夏目漱石 文芸の哲学的基礎 短縮版 |
2017.5.3 更新2017.5.11 2017.5.24
夏目漱石は、1903年1月に帰国し、第五高等学校(年俸300円)を退職し、4月から、第一高等学校教員(年俸700円)となります。
彼の留学中帰国後の借金で、借金総額が300円となっていたため、東京帝国大学文科大学講師(年俸800円)の職も得ます。
東大は、ラフカディオ・ハーン (1850-1904) の後任で、4月から6月まで、急遽 『英文学形式論』を講義し、
9月からの新学期に『文学論』の週3時間の講義を開始します。
1904年の夏、千駄木の家に一匹の黒猫が迷い込んだことから、自らの精神の解放のために書いた小説が、周囲の好評を得て
1905年1月に、雑誌ホトトギスに「吾輩は猫である」として発表し、好評を得て、続編を断続連載します。
1905年5月に、東大での文学論の講義は、2年間続けられ、終了します。
1905年9月の新学期からは、『文学評論』の講義を開始し、1907年3月まで、継続します。
1907年3月に、4年勤めた大学、高校を退職し、4月に朝日新聞社に入社します。
4月20日に、東京美術学校文学会で「文芸の哲学的基礎」と題する講演を行い、速記録をもとに大幅に改定したものを
5月4日から6月4日まで、27回にわたり朝日新聞に連載します。
その間、5月7日に、『文学論』が、大倉書店から、出版されます。
このように、『文学論』と、『文芸の哲学的基礎』は、ほぼ同時期に執筆、出版されたもので、両者を合わせ読むことにより、
当時の漱石のものの考え方を、より深く知ることができます。
幸い、『文芸の哲学的基礎』は、講演内容に基づくもので、口語調で書かれているため、用語の複雑さを除けば、現代人にも理解できるものです。
以下に、講演での無駄な部分を、適宜、割愛、短縮して紹介し、漱石の考え方に、せまりたいと思います。
非短縮版は、青空文庫でよむことができます。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/755_14963.html
2017.5.11 最初に読んだ講談社学術文庫版の『文芸の哲学的基礎』は、新聞連載が一つにまとめられていたのですが、岩波書店の漱石全集第16巻の版は、連載の各記事が、分けられていて、それぞれにタイトルがついていましたので、以下の本文に書きこみました。
2017.5.11 また、末尾の文のように、文語色の強いものには、現代語訳を付けてみました。
2017.5.24 漱石全集の第3巻を、図書館から借りてみると、月報に、新関公子さんの漱石と鴎外という記事が掲載されていました。
漱石が、文芸の哲学的基礎という講演を引き受けるに当たっての事情に、森鴎外が、結構関与していたことを解説してくれています。
また、後半には、漱石が不愉快な作例としてあげたゾラに関して、漱石は案外、ゾラを評価し、影響を受けているではないかと語られます。
この記事は、文芸の哲学的基礎を読む人にこそ、読んでもらうべきと考えるのですが、岩波書店の最新の 底本漱石全集の
第三巻の月報には、全く新しいものになっていて、この記事は掲載されていませんので、
このページの末尾に、全文を引用しましたので、ご参照ください。
全文引用は、問題があると指摘がありましたら、対処するつもりです。
また、話の流れをわかりやすくするために、いくつかの節にわけて、節に、私なりのタイトルをつけました。
01 挨拶
第一回 緒言
01 挨拶
●私はまだ演説ということを余り --
余りではない殆どやった事のない男で、
So far I have not given so many
speeches, to be more accurate, I have given hardky any speech,
頼まれた事は今迄大分ありましたけれどもみんな断ってしまいました。
I have been asked to do it so many time, but I have
declined each time I was asked.
どうも嫌なんですな。それに出来ないのです。 I hate to do it. Also I am unable to do it.
その代わり講義の方はもこの間迄毎日やって来ましたから、恐らく上手だらうと思ふのですけれども
Instead I have been making lectures every day until
recently, and will be able to do it expertly.
生憎御依頼が演説でありますから定めて、まずいだらうと存じます。
Unfortunately, as you have asked me to make a speech,
I am sure to result in a bad one.
●美術学校でこういう文学的の会を設立して、諸君の専門技芸以外に、一般文学の知識と趣味を養成せられるのは大変に面白い事と思います。
I find it interesting that you establish a congress on
literature, and nourish not only the special arts of your field but also the
knowledge and taste in the general literature.
文学と美術は大変関係の深いものでありますから、
literature and visual arts
are in deep and profound relations,
その一方を代表なさる諸君が文学の方面にも一種の興味をもたれて、われわれのような不調法ものの講話を御参考に供して下さるのは、
It is quite thankful that you, representing the visual
arts, invite such a clumsy person as me to have a talk, feeling some kind of
interest in literature,
この両者の接触上から見て、諸君の前に卑見を開陳すべき第一の機会を捕えた私は多大の名誉と感ずる次第であります。
and in view of the valuable contacts between the two
parties, I feel honoured to have been afforded this opportunity to give a talk
before you.
●まずこれからそろそろやり始めます。やり始めますよと断ると何だかえらそうに聞えるが、その実は何でもない。
Let me begin my lecture now but slowly. You may
feel tension, but don't worry.
ここに三四頁ばかり書いたノートがあります。この三四頁を口から出まかせに敷衍して進行して行きます。
I have heare three or four pages of memorandum.
I freely make a talk with the help of these pages.
敷衍の仕方をあらかじめ考えていないから、どこをどっちへ敷衍するか分らない。
I have not yet decided how to develop the story, so
that I am not sure which way I may go.
時によるととんだ寄り道をして、出る所へも出られず、帰る所へも帰れないかも知れないと云うすこぶる心細い敷衍法を用います。
My way of developing the story is so insecure that I
may be lost and even cannot return after making outrageous detours.
のみならず
冒頭が何だか訳の分らない事から始まるかも知れないから、決して驚いてはいけません。
And what is more, I may start with such gibberish
topics that you should never be surprised.
いずれ
結末には美術とか文学とか御互に縁の深い方面へずり落ちて行く事と安心して聴いていただきたい。
Anyhow, sooner or later, I will manage to steer myself
to the area where art and literature are deeply interrelated.
第二回 物我の関係
02 通俗の考え方 = 世界は我と物の相対の関係で成立している
●まず、私はここに立っております。そうしてあなた方がたはそこに坐すわっておられる。
Firstly, I am standing here and you are sitting down
there.
かように私が立っているという事と、あなた方が坐っておらるると云う事が事実であります。
It is the fact that I am standing and you are sitting.
この事実と云うのを他の言葉で現して見ようならば、私は我と云うもの、あなた方は私に対して私以外のものと云う意味であります。
If I have to express this fact using different words,
I am myself and you are other than myself against me.
もっとむずかしい表現法を用いると物我対立と云う事実であります。
In the more difficult expression, it is the fact of the contraposition of me and
others.
すなわち世界は我と物との相対の関係で成立していると云う事になる。
あなた方も定めてそう思われるでありましょう、私もそう思うております。誰しもそう心得ておるのである。
それから私が、こうやってここに立っており、あなた方が、そうして、そこに坐ってござると、その間に距離というものがある。
幾坪かの広がりがあって、その中に私が立っており、その中にあなた方が坐っていることになる。
この広がりを空間と申します。つまりはスペースと云うものがあって、万物はその中に、おのおの、ある席を占めている。
●次に今日の演説は一時から始まります。それが済むとあとから、上田さんが代ってまた面白い講話がある。それから散会となる。この経過は時間と云うものがなければ、どうしても起る訳に参りません。
最後に、なぜ私がここにこうやって出て来て、しきりに口を動かしているかと云えば、それ相当な因縁、すなわち先刻申上げた大村君の丁重なる御依頼とか、私の安受合とか、受合ったあとの義務心とか、いろいろの因縁が和合したその結果かくのごとくフロックコートを着て参りました。
この関係を(人事、自然に通じて)因果の法則と称えております。
●この世界には私と云うものがありまして、あなた方と云うものがありまして、そうして広い空間の中におりまして、この空間の中で御互に芝居をしまして、この芝居が時間の経過で推移して、この推移が因果の法則で纏められている。
そこでそれにはまず私と云うものがあると見なければならぬ、あなた方があると見なければならぬ。空間というものがあると見なければならぬ。時間と云うものがあると見なければならぬ。また因果の法則と云うものがあって、吾人を支配していると見なければならん。
これは誰も疑うものはあるまい。私もそう思う。
説明 ここまでは、自分も、他人も、空間も、時間も、因果も、すべて存在し、私たちは、その中に生きているという
東洋風の考え方が、紹介され、漱石も、「私もそう思う。」と、意見を述べています。
漱石は、日本の文明開化の役割を担って、英語、英文学の研究のために英国に留学したのですが、文学の研究に飽き足らず、心理学や哲学の勉強をします。
しかし、漱石が留学した当時の西欧の哲学には、二元論、唯心論、唯物論などが渦巻いていました。
漱石も、かなり当惑しながら、
西欧の哲学や思想を勉強したと思います。
彼が、最も共鳴したのは、ウィリアム・ジェィムズの心理学・哲学のようですので、
漱石が、どのような思想を樹立したのか、ゆっくりと、調べてみたいと思います。
03 不通俗の考え方 存在するのは私の連続する意識だけ 意識の連続を命と称します
●ところがよくよく考えて見ると、それがはなはだ怪しい。よほど怪しい。
通俗には誰もそう考えている。私も通俗にそう考えている。
しかし退いて不通俗に考えて見るとそれがすこぶるおかしい。どうもそうでないらしい。
なぜかと云うと元来この私と云う ―― こうしてフロックコートを着て高襟(ハイカラ)をつけて、髭を生はやして厳然と存在しているかのごとくに見える、この私の正体がはなはだ怪しいものであります。
フロックも高襟も目に見える、手に触れると云うまでで自分でないにはきまっている。
この手、この足、かゆいときには掻き、痛いときには撫でるこの身体が私かと云うと、そうも行かない。
かゆい痛いと申す感じはある。撫でる掻くと云う心持ちはある。しかしそれより以外に何にもない。
あるものは、手でもない足でもなく、便宜のために手と名づけ足と名づける意識現象と、痛いかゆいと云う意識現象であります。
●要するに意識はある。また意識すると云う働きはある。
これだけは確かであります、これ以上は証明する事はできないが、証明する必要もないくらいに争うべからざる事実であります。
して見ると普通に私と称しているのは客観的に世の中に実在しているものではなくして、
ただ意識の連続して行くものに便宜上私と云う名を与えたのであります。
何が故に、余計な私と云うものを建立するのが便宜かと申すと、「私」と、一たび建立するとその裏には、「あなた方」と、私以外のものも建立する訳になりますから、物我の区別がこれでつきます。
第三回 意識現象
●こう云うと、私は自分(普通に云う自分)の存在を否定するのみならず、かねてあなた方の存在をも否定する訳になって、かように大勢傍聴しておられるにもかかわらず、有れども無きがごとくではなはだ御気の毒の至りであります。
御腹も御立ちになるでしょうが、根本的の議論なのだから、まず議論として御聴きを願いたい。
根本的に云うと失礼な申条[もうしじょう]だがあなた方は私を離れて客観的に存在してはおられません。
――私を離れてと申したが、その私さえいわゆる私としては存在しないのだから、いわんやあなた方においてをやであります。
いくら怒られても駄目であります。あなた方はそこにござる。ござると思ってござる。
私もまあちょっとそう思っています。
います事は、いますがただかりにそう思って差し上げるまでの事であります。
と云うものは、いくらそれ以上に思って上げたくてもそれだけの証拠がないのだから仕方がありません。
●普通に物の存在を確めるにはまず眼で見ますかね。 眼で見た上で手で触れて見る。手で触れたあとで、嗅いでみる、あるいは舐めてみる。
けれども、眼で見ようが、耳できこうが、ただ視覚と聴覚を意識するまでで、この意識が変じて独立した物とも、人ともなりよう訳がない。
すると煎じ詰めたところが私もなければ、あなた方もない。あるものは、真にあるものは、ただ意識ばかりである。
●まずこれだけの話であります。 すると通俗の考えを離れて物我の世界を見たところでは、
物が自分から独立して現存していると云う事も云えず、自分が物を離れて生存していると云う事も申されない。
換言して見ると己を離れて物はない、また物を離れて己はないはずとなりますから、いわゆる物我なるものは契合一致しなければならん訳になります。
説明 契合一致とは、(割符を合わせたように)ぴったり合って一致すること。契は、割り符の意です。
物我の二字を用いるのはすでに分りやすいためにするのみで、根本義から云うと、実はこの両面を区別しようがない、区別する事ができぬものに一致などと云う言語も必要ではないのであります。
だからただ明かに存在しているのは意識であります。そうしてこの意識の連続を称して俗に命と云うのであります。
●連続と云う字を使用する以上は意識が推移して行くと云う意味を含んでおって、推移と云う意味がある以上は
(一)意識に単位がなければならぬと云う事と、 (二)この単位が互に消長すると云う事と
(三)は消長が分明であるくらいに単位意識が明暸でなければならぬと云う事と
(四)意識の推移がある法則に支配せらるるやと云う事になりますから、
