森鴎外 舞姫 原文 現代語訳 対比

2015.12.24  更新2016.1.10

 この翻訳は、鴎外の舞姫を、現代語訳で読むためというよりは、舞姫の文語体の文章を読んで、
文語に慣れたいと思っている人たちのために、作成したものです。

短歌や俳句を文語体で書こうとして、文語の文法を勉強しても、言葉は結構複雑で、なかなか自信を持って正しい文語を書くことはできません。

結局は、文語の作品をたくさん読んで、文語のいいまわしに慣れることが必要なのです。

そのためには、是非とも、鴎外の舞姫を文語体のまま読んでください。

ここに作成した、原文と現代語訳の対比は、そういう人たちのためのものです。

  

 さて、舞姫の主人公 太田豊太郎は、法学の勉強のためにドイツに官費留学しますが、
ドイツ人女性エリスと恋におち、勉学がままならなくなり、現地で免官となります。

朋友の相沢謙吉のとりなしで、ドイツに出張してきた天方伯爵の知己を得て、日本に帰る話がもちあがりますが、
それを知ったエリスが発狂してしまいます。

 太田豊太郎は、失意のなか、日本を出立してから5年後に、日本に戻ってきます。
舞姫は、帰りの船が、サイゴンに寄港した場面から始まります。

 著者の森鴎外も、官費でドイツに留学しますが、医学の勉強のためで、ドイツ人女性と恋におちますが、
現地で免官とはならず、女性の発狂もありません。

 ちくま文庫に、井上靖が訳した現代語訳舞姫という本があります。

訳文以外に、いろんな解説がついていますが、その一つにによると、免官については、鴎外と同時期に留学していた武島務がモデルになったようです。

武島務は、日本に帰ることができず、ドイツで病死しました。

 また、別の解説によると、太田豊太郎は、エリスにわずかなお金しか残しませんでしたが、
鴎外は、ドイツ人女性(エリーゼという名前のようです)と別れるときに相当な額のお金を渡したそうです。

当時、ドイツ・日本間の旅費は相当な額でしたが、そのお金があったからでしょう、彼女は、鴎外を追って日本にやってきました。

その時、彼女をドイツに送り返すまで丁寧に応対したのは小金井良精という人ですが、作家星新一のおじいさんだそうで、
そのときの顛末わ書いた「資料・エリス」という短文も収録されています。

    

 それでは、まず、原文を読み、そしてその下の訳文を読み、もう一度原文を読んでください。

 訳文は、とりあえず大急ぎで、全部を訳しました。これから、ゆっくりと改良していきます。

 文章が複数行にわたる長文のときも、訳文が各行のすぐ下になるように表示を変えました。(2016.1.10)

 原文は、かなりわかり難いところがあります。現代人にわかるようなretold版を、ゆっくり作っていこうと考えています。(2016.1.10)

   

原文・現代語直訳の対比

●石炭をば 早や積み果てつ。
 石炭をば、はや積み終えた。

説明 完了の助動詞には、「つ」と「ぬ」があり、「つ」は、人の意志が加わった動作の動詞につき、
    「ぬ」は人の意志を伴わない動作を示す動詞につくのですが、
    もう一つの区別法は、「つ」は他動詞につき、「ぬ」は自動詞につきます。
    動詞「果つ」は、終わるという自動詞なので、終わったというときは、「果てぬ」となりますが、
    「積み果つ」のように、補助動詞としてもちいた場合は、積み終えるという他動詞なので、「積み果てつ」となります。

中等室のテーブルのほとりは いと静にて、熾熱燈(しねつとう)の光の晴れがましきも徒(いたづら)なり。
中等客室のテーブルのほとりは、いと静かにて、白熱電灯の光の晴れがましいのも無駄です。

説明 「いたづら」は、無駄、無益という意味で、現代でも「いたずらに苦労する」というような使い方をしますが、
    つまらない、暇だのように悪い意味として使われることが多くなり、現代は、悪ふざけの意味で使われています。

今宵は夜毎にここに集ひ来るカルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人のみなれば。
今宵は夜毎にここに集い来るカルタ仲間もホテルに泊まって、船に残るのは私一人のみなので。

●五年前の事なりしが、平生(ひごろ)の望足りて、洋行の官命を蒙(かうぶ)り、このサイゴンの港まで来し頃は、
 五年前の事でしたが、平生の希望が適って、洋行の官命をこうむり、このサイゴンの港まで来た頃は、

目に見るもの、耳に聞くもの、一つとして新(あらた)ならぬはなく、
目に見るもの、耳に聞くもの、一つとして新しくないものはなく、

筆に任せて書き記しつる紀行文 日ごとに幾千言をかなしけむ、
筆に任せて書き記した紀行文は毎日幾千語をか、為したでしょう、

説明 「記しつる」の「つる」は、過去の助動詞「つ」の連体形で、書いたけれども、存続の意味は無いのに対し、
    「記したる」と、完了の「たり」を用いた場合は、書いたものが手許にあるという存続の意味を持ちます。

当時の新聞に載せられて、世の人にもてはやされしかど、
当時の新聞に掲載されて、世の人にもてはやされたけれど、

説明 「もてはやされしかど」は、動詞「もてはやす」に受身の助動詞「る」がついて、「もてはやさる」となり、その連用形に
    過去の助動詞「き」がついて、「もてはやされき」となり、その已然形「もてはやされしか」に、逆説の助詞「ど」がついて
    もてはやされたけれど の意となります。

今日になりておもへば、幼き思想、身の程ほど知らぬ放言、
今日になって思うと、幼い考え、身の程を知らない放言、

さらぬも尋常(よのつね)の動植金石、さては風俗などをさへ珍しげにしるししを、心ある人はいかにか見けむ。
そうでなくとも尋常の動植金石、さては風俗などをさえ珍しげに書いたのを、 心ある人はいかに見たでしょう。

説明 「動植金石」は、動物・植物・金属・岩石のことで、あらゆるもの の意味だと思います。

こたびは途に上りしとき、日記ものせむとて買ひし冊子もまだ白紙のままなるは、
今回は旅立ったときに、日記をものそうとして買った冊子がまだ白紙のままなのは、

ドイツにて物学びせし間に、一種のニル・アドミラリイの気象をや養ひ得たりけむ、 あらず、これには別に故あり。
ドイツで学問をした間に、一種のニル・アドミラリイの気性を養うことができたからだろうか、 いや違う、これには別に理由がある。

説明 鴎外の注「Nil admirali: なにごとにもおどろかないこと。外界に左右されないで生きる冷淡な態度、精神をいう。

●げに東(ひんがし)に還る今の我は、西に航せし昔の我ならず、
 げに東に帰る今の私は、西に向かった昔の私ではない、

学問こそ猶心に飽き足らぬところも多かれ、浮世のうきふしをも知りたり、
学問こそなお心に飽き足らないことも多くあれど、浮世のつらいことも知ったし、

人の心の頼みがたきは言ふも更なり、われとわが心さへ変り易きをも悟り得たり。
人の心の信頼できないことは今更だし、私や私の心さえ変わり易いことを悟ることができた。

きのふの是はけふの非なるわが瞬間の感触を、筆に写して誰にか見せむ。
昨日の是が、今日の非となる私の瞬間の感触を、紙に書いて誰にみせようか。

これや日記の成らぬ縁故なる、あらず、これには別に故あり。
これが日記がかけない理由だろうか、いや違う、これには別に理由がある。

嗚呼、ブリンヂイシイの港を出でてより、早や二十日あまりを経ぬ。
 ああ、ブリンジィシィの港を出航してから、はや二十日あまりを経た。

説明 Brindisi ブリンディジ イタリア南東部、アドリア海の入り口にある港

世の常ならば生面の客にさへ交りを結びて、旅の憂さを慰めあふが航海の習なるに、
通常なら正面の客人にさえ話しかけて、旅のつらさを慰めあうのが航海の習慣であるが、

微恙(びよう)にことよせて房(へや)の裡(うち)にのみ籠もりて、同行の人々にも物言ふことの少きは、
軽い病気にことよせて、部屋の中にこもって、同行の人たちともしゃべることの少ないのは、

人知らぬ恨に頭(かしら)のみ悩ましたればなり。
人の知らない恨みに頭を悩ましたからです。

此の恨は初め一抹の雲の如く我が心を掠めて、スヰスの山色をも見せず、イタリアの古蹟にも心を留めさせず、
この恨みは最初一抹の雲のように私の心を掠めて、私にスイスの山の色を見させず、イタリアの古跡にも心を留めさせず、

中頃は世を厭(いと)ひ、身をはかなみて、腸(はらわた)日ごとに九廻すともいふべき惨痛をわれに負はせ、
中頃は、世を厭い、身をはかなんで、「腸がいくたびも回転する」とも言うべき激痛を私におわせ

今は心の奥に凝り固まりて、一点の翳(かげ)とのみなりたれど、
現在は、心の奥に凝り固まって、一点の翳とのみなったけれど、

文読むごとに、物見るごとに、鏡に映る影、声に応ずる響の如く、
文字を読むたびに、物を見るたびに、鏡に映る映像、声に応じる響きのように、

限なき懐旧の情を喚び起して、幾度となく我心を苦む。
限りない懐旧の念を呼び起こして、幾度となく私の心を苦しめる。

説明 鴎外の注 腸(はらわた)日ごとに九廻す うれい悩んで腸がいくたびも回転するの意。出典は司馬遷の「報任安書」

嗚呼、いかにしてか此恨を銷(せう)せむ。
ああ、どのようにしてこの恨みを消せようか。

若し外の恨なりせば、詩に詠じ歌によめる後は心地すがすがしくもなりなむ。
もし、ほかの恨みであれば、詩を詠み、歌を詠んだ後は、心地がすがすがしくもなるでしょう。

これのみは余りに深く我心に彫(ゑ)りつけられたればさはあらじと思へど、
こればかりは余りに私の心に深く彫りつけられているので、そうではないとは思うが、

今宵はあたりに人も無し、ボーイの来て電気線の鍵を捩るには猶程もあるべければ、
今晩は周りに人がおらず、ボーイが来て電気のスイッチを入れるには、まだ時間があるようなので、

いで、その概略を文に綴りて見む。
いざ、その概略を文章に書いてみよう。

  

 余は幼き比(ころ)より厳しき庭の訓(をしへ)を受けし甲斐に、
 私は幼い頃から厳しい教育を受けた甲斐があって、

父をば早く喪ひつれど、学問の荒すさみ衰ふることなく、
父を早く亡くしたけれど、学問が荒み衰えることもなく、

旧藩の学館にありし日も、東京に出でて予備黌に通ひしときも、大学法学部に入りし後も、
旧藩の学校にいたときも、東京に出て予備校に通ったときも、大学法学部に入った後も、

太田豊太郎といふ名はいつも一級の首(はじめ)にしるされたりしに、
太田豊太郎という名前は、いつもクラスの首席に記されていたので、

一人子の我を力になして世を渡る母の心は慰みけらし。
一人っ子の私を頼りにして世を渡る母の心は慰められたでしょう。

十九の歳には学士の称を受けて、大学の立ちてよりその頃までにまたなき名誉なりと人にも言はれ、
十九の歳には学士の称号を得て、大学の創立から今までにまたとない名誉であると人にも言われ、

某(なにがし)省に出仕して、故郷なる母を都に呼び迎へ、楽しき年を送ること三とせばかり、
某省に勤めて、故郷の母を東京に呼び寄せ、楽しい年を送ること三年ばかり、

官長の覚え殊なりしかば、洋行して一課の事務を取り調べよとの命を受け、
官長の覚えが格別だったので、洋行して課の事務を取り調べよとの命を受けて、

我名を成さむも、我家を興さむも、今ぞとおもふ心の勇み立ちて、
我が名を高めるも、我が家を興すのも今だと思う心が勇み立って、

五十をこえし母に別るるをもさまで悲しとは思はず、遙々と家を離れてベルリンの都に来ぬ。
五十歳を越えた母と別れるのをそうまで悲しいとは思わずに、はるばると家を離れてベルリンの都に来た。

  

