夏目漱石 文学論

2017.4.14  更新2017.4.20、2017.5.9

 夏目漱石の「文学論」の復刻版を購入しました。漱石文学館が復刻し、はるぷ出版から、1975年に出版されました。

文学論は、岩波書店の漱石全集の第9巻として、1966年に出版されていますが、古本価格としては、復刻版の方が、圧倒的に安く購入できます。

 私の購入したのは、1979年出版の第4刷ですが、装丁が袋とじになっているのに、びっくりしました。

 昔は、ペーパーナイフで、切り開きながら、読んでいたのでしょうね。私は、ペーパーナイフの雑な切り口を好まないので、

よく切れるカッターナイフで、一挙に、袋とじを切り開きました。

  

 最初に文学論の序を読みました。文学論の序は、日本の名著第42巻 夏目漱石・森鴎外にも、収録されていますが、

原文の文語のままなので、私のような戦後生まれには、そのまま読んでも、頭に入ってきません。

 そこで、まず、以下に、原文と現代語直訳を対比して掲載します。

 漱石の苦悩が、いろんな形で伝わってきて、非常に面白く読みました。 

 

 目次には、章のタイトルに加えて、文節のタイトルもあって親切なのですが、せっかくのそのタイトルが本文中にはありません。

そこで、図書館で、講談社学術文庫版を借りてきて、本文中に、文節タイトルを埋め込みつつあります。

講談社学術文庫版には、宮崎孝一さんが校注を付けていますが、第三分冊には解説も付いています。一か所紹介します。

 漱石がこのような決意に達した直接の動機は、明治34年5月から数ヵ月ロンドンで交際した科学者池田菊苗(味の素の発明者)の影響に発するものであることが、漱石の「処女作追懐談」の中で語られている。

彼は池田と語り合って得た刺激によって「幽霊のような文学をやめて、もっと組織だったどっしりした研究をやろうと思い始めた」のであった。

そして彼はこの研究の完成に十年はかかるものと覚悟していた。

池田のごとき自然科学者の方法に劣らぬ冷徹な方法で、自らに課した大問題を解き、確固たる体系を打ち建てるためには、それは決して長すぎる期間ではなかったであろう。

 

 第二編第三章に、ニーチェの哲学に対する漱石の意見が、開陳されています。

 

文学論 序

●余は此書を公にするにあたつて、此書が如何なる動機のもとに萌芽し、如何なる機縁のもとに講義となり、今又如何なる事故の為めに出版せらるるかを述ぶるの必要あるを信ず。
 私は、この書を公にするにあたって、この書がいかなる動機のもとに生まれ、いかなる機縁のもとに講義となり、今また、いかなる事故のために出版されるかを述べることの必要があることを信じる。

●余が英国に留学を命ぜられたるは明治三十三年にて余が第五高等学校教授たるの時なり。
 私が英国に留学を命じられたのは、明治33年で、私が第五高等学校教授だった時です。

當時余は特に洋行の希望を抱かず、且つ他に余よりも適當なる人あるべきを信じたれば、一応其旨を時の校長及び教頭に申し出でたり。
当時私は特に洋行の希望を持たず、かつ、他に私よりも適当な人がいるはずと信じたので、一応そのむねを当時の校長と教頭に申し出た。

校長及び教頭は云ふ、他に適當の人あるや否やは足下の議論すべき所にあらず、本校は只足下を文部省に推薦して、 文部省は其推薦を容れて、足下を留学生に指定したるに過ぎず、足下にして異議あらば格別、左もなくば命の如くせらるるを穏當とすと。
校長と教頭は言います、ほかに適当な人がいるかいないかは、貴殿が議論すべき事ではない、本校はただ、貴殿を文部省に推薦し、 文部省はその推薦をいれて、貴殿を留学生に指定したに過ぎない、貴殿に異議があるのならともかく、そうでないなら、命令のようにするのが穏当ですと。

説明 足下は、対等の相手に、敬意を表すときに使います。

余は特に洋行の希望を抱かずと云ふ迄にて、固より他に固辞すべき理由あるなきを以て承諾の旨を答へて退けり。
私は特に洋行の希望を持たないというまでで、もとより、他に固辞する理由があるわけではないので承諾の旨を答えて退いた。

●余の命令せられたる研究の題目は英語にして英文学にあらず。
 私が命令された研究の題目は、英語であって、英文学ではない。

余は此点に就いて其範囲及び細目を知るの必要ありしを以て時の専門学務局長上田萬年氏を文部省に訪ふて委細を質したり。
私はこの点についてその範囲や細目を知る必要がありましたので、当時の専門学務局長の上田萬年氏を文部省に訪問して詳細を質問した。

上田氏の答へには、別段窮屈なる束縛を置くの必要を認めず、 只帰朝後高等学校もしくは大学にて教授すべき課目を専修せられたき希望なりとありたり。
上田氏の答えには、別段、窮屈な束縛を置く必要はありません、 ただ帰朝後、高等学校または大学にて教授するべき課目を専修されたいとの希望ですとあった。

是に於いて命令せられたる題目に英語とあるは、多少自家の意見にて変更し得るの余地ある事を認め得たり。
ここにおいて、命令された題目に英語とあるのは、多少、自分の意見で変更できる余地があることを確認した。

かくして余は同年九月西征の途に上り、十一月目的地に着せり。
こうして私は、明治33年9月に、西方征伐の途につき、11月に目的地に到着した。

●着後第一に定むべきは留学地なり。オクスフォード、ケムブリッヂは学問の府として遠く吾邦にも聞えたれば、其いづれかに赴かんと心を煩はすうち幸ひケムブリッヂに在る知人の許に招かるるの機会を得たれば、観光かたがた彼地へ下る。
 到着後第一に決めるべきは、留学先です。オクスフォード、ケンブリッジは、学問の府として遠く我が国にも聞こえていたので、 そのどちらかに赴こうと心を煩わしているとき幸いケンブリッジにいる知人の所に招かれる機会を得たので、観光かたがたそこに行った。

●ここにて尋ねたる男の外、二三の日本人に逢へり。 ここで、訪ねた男のほかに、もう二三人の日本人に会った。

彼等は皆紳商の子弟にして所謂ゼントルマンたるの資格を作る為め、年々数千金を費やす事を確め得たり。
彼らは、みな、紳商の子弟であって、いわゆる、ジェントルマンの資格を作るため、毎年、多額のお金を費やしていることを確認できた。

説明 紳商は、教養や品位を備えた一流の商人。

余が政府より受る学費は年に千八百圓に過ぎざれば、 此金額にては、凡てが金力に支配せらるる地に在つて、彼等と同等に振舞はん事は思ひも寄らず。
私が政府から受け取る学費は、年に1800円にすぎないので、 この金額では、すべてが金力に支配されるこの地にあって、彼らと同等に振舞うことは、思いもよらない。

振舞はねば彼土の青年に接触して、所謂紳士の気風を窺ふ事さへ叶はず、
(同等に)振舞わなければ、かの地の青年に接触して、いわゆる紳士の気風を覗くことさえできない、

仮令(けりょう)交際を謝して、唯適宜の講義を聞く丈にても給与の金額にては支え難きを知る。
たとえ、交際に感謝し、ただ適宜の講義を聞くだけでも、給与の金額では、支えることが難しいとわかった。

よしや、萬事に意を用ゐて、此難関を切り抜けたりとて、余が目的の一たる書籍は帰期迄に一巻も購ひ得ざるべし。
たとえ、すべての事に気を配って、この難関を切り抜けたとしても、私の目的の一つである書籍は、帰朝までに一冊も買うことはできないでしょう。

且(かつ)思ふ。余が留学は紳商子弟の呑気なる留学と異なり。
かつ思います。私の留学は、紳商の子弟の呑気な留学とは異なるのです。

英国の紳士は学ばざる可からざる程、結構な性格を具へたる模範人物の集合體なるやも知るべからず。
英国の紳士は、学ばないわけにはいかない程、立派な性格を備えた模範人物の集合体であるかもしれない。

去れど余の如き東洋流に青年の時期を経過せるものが、余よりも年少なる英国紳士に就いて其一挙一動を学ぶ事は骨格の出来上りたる大人が急に角兵衛獅子の功妙なる技術を学ばんとあせるが如く、何に感服し、如何に崇拝し、如何に欣慕(きんぼ)して、三度の食事を二度に減ずるの苦痛を敢てするの覚悟を定むるも遂に不可能の事に属す。
しかし私のように東洋流に青年の時期を過ごした者が、私よりも年少な英国紳士について、その一挙一動を学ぶことは、骨格の出来上がった大人が、急に、角兵衛獅子の巧妙な技術を学ぼうと焦るようで、いかに感服し、いかに崇拝し、いかに喜び慕って、三度の食事を二度に減らす苦痛をあえてする覚悟を定めても、ついに、不可能の事です。

之を聞く彼等は午前に一二時間の講義に出席し、昼食後は戸外の運動に二三時を消し、茶の刻限には相互を訪問し、夕食にはコレヂに行きて大衆と会食すと。
こう聞いています、彼らは、午前に一二時間の講義に出席し、昼食後は戸外の運動に二三時間を費やし、お茶の時間に相互を訪問し、夕食には、カレッジに行って大勢で会食するのだと。

余は費用の点に於て、時間の点に於て、又性格の点に於て到底此等紳士の挙動を学ぶ能はざるを知って、彼地に留まるの念を永久に断てり。
私は、費用の点において、時間の点において、また性格の点において、到底、これら紳士の挙動を学ぶ事はできないと知って、この地に留まる考えを、永久に断ちました。

●オクスフォードはケムブリッヂと異なる所なきを信じたれば行かず。
 オクスフォードは、ケンブリッジと異なる所はないと信じましたので、行きません。

北の方蘇国に行かんか、又は海を渡りて愛蘭土に赴かんかと迄考へたれど、双方とも英語を練習する地としては甚だ不適当なるを以て思ひ留まる。
北のスコットランド(蘇格蘭土)に行こうか、または海を渡ってアイルランドに赴こうかとまで考えましたが、双方とも、英語を練習する地としては甚だ不適当なので、思い留まりました。

同時に語学を稽古する場所としては倫敦の尤も優れるを認めたり。是に於いて此地に笈を卸す。
同時に、語学を稽古する場所としては倫敦が最も優れていることを認知しました。これにおいて、この地に荷を置きました。

説明 笈は、修験者が背中に背負う足のついた箱

●倫敦は語学練習の地としては尤も便宜なりと云へり。其理由は語るの要なし。
 倫敦は、語学練習の地としては尤も便利だと言います。 その理由は説明の必要がありません。

只余はしかく信じたるのみならず、今に於てもしかく信じて疑はず。
ただ私は、そのように信じていただけでなく、今においてもそのように信じて疑いません。

去れど、余は単に語学に上達するの目的を以て英国に来れるにあらず。
しかし、私は単に語学に上達するという目的のために英国に来たのではありません。

官命は官命なり。余の意志は余の意志なり。上田局長の言に背かざる範囲内に於て、余は余の意志を満足せしむるの自由を有す。
官命は官命です。私の意志は私の意志です。上田局長の言葉に背かない範囲内において、私には私の意志をさせる自由があります。

語学を熟達せしむるの傍、余が文学の研究に従事したるは、単に余の好奇心に出でたりと云はんより、半ばは上田局長の言を服膺(ふくよう)せるの結果なるを信ず。
語学を熟達させるかたわら、私が文学の研究に従事するのは、単に私が好奇心に出たと言うよりも、半ばは、上田局長の言葉を心にとめて忘れない結果であると信じます。

●誤解を防ぐが為めに一言す。 誤解を防ぐために、一言申します。

余が二年の日月を挙げて語学のみに用ゐざりしは、語学を軽蔑して、学ぶに足らずと思惟せるが為めにあらず。
私が、二年の月日をすべて語学だけに用いなかったのは、語学を軽蔑して、学ぶに足らずと考えた為ではありません。