問題がよほど込入って来ますが、今はそんな面倒な事を御話する場合でないから、諸君の御研究に一任する事として講話を進めます。
●今申した四カ条のうち、意識推移の原則については私の「文学論」の第五篇に不完全ながら自分の考えだけは述べておきましたから、御参考を願いたいと思います。 ついでに「文学論」も一部ずつ御求めを願いたいと思います。
第四回 意識の連続的傾向
04 意識の連続である生命は、連続を切断することを欲しない
●そこでちょっと留まって、この講話の冒頭では、私と云うものがあると申しました。あなた方がたもたしかにおいでになると申しました。
ところが不通俗に考えた結果によるとまるで反対になってしまいました。
●どうして、こんな矛盾が起るかと云う問題に対して、ただ一口に説明してしまえば訳はない。
吾々の生命は ― 吾々と云うと自他を樹立する語弊はあるがしばらく便宜のために使用します ― 吾々の生命は意識の連続であり、どういうものか、この連続を切断する事を欲しないのであります。
他の言葉で云うと、死ぬ事を希望しないのであります。この連続をつづけて行く事が大好きなのであります。
なぜ好むかとなると説明はできない。誰が出て来ても説明はできない。ただそれが事実であると認めるよりほかに道はない。
●進化論者に云わせるとこの願望も長い間に馴致[じゅんち]発展し来ったのだと幾分かその発展の順序を示す事ができるかも知れない。
と云うものはそんな傾向をもっておらないようなもの、その傾向に応じて世の中に処して来なかったものは皆死んでしまったので、今残っているやつは命の欲しい欲張りばかりになったのだと論ずる事もできるからであります。
御互のように命については極めて執着の多い、奇麗でない、思い切りのわるい連中が、こうしてぴんぴんしているような訳かも知れません。これでも多少の説明には、なります。
しかしもっと進んでこの傾向の大原因を極めようとすると駄目であります。
万法一に帰す、一何れの所にか帰すというような禅学の公案工夫に似たものを指定しなければならんようであります。
説明 「万法一に帰す、一何れの所にか帰す」は、万法(森羅万象)は、一つに帰するけれども、その一つはどこに帰するのかという問いで、『碧厳録』第45則本則で、或る僧が、趙州に問うた言葉。
●ショペンハウワーと云う人は生欲の盲動的意志と云う語でこの傾向をあらわしております。 まことに重宝な文句であります。
私もちょっと拝借しようと思うのですが、前に述べた意識の連続以外にこんな変てこなものを建立すると、意識の連続以外に何もないと申した言質に対して申し訳が立ちませんから、残念ながらやめに致して、この傾向は意識の内容を構成している一部分すなわち属性と見做してしまいます。
第五回 意識の内容
05 意識の分化作用と統合作用
●意識と云い、連続と云い、連続的傾向と云うと、そのうちに意識の分化と云う事と統一と云う事は自然と含まっております。
すでに連続とある以上は甲と乙と連続したと云う事実を意識せねばならぬ、すなわち甲と乙と差別がつくほどに両意識が明暸でなければなりません。
差別がつくと云うのは、同時に同じ意識もしくは類似の意識を統一し得ると云う意味と同じ事になります。
例えてみれば視覚となづける意識は、分化の結果、触覚や味覚と差別がつくと、同時にあらゆる視覚的意識を統一する事ができて始めてできる言語であります。
意識にこれだけの分化作用ができて、その分化した意識と、眼球と云う器械を結びつけて、この種の意識は眼球が司どるのだと思いつく。
●しばらく視覚の意識と眼球の作用を混同して云うと、昔、分化作用の行われぬうちは視力は必ずしも眼球に集中しておらなかったろう。
私も遠い昔では、からだ全体で物を見ていたかも知れぬ、あるいは背中で物を舐めていたかも知れぬ。
眼耳鼻舌と分業が行われ出したのは、つい近頃の事であると思います。
●しかし意識の連続と云う以上は、連続を形づくる意識の内容が明暸でなければならぬはずであります。
明暸でない意識は連続しているか、連続していないか判然しない。
つまり吾人の根本的傾向に反する。いな意識そのものの根本的傾向に反するのであります。
意識の分化と統一とはこの根本的傾向から自然と発展して参ります。向後どこまで分化と統一が行われるかほとんど想像がつかない。
しかしてこれに応ずる官能もどのくらい複雑になるか分りません。
今日では目に見えぬもの、手に触れる事のできぬもの、あるいは五感以上に超然たるものがしだいに意識の舞台に上る事であろうと思いますから、まず気を長くして待っていたらよかろうと思います。
06 連続する意識は、選択を生じ、選択は、理想を孕む
●もう一遍繰返して「意識の連続」と申します。この句を割って見ると意識と云う字と連続と云う字になります。
こうして意識の内容のいかんと、この連続の順序のいかんと二つに分れて問題は提起される訳であります。
これを合すれば、いかなる内容の意識をいかなる順序に連続させるかの問題に帰着します。
吾人がこの問題に逢着したとき ―― 吾人は必ずこの問題に逢着するに相違ない。
意識及その連続を事実と認める裏にはすでにこの問題が含まれております。
そうしてこの問題の裏面には選択と云う事が含まれております。
ある程度の自由がない以上は、また幾分か選択の余裕がないならばこの問題の出ようはずがない。
この問題が出るのはこの問題が一通り以上に解決され得るからである。
この解決の標準を理想というのであります。これをまとめて一口に云うと吾人は生きたいと云う傾向をもっている。
(意識には連続的傾向があると云う方が明確かも知れぬが)この傾向からして選択が出る。
この選択から理想が出る。すると今まではただ生きればいいと云う傾向が発展して、ある特別の意義を有する命が欲しくなる。
すなわちいかなる順序に意識を連続させようか、またいかなる意識の内容を選ぼうか、理想はこの二つになって漸々と発展する。
後に御話をする文学者の理想もここから出て参るのであります。
07 意識の連続は、記憶を含む。時間の客観的存在
●次に連続と云う字義をもう一遍吟味してみますと、前にも申す通り、ははあ連続しているわいと相互の区別ができるくらいに、連続しつつある意識は明暸でなければならぬはずであります。
そうして、かように区別し得る程度において明暸なる意識が、新陳代謝すると見ると、甲が去って乙が来ると云う順序がなければならぬはずであります。
順序があるからには甲乙が共に意識せられるのではない。 甲が去った後で、乙を意識するのであるから、乙を意識しているときはすでに甲は意識しておらん訳です。
それにもかかわらず甲と乙とを区別する事ができるならば、明暸なる乙の意識の下には、比較的不明暸かは知らぬが、やはり甲の意識が存在していると見做さなければなりません。
俗にこの不明暸な意識を称して記憶と云うのであります。
だからして記憶の最高度はもっとも明暸なる上層の意識で、その最低度はもっとも不明暸なる下層の意識に過ぎんのであります。
第六回 時間、空間、数及び因果関係(一)
●すると意識の連続は是非共記憶を含んでおらねばならず、記憶というと是非共時間を含んで来なければならなくなります。
からして時間と云うものは内容のある意識の連続を待って始めて云うべき事で、これと関係なく時間が独立して世の中に存在するものではない。
換言すれば意識と意識の間に存する一種の関係であって、意識があってこそこの関係が出るのであります。
だから意識を離れてこの関係のみを独立させると云う事は便宜上の抽象としてさしつかえないが、それ自身に存在するものと見る訳には参りません。
●ちょっと考えると時間と云うものが流れていて、その永劫の流れのなかに事件が発展推移するように見えますが、それは前に申した分化統一の力が、ここまで進んだ結果時間と云うものを抽象して便宜上これに存在を許したとの意味にほかならんのであります。
もっともこの時間及びあとから御話をする空間と云うのは大分むずかしい問題で、哲学者に云わせると大変やかましいものでありますから、私のような粗末な考えを好い加減に云う時は、あまり御信じにならん方がよいかも知れませんが、――しかしあまり信じなくってもいけません。
まず演説の終るまで信じておって、御宅へ御帰りになる頃に信じなくなるのがちょうどいい加減であろうと思います。
08 空間の客観的存在
●次に今云う意識の連続――すなわち甲が去って乙がくるときに、こう云う場合がある。
まず甲を意識して、それから乙を意識する。今度はその順を逆にして、乙を意識してから甲に移る。
そうしてこのふたつのものを意識する時間を延しても縮めても、両意識の関係が変らない。
するとこの関係は比較的時間と独立した関係であって、しかもある一定の関係であるという事がわかる。
その時に吾人はこれを時間の関係に帰着せしむる事ができない事を悟って、これに空間的関係の名を与えるのであります。
だからしてこれも両意識の間に存する一種の関係であって、意識そのものを離れて空間なるものが存在しているはずがない。
空間自存の概念が起るのはやはり発達した抽象を認めて実在と見做した結果にほかならぬ。
●文法と云うものは言葉の排列上における相互の関係を法則にまとめたものであるが、小児は文法があって、それから文章があるように考えている。
文法は文章があって、言葉があって、その言葉の関係を示すものに過ぎんのだからして、文法こそ文章のうちに含まれていると云ってしかるべきであるごとく空間の概念も具体的なる両意識のうちに含まれていると云ってもよろしいと思う。
それを便宜のために抽象して離してしまって広い空間を勝手次第にほうり出すと、無辺際のうちにぽつりぽつりと物が散点しているような心持ちになります。
もっともこの空間論も大分難物のようで、ニュートンと云う人は空間は客観的に存在していると主張したそうですし、カントは直覚だとか云ったそうですから、私の云う事は、あまり当あてにはなりません。
あなた方が当になさらんでも、私はたしかにそう思ってるんだから毫も差支さしつかえはありません。
ただ自分だけで、そう思っていればすむ事を、かように何のかのと申し上げるのは、演説を御頼みになった因果でやむをえず申し上げるので、もしこれを申し上げないと、いつまでたっても文学談に移る事はできないのであります。
09 数を抽象する、因果の法則を抽象する
●さて抽象の結果として、時間と空間に客観的存在を与えると、これを有意義ならしむるために数というものを製造して、この二つのものを測る便宜法を講ずるのであります。
世の中に単に数というような間の抜けた実質のないものはかつて存在した試しがない。今でもありません。
数と云うのは意識の内容に関係なく、ただその連続的関係を前後に左右にもっとも簡単に測る符牒で、こんな正体のない符牒を製造するにはよほど骨が折れたろうと思われます。
第七回 時間、空間、数及び因果関係(二)
●それから意識の連続のうちに、二つもしくは二つ以上、いつでも同じ順序につながって出て来るのがあります。
甲の後には必ず乙が出る。いつでも出る。順序において毫も変る事がない。
するとこの一種の関係に対して吾人は因果の名を与えるのみならず、この関係だけを切り離して因果の法則と云うものを捏造するのであります。
捏造と云うと妙な言葉ですが、実際ありもせぬものをつくり出すのだから捏造に相違ない。
意識現象に附着しない因果はからの因果であります。
因果の法則などと云うものは全くからのもので、やはり便宜上の仮定に過ぎません。
これを知らないで天地の大法に支配せられて……などと云ってすましているのは、自分で張子の虎を造ってその前で慄えているようなものであります。
●いわゆる因果法と云うものはただ今までがこうであったと云う事を一目に見せるための索引に過ぎんので、便利ではあるが、未来にこの法を超越した連続が出て来ないなどと思うのは愚の極であります。
それだから、よく分った人は俗人の不思議に思うような事を毫も不思議と思わない。
今まで知れた因果が以外にいくらでも因果があり得るものだと承知しているからであります。
ドンが鳴ると必ず昼飯だと思う連中とは少々違っています。
10 中間まとめ
●ここいらで前段に述べた事を総括しておいて、それから先へ進行しようと思います。
(一)吾々は生きたいと云う念々に支配せられております。意識の方から云うと、意識には連続的傾向がある。
(二)この傾向が選択を生ずる。
(三)選択が理想を孕む。
(四)次にこの理想を実現して意識が特殊なる連続的方向を取る。
(五)その結果として意識が分化する、明暸になる、統一せられる。
(六)一定の関係を統一して時間に客観的存在を与える。
(七)一定の関係を統一して空間に客観的存在を与える。
(八)時間、空間を有意義ならしむるために数を抽象してこれを使用する。
(九)時間内に起る一定の連続を統一して因果の名を附して、因果の法則を抽象する。
11 空間も、時間も、因果の法則も、便宜上の仮定なり
●空間というものも時間というものも因果の法則というものも皆便宜上の仮定であって、真実に存在しているものではない。
これは私がそう云うのです。諸君がそうでないと云えばそれでもよい。御随意である。
とにかく今日だけはそう仮定したいものだと思います。それでないと話が進行しません。
なぜこんな余計な仮定をして平気でいるかというと、そこが人間の下司な了簡で、我々はただ生きたい生きたいとのみ考えている。
生きさえすれば、どんな嘘でもつく、どんな間違でも構わず遂行する、真にあさましいものどもでありますから、空間があるとしないと生活上不便だと思うと、すぐ空間を捏造してしまう。
時間がないと不都合だと勘づくと、よろしい、それじゃ時間を製造してやろうと、すぐ時間を製造してしまいます。
だからいろいろな抽象や種々な仮定は、みんな背に腹は代えられぬ切なさのあまりから割り出した嘘であります。
そうして嘘から出た真実であります。
●いかにこの嘘が便宜であるかは、何年となく嘘をつき習った、末世澆季の今日では、私もこの嘘を真実と思い、あなた方もこの嘘を真実と思って、誰も怪しむものもなく、疑うものもなく、公々然憚はばかるところなく、仮定を実在と認識してうれしがっているのでも分ります。
貧して鈍すとも、窮すれば濫すとも申して、生活難に追われるとみんなこう堕落して参ります。
要するに生活上の利害から割り出した嘘だから、大晦日に女郎のこぼす涙と同じくらいなまことは含んでおります。
なぜと云って御覧なさい。もし時間があると思わなければ、また時間を計る数と云うものがなければ、土曜に演説を受け合って日曜に来るかも知れない。
御互の損になります。空間があると心得なければ、また空間を計る数と云うものがなければ、電車を避ける事もできず、二階から下りる事もできず、交番へ突き当ったり、犬の尾を踏んだり、はなはだ嬉うれしくない結果になります。
●因果の法則もこの通りであります。すべてこれらに存在の権利を与えないと吾身が危ういのであります。
わが身が危うければどんな無理な事でもしなければなりません。 そんな無法があるものかとりきんでいる人は死ぬばかりであります。
だから現今ぴんぴん生息している人間は皆不正直もので、律義な連中はとくの昔に、汽車に引かれたり、川へ落ちたり、巡査につかまったりして、ことごとく死んでしまったと御承知になれば大した間違はありません。
第八回 物我対立 -- 意識の分化作用(一)
12 放射作用
●すでに空間ができ、時間ができれば意識を割いて我と物との二つにする事は容易であります。
容易などころの騒ぎじゃない。実は我と物を区別してこれを手際よく安置するために空間と時間の御堂を建立したも同然である。
御堂ができるや否や待ち構えていた我々は意識をつかんではなげ、つかんではなげ、あたかも粟餅屋が餅をちぎってキナ粉の中へ放り込むような勢で抛げつけます。
このキナ粉が時間だと、過去の餅、現在の餅、未来の餅になります。
このキナ粉が空間だと、遠い餅、近い餅、ここの餅、あすこの餅になります。
今でも私の前にあなた方が百五十人ばかりならんでおられる。これは失礼ながら私が便宜のため、そこへ抛げ出したのであります。
すでに空間のできた今日であるから、嘘にもせよせっかく出来上ったものを使わないのも宝の持腐れであるから、都合により、ぴしゃぴしゃ投出すと約百余人ちゃんと、そこに行儀よく並んでおられて至極便利であります。
投げると申すと失敬に当りますが、粟餅とは認めていないのだから、大した非礼にはなるまいと思います。
13 我以外のものに名称を与えて区別する
●この放射作用と前に申した分化作用が合併して我以外のものを、単に我以外のものとしておかないで、これにいろいろな名称を与えて互に区別するようになります。
