水村美苗 日本語で読むということ (2009,2022) |
2023.10.08
水村さんの短編の寄せ集めで、姉妹編の「日本語で書くということ」(2009,2022)と比べて、こちらの方がエッセイ風のものが多いそうです。
今回は、69ページの『嵐が丘』のみを取り上げます。
水村さんは、小学生のときに『嵐が丘』を読んで、よくわからなかったそうで、20代半ばになって、偉大さに気付いたそうです。
少女向けの文学は、教育的な面があるのは、当然なのですが、水村さんにとって、『嵐が丘』は、教育的ではなく、不穏な作品でした。
不穏さを感じた理由は、彼女が、1939年製作のローレンス・オリヴィエがヒースクリフが演じた映画を見て、キャスリンが善女に描かれていたのを見た時に、はっきりわかったそうです。キャスリンは、「傲慢」「わがまま」「」乱暴」「横暴」「野心家」なのです。
70頁
平和な新婚家庭をいとなんでいるキャスリンとエドガ。そこへヒースクリフが戻ってきたという知らせがある。映画のキャスリンは表情をこわばらせ、再会するのを拒否しようとします。(中略)
もちろん原作はそんなものではありません。キャスリンには心の中の葛藤などはない。ヒースクリフが戻ってきたのを知った彼女は有頂天です。(中略)
自分がこんなに幸せなのだから、自分を愛する夫も喜ぶべきであるとする。そもそもキャスリンには、エドガとヒースクリフのどちらかを選ばなければならないという気はないのです。(中略) 映画のキャスリンは、夫への貞操か恋人への愛情か、あれか、これか、どちらかを選ばねばという葛藤の中に死ぬ。ところが原作のキャスリンを死に駆り立てるのは、怒りです。(中略)もしエドガが「卑怯」にもヒースクリフと別れろというなら「あたしは、悲しみで自分の心臓をかきやぶって、そして二人の心臓も破ってしま」うしかない。寝室に閉じこもり、怒り、恨み、悲しむ彼女は、やがて狂ってしまう。そうして狂ったまま本当に死んでしまう。(中略)
くりかえします。ゆめ、少女が親しむのにふさわしい小説ではない。少女よ、大志を抱け。狂気を賭し、死を賭しても、不可能をのぞめ。この世の相対的な幸せも、あの世の絶対的な幸せも、今、ここにともにのぞめ。−
そんなことをいう本は焚書(ふんしょ)の刑に処されるべきではないでしょうか・・・・・。
翻訳家の鴻巣友季子さんと対談する別の本で、水村さんは、仏文学を専攻した大学を26歳で卒業した後、たまたまケンブッジに滞在した時に、『嵐が丘』を原文で読み、作品の偉大さを理解したそうです。
『嵐が丘』は、大人になってから、読むべき本なのですね!
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