中井和子 花のかさね (1999)

2017.12.5

 本書は、源氏物語の前半、桐壺から藤の裏葉までを、中井さんの京ことば訳からの抜粋に解説を付けて、読み解こうとまとめた本です。

源氏物語は、光源氏とその子孫をめぐる女たちの物語ですが、女たちは、花で表現され、

女と花のかさね、花から花に伝わる花の系譜が語られています。

そのことから、本書の表題を『花のかさね』としたと、著者は語っています。

 中井さんは、京ことばは、感覚に忠実な言葉で、その点『源氏物語』の表現と似ていると指摘します。

そのことを、より深く理解するために、●源氏物語の原文と、■中井さんが用いた抜粋と、〇私の現代語直訳を対比して、じっくりと読み比べたいと思います。

 

 私は、大学時代の7年間、京都に住んでいましたが、その前半は、京都の親戚の家に下宿していました。

そこには、祖母、叔父、叔母と、二人のにぎやかな姪がいて、毎日、京都弁に囲まれて生活していました。

お蔭で、京都弁の心地よさやニュアンスは、身に染みて、理解していると思います。

 また、その親戚の住所は、私の本籍地でもありますが、京都市北区紫野 で、紫式部にゆかりのある土地なのです。

 

紫の系譜 ●桐壺、若紫、紅葉の賀

帝と桐壺更衣

抜粋1 桐壺

●いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひ給ひけるなかに、いとやんごとなき際(きわ)にはあらぬがすぐれて時めき給ふありけり。

■どの天子さまの御代のことでごさりましたやろか。女御や更衣が大勢侍っといやしたなかに、そないに重い身分の方ではござりまへんで、それはそれは時めいといやすお方がござりました。

〇いずれの帝の御時にか、女御や更衣があまたお仕えなさっている中に、すごく高貴な身分というわけではないが、すぐれて時めいておられる更衣がいました。

●はじめより、我はと思ひあがり給へる御かたがた、めざましきものに貶しめ妬み給ふ。

■はじめから、ご自分こそはと、自惚れをもっといやすお方々は、出すぎた女(しと)やと、さげすんだり妬んだりしておいでどす。

〇入内の初めから、我はと思いあがっておられる女御の方々は、気にくわない人とおとしめたり、そねんだりなさいます。

●同じ程、それより下臈(げろう)の更衣たちは、ましてやすからず。

■同じぐらいやら、もっと下の更衣たちは、なおさら気が休まりまへん。

〇同じ身分、それよりも低い身分の更衣達は、女御たちにまして心が安らぎません。

●朝夕の宮仕につけても、人の心をうごかし、恨みを負ふ積りにやありけむ、いとあつしくなりゆき、物心細げに里がちなるを、

■朝晩の宮仕えのたんびに、人さんの気ィばっかりもまして、恨みをうけたのがつもりつもったのどっしゃろか、病気がちで、心細そうに、お里にばっかり下らはりますので、

〇更衣は、朝夕の宮仕えにつけても、人の心を動揺させ、恨みを負うことが積もったせいでしょうか、ひどく病弱になってゆき、なんとなく心細そうに、里に帰り勝ちとなっているのを、

