蓮の道 無量義経 徳行品第一 (2015) 

2019.6.8

法華三部経

●はじめに     2015.1.1

今日は元日ですので、日本中の神社・仏閣は、初詣でさぞ賑わっていることでしょう。

6世紀に大陸から仏教を伝わって以来、日本の生活には仏教が浸透しています。約1500年ものつきあいです。

長いつきあいですが、日本の仏教では、仏さまの教えは、お葬式などの儀礼儀式の読経で聞くくらいで、ほとんど関わりがありません。

儀式での読経は、漢字の経文を読むだけですから、何を言っているのかさっぱり不明ですので、多くの人々は仏さまの教えについて、ほとんど無知の状態です。

仏教国と呼ばれる日本の国民の大半が、仏教を知らないというのも何ですので、微力ながらもこのブログでは仏教をテーマにしています。みんなで仏さまの教えを学び合えたらと思っています。

本日は、2015年の元日です。この佳き日より、『法華三部経』の解釈を始めることにしました。

これまでも、試験的に解釈をしてきましたが、今日から本格的に始めますので、よろしくお願いします。

『法華三部経』とは、『無量義経』『妙法蓮華経』『仏説観普賢菩薩行法経』の三経のことです。

『妙法蓮華経』を中心にしますので、『妙法蓮華経 並びに開結』ともいいます。

インドには、『法華三部経』という思想はありません。これは、中国で始まった思想です。

では、次回からは、『無量義経』について解釈していきます。よろしくお願いします。

●無量義経     2015.1.1

『法華三部経』とは、『無量義経』『妙法蓮華経』『仏説観普賢菩薩行法経』の三経のことです。

『妙法蓮華経』の教えが説かれる前に、菩薩たちに対して「諸法実相」について説かれた教えが『無量義経』であり、『妙法蓮華経』の後に法華経の実践方法を詳しく説かれているのが『仏説観普賢菩薩行法経』です。

三部経のすべては、諸法実相について説かれています。

しかし、『無量義経』は菩薩を対象にして説かれ、『妙法蓮華経』は声聞に対して説かれているため、内容としては『無量義経』のほうがかなり難しいです。

仏教を初めて学ぶのであれば、おそらくはちんぷんかんぷんかも知れません。

最初は、さらりと読む程度にして、三部経を学び終わってから再度じっくりとチャレンジした方がいいでしょう。

●無量義経の構成     2015.1.1

無量義経は、三品で構成されています。品というのは章のことです。

1. 徳行品第一(序分)
2. 説法品第二(正宗分)
3. 十功徳品第三(流通分)

1. 徳行品第一(序分)  無量義経の序分です。

序分とは、序章のことで、その経が、いつ、どこで、誰が、誰を対象に、これから説かれる経がどの様なものであるかが説かれています。

『徳行品第一』では、釈尊の徳を讃えながら、無量義経がどのような経典なのかを譬えています。

2. 説法品第二(正宗分)  無量義経の正宗分です。

正宗分には、その経典の本論が書かれています。

3. 十功徳品第三  (流通分)無量義経の流通分です。

流布とは、流れ通じることで、広く行きわたることを意味します。

『十功徳品第三』では、無量義の教えを得た者の功徳が十段階にわたって説かれており、流通こそが功徳であることが示されています。

●無量義経徳行品第一 #1      2015.1.1

第一 通序 「聴聞衆を明かす」

●現代語訳

このように私は聞きました。ある時、仏は、マガダ王国の都ラージャグリハにある霊鷲山に住み、一万二千人の出家修行者と共にいました。大菩薩たちが、約八万人いました。天上界の神々、ナーガ、ヤクシャ、ガンバルヴァ、アスラ、ガルダ、キンナラ、マホーラガたち、多くの男女の出家修行者や在家修行者も同席していました。

大転輪王・小転輪王・金輪・銀輪・諸輪の王、国王・王子・優れた家来たち、優れた人々、大長者たちが、それぞれ多くの眷属と共に集まっていました。人々は、次々と仏のもとへと進み、仏のみ足に額をつけて礼拝し、仏のまわりを右回りに巡りました。香をたき、花を散じ、様々に供養しおわって、退いてもとの席へと戻りました。

●訓読

是の如きを我聞きき。一時、仏、王舎城・耆闍崛山(ぎしゃくせん)の中に住したまい、大比丘衆万二千人と倶なりき。菩薩摩訶薩?八万人あり。
天・龍・夜叉(やしゃ)・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅(あしゅら)・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩侯羅伽(まごらが)あり。諸の比丘・比丘尼、及び優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)も倶なりき。

大転輪王・小転輪王・金輪・銀輪・諸輪の王、国王・王子・国臣・国民・国士・国女・国大長者、各眷属百千万数にして自ら囲遶(いにょう)せると、仏所に来詣して 頭面に足を礼し、めぐること百千匝して、香を焼き、華を散じ、種種に供養することおわって、退いて一面に坐す。

●真読

如是我聞。一時仏住。王舍城。耆闍崛山中。
にょぜがもん。いちじぶつじゅう。おうしゃじょう。ぎしゃくせんちゅう。

予大比丘衆万二千人倶。菩薩摩訶薩八万人。
よだいびくしゅうまんにせんにんく。ぼさつまかさつはちまんにん。

天。龍。夜叉。乾闥婆。阿修羅。迦楼羅。緊那羅。摩侯羅伽。
てん。りゅう。やしゃ。けんだつば。あしゅら。かるら。きんなら。まごらが。

諸比丘。比丘尼。及優婆塞。優婆夷倶。しょびく。びくに。ぎゅううばそく。うばいく。

大転輪王。小転輪王。金輪。銀輪。諸輪之王。
だいてんりんおう。しょうてんりんおう。こんりん。ごんりん。しょりんしおう。

国王。王子。国臣。国民。国士。国女。こくおう。おうじ。こくじん。こくみん。こくじ。こくじょ。

国大長者。各与眷属。百千万数。こくだいちょうじゃ。かくよけんぞく。ひゃくせんまんじゅ。

而自囲遶。来詣仏所。頭面礼足。遶百千匝。にじうにょう。らいげんぶっしょ。ずめんらいそく。にょうひゃくせんそう。

焼香散華。種種供養已。退一面坐。しょうこうさんげ。しゅじゅくようい。たいいちめんざ。

●解説

無量義経は、『徳行品』『説法品』『十功徳品』の三章で成っています。

‘噌塢福覆箸ぎょうほん)第一無量義経の序分です。釈尊の完全円満な徳と衆生を救済する行を讃嘆する章です。

∪睨”福覆擦辰櫃Δ曚鵝紡萋麑砧無膳个寮欺(です。釈尊が無量義の教えを説く章です。真理を悟り、相手の機根を見抜くことが出来れば、あらゆる人々を臨機応変に救うことができます。釈尊の説法の特徴は対機説法だと言われますが、その心得と実践方法を説く章です。

十功徳品(じっくどくほん)第三無量義経の流通分です。無量義の教えを実践することによる功徳を十に分別して示された章です。
徳行品では、まず、『無量義経』が、いつ、どこで、誰に対して説かれたのかが明確にされています。釈尊の説法は対機説法ですから、対象によって説き方や教えの浅深が変わりますので、はじめに誰に対して説かれたのかを把握しておく必要があります。