 余は模糊たる功名の念と、検束に慣れたる勉強力とを持ちて、
 私は曖昧模糊な巧妙の念と、抑制に慣れた勉強力とを持って、

忽ちこのヨオロツパの新大都の中央に立てり。
たちまちこのヨーロッパの新大都の中央に立った。

何等の光彩ぞ、我目を射むとするは。何等の色沢ぞ、我心を迷はさむとするは。
どんな光彩か、私の目を射ようとするのは。どんな色香か、私の心を惑わそうとするのは。

菩提樹下と訳するときは、幽静なる境なるべく思はるれど、
菩提樹下と訳すときは、幽静な場所のように思われるが、

この大道髪の如きウンテル・デン・リンデンに来て
このまっすぐにのびた大通りのウンテル・デン・リンデンに来て

両辺なる石だたみの人道を行く隊々(くみぐみ)の士女を見よ。
両側の石畳の歩道を歩く男女の組々を見なさい。

説明 通りの名前ウンテル・デン・リンデンは、菩提樹の下という意味です。

胸張り肩そびえたる士官の、まだヰルヘルム一世の街に臨めるまどにより玉ふ頃なりければ、
胸を張り肩がそびえた士官が、まだウィルヘルム一世が街に臨んだ窓に寄り給える頃なので、

様々の色に飾り成したる礼装をなしたる、
様々な色に飾りなした礼服を着ていることや、

かほよき少女のパリーまねびの粧したる、
美顔の少女がパリ風の化粧をしていることなど、

彼も此も目を驚かさぬはなきに、
あれやこれや目を驚かさないものは無いのに、

車道の土瀝青の上を音もせで走るいろいろの馬車、雲にそびゆる楼閣の少しとぎれたる処には、
車道のアスファルトの上を音もなく走る色々の馬車、雲に聳えるビル群が少し途切れた所には、

晴れたる空に夕立の音を聞かせてみなぎり落つる噴井(ふきゐ)の水、
晴れた空に夕立の音を聞かせてみなぎり落ちる噴水、

遠く望めばブランデンブルク門を隔てて緑樹枝をさし交はしたる中より、半天に浮び出でたる凱旋塔の神女の像、
遠く望むとブランデンブルグ門を隔てて、緑色の樹木が枝を差し交わしている中から、中空に浮かび出ている戦勝記念塔の女神の像

このあまたの景物目睫(もくせふ)の間にあつまりたれば、始めてここに来こしものの応接にいとまなきもうべなり。
これら沢山の景観が目とまつげの間にあつまっているので、初めてここに来た者が応接にいとまがないのも無理はない。

されど我胸にはたとひいかなる境に遊びても、あだなる美観に心をば動さじの誓ありて、
しかし私の胸にはたとえいかなる場所に遊んでも、無益な美観に心は雨後かさまいという誓いがあって、

つねに我を襲ふ外物を遮り留めたりき。
常に私を襲う外物を遮り留めたのでした。

  

 余が鈴索(すずなは)を引き鳴らして謁(えつ)を通じ、おほやけの紹介状を出だして東来の意を告げしプロシヤの官員は、
 私が、鈴紐を引き鳴らして、拝謁を通じて、公式の紹介状を出し、到来の理由を告げたプロシアの官員は、

皆快く余を迎へ、公使館よりの手つづきだに事なく済みたらましかば、何事にもあれ、教へもし伝へもせむと約しき。
皆快く私を迎え、公使館からの手続きさえ問題なく済んだなら、何事であれ、教えもし伝えもすると約束した。

説明 「済みたらましかば」の「たらましかば」は、存続の助動詞「たり」の未然形「たら」に、反実仮想の助動詞「まし」と、

喜ばしきは、わが故里にて、独逸、フランスの語を学びしことなり。
喜ばしいことは、私が、故郷にて、ドイツ語、フランス語を学んだことです。

彼等は始めて余を見しとき、いづくにていつの間にかくは学び得つると問はぬことなかりき。
彼等は初めて私を見たときに、何処でいつの間に、このように学ぶことが出来たのかと問わないことはなかった。

  

 さて官事の暇(いとま)あるごとに、かねておほやけの許をば得たりければ、
 さて、官の業務に暇があるごとに、かねて公の許可を得ていたので、

大学に入りて政治学を修めむと、名を簿冊に記させつ。
現地の大学に入って政治学を修めようと、名前を名簿に登録させた。

  

 ひと月ふた月と過す程に、おほやけの打合せも済みて、取調も次第に捗(はかど)り行けば、
 ひと月ふた月と過ごすうちに、公務の打ち合わせも済んで、調べ物も次第に進捗して行ったので、

急ぐことをば報告書に作りて送り、 さらぬをば写し留めて、つひには幾巻(いくまき)をかなしけむ。
急ぎのことをば報告書にして送り、 そうでないのは筆写して手許に留め、ついには何巻かをなしたでしょう。

大学のかたにては、幼き心に思ひ計りしが如く、政治家になるべき特科のあるべうもあらず、
大学の方では、幼い頭で思ん計ったように、政治家になり得る特別な科目があるはずもないので、

此か彼かと心迷ひながらも、 二三の法家の講筵(かうえん)に列(つらな)ることにおもひ定めて、
これかそれかと迷いながらも、二三の法律家の講義に出席することに決心して、

謝金を収め、往きて聴きつ。
学費を納め、行って聴講した。

  

 かくて三年(みとせ)ばかりは夢の如くにたちしが、
 このようにして、三年ばかりは夢のようにたったが、

時来れば包みても包みがたきは人の好尚なるらむ、
時がくると包んでも包み込むことのできないのが人の好みなのでしょうか、

余は父の遺言を守り、母の教に従ひ、人の神童なりなど褒むるが嬉しさに怠らず学びし時より、
私は父の遺言を守り、母の教えに従って、人が神童だなどと褒めることの嬉しさに怠けず勉学した時から、

官長の善き働き手を得たりと奨(はげ)ますが喜ばしさにたゆみなく勤めし時まで、
官長が良い働き手を得たと励ますことの嬉しさに、たゆみなく勤務したときまで、

ただ所動的、器械的の人物になりて自ら悟らざりしが、
ただ受動的、機械的な人物になっていて自分では気づかなかったが、

今二十五歳になりて、既に久しくこの自由なる大学の風に当りたればにや、
今、25歳になって、既に久しくこの自由な大学の風に当たったからではないだろうか、

心の中なにとなく妥(おだやか)ならず、奥深く潜みたりしまことの我は、やうやう表にあらはれて、
心の中が何となく穏やかでない、奥深くに潜んでいた真の私が、ようやく表に現れて、

きのふまでの我ならぬ我を攻むるに似たり。
昨日までの私ではない私を責めているようです。

余は我身の今の世に雄飛すべき政治家になるにも宜しからず、
私は、我が身が今の世に雄飛すべき政治家になるにも適当でなく、

また善く法典を諳んじて獄を断ずる法律家になるにもふさはしからざるを悟りたりと思ひぬ。
また良く法律を諳んじて訴訟を断じる法律家になるも相応しくないことを悟ったと思った。

  

 余は私(ひそか)に思ふやう、我母は余を活きたる辞書となさんとし、我官長は余を活きたる法律となさんとやしけん。
 私はひそかに思うには、私の母は私を生きている辞書にしようとし、私の官長は、私を生きている法律にしようとしたのではないか。

辞書たらむは猶ほ堪ふべけれど、法律たらんは忍ぶべからず。
辞書であろうことは、まだ堪えることができるが、法律であろうことは耐えることができない。

今までは瑣々(ささ)たる問題にも、極めて丁寧にいらへしつる余が、
今までは些細な問題にも、極めて丁寧に返事しました私ですが、

この頃より官長に寄する書には連(しき)りに法制の細目に拘づらふべきにあらぬを論じて、
この頃から官長に寄せる手紙には、しきりに法律制度の細部には、わずらわされるべきではないと論じ

一たび法の精神をだに得たらんには、紛々たる万事は破竹の如くなるべしなどと広言しつ。
ひとたび法の精神をさえ獲得したであろうときは、いりみだれる事ごとは万事、破竹のごとくに片付くであろうなどと広言した。

説明 「いらへしつる」の「いらへ」は、動詞「いらふ」の連用形で、返事するという意味ですが、ここでは、「いらへ」は返事という名詞で、
    返事するという意味の「いらへす」の連用形「いらへし」と考え、完了の助動詞「つ」の連体形につながると解釈して、返事したという意味になります。
    関西弁の「いらう」は、さわるという意味ですが、これは、「いろふ」(弄ふ)から来ていると考えられます。

又大学にては法科の講筵を余所にして、歴史文学に心を寄せ、漸く蔗を嚼む境に入りぬ。
また大学においては法科の講義をよそにして、歴史文学に心を寄せて、ようやく、佳境に入った。

説明 「蔗を嚼む境」は、中国、晋代の画家、顧緒ヒ之が甘蔗を食うとき、味の悪い尻尾のほうから食べるのを、
    人が怪しんで理由を問うたところ、こうするとだんだん旨く、佳境に入ると答えたという故事から。

  

 官長はもと心のままに用ゐるべき器械をこそ作らんとしたりけめ。
 役所の上司は、もともと自分の意のままに用いることができる機会をこそ、作ろうとしたのでしょう。

独立の思想を懐きて、人なみならぬ面もちしたる男をいかでか喜ぶべき。
独立の思想を抱いて、平凡でない顔つきをした男をどうして喜ぶでしょう。

危きは余が当時の地位なりけり。
危ういのは私の当時の地位でした。

されどこれのみにては、なほ我地位を覆くつがへすに足らざりけんを、
しかし、これだけでは、まだ私の地位を覆すには足らないでしょうが、

日比(ひごろ)ベルリンの留学生の中(うち)にて、或る勢力ある一群(ひとむれ)と余との間に、
日頃ベルリンの留学生の間にて、ある勢力ある一群と私との間に

面白からぬ関係ありて、彼人々は余を猜疑し、又遂に余を讒誣(ざんぶ)するに至りぬ。
面白くない関係があって、彼らは私を猜疑し、また遂には私を讒言するに至った。

されどこれとても其故なくてやは。
しかしこれだって、その理由が無いであろうか。

  

 かの人々は余が倶に麦酒の杯をも挙げず、球突きの棒(キユウ)をも取らぬを、
 彼らは、私が一緒にビールの盃をも挙げず、玉突きのキューをも手にしないのを、

かたくななる心と慾を制する力とに帰して、且は嘲り且は嫉みたりけん。
かたくなな心と欲望を制する力とに帰して、一方では嘲り、一方では妬んだのでしょう。

されどこは余を知らねばなり。
しかし、これは私を知らないからです。

嗚呼、此故よしは、我身だに知らざりしを、いかでか人に知らるべき。
嗚呼、この理由は、私自身でさえ知らなかったのに、どうして他人に知られることがあるでしょうか。

説明 「故よし」は、いわれ、理由の意です。

わが心はかの合歓といふ木の葉に似て、物触(さや)れば縮みて避けんとす。
私の心は、あの合歓という木の葉に似て、物が触ると縮んで避けようとする。

我心は処女に似たり。
私の心は処女に似ているのです。

余が幼き頃より長者の教を守りて、学の道をたどりしも、仕(つかへ)の道をあゆみしも、
私は、幼い頃より年長者の教えを守って、学問の道をたどったのも、役人として仕える道を歩んだのも、

皆な勇気ありて能くしたるにあらず、
みな勇気があってよくしたのではない、

耐忍勉強の力と見えしも、皆な自ら欺き、人をさへ欺きつるにて、
忍耐や勉強の力と見えたのも、みな自分を欺き、他人をさえ欺いたのであって、

人のたどらせたる道を、唯だ一条(ひとすぢ)にたどりしのみ。
人がたどらせた道を、ただひたすら歩いただけです。

余所(よそ)に心の乱れざりしは、外物を棄てて顧みぬ程の勇気ありしにあらず、
よそに気持ちが乱れなかったのは、外物を棄てて顧みない程の勇気があったのではない、

唯(ただ)外物に恐れて自らわが手足を縛せしのみ。
ただ外物を恐れて自ら自分の手足を縛っただけです。

説明 「外物」とは、自分以外のすべてのもの、外界の事物

故郷を立ちいづる前にも、我が有為の人物なることを疑はず、
故郷を出立する前にも、私は自分が有為の人物であることを疑わず、

又我心の能く耐へんことをも深く信じたりき。嗚呼、彼も一時。
私の心がよく耐えるであろうことを深く信じていた。嗚呼、それも一瞬。

舟の横浜を離るるまでは、天晴(あつぱれ)豪傑と思ひし身も、
船が横浜を離れるまでは、天晴れ豪傑と思っていた我が身も、

せきあへぬ涙に手巾(しゆきん)を濡らしつるを我れながら怪しと思ひしが、
こらえきれない涙でハンカチを濡らしたのを我ながら怪しいと思ったが、

これぞなかなかに我本性なりける。
これこそ、どっちつかずに私の本性だったのだ。

説明 「せきあへぬ」の「せきあふ」(塞き敢ふ)は、涙などを塞き止めてもちこたえること。
    「なかなかに」は、現代では、相当になどよい意味で使われますが、古くは中途半端と悪い意味で使われていました。

