本居宣長 紫文要領  巻上

2019.7.27

 本居宣長(1730-1801)の「源氏物語」についての論書である「紫文要領」は、1763年、34歳のときの作です。

 後年、1796年、67歳のとき、源氏物語の註釈書である「源氏物語玉の小櫛」を著しましたが、

その巻一、巻二は、紫文要領の上下巻を、増補・改訂したもので、論旨は殆ど変わっていないようです。

 

紫文要領 巻上

作者の事

紫式部これを作れること、世のあまねく知るところ、古き書どもにもしかいひ、諸抄の説もみなこれによれり。
紫式部がこれを作ったことは、世間が広く知っているところです。古い書物等にもそのように言っており、諸註釈書の説もみなこれによっている。

しかるにまままた異説もあるなり。みな用ゆべからず。紫式部作という外あるべからず。
しかるに時々また異説もあります。すべて採用すべきではない。紫式部作という他ありえません。

異説とは、『宇治大納言(源隆国卿)物語』(『今昔物語』と号す)に、「『源氏』は越前守為時これを作りて、

こまかなる事どもを女(むすめ)の式部に書かせたり」といへることあり。

『花鳥余情』にも引き給へり。されどこの説用ゆべからず。
『花鳥余情』にも引用されている。しかしこの説は、採用することができない。

諸抄にもうけ給はず。

(中略)

述作由来の事

いかなる事によりてこの物語作れるとも、確かに知りがたし。
いかなるいきさつによって、この物語が作られたかということ、確かに知ることは難しい。

上東門院にさぶらふ時、大齋院より「珍らかなる物語や」と御所望の折、式部作りて奉るといふ説、うけがたし。
上東門院におつかえしている時、大齋院より「珍らしい物語はないか」と御所望の折、式部が作って奉るという説は、承認しがたい。

説明 上東門院は、一条天皇の中宮彰子。大齋院は、村上天皇の皇女選子。

(中略)

述作時代の事

「寛弘の始めに出て来て、康和の末に流布す」と『河海』にあり。
「寛弘の始めに出て来て、康和の末に流布す」と『河海抄』にある。

説明 寛弘は、1004-1012。 康和は、1099-1104.

諸抄この趣きによれり。  諸註釈書も、この趣旨に従っている。

今按ずるに、『式部日記』を考ふるに、寛弘の始めに造れるはさもと聞ゆ。
今思案するに、『式部日記』を考えると、寛弘の始めに作ったとは、その通りだと思われる。

(中略)

ただし『日記』を見るに、式部が上東門院に宮仕えせる趣き、参りてまだいく年もあらぬように見えたるに、
ただし、『日記』を見ると、式部が上東門院に宮仕えした趣旨において、参ってまだ年数がたっていないように見えるのに

物語ははや宮中にあまねく流布せるように聞こえたれば、いまだ宮仕えに出でぬ以前に書けるものと見えたり。
物語は、はや宮中にあまねく流布しているように聞こえるので、まだ宮仕えに出る前に書いたものと見えました。

(中略)

作者系譜の事

式部系図は諸抄に見えたり。父為時がこと、越後守ともいひ、または越前守ともいふ。
紫式部の系図は、諸注釈書にある。父の為時のこと、越後の守とも言い、越前の守とも言っている。

『後拾遺集』第八に、

(中略)

紫式部と称する事

「紫式部」といふは、実名にはあらず。  「紫式部」というのは、実名ではない。

すべて女房を「式部」「少納言」「弁」「右近」などいふ、みな実名にあらず。
すべて女房を「式部」「少納言」「弁」「右近」などと言うのは、みな実名ではない。

今の世によび名といふものなり。 今の世で、呼び名 と言っているものです。

紫式部も実名は伝はらぬなるべし。  紫式部も実名は伝わらなかったのでしょう。

さて「式部」といふがよび名なるを、「紫」「和泉」などとつけてよぶことは、
さて、「式部」というのが呼び名なのに、「紫」「和泉」などとつけてよぶということは、

「式部」などというが同じ御所の内にもいく人もありてまぎるるゆゑに、分たんためなり。
「式部」などという女房が、同じ御所の中に、幾人もいて紛らわしいので、区別するためです。

(中略)