多くの仏教経典の最初には、「是の如きを我聞きき」という言葉があります。この言葉は、釈尊が滅してすぐに、教えが乱れないようにと、仏弟子たちが結集して教えをまとめた時に使われた言葉だと言います。釈尊の教えを聞いた者が、「是の如きを我聞きき」と言ってから、自分の聞いた内容を発表しました。参加者全員が、その内容を確認し、間違いがないと認めたら、全員で一緒に唱えてそれを記憶しました。

ほとんどの教えは、阿難が記憶していた内容だといいます。阿難は、釈尊の侍者でしたので、最も多くの教えを聞いていたといいます。よって、多聞第一と呼ばれていました。記憶された教えは、師から弟子へと口伝によって伝承されました。その時も、「是の如きを我聞きき」と告げてから弟子に口伝したといいます。

霊鷲山には、多くの声聞、多くの菩薩、天界の神々や神獣、魔物、地上界の人々が集っています。このことから、この教えは広く大衆に説かれた教えだということが判ります。つまり、大乗の教えです。

集った人々は釈尊のもとに進み、一人一人が深く敬意を表わしました。経典によれば、人々は袈裟の右肩を脱いで露わにし、仏さまのところに行くと膝をつき、頭頂を仏さまのみ足に近づけるほど深く頭を下げて礼をしました。礼の後は、仏さまに露わになった右肩を仏さまに向けて、右回りにぐるぐると廻り、廻った後に自分の席に戻りました。古くからの習わしで、インドでは左を不浄とし、右を浄とします。仏教でも同じです。このことから、右肩を仏さまに向けて廻るのでしょう。

●言葉の意味

○通序(つうじょ)仏教経典に共通する序文のこと。その経典が、いつ、どこで、説かれたのかを最初に明かしている。信・聞・時・主・処の経の五事が記される。

/=如是法成就。釈尊の説法を正確に記述しているということ。
∧后甓翳洪誉就。この我とは、ほとんどの経典において、釈尊の侍者として説法を聞いた阿難のことをいう。
時=一時時成就。釈尊がこの説法をしたのが、いつであるかの記述。
ぜ隋疂主成就。この教えを説かれたのは釈尊に間違いないという記述。
ソ茵畚参舎城処成就。釈尊がどこで説法をしたのかの記述。
以上の五事に衆成就(聴聞相手)を加えて、六成就という。

○王舎城(おうしゃじょう)(梵)ラージャグリハ "raajagRha"中インドのマガダ国の首都。マガダ国は、古代インドの十六大国の一つ。他の国に比べてカースト制度が緩かったため、新興宗教が多く起こった。仏教やジャイナ教はこの国で生まれ、広く布教がされた。
〜マガダ国の首都が王舎城です。この土地は外輪山によって、四方が山に囲まれていたために、自然の要塞のようでしたので首都として選ばれました。釈尊の時代は、国土をめぐる戦争が続いていましたので、王は国を護る必要がありました。その点、王舎城は適した地形だったようです。城というのは、日本の城の意味ではなく街のことです。街全体を塀で囲み、敵からの侵入を拒みました。
釈尊の生まれた紀元前五世紀頃のインドは、村から街へとコミュニティ形態が変化していました。王族の権力が大きくなり始め、バラモンを頂点とするカースト制への反発もあり、そのことから仏教に帰依する王族も多かったようです。マガダ国のビンビサーラ王も、その息子のアジャータシャトル王も仏教に帰依していました。

○耆闍崛山(ぎしゃくせん)(梵) グリドラ・クータ "gRdrha-kuuTa"の音写。霊鷲山(りょうじゅせん)のこと。
〜王舎城の東北にあり、釈尊が晩年に説法をした場所として有名です。鷲が多いこと、霊山だったことからも分かるように、この山の頂上では、鳥葬が行われていたといいます。死体が転がっている近くで、釈尊は生活をしていたようです。

○比丘(びく)(梵) ビクシュ "bhikSu"ビクシュを音写して比丘という。出家して具足戒を受けた男性修行者のこと。

○菩薩(ぼさつ)(梵)ボーディサットヴァ "bodhisattva"悟りを求める者、悟りを具えた者のこと。仏果を求め、菩提心を起こして仏道に入り、六波羅蜜の行を修する修行者。

○摩訶薩(まかさつ)(梵)マハーサットヴァ "mahaasattva"大いなる者のこと。大乗の修行者のことをいう。

○菩薩摩訶薩(ぼさつまかさつ)大乗の菩薩のこと。菩薩とは上求菩提、摩訶薩を下化衆生とも解釈される。

○八部衆(はちぶしゅう)仏教を守護する天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩侯羅伽のこと。

‥掘覆討鵝法弁陝 デーヴァ "Deva"天上界に住む神々のこと。もともとは、ヴェーダの神。仏教では、八部衆の一群として仏法を護っている。梵天、帝釈天など。

⇔供 覆蠅紊Α法弁陝 ナーガ "Naga"蛇神。インド神話の龍は、上半身は人間で頭に五頭の蛇があり、下半身は大蛇の姿で表わされる。このように古代インドでは、半身半蛇の姿であったが、中国で、中国伝承の龍のイメージに変わって日本に伝わったため、日本の龍も中国的な大蛇風の姿で表わされる。天候を操る力があり、怒れば雨を降らさずに干ばつにし、怒りがおさまったら雨を降らせるという。釈尊の成道の時、ずっと守護したという伝説もある。

L觝機 覆笋靴磧法弁陝 男・ヤクシャ "yakSa" 女・ヤクシニー "yaksnii"聖霊。古代インド神話に登場する鬼神。毘沙門天の眷属ともいわれる。

ごワ鯒漫 覆韻鵑世弔弌法弁陝 ガンダルヴァ "gandharva"飛天。インド神話では、帝釈天に仕える半神半獣の楽団に属し、神々が集まる宮殿において、美しい音楽を奏でる役割を担っている。神々の飲む霊薬「ソーマ」を守る役も果たしている。香を食事とし、身体からも芳しい香りを放つ。乾闥婆の妻は、天女のアプサラスである。

グそね紂 覆△靴紊蕁法弁陝 アスラ "asura"魔族。意訳は非天。阿修羅は、元は天上界の神だったが、帝釈天との戦いに敗れて、海中に落とされ神の位も剥奪された。

Σ猩依紂 覆るら)(巴) ガルダ "garuda"鳥人。インド神話ではヴィシュヌ神の乗り物とされ、蛇や龍を食べて退治する。鳥頭人身有翼である。インドネシアの国営航空会社のシンボルであり、日本のカラス天狗のモデルだともいわれる。

Ф枡疝紂 覆んなら)(梵) キンナラ "kimnara"馬頭人身。歌の上手な音楽の神。男性の緊那羅は半人半馬で、女性の緊那羅はキンナリーと呼ばれ、美しい天女の姿をしている。半人半馬のため人非人ともいう。

摩侯羅伽 (まごらが)(梵) マゴラガ "mahoraga"「大きな蛇」の意味。大蛇の神格。蛇頭人身。音楽神。身体が人間で、首から上がニシキヘビのような姿をしている。

