蓮の道 無量義経 説法品第二 (2015) 

2019.7.8

●無量義経 説法品第二 #1  2015/1/3(土) 午後 10:06

第一 「大衆正に問う分」

●現代語訳

その時に大荘厳菩薩は、多くの菩薩たちと共にこの詩 (徳行品の讚歎偈)を説いて仏を称嘆し終ると、共に仏に申し上げました。

世尊。私たち八万の菩薩は、今、如来の教えについて、ぜひ質問したいことがございます。はっきりとせず、分かりにくい内容なのですが、お教えいただけますでしょうか?

●訓読

その時に大荘厳菩薩摩訶薩、八万の菩薩摩訶薩とこの偈を説いて仏を讃めたてまつることおわって倶に仏に白して言さく。

世尊。我等八万の菩薩の衆、今、如来の法の中に於て、諮問(しもん)する所あらんと欲す。不審(いぶかし)、世尊愍聴(みんちょう)を垂れたまいなんや否や。

●真読

爾時大荘厳菩薩摩訶薩。与八万菩薩摩訶薩。
にじだいしょうごんぼさつまかさつ。よはちまんぼさつまかさつ。

説是偈讃仏已。倶白仏言。 せつぜげさんぶっち。くびゃくぶつごん。

世尊。我等八万。菩薩之衆。今者欲於。
せそん。がとうはちまん。ぼさつししゅう。こんじゃよくお。

如来法中。有所諮問。不審世尊。垂愍聴不。
にょらいほうちゅう。うしょしもん。ふしんせもん。すいみんちょうふ。

●解説

『無量義経』の第二章は『説法品』です。

『無量義経』は、古くから『妙法蓮華経』の開経とされています。

その根拠は、『妙法蓮華経』のはじめに、釈尊が「無量義」という教えを説き、さらに「無量義」の教えをかみしめる三昧に入られるシーンがあるからです。

『無量義経』は、サンスクリット語の経典が発見されていませんので、中国で創られた偽経の疑いがあります。

『妙法蓮華経』に出てくる無量義の教えが、どのようなものかを思惟し、作られた経典だというのです。

偽経かどうかは分かりませんが、『無量義経』の内容は、『妙法蓮華経』を理解する上で非常に役に立ちます。

『般若心経』が般若経群の要約であるように、この『無量義経』は『妙法蓮華経』の要約として読むことができます。

『無量義経』と『妙法蓮華経』を合わせて読めば、きっと法華思想の理解が深まることでしょう。

ただし、『無量義経』は、菩薩への教えですから、内容が難解です。

まず、『無量義経』を最初にさらりと読んで、『妙法蓮華経』を最後まで読み、再び『無量義経』を学ぶとよいかも知れません。

●無量義経説法品第二 #2  2015/1/3(土) 午後 10:46

第二 「如来許しを垂る分」

●現代語

仏は、大荘厳菩薩と八万の菩薩たちに告げました。

素晴らしいことです。善男子よ。よくぞ、今、この時に質問をされました。あなたの聞きたいことを、ぜひ訊いてください。私は間もなく、この世を去ろうとしています。私が亡くなった後に、人々が、教えに対して不信感を抱かないようにしておきたいと思います。どのような質問でしょうか? 何でもお答えしましょう。

●訓読

仏、大荘厳菩薩 及び八万の菩薩に告げたまわく。

善哉善哉、善男子。善くこれ時なることを知れり、汝が所問をほしいままにせよ。如来久しからずして当に般涅槃すべし。涅槃の後も、普く一切をして、また余の疑無からしめん。何の所問をか欲する、便ち之を説くべし。

●真読

仏告大荘厳菩薩。及八万菩薩言。
ぶっごうだいしょうごんぼさつ。ぎゅうはちまんぼさつごん。

善哉善哉。善男子。善知是時。恣汝所問。
ぜんざいぜんざい。ぜんなんし。ぜんちぜじ。しにょしょもん。

如来不久。当般涅槃。涅槃之後。普令一切。
にょらいふく。とうはつねはん。ふりょういっさい。

無復余疑。欲何所問。便可説之。
むぶよぎ。よくがしょもん。べんかせっし。

●解説

大荘厳菩薩が、「質問をしてもよいでしょうか?」と釈尊に伺い、釈尊は快くお承けになりました。釈尊は、般涅槃(死)が近いので、今の間に疑問を晴らしておきたいとおっしゃいましたので、このことから、この『無量義経』は、釈尊の晩年の説法という設定だと分かります。

●無量義経説法品第二 #3  2015/1/3(土) 午後 11:08

第三 「菩薩 正に問う分」

●現代語訳

そこで、大荘厳菩薩と多くの菩薩たちは、声を合わせて仏に申し上げました。

世尊。大乗の菩薩がまっすぐに最上の悟りを得ようとするならば、どのような教えを修行すればよろしいのでしょうか? 何の教えが、大乗の菩薩をまっすぐに最高の悟りへと導くのでしょうか?

●訓読

ここに大荘厳菩薩、八万の菩薩と、即ち 共に声を同じうして 仏に白して言さく。

世尊。菩薩摩訶薩 疾く阿耨多羅三貎三菩提を成ずることを得んと欲せば、応当に 何等の法門を修行すべき、何等の法門か よく菩薩摩訶薩をして 疾く阿耨多羅三貎三菩提を成ぜしむるや?

●真読

於是大荘厳菩薩。与八万菩薩。即共同声。白仏言。
おぜだいしょうごんぼさつ。よはちまんぼさつ。そくぐどうしょう。びゃくぶつごん。

世尊。菩薩摩訶薩。欲得疾成。
せそん。ぼさつまかさつ。よくとくしつじょう。

阿耨多羅三藐三菩提。
あのくたらさんみゃくさんぼだい。

応当修行。何等法門。
おうとうしゅぎょう。がとうほうもん。

何等法門。能令菩薩摩訶薩。
がとうほうもん。のうりょうぼさつまかさつ。

疾成阿耨多羅三藐三菩提。
しつじょうあのくたらさんみゃくさんぼだい。 

●解説

大荘厳菩薩とは、非常に位の高い菩薩です。そのような高位の菩薩と釈尊が質疑応答を展開しますので、『説法品』の内容は非常に難解です。大荘厳菩薩が釈尊に質問をします。この質問に応えて「無量義の教え」が説かれることになりますので、何を質問しているのかをしっかりと把握しておく必要があります。

大荘厳菩薩は、菩薩がまっすぐに成仏するための修行方法を釈尊に問いました。この質問は、受験生が東大に間違いなく合格する方法を問うようなもので、難易度の高い答えが予想されます。

●用語の意味

○大荘厳菩薩(だいしょうごんぼさつ)
(梵)ボディーサットヴァ・マハービューハ "Bodhisattva Mahavyuha"
荘厳とは、智慧・福徳・相好などで、浄土や仏の身を飾ること。

○阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)
(梵)アヌッタラ・サンミャクサンボーディ "anuttara-samyaksambodhi"
無上正等覚。通常、音写のままで使われる。最高の悟りのこと。

●無量義経説法品第二 #4 2015/1/3(土) 午後 11:30

第四 「如来 略して答える分」

●現代語訳

仏は、大荘厳菩薩と多くの菩薩たちに答えました。

善男子よ。ここに、一つの法門があります。菩薩がまっすぐに最高の悟りを得られる法門です。もし、菩薩がこの法門を学べば、最高の悟りを得ることができます。

●訓読

仏、大荘厳菩薩 及び八万の菩薩に告げて言わく。

善男子、一の法門あり。よく菩薩をして 疾く阿耨多羅三貎三菩提を成ずることを得せしむ。もし菩薩あって、この法門を学せば、則ち よく阿耨多羅三貎三菩提を得ん。

●真読

仏告大荘厳菩薩。及八万菩薩言。
ぶっごうだいしょうごんぼさつ。ぎゅうはちまんぼさつごん。

善男子。有一法門。能令菩薩。
ぜんなんし。ういちほうもん。のうりょうぼさつ。

疾得成阿耨多羅三藐三菩提。
しっとくじょう。あのくたらさんみゃくさんぼだい。

若有菩薩。学是法門者。
にゃくうぼさつ。がくぜほうもんしゃ。

則能得阿耨多羅三藐三菩提。
そくのうとくあのくたらさんみゃくさんぼだい。

●無量義経説法品第二 #5 2015/1/3(土) 午後 11:48

第五 「重ねて三疑を問う分」

●現代語訳

世尊。その法門は何という名でしょうか? その内容はどの様なものですか? 菩薩は、どのように修行すればよろしいのでしょうか?

●訓読

世尊。この法門とは、号(な)を何等となづくる。その義云何。菩薩、云何(いかん)が修行せん?

●真読

世尊。是法門者。號字何等。
せそん。ぜほうもんしゃ。ごうじがとう。

其義云何。菩薩云何修行。
ごぎうんが。ぼさつうんがしゅぎょう。

●解説

大荘厳菩薩が、釈尊に三つのことを質問しました。その質問とは、「一法門の名」「一法門の教義」「一法門の行」です。

●無量義経説法品第二 #6 2015/1/5(月) 午後 8:07

第六 如来広く説く分「三疑を答える」

●現代語訳

仏が答えられました。

善男子、この一つの法門とは、名を無量義といいます。菩薩が無量義を修学しようとするならば、一切の事物・現象は、過去・現在・未来において、、真実としての本体も事物・現象として現れるすがたも、ともに実体はなく、安らかな状態だと知ることが重要です。よって、大きいとか小さいということはなく、生じるとか滅するということはなく、とどまるとか動くということはなく、進むとか退くということはありません。固定した観方や一方に偏った観方を否定します。虚空のように、すべてが一つであり、二つに分かれたものではないと観察してください。

●訓読

仏の言わく。

善男子、この一の法門をば名づけて無量義と為す。菩薩、無量義を修学することを得んと欲せば、まさに一切諸法は、自ら本・来・今、性相空寂にして、無大・無小、無生・無滅、非住・非動、不進・不退、なお虚空の如く 二法あることなしと観察すべし。

●真読

仏言。 ぶつごん。

善男子。是一法門。名為無量義。菩薩欲得修学。
ぜんなんし。ぜいちほうもん。みょういむりょうぎ。ぼさつよくとくしゅがく。

無量義者。応当観察。一切諸法。自本来今。
むりょうぎしゃ。おうとうかんさつ。いっさいしょほう。じほんらいこん。

性相空寂。無大無小。無生無滅。非住非動。
しょうそうくうじゃく。むだいむしょう。むしょうむめつ。ふじゅうひどう。

不進不退。猶如虚空。無有二法。
ふしんふたい。ゆにょこくう。むうにほう。

●解説

まず、一つの法門の名を、「無量義」だと明かされました。無量義というのは、多くの教義ということです。

次にその法門の行が説かれました。最初に「性相空寂」という思想が説かれます。古代よりインドでは、事象そのものよりも、事象を成り立たせる真理のほうに興味をもっていました。リンゴがあるのは、リンゴをリンゴとして成らしめる真理があるからであり、猫があるのは、猫を猫として成らしめる真理があるからだとみたのです。真理によって事象があるという観方です。

仏教以前のヴェーダの宗教(バラモン教)では、個を個と成らしめるものをアートマンと名付けました。アートマンは個の真理であり、主宰する者であり、独立して存在し、常住するものだと考えました。また、宇宙の創造を司るものをブラフマンといい、宇宙の真理だとしました。

これを仏教では、神とか超越した存在がこの宇宙をつくるのではなく、すべては因縁に依ってあるという思想を説きました。形而上学的な考えを否定して、無我・空を説いています。真理は空であり、一切の事物・現象は空だとし、空なるものは安らかであると説きました。

空とは、実体がないことであり、寂とは因縁がないことです。因縁がないので変化はありません。実体がなく、因縁を結びませんので、大小という特徴は認識されず、生じるとか滅するという変化もありません。とどまることもなく、動くこともなく、進むことも、退くこともありません。「猫が歩いている」と言っても、猫という実体がないのであれば、歩くという行為はありません。一切は無量無辺の虚空のように差別・区別はなく無際であり、一切は一つであると観察することが勧められています。

このことは、般若経を学んでおけば分かりやすいのですが、仏教初心者であれば、かなり難解だと思います。法華経を読み解いていけば、少しづつ謎は解けていきますので、ここでは詳しい説明は避けておきます。