此心は生れながらにやありけん、又早く父を失ひて母の手に育てられしによりてや生じけん。
この心は生まれながらなのだろうか、それとも早く父を失って母の手に育てられたから生じたのだろうか。

  

 かの人々の嘲るはさることなり。されど嫉むはおろかならずや。この弱くふびんなる心を。
 彼らが嘲るのはもっともなことだ。しかし嫉むのは愚かではないか。この弱く不憫な私の性格を。

  

 赤く白く面(おもて)を塗りて、赫然(かくぜん)たる色の衣を纏ひ、
 赤く白く顔を塗って、輝く色の衣装を纏い、

珈琲店に坐して客を延(ひ)く女を見ては、往きてこれに就かん勇気なく、
カフェに座って客を引く女を見ては、行ってこれに就こうという勇気もなく、

高き帽を戴き、眼鏡に鼻を挾ませて、プロシヤにては貴族めきたる鼻音にて物言ふ「レエベマン」を見ては、
高い帽子をかぶって、メガネに鼻ょ挟ませて、プロシアでは貴族のような鼻音で話す「道楽者」を見ては

往きてこれと遊ばん勇気なし。
行ってむこれと遊ぼうむという勇気もない。

説明 レエベマン(Lebemann)は、道楽者の意味ですが、ここではゲイボーイのことか。

此等の勇気なければ、彼活溌なる同郷の人々と交らんやうもなし。
これらの勇気がなければ、あの活発な同郷の人たちと交じわりようもない。

この交際の疎きがために、かの人々は唯余を嘲り、余を嫉むのみならで、又余を猜疑することとなりぬ。
この交際が疎いために、彼らはただ私を嘲り、うらむのみならず、私を猜疑することとなった。

これぞ余が冤罪を身に負ひて、暫時の間に無量の艱難を閲(けみ)し尽す媒(なかだち)なりける。
これが私が冤罪をこの身に負って、しばしの間に無量の艱難を見尽くす媒介となったのです。

  

 或る日の夕暮なりしが、余は獣苑を漫歩して、ウンテル・デン・リンデンを過ぎ、
 或る日の夕暮れでしたが、私は動物園を漫歩して、ウンテル・デン・リンデン大通りを過ぎ、

我がモンビシユウ街の僑居(けうきよ)に帰らんと、クロステル巷の古寺の前に来ぬ。
私のモンビシュー街の下宿に帰ろうと、クロステル街の古寺の前に来た。

余は彼の燈火の海を渡り来て、この狭く薄暗き巷(こうぢ)に入り、楼上の木欄(おばしま)に干したる敷布、
私はかのネオンの海を渡り来て、この狭く薄暗い街に入り、建物の木の手すりに干している敷布、

袢(はだぎ)などまだ取入れぬ人家、頬髭長きユダヤ教徒の翁が戸前(こぜん)に佇みたる居酒屋、
肌着などまだ取り入れていない人家や、頬髯の長いユダヤ教徒の老人が戸前に佇んでいる居酒屋、

一つの梯(はしご)は直ちに楼(たかどの)に達し、他の梯は窖(あなぐら)住まひの鍛冶が家に通じたる貸家などに向ひて、
一つの梯子はそのまま高殿に達し、他の梯子は穴蔵住まいの鍛冶屋の家に通じている借家などに向かって

凹字の形に引籠みて立てられたる、此三百年前の遺跡を望む毎に、
凹字の形に引っ込んで建てられた、この三百年前の遺跡を眺めるたびに、

心の恍惚となりて暫し佇みしこと幾度なるを知らず。
心が恍惚となってしばし佇んだことが何度あるかわからない。

  

 今この処を過ぎんとするとき、鎖(とざ)したる寺門の扉に倚りて、
 今この場所を通り過ぎようとするとき、閉ざした寺の門扉に寄りかかって、

声を呑みつつ泣くひとりの少女あるを見たり。
声を飲み込みながら泣く一人の少女がいるのを見た。

年は十六七なるべし。
年は16,17歳のようです。

被りし巾(きれ)を洩れたる髪の色は、薄きこがね色にて、着たる衣は垢つき汚れたりとも見えず。
被った頭巾から洩れた髪の毛の色は、薄い金髪で、着ている服は垢が付いたり汚れているようには見えない。

我足音に驚かされてかへりみたる面(おもて)、余に詩人の筆なければこれを写すべくもあらず。
私の足音に驚かされて振り返った顔は、私に詩人の筆がないので描写することができない。

この青く清らにて物問ひたげに愁を含める目(まみ)の、半ば露を宿せる長き睫毛に掩はれたるは、
この青く清らかで物問いたげに愁いを含んだ目が、半ば涙を宿した長い睫毛に覆われているのは、

何故に一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか。
なぜ一瞥しただけで、用心深い私の心の底まで貫き通したのか。

  

 彼は料らぬ深き歎きに遭ひて、前後を顧みる遑(いとま)なく、ここに立ちて泣くにや。
 彼女は推し量れない深い悲しみに遭って、前後を振り返る暇もなく、ここに立って泣くのだろうか。

わが臆病なる心は憐憫の情に打ち勝たれて、余は覚えず側に倚り、
私の臆病な心は、憐憫の情に打ち勝たれて、私は思わず傍に寄って

「何故に泣き玉ふか。ところに繋累なき外人(よそびと)は、却りて力を借し易きこともあらん。」
「なぜ泣いていらっしゃるのですか。この地に知り合いのない外人は、却って力を貸しやすいこともあるでしょう」

といひ掛けたるが、我ながらわが大胆なるに呆れたり。
と話しかけたが、我ながら自分の大胆であるのに呆れた。

  

 彼は驚きてわが黄なる面を打守りしが、我が真率なる心や色に形(あら)はれたりけん。
 彼女は驚いて私の黄色い顔を見守っていたが、私の真率な心が表情にあらわれたのでしょう。

「君は善き人なりと見ゆ。彼の如く酷くはあらじ。又また我母の如く。」
「あなたは善い人に見えます。彼のように酷くはないでしょう。また私の母のようにも。」

暫し涸れたる涙の泉は又溢れて愛らしき頬(ほ)を流れ落つ。
暫し涸れていた涙の泉はまた溢れて、愛らしい頬を流れ落ちた。

「我を救ひ玉へ、君。わが恥なき人とならんを。母はわが彼の言葉に従はねばとて、我を打ちき。
「私を救ってください、あなた。私が恥知らずの人間となるのを。母は私が彼の言葉に従わないといって、私を打ちました。

父は死にたり。明日は葬らではかなはぬに、家に一銭の貯(たくはへ)だになし。」
父は死にました。明日は葬らなくてはいけないのに、家に一銭のたくわえもないのです。」

  

 跡は欷歔(ききよ)の声のみ。
 後はすすり泣く声のみ。

我眼(まなこ)はこのうつむきたる少女の顫(ふる)ふ項(うなじ)にのみ注がれたり。
私の眼は、このうつむいた少女の震えるうなじにのみ注がれた。

「君が家(や)に送り行かんに、先づ心を鎮(しづ)め玉へ。声をな人に聞かせ玉ひそ。ここは往来なるに。」
「あなたの家に送って行こうに、先ず心を鎮めなさい。泣き声を人に聞かせてはいけません。ここは往来なので。」

彼は物語するうちに、覚えず我肩に倚りしが、この時ふと頭(かしら)を擡(もた)げ、
彼女は話をするうちに、思わず私の肩に寄り添ったが、この時ふと頭をもたげ、

又始てわれを見たるが如く、恥ぢて我側を飛びのきつ。
また初めて私を見たかのように、恥ずかしがって私の傍から飛びのいた。

  

 人の見るが厭はしさに、早足に行く少女の跡に附きて、
 人が見ることの厭わしさに、足早にすすむ少女のあとに続いて、

寺の筋向ひなる大戸を入れば、欠け損じたる石の梯あり。
寺の筋向いにある大戸を入ると、欠け損じた石の階段がある。

これを上ぼりて、四階目に腰を折りて潜るべき程の戸あり。
これを上って、四階目に、腰を折って潜らないといけない程のドアがある。

少女はさびたる針金の先きを捩(ね)ぢ曲げたるに、手を掛けて強く引きしに、
少女はさびた針金の先を捻じ曲げてあるのに、手を掛けて強く引いたところ、

中には咳枯(しはが)れたる老媼(おうな)の声して、「誰(た)ぞ」と問ふ。
中にはしわがれた老婆の声がして、「誰」と問う。

エリス帰りぬと答ふる間もなく、戸をあららかに引開けしは、
エリスが帰ったと答える間もなく、ドアを荒々しく引き開けたのは、

半ば白みたる髪、悪しき相にはあらねど、貧苦の痕を額(ぬか)に印せし面の老媼にて、
半ば白くなった髪、悪い人相ではないが、貧苦の跡を額に刻んだ顔の老婆で、

古き獣綿の衣を着、汚れたる上靴を穿きたり。
古いラシャの衣服を着て、汚れた上靴を履いていた。

エリスの余に会釈して入るを、かれは待ち兼ねし如く、戸を劇しくたて切りつ。
エリスが私に会釈して入るのを、彼女は待ちかねたように、戸を激しく閉めた。

  

 余は暫し茫然として立ちたりしが、ふとラムプの光に透して戸を見れば、
 私はしばし茫然として立っていたが、ふとランプの光に透かして戸を見ると、

エルンスト・ワイゲルトと漆もて書き、下に仕立物師と注したり。
エルンスト・ワイゲルトと漆で書かれ、その下に仕立物師と注がついていた。

これすぎぬといふ少女が父の名なるべし。
これは死んだという少女の父の名前なのでしょう。

内には言ひ争ふごとき声聞えしが、又静になりて戸は再び明きぬ。
中には言い争うような声が聞こえたが、また静かになって戸が再び開いた。

さきの老媼は慇懃におのが無礼の振舞せしを詫びて、余を迎へ入れつ。
さきの老婆は、慇懃に自分が無礼に振舞ったのを詫びて、私をなかに迎い入れた。

戸の内は厨(くりや)にて、右手(めて)の低きに、真白に洗ひたる麻布を懸けたり。
戸の中は台所で、右手の低いところに、真っ白に洗った麻布を掛けていた。

左手(ゆんで)には粗末に積上げたる煉瓦の竈(かまど)あり。
左手には粗末に積み上げた煉瓦のかまどがある。

正面の一室の戸は半ば開きたるが、内には白布を掩へる臥床(ふしど)あり。
正面の一室の戸は半ば開いているが、中には白布で覆った寝台がある。

伏したるはなき人なるべし。竈(かまど)の側なる戸を開きて余を導きつ。
伏しているのは亡き人なのでしょう。かまどの傍の戸を開いて私を導いた。

この処は所謂「マンサルド」の街に面したる一間なれば、天井もなし。
この場所はいわゆる屋根裏部屋で、街に面した一室なので、天井もない。

隅の屋根裏よりに窓に向ひて斜に下れる梁を、紙にて張りたる下の、立たば頭(かしら)の支(つか)ふべき処に臥床あり。
隅の屋根裏から窓に向かって斜めに下がる梁を、紙で張ったその下の、立てば頭がつかえそうな場所に寝台がある。

中央なる机には美しき氈(かも)を掛けて、上には書物一二巻と写真帖とを列ならべ、
中央にあるテーブルには美しいテーブルクロスが掛けられ、上には書物が一二冊とアルバムが並べられ

陶瓶(たうへい)にはここに似合はしからぬ価(あたひ)高き花束を生けたり。
花瓶にはここに似合わしくない高価な花束をいけている。

そが傍に少女は羞(はぢ)を帯びて立てり。
その傍らに、少女は恥じらいを帯びて立っている。

  

 彼は優れて美なり。
 彼女は、優れて美しい。

乳(ち)の如き色の顔は燈火に映じて微紅(うすくれなゐ)を潮(さ)したり。
牛乳のような色の顔は灯火に映じて薄くれない色をさしている。

手足の繊(かぼそ)くたをやかなるは、貧家の女に似ず。
手足のか細くたおやかなのは、貧家の女性のようではない。

老媼の室(へや)を出でし跡にて、少女は少し訛りたる言葉にて云ふ。
老婆が部屋を出た後に、少女は少し訛った言葉で言う。

「許し玉へ。君をここまで導きし心なさを。君は善き人なるべし。我をばよも憎み玉はじ。
「許してください。あなたをここまで連れてきた心無さを。あなたは良い人のようです。私をばまさか憎まないでしょう。