準拠(なずらへ)の事

準拠とは、すべてこの物語はさらに跡かたもなきことを作りたるものなれども、
準拠とは、すべて、この物語は、全く根拠のないことを創作したものであるけれども、

みなより所ありて、現(うつつ)にありしことになぞらへて書けること多し。
みな、根拠があって、現実にあったことになぞらえて書いたことも、沢山ある。

(中略)

題号の事

「『光源氏の物語』といふべし」といふ説、まことにくはしくいはばさあるべきことなれど、
「『光源氏の物語』と呼ぶべきだ」という説、まことに、詳しくいえば、そうあるべきことであるが、

すなはち式部が『日記』に云はく、「内の上の『源氏の物語』人に読ませ給ひつつ」、
式部の『日記』に言うことには、「帝が『源氏の物語』を人にお読ませになりながら」、

また云はく、「『源氏の物語』御前にあるを云々」などと、ただ『源氏の物語』とあり。
また、「『源氏の物語』が御前にあるを云々」などと、ただ『源氏の物語』となっている。

(中略)

雑々(くさぐさ)の論

 

註釈の事

 

大意の事 上

●この物語の大意、古来の諸抄にさまざまの説あれども、式部が本意にかなひがたし。
この物語の大意について、古来の諸註釈書にさまざまの説があるけれども、式部の本意かなうのは難しい(かなっていない)。

およそこの物語を論ずるに、異国の諸仏の書をもてかれこれいふは当たらぬことなり。
およそこの物語を論じるのに、異国の仏教等の書をもって、かれこれいうのは、当たらないことです

異国の書とは大きにたぐひの異なるものなり。 異国の書物とは、大きく種類の異なるものです

自然(じねん)に義理の符合することはあれども、それはそれなり。
自ずから趣旨が合致することはあっても、それはそれです。

説明 義理は、(絃賄の意味内容、∪気靴ざ敍察ζ四、B梢佑紡个靴胴圓錣覆韻譴个覆蕕覆い海函

何の書によりて書く、かの文にならひて作るなどいふこと、みな当たらず、式部が意(こころ)に違へり。
(異国の)どの書物によって(参考にして)書く、あの文章にならって作るなどということ、みな当たらず、式部の意趣とは違っている。

前にもいへるごとく、わが国には物語といふ一体の書ありて、他の儒仏百家の書とはまた全体たぐひの異なるものなり。
前にも言ったように、我が国には物語という一つの様式の書物があって、他の儒教・仏教・諸子百家の書物とは種類の異なるものです。

●さてその物語といふものは、いかなることを書きて、何のために見るものぞといふに、
さて、その物語というものは、いかなる事を書いて、何のために見るものかというと、

世にありとあるよきこと・悪しきこと、珍しきこと・面白きこと、をかしきこと・あはれなることのさまざまを、しどけなく女文字に書きて、
この世にありとあらゆる良い事・悪いこと、珍しい事・面白いこと、感心する事・感動する事など、様々な事を、たわいなくも女文字(かな文字)に書いて、

その絵を書きまじへなどして、つれづれの慰めに読み、または心のむすぼほれて物思はしき時のまぎらはしなどにするものなり。
その絵を描いて混ぜるなどして、退屈しのぎのために読み、または、心が晴れ晴れとせず物思わしい時に心をまぎらわすなどのためにするものです。

その中に歌の多きことは、国の風にして、心をのぶるものなれば、歌によりてその事の心も深く聞こえ、いまひときは哀れと見ゆるものなればなり。
その中に和歌が多いことは、我が国の風習にして、心をのびやかにするものなので、和歌によってその事(書かれている事)の趣も深く聞こえ、いまひときわ哀れと見えるものだからです。

さていづれの物語にも、男女の中らひのことのみ多きは、集どもに恋の歌の多きと同じことにて、
さてどの物語にも、男女の間柄のことのみ多いのは、歌集等に恋の歌の多いのと同じ事であって、

人の情の深くかかること、恋にまさることなきゆゑなり
人の情に深くかかわることは、恋にまさることはないからです

(このこと、なほ別にくはしくいへり。奥にもいへり。考ふべし)。
(このことは別の書物に詳しく言いました。(本書の)後の方にも言いました。よく考えるべきことです。)