●用語の解説

○性相 (しょうそう)
真理と事象のこと。性とは、不変平等絶対真実の本体や道理のことで、相とは、変化差別相対の現象的なすがたのこと。中国でいう「理事」と同じような意味である。真理と事象とは離れているのではなく、真理は事象によって観ることができ、事象は真理によって仮に存在する。

○空 (くう)
(梵)シューニャ "Sunya"
空とは、実体がないことをいう。一切の事物・現象は因縁和合によって仮に生じ、滅しているので、そのものには、我体・本体・実体と呼ばれるようなものはない。

○寂 (じゃく)
(梵)ニルヴァーナ "nirvaaNa"
涅槃のこと。煩悩の火を消した安らかな境地のこと。涅槃とは、一切の因縁を結ばない境地なので、作られるものではない。

○性相空寂 (しょうそうくうじゃく)
真理・事象は、空であり涅槃の状態だという意味。

●無量義経説法品第二 #7 2015/1/5(月) 午後 9:17

第六 如来広く説く分「三疑を答える-2」

●現代語訳

しかし、人々は真理に反して、これは"甲"である、これは"乙"である、これは"得"である、これは"失"であると、決めつけて執着し、自分勝手に解釈をして、そのために善くない思いを起こし、多くの悪い業を造って、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という迷いの世界を輪廻し、数々の苦を受けて、非常に長い期間、苦の世界から出ることができません。

●訓読

しかるに諸の衆生、虚妄に、これは此、これは彼、これは得、これは失と横計して、不善の念を起し、衆の悪業を造って六趣に輪廻し、諸の苦毒を受けて、無量億劫自ら出ずること能わず。

●真読

而諸衆生。虚妄横計。是此是彼。是得是失。
にしょしゅじょう。こもうおうけい。ぜしぜこ。ぜとくぜしつ。

起不善念。造衆悪業。輪迴六趣。
きふぜんねん。ぞうしゅあくごう。りんねろくしゅ。

備諸苦毒。無量億劫。不能自出。
びしょくどく。むりょうおっこう。ふのうじしゅつ。

●解説

人々は真理を知りませんので、本来は一つのものを分けて観ます。たとえば、「これはリンゴである」と観るとき、宇宙をリンゴとリンゴ以外に分けて観ています。そのものに特徴をみて、他と分けて認識します。分けて知るので「分別」といいます。

人類は、古代より、あらゆるものを分けて、名前を付けてきました。「これは山である」「これは海である」というように、地球を悉く分けて、名をつけ、概念化し、認識してきました。概念化とは言葉によって表すことです。人類は言葉によって、記憶・思考・情報交換・記録をし、文明は発展してきました。

名前とは仮のものですが、多くの人々は、名前によってそのものを独立した存在だと認識し、そのものの価値を計ります。そのものが自分にとって「得」なのか、「損」なのかを判断し、そのものとの関わりを決めます。得だと判断すれば、その物を欲しいと思い、そのものに執着して、何としても近づこうとします。損だと判断しても、何とか離れようとしますから、執着することになり、つまり、損得勘定によって欲望・執着が起こります。

欲望が起こり、自分の思い通りにそのものを手に入れることできれば、満足します。しかし、手に入れることができなければ、欲求不満を起こし、苦悩することになります。失敗してもまだ執着があれば、他から奪ったり、争ったり、騙したりして、無理をしてでも得ようとします。その結果、どんどん迷いの世界へと入っていくことになり、苦悩から離れられなくなります。

●用語の解説

○六趣(ろくしゅ)
六道。衆生が輪廻をする迷いの世界のことで、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上という六つの境界のことをいう。大乗仏教以前では、それぞれの世界は現実に存在すると説かれていたが、大乗仏教からは、それらは精神世界のことだとされた。

|蝋(じごく) (梵)ナラカ "naraka"
音写して「奈落(ならく)」という。
人間世界(閻浮提)の地中深いところにある牢獄のこと。自己中心的で他者への思いやりがなく、殺人・強盗・強姦・詐欺などの悪業を積んだ者が墜ちるとされた。八熱地獄は、炎が燃え盛る高温の場所で、炎と熱によって身は焼け焦げ、火傷で苦しむ。獄卒の鬼たちに責められ、針や剣の山を歩かされたり、金属の溶けた釜の中で煮られ、刀で身を切られ、棒で骨まで打ち砕かれる。

地獄は死後の世界だが、死者の世界でなく、転生して地獄に生まれ変わる。地獄では、焼け死に、砕け散って死んでも、また地獄に転生する。西洋の地獄思想だと、地獄に墜ちればそこで永遠に苦しむことになるが、仏教では、永遠に地獄に転生し続けるのではなく、いつかは別の世界へと転生することになる。

大乗仏教の地獄とは、心が苦しみに満ちた境地のことだとされる。自分への執着が極めて高く、自己中心な境地である。そのため、マイナス感情・マイナス思考に満ちており、特に怒りの爆発は自他を苦しめる。常にイライラし、まわりを怒鳴り散らし、暴力によって生きものを傷つけ、物を破壊するのは、その人が地獄の境地だということである。

餓鬼(がき) (梵)プレタ "preta"
貪欲な行為の報いとして、転生後、餓鬼界に墜ちると言われる。地獄の近く、人間界、天上界などに餓鬼は住む。強欲で激しく欲しても、欲するものは手に入らず常に欲求不満状態である。たとえ食べ物を手に入れても、口に入れようとすれば炎となり、常に飢えと渇きに苦しむことになる。ある者は、口がなく、ある者は口があっても非常に小さかったり、喉が異常に狭かったりなどして、思うように飲食ができない。

大乗仏教では、貪る心を餓鬼という。常にガツガツとして卑しく、満たされないので欲求不満状態の心のことをいう。

C楡検覆舛しょう) (梵)ティルヤンチュ "tiryaNc"
畜養される生き物のこと。または、家畜に限らず、鳥獣虫魚などのすべての動物を畜生という。人間と同じ世界に生きている。愚かな者が本能的な行為を繰り返し、その報いとして、転生後、畜生界に趣くと言われる。弱肉強食であり、他者を殺すことによって食べ物を得て生きることができ、生殖の際も同類で争ってメスを得る。常に他者に襲われる危険があり、緊張の連続の中で暮らす。

大乗仏教では、無智な心を畜生という。智慧がないので、本能のままに生き、常に生理的欲求を満足させるために行動する。食欲・睡眠欲・排泄欲・性欲を満足させることに一日を使い、その日暮らし的な生き方をする。教えを受ける能力(機根)が低いために、たとえ善い教えを聞いても有り難さが分からず、続けて学ぼうとする気も起こらず、ましてや実践しようという気にはならない。

ぐそね紂覆△靴紊蕁 (梵)アスラ "asura"
一般的には、修羅界という。
大乗仏教から迷いの世界の境界に入ったので、大乗以前には修羅界の思想はない。阿修羅は、元々、天上界の神だったが、帝釈天との争いに敗れて天上界から落とされ、海底に住むようになった。争いを好み、何度敗れても帝釈天に挑戦し続ける存在。

阿修羅とは、闘争心のこと。食べ物や生殖相手を求めて争うような畜生界とは異なり、自分の見栄・体裁・自尊心を守るために争い、嫉妬心のために戦う心のこと。自分は正しい、優秀である、血筋がいい、選ばれた人間だ、という慢心を満足させるために相手を攻撃する心。

タ祐屐覆砲鵑欧鵝 (梵)マヌーシャ "manussya"
人間とは、私たち人類のこと。閻浮提(えんぶだい)という人間界に住む者。マヌーシャとは、考えるという意味の「マナ」を語源としているので、考える者のことをいう。

大乗仏教では、「疑惑」の心のこと。怒り・貪り・無智・闘争という心は、ある程度コントロールされているが、自他への信頼がなく、疑いの心を持った状態のことをいう。

ε珪紂覆討鵑犬腓Α (梵)デーヴァローカ "devaloka"
天上界に住む神々のこと。梵天・帝釈天・大自在天・歓喜天・四天王のような神々のこと。もとは、ヴェーダ聖典に登場する神々であり、古代よりインドで信仰されてきた。仏教では、神も人と同じように迷いの存在であり、いつかは死ぬとされる。

大乗仏教では、慢心の境地をいう。欲しいものを得た喜び、快楽、満足感、優越感、幸福感のこと。それらは束の間の楽なので、いつまでも続かず、いつかは苦へと転じる。

 地獄=怒り(瞋恚)
 餓鬼=貪り(慳貪)
 畜生=無智(愚痴)
 修羅=闘争(嫉妬)
 人間=思考(疑惑)
 天上=慢心(高慢)

●無量義経説法品第二 #8 2015/1/6(火) 午後 6:36

第六 如来広く説く分「三疑を答える-3」

●現代語訳

菩薩よ。この様に、真理を観る智慧がないために、迷いの世界を輪廻する人々を哀れだと思ったならば、大慈悲の心を起こして、救い抜くことを願い、願ったならば、もう一度深く一切の事物・現象を観察して下さい。

●訓読

菩薩摩訶薩。是の如く諦かに観じて、憐愍(れんみん)の心を生じ、大慈悲を発して将(まさ)に救抜(くばつ)せんと欲し、またまた深く一切の諸法に入れ。

●真読

菩薩摩訶薩。如是諦観。生憐愍心。発大慈悲。
ぼさつまかさつ。にょぜたいかん。しょうれんみんしん。ほつだいぼだい。

將欲救拔。又復深入。一切諸法。
しょうよくくばつ。うぶじんにゅう。いっさいしょほう。

●解説

人々は、真理を知らないために、悪業を積み、迷いの世界を輪廻しています。どこかで歯止めをかけ、心を切り替えなければ、衆生は煩悩を太らせ、どんどんと深い苦の世界へと墜ちてしまいます。そのような人々を観て哀れだと感じたならば、慈悲の心を起こして、救いたいという願いを持つことが大切です。その願いを持ったならば、もう一度、一切の事物・現象を観察してください、と釈尊が説かれました。

●用語の解説

○憐愍(れんみん) かわいそうに思うこと。あわれむこと。あわれみ。

○慈悲(じひ) (梵)マイトリー "maitrii"
慈とは、「慈しみ」のことで、人々の幸福を願うこころのこと。
悲とは、「憐れみ」のことで、人々の苦しみを除いてあげたいと思う心。

●無量義経説法品第二 #9 2015/1/6(火) 午後 7:06

第六 如来広く説く分「三疑を答える-4」

●現代語訳

ものの姿形は、このような場合には、このような事象となって生じます。
ものの姿形は、このような場合には、このような事象となってとどまります。
ものの姿形は、このような場合には、このような事象となって変化します。
ものの姿形は、このような場合には、このような事象となって滅します。

●訓読

法の相 是の如くして 是の如き法を生ず。
法の相 是の如くして 是の如き法を住す。
法の相 是の如くして 是の如き法を異す。
法の相 是の如くして 是の如き法を滅す。

●真読

法相如是。生如是法。 ほっそうにょぜ。しょうにょぜほう。

法相如是。住如是法。 ほっそうにょぜ。じゅうにょぜほう。

法相如是。異如是法。 ほっそうにょぜ。いにょぜほう。

法相如是。滅如是法。 ほっそうにょぜ。めつにょぜほう。

●解説

事象が生じ、住し、変化し、滅するという4つの段階について説かれています。これを「四相」と言います。この世界のすべての事物・現象は、因縁和合によってありますので、因縁に依り生じ、因縁に依りその状態を持続させ、因縁に依り変化し、そして因縁によって滅します。

人間であれば、生まれて、育ち、やがて老化し、死にます。どのようなものでも、生じたものは、いつかは滅していくのがこの世界の法則です。そのことには逆らえません。

●無量義経説法品第二 #10 2015/1/6(火) 午後 7:54

第六 如来広く説く分「三疑を答える-5」

●現代語訳

ものの姿形は、このような場合には、悪い事象となって生じます。ものの姿形は、このような場合には、善い事象となって生じます。とどまることも、変化も、滅するのも、同じです。