●いよいよ飽かずあはれなるものにおぼほして、人の譏(そし)りをもえはばからせ給はず、世の例しにもなりぬべき御もてなしなり。

■余計ふびんにお思い遊ばして、人々のそしりもお構いやさんと、このことが世の例しにもなってしまいそうなおもてなしでござります。

〇帝は、いよいよ心残りでいとしい者にお思いになり、人のそしりをはばかることもおできにならず、世の語り草になってしまいそうな御寵愛ぶりです。

●上達部(かんだちめ)、上人(うえびと)なども、あいなく目をそばめつつ、

■上達部や殿上人なとせも、どうしようものう、つい目をそむけて

〇公卿や殿上人達も、なんとなく目をそむけつつ、

●「いとまばゆき、人の御覚えなり。もろこしにも、斯かる事の起りにこそ世も乱れあしかりけれ」と、

■「ほんまに、みてられへんようなご寵愛ぶりやなあ、きっとこないなことがもとで乱が起こり、困ったことになったんやがなぁ」と、

〇 「とてもまばゆくて正視できないご寵愛ぶりだ。中国にも、こんな事が起こったからこそ世が乱れ、世が悪かったのだ」と、

●やうやう天(あめ)の下にもあぢきなう人のもてなやみぐさになりて、楊貴妃の例(ためし)も引き出でつべうなりゆくに

■時がたつにつれて世の中の人も苦々しう、なやみの種にするようになり、楊貴妃の例しも引かれたりして、

〇次第に、世間でもにがにがしく、人のもてあまし草になり、楊貴妃の例までも引き合いに出しそうになって行くので、

●いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへの類なきをたのみにて交らひ給ふ。

■ほんまにはしたないことばっかり多かったのどすけど、有難いご寵愛の、この上ないのだけをたよりに、殿上のおつき合いをしといやすのでござります。

〇更衣はとてもいたたまれないことが多いけれども、恐れ多い帝の御心づかいが類ないのを頼みにして、宮中付き合いをなされます。

  

抜粋2 桐壺

●野分(のわき)だちて俄に膚寒き夕暮のほど、常よりもおぼしいづること多くて、靱負(ゆげひ)の命婦(みやうぶ)といふを遣はす。

■野分めいて、にわかにはだ寒うなった夕暮れのこと、いつもよりもお思い出し遊ばすことが多おして、靱負の命婦という者を、おつかわしやす。

〇野分が吹いてにわかに肌寒い夕暮れの頃、(帝は)いつもより思い出すことが多くて、靱負の命婦という女房を里にお遣わしになります。

●夕月夜(ゆうづくよ)のをかしき程にいだし立てさせ給うて、やがて眺めおはします。

■夕べの月が、美しうみえる自分に出立おさせやして、そのままじっと、思いに沈んどいやす。

〇夕月の夜の趣深い頃に命婦を出立おさせになって、そのまま眺めていらっしゃいます。

●かうやうの折は、御遊びなどせさせ給ひしに、心ことなる物の音(ね)をかき鳴らし、はかなく聞えいづる言の葉も、

■かような晩は、管弦の宴など御催しやしたが、そのたんびに、心をうつ音色をきかしてくれた、何でものう言う言葉も、

〇このような折りには、管弦の遊びなどをなさいましたが、(更衣が) 趣が格別な琴の音をかき鳴らし、弱々しく申し上げる言葉も、

●人よりは殊なりしけはひかたちの、面影につと添ひておぼさるるも、闇の現(うつつ)にはなほ劣りけり。

■ほかの女(しと)とはどこやら違うてたと、その気配やら姿やらが、佛(おもかげ)となって立ちのぼるのどすけど、闇の中の現し身にくらべたら、やっぱり手ごたえがおへん。

〇他の人よりも際立っているけはいや姿が面影に浮かんで、じっと身に寄り添っているようにお感じになるも、闇のうつつには、やはり劣りました。

●命婦かしこにまかでつきて、門(かど)引き入るるより、けはひあはれなり。

■命婦は、向こうに着いて、門へはいるなり、もうあわれさが漂うのでござります。

〇命婦が彼の地に退出到着して、門を入ると、しみじみした趣が漂っている。

●やもめずみなれど、人ひとりの御かしづきに、とかくつくろひ立てて、目やすき程にて過ぐし給ひつるを、

■女主人の住居どしたけど、更衣ゆえの御かしずきに、いろいろつくろい立て、体裁よう暮らしてきたのどしたが、

〇やもめ暮らしですが、人ひとりのご養育に、あれこれと飾り付けて、見苦しくない程にしてお過ごしになっていたのを、

●闇にくれて臥し沈み給へる程に、草も高くなり、野分にいとど荒れたる心地して、月影ばかりぞ八重葎(やへむぐら)にもさはらずさし入りたる。

■悲しみの闇にまどうて、泣きしずむようになってからというもんは、草も丈高うなり、野分の風に、ひとしお荒れたようどして、月影ばかりが、八重葎にさわりもせず、さし込んでます。

〇闇にくれて臥し沈んでおられる間に、庭の草も高くなり、野分が吹いてひどく荒れた感じがして、月影だけが八重葎にもさえぎられずに差し込んでいます。

 