例えば感覚的なものと超感覚的なもの (あるかないか知らないが幽霊とか神とか云う正体の分らぬものを指すのです) に分類する。
その感覚的なものをまた眼で見る色や形、耳で聴く音や響、鼻で嗅かぐ香、舌でしる味などに区別する。
かくのごとく区別されたものを、まただんだんに細かく割って行く。
分化作用が行われて、感覚が鋭敏になればなるほどこの区別は微精になって来ます。
のみならず同一に統一作用が行われるからして、一方では草となり、木となり、動物となり、人間となるのみならず。
草はすみれとなり、たんぽぽとなり、桜草となり、木は梅となり、桃となり、松となり、檜となり、動物は牛、馬、猿、犬、人間は士、農、工、商、あるいは老、若、男、女、もしくは貴、賤、長、幼、賢、愚、正、邪、いくらでも分岐して来ます。
●現に今日でも植物学者の見分け得る草や花の種類はほとんど吾人の幾百倍に上るであろうと思います。
また諸君のような画家の鑑別する色合は普通人の何十倍に当るか分らんでしょう。
それも何のためかと云えば、元に還って考えて見ると、つまりは、うまく生きて行こうの一念に、この分化を促うながされたに過ぎないのであります。
ある一種の意識連続を自由に得んがために(選択の区域に出来得るだけの余裕を与えんがために)あらかじめ意識の範囲を広くすると云う意味にほかならんのであります。
私共はどの草を見ても皆一様に青く見える。
青のうちでいろいろな種類を意識したいと思っても、いかんせん分化作用がそこまで達しておらんから皆無駄目である。
少くとも色について変化に富んだ複雑の生活は送れない事に帰着する。 情ない次第だと思います。
●或る評家の語に吾人が一色を認むるところにおいてチチアンは五十色を認めるとあります。
これは単に画家だから重宝だと云うばかりではありません。人間として比較的融通の利きく生活が遂げらるると云う意味になります。
意識の材料が多ければ多いほど、選択の自由が利いて、ある意識の連続を容易に実行できる――即ち自己の理想を実行しやすい地位に立つ――人と云わなければならぬから、融通の利く人と申すのであります。
●単に色ばかりではありません。
例えば思想の乏しい人の送る内生涯と云うものも色における吾々と同じく、気の毒なほど憐れなものです。
いくら金銭に不自由がなくても、いくら地位門閥が高くても、意識の連続は単調で、平凡で、毫も理想がなくて、高、下、雅、俗、正、邪、曲、直の区別さえ分らなくて昏々濛々としてアミーバのような生活を送ります。
こんな連中は人間さえ見れば誰も彼もみな同じ物だと思って働きかけます。
それは頭が不明暸なんだからだと注意してやると、かえって吾々を軽蔑したり、罵倒したりするから厄介です
第九回 意識の分化作用(二)
14 我に対しても身体と精神を区別する 心理学者の仕事
●吾人は今申す通り我に対する物を空間に放射して、分化作用でこれを精細に区別して行きます。
同時に我に対してもまた同様の分化作用を発展させて、身体と精神とを区別する。
その精神作用を知、情、意、の三に区別します。
それからこの知を割り、情を割り、その作用の特性によってまたいろいろに識別して行きます。
この方面は主として心理学者と云うものが専門として担任しているから、これらの人に聞くのが一番わかりやすい。
もっとも心理学者のやる事は心の作用を分解して抽象してしまう弊がある。
知情意は当を得た分類かも知れぬが、三つの作用が各独立して、他と交渉なく働いているものではありません。
心の作用はどんなに立入って細かい点に至っても、これを全体として見るとやはり知情意の三つを含んでいる場合が多い。
だからこの三作用を截然と区別するのは全く便宜上の抽象である。
15 繊細な心の働きを移すのは、文学者の仕事
●この抽象法を用いないで、しかも極度の分化作用による微細なる心の働き(全体として)を写して人に示すのはおもに文学者がやっている。
だから文学者の仕事もこの分化発展につれてだんだんと、朦朧たるものを明暸に意識し、意識したるものを仔細に区別して行きます。
例えば昔の竹取物語とか、太平記とかを見ると、いろいろな人間が出て来るがみんな同じ人間のようであります。
西鶴などに至ってもやはりそうであります。
つまりああいう著者には人間がたいてい同様にぼうっと見えたのでありましょう。
●分化作用の発展した今日になると人間観がそう鷹揚ではいけない。
彼らの精神作用について微妙な細かい割り方をして、しかもその割った部分を明細に描写する手際がなければ時勢に釣り合わない。
これだけの眼識のないものが人間を写そうと企てるのは、あたかも色盲が絵をかこうと発心するようなものでとうてい成功はしないのであります。
画を専門になさる、あなた方がたの方から云うと、同じ白色を出すのに白紙の白さと、食卓布の白さを区別するくらいな視覚力がないと視覚の発達した今日において充分理想通りの色を表現する事ができないと同様の意義で、――文学者の方でも同性質、同傾向、同境遇、同年輩の男でも、その間に微妙な区別を認め得るくらいな眼光がないと、人を視る力の発達した今日においては、性格を描写したとは申されないのであります。
したがって人間をかく文学者は、単に文学者ではならん、要するに人間を識別する能力が発達した人でなくてはならんのです。
進んだる世の中に、もっとも進んだる眼識を具そなえた男――特に文学者としてではない、一般人間としてこの方面に立派な腕前のある男――でなければ手は出せぬはずであります。
16 そんな小説家が一人もいないとすれば、それは、現今日本の小説家の罪
●世の中はそう思っておりません。何なんの小説家がと、小説家を単に筆を舐ぶって衣食する人のように考えている。
小説家よりも大学の先生の方が遥にえらいと考えている。内務省の地方局長の方がなお遥にえらいと思っている。
大臣や金持や華族様はなおなお遥にえらいと思っている。妙な事であります。
もし我々が小説家から、人間と云うものは、こんなものであると云う新事実を教えられたならば、我々は我々の分化作用の径路において、この小説家のために一歩の発展を促されて、開化の進路にあたる一叢(ひとむら)の荊棘(いばら)を切り開いて貰ったと云わねばならんだろうと思います。
もし諸君がそんな小説家は現今日本に一人もないではないかといわれるならば、私はこう答える。
それは小説家の罪ではない。現今日本の小説家 (私もその一人と御認めになってよろしい) の罪である。
第十回 芸術家の理想(一)
●実はまだ文学の御話をするほどに講演の歩を進めておらんのであります。
分化作用を述べる際につい口が滑すべって文学者ことに小説家の眼識に論及してしまったのであります。
だからこれをもって彼らの使命の全般をつくしたとは申されない。
前にも云う通りついでだから分化作用に即して彼らの使命の一端を挙あげたのに過ぎんのである。
したがって文学全体に渉わたっての御話をするときには今少し概括的に出て来なければならぬ訳です。
これから追々そこまで漕ぎつけて行きます。
17 物に向って知を働かす人と、情を働かす人と、意を働かす人
●かく分化作用で、吾々は物と我とを分ち、物を分って自然と人間(物として観たる人間)と超感覚的な神(我を離れて神の存在を認める場合に云うのであります)とし、我を分って知、情、意の三とします。
この我なる三作用と我以外の物とを結びつけると、明かに三の場合が成立します。
すなわち物に向って知を働かす人と、物に向って情を働かす人と、それから物に向って意を働かす人であります。
無論この三作用は元来独立しておらんのだから、ここで知を働かし、情を働かし、意を働かすと云うのは重に働かすと云う意味で、全然他の作用を除却して、それのみを働かすと云うつもりではありません。
そこでこのうちで知を働かす人は、物の関係を明あきらめる人で俗にこれを哲学者もしくは科学者と云います。
情を働かす人は、物の関係を味わう人で俗にこれを文学者もしくは芸術家と称となえます。
最後に意を働かす人は、物の関係を改造する人で俗にこれを軍人とか、政治家とか、豆腐屋とか、大工とか号しております。
●かように意識の内容が分化して来ると、内容の連続も多種多様になるから、前に申した理想、すなわちいかなる意識の連続をもって自己の生命を構成しようかと云う選択の区域も大分自由になります。
ある人は比較的知の作用のみを働かす意識の連続を得て生存せんとこいねがい、ついに学者になります。
またある人は比較的情を働かす意識の連続をもって生活の内容としたいと云う理想からとうとう文士とか、画家とか、音楽家になってしまいます。
またある人は意志を多く働かし得る意識の連続を希望する結果百姓になったり、車引になったり――これはたんとないかも知れぬが、軍(いくさ)をしたり、冒険に出たり、革命を企てたりするのは大分あるでしょう。
●かく人間の理想を三大別したところで、我々、すなわち今日この席で講演の栄誉を有している私と、その講演を御聴き下さる諸君の理想は何であるかと云うと、云うまでもなく第二に属するものであります。
情を働かして生活したい、知意を働かせたくないと云うのではないが、情を離れて活きていたくないと云うのが我々の理想であります。
しかしただ「情が理想」では合点が行かない。 御互になるほどと合点が参るためには、今少し詳細に「情を理想とする」とは、こんなものだとこまかく割って御話しをしなければなるまいと思います。
18 情を働かす人
●情を働かす人は物の関係を味わうんだと申しました。
物の関係を味わう人は、物の関係を明めなくてはならず、また場合によってはこの関係を改造しなくては味が出て来ないからして、情の人はかねて、知意の人でなくてはならず、文芸家は同時に哲学者で同時に実行的の人(創作家)であるのは無論であります。
しかし関係を明める方を専らにする人は、明めやすくするために、味わう事のできない程度までにこの関係を抽象してしまうかも知れません。
林檎が三つあると、三と云う関係を明かにさえすればよいと云うので、肝心の林檎は忘れて、ただ三の数だけに重きをおくようになります。
文芸家にとっても関係を明かにする必要はあるが、これを明かにするのは従前よりよくこの関係を味わい得るために、明かにするのだからして、いくら明かになるからと云うて、この関係を味わい得ぬ程度までに明かにしては何にもならんのであります。
だから三と云う関係を知るのは結構だが林檎と云う果物を忘るる事はとうてい文芸家にはできんのであります。
●文芸家の意志を働かす場合もその通りであります。
物の関係を改造するのが目的ではない、よりよく情を働かし得るために改造するのである。
情の活動に反する程度までにこの関係をあらたにしてしまうのは、文芸家の断じてやらぬ事であります。
松のかたわらに石を添える事はあるでしょうが、松を切って湯屋に売払う事はよほど貧乏しないとできにくい。
せっかくの松を一片の煙としてしまうともう、情を働かす余地がなくなるからであります。
して見ると文芸家は「物の関係を味わうものだ」と云う句の意味がいささか明暸になったようであります。
すなわち物の関係を味わい得んがためには、その物がどこまでも具体的でなくてはならぬ、知意の働きで、具体的のものを打ち壊してしまうや否や、文芸家はこの関係を味わう事ができなくなる。
したがってどこまでも具体的のものに即して、情を働かせる、具体の性質を破壊せぬ範囲内において知、意を働かせる。
第十一回 芸術家の理想(二)-- 美的理想
●すると文芸家の理想はとうてい感覚的なものを離れては成立せんと云う事になります。
(この事を詳しく論ずるといろいろの疑問が起って来ますが、今は時間がありませんから述べません。 まず大体の上においてこの命題は確然たる根拠のあるものと御考えになっても差支えはなかろうと思います)
早い話しが無臭無形の神の事でもかこうとすると何か感覚的なものを借りて来ないと文章にも絵にもなりません。
だから旧約全書の神様やギリシャの神様はみんな声とか形とかあるいはその他の感覚的な力を有しています。
それだから吾人文芸家の理想は感覚的なる或物を通じて一種の情をあらわすと云うても宜よろしかろうと存じます。
19 二つの問題
●そこで問題は二つになります。一は感覚的なものとは何だと云う問題で、 二はいわゆる一種の情とは、感覚的なものの、どの部分によって、どんな具合にあらわされるかまた、「感覚的なものを通じて」と云うのは感覚的なものを使って、この道具の方便である情をあらわすと云うのか、しからずんば感覚的なもの、それ自身がこの情をあらわす目的物かという問題であります。
この問題を解釈すると文芸家の理想の分化する模様が大体見当がつきます。
第一問の解釈、第二問の解釈として順を追うては述べませんが、ただ秩序を立てて分りやすくするためにやはり一二の番号をふって説明して行きます。
20 最初の問題 感覚的なものとは何
●(一)私は最前(先程)、空間、時間の建立からして、物我の二世界を作ると申しました。
その物なるものは自然である、人間である、(単に物として見たる)神である(我以外に存在するとすれば)と申しました。
このうちで神は感覚的なものでないから問題になりません。もし文芸に神が出現するときは感覚的な或物を通じてくるのだから、出現するとしても、他と同じ分類のなかにはいるからしてやはり問題にする必要はありません。
すると残るものは自然と人間であります。そうして我々は自然とこの人間とに対して一種の情を有しております。
換言すれば感覚的なる自然と感覚的なる人間そのものの色合やら、線の配合やら、大小やら、比例やら、質の軟硬やら、光線の反射具合やら、彼らの有する音声やら、すべてこれらの感覚的なるものに対して趣味、すなわち好悪、すなわち情、を有しております。
だからこれらの感覚的な物の関係を味わう事ができます。
のみならずそのうちでもっとも優れたる関係を意識したくなります。
その意識したい理想を実現する一方法として詩ができます、画ができます。
この理想に対する情のもっとも著しきものを称して美的情操と云います。
(実は美的理想以外にもいろいろな理想が起る訳であります。
あるいは一種の関係に突兀と云う名を与え、あるいは他種の関係に飄逸と云う名を与えて、突兀的情操、飄逸的情操と云うのを作っても差支さしつかえない。
説明 突兀(とっこつ)とは、山の頂上が槍のようにとがっている様子
飄逸(ひょういつ)とは、世事・世評を気にせず、のんき・気軽に行動する様子
分化作用が発達すれば自然とここへ来るにきまっています。
西洋人の唱え出した美とか美学とか云うもののために我々は大に迷惑します)
●かようにして美的理想を自然物の関係で実現しようとするものは山水専門の画家になったり、天地の景物を詠ずる事を好む支那詩人 もしくは日本の俳句家のようなものになります。
それからまた、この美的理想を人物の関係において実現しようとすると、美人を咏ずる事の好きな詩人ができたり、これを写す事の御得意な画家になります。
現今西洋でも日本でもやかましく騒いでいる裸体画などと云うものは全くこの局部の理想を生涯の目的として苦心しているのであります。
技術としてはむずかしいかも知れぬが文芸家の理想としては、ほんの一部分に過ぎんのであります。
人によると裸体画さえかけば、画の能事は尽きたように吹聴している。
私は画の方は心得がないから、何なんとも申しかねるが、あれは仏国の現代の風潮が東漸した結果ではないでしょうか。
とにかく、画でも詩でも文でも構わない。感覚物として見たる人間がすでに感覚物の一部分に過ぎん上に、美的情操と云うのがまた、この感覚物として見たる人間に対する情操の一部に過ぎんと判然した以上は、裸体美と云うものは尊いものかは知れぬが、狭いものには相違ないでしょう。
●美的にせよ、突兀的にせよ、飄逸的にせよ、皆吾人の物の関係を味う時の味い方で、そのいずれを選ぶかは文芸家の理想できまるべき問題でありますから、分化の結果理想がふえれば、どこまで割れて行くか分りません。
しかしいくら割れても、ここに云う理想は、感覚物を感覚物として見た時にその関係から生ずるのであります。
すなわちこの際における情操は、感覚物そのものを目的物として見た時に起るので、これを道具に使って、その媒介によって、感覚物以外の或るものに対して起す情操と混同してはならんのであります。
第十二回 芸術家の理想(三)-- 愛および徳義に対する理想(イ)
21 第二の問題 一種の情は、どんな具合にあらわされるか
●(二)物我のうち物に対する理想と情操とは以上で大抵御分りになったろうと思います。
すると今度は我の番でありますから、こちらを少々説明します。
21-1 知の働きによって、一種の情をあらわす
●(A)我の作用を知情意に区別することは前に述べた通りで、この知の働きを主にして物の関係を明かにするものは哲学者もしくは科学者だと申しました。