菩薩よ。この様に、生じること、とどまること、変化すること、滅することの原因と結果を観察して、よく理解できたならば、次に、明らかに一切の現象は、瞬間瞬間に変化し、瞬間瞬間に生滅することを観察し、また瞬時に、生じ、とどまり、変化し、滅すると観察してください。この様に観察したならば、人々の様々な根性欲(機根・性質・欲望)の観察に入ります。根性欲は、人それぞれで異なりますから無量です。根性欲が無量であれば、その一人一人に応じて法を説く必要がありますので、説法もまた無量です。説法が無量ですから、その教義もまた無量です。

●訓読

法の相是の如くして、よく悪法を生ず。法の相是の如くして、よく善法を生ず。住、異、滅もまたまた是の如し。

菩薩、是の如く四相の始末を観察して、悉く遍く知りおわって、次にまた諦かに一切の諸法は念念に住せず、新新に生滅すと観じ、また即時に 生、住、異、滅すと観ぜよ。是の如く観じおわって、衆生の諸の根性欲に入る。性欲無量なるが故に説法無量なり、説法無量なるが故に義もまた無量なり。

●真読

法相如是。能生悪法。法相如是。能生善法。
ほっそうにょぜ。のうしょうあくほう。ほっそうにょぜ。のうしょうぜんぽう。

住異滅者。亦復如是。 じゅういめっしゃ。やくぶにょぜ。

菩薩。如是観察。四相始末。悉遍知已。
ぼさつ。にょぜかんさつ。しそうしまつ。しっぺんちい。

次復諦観。一切諸法。念念不住。新新生滅。
しぶたいかい。いっさいしょほう。ねんねんふじゅう。しんじんしょうめつ。

復観即時。生住異滅。如是観已。而入衆生。
ぶかんそくじ。しょうじゅういめつ。にょぜかんに。ににゅうしゅじょう。

諸根性欲。性欲無量故。説法無量。
しょこんしょうよく。しょうよくむりょうこ。せっぽうむりょう。

説法無量故。義亦無量。 せっぽうむりょうこ。ぎやくむりょう。

●解説

迷いの世界は、有為の世界です。有為とは、縁起によってつくられる世界のことです。この世界では、因縁によって、生じ、存在し、変わり、滅します。これを「生住異滅」といいます。よく知られている無常と同じ意味です。

人々は、真理を知りませんので自他を分けます。本来は、一つであるものを二つに分けることによって縁起がはたらきます。試しに、自分の「舌」を意識してみましょう。それまでは舌の存在を忘れていたのに、舌を意識したとたんに、「舌」と「舌を認識するもの」の二つが生じ、「舌を認識する」という縁起が起こります。このように何かに注意を向ければ、認識することとなり、何らかの因縁を結びます。

自他を分ければ縁起がはたらきます。私たちは自他を分けていますから、有為の世界の住民です。何かと接触する度、自分の心に、感受・想起・意志・認識という心が生じ、その心に執着し、いつしか心は変化し、そして滅します。

他の存在と接触した時に、もし自分が悪意を持っていれば、悪い現象を生み、自分が善意を持っていれば、善い現象を生みます。悪い現象は、とどまり、変わり、滅します。善い現象も、とどまり、変わり、滅します。

さらに深く観察すれば、同じ状態のままで存在するものがないことを知ります。すべての事物・現象は、瞬間・瞬間に変化しているのであって、同じ状態を保ってはいません。瞬時に、生じ、存在し、変化し、滅しています。すべての事物は、刻々と変化しています。

人の心も刻々と変化しています。教えを聞いて理解する能力(機根)も、固定されているのではなく、瞬時に縁によって変わっています。性格(習性)も、欲求も縁によって変化しています。機根・性格・欲求は、10年前と今とでは異なるし、昨日と今日とでは異なります。ある衝撃的な体験をした時には、瞬時に大きな変化も起こります。

人を救うのであれば、今現在の相手の心を観て、その機根・性格・欲求を把握し、相手に相応しい説法をする必要があります。昨日は機嫌がよかったからといって、今日も機嫌がいいとは限りません。昨日と今日とで相手は変わっています。その時、その時で、相手の心をキャッチし臨機応変に対応することが必要です。その時間、場所などによって心は変わりますから、結果的に交流の仕方は無量にあります。そして、その交流が無量であれば、伝えたい内容も無量にあります。

一人でさえそうなのですから、多くの人々と関われば、どれほどの交流があるか分かりません。

●無量義経説法品第二 #11 2015/1/7(水) 午後 1:03

第六 如来広く説く分「三疑を答える-6」

●現代語訳

無量の教義は、一つの真理から生じます。その一つの真理とは無相です。無相とは特徴のないことです。特徴がないのですから特徴を認識することはできません。特徴を認識できないので特徴はありません。それがあるがままの世界です。

●訓読

無量義とは一法より生ず。その一法とは即ち無相なり。是の如き無相は、相なく、相ならず。相ならずして、相なきを名づけて実相とす。

●真読

無量義者。従一法生。其一法者。即無相也。
むりょうぎしゃ。じゅういっぽうしょう。ごいっぽうしゃ。そくむそうや。

如是無相。無相不相。不相無相。名為実相。
にょぜむそう。むそうふそう。ふそうむそう。みょういじっそう。

●解説

仏は、相手の能力・性質・欲望を見抜いて、臨機応変に教えを説きました。説法の内容は無量ですが、伝えたい真理は一つです。その一つの真理とは無相です。無相とは、特徴がないことであり、特徴を認識しないことです。特徴を認識せず、特徴がないことを実相といいます。実相とは、真理の相のことです。

私たちは、何らかの特徴を認識して、そのものの存在を認識します。水・火・土・虚空など、それぞれには何らかの特徴があるとし、それぞれを別のものとして認識します。しかし、それぞれのものは、仮に固体であり、仮に液体であり、仮に気体の特徴を現しているだけです。温度変化によって、凝固し、溶け、沸点で気体となります。急激に酸化すれば燃えます。

特徴とは、その時の仮の姿なのですから、刻一刻と変わっています。固定した特徴をそのものが持っているのではなく、それを認識する側が固定しているだけです。

無量義とは、無量の方便のことです。方便とは、「悟りに近づける方法」のことです。相手に応じて説かれた教えは、真実そのものではありません。赤ちゃんの時は、這えば立て、立てば歩めというのが親心でしょう。いきなり歩めとは言いません。その子の成長に合わせて育てます。しかし、いつの時も心の中では、その子が将来、自立できるようにと、願いはいつも持っているのだと思います。

『無量義』とは、無量の方便は一つの真実から生じ、一つの真実から無量の方便が説かれたということです。

●無量義経説法品第二 #12 2015/1/7(水) 午後 1:17

第六 如来広く説く分 「三疑を答える-7」

●現代語訳

菩薩摩訶薩よ。このような真実の相を悟り、その悟りが完全に自分のものになったことによって生じる慈悲は、明らかに本物であって偽りではありません。この世界で、誠に人々の苦を抜き去ります。苦を抜きおわったならば、また、人々のために教えを説いて、多くの人々に、人生の真の喜びを受けさせます。

●訓読

菩薩摩訶薩。是の如き真実の相に安住しおわって、発する所の慈悲、明諦にして虚しからず。衆生の所に於いて、真によく苦を抜く。苦、既に抜きおわって、また為に法を説いて、諸の衆生をして快楽を受けしむ。

●真読

菩薩摩訶薩。安住如是。真実相已。所発慈悲。
ぼさつまかさつ。あんじゅうにょぜ。しんじつそうい。しょほつじひ。

明諦不虚。於衆生所。真能拔苦。苦既拔已。
みょうたいふこ。おしゅじょうしょ。しんのうばっく。くきばっち。

復為説法。令諸衆生。受於快楽。
ぶいせっぽう。りょうしょしゅじょう。じゅおけらく。

●解説

人々の苦を抜き、楽を与えるというのは、「抜苦与楽」といって慈悲の実践のことです。慈悲の心を持つことは重要ですが、心だけでなく、口でも身でも行為として現すことが勧められます。身口意の三業(行為)が因となり、結果を起こします。

しかし、ただ可哀そうだから助けてあげようとしたり、ただ喜びを感じてもらおうとすると、失敗することがあります。「お金がないから貸して下さい」と知人が尋ねて来たからといって、ニコニコ笑顔でお金を貸せば、相手はそのお金でパチンコに行ったり、お酒を飲むかも知れません。関わるのであれば、相手が煩悩で一杯になっていないか位は観る必要があります。

そのために菩薩は、相手の生住異滅をみて、根性欲をみて、真理を胸に無量の方便力で関わる必要があります。

●無量義経説法品第二 #13 2015/1/7(水) 午後 1:37

第六 如来広く説く分 「無量義の教えの結び」

●現代語訳

善男子よ。菩薩が、このように一切の法門の源である無量義の教えをよく修めたならば、必ず、まっすぐに最高の悟りを得ることができます。

善男子。このように非常に奥深い大乗の無量義の教えは、道理がきちんとしており、この上もなく尊い教えです。過去・現在・未来の諸仏が共に守護する教えです。修行を妨げる様々な者たちや仏教以外の様々な教えが入る余地はなく、一切の邪見やまわりの変化に振り回されて崩れるという事はありません。

このために善男子よ。菩薩がまっすぐに最高の悟りを得ようと願うならば、非常に奥深くこの上のない大乗の無量義の教えを修学してください。

●訓読

善男子。菩薩、もし、よく是の如く一切の法門 無量義を修せん者、必ず疾く阿耨多羅三貎三菩提を成ずることを得ん。

善男子。是の如き 甚深無上大乗無量義経は、文理真正に尊にして過上なし。三世の諸仏の共に守護したもう所なり。衆魔群道、得入することあることなく、一切の邪見生死に壊敗せられず。

この故に善男子、菩薩摩訶薩 もし疾く無上菩提を成ぜんと欲せば、まさに是の如き甚深、無上大乗、無量義経を修学すべし。

●真読

善男子。菩薩若能。如是修。一切法門。
ぜんなんし。ぼさつにゃくのう。にょぜしゅ。いっさいほうもん。

無量義者。必得疾成。阿耨多羅三藐三菩提。
むりょうぎしゃ。ひっとくしつじょう。あのくたらさんみゃくさんぼだい。

善男子。如是甚深。無上大乗。無量義経。
ぜんなんし。にょぜじんじん。むじょうだいじょう。むりょうぎきょう。

文理真正。尊無過上。三世諸仏。所共守護。
もんりしんしょう。そんむかじょう。さんぜしょぶつ。しょぐしゅご。

無有衆魔。群道得入。不為一切。邪見生死。
むうしゅま。ぐんどうとくにゅう。ふいいっさい。じゃけんしょうじ。

之所壊敗。是故善男子。菩薩摩訶薩。若欲疾成。
ししょえはい。ぜこぜんなんし。ぼさつまかさつ。にゃくよくしつじょう。

無上菩提。応当修学。如是甚深。
むじょうぼだい。おうとうしゅがく。にょぜじんじん。

無上大乗。無量義経。
むじょうだいじょう。むりょうぎきょう。

●解説

大荘厳菩薩の質問は、「菩薩がまっすぐに最高の悟りを得る方法」であり、「一法門の名」「一法門の義」「一法門の行」でしたが、釈尊は説法の都合上、順番を変えて、名を答え、行を答え、義を答えられました。

一法門の名…無量義の教え
一法門の行…智慧と慈悲と方便
一法門の義…無量義は一法より生ず

そして、ここでは、この教えの結びをしています。

●無量義経説法品第二 #14 2015/1/7(水) 午後 1:54

第七 大荘厳菩薩が重ねて質問をする  「三徳の不可思議」

●現代語訳

その時に大荘厳菩薩が、また仏に申し上げました。

世尊。世尊の説法は、非常に深遠で思議ができません。人々の根性欲もまた深遠で思議ができません。人々の根性欲に対して説法をするため、教えも修行方法も深遠で思議ができません。