抜粋3−1 桐壺

●ややためらひて、仰言(おほせごと)伝へ聞ゆ。

(命婦は、)少しためろうてから、やっと帝のお言葉をお伝え申します。

〇命婦は少し心を落ち着けて、帝のお言葉をお伝え申し上げます。

●「『暫しは夢かとのみたどられしを、やうやう思ひしづまるにしも、さむべき方なく堪へがたきは、いかにすべきわざにかとも問ひ合すべき人だになきを、忍びては参り給ひなむや。

「『しばらくの間は、夢とばっかり思うてきたが、だんだん心のしずまるにつけて、夢が醒めへんのが堪えがとう、どうたもんかと、話し合う相手さえないので、しのんで来てくれまいものか。

〇「『しばしは夢なのかとのみ思いまどわないではいられなかったが、ようやく思いが静まってくるとかえって、(夢ではないので)覚めるはずもなく耐え難いのは、どうしたらいいのか問い合わすべき人もいないので、忍びで宮中においでなさいませんか。

●若宮の、いと覚束なく露けきなかに過ぐし給ふも心苦しうおぼさるるを、疾く参り給へ』など、はかばかしうも宣はせやらず、

若宮のことも、ひどう気がかりで、露深いなかでおすごしやすのも、心苦しう思召すので、早うまいるように』などと、はかばかしうも仰せになれえで、

〇若君が、ひどく気がかりな様子で露でしめっぽい中にお過ごしなさるのは気の毒に思われるので、すぐに参内なされよ』など、(帝は)はきはきとはおっしゃらず、

●むせ返らせ給ひつつ、かつは人も心弱く見奉るらむと、おぼしつつまぬにしもあらぬ御氣色の心苦しさに、承りも果てぬやうにてなむまかで侍りぬる」とて、御文(おんふみ)たてまつる。

御声をつまらせといやして、はたの者も、お気弱なことやと見申すかと、お怺(こら)え遊ばそうともといやす御様子が、お気の毒で、承ることもすみまへんうちに、引き退ってきたのでござります」というて、御文をお渡し申します。

〇涙にむせ返りになられて、かつ一方では、人も自分が心が弱いと見申し上げるだろうと、気兼ねなさらぬでもないご様子がおいたわしくて、(お言葉を)終わりまで承りきらぬような有様で、退出いたしました」と言って、帝のお手紙を(母君に)さしあげる。

●「目も見え侍らぬに、かくかしこき仰せ言を光にてなむ」とて見給ふ。

母君は、「涙で目もみえんようになっとりましたけど、有難い仰せ言を光にいたしまして」というて、御文をお読みやす。

〇(母君) 「(悲しみに)目も見えませんが、このように畏れ多い御言葉を光といたしまして」と言って、ご覧になる。

●「ほど経ば、すこしうち紛るる事もやと、待ち過ぐす月日に添へて、いと忍びがたきは、わりなきわざになむ。

「時が経てば、少しはまぎれもするかと、待ち暮らしてきたが、日にそえて、なおさら忍びがたいとはどうしたことであろう。

〇「時間が経てば、少しはうち紛れる事もあるかと、待ち過ごす月日に伴って、本当に耐え難いのは、どうしようもないことです。

●いはけなき人もいかにと思ひやりつつ、もろともにはぐくまぬ覚束なさを、今はなほ昔の形見になずらへてものし給へ」など、こまやかに書かせ給へり。

いとけない人はいかがと思うにつけ、更衣とともに育まないのは覚束なく、今はやはり、そなたを昔の人になずらえて思う故、ともにまいるように」など、こまごまとお書き遊ばしといやした。

〇あどけない宮はいかにと思いやりつつ、一緒に養育しない気がかりを。今はやはり昔の形見になぞらえて、なさい給え」など、細やかにお書きでした。

●宮城野の露吹き結ぶ風の音(おと)に小萩がもとを思ひこそやれ
〇宮城野の露を吹き結ぶ風の音に 小萩のことを思いやっている

●とあれど、え見給ひ果てず。

と、あるのでござりますが、ようお読みになれしまへん。

〇とありますが、(母君は涙の為に)最後まで見ることができません。

●「命ながさの、いとつらう思う給へ知らるるに、松の思はむ事だに恥かしう思ひ給へ侍れば、百敷(もゝしき)にゆきかひ侍らむ事は、ましていと憚り多くなむ。

「長いこと生きてしまいましたのが、ほんまに辛う思われますが、高砂の松さえどう思うかと恥ずかしい気がいたしまっさかい、内裏に上がらしていただきますのは、なおさら、空恐ろしい気がいたします。

