのう」

「いえ、詰らんものです」と若い男がこの時ようやく口を開いた。

「御前何ぞ和尚さんに見ていただいたか」と老人が若い男に聞く。言葉から云うても、様子から云うても、どうも親類らしい。

「なあに、見ていただいたんじゃないですが、鏡が池で写生しているところを和尚さんに見つかったのです」

「ふん、そうか――さあ御茶が注げたから、一杯」と老人は茶碗を各自の前に置く。茶の量は三四滴に過ぎぬが、茶碗はすこぶる大きい。

生壁色(なまかべいろ)の地へ、焦げた丹と、薄い黄で、絵だか、模様だか、鬼の面の模様になりかかったところか、ちょっと見当のつかないものが、べたに描いてある。

「杢兵衛です」と老人が簡単に説明した。

「これは面白い」と余も簡単に賞めた。

「杢兵衛はどうも偽物が多くて、――その糸底を見て御覧なさい。銘があるから」と云う。

 取り上げて、障子の方へ向けて見る。障子には植木鉢の葉蘭の影が暖かそうに写っている。

首を曲まげて、覗き込むと、杢の字が小さく見える。

銘は観賞の上において、さのみ大切のものとは思わないが、好事者はよほどこれが気にかかるそうだ。

茶碗を下へ置かないで、そのまま口へつけた。濃く甘く、湯加減に出た、重い露を、舌の先へ一しずくずつ落して味って見るのは閑人適意の韻事である。

普通の人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違だ。

舌頭へぽたりと載せて、清いものが四方へ散れば咽喉へ下るべき液はほとんどない。

ただ馥郁たる匂が食道から胃のなかへ沁み渡るのみである。歯を用いるは卑しい。水はあまりに軽い。

玉露に至っては濃かなる事、淡水の境を脱して、顎を疲らすほどの硬さを知らず。結構な飲料である。

眠られぬと訴うるものあらば、眠らぬも、茶を用いよと勧めたい。

●老人はいつの間にやら、青玉の菓子皿を出した。大きな塊を、かくまで薄く、かくまで規則正しく、刳りぬいた匠人の手際てぎわは驚ろくべきものと思う。

すかして見ると春の日影は一面に射し込んで、射し込んだまま、逃がれ出ずる路を失ったような感じである。中には何も盛らぬがいい。

「御客さんが、青磁を賞められたから、今日はちとばかり見せようと思うて、出して置きました」

「どの青磁を――うん、あの菓子鉢かな。あれは、わしも好じゃ。

時にあなた、西洋画では襖などはかけんものかな。かけるなら一つ頼みたいがな」

●かいてくれなら、かかぬ事もないが、この和尚の気に入いるか入らぬかわからない。

せっかく骨を折って、西洋画は駄目だなどと云われては、骨の折栄(おりばえ)がない。

「襖には向かないでしょう」

「向かんかな。そうさな、この間の久一さんの画のようじゃ、少し派手はで過ぎるかも知れん」

「私のは駄目です。あれはまるでいたずらです」と若い男はしきりに、恥かしがって謙遜する。

「その何とか云う池はどこにあるんですか」と余は若い男に念のため尋ねて置く。

「ちょっと観海寺の裏の谷の所で、幽邃(ゆうすい)な所です。――なあに学校にいる時分、習ったから、退屈まぎれに、やって見ただけです」

「観海寺と云うと……」

「観海寺と云うと、わしのいる所じゃ。いい所じゃ、海を一目に見下しての――まあ逗留中にちょっと来て御覧。

なに、ここからはつい五六丁よ。あの廊下から、そら、寺の石段が見えるじゃろうが」

「いつか御邪魔に上あがってもいいですか」

「ああいいとも、いつでもいる。ここの御嬢さんも、よう、来られる。――御嬢さんと云えば今日は御那美さんが見えんようだが――どうかされたかな、隠居さん」

「どこぞへ出ましたかな、久一、御前の方へ行きはせんかな」

「いいや、見えません」

「また独り散歩かな、ハハハハ。御那美さんはなかなか足が強い。

この間あいだ法用で礪並(となみ)まで行ったら、姿見橋の所で――どうも、善く似とると思ったら、御那美さんよ。

尻を端折って、草履を穿いて、和尚さん、何をぐずぐず、どこへ行きなさると、いきなり、驚ろかされたて、ハハハハ。

御前はそんな形姿(なり)で地体(じたい)どこへ、行ったのぞいと聴くと、今芹摘(せりつみ)に行った戻りじゃ、和尚さん少しやろうかと云うて、いきなりわしの袂(たもと)へ泥だらけの芹を押し込んで、ハハハハハ」

「どうも、……」と老人は苦笑いをしたが、急に立って「実はこれを御覧に入れるつもりで」と話をまた道具の方へそらした。

 老人が紫檀の書架から、恭(うやうや)しく取り下した紋緞子(もんどんす)の古い袋は、何だか重そうなものである。

「和尚さん、あなたには、御目に懸けた事があったかな」

「なんじゃ、一体」

「硯よ」

「へえ、どんな硯かい」

「山陽の愛蔵したと云う……」

「いいえ、そりゃまだ見ん」

「春水の替え蓋がついて……」

「そりゃ、まだのようだ。どれどれ」

●老人は大事そうに緞子の袋の口を解くと、小豆色の四角な石が、ちらりと角かどを見せる。

「いい色合じゃのう。端渓かい」


「端渓でクヨクヨ眼(くよくがん)が九つある」

「九つ?」と和尚大いに感じた様子である。

「これが春水の替え蓋」と老人は綸子で張った薄い蓋を見せる。上に春水の字で七言絶句が書いてある。

「なるほど。春水はようかく。ようかくが、書は杏坪(きょうへい)の方が上手じゃて」

「やはり杏坪の方がいいかな」

「山陽が一番まずいようだ。どうも才子肌で俗気があって、いっこう面白うない」

「ハハハハ。和尚さんは、山陽が嫌いだから、今日は山陽の幅を懸け替えて置いた」

「ほんに」と和尚さんは後ろを振り向く。床は平床を鏡のようにふき込んで、サビ気さびけを吹いた古銅瓶(こどうへい)には、木蘭を二尺の高さに、活けてある。

軸は底光りのある古錦襴に、装幀の工夫を籠めた物徂徠(ぶっそらい)の大幅である。

絹地ではないが、多少の時代がついているから、字の巧拙に論なく、紙の色が周囲のきれ地とよく調和して見える。

あの錦襴も織りたては、あれほどのゆかしさも無かったろうに、彩色が褪せて、金糸が沈んで、華麗なところが滅り込んで、渋いところがせり出して、あんないい調子になったのだと思う。

焦茶(こげちゃ)の砂壁に、白い象牙の軸が際立って、両方に突張っている、手前に例の木蘭がふわりと浮き出されているほかは、床全体の趣は落ちつき過ぎてむしろ陰気である。

「徂徠かな」と和尚が、首を向けたまま云う。

「徂徠もあまり、御好きでないかも知れんが、山陽よりは善かろうと思うて」

「それは徂徠の方が遥にいい。享保頃の学者の字はまずくても、どこぞに品がある」

「広沢をして日本の能書ならしめば、われはすなわち漢人の拙なるものと云うたのは、徂徠だったかな、和尚さん」

「わしは知らん。そう威張るほどの字でもないて、ワハハハハ」

「時に和尚さんは、誰を習われたのかな」

「わしか。禅坊主は本も読まず、手習もせんから、のう」

「しかし、誰ぞ習われたろう」

「若い時に高泉の字を、少し稽古した事がある。それぎりじゃ。それでも人に頼まれればいつでも、書きます。ワハハハハ。時にその端渓を一つ御見せ」と和尚が催促する。

 とうとう緞子の袋を取り除ける。一座の視線はことごとく硯の上に落ちる。厚さはほとんど二寸に近いから、通例のものの倍はあろう。

四寸に六寸の幅も長さもまず並と云ってよろしい。蓋には、鱗のかたに研きをかけた松の皮をそのまま用いて、上には朱漆で、わからぬ書体が二字ばかり書いてある。

「この蓋が」と老人が云う。「この蓋が、ただの蓋ではないので、御覧の通り、松の皮には相違ないが……」

 老人の眼は余の方を見ている。しかし松の皮の蓋にいかなる因縁があろうと、画工として余はあまり感服は出来んから、

「松の蓋は少し俗ですな」

と云った。老人はまあと云わぬばかりに手を挙げて、

「ただ松の蓋と云うばかりでは、俗でもあるが、これはその何ですよ。山陽が広島におった時に庭に生えていた松の皮を剥いで山陽が手ずから製したのですよ」

 なるほど山陽は俗な男だと思ったから、

「どうせ、自分で作るなら、もっと不器用に作れそうなものですな。

わざとこの鱗のかたなどをぴかぴか研ぎ出さなくっても、よさそうに思われますが」と遠慮のないところを云って退けた。

「ワハハハハ。そうよ、この蓋はあまり安っぽいようだな」と和尚はたちまち余に賛成した。

 若い男は気の毒そうに、老人の顔を見る。老人は少々不機嫌の体に蓋を払いのけた。

下からいよいよ硯が正体をあらわす。

●もしこの硯について人の眼を峙つべき特異の点があるとすれば、その表面にあらわれたる匠人の刻である。

真中に袂時計ほどな丸い肉が、縁とすれすれの高さに彫り残されて、これを蜘蛛の背に象かたどる。

中央から四方に向って、八本の足が彎曲して走ると見れば、先には各クヨク眼(くよくがん)を抱えている。

残る一個は背の真中に、黄な汁をしたたらしたごとく煮染んで見える。

背と足と縁を残して余る部分はほとんど一寸余の深さに掘り下げてある。

墨を湛える所は、よもやこの塹壕の底ではあるまい。

たとい一合の水を注ぐともこの深さを充たすには足らぬ。

思うに水盂の中から、一滴の水を銀杓にて、蜘蛛の背に落したるを、貴き墨に磨り去るのだろう。

それでなければ、名は硯でも、その実は純然たる文房用の装飾品に過ぎぬ。

 老人は涎の出そうな口をして云う。

「この肌合と、この眼を見て下さい」

●なるほど見れば見るほどいい色だ。寒く潤沢を帯びたる肌の上に、はっと、一息懸けたなら、直ちに凝って、一朶(いちだ)の雲を起すだろうと思われる。

ことに驚くべきは眼の色である。眼の色と云わんより、眼と地の相交わる所が、次第に色を取り替えて、いつ取り替えたか、ほとんど吾眼の欺かれたるを見出し得ぬ事である。

形容して見ると紫色の蒸羊羹の奥に、隠元豆を、透いて見えるほどの深さに嵌め込んだようなものである。

眼と云えば一個二個でも大変に珍重される。

九個と云ったら、ほとんど類はあるまい。しかもその九個が整然と同距離に按排されて、あたかも人造のねりものと見違えらるるに至ってはもとより天下の逸品をもって許さざるを得ない。

「なるほど結構です。観て心持がいいばかりじゃありません。こうして触っても愉快です」と云いながら、余は隣りの若い男に硯を渡した。

「久一に、そんなものが解るかい」と老人が笑いながら聞いて見る。久一君は、少々自棄の気味で、

「分りゃしません」と打ち遣ったように云い放ったが、わからん硯を、自分の前へ置いて、眺めていては、もったいないと気がついたものか、また取り上げて、余に返した。

余はもう一遍丁寧に撫で廻わした後、とうとうこれを恭しく禅師に返却した。禅師はとくと掌の上で見済ました末、それでは飽き足らぬと考えたと見えて、鼠木綿の着物の袖を容赦なく蜘蛛の背へこすりつけて、光沢の出た所をしきりに賞翫している。