○四衆(ししゅう)比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷のこと。

“羌屐覆咾)(梵)ビクシュ "bhikSu"出家して具足戒を受けた男性修行者のこと。

比丘尼(びくに)(梵)ビクシュニー "bhikSuNii"出家して具足戒を受けた女性修行者のこと。

Mデ椋鼻覆Δ个修)(梵)ウパーサカ "upaasaka"三帰五戒を受けた在家の男性修行者のこと。清信士、居士とも訳す。

ねデ粍弌覆Δ个ぁ法弁陝縫Ε僉璽轡 "upasikaa"三帰五戒を受けた在家の女性修行者のこと。清信女と訳す。

○転輪王(てんりんおう)(梵)チャクラヴァルティ・ラージャン  "cakravarti-raajan"古代インドの伝説上の理想の王。身に三十二相を具え、即位の時に天より輪宝を感得し、これを転じて四方を征服するので転輪王という。輪宝に金・銀・銅・鉄の四種があり、その輪宝の種類によって治める範囲が異なる。

○囲遶(いにょう)聖なるものを囲んで、右回りに廻ること。

○供養(くよう)(梵) プージャナー "puujanaa"仏・菩薩・諸天などに、香・華・燈明・飲食などの供物を真心から捧げること。供養には、「利供養」「敬供養」「行供養」の三種がある。

〕供養(りくよう)衣服臥具などの物品を捧げて供養すること。

敬供養(きょうくよう)讃嘆・恭敬する供養。

9垓〕棔覆ょうくよう)仏法を実践する供養。

●無量義経徳行品第一 #2      2015.1.1

第一 通序 「菩薩衆」

●現代語訳

その菩薩の名は、
 文殊師利法王子(もんじゅしりほうおうじ)
 大威徳蔵法王子(だいいとくぞうほうおうじ)
 無憂蔵法王子(むうぞうほうおうじ)
 大弁蔵法王子(だいべんぞうほうおうじ)
 弥勒菩薩(みろくぼさつ)
 導首菩薩(どうしゅぼさつ)
 薬王菩薩(やくおうぼさつ)
 薬上菩薩(やくじょうぼさつ)
 華幢菩薩(けどうぼさつ)
 華光幢菩薩(けこうどうぼさつ)
 陀羅尼自在王菩薩(だらにじざいおうぼさつ)
 観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)
 大勢至菩薩(だいせいしぼさつ)
 常精進菩薩(じょうしょうじんぼさつ)
 法印首菩薩(ほういんしゅぼさつ)
 宝積菩薩(ほうしゃくぼさつ)
 宝杖菩薩(ほうじょうぼさつ)
 越三界菩薩(おつさんがいぼさつ)
 毘摩跋羅菩薩(びまばつらぼさつ)
 香象菩薩(こうぞうぼさつ)
 大香象菩薩(だいこうぞうぼさつ)
 師子吼王菩薩(ししくおうぼさつ)
 師子遊戯世菩薩(ししゆけせぼさつ)
 師子奮迅菩薩(ししふんじんぼさつ)
 師子精進菩薩(しししょうじんぼさつ)
 勇鋭力菩薩(ゆえいりきぼさつ)
 師子威猛伏菩薩(ししいみょうぶくぼさつ)
 荘厳菩薩(しょうごんぼさつ)
 大荘厳菩薩(だいしょうごんぼさつ)
といいます。

このような菩薩摩訶薩八万人が参列していました。

●訓読

その菩薩の名を、文殊師利法王子、大威徳蔵法王子、無憂蔵法王子、大弁蔵法王子、弥勒菩薩、導首菩薩、薬王菩薩、薬上菩薩、華幢菩薩、華光幢菩薩、陀羅尼自在王菩薩、観世音菩薩、大勢至菩薩、常精進菩薩、法印首菩薩、宝積菩薩、宝杖菩薩、越三界菩薩、毘摩跋羅菩薩、香象菩薩、大香象菩薩、師子吼王菩薩、師子遊戯世菩薩、師子奮迅菩薩、師子精進菩薩、勇鋭力菩薩、師子威猛伏菩薩、荘厳菩薩、大荘厳菩薩と曰う。是の如き等の菩薩摩訶薩八万人と倶なりき。

●真読

其菩薩名曰。ごぼさつみょうわつ。

文殊師利法王子。大威徳蔵法王子。もんじゅしりほうおうじ。だいいとくぞうほうおうじ。

無憂蔵法王子。大辯蔵法王子。弥勒菩薩。むうぞうほうおうじ。だいべんぞうほうおうじ。みろくぼさつ。

導首菩薩。藥王菩薩。藥上菩薩。花幢菩薩。どうしゅぼさつ。やくおうぼさつ。やくじょうぼさつ。けどうぼさつ。

花光幢菩薩。陀羅尼自在王菩薩。観世音菩薩。
けこうどうぼさつ。だらにじざいおうぼさつ。かんぜおんぼさつ。

大勢至菩薩。常精進菩薩。寳印手菩薩。
だいせいしぼさつ。じょうしょうじんぼさつ。ほういんしゅぼさつ。

宝積菩薩。宝杖菩薩。越三界菩薩。ほうしゃくぼさつ。ほうじょうぼさつ。おつさんがいぼさつ。

毘摩跋羅菩薩。香象菩薩。大香象菩薩。
びまばつらぼさつ。こうぞうぼさつ。だいこうぞうぼさつ。

師子吼王菩薩。師子遊戲世菩薩。師子奮迅菩薩。
ししくおうぼさつ。ししゆけせぼさつ。ししふんじんぼさつ。

師子精進菩薩。勇鋭力菩薩。師子威猛伏菩薩。
しししょうじんぼさつ。ゆえいりきぼさつ。ししいみょうぶくぼさつ。

荘厳菩薩。大荘厳菩薩。 しょうごんぼさつ。だいしょうごんぼさつ。

如是等菩薩摩訶薩。八万人倶。 にょぜとうぼさつまかさつ。はちまんにんく。

●解説

『無量義経』では、まず菩薩の名前が紹介されています。おそらくは、『無量義経』の説法の対象が菩薩衆なので、最初に菩薩の名前を記したのでしょう。『妙法蓮華経』では、先に声聞衆の名前が紹介されています。『妙法蓮華経』では、声聞を対象に説法がされています。

●無量義経徳行品第一 #3    2015.1.1

第一 通序 「菩薩の徳」

●現代語訳

この菩薩たちは、皆、真理と一体となった高位の修行者です。戒律を守り、禅定をし、智慧が深く、迷いから離れ、迷いから離れていることを自覚しています。

その菩薩たちの心は落ち着いて動じることがなく、常に一心に集中しており、現象に振り回されることなく常に安らかであり、ものごとにこだわることがありません。自己中心的ではなく、必要以上の欲もありません。真理を無視するような考えはなく、想いが乱れることもありません。心が澄んで静かに落ち着いており、志しは高く、広くて限りがありません。このことを守って長い間、動揺することなく、多くの教えを理解してきました。大きな智慧を得ていますので、世界の事物・現象を深く観ることができ、物事の特徴と本質を見通し、見分け、そのものの特徴の有無、度合いをはっきりと見極めていました。

●訓読

この諸の菩薩、皆これ法身の大士ならざることなし。戒・定・慧・解脱・解脱知見の成就せる所なり。その心禅寂にして、常に三昧に在って、恬安憺怕(てんなんたんぱく)に無為無欲なり。顛倒乱想、また入ることを得ず。静寂清澄(じょうじゃくしょうちょう)に志玄虚漠(しげんこまく)なり。これを守って動ぜざること億百千劫、無量の法門悉く現在前せり。大智慧を得て諸法を通達し、性相(しょうそう)の真実を暁了(ぎょうりょう)し分別するに、有無長短、明現顕白なり。