●訓読

その時に大荘厳菩薩、また仏に白して言さく。

世尊。世尊の説法不可思議なり。衆生の根性、また不可思議なり。法門解脱、また不可思議なり。

●真読

爾時大荘厳菩薩。復白仏言。 にじだいしょうごんぼさつ。ぶびゃくぶつごん。

世尊。世尊説法。不可思議。衆生根性。亦不可思議。
せそん。せそんせっぽう。ふかしぎ。しゅじょうこんじょう。やくふかしぎ。

法門解脱。亦不可思議。 ほうもんげだつ。やくふかしぎ。

●用語の解説

○不可思議(ふかしぎ) (梵)アチントヤ "acintya"
認識・理解を越えていること。人知の遠く及ばないこと。

●無量義経説法品第二 #15 2015/1/7(水) 午後 2:13

第七 「質問する理由」

●現代語訳

私たちは、仏さまの説かれる様々な教えにおいて、疑問や困難はありませんが、人々の中には、迷い戸惑う者もあろうかと存じます。そのような迷いや戸惑いが起こらないように、重ねて世尊にお伺いいたします。

●訓読

我等、仏の諸説の諸法に於いて、また 疑難なけれども、しかも諸の衆生迷惑の心を生ぜんが故に、重ねて、世尊に諮いたてまつる。

●真読

我等於仏。所説諸法。無復疑惑。 がとうおぶつ。しょせつしょぶつ。むぶぎわく。

而諸衆生。生迷惑心故。重諮世尊。 にしょしゅじょう。しょうめいわくしんこ。じゅうしせそん。

●解説

思議のできない教えを聞いても、大菩薩は疑うことはないのでしょうが、人々は疑惑の心を起こす可能性があるので、大荘厳菩薩は釈尊に重ねて質問をします。つまり、大荘厳菩薩は、自分のためではなく他者のために質問をするのです。これは慈悲の行為です。

会社の会議で、部長が難解な話をした時、新入社員などは意味不明であっても質問ができずオロオロしているかも知れません。疑惑があっても立場によっては、質問しにくい場合があります。そんな時、菩薩は、自分自身は意味を理解していても、みんなの疑惑を晴らすために、部長に質問することでしょう。

●無量義経説法品第二 #16 2015/1/12(月) 午後 9:29

第七 「これまでの説法の教義」

●現代語訳

如来は、悟りを得られてから四十余年の間、常に人々のために様々な教えを説かれてきました。それは、縁起によるものは生住異滅という変化をするという「四相の義」、縁起に依って生じ、存在することは苦であるとする「苦の義」、事物・現象は、縁起によって仮に生じ、滅するので、そのものには実体はないとする「空の義」、縁起によって生滅するものは変化するという「無常の義」、自分という認識、自分のものという認識、自我の認識を否定する「無我の義」、大・小にとらわれずに「無大・無小」と観ること、生・滅にとらわれずに「無生・無滅」と観ること、真理は一つであるという「一相」、有無の相を超越した「無相」、一切のものごとの真理としての性である「法性」、真理としての相である「法相」、本来は空であり寂であるとする「本来空寂」、そして「不来・不去」、「不出・不没」という涅槃の境地を演説されてきました。

●訓読

如来の得道より以来四十余年、常に衆生の為に諸法の四相の義・苦の義・空の義・無常・無我・無大・無小・無生・無滅・一相・無相・法性・法相・本来空寂・不来・不去・不出・不没を演説したもう。

●真読

自従如来。得道已来。四十余年。常為衆生。
じじゅうにょらい。とくどういらい。しじゅうよねん。じょういしゅじょう。

演説諸法。四相之義。苦義空義。無常無我。
えんぜつしょほう。しそうしぎ。くぎくうぎ。むじょうむが。

無大無小。無生無滅。一相無相。法性法相。
むだいむしょう。むしょうむめつ。いっそうむそう。ほっしょうほっそう。

本来空寂。不来不去。不出不沒。
ほんらいくうじゃく。ふらいふこ。ふしゅつふもつ。

●解説

ここには、これまで釈尊が説かれてきた教義が挙げられています。それは、「四相の義」「苦の義」「空の義」「無常」「無我」「無大無小」「無生無滅」「一相」「無相」「法性」「法相」「本来空寂」「不来不去」「不出不没」という教義です。これらの教義は、すべて縁起の思想を土台にしています。以下にそれぞれの教義の意味を簡単に解説いたしますが、どれも不可思議の教義ですから、まずは、さらりと概要をおつかみ下さい。これらの深い意味は、『法華経』で徐々に明かされます。

●用語の解説

○四相の義
因縁によって作られているこの世界は、因縁和合によって刻々とものの状態は変化している。その変化している状態のなかの4つをとって四相という。四相とは、「生相・住相・異相・滅相」のこと。人間の一生でいえば、「誕生・維持・老化・死」とみることができるし、心も、「生じた想い」「想いへの執着」「想いの変化」「想いの消滅」とみることができる。

○苦の義
「一切皆苦」は、サルヴァ・サンスカーラ・ドゥクハ "sarva saMskaara duHkha" なので、正しくは、「一切行苦」と訳される。「行」とは、因縁和合によって作られた事象のこと。「苦」という言葉は、日本語の「苦しみ」と同じ意味の場合もあるが、本来は、「思い通りにならないことによる心の痛み」「憂い」「不満」などの意味である。

縁起とは、因縁に依って存在し、生じるということなので、他の影響を受けて存在し、生じている。よって、自分の思い通りの結果を得ることはできない。すべては、因縁によって刻々と変化しているので、これからどのような変化があるのかは、誰にも分からないので、思い通りにならないのが当然である。そのことを無視して抵抗すれば、苦しみを感じることになる。

○空の義
空とは、個の実体の否定のこと。すべての事物・現象は、因縁和合によって仮にあるので、実体はないとする。そのものに何らかの実体を認識したとしたら、それは誤認である。実体ではないものを実体だと妄想している。

○無常
無常とは、「常ではない」という意味。すべてが無常だというのではなく、一切の行を無常だという。「諸行無常」「一切行無常」の「行」とは、因縁和合によって作られた事象のことなので、因縁によって存在する事象、生じた事象は無常であるという意味である。「一切行苦」「一切行無常」というので、「無常なるものは苦である」という意味になる。

○無我
無我とは、アートマンの否定のこと。
アートマンの否定を意味する「アナートマン」 "anaatman"を訳して「非我」「無我」という。アートマンは個の原理であり、主体なので、常に認識する立場であって、客体として認識されることはない。そのことから、仏教では、「アナートマン」と言われる。よって、アートマンもアナートマンも同じことを意味しているが、「有無」を超えているので「無我」という表現を使う。無我とは、「我は無い」というメッセージが強くなるので、アートマンではないものをアートマンだと認識することを完全否定しています。この思想は、大乗仏教では、「空」という言葉で主張された。

○無大無小
空の思想においては、実体が認めらないので、一切の特徴も認められない。大きいとか小さいというのは、他と比べたときに認識されるので、実体が有ることが前提となる。実体はないので、そのものに特徴があるとするのは仮である。

○無生無滅
実体がないので、生じるもの、滅するものはない。空においては、生住異滅はない。

○一相
実相のこと。自他一体の境地においては、すべての特徴は認識されず、すべては一つだとされる。

○無相
一相と同じく、実相の別名。すべてが一つであれば、個々の特徴を認識することはできない。

○法性
これも実相の別名。すべての事物・現象の真の本性のこと。

○法相
これも実相の別名です。すべての事物・現象の真の相のことです。

○本来空寂
常に空であり、安らぎの境地だということ。

○不来不去
本来空寂ですので、来るという主体、去るという主体はなく、向こうからこちらに来るというような場所の移動もありません。

○不出不没
本来空寂なので、出るという主体、没するという主体はなく、出てくる場所、没する場所もない。

●無量義経説法品第二 #17 2015/1/12(月) 午後 10:59

第七 「それぞれの果報」

●現代語訳

もし、この教えを聞くことができた者は、初めは心温まるものを感じる程度から徐々に高まり、その教えの尊さに気づき、煩悩を捨てることによって迷いの世界から脱することができると学び、実践して、ついには阿羅漢果という声聞の最高の境地を得る事ができました。または、縁覚の者は辟支仏道を得、悟りを目指す心を起こして菩薩となった者は、菩薩の高位の境地に至りました。

●訓読

もし聞くことある者は、或は、忍法、頂法、世第一法、須陀洹果(しゅだおんか)、斯陀含果(しだごんか)、阿那含果(あなごんか)、阿羅漢果(あらかんが)、辟支仏道(びゃくしぶつどう)を得、菩提心を発し、第一地、第二地、第三地に登り、第十地に至りき。

●真読

若有聞者。或得煖法。頂法。世第一法。
にゃくうもんしゃ。わくとくなんぽう。ちょうぼう。せだいいっぽう。

須陀洹果。斯陀含果。阿那含果。阿羅漢果。
しゅだおんか。しだごんか。あなごんか。あらかんが。

辟支仏道。発菩提心。
びゃくしぶつどう。ほつぼだいしん。

登第一地。第二地。第三地。至第十地。
とうだいいちぢ。だいにぢ。だいさいぢ。しだいぢゅうぢ。

●解説

法華経が編纂された時代、仏教修行者のタイプは三種類でした。学問を修める声聞と、独りで縁起を思惟する縁覚と、衆生を救済する菩薩です。釈尊は、それぞれの修行者に相応しい教えや行を伝え、それぞれの修行者はそれぞれに自分を高めました。

●用語の解説

○須陀洹(しゅだおん)
(梵)スロータ・アーパンナ "srota-aapanna"
預流(よる)。無漏(むろ)の聖者の流れに入った者で、四向四果の最初の段階。この位に達すると退転することがなく、最大でも7回人間界と天界を往来するだけで悟りに達することができるとされる。

○斯陀含(しだごん)
(梵)サクリダーガーミン "sakRdaagaamin"
一来(いちらい)。一度天界に生れ、再び人間界に戻って悟りに入る者のこと。

○阿那含(あなごん)
(梵)アナーガーミン "anaagaamin"
不還(ふげん)。二度と人間界に戻ることはなく、天界以上の階位に上って悟りに至る者のこと。

○阿羅漢(あらかん)
(梵)アルハット "arhat"
応供(おうぐ)、無学と訳される。声聞の中では最高位の修行者。衆生から供養されるのに相応しい者のこと。

○辟支仏(びゃくしぶつ)
(梵)プラティエーカ・ブッダ "pratyeka-buddha"
直訳すると、「各自に覚った者」の意味。独覚・縁覚とも訳される。出家者の中で、ある程度の仏法を学んだ者が、僧伽から分かれて、人里離れた山奥・林間・洞窟などに住み、縁を観る禅定で悟りを目指す者のこと。

○菩薩の十地
菩薩が修行して得られる菩薩五十二位の中で、下位から数えて第41〜50番目の位のこと。第51は「等覚」、第52は「妙覚」、そして最終的に全ての行を修めて「仏地」に入る。

41. 歓喜地(かんぎじ)
四無量心。
菩薩が空の理を証し、大いに歓喜する位。仏法を信じ、一切衆生を救済しようとの立願を起こし、ついには自らも仏になるという希望を持ち歓んで修行する境地のこと。

42. 離垢地(りくじ)
十善心。
戒波羅蜜を成就して修惑(思惑)を断じ、他を批判し否定する罪の垢を除き、清浄にする位。十善を行い、心の垢を離れる境地のこと。

43. 発光地(はっこうじ)
明光心。
忍辱波羅蜜を成就して修惑を断じ、真理を明らかに感得して智慧を顕す位。精進の結果、その功徳として光を放ち、十種の法明門を行う境地のこと。

44. 焔光地(えんこうじ)
焔光心。
焔慧地・焔慧心ともいう。精進波羅蜜を成就して修惑を断じ、智慧を勢いよく燃えさせるように光らしめる位。個々のものに対する執着心を離れ、その功徳として四方を照らす境地。

45. 難勝地(なんしょうじ)
大勝心。
極難勝地。禅定波羅蜜を成就して修惑を断じ、世間の真実と出世間の真実という真俗二智の行相が、互いに異なることを和合させた位。四諦の法門の外に大乗の法門を学び、利他行に取り組む境地のこと。

46. 現前地(げんぜんじ)
現前心。
智慧波羅蜜を成就して修惑を断じ、最勝智慧を発して、煩悩に染まっているとか、煩悩を滅して浄化したというような染浄の差別を超えた位。不退転の位で決して後戻りせず、必ず仏になる確信を得る境地のこと。

