森喜朗 遺書 東京五輪への覚悟 (2017)

2019.3.15

 辛坊治郎さんのつくばでの講演会で、この本を知りました。

オプジーボによる免疫療法で命が助かった有名人をご存じですか? というような質問から始まったと思います。

勿論、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長として働いておられる森喜朗 元首相です。

そして、森さんが、死を前にして、覚悟をこめて書いたのが、この本です。

 

 この本には、2017年3月吉日付けの「はじめに」があり、以下の文章で始まります。

 私は今、二つの闘いを進めている。

 一つはもちろん、東京オリンピック・パラリンピック競技大会を成功させる準備である。

もう一つは、私のガンとの闘いである。

 医師ともいろいろ相談しながら闘病生活を送っているが、本当は去年(2016年)の春で、

私は人生を閉じていたかもしれない。しかし、幸いに新しい治療薬が適用され、今はなんとか

生き続けることが可能になっている。ただ、この新しい薬はいつまで打ち続けるものなのか、

いつ効力がなくなるのか、医師にもわからない。私はこの新薬のトップランナーである。

(中略)

 本書が世に出る頃には私はどうなっているかわからないが、この闘いの中で知り得たこと、

記録に留めておくべきことは書き残しておきたい。それで、あえて「遺書」としてまとめた。

 

 森さんは、2015年春に、肺ガンの宣告を受け、直ちに摘出手術を受けて、一週間の入院ののち、

組織委員会の理事会に、丸坊主姿で出席し、新国立競技場の設計白紙撤回などの一連のゴタゴタにひっかけて

「お騒がせしたお詫びで頭をまるめた」と取材にジョークで答えたところ、真に受けたマスコミもいたそうです。

 2016年の2月から、新薬治療が効いて、頭髪ももどり、8月には、リオ五輪の開会式にも出席されました。

 オリンピックの準備は、政府、東京都、組織委員会ががっちりスクラムを組んで準備しなければならないのに、

誘致に成功した猪瀬知事も、後任の舛添知事も政治資金問題で相次ぎ辞任、

8月に就任した小池知事の見直し宣言により、それまでの準備が大混乱に陥るなか、

ガンが再発すると組織委員会会長の重責が果たせなくなるとの思いで、この本が書かれました。

 

 小池旋風が荒れ狂うなか、森・小池対立の構図も、メディアの格好のネタになりました。

森さんの反論の一つを、紹介します。

 2016年の12月、入院治療中に、テレビを見ていると、フジテレビの安藤優子さんの番組「直撃LIVEグッディ」で、

11月29日に開かれたIOCと、国と都と組織委の四者協議で、会場に森さんが一人でいるところを映して、

安藤さんが、「十分経っても誰も来ません。森会長はぼーっと座って待っています。」

「この場をメディアに公開するかしないかの議論になり、結局、小池さんの主張が通って公開が決まり、

それで開会が遅れたのですが、森会長は知りませんでした」 と解説しました。

 実際は、小池さんがメディア公開にすると言い、IOCのコーツさんが、人の名前が出たりするから、

公開は、最初と最後にしてほしいと小池さんのところに交渉に行く間、森さんは、会場で待っていたのです。

 森さんは、すぐに、フジテレビの知り合いの記者に電話をし、

「今流れている番組を見ていますか」

「見ています。ひどいですね」

「そういうけど、あなたの会社の番組ですよ」

「あれは娯楽番組で、報道部のものじゃないんです」

「それはわかっているけれど、私からこんな電話があったと、番組の責任者には伝えてください。」

 すると途中から安藤さんの顔色が変わり、途中からものを言わなくなり、男のアナウンサーが、

「先ほどのコーナーにつき、森会長から、メディアへの公開は事前に知っていた。狼狽うんぬんは極めて失礼である。

という趣旨の抗議のお電話をいただきました。ご迷惑をおかけしたことをお詫び申しあげます。」

と言ったのですが、森さんは、これは二重の意味で情けない話だと指摘します。

 まず、解説したのは、安藤さんなのですから、お詫びは、安藤さんがするべきだ。

 もう一つは、公共の電波を使って放送した以上は、フジテレビはそれなりの覚悟を持つべきで、

 抗議があったからお詫びするというのでは、メディアとしての骨がない。

 森さんは、日本の一部のメディアの質に、ほんとうに危機感を抱いておられます。

  

 この本の最後に、2017年3月26日付けの『緊急追記』が、附け加えられています。

 都から組織委に出向している平山哲也さんに、突然、一月末をもって都にもどるよう異動の発令がありました。

都庁の組織委担当者が知事に 「どこへ帰すんですか?」 と聞くと、

「そんなことは知らない。ただ帰すだけよ」

「それでは本人だけでなく、組織委員会も会長も困るでしょう」

「そんなこと、私は知らないわよ」 という返事だったそうです。

 平山さんは、一度、都庁にもどりましたが、、三月に都を退職して、組織委員会に残ることになりました。49歳の若さです。

  「緊急追記」は、ここで終わりですが、その直後、衝撃的な事件が起きました。

 七月上旬に、プーチン大統領との会談でロシアを訪問した森会長に、平山さんも同行したのですが、

帰国後に体調をくずし、7月20日に急逝してしまったのです。

 

 2017年7月の東京都議選は、「都民ファーストの会」が圧勝しますが、はやくも10月にほころびが見え始め、

小池劇場は幕を下ろし、小池さんは、都知事としての職務を全うする決断をします。

 オリンピックの準備がどう進んで行くか、ちゃんと凝視したいですね。