●真読

是諸菩薩。莫不皆是。法身大士。ぜしょぼさつ。まくふかいぜ。ほっしんだいじ。

戒定慧解脱。解脱知見。之所成就。かいじょうえげだつ。げだつちけん。ししょじょうじゅ。

其心禅寂。常在三昧。恬安憺怕。ごしんぜんじゃく。じょうじゅうさんまい。てんなんたんぱく。

無為無欲。顛倒亂想。不復得入。むいむよく。てんどうらんそう。ふぶとくにゅう。

靜寂清澄。志玄虚漠。守止不動。じょうじゃくしょうちょう。しげんこまく。しゅしふどう。

億百千劫。無量法門。悉現在前。おくひゃくせんごう。むりょうほうもん。しつげんざいぜん。

得大智慧。通達諸法。曉了分別。とくだいちえ。つうだつしょほう。ぎょうりょうふんべつ。

性相真実。有無長短。明現顯白。しょうそうしんじつ。うむじょうたん。みょうげんけんびゃく。

●解説

ここでは、菩薩の徳を讃えています。

最近、「いいとこ探し」というゲームっぽいことを子ども達がしているようです。お友達の悪いところは見ずに、いいところだけを探して、相手に言葉で伝えるゲームです。これは、大人が交流の時にやってみるといいかも知れません。ちょっとした触れあいの時に、相手の長所を見つけたら讃えるという習慣があるといいでしょうね。ただし、お世辞や嘘、大げさな誉め方はマイナス効果ですから気をつける必要があります。事実を感じたままにフィードバックします。

●用語の意味

○法身(ほっしん)

(梵)ダルマ・カーヤ "dharma-kaaya"
真理そのもののこと。真理と一体化したこと。

○三学・五分法身

戒・禅定・智慧を修めることを「三学」という。仏道修行者が修めるべき基本的な修行項目のこと。また、三学に解脱、解脱知見を合わせて「五分法身」という。五分法身とは、法身の大士が具えている五種の功徳性のこと。解脱身のこと。

_(かい)
(梵)シーラ "sila"
自分自身をコントロールする内面的な道徳規範を戒といい、戒を守ることを持戒という。

∩議蝓覆爾鵑犬腓Α
(梵) ディヤーナ "dhyaana"
特定の対象に心を集中して、散乱する心を安定させること。

C匏邸覆舛─
(梵) プラジュニャー "prajJna"
諸法実相を観察することによって、体得できる実践的精神作用を慧といい、煩悩を完全に断つ主因となる精神作用を智という。

げ鮹Α覆欧世帖
(梵) ヴィモークシャ "vimokSa"
煩悩に縛られていることから解放され、迷いの苦を脱すること。

ゲ鮹γ慮(げだつちけん)
解脱していることを自分自身で認識していること。

○三昧(さんまい) (梵)サマーディ "samaadhi"  禅定が深い状態のこと。

○恬安憺怕(てんなんたんぱく)  とらわれがなく、ひっかかりがない状態。

○無為(むい)  (梵)アサンスクリタ "asaMskRta"

分別造作がないこと。因縁によって作られたものでなく、生滅変化を離れた常住絶対の法のこと。因縁によって作られたものを「有為」という。

○顛倒(てんどう)
転倒。道理にそむいて誤っていること。本来とは逆になっていること。仏教では、四顛倒を説く。
‐鐡薪檗 覆犬腓Δ討鵑匹Α 事物・現象は無常であるが、常だと考えること。
楽顛倒(らくてんどう) 一切は苦であるが、一時的な状態だけをみて楽だと考えること。
浄顛倒 (じょうてんどう)不浄なものを、表面だけを見て浄だと考えること。
げ翕薪檗覆てんどう) 自我を認識することはできないが、何らかのものを自我だと誤って認識し、執着すること。

○静寂清澄(じょうじゃくしょうちょう)
静かに落ち着き、煩悩に惑わされることなく澄み切った心境のこと。

○志玄虚漠(しげんこまく) 志は奥深く、限りなく大きく広がっていること。

○智慧(ちえ)
(梵)プラジュニャー "prajNaa"
音写して、般若という。真実を悟る無分別智のこと。物事を正しくとらえ、真理を見きわめる認識力。六波羅蜜の一。

○諸法(しょほう) さまざまな事物・現象のこと。

○性相(しょうそう) 諸法の体性と相状のこと。

○暁了(ぎょうりょう) あきらかに理解すること。

○分別(ふんべつ)
分けて考えること。分析。もろもろの事理を思量し、識別する心の働き。空の思想は、無分別による観察を行うため、分別をしないように勧める。まず、事理を分別し、次に無分別して真実を観て、さらに分別を無分別の智によって観る。

●無量義経徳行品第一 #4    2015.1.1

第一 通序 「転法輪」

●現代語訳

また、菩薩は、人々の機根や性格、欲望をよく見極め、善をすすめ悪を止める力と人々を説得する力によって、諸仏の教えに従い、その教えを人々に伝えることができました。

●訓読

また、善く諸の根性欲を知り、陀羅尼・無礙弁才を以って、諸仏の転法輪、随順してよく転ず。

●真読

又善能知。諸根性欲。以陀羅尼。うぜんのうち。しょこんしょうよく。いだらに。

無礙辯才。諸仏転法輪。隨順能転。むげべんざい。しょぶつてんぽうりん。ずいじゅんのうてん。

●解説

仏・菩薩は、相手の状態を見極めて、相手に応じて教えを説きました。このことが仏教の大きな特徴です。人はそれぞれに、性格・欲求・夢・希望・趣味・職業などが違います。教えを聞いてそれを理解し、行動を起こす能力も違います。このような相手の根性欲(機根・性質・欲望)を見極めて、諸仏・諸菩薩は教えを説かれました。このことは、『説法品』の重要なテーマであり、法華経のテーマでもあります。

●用語の意味

○根性欲 (こんじょうよく)
機根・性質(習性)・欲望の略。
機根とは、教えを理解し実践する能力のこと。対機説法の「機」とは、機根のこと。

○陀羅尼 (だらに)
(梵) ダーラニー "dhaaraNii"
記憶して忘れないこと。本来は、仏教修行者が覚えるべき教えや作法などをしっかりと記憶することを言ったが、後に変じて、「記憶する呪文」のことをいうようになった。意訳して総持・能持・能遮ともいう。能持とは諸々の善法をよく持つことであり、能遮とは諸々の悪法をよく遮ること。

○無礙(むげ) 障害、妨げのないこと。

○弁才(べんざい) 巧みに話す能力のこと。

○転法輪(てんぽうりん) 教えを説くこと。

 

●無量義経徳行品第一 #5      2015.1.1

第一 通序 「利他徳」

●現代語訳

ほこりの多い乾いた場所に水のしずくをたらせば、そこだけは塵をおさえることが出来るように、まずは、小さな教えを人々に説いて、その人の欲望を抑えました。そうすることによって涅槃への門を開き、解脱へと導く縁となりました。苦悩から離れられるようにと人々に教えを説き、教えを実践することの喜びを体験させました。それは、暑苦しいところに冷たい風を吹かせて、涼しくて清々しく心地よい状態に導くことに似ています。

次に、非常に奥深い「十二因縁の法門」を説いて、苦の原因は真理を知らないことにあると教え、苦悩から離れる方法を具体的に説き明かしました。その教えを聴いた人々は、照りつける灼熱の太陽の光から救ってくれる夕立のような恵みを感じました。その後、この上もなく尊い大乗の教えを説き示し、誰もが持っている良心に潤いを与え、善の心を芽生えさせ、水田一面に稲が実るように、心を功徳で満たし、ひろく人々に菩提心を起こさせました。