47. 遠行地(おんぎょうじ)
無生心。
方便波羅蜜を成就して修惑を断じ、大慈悲心を発して、自己中心的な救われから離れる位のこと。十十無尽の境地に入る。

48. 不動地(ふどうじ)
不思議心。
願波羅蜜を成就して修惑を断じ、無相観を作し、任運無功用(自らが重い荷を背負うこと)に相続する位のこと。大慈大悲の心を起こす。

49. 善慧地(ぜんえじ)
慧光心。
力波羅蜜の成就によって、大慈大悲の心を発揮し、衆生一人一人を臨機応変に救済する境地のこと。

50. 法雲地(ほううんじ)
受位心。
智波羅蜜の成就によって、平等の原理と差別の人間とが一体となった、平等即差別、差別即平等の真如の境地のこと。大雲のように空を覆って、清浄の恵みの雨を一面に降らすので法雲という。

●無量義経説法品第二 #18 2015/1/12(月) 午後 11:33

第七 「無量義が説かれた理由」

●現代語訳

さて、これまでに説かれた教えと、今説かれた教えと、どの様な違いがあるのでしょう? しかも、この大乗の無量義の教えのみ、菩薩が修学すれば、必ずまっすぐに最高の悟りを成ずることができると言われるのには、どの様な理由があるからでしょう? ただ、願わくは世尊、一切の人々を哀れと思われて、広く人々のために詳しく分けてお説き頂き、広く、現在、未来に教えを聞くすべての人々が、少しの疑いを持つことのないように、お教えくださいますようお願い申し上げます。

●訓読

むかし説きたもう所の諸法の義と、今説きたもう所と、何等の異なることあれば、しかも、甚深無上大乗無量義経のみ、菩薩修行せば 必ず 疾く無上菩提を成ずることを得んと言う。この事如何。ただ願わくは世尊、一切を慈哀して広く衆生の為にしかもこれを分別し、普く現在 及び未来世に法を聞くことあらん者をして、余の疑網無からしめたまえ。

●真読

往日所説。諸法之義。与今所説。有何等異。
おうにっしょせつ。しょほうしぎ。よこんしょせつ。うがとうい。

而言甚深。無上大乗。無量義経。菩薩修行。
にごんじんじん。むじょうだいじょう。むりょうぎきょう。ぼだいしゅぎょう。

必得疾成。無上菩提。是事云何。唯願世尊。
ひっとくしつじょう。むじょうぼだい。ぜじうんが。ゆいがんせそん。

慈哀一切。広為衆生。而分別之。普令現在。
じあいいっさい。こういしゅじょう。にふんべっし。ふりょうげんざい。

及未来世。有聞法者。無余疑網。
ぎゅうみらいせ。うもんぼうしゃ。うよぎもう。

●解説

この質問内容から推察すれば、大荘厳菩薩ほどの大菩薩でさえも、無量義の教えは初めて聞いた説法だったことが分かります。「真っ直ぐに成仏に至る修行をお教えください」というストレートな質問に対し、釈尊が答えられた教えが「無量義」の教えだったのですから、修行者にとっては最も興味関心のある教えであり、後年に残すべき教えであると、大荘厳菩薩は感じられたのでしょう。

●無量義経説法品第二 #19 2015/1/12(月) 午後 11:47

第八 「質問者を讃える」

●現代語訳

そこで釈尊は、大荘厳菩薩に告げました。

素晴らしい。素晴らしいことです。大善男子よ。よく私に、このように非常に奥深くこの上のない大乗の無量義の教えについて質問をしてくれました。あなたは、この質問によって多くの功徳を得ることが出来るでしょう。この答えを得れば、多くの人々や神々は安らぎの境地に入り、人々を苦から救うことができます。あなたの質問は、真の大慈悲のあらわれです。真実であって、偽りではありません。この因縁によって、必ず真っ直ぐに最高の教えを得ることが出来るでしょう。また、今世と来世の人々は、最高の教えを得ることが出来るでしょう。

●訓読

ここに仏、大荘厳菩薩に告げたまわく。

善哉善哉、大善男子。よく如来に 是の如き甚深無上大乗微妙の義を問えり。まさに知るべし。汝よく利益する所多く、人・天を安楽し、苦の衆生を抜く。真の大慈悲なり、真実にして虚しからず。この因縁を以って、必ず 疾く無上菩提を成ずることを得ん。また、一切の今世、来世の諸有の衆生をして、無上菩提を成ずることを得せしめん。

●真読

於是仏告。大荘厳菩薩。
おぜぶつごう。だいしょうごんぼさつ。

善哉善哉。大善男子。能問如来。如是甚深。
ぜんざいぜんざい。だいぜんなんし。のうもんにょらい。にょぜじんじん。

無上大乗。微妙之義。当知如能。多所利益。
むじょうだいじょう。みみょうしぎ。とうちにょのう。たしょりやく。

安楽人天。拔苦衆生。真大慈悲。信実不虚。
あんらくにんでん。ばっくしゅじょう。しんだいじひ。しんじつぶこ。

以是因縁。必得疾成。無上菩提。亦令一切。
いぜいんねん。ひっとくしつじょう。むじょうぼだい。やくりょういっさい。

今世来世。諸有衆生。得成無上菩提。
こんぜらいせ。しょうしゅじょう。とくじょうむじょうぼだい。

●無量義経説法品第二 #20 2015/1/13(火) 午前 0:07

第八 「四十余年未顕真実」

●現代語訳

善男子よ。私は昔、出家してから六年後、ブッダガヤの菩提樹の下に坐り、最高の悟りを得ました。悟りの眼で、一切の事物・現象を観察したところ、その内容を人々に説くことは、かえって善くないことだと感じました。なぜならば、人々の根性欲が、人それぞれに異なると知ったからです。思惟の結果、根性欲が異なるのであれば、人に合わせて教えを説くことが善いと想い、相手に応じた教えを方便力によって説くことにしました。悟りを開いて以来、四十余年が過ぎましたが、未だに方便の教えを説いており、真実を顕していません。そのため、人々の得た修行の結果には差があり、まっすぐに最高の悟りを得ることはありませんでした。

●訓読

善男子。我 先に道場菩提樹下に端坐すること六年にして、阿耨多羅三貎三菩提を成ずることを得たり。仏眼を以って一切の諸法を観ずるに、宣説すべからず。所以は云何。諸の衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと方便力を以ってす。四十余年には未だ真実を顕わさず。この故に衆生の得道差別して、疾く無上菩提を成ずることを得ず。

●真読

善男子。自我道場。菩提樹下。端坐六年。
ぜんなんし。じがどうじょう。ぼだいじゅげ。たんざろくねん。

得成阿耨多羅三藐三菩提。以仏眼観。
とくじょうあのくたらさんみゃくさんぼだい。いぶつげんかん。

一切諸法。不可宣説。所以者何。知諸衆生。
いっさいしょほう。ふかせんぜつ。しょいしゃが。ちしょしゅじょう。

性欲不同。性欲不同。種種説法。種種説法。
しょうよくふどう。しょうよくふどう。しゅじゅせっぽう。しゅじゅせっぽう。

以方便力。四十余年。未曾顯実。是故衆生。
いほうべんりき。しじゅうよねん。みそけんじつ。ぜこしゅじょう。

得道差別。不得疾成。無上菩提。
とくどうしゃべつ。ふとくしつじょう。むじょうぼだい。

●解説

ここは、非常に重要なところです。釈尊は、29歳の時に出家し、6年後の35歳の時に菩提樹下で成道しました。悟った結果、その悟りの内容があまりにも深く不可思議だったため、釈尊は人々に自分の悟りの内容を説くことを躊躇しました。

釈尊の悟りの内容は、あまりにも世間の常識から離れており、説けば人々は疑惑して信じず、顰蹙し、怒り、かえって煩悩をつくると感じたからです。たとえば、天動説を当然と思い、疑うことも知らない人々に、地動説を説くようなものだったのでしょう。

釈尊は、説くことをあきらめようかとも思いましたが、人々の機根が高まるまで、コツコツと低い教えから説いてみようかと考えました。幼稚園の子に、いきなり相対性理論を教えても伝わるはずがありませんから、まずは国語を教え、次に算数を教え、理科を教えていくように、相手に応じて教えを説いて行こうと決めました。つまり、対機説法を選んだのです。人に応じ、時に応じ、場所に応じて教えを説きましたので、無量の方便を説くことになりました。

そして、釈尊は、成道してからこれまでに、四十年以上の時が流れましたが、未だに真実の教えは説いていないと告げました。これまでの教えはすべて方便であり、真実は明かしていないために、修行者は誰も最高の悟りを得ていないとおっしゃったのです。相手に合わせて修行方法を示したために、人によって現在得ている果報も異なると告げられました。

 四十余年未顕真実

有名な言葉なのでご存知の方も多いと思います。なぜ有名なのかというと、無量義経・法華経以前に説かれた教えは、真実ではなかったと釈尊が告げられたため、法華経こそが真実顕現の経典だという文証となったからです。

日蓮系の信者は、この言葉によって、「法華経は真実経」だと主張し、他経は「方便経」だから価値が低いと批判しました。しかし、「無量義は一法より生ず」です。無量の方便の教えも真実を込めて説かれていますから、機根が高い者が読めば、方便経もまた真実経となります。

言語道断というように、真実は言葉で表すことができませんので、言葉で説かれている経典の『法華経』も、また方便経です。真実そのものは無相ですから、認識することができません。認識できない内容を文字にすることは不可能なのです。ただし、法華経には、真実へと導く扉はありますので、その扉が何であるかを見極める必要があります。

●無量義経説法品第二 #21 2015/1/15(木) 午後 9:11

第八 釈尊が質問に答える 「水の譬え」

●現代語訳

善男子よ。教えを水に譬えて話しましょう。水はよく汚れを落とします。井戸・池・溝・河・谷川・運河・大海は、どれも、よく様々な物の汚れを落とします。教えも同じです。よく人々の様々な煩悩という汚れを落とします。

善男子よ。水の性は、汚れを落とすという点では同じですが、井戸・池・溝・河・谷川・運河・大海では、それぞれに違いがあります。教えも同じです。迷いや煩悩を除く点では同じであり差はありませんが、三法・四果・二道などのように教えの内容には違いがあります。

●訓読

善男子。法は 譬えば水のよく垢穢を洗うに、もしは井、もしは池、もしは江、もしは河、渓・渠(こ)・大海、皆悉くよく諸有の垢穢を洗うが如く、その法水も、またまた是の如し。よく衆生の諸の煩悩の垢を洗う。

善男子。水の性はこれ一なれども江・河・井・池・渓・渠、大海、各各別異なり。その法性も、またまた是の如し。塵労を洗除すること等しくして 差別なけれども、三法・四果・二道不一なり。

●真読

善男子。法譬如水。能洗垢穢。若井若池。
ぜんなんし。ほうひにょすい。のうせんくえ。にゃくしょうにゃくち。

若江若河。溪渠大海。皆悉能洗。諸有垢穢。
にゃくこうにゃくが。けいこだいかい。しょうくえ。

其法水者。亦復如是。能洗衆生。諸煩悩垢。
ごほうすいしゃ。やくぶにょぜ。のうせんしゅじょう。しょぼんのうく。

善男子。水性是一。江河井池。溪渠大海。
ぜんなんし。すいしょうぜいち。こうがしょうち。けいこだいかい。

各各別異。其法性者。亦復如是。洗除塵勞。
かっかくべっち。ごほうしょうしゃ。やくぶにょぜ。せんじょじんろう。

等無差別。三法四果。二道不一。
とうむしゃべつ。さんぽうしか。にどうふいち。

●解説

ここでは、教えを水に譬えています。茶碗の汚れ、服の汚れ、身体の汚れ、自動車の汚れなど、人は汚れを落とすために水を使います。井戸でも、池でも、溝でも、河でも、谷川でも、人の作った運河でも、海でも、水があれば物を洗えます。それぞれに水の量は違っても物を洗う点では同じです。教えも同じです。一日一善の教えでも、五戒、八正道、六波羅蜜の教えでも、人々の煩悩の汚れを落とす点では同じです。

しかし、水は物の汚れを落としますが、場所によって勝手が変わります。現在は、池や川や海で物を洗うことは少ないので、身近な例で表わせば、手や顔だけを洗うのであれば洗面所のほうがいいし、身体を洗うのであれば、シャワーや風呂のほうが適しています。