なるほど関係を明かにすると云う点より見れば哲学科学の領分に相違ないが、関係を明かにするために一種の情が起るならば、情が起ると云う点において、知の働きであるにもかかわらず文芸的作用と云わねばならんかと思います。
ところが知を働かして情の満足を得るためには前に説明した通り感覚的なものを離れて、単に物の関係のみを抽象してあらわしてはならんのであります。
●換言すると文芸的に知を働かせるため感覚的の具体を借りて来なければ成立しない、具体を借りてその媒介を待てば知の働きといえどもこれを文芸化するを得べしと云う事になります。
そうすると、ここに新しい文芸上の理想が出来上ります。
すなわち物を道具に使って、知を働かし、その関係を明かにして情の満足を得ると云う理想であります。
この理想を真に対する理想と云います。
だからして真に対する理想は哲学者及び科学者の理想であると同時に文芸家の理想にもなります。
ただし後者は具体を通じて真をあらわすと云う条件に束縛されただけが、前者と異なるのであります。
そうしてこの真のあらわし方、すなわち知を働かす具合も分化していろいろになりますが、おもに人間の精神作用が、(この場合には(一)におけるごとく人間を純感覚物と見做みなさないのである)あらかじめ吾人の予想した因果律と一致するか、またはこの因果律に一歩の分化を加えたる新意義に応じて発展する場合に多く用いられるのであります。
●たとえば父子が激論をしていると、急に火事が起って、家が煙につつまれる。
その時今まで激論をしていた親子が、急に喧嘩を忘れて、互に相助けて門外に逃げるところを小説にかく。
すると書いた人は無論読む人もなるほどさもありそうだと思う。
すなわちこの小説はある地位にある親子の関係を明かにしたと云う点において、作者及び読者の知を働かし得て、真に対する情の満足を得せしむるのであります。
または反対に、大変仲のよかった夫婦が飢饉のときに、平生の愛を忘れて、妻の食うべき粥を夫が奪って食うと云う事を小説にかく。
するとこれもある位地境遇にある夫婦の関係を明かにすると云う点で同様の満足を作者と読者に与えるかも知れない。
(人間の精神作用から云うと真はいろいろである。時には相反しても依然として双方共真である)
好んでこう言う事をかく文芸家を真を理想にする文芸家と云います。
21-2 情の働きによって、一種の情をあらわす
●(B)吾人の有する第二の精神作用は情であります。
この情を理想として働かせる人を文芸家と云う事は前に述べた通りでありますが、説いてここに至ると混雑を生じやすいからして、少々弁じた上進行します。
単に情と云うと曖昧であります。
なぜなれば我々が情の活動を得んがために、文芸上の作物を仕上げたり、またはこれを味う時に働かしむる情は、作物中に材料として使用する情とは区別する必要があるからであります。
我々は感覚物を感覚物として見るときに一種の情を起します、この情はすなわち文芸家の理想の一であります。
我々はまた感覚物を通じて知を働かせるときに一種の情を起します。
この情もまた文芸家の理想の一であります。
●次に我々は同じく感覚物を通じて情を働かせるときにまた一種の情を得ねばならぬ訳であります。
この二つの情はたとえその内容において彼此(ひし)相一致するとしても、これを同体同物としては議論の上において混雑を生ずる訳であります。
例えばある感覚物を通じて怒と云う情をあらわすとすれば、この作物より得る吾人の情もまた同性質の怒かも知れぬけれども(時には異性質の情を起す事あるはもちろんである)両者同物ではない。
前の怒りは原因で後の怒りは結果である。わかりやすく言い直すと、前の怒りは感覚物に附着した怒である。
(たといその源は我の有する作用中の怒りを我以外に放射して創設せるものにもせよ) 後の怒は我と云う自己中に起る怒りである。
だから混同を防ぐためにこの二つを区別しておいて歩を進めます。
しかしその論法は大体において(A)の場合、すなわち吾人は知の働きを愛して、これに一種の情を付与すと云うくだりに説明したものと変りはありません。
●吾人の心裏(しんり)に往来する喜怒哀楽は、それ自身において、吾人の意識の大部分を構成するのみならず、その発現を客観的にして、これをいわゆる物(多くの場合においては人間であります)において認めた時にもまた大に吾人の情を刺激するものであります。
けれどもこの刺激は前に述べた条件に基いて、ある具体、ことに人間を通じて情があらわるるときに始めて享受する事ができるのであります。
情において興味を有するからと云うて心理学者のように情だけを抽象して、これを死物として取扱えば文芸的にはなり兼ねるのであります。
もっとも当体が情であるだけに、知意に比すると比較的抽象化しても物にならんとは限りませんが、これを詳しく説明する余裕がないから略します。
第十三回 芸術家の理想(四)-- 徳義に対する理想(ロ)荘厳に対する理想
●そこでこの種の理想に在っても分化の結果いろいろになりますが、まず標準を云うと、物を通して――物と云うより人と云う方が分りやすいから人としましょう ――人を通じて愛の関係をあらわすもの、これは十中八九いわゆる小説家の理想になっております。
その愛の関係も分化するといろいろになります。
相愛して夫婦になったり、恋の病に罹かかったり――もっとも近頃の小説にはそんな古風なのは滅多めったにないようですが、それからもっと皮肉なのになると、嫁に行きながら他の男を慕って見たり、ようやく思が遂げていっしょになる明くる日から喧嘩けんかを始めたり、いろいろな理想――理想と云うのもおかしいようだ――とにかくいろいろできます。
次には忠、孝、義侠心、友情、おもな徳義的情操はその分化した変形と共に皆標準になります。
この徳義的情操を標準にしたものを総称して善の理想と呼ぶ事ができます。
この事はもっと委細に御話したいが時間がないから略して次に移ります。
21-3 意の働きによって、一種の情をあらわす
●(C)精神作用の第三は意志であります。
この意志が文芸的にあらわれ得るためには、やはり前述の条件に従って、感覚的な物を通じて具体化されなくてはなりません。
そうすると、感覚的な物は道具であって、この道具のために意志の働きが判然とあらわれてくる。
しかし道具はどこまでも道具で、意志があらわれるから道具も尊くなる。
例えば徳利のようなものであります。 徳利自身に貴重な陶器がないとは限らぬが、底が抜けて酒を盛るに堪たえなかったならば、杯盤の間に周旋して主人の御意に入る事はできんのであります。
●今、仮に大きな弾丸が空中を飛ぶ様を写すとする。
するとこれを見る方法に二通りある。一は単に感覚的で、第一に述べたような場合に属する。
一はこの感覚的なるものを通して非常に猛烈な勢――ただの勢では写す事もどうする事もできんから――をあらわす。
すると弾丸は客で、実の目的は弾丸のあらわす猛勢である。
自然ながら、器械的ながら一種の意志の作用である。
冬に富士山へ登るものを見ると人は馬鹿と云います。
なるほど馬鹿には相違ないが、この馬鹿を通して一種の意志が発現されるとすれば、馬鹿全体に眼をつける必要はない、
ただその意志のあらわれるところ、文芸的なるところだけを見てやればよいかも知れません。
貴重な生命を賭として海峡を泳いで見たり、沙漠を横ぎって見たりする馬鹿は、みんな意志を働かす意識の連続を得んがために他を犠牲に供するのであります。
したがってこれを文芸的にあらわせばやはり文芸的にならんとは断言できません。
いわんや国のためとか、道のためとか、人のためとか、(B)の場合に述べた徳義的理想と合するように意志が発現してくると非常な高尚な情操を引き起します。
いわゆる懦夫をして起たしむとはこの時の事であります。
英語ではこれを heroism と名づけます。
吾人の heroism に対して起す情緒は実際偉大なものに相違ありません。
●私は今日ここへ参りがけに砲兵工厰の高い煙突から黒煙がむやみにむくむく立ちのぼるのを見て一種の感を得ました。
考えると煤煙などは俗なものであります。 世の中に何が汚ないと云って石炭たきほどきたないものは滅多にない。
そうして、あの黒いものはみんな金がとりたいとりたいと云って煙突が吐く呼吸だと思うとなおいやです。
その上あの煙は肺病によくない。――しかし私はそんな事は忘れて一種の感を得た。
その感じは取もなおさず、意志の発現に対して起る感じの一部分であります。
砲兵工厰の煙ですらこうだから真正の heroism に至っては実に壮烈な感じがあるだろうと思います。
●文芸家のうちではこの種の情緒を理想とするものは現代においては殆どないように思います。
この理想にも分化があるのは無論です。
楠公が湊川で、願くは七たび人間に生れて朝敵を亡ぼさんと云いながら刺しちがえて死んだのは一例であります。
びっこで結伽のできなかった大燈国師が臨終に、今日こそ、わが言う通りになれと満足でない足をみしりと折って鮮血が法衣を染めるにも頓着なく座禅のまま往生したのも一例であります。
分化はいろいろできます。しかしその標準を云うとまず荘厳に対する情操と云うてよろしかろうと思います。
第十四回 芸術上の理想と時代および個人との関係 -- 四種の理想の価値(一)
22 文芸家の理想 四大別 美、真、愛(または道義)、荘厳
●これで文芸家の理想の種類及びその説明はまず一と通り済みました。
概括すると、一が感覚物そのものに対する情緒。 (その代表は美的理想)
二が感覚物を通じて知、情、意の三作用が働く場合でこれを分って、
(A)知の働く場合(代表は真に対する理想)
(B)情の働く場合(代表は愛に対する理想及び道義に対する理想)
(C)意志の働く場合(代表は荘厳に対する理想)となります。
この四大別の上に連想から来る情緒がいかにして混入するかを論じなければならんのですが、これも時間がないからやめます。
●文芸家の理想をようやくこの四種に分けました。
この分類は私が文学論のなかに分けておいたものとは少々違いますが、これは出立地が違うのだから仕方がありません。
もっともこの分け方の方が、明暸で適切のように思われますから、双方違っていてもけっして諸君の御損にはなりません。
さて前にも申す通り、知、情、意なる我々の精神的作用は区別のできるにもかかわらず、区別されたまま、他と関係なく発現するものでない、のみならず文芸にあっては皆感覚物を通じてその作用を現すのであるからして、この四種の理想に対する情操も、互に混合錯雑して、事実上はかように明暸に区劃くかくを受けて、作物中に出てくるものではありません。
それにもかかわらず理想は四種あるので、四種以下にはならんのであります。
しかも或る格段なる作物を取って検して見ると、四種のうちのいずれかがもっとも著しく眼につきます。
したがってこの作はどの理想に属するものだと云う事はある程度まで云えます。
そうしてこの四種の理想が、時代により、個人により、その勢力の消長遷移に影響を受けつつあるは疑うべからざる事実であります。
●ある時代には、美の要求を満足しなければ文芸上の作品でないとまで見做される事もありましょう。
また次の時代には理想が推移して美はとにかく真は是非共あらわさなくては文芸の二字を冠らする資格がないと評します。
またある人はどこかで道義心に満足を与えない作物は、作りたくない読みたくないと断言します。
また他の人は意思の発現に伴う荘厳の情緒を得なければ、文芸上のあるものを味うた気がしないとまで主張するかも知れない。
これらの時代もこれらの人々もことごとく正しいのであります。
また四種のいずれでも構わないと云う人があれば、その人の趣味はもっとも広い人でまたもっとも正しい人と判断してもよかろうと思います。
この四種のいずれがいかなる時勢に流行し、いずれがいかなる人にもっとも歓迎さるるかは大分興味ある問題でありますが、これも時間がないから抜きに致します。
●ただちょっと御断りをしておきたいのは、この四種は名前の示すごとく四種であって互にそれ相当の主張を有して、文芸の理想となっているものでありますから、甲をもって乙に隷属すべき理由はどうしても発見できんのであります。
この四つのうちに、重要の度からして差等の点数をつけて見ろと云われた時に、なんびともこれをあえてする事はできないはずと思います。
もしあるとすれば答案を調べずに点数をつける乱暴な教員と同じもので、言語道断の不心得であります。
ただ吾は時勢の影響を受けているから、しかじかの理想に属するものを好むと云うならばそれでよろしい。
吾は個性としてかくかくの理想の下に包含せらるべきものを択えらむと云うならば、それで勘弁してもよい。
好悪は理窟にはならんのだから、いやとか好きとか云うならそれまでであるが、根拠のない好悪を発表するのを恥じて、理窟もつかぬところに、いたずらな理窟をつけて、弁解するのは、消化がわるいから僕は蛸が嫌いだというような口上で、もし好物であったなら、いかほど不消化でも、だまって、足は八本共に平げるほどな覚悟だろうと思います。
第十五回 四種の理想の価値(二)
●この故にこれら四種の理想は、互に平等な権利を有して、相冒すべからざる標準であります。
だから美の標準のみを固執して真の理想を評隲するのは疝気筋(せんきすじ)の飛車取り王手のようなものであります。
朝起を標準として人の食慾を批判するようなものでしょう。
御前は朝寝坊だ、朝寝坊だからむやみに食うのだと判断されては誰も心服するものはない。
枡を持ち出して、反物の尺を取ってやるから、さあ持って来いと号令を下したって誰も号令に応ずるものはありません。
寒暖計を眺めて、どうもあの山の高さはよほどあるよと云う連中は、寒暖計を験温器の代りにして逆上の程度でも計ったらよかろうと思う。
●もっともここに見当違いの批評と云うのは、美をあらわした作物を見て、ここには真がないと否定する意味ではない。
真がないから駄目だ作物にならんと云う批評を云うのである。
真はないかも知れぬ、なければないでよい。無いものを有ると云うて貰いたいとは誰も云わないでしょう。
しかし現にある美だけは見てやらなくっては、せっかく作った作物の生命がなくなる訳であります。
頭は薬缶やかんだが鬚だけは白いと云えば公平であるが、薬缶じゃ御話しにならんよと、一言で退しりぞけられたなら、鬚こそいい災難である。
運慶の仁王は意志の発動をあらわしている。 しかしその体格は解剖には叶かなっておらんだろうと思います。
あれを評して真を欠いてるから駄目だと云うのは、云う方が駄目だめです。
ミレーの晩祈の図は一種の幽遠な情をあらわしている。そこに目がつけば、それでたくさんである。
この画には意志の発動がないと云うのは、我慢して聞いてやっても好い。
発動がないから画にならんと云うなら、発動の管から文芸の世界を見る蛙のようなものであります。
●しかしながら、一の理想をあらわすときに、他の理想を欠いている場合と、積極的に他の理想を打ち崩くずしている場合とは少々違うのであります。
欠いているのはただ含んでおらんと云うまでで、打ち壊すとなると明かにその理想に違背しているのですからして、この場合には作家の標準にした理想が、すべての他を忘却せしめ得るほどな手際でうまく作物にあらわれておらねばならん。
けれどもこれは天才でもはなはだむずかしい。
したがって普通の場合には功罪が帳消しになって余す所は棒だけになります。
●あれも学才があって教師には至極だが、どうも放蕩をしてと云う事になるととうてい及第はできかねます。
だからいかな長所があっても、この長所を傷ける短所があって、この短所を忘れ得せしむるだけに長所が卓然としていない作物は、惜しいけれども文句がつきます。
私はとくに惜しいけれどもと云いたい。惜しいと云うのは、すでに長所を認めた上の批評であり、かつ短所をも知り抜いた上の判断で、一本調子に搦手てばかり、五年も六年も突つついている陣笠連とは歩調を一にしたくないからこう云うのであります。
第十六回 現代文学者の理想(一) -- 真に対する理想
23 現代文芸の理想 真なるもの
●そこでいよいよ現代文芸の理想に移って、少々気焔を述べたいと思います。
現代文芸の理想は何でありましょう。 美? 美ではない。
画の方、彫刻の方でもおそらく、単純な美ではないかも知れないが、それは不案内だから、諸君の御一考を煩わずらわすとして、文学について申すとけっして美ではない。
美と云うものを唯一の生命にしてかいたものは、短詩のほかにはないだろうと思います。
小説には無論ありますまい。脚本は固もとよりです。
詳しく云うと、暇がかかるから、このくらいで御免こうむって先へ進みます。
●現代の理想が美でなければ、善であろうか、愛であろうか。