却つて之を重く視過ごしたるの結果のみ。  かえって、これを重く見過ぎた結果のみです。

説明 過ごすは、そのままにしておくという意味があり、見過ごすは、見ながらそのままにする、見落とす という意味になりますが、

    やりすぎる という意味もあり、寝すごす、使いすごす、酒をすごす という使い方をしますので、

    この 見過ごす は、見すぎる という意味で使われているとおもいます。

発音にせよ、会話にせよ、文章にせよ、ただ語学の一部門のみを練習するも二年の歳月は決して長しとは云はず。
発音にしろ、会話にしろ、文章にしろ、語学の一部門のみを練習するにも、二年の歳月は決して長いとは言いせん。

況んや其全般に渉つて、自ら許す底の手腕を養ひ来るをや。
まして、その全般にわたって、自ら許す底の手腕を養い来ることにおいては。

余は指を折つて、余が留学期の長短を考へ又余の菲才を以て、期限内に如何程か上達し得べきかを考へたり。
私は指折り、私の留学期間の長短を考え、また、自分の非才により、期限内にどれだけ上達できるかを考えました。

篤と考へたる後、余は到底、余の予想通りの善果を予定の日限内に収め難きを悟れり。
とくと考えたのち、私は到底、私の予想通りの成果を予定の日限内に修めることが難しいことが分かりました。

余の研究の方法が、半ば文部省の命じたる條項を脱出せるは當時の状態として蓋し已(やむ)を得ざるに出づ。
私の研究の方法が、半ば文部省の命じた条項を逸脱したのは、当時の状態として、思うに、やむを得なかったことに現れます。

●文学を研究せば如何なる方法を以て、如何なる部門を修得すべきかは次に起る問題なり。
 文学を研究するならば、どんな方法をもって、どんな部門を修得すべきかは、次に起きる問題です。

回顧すれば、余の浅薄なる、自ら此問題を提起して、遂に何等の断案に逢着せざりしを悲しむ。
回顧しますと、私は浅薄にして、自らこの問題を提起して、ついに何らの結論に到着しなかったことを悲しく思います。

余が取れる方針は遂に機械的ならざるを得ず。 私が取った方法は、機械的なものにならざるを得ません。

余は先づ走つて大学に赴き、現代文学史の講義を聞きたり。
私はまず走って大学に赴き、現代文学史の講義を聞きました。

又個人として、私に教師を探り得て随意に不審を質すの便を開けり。
また個人として、私的に教師を探し随時に不審な点を質問する便宜を図りました。

●大学の聴講は三四ケ月にして已めたり。予期の興味も智識をも得る能はざりしが為めなり。
 大学の聴講は、三四ヶ月にして止めました。予期した興味も知識も得ることができないためです。

私宅教師の方へは約一年間通ひたりと記憶す。此間余は英文学に関する書籍を手に任せて読破せり。
私宅教師の方へは約一年間通ったと記憶します。この間私は英文学に関する書籍を手あたり次第読破しました。

無論論文の材料とする考もなく、帰朝の後教授上の便に供するが為めにもあらず、只漫然と出来得る限り多くの頁を翻へし去りたるに過ぎず。
無論、論文の材料とする考えもなく、帰朝の後、教授の便に供する為でもなく、ただ漫然と出来る限り沢山の頁を翻し去ったにすぎません。

事実を云へば余は英文学卒業の学士たるの故を以て選抜の上留学を命ぜらるる程、斯道に精通せるものにあらず。
事実を言うと、私は英文学を卒業した学士であるという理由で選抜されて留学を命じられる程に、この道に精通していたわけではありません。

卒業の後東西に徂徠して、日に中央の文壇に遠ざかれるのみならず、一身一家の事情の為め、擅(ほしいま)まに読書に耽るの機会なかりしが故、有名にして人口に膾炙せる典籍も大方は名のみ聞きて、眼を通さざるもの十中六七を占めたるを平常遺憾に思ひたれば、此機を利用して一冊も余計に読み終らんとの目的以外には何等の方針も立つる能はざりしなり。
卒業のあと、東西を行き来して、日に中央の文壇に遠ざかれるだけでなく、一身一家の事情のため、ほしいままに読書に浸る機会がなかったので、 有名で、人口に膾炙された典籍も、おおかたは、名前だけ聞いて、目を通していないものが十中六七を閉めていることを、平常遺憾に思っていたので、この機会を利用して一冊でも余計に読み終わろうとの目的以外には、何の方針も立てることができなかったのです。

かくして一年余を経過したる後、余が読了せる書物の数を点検するに、吾が未だ読了せざる書物の数に比例して、其甚だ僅少なるに驚ろき、残る一年を挙げて、同じき意味に費やすの頗る迂闊なるを悟れり。
こうして一年余りが経過したときに、私が読了した書物の数を点検すると、私がまだ読了しない書物の数に比べて、それ甚だ僅少なことに驚き、残る一年をあげて、同じ意味に費やすことが頗る迂闊であることを悟りました。

余が講学の態度はここに於て一変せざるを得ず。 私の講学の態度は、ここにおいて、一変せざるを得ません。

●(青年の学生につぐ。  (青年の学生に告げる。

春秋に富めるうちは自己が専門の学業に就いて何者をか貢献せんとする前、先ず全般に通ずるの必要ありとし、古今上下数千年の書籍を読破せんと企つる事あり。
年月が沢山あるうちは、自分の専門の学問について、何かを貢献しようとする前に、まず全般に通じる必要があるとして、古今上下数千年の書籍を読破しようと企てることがあります。

かくの如くせば白頭に至るも遂に全般に通ずるの期はあるべからず。
かのようにすると、白頭に至っても、ついに、全般に通じる時期は、ないでしょう。

余の如きものは未だに英文学の全体に通ぜず。今より二三十年の後に至るも依然として通ぜざる可しと思ふ。)
私のようなものは、未だに、英文学の全体に通じていない。今より二三重年の後に至っても依然として通じていないだろうと思う。)

●時日の逼(せま)れると、撿束なき読書法が、當時の余をして、茫然と自失せしめたる外に、余を促して、在来の軌道外に逸せしめたる他の原因あり。
 時機が迫ってくると、拘束のない読書法が、当時の私をして、茫然と自失させた以外に、私を促して、在来の軌道の外に逸脱させた別の原因がある。

余は少時好んで漢籍を学びたり。 私は、幼少のとき、漢籍を学びました。

之を学ぶ事短きにも関らず、文学は斯くの如き者なりとの定義を漠然と冥々裏に左国史漢より得たり。
これを学ぶ事短いにもかかわらず、文学はこのようなものだとの定義を、漠然と、暗々裏に、左国史漢より得ました。

説明 左国史漢は、春秋左氏伝、国語、史記、漢書 のこと。

ひそかに思ふに英文学も亦かくの如きものなるべし、斯の如きものならば生涯を挙げて之を学ぶも、あながちに悔ゆることなかるべしと。
ひそかに思うのですが、英文学もまたこのようなものであって、このようなものであれば、生涯をかけてこれを学ぶのも、あながち悔いることはないであろうと。

余が単身流行せざる英文学科に入りたるは、全く此幼稚にして単純なる理由に支配せられたるなり。
私が、単身で、流行していない英文学科に入ったのは、全く、この幼稚にして単純な理由に支配されたからです。

在学三年の間は物にならざる羅甸語に苦しめられ、物にならざる独逸語に窮し、同じく物にならざる佛語さへ、うろ覚えに覚えて、肝心の専門の書は殆んど読む遑(いとま)もなきうちに、既に文学士と成り上がりたる時は、此光栄ある肩書を頂戴しながら、心中は甚だ寂寞の感を催ふしたり。
在学三年の間は、ものにならないラテン語に苦しめられ、ものにならないドイツ語に困り、同じくものにならないフランス語さえ、うろ覚えに覚えて、肝心の専門の書は殆ど読む暇もないうちに、すでに、文学士と成り上がった時は、この栄光ある肩書を頂戴しながら、心中は甚だ、寂寞の感をもよおしました。

説明 寂寞は、じゃくまく とも せきばく とも読み、ひっそりして、ものさびしいことを言います。

●春秋は十を連ねて吾前にあり。学ぶに余暇なしとは云はず。学んで徹せざるを恨みとするのみ。
 年月は、十年たって、私の前にあります。学ぶ暇がないとは言いません。学んで徹しなかったことを恨むのみです。

卒業せる余の脳裏には何となく英文学に欺かれたるが如き不安の念あり。
卒業した私の脳裏には、なんとなく英文学に欺かれたような不安の念があります。

余は此の不安の念を抱いて西の方松山に赴き、一年にして、又西の方熊本にゆけり。
私は、この不安の年を抱いて、西の方、松山に赴き、一年にして、また西の、熊本に行きました。

熊本に住する事数年未だ此不安の念の消えぬうち倫敦に来れり。
熊本に住むこと数年、未だこの不安の念の消えないうちに、倫敦にきました。

倫敦に来てさへ此不安の念を解く事が出来ぬなら、官命を帯びて遠く海を渡れる主意の立つべき所以なし。
倫敦に来てさえこの不安の念を解くことができないなら、官命を帯びて遠く海を渡ってきた主意の立つ理由がありません。

去れど過去十年に於てすら、解き難き疑団を、来る一年のうちに晴らし去るは全く絶望ならざるにもせよ、殆ど覚束なき限りなり。
しかし過去十年においてすら、解くことが難しいわだかまりを、来る一年のうちに晴らし去るのは、全く絶望ではないにしても、殆ど、覚束ない限りです。

●是に於て読書を廃して又前途を考ふるに、資性愚鈍にして外国文学を専攻するも学力の不充分なる為め会心の域に達せざるは、遺憾の極なり。
 ここにおいて読書を止めて前途を考えるに、天性が愚鈍で、外国文学を専攻するも学力が不充分なるため会心の域に達しないのは、遺憾の極みです。

去れど余の学力は之を過去に徴して、是より以後左程上達すべくにもあらず。
されど私の学力は、過去に徴取したもので、これより以後、そんなに上達できそうにありません。

学力の上達せぬ以上は学力以外に之を味ふ力を養はざる可からず。
学力が上達しない以上は、学力以外にこれを味わう力を養わないわけにはいかない。

而してかかる方法は遂に余の発見し得ざる所なり。
しかし、このような方法は、ついに私が発見できない所です。

翻つて思ふに余は漢籍に於て左程根底ある学力あるにあらず、然も余は之を充分味ひ得るものと自信す。
翻って考えるに、私は、漢籍においてさほど根底ある学力があるのではない、しかも、私はこれを十分味わうことができると自信します。

余が英語に於ける知識は無論深しと云ふ可からざるも、漢籍に於けるそれに劣れりとは思はず。
私の英語における知識は無論深いということはできないが、漢籍におけるそれに劣っているとは思いません。

学力は同程度として好悪のかく迄に岐かるるは両者の性質のそれ程に異なるが為めならずんばあらず、
学力は同程度として、好き嫌いのかくまで分かれるのは、両者の性質がそれ程に異なるがためです。

換言すれば漢学に所謂文学と英語に所謂文学とは到底同定義の下に一括し得べからざる異種類のものたらざる可からず。
言い換えれば、漢学にいうところの文学と、英語にいうところの文学とは、到底、同じ定義のもとには一括できない異種類のものです。

●大学を卒業して数年の後、遠き倫敦の孤燈の下に、余が思想は始めて此局所に出会せり。
 大学を卒業して数年の後、遠い倫敦の孤灯の下で、私の思想は初めてこの場所に出会いました。