「隠居さん、どうもこの色が実に善いな。使うた事があるかの」

「いいや、滅多には使いとう、ないから、まだ買うたなりじゃ」

「そうじゃろ。こないなのは支那でも珍らしかろうな、隠居さん」

「左様」

「わしも一つ欲しいものじゃ。何なら久一さんに頼もうか。どうかな、買うて来ておくれかな」

「へへへへ。硯を見つけないうちに、死んでしまいそうです」

「本当に硯どころではないな。時にいつ御立ちか」

「二三日うちに立ちます」

「隠居さん。吉田まで送って御やり」

「普段なら、年は取っとるし、まあ見合すところじゃが、ことによると、もう逢あえんかも、知れんから、送ってやろうと思うております」

「御伯父さんは送ってくれんでもいいです」

●若い男はこの老人の甥と見える。なるほどどこか似ている。

「なあに、送って貰うがいい。川船で行けば訳はない。なあ隠居さん」

「はい、山越では難義だが、廻り路でも船なら……」

●若い男は今度は別に辞退もしない。ただ黙っている。

「支那の方へおいでですか」と余はちょっと聞いて見た。

「ええ」

●ええの二字では少し物足らなかったが、その上掘って聞く必要もないから控えた。

障子じを見ると、蘭の影が少し位置を変えている。

「なあに、あなた。やはり今度の戦争で――これがもと志願兵をやったものだから、それで召集されたので」

●老人は当人に代って、満洲の野に日ならず出征すべきこの青年の運命を余に語げた。

この夢のような詩のような春の里に、啼くは鳥、落つるは花、湧くは温泉(いでゆ)のみと思い詰めていたのは間違である。

現実世界は山を越え、海を越えて、平家の後裔のみ住み古るしたる孤村にまで逼る。

朔北の曠野を染むる血潮の何万分の一かは、この青年の動脈から迸る時が来るかも知れない。

この青年の腰に吊る長き剣の先から煙りとなって吹くかも知れない。

しかしてその青年は、夢みる事よりほかに、何らの価値を、人生に認め得ざる一画工の隣りに坐っている。

耳をそばだつれば彼が胸に打つ心臓の鼓動さえ聞き得るほど近くに坐っている。

その鼓動のうちには、百里の平野を捲く高き潮が今すでに響いているかも知れぬ。

運命は卒然としてこの二人を一堂のうちに会したるのみにて、その他には何事をも語らぬ。

  

「御勉強ですか」と女が云う。部屋に帰った余は、三脚几きに縛りつけた、書物の一冊を抽いて読んでいた。

「御這入りなさい。ちっとも構いません」

●女は遠慮する景色もなく、つかつかと這入る。

くすんだ半襟の中から、恰好のいい頸の色が、あざやかに、抽き出ている。

女が余の前に坐った時、この頸とこの半襟の対照が第一番に眼についた。

「西洋の本ですか、むずかしい事が書いてあるでしょうね」

「なあに」

「じゃ何が書いてあるんです」

「そうですね。実はわたしにも、よく分らないんです」

「ホホホホ。それで御勉強なの」

「勉強じゃありません。ただ机の上へ、こう開けて、開いた所をいい加減に読んでるんです」

「それで面白いんですか」

「それが面白いんです」

「なぜ?」

「なぜって、小説なんか、そうして読む方が面白いです」

「よっぽど変っていらっしゃるのね」

「ええ、ちっと変ってます」

「初から読んじゃ、どうして悪るいでしょう」

「初から読まなけりゃならないとすると、しまいまで読まなけりゃならない訳になりましょう」

「妙な理窟だ事。しまいまで読んだっていいじゃありませんか」

「無論わるくは、ありませんよ。筋を読む気なら、わたしだって、そうします」

「筋を読まなけりゃ何を読むんです。筋のほかに何か読むものがありますか」

●余は、やはり女だなと思った。多少試験してやる気になる。

「あなたは小説が好きですか」

「私が?」と句を切った女は、あとから「そうですねえ」と判然はっきりしない返事をした。あまり好きでもなさそうだ。

「好きだか、嫌だか自分にも解らないんじゃないですか」

「小説なんか読んだって、読まなくったって……」

と眼中にはまるで小説の存在を認めていない。

「それじゃ、初から読んだって、しまいから読んだって、いい加減な所をいい加減に読んだって、いい訳じゃありませんか。

あなたのようにそう不思議がらないでもいいでしょう」

「だって、あなたと私とは違いますもの」

「どこが?」と余は女の眼の中を見詰めた。試験をするのはここだと思ったが、女の眸は少しも動かない。

「ホホホホ解りませんか」

「しかし若いうちは随分御読みなすったろう」余は一本道で押し合うのをやめにして、ちょっと裏へ廻った。

「今でも若いつもりですよ。可哀想」放した鷹はまたそれかかる。すこしも油断がならん。

「そんな事が男の前で云えれば、もう年寄のうちですよ」と、やっと引き戻した。

「そう云うあなたも随分の御年じゃあ、ありませんか。そんなに年をとっても、やっぱり、惚れたの、腫れたの、にきびが出来たのってえ事が面白いんですか」

「ええ、面白いんです、死ぬまで面白いんです」

「おやそう。それだから画工なんぞになれるんですね」

「全くです。画工だから、小説なんか初からしまいまで読む必要はないんです。

けれども、どこを読んでも面白いのです。あなたと話をするのも面白い。ここへ逗留しているうちは毎日話をしたいくらいです。

何ならあなたに惚れ込んでもいい。そうなるとなお面白い。しかしいくら惚れてもあなたと夫婦になる必要はないんです。

惚れて夫婦になる必要があるうちは、小説を初からしまいまで読む必要があるんです」

「すると不人情な惚れ方をするのが画工なんですね」

「不人情じゃありません。非人情な惚れ方をするんです。小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。

こうして、御籤を引くように、ぱっと開けて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」

「なるほど面白そうね。じゃ、今あなたが読んでいらっしゃる所を、少し話してちょうだい。どんな面白い事が出てくるか伺いたいから」

「話しちゃ駄目です。画だって話にしちゃ一文の価値もなくなるじゃありませんか」

「ホホホそれじゃ読んで下さい」

「英語でですか」

「いいえ日本語で」

「英語を日本語で読むのはつらいな」

「いいじゃありませんか、非人情で」

●これも一興だろうと思ったから、余は女の乞に応じて、例の書物をぽつりぽつりと日本語で読み出した。

もし世界に非人情な読み方があるとすればまさにこれである。聴きく女ももとより非人情で聴いている。

「情の風が女から吹く。声から、眼から、肌から吹く。

男に扶けられて舳に行く女は、夕暮のヴェニスを眺ながむるためか、扶くる男はわが脈に稲妻の血を走らすためか。

――非人情だから、いい加減ですよ。ところどころ脱けるかも知れません」

「よござんすとも。御都合次第で、御足しなすっても構いません」

「女は男とならんで舷に倚る。二人の隔りは、風に吹かるるリボンの幅よりも狭い。

女は男と共にヴェニスに去らばと云う。ヴェニスなるドウジの殿楼は今第二の日没のごとく、薄赤く消えて行く。……」

「ドージとは何です」

「何だって構やしません。昔ヴェニスを支配した人間の名ですよ。何代つづいたものですかね。その御殿が今でもヴェニスに残ってるんです」

「それでその男と女と云うのは誰の事なんでしょう」

「誰だか、わたしにも分らないんだ。それだから面白いのですよ。今までの関係なんかどうでもいいでさあ。

ただあなたとわたしのように、こういっしょにいるところなんで、その場限りで面白味があるでしょう」

「そんなものですかね。何だか船の中のようですね」

「船でも岡でも、かいてある通りでいいんです。なぜと聞き出すと探偵になってしまうです」

「ホホホホじゃ聴きますまい」

「普通の小説はみんな探偵が発明したものですよ。非人情なところがないから、ちっとも趣がない」

「じゃ非人情の続きを伺いましょう。それから?」

「ヴェニスは沈みつつ、沈みつつ、ただ空に引く一抹の淡き線となる。

線は切れる。切れて点となる。蛋白石(とんぼだま)の空のなかに円き柱が、ここ、かしこと立つ。

ついには最も高く聳たる鐘楼が沈む。沈んだと女が云う。ヴェニスを去る女の心は空行く風のごとく自由である。

されど隠れたるヴェニスは、再び帰らねばならぬ女の心に覊絏の苦しみを与う。男と女は暗き湾の方に眼を注ぐ。

星は次第に増す。柔らかに揺ぐ海は泡を濺がず。男は女の手を把る。鳴りやまぬ弦(ゆづる)を握った心地である。……」

「あんまり非人情でもないようですね」

「なにこれが非人情的に聞けるのですよ。しかし厭なら少々略しましょうか」

「なに私は大丈夫ですよ」

「わたしは、あなたよりなお大丈夫です。――それからと、ええと、少しく六むずかしくなって来たな。どうも訳し――いや読みにくい」

「読みにくければ、御略しなさい」

「ええ、いい加減にやりましょう。――この一夜と女が云う。一夜? と男がきく。一と限るはつれなし、幾夜を重ねてこそと云う」

「女が云うんですか、男が云うんですか」

「男が云うんですよ。何でも女がヴェニスへ帰りたくないのでしょう。それで男が慰める語(ことば)なんです。

――真夜中の甲板に帆綱を枕にして横よこたわりたる、男の記憶には、かの瞬時、熱き一滴の血に似たる瞬時、女の手を確と把りたる瞬時が大濤のごとくに揺れる。

男は黒き夜を見上げながら、強いられたる結婚の淵より、是非に女を救い出さんと思い定めた。

かく思い定めて男は眼を閉とずる。――」

「女は?」

「女は路に迷いながら、いずこに迷えるかを知らぬ様である。

攫われて空行く人のごとく、ただ不可思議の千万無量――あとがちょっと読みにくいですよ。どうも句にならない。

――ただ不可思議の千万無量――何か動詞はないでしょうか」

「動詞なんぞいるものですか、それで沢山です」

「え?」

 轟と音がして山の樹がことごとく鳴る。思わず顔を見合わす途端に、机の上の一輪挿(ざし)に活けた、椿がふらふらと揺れる。

「地震!」と小声で叫んだ女は、膝を崩して余の机に靠りかかる。

御互の身躯がすれすれに動く。キキーと鋭どい羽摶をして一羽の雉子が藪の中から飛び出す。

「雉子が」と余は窓の外を見て云う。

「どこに」と女は崩した、からだを擦寄せる。余の顔と女の顔が触れぬばかりに近づく。

細い鼻の穴から出る女の呼吸が余の髭にさわった。

「非人情ですよ」と女はたちまち坐住居を正しながら屹と云う。

「無論」と言下に余は答えた。

●岩の凹みに湛えた春の水が、驚ろいて、のたりのたりと鈍く揺いている。

地盤の響きに、満泓(まんおう)の波が底から動くのだから、表面が不規則に曲線を描くのみで、砕けた部分はどこにもない。

円満に動くと云う語があるとすれば、こんな場合に用いられるのだろう。

落ちついて影をひたしていた山桜が、水と共に、延びたり縮んだり、曲がったり、くねったりする。

しかしどう変化してもやはり明らかに桜の姿を保っているところが非常に面白い。

「こいつは愉快だ。奇麗で、変化があって。こう云う風に動かなくっちゃ面白くない」

「人間もそう云う風にさえ動いていれば、いくら動いても大丈夫ですね」

「非人情でなくっちゃ、こうは動けませんよ」

「ホホホホ大変非人情が御好きだこと」

「あなた、だって嫌な方じゃありますまい。昨日きのうの振袖なんか……」と言いかけると、

「何か御褒美をちょうだい」と女は急に甘えるように云った。

「なぜです」

「見たいとおっしゃったから、わざわざ、見せて上げたんじゃありませんか」

「わたしがですか」

「山越をなさった画の先生が、茶店の婆さんにわざわざ御頼みになったそうで御座います」

●余は何と答えてよいやらちょっと挨拶が出なかった。女はすかさず、

「そんな忘れっぽい人に、いくら実をつくしても駄目ですわねえ」と嘲けるごとく、恨むがごとく、また真向から切りつけるがごとく二の矢をついだ。

だんだん旗色がわるくなるが、どこで盛り返したものか、いったん機先を制せられると、なかなか隙を見出しにくい。

「じゃ昨夕の風呂場も、全く御親切からなんですね」と際どいところでようやく立て直す。

●女は黙っている。

「どうも済みません。御礼に何を上げましょう」と出来るだけ先へ出て置く。

いくら出ても何の利目もなかった。女は何喰わぬ顔で大徹和尚の額を眺めている。やがて、

「竹影階を払って塵動かず」

と口のうちで静かに読み了って、また余の方へ向き直ったが、急に思い出したように、

「何ですって」

と、わざと大きな声で聞いた。その手は喰わない。

「その坊主にさっき逢いましたよ」と地震に揺れた池の水のように円満な動き方をして見せる。

「観海寺の和尚ですか。肥ってるでしょう」

「西洋画で唐紙をかいてくれって、云いましたよ。禅坊さんなんてものは随分訳のわからない事を云いますね」

「それだから、あんなに肥れるんでしょう」

「それから、もう一人若い人に逢いましたよ。……」

「久一でしょう」

「ええ久一君です」

「よく御存じです事」

「なに久一君だけ知ってるんです。そのほかには何にも知りゃしません。口を聞くのが嫌な人ですね」

「なに、遠慮しているんです。まだ小供ですから……」

「小供って、あなたと同じくらいじゃありませんか」

「ホホホホそうですか。あれは私わたくしの従弟ですが、今度戦地へ行くので、暇乞に来たのです」

「ここに留って、いるんですか」

「いいえ、兄の家におります」

「じゃ、わざわざ御茶を飲みに来た訳ですね」

「御茶より御白湯の方が好なんですよ。父がよせばいいのに、呼ぶものですから。

麻痺が切れて困ったでしょう。私がおれば中途から帰してやったんですが……」

「あなたはどこへいらしったんです。和尚が聞いていましたぜ、また一人ひとり散歩かって」

「ええ鏡の池の方を廻って来ました」

「その鏡の池へ、わたしも行きたいんだが……」

「行って御覧なさい」

「画にかくに好い所ですか」

「身を投げるに好い所です」

「身はまだなかなか投げないつもりです」

「私は近々投げるかも知れません」

●余りに女としては思い切った冗談だから、余はふと顔を上げた。女は存外たしかである。

「私が身を投げて浮いているところを――苦しんで浮いてるところじゃないんです――やすやすと往生して浮いているところを――奇麗な画にかいて下さい」

「え?」

「驚ろいた、驚ろいた、驚ろいたでしょう」

●女はすらりと立ち上る。三歩にして尽くる部屋の入口を出るとき、顧みてにこりと笑った。茫然たる事多時(たじ)。

   