この種の理想は無論幾多の作物中に経となり緯となりて織り込まれているには相違ないが、これが現代の理想だと云うには、はるかに微弱すぎると思います。
それでは荘厳だろうか。荘厳が現代の理想ならばいささか頼母しい気持もするが、実際はかえって反対である。
現代の世ほど heroism に欠乏した世はなく、また現代の文学ほど heroism を発揚しない文学は少かろうと思います。
現代の世に荘厳の感を起す悲劇は一つも出ないのでも分ります。
現代文芸の理想が美にもあらず、善にもあらずまた荘厳にもあらざる以上は、その理想は真の一字にあるに相違ない。
例を引けば長くなる、証を挙あげれば大変である。
仕方がないから、ただ真の一字が現代文芸ことに文学の理想であると云い放っておきます。
しばらくこれを事実と御承認を願いたい。
●ところでこの真なるものも、いわゆる分化作用で、いろいろの種類と程度を有しているには相違ない、英仏独露の諸書を猟渉したらばその変形のおもなものを指摘する事はできる事になりましょう。
私はそれに対してけっして不平を云うつもりではありません。
前に云うごとく、真は四理想の一であって、その一たる真が勢を得て、他の三理想が比較的下火になるのも、時勢の推移上銀杏返しがすたれて束髪が流行すると同じように、やむをえぬ次第と考えられます。
しかしこれについて一言御参考のために申し上げておきたいのは、ほかでありませんが、こういう事なんです。
24 人間の観察は、深くなると狭くなる
●人間の観察と云う者は深くなると狭くなるものです。
世の中に何が狭いと云って専門家ほど狭いものはないのでも御分りになるでしょう。
狭いと云う事は別段わるいと云う意味は含んでおりませんから、構わないと主張されるかも知れませんが、狭いと云うと不都合な事になります。
医者があまり熱心になって狭い専門の範囲を、寝ても覚さめても出る事ができないと、ついには妻に毒薬を飲まして、その結果を実験して見たいなどととんでもない事を工夫するかも知れません。
世の中は広いものです、広い世の中に一本の木綿糸をわたして、傍目も触らず、その上を御叮嚀にあるいて、そうして、これが世界だと心得るのはすでに気の毒な話であります。
ただ気の毒なだけなら本人さえ我慢すればそれですみますが、こう一本調子に行かれては、おおいにはたのものが迷惑するような訳になります。
●往来をあるくのでも分ります。いくら巡査が左へ左へと、月給を時間割にしたほどな声を出して、制しても、東西南北へ行く人をことごとく一直線に、同方向に、同速力に向ける事はできません。
広い世界を、広い世界に住む人間が、随意の歩調で、勝手な方角へあるいているとすれば、御互に行き合うとき、突き当りそうなときは、格別の理由のない限り、両方で路を譲り合わねばならない。
四種の理想は皆同等の権利を有して人生をあるいている。
あるくのは御随意だが、権利が同等であるときまったなら、衝突しそうな場合には御互に示談をして、好い加減に折り合をつけなければならない訳です。
この折り合をつけるためには、自分が一人合点で、自分一人の路をあるいていてはできない。
つまり向うから来る人、横から来る人も、それぞれ相当の用事もあり、理由もあるんだと認めるだけに、世間が広くなければなりません。
●ところが狭く深くなると前に云うた御医者のようにそれができなくなる。
抽出法と云って、自分の熱心なところだけへ眼をつけて他の事は皆抽出して度外に置いてしまう。
度外に置く訳である。他の事は頭から眼に這入はいって来ないのであります。
そうなると本人のためには至極結構であるが、他人すなわち同方向に進んで行かない人にはずいぶん妨害になる事があります。
妨害になると云う事を知っていれば改良もするだろうが、自己の世界が狭くて、この狭い世界以外に住む人のある事を認識しない原因から起るとすれば、どうする事もできません。
現代の文芸で真を重んずるの弊は、こうなりはしまいかと思うのであります。
否現にこうなりつつあると私は認めているのであります。
第十七回 現代文学者の理想(二) -- 真に対する理想の偏重
25 弊害 真に到達すれば、何を書いても構わない事となる
●真を重んずるの結果、真に到着すれば何を書いても構わない事となる。
真を発揮するの結果、美を構わない、善を構わない、荘厳を構わないまではよいが、一歩を超こえて真のために美を傷つける、善をそこなう、荘厳を踏み潰つぶすとなっては、真派の人はそれで万歳をあげる気かも知れぬが美党、善党、荘厳党は指をくわえて、ごもっともと屏息している訳には行くまいと思います。
目的が違うんだから仕方がないと云うのは、他に累を及ぼさない範囲内において云う事であります。
他に累を及ぼさざるものが厳として存在していると云う事すら自覚しないで、真の世界だ、真の世界だと騒ぎ廻るのは、交通便利の世だ、交通便利の世だと、鈴をふり立てて、電車が自分勝手な道路を、むちゃくちゃに駆けるようなものである。
電車に乗らなければ動かないと云うほどな電車贔屓の人なら、それで満足かも知れぬが、歩いたり、ただの車へ乗ったり、自転車を用いたりするもののためには不都合この上もない事と存じます。
●もっとも文芸と云うものは鑑賞の上においても、創作の上においても、多少の抽出法を含むものであります。
(抽出法については文学論中に愚見を述べてありますから御参考を願いたい)
その極端に至ると妙な現象が生じます。
たとえば、かの裸体画が公々然と青天白日の下に曝さらされるようなものであります。
一般社会の風紀から云うと裸体と云うものは、見苦しい不体裁であります。
西洋人が何と云おうと、そうに違ありません。私が保証します。
しかしながら、人体の感覚美をあらわすためには、是非共裸体にしなければならん、この不体裁を冒おかさねばならん事となります。
衝突はここに存するのです。この衝突は文明が進むに従って、ますますはげしくなるばかりでけっして調停のしようがないにきまっています。
これを折り合わせるためには社会の習慣を変えるか、肉体の感覚美を棄るか、どっちかにしなければなりません、が両方共強情だから、収まりがつきにくいところを、無理に収まりをつけて、頓珍漢な一種の約束を作りました。
その約束はこうであります。 「肉体の感覚美に打たれているうちは、裸体の社会的不体裁を忘るべし」と云うのであります。
最前、用いた難しい言葉を使うと不体裁の感を抽出して、裸体画は見るべきものであると云う事に帰着します。
この約束が成立してから裸体画はようやくその生命を繋つなぐ事ができたのであって、ある画工や文芸批評家の考えるように、世間晴れて裸体画が大きな顔をされた義理ではありません。
電車は危険だが、交通に便だから、一定の道路に限って、危険の念を抽出して、あるいてやろうと云う条件の下に、東鉄や電鉄が存在すると同じ事であります。
裸体画も、東鉄も、電鉄も、あまり威張れば存在の権利を取上げてよいくらいのものであります。
しかし一度ひとたび抽出の約束が成り立てば構わない。
●真もその通りであります。真を発揮した作物に対して、他の理想をことごとく忘れる、抽出すると云う条件さえ成立すればそれで宜しい。
――宜しいと云ったって大きな顔をして宜しいと云うのではない、存在しても宜しいと云うのであります。
他の理想諸君へは御気の毒だが、僕も困るから、少し辛抱してくれたまえくらいの態度なら宜しいと云うのであります。
しかしこの条件を成立せしむるためには真に対して起す情緒が強烈で、他の理想を忘れ得るほどに、うまく発揮されなくてはならん訳であります。
今の作物にこれだけの仕事ができているかが疑問であります。
26 唖の例と乞食の例
●あまり議論が抽象的になりますから、実例について少々自分の考えを述べて見ましょう。
ここに贋の唖が一人あるとします。何か不審の件があって警察へ拘引される。
尋問に答えるのが不利益だと悟って、いよいよ唖の真似まねをする。警官もやむをえず、そのまま繋留しておくと、翌朝になって、唖は大変腹が減って来た。
始めは唖だから黙って辛抱したが、とうとう堪えられなくなって、飯を食わしてくれろと大きな声を出すと云う筋をかいたら、どんなものでしょう。
面白い小説になる、ならんの手際は、問題として、とにかくある境遇における、ある男について、一種の真をあらわす事はできる。
面白味はそこにあるでしょう。
●しかしこれだけでは美な所も、善な所も、また荘厳な所も無論ない。 すなわち真以外の理想は毫も含んでおらんのです。
そこが疵かと云うと私はそうは認めません。 と云うものは他の理想を含んでおらんと云うまでで、毫もこれを害してはおりません。
したがって真に対する面白味を感ずるのみで、他の理想はことごとく抽出して読み終る事が出来得るからであります。
第十八回 現代文学者の理想(三) -- 真に対する理想の偏重
●次にこんな事を書いたら、どうなりましょう。
一人の乞食がいる。諸所放浪しているうちに、或日、或時、或村へ差しかかると、しきりに腹が減る。
幸いひっそりとした一構えに、人の気けはいもない様子を見届けて、パンと葡萄酒を盗み出して、口腹の慾を充分充たした上、村外れへ出ると、眠くなって、うとうとしている所へ、村の女が通りかかる。
腹が張って、酒の気が廻って、当分の間ほかの慾がなくなった乞食は、女を見るや否や急に獣慾を遂行する。
――この話しはモーパッサンの書いたものにあるそうですが、私は読んだ事がありません。
私にこの話をして聞かした人はしきりに面白いと云っていました。
なるほど面白いでしょう。しかしその面白いと云うのは、やはりある境遇にあるものが、ある境遇に移ると、それ相応な事をやると云う真相を、臆面なく書いた所にあるのでしょう。
●しかしこの面白味は、前の唖の話と違って、ただ真を発揮したばかりではない。 他の理想を打ち壊しています。
その打ち壊された理想を全然忘れない以上は、せっかくの面白味は打ち消されてしまうから役に立たんのみか、他の理想を主にする人からさんざんに悪口される場合が多いだろうと思います。
こう云う場合に抽出の約束は成立しそうにもない。約束が成立しない以上は、この作物の生命はないと云うより、生命を許し得ないと云う方がよかろうと思います。
一般の世の中が腐敗して道義の観念が薄くなればなるほどこの種の理想は低くなります。
つまり一般の人間の徳義的感覚が鈍くなるから、作家批評家の理想も他の方面へ走って、こちらは御留守になる。
ついに善などはどうでも真さえあらわせばと云う気分になるんではありますまいか。
●日本の現代がそう云う社会なら致し方もないが、西洋の社会がかく腐敗して文芸の理想が真の一方に傾いたものとすれば、前後の考えもなく、すぐそれを担かついで、神戸や横浜から輸入するのはずいぶん気の早い話であります。
外国からペストの種を輸入して喜ぶ国民は古来多くあるまいと考える。
私がこう云うとあまり極端な言語を弄するようでありますが、実際外国人の書いたものを見ると、私等には抽出法がうまく行われないために不快を感ずる事がしばしばあるのだから仕方がありません。
27 沙翁のオセロも不愉快な作品なり
●現代の作物ではないが沙翁のオセロなどはその一例であります。
事件の発展や、性格の描写は真を得ておりましょう、私も二三度講じた事があるから、その辺はよく心得ている。
しかし読んでしまっていかにも感じがわるい。悲壮だの芳烈だのと云う考えは出て来ない、ただ妙な圧迫を受ける。
ひまがあったら、この感じを明暸に解剖して御目にかけたいと思うが今では、そこまでに頭が整うておりませんから一言にして不愉快な作だと申します。
沙翁の批評家があれほどあるのに、今までなぜこの事について何にも述べなかったか不思議に思われるくらいであります。
必竟ずるにただ真と云う理想だけを標準にして作物に対するためではなかろうかと思います。
28 イプセンにも、モーパッサンにも賛成できません
●現代の作物に至ると、この弊を受けたものは枚挙にいとまあらざるほどだろうと考える。
ヘダ・ガブレルと云う女は何の不足もないのに、人を欺いたり、苦しめたり、馬鹿にしたり、ひどい真似をやる、徹頭徹尾不愉快な女で、この不愉快な女を書いたのは有名なイブセン氏であります。
大変に虚栄心に富んだ女房を持った腰弁がありました。
ある時大臣の夜会か何かの招待状を、ある手蔓で貰いまして、女房を連れて行ったらさぞ喜ぶだろうと思いのほか、細君はなかなか強硬な態度で、着物がこうだの、簪がこうだのと駄々を捏ねます。
せっかくの事だから亭主も無理な工面をして一々奥さんの御意に召すように取り計います。
それで御同伴になるかと云うと、まだ強硬に構えています。
最後にダイヤモンドとかルビーとか何か宝石を身に着けなければ夜会へは出ませんよと断然申します。
さすがの御亭主もこれには辟易致しましたが、ついに一計を案じて、朋友の細君に、こういう飾りいっさいの品々を所持しているものがあるのを幸い、ただ一晩だけと云うので、大切な金剛石の首輪をかり受けて、急の間を合せます。
ところが細君は恐悦の余り、夜会の当夜、踊ったり跳はねたり、飛んだり、笑ったり、したあげくの果はて、とうとう貴重な借物をどこかへ振り落してしまいました。
両人は蒼くなって、あまり跳ね過ぎたなと勘づいたが、これより以後跳方を倹約しても金剛石が出る訳でもないので、やむをえず夫婦相談の結果、無理算段の借金をした上、パリ中かけ廻ってようやく、借用品と一対とも見違えられる首飾を手に入れて、時を違えず先方へ、何知らぬ顔で返却して、その場は無事に済ましました。
が借金はなかなか済みません。借りたものは巴里だって返す習慣なのだから、いかな見え坊の細君もここに至って翻然節を折って、台所へ自身出張して、飯も焚たいたり、水仕事もしたり、霜焼をこしらえたり、馬鈴薯を食ったりして、何年かの後ようやく負債だけは皆済したが、同時に下女から発達した奥様のように、妙な顔と、変な手と、卑しい服装の所有者となり果てました。
話はもう一段で済みます。
第十九回 現代文学者の理想(四) -- 真に対する理想の偏重
●ある日この細君が例のごとくざるか何かを提げて、西洋の豆腐でも買うつもりで表へ出ると、ふと先年ダイヤモンドを拝借した婦人に出逢いました。
先方は立派な奥様で、こちらは年期の明けた模範下女よろしくと云う有様だから、挨拶をするのも、ちょっと面はゆげに見えたんでしょうが、思い切って、おやまあ御珍らしい事とか何とか話かけて見ると案のごとく、先方では、もうとくの昔に忘れています。
下女に近付はないはずだがと云う風に構えていたところを、しょげ返りもせず、実はこれこれで、あなたの金剛石を弁償するため、こんな無理をして、その無理が祟って、今でもこの通りだと、逐一を述べ立てると先方の女は笑いながら、あの金剛石は練物ですよと云ったそうです。 それでおしまいです。
●これは例のモーパッサン氏の作であります。最後の一句は大に振ったもので、定めてモーパッサン氏の大得意なところと思われます。
軽薄な巴里の社会の真相はさもこうあるだろう穿ち得て妙だと手を拍ちたくなるかも知れません。
そこがこの作の理想のあるところで、そこがこの作の不愉快なところであります。
よくせきの場合だから細君が虚栄心を折って、田舎育ちの山出し女とまで成り下がって、何年の間か苦心の末、身に釣り合わぬ借金を奇麗に返したのは立派な心がけで立派な行動であるからして、もしモーパッサン氏に一点の道義的同情があるならば、少くともこの細君の心行きを活かしてやらなければすまない訳でありましょう。
ところが奥さんのせっかくの丹精がいっこう活きておりません。
●積極的にと云うと言い過ぎるかも知れぬけれども、暗に人から瞞されて、働かないでもすんだところを、無理に馬鹿気た働きをした事になっているから、奥さんの実着な勤勉は、精神的にも、物質的にも何らの報酬をモーパッサン氏もしくは読者から得る事ができないようになってしまいます。
同情を表してやりたくても馬鹿気ているから、表されないのです。
それと云うのは最後の一句があって、作者が妙に穿った軽薄な落ちを作ったからであります。
この一句のために、モーパッサン氏は徳義心に富める天下の読者をして、適当なる目的物に同情を表する事ができないようにしてしまいました。
同情を表すべき善行をかきながら、同情を表してはならぬと禁じたのがこの作であります。
いくら真相を穿つにしても、善の理想をこう害しては、私には賛成できません。
29 ゾラも然り
●もう一つ例を挙あげます。 今度はゾラ君の番であります。 御爺さんが年の違った若い御嫁さんを貰います。
結婚は致しましたが、どう云うものか夫婦の間に子ができません。
それを苦に病んで御爺さんが医者に相談をかけますと、医者は何でも答弁する義務がありますから、さよう、海岸へおいでになって何とか云う貝を召し上がったら子供ができましょうよと妙な返事をしました。
爺さんは大喜びで、さっそく細君携帯で仏蘭西の大磯辺に出かけます。