人は余を目して幼稚なりと云ふやも計りがたし。余自身も幼稚なりと思ふ。
人は私をみて幼稚だというかもわかりません。私自身も、幼稚だと思います。

斯程見易き事を遥々倫敦の果に行きて考へ得たりと云ふは留学生の恥辱なるやも知れず。
これ程分かりやすいことを、はるばる倫敦の果てにまで行って考えることができたということは、留学生の恥かもしれません。

去れど事実は事実なり。余が此時始めて、ここに気が付きたるは恥辱ながら事実なり。
しかし、事実は事実です。私がこの時初めて、ここに気づいたのは、恥ずかしながら事実です。

余はここに於て根本的に文学とは如何なるものぞと云へる問題を解釈せんと決心したり。
私は、ここにおいて、根本的に文学とはいかなるものと言う問題を解釈しようと決心しました。

同時に余る一年を挙て此問題の研究の第一期に利用せんとの念を生じたり。
同時に残る一年をあげて、この問題の研究の第一期に利用しようとの考えが生じました。

●余は下宿に立て籠りたり。一切の文学書を行李の底に収めたり。
 私は下宿に立てこもりました。一切の文学書を行李の底に収めました。

文学書を読んで文学の如何なるものなるかを知らんとするは血を以て血を洗ふが如き手段たるを信じたればなり。
文学書を読んで文学がいかなるものかを知ろうとするのは、血をもって血を洗うような手段であると信じたからです。

余は心理的に文学は如何なる必要あつて、此世に生れ、発達し、頽廃するかを極めんと誓へり。
私は心理的に、文学はいかなる必要があって、この世に生まれ、発達し、頽廃するかを極めようと誓いました。

余は社会的に文学は如何なる必要あつて、存在し、興隆し、衰滅するかを究めんと誓へり。
私は社会的に文学はいかなる必要があって存在し、興隆し、衰退するかを究めようと誓いました。

●余は余の提起せる問題が頗る大にして且つ新しきが故に、何人も一二年の間に解釈し得べき性質のものにあらざるを信じたるを以て、余が使用する一切の時を挙げて、あらゆる方面の材料を蒐集するに力め、余が消費し得る凡ての費用を割いて参考書を購へり。
 私は私が提起した問題が、頗る大きくてかつ新しいが故に、何人も、一二年の間に解釈できる性質のものではないと信じたので、私が使用する一切の時間をあげて、あらゆる方面の材料を収集するに努め、私が消費できるすべての費用をさいて、参考書を購入しました。

此一念を起してより六七ケ月の間は余が生涯のうちに於て尤も鋭意に尤も誠実に研究を持続せる時期なり。
この一念を起こしてから六七ヶ月の間は、私の生涯のうちにおいて最も鋭意に最も誠実に研究を持続した時期です。

●余は余の有する限りの精力を挙げて、購へる書を片端より読み、読みたる箇所に傍註を施こし、必要に逢ふ毎にノートを取れり。
 私は私の有する限りの精力をあげて、購入した本を片端から読み、読んだ箇所に傍注を施し、必要な時ごとにノートを取りました。

始めは茫乎(ぼうこ)として際涯(さいがい)のなかりしもののうちに何となくある正体のある様に感ぜられる程になりたるは五六ケ月の後なり。
初めはぼんやりとして、際限のないもののなかに、なんとなく或る正体があるように感じられる程になったのは五六ヶ月の後です。

余は固より大学の教授にあらず、従つて之を講義の材料に用ゐるの必要を認めず。
私はもとより大学の教授ではない、従ってこれを講義の材料に用いる必要を認めません。

又急に之を書物に纏むるの要なき身なり。 また、急いでこれを書物にまとめる必要がない身です。

當時余の豫算にては帰朝後十年を期して、充分なる研鑽の結果を大成し、然る後世に問ふ心得なりし。
当時私の予算では、帰朝後十年を期して、充分な研修の結果を大成し、しかるのちに世に問う心得でした。

●留学中に余が蒐めたるノートは蠅頭(ようとう)の細字にて五六寸の高さに達したり。
 留学中に私が集めたノートは、ハエ頭の細字で五六寸の高さに達しました。

余は此のノートを唯一の財産として帰朝したり。
私はこのノートを唯一の財産として帰朝しました。

帰朝するや否や余は突然講師として東京大学にて英文学を講ずべき委嘱を受けたり。
帰朝するや否や、私は突然、講師として東京大学で英文学を講じるべく委嘱を受けました。

余は固よりかかる目的を以て洋行せるにあらず、又かかる目的を以て帰朝せるにあらず。
私はもとよりこんな目的をもって洋行したのではありません、またこんな目的をもって帰朝したのでもありません。

大学にて英文学を担任教授する程の学力あるにあらざる上、余の目的はかねての文学論を大成するに在りしを以て、教授の為に自己の宿志を害せらるるを好まず。
大学で英文学を担任教授する程の学力があるのではない上に、私の目的はかねての文学論を大成することにあったので、教授のために自己の宿志を害せられることを好みません。

依つて一応は之を辞せんと思ひしが、留学中書信にて東京奉職の希望を漏らしたる友人(大塚保治氏)の取計にて、殆んど余の帰朝前に定まりたるが如き有様なるを以て、遂に浅学を顧みず、依托を引き受くる事となれり。
よって一応はこれを辞そうと思いましたが、留学中手紙にて東京で就職したいという希望をもらした友人(大塚保治氏)の取りはからいで、殆ど私の帰朝前に決まってしまった有様なので、ついに、浅学を顧みず、依託を引き受けることとなりました。

●講義を開く前には如何なる問題を撰ばんかと苦心せるが、余は今日文学を研究する学生に取つては、余が文学論を紹介するの、尤も興味多く、且つ時機に適せるを感じたり、
 講義を開く前には、いかなる問題を選ぼうかと苦心しましたが、私は、今日文学を研究する学生にとっては、私の文学論を紹介するのが、尤も興味深く、かつ時機に適していると感じました。

余は田舎に教師となり、田舎から洋行し、洋行から突然東京に舞ひ戻つたる人間なり。
私は田舎で教師となり、田舎から洋行し、洋行から突然東京に舞い戻った人間です。

當時わが中央文壇の潮流が如何なる方面に動きつつあるかは、殆ど知るべくもあらず。
当時わが中央文壇の潮流がいかなる方面に動きつつあるかは、殆ど知ることはできません。

去れど摯實(しじつ)なる労力に因つて得たる結果を尤も高等なる学問を修めて、未来の文運を支配する青年の前に披瀝するは余の最も光栄とする所なるを以て先ず此の問題を選んで学生諸子の批判を仰がんと決意せり。
されど誠実な労力に因って得た結果を、最も高等な学問を修めて、未来の文運を支配する青年の前に披露することは、私の最も光栄とする所でありますので、先ずこの問題を選んで学生諸子の批判を仰ごうと決意しました。

●不幸にして余の文学論は十年計画にて企てたる大事業の上、重に心理学社会学の方面より根本的に文学の活動力を論ずるが主意なれば、学生諸子に向て講ずべき程体を具せず。
 不幸にして私の文学論は、十年計画で企てた大事業のうえ、主に心理学社会学の方面から根本的に文学の活動力を論じるのが趣旨なので、学生諸子に向かって講じることができる程、体裁が備わっていません。

のみならず文学の講義としては余りに理路に傾き過ぎて、純文学の区域を離れたるの感あり。
のみならず、文学の講義としては余りに理路に傾き過ぎて、純文学の領域を離れている感があります。

余の労力はここに於て二途に出でたり。 私の労力は、ここにおいて二つの道にでました。

一は纏まらぬものを、既に蒐集せる材料にて、ある程度迄具体的に組織する事なり。
一つは纏まらないものを、すでに集めた材料によって、ある程度まで具体的に組織することです。

ニは略系統的に出来上がりたる議論を可成純文学の方面に引き付けて講説する事なり。
二つは、ほぼ系統的に出来上がっている議論をかなり純文学の方面に引き付けて講義説明することです。

●身心の健康及び使用時間の許さぬうちに在つて、此両者を能くし得たりとは決して思はず。
 身心の健康と使用できる時間が許さない中にあって、この両者をうまくできたとは決して思いません。

去れども其企てが如何なる事実となつてあらはれたるかは、此書の内容の証明する所なり。
しかし、その企てがいかなる事実となって表れたかは、この本の内容が証明する所です。

講義は毎週三時間にて、明治三十六年九月に始まつて三十八年六月に渡り、前後二学年にして終る。
講義は毎週三時間で、明治36年9月に始まって、38年6月に渡り、前後二学年にして終わります。

講義の當時は余が予期せるほどの刺激を学生諸子に与へざりしに似たり。
講義の当時は、私が予期したほどの刺激を、学生諸子に与えなかったようです。

●第三学年にも此講義の稿を続くべかりしを種々の事情に遮られて果さず。
 第三学年にもこの講義の原稿を続けるべきでしたが、種々の事情に遮られて出来ませんでした。

已に講述せる部分の意に満たぬ所、足らざる所を書き直さんとして又果さず、約二年の間其儘にて筐底に横はりしを、書肆の乞に応じて公にする事となれり。
既に講述した部分の意に満たない所、足らない所を書き直そうとしてまた出来ません、約二年の間そのままにして箱の底に横たわっていたのを、書店の要請に応じて公にすることとなりました。

●公にする事を諾したる後も、身辺の事情に束縛せられて、わが旧稿を自身に浄写する暇さへ見出し得ず。
公にすることを承諾した後も、身辺の事情に束縛されて、私の旧稿を自身に清書する時間さえ見つけることが出来ません。

已むを得ず、友人中川芳太郎氏に章節の節分目録の編纂其他一切の整理を委託す。
やむを得ず、友人中川芳太郎氏に章節の節分目録の編纂とその他一切の整理を委託しました。

中川氏の此講義のある部分に出席したる上、博洽(はっこう)の学と篤実の質をかねたれば、余の知人中にて、かかる事を処理するに於て尤も適当の人なり。
中川氏は、この講義のある部分に出席したうえ、広い学問と篤実の質を兼ね備えていて、私の知人の中で、このような事を処理するにおいて最も適当な人です。

余は深く氏の好意を徳とす。苟しくも此書の存せん限り、氏の名を忘れざるを期す。
私は、深く氏の好意を徳とします。いやしくも、この書が存在するかぎり。氏の名前を忘れないことを期します。

氏の親切によらずんば、現在の余は遂に此書を出版するの運びに至らざりしならん。
氏の親切によらなければ、現在の私はついにこの書を出版する運びに至らなかったでしょう。

況や中川氏他日若し文界に名を成さば、此書或るは氏の名によつて、世に記憶せらるるに至るも計るべからざるをや。
いわんや、中川氏が後日もし文学界に名を成せば、この書が在るは、氏の名前によって、後世に記憶されることになることも推し量ることができないことがありましょうや。

説明 この 況や をや の訳は、まだ未完成です。

●以上述べたる通り、此書は余の熱心なる労力によつて組織せられたるものなり。
 以上述べたように、この書は、私の熱心な労力によって組織されたものです。

但十年の計画を二年につづめたる為め(名は二年なるも出版の際修正に費やしたる時間を除いて実際に使用せるは二夏なり)又純文学学生の所期に応ぜんとして、本来の組織を変じたる為め、今に至って未成品にして、又未完品なるを免がれず。
ただし、十年の計画を二年に縮めたため(名目は二年ですが出版の際に修正に費やした時間を除いて実際に使ったのは二夏です)また純文学学生の期待するところに応じようとして本来の組織を変更したため、今に至って未成品であり、また未完成品になるのを免れません。