●さてその古き物語どもの趣き、それを見る人の心ばへなど、この『源氏の物語』の巻々所どころに見えたるを引きて、その心ばへをいふべし。
さて、その昔の物語の趣意、それを見る人の心の様子など、この『源氏物語』の巻の所々に見えているのを引用して、その心の様子を言ってみましょう。

●蓬生(よもぎふ)の巻に云はく、    蓬生の巻に言うことには

「はかなき古歌・物語などやうの御すさびごとにてこそ、つれづれをもまぎらはし、かかる住ひをも思ひ慰むるわざなめれ。」
たわいもない古歌・物語などのようなお慰みごとによってこそ、退屈をまぎらわし、このような住まいを思い慰める手段なのであろう

「かかる住ひ」とは、末摘花の心細く寂しき住ひなり。 「このような住まい」とは、末摘花の心細く寂しい住まいです。

さようのことをも慰むるは、古物語に同じさまのこともあれば、わが身のたぐひもありけりと、思ひ慰むなり。
このような事をも慰めるのは、昔の物語に同様なことがあれば、我が身に同類の人もいたのだなあと思い慰めるのです。

●総角(あげまき)の巻に云わく   総角(あげまき)の巻に言うことには

「げに古言ぞ人の心をのぶるたよりなりけるを、思ひ出で給ふ。」
まことに昔の言葉こそ人の心をのびのびさせる手段だったことを、思い出しなさいます。

この「古言」は古歌のことなれど、物語も同じことなり。

●胡蝶の巻に云わく、    胡蝶の巻に言うことには

「昔物語を見給ふにも、やうやう人の有様、世の中のあるやうを見知り給へば、
昔の物語を御覧になるにつけても、次第に、人の有様や世の中のありようをお見知りになられば

すべて物語は、世にあることの趣き、人の有様を、さまざま書けるものなれば、
すべて物語は、世間にあることの趣旨、人の有様を、様々に書いたものなので

これを読めばおのづから世間のことに通じ、人の情態(こころしわざ)を知るなり。」
これを読めば、おのづから、世間のことに通じ、人情の姿態を知るのです。

これ物語を読む人の心得なるべし。  これが物語を読む人の心得なのでしょう。

●若菜の下の巻に云わく、  若菜の下の巻に言うことには、

「対には、例のおはしまさぬ夜は宵居し給ひて、人々に物語など読ませて聞き給う。
対(紫の上)には、いつもの(源氏が)いらっしゃらない夜は、夜更かしなさって、人々(女房たち)に物語など読ませてお聞きになる。

かく世のたとひにいひ集めたる昔物語にも、
このように世間によくある話として言われ集めた昔物語にも、

あだなる男、色好み、二心ある人にかかづらひたる女、かやうなることをいひ集めたるにも、
浮気男、色好み、二心ある人に関わり合った女、このような事が言われ集めた中にも、

つひにはよる方ありてこそあめれ、あやしく浮きても過ぐしつる有様かな。」
ついには、たよる方がいらっしゃるようだ、奇妙にも浮いたまま過ごしてきた我が有様であることよ。

●夕霧の巻に云はく、   夕霧の巻に言うことには、

「よその人はもり聞けども親に隠すたぐひこそは、昔物語にもあれめど、」
他人は漏れ聞いても、親には隠すというような話は、昔の物語にはあるようだが。」

●橋姫の巻に云はく、  橋姫の巻に言うことには、

「昔物語などに語り伝へて、若き女房などの読むをも聞くに、
昔物語などに語り伝えて、若い女房たちが読む声を聞くときに、

必ずかやうのことをいひたる、さしもあらざりけむと憎く推量(おしはか)らるるを、
必ずこのようなことを言っていて、それほどでもなかったろうと生憎にも推量していたのに、

げに哀れなる物の隈ありぬべき世なりけりと、心うつりぬべし。」
本当に哀れな物が隠れていた世の中だったのだと、心が移ってしまったようだ。」

●総角(あげまき)の巻に云はく、   総角の巻に言うことには、

「昔物語などに、ことさらにをこめきて作り出でたるもののたとひにこそはなりぬべかれ。」
昔物語などに、ことさらに、滑稽なように作り出した話の例にこそはなってしまうでしょう。

(「をこめきて作る」とは、をかしきことに作りなすなり)
(「をこめきて作る」とは、滑稽なことに作り出すです。)