茶碗を洗う、服を洗う、車を洗うなどの違いによって場所を変えて洗うように、仏も相手に応じて教えを説かれました。機根・性格・欲求の違い、時・場所・場面の違いに合わせて教えを説かれました。相手の煩悩の汚れを落とすという目的は同じですが、教えの内容は異なりましたので、教えを受けることの果報も異なりました。

●用語の解説

○三法 四諦・十二因縁・六波羅蜜の教えのこと。

○四果
声聞の修行の結果を四段階に分けて名付けている。須陀洹果(しゅだおんか)、斯陀含果(しだごんか)、阿那含果(あなごんか)、阿羅漢果(あらかんが)のこと。

http://blogs.yahoo.co.jp/jojon_folk/13646642.html

○二道 方便と真実の二つの道のこと。

●無量義経説法品第二 #22 2015/1/15(木) 午後 9:48

第八 釈尊が質問に答える-2 「一は多の意味を持つ」

●現代語訳

善男子よ。水はどこの水でも汚れを落としますが、井戸は池ではありません。池は溝、河ではありません。谷川や運河は海ではありません。

如来が教えにおいて自在なように、説かれる教えもまた自在です。初期・中期・後期の教えは、どれも、よく人々の煩悩を洗い清めますが、初期の教えと中期の教えは異なりますし、中期の教えは後期の教えと異なります。初・中・後の教えは、言葉の上では同じでも、その教義は異なります。

●訓読

善男子。水は倶に洗うといえども、しかも、井は池に非ず、池は江河に非ず、渓渠(けいこ)は海に非ず。如来世雄の法に於いて自在なるが如く、所説の諸法も、またまた是の如し。初・中・後の説、皆よく衆生の煩悩を洗除すれども、しかも、初は中に非ず、しかも中は後に非ず。初・中・後の説、文辞一なりと雖もしかも義各異なり。

●真読

善男子。水雖倶洗。而井非池。池非江河。
ぜんなんし。すいすいくせん。にしょうひち。ちひごうが。

溪渠非海。如如来世雄。於法自在。所説諸法。
けいこひかい。にょにょらいせおう。おほうじざい。しょせつしょほう。

亦復如是。初中後説。皆能洗除。衆生煩悩。
やくぶにょぜ。しょちゅうごせつ。かいのうせんじょ。しゅじょうぼんのう。

而初非中。而中非後。初中後説。
にしょひちゅう。にちゅうひご。しょちゅうごせつ。

文辭雖一。而義各異。
もんじすいいち。にぎかくい。

●解説

同じ水の集合でも、井戸・池・溝・河・運河・大海は、同じものではありません。井戸と海が同じだと言う人はいません。地上に雨が降り、井戸や池にとどまる水もありますが、山奥の水は流れて集まって小川になり、小川は川へと流れ込み、やがて海へと集まります。水の集合体という点では同じでも、小川と川と海とは同じではありません。

教えについても同様です。初期に説かれた教えと、中期、後期では、はたらきは同じでもその内容は異なります。たとえば、「縁起」という言葉一つをとっても、仏教初心者に対して説く場合と高僧に対して説く場合とでは、同じ言葉を使っても深みが変わります。

「一水四見」という譬えがあります。同じ水を見ても、見るものによって感じ方が違うということを表わす譬えです。

人間にとっての川、湖、海などの水は、天の神々にとっては美しい鏡のような輝きであり、魚にとっては住み家であり、餓鬼にとっては汚水や膿に見える。

また、次のような詩もあります。

 手を打てば 鳥は飛び立つ 鯉は寄る
        女中茶を持つ 猿沢の池

「ポンポン」と手を叩くと、鳥は音を怖がって逃げていき、鯉は餌がもらえると集まり、女中は自分が呼ばれたと思ってお茶を持って行くということです。その音を聞くものによって、違った意味合いになるということを見事に表現しています。

このように同じことがあっても、その人によってとらえ方は違いますから、その人に応じて教えを説くことになります。

●無量義経説法品第二 #23 2015/1/16(金) 午後 7:38

第八 釈尊が質問に答える-3「初説・中説・後説」

●現代語訳

善男子。
私は、ブッダガヤーの菩提樹の下から離れて、ヴァーラーナシーのムリガダーバに行き、五人の比丘のために四諦の法輪を説いた時、一切の現象は本来空寂であり、常に変化してとどまることなく、刻一刻に生じ、滅すると説きました。中期には、グリドラクータや様々な処において、数々の比丘や菩薩たちのために、十二因縁・六波羅蜜を説いた時も、一切の現象は本来空寂であり、常に変化してとどまることなく、刻一刻に生じ、滅すると説きました。今、また、ここにおいて、大乗の無量義の教えを説く時も、一切の現象は本来空寂であり、常に変化してとどまることなく、刻一刻に生じ、滅すると説きました。

善男子。
このように、初説・中説・後説において、言葉の上では同じでも教義は異なります。教義が異なるために人々の理解も異なります。理解が異なるために、得る教え、得る結果、得る道も異なります。

●訓読

善男子。我、樹王を起って波羅奈(はらない)・鹿野園(ろくやおん)の中にいたって、阿若拘隣(あにゃくりん)等の五人の為に、四諦の法輪を転ぜし時も、また諸法は本より来空寂なり。代謝して住せず念念に生滅すと説き、中間、此、及び処処に於て、諸の比丘、並に衆の菩薩の為に、十二因縁六波羅蜜を弁演し宣説し、また諸法は本より来空寂なり、代謝して住せず念念に生滅すと説き、今、また此に於て、大乗無量義経を演説するに、また諸法は本より来空寂なり、代謝して住せず念念に生滅すと説く。

善男子。この故に、初説・中説・後説、文辞是れ一なれども、しかも義別異なり。義異なるが故に衆生の解異なり。解異なるが故に得法・得果・得道、また異なり。

●真読

善男子。我起樹王。詣波羅奈。鹿野園中。
ぜんなんし。がきじゅおう。けいはらない。ろくやおんちゅう。

為阿若拘隣等五人。転四諦法輪時。
いあにゃくりんとうごにん。てんしたいほうりんじ。

亦説諸法。本来空寂。代謝不住。念念生滅。
やくせっしょほう。ほんらいくうじゃく。だいしゃふじゅう。ねんねんしょうめつ。

中間於此。及以処処。為諸比丘。并衆菩薩。
ちゅうげんおし。ぎゅういしょしょ。いしょびく。びょうしゅぼさつ。

辯演宣説。十二因縁。六波羅蜜。
べんねんせんぜつ。じゅうにいんねん。ろくはらみつ。

亦説諸法。本来空寂。代謝不住。念念生滅。
やくせっしょほう。ほんらいくうじゃく。だいしゃふじゅう。ねんねんしょうめつ。

今復於此。演説大乗。無量義経。
こんぶおし。えんぜつだいじょう。むりょうぎきょう。

亦説諸法。本来空寂。代謝不住。念念生滅。
やくせっしょほう。ほんらいくうじゃく。だいしゃふじゅう。ねんねんしょうめつ。

善男子。是故初説。中説。後説。文辞是一。
ぜんなんし。ぜこしょせつ。ちゅうせつ。ごせつ。もんじぜいち。

而義別異。義異故。衆生解異。
にぎべっち。ぎいこ。しゅじょうげい。

解異故。得法得果。得道亦異。
げいこ。とくほうとっか。とくどうやくい。

●解説

初説とは、初転法輪のことです。釈尊はガヤーの菩提下で悟りを開かれた後、ヴァーラーナシーに行き、かつて共に苦行をした五比丘に対して、「四諦」「八正道」を説かれました。

中説とは、仏教教団が大きくなった頃の説法のことで、竹林精舎・祇園精舎・霊鷲山などで、多くの比丘や菩薩に「十二因縁」「六波羅蜜」を説かれました。

後説とは、今、この霊鷲山で、菩薩たちに対して説かれている『無量義経』のことです。

初説・中説・後説において、釈尊は、一切の現象は本来空寂であり、常に変化してとどまることがなく、刻一刻に生じ、滅すると説かれました。

初説・中説・後説において、釈尊は、「縁起の理法」を説かれたのですが、縁起という言葉は同じでも、初説、中説、後説において、その内容は変わりました。初説においては、二種の縁起を「四諦」として説かれ、中説では「十二因縁」という連鎖縁起と衆生との因縁による行である「六波羅蜜」を説かれ、現在は、智慧と慈悲によって衆生に方便の教えを説く「無量義」を説かれました。すべては縁起の教えですが、徐々に教義は深まっています。このように教義が異なっているので、人それぞれで得る果報も異なります。

実際の仏教教義の歴史では、最初期の経典である『スッタニパータ』で「非我」「二種縁起」「連鎖縁起」が説かれ、それを本にして、阿含経で「四諦」「十二因縁」「八正道」が整いました。そして、大乗仏教の時代になり、大乗仏教徒たちが、『般若経群』で「空」「六波羅蜜」を整えています。これらの教義は、すべて「縁起の理法」が基にあります。

●用語の解説

○波羅奈(はらない)
(梵)ヴァーラーナシー "Varanasi"
日本では、「ベナレス」とも呼ばれる。ガンジス川沿いの地方で、この地方の近くにはサルナート(鹿野園)という釈尊が初めて説法をした場所がある。

ここは、ヒンドゥー教の聖地でもある。ガンジス川近くで死ねば輪廻から解脱できるという伝説があるので、この地で死を待つ人が多い。そのために、ヴァーラーナシーは「火葬場の街」とも呼ばれる。

ここは、現在のウッタル・プラデーシュ州にある。この州は、インドで最も人口が多い。

○鹿野園(ろくやおん)
(梵)ムリガダーバ "mṛgadaava"
 mṛga + dāva mṛga = 鹿 dāva = 森
現在のサールナート(鹿の王)。釈尊が成道後、五比丘に対し、初めて説法(初転法輪)をした場所。鹿の多い園林だったので「鹿の森」と呼ばれた。

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○五比丘(ごびく)
五人の出家修行者。釈尊とは、苦行林での修行仲間である。釈尊が出家した時に、その身を案じて父であるシュッドーダナ(浄飯)王が、釈尊の護衛につけたという。共に苦行林で、限界ギリギリの苦行を続けた。やがて釈尊は、苦行では悟れないと気づいて苦行を捨て、沐浴をし、スジャータから乳粥の布施を頂く。それを見た五比丘は、「シッダルタは堕落した」とみて、釈尊から離れて、苦行林から鹿野園へと修行の場所を変えた。

釈尊は悟りを開いて、最初の相手に五比丘を選んで、はるばると鹿野苑に行くと、五比丘は釈尊の来たのを知って、「裏切り者は無視しよう」と示し合わせたが、釈尊のあまりの神々しさに心を動かされ、釈尊の説法を聞いた。この五比丘が釈尊の説法を聞いたことによって、教法が始まるので、この時を仏教の始まりとする。また、五比丘が釈尊の弟子になったので、この時に僧伽(さんが)ができたとする。僧伽とは、仏教修行者の集団のこと。

五比丘とは、次の五人のことである。

 阿若憍陳如(あにゃきょうちんにょ)アジュニャ・カウンディンヤ
 阿説示(あせつじ)アッサジ
 摩訶摩男(まかなまん)マハーナーマン
 婆提梨迦(ばつだいりか)バドリカ、バッディヤ
 婆敷(ばしふ)ヴァシュフ、ワッパ、ヴァッパ

○阿若拘隣(あにゃくりん)
(梵)アジュニャ・カウンディンヤ "Ajña-Kaundinya"
通常、阿若憍陳如(あにゃきょうちんにょ)と呼ばれる。五比丘の中のリーダー的存在。釈尊の教法を学んで最初に領解した。釈尊は自分の悟りの内容が他者に伝わったことを非常に喜び、感動して、「カウンディンヤが悟った!!」と叫んだという。それ以来、釈尊は、「よく領解したカウンディンヤ」と呼んだという。その呼び名が定着し、経典でも「阿若拘隣」「阿若憍陳如」の名で登場する。