〇(母君)「命が長いことが、とてもつらく思い知らされますが、松が思う事すら恥ずかしいと思いますので、宮中に出入り致します事は、なおさら畏れ多いことです。

●かしこき仰言をたびたび承りながら、みづからは、えなむ思ひ給へ立つまじき。

有難い仰せ言を、たびたび頂戴しとりますが、自分は、とてもとても、思い立つことはできはいたしまへん。

〇畏れ多い御言葉をたびたび承りながら、自分からは、(参内を)思い立つなどできそうもありません。

●若宮はいかにおもほし知るにか、参り給はむ事をのみなむおぼし急ぐめれば、ことわりに悲しう見奉り侍るなど、うちうちに思ひ給ふるさまを奏し給へ。

若君は、どう思うておいでやすのか、お上がりやすことばっかりお急ぎやすので、それも道理やと、お可哀そうに思い申してます、などと、内々思うとりますことを奏上しとおくれやす。

〇若宮はどう思い分かっていらっしゃるのか、参内なさることをのみ思い急がれているようですが、ごもっともだと悲しくお見申し上げますなどと、内々に考えさせていただいている様子を帝にご奏上ください。

●ゆゆしき身に侍れば、斯くておはしますも、いまいましうかたじけなく」など宣ふ。

さわりの多い身どすさかい、こんなとこにお育ちやすのも不吉なことやと、勿体のう思うとります」などと仰せやす。

〇私は不吉な身でございますので、若君がここにこのようにいらっしゃるのも、不吉で畏れ多いことでございます」などとおっしゃる。

●宮は大殿籠りにけり。  ■若宮は、お臥(やす)みになっといやした。  〇若宮は寝てしまわれました。

●「見奉りて、くはしく御有様も奏し侍らまほしきを、待ちおはしますらむを、夜ふけ侍りぬべし」とて、急ぐ。

「お目にかからしてもろうて、くわしう御様子を申し上げとう存じますけど、お待ち遊ばしといやすと思いますし、夜も更けてしまいそうどすし」というて、急ぐのどす。

〇(命婦)「見もうしあげて、詳しくご様子を奏上いたしたいところ、帝も待っていらっしゃるでしょうし、夜もふけてしまいますでしょう」と言って、帰参を急ぎます。

●「くれまどふ心の闇も堪へがたき片端をだに、はるくばかりに聞えまほしう侍るを、わたくしにも、心のどかにまかで給へ。

「くれ惑うとります頃の闇の、真っ黒な思いの、ほんの片端なりとも晴れますように、お話し申しとう思うとりまっさかい、私ごとでも、ゆっくりお越しやしとくれやす。

(母君)「(我が子を失って途方に)くれて惑う心の闇に耐えがたい思いの一端だけでも、晴らすぐらいに申し上げとうございますので、私的にもごゆるりとお出ましください。

●年頃、嬉しくおもだたしきついでにのみ立寄り給ひしものを、かかる御消息(せうそこ)にて見奉る、かへすがへすつれなき命にも侍るかな。

更衣がおいでの時は、うれしい晴れがましい時ばっかりに、お越しやしとくれやしたのに、こんな御使いの時にお目にかかりますのは、つくづく情けない命でござります。

〇この数年、喜ばしく面目をほどこす時にのみお立ちより下さいましたのに、このようなお言伝(ことづて)のためにお目にかかりますのは、かえすがえすもつれない私の命でございます。