●宿木(やどりぎ)の巻に云はく  宿木の巻に言うことには

「『かかる道をいかなれば浅からず人の思ふらんと、昔物語などを見るにも、
このような道(夫婦の問題)がどうなれば大問題だと人は思うのだろうかと、昔の物語を見るにつけても、

人の上にても、あやしう聞き思ひしは、げにおろかなるまじきわざなりけり』と、
人の身の上でも、聞いて不思議に思ったのは、実におろそかであるまじきわざだったのだなあと、

わが身になしてぞ何ごとも思ひ知られ給ひける。」
自分のこととして、何事も、思い知られなさいました。」

(「かかる道」とは、女の嫉妬の心によりて物思ひのあることをいへり。
(「かかる道」とは、女の嫉妬の心によって、物思いがあることを言っています。

宇治の中の君の、今わが御身にて、物語にあることを思ひ知り給ふ、となり)
宇治の中の君が、今、ご自分の身の上のこととして、思いお知りになったということです)

●また云はく、 また言う事には、

「げにかく賑(にぎは)はしく華やかなることは、見るかひあれば、物語などにもまづいひたてたるにやあらん。」
本当にこんなに派手で甘美なことは、見る甲斐があるので、物語などにも書き立てられたのでありましょうか。

●蜻蛉(かげろふ)の巻に云はく、 蜻蛉の巻に言うことには、

「『昔物語のあやしきものの事のたとひにか、さやうなることもいふなりし』、と思ひ出づ。
『昔物語の妙な事件のたとえ話としてであろうか、そのようなことも言っていた』と思いだす。

説明 浮舟が(入水して)いなくなったときに、母君が、「鬼が食ったのか、狐が連れ去ったのか。昔物語の奇妙な譬えには、そのようなことも言っていたなあ」と思い出した場面のことです。

●手習の巻に云はく、 手習の巻に言うことには、

「『昔物語の心地もするかな』、とのたまふ。  『昔物語のような心地がするね』と、おっしゃる。

●夢浮橋の巻に云はく、  夢浮橋の巻に言うことには、

「昔物語に、魂殿(たまどの)に置きたりけむ人のたとひを思ひ出でて、さやうなることにやと珍しがり侍りて、

●絵合の巻に云はく、

「かの旅の御日記云々、知らで今見む人だに、すこし物思ひ知らん人は、涙惜しむまじくあはれなり。

まいて、(「旅の御日記」は、源氏の須磨の浦にての日記なり。

「知らで今見る」とは、その時のことは知らで、今始めてこの日記ばかりを見る人なり。

ましてその時のことを知り、そのことにあづかれる人の、この日記を今見る心は、となり)

右の外なほ多し。

奥に引けるをも合わせ見るべし。 後に引用してある箇所も合わせて見てほしい。

大方物語の体かくのごとし。  おおかた、物語のていは、このようなものだ。

ただ世にあるさまざまのことを書けるものにて、  ただ世間にある様々なことを書いたものであって、

それを見る人の心も、右に引けるごとく、昔のことを今のことにひき当てなぞらへて、昔のことの物の哀れをも思ひ知り、
それを見る人の心も、右に引用したように、昔のことを今の事に引き当てなぞらえて、昔のことの物の哀れを思い知り

また己が身の上をも昔にくらべみて、今の物の哀れをも知り、憂さをも慰め、心をも晴らすなり。
また自身の身の上を昔に比べて見て、今の物の哀れを知り、憂いことを慰め、心を晴らすのです。

●さて右のごとく巻々に古物語を見ての心ばへを書けるは、
さて、右のように、巻々、古物語を見て、その気持ちを書いたのは、

すなはち今また『源氏物語』を見るもその心ばへなるべきことを、古物語の上にて知らせたるものなり。
つまり今また『源氏物語』を見てもその気持ちとなることを、古物語に託して、知らせたということです。