菩薩の智慧は、暗闇を破す太陽や月の光のように、方便として必要な時によく人々を照らします。そのことは、人々が大乗の道を進むことを助け、人々がまっすぐに最上の悟りの境地へとたどりつき、常に安らぎ、深い真理と限りない大きな慈悲の心で、苦悩する人々を救うようになります。

●訓読

微襦覆澆燭ぁ棒茲座弔舛動覆辰突濘个鬚劼燭掘⌒載僂量腓魍き 解脱の風を扇いで、世の悩熱を除き法の清涼を致す。次に甚深の十二因縁を降らして、もって無明・老・病・死等の猛盛熾然(みょうじょうしねん)なる 苦聚(くじゅ)の日光にそそぎ、しこうして乃ち洪(おおい)に無上の大乗を注いで、衆生の諸有の善根を潤漬(にんし)し、善の種子(しゅじ)を布いて功徳の田に遍じ、普く一切をして菩提の萌を発さしむ。

智慧の日月・方便の時節・大乗の事業を扶蔬(ふそ)増長して、衆をして疾く阿耨多羅三貎三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を成じ、常住の快楽(けらく)、微妙真実に、無量の大悲、苦の衆生を救わしむ。

●真読

微訐萪悄0舗四濘弌3涅槃門。みたいせんだ。いえんよくじん。かいねはんもん。

扇解脱風。除世悩熱。致法清涼。せんげだつぷ。じょせのうねつ。ちほうしょうりょう。

次降甚深。十二因縁。用灑無明。老病死等。
いごうじんじん。じゅうにいんねん。ゆうしゃむみょう。ろうびょうしとう。

猛盛熾然。苦聚日光。爾乃洪注。みょうじょうしねん。くじゅにっこう。にないこうちゅう。

無上大乗。潤漬衆生。諸有善根。むじょうだいじょう。にんししゅじょう。しょうぜんごん。

布善種子。遍功徳田。普令一切。発菩提萌。
ふぜんしゅし。へんくどくでん。ふりょういっさい。はつぼだいみょう。

智慧日月。方便時節。扶踈増長。ちえにちがつ。ほうべんじせつ。ふそぞうちょう。

大乗事業。令衆疾成。 だいじょうじごう。りょうしゅしつじょう。

阿耨多羅三藐三菩提。常住快楽。あのくたらさんみゃくさんぼだい。

微妙真実。無量大悲。救苦衆生。みみょうしんじつ。むりょうだいひ。くくしゅじょう。

●解説

ここには、菩薩がどのように人々に教えを説いて、利益を与えていくかの順序次第が説かれています。まずは、易しい教えを説いて、教えを実践することによって安らかな心になれることを実感させ、次に仏教の根本的な縁起を説き、その後、大乗の教えを説いて菩提心を起こさしめました。菩提心とは、成仏を目指す心です。

●用語の説明

○涅槃(ねはん) (梵)ニルヴァーナ "nirvaaNa"
直訳すれば、「吹き消す」こと。燃える火を消すこと。煩悩を火にたとえ、それを消すことをいう。安らぎの境地。

○解脱(げだつ) (梵)ヴィムクティ "vimukti"
「開放する」「放棄する」という意味。誤った執着心から起こる業の繋縛を開放し、迷いの世界の苦悩を脱するから「解脱」という。その意味で、古来「自在」と解釈されてきた。それは、外からの束縛の解放や自由より、内からの自らを解放することや自由を獲得することを重要視するヴェーダの宗教(バラモン教)では、輪廻からの解脱が勧められたが、大乗仏教では、解脱や涅槃というあらゆる一切の執着から離れることをいう。

○甚深(じんじん)
非常に奥が深いこと。意味・境地などが深遠であること。通常、縁起の法を形容していう。

○十二因縁(じゅうにいんねん)
(梵)ディヴァーダシャーンガ・プラティートヤサムトパーダ
  "dvaadaSaaNga-pratiityasamutpaada"
縁起を基にした仏教の重要な思想。十二の連鎖縁起のこと。苦の原因を探って見極め、その原因を滅して苦を滅するという思想。老死などの苦の原因は、煩悩にあるとして、その根本原因を「無明」だと見極めた。

〔橘澄覆爐澆腓Α (梵)アヴィドヤー "avidyaa"
無知・無智、真理について明るくないこと。無我・無常について無智なことをいう。自我(アートマン)は、認識することのできないものだが、多くの人々は自我を誤って認識している。「自分の子ども」「自分の命」「自分を大切にする」などと考える時、何らかの自我を想定しているが、それは自我ではない。このような誤認は、苦を生じる大きな原因となる。

行(ぎょう) (梵)サンスカーラ "saMskaara"
意志作用のこと。自分を認識しようとする意志のこと。

識(しき) (梵)ヴィジュニャーナ "vijNaana"
認識作用のこと。分別による認識のこと。「識別」ともいう。自分と自分以外とを分けることで、自分というものを認識すること。

ぬ梢А覆澆腓Δ靴) (梵)ナーマ・ルーパ "naama-ruupa"
色とは形のあるもの、名とは名前のあるもの。よって形のある身体、形がなく名前によって存在が示される心のことをいう。自分を認識することによって、さらに自分を心と身体に分けて認識すること。心身なので、五蘊(色受想行識)のことともされる。

ハ蚕茵覆蹐しょ) (梵)シャダアーヤタナ "SaDaayatana"
眼・耳・鼻・舌・身・意という六つの感覚器官のこと。自他を分別することによって、他を感受するための感覚器官を認識する。

触(そく) (梵)サパルシャ "sparSa"
自分と他が接触すること。眼・耳・鼻・舌・身・意という六つの感覚器官によって、他とコンタクトすること。

Ъ(じゅ) (梵)ヴェダナー "vedanaa"
感受すること。他とのコンタクトによって、色を見て、音を聞き、匂いを嗅ぎ、味を味わい、そのものに触れ、イメージを感じ、快・不快という感情を起こす。たとえば、多くの食べ物の中から、リンゴを見てロックオンするようなもの。

┛Α覆△ぁ (梵)トリシュナー "tRSNaa"
欲求のこと。感受して、快を感じたものに近づこうとし、不快なものから遠ざかろうとする欲求のこと。トリシュナーとは、「渇き」のことで、強い欲求のことをいう。「愛」と訳されるが、日本人の想うキリスト教の愛とは概念が異なる。リンゴを見て欲しいと想い求めること。

取(しゅ) (梵)ウパアダーナ "upaadaana"
執着のこと。あるものを感受し、それを欲しいと想い、さらに執着すること。リンゴを欲しいと想い、手に入れることに執着すること。

有(う) (梵)バヴァ"bhava"
存在のこと。他を摂取することにより、自分という存在が有るという認識を固めること。自我(アートマン)の認識によって、自我への執着となり、「有」への固執となる。

生(しょう)  (梵)ジャーティ "jaati"
転生のこと。自我への執着は、あらゆる行為を起こし、それが業(カルマ)となって次の転生へと繋がる。転生とは、迷いの世界を輪廻するということ。

老死(ろうし) (梵)ジャラー・マラナ "jaraa-maraNa"
老化と死のこと。生老病死は「苦」に直結するもの。自我への執着を持って死ねば、転生を繰り返すことになる。