●生れし時より、思ふ心ありし人にて、故大納言、今はとなるまで、ただ、

生まれました時から、ことう思うて育ててきましたお人どしたさかい、亡うなりました大納言が、いまわの際にまで、ただ、

〇(亡き娘は)生まれた時から、望みをかけていた人で、亡き大納言も、臨終のときまで、ただ、

●『この人の宮仕の本意(ほい)、必ず遂げさせ奉れ。 われ亡くなりぬとて、口惜しう思ひくづほるな』と、かへすがへすいさめおかれ侍りしかば、

『この人を宮仕えさす志は、きっと、成し遂げておくれ、自分が亡うなったというて、情けのう気を挫けさすのやない』と、くりかえしくりかえし、諫めおかれましたので、

〇(大納言)『この人の宮仕えの宿願は、必ず遂げさせておあげなさい、私が死んだからとて、不本意に志を棄てるな』と、返す返すも諫めおかれましたので、

●はかばかしう後見(うしろみ)思ふ人なきまじらひは、なかなかなるべき事と思う給へながら、

はかばかしい後ろ盾もおへん宮仕えは、なまじいなことやろうと思いましたもんの、

〇しっかりと後ろから見守る人がいない宮仕えは、なかなかである(かえってしないほうがいい)こととと存じながら、

●ただかの遺言をたがへじとばかりに、いだし立て侍りしを、 身にあまるまでの御志(みこゝろざし)のよろづに忝(かたじけな)きに、

ただ、あの人の遺言を違えますまいと思いますばっかりに、宮仕えさせてもろうたんでござりましたのな、身に余るような御寵愛の、余りの有難さに、

〇ただあの遺言をたがえまいとばかりに、宮仕えに出させていただきましたが、身に余るご寵愛の余りの有難さに、

●人げなき恥を隠しつつまじらひ給ふめりつるを、人のそねみ深くつもり、安からぬこと多くなり添ひ侍るに、

らしう扱うてももらえへん恥も何とかかくして、交わらさして貰うたんどすけど、人さんの嫉みが、つねりつもって、こわいようなことが重なってきて、

〇人並に扱われない恥じを隠しながらお付き合いされていたようですが、人の嫉みが深く積もり、心が安からぬことが多くなってまいり、

●横さまなるやうにて、遂にかくなり侍りぬれば、却りてはつらくなむ畏き御心ざしを思ひ給へ侍る。

合点のいかん、こないなことにとうとうなってしまいましたもんで、有難いお志のことまで、かえってつらいことに思うほどでござります。

〇尋常でない有様で、ついにこのようになってしまいましたので、却って恨めしいと帝のご寵愛をお思いいたすのです。

●これもわりなき心の闇に」なンどいひもやらず、むせかへり給ふほどに夜も更けぬ。

こんなことを言いますのも、親の心の闇のせいでござりまひょう」 などと、言いもおえず、涙でむせかえっておいやすうちに、夜も更けてくるのどした。

〇これも筋道の通らない親心の闇で」 などと言いも終わらず、涙にむせかえりなさるうちに、夜も更けました。

  

抜粋3−2 桐壺

●泣く泣く、「夜いたう更けぬれば、今宵過ぐさず御返り奏せむ」と急ぎ参る。

命婦は泣く泣く、「夜も、ひどう更けてしまいましたさかい、今宵のうちに、御返事申し上げまひょう」と、急いで帰ってお行きやす。

〇命婦は泣く泣く、「夜もすっかり更けてしまいましたので、今夜のうちにご返事を申し上げましょう」と急いで帰参する。

●月は入方(いりがた)の空清う澄みわたれるに、風いと涼しく吹きて、草叢の虫の声々催しがほなるも、いと立ち離れにくき草のもとなり。

月は入り方の頃どして、空は澄みわたり、風もひいやりして、叢(くさむら)の虫の声が、悲しみをそそるように鳴きたて、ほんまに、立ち去りにくい草のもとでござります。

〇月が沈みかけの空が清く澄み渡っているのに、風がとても涼しく吹いて、草むらの虫の声々が人の涙を誘い顔であるのも、とても立ち去りがたい草のもとです。

●鈴虫の声のかぎりをつくしても長き夜飽かずふる涙かな
〇(鈴虫のように 声の限り泣きつくしても 長い夜に飽かず流れる涙ですことよ)

●えも乗りやらず。 ■車にも、ようお乗りになれしまへん。   〇命婦は、車に乗ることもできない。

●「いとどしく虫のね繁き浅茅生(あさぢふ)に露おき添ふる雲の上人
〇(母君は)「しきりに虫の声がするこの草の繁るこの住まいに涙の露を置き添える雲の上の御方よ

●かごとも聞えつべくなむ」といはせ給ふ。  ■と、女房をして言葉をお伝えやす。

〇お恨み言も申し上げたいほどです」 と(侍女に命婦へ)言わせなさる。

●をかしき御贈物などあるべき折にもあらねば、ただかの御形見にとて、斯かる用もやと殘し給へりける御装束一領(ひとくだり)、御髮上(みぐしあげ)の調度めくもの添へ給ふ。

