永山裕介 独学漢文法 

2019.3.27

 独学漢文法 という立派なサイトがあります。副題は、徹底白文主義 - 本格漢文学習サイト です。

    http://www.kanbun.net/

 著者は、永山裕介さんです。

 

 大昔、高校で漢文をならったとき、漢文は、本当に難解でやっかいでした。

その漢文を、今、学習しようとするのは、中国語の学習に役立てようとしているからです。

日本語の上達に、日本の古典の学習が役立つように、中国語の習得にも、古典中国語である漢文の知識は役立ちます。

また、漢文は、日本人にとっても、中国人にとっても、西洋人におけるラテン語のようなものだとも思っています。

 

 その難解な漢文を、句読点も訓点もない漢字だけの白文を読めるようになることを目標としているので、

本サイトは、かなりレベルが高い内容となっています。

 

 サイトのホームページの最初の項目は、詩は婉曲を貴ぶ というタイトルです。

 杜甫の春望 「国破れて山河在り」 を例にとって、

昔の人の作詩は意を言外に述べる。直言せぬ。読むものをして自然とさとらせるのである。

よって言うものは決して罪せられず、読むものは自ら誦して戒めとすることができる。

近世の詩人で言えば杜甫こそ此の呼吸を得ておると言える。

と、指摘なさいます。

 

 次に、はじめての方へ独学漢文法と謂うは何ぞや という項目で、

白文のサンプルが提示され、その中の 元起易簀 という文章を、

元は、起って、簀(竹のむしろ)を易えた(変えた)」と訳すと話の筋が合わなくなるので、

は、元は、元が、元の、元に、元を、元と、元よ と変化させ

起は、起つ、起ちて、起たば、起てば、起て、起たんか、と変化させてみて、

意味の上から、「元よ、起ちて、簀を変えよ」と解釈すべきであろう。

このようなことは、漢文においては決して珍しくない と説明されます。

 漢文解釈も、こういう難解な文章に出くわしてしまうと、大変だなと感じました。

 

 さらに、続いて、明治初期の漢学者、湯浅廉孫さんの言葉が引用されています。

 読み易いように、現代文に翻訳して、引用します。

 漢文のように、作者の文法と読者の文法とが、常に必ずしも一致しないものにあっては、

作者が形容詞として使用したものを、読者は副詞として解釈し、

読者が動詞として解釈したものが、作者には名詞であったりするなどのこともあるのであるから、

注意が一段と緊要である。

 

 続いて、本サイトの使い方 という項目があり、次に進むべき頁の案内がありますが、

正直、どこに進んでも、結構、難解な例文をとりあげているため、難しすぎると思った場合は、

漢文の勉強をしてから挑戦した方がいいかもしれません。

 

 永山さんは、以下の3冊の本を執筆し、Kindle版で安価に入手することができます。

  松下文法準拠 更訂 漢文法綱要      2012.11.10

  松下文法準拠 初めての漢文法      2013.02.02

  漢文は斯く読むべし 通俗 漢文法講義  2013.09.15

 特に、三番目の本は、著者が、平易な漢文法書を書こうと試行錯誤した結果の本ですので、

初心者にはお勧めです。

 

 その、漢文は斯く読むべし 通俗 漢文法講義 では、

流水 という言葉を、挙げて、流水は、水を流す とも読めるし、流れる水 とも読めるので、

どちらかを自らに問いながら、読書しなければならない と解説されます。

 

 これを私なりに、もう一歩、進めて考えたいと思います。

 覆水盆に返らず。という言葉があります。覆(くつがえ)した水は、盆に返らない。という意味です。

 しかし、水を覆せば、盆に返らず。とも、読むことはできます。

 読み方、訳し方は、いくつかあっても、根本の意味は、同じなのです。

 覆水は、覆した水という意味と、水を覆すこと。の2つの意味を持っていて、

訳すなら、どちらかの意味で訳すしかありませんが、他方は、間違っているということではないのです。

 英語に翻訳するときは、どちらかの意味に訳すしかないのですが、

幸い、日本人は、覆水 という言葉をそのまま使っても、理解できます。

覆水は、と聞いて、覆した水は、とも理解できるし、水を覆したら(覆しても) 、とも理解できるのです。

これは、漢文や、現代中国語文を解釈する上での、日本人の特権だと思っています。

 

 もう一つ、在東京という現代中国語の言葉を例にして、説明してみます。

在は、動詞で、ある、いる の意味なので、在東京は、東京にいる という意味です。

また、在は、前置詞 at でもあって、在東京は、東京で、という意味にもなります。

しかし、在の字自体が、本来 at の意味を持っているわけではありません。

在東京は、東京に在りて、という意味から、東京で、という意味になるのです。

すなわち、在東京 は、being at Tokyo という意味で使われたとき、英語では、at Tokyo と理解するしかないのです。

 日本人は、在東京 という言葉を、そのまま理解できて、東京にあり、とも、東京にありて、とも読める

ということは、やはり、漢文解釈における日本人の特権だと思います。

 

  

    

 ホームページアドレス: http://think0298.stars.ne.jp