〜初期仏教の十二因縁は、以上のように時間という概念が盛り込まれていませんので、無明〜老死は瞬間的にも展開するし、過去・現在・未来という長い時間をかけて展開するとも観ることができました。その後、上座部仏教では、「業と輪廻」の思想が深く入り込み、「三世両重の因果」へと発展しました。

○猛盛熾然(みょうじょうしねん) 火の勢いの激しい様子。

○苦聚の日光(くじゅのにっこう) 苦が集まり、燃え盛る状態。

〜ここでの日光とは、人々を暑さで悩ませるようなジリジリと照りつける太陽の光のことです。

○潤漬(にんし) 布にじわじわと水分が浸みこんでいく状態のこと。

○功徳(くどく)  (梵)グナ "guna"
すぐれた徳性。善い行為の結果。善の結果として報いられた果報。修行の功によって得た徳。

○菩提(ぼだい)  (梵)ボーディ"bodhi"
智・道・覚と訳す。目覚めること。

○阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)
(梵) アヌッタラ・サムヤク・サンボーディ
  "anuttara-samyak-saMbodhi"
無上正遍知、無上正等正覚。智慧によって得ることのできる最上の悟りのこと。

○快楽(けらく)  五官の快楽ではなく、精神の深みから感じる悦びのこと。

●無量義経徳行品第一 #6     2015.1.2

第一 通序 「自利」

●現代語訳

この菩薩たちは、人々の真の善友です。善の心を育てる素晴らしい田畑であり、困った時に招いていなくても現れる師であり、人々に安らぎを与える人、救う人、護る人、心のよりどころとなる人です。

どこにあっても、人々のために、立派なリーダーとなります。もし、人が真理を見る眼を塞いでいたならば、眼を開かせる縁となり、真理を聞かない者、嗅がない者、味あわない者には、真理を体験できるような縁となり、心が狂って荒れ乱れている者には、心を落ち着かせ正気に戻るように関わります。

この菩薩たちは、まるで船長のようです。人々を船に乗せ、迷いの岸から、安らぎの岸へと送ります。

また、優れた医者のようです。あらゆる病状や多くの薬の効果に通じており、患者に適した薬が何かを見極め、病気に応じた薬を授け、人々はその薬を服します。

また、腕のいい調教師のようです。行いに乱れがなく、どのように荒れた象であっても、馬であっても、調教する術を持っています。それは、勇ましい獅子が威厳をもって、どのような獣であっても従わせるようなものです。

●訓読

これ諸の衆生の真善知識、これ諸の衆生の大良福田、これ諸の衆生の請せざるの師、これ諸の衆生の安穏の楽処・救処・護処・大依止処なり。

処処に衆生の為に、大良導師・大導師と作る。よく衆生の盲いたるが為には、しかも眼目を作し、聾(りょう)・?(ぎ)・唖(あ)の者には、耳・鼻・舌を作し、諸根毀欠(きけつ)せるをば、よく具足せしめ、顛狂荒乱(てんのうこうらん)なるには大正念を作さしむ。

船師・大船師なり、群生を運載し、生死の河を度して涅槃の岸に置く。

医王・大医王なり、病相を分別し薬性を暁了(ぎょうりょう)して、病に随って薬を授け、衆をして薬を服せしむ。

調御・大調御なり、諸の放逸(ほういつ)の行なし。なお、象馬師のよく調うるに調わざることなく、師子の勇猛なる威、衆獣を伏して沮壊(そえ)すべきこと難きがごとし。

●真読

是諸衆生。真善知識。是諸衆生。大良福田。
ぜしょしゅじょう。しんぜんちしき。ぜしょしゅじょう。だいろうふくでん。

是諸衆生。不請之師。是諸衆生。安隱楽処。
ぜしょしゅじょう。ふしょうしし。ぜしょしゅじょう。あんのんらくしょ。

救処護処。大依止処。くしょごしょ。だいえししょ。

処処為衆生。作大良導師。大導師。
しょしょいしゅじょう。さだいろうどうし。

能為生盲。而作眼目。聾?唖者。のういしゅじょうもう。にさげんもく。りょうぎあしゃ。

作耳鼻舌。諸根毀缺。能令具足。さにびぜつ。しょこんきけつ。のうりょうぐそく。

顛狂荒亂。作大正念。 てんのうこうらん。さだいしょうねん。

船師。大船師。運載群生。 せんし。だいせんし。うんざいぐんじょう。

度生死河。置涅槃岸。 どしょうじが。ちねはんがん。

醫王。大醫王。分別病相。曉了藥性。
いおう。だいいおう。ふんべつびょうそう。ぎょうりょうやくしょう。

隨病授藥。令衆楽服。 ずいびょうじゅやく。りょうしゅやくぶく。

調御。大調御。無諸放逸行。猶如象馬師。
ぢょうご。だいぢょうご。むしょほういつぎょう。ゆにょぞうめし。

能調無不調。師子勇猛。威伏衆獸。難可沮壊。
のうぢょうむふぢょう。ししゆみょう。いぶくしゅじゅう。なんかそえ。

●用語の解説

○善知識(ぜんちしき)
(梵)カルヤーナ・ミトラ "kalyaaNa-mitra"
仏道に導く人のこと。法華行者は、他者にとっての善知識であることを目指す。

○福田(ふくでん) 福徳を生み出すところのこと。

○請せざるの師 請われたから現われるのではなく、人々の苦悩をみて頼まれいなくても現れる師のこと。

○分別(ふんべつ) 分けて考えること。もろもろの事理を思量し、識別する心の働き。分析。

○暁了(ぎょうりょう) あきらかに理解すること。

○放逸(ほういつ) 悪を止め、善をすすめることに対して、だらしがなく、精進を怠ること。

○沮壊(そえ) 破ること。

●無量義経徳行品第一 #7      2015.1.2

第一 通序 「最高の悟り」

●現代語訳

この菩薩たちは、悟りへの道を自由自在に行い、菩提心は定まっていて、動じることがありません。菩薩は、誓願の力にとどまって、広くこの世界を浄めます。間もなく、最高の悟りを得ることでしょう。この菩薩摩訶薩たちは、皆、このような人知の及ばないほどの徳を持っているのです。

●訓読

菩薩の諸波羅蜜に遊戯(ゆけ)し、如来の地に於いて堅固にして動ぜず。願力に安住して、広く仏国を浄め、久しからずして 阿耨多羅三貎三菩提を成ずることを得べし。この諸の菩薩摩訶薩、皆かくの如き不思議の徳あり。

●真読

遊戲菩薩。諸波羅蜜。於如来地。ゆけぼさつ。しょはらみつ。おにょらいぢ。
堅固不動。安住願力。広浄仏国。けんごふどう。あんじゅうがんりき。こうじょうぶっこく。
不久得成。阿耨多羅三藐三菩提。ふくとくじょう。あのくたらさんみゃくさんぼだい。
是諸菩薩摩訶薩。皆有如斯。不思議徳。
ぜしょぼさつまかさつ。かいうにょし。ふしぎとく。

●解説

「菩薩の諸波羅蜜」とは、六波羅蜜のことです。六波羅蜜とは、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の行を完成させること、完成させるための行のことです。六波羅蜜の目的は、すべての行を完成させて、最終的に智慧を完成させることです。智慧の完成のことを「般若波羅蜜」といいます。般若波羅蜜を成せば最高の悟り(阿耨多羅三藐三菩提)を得ることができます。