気の利いた贈り物なんぞある時でもござりまへんりで、ただ、更衣の御形見として、こないな時、役に立つかもしれへんと残してお置きやした、御装束一くだりに、御髪上げの調度めいたもんを、お添えやすのでござります。

〇趣ある御贈り物などあるべき折りではないので、ただ更衣の御形見にということで、こんな入用の檻もあるかとお残しなさった御装束の一揃いと、御髪上の調度めいたものをお添えになる。

  

2017.12.9

抜粋4  桐壺

●命婦は、まだ大殿籠らせ給はざりけるを、あはれに見奉る。

■命婦は、まだ御帳台にお入り遊ばしといやさへんのを、おいたわしいと心うたれるのでござります。

〇命婦は、帝がまだお寝みあそばさなかったのかと、おいたわしく存じ上げます。

●お前の壺前栽(つぼせんざい)の、いと面白きさかりなるを御覽ずるやうにて、忍びやかに、心にくきかぎりの女房四五人(よたりいつたり)さぶらはせ給ひて、御物語せさせ給ふなりけり。

■御前の壺庭は、秋の花が見ごろでござりますが、それを御覧になっといやす態で、ひっそりと、気の利いた女房ばっかり四、五人はたにお置きやして、御物語をさせといやす。

〇 帝はお前の壺前栽(中庭の植え込み)が、とても見事に真っ盛りであるのをご覧の様子で、ひそかに奥ゆかしいかぎりの女房を四五人はべらせになり、お話なさっていたのでした。

●このごろ明暮(あけくれ)御覽ずる長恨歌の御絵、亭子(ていじ)院のかかせ給ひて、伊勢、貫之によませ給へる、 大和言の葉をも唐土(もろこし)の詩(うた)をも、ただその筋をぞまくらごとにせさせ給ふ。

■このごろ、明けても暮れても御覧になっといやす長恨歌の絵、亭子院がおかかせやしたもんで、伊勢の御や、貫之に詠ませられた大和ことばのも、漢詩でかかれたのも、愛別離苦の物語ばかりを、お話の種にといやすのでござります。

〇 この頃明けても暮れてもご覧になる長恨歌の御絵、亭子院(宇田上皇)がお描かせになって伊勢や貫之にお詠ませになったもの、和歌をも、漢詩をも、ただその筋を口癖になさっておられる。

●いとこまやかに有様を問はせ給ふ。  ■こまやかに様子をお尋ねやす。

〇帝は、とても細かく(更衣の里の)様子をお問いになる。

●あはれなりつる事忍びやかに奏す。御返り御覽ずれば、

■しみじみと心うたれた里の有様を、そっと奏上いたします。御返事を御覧遊ばすと、

〇 (命婦は)(お里が)あはれだった事をひそやかに奏上する。(帝は母君の)御返事をご覧になると、

●「いともかしこきは、おきどころも侍らず。 かかる仰言につけても、かきくらす乱り心地になむ。

■「たいそう勿体のう、身のおき処もござりません。このような仰せ言をいただきますにつけましても、心もくろうなり、とり乱してしまうのでござります。

〇 (母君)「とても畏れ多いお言葉に、身のおきどころもございません。このようなお言葉にも、心がかきくれ思い乱れる心地です。

 ●荒き風防ぎし蔭の枯れしより小萩がうへぞ靜心なき」
 〇(荒い風を陰となって防いだ木が枯れたので 小萩(若宮)のことで心が休まりません)」

●などやうに乱りがはしきを、心をさめざりける程と、御覽じゆるすべし。

■などと、心の乱ればかりがかいておすのを、これも、思いがしずまらんからやろうと、お目こぼしになるのでござります。

〇 などというように取り乱しているのを、気持ちが乱れているときのことだからと、大目にご覧あそばすでしょう。

●いとかうしも見えじとおぼししづむれど、更にえ忍びあへさせ給はず、御覽じ始めし年月の事さへかき集め、よろづにおぼしつづけられて、時のまも覚束なかりしを、かくても月日は経にけりと、あさましうおぼしめさる。