明日に迫るは父の葬(はふり)、たのみに思ひしシヤウムベルヒ、君は彼を知らでやおはさん。
明日に迫る父の葬式、頼みに思ったシャウムベルヒ、あなたは彼をご存じないでしょうが。

彼は「ヰクトリア」座の座頭なり。
彼はヴィクトリア座の座長です。

彼が抱(かか)へとなりしより、早や二年なれば、事なく我等を助けんと思ひしに、
彼のお抱えとなってから早二年になるので、何事もなく私たちを助けるだろうと思ったのに、

人の憂に附けこみて、身勝手なるいひ掛けせんとは。
人の悲しみにつけこんで、身勝手な言いがかりをするとは。

説明 「かかえ」は、雇われること。お抱えの運転手。

我を救ひ玉へ、君。金をば薄き給金を析(さ)きて還し参らせん。
私を救ってください、あなた。お金は少ない給金をさいてお返しいたします。

縦令(よしや)我身は食はずとも。それもならずば母の言葉に。」彼は涙ぐみて身をふるはせたり。
たとえ私は食べなくとも。それもできなければ、母の言葉に(従うしか)」 彼女は涙ぐんで、身を震わせている。

その見上げたる目(まみ)には、人に否とはいはせぬ媚態あり。
その見上げた目には、人に否とはいわせない媚態がある。

この目の働きは知りてするにや、又自らは知らぬにや。
この目の働きは知っていてするのだろうか。それとも自分では知らないのだろうか。

  

 我が隠しには二三「マルク」の銀貨あれど、それにて足るべくもあらねば、余は時計をはづして机の上に置きぬ。
 私の内ポケットには二三マルクの銀貨はあるが、それで足りるはずもないので、私は時計をはずして机の上に置いた。

「これにて一時の急を凌ぎ玉へ。
「これにて一時の急をしのいでください。

質屋の使のモンビシユウ街三番地にて太田と尋ね来ん折には価を取らすべきに。」
質屋の使いがモンビシュー街三番地の太田と尋ねて来た折には、代価を取らせましょうに。」

  

 少女は驚き感ぜしさま見えて、余が辞別(わかれ)のために出したる手を唇にあてたるが、
 少女は驚き感動した様子で、私が別れのために出した手を唇にあてたけれども、

はらはらと落つる熱き涙を我手の背(そびら)に濺(そそ)ぎつ。
はらはらと落ちる熱い涙を私の手の甲に注いだ。

  

 嗚呼、何等の悪因ぞ。
 ああ、なんと悪い因縁だろうか。

この恩を謝せんとて、自ら我僑居(けうきよ)に来し少女は、シヨオペンハウエルを右にし、シルレルを左にして、
この恩にお礼しようと、自ら私の下宿に来た少女は、ショーペンハウエルを右に、シルレルを左にして

終日(ひねもす)兀坐(こつざ)する我読書の窓下(さうか)に、一輪の名花を咲かせてけり。
終日じっと座っている私の読書の窓の下に、一輪の美しい花を咲かせたのです。

この時を始として、余と少女との交(まじはり)漸く繁くなりもて行きて、同郷人にさへ知られぬれば、
この時を初めとして、私と少女の交際はだんだん頻繁になっていって、同郷の人にさえ知られたので、

彼等は速了(そくれう)にも、余を以て色を舞姫の群に漁するものとしたり。
彼らは早合点して、私をもって色を舞姫の群れに漁るものとしたのです。

説明 「もていく」は、しだいに〜していく、だんだん〜になる。という意味です。

われ等二人の間にはまだ痴がいなる歓楽のみ存したりしを。
われら二人の間にはまだ幼く たあいのない快楽しかなかったのに。

  

 その名を斥(さ)さんは憚(はばかり)あれど、同郷人の中に事を好む人ありて、
 その名前を指すのははばかりがあるが、同郷人の中に事件を好む人がいて、

余がしばしば芝居に出入して、女優と交るといふことを、官長の許に報じつ。
私がしばしば芝居に出入りして、女優と交際するということを、官長に報告した。

さらぬだに余が頗(すこぶ)る学問の岐路に走るを知りて憎み思ひし官長は、
そうでなくとも私が頻繁に学問の岐路に走るのを知って憎く思っていた上司は、

遂に旨を公使館に伝へて、我官を免じ、我職を解いたり。
ついにその旨を公使館に伝えて、私の官を免じ、職を解いたのです。

公使がこの命を伝ふる時余に謂ひしは、御身若し即時に郷に帰らば、路用を給すべけれど、
公使がこの命令を伝える時私に言ったのは、御身もし即時に故郷に帰るなら、旅費を支給しましょうが、

若し猶ここに在らんには、公の助をば仰ぐべからずとのことなりき。
もしなおここに留まるのであれば、公の補助を仰いではいけないとのことでした。

余は一週日の猶予を請ひて、とやかうと思ひ煩ふうち、我生涯にて尤も悲痛を覚えさせたる二通の書状に接しぬ。
私は一週間の猶予を願って、とやかく思い煩っていると、私の生涯にて最も悲痛を覚えさせた二通の手紙を手にした。

この二通は殆ど同時にいだししものなれど、一は母の自筆、一は親族なる某が、
この二通は殆ど同時に出したものだが、一通は母の自筆、一通は親族のなにがしが、

母の死を、我がまたなく慕ふ母の死を報じたる書(ふみ)なりき。
母の死を、私がこのうえなく慕っている母の死を報じた手紙でした。

余は母の書中の言をここに反覆するに堪へず、涙の迫り来て筆の運(はこび)を妨ぐればなり。
私は母の手紙の中の言葉をここに反復することはできない、涙が迫ってきて筆のはこびを妨げるからです。

  

 余とエリスとの交際は、この時までは余所目に見るより清白なりき。
 私とエリスの交際は、この時まではよそ目に見るよりも潔白でした。

彼は父の貧きがために、充分なる教育を受けず、十五の時舞の師のつのりに応じて、
彼女は父の貧しいがために、十分な教育を受けず、十五のとき舞の先生の募集に応じて、

この恥づかしき業を教へられ、「クルズス」果てて後、「ヰクトリア」座に出でゝ、
この恥ずかしい踊りを教えられ、講習が終わってのち、ヴィクトリア座に出て、

今は場中第二の地位を占めたり。
今は劇場中第二の地位を占めている。

されど詩人ハツクレンデルが当世の奴隷といひし如く、はかなきは舞姫の身の上なり。
しかし詩人ハックレンダーが現代の奴隷と言ったように、はかないのは舞姫の身の上です。

薄き給金にて繋がれ、昼の温習、夜の舞台と緊しく使はれ、
少ない給金にて繋がれ、昼の稽古、夜の舞台と厳しく使われ、

芝居の化粧部屋に入りてこそ紅粉をも粧ひ、美しき衣をも纏へ、
芝居の化粧部屋に入ってこそ化粧もし、美しい衣服を纏うが、

場外にてはひとり身の衣食も足らず勝なれば、
場外では一人分の衣食も足らず勝ちなので、

親腹からを養ふものはその辛苦いかにぞや。
親兄弟を養うものはその辛苦どれくらいでしょう。

されば彼等の仲間にて、賤しき限りなる業に堕ちぬは稀なりとぞいふなる。
ですから彼らの仲間で、卑しい限りの生業に落ちないものは希であるという。

エリスがこれをのがれしは、おとなしき性質と、剛気ある父の守護とに依りてなり。
エリスがこれを逃れたのは、おとなしい性質と、剛気ある父の守護とによってなのです。

彼は幼き時より物読むことをばさすがに好みしかど、
彼女は幼い時から物を読むことをさすがに好んだけれども、

手に入るは卑しき「コルポルタアジユ」と唱ふる貸本屋の小説のみなりしを、
手に入るのは卑しいコルポルタージュと呼ばれる貸本屋の小説のみだったのを

余と相識る頃より、余が借しつる書を読みならひて、漸く趣味をも知り、言葉の訛も正し、
私と知り合った頃から、私が貸した本を読み習って、ようやく趣味を知り、言葉の訛りも正し、

いくほどもなく余に寄するふみにも誤字少なくなりぬ。
間もなく私に寄せる手紙にも誤字が少なくなった。

かかれば余等二人の間には先づ師弟の交りを生じたるなりき。
このように私たち二人の間には、先ず師弟の関係が生じたのです。

我が不時の免官を聞きしときに、彼は色を失ひつ。
私の不意の免官を聞いたとき、彼女は顔色を失った。

余は彼が身の事に関りしを包み隠しぬれど、彼は余に向ひて母にはこれを秘め玉へと云ひぬ。
私は彼女の身の上に関したことを包み隠したけれど、彼女は私に向かって母にはこのことを黙っていてくださいと言った。

こは母の余が学資を失ひしを知りて余を疎んぜんを恐れてなり。
これは彼女の母が私が学費を失ったことを知って私を疎んじるであろうことを恐れてなのです。

  

 嗚呼、委(くはし)くここに写さんも要なけれど、余が彼を愛(め)づる心の俄に強くなりて、
 ああ、詳しくはここに写そうも必要ないが、私が彼女を愛する心がにわかに強くなって、

遂に離れ難き中となりしは此折なりき。
ついに離れ難い仲となったのはこの時でした。

我一身の大事は前に横(よこたは)りて、洵(まこと)に危急存亡の秋(とき)なるに、
私一身の大事は目前に横たわって、まことに危急存亡のときなのに、

この行(おこなひ)ありしをあやしみ、又た誹る人もあるべけれど、余がエリスを愛する情は、
この行いがあったのを怪しみ、また誹る人もあるでしょうが、私がエリスを愛する情は、

始めて相見し時よりあさくはあらぬに、いま我数奇(さくき)を憐み、又別離を悲みて伏し沈みたる面に、
初めて相見たときより浅くはないが、いま私の不幸を憐れみ、また別離を悲しんで伏し沈んだ顔に、

鬢(びん)の毛の解けてかかりたる、その美しき、いぢらしき姿は、
髪の鬢の毛がほどけてかかった、その美しく、いじらしい姿は、

余が悲痛感慨の刺激によりて常ならずなりたる脳髄を射て、
私が悲痛感慨の刺激により常とは異なってしまった脳髄を射て、

恍惚の間にここに及びしをいかにせむ。
恍惚の間にここまで及んでしまったのをどうすればいいのだろうか。

  

 公使に約せし日も近づき、我命(めい)はせまりぬ。
 公使に約束した日も近づき、私の運命は迫ってきた。

このままにて郷にかへらば、学成らずして汚名を負ひたる身の浮ぶ瀬あらじ。
このままにて故郷にかへれば、学成らずして汚名を負った身の浮かぶ瀬はないでしょう。

さればとて留まらんには、学資を得べき手だてなし。
かといって留まろうにも、学費を得ることのできる手立てはない。

  

 この時余を助けしは今我同行の一人なる相沢謙吉なり。
 この時私を助けたのは、いま私の同行の一人である相沢謙吉です。

彼は東京に在りて、既に天方伯の秘書官たりしが、余が免官の官報に出でしを見て、
彼は東京にいて、すでに天方伯爵の秘書官であったが、私の免官が官報に出たのをみて、

某新聞紙の編輯長に説きて、余を社の通信員となし、ベルリンに留まりて政治学芸の事などを報道せしむることとなしつ。
某新聞紙の編集長を説いて、私を社の通信員とし、ベルリンに留まって政治学芸の事などを報道させることにしたのです。

  

 社の報酬はいふに足らぬほどなれど、棲家をもうつし、
 会社の報酬は言うに足らぬほどだが、住居も移し、

午餐(ひるげ)に往く食店(たべものみせ)をもかへたらんには、微なる暮しは立つべし。
昼食に行く食堂も変えたならば、僅かな暮らしは立つでしょう。

とかう思案する程に、心の誠を顕はして、助の綱をわれに投げ掛けしはエリスなりき。
とこう考えているときに、心の誠をあらわして、助けの綱を投げかけたのはエリスでした。