布施から禅定までの行は、智慧をもとにしています。智慧をもとにした慈悲によって布施を行じるのですが、ここでは菩薩たちが人々を導き救うという「法施」を主に讃えています。

●無量義経徳行品第一 #8     2015.1.2

第一 通序 「声聞の名前を列ねる」

●現代語訳

説法会に参列している出家修行者の名は、
 大智舎利弗(だいちしゃりほつ)
 神通目健連(じんづうもつけんれん)
 慧命須菩提(えみょうしゅぼだい)
 摩訶迦旃延(まかかせんねん)
 弥多羅尼子富楼那(みたらにしふるな)
 阿若?陳如(あにゃきょうぢんにょ)
 天眼阿那律(てんげんあなりつ)
 持律優婆離(じりつうばり)
 侍者阿難(じしゃあなん)
 仏子羅雲(ぶっしらうん)
 優波難陀(うばなんだ)
 離波多(りはた)
 劫賓那(こうひんな)
 薄拘羅(はくら)
 阿周陀(あしゅうだ)
 莎伽陀(しゃかだ)
 頭陀大迦葉(ずだだいかしょう)
 優楼頻螺迦葉(うるびんらかしょう)
 迦耶迦葉(がやかしょう)
 那提迦葉(なだいかしょう)
といいます。

このような出家修行者が、一万二千いました。皆、聖者の最高の境地の阿羅漢の位にあり、様々な心の結びや煩悩を滅し、また執着がなく、真に迷いから脱した者たちです。

●訓読

その比丘の名を、大智舎利弗、神通目健連、慧命須菩提、摩訶迦旃延、弥多羅尼子富楼那、阿若?陳如、天眼阿那律、持律優婆離、侍者阿難、仏子羅雲、優波難陀、離波多、劫賓那、薄拘羅、阿周陀、莎伽陀、頭陀大迦葉、優楼頻螺迦葉、迦耶迦葉、那提迦葉という。是の如き等の比丘万二千人あり。皆、阿羅漢にして、諸の結漏を尽くして、また縛著(はくぢゃく)なく、真正解脱なり。

●真読

其比丘名曰。大智舍利弗。神通目連。
ごびくみょうわつ。だいちしゃりほつ。じんつうもっけんれん。

慧命須菩提。摩訶迦旃延。彌多羅尼子富楼那。
えみょうしゅぼだい。まかかせんねん。みたらにしふるな。

阿若?陳如。天眼阿那律。持律憂波離。
あにゃきょうぢんにょ。てんげんあなりつ。じりつうばり。

侍者阿難。仏子羅雲。憂波難陀。離婆多。
じしゃあなん。ぶっしらうん。うばなんだ。りはた。

劫賓那。薄拘羅。阿周陀。莎伽陀。
こうひんな。ばくら。あしゅだ。しゃかだ。

頭陀大迦葉。憂楼頻螺迦葉。伽耶迦葉。那提迦葉。
づだだいかしょう。うるびんらかしょう。がやかしょう。なだいかしょう。

如是等比丘。万二千人。皆阿羅漢。
にょぜとうびく。まんにせんにん。かいあらかん。

盡諸結漏。無復縛著。真正解脱。
じんしょけつろ。むぶばくじゃく。しんしょうげだつ。

●解説

菩薩の次に声聞の大弟子たちが紹介されています。ここに名前があげられているのは、十大弟子たちをはじめとする長老の弟子たちです。長老というのは、年齢のことではなく、高位の弟子のことです。

●無量義経徳行品第一 #9     2015.1.2

第二 別序 「三業供養」

●現代語訳

その時に、大荘厳(だいしょうごん)菩薩摩訶薩は、説法の会に参加しているすべての人々を見渡して、誰もが静かに坐り、心を定めているのを知ると、参列している八万の菩薩摩訶薩と共に立ち上がり、仏の近くへと進みました。仏のもとに着くとみ足に額をつけて深く礼を捧げ、仏のまわりを何度も廻りながら、美しい花を頭上より散らし、芳しいお香をたきました。天上界からは、天の衣、首飾り、貴重な宝石が、ゆっくりと回転しながら、あたり一面に降りてきました。それらの天上界の宝物が次第に雲のように集まってきたのを、一つにまとめると仏へと捧げました。

また、天の調理場では、天の鉢や器に様々なご馳走を盛り付けました。その色彩を見、芳しき香りを嗅ぐだけで、満足できるような御膳も仏へと捧げました。また、天の幟や旗、天の傘、天の家具を仏のまわりに飾り、天の伎楽を演奏して奉りました。そうした後に、仏の前へと進み、膝を地につけて礼拝し、合掌して、心を一つにして声を合わせ、詩を説き、仏の徳を讃えました。

●訓読

その時に大荘厳菩薩摩訶薩、遍く衆の坐して各定意なるを観じおわって、衆中の八万の菩薩摩訶薩と倶に、座よりしかも起って仏所に来詣(らいけい)し、頭面に足を礼しめぐること百千匝して、天華、天香を焼散し、天衣(てんね)、天瓔珞(てんようらく)、天無価宝珠、上空の中より旋転して来下し、四面に雲のごとく集って、しかも仏にたてまつる。

天厨、天鉢器に天百味充満盈溢(よういつ)せる。色を見、香を聞(か)ぐに自然に飽足す。天幢(てんどう)・天旛(てんばん)・天軒蓋(てんこんがい)、天妙楽具処処に安置し、天の伎楽を作して 仏を娯楽せしめたてまつり、即ちすすんで 胡跪(こき)し合掌し、一心に共に声を同じうして、偈を説いて讃めて言さく。

●真読

爾時。大荘厳菩薩摩訶薩。にじ。だいしょうごんぼさつまかさつ。 

遍観衆坐。各定意已。与衆中八万菩薩摩訶薩倶。
へんかんしゅざ。かくぢょういい。よしゅちゅうはちまんぼさつまかさつぐ。

従坐而起。来詣仏所。頭面礼足。遶百千匝。
じゅうざにき。らいげんぶっしょ。づめんらいそく。にょうひゃくせんそう。

焼散。天華天香。天衣。天瓔珞。
しょうさん。てんげてんこう。てんえ。てんようらく。

天無價宝珠。従上空中。旋転来下。
てんむげほうじゅ。じゅうじょうくうちゅう。せんてんらいげ。

四面雲集。而獻於仏。
しめんうんじゅう。にこんのぶつ。

天厨。天鉢器。天百味。充満盈溢。
てんちゅう。てんばっき。てんひゃくみ。じゅうまんよういつ。

見色聞香。自然飽足。  けんしきもんこう。じねんほうそく。

天幢。天幡。天軒蓋。天妙楽具。
てんどう。てんばん。てんこんがい。てんみょうらくぐ。

処処安置。作天伎楽。娯楽於仏。 しょしょあんち。さてんぎがく。ごらくおぶつ。

即前胡跪合掌。一心倶共同声。
そくぜんこきがっしょう。いっしんくぐどうしょう。

説偈讃言。せつげさんごん。

●解説

ここでは、大荘厳菩薩と多くの菩薩たちが、様々なものを釈尊に供養しています。大荘厳菩薩は、この『無量義経』の重要な登場人物です。なぜなら、この経典は大荘厳菩薩に対して教えが説かれるからです。