去れども学界は多忙なり。多忙なる学界に於て、余は他より一倍多忙なり。
しかし、学界は多忙です。多忙な学界において、私は、他より人一倍多忙です。

足らざるを補ひ、正すべきを正し、継ぐべきを継いで、然る後、世に問はんとすれば、余が身辺の状況にして、一変せざるよりは、生涯の日月を費やすとも遂に世に問ふの期はあるべからず。
足らない所を補い、正すべきところを正し、継ぐべきところを継いで、しかる後に世に問おうとすれば、私の身辺の状況が一変しないのであれば、生涯の日月を費やしてもついに世に問う時期はないでしょう。

是余が此未定稿を版行する所以なり。 これが、私がこの未定稿を出版する理由です。

●既に未定稿なるが故に現代の学徒を教へて、文学の何物たるかを知らしむるの意にあらず。
 既に未定稿であるがゆえに、現代の学徒を教えて、文学の何物たるかを知らせるという意図ではありません。

世の此書を読む者、読み終わりたる後に、何等かの問題に逢着し、何等かの疑義を提供し、或は書中云へるものよりも一歩を進め二歩を拓きて向上に路を示すを得ば余の目的は達したりと云ふべし。
この書を読んだ人が、読み終わった後に、何らかの問題に遭遇し、何らかの疑義を提供し、或るは書中に述べられていることよりも一歩を進め二歩を開いて向上の道を示すことができれば、私の目的は達したということができる。

学問の堂を作るは一朝の事にあらず、又一人の事にあらず、
学問の堂を作るのは、一朝のことではありません、また一人の事でもありません、

われは只自己が其建立に幾分の労力を寄付したるを、義務を果たしたる如くに思ふのみ。
私はただ自分がその建立に幾分の労力を寄付したことを、義務を果たしたように思うのみです。

●倫敦に住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年なり。
 倫敦に住み暮らした二年は、最も不愉快の二年です。

余は英国紳士の間にあつて狼群に伍する一匹のむく犬の如く、あはれなる生活を営みたり。
私は英国紳士の間にあって、狼の群れに肩をならべる一匹のむく犬のように、あわれな生活を営みました。

倫敦の人口は五百萬と聞く。五百萬粒の油のなかに、一滴の水となつて辛うじて露命を繋げるは余が當時の状態なりといふ事を断言して憚からず。
倫敦の人口は五百万と聞きます。五百万粒の油のなかに、一滴の水となって、かろうじて露命をつないだのが私の当時の状態だということを断言してはばかりません。

清らかに洗ひ濯げる白シャツに一点の墨汁を落としたる時、持主は定めて心よからざらん。
清潔に洗濯した白シャツに、一転の墨汁を落としたとき、持ち主は、きっと、心よくないでしょう。

墨汁に比すべき余が乞食の如き有様にてエストミンスターあたりを徘徊して、人工的に煤烟の雲を漲らしつつある此大都会の空気は何千立方尺かを二年間に吐呑したるは、英国紳士の為めに大に気の毒なる心地なり。
墨汁に比べるべき私が乞食のような有様で、ウエストミンスターあたりを徘徊して、人工的に煤煙の雲をみなぎらしているこの大都会の空気の何千立方尺かを二年間に吸って吐いたことは、英国紳士のために大いに気の毒な心地です。

謹んで紳士の模範を以て目せらるる英国人に告ぐ。余は物数奇(ものずき)なる酔興にて倫敦迄踏み出したるにあらず。
謹んで紳士の模範とみなされている英国人に告げる。私は、物好きな酔狂で倫敦まで踏み出したのではない。

個人の意志よりもより大なる意志に支配せられて、気の毒ながら此歳月を君等の麺皰(パン)の恩沢に浴して累々と送りたるのみ。
個人の意志よりも大きな意志に支配されて、気の毒ながらこの歳月を君等のパンの恩恵に浴して累々と続けて送っただけです。

二年の後期満ちて去るは、春来つて雁北に帰るが如し。
二年ののち期が満ちて去るのは、春が来て雁が北に帰るようなものです。

滞在の當時君等を手本として万事君等の意の如くする能はざりしのみならず、今日に至る迄君等が東洋の賢子に予期したる程の模範的人物となる能はざるを悲しむ。
滞在の当時に、君たちを手本として万事君たちの意のようにすることができなかったのみならず、今日に至るまで、君たちが東洋の賢子に予期したほどの模範的な人物となることができないことを悲しみます。

去れど官命なるが故に行きたる者は、自己の意思を以て行きたるにあらず。
されど、官命なるが故に行った者は、自己の意思をもって行ったのではありません。

自己の意志を以てすれば、余は生涯英国の地に一歩も吾足を踏み入るる事なかるべし。
自分の意志をもってすれば、私は、生涯英国の地に一歩も私の足を踏み入れる事はなかったでしょう。

従つて、かくの如く君等の御世話になりたる余は遂に再び君等の御世話を蒙るの期なかるべし。
従って、このように君たちの御世話になった私は、遂に再び、君たちの世話を蒙ることはないでしょう。

余は君等の親切心に対して、其親切を感銘する機を再びする能はざるを恨みとす。
私は君たちの親切心に対して、その親切を感銘する機会を再びもつことができないのを恨みとします。

●帰朝後の三年有半も亦不愉快の三年有半なり。去れども余は日本の臣民なり。
 帰朝後の三年有半も、また不愉快の三年有半です。しかし、私は、日本の臣民です。

不愉快なるが故に日本を去るの理由を認め得ず。
不愉快であるから日本を去るという理由は、みつかりません。

日本の臣民たる光栄と権利を有する余は、五千萬人中に生息して、少なくとも五千萬分一の光栄と権利を支持せんと欲す。
日本の臣民である光栄と権利をもつ私は、五千万人中に生息し、少なくとも五千万分の一の光栄と権利を支持しようと望みます。

此光栄と権利を五千萬分一以下に切り詰められたる時、余は余が存在を否定し、若くは余が本国を去るの挙に出づる能はず、寧ろ力の継く限り、之を五千萬分一に回復せん事を努むべし。
この光栄と権利を五千万分の一以下に切り詰められた時、私は私の存在を否定し、もしくは、私が本国を去るという挙にでることはできません、むしろ、力の続く限り、これを五千万分の一に回復しようと努めるでしょう。

是れ余が微少なる意志にあらず、余が意志以上の意志なり。
これは私の微少な意志ではありません、私の意志以上の意志です。

余が意志以上の意志は、余の意志を以て如何ともする能はざるなり。
私の意志以上の意志は、私の意志をもっていかんともすることができません。

余の意志以上の意志は余に命じて、日本臣民たるの光栄と権利を支持する為めに、如何なる不愉快をも避くるなかれと云ふ。
私の意志以上の意志は私に命じて、日本臣民である光栄と権利を支持するために、いかなる不愉快をも避けるなと言います。

●著者の心情を容赦なく学術上の作物に冠して其序中に詳叙するは妥当を欠くに似たり。
 著者の心情を、容赦なく学術上の著作物に冠してその序の中に詳述するのは妥当を欠くようです。

去れど此学術上の作物が、如何に不愉快のうちに胚胎し、如何に不愉快のうちに組織せられ、如何に不愉快のうちに講述せられて、最後に如何に不愉快のうちに出版せられたるかを思へば、他の学者の著作として毫も重きをなすに足らざるにも関せず、余に取つては是程の仕事を成就したる丈にて多大の満足なり。
しかしこの学術上の著作物が、いかに不愉快のうちに胚胎し、いかに不愉快のうちに組織され、いかに不愉快のうちに講述され、最後に、いかに不愉快のうちに出版されたかを思えば、他の学者の著作として少しも重きをなすに足らないにも関わらず、私にとっては、これほどの仕事を成就しただけで多大の満足です。

読者にはそこばくの同情あらん。  読者には、いささかの同情があるでしょうか。

●英国人は余を目して神経衰弱と云へり。ある日本人は書を本国に致して余を狂気なりと云へる由。
 英国人し、私を見て、神経衰弱と言いました。ある日本人は、手紙を本国に書いて、私が狂気であると言ったよし。

説明 ある日本人とは、岡倉由三郎だそうです。土井晩翠が漱石を10日ほど観察し、漱石が異常であるという確信に達し、岡倉に話したのだそうです。

賢明なる人々の言ふ所には偽りなかるべし。ただ不敏にして是等の人々に対して感謝の意を表する能はざるを遺憾とするのみ。
賢明な人たちの言う所には、偽りはないでしょう。ただ不敏にして、これらの人々に対して、感謝の意を表することができないことを、遺憾とするのみです。

●帰朝後の余も依然として神経衰弱にして兼狂人のよしなり。親戚のものすら、之を是認するに似たり。
 帰朝後の私も依然として神経衰弱にして狂人とのことです。親戚のものすら、これを是認するようです。

親戚のものすら、之を是認する以上は本人たる余の弁解を費やす余地なきを知る。
親戚のものすら、之を是認する以上は、本人である私が弁解する余地がないことを悟ります。

ただ神経衰弱にして狂人なるが為め、「猫」を草し「漾虚集」を出し、又「鶉籠」を公けにするを得たりと思へば、余は此神経衰弱と狂気に対して深く感謝の意を表するのは至当なるを信ず。
ただ神経衰弱にして狂人であるがために、「猫」を書き、「漾虚集」を出し、又「鶉籠」を公けにすることができたと思えば、私はこの神経衰弱と狂気に対して深く感謝の意を表すのは至当であると信じます。

●余が身辺の状況にして変化せざる限りは、余の神経衰弱と狂気とは命のあらん程永続すべし。
 私の身辺の状況が変化しない限りは、私の神経衰弱と狂気とは、命のある限り、永続するでしょう。

永続する以上は幾多の「猫」と幾多の「漾虚集」と、幾多の「鶉籠」を出版するの希望を有するが為めに、余は長(とこ)しへに此神経衰弱と狂気の余を見棄てざるを祈念す。
永続する以上は、沢山の「猫」と、沢山の「漾虚集」と、沢山の「鶉籠」を出版するという希望を有していますので、私は、常しえに、この神経衰弱と狂気の私を見捨てないことを祈念します。

●ただ此神経衰弱と狂気とは否応なく余を驅(か)つて創作の方向に向はしむるゆえに、向後此「文学論」の如き学理的閑文字を弄するの余裕を与へざるに至るやも計りがたし。
 ただこの神経衰弱と狂気とは否応なく、私を追い立てて、創作の方向に向かわしめるので、今後、この「文学論」のように無駄な文字を弄ぶ余裕を与えなくなってしまうかも、しれません。

果して然らば此一篇は余が此種の著作に指を染めたる唯一の紀念として、価値の乏しきにも関せず、著作者たる余に取つては、活版屋を煩はすに足る仕事なるべし。併せて其由を付記す。
果してそうであるなら、この一篇は、私がこの種の著作に手を染めた唯一の記念として、価値は乏しいにもかかわらず、著者である私にとっては、出版社を煩わすに足る仕事なのです。あわせて、そのことを付記します。

明治三十九年十一月 1906年11月                            夏目金之助

  

目次

第一編 文学的内容の分類

第一章 文学的内容の形式
第二章 文学的内容の基本成分
第三章 文学的内容の分類及び其価値的等級

第二編 文学的内容の数量的変化

第一章 Fの変化
第二章 fの変化
第三章 fに伴ふ幻惑
第四章 悲劇に対する場合

第三編 文学的内容の特質

第一章 文学的Fと科学的Fとの比較一汎
第二章 文芸上の真と科学上の真

第四編 文学的内容の相互関係

第一章 投出語法
第二章 投入語法
第三章 自己と隔離せる聯想
第四章 滑稽的聯想
第五章 調和法
第六章 対置法
第七章 写実法
第八章 間隔論

第五編 集合的F

第一章 一代に於ける三種の集合的F
第二章 意識推移の原則
第三章 原則の応用(1)
第四章 原則の応用(2)
第五章 原則の応用(3)
第六章 原則の応用(4)
第七章 補遺

 