かれはいかに母を説き動かしけん、余は彼等親子の家に寄寓することとなり、
彼女はどのように母を説得したのか、私は彼ら親子の家に寄寓することとなり、

エリスと余とはいつよりとはなしに、有るか無きかの収入を合せて、憂きがなかにも楽しき月日を送りぬ。
エリスと私とはいつからともなく、あるかないかの収入を合わせて、辛いなかにも楽しい月日を送ったのです。

  

 朝の珈琲果つれば、彼は温習に往き、さらぬ日には家に留まりて、
 朝の珈琲が終わると、彼女は稽古に行き、そうでない日には家に留まって、

余はキヨオニヒ街の間口せまく奥行のみいと長き休息所に赴き、あらゆる新聞を読み、
私はキョーニヒ街の間口が狭く奥行きのみ非常に長い休憩所に赴いて、あらゆる新聞を読み、

鉛筆取り出でて彼此と材料を集む。
鉛筆を取り出して、あれこれと材料を集める。

この截り開きたる引窓より光を取れる室にて、定りたる業なき若人、
この開いた引き窓から光を取った部屋にて、定まった職業のない若人、

多くもあらぬ金を人に借して己れは遊び暮す老人、取引所の業の隙をぬすみて足を休むる商人などとひぢを並べ、
多くもない金を人に貸して自分は遊び暮らす老人、取引所の仕事の暇を盗んで足を休める商人などと肘を並べ、

冷なる石卓(いしづくゑ)の上にて、忙(いそが)はしげに筆を走らせ、小をんなが持て来る一盞(ひとつき)の珈琲の冷むるをも顧みず、
冷たい石テーブルの上にて忙しそうに筆を走らせ、ウェイトレスが持ってくる一杯の珈琲の冷めるのも顧みず、

明きたる新聞の細長き板ぎれに挿みたるを、幾種(いくいろ)となく掛け聯(つら)ねたるかたへの壁に、
空いている新聞の細長い板ぎれに挿んでいるのを、幾種類となく掛け連ねた片側の壁に、

いく度となく往来(ゆきき)する日本人を、知らぬ人は何とか見けん。
いく度となく行き来する日本人を、知らない人は何と見たでしょう。

又一時近くなるほどに、温習に往きたる日には返り路によぎりて、
また一時近くになると、稽古に行った日には、帰り道に立ち寄って、

余と倶に店を立出づるこの常ならず軽き、掌上の舞をもなしえつべき少女を、怪み見送る人もありしなるべし。
私とともに店を出るこの普通でなく軽く、掌上の舞をもできそうな少女を、怪しみ見送った人もあったでしょう。

  

 我学問は荒(すさ)みぬ。
 私の学問はすさんでしまった。

屋根裏の一燈微に燃えて、エリスが劇場よりかへりて、椅(いす)に寄りて縫ものなどする側の机にて、
屋根裏の一灯が微かに燃えて、エリスが劇場から帰って、椅子に座って縫い物などをする傍らの机にて、

余は新聞の原稿を書けり。
私は新聞の原稿を書いた。

昔しの法令条目の枯葉を紙上に掻寄しとは殊にて、今は活溌々たる政界の運動、文学美術に係る新現象の批評など、
昔の法令条目の枯葉を紙上にかき寄せたのとは違って、今は活発な政界の運動、文学芸術に係る新現象の批評など、

彼此と結びあはせて、力の及ばん限り、ビヨルネよりは寧ろハイネを学びて思を構へ、
かれこれと結びあわせて、力の及ぶ限り、ビョーネよりはむしろハイネを学んで考えを作り、

様々の文を作りし中にも、引続きてヰルヘルム一世とフレデリツク三世との崩そありて、
様々な文を作った中にも、引き続いてウィルヘルム一世とフレデリック三世との崩御があって、

新帝の即位、ビスマルク侯の進退如何などの事に就ては、ことさらに詳かなる報告をなしき。
新帝の即位、ビスマルク候の進退いかんなどの事については、ことさらに詳細な報告をした。

さればこの頃よりは思ひしよりも忙はしくして、多くもあらぬ蔵書を繙き、旧業をたづぬることも難く、
さればこの頃よりは思ったよりも忙しくして、多くも無い蔵書をひもとき、旧業を訪ねることも難しく、

大学の籍はまだ刪られねど、謝金を収むることの難ければ、唯だ一つにしたる講筵だに往きて聴くことは稀なりき。
大学の籍はまだ削られないが、謝金を納めることが難しいので、ただ一つにした講義すら行って聴くことは希でした。

  

 我学問は荒(すさ)みぬ。
 私の学問は荒んでしまった。

されど余は別に一種の見識を長じき。
しかし私は別に一種の見識を伸ばした。

そをいかにといふに、およそ民間学の流布したることは、欧洲諸国の間にて独逸に若(し)くはなからん。
それは何かというと、およそ民間学が流布していることは、欧州諸国の間にて、ドイツに及ぶものはないだろう。

幾百種の新聞雑誌に散見する議論には頗る高尚なるもの多きを、余は通信員となりし日より、
何百種の新聞雑誌に散見する議論には非常に高尚なものが多いが、私は通信員となった日から、

曾て大学に繁く通ひし折、養ひ得たる一隻の眼孔もて、読みては又読み、写しては又写す程に、
かつて大学にし繁く通ったとき、養うことのできた一隻の眼孔をもって、読んではまた読み、書き写しては書き写すほどに、

今まで一筋の道をのみ走りし知識は、自ら綜括的になりて、
今まで一本の道をのみ走った知識は、おのずと総括的になって、

同郷の留学生などの大かたは、夢にも知らぬ境地に到りぬ。
同郷の留学生などの大方は、夢にも知らない境地に至ったのです。

説明 一隻の眼孔 ものを見抜く力のある眼識のこと。隻眼は、片目

彼等の仲間には独逸新聞の社説をだに善くはえ読まぬがあるに。
彼らの仲間にはドイツの新聞の社説さえ良く読めない者がいるのに。

  

 明治廿一年の冬は来にけり。
 明治21年の冬が来たのです。

表街の人道にてこそ沙(すな)をも蒔け、すきをも揮(ふる)へ、クロステル街のあたりは凸凹坎珂(かんか)の処は見ゆめれど、
表通りの歩道にてこそ砂をも蒔け、鍬をも揮え、クロステル街のあたりは凸凹の歩きにくい所が見えるようだけれど、

表のみは一面に氷りて、朝に戸を開けば飢ゑ凍えし雀の落ちて死にたるも哀れなり。
表面のみは一面に凍って、朝に戸を開けると飢え凍えた雀が落ちて死んでいるのも哀れです。

説明 「見ゆめれど」は、動詞「見ゆ」の終止形+推量の助動詞「めり」の已然形「めれ」+助詞「ど」なので、見えるようだけれどという意味になります。

室(へや)を温め、竈に火を焚きつけても、壁の石を徹(とほ)し、衣の綿を穿つ北欧羅巴の寒さは、なかなかに堪へがたかり。
部屋を暖め、かまどに火を焚きつけても、壁の石を通して、衣服の綿を穿つ北ヨーロッパの寒さは、なかなかに耐え難たかった。

エリスは二三日前の夜、舞台にて卒倒しつとて、人に扶けられて帰り来しが、
エリスは二三日前の夜、舞台にて卒倒したとて、人に助けられて帰り来たが、

それより心地あしとて休み、もの食ふごとに吐くを、悪阻といふものならんと始めて心づきしは母なりき。
それから心地が悪いとして休み、ものを食べるごとに吐くを、悪阻というものでしょうと初めて気づいたのは母でした。

嗚呼、さらぬだに覚束なきは我身の行末なるに、若し真なりせばいかにせまし。
ああ、そうでなくとも覚束ないのは我が身の行く末なのに、もし本当ならばどうしたらいいのだろう。

  

 今朝は日曜なれば家に在れど、心は楽しからず。
 今朝は日曜なので家にいるが、心は楽しくない。

エリスは床に臥すほどにはあらねど、ちさき鉄炉の畔(ほとり)に椅子さし寄せて言葉寡し。
エリスは床に横たわるほどにはないが、小さいストーブの辺に椅子をさし寄せて言葉が少ない。

この時戸口に人の声して、程なく庖厨(はうちゆう)にありしエリスが母は、郵便の書状を持て来て余にわたしつ。
この時戸口に人の声がして、程なく台所にいたエリスの母が、郵便の書状を持って私に渡した。

見れば見覚えある相沢が手なるに、郵便切手はプロシヤのものにて、消印にはベルリンとあり。
見れば見覚えある相沢の手であるが、郵便切手はプロシアのもので、消印にはベルリンとある。

訝(いぶか)りつつも披(ひら)きて読めば、とみの事にて預(あらかじ)め知らするに由なかりしが、
いぶかりつつも開いて読むと、急の事にて予め知らせるに手段がなかったが、

昨夜(よべ)ここに着せられし天方大臣に附きてわれも来たり。
昨夜ここに到着された天方大臣について私も来ました。

伯の汝を見まほしとのたまふに疾く来よ。
伯爵があなたを見たいとおっしゃるので、急いで来い。

汝が名誉を恢復するも此時にあるべきぞ。
あなたの名誉を回復するのもこの時であるでしょうぞ。

心のみ急がれて用事をのみいひ遣るとなり。
気持ちだけ急がれて、用事のみ言ってよこすとある。

読み畢(をは)りて茫然たる面もちを見て、エリス云ふ。
読み終わって茫然とした顔つきを見て、エリスが言う。

「故郷よりの文なりや。悪しき便(たより)にてはよも。」
「故郷からの手紙ですか。まさか悪いたよりではないでしょうね。」

彼は例の新聞社の報酬に関する書状と思ひしならん。
彼女は例の新聞社の報酬に関する書状と思ったのであろう。

「否、心にな掛けそ。おん身も名を知る相沢が、大臣と倶にここに来てわれを呼ぶなり。
「いや、気にするな。おまえも名前を知っている相沢が、大臣とともにここに来て私を呼んでいるのだ。

急ぐといへば今よりこそ。」
急ぐというので今から。」

  

 かはゆき独り子を出し遣る母もかくは心を用ゐじ。
 かわいい独り子を送り出す母もこんなには気を使わないだろう。

大臣にまみえもやせんと思へばならん、エリスは病をつとめて起ち、上襦袢も極めて白きを撰び、
大臣にお目にかかるかもしれないと思うからなのでしょう、エリスは病をおして立ち、ワイシャツも極めて白いのを選び、

丁寧にしまひ置きし「ゲエロツク」といふ二列ぼたんの服を出して着せ、襟飾りさへ余が為めに手づから結びつ。
丁寧にしまっておいたフロックコートという二列ボタンの服を出して着せ、ネクタイをさえ私のために手ずから結んだ。

「これにて見苦しとは誰れも得言はじ。我鏡に向きて見玉へ。
「これで見苦しいとは誰もいえないでしょう。私の鏡に向いてみてください。

何故にかく不興なる面もちを見せ玉ふか。
どうしてそんなに面白くなさそうな顔をなさるのか。

われも諸共に行かまほしきを。」
私も一緒に行きたいくらいなのに。」

少し容(かたち)をあらためて。「否、かく衣を更め玉ふを見れば、何となくわが豊太郎の君とは見えず。」
少し容姿を改めて。「いや、こんなに洋服が改まっていらっしゃるのを見ると、何となく私の豊太郎の君とは見えないわ。」

又た少し考へて。「よしや富貴になり玉ふ日はありとも、われをば見棄て玉はじ。
また少し考えて。「もしお金持ちにおなりになる日があっても、私を見捨てないでください。

我病は母の宣ふ如くならずとも。」
私の病気は母がおっしゃるよう(に妊娠)でなくても。」

  

「何、富貴。」余は微笑しつ。
「なに、金持ちだって。」私は微笑した。

「政治社会などに出でんの望みは絶ちしより幾年をか経ぬるを。大臣は見たくもなし。
「政治社会などに出ようという望みは絶ってから何年かを経たというのに。大臣はあいたくもない。

唯年久しく別れたりし友にこそ逢ひには行け。」
ただ久しく別れていた友達にこそ会いに行くんだ。」

エリスが母の呼びし一等「ドロシユケ」は、輪下にきしる雪道を窓の下まで来ぬ。
エリスの母が呼んだ一等馬車は、車輪の下で軋む雪道を窓の下まで来た。

余は手袋をはめ、少し汚れたる外套を背に被ひて手をば通さず帽を取りてエリスに接吻して楼(たかどの)を下りつ。
私は手袋をはめ、少し汚れた外套を背中に被って手を通さず帽子を取ってエリスに接吻して、建物を下りた。