 

●鏡が池へ来て見る。

観海寺の裏道の、杉の間から谷へ降りて、向うの山へ登らぬうちに、路は二股に岐れて、おのずから鏡が池の周囲となる。

池の縁には熊笹が多い。ある所は、左右から生い重なって、ほとんど音を立てずには通れない。

木の間から見ると、池の水は見えるが、どこで始まって、どこで終るか一応廻った上でないと見当がつかぬ。

あるいて見ると存外小さい。三丁ほどよりあるまい。

ただ非常に不規則な形ちで、ところどころに岩が自然のまま水際に横わっている。

縁の高さも、池の形の名状しがたいように、波を打って、色々な起伏を不規則に連ねている。

●池をめぐりては雑木が多い。何百本あるか勘定がし切れぬ。中には、まだ春の芽を吹いておらんのがある。

割合に枝の繁まない所は、依然として、うららかな春の日を受けて、萌え出でた下草さえある。

壺菫の淡き影が、ちらりちらりとその間に見える。

●日本の菫は眠っている感じである。「天来の奇想のように」、と形容した西人の句はとうていあてはまるまい。

こう思う途端に余の足はとまった。足がとまれば、厭になるまでそこにいる。いられるのは、幸福な人である。

東京でそんな事をすれば、すぐ電車に引き殺される。電車が殺さなければ巡査が追い立てる。

都会は太平の民を乞食と間違えて、掏摸の親分たる探偵に高い月俸を払う所である。

●余は草を茵(しとね)に太平の尻をそろりと卸した。ここならば、五六日こうしたなり動かないでも、誰も苦情を持ち出す気遣はない。

自然のありがたいところはここにある。いざとなると容赦も未練もない代りには、人に因って取り扱をかえるような軽薄な態度はすこしも見せない。

岩崎や三井を眼中に置かぬものは、いくらでもいる。冷然として古今帝王の権威を風馬牛し得るものは自然のみであろう。

自然の徳は高く塵界を超越して、対絶の平等観を無辺際に樹立している。

天下の羣小(ぐんしょう)を麾(さしまね)いで、いたずらにタイモンの憤りを招くよりは、蘭らんを九エンに滋(ま)き、ケイを百畦(けい)に樹えて、独りその裏(うち)に起臥する方が遥かに得策である。

余は公平と云い無私と云う。さほど大事だいじなものならば、日に千人の小賊を戮(りく)して、満圃の草花を彼らの屍に培養うがよかろう。

●何だか考が理に落ちていっこうつまらなくなった。こんな中学程度の観想を練りにわざわざ、鏡が池まで来はせぬ。

袂から煙草を出して、マッチをシュッと擦る。手応えはあったが火は見えない。敷島のさきに付けて吸ってみると、鼻から煙が出た。

なるほど、吸ったんだなとようやく気がついた。

マッチは短かい草のなかで、しばらく雨竜(あまりょう)のような細い煙りを吐いて、すぐ寂滅した。

席をずらせてだんだん水際まで出て見る。余が茵は天然に池のなかに、ながれ込んで、足を浸せば生温い水につくかも知れぬと云う間際で、とまる。水を覗いて見る。

●眼の届く所はさまで深そうにもない。底には細長い水草が、往生して沈んでいる。

余は往生と云うよりほかに形容すべき言葉を知らぬ。岡の薄(すすき)なら靡く事を知っている。藻の草ならば誘う波の情を待つ。

百年待っても動きそうもない、水の底に沈められたこの水草は、動くべきすべての姿勢を調えて、朝な夕なに、弄らるる期を、待ち暮らし、待ち明かし、幾代の思いを茎の先に籠めながら、今に至るまでついに動き得ずに、また死に切れずに、生きているらしい。

●余は立ち上がって、草の中から、手頃の石を二つ拾って来る。功徳になると思ったから、眼の先へ、一つ抛り込んでやる。

ぶくぶくと泡が二つ浮いて、すぐ消えた。すぐ消えた、すぐ消えたと、余は心のうちで繰り返す。

すかして見ると、三茎ほどの長い髪が、慵に揺れかかっている。

見つかってはと云わぬばかりに、濁った水が底の方から隠しに来る。南無阿弥陀仏。

●今度は思い切って、懸命に真中へなげる。ぽかんと幽に音がした。静かなるものは決して取り合わない。もう抛げる気も無くなった。

絵の具箱と帽子を置いたまま右手へ廻る。

●二間余りを爪先上がりに登る。頭の上には大きな樹がかぶさって、身体が急に寒くなる。向う岸の暗い所に椿が咲いている。

椿の葉は緑が深すぎて、昼見ても、日向で見ても、軽快な感じはない。

ことにこの椿は岩角を、奥へ二三間遠退いて、花がなければ、何があるか気のつかない所に森閑として、かたまっている。

その花が! 一日勘定しても無論勘定し切れぬほど多い。しかし眼がつけば是非勘定したくなるほど鮮かである。

ただ鮮かと云うばかりで、いっこう陽気な感じがない。ぱっと燃え立つようで、思わず、気を奪とられた、後あとは何だか凄くなる。

あれほど人を欺す花はない。余は深山椿を見るたびにいつでも妖女の姿を連想する。

黒い眼で人を釣り寄せて、しらぬ間に、嫣然たる毒を血管に吹く。欺かれたと悟った頃はすでに遅い。

向う側の椿が眼に入った時、余は、ええ、見なければよかったと思った。あの花の色はただの赤ではない。

眼を醒さますほどの派出やかさの奥に、言うに言われぬ沈んだ調子を持っている。

悄然として萎れる雨中の梨花には、ただ憐れな感じがする。冷やかに艶なる月下の海棠には、ただ愛らしい気持ちがする。

椿の沈んでいるのは全く違う。黒ずんだ、毒気のある、恐ろし味みを帯びた調子である。

この調子を底に持って、上部はどこまでも派出に装っている。しかも人に媚ぶる態もなければ、ことさらに人を招く様子も見えぬ。

ぱっと咲き、ぽたりと落ち、ぽたりと落ち、ぱっと咲いて、幾百年の星霜を、人目にかからぬ山陰に落ちつき払って暮らしている。

ただ一眼見たが最後! 見た人は彼女の魔力から金輪際、免るる事は出来ない。あの色はただの赤ではない。

屠られたる囚人の血が、自ずから人の眼を惹いて、自から人の心を不快にするごとく一種異様な赤である。

●見ていると、ぽたり赤い奴が水の上に落ちた。静かな春に動いたものはただこの一輪である。

しばらくするとまたぽたり落ちた。あの花は決して散らない。崩れるよりも、かたまったまま枝を離れる。

枝を離れるときは一度に離れるから、未練のないように見えるが、落ちてもかたまっているところは、何となく毒々しい。

またぽたり落ちる。ああやって落ちているうちに、池の水が赤くなるだろうと考えた。

花が静かに浮いている辺は今でも少々赤いような気がする。

また落ちた。地の上へ落ちたのか、水の上へ落ちたのか、区別がつかぬくらい静かに浮く。また落ちる。

あれが沈む事があるだろうかと思う。

年々落ち尽す幾万輪の椿は、水につかって、色が溶け出して、腐って泥になって、ようやく底に沈むのかしらん。

幾千年の後にはこの古池が、人の知らぬ間に、落ちた椿のために、埋うずもれて、元の平地に戻るかも知れぬ。

また一つ大きいのが血を塗った、人魂のように落ちる。また落ちる。ぽたりぽたりと落ちる。際限なく落ちる。

●こんな所へ美しい女の浮いているところをかいたら、どうだろうと思いながら、元の所へ帰って、また煙草を呑のんで、ぼんやり考え込む。

温泉場(ゆば)の御那美さんが昨日冗談に云った言葉が、うねりを打って、記憶のうちに寄せてくる。

心は大浪にのる一枚の板子のように揺れる。あの顔を種にして、あの椿の下に浮かせて、上から椿を幾輪も落とす。

椿が長(とこしなえ)に落ちて、女が長えに水に浮いている感じをあらわしたいが、それが画でかけるだろうか。

かのラオコーンには――ラオコーンなどはどうでも構わない。

原理に背いても、背かなくっても、そう云う心持ちさえ出ればいい。

しかし人間を離れないで人間以上の永久と云う感じを出すのは容易な事ではない。

第一顔に困る。あの顔を借りるにしても、あの表情では駄目だ。苦痛が勝ってはすべてを打ち壊わしてしまう。

と云ってむやみに気楽ではなお困る。一層ほかの顔にしては、どうだろう。あれか、これかと指を折って見るが、どうも思わしくない。

やはり御那美さんの顔が一番似合うようだ。しかし何だか物足らない。

物足らないとまでは気がつくが、どこが物足らないかが、吾ながら不明である。

したがって自己の想像でいい加減に作り易かえる訳に行かない。

あれに嫉妬を加えたら、どうだろう。嫉妬では不安の感が多過ぎる。

憎悪はどうだろう。憎悪は烈げし過ぎる。怒いかり? 怒では全然調和を破る。

恨うらみ? 恨でも春恨とか云う、詩的のものならば格別、ただの恨では余り俗である。

いろいろに考えた末、しまいにようやくこれだと気がついた。

多くある情緒のうちで、憐れと云う字のあるのを忘れていた。

憐れは神の知らぬ情で、しかも神にもっとも近き人間の情である。

御那美さんの表情のうちにはこの憐れの念が少しもあらわれておらぬ。

そこが物足らぬのである。ある咄嗟の衝動で、この情があの女の眉宇にひらめいた瞬時に、わが画は成就するであろう。

しかし――いつそれが見られるか解らない。

あの女の顔に普段充満しているものは、人を馬鹿にする微笑いと、勝とう、勝とうと焦せる八の字のみである。

あれだけでは、とても物にならない。

●がさりがさりと足音がする。胸裏の図案は三分二で崩れた。見ると、筒袖を着た男が、背へ薪を載せて、熊笹のなかを観海寺の方へわたってくる。隣りの山からおりて来たのだろう。