第一編 文学的内容の分類

第一章 文学的内容の形式

(F+f)

●凡そ文学的内容の形式は(F+f)なることを要す。
総じて、文学的な内容の形式は、(F+f) であることを必要とする。

Fは焦点的印象又は観念を意味し、fはこれに付着する情緒を意味す。
Fは、焦点的印象または観念を意味し、fはこれに付属する情緒を意味する。

説明 焦点的は、focal、印象は、impression、観念は、conception、情緒は、emotion, sentiment, feeling

されば上述の公式は印象又は観念の二方面即ち認識的要素Fと情緒的要素fとの結合を示したるものと云ひ得べし。
従って、上記の公式は、印象または観念の二方面、すなわち認識的要素Fと情緒的要素 fとの結合を示したものと言うことができるでしょう。

吾人が日常経験する印象及び観念はこれを大別して三種となすべし。
私たちが日常経験する印象と観念は、これを大別すると三種となるでしょう。

(一) Fありてfなき場合 即ち知的要素を存し情的要素を欠くもの、例へば吾人が存する三角形の観念の如く、それに伴ふ情緒さらにあることなきもの。
(一) Fがあってfがない場合 即ち知的要素はあるが情的要素を欠くもの、例えば私たちがもつ三角形の観念のように、それに伴う情緒がさらにあるということではない場合。

(二) Fに伴ふてf生ずる場合、例へば花、星等の観念に於けるが如きもの。
(二) Fに伴ってfが生じる場合、例えば、花、星などの観念におけるような場合。

(三) fのみ存在して、それに和応すべきFを認め得ざる場合、所謂 "fear of everything and fear of nothing" の如きもの。
   即ち何等の理由なくして感ずる恐怖など、みなこれに属すべきものなり。
(三) fのみ存在して、それに和応するFを認めることができない場合、いわゆる "fear of everything and fear of nothing" のようなもの。すなわち、何等理由がなくて感じる恐怖などが、これに属するものです。

Ribot は其著『情緒の心理』に此種の経験を四大別にして更に付記して曰く、「かくの如く人体諸機能の合成的結果即ち普通感覚の変化に基き豪も知的活動の支配を受けざる一種純正、しかも自治的方面を感情に於て見出すことを得。」
リボーは、著作『情緒の心理』において、この種の経験を四つに大別し、さらに、付記してこう言います。「このような人体諸機能の合成的結果、すなわち普通感覚の変化に基いて少しも知的活動の支配を受けない一種純正、しかも自治的方面を感情において見出すことができる。」

説明 漱石の翻訳が気になったので、リボー (Theodule Ribot) の The psychology of the Emotions を見てみました。

その序で、pure states of feeling を、4つのprincipal type に分けます、(1) Agreeable state (pleasure, joy), (2) Painful state (sadness, annoyance), (3) State of fear, (4) State of excitablity。そして、これらの単純状態の共存、変更によって、混合状態が形成されると言及して、以下の文が続きます。

From all which goes before it results that there is a pure and autonomous life of feeling, independent of the intellectual life and having its cause below, in the variations of the coenesthesia, which is itself the resultant and concert of vital actions.
先行するすべてのことから、結論されます|純粋で自律的な生活感覚があることが|知的生活からは独立していて、以下の原因をもっている|体感の変動において|。その体感は、それ自身、生命活動の結果であり協調です。
先行するすべてのことから、生命活動の結果や協調であるところの体感の変動において、知的生活からは独立していて、以下の原因をもっている純粋で自律的な生活感覚があることが結論されます。

In the psychology of feeling the part played by external sensations is very scanty compared to that played by internal sensations, and certainly one must be unable to see beyond the first to set up as a rule "that there is no emotional state unconnected with an intellectual state."
感情の心理学においては、外部の感覚が果たす役割は、内部の感覚が果たす役割にくらべて、非常に少ない、そして、確かに、できないに違いありません、「知的状態と結びついていない感情状態はない」という原理として樹立する前者を超えて考えることは。

結構、難解な文章です。漱石が、なぜ、ここに引用したのか、ゆっくり思案中です。

●以上三種のうち、文学的内容たり得べきは(二)にして、即ち(F+f)の形式を具ふるものとす。
以上三種のうち、文学的内容となりえるものは (二) であって、すなわち(F+f)の形式を備えているものであるとする。

●(一)につき詳述せんに其適例なる幾何学の公理或はNewtonの運動法則「物体は外より力の作用するにあらざれば静止せるものは終止其位置に静止し、運動しつつあるものは等速度を以て一直線に進行す」の如き文字は単に吾人の知力にのみ作用するものにして其際毫も何等の情緒を喚起せず。
(一)について詳述しようとするに、その適例な幾何学の公理、あるいは、Newtonの運動法則「物体は外力が作用しなければ静止しているものは終止その位置に静止し、運動しているものは等速度で一直線に進行する」のような文言は単に私達の知力にのみ作用するものであってその際少しも何等の情緒を喚起しない。

或云ふ彼の科学者が発見若しくは問題解決に際し最高度の情緒を感じ得るの理如何。
あるいは言う、かの科学者の発見もしくは問題解決に際して、最高の情緒を感じることができることの道理はどうなのかと。

然り此情的要素は発見等の観念に関連するものなること明かなれども是決して必然の付属物にあらず、
そのとおり、この情的要素は、発見等の観念に関連するものであることは明白であるが、これは決して必然の付属物ではない。

かの概括的事実より法則を求め、実験より原理を得たる時の快感はこれ成功に対する喜びにして決して其法則、原理に性質上付着するものにはあらず、
概括的事実より法則を求め、実験より原理を得た時のあの快感は、成功に対する喜びであって、決してその法則、原理に性質上付属するものではない。

科学的知識其ものに情緒を誘出し得る元素あるにあらずして、吾人が知的活動を適度に使用したる意識に対する喜びに外ならず、
科学的知識そのものに情緒を誘出し得る原因があるのではなく、私達が知的活動を適度に使用した意識に対する喜びにほかならない。

故に此種のものは文学の内容と目すべきものにあらず。 故にこの種のものは文学の内容とみなすべきものではない。

●(三)に至りては、元来Fを欠くを以て従つてfを通ずる媒介観念を有せず。
(三)にいたっては、元来、Fを欠いているので、従って、fを通じる媒介観念を持たない。

若し之を自ら認識し得たりとするも果たしてこれを他のfと確然区別し得るや甚だ覚束なし。
もしこれを自ら認識できたとしても、はたして、これを他のfと確実に区別できるかどうか疑わしい。

但し注目すべきは抒情詩中往々漫然たる情を此種の形式により発表せるもの古来少なからぬことなり。
ただし注目すべきは、叙情詩の中で、しばしば漫然とした情を、この種の形式によって発表したものは、昔から、少なくはないことです。

一例を挙ぐれば   一例を挙げれば

 "Out of the day and night,  A joy has taken flight;  Fresh spring, and summer, and winter hoar,
  「昼と夜から、喜びが逃げてしまった。 新春、夏、そして冬の霜が、

  Move my faint heart with grief, but with delight,  No more - Oh, never more!"    Shelly,  A Lament. 
 私の弱った心を悲しみで動かす 、しかし喜びで動かすことはもはやない、 ああ、決して、ない!」  シェリー、嘆き

●此歌は悲の原因につき豪も云ふところなし、何故の悲か、そは審ならず。
この歌は、悲しみの原因について、少しも言うところがない。何ゆえの悲しみなのか、それは詳細ではない。

ただ哀なりと歌ひしにて恋のためか、病のためか、吾人は知るに由なし。
ただ哀れだと歌っただけで、恋のためか、病気のためか、私達には知る方法がない。

詩人はこれによりただ悲哀と云ふ情を伝ふるのみ。 詩人はこれによってただ悲哀という情を伝えるのみです。

凡そ此種の詩を味ふには自然三種の方法あり。  総じて、この種の詩を味わうには、自然、三種の方法がある。

(一) 読むもの先づFを想像にて補充して(F+f)なる形式に改むるか、或は
(一) 読む人が、まず、Fを想像で補充し、(F+f)なる形式に改めるか、あるいは

(二) 悲哀なる観念を想起し其内容を充分に味ひ、しかして後、それに対して吾人の同感を傾くるか、或は
(二) 悲哀な観念を想起して、その内容を充分に味わい、その後、それに対して私達の同感を傾けるか、あるいは

(三) 前述(一)(二)を結合せざるべからず。  (三) 前述の(一)(二)を結合しなければならない。

かくの如く(一)(二)は共に(F+f)の形式に帰着し得るものにして其差は(一)悲哀の原因+悲感、(二)悲哀の観念+悲感なるに過ぎず。
このように(一)(二)は共に(F+f)の形式に帰着できるものであり、その差は(一)悲哀の原因+悲感、(二)悲哀の観念+悲感であるにすぎない。

但しかくのごとき手続きは吾人日常詩文賞玩の際殆ど無意識に履行するところのものにして若し果して意識的にこれを行ふの必要あらんには詩は常に一種の苦痛を伴ふものなるべし。
しかしこのような手続きは、私達が、日常、詩と文章を鑑賞する際に履行しているものであり、もし、意識的にこれを行う必要があるのであれば、詩(の鑑賞)は常に一種の苦痛を伴うものとなるでしょう。

  

心理的説明

●さきに余はFを焦点的印象もしくは観念なりと説きしが、ここに焦点的なる語につきさらに数言を重ぬるの必要あるを認む。
 さきに私は、Fが焦点的な印象または観念であると説明しましたが、ここで焦点的という語について更に説明する必要があると考えます。

しかしてこの説明は遡りて意識なる語より出立せざるべからず。
しかし、この説明は、さかのぼって、意識という語から出発しないわけにはいきません。

意識とはなんぞやとは心理学上容易ならざる問題にして、ある専門家のごときは、これをもってとうてい一定義に収めがたきものと断言せしほどなれば、心理学の研究にあらざるこの講義においていたずらにこの難語に完全なる定義を与えんと試みるの不必要なるを思う。
意識とは何かとは心理学の簡単でない問題であり、ある専門家は、到底一つの定義には収めることが難しいと断言したほどですので、心理学の研究ではないこの講義において、無理にこの難解な言葉に完全な定義を与えようと試みることは不必要と考えます。

ただ意識なるものの概念のいくぶんを伝れば足れり。  ただ、意識というものの概念を少し伝えれば十分です。

意識の説明は、「意識の波」をもって始むるを至便なりとす。  意識の説明は、「意識の波」から始めると非常に便利です。

この点に関しては Lloyd Morgan がその著『比較心理学』に説くところ最も明快なるをもって、ここにはおもに同氏の説を採れり。
この点に関しては、ロイド・モーガンが、著書『比較心理学』で説明する内容が最も明快なので、ここでは、主として、彼の説を採用しました。

説明 ロイド・モーガン (1852-1936) 比較心理学 An Introduction to Comparative Psychology, 1896.