彼は凍れる窓を明け、乱れし髪を朔風(さくふう)に吹かせて余が乗りし車を見送りぬ。
彼女は凍った窓を開け、乱れた髪を北風になびかせて、私が乗った馬車を見送った。

  

 余が車を下りしは「カイゼルホオフ」の入口なり。
 私が馬車を降りたのはカイザー・ホーフ・ホテルの入り口です。

門者(かどもり)に秘書官相沢が室の番号を問ひて、久しく踏み慣れぬ大理石の階(はしご)を登り、
門番に秘書官相沢の部屋の番号を問うて、久しく踏み慣れていない大理石の階段を登り、

中央の柱に「プリユツシユ」を被へる「ゾフア」を据ゑつけ、正面には鏡を立てたる前房に入りぬ。
中央の柱にビロードの布を被せたソファを据え付け、正面には鏡を立てた次の間に入った。

外套をばここにて脱ぎ、廊(わたどの)をつたひて室の前まで往きしが、余は少し躊躇したり。
外套をばここにて脱ぎ、廊下をつたって部屋の前まで行ったが、私は少し躊躇した。

同じく大学に在りし日に、余が品行の方正なるを激賞したる相沢が、けふはいかなる面もちして出迎ふらん。
同じく大学にいたときに、私が品行方正なのを激賞した相沢が、今日はいかなる顔つきで出迎えるだろう。

室に入りて相対して見れば、形こそ旧に比ぶれば肥えて逞ましくなりたれ、
部屋に入って相対して見ると、体形こそ昔に比べれば肥えてたくましくなっており、

依然たる快活の気象、我失行をもさまで意に介せざりきと見ゆ。
依然として快活な気性、私の失敗の行いをもそこまで意に介しなかったと見える。

別後の情を細叙するにもいとまあらず、引かれて大臣に謁し、
別れた後のことを細かく話す時間もなく、導かれて大臣に謁見し、

委托せられしは独逸語にて記せる文書の急を要するを飜訳せよとの事なり。
委託されたのはドイツ語にて書かれた文書の緊急のものを翻訳せよとのことでした。

余が文書を受領して大臣の室を出でし時、相沢は跡より来て余と午餐(ひるげ)を共にせんといひぬ。
私が文書を受領して大臣の部屋を出たとき、相沢は後から来て、私と昼食を一緒にしようと言った。

  

 食卓にては彼多く問ひて、我多く答へき。
 食卓では彼がたくさんと問うて、私がたくさん答えた。

彼が生路は概ね平滑なりしに、轗軻(かんか)数奇(さくき)なるは我身の上なりければなり。
彼の人生は概ね平滑だったのに、不運で数奇なのは私の身の上だったからです。

  

 余が胸臆を開いて物語りし不幸なる閲歴を聞きて、かれはしばしば驚きしが、
 私が胸襟を開いて物語った不幸な履歴を聞いて、彼はしばしば驚いたが、

なかなかに余を譴(せ)めんとはせず、却りて他の凡庸なる諸生輩を罵りき。
なかなかに私を責めようとはせず、却って他の凡庸な諸先輩をののしった。

されど物語の畢(お)はりしとき、彼は色を正して諫むるやう、
しかし物語の終わったとき、彼は表情を正して諌めるには、

この一段のことは素(も)と生れながらなる弱き心より出でしなれば、今更に言はんも甲斐なし。
この一連のことは元々生まれながらの弱い心から出たことなので、今更に言っても甲斐がない。

とはいへ、学識あり、才能あるものが、いつまでか一少女の情にかかづらひて、目的なき生活(なりはひ)をなすべき。
とはいえ、学識があり、才能があるものが、いつまで一少女の情愛にかかずらって、目的の無い生活をしようというのか。

今は天方伯も唯だ独逸語を利用せんの心のみなり。
今は天方伯爵もただドイツ語を利用しようとの心だけです。

おのれもまた伯が当時の免官の理由を知れるが故に、しひてその成心を動かさんとはせず、
自分もまた伯爵が当時の免官の理由を知っているが故に、しいてその先入観を動かそうとはしない、

伯が心中にて曲庇者(きよくひもの)なりなんど思はれんは、朋友に利なく、おのれに損あればなり。
伯爵が心の中で(私が)事実を曲げて人を庇おうとする者なんだなあと思われては、朋友に利がなく、自分に損となるからです。

説明 「曲庇」は、事実を曲げて、人を庇(かば)うこと

人を薦(すす)むるは先づ其能を示すにしかず。
人を推薦するには、まずその能力を示すほうがいい。

これを示して伯の信用を求めよ。
これを示して伯爵の信用を求めなさい。

又かの少女との関係は、よしや彼に誠ありとも、よしや情交は深くなりぬとも、
またかの少女との関係は、もし彼女に誠意があっても、もし情交が深くなっていても、

人材を知りてのこひにあらず、慣習といふ一種の惰性より生じたる交なり。
人材を知っての恋ではなく、慣習という一種の惰性により生じた交際である。

意を決して断てと。
意を決してやめろと。

これその言(こと)のおほむねなりき。
これが彼の言葉のおおむねでした。

  

 大洋に舵を失ひしふな人が、遙なる山を望む如きは、相沢が余に示したる前途の方鍼(はうしん)なり。
 大洋に舵を失った船人が、遥かな山を望むようなことが、相沢が私にしめした前途の方針です。

されどこの山は猶ほ重霧の間に在りて、いつ往きつかんも、
しかしこの山はなお深い霧の間にあって、いつ行き着くかも、

否、果して往きつきぬとも、我中心に満足を与へんも定かならず。
いや、果たして行き着いたとしても、私の中心に満足を与えるかも、定かではない。

貧きが中にも楽しきは今の生活(なりはひ)、棄て難きはエリスが愛。
貧しい中にも楽しいのは今の生活です、棄てがたいのはエリスの愛です。

わが弱き心には思ひ定めんよしなかりしが、しばらく友の言(こと)に従ひて、この情縁を断たんと約しき。
私の弱い心には思い定める方法はなかったが、しばらくは友の言葉に従って、この情縁を絶とうと約束した。

余は守る所を失はじと思ひて、おのれに敵するものには抗抵すれども、友に対して否とはえ対(こた)へぬが常なり。
私は守る場所を失うまいと思って、自分に敵対するものには抵抗するが、友人に対してはいやとは答えられないのが常です。

  

 別れて出づれば風面(おもて)を撲(う)てり。
 別れて出ると、風が顔面をうった。

二重のガラスを緊しく鎖して、大いなる陶炉に火を焚きたる「ホテル」の食堂を出でしなれば、
二重のガラス窓を厳しく閉ざして、大きな暖炉に火を焚いたホテルの食堂を出たところなので、

薄き外套を透る午後四時の寒さは殊さらに堪へ難く、膚(はだ)へ粟立(あはだ)つと共に、
薄い外套を貫く午後四時の寒さはことさらに耐え難く、鳥肌が立つとともに、

余は心の中に一種の寒さを覚えき。
私は心の中に一種の寒さを覚えた。

  

 飜訳は一夜になし果てつ。
 翻訳は一夜になし終えた。

「カイゼルホオフ」へ通ふことはこれより漸く繁くなりもて行く程に、初めは伯の言葉も用事のみなりしが、
カイザーホーフ・ホテルへ通うことは、これより漸く頻繁になってゆくうちに、初めは伯爵の言葉も用事のみでしたが

後にはちかごろ故郷にてありしことなどを挙げて余が意見を問ひ、
後には近頃故郷であった事などを挙げて私の意見を問い、

折に触れては道中にて人々の失錯ありしことどもを告げて打笑ひ玉ひき。
折に触れては道中で人々が失敗したことなどを告げてお笑いになった。

  

 一月ばかり過ぎて、或る日伯は突然われに向ひて、
 一月ばかり過ぎて、ある日伯爵は突然わたしに向かって、

「余は明旦(あす)、ロシアに向ひて出発すべし。随(したが)ひて来べきか、」と問ふ。
「私は明日、ロシアに向かって出発します。ついてこれますか」と問う。

余は数日間、かの公務に遑なき相沢を見ざりしかば、此問は不意に余を驚かしつ。
私は数日間、あの公務で暇のない相沢を見なかったので、この質問は不意に私を驚かした。

「いかで命に従はざらむ。」
「どうして命令に従わないことがありましょうか。」

余は我恥を表はさん。此答はいち早く決断して言ひしにあらず。
私は、私の恥をいいましょう。この答えはいちはやく決断していったのではない。

余はおのれが信じて頼む心を生じたる人に、卒然ものを問はれたるときは、
私は自分が信じて頼りにする気持ちを生じた人に、突然ものを問われたときは、

咄嗟の間、その答の範囲を善くも量らず、直ちにうべなふことあり。
咄嗟の間、その答えの範囲をよく考えもせず、直ちに承諾することがある。

さてうべなひし上にて、その為し難きに心づきても、
さて承諾したうえで、そのなしがたいことに気づいても、

しひて当時の心虚なりしを掩ひ隠し、耐忍してこれを実行すること屡々なり。
しいてそのときの心がうつろだったことを被い隠し、我慢して実行することはしばしばです。

  

 この日は飜訳の代しろに、旅費さへ添へて賜はりしを持て帰りて、飜訳の代をばエリスに預けつ。
 この日は、翻訳の代金に、旅費さえ添えていただいたのを持ち帰って、翻訳の代金をエリスに預けた。

これにて魯西亜より帰り来んまでの費(つひえ)をば支へつべし。
これでロシアから帰って来るまでの出費を支えるでしょう。

彼は医者に見せしに常ならぬ身なりといふ。
彼女は医者に見せたところ普通でない体であるという。

貧血の性(さが)なりしゆゑ、幾月か心づかでありけん。
貧血の体質であるがゆえ、何ヶ月か気が付かずにいたのでしょう。

座頭よりは休むことのあまりに久しければ籍を除きぬと言ひおこせつ。
座長からは休むことがあまりに長いので、籍を除いたと言ってよこした。

まだ一月ばかりなるに、かく厳しきは故あればなるべし。
まだ一ヶ月程度なのに、こんなに厳しいのは理由があるからなのでしょう。

旅立の事にはいたく心を悩ますとも見えず。
旅立ちのことには、いたく心を悩ますようには見えない。

偽りなき我心を厚く信じたれば。
偽りの無い私の心を、厚く信じているので。

  

 鉄路にては遠くもあらぬ旅なれば、用意とてもなし。
 鉄道では遠くもない旅なので、とくに用意もない。

身に合せて借りたる黒き礼服、新に買求めたるゴタ板の魯廷の貴族譜、
体に合わせて借りた黒い礼服、新たに買い求めたゴータ版のロシア宮廷の貴族名簿、

二三種の辞書などを、小「カバン」に入れたるのみ。
二三の辞書などを、小さなカバン入れたのみ。

流石に心細きことのみ多きこの程なれば、出で行く跡に残らんも物憂かるべく、
さすがに心細いことのみ多いこの頃なので、私が出て行く後に残るのも もの憂いことであろうし

又停車場にて涙こぼしなどしたらんには影護(うしろめた)かるべければとて、
また停車場で涙をこぼすなどしたら気になるであろうと思って

翌朝早くエリスをば母につけて知る人がり出しやりつ。
翌朝早くエリスを母につけて知人のもとに送り出してやった。

余は旅装整へて戸を鎖し、鍵をば入口に住む靴屋の主人に預けて出でぬ。
私は旅装を調えて、戸を閉め、鍵を入り口に住む靴屋の主人に預けて出かけた。

  

 魯国行につきては、何事をか叙すべき。
 ロシア行きについては、何事を記すべきでしょうか。

わが舌人たる任務はたちまちに余を拉(らつ)し去りて、青雲の上に堕したり。
私の通訳という任務は、たちまちに私を連れ去って、青雲の上に落としてしまった。

余が大臣の一行に随ひて、ペエテルブルクに在りし間に余を囲繞(いによう)せしは、
私が大臣の一行に従って、ペテルブルグにいた間に私を取り囲んでいたのは、

バリ絶頂の驕奢(けうしや)を、氷雪の裡(うち)に移したる王城の粧飾、ことさらに黄蝋の燭を幾つ共なく点(とも)したるに、
パリ絶頂の贅沢を、氷雪の中に移した王城の装飾、ことさらに蜜蝋の蝋燭をいくつともなく点しているうえに、