「よい御天気で」と手拭をとって挨拶する。腰を屈かがめる途端に、三尺帯に落おとした鉈の刃がぴかりと光った。

四十恰好の逞しい男である。どこかで見たようだ。男は旧知のように馴々(なれなれ)しい。

「旦那も画を御描きなさるか」余の絵の具箱は開けてあった。

「ああ。この池でも画こうと思って来て見たが、淋しい所だね。誰も通らない」

「はあい。まことに山の中で……旦那あ、峠で御降られなさって、さぞ御困りでござんしたろ」

「え? うん御前はあの時の馬子さんだね」

「はあい。こうやって薪を切っては城下かへ持って出ます」と源兵衛は荷を卸して、その上へ腰をかける。

煙草入を出す。古いものだ。紙だか革かわだか分らない。余はマッチを借かしてやる。

「あんな所を毎日越すなあ大変だね」

「なあに、馴れていますから――それに毎日は越しません。三日に一返、ことによると四日目くらいになります」

「四日に一返でも御免だ」

「アハハハハ。馬が不憫ですから四日目くらいにして置きます」

「そりゃあ、どうも。自分より馬の方が大事なんだね。ハハハハ」

「それほどでもないんで……」

「時にこの池はよほど古いもんだね。全体いつ頃からあるんだい」

「昔からありますよ」

「昔から? どのくらい昔から?」

「なんでもよっぽど古い昔から」

「よっぽど古い昔しからか。なるほど」

「なんでも昔し、志保田の嬢様が、身を投げた時分からありますよ」

「志保田って、あの温泉場ゆばのかい」

「はあい」

「御嬢さんが身を投げたって、現に達者でいるじゃないか」

「いんにえ。あの嬢さまじゃない。ずっと昔の嬢様が」

「ずっと昔の嬢様。いつ頃かね、それは」

「なんでも、よほど昔しの嬢様で……」

「その昔の嬢様が、どうしてまた身を投げたんだい」

「その嬢様は、やはり今の嬢様のように美しい嬢様であったそうながな、旦那様」

「うん」

「すると、ある日、一人ひとりの梵論字が来て……」

「梵論字と云うと虚無僧の事かい」

「はあい。あの尺八を吹く梵論字の事でござんす。

その梵論字が志保田の庄屋へ逗留しているうちに、その美くしい嬢様が、その梵論字を見染みそめて

――因果と申しますか、どうしてもいっしょになりたいと云うて、泣きました」

「泣きました。ふうん」

「ところが庄屋どのが、聞き入れません。梵論字は聟にはならんと云うて。とうとう追い出しました」

「その虚無僧をかい」

「はあい。そこで嬢様が、梵論字のあとを追うてここまで来て、――あの向うに見える松の所から、身を投げて、――とうとう、えらい騒ぎになりました。その時何でも一枚の鏡を持っていたとか申し伝えておりますよ。それでこの池を今でも鏡が池と申しまする」

「へええ。じゃ、もう身を投げたものがあるんだね」

「まことに怪しからん事でござんす」

「何代くらい前の事かい。それは」

「なんでもよっぽど昔の事でござんすそうな。それから――これはここ限りの話だが、旦那さん」

「何だい」

「あの志保田の家には、代々だいだい気狂が出来ます」

「へええ」

「全く祟りでござんす。今の嬢様も、近頃は少し変だ云うて、皆が囃します」

「ハハハハそんな事はなかろう」

「ござんせんかな。しかしあの御袋様がやはり少し変でな」

「うちにいるのかい」

「いいえ、去年亡なくなりました」

「ふん」と余は煙草の吸殻から細い煙の立つのを見て、口を閉じた。源兵衛は薪まきを背せにして去る。

●画をかきに来て、こんな事を考えたり、こんな話しを聴くばかりでは、何日かかっても一枚も出来っこない。

せっかく絵の具箱まで持ち出した以上、今日は義理にも下絵をとって行こう。

幸、向側の景色は、あれなりで略纏ほぼまとまっている。あすこでも申し訳にちょっと描かこう。

●一丈余りの蒼黒岩が、真直に池の底から突き出して、濃き水の折れ曲る角に、嵯々と構える右側には、例の熊笹が断崖の上から水際まで、一寸の隙間なく叢生している。

上には三抱ほどの大きな松が、若蔦にからまれた幹を、斜めに捩って、半分以上水の面へ乗り出している。

鏡を懐にした女は、あの岩の上からでも飛んだものだろう。

●三脚几に尻を据えて、面画に入るべき材料を見渡す。松と、笹と、岩と水であるが、さて水はどこでとめてよいか分らぬ。

岩の高さが一丈あれば、影も一丈ある。

熊笹は、水際でとまらずに、水の中まで茂り込んでいるかと怪まるるくらい、鮮やかに水底まで写っている。

松に至っては空に聳ゆる高さが、見上げらるるだけ、影もまたすこぶる細長い。

眼に写っただけの寸法ではとうてい収りがつかない。

一層の事、実物をやめて影だけ描くのも一興だろう。

水をかいて、水の中の影をかいて、そうして、これが画だと人に見せたら驚ろくだろう。

しかしただ驚ろかせるだけではつまらない。なるほど画になっていると驚かせなければつまらない。

どう工夫をしたものだろうと、一心に池の面おもを見詰める。

●奇体なもので、影だけ眺ながめていてはいっこう画にならん。実物と見比べて工夫がして見たくなる。

余は水面から眸を転じて、そろりそろりと上の方へ視線を移して行く。

一丈の巌を、影の先から、水際の継目まで眺めて、継目から次第に水の上に出る。

潤沢の気合から、皴皺(しゅんしゅ)の模様を逐一吟味してだんだんと登って行く。

ようやく登り詰めて、余の双眼が今危巌の頂きに達したるとき、余は蛇に睨まれた蟇ひきのごとく、はたりと画筆を取り落した。

●緑の枝を通す夕日を背に、暮れんとする晩春の蒼黒く巌頭を彩る中に、楚然そぜんとして織り出されたる女の顔は、

――花下かかに余を驚かし、まぼろしに余を驚ろかし、振袖に余を驚かし、風呂場に余を驚かしたる女の顔である。

●余が視線は、蒼白き女の顔の真中にぐさと釘付にされたぎり動かない。

女もしなやかなる体躯を伸のせるだけ伸して、高い巌の上に一指も動かさずに立っている。この一刹那!

●余は覚えず飛び上った。女はひらりと身をひねる。帯の間に椿の花の如く赤いものが、ちらついたと思ったら、すでに向うへ飛び下りた。

夕日は樹梢(じゅしょう)を掠めて、幽かに松の幹を染むる。熊笹はいよいよ青い。

●また驚かされた。

  

十一

●山里の朧に乗じてそぞろ歩く。観海寺の石段を登りながら仰数(あおぎかぞう)春星(しゅんせい)一二三と云う句を得た。

余は別に和尚に逢う用事もない。逢うて雑話をする気もない。

偶然と宿を出いでて足の向くところに任せてぶらぶらするうち、ついこの石磴の下に出た。

しばらく不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)と云う石を撫でて立っていたが、急にうれしくなって、登り出したのである。

●トリストラム・シャンデーと云う書物のなかに、この書物ほど神の御覚召に叶うた書き方はないとある。

最初の一句はともかくも自力で綴る。あとはひたすらに神を念じて、筆の動くに任せる。

何をかくか自分には無論見当がつかぬ。かく者は自己であるが、かく事は神の事である。したがって責任は著者にはないそうだ。

余が散歩もまたこの流儀を汲んだ、無責任の散歩である。ただ神を頼まぬだけが一層の無責任である。

スターンは自分の責任を免れると同時にこれを在天の神に嫁した。引き受けてくれる神を持たぬ余はついにこれを泥溝の中に棄すてた。

●石段を登るにも骨を折っては登らない。骨が折れるくらいなら、すぐ引き返す。一段登って佇むとき何となく愉快だ。

それだから二段登る。二段目に詩が作りたくなる。黙然として、吾影を見る。角石しに遮られて三段に切れているのは妙だ。

妙だからまた登る。仰いで天を望む。寝ぼけた奥から、小さい星がしきりに瞬まばたきをする。

句になると思って、また登る。かくして、余はとうとう、上まで登り詰めた。

●石段の上で思い出す。昔し鎌倉へ遊びに行って、いわゆる五山なるものを、ぐるぐる尋ねて廻った時、たしか円覚寺の塔頭であったろう、やはりこんな風に石段をのそりのそりと登って行くと、門内から、黄きな法衣ころもを着た、頭の鉢はちの開いた坊主が出て来た。

余は上る、坊主は下る。すれ違った時、坊主が鋭どい声でどこへ御出なさると問うた。

余はただ境内を拝見にと答えて、同時に足を停とめたら、坊主は直ちに、何もありませんぞと言い捨てて、すたすた下りて行った。

あまり洒落だから、余は少しく先を越された気味で、段上に立って、坊主を見送ると、坊主は、かの鉢の開いた頭を、振り立て振り立て、ついに姿を杉の木の間に隠した。

その間かつて一度も振り返った事はない。なるほど禅僧は面白い。きびきびしているなと、のっそり山門を這入はいって、見ると、広い庫裏くりも本堂も、がらんとして、人影はまるでない。

余はその時に心からうれしく感じた。世の中にこんな洒落な人があって、こんな洒落に、人を取り扱ってくれたかと思うと、何となく気分が晴々した。

禅を心得ていたからと云う訳ではない。禅のぜの字もいまだに知らぬ。ただあの鉢の開いた坊主の所作しょさが気に入ったのである。

●世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上ずうずうしい、いやな奴やつで埋うずまっている。

元来何しに世の中へ面つらを曝さらしているんだか、解げしかねる奴さえいる。

しかもそんな面に限って大きいものだ。浮世の風にあたる面積の多いのをもって、さも名誉のごとく心得ている。

五年も十年も人の臀しりに探偵たんていをつけて、人のひる屁への勘定をして、それが人世だと思ってる。

そうして人の前へ出て来て、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと頼みもせぬ事を教える。

前へ出て云うなら、それも参考にして、やらんでもないが、後うしろの方から、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと云う。

うるさいと云えばなおなお云う。よせと云えばますます云う。分ったと云っても、屁をいくつ、ひった、ひったと云う。そうしてそれが処世の方針だと云う。

方針は人々にんにん勝手である。ただひったひったと云わずに黙って方針を立てるがいい。

人の邪魔になる方針は差さし控ひかえるのが礼儀だ。

邪魔にならなければ方針が立たぬと云うなら、こっちも屁をひるのをもって、こっちの方針とするばかりだ。そうなったら日本も運の尽きだろう。

●こうやって、美しい春の夜に、何らの方針も立てずに、あるいてるのは実際高尚だ。

興来きたれば興来るをもって方針とする。興去れば興去るをもって方針とする。

句を得れば、得たところに方針が立つ。得なければ、得ないところに方針が立つ。しかも誰の迷惑にもならない。

これが真正の方針である。屁を勘定するのは人身攻撃の方針で、屁をひるのは正当防禦ぼうぎょの方針で、こうやって観海寺の石段を登るのは随縁放曠の方針である。

●仰数あおぎかぞう春星しゅんせい一二三の句を得て、石磴せきとうを登りつくしたる時、朧にひかる春の海が帯のごとくに見えた。山門を入る。絶句ぜっくは纏まとめる気にならなくなった。即座にやめにする方針を立てる。

●石を甃たたんで庫裡に通ずる一筋道の右側は、岡つつじの生垣いけがきで、垣の向むこうは墓場であろう。

左は本堂だ。屋根瓦やねがわらが高い所で、幽かすかに光る。

数万の甍に、数万の月が落ちたようだと見上みあげる。どこやらで鳩の声がしきりにする。

棟の下にでも住んでいるらしい。気のせいか、廂ひさしのあたりに白いものが、点々見える。糞ふんかも知れぬ。

●雨垂あまだれ落ちの所に、妙な影が一列に並んでいる。木とも見えぬ、草では無論ない。

感じから云うと岩佐又兵衛いわさまたべえのかいた、鬼おにの念仏ねんぶつが、念仏をやめて、踊りを踊っている姿である。

本堂の端はじから端まで、一列に行儀よく並んで躍おどっている。

その影がまた本堂の端から端まで一列に行儀よく並んで躍っている。

朧夜おぼろよにそそのかされて、鉦も撞木も、奉加帳も打ちすてて、誘さそい合あわせるや否やこの山寺やまでらへ踊りに来たのだろう。

●近寄って見ると大きな覇王樹(ぼてん)である。高さは七八尺もあろう、糸瓜へちまほどな青い黄瓜きゅうりを、杓子のように圧おしひしゃげて、柄の方を下に、上へ上へと継つぎ合あわせたように見える。

あの杓子がいくつ継つながったら、おしまいになるのか分らない。今夜のうちにも廂ひさしを突き破って、屋根瓦の上まで出そうだ。

あの杓子が出来る時には、何でも不意に、どこからか出て来て、ぴしゃりと飛びつくに違いない。

古い杓子が新しい小杓子を生んで、その小杓子が長い年月のうちにだんだん大きくなるようには思われない。

杓子と杓子の連続がいかにも突飛とっぴである。こんな滑稽こっけいな樹きはたんとあるまい。

しかも澄ましたものだ。いかなるこれ仏ぶつと問われて、庭前ていぜんの柏樹子と答えた僧があるよしだが、もし同様の問に接した場合には、余は一も二もなく、月下の覇王樹と応えるであろう。