●無量義経説法品第二 #24 2015/1/18(日) 午後 5:12

第八 釈尊が質問に答える-4 「教えの果報」

●現代語訳

善男子。
初め、声聞を求める人のために四諦の法門を説いたのですが、天より八億の神々が来下して教えを聞き、菩提心を起こしました。中ごろ、様々な場所で、縁覚を求める人のために奥深い意義を持つ十二因縁の法門を説いたのですが、多くの人々が成仏を求める心を起こし、または迷いの世界を離れ声聞の位を得ることができました。次に、菩薩のために、様々な大乗の教え、大いなる般若の教え、華厳の教えを説いて、菩薩が転生を繰り返して修行をすることを明かした時、多くの比丘たち、多くの人や天の神々、多くの者たちは、聖者のそれぞれの位を得、縁覚の位を得、縁起の法を悟る事ができました。

●訓読

善男子。初め四諦を説いて 声聞を求むる人の為にせしかども、しかも八億の諸天来下して法を聴いて菩提心を発し、中ごろ処処に於いて、甚深の十二因縁を演説して辟支仏を求むる人の為にせしかども、しかも無量の衆生菩提心を発し、或は声聞に住しき。次に方等十二部経、摩訶般若、華厳海空を説いて、菩薩の歴劫修行を宣説せしかども、しかも百千の比丘・万億の人・天・無量の衆生、須陀洹・斯陀含・阿那含・阿羅漢果・辟支仏、因縁の法の中に住することを得。

●真読

善男子。初説四諦。為求声聞人。
ぜんなんし。しょせつしたい。いぐしょうもんにん。

而八億諸天。来下聴法。発菩提心。
にはちおくしょてん。らいげちょうぼう。ほつぼだいしん。

中於処処。演説甚深。十二因縁。
ちゅうおしょしょ。えんぜつじんじん。じゅうにいんねん。

為求辟支仏人。而無量衆生。発菩提心。或住声聞。
いぐびゃくしぶつにん。にむりょうしゅじょう。ほつぼだいしん。わくぢゅうしょうもん。

次説方等。十二部経。摩訶般若。華厳海雲。
しせつほうどう。じゅうにぶきょう。まかはんにゃ。けごんかいくう。

演説菩薩。歴劫修行。而百千比丘。万億人天。
えんぜつぼだい。りゃっこうしゅぎょう。にひゃくせんびく。まんのくにんでん。

無量衆生。得住須陀洹。斯陀含。阿那含。
むりょうしゅじょう。とくぢゅうしゅだおん。しだごん。あなごん。

阿羅漢果。辟支仏。因縁法中。
あらかんが。びゃくしぶつ。いんねんほうちゅう。

●用語の解説

○方等(ほうどう)
(梵)ヴァイプルヤ "Vaipulya"
平等の真理のことで、大乗経典のこと。

○方等十二部経(ほうどうじゅうにぶ)

1. 修多羅(しゅたら) (梵)スートラ "suutra"経。教えを散文で述べたもの。

2. 祇夜(ぎや) (梵)ゲーヤ "geya"
偈。応頌(おうじゅ)。重頌(じゅうじゅ)。
散文で述べた内容を韻文で重説したもの。

3. 記別(きべつ)
(梵)ヴィヤーカラニャ "vyaakaraNa"
仏が弟子の未来について成仏の予言を述べたもの。

4. 伽陀(かだ)
(梵)ガーター "gaathaa"
最初から独立して韻文で述べたもの。

5. 優陀那(うだな)
(梵)ウダーナ "udaana"
無問自説。質問なしに仏がみずから進んで教説を述べたもの。

6. 如是語(にょぜご)
(梵)イティ・ウクタカ "ity-uktaka"
「かくのごとき言説」の意味。

または、本事 (ほんじ)
(梵)イティ・ヴリッタカ "iti-vRttaka"
「かくのごとき出来事」の意味。
仏弟子の過去世の因縁を述べたもの。

7. 本生(ほんじょう)
(梵)ジャータカ "jaataka"
仏の過去世の修行を述べたもの。

8. 方広(ほうこう)
(梵)ヴァイプルヤ "vaipulya"
広く深い意味を述べたもの。

9. 未曾有法(みぞうほう)
(梵)アドブタ・ダルマ "adbhuta-dharma"
仏の神秘的なことや功徳を嘆じたもの。

10.尼陀那(にだな)
(梵)ニダーナ "nidaana"
因縁。縁起。経や律の由来を述べたもの。

11.阿婆陀那(あばだな)
(梵)アヴァダーナ "avadaana"
譬喩(ひゆ)。教説を譬喩で述べたもの。

12.優婆提舎(うはだいしゃ)
(梵)ウパデーシャ "upadeSa"
論議。教説を解説したもの。

○摩訶般若(まかはんにゃ) 大般若経のこと。

○華厳海空(けごんかいくう) 華厳経のこと。

○歴劫修行(りゃっこうしゅぎょう)
菩薩が長い間、過去・現在・未来の三世において転生を繰り返して修行すること。

●無量義経説法品第二 #25 2015/1/21(水) 午前 10:14

第八 釈尊が質問に答える-5 「教えのこころ」

●現代語訳

善男子。このような理由で、説法は同じでも教義は異なります。教義が異なるために人々の理解も異なります。理解が異なるために、得る教え、得る結果、得る道も異なります。

このために善男子。私は悟りを開き、初めて教えを説いてから、今日、大乗の無量義の教えを説くまで、未だかつて、苦・空・無常・無我・非真・非仮・非大・非小・本来生ぜず、今また滅せず、一相、無相、法相、法性、不来、不去、しかも、多くの人々は、生じ、とどまり、変化し、滅するということを説かなかったことはありませんでした。

●訓読

善男子。この義を以っての故に、故に知んぬ。説は同じけれども、しかも義は別異なり、義異なるが故に衆生の解異なり。解異なるが故に得法、得果、得道、また異なり。

この故に善男子、我道を得て初めて起って法を説きしより、今日、大乗無量義経を演説するに至るまで、未だ曾て、苦・空・無常・無我・非真・非仮・非大・非小、本来生ぜず今また滅せず、一相・無相・法相・法性・不来・不去なり、しかも諸の衆生四相に遷(うつ)さるると説かざるにあらず。

●真読

善男子。以是義故。故知説同。
ぜんなんし。いぜぎこ。こちせつどう。

而義別異。義異故。衆生解異。
にぎべっち。ぎいこ。しゅじょうげい。

解異故。得法得果。得道亦異。
げいこ。とくほうとっか。とくどうやくい。

是故善男子。自我得道。初起説法。
ぜこぜんなんし。じがとうくどう。しょきせっぽう。

至于今日。演説大乗。無量義経。
しうこんにち。えんぜつだいじょう。むりょうぎきょう。

未曾不説。苦空無常無我。非真非假。
みぞうふせつ。くくうむじょうむが。ひしんひけ。

非大非小。本来不生。今亦不滅。
ひだいひしょう。ほんらいふしょう。

一相無相。法相法性。不来不去。
いっそうむそう。ほっそうほっしょう。ふらいふこ。

而諸衆生。四相所遷。
にしょしゅじょう。しそうしょせん。

●用語の解説

○苦(く)
(梵)ドゥフハ "duHkha"
思い通りにならないことによる心の痛み、悩み、憂いのこと。すべては因縁の和合によるので、自分の思い通りにはならない。苦の代表とされる生老病死は、それ自体が苦なのではなく、それについてあれこれと想い、否定し、嫌悪するから苦しむことになる。老化を受け入れきれず、抵抗すれば、皺が増えるたびに苦しむように、無常であるものに逆らえば苦悩となる。

○空(くう)
(梵)シューニャ "Suunya"
実体がないということ。すべての事象は、因縁和合によって仮にあるので、個の実体はないという思想。個の実体はないので、個の特徴は認識されず、よって個の執着の対象はない。空は大乗仏教の基盤となる教義である。

○無常(むじょう)
(梵)アニトヤ "anitya"
因縁和合によって、事物・現象が変化すること。

○無我(むが)
(梵)アナートマン "anaatman"
アートマン(我)の否定。

○非真
空においては、これは真実であるという固定した認識はない。

○非仮
空においては、これは仮であるという固定した認識はない。

○非大非小
空においては、事象には特徴がなく、他と比べることがないので、大きいとか小さいという相対的な判断は出来ない。

○本来生ぜず今また滅せず
空においては、事象には特徴がないので、生じることも、滅することもない。

○一相
実相と同じ意味。すべてに特徴を観ることはできないので、すべてが一つであるということ。

○無相
空においては、すべてに特徴はなく、区別する根拠、さらに名前をつける根拠もない。よって、認識するという根拠もない。

○法相
諸法が有する本質の相状(体相)。

○法性
(梵)ダルマター "dharmataa"
法の本性のこと。実相の別名。

○不来不去
空においては、来るとか、去るという認識もない。

●無量義経説法品第二 #26 2015/1/21(水) 午前 10:44

第八 「諸仏の身口意の行為を結ぶ」

●現代語訳

善男子。
このような理由から、一切の諸仏は、二つのことを説くことはなく、ただ一つの真実を説きます。よく一つの真実によって、広く人々に応じた姿となり、よく一つの身によって無量の身を示し、その一つ一つの身の中に、また無量の類形を示し、一つ一つの形の中にまた無量の形を示します。

善男子。
このことが、即ち諸仏の不可思議で奥深い境界です。声聞、縁覚という二乗の知る所ではなく、また十地の菩薩の及ぶところではありません。ただ仏と仏だけが究めはっきりと悟った内容です。

●訓読

善男子。この義を以っての故に、一切の諸仏は二言あることなく、よく一音を以って普く衆の声に応じ、よく一身を以って百千万億那由佗無量無数恒河沙の身を示し、一一の身の中に又若干、百千万億那由佗阿僧祇恒河沙種種の類形を示し、一一の形の中に又若干百千万億那由佗阿僧祇恒河沙の形を示す。

善男子、これ則ち諸仏の不可思議甚深の境界なり。二乗の知る所に非ず、また十地の菩薩の及ぶ所に非ず、ただ仏と仏とのみ乃し能く究了したまえり。

●真読

善男子。以是義故。一切諸仏。
ぜんなんし。いぜぎこ。いっさいしょぶつ。

無有二言。能以一音。普応衆声。
むうにごん。のういいっとん。ふおうしゅしょう。

能以一身。示百千万億。那由他。
のういいっしん。じひゃくせんまんのく。なゆた。

無量無数。恒河沙身。一一身中。
むりょうむしゅ。ごうがしゃしん。いちいちしんちゅう。

又示若干。百千万億。那由他。
うじにゃっかん。ひゃくせんまんのく。なゆた。

阿僧祇。恒河沙。種種類形。
あそうぎ。ごうがしゃ。しゅじゅるいぎょう。

一一形中。又示若干。百千万億。
いちいちぎょうちゅう。うじにゃっかん。ひゃくせんまんのく。

那由他。阿僧祇。恒河沙形。
なゆた。あそうぎ。ごうがしゃぎょう。

善男子。是則諸仏。不可思議。
ぜんなんし。ぜそくしょぶつ。ふかしぎ。

甚深境界。非二乗所知。亦非十地。
じんじんきょうがい。ひにじょうしょち。やくひじゅうぢ。

菩薩所及。唯仏与仏。乃能究了。
ぼさつしょぎょう。ゆいぶつよぶつ。ないのうくりょう。

●解説

諸仏の無量の教えは一つの真理より発します。一つの真理を基にして、多くの人に相応しく教えを説かれましたので、諸仏の説法は、無量の教えとなりました。

ここでは、釈尊一人のことではなく、諸仏のことが説かれています。『無量義経』は三世の諸仏の守護する教えだということは前に説かれていましたが、諸仏は皆、一心に無量の教えを説かれたということです。

●用語の解説

○那由佗(なゆた)
(梵)ナユタ "nayuta"
古代インドの数量の単位。一説では一千億のこと。

○無量(むりょう)
(梵)アプラメヤ "aprameya"
古代インドの数量の単位。単位としての無量は有限だが、形容としては無限の意味。

○無数(むしゅ)
(梵)アサンキャ"asaMkhya"
阿僧祇(あそうぎ)とも。単位としての無数は有限。

○恒河沙(こうがしゃ)
(梵)ガンガー・ヴァークカ"Ganga vaaluka"
古代インドの数量の単位。「ガンジス川の砂の数ほど」という想像を絶する数。非常に多数だが、無限ではなく有限。