するとそこに細君と年齢からその他の点に至るまで夫婦として、いかにも釣り合のいい男が逗留していまして細君とすぐ懇意になります。
両人は毎日海の中へ飛び込んでいっしょに泳ぎ廻ります。
爺さんは浜辺の砂の上から、毎日遠くこれを拝見して、なかなか若いものは活溌だと、心中ひそかに嘆賞しておりました。
●ある日の事三人で海岸を散歩する事になります。 時に、お爺さんは老体の事ですから、石の多い浜辺を嫌って土堤の上を行きます。
若い人々は波打際を遠慮なくさっさとあるいて参ります。
ところが約五六丁も来ると、磯際に大きな洞穴があって、両人がそれへはいると、うまい具合と申すか、折悪しくと申すか、潮が上げて来て出る事がむずかしくなりました。
老人は洞穴の上へ坐ったまま、沖の白帆を眺めて、潮が引いて両人の出て来るのを待っております。
そこであまり退屈だものだから、ふと思出して、例の医者から勧められた貝を出して、この貝を食っては待ち、食っては待って、とうとう潮が引いて、両人が出てくるまでにはよほど多量の貝を平げました。
その場はそれで済みまして、いよいよ細君を連れて宅へ帰って見ますと、貝のききめはたちまちあらわれて、細君はその月から懐妊して、玉のような男子か女子か知りませんが生み落して老人は大満足を表すると云うのが大団円であります。
●ゾラ君は何を考えてこの著作を公けにされたものか存じませんが、私の考では前に挙あげたモーパッサン氏よりもある方面に向って一歩進んだ理想がなくってはとうてい書きこなせない作物だと思います。
よく下民の聚合する寄席などへ参ると、時々妙な所で喝采する事があります。普通の人が眉を顰める所に限って喝采するから妙であります。
ゾラ君なども日本へ来て寄席へでも出られたら、定めし大入を取られる事であろうと存じます。
第二十回 現代文学者の理想(五) -- 病的現象 文芸の真意義
30 探偵のようにただ真のみをもとめるような作品は、下品
●現代文学は皆この弊に陥っているとは無論断言しませんが、いろいろな点においてこの傾向を帯びていることは疑いもないと思います。
そうしてこの傾向は真の一字を偏重視するからして起った多少病的の現象だと云うてもよいだろうと思います。
諸君は探偵と云うものを見て、よわいするに足る人間とは思わんでしょう。
探偵だって家うちへ帰れば妻もあり、子もあり、隣近所の付合は人並にしている。まるで道徳的観念に欠乏した動物ではない。
たまには夜店で掛物をひやかしたり、盆栽の一鉢くらい眺める風流心はあるかも知れない。
●しかしながら探偵が探偵として職務にかかったら、ただ事実をあげると云うよりほかに彼らの眼中には何もない。
真を発揮すると云うともったいない言葉でありますが、まず彼らの職業の本分を云うと、もっとも下劣な意味において真を探ると申しても差支ないでしょう。
それで彼らの職務にかかった有様を見ると一人前の人間じゃありません。
道徳もなければ美感もない。荘厳の理想などはもとよりない。
いかなる、うつくしいものを見ても、いかなる善に対しても、またいかなる崇高な場合に際してもいっこう感ずる事ができない。
できれば探偵なんかする気になれるものではありません。
探偵ができるのは人間の理想の四分の三が全く欠亡して、残る四分の一のもっとも低度なものがむやみに働くからであります。
かかる人間は人間としては無論通用しない。
人間でない器械としてなら、ある場合にあっては重宝でしょう。
重宝だから、警視庁でもたくさん使って、月給を出して飼っておきます。
しかし彼らの職業はもともと器械の代りをするのだから、本人共もそのつもりで、職業をしている内は人間の資格はないものと断念してやらなくては、普通の人間に対して不敬であります。
●現代の文学者をもって探偵に比するのははなはだ失礼でありますが、ただ真の一字を標榜して、その他の理想はどうなっても構わないと云う意味な作物を公然発表して得意になるならば、その作家は個人としては、いざ知らず、作家として陥欠のある人間でなければなりません。
病的と云わなければなりません。(四種の理想は同等の権利を有して相冒すべきものでないと、先に述べておきました。
四種を同等に満足せしむる事は困難かも知れません。
多少は冒す場合があるでしょう。その場合には冒されたものが、屏息(へいそく)し得るように、冒す方に偉大な特色がなければならぬのであります。この点においては、先に例証したオセロが一番弁護しやすいように思われます。
ゾラとモーパッサンの例に至ってはほとんど探偵と同様に下品な気持がします)
31 四種の理想を求める文芸家は、人間としても人格を持って、始めて他を感化できる
●文芸に四種の理想があるのは毎度繰返した通りでありまして、その四種がまたいろいろに分化して行く事も前に述べたごとくであります。
この四種の理想は文芸家の理想ではあるが、ある意味から云うと一般人間の理想でありますからして、この四面に渉ってもっとも高き理想を有している文芸家は同時に人間としてももっとも高くかつもっとも広き理想を有した人であります。
人間としてもっとも広くかつ高き理想を有した人で始めて他を感化する事ができるのでありますから、文芸は単なる技術ではありません。
人格のない作家の作物は、卑近なる理想、もしくは、理想なき内容を与うるのみだからして、感化力を及ぼす力もきわめて薄弱であります。
偉大なる人格を発揮するためにある技術を使ってこれを他の頭上に浴せかけた時、始めて文芸の功果は炳焉として末代までも輝き渡るのであります。
●輝き渡るとは何も作家の名前が伝わるとか、世間からわいわい騒がれると云う意味で云うのではありません。
作家の偉大なる人格が、読者、観者もしくは聴者の心に浸み渡って、その血となり肉となって彼らの子々孫々まで伝わると云う意味であります。
文芸に従事するものはこの意味で後世に伝わらなくては、伝わる甲斐がないのであります。
人名辞書に二行や三行かかれる事は伝わるのではない。自分が伝わるのではない。
活版だけが伝わるのであります。自己が真の意味において一代に伝わり、後世に伝わって、始めて我々が文芸に従事する事の閑事業でない事を自覚するのであります。
始めて自己が一個人でない、社会全体の精神の一部分であると云う事実を意識するのであります。
始めて文芸が世道人心に至大の関係があるのを悟るのであります。
●我々は生慾の念から出立して、分化の理想を今日まで持続したのでありますから、この理想をある手段によって実現するものは、我々生存の目的を、一層高くかつ大いにした功蹟のあるものであります。
もっとも偉大なる理想をもっともよく実現するものは我々生存の目的をもっともよく助長する功蹟のあるものであります。
文芸の士はこの意味においてけっして閑人ではありません。
芭蕉のごとく消極的な俳句を造るものでも李白のような放縦な詩を詠ずるものでもけっして閑人ではありません。
普通の大臣豪族よりも、有意義な生活を送って、皆それぞれに人生の大目的に貢献しております。
第二十一回 技巧論(一)
●理想とは何でもない。いかにして生存するがもっともよきかの問題に対して与えたる答案に過ぎんのであります。
画家の画、文士の文、は皆この答案であります。
文芸家は世間からこの問題を呈出されるからして、いろいろの方便によって各自が解釈した答案を呈出者に与えてやるに過ぎんのであります。
答案が有力であるためには明暸でなければならん、せっかくの名答も不明暸であるならば、相互の意志が疏通せぬような不都合に陥ります。
いわゆる技巧と称するものは、この答案を明暸にするために文芸の士が利用する道具であります。道具はもとより本体ではない。
32 技巧は、思想を表すための手段ではあるが、思想を離れて手段だけを考えることはできない
●そこで諸君はわかったと云われるかも知れぬ。またはわからぬと云われるかも知れぬ。
分った方かたはそれでよろしいが、分らぬ方には少々説明をしなければなりません。
ただいま技巧は道具だと申しました。そう一概に云うと明暸なようであるが退いて考えるとなかなかわかりにくい。
技巧とは何だと聴かれた時に、たいてい困ります。
普通は思想をあらわす、手段だと云いますが、その手段によって発表される思想だからして、思想を離れて、手段だけを考える訳には行かず、また手段を離れて思想だけを拝見する訳には無論行きません。
それでだんだん論じつめて行くと、どこまでが手段で、どこからが思想だかはなはだ曖昧になります。
●ちょうどこの白墨について云うと、白い色と白墨の形とを切離すようなものでこの格段な白墨を目安にして論ずると白い色をとれば形はなくなってしまいますし、またこの形をとれば白い色も消えてしまいます。
二つのものは二にして一、一にして二と云ってもしかるべきものであります。
そこで哲理的に論ずるとなかなか面倒ですから、分りやすいために実例で説明しようと思います。
せんだって大学で講義の時に引用した例がありますから、ちょっとそれで用を弁じておきます。
33 沙翁の句とデフォーの文の比較
●ここに二つの文章があります。最初のは沙翁の句で、次のはデフォーと云う男の句であります。
これを比較すると技巧と内容の区別がおのずから判然するだろうと思います。
Uneasy lies the head that wears a crown. 冠を戴いただく頭は安きひまなし
Kings
frequently lamented the miserable consequences of being born to great things,
and wished they had been in the middle of the two extremes, between the mean and
the great.
高貴の身に生れたる不幸を悲しんで、両極のうち、上下の間に世を送りたく思うは帝王の習いなり
無論前者は韻語の一行で、後者は長い散文小説中の一句であるから、前後に関係して云うと、種々な議論もできますが、この二句だけを独立させて評して見ると、その技巧の点において大変な差違があります。
それはあとから説明するとして、二句の内容は、二句共に大同小異である事は、誰も疑わぬほどに明かでありましょう。
だから思想から見ると双方共に同様と見てもさしつかえないとします。
思想が同様であるにも関わらず、この二句を読んで得る感じには大変な違があります。
●私はせんだって中、デフォーの作物を批評する必要があって、その作物を読直すときに偶然この句に出合いまして、ふと沙翁のヘンリー四世中の語を思い出して、その内容の同じきにも関らず、その感じに大変な相違のあるに驚きましたが、なぜこんな相違があるかに至っては解剖して見るまでは判然と自分にもわからなかったのであります。
そこでこれから御話しをするのは私の当時の感じを解剖した所であります。
●沙翁の方から述べますと――あの句は帝王が年中(十年でもよい、二十年でもよい。いやしくも彼が位にある間だけ)の身心状態を、長い時間に通ずる言葉であらわさないで、これを一刻につづめて示している。
そこが一つの手際であります。その意味をもっと詳しく説明するとこうなります。
uneasy(不安)と云う語は漠然たる心の状態をあらわすようであるが実は非常に鋭敏なよく利きく言葉であります。
例えば椅子の足の折れかかったのに腰をかけて uneasy であるとか、ズボン釣りを忘れたためズボンが擦り落ちそうで uneasy であるとか、すべて落ちつかぬ様子であります。
もちろん落ちつかぬ様子と云うのは、ある時間の経過を含む状態には相違ないが、長時間の経過を待たないで、すぐ眼に映る状態であります。
だからこの uneasy と云う語は、長い間持続する状態でも、これを一刻もしくは一分に縮めて画のようにとっさの際に頭脳の裏うちに描き出し得る状態であります。
第二十二回 技巧論(二)
●ある人はこう云って、私の説を攻撃するかも知れぬ。
――なるほど君の云うような uneasy な状態もあるかも知れない。しかしそれは身体の uneasy な場合で心の uneasy な場合ではない。
身体の uneasy な状態は長い時間を切って断面的にこれを想像の鏡に写す事もできようが、心の uneasy な場合すなわち心配とか、気がかりというようなものは、そういう風に印象を構成する訳には行かんだろうと。
私はその攻撃に対しては、こう答える。
――そういう uneasy な状態はあるに相違ない。ないが、ここにはそんな事を考える必要はない。
よし帝王の uneasiness が精神的であっても、そう考える必要はない。必要はないと云うよりもそんな余裕はない。
uneasy の下もとに lies すなわち横わるとある。lies と云うと有形的な物体に適用せらるる文字である。
だから uneasy と読んで、どちらの uneasy かと迷う間もなく、直 lies と云う字に接続するからして uneasy の意味は明確になってくる。
●するとまたこう非難する人が出るかも知れぬ。――lies にも両様がある。
有形物について云う事は無論であるが無形物についてもよく使う字である。
だから uneasy lies では君の云うように判然たる印象は起って来ないと。
この非難に対する私の弁解はこうであります。
uneasy lies では印象が起らぬと云うなら第三字目の head という字を読んで見るがよかろう。head は具体的のものである。
よし head までも比喩的な意味に解せられるとしても uneasy lies the head と続けて読んで、しかもこの head を抽象的な能力とか知力とか解釈する者はあるまい。
誰でも具体的の髪の生えた頭と解釈するであろう。head を具体的と解する以上は lies も無論有形物の lie する有様に相違ない。
してみると uneasy もまた形態に関係のない目に見えぬ意味とは取りにくい。
●しかもその uneasy な有様はいつまで続くか無論わからないが、よし長時間続く状態にしても、いやしくも続いている間は、いつでも目に見える状態である。
いつでも見える状態であるからして、そのいずれの一瞬間を截ち切ってもその断面は長い全部を代表する事ができる、語を換えて云えば、十年二十年の状態を一瞬の間につづめたもの、煮つめたもの、煎じつめたものを脳裏に呼び起すことができると。
そこでこの煮つめたところ、煎じつめたところが沙翁の詩的なところで、読者に電光の機鋒をちらっと見せるところかと思います。
これは時間の上の話であります。長い時間の状態を一時に示す詩的な作用であります。
●ところで沙翁には今一つの特色があります。
上述の時間的なるに対してこれは空間的と云うてもよかろうと思います。
すなわちこういう解剖なのです。帝王と云う字は具体の名詞か抽象の名詞かと問えば、誰も具体と答えるだろうと思います。
なるほど具体名詞に相違ないです。けれどもただ具体的だと承知するばかりで、明暸な印象は比較的出にくいのです。
帝王の画を眼前でかいて見ろと云われても、すぐと図案はこしらえられんだろうと思います。
私共の脳中にはこの帝王と云うものがすこぶる漠然としてまとまらない図になって畳み込まれています。
ところへ the head that wears a corwn と云われると、帝王と云う観念が急に判然とします。
●なぜかと云うと、今までは具体であるということだけが解っていたけれど、局部の知識はすこぶる曖昧で取とめがつかなかったのであります。
あたかも度の合わぬ眼鏡で物を見るように、その物は独立して存在しているが他の物と独立している事だけが明暸で、その物の内容は朦朧としておったのであります。
ところが uneasy lies the head that wears a crown と云われたので焦点が急にきまったような心持がするのであります。
帝王と云えば個人として帝王の全部を想像せねばならん、全部を想像すると勢ぼんやりする。
ぼんやりしないために、局部を想像しようとすると、局部がたくさんあるので、どこを想像してよいか分りません。
そこで沙翁は多くある局部のうちで、ここを想像するのが一番いいと教えてくれたのであります。
●その教えてくれたのは、帝王の足でもない、手でもない。ないしは背骨でもない。もしくは帝王の腹の中でもない。
彼が指さして、あすこだけを注意して御覧、king がよく見えると教えてくれた所は、燦爛たる冠を戴く彼の頭であります。
この注意をうけた吾々は今まで全局に眼をちらつかせて要領を得んのに苦しんでいたのに、かく注意を受けたから、試みにその方へ視線をむけると、なるほど king が見えたのであります。
明暸なのは局部に過ぎぬけれども、この局部が king を代表してしかるべき精髄であるからして、ここが明暸に見えれば全体を明暸に見たと同じ事になる。