●少時、晁補之ちょうほしと云う人の記行文を読んで、いまだに暗誦している句がある。

「時に九月天高く露清く、山空むなしく、月明あきらかに、仰いで星斗せいとを視みれば皆みな光大ひかりだい、たまたま人の上にあるがごとし、窓間の竹数十竿かん、相摩戞まかつして声切々せつせつやまず。

竹間の梅棕(ばいそう)森然(しんぜん)として鬼魅(きび)の離立笑ヒン(りりつしょうひん)の状のごとし。

二三子相顧み、魄はく動いて寝いぬるを得ず。遅明ちめい皆去る」とまた口の内で繰り返して見て、思わず笑った。

この覇王樹さぼてんも時と場合によれば、余の魄はくを動かして、見るや否や山を追い下げたであろう。刺に手を触れて見ると、いらいらと指をさす。

●石甃いしだたみを行き尽くして左へ折れると庫裏へ出る。庫裏の前に大きな木蓮がある。ほとんど一ひと抱かかえもあろう。

高さは庫裏の屋根を抜いている。見上げると頭の上は枝である。枝の上も、また枝である。

そうして枝の重なり合った上が月である。普通、枝がああ重なると、下から空は見えぬ。

花があればなお見えぬ。木蓮の枝はいくら重なっても、枝と枝の間はほがらかに隙すいている。

木蓮は樹下に立つ人の眼を乱すほどの細い枝をいたずらには張らぬ。花さえ明あきらかである。

この遥かなる下から見上げても一輪の花は、はっきりと一輪に見える。

その一輪がどこまで簇むらがって、どこまで咲いているか分らぬ。

それにもかかわらず一輪はついに一輪で、一輪と一輪の間から、薄青い空が判然はんぜんと望まれる。

花の色は無論純白ではない。いたずらに白いのは寒過ぎる。専もっぱらに白いのは、ことさらに人の眼を奪う巧たくみが見える。

木蓮の色はそれではない。極度の白きをわざと避さけて、あたたかみのある淡黄たんこうに、奥床くも自からを卑下している。

余は石甃の上に立って、このおとなしい花が累々るいるいとどこまでも空裏に蔓はびこる様さまを見上げて、しばらく茫然としていた。

眼に落つるのは花ばかりである。葉は一枚もない。

木蓮の花ばかりなる空を瞻みる

と云う句を得た。どこやらで、鳩がやさしく鳴き合うている。

 庫裏に入る。庫裏は明け放してある。盗人ぬすびとはおらぬ国と見える。狗いぬはもとより吠ほえぬ。

「御免」

と訪問おとずれる。森しんとして返事がない。

「頼む」

と案内を乞う。鳩の声がくううくううと聞える。

「頼みまああす」と大きな声を出す。

「おおおおおおお」と遥かの向むこうで答えたものがある。人の家を訪とうて、こんな返事を聞かされた事は決してない。

やがて足音が廊下へ響くと、紙燭しそくの影が、衝立ついたての向側にさした。小坊主がひょこりとあらわれる。了念んであった。

「和尚さんはおいでかい」

「おられる。何しにござった」

「温泉にいる画工が来たと、取次いでおくれ」

「画工さんか。それじゃ御上おあがり」

「断わらないでもいいのかい」

「よろしかろ」

●余は下駄を脱いで上がる。

「行儀がわるい画工さんじゃな」

「なぜ」

「下駄を、よう御揃おそろえなさい。そらここを御覧」と紙燭を差しつける。

黒い柱の真中に、土間から五尺ばかりの高さを見計みはからって、半紙を四つ切りにした上へ、何か認したためてある。

「そおら。読めたろ。脚下きゃっかを見よ、と書いてあるが」

「なるほど」と余は自分の下駄を丁寧に揃える。

 和尚の室へやは廊下を鍵かぎの手てに曲まがって、本堂の横手にある。

障子を恭うやうやしくあけて、恭しく敷居越しにつくばった了念が、

「あのう、志保田しほだから、画工さんが来られました」と云う。はなはだ恐縮の体ていである。余はちょっとおかしくなった。

「そうか、これへ」

●余は了念と入れ代る。室がすこぶる狭い。中に囲炉裏いろりを切って、鉄瓶てつびんが鳴る。

和尚は向側に書見しょけんをしていた。

「さあこれへ」と眼鏡めがねをはずして、書物を傍かたわらへおしやる。

「了念。りょううねええん」

「ははははい」

「座布団ざぶとんを上げんか」

「はははははい」と了念は遠くで、長い返事をする。

「よう、来られた。さぞ退屈だろ」

「あまり月がいいから、ぶらぶら来ました」

「いい月じゃな」と障子をあける。飛び石が二つ、松一本のほかには何もない、平庭ひらにわの向うは、すぐ懸崖けんがいと見えて、眼の下に朧夜おぼろよの海がたちまちに開ける。急に気が大きくなったような心持である。漁火がここ、かしこに、ちらついて、遥かの末は空に入って、星に化ばけるつもりだろう。

「これはいい景色。和尚おしょうさん、障子をしめているのはもったいないじゃありませんか」

「そうよ。しかし毎晩見ているからな」

「何晩いくばん見てもいいですよ、この景色は。私なら寝ずに見ています」

「ハハハハ。もっともあなたは画工えかきだから、わしとは少し違うて」

「和尚さんだって、うつくしいと思ってるうちは画工でさあ」

「なるほどそれもそうじゃろ。わしも達磨だるまの画えぐらいはこれで、かくがの。そら、ここに掛けてある、この軸じくは先代がかかれたのじゃが、なかなかようかいとる」

●なるほど達磨の画が小さい床とこに掛っている。しかし画としてはすこぶるまずいものだ。ただ俗気ぞっきがない。拙せつを蔽おおおうと力つとめているところが一つもない。無邪気な画だ。この先代もやはりこの画のような構わない人であったんだろう。

「無邪気な画ですね」

「わしらのかく画はそれで沢山じゃ。気象きしょうさえあらわれておれば……」

「上手で俗気があるのより、いいです」

「ははははまあ、そうでも、賞ほめて置いてもらおう。時に近頃は画工にも博士があるかの」

「画工の博士はありませんよ」

「あ、そうか。この間、何でも博士に一人逢おうた」

「へええ」

「博士と云うとえらいものじゃろな」

「ええ。えらいんでしょう」

「画工にも博士がありそうなものじゃがな。なぜ無いだろう」

「そういえば、和尚さんの方にも博士がなけりゃならないでしょう」

「ハハハハまあ、そんなものかな。――何とか云う人じゃったて、この間逢うた人は――どこぞに名刺があるはずだが……」

「どこで御逢いです、東京ですか」

「いやここで、東京へは、も二十年も出ん。近頃は電車とか云うものが出来たそうじゃが、ちょっと乗って見たいような気がする」

「つまらんものですよ。やかましくって」

「そうかな。蜀犬日に吠ほえ、呉牛ごぎゅう月に喘あえぐと云うから、わしのような田舎者いなかものは、かえって困るかも知れんてのう」

「困りゃしませんがね。つまらんですよ」

「そうかな」

●鉄瓶てつびんの口から煙が盛さかんに出る。和尚おしょうは茶箪笥ちゃだんすから茶器を取り出して、茶を注ついでくれる。

「番茶を一つ御上おあがり。志保田の隠居さんのような甘うまい茶じゃない」

「いえ結構です」

「あなたは、そうやって、方々あるくように見受けるがやはり画えをかくためかの」

「ええ。道具だけは持ってあるきますが、画はかかないでも構わないんです」

「はあ、それじゃ遊び半分かの」

「そうですね。そう云っても善いいでしょう。屁への勘定かんじょうをされるのが、いやですからね」

●さすがの禅僧も、この語だけは解げしかねたと見える。

「屁の勘定た何かな」

「東京に永くいると屁の勘定をされますよ」

「どうして」

「ハハハハハ勘定だけならいいですが。人の屁を分析して、臀しりの穴が三角だの、四角だのって余計な事をやりますよ」

「はあ、やはり衛生の方かな」

「衛生じゃありません。探偵たんていの方です」

「探偵? なるほど、それじゃ警察じゃの。いったい警察の、巡査のて、何の役に立つかの。なけりゃならんかいの」

「そうですね、画工えかきには入いりませんね」

「わしにも入らんがな。わしはまだ巡査の厄介やっかいになった事がない」

「そうでしょう」

「しかし、いくら警察が屁の勘定をしたてて、構わんがな。澄すましていたら。

自分にわるい事がなけりゃ、なんぼ警察じゃて、どうもなるまいがな」

「屁くらいで、どうかされちゃたまりません」

「わしが小坊主のとき、先代がよう云われた。人間は日本橋の真中に臓腑ぞうふをさらけ出して、恥ずかしくないようにしなければ修業を積んだとは云われんてな。あなたもそれまで修業をしたらよかろ。旅などはせんでも済むようになる」

「画工になり澄ませば、いつでもそうなれます」

「それじゃ画工になり澄したらよかろ」

「屁の勘定をされちゃ、なり切れませんよ」

「ハハハハ。それ御覧。あの、あなたの泊とまっている、志保田の御那美さんも、嫁に入いって帰ってきてから、どうもいろいろな事が気になってならん、ならんと云うてしまいにとうとう、わしの所へ法ほうを問いに来たじゃて。

ところが近頃はだいぶ出来てきて、そら、御覧。あのような訳わけのわかった女になったじゃて」

「へええ、どうもただの女じゃないと思いました」

「いやなかなか機鋒きほうの鋭するどい女で――わしの所へ修業に来ていた泰安たいあんと云う若僧にゃくそうも、あの女のために、ふとした事から大事だいじを窮明きゅうめいせんならん因縁いんねんに逢着ほうちゃくして――今によい智識ちしきになるようじゃ」

●静かな庭に、松の影が落ちる、遠くの海は、空の光りに応こたうるがごとく、応えざるがごとく、有耶無耶うやむやのうちに微かすかなる、耀かがやきを放つ。漁火いさりびは明滅す。

「あの松の影を御覧」

「奇麗きれいですな」

「ただ奇麗かな」

「ええ」

「奇麗な上に、風が吹いても苦にしない」

 

●茶碗に余った渋茶を飲み干して、糸底(いとぞこ)を上に、茶托(ちゃたく)へ伏せて、立ち上る。

「門まで送ってあげよう。りょううねええん。御客が御帰おかえりだぞよ」

●送られて、庫裏(くり)を出ると、鳩がくううくううと鳴く。

「鳩ほど可愛いものはない、わしが、手をたたくと、みな飛んでくる。呼んで見よか」

●月はいよいよ明るい。しんしんとして、木蓮は幾朶(いくだ)の雲華(うんげ)を空裏(くうり)にささげている。

ケツ寥たる春夜の真中に、和尚ははたと掌を拍うつ。声は風中に死して一羽の鳩も下りぬ。

「下りんかいな。下りそうなものじゃが」

●了念は余の顔を見て、ちょっと笑った。和尚は鳩の眼が夜でも見えると思うているらしい。気楽なものだ。

●山門の所で、余は二人に別れる。見返えると、大きな丸い影と、小さな丸い影が、石甃(いしだたみ)の上に落ちて、前後して庫裏の方に消えて行く。

 

十二

●キリストは最高度に芸術家の態度を具足したるものなりとは、オスカー・ワイルドの説と記憶している。

キリストは知らず。観海寺の和尚のごときは、まさしくこの資格を有していると思う。

趣味があると云う意味ではない。時勢に通じていると云う訳でもない。

彼は画と云う名のほとんど下くだすべからざる達磨の幅を掛けて、ようできたなどと得意である。

彼は画工(えかき)に博士があるものと心得ている。彼は鳩の眼を夜でも利きくものと思っている。

それにも関かかわらず、芸術家の資格があると云う。彼の心は底のない嚢ふくろのように行き抜けである。

何にも停滞しておらん。随処に動き去り、任意に作なし去って、些さの塵滓の腹部に沈澱する景色がない。

もし彼の脳裏に一点の趣味を貼(ちょう)し得たならば、彼は之ゆく所に同化して、行屎走尿(こうしそうにょう)の際にも、完全たる芸術家として存在し得るだろう。

余のごときは、探偵に屁の数を勘定される間は、とうてい画家にはなれない。

画架に向う事は出来る。小手板(こていた)を握る事は出来る。しかし画工にはなれない。

こうやって、名も知らぬ山里へ来て、暮れんとする春色(しゅんしょく)のなかに五尺の痩躯(そうく)を埋めつくして、始めて、真の芸術家たるべき態度に吾身を置き得るのである。