●先づ意識の一小部分即ち意識の一瞬時をとり之を検するに必ず其うちに幾多の次序、変化あることを知る。
まず意識の一小部分、即ち、意識の一瞬時をとって、これを調べると、必ずその中に沢山の順序と変化があることが分かる。

Morgan氏の語を以てせば「意識の任意の瞬間には種々の心的状態絶えず現はれ、やがては消え、かくの如くして寸刻と雖も其内容一所に滞ることなし。」
モーガン氏の言葉では、「意識の任意の瞬間には種々の心的状態が絶えず現われ、やがては消え、このようにしてて寸刻といえどもその中身が一ケ所に滞ることはない。」

吾人はこれを事実に徴して証すること容易なり。  私達は、これを事実に照らして証明することは容易です

説明 徴する は、他動詞で、意見を徴する と使う場合は、徴収する、求める の意ですが、

   〜に徴して (事実に徴して、史実に徴して) と使うときには、〜に証拠・根拠を求めて の意味になります。

●例へば人あり、St. Paul's の如き大伽藍の前に立ち其宏壮なる建築を仰ぎ見て、先づ下部の柱より漸次上部の欄間に目を移し、遂に其最高の半球塔の尖端に至ると仮定せんに、始め柱のみ見つむる間は判然知覚し得るもの只其柱部にかぎられ、他は単に漠然と視界に入るに過ぎず、而して目を柱より欄間に移す瞬間には柱の知覚薄らぎ初めて、同時に欄間の知覚これより次第に明瞭に進むを見るべし、欄間より半球塔に至る間の現象も亦同じ。
例えば、ここに人がいて、聖パウロ大聖堂のような大伽藍の前に立って、その壮大な建築を仰ぎ見て、まず下部の柱から漸次上部の欄間に目を移し、遂にその最高の半球塔の尖端に至ると仮定しましょう。初め柱のみ見つめる間は判然と知覚できるものは、ただその柱部にかぎられ、他は単に漠然と視界に入るに過ぎない。 しかし目を柱より欄間に移す瞬間には、柱の知覚は薄らぎ始め、同時に欄間の知覚は次第に明瞭になるのを見るでしょう、欄間より半球塔に至る間の現象もまた同じです。

読みなれたる詩句を誦し、聞きなれたる音楽を耳にする時亦かくの如きものあり。
読みなれた詩句を誦し、聞きなれた音楽を耳にする時、またこのようなことがあります。

即ち或る意識状態の連続内容をとり其一刻を(プツリ)と切断して之を観察する時は其前端に近き心理状態次第に薄らぎ初め、後端に接する部は、これと反対に漸次其明瞭の度を加ふるものなるを知る。
すなわち、ある意識状態の連続内容をとり、その一刻をプツリと切断して、これを観察する時は、その前端に近い心理状態は次第に薄らぎ始め、後端に接する部は、これと反対に漸次明瞭の度を加えるものであることが分かる。

こは只だ吾人日常経験上しか感ずるに止まらず既に正確なる科学的実験の保証を経たるものとす。
これはただ私達が日常の経験上、そう感じるにとどまらず、既に正確な科学的実験の保証を経ているものとします。

(尚詳くはScripture 氏著『新心理学』第四章参照)。 (なお詳しくはScripture 氏著『新心理学』第四章参照)。

●意識の時々刻々は一個の波形にして之を図にあらはせば左の如し。
意識の時々刻々の様子を、一個の波形にして図に表せば左のようである。

かくの如く波形の頂点即ち焦点は意識の最も明確なる部分にして、其部分は前後にいわゆる識末なる部分を具有するものなり。
このように、波形の頂点即ち焦点は、意識の最も明確な部分であって、その部分は前後にいわゆる識末なる部分を備えるものです。

而して吾人の意識的経験と称するものは常に此心的波形の連続ならざるべからず。
しかし私たちの意識的経験と称するものは、常にこの心的波形の連続でなければならない。

Morgan氏式をもて此連続の様を示せば  モーガン氏は、式でこの連続の様子を示すと

  A B C D E F etc.
    a' b' c' d' e' etc.
      a" b" c" d" etc.

●即ちAなる焦点的意識がBに移るときは、Aはaなる辺端的意識と変じて存在し、Bが更にCに転ずるときaとbは共に意識の波の両辺となるなり。
すなわちAなる焦点的意識が、Bに移るときは、Aはaなる辺端的意識と変じて存在し、Bが更にCに転じるとき、aとbは共に意識の波の両辺となるのです。

かくして余が所謂Fと称するところのもの意識中にありて如何なる位置を占むるやは、やや読者の理会したるところなるべし。
こうして私がFと称するところの意識中にあって、どんな位置を占めるかは、ようやく読者の理解したところでしょう。

●上述の解剖的波形説より推論して此法則の応用範囲を拡大するときには凡そ意識の一刻にFある如く、十刻、二十刻、さては一時間の意識の流にも同じくFと称し得べきものあるにはあらざるか。
上述の解剖的波形説から推論して、この法則の応用範囲を拡大するときには、およそ意識の一刻にFがあるように、十刻、二十刻、さては一時間の意識の流にも、同じくFと称することのできるものがあるのではないか。

今吾人が趣味ある詩歌を誦すること一時間なりと仮定せんに、其間吾人の意識が絶えずaなる言葉よりbなる言葉に移り、更にcに及ぶこと以上の理により明なれども、かく順次に消え順次に現はるる幾多小波形を一時間の後に於て追想するときは其集合せる小F個々のものをはなれて、此一時間内に一種焦点的意識(前後各一時間の意識に対し)現然として存在するにはあらざるか。
今、私達が趣味ある詩歌を誦すること一時間と仮定して、その間私達の意識が絶えずaなる言葉からbなる言葉に移り、更にcに及ぶことは、以上の理屈により明らかですが、このように順次に消え順次に現われる幾多の小波形を一時間の後に追想するときは、その集合した小Fの個々のものを離れて、この一時間内に一種焦点的意識(前後各一時間の意識に対し)が厳然として存在するのではないか。

半日にも亦かくのごときFあり、一日にも亦然り、更にこれを以て推せば一年十年に渡るFもあり得べく、時に終生一個のFを中心とすることも少なからざるべし。
半日にもまた、このようなFがあり、一日にもまたFがあり、更にこのように推測すると、一年十年に渡るFもあり得るでしょうし、時には、終生一個のFを中心とすることも少なくないでしょう。

一個人を竪(たて)に通じてFある如く一世一代にも同様一個のFあること亦自明の事実にして、かかる広義に於てFを分類すれば
一個人を縦に通じてFがあるように、一世一代にも同様に、一個のFがあることは、又、自明の事実であって、このような広義においてFを分類すれば

(一) 一刻の意識に於けるF、         (一) 一刻の意識におけるF、

(二) 個人的一世の一時期に於けるF、    (二) 個人的一世の一時期に於けるF、

(三) 社会進化の一時期に於けるF、     (三) 社会進化の一時期に於けるF、

となり得べきなり。  となり得るでしょう。

●(一)につきては更に説明の要なし。  (一)については更に説明の必要はない。

(二) 例へば幼き頃のFは玩具人形等、少年には格闘、冒険、進んで青年に至れば恋愛、中年のFは金銭、権勢其重要のものなるべく、老年に至りては衆生済度其他未来の世に関しての沈思等もとより際限なし。
(二) 例えば、幼い頃のFは玩具人形等、少年には格闘、冒険、進んで青年に至れば恋愛、中年のFは金銭、権勢がその重要なものとなるでしょうし、老年に至っては衆生済度、その他未来の世に関しての沈思等で、もとより際限がない。

かくの如き時期的Fの推移につきても上述波形説はこれを同様に適用し得べきことを証せんが為め、一例を挙ぐれば、人あり或る時期の間、頻りに漢詩を愛読し後年全くこれを放棄して更に手にすることなかりしが、偶然再び之をひもときたりと仮定せよ。
このような時期的Fの推移についても、上述の波形説は、これを同様に適用できることを証明するため、一例を挙げれば、或る人が或る時期の間、頻りに漢詩を愛読し、後年全くこれを放棄して更に手にするこはなかったが、偶然再びこれをひもといたと仮定しなさい。

かくのごとき瞬間に於ては、よく其意義を解し得るにも関せず、其印象詩境共に漠然として明瞭を欠き従つて湧き出づる興味も頗る淡し。
このような瞬間においては、よくその意義を理解できるにも関わらず、その印象も詩境も共にめいりょうを欠き、従って湧き出る興味も非常に淡い。

然れども暫らく習読を重ぬれば詩中の情景自ら脳裡に整ひ其感興遂に極度に達し、更に之を連続するときは漸次再び無趣味の域に傾くに至るべし。
しかし暫らく習読を重ねれば、詩中の情景が自然に脳裡に整い、その感興が遂に極度に達し、更にこれを継続する時は、次第に再び無趣味の域に傾くに至るでしょう。

これ其漢詩に対する意識次第に識末より焦点に登り更に再び識末に下るに基くものと云ひ得べし。
これは、その漢詩に対する意識が次第に識末より焦点に登り、更に再び識末に下ることに基づくものと言うことができるでしょう。

(三) 一世一代のFは通語の所謂時代思潮(Zeitgeist)と称するものにして更に東洋風の語を以てせば勢これなり。
(三) 一世一代のFは通り言葉でいう時代思潮(Zeitgeist)と称するものであって、更に東洋風の言葉では、勢い です。

説明 一世一代とは、一生涯のことですが、一世一代の名演技 と言うと、生涯で最高の名演技 というような意味になります。

古来勢は何ぞやと問へば曰く天なりと答へ命なりと呼ぶ。
昔から、勢いとは何かと問えば、天であると答えたり、命ですと呼んだりします。

蓋しxを以てyを解くと類を同じくするものなりと雖も此一語は余が述べるところの広義のFをよく表言して遺憾なし。
思うに xを以てyを解くと言うのと同類であるが、それでもこの言葉は、私か述べる広義のFを十分よく表現しています。

説明 xを以てyを解く とは、分からないもので分からないものを説明する というような意味で

   勢いを天とか命と言い換えても、分からないままでしょうが、ということです。

凡そ古今の歴史とはかかる時代的Fの不断の変遷をたどるものに過ぎず。
総じて、古今の歴史とは、このような時代のFの不断の変遷をたどっているものにすぎません。

●近く例を我邦にとりて云へば攘夷、佐幕、勤皇の三観念は四十余年前維新のFにして即ち当代意識の焦点なりしなり。
例を近く我が国にとると、攘夷、佐幕、勤皇の三観念は、四十余年前の維新のFであって、当時の意識の焦点だったのです。

されば仮に沙翁を凌ぐ名人其世にありとするも時代のFは到底之を容るる余裕あらざりしなるべく、若くは第二のM. Arnold ありて Sweetness and Light (文芸教育を鼓吹せる有名な論文) の理をとくも恐くは、かくの如き世に何人の視聴をも動かし得ざりしならん。
ですから仮に、沙翁を凌ぐ名人が、その世にいたとしても、時代のFは到底これを容認する余裕がなかったのか、もしくは、第二のM. Arnold がいて Sweetness and Light (文芸教育を鼓吹た有名な論文) の理念を説いても、恐らくは、このような世に何人の視聴をも動かすことができなかったのでしょう

時の意識これを許さざればなり。  時代の意識がこれを許さなかったからです。

かの賢人、偉人も勢には抗すべからずとは此理を示したるものに過ぎず。
かの賢人も偉人も勢いには抗すことはできないとは、この理屈を示したものにすぎません。

●かくの如く意識波形の説並びにFの観念は微妙なる意識単位より出立して広く一代を貫く集合意識に適用すべきものなること明にして図を以て其大略を示せば左の如し。
このように意識波形の説並びにFの観念は、微妙な意識単位から出発して、広く一代を貫く集合意識に適用すべきものであることは明白で、図でその大略を示せば左図のようになる。

●即ち竪なる小室は個人意識の一刻より百年に至るFの次序変化を示すものなれども、FよりF1に、F1よりF2に変化するの意味にはあらず、一刻の焦点的意識をF、一時間のそれをF1にて表はしたるに過ぎず。
即ち、縦長の四角は、個人意識が、一刻から百年に至るFの順序変化を示すものですが、FよりF1に、F1よりF2に変化するの意味ではなく、一刻の焦点的意識をF、一時間のそれをF1にて表わしたに過ぎません。

尚ほ横列なるは時代を同じくする民衆の集合意識にして例へば五十年の部を列ぬれば一代の五十年間に於るFを集合したるものと認め得。
なお横列は時代を同じくする民衆の集合意識であり、例えば五十年の部分を横に列ねれば、一代の五十年間におけるFを集合したものと認めることができる。