■帝は、こうまでもお嘆きの心をみせまいと、思いをしずめておいやすけど、やっぱりお怺(こら)えやすのはおできやさいたしまへぇで、はじめてお召しになった、その昔のことまでも、つぎからつぎへと、お心に浮かんできて、あの頃は、ちょっとの間も、逢わいではいられなんだのに、こないにしてでも月日はたつもんやなあ、と、ただあきれるほどのお思いでござります。

〇 (帝は)とてもこんなでは見られまいと、心をお静めになるけれども、更に忍びとおすことはおできにならず、更衣をご覧になり始めた歳月のことさえもかき集め、あれこれと思い続けなさって、(あの頃は更衣がいないと)つかの間もおぼつかなかったのに、こうして月日は経ったのだなあと、あきれてお思いになる。

●「故大納言の遺言あやまたず、宮仕の本意(ほい)深く物したりしよろこびは、かひあるさまにとこそおもひわたりつれ。

■「故大納言の遺言通りに、宮仕えの志を遂げてくれた礼に、それだけの甲斐のあるようにと、思いつづけてきた。

〇(帝)「故大納言の遺言を違えず、宮仕えの志を深く貫いてくれたお礼には、その甲斐があるようにと思い続けてきた。

●いふかひなしや」とうち宣はせて、いとあはれにおぼしやる。

■今は、いう甲斐のないことになってしもうた」と、仰せやして、あわれと、思いやっといやす。

〇(今となっては)言う甲斐はないなあ」 とおっしゃって、(母君の身の上を)いとあはれにお思いやりになる。

●「かくても、おのづから、若宮など生(お)ひいで給はば、さるべきついでもありなむ。命ながくとこそ思ひ念ぜめ」など宣はす。

■「こんな有様でも、若君が大きうおなりやしたら、よかったと思う折にもおのずと出あえるであろう。長生きするよう、心がけるがよい」などと、仰せやす。

〇 (帝)「こうあっても、自然と、若宮でもご成長なされば、しかるべき機会もあるであろう。命長くと祈念されよ」などとおっしゃる。

●かの贈物御覽ぜさす。亡き人のすみか尋ねいでたりけむしるしの釵(かんざし)ならましかばとおもほすも、いとかひなし。

■さきほどの贈りもんをお目にかけ申します。亡き楊貴妃の住処を尋ねあてた証拠のかんざしであれば、とお思いやすのも、甲斐のないことでござります。

〇(命婦は)かの贈り物をご覧にいれる。(これが)亡き人の住処を探し出した証拠のかんざしならよかったのにと、帝はおおもいになるが、とても甲斐のないことです。

 ●尋ねゆく幻(まぼろし)もがな つてにても魂(たま)のありかをそこと知るべく

 〇(亡き更衣の魂を)探しに行く幻術士がいてくれたらなあ 人づてにても魂の在処をそこと知ることが出来るように)

 

2017.12.16

抜粋5  桐壺

●源氏の君は、うへの常に召しまつはせば、心やすく里住(さとずみ)もえし給はず。

■源氏の君は、上が始終お召しやすので、ゆっくりと里住みもお出来やさしまへん。

〇 源氏の君は、帝が常にお召し寄せになりますので、気楽に里住みもおできになりません。

●心のうちには、ただ藤壺の御有様を、たぐひなしと思ひ聞えて、さやうならむ人をこそ見め、似る人なくもおはしけるかな、大殿(おほいどの)の君、いとをかしげに、かしづかれたる人とは見ゆれど、心にもつかず覚え給ひて、をさなき程の御ひとへごころにかかりて、いと苦しきまでぞおはしける。

■心の中では、ただもう、藤壺の御様子を、この世に類のないお方やとお思いやして、「あのようなお方に会いたいもんや。似ているお方も、ないもんやなぁ。左大臣の姫君は、たいそう美しうて大事に育てられたお人やと思われるけど、何やら心にそぐわへん」と、お思いやして、幼い頃、一途にお慕いやしたお気持ちが、いつまでも心を占めていて、苦しいまでにお思いやすのでござりました。