取とりもなおさず物を見るべき要点を沙翁が我々に教えてくれたのであります。
●この要点は全体を明かにするにおいて功力があるのみならず、要点以外に気を散らす必要がなく、不要の部分をことごとく切り棄てる事もできるからして、読者から云えば注意力の経済になる。
この要点を空間に配して云うと、沙翁は king と云う大きなものを縮めて、単なる「冠を戴く頭」に変化さしてくれたのであります。
かくして六尺の人は一尺に足らぬ頭と煎じつめられたのであります。
第二十三回 技巧論(三)
●してみると沙翁の句は一方において時間を煎じつめ、一方では空間を煎じつめて、そうして鮮かに長時間と広空間とを見せてくれております。
あたかも肉眼で遠景を見ると漠然ばくぜんとしているが、一ひとたび双眼鏡をかけると大きな尨大なものが奇麗に縮まって眸裡に印するようなものであります。
そうしてこの双眼鏡の度を合わしてくれるのがすなわち沙翁なのであります。
これが沙翁の句を読んで詩的だと感ずるゆえんであります。
●ところがデフォーの文章を読んで見るとまるで違っております。
この男のかき方は長いものは長いなり、短いものは短いなりに書き放して毫も煎じつめたところがありません。
遠景を見るのに肉眼で見ています。度を合せぬのみか、双眼鏡を用いようともしません。
まあ智慧のない叙方と云ってよいでしょう。あるいは心配して読者の便宜をはかってくれぬ書き方、呑気もしくは不親切な書き方と云っても悪くはありますまい。
もしくは伸縮方を解せぬ、弾力性のない文章と評しても構わないでしょう。
汽車電車は無論人力さえ工夫する手段を知らないで、どこまでも親譲りの二本足でのそのそ歩いて行く文章であります。
したがって散文的の感があるのです。
●散文的な文章とは馬へも乗れず、車へも乗れず、何らの才覚がなくって、ただ地道に御拾いでおいでになる文章を云うのであります。
これはけっして悪口ではありません、御拾いも時々は結構であります。
ただ年が年中足をすりこぎにして、火事見舞に行くんでも、葬式の供に立つんでも同じ心得で、てくてくやっているのは、本人の勝手だと云えば云うようなものの、あまり器量のない話であります。
デフォーははなはだ達筆で生涯に三百何部と云う書物をかきました。まあ車夫のような文章家なのです。
34 まとめ 文芸において技巧は大切です
●これで二家の文章の批評はおわります。
この批評によって、我々の得た結論は何であるかと云うと、文芸にあって技巧は大切なものであると云う事であります。
もし技巧がなければせっかくの思想も、気の毒な事に、さほどな利目が出て来ない。
沙翁とデフォーは同じ思想をあらわしたのでありますが、その結果は以上のごとく、大変な相違を来きたします。
思想が同じいのにこれほどな相違が出るのは全く技巧のためだと結論します。
近頃日本の文学者のある人々は技巧は無用だとしきりに主張するそうですが、いまだ明暸なる御考えを承った事がないから、何とも申されませんが、以上の説明によると、文芸家である以上は、技巧はどうしても捨てる訳には、参るまいと信じます。
そうして以上の説明はけっして論理その他の誤謬を含んでおらんと信じます。
●有名な人の作曲さえやれば、どんな下手が奏しても構わないと云う御主意ならば文章も技巧は無用かも知れませんが、私にはそうは思われません。
そうして技巧を無用視せらるる方かたのうちには人生に触れなくては駄目だ、技巧はどうでもよい、人生に触れるのが目的だと言われる人が大分あるようですが、これもまだ明暸な説明を承った事がないから何の意味だか了解できませんが、この言葉を承わるたびに何だか妙な心持がします。
ただ触れろ触れろと仰せがあっても、触れる見当がつかなければ、作家は途方に暮れます。
むやみに人生だ人生だと騒いでも、何が人生だか御説明にならん以上は、火の見えないのに半鐘を擦するようなもので、ちょっと景気はいいようだが、どいたどいたと駆かけて行く連中は、あとから大に迷惑致すだろうと察せられます。
●人生に触れろと御注文が出る前に、人生とはこんなもの、触れるとはあんなもの、すべてのあんな、こんなを明暸にしておいてさてかような訳だから技巧は無用じゃないかと仰せられたなら、その時始めて御相手を致しても遅くはなかろうと思って、それまでは差し控える事に致しております。
もし私の方で申す人生に触れるという意味が御承知になりたければ今じきに明暸なる御答えを仕ってもよろしいが、ついでもある事だから、次の節まで待っていただきましょう。
第二十四回 技巧論(四) -- 理想を含みたる技巧
35 絵画における修業
●御待遠だといかぬから、すぐさま次の節に移って弁じます。
文学者の一部分で、しきりに触れろ触れろと云い、技巧は無用だ無用だと云っているに反して、画家の方では――画家は我々のように騒々しくない、おとなしく勉強しておられるから、むやみに三つ番は敲(たた)かれぬようであるが――しかしその実行しておられるところを拝見すると、触れるの触れぬのと云う事は頓着なくただ熱心に技術をみがいておられるように見受けます。
申すまでもなく私は極めて画道には暗い人間であります。
だから画の事に関してくちばしをいれる権利は無論ないのですが、門外漢の云う事も時には御参考になるだろうし、こうして諸君に御目にかかる機会も滅多にありませず、かつ文芸全体に通じての議論ですから、大胆なところを述べてしまいます。
●――あなた方の方では人間を御かきになるときはモデルを御使いになります、草や木を御かきになるときは野外もしくは室内で写生をなさいます。
これはまことに結構な事で、我々文学者が四畳半のなかで、夢のような不都合な人物、景色、事件を想像して好加減な事を並べて平気でいるよりも遥に熱心な御研究であります。
その効能はもとより御承知の事で、私などがかれこれ申すのも釈迦に何とかいうたぐいになりますが、まず講話の順序として分らぬながら、分ったと思う事だけを述べます。
●こう云う修業で得る点は私の考えではまず二通りになるだろうと思います。
一つは物の大小形状及びその色合などについて知覚が明暸になりますのと、この明暸になったものを、精細に写し出す事が巧者にかつ迅速にできる事だと信じます。
二はこれを描き出すに当って使用する線及び点が、描き出される物の形状や色合とは比較的独立して、それ自身において、一種の手際を帯びて来る事であります。
この第二の技術は技術でありかつ理想をもあらわしているからして純然たる技巧と見る訳には参りません。
現に日本在来の絵画はおもにこの技巧だけで価値を保ったものであります。
それにも関わらず、これに対して鑑賞の眼をほしいままにすると、それぞれに一種の理想をあらわしている、すなわち画家の人格を示している、ために大なる感興を引く事が多いのであります。
●たとえば一線の引き方でも、(その一線だけでは画は成立せぬにも関わらず)勢いがあって画家の意志に対する理想を示す事もできますし、曲り具合が美に対する理想をあらわす事もできますし、または明暸で太い細いの関係が明かで知的な意味も含んでおりましょうし、あるいは婉約の情、温厚な感を蓄える事もありましょう。
(知、情の理想が比較的顕著でないのは性質上やむをえません)
こうなると線と点だけが理想を含むようになります。
ちょうど金石文字や法帖と同じ事で、書を見ると人格がわかるなどと云う議論は全くこれから出るのであろうと考えられます。
だから、この技巧はある程度の修養につれて、理想を含蓄して参ります。
しかし前種の技巧、すなわち物に対する明暸なる知覚をそのままにあらわす手際は、全然理想と没交渉と云う訳には参りませんが、比較的にこれとは独立したものであります。
●これをわかりやすく申しますと、物をかいて、現物のように出来上っても、知、情、意、の働きのあらわれておらんのがあります。
何だか気乗りのしないのがあります。どことなく機械的なのがあります。 私の技巧と云うのは、この種の技巧を云うのであります。
私の非難したいのは、この種の技巧だけで画工になろうと云う希望を抱く人々であります。
無論諸君は、画工になるにはこの種の技巧だけで充分だと御考えになってはおられますまい。
しかし技巧をおもにして研究を重ねて行かれるうちには、時によると知らぬ間に、ついこの弊に陥る事がないとは限らんと思います。
第二十五回 理想的文芸家 -- 還元的感化
●私は近頃流行する言葉を拝借して、人生に触れて居らんと申しました。私の所謂人生に触れると申す意味は、前段からの議論で大概はお分かりになったろうしき思ひますが、御約束だから形式的に説明致しますと、比較的簡単であります。少なくとも私だけにはさう思はれます。
36 理想を実現することを、人生に触れると申します
●我々は意識の連続を希望します。連続の方法と意識の内容の変化とが吾人に選択の範囲を与えます。
この範囲が理想を与えます。そうしてこの理想を実現するのを、人生に触れると申します。
これ以外に人生に触れたくても触れられよう訳がありません。
そうしてこの理想は真、美、善、壮の四種に分れますからして、この四種の理想を実現し得る人は、同等の程度に人生に触れた人であります。
真の理想をあらわし得る人は、美の理想をあらわし得る人と、同様の権利と重みとをもって、人生に触れるのであります。
善の理想を示し得る人は壮の理想を示し得る人と、同様の権利と重みをもって、人生に触れたものであります。
いずれの理想をあらわしても、同じく人生に触れるのであります。
その一つだけが触れて、他は触れぬものだと断言するのは、論理的にかく証明し来ったところで、成立せぬ出放題の広言であります。
真は深くもなり、広くもなり得る理想であります。
しかしながら、真が独り人生に触れて、他の理想は触れぬとは、真以外に世界に道路がある事を認め得ぬ色盲者の云う事であります。
東西南北ことごとく道路で、ことごとく通行すべきはずで、大切と云えばことごとく大切であります。
37 最も新しく、深く、広い理想を実現する人を、広く人生に触れた人と申します
●四種の理想は分化を受けます。分化を受けるに従って変形を生じます。変形を生じつつ進歩する機会を早めます。
この変形のうち、もっとも新しい理想を実現する人を人生において新意義を認めた人と云います。
変形のうちもっとも深き理想を実現する人を、深刻に人生に触れた人と申します。
(云うまでもなく深刻とは真、善、美、壮の四面にわたって申すべき形容詞であります。
悲惨だから深刻だとか、暗黒だから深刻だとか云うのは無意味の言語であります)
変形のうちもっとも広き理想を実現する人を、広く人生に触れた人と申します。
この三つを兼ねて、完全なる技巧によりてこれを実現する人を、理想的文芸家、すなわち文芸の聖人と云うのであります。
文芸の聖人はただの聖人で、これに技巧を加えるときに、始めて文芸の聖人となるのであります。
聖人の理想と申して別段の事もありません。ただいかにして生存すべきかの問題を解釈するまでであります。
38 発達した理想と、完全な技巧と合した時に、文芸は極致に達します
●発達した理想と、完全な技巧と合した時に、文芸は極致に達します。
(それだから、文芸の極致は、時代によって推移するものと解釈するのが、もっとも論理的なのであります)
文芸が極致に達したときに、これに接するものはもしこれに接し得るだけの機縁が熟していれば、還元的感化を受けます。
この還元的感化は文芸が吾人に与え得る至大至高の感化であります。
機縁が熟すと云う意味は、この極致文芸のうちにあらわれたる理想と、自己の理想とが契合する場合か、もしくはこれに引つけられたる自己の理想が、新しき点において、深き点において、もしくは広き点において、啓発を受くる刹那に大悟する場合を云うのであります。
縁なき衆生は度しがたしとは単に仏法のみで言う事ではありません。
段違いの理想を有しているものは、感化してやりたくても、感化を受けたくてもとうていどうする事もできません。
39 我々の意識の連続と文芸家の意識の連続の一致の極度において、還元的感化がおこります
●還元的感化と云う字が少々妙だから、御分りにならんかと思います。 これを説明すると、こういう意味になります。
文芸家は今申す通り自己の修養し得た理想を言語とか色彩とかの方便であらわすので、その現わされる理想は、ある種の意識が、ある種の連続をなすのを、そのままに写し出したものに過ぎません。
だからこれに対して享楽の境に達するという意味は、文芸家のあらわした意識の連続に随伴すると云う事になります。
だから我々の意識の連続が、文芸家の意識の連続とある度まで一致しなければ、享楽と云う事は行われるはずがありません。
いわゆる還元的感化とはこの一致の極度において始めて起る現象であります。
第二十六回 還元的感化の二種
●一致の意味はもとより明暸で、この一致した意識の連続が我々の心のうちに浸み込んで、作物を離れたる後までも痕跡を残すのがいわゆる感化であります。
すると説明すべきものはただ還元の二字になります。
しかしこの二字もまた一致と云う字面のうちに含まれております。
一致と云うと我の意識と彼の意識があって、この二つのものが合して一となると云う意味でありますが、それは一致せぬ前に言うべき事で、すでに一致した以上は一もなく二もない訳でありますからして、この境界に入ればすでに普通の人間の状態を離れて、物我の上に超越しております。
●ところがこの物我の境を超越すると云う事は、この講演の出立地であって、またあらゆる思索の根拠本源になります。
したがって文芸の作物に対して、我を忘れ彼を忘れ、無意識に(反省的でなくと云う意なり)享楽をほしいままにする間は、時間も空間もなく、ただ意識の連続があるのみであります。
もっともここに時間も空間もないと云うのは作物中にないと云うのではない、自己が作物に対する時間、また自己が占めている空間がないという意味であって、読んで何時間かかるか、また読んでいる場所は書斎のうちか郊外か蓐中(じょくちゅう)かを忘れると云うのと同じ事であります。
普通の場合においてこれを忘れる事ができんのは、ある間は作者の意識連続と一致し、あるときはこれを離れるから、我は依然として我、彼は依然として彼なのであります。
一致している際に、蚤に食われて急に我に帰り、時計が鳴ってにわかに我に帰るというようであるから、間髪を容いれざる完全の一致より生ずる享楽をほしいままにする事ができんのであります。
●かくのごとく自己の意識と作家の意識が離れたり合ったりする間は、読書でも観画でも、純一無雑と云う境遇に達する事はできません。
これを俗に邪魔がはいるとも、油を売るとも、散漫になるとも云います。
人によると、生涯に一度も無我の境界に点頭し、恍惚の域に逍遥する事のないものがあります。
俗にこれを物に役せられる男と云います。
かような男が、何かの因縁で、急にこの還元的一致を得ると、非常な醜男子が絶世の美人に惚れられたように喜びます。
40 動の還元的感化と静の還元的感化
●「意識の連続」のうちで比較的連続と云う事を主にして理想があらわれてくると、おもに文学ができます。
比較的意識そのものの内容を主にして理想があらわれて来ると絵画が成立します。
だからして前者の理想はおもに意識の推移する有様であらわれて来ます。
したがってこの推移法が理想的に行く作物は、読者をして還元的感化をうけやすくします。
これを動の還元的感化と云います。それから後者の理想はおもに意識の停留する有様であらわれて来ます。
だから停留法がうまく行くと、すなわち意識が停留したいところを見計って、その刹那を捕えると、観者をして還元的感化をうけやすくします。
これを静の還元的感化と云います。
しかしながらこれは重なる傾向から文学と絵画を分ったまでで、その実は截然とこう云う区別はできんのであります。
41 批評学について
●しばらくこの二要素を文学の方へかためて申しますと、推移の法則は文学の力学として論ずべき問題で、逗留の状態は文学の材料として考えるべき条項であります。
双方とも批評学の発達せぬ今日は誰も手を着けておりませんから、研究の余地は幾らでもあります。
私は自分の文学論のうちに、不完全ながら自分の考えだけは述べておきましたから、御参考を願います。
もとより新たに開拓する領土の事でありますから、御参考になるほどにはできておりません。
けれども、あの議論の上へ上へとこれからの人が、新知識を積んで行って、私の疎漏なところを補い、誤謬のあるところを正して下さったならば、批評学が学問として未来に成立せんとは限らんだろうと思います。
私はある事情から重に創作の方をやる考えでありますから、向後この方面に向って、どのくらいの貢献ができるか知れませんが、もし篤実な学者があって、鋭意にそちらを開拓して行かれたならば、学界はこの人のために大いなる利益を享けるに相違なかろうと確信しております。