幾星の勲章、幾枝の「エポレツト」が映射する光、
いくつもの勲章、いくつもの肩章が反射する光、

彫鏤(ちようる)の工(たくみ)を尽したる「カミン」の火に寒さを忘れて使ふ宮女の扇の閃きなどにて、
彫金の技術を尽くした壁暖炉の火に寒さを忘れて使う宮女の扇のひらめきなどで、

この間仏蘭西語を最も円滑に使ふものはわれなるがゆゑに、賓主の間に周旋して事を弁ずるものもまた多くは余なりき。
この間フランス語を最も円滑に使うものは私であるので、客と主人の間を取り持って用事を弁じるのも多くは私でした。

  

 この間余はエリスを忘れざりき、否、彼は日毎に書(ふみ)を寄せしかばえ忘れざりき。
 この間、私はエリスを忘れなかった.....いや、彼女は毎日手紙をよこしたので忘れることができなかった。

余が立ちし日には、いつになく独りにて燈火に向はん事の心憂さに、
私が出立した日には、いつになく独りで灯火に向かおうとしても心憂いので、

知る人の許にて夜に入るまでもの語りし、疲るるを待ちて家に還り、直ちにいねつ。
知人のもとで夜になるまでもの語りし、疲れるを待って家に帰り、直ちに寝た。

次の朝(あした)目醒めし時は、猶独り跡に残りしことを夢にはあらずやと思ひぬ。
翌朝目が覚めたときは、なお独りあとに残ったことを夢ではないかと思った。

起き出でし時の心細さ、かかる思ひをば、生計(たつき)に苦みて、けふの日の食なかりし折にもせざりき。
起きだした時の心細さ、こんな思いは、生活に苦しく、その日の食べ物がなかったときにもしなかった。

これ彼が第一の書の略(あらまし)なり。
これが彼女の最初の手紙の概略です。

  

 又程経てのふみは頗る思ひせまりて書きたる如くなりき。
 またしばらくたっての手紙は、すこぶる思いが迫って書いたようでした。

文をば否といふ字にて起したり。
手紙をば、否という字にて書き始めていた。

否、君を思ふ心の深き底(そこひ)をば今ぞ知りぬる。
いや、あなたを思う心の深い底を今こそ知りました。

君は故里に頼もしき族なしとのたまへば、此地に善き世渡のたつきあらば、留り玉はぬことやはある。
あなたは故郷に頼るべき親族がないとおっしゃつたので、この地によい世渡りの手段があれば、お留まりにならないことはないでしょう。

又我愛もて繋ぎ留めでは止やまじ。
また、私の愛でつなぎ留めないではおきません。

それもかなはで東(ひんがし)に還り玉はんとならば、親と共に往かんは易けれど、か程に多き路用を何処よりか得ん。
それもかなわず東にお帰りになるならば、親とともに行くのは簡単ですが、こんなに多額の旅費をどこから得ましょうか。

いかなる業をなしても此地に留りて、君が世に出で玉はん日をこそ待ためと常には思ひしが、
いかなる仕事をしてもこの地に留まって、貴方が世に出られる日をこそ待とうと常に思っていましたが、

暫しの旅とて立出で玉ひしより此二十日ばかり、別離の思は日にけに茂りゆくのみ。
暫しの旅と言って出立されてよりこの二十日ばかり、別離の思いは日に日に大きくなるのみです。

袂を分つはただ一瞬の苦艱(くげん)なりと思ひしは迷なりけり。
袂を分かつのはただ一瞬の苦難であると思ったのは間違いでした。

我身の常ならぬが漸くにしるくなれる、それさへあるに、よしやいかなることありとも、我をば努(ゆめ)な棄て玉ひそ。
私の体の普通でないのが漸くはっきりとなって、それもあるので、もしどんなことがあっても、私をお棄てにならないように。

説明 「しるく」(著く)は、はっきりみえるの意。

母とはいたく争ひぬ。されど我身の過ぎし頃には似で思ひ定めたるを見て心折れぬ。
母とはひどく言い争いました。しかし、私の体が過ぎし昔に似ず思い定めているのを見て、(母は)あきらめました。

わが東に往かん日には、ステツチンわたりの農家に、遠き縁者あるに、身を寄せんとぞいふなる。
私が東に行く日には、シュチェチェンあたりの農家に、遠い親戚があるので、身を寄せようと言っています。

書きおくり玉ひし如く、大臣の君に重く用ゐられ玉はば、我路用の金は兎も角もなりなん。
書き送っていただいたように、大臣の君に重く用いられなさったら、私の旅費のお金はなんとかなるでしょう。

今はひたすら君がベルリンにかへり玉はん日を待つのみ。
今はひたすら貴方がベルリンにお帰りになる日を待つのみです。

  

 嗚呼、余は此書を見て始めて我地位を明視し得たり。恥かしきはわが鈍き心なり。
 ああ、私はこの手紙を見てはじめて私の立場が明視できた。恥ずかしいは私の鈍い心です。

余は我身一つの進退につきても、また我身に係らぬ他人の事につきても、
私は我が身一つの進退についても、また我が身に係らない他人のことについても、

決断ありと自ら心に誇りしが、この決断は順境にのみありて、逆境にはあらず。
決断力があると自ら心に誇っているが、この決断力は順境のときのみにあって、逆境にはない。

我と人との関係を照さんとするときは、頼みし胸中の鏡は曇りたり。
私と他人との関係を照らそうとするとき、頼みの胸中の鏡は曇っていたのだ。

  

 大臣は既に我に厚し。
 大臣はすでに私を厚遇してくれる。

されどわが近眼は唯だおのれが尽したる職分をのみ見き。
しかし、私の近眼はただ、私が尽くした職分のことだけを見ていた。

余はこれに未来の望を繋ぐことには、神も知るらむ、絶えて想(おもひ)到らざりき。
私はこれに未来の望みをつなぐことに、神も知っていただろうか、まったく思いも至らなかった。

されど今ここに心づきて、我心は猶ほ冷然たりし歟(か)。
しかし今ここに気づいて、私の心はなお冷然としていられようか。

先に友の勧めしときは、大臣の信用は屋上の禽(とり)の如くなりしが、今はややこれを得たるかと思はるるに、
先に友が勧めたときは、大臣の信用は屋上の鳥のように小さかったが、今はすこしこれを得たかと思われるに、

相沢がこの頃の言葉の端に、本国に帰りて後も倶にかくてあらばしかじかといひしは、
相沢のこの頃の言葉の端に、本国に帰って後も、一緒にこのようであったらなあと言ったのは、

大臣のかく宣ひしを、友ながらも公事なれば明には告げざりし歟(か)。
大臣がそのように言ったのを、友ながらも公の事なので明らかには告げなかったのか。

今更おもへば、余が軽卒にも彼に向ひてエリスとの関係を絶たんといひしを、早く大臣に告げやしけん。
いまさら思うに、私が軽率にも彼に向かってエリスとの関係を絶とうと言ったのを、はや大臣に告げたのかもしれない。

  

 嗚呼、独逸に来し初に、自ら我本領を悟りきと思ひて、また器械的人物とはならじと誓ひしが、
 ああ、ドイツに来た当初、自ら自分の本領を悟ったと思って、また機械的な人間にはなるまいと誓ったが、

こは足を縛して放たれし鳥の暫し羽を動かして自由を得たりと誇りしにはあらずや。
これは足を縛られて放たれた鳥がしばし羽を動かして自由を得たと誇ったのではないか。

足の糸は解くに由なし。
足の糸は解く方法がない。

さきにこれを繰(あや)つりしは、わが某(なにがし)省の官長にて、今はこの糸、あなあはれ、天方伯の手中に在り。
さきにこれを操ったのは、私の某省の官長にて、今はこの糸は、ああなんということか、天方伯爵の手中にある。

余が大臣の一行と倶にベルリンに帰りしは、あたかも是れ新年の旦(あした)なりき。
私が大臣の一行とともにベルリンに帰ったのは、あたかもこれ新年の元旦でした。

停車場に別を告げて、我家をさして車を駆りつ。
停車場に別れを告げて、我が家を目指して馬車を駆った。

ここにては今も除夜に眠らず、元旦に眠るが習なれば、万戸寂然たり。
ここでは今も除夜に眠らず、元旦に眠るのが習慣なので、万戸は寂然としていた。

寒さは強く、路上の雪は稜角ある氷片となりて、晴れたる日に映じ、きらきらと輝けり。
寒さは強く、路上の雪は角のある氷片となって、晴れた日の光に映じて、きらきらと輝いた。

車はクロステル街に曲りて、家の入口に駐(とど)まりぬ。
馬車はクロステル街に曲がって、家の入り口に駐車した。

この時窓を開く音せしが、車よりは見えず。
この時窓を開く音がしたが、馬車よりは見えない。

馭丁(ぎよてい)に「カバン」持たせて梯を登らんとする程に、エリスの梯を駈け下るに逢ひぬ。
御者にカバンを持たせて階段を登ろうとすると、エリスが階段を駆け下りるのに逢った。

彼が一声叫びて我頸(うなじ)を抱きしを見て馭丁は呆れたる面もちにて、何やらむ髭(ひげ)の内にて云ひしが聞えず。
彼女が一声叫んで私の頭を抱いたのを見て、御者は呆れた面持ちにて、何やら髭の中にて言ったが聞こえない。

「善くぞ帰り来玉ひし。帰り来玉はずば我命は絶えなんを。」
「よくぞおかえりくださいました。帰ってきていただけないと私の命は絶えたでしょうに。」

  

 我心はこの時までも定まらず、故郷を憶ふ念と栄達を求むる心とは、時として愛情を圧せんとせしが、
 私の心はこの時までも定まらない、故郷を思う念と栄達を求める心とは、時として愛情を圧しようとしたが、

唯だ此一刹那、低徊ちちうの思は去りて、余は彼を抱き、彼の頭(かしら)は我肩に倚りて、
ただこの一刹那、堂々巡りの気持ちは去って、私は彼女を抱き、彼女の頭は私の肩に寄って、

彼が喜びの涙ははらはらと肩の上に落ちぬ。
彼女の喜びの涙は はらはらと肩の上に落ちた。

「幾階か持ちて行くべき。」と鑼(どら)の如く叫びし馭丁は、いち早く登りて梯の上に立てり。
「何階にもって行きましょう。」とドラのように叫んだ御者は、いち早く上って階段の上に立った。

 戸の外に出迎へしエリスが母に、馭丁を労(ねぎら)ひ玉へと銀貨をわたして、
 戸の外に出迎えたエリスの母に、御者をねぎらってくださいと銀貨を渡して、

余は手を取りて引くエリスに伴はれ、急ぎて室に入りぬ。
私は手を戸って引くエリスに伴われ、急いで部屋に入った。

一瞥して余は驚きぬ、机の上には白き木綿、白き「レエス」などを堆(うづたか)く積み上げたれば。
一瞥して私は驚いた、机の上には白い木綿、白いレースなどがうず高く積み上げられていたので。

  

 エリスは打笑(うちゑ)みつつこれを指さして、「何とか見玉ふ、この心がまへを。」
 エリスは微笑みながらこれを指差して、「どうご覧になる。この心構えを。」

といひつつ一つの木綿ぎれを取上ぐるを見れば襁褓(むつき)なりき。
と言いつつ一つの木綿きれを取り上げるをみると、産着であつた。

「わが心の楽しさを思ひ玉へ。産れん子は君に似て黒き瞳子(ひとみ)をや持ちたらん。この瞳子。
「私の心の楽しさを思ってください。生まれる子はあなたに似て黒い瞳を持っているかしら。この瞳を。

嗚呼、夢にのみ見しは君が黒き瞳子なり。
ああ、夢にのみ見たのはあなたの黒い瞳なの。

産れたらん日には君が正しき心にて、よもあだし名をばなのらせ玉はじ。」
生まれるでしょう日には、あなたが正しい心で、よもや違う名前を名乗らせないでしょう。」

説明 「あだし」(他し)は、他の、別の、異なった の意。 あだし人、あだし男 のように使います。

彼は頭を垂れたり。
彼女は頭を垂れている。

「幼しと笑ひ玉はんが、寺に入らん日はいかに嬉しからまし。」見上げたる目には涙満ちたり。
「幼いと笑われるでしょうが、(洗礼をうけに)教会に入る日はどんなに嬉しいでしょう。」見上げた目には、涙が満ちている。

  