一たびこの境界(きょうがい)に入れば美の天下はわが有に帰する。

尺素(せきそ)を染めず、寸ケンを塗らざるも、われは第一流の大画工である。

技において、ミケルアンゼロに及ばず、巧みなる事ラフハエルに譲る事ありとも、芸術家たるの人格において、古今の大家と歩武(ほぶ)を斉(ひとし)ゅうして、毫ごうも遜(ゆず)るところを見出し得ない。

余はこの温泉場へ来てから、まだ一枚の画もかかない。絵の具箱は酔興に、担いできたかの感さえある。

人はあれでも画家かと嗤うかもしれぬ。いくら嗤われても、今の余は真の画家である。

立派な画家である。こう云う境を得たものが、名画をかくとは限らん。しかし名画をかき得る人は必ずこの境を知らねばならん。

●朝飯をすまして、一本の敷島をゆたかに吹かしたるときの余の観想は以上のごとくである。

日は霞を離れて高く上っている。障子じをあけて、後の山を眺めたら、蒼い樹が非常にすき通って、例になく鮮やかに見えた。

●余は常に空気と、物象と、彩色の関係を宇宙(よのなか)でもっとも興味ある研究の一と考えている。

色を主にして空気を出すか、物を主にして、空気をかくか。または空気を主にしてそのうちに色と物とを織り出すか。

画は少しの気合一つでいろいろな調子が出る。この調子は画家自身の嗜好で異なってくる。

それは無論であるが、時と場所とで、自ずから制限されるのもまた当前である。

英国人のかいた山水に明るいものは一つもない。明るい画が嫌いなのかも知れぬが、よし好きであっても、あの空気では、どうする事も出来ない。

同じ英人でもグーダルなどは色の調子がまるで違う。違うはずである。

彼は英人でありながら、かつて英国の景色をかいた事がない。彼の画題は彼の郷土にはない。

彼の本国に比すると、空気の透明の度の非常に勝っている、エジプトまたはペルシャへんの光景のみを択んでいる。

したがって彼のかいた画を、始めて見ると誰も驚ろく。

英人にもこんな明かな色を出すものがあるかと疑うくらい判然(はっきり)出来上っている。

●個人の嗜好はどうする事も出来ん。

しかし日本の山水を描くのが主意であるならば、吾々もまた日本固有の空気と色を出さなければならん。

いくらフランスの絵がうまいと云って、その色をそのままに写して、これが日本の景色だとは云われない。

やはり(面)まのあたり自然に接して、朝な夕なに雲容煙態(うんようえんたい)を研究したあげく、あの色こそと思ったとき、すぐ三脚几を担いで飛び出さなければならん。

色は刹那に移る。一たび機を失すれば、同じ色は容易に眼には落ちぬ。

余が今見上げた山の端には、滅多にこの辺で見る事の出来ないほどな好い色が充ちている。せっかく来て、あれを逃がすのは惜しいものだ。ちょっと写してきよう。

●襖をあけて、椽側へ出ると、向う二階の障子に身を倚たして、那美さんが立っている。

顋あごを襟のなかへ埋めて、横顔だけしか見えぬ。余が挨拶をしようと思う途端に、女は、左の手を落としたまま、右の手を風のごとく動かした。

閃くは稲妻か、二折れ三折みおれ胸のあたりを、するりと走るや否いなや、かちりと音がして、閃めきはすぐ消えた。

女の左り手には九寸すん五分ぶの白鞘(しらさや)がある。

姿はたちまち障子の影に隠れた。余は朝っぱらから歌舞伎座を覗いた気で宿を出る。

●門を出て、左へ切れると、すぐ岨道(そばみち)つづきの、爪上(つまあがり)になる。鶯が所々で鳴く。

左り手がなだらかな谷へ落ちて、蜜柑が一面に植えてある。右には高からぬ岡が二つほど並んで、ここにもあるは蜜柑のみと思われる。

何年前か一度この地に来た。指を折るのも面倒だ。何でも寒い師走の頃であった。

その時蜜柑山に蜜柑がべた生なりに生る景色を始めて見た。

蜜柑取りに一枝売ってくれと云ったら、幾顆(いくつ)でも上げますよ、持っていらっしゃいと答えて、樹の上で妙な節ふしの唄をうたい出した。

東京では蜜柑の皮でさえ薬種屋(やくしゅや)へ買いに行かねばならぬのにと思った。

夜になると、しきりに銃(つつ)の音がする。何だと聞いたら、猟師が鴨をとるんだと教えてくれた。

その時は那美さんの、なの字も知らずに済んだ。

●あの女を役者にしたら、立派な女形が出来る。普通の役者は、舞台へ出ると、よそ行きの芸をする。

あの女は家のなかで、常住(じょうじゅう)芝居をしている。しかも芝居をしているとは気がつかん。

自然天然に芝居をしている。あんなのを美的生活とでも云うのだろう。あの女の御蔭で画の修業がだいぶ出来た。

●あの女の所作を芝居と見なければ、薄気味がわるくて一日もいたたまれん。

義理とか人情とか云う、尋常の道具立を背景にして、普通の小説家のような観察点からあの女を研究したら、刺激が強過ぎて、すぐいやになる。

現実世界に在あって、余とあの女の間に纏綿(てんめん)した一種の関係が成り立ったとするならば、余の苦痛は恐らく言語に絶するだろう。

余のこのたびの旅行は俗情を離れて、あくまで画工になり切るのが主意であるから、眼に入るものはことごとく画として見なければならん。

能、芝居、もしくは詩中の人物としてのみ観察しなければならん。

この覚悟の眼鏡から、あの女を覗ぞいて見ると、あの女は、今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする。

自分でうつくしい芸をして見せると云う気がないだけに役者の所作よりもなおうつくしい。

●こんな考えをもつ余を、誤解してはならん。

社会の公民として不適当だなどと評してはもっとも不届きである。

善は行い難い、徳は施しにくい、節操は守り安からぬ、義のために命を捨てるのは惜しい。

これらをあえてするのは何人(なんびと)に取っても苦痛である。

その苦痛を冒すためには、苦痛に打ち勝つだけの愉快がどこかに潜んでおらねばならん。

画と云うも、詩と云うも、あるは芝居と云うも、この悲酸のうちに籠る快感の別号に過ぎん。

この趣きを解し得て、始めて吾人の所作は壮烈にもなる、閑雅にもなる、すべての困苦に打ち勝って、胸中の一点の無上趣味を満足せしめたくなる。

肉体の苦しみを度外に置いて、物質上の不便を物とも思わず、勇猛精進の心を駆って、人道のために、鼎カクに烹らるるを面白く思う。

もし人情なる狭き立脚地に立って、芸術の定義を下し得るとすれば、芸術は、われら教育ある士人の胸裏に潜んで、邪を避け正に就き、曲を斥け直にくみし、弱を扶け強を挫かねば、どうしても堪えられぬと云う一念の結晶して、燦として白日を射返すものである。

●芝居気があると人の行為を笑う事がある。

うつくしき趣味を貫かんがために、不必要なる犠牲をあえてするの人情に遠きを嗤うのである。

自然にうつくしき性格を発揮するの機会を待たずして、無理矢理に自己の趣味観を衒うの愚を笑うのである。

真に個中の消息を解し得たるものの嗤うはその意を得ている。

趣味の何物たるをも心得ぬ下司下郎の、わが卑しき心根に比較して他を賤しむに至っては許しがたい。

昔し巌頭の吟を遺して、五十丈の飛瀑を直下して急湍に赴いた青年がある。

余の視るところにては、彼の青年は美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるものと思う。

死そのものは洵に壮烈である、ただその死を促がすの動機に至っては解しがたい。

されども死そのものの壮烈をだに体し得ざるものが、いかにして藤村子の所作を嗤い得べき。

彼らは壮烈の最後を遂ぐるの情趣を味い得ざるが故ゆえに、たとい正当の事情のもとにも、とうてい壮烈の最後を遂げ得べからざる制限ある点において、藤村子よりは人格として劣等であるから、嗤う権利がないものと余は主張する。

●余は画工である。画工であればこそ趣味専門の男として、たとい人情世界に堕在するも、東西両隣りの没風流漢よりも高尚である。

社会の一員として優に他を教育すべき地位に立っている。

詩なきもの、画なきもの、芸術のたしなみなきものよりは、

美くしき所作が出来る。人情世界にあって、美くしき所作は正である、義である、直である。

正と義と直を行為の上において示すものは天下の公民の模範である。

●しばらく人情界を離れたる余は、少なくともこの旅中に人情界に帰る必要はない。

あってはせっかくの旅が無駄になる。人情世界から、じゃりじゃりする砂をふるって、底にあまる、うつくしい金のみを眺めて暮さなければならぬ。

余自らも社会の一員をもって任じてはおらぬ。

純粋なる専門画家として、己れさえ、纏綿たる利害の累索を絶って、優に画布裏に往来している。

いわんや山をや水をや他人をや。

那美さんの行為動作といえどもただそのままの姿と見るよりほかに致し方がない。

●三丁ほど上ると、向うに白壁の一構が見える。蜜柑のなかの住居だなと思う。道は間もなく二筋に切れる。

白壁を横に見て左りへ折れる時、振り返ったら、下から赤い腰巻をした娘が上ってくる。

腰巻がしだいに尽きて、下から茶色の脛が出る。脛が出切ったら、藁草履になって、その藁草履がだんだん動いて来る。

頭の上に山桜が落ちかかる。背中には光る海を負ている。

●岨道を登り切ると、山の出鼻の平な所へ出た。北側は翠りを畳む春の峰で、今朝椽から仰いだあたりかも知れない。

南側には焼野とも云うべき地勢が幅半丁ほど広がって、末は崩れた崖となる。

崖の下は今過ぎた蜜柑山で、村を跨いで向を見れば、眼に入るものは言わずも知れた青海である。

●路は幾筋もあるが、合うては別れ、別れては合うから、どれが本筋とも認められぬ。

どれも路である代りに、どれも路でない。草のなかに、黒赤い地が、見えたり隠れたりして、どの筋につながるか見分のつかぬところに変化があって面白い。

●どこへ腰を据えたものかと、草のなかを遠近(おちこち)と徘徊する。

椽から見たときは画になると思った景色も、いざとなると存外纏まらない。

色もしだいに変ってくる。草原をのそつくうちに、いつしか描く気がなくなった。

描かぬとすれば、地位は構わん、どこへでも坐った所がわが住居である。

染み込んだ春の日が、深く草の根に籠って、どっかと尻を卸すと、眼に入らぬ陽炎を踏み潰したような心持ちがする。

●海は足の下に光る。遮ぎる雲の一片さえ持たぬ春の日影は、普ねく水の上を照らして、いつの間にかほとぼりは波の底まで浸しみ渡ったと思わるるほど暖かに見える。

色は一刷毛の紺青を平らに流したる所々に、しろかねの細鱗を畳んで濃やかに動いている。

春の日は限り無き天が下を照らして、天が下は限りなき水を湛えたる間には、白き帆が小指の爪ほどに見えるのみである。

しかもその帆は全く動かない。往昔入貢(そのかみにゅうこう)の高麗船(こまぶね)が遠くから渡ってくるときには、あんなに見えたであろう。

そのほかは大千世界を極めて、照らす日の世、照らさるる海の世のみである。

●ごろりと寝る。帽子が額をすべって、やけに阿弥陀となる。所々の草を一二尺抽いて、木瓜の小株が茂っている。

余が顔はちょうどその一つの前に落ちた。木瓜は面白い花である。枝は頑固で、かつて曲った事がない。

そんなら真直かと云うと、けっして真直でもない。

ただ真直な短かい枝に、真直な短かい枝が、ある角度で衝突して、斜に構えつつ全体が出来上っている。

そこへ、紅だか白だか要領を得ぬ花が安閑と咲く。柔かい葉さえちらちら着ける。

評して見ると木瓜は花のうちで、愚かにして悟ったものであろう。

世間には拙を守ると云う人がある。この人が来世に生れ変るときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい。