第二十七回 結論
42 芸術家や文芸家は、閑人ではありません
●最後に一言を加えます。我々は生きたい生きたいと云うゲスな念を本来持っております。
このゲスな了見からして、物我の区別を立てます。
そうしていかなる意識の連続を得んかという選択の念を生じ、この選択の範囲が広まるに従って一種の理想を生じ、その理想が分岐して、哲学者(または科学者)となり、文芸家となり実行家となり、その文芸家がまた四種の理想を作り、かつこれを分岐せしめて、各自に各自の欲する意識の連続を実現しつつあるのであります。
要するに皆いかにして存在せんかの生活問題から割り出したものに過ぎません。
だからして何をやろうとけっして実際的の利害をはずれたことは一つもないのであります。
●世の中では芸術家とか文学家とか云うものを閑人(ひまじん)と号して、何かいらざる事でもしているもののように考えています。
実を云うと芸術家よりも文学家よりもいらぬ事をしている人間はいくらでもあるのです。
朝から晩まで車を飛ばせてかけ廻っている連中のうちで、文学者や芸術家よりもいらざる事をしている連中がいくらあるか知れません。
自分だけが国家有用の材だなどとうぬ惚ぼれて急がしげに生存上十人前くらいの権利があるかのごとくふるまってもとうてい駄目なのです。
彼らの有用とか無用とかいう意味は極めて幼稚な意味で云うのですから駄目であります。
怒るなら、怒ってもよろしい、いくら怒っても駄目であります。怒るのは理窟が分らんから怒るのです。
怒るよりも頭を下げてその訳でも聞きに来たらよかろうと思います。恐れ入って聞きにくればいつでも教えてやってよろしい。
●――私なども学校をやめて、縁側にごろごろ昼寝をしていると云って、友達がみんな笑います。
――笑うのじゃない、実は羨うらやましいのかも知れません。
――なるほど昼寝は致します。昼寝ばかりではない、朝寝も宵寝も致します。
しかし寝ながらにして、えらい理想でも実現する方法を考えたら、二六時中車を飛ばして電車と競争している国家有用の才よりえらいかも知れない。
私はただ寝ているのではない、えらい事を考えようと思って寝ているのである。
不幸にしてまだ考えつかないだけである。なかなかもって閑人ではない。諸君も閑人ではない。
閑人と思うのは、思う方が閑人である、でなければ愚人である。
●文芸家は閑が必要かも知れませんが、閑人じゃありません。
ひま人と云うのは世の中に貢献する事のできない人を云うのです。
いかに生きてしかるべきかの解釈を与えて、平民に生存の意義を教える事のできない人を云うのです。
こう云う人は肩で呼吸をして働いていたって閑人です。
文芸家はいくら縁側に昼寝をしていたって閑人じゃない。
文芸家のひまとのらくら華族や、ずぼら金持のひまといっしょにされちゃ大変だ。
だから芸術家が自分を閑人と考えるようじゃ、自分で自分の天職をなげうつようなもので、御天道様にすまない事になります。
芸術家はどこまでも閑人じゃないときめなくっちゃいけない。
いくら縁側に昼寝をしても閑人じゃないと極めなくっちゃいけない。
●しかしこれだけ大胆にひま人じゃないと主張するためには、主張するだけの確信がなければなりません。
言葉をかえて云うと、いかにして活きべきかの問題を解釈して、誰が何と云っても、自分の理想の方が、ずっと高いから、ちっとも動かない、驚かない、何だ人生の意義も理想もわからぬくせに、生意気を云うなと超然と構えるだけに腹ができていなければなりません。
これだけにできていなければ、いくら技巧があっても、書いたものに品位がない。ないはずである。
こう書いたら笑われるだろう、ああ云ったら叱られるだろうと、びくびくして筆を執るから、あの男は腹の中がかたまっておらん、理想が生煮えだ、という弱点が書物の上に見え透くように写っている、したがっていかにも意気地がない。
いくら技巧があったって、これじゃ人を引きつけることもできん、いわんや感化をやであります。 またいわんや還元的感化をやであります。
こんな文芸家を称して閑人と云うのであります。
43 我々に必要なのは理想です
●要するに我々に必要なのは理想である。
理想は文に存するものでもない、絵に存するものでもない、理想を有している人間に着いているものである。
だからして技巧の力を借りて理想を実現するのは人格の一部を実現するのである。
人格にない事を、ただ句をつづり章をつないで、上滑りのするようにかきこなしたって、閑人に過ぎません。
俗にこれを柄(がら)にないと申します。
柄にない事は、やっても閑人でやらなくても閑人だから、やらない方が手数が省けるだけ得になります。
●ただ新しい理想か、深い理想か、広い理想があって、これを世の中に実現しようと思っても、世の中が馬鹿でこれを実現させない時に、技巧は始めてこの人のため至大な用をなすのであります。
一般の世が自分が実世界における発展を妨げる時、自分の理想は技巧を通じて文芸上の作物としてあらわるるほかに路がないのであります。
一般世間が、自分が、実世界において発展することを妨げているとき、自分の理想は、技巧を通して、文芸作品として現れる以外に道はないのです。
そうして百人に一人でも、千人に一人でも、この作物に対して、ある程度以上に意識の連続において一致するならば、
そして、百人に一人でも、千人に一人でも、この作品に対して、ある程度以上に意識の連続において一致するならば、
一歩進んで全然その作物の奥より閃き出ずる真と善と美と壮に合[がっ]して、未来の生活上に消えがたき痕跡を残すならば、
さらに進んで、全然、その作品の深奥から閃きでる真善美壮に合体して、未来の生活の上に消えがたい痕跡を残すならば、
なお進んで還元的感化の妙境に達し得るならば、さらに進んで還元的感化の妙なる境地に達することができるならば、
文芸家の精神気魄は無形の伝染により、社会の大意識に影響するが故に、永久の生命を人類内面の歴史中に得て、ここに自己の使命をまっとうしたるものであります。
文芸家精神の気迫は、無形に伝染して、社会の大意識に影響を与えるので、永遠の生命を、人類の内面的(精神的・心理的)歴史のなかに得て、ここに自己の使命を完遂したのです。
――明治四十年四月東京美術学校において述――
2017.5.24
●一見、東京美術学校とは関係のなさそうな漱石が、明治40年4月20日(土)の午後、美術学校講堂で『文芸の哲学的基礎』と銘打った大講演をやった。
美術学校学友会(学生、卒業生、教員の親睦組織)の文芸部(クラブ活動)が再興(創立は明治35年だったが、不活発になっていた)され、その発会式の講演会に招かれたのである。
その春、漱石は帝国大学英文学科講師を辞任し、朝日新聞社に小説担当記者として入社、大阪朝日新聞社への挨拶を兼ねた関西旅行から帰ったばかりだった。
旅の疲れも休まらないうちに講演を依頼に来たのは美術学校教授の大村西崖である。
漱石は、演説は苦手と辞退したが、大村君がなんでもいいからやれとけしかけるので仕方なく登場したと言い訳をしつつ、大学院の哲学集中講義もかくやと思われる密度の高い講義を、わずか三、四枚のメモをもとにやりとげた。
あらかじめ速記録を要求し、後で朝日新聞に連載もした。
今日、全集第16巻に収録されているのは、速記録を敷衍修正して新聞に掲載した文である。
講演の速記はこの量の半分くらいというが、それにしても圧倒的な集中力だ。
●クラブ活動の講演にしてはちょっと気負いすぎにも思える。
しかし鴎外の右腕と言われた大村西崖が直接依頼に来たとなると、その背後に鴎外の意志を感じるのは当時の文壇人ならば当然で、多分、漱石は「来たな、鴎外」と武者震いして引き受けたのだろう。
●大村西崖(1868-1927)は美術学校彫刻科(日本の伝統的木彫)の第一期生で、明治29年から助教授になり西洋彫刻科を設置しようと活動するが、校長岡倉天心と対立し酒席でなぐられたことに憤然として辞職したという人。
以後、彼は学外にあって学内の改革派黒田清輝や森鴎外と連携しながら、天心批判の言論活動を行った。
●天心はお雇い外人フェノロサの国粋主義的美術論を利用して美術行政のヘゲモニーを握り、明治22年に美術学校を開校したものの、西洋画と西洋彫刻を排除したのは何としても失敗だった。
批判をかわすべく天心はフェノロサと手を切り、鴎外を美術解剖学の嘱託教員に迎え、数年後には鴎外に美学と泰西美術史を教授させた。
それでも西洋画科設置への機運抑えがたいとみると、天心は従来の絵画科(日本画のみ)のなかに西洋画科を併設し、洋画家黒田清輝を嘱託教員に加える。
しかし時流はもう天心になく、31年には辞職に追い込まれた。
逆に大村は美術学校に復職し、教授に昇格した黒田や嘱託の鴎外とともに美術学校の主流派を形成することになった。
●鴎外は近代美術教育の分水嶺だった天心失脚事件に深く係わり、主流派として生き残ったわけで、その状況からすれば30年代の鴎外が、あわよくば嘱託から美学教授に転身し、陸軍から足を洗いたいと望んだとしても無理からぬ状況だった。
鴎外は小説を中断し、『洋画手引草』『審美綱領』『審美新鋭』『審美極致論』『芸用解剖学』などを31年から36年にかけて矢継ぎ早に出したが、その業績を陰で支えたのが頭脳明晰で語学力もあった大村であることは周知のことだった。
●しかし陸軍が鴎外を手放すはずもない。彼は39年には小倉左遷を解かれて陸軍軍医学校長に復帰する。
説明 鴎外は、明治32年に小倉に赴任し、35年3月に軍医部長として東京に赴任します。37年2月から39年1月まで、日露戦争に出征し、40年10月に陸軍軍医総監に昇進します。
大村が学者に転身し、美学・美術史を講じていたので、戻った鴎外にもう美術学校嘱託の席はなかった。
それに陸軍での昇進も目前だったので美学者への転身願望はさめていたが、依然、美術学校への影響力を誇る鴎外だった。
●そんな40年頃の鴎外の最大の気がかりは、小倉赴任中に文壇デヴューした漱石の存在だっただろう。
西欧美術・文学の教養にかけては自分が随一との自負から美術学校にも深く係わったというのに、漱石の『漾虚集』や『草枕』を読むと、どうもその自信も揺らぐ。
そのうえなぜか漱石は千駄木の自分の旧居に住み、『趣味の遺伝』という短編に日露戦争から帰還する将軍を描いているが、自分がモデルにされているようで面白くない。
正面きって対決するのはいやだが、どんな人物か観察したい。
当時の鴎外の気分を推測すればこんなところだろう。
●そこに大村が文芸部発会式の講師の人選を相談に来たので、鴎外はここぞとばかりに漱石を推薦した、というのが私の勘ぐりなのである。
いずれにせよ、意図的に挑発していたのは漱石の方だった。
だから大村が来たとき、漱石は陰に鴎外ありと心得て、「聞け、鴎外」の心意気で講師の準備をしたと思う。
帝大教師から小説家への転身決意表明は、とりもなおさず、文壇と官界の頂点にいる鴎外への挑戦状的性格を持たずにはすまされない。
どこがそんなにアンチ鴎外かと説明するのは短いエッセイでは困難だが、まず「文芸の哲学的基礎」にしてからが、そんな感じである。
●漱石の長広舌の論旨の一つは、文芸は哲学的基礎を持たねばならないということだ。
文芸は閑人の所業のように見えて実は渾身の思想的一大事業なのだから、役人との二足のわらじで出来るものではない、と鴎外に向けた皮肉がチラチラみえるような口ぶりだ。
また、鴎外の美学が、哲学者ハルトマンの哲学の一部をなす美学の翻訳にすぎず、拠って立つ鴎外の哲学的立場を示していないことへの言外の批判もにじんでいる
●さわりの部分では当時の露悪的自然主義の傾向を批判して、芸術家の理想は真・美・善・壮の表現にあるが、真のみに重きを置いて美・善・壮の価値を損なうような作品は読んで不愉快だと断じている。
そしてその不愉快の具体的作例としてシェークスピアの『オセロ』、モーパッサンの『首飾り』、イプセンの『ヘダ・ガブレル』、それにゾラの題不詳の老人と若い娘の結婚を扱った短編をあげた。
結論は、芸術家は理想をもって創作する存在で、その理由は社会の大意識に影響するがゆえに人類史に永久の生命を得るものだ、と最大級の芸術家礼賛で結ばれている。
美術学校生も大いに勇気づけられたことだろう。
●実に渾身の講演というべきで、人込みに紛れて聞いていたに違いない鴎外も、ただちに論評はできなかったようだ。
しかし、しっかり聞いて反論を試みようと想を練っていたことは、43年に発表した『青年』を読むと分かる。
●『青年』は無垢な青年小泉純一が、さまざまな体験をへて成長していく教養小説であるが、そのはじめの部分に、平田拊石という作家の演説会が描かれている。
これが美術学校での漱石の講演をモデルにしていることは明らかだ。
ものまね芸のように巧みな漱石口調の文体で、鴎外は拊石に漱石の話したこととは逆のことを語らせている。
鴎外は巧みにこの拊石の講演内容を自分の意見にすり替え、漱石が『文芸の哲学的基礎』で不愉快な作例としたイプセン、下品な作例としたゾラを高く評価するのだ。
●「ゾラのClaudeは芸術を求める。イブセンのブラントは理想を求める」と拊石の語るくだりを読んで漱石はしまった、と思ったかもしれない。
あの講演でウィーク・ポイントがあるとすれば、まさにあの具体的作例の選択にあることは漱石も自覚していただろう。
イブセンの否定的評価はともかく、大作家ゾラを題名不詳の短編一つで否定してしまったのは軽率かもしれなかった。
鴎外はそこを突いたのである。
●「Claudeは芸術を求める」と、この一行で鴎外はゾラの偉大さを効果的に印象づけた。
クロオドとはルーゴン・マッカール叢書の一部をなすOeuvre (『作品』)の主人公のことだ。
セザンヌをモデルにして印象派の苦闘の歴史を描いた芸術小説として名高い。
折から創刊された雑誌『スバル』に、高村光太郎か゜『制作』の題で抄訳を掲載していたのでかなりの人が読んだばかりだっただろう。
「漱石君、『制作』を読んでもゾラは下品と片づけるのかね」という鴎外の声が聞こえるような一行である。
●この鴎外の反撃を漱石はどう受け止めたのだろう。
私は『漱石の美術愛推理ノート』を書いたあとで、「セザンヌとゾラ」のテーマに移ってゾラの小説をかなり読んだが、その結果、講演の口調とは裏腹に漱石は案外ゾラを評価し、影響を受けているような気がした。
たとえば美術学校の講演の翌年に発表された『坑夫』の坑道脱出の件は、ゾラの『ジェルミナール』の手に汗握る炭鉱の落盤事故からの脱出描写を彷彿とさせる。
ゾラのは活劇的で漱石のは心理主義的ではあるが。
それに鈴木三重吉の提唱で39年秋に漱石邸で始まった「木曜会」というサロンは、ゾラの方が先輩だ。
またゾラは多くの死の後に血みどろ汗みどろの出産場面を好んで書くが、『道草』の生々しい出産場面に影響関係はないのだろうか。
文学専攻の友人に話したら、「死んでも死んでも生まれるさ」というのと、「生まれても生まれてもすぐ死ぬさ」というのはおおいなる違いだよ、と言われたが。
●ところで講演で漱石が下品と評したゾラの短編の題名が全集の註にも出ていなかったので調べてみた。
それはゾラが43歳のときの短編集『ナイス・ミクラン』のなかの『シャブル氏の貝』だった。
●これは1883年の初版以後、1890年には著名作家シリーズのゾラの巻に収められたようだ。
ところが東北大の蔵書にあるゾラは英訳『居酒屋』『ナナ』、仏文『ローマ』の3冊にすぎない。
漱石はどこで読んだのだろう。内容はほぼ正確に紹介されている。登場人物は海辺に遊ぶ初老の夫と若妻、それに行きずりの青年の3人。
若妻と青年が波打ち際の洞窟でたわむれていると潮が満ちてきて出られなくなる。子宝を待ち望む夫は精力がつくという貝を食べながら引き潮まで二人を待つ。
その後若妻が生んだ子を彼は喜んで受け入れるというストーリー。
これを下品と切って捨てながら、漱石は『行人』のなかで明らかにこのストーリーを本歌取りしている。
「兄」の章の24から44のあたり、兄が自分の妻と弟の仲を疑って試すために二人を和歌山に行かせるが、嵐になって帰れない二人はやむを得ず一夜をともに過ごす、という設定である。
違いはゾラには嫉妬の感情が問題にされていないのに、漱石では嫉妬の感情だけが病的なまでに追及されていることだ。
ゾラの単純を本歌に、近代人の複雑な精神を描いて、漱石は鴎外の鼻を明かしているようでもある。
●私の深読みもあるかも知れないが、美術学校の講演に始まる二人の秘められたる文学的応酬は、美術史におけるマチスとピカソのそれにも似て、相互の文学を高めあう実り多いものだったと思う。
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