右のやうに古物語を見て、今に昔をなぞらへ、昔に今をなぞらへて読みならへば、
右のように、古物語を見て、今に昔をなぞらえ、昔に今をなぞらえて読むことになれ親しめば

世の有様、人の心ばへを知りて、物の哀れを知るなり。
世間の有様や、人の気持ちを知って、物の哀れを知るのです。

とかく物語を見るは、「物の哀れを知る」といふが第一なり。
とにかく、物語を見るのは、「物の哀れを知る」ということが第一なのです。

物の哀れを知ることは、物の心を知るより出で、物の心を知るは、世の有様を知り、人の情に通ずるより出づるなり
物の哀れを知ることは、物の心を知ることから生まれ、物の心を知ることは、世間の有様を知り、人の情に通じることから生まれるのです。

(このこと、なほ奥にくはしく云ふ)。  (このことは、さらに跡で詳しくいいます)

されば『源氏の物語』も、右の古物語のたぐひにして、儒仏百家の人の国の書のたぐひにあらざれば、

よしなき異国の文によりて論ずべきにあらず。 関係のない異国の文を基準にして論じるべきではない。

ただ古物語をもて理(ことわ)るべし。  ただ古物語をもって判断すべきである。

ゆゑに巻々に、ややもすれば「昔物語にもしかじか」といふことのみ多し。

●中にも紫式部『源氏物語』の本意は、まさしく蛍の巻にいへり。
中でも、紫式部 『源氏物語』 の本意は、まさしく、蛍の巻に言っている。

それも確かにそれとはいはずして、ただ例の古物語のことにして、
それも明確にそれとはいわないで、ただ、例の古物語のことにして、

源氏の君の玉鬘の君への物語の中に己が下心をいひあらはせり。
源氏の君の玉鬘の君への物語の中に、自分の下心を、言い表しのました。

しかるに古来の注釈、誤り多くして、作者の本意あらはれがたく、
しかし、古来の注釈は、誤りが多く、作者の本意は表れがたい。

かへりてあらなるさまに聞きなす人のみ多きゆゑに、
かえってとんでもない風に理解する人のみ多いので、

いま左にかの全文を抄出して一々これを釈し、 いま、左に全文を抽出して一々これを解釈し

式部がこの物語を寓する下心をあらはして、この物語の指南とす。
式部がこの物語を託そうとする下心を表して、この物語の手引きとする。

●蛍の巻に云はく、  蛍の巻に言うことには

「さまざまに珍らかなる人の上などを、まことにやいつはりにや、いひ集めたる中にも、
いろいろと珍しい人の身の上などを、真なのか、偽りなのか、いい集めた(物語の)中に

『わが有様のやうなるはなかりけり』と見たまふ。」
「私の有り様のようなものはなかった」と御覧になる。

古物語どもを見ての玉鬘の君の心なり。   古物語等を見ての玉鬘の君の心なのです。

これまた昔と今とをたくらべて見るところなり。 これはまた、昔と今を比べて見るところです。

●住吉の姫君の云々、かの監(げん)がゆゆしさをおぼしなぞらへ給ふ。
「住吉の姫君の云々では、あの大夫の監の恐ろしさを思い比べになる。」

説明 原文は、「『住吉』の姫君の、さしあたりけむ折はさるものにて、今の世のおぼえもなほ心ことなめるに、主計頭が、ほとほとしかりけむなどぞ、かの監がゆゆしさを思しなずらへたまう。

『住吉物語』を読みて、わが身の上にありしことを思ひ当るなり。
『住吉物語』を読んで、わが身の上にあったことに思い当たるのです。

●「殿は、こなたかなたにかかる物どもの散りつつ御目に離れねば、」

「殿」は源氏なり。「かかる物ども」は、物語の本どもなり。

「あなむつかし。女こそ物うるさがりせず、人にあざむかれんと生まれたるものなれ。」

「物うるさがりせず」とは、うるさきことをいとはぬなり。

「うるさき」とは、面白くもあらぬことを長々しく書きたるやうのことなり。

巻々に、いふべきことを略する詞に、「うるさければ書かず」といへるところ多し。

それにてここの心を知るべし。

偽り多きそぞろこどの物語は、見るにうるさきものなるを、いとはで賞翫するは、

女といふものは人にあざむかるるやうに生まれたるものぞ、となり。

「あざむかるる」とは、下に「真少なき」といふに応ず。

 

 

 .

 ご意見等がありましたら、think0298(@マーク)ybb.ne.jp におよせいただければ、幸いです。

 ホームページアドレス: https://think0298.stars.ne.jp