●小供のうち花の咲いた、葉のついた木瓜を切って、面白く枝振を作って、筆架をこしらえた事がある。

それへ二銭五厘の水筆を立てかけて、白い穂が花と葉の間から、隠見するのを机へ載せて楽んだ。

その日は木瓜の筆架ばかり気にして寝た。

あくる日、眼が覚めるや否や、飛び起きて、机の前へ行って見ると、花は萎え葉は枯れて、白い穂だけが元のごとく光っている。

あんなに奇麗なものが、どうして、こう一晩のうちに、枯れるだろうと、その時は不審の念に堪えなかった。

今思うとその時分の方がよほど出世間的である。

●寝ねるや否や眼についた木瓜は二十年来の旧知己である。

見詰めているとしだいに気が遠くなって、いい心持ちになる。また詩興が浮ぶ。

●寝ながら考える。一句を得るごとに写生帖に記しるして行く。しばらくして出来上ったようだ。始めから読み直して見る。

出門多所思。春風吹吾衣。芳草生車轍。廃道入霞微。停 而矚目。万象帯晴暉。

聴黄鳥宛転。観落英紛霏。行尽平蕪遠。題詩古寺扉。孤愁高雲際。大空断鴻帰。

寸心何窈窕。縹緲忘是非。三十我欲老。韶光猶依々。逍遥随物化。悠然対芬菲。

●ああ出来た、出来た。これで出来た。寝ながら木瓜を観て、世の中を忘れている感じがよく出た。

木瓜が出なくっても、海が出なくっても、感じさえ出ればそれで結構である。

と唸りながら、喜んでいると、エヘンと云う人間の咳払が聞えた。こいつは驚いた。

●寝返りをして、声の響いた方を見ると、山の出鼻を回って、雑木の間から、一人の男があらわれた。

●茶の中折を被っている。中折れの形は崩れて、傾く縁の下から眼が見える。

眼の恰好はわからんが、たしかにきょろきょろときょろつくようだ。

藍あいの縞物の尻を端折って、素足に下駄がけの出で立ちは、何だか鑑定がつかない。

野生の髯だけで判断するとまさに野武士の価値はある。

●男は岨道を下りるかと思いのほか、曲り角からまた引き返した。もと来た路へ姿をかくすかと思うと、そうでもない。

またあるき直してくる。この草原を、散歩する人のほかに、こんなに行きつ戻りつするものはないはずだ。

しかしあれが散歩の姿であろうか。またあんな男がこの近辺に住んでいるとも考えられない。

男は時々立ち留どまる。首を傾ける。または四方を見廻わす。大に考え込むようにもある。人を待ち合せる風にも取られる。何だかわからない。

●余はこの物騒な男から、ついに吾眼をはなす事ができなかった。

別に恐しいでもない、また画にしようと云う気も出ない。ただ眼をはなす事ができなかった。

右から左、左りから右と、男に添うて、眼を働かせているうちに、男ははたと留った。

留ると共に、またひとりの人物が、余が視界に点出された。

●二人は双方で互に認識したように、しだいに双方から近づいて来る。

が視界はだんだん縮まって、原の真中で一点の狭き間に畳まれてしまう。二人は春の山を背せに、春の海を前に、ぴたりと向き合った。

●男は無論例の野武士である。相手は? 相手は女である。那美さんである。

●余は那美さんの姿を見た時、すぐ今朝の短刀を連想した。

もしや懐に呑んでおりはせぬかと思ったら、さすが非人情の余もただ、ひやりとした。

●男女は向き合うたまま、しばらくは、同じ態度で立っている。

動く景色は見えぬ。口は動かしているかも知れんが、言葉はまるで聞えぬ。男はやがて首を垂れた。

女は山の方を向く。顔は余の眼に入らぬ。

●山では鶯が啼なく。女は鶯に耳を借して、いるとも見える。

しばらくすると、男は屹(きっ)と、垂れた首を挙げて、半ば踵を回らしかける。

尋常の様ではない。女は颯と体を開いて、海の方へ向き直る。

帯の間から頭を出しているのは懐剣らしい。男は昂然として、行きかかる。女は二歩(ふたあし)ばかり、男の踵を縫ぬうて進む。

女は草履ばきである。男の留ったのは、呼び留められたのか。振り向く瞬間に女の右手は帯の間へ落ちた。あぶない!

●するりと抜け出たのは、九寸五分かと思いのほか、財布のような包み物である。

差し出した白い手の下から、長い紐ひもがふらふらと春風しゅんぷうに揺れる。

●片足を前に、腰から上を少しそらして、差し出した、白い手頸に、紫の包。これだけの姿勢で充分画にはなろう。

●紫でちょっと切れた図面が、二三寸の間隔をとって、振り返る男の体のこなし具合で、うまい按排につながれている。

不即不離とはこの刹那の有様を形容すべき言葉と思う。女は前を引く態度で、男は後えに引かれた様子だ。

しかもそれが実際に引いてもひかれてもおらん。両者の縁は紫の財布の尽くる所で、ふつりと切れている。

●二人の姿勢がかくのごとく美妙な調和を保っていると同時に、両者の顔と、衣服にはあくまで、対照が認められるから、画として見ると一層の興味が深い。

●背のずんぐりした、色黒の、髯づらと、くっきり締った細面に、襟の長い、撫肩の、華奢姿。

ぶっきらぼうに身をひねった下駄がけの野武士と、不断着の銘仙さえしなやかに着こなした上、腰から上を、おとなしく反り身に控えたる痩形。

はげた茶の帽子に、藍縞の尻切出立ちと、陽炎さえ燃やすべき櫛目の通った鬢の色に、黒繻子のひかる奥から、ちらりと見せた帯上の、なまめかしさ。すべてが好画題である。

●男は手を出して財布を受け取る。引きつ引かれつ巧たくみに平均を保ちつつあった二人の位置はたちまち崩れる。

女はもう引かぬ、男は引かりょうともせぬ。

心的状態が絵を構成する上に、かほどの影響を与えようとは、画家ながら、今まで気がつかなかった。

●二人は左右へ分かれる。双方に気合がないから、もう画としては、支離滅裂である。

雑木林の入口で男は一度振り返った。女は後をも見ぬ。すらすらと、こちらへ歩いてくる。やがて余の真正面まで来て、

「先生、先生」

と二声ふたこえ掛けた。これはしたり、いつ目付めっかったろう。

「何です」

と余は木瓜ぼけの上へ顔を出す。帽子は草原へ落ちた。

「何をそんな所でしていらっしゃる」

「詩を作って寝ねていました」

「うそをおっしゃい。今のを御覧でしょう」

「今の? 今の、あれですか。ええ。少々拝見しました」

「ホホホホ少々でなくても、たくさん御覧なさればいいのに」

「実のところはたくさん拝見しました」

「それ御覧なさい。まあちょっと、こっちへ出ていらっしゃい。木瓜の中から出ていらっしゃい」

●余は唯々いいとして木瓜の中から出て行く。

「まだ木瓜の中に御用があるんですか」

「もう無いんです。帰ろうかとも思うんです」

「それじゃごいっしょに参りましょうか」

「ええ」

●余は再び唯々として、木瓜の中に退しりぞいて、帽子を被かぶり、絵の道具を纏まとめて、那美さんといっしょにあるき出す。

「画を御描きになったの」

「やめました」

「ここへいらしって、まだ一枚も御描きなさらないじゃありませんか」

「ええ」

「でもせっかく画をかきにいらしって、ちっとも御かきなさらなくっちゃ、つまりませんわね」

「なにつまってるんです」

「おやそう。なぜ?」

「なぜでも、ちゃんとつまるんです。画なんぞ描かいたって、描かなくったって、つまるところは同おんなじ事でさあ」

「そりゃ洒落しゃれなの、ホホホホ随分呑気のんきですねえ」

「こんな所へくるからには、呑気にでもしなくっちゃ、来た甲斐かいがないじゃありませんか」

「なあにどこにいても、呑気にしなくっちゃ、生きている甲斐はありませんよ。私なんぞは、今のようなところを人に見られても恥はずかしくも何とも思いません」

「思わんでもいいでしょう」

「そうですかね。あなたは今の男をいったい何だと御思いです」

「そうさな。どうもあまり、金持ちじゃありませんね」

「ホホホ善よくあたりました。あなたは占うらないの名人ですよ。あの男は、貧乏して、日本にいられないからって、私に御金を貰いに来たのです」

「へえ、どこから来たのです」

「城下じょうかから来ました」

「随分遠方から来たもんですね。それで、どこへ行くんですか」

「何でも満洲へ行くそうです」

「何しに行くんですか」

「何しに行くんですか。御金を拾いに行くんだか、死にに行くんだか、分りません」

●この時余は眼をあげて、ちょと女の顔を見た。今結んだ口元には、微かすかなる笑の影が消えかかりつつある。意味は解げせぬ。

「あれは、わたくしの亭主です」

●迅雷じんらいを掩おおうに遑いとまあらず、女は突然として一太刀ひとたち浴びせかけた。余は全く不意撃ふいうちを喰くった。無論そんな事を聞く気はなし、女も、よもや、ここまで曝さらけ出そうとは考えていなかった。

「どうです、驚ろいたでしょう」と女が云う。

「ええ、少々驚ろいた」

「今の亭主じゃありません、離縁りえんされた亭主です」

「なるほど、それで……」

「それぎりです」

「そうですか。――あの蜜柑山に立派な白壁の家がありますね。ありゃ、いい地位にあるが、誰の家うちなんですか」

「あれが兄の家です。帰り路にちょっと寄って、行きましょう」

「用でもあるんですか」

「ええちっと頼まれものがあります」

「いっしょに行きましょう」

●岨道そばみちの登り口へ出て、村へ下りずに、すぐ、右に折れて、また一丁ほどを登ると、門がある。

門から玄関へかからずに、すぐ庭口へ廻る。女が無遠慮につかつか行くから、余も無遠慮につかつか行く。

南向きの庭に、棕梠が三四本あって、土塀の下はすぐ蜜柑畠である。

●女はすぐ、椽鼻えんばなへ腰をかけて、云う。

「いい景色だ。御覧なさい」

「なるほど、いいですな」

●障子のうちは、静かに人の気合けあいもせぬ。女は音のう景色もない。

ただ腰をかけて、蜜柑畠を見下みおろして平気でいる。余は不思議に思った。元来何の用があるのかしら。

●しまいには話もないから、両方共無言のままで蜜柑畠を見下している。

午ごに逼る太陽は、まともに暖かい光線を、山一面にあびせて、眼に余る蜜柑の葉は、葉裏まで、蒸し返されて耀かがやいている。

やがて、裏の納屋の方で、鶏が大きな声を出して、こけこっこううと鳴く。

「おやもう。御午(おひる)ですね。用事を忘れていた。――久一さん、久一さん」

●女は及び腰になって、立て切った障子を、からりと開ける。内は空しき十畳敷に、狩野派の双幅が空しく春の床を飾っている。

「久一さん」

 納屋の方でようやく返事がする。足音が襖の向こうでとまって、からりと、開くが早いか、白鞘(しらさや)の短刀が畳の上へ転がり出す。

「そら御伯父さんの餞別だよ」

●帯の間に、いつ手が這入ったか、余は少しも知らなかった。

短刀は二三度とんぼ返りを打って、静かな畳の上を、久一さんの足下へ走る。

作りがゆる過ぎたと見えて、ぴかりと、寒いものが一寸ばかり光った。

 

十三

●川舟で久一さんを吉田の停車場まで見送る。舟のなかに坐ったものは、送られる久一さんと、送る老人と、那美さんと、那美さんの兄さんと、荷物の世話をする源兵衛と、それから余である。余は無論御招伴に過ぎん。