而して此横列のFは大概或る点に於て一致すべく吾人は其点を称して其五十年の輿論とし、Zeitgeistsと名け或は時にこれを勢と呼ぶ。
しかし、この横列のFは大概或る点において一致するでしょうし、私達はその点をその其五十年の輿論と称し、時代思潮(Zeitgeists)と名づけ、あるいは時にこれを勢いと呼びます。

  

第二章 文学的内容の基本成分

簡単なる感覚的要素

●余は前章に於て文学的内容の(F+f)なるべきを説きしが、更に此処には聊(いささ)か其内容の分類を試み、往々文学をもつて単に高尚なる知的娯楽の具と目し、或は文学に道徳の分子なし抔(など)唱ふる一派の人々に文学の範囲はしか偏狭ならざるを示さんとす。
 私は前章において文学的内容が(F+f)となるべきであると説明したが、さらにここでは、少しその内容の分類を試みて、しばしば文学をもって単に高尚な知的娯楽の道具だとみなし、あるいは、文学に道徳の要素はないなどと唱える一派の人々に、文学の範囲はそのように偏狭ではないことを示したい。

●研究の第一着として先づ其基礎たるべき簡単なる感覚的要素より説き起すべし。
 研究の第一着としてまずその基礎である簡単な感覚的要素から説き起すべきです。

これを説き起すに当つてはかの Groos 氏が『人の戯』中に排列したる小児娯楽の題目の順を追ふて例証せんとす。
これを説き起すに当っては、かの Groos 氏が『人の戯』中に配列した小児娯楽の題目の順を追って例証したい。

さすれば如何なる程度迄本能的傾向が種々の形式の下に純然たる文学中に潜みつつあるかを窺ひ得る理にして、従つて世に云ふ、「大人とは年寄の小供なり」との諺も自ら確め得べし。
そうすればどの程度まで、本能的傾向が種々の形式の下に純然たる文学中に潜みつつあるかを窺うことができる道理で、従っても、世に言う、「大人とは年寄の小供である」という諺も自然と確めることができるでしょう

但し複雑なる内容に至りてはもちろん Groos 氏に於て照応すべきものなきを以て此限にあらずと知るべし。
ただし、複雑な内容に至っては、勿論、Groos氏の説において照合できるものがなければ、その限りではないことを了承してください。

(一)触覚。

(二)温度。

(三)味覚。

(四)嗅覚。

(五)聴覚。

(六)視覚。

  

人類の内部的心理作用

以上は吾人の感覚機能に単純に触るる経験が、いかに文学的内容として存在しうるかを示したるものなるが、次に吾人は人類の内部心理作用の文学的内容としての実例の一端を示さんとす。
以上は私達の感覚機能に単純に触れる経験が、いかに文学的内容として存在できるかを示したものですが、次に私達は人類の内部心理作用の文学的内容としての実例の一端を示したい。

凡そ此種の材料が文学に入り込むには二種の方法に由る。
総じて、この種の材料が文学に入り込むには、二種の方法によっている。

即ち間接及び直接の両途なり。或はこれを客観、主観的と名付け得べし。
すなわち間接とび直接の両途です。あるいはこれを客観、主観的と名づけることができるでしょう。

前者は重に劇、叙史詩に行われ、後者は重に叙情詩に用ゐらる。
前者は主に、劇、叙事詩に行われ、後者は主に、叙情詩に用いられる

然れども、これを以て全く純粋の区別なりと目し難きは勿論にして、小説の如きにありては其性質上此両方法を両刀的に使ひこなすことしばしばなり。
しかし、これを以て全く純粋の区別なりと目し難きは勿論にして、小説の如きにおいては、その性質上、この両方法を両刀的に使いこなすこがしばしばです。

●ここに間接又は客観的と云ふ意は情緒の状態を喚起するに先ち、其原因を記すか、或るは其肉体的徴候を挙げて情緒其物の記載はこれを省略して、ただ読者の想像に委ぬるの儀なり。
ここに間接又は客観的と言う意味は、情緒の状態を喚起するに先だち、其原因を記すか、或るいはその肉体的徴候を挙げて情緒そのものの記載はこれを省略して、ただ読者の想像に委ねるという事です。

(一)恐怖。

(二)怒。

(三)同感。

Godiva

 今この本能が文学の内容たりし例証として、英文学中よりきわめて簡単なるものを挙ぐべし。

 この例はすなわち Godiva の話なり。

 

父子間の同感 -- Rhodope

 同感の例はもとより枚挙にいとまあらざるほどなれば、別に引例の必要を認めざれども、ここに面白き一作あれば紹介をかね一言すべし。

  

第三章 文学的内容の分類及び其価値的等級

●以上は、概略ながら文学的内容たり得べきもの即ち情緒を随伴し得べきものの範囲を定め、これら内容は皆(F+f)の形式に当てはめ得ることを、作例により指示したるにすぎず。
以上は、概略ながら文学的内容になりえるもの、即ち情緒を伴い得るものの範囲を定め、これらの内容は皆(F+f)の形式に当てはめ得ることを、例により示したにすぎません。

  

第二編 文学的内容の数量的変化

●以上は文学の四種材料を分類し其各特實を論じ又其相互の関係を説明したり。
 以上、文学の四種の材料を分類し、その特質を論じ、その相互関係を説明しました。

それより少しく着目点を移して此四種の材料は数量的に如何なる原則の下に推移しつつあるかを弁ぜんとす。
そこから少し着眼点を移して、この四種の材料は数量的にどんな原則のもとに推移しているかを述べたいと思います。

すなわちこれ等の材料は全量において増進するものなりや、減退するものなりや、はたまた静止の状態にあるべきかを検せんとす。
すなわちこれらの材料は、全体量において、増加するものなのか、減少するものなのか、それとも変化しない状態て゛あるべきかを検査しましょう。

●この問題に立ち入るに先立ち、

 

第一章 Fの変化

識別力の発達 -- 事物の増加

●Fは如何に変化するか。 Fは、どのように変化するのか?

今一個人の生涯を通じて観察する時は吾人の赤子たりし頃より幼年、少年、青年時代を通じて吾人の認識力の変化は二様の特性につづめ得べし。
今、一個人の生涯を通して観察する場合は、我々の赤子だった頃から、幼年、少年、青年時代を通して、我々の認識力の変化は、二種類の特性に簡約できます。

第一は識別力の発達にして、第二は識別すべき事物の増加なりとす。
第一は識別力の発達で、第二は識別するべき事物の増大てあります。

 

第二章 fの変化

●さて吾人の知覚力は其識別の点に於て又其増加の範囲に於て如絶えずFを増加しつつある間に、これに伴ふべきfは如何にと云ふにこれ亦一種の意義に於て増加しつつあること疑なし。
 
さて、私たちの知覚力は、その識別の点において、また、その増加の範囲において、このように絶えずFを増加しつつある間に、これに伴うfは、どうなのかと言うと、これもまた、或る種の意味において増加しつつあることは間違いありません。

今しばらくfの増加につき論ずるところあるべし。 今しばらくfの増加について論じてみましょう。

余案ずるにfの増加は三つの法則に支配せらるるもののごとし。 私が思うに、fの増加は、3つの法則に支配されているようです。

すなわち(1) 感情的転置法、(2) 感情の拡大、(3) 感情の固執これなり。
すなわち、(1) 感情的転置法、(2) 感情の拡大、(3) 感情の固執 がそれです。

感情転置法

●(一)まず第一の感情転置法より説明すべき。  (一)まず第一の感情転置法より説明しましょう。

心理学にありて最も興味ある事実の一つは、かの「情報の転置」なる現象とす。
心理学において最も興味ある事実の一つは、あの「情報の転置」という現象です。

 

 

第三章 fに伴ふ幻惑

●今迄はf其物をただ漠然と論じ来り、fが文学の欠くべからざる必須要素なること丈は大抵述べたりと雖も、f其物の細目に亘りては未だ論及するところあらざりき。
今までは、fそのものを、ただ漠然と議論し、fが文学の欠くことのできない必須要素であることだけはおおかた説明したけれども、fそのものの詳細にわたって論及することは、まだありませんでした。

●第一に考ふべきは文学のfと一概に云へばとて、(1) 読者が著書にたいして起すf、(2) 作者が其材料に対して生ずるf、及び其材料をとり扱ふ際に生ずるf、又之を成就したる時、生ずるf、(3) には作者の材料たるべき人間、禽鳥のf(無生物にはなきものと仮定して) 以上三種のfを区別せざるべからず。

●第二には人事界または天然界にありて直接経験をなす時のfおよび間接経験をなす時のf、すなわち記憶想像のFに伴のうて生ずるfもしくは記述叙景の詩文に対して起すfとを区別せざるべからず。

●第一は今論ぜず。第二は数言を費やして諸君の参考に資せんとす。

いかんとなれば

 

●さてこの相違を来す原因は

 

[作家の材料に対する場合]

●第一の表出の具合ということは、大にしては作家が

 

連想の作用にて醜を化して美となす表出法

(I) 感覚的材料

(一)連想の作用にて醜を化して美となすの表出法

●この場合にありては物体そのものは実際経験において不愉快なるも、連想により結びつけられたる観念とともに表出する時、その観念もし美なれば、吾人がこれに対して生ずるfもまた美なるものなり。たとえば、

 

描き方の妙

(二)事物そのものは醜なれど、その描き方いかにも巧妙にして思わずその躍如たる様子にうたたる場合。

 

Fの奇警

(三)またはたとい描かれたる

 

部分的描写

(四)醜怪なる物を写すにあたり

 

人事Fの両面解釈

(II) 人事F。

(一) 前述の規則はまた此種のFにも応用し得べきものとす。
(一) 前述の規則は、またこの種のFにも応用できるものとします。

単に応用し得るのみならず前よりは一層有力に善を悪とし、悪を善となすことを得べし。
単に応用できるだけでなく、以前より一層、有力に善を悪とし、悪を善とすることができるのです。

凡そ自然界の事物にありては上述の如き一種の手品によらざれば鷺を鳥と云ひまぐること甚だ困難にして、かの美醜の如き時代により、個人により遷移流転すること勿論なりとするも、八十の老婆は十八の乙女に比して美しからざること明なれば、この区別を顚倒すること至難なり。
およそ自然界の事物にあっては、上述のように一種の手品によらなければ鷺を鳥と言い曲げることが甚だ困難なので、かの美醜のような時代により、個人によって遷移流転することが勿論であるとしても、80の老婆は、18の乙女に比べて美しくないことは明らかなので、この区別を転倒することは至難です。

然るに人事上の材料に至りては如比判然たる区別あるものにあらず、一見判然たるが如きうちにも、其實甚だ曖昧の分子を含むものにして、込み入りし区別をなせば際限なく、又緻密なる議論を試むれば究極なしと雖も普通に所謂道徳なるものをとりて、検する時は正反対の性質が同時に同様の資格を以て人の欲する所なるを発見すべし。
しかし人事上の材料にいたっては、このように判然とした区別があることはなく、一見判然としているようなものでも、その実は、曖昧の要素を含むものであり、込み入った区別をすると際限がなく、また、緻密な議論を試みると究極がないといっても、普通に、いわゆる道徳というものをとって、調べるときは、正反対の性質が同時に同様の資格をもって人が望むところとなるのを発見するでしょう。

凡そ普通の人の有せんと欲する精神的状態は概して二列に配することを得るものにして其配せられたる両面は各反対の性質なることを発見すべし。
およそ普通の人が持ちたいと望む精神的状態は、概して、二列に並べることができ、その並べられた両面は、それぞれ反対の性質であることを発見するでしょう。