〇 心のうちには、ただ藤壺の御有様を、世にたぐいないものと思い申し上げて、そのようであろう人をこそ妻としよう、似る人もなくおわしますことよ、左大臣の姫君は、とても愛らしい感じに育てられた人とは見えるけれど、気にはいらないとお思いになり、幼い頃のいちずな思い込みにかかって、ひどく苦しいまでに悩んでおられます。

●大人になり給ひてのちは、ありしやうに御簾の内にも入れ給はず。

■成人なさってからは、昔のように、御簾の中へはお入れやさしまへん。

〇 源氏の君が音鳴りおなりになって後は、帝は昔の様には御簾の中にはお入れになられません。

●御遊びの折々、こと笛のねに聞きかよひ、ほのかなる御声を慰めにて、内裏住(うちずみ)のみ好ましうおぼえ給ふ。

■管弦の会の折々、琴や笛の音にお心を通わせ、ほんの一言お言いやすお声に、心を慰めて、内裏においやすことばっかり、お好みになるのでござります。

〇 管弦のお遊びの時々に、琴や笛の音を聞いて心が通い、藤壺のかすかなお声を慰めにして、源氏の君は内裏住まいのみ好ましくお思いです。

●五六日(いつかむゆか)さぶらひ給ひて、大殿(おほいどの)に二三日(ふつかみか)など、絶え絶えにまかで給へど、只今はをさなき御程に、罪なくおぼして、いとなみかしづき聞え給ふ。

■五、六日内裏に侍って、左大臣の殿へは二、三日など、たまにしかお退りにならんのどすけど、今はまだお若いしするからと、万事に大目にみて、大事にかしずいといやす。

〇源氏の君は五六日内裏にお仕えして、左大臣家に二三日など、途切れ途切れに退出なさいますが、只今は幼いお年頃なので、(左大臣は) 何の罪もないこととお思いで、精を出してお世話申し上げなさいます。

●御かたがたの人々、世のなかにおしなべたらぬをえりととのへすぐりて、さぶらはせ給ふ。

■お傍に侍る女房たちも、世に評判の人たちをえらんで、侍らせておいでやす。

〇御双方の人々は、世の中に普通ではない人をえりすぐって、お仕えさせておられます。

●御心につくべき御遊びをし、あふなあふなおぼしいたつく。

■お心に添う遊びを催し、精一杯つとめといやすのでござります。

〇源氏の君のお気にいるような御遊び事をして、精一杯心を込めてお世話します。

●うちには、もとの淑景舎(しげいさ)を御曹司にて、母みやすどころの御かたがたの人々、まかで散らずさぶらはせ給ふ。

■内裏では、もとの桐壺の淑景舎を、御居間におあてがいやして、母御息所付きの女房たちが、散ってしまわんと、お仕えしるのどす。

〇内裏では、もとの淑景舎をお部屋にして、母御息所の女房の御方々が、たいしゅつして散らばらないようにお仕えさせなさる。

●里の殿は、修理職(すりしき)内匠寮(たくみづかさ)に宣旨くだりて、二なう改め作らせ給ふ。

■お里の殿は、修理職や、内匠寮に御命令が下って、この上のう立派に改築おさせやす。

〇御息所の里の御殿は、修理職や内匠寮に宣旨が下りて、この上なく改築させになられます。

●もとの木立、山のたたずまひ面白き所なるを、池の心廣くしなして、めでたく作りののしる。

■もともとの木立や山のたたずまいが、面白い処でござりましたので、池を広うひろげて結構におつくりかえやす。

〇もとの木立や、築山のたたずまいが面白い所なのを、池の面をわざわざ広くして、おおげさに華美に作ります。

●かかる所に、思ふやうならむ人をすゑて住まばやとのみ、歎かしうおぼしわたる。

■「こないなところに恋しう思える人を据えて、住みたいもんや」とばっかり、苦しいまでにお思いつづけといやすのでござります。

源氏の君は、このような所に、理想であろう人を迎えて住みたいとのみ、嘆かわしく思い続けられます。

●「光る君といふ名は、高麗人(こまうど)のめで聞えて、附け奉りける」とぞいひ伝へたるとなむ。

■光る君という名は、高麗人がお賞め申すあまりにおつけ申したんやと、人々が言い伝えてます。

〇「光る君という名前は、高麗人がおほめ申しあげて、お付けたてまつった」と言い伝えていますとやら。

 

 

 

 

    

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