●御招伴でも呼ばれれば行く。何の意味だか分らなくても行く。非人情の旅に思慮は入らぬ。

舟は筏に縁をつけたように、底が平たい。老人を中に、余と那美さんが艫(とも)、久一さんと、兄さんが、舳(みよし)に座をとった。

源兵衛は荷物と共に独り離れている。

「久一さん、軍さは好きか嫌いかい」と那美さんが聞く。

「出て見なければ分らんさ。苦しい事もあるだろうが、愉快な事も出て来るんだろう」と戦争を知らぬ久一さんが云う。

「いくら苦しくっても、国家のためだから」と老人が云う。

「短刀なんぞ貰うと、ちょっと戦争に出て見たくなりゃしないか」と女がまた妙な事を聞く。久一さんは、

「そうさね」

と軽かろく首肯(うけが)う。老人は髯を掀げて笑う。兄さんは知らぬ顔をしている。

「そんな平気な事で、軍さが出来るかい」と女は、委細構わず、白い顔を久一さんの前へ突き出す。久一さんと、兄さんがちょっと眼を見合せた。

「那美さんが軍人になったらさぞ強かろう」兄さんが妹に話しかけた第一の言葉はこれである。語調から察すると、ただの冗談じょうだんとも見えない。

「わたしが? わたしが軍人? わたしが軍人になれりゃとうになっています。

今頃は死んでいます。久一さん。御前も死ぬがいい。生きて帰っちゃ外聞がわるい」

「そんな乱暴な事を――まあまあ、めでたく凱旋をして帰って来てくれ。

死ぬばかりが国家のためではない。わしもまだ二三年は生きるつもりじゃ。まだ逢あえる」

●老人の言葉の尾を長く手繰(たぐる)と、尻が細くなって、末は涙の糸になる。

ただ男だけにそこまではだまを出さない。久一さんは何も云わずに、横を向いて、岸の方を見た。

●岸には大きな柳がある。下に小さな舟を繋いで、一人の男がしきりに垂綸(いと)を見詰めている。

一行の舟が、ゆるく波足を引いて、その前を通った時、この男はふと顔をあげて、久一さんと眼を見合せた。

眼を見合せた両人の間には何らの電気も通わぬ。

男は魚の事ばかり考えている。久一さんの頭の中には一尾の鮒も宿やどる余地がない。

一行の舟は静かに太公望の前を通り越す。

●日本橋を通る人の数は、一分に何百か知らぬ。もし橋畔に立って、行く人の心に蟠(わだか)まる葛藤を一々に聞き得たならば、浮世は目眩しくて生きづらかろう。

ただ知らぬ人で逢い、知らぬ人でわかれるから結句日本橋に立って、電車の旗を振る志願者も出て来る。

太公望が、久一さんの泣きそうな顔に、何らの説明をも求めなかったのは幸である。

顧り見ると、安心して浮標を見詰めている。

おおかた日露戦争が済むまで見詰める気だろう。

●川幅はあまり広くない。底は浅い。流れはゆるやかである。舷(ふなばたに倚って、水の上を滑って、どこまで行くか、春が尽きて、人が騒いで、鉢合せをしたがるところまで行かねばやまぬ。

腥(なまぐさ)き一点の血を眉間に印したるこの青年は、余ら一行を容赦なく引いて行く。

運命の縄はこの青年を遠き、暗き、物凄き北の国まで引くが故に、ある日、ある月、ある年の因果に、この青年と絡みつけられたる吾らは、その因果の尽くるところまでこの青年に引かれて行かねばならぬ。

因果の尽くるとき、彼と吾らの間にふっと音がして、彼一人は否応なしに運命の手元てもとまで手繰たぐり寄せらるる。

残る吾らも否応なしに残らねばならぬ。頼んでも、もがいても、引いていて貰う訳には行かぬ。

●舟は面白いほどやすらかに流れる。左右の岸には土筆(つくし)でも生えておりそうな。

土堤(どて)の上には柳が多く見える。まばらに、低い家がその間から藁屋根を出し。

煤けた窓を出し。時によると白い家鴨を出す。家鴨はがあがあと鳴いて川の中まで出て来る。

●柳と柳の間に的レキと光るのは白桃らしい。とんかたんと機はたを織る音が聞える。

とんかたんの絶間から女の唄が、はああい、いようう――と水の上まで響く。何を唄うのやらいっこう分らぬ。

「先生、わたくしの画をかいて下さいな」と那美さんが注文する。

久一さんは兄さんと、しきりに軍隊の話をしている。老人はいつか居眠りをはじめた。

「書いてあげましょう」と写生帖を取り出して、

春風にそら解(ど)け繻子(しゅす)の銘は何

と書いて見せる。女は笑いながら、

「こんな一筆がきでは、いけません。もっと私の気象の出るように、丁寧にかいて下さい」

「わたしもかきたいのだが。どうも、あなたの顔はそれだけじゃ画えにならない」

「御挨拶です事。それじゃ、どうすれば画になるんです」

「なに今でも画に出来ますがね。ただ少し足りないところがある。それが出ないところをかくと、惜しいですよ」

「足りないたって、持って生れた顔だから仕方がありませんわ」

「持って生れた顔はいろいろになるものです」

「自分の勝手にですか」

「ええ」

「女だと思って、人をたんと馬鹿になさい」

「あなたが女だから、そんな馬鹿を云うのですよ」

「それじゃ、あなたの顔をいろいろにして見せてちょうだい」

「これほど毎日いろいろになってればたくさんだ」

●女は黙って向をむく。川縁はいつか、水とすれすれに低く着いて、見渡す田のもは、一面いちめんのげんげんで埋うずまっている。

鮮やかな紅べにの滴々(てきてき)が、いつの雨に流されてか、半分溶けた花の海は霞のなかに果しなく広がって、見上げる半空には崢コウたる一峰(ぽう)が半腹から微かに春の雲を吐いている。

「あの山の向うを、あなたは越していらしった」と女が白い手を舷(ふなばた)から外へ出して、夢のような春の山を指す。

「天狗岩はあの辺ですか」

「あの翠の濃い下の、紫に見える所がありましょう」

「あの日影の所ですか」

「日影ですかしら。禿げてるんでしょう」

「なあに凹んでるんですよ。禿げていりゃ、もっと茶に見えます」

「そうでしょうか。ともかく、あの裏あたりになるそうです」

「そうすると、七曲はもう少し左りになりますね」

「七曲りは、向うへ、ずっと外れます。あの山のまた一つ先きの山ですよ」

「なるほどそうだった。しかし見当から云うと、あのうすい雲が懸ってるあたりでしょう」

「ええ、方角はあの辺です」

●居眠をしていた老人は、舷(こべり)から、肘を落して、ほいと眼をさます。

「まだ着かんかな」

●胸膈(きょうかく)を前へ出して、右の肘を後へ張って、左り手を真直に伸して、ううんと欠伸(のび)をするついでに、弓を攣く真似をして見せる。女はホホホと笑う。

「どうもこれが癖で、……」

「弓が御好と見えますね」と余も笑いながら尋ねる。

「若いうちは七分五厘まで引きました。押しは存外今でもたしかです」と左の肩を叩いて見せる。

舳(へさき)では戦争談が酣(たけなわ)である。

●舟はようやく町らしいなかへ這入る。腰障子に御肴と書いた居酒屋が見える。

古風な縄暖簾が見える。材木の置場が見える。人力車の音さえ時々聞える。

乙鳥(つばくろ)がちちと腹を返して飛ぶ。家鴨(あひる)ががあがあ鳴く。一行は舟を捨てて停車場に向う。

●いよいよ現実世界へ引きずり出された。汽車の見える所を現実世界と云う。

汽車ほど二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云う人間を同じ箱へ詰めて轟(ごう)と通る。

情なさけ容赦はない。

詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまってそうして、同様に蒸気の恩沢に浴さねばならぬ。

人は汽車へ乗ると云う。余は積み込まれると云う。人は汽車で行くと云う。余は運搬されると云う。

汽車ほど個性を軽蔑したものはない。

文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする。

一人前(ひとりまえ)何坪何合かの地面を与えて、この地面のうちでは寝るとも起きるとも勝手にせよと云うのが現今の文明である。

同時にこの何坪何合の周囲に鉄柵を設けて、これよりさきへは一歩も出てはならぬぞと威嚇かすのが現今の文明である。

何坪何合のうちで自由を擅(ほしいまま)にしたものが、この鉄柵外にも自由を擅にしたくなるのは自然の勢である。

憐むべき文明の国民は日夜にこの鉄柵に噛かみついて咆哮(ほうこう)している。

文明は個人に自由を与えて虎のごとく猛からしめたる後、これを檻穽の内に投げ込んで、天下の平和を維持しつつある。

この平和は真の平和ではない。

動物園の虎が見物人を睨めて、寝転んでいると同様な平和である。

檻の鉄棒が一本でも抜けたら――世はめちゃめちゃになる。

第二の命フランス革はこの時に起るのであろう。個人の革命は今すでに日夜に起りつつある。

北欧の偉人イブセンはこの革命の起るべき状態についてつぶさにその例証を吾人に与えた。

余は汽車の猛烈に、見界(みさかい)なく、すべての人を貨物同様に心得て走る様を見るたびに、客車のうちに閉じ籠められたる個人と、個人の個性に寸毫の注意をだに払わざるこの鉄車(てっしゃ)とを比較して、――あぶない、あぶない。気をつけねばあぶないと思う。

現代の文明はこのあぶないで鼻を衝かれるくらい充満している。

おさき真闇(まっくら)に盲動する汽車はあぶない標本の一つである。

●停車場前の茶店に腰を下ろして、蓬餅(よもぎもち)を眺めながら汽車論を考えた。

これは写生帖へかく訳にも行かず、人に話す必要もないから、だまって、餅を食いながら茶を飲む。

●向うの床几には二人かけている。等しく草鞋わらじ)穿(ば)きで、一人は赤毛布(あかげっと)、一人は千草色(ちくさいろ)の股引(ももひき)の膝頭(ひざがしら)に継布(つぎ)をあてて、継布のあたった所を手で抑えている。

「やっぱり駄目かね」 「駄目さあ」 「牛のように胃袋が二つあると、いいなあ」

「二つあれば申し分はなえさ、一つが悪るくなりゃ、切ってしまえば済むから」

●この田舎者は胃病と見える。彼らは満洲の野に吹く風の臭いも知らぬ。

現代文明の弊をも見認めぬ。革命とはいかなるものか、文字さえ聞いた事もあるまい。

あるいは自己の胃袋が一つあるか二つあるかそれすら弁じ得んだろう。余は写生帖を出して、二人の姿を描き取った。

●じゃらんじゃらんとベルが鳴る。切符はすでに買うてある。

「さあ、行きましょ」と那美さんが立つ。

「どうれ」と老人も立つ。一行は揃って改札場を通り抜けて、プラットフォームへ出る。ベルがしきりに鳴る。

●轟と音がして、白く光る鉄路の上を、文明の長蛇が蜿蜒(のたくっ)て来る。文明の長蛇は口から黒い煙を吐く。
「いよいよ御別かれか」と老人が云う。

「それでは御機嫌よう」と久一さんが頭を下げる。

「死んで御出で」と那美さんが再び云う。

「荷物は来たかい」と兄さんが聞く。

●蛇は吾々の前でとまる。横腹の戸がいくつもあく。人が出たり、這入ったりする。久一さんは乗った。老人も兄さんも、那美さんも、余もそとに立っている。

●車輪が一つ廻れば久一さんはすでに吾らが世の人ではない。

遠い、遠い世界へ行ってしまう。その世界では煙硝(えんしょう)の臭いの中で、人が働いている。

そうして赤いものに滑って、むやみに転ぶ。空では大きな音がどどんどどんと云う。

これからそう云う所へ行く久一さんは車のなかに立って無言のまま、吾々を眺めている。

吾々を山の中から引き出した久一さんと、引き出された吾々の因果はここで切れる。もうすでに切れかかっている。

車の戸と窓があいているだけで、御互の顔が見えるだけで、行く人と留まる人の間が六尺ばかり隔っているだけで、因果はもう切れかかっている。

●車掌が、ぴしゃりぴしゃりと戸を閉(た)てながら、こちらへ走って来る。一つ閉てるごとに、行く人と、送る人の距離はますます遠くなる。

やがて久一さんの車室の戸もぴしゃりとしまった。世界はもう二つに為なった。

老人は思わず窓側(まどぎわ)へ寄る。青年は窓から首を出す。

「あぶない。出ますよ」と云う声の下から、未練のない鉄車(てっしゃ)の音がごっとりごっとりと調子を取って動き出す。

窓は一つ一つ、余等(われわれ)の前を通る。

久一さんの顔が小さくなって、最後の三等列車が、余の前を通るとき、窓の中から、また一つ顔が出た。

●茶色のはげた中折帽の下から、髯だらけな野武士が名残り惜気に首を出した。

そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合みあわせた。鉄車(てっしゃ)はごとりごとりと運転する。

野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然として、行く汽車を見送る。

その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐(あわ)れ」が一面に浮いている。

「それだ! それだ! それが出れば画になりますよ」と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。

余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。

 

 

 

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