○百千万億那由佗無量無数恒河沙
百×千×万×億×那由佗×無量×無数×恒河沙のこと。天文学的な数字。

●無量義経説法品第二 #27 2015/1/21(水) 午前 11:05

第八 無量義の教えの結び

●現代語訳

善男子。このような理由から、私は、最初に次のように説きました。
「極めて奥深い大乗の無量義の教えは、道理が真正であり、この上もなく尊いのです。過去・現在・未来の諸仏が共に守護した教えであり、様々な魔物にも仏教以外の教えにも、影響されることがなく、一切の誤った見方や様々な現象に振り回されて崩れるということがありません」

菩薩摩訶薩が、まっすぐに最高の悟りを得ようと願うならば、まさにこのように非常に奥深くこの上のない大乗の無量義の教えを修学することが必要です。

●訓読

善男子。この故に我説く。
「微妙甚深無上大乗無量義経は、文理真正なり、尊にして過上なし。三世の諸仏の共に守護したもう所、衆魔外道、得入すること有ることなし。一切の邪見生死に壊敗せられず」と。
菩薩摩訶薩、もし疾く無上菩提を成ぜんと欲せば、まさに是の如き甚深無上大乗無量義経を修学すべし。

●真読

善男子。是故我説。
ぜんなんし。ぜこがせつ。

微妙甚深。無上大乗。無量義経。
みみょうじんじん。むじょうだいじょう。むりょうぎきょう。

文理真正。尊無過上。三世諸仏。
もんりしんしょう。そんむかじょう。

所共守護。無有衆魔。外道得入。
しょぐしゅご。むうしゅま。げどうとくにゅう。

不為一切。邪見生死。之所壊敗。
ふいいっさい。じゃけんしょうじ。ししょえはい。

菩薩摩訶薩。若欲疾成。無上菩提。
ぼさつまかさつ。にゃくよくしつじょう。むじょうぼだい。

応当修学。如是甚深。無上大乗。無量義経。
おうとうしゅがく。にょぜじんじん。むじょうだいじょう。むりょうぎきょう。

●無量義経説法品第二 #28 2015/1/21(水) 午前 11:53

第九 この世界での供養

●現代語訳

仏がこのことを説き終わると、世界中が感動して、大地は六種に震動し、自然に空中から天上界の様々な華がふってきました。また、数多くの様々な天の香、天の衣、天の首飾り、天の高価な宝石をふらして、上空より旋転して舞い降り、仏と菩薩たち、声聞たち、大衆を供養しました。天の皿には、この上もなく美味な、見たり香るだけで自然と満足できる天の食べ物が盛られており、立派な旗や幡、天蓋、様々な道具を仏の身のまわりに配し、天は音楽を奏でて、仏を讚歎しました。

●訓読

仏、これを説きたもうことおわって、ここに三千大千世界六種に震動し、自然に空中より、種種の天華、天優鉢羅華(うばつらけ)、鉢曇摩華(はつどんまけ)、拘物頭華(くもつづげ)、分陀利華(ふんだりけ)を雨らし、また無数種種の天香、天衣、天瓔珞、天無価の宝を雨(ふ)らして 上空の中より旋転して来下し、仏 及び諸の菩薩、声聞、大衆に供養す。天厨、天鉢器に天百味食 充満盈溢し、天幢、天旛、天軒蓋、天妙楽具、処処に安置し、天の伎楽を作して仏を歌歎したてまつる。

●真読

仏説是已。於是三千大千世界。六種震動。
ぶっせつぜい。おぜさんぜんだいせんせかい。ろくしゅしんどう。

自然空中。雨種種天華。天憂鉢羅華。
じねんくうちゅう。うしゅじゅてんげ。てんぬはらけ。

鉢曇摩華。拘物頭華。分陀利華。
はつどんまけ。くもつづけ。ふんだりけ。

又雨無数種種。天香天衣。天瓔珞。
ううむしゅしゅじゅ。てんこうてんね。てんようらく。

天無價宝。於上空中。旋転来下。
てんむげほう。おじょうくうちゅう。せんてんらいげ。

供養於仏。及諸菩薩。声聞大衆。
くようおぶつ。ぎっしょぼさつ。しょうもんだいしゅ。

天厨。天鉢器。天百味食。
てんちゅう。てんばっき。てんひゃくみじき。

充満盈溢。天幢。天幡。
じゅうまんよういつ。てんどう。てんばん。

天軒蓋。天妙楽具。処処安置。
てんこんがい。てんみょうらくぐ。しょしょあんち。

作天伎楽。歌歎於仏。
さてんぎがく。かたんのぶつ。

●解説

釈尊の説法が終わると大地がゆれ、天から蓮華が降ってきました。これは、天地が喜んでいるということです。喜びの表現として地震があるというと違和感を感じる方も多いと思いますが、地下世界の衆生が釈尊に喜びを伝えるのは、この方法がよいのでしょう。天から青蓮華・紅蓮華・黄蓮華・白蓮華、様々な供物が降ってきたのは、天上界の神々の喜びの表現です。仏と天地が感応した情景です。

●用語の意味

○三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)
須弥山を中心とする世界を一世界とし、その世界が1000×1000×1000(千の三乗)集まった世界のこと。千の三乗の世界のことを大千世界という。

○優鉢羅華(うばつらけ) (梵)ウトパラ "utpala" 青蓮華のこと。

○鉢曇摩華(はつどんまけ)(梵)バドマ "padma" 紅蓮華のこと。

○拘物頭華(くもつづけ) (梵)クムダ "kumuda" 黄蓮華のこと。

○分陀利華(ふんだりけ) (梵)プンダリーカ "puNdariika" 白蓮華のこと。
高貴とされる蓮華の中でも、最も高貴な華とされる。

●無量義経説法品第二 #29 2015/1/21(水) 午後 0:07

第十 他方世界の供養

●現代語訳

また、東方の諸仏の世界も震動し、また、天華・天香・天衣・天の首飾り、天の高価な宝石、天の皿に盛られたこの上もない御馳走、天の旗、天蓋、天の道具をふらし、天より音楽を奏でて、その世界の仏、菩薩、声聞、大衆を讚歎しました。南西北方四維上下も同様です。

●訓読

またまた六種に 東方恆河沙等の諸仏の世界を震動し、また、天華・天香・天衣・天瓔珞・天無価宝・天厨・天鉢器・天百味・天幢・天旛・天軒蓋・天妙楽具を雨らし、天の伎楽を作して、彼の仏 及び彼の菩薩・声聞・大衆を歌歎したてまつる。南西北方・四維・上下もまたまた是の如し。

●真読

又復。六種震動。東方。恒河沙等。
うぶ。ろくしゅしんどう。とうほう。ごうがしゃとう。

諸仏世界。亦雨天華。天香。
しょぶつせかい。やくうてんげ。てんこう。

天衣。天瓔珞。天無價宝。
てんね。てんようらく。てんむげほう。

天厨。天鉢器。天百味。天幢。
てんちゅう。てんばっき。てんひゃくみ。てんどう。

天幡。天軒蓋。天妙楽具。作天伎楽。
てんばん。てんこんがい。てんみょうらくぐ。さてんぎがく。

歌歎彼仏。及彼菩薩。声聞大衆。
かたんひぶつ。ぎゅうひぼさつ。しょうもんだいしゅ。

南西北方。四維上下。亦復如是。
なんざいほっぽう。しゆいじょうげ。やくぶにょぜ。

●解説

この世界だけではなく、遠く離れた異国においても、天地が喜んで大地をゆすり、蓮華や供物を供養しました。

●無量義経説法品第二 #30 2015/1/21(水) 午後 0:42

第十一 この教えを聞くことの功徳

●現代語訳

ここに集う多くの菩薩たちは、無量義の三昧を得、三万四千の菩薩たちは、無数のダラニーを得、この世界の諸仏による不退の教えを説きました。

ここに参列する多くの男女の出家修行者と在家修行者、天上界の神々、ナーガ、ヤクシャ、ガンバルヴァ、アスラ、ガルダ、キンナラ、マホーラガ、多くの王とその眷属たち、長者とその眷属たちは、仏のこの教えを聞いた時、声聞の阿羅漢果などの境地を得、辟支仏果を得、また菩薩の空の悟りを得、また多くの陀羅尼を得、皆、ことごとく随って、信念を持ち、何事にも屈しない心をもって、教えを説き弘めました。多くの人々は、最高の悟りを目指す心を起こしました。

●訓読

ここに衆中の三万二千の菩薩摩訶薩は、無量義三昧を得、三万四千の菩薩摩訶薩は、無数無量の陀羅尼門を得、よく一切三世の諸仏の不退の法輪を転ず。

その諸の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩ゴ羅伽・大転輪王・小転輪王・銀輪・鉄輪・諸輪の王・国王・王子・国臣・国民・国士・国女・国大長者 及び諸の眷属百千衆倶に、仏如来のこの経を説きたもうを聞きたてまつる時、或は忍法、頂法、世間第一法、須陀洹果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果、辟支仏果を得、また菩薩の無生法忍を得、また一陀羅尼を得、また二陀羅尼を得、また三陀羅尼を得、また四陀羅尼、五、六、七、八、九、十陀羅尼を得、また百千万億陀羅尼を得、また無量無数恆河沙阿僧祇陀羅尼を得て、皆 よく随順して不退転の法輪を転ず。無量の衆生は、阿耨多羅三貎三菩提の心を発しき。

●真読

於是衆中。三万二千。菩薩摩訶薩。
おぜしゅちゅう。さんまんにせん。ぼさつまかさつ。

得無量義三昧。三万四千。菩薩摩訶薩。
とくむりょうぎさんまい。さんまんしせん。ぼさつまかさつ。

得無数無量。陀羅尼門。能転一切。
とくむしゅむりょう。だらにもん。のうてんいっさい。

三世諸仏。不退法輪。
さんぜしょぶつ。ふたいほうりん。

其諸比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。
ごしょびく。びくに。うばそく。うばい。

天。龍。夜叉。乾闥婆。阿修羅。
てん。りゅう。やしゃ。けんだつば。あしゅら。

迦楼羅。緊那羅。摩侯羅伽。
かるら。きんなら。まごらが。

大転輪王。小転輪王。
だいてんりんのう。しょうてんりんのう。

銀輪。鐵輪。諸輪之王。
ごんりん。てつりん。しょりんしおう。

国王。王子。国臣。国民。
こくおう。おうじ。こくじん。こくみん。

国士。国女。国大長者。及諸眷属。
こくじ。こくにょ。こくだいちょうじゃ。ぎっしょけんぞく。

百千衆倶。聞仏如来。説是経時。
ひゃくせんしゅく。もんぶつにょらい。せつぜきょうじ。

或得煖法。頂法。世間第一法。
わくとくなんぽう。ちょうほう。せけんだいいっぽう。

須陀洹果。斯陀含果。阿那含果。阿羅漢果。
しゅだおんか。しだごんか。あなごんか。あらかんが。

辟支仏果。又得菩薩。無生法忍。
びゃくしぶつか。うとくぼさつ。むしょうぼうにん。

又得一陀羅尼。又得二陀羅尼。又得三陀羅尼。
うとくいちだらに。うとくにだらに。うとくさんだらに。

又得四陀羅尼。五六七八九十陀羅尼。又得百千万億陀羅尼。
うとくしだらに。ごろくしちはちくじゅうだらに。うとくひゃくせんまんだらに。

又得無量無数。恒河沙。阿僧祇陀羅尼。
うとくむりょうむすう。ごうがしゃ。あそうぎだらに。

皆能隨順。転不退転法輪。無量衆生。
かいのうずいじゅん。てんふたいてんぷりん。むりょうしゅじょう。

発阿耨多羅三藐三菩提心。
はつあのくたらさんみゃくさんぼだいしん。

●解説

以上で、『無量義経説法品第二』が終わります。この説法は、菩薩に対して説かれた教えでしので非常にレベルの高い内容でした。『法華経』は、同様の内容を声聞衆に説きますから、だいぶ砕いて説かれます。

『説法品』の内容をひと言でいえば、菩薩がストレートに最高の悟りを得たいのであれば、智慧と慈悲による「方便力」を磨きなさいというものです。

 

 

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