今其発達の歴史を講ずるは固より余が領分にあらずと雖も吾人の精神状態の拠つて来るところは進化の結果として社会の組織上余儀なくせられたるものに相違なく一面には自家の保存のため、他の一面には他人の保存を目的として発生したるものの如し。
今その発達の歴史を講義するのは、もとから私の領分ではないといっても、私たちの精神状態が依拠するところは、進化の結果としての社会組織の上で余儀なくされたものに違いなく、一つの側面には自家の保存のため、ほかの側面には他人の保存を目的として発生したもののようです。

昔時耶蘇出でて人の子のために磔に上りしより以来、世は謙譲、親切、仁恵等を除き他に道徳と称すべきものなきが如く心得るに至りしが、何ぞ知らん、こは皆他人のためにする道徳にして己の為にする道徳は吾人日毎に実行しつつあるにも関せず人は高閣に束ねて顧みざりしなり。
むかしキリストがでてきて、人の子のために磔に上って以来、世間は、謙譲、親切、慈悲などを除いて他に道徳と呼ぶべきものがないかのように心得るようになったけれども、どうしてわからないのでしょうか、これは、他人のために行う道徳であって、自己のために行う道徳は、私たちが毎日実行しているにもかかわらず、ほおっておかれ顧みられなかったのですよ。

十九世紀に至り Nietsche なるものあり始めて君主たる道徳と奴隷たる道徳とを区別し耶蘇教徒の道徳は奴隷の道徳なるを以て、宜しく、これをすてて君主の道徳を樹立すべしと叫びぬ。
19世紀になって、ニーチェという人がいて、初めて、君主である道徳と奴隷である道徳とを区別して、キリスト教徒の道徳は奴隷の道徳であることから、当然、これを捨てて君主の道徳を構築すべきであると叫びました。

彼の云ふところは、其外面に奇妙なる皮を着て忽然世に出現したるを以て、大に一世を聳動したりと雖も其実は毫も珍しきことにあらず。
彼の言うことは、その外面に奇妙な衣を着て、突然、世間に出現したので、おおいに一世を驚かし動かしたといっても、そのじつは、珍しいことではありません。

かの所謂君主の道徳と奴隷のそれとは、社会の存在以来双々相並んで進み来りたるものに過ぎず、只君主の道徳は左迄之を唱道するの必要無かりしを以てただ無意識に之を等閑視し来りしのみ。
かのいわゆる君主の道徳と奴隷の道徳とは、社会が存在して以来、二つとも相並んで進んで来たものに過ぎず、ただ君主の道徳はそれほどまでこれを唱道する必要がなかったことをもって、ただ無意識にこれをなおざりにしてきただけです。

今余は之を事実により示さんが為め試みに吾人の精神作用の対偶の或物を列挙すべし。
今、私はこれを事実によって示す為に、試みに、私たちの精神作用の対偶の物を列挙しましょう。

意気は謙譲と対し、大胆は内気と対し独は服従と対立し勇気は温厚と対し、主張は恭順と対す。
意気は謙譲と対立し、大胆は内気と対立し、独立は服従と対立し、勇気は温厚と対立し、主張は恭順と対立します。

如斯きものは凡て皆、流俗の等しく賞揚する性質にして而もその対偶の一は他と全く矛盾せるものなり。
このようなものはすべて皆、風習が等しく賞揚する性質であって、しかもその対偶の一つは他と全く矛盾しているものです。

一は自己を主として建立せる道徳にして、他は自己以外を目的として発達せる道徳なり。
一つは自己を主体として構築した道徳で、他は自己以外を目的として発達した道徳です。

Nietsche の語を藉りて云へば一は君主の道徳にして、他は奴隷の道徳なり。
ニーチェの言葉を借りていうと、一つは君主の道徳で、他は奴隷の道徳です。

従つて所謂道徳は皆二様の解釈を許す。
 従って、いわゆる道徳は、みな二様の解釈を許します。

吾人今かりに耶蘇を描くとせんに、人己の右頬を撃てば左頬を出し左頬を撃てば右頬を出す底の修養を具へ虚懐謙譲にして豪も抵抗する事なき無上有徳の人物と作り上ぐるも容易なり。
私たちは、今かりに、キリストを描こうとするときに、他人が私の右頬を打ったら左頬を出し、左頬を打てば右頬を出すほどの修養を備え、虚懐謙譲で少しも抵抗することのない有徳の人物として作り上げることは容易です。

又は気魄(はく)なく、熱情なく卑屈優柔にして死に至る迄愚癡(ぐち)を並べて婦女子の如く神の救を求めたる軟骨漢とも書き上ぐる事を得べし。
または、魂がなく、熱情もなく、卑屈優柔で、死ぬまで愚痴をならべて婦女子のように神の救いを求めている軟弱男のように書き上げる事もできるでしょう。

耶蘇は耶蘇なり。耶蘇は一にして二あるにあらず。 キリストは、キリストです。キリストは、一つで、二つあるのではありません。

去れども此耶蘇を見るの立場の異なるより、此耶蘇を解釈するの見識の一に限られざるより吾人は絶対的反対なる道徳的批判を彼に与ふるを得べし。
しかし、このキリストを見る立場が異なることにより、このキリストを解釈する見識が一つに限られないことにより、私たちは、絶対的反対という道徳的批判を彼に与えることができるのです。

余は事実を曲げ虚妄を列ねて叙述を左右したるが後にしかりと云ふにあらず。
私は、事実を曲げ、虚妄をつらねて叙述を左右したあとに、そうだというのではありません。

事実其物を列挙するのみにて然あるべしと云ふなり。
事実そのものを列挙するだけで、そうであるでしょうと言っているのです。

凡そ彼が具有したりし謙遜、温厚等の性質は一方に於て吾人の賞讃に価するものなると同時に他方面に於ては吾人の最も軽侮する性質なるべきを以てなり。
総じて、彼が具有していた謙遜、温厚等の性質は、一方において、私達の称賛に値するものであると同時に、他方においては、私達の最も軽蔑する性質であるはずだからです。

耶蘇はしばらく措く。  キリストのことは、しばらく置いておきます。

吾人今Coriolanusの如く気宇宏闊にして他人に身を屈することを知らざる英雄の伝記を綴るとせよ。
私達は、今、コリオラヌスのように心が広く他人に身を屈することを知らない英雄の伝記を書くとしなさい。

吾人は又其実伝を曲ぐることなく事実其物を直写して、しかも容易に彼をして名誉ある英雄の地位を失はしむることを得ぺし。
私たちは、また、その実伝を曲げることなく、事実その物を直写して、しかも容易に彼の名誉ある英雄の地位を失わさせることができるでしょう。

吾人は云ひ得べし、彼は剛慢なり、尊大なり、不遜なり、強情なり、没理性の喧嘩好きなり、一旦怒を発すれば其怒を抑へて其身を全ふすることを知らざる愚人なり、人に頭を下ぐることを解せざる頑固一筋の無骨者なり、変通も知らねば遣り繰りも心得ず、腹を立つれば妻と母とを棄てて敵国に味方する如き軽佻の輩なりと。
私達は言う事ができるでしょう、彼は剛慢です、尊大です、不遜です、強情です、没理性の喧嘩好きです、一旦怒りを発するとその怒りを抑えてその身を全うすることを知らない愚人です、人に頭を下げることを理解しない頑固一筋の無骨者です、変通も知らなければ遣り繰りも心得ない、腹を立てれば妻と母とを棄てて敵国に味方するような軽率な輩ですと。

説明 変通とは、場合に応じて自在に適応すること、

然り事実はそれに相違なきなり。  そのとおり、事実はそれに相違ありません。

彼の性行の中心たる意気及び勇気の反対なる従順、温厚等の性質にも亦意気及び勇気と同じく人心を引き寄する魔力の存する限りは絶代の英雄も吾人が一枝の筆を以て彼等が何百年来占め来りたる紀念台の上より払ひ落さるる事を忘るべからず。
彼の性質や行いの中心である意気及び勇気の反対である従順、温厚等の性質にも、また意気及び勇気と同じく、人心を引き寄せる魔力の存在する限りは、絶代の英雄も私達の一本の筆を以って、彼等が何百年来占めてきた記念台の上から払ひ落される事を忘れてはいけません。

此故に凡そ著者は毫も不正の手段を用ゐることなく堂々たる春秋の筆法により、同一の人を或は尊敬せしめ、或は嘲笑せしめ、又時には軽侮せしむるの威力を有するものなり。
この故に凡そ著者は、少しも不正の手段を用いることなく堂々とした春秋の筆法により、同じ人を尊敬させたり、嘲笑させたり、また時には軽侮させたりする威力を有している者です。

説明 春秋は五経の一つで、孔子が手を加えたといわれており、春秋の筆法は、春秋のように批判の態度が中正で厳しい書き方のこと。

故に篇中の人物に対しては全く生殺与奪の大権を掌ること尚専制独裁の帝王に似たり。
この故に、筆者が、作品中の人物に対して、全く生殺与奪の大権を掌握していることは、専制独裁の帝王に似ています。

これ余が人事Fの区別を以て左程整然ならずとなす所以なり。
これが、私が、人事Fの区別が、そんなら整然としていないとする理由です。

●文学中此種の好例決して少しとせず。  文学において、この種の好例は、決して少なくありません。

 

 

 

 

第四章 悲劇に対する場合

●読者のfを論ずるに当りて吾人は先づ第一に其数量的に異るを検し、次に其性質上の差異を検したり、而して今最後に特別の場合として舞台上苦痛の表出に対する読者或るは観客のfの特性を説かむとす。

 

 

 

第三編 文学的内容の特質

●余は此講義の冒頭に於て意識の意義を説き、一個人一瞬間の意識を検して其波動的性質を発見し、又一刻の意識には最も鋭敏なる頂点あることを示し、其鋭敏なる頂点を降れば、其明暗強弱の度を減じて所謂識末なるものとなり、遂に微細なる識以下の意識に移るものなるを論じたり。
 私はこの講義の冒頭で意識の意義を説明し、個人の瞬間の意識を検討してその波動的な性質を発見し、また瞬間の意識には最も鋭敏な頂点があることを示し、その鋭敏な頂点を降りれば、その明暗強弱の程度を減らして、いわゆる識末というものになり、ついに無意識の意識に移るものであることを論じました。

而して吾人の一世は此一刻一刻の連続に異ならざれば、其内容も亦不限刻の連続中に含まるる意識頂点の集合なるべきを信ず。
しかし我々の一生は、この一刻一刻の連続にほかならないので、その内容もまた、無限時間の連続の中に含まれる意識の頂点の集合であるべきであると信じます。

●以上はもと自家一人の意識に就きて云ふことなれども、

第一章 文学的Fと科学的Fとの比較一汎

第二章 文芸上の真と科学上の真

 

 

第四編 文学的内容の相互関係

●余は前篇の所論により文学者の覚悟を稍(やや)分明ならしめ得たりと信ず。
 私は前編の議論により文学者の覚悟をやや明確にできたと信じます。

約言すれば科学者が理性に訴へて黒白を争はんとするに引きかへて文学者は生命の源泉たる勘定の死命を制して之を擒(とりこ)にせんとす。

 

第一章 投出語法 (Projective language)

● 「文芸上の真」なるものの効力は作物が読者の情緒を動かすにあることはすでに説けるが如し。
  「文芸上の真」というものの効力は作品が読者の情緒を動かすことにあることは、すでに説明した通りです。

 

第二章 投入語法
第三章 自己と隔離せる聯想
第四章 滑稽的聯想
第五章 調和法
第六章 対置法
第七章 写実法
第八章 間隔論

第五編 集合的F

第一章 一代に於ける三種の集合的F
第二章 意識推移の原則
第三章 原則の応用(1)
第四章 原則の応用(2)
第五章 原則の応用(3)
第六章 原則の応用(4)
第七章 補遺

 

         

ホームページアドレス: http://www.geocities.jp/think_leisurely/

 


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