 二三日の間は大臣をも、たびの疲れやおはさんとて敢て訪(とぶ)らはず、
 二三日の間は大臣も、旅の疲れがおありだろうと敢えて訪問しない、

家にのみ籠りをりしが、或る日の夕暮使して招かれぬ。
家にのみ籠もっていたが、ある日の夕暮れ使いがあって招かれた。

往きて見れば待遇殊にめでたく、ロシア行の労を問ひ慰めて後、われと共に東にかへる心なきか、
行ってみれば、待遇が ことにすばらしく、ロシア行きの労を尋ね ねぎらってくれたあと、私とともに東にかえる気はないか、

君が学問こそわが測り知る所ならね、語学のみにて世の用には足りなむ、滞留の余りに久しければ、
君の学問こそ私の測り知るところではないが、語学だけにて世間の用に足りるでしょう、滞留があまりに長いので、

様々の係累もやあらんと、相沢に問ひしに、さることなしと聞きて落居(おちゐ)たりと宣ふ。
様々な縁者があるかもと相沢に問うたが、そのようなことはないと聞いて安心したとおっしゃる。

その気色(けしき)辞(いな)むべくもあらず。
その様子は辞することもできそうにない。

あなやと思ひしが、流石に相沢の言ことを偽なりともいひ難きに、
あれえっと思ったが、さすがに相沢の言うことを偽りなりとも言い難いうえに、

若しこの手にしも縋(すが)らずば、本国をも失ひ、名誉を挽(ひ)きかへさん道をも絶ち、
もしこの手にすがらないと、本国を失い、名誉を取り返す道を絶ち、

身はこの広漠たる欧洲大都の人の海に葬られんかと思ふ念、心頭を衝いて起れり。
この身をこの広漠とした欧州の大都の人の海に葬られるのかと思う気持ちが、心頭を衝いて起こった。

嗚呼、何等の特操なき心ぞ、「承うけたまはり侍り」と応こたへたるは。
ああ、なんら節操のない心よ、「承知いたしました」と答えてしまったのは。

 

 黒がねの額(ぬか)はありとも、帰りてエリスに何とかいはん。
 黒がねのような厚顔をしているが、帰ってエリスに何といおう。

「ホテル」を出でしときの我心の錯乱は、たとへんに物なかりき。
ホテルを出たときの私の心の錯乱は、たとえるものがなかった。

余は道の東西をも分かず、思に沈みて行く程に、往きあふ馬車の馭丁に幾度か叱せられ、驚きて飛びのきつ。
私は道の東西もわからず、思いに沈んで歩くほどに、行き合う馬車の御者に幾度か叱られ、驚いて飛びのいた。

暫くしてふとあたりを見れば、獣苑の傍(かたはら)に出でたり。
しばらくしてふとあたりを見ると、動物園の傍に出ていた。

倒るる如くに路の辺のこしかけに倚りて、灼(や)くが如く熱し、椎(つち)にて打たるる如く響く頭(かしら)を榻背(たふはい)に持たせ、
倒れるように道端のベンチに腰掛けて、焼けるように熱く、金槌で打たれるように響く頭をベンチの背にもたせかけ、

死したる如きさまにて幾時をか過しけん。
死んだような様で何時間か過ごしたでしょう。

劇しき寒さ骨に徹すと覚えて醒めし時は、夜に入りて雪は繁く降り、
激しい寒さが骨にしみとおると感じて目覚めたときは、夜に入って雪が激しく降り、

帽の庇(ひさし)、外套の肩には一寸ばかりも積りたりき。
帽子のひさしや外套の肩に一寸ばかりも積もっていた。

 

 もはや十一時をや過ぎけん、モハビツト、カルル街通ひの鉄道馬車の軌道も雪に埋もれ、
 もはや十一時を過ぎたでしょうか、モハビット・カルル街を通う鉄道馬車の軌道も雪に埋もれ

ブランデンブルゲル門のほとりのガス燈は寂しき光を放ちたり。
ブランデンブルグ門のほとりのガス灯は寂しい光を放っていた。

立ち上らんとするに足の凍えたれば、両手にてさすりて、漸やく歩み得る程にはなりぬ。
立ち上がろうとするに足が凍えていたので、両手にてさすって、漸く歩くことが出来るほどにはなった。

 

 足の運びの捗(はかど)らねば、クロステル街まで来しときは、半夜をや過ぎたりけん。
 足の運びが捗らないので、クロステル街まで来たときは、夜半を過ぎていたでしょう。

ここ迄来し道をばいかに歩みしか知らず。
ここまで来た道をどう歩いたかわかりません。

一月上旬の夜なれば、ウンテル、デン、リンデンの酒家、茶店は猶ほ人の出入盛りにて賑(にぎ)はしかりしならめど、ふつに覚えず。
一月上旬の夜なので、ウンテル・デン・リンデン大通りの居酒屋、喫茶店はなお人の出入りが盛んで賑わしかったはずだが、全く覚えていない。

我脳中には唯我は免(ゆる)すべからぬ罪人なりと思ふ心のみ満ち満ちたりき。
私の脳中には、ただ私は許すべからざる罪人であると思う心のみ満ち満ちていた。

 

 四階の屋根裏には、エリスはまだ寝ねずと覚ぼしく、烱然(けいぜん)たる一星の火、暗き空にすかせば、
 四階の屋根裏には、エリスはまだ寝ていないようで、光かがやく一つ星の灯火が、暗い空に すかすと、


明かに見ゆるが、降りしきる鷺の如き雪片に、たちまち掩はれ、たちまちまた顕れて、風に弄(もてあそ)ばるるに似たり。
明るく見えるが、降りしきる鷺のような雪片に、たちまち覆われて、たちまち顕れて、風にもてあそばれるようである。

戸口に入りしより疲を覚えて、身の節の痛み堪へ難ければ、這ふ如くに梯を登りつ。
戸口に入ったときから疲れを覚えて、体の節々の痛みが耐え難いので、這うように階段を登った。

庖厨(くりや)を過ぎ、室の戸を開きて入りしに、机に倚りて襁褓(むつき)縫ひたりしエリスは振り返へりて、「あ」と叫びぬ。
台所を過ぎ、部屋の戸を開けて入ったが、机に寄って産着を縫っていたエリスは、振り返って、「あ」と叫んだ。

「いかにかし玉ひし。おん身の姿は。」
「どうなさったの。あなたのその姿は。」

 

 驚きしも宜(うべ)なりけり、蒼然として死人に等しき我面色、帽をばいつの間にか失ひ、
 驚いたのももっともです、青ざめて死人のような顔色、帽子はいつの間にか失い、

髪は蓬(おど)ろと乱れて、幾度か道にて跌(つまづ)き倒れしことなれば、衣は泥まじりの雪によごれ、処々は裂けたれば。
髪はめちゃくちゃに乱れて、何度か道で躓いて倒れたことなので、衣服は泥まじりの雪によごれ、所々裂けていたので。

 余は答へんとすれど声出でず、膝の頻(しき)りに戦(をのの)かれて立つに堪へねば、
 私は答えようとしたが声が出ず、膝がしきりに震えて立つことができないので、

椅子を握まんとせしまでは覚えしが、そのままに地に倒れぬ。
椅子をつかもうとしたまでは覚えているが、そのまま床に倒れた。

 

 人事を知る程になりしは数週の後なりき。
 人事不省から回復したのは数週間の後でした。

熱劇しくて譫語(うはこと)のみ言ひしを、エリスが慇(ねもごろ)にみとる程に、
熱が激しくてうわごとのみ言ったのを、エリスがねんごろに看病するうちに、

或日相沢は尋ね来て、余がかれに隠したる顛末を審(つば)らに知りて、
ある日相沢が尋ねてきて、私が彼女に隠していた顛末をつまびらかに知って

大臣には病の事のみ告げ、よきやうに繕(つくろ)ひ置きしなり。
大臣には病の事のみ告げて、よいように繕い置いたのです。

余は始めて、病牀に侍するエリスを見て、その変りたる姿に驚きぬ。
私は始めて、病床に待機しているエリスを見て、その変わり果てた姿に驚いた。

彼はこの数週の内にいたく痩せて、血走りし目は窪み、灰色の頬は落ちたり。
彼女はこの数週間の間にいたく痩せて、血走った目はくぼみ、灰色の頬は落ちくぼんでいる。

相沢の助にて日々の生計(たつき)には窮せざりしが、此恩人は彼を精神的に殺ししなり。
相沢の助けにて日々の生計には窮しなかつたが、この恩人は彼女を精神的に殺したのです。

 

 後に聞けば彼は相沢に逢ひしとき、余が相沢に与へし約束を聞き、またかの夕べ大臣に聞え上げし一諾を知り、
 後で聞くと彼女は相沢に会ったとき、私が相沢に与えた約束を聞き、またかの夕べに大臣に申し上げた一諾を知り、

にはかに座より躍り上がり、面色さながら土の如く、
にわかに椅子から躍りあがり、顔色はさながら土のように、

「我豊太郎ぬし、かくまでに我をば欺き玉ひしか」と叫び、その場に僵(たふ)れぬ。
「私の豊太郎さまは、こんなにまで私を欺いていらしたのですか」と叫び、その場に倒れた。

相沢は母を呼びて共に扶けて床に臥させしに、暫くして醒めしときは、
相沢は母を呼んで共に助けてベッドに寝かせたが、しばらくして覚めたときは、

目は直視したるままにて傍の人をも見知らず、我名を呼びていたく罵り、髪をむしり、
目は直視したままにて傍の人もわからず、私の名前を呼んで いたくののしり、髪をむしり、

蒲団を噛みなどし、またにはかに心づきたる様にて物を探りもとめたり。
布団を噛むなどして、またにわかに気が付いた様子で物を探しもとめたりした。

母の取りて与ふるものをばことごとくなげうちしが、机の上なりし襁褓を与へたるとき、
母がとって与えるものをことごとく投げ棄てたが、机の上にあった産着を与えたとき、

探りみて顔に押しあて、涙を流して泣きぬ。
探ってみて顔に押し当て、涙を流して泣いた。

 

 これよりは騒ぐことはなけれど、精神の作用は殆ど全く廃して、その痴なること赤児の如くなり。
 これよりは騒ぐことはないが、精神の作用は殆ど全てなくなり、その愚かなことは赤子のようです。

医に見せしに、過劇なる心労にて急に起りし「パラノイア」といふ病なれば、治癒の見込なしといふ。
医者に見せたところ、過激な心労にて急に起こったパラノイアという病気なので、治癒の見込みはないと言う。

ダルドルフの癲狂院(てんきやうゐん)に入れむとせしに、泣き叫びて聴かず、
ダンドルフの精神病院に入れようとしたが、泣き叫んで聞かず、

後にはかの襁褓一つを身につけて、幾度か出しては見、見ては欷歔(ききよ)す。
後ではあの産着一つを身につけて、幾度か出しては見、見てはすすり泣いた。

余が病牀をば離れねど、これさへ心ありてにはあらずと見ゆ。
私の病床を離れないのだが、これも理解してはいないように見える。

ただをりをり思ひ出したるやうに「薬を、薬を」といふのみ。
ただ時々思いだしたように、「薬を、薬を」というのみ。

 

 余が病は全く癒えぬ。
 私の病気は完全に治った。

エリスが生ける屍(かばね)を抱きて千行(ちすぢ)の涙を濺(そそ)ぎしは幾度ぞ。
エリスの生ける屍を抱いて、涙を流したのは幾たびであろうか。

大臣に随ひて帰東の途に上ぼりしときは、相沢と議りてエリスが母に微(かすか)なる生計(たつき)を営むに足るほどの資本を与へ、
大臣に従って帰東の途に上ったときは、相沢と はかってエリスの母にわずかな生計を営むに足るほどの資金を与え

あはれなる狂女の胎内に遺しし子の生れむをりの事をも頼みおきぬ。
あわれな狂女の胎内に遺した子供の生まれるおりの事も頼んでおいた。

 

 嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。
 ああ、相沢謙吉のような良いともはこの世にまたと得難いでしょう。

されど我脳裡に一点の彼を憎むこころ今日までも残れりけり。
しかし私の脳裏に一点の彼を憎む心、今日までも残っているのだ。

説明 「残れり」の「り」は、完了の助動詞で、「残りたり」とほぼ同じ意味といわれていますが、
    「り」は、存在・動作が現存・進行中であることを表す場合が多く、
    「たり」はその動作の結果の結果が引き続き残っている場合が多いとのことです。2016.1.25

(明治二十三年一月)

 

         

ホームページアドレス: http://www.geocities.jp/think_leisurely/


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