荘厳は、「飾る」という意味ですが、大乗仏教では菩薩が菩薩行によって世間を浄化することをいいます。大荘厳菩薩とは、大いに菩薩行を実践して仏国土を浄く飾っているということを象徴する名前です。

供養とは、諸仏・諸菩薩・天・阿羅漢たちに、供物を捧げることをいいます。現在も日本では、燈明・お香・華・膳・お茶・水などを仏壇に捧げますが、このことを供養といいます。ヴェーダの宗教(バラモン教)では、儀礼儀式を重んじており、動物をいけにえとして捧げていました。これを供犠(くぎ)といいます。仏教では、そのような殺生を禁じて、花やお香を捧げる供養を始めました。

ここでは、三業の供養がされます。三業とは、身口意の三種の行為のことをいいます。仏教では、因果応報が説かれますが、この因とは身口意の行為のことです。身口意の行為を正しく行じることが「八正道」ですので非常に重要な教えです。

ここでは、大荘厳菩薩が釈尊に礼拝し、右に廻り、胡跪し、合掌することが「意業の供養」であり、様々な供物を供養することが「身業の供養」であり、そして、この後に偈(詩)のかたちで釈尊を讃えることが「口業の供養」とされます。

また、供養には、三種があるといわれます。利供養(供物)・敬供養(讃嘆・恭敬)・行供養(行法)です。これを法華経では、供養・恭敬・尊重・讃歎と言い、繰り返し勧められています。行供養とは、仏法を行じることであり、八正道や六波羅蜜の行を行じることです。これは、仏土を荘厳にする行です。

●用語の解説

○天衣(てんね)
菩薩や天人などが肩から胸に垂らしている長い布。

○瓔珞(ようらく) 珠玉を連ねた首飾りや腕輪などの装身具のこと。

○胡跪(こき) 右膝を地につけて左膝を立てる礼法。

●無量義経徳行品第一 #10      2015.1.2

第二 別序 「仏身歎」

●現代語訳

 大いなるかな! 
 最上の悟りを開かれた 大いなる聖主
 煩悩なく 迷いなく 執着なく
 天 人 動物たちの善き指導者となり
 行いは風 徳は香りとなって
 あらゆるものの心へと染み入り
 智慧定まり 心定まり 
 思慮もまた定まり
 意識滅し 心もまた滅し
 永く 夢 妄想が起こることなく
 また すべての因縁もありません

●訓読

 大いなるかな大悟大聖主 
 垢なく 染なく 所著なし
 天・人・象・馬の調御師 
 道風徳香一切に薫じ 
 智しずかに情しずかに
 慮凝静(りょぎょうじょう)なり 
 意滅し 識亡して 心また寂なり 
 永く夢妄の思想念を断じて 
 また諸大陰入界なし

●真読

 大哉大悟大聖主(だいざいだいごだいしょうしゅ)

 無垢無染無所著(むくむぜんむしょじゃく)

 天人象馬調御師(てんにんぞうめぢょうごし)

 道風徳香熏一切(どうふうとっこうくんいっさい)

 智恬情怕慮凝靜(ちてんじょうはくりょぎょうじょう)

 意滅識亡心亦寂(いめつしきもうしんやくじゃく)

 永断夢妄思想念(ようだんむそうしそうねん)

 無復諸大陰界入(むぶしょだいおんにゅうかい)

*解説

ここからは、「偈」によって説かれます。偈とは、サンスクリット語のガーター "gaathaa" の訳で、詩句の形式で表わされた文のことをいいます。

古代よりインド人は「詩」を愛しました。ちょうど、日本で短歌や俳句が詠まれたように、インドでも雅言葉(サンスクリット語)で詩を詠みあったようです。

釈尊は、重要な教えを詩のかたちで説いたとされます。聖なる教えを文字にすることは古代インドでは戒められていましたので、師の教えは記憶し、口伝によって自分の弟子へと伝えました。なので、重要な教えは覚えやすいように詩のかたちで説かれたといいます。

訓読にすると詩のかたちが崩れてしまいますので、味わいが浅くなってしまいます。詩は、実際に口に出して読まなければ味わいが分かりません。一応、読み仮名も入れてみましたので、ぜひ音にしてみてください。とても、訓読では感じることのできない音の流れを体感できると思います。

『無量義経』は、サンスクリット本がありませんので比べることができませんが、法華経のサンスクリット語原文の偈は、実に美しい言葉によって耳触りよく詠まれています。しかし、漢訳の偈も美しく味わい深く訳されています。ここでは、七字によって統一されていますが、法華経では、四字、五字の詩句が多く説かれています。

●無量義経徳行品第一 #11    2015.1.2

第二 別序 「内証身」

●現代語訳

 その身体は
 有ではなく 無ではなく
 因ではなく 縁ではなく 自他ではなく
 四角ではなく 円ではなく 短くも長くもなく
 出ではなく 没ではなく
 生じるのでも 滅するのでもありません
 造られたのではなく
 起こったのではなく
 為すのでもなく 作るのでもありません
 坐っているのではなく
 寝ているのではなく
 行くのでも とどまるのでもありません
 動くのではなく 転がるのではなく
 動きが止まっているのではなく
 進むのではなく 退くのではなく
 安全でも 危険でもありません
 肯定ではなく 否定ではなく
 得でも 損でもありません
 あちら側はなく こちら側はなく
 去るのではなく 来るのでもなく
 青ではなく 黄ではなく
 赤でもなく 白でもなく
 紅ではなく 紫やその他の色でもありません

●訓読

 その身は 有に非ず また無に非ず 
 因に非ず 縁に非ず 自他に非ず 
 方に非ず 円に非ず 短長に非ず 
 出に非ず 没に非ず 生滅に非ず 
 造に非ず 起に非ず 為作に非ず 
 坐に非ず 臥に非ず 行住に非ず 
 動に非ず 転に非ず 閑静に非ず 
 進に非ず 退に非ず 安危に非ず 
 是に非ず 非に非ず 得失に非ず 
 彼に非ず 此に非ず 去来に非ず 
 青に非ず 黄に非ず 赤白に非ず 
 紅に非ず 紫種種の色に非ず

●真読

 其身非有亦非無(ごしんひうやくひむ)
 非因非縁非自他(ひいんひえんひじた)
 非方非円非短長(ひほうひえんひたんぢょう)
 非出非沒非生滅(ひしゅつひもつひしょうめつ)
 非造非起非為作(ひぞうひきひいさ)
 非坐非臥非行住(ひざひがひぎょうぢゅう)
 非動非転非閑静(ひどうひてんひげんじょう)
 非進非退非安危(ひしんひたいひあんき)
 非是非非非得失(ひぜひひひとくしつ)
 非彼非此非去来(ひひひしひこらい)
 非青非黄非赤白(ひしょうひおうひしゃくびゃく)
 非紅非紫種種色(ひくひししゅじゅしき)

●解説

ここでは、有無の両辺への固定した観方を否定しています。人は「有る」と観ればそれに執着し、「無い」に執着すればそれに執着します。霊魂の有無、死後の世界の有無、輪廻転生の有無、解脱・涅槃の有無に執着して、時にはそのことに執着して他と争う人もいます。仏教では、何らかの事物に執着することを否定します。事物の有無は因縁に依ります。因縁和合に依って仮に有り、因縁和合が無ければ仮に無いのですから、有無という固定した観方をしません。

最初の「非有亦非無」が理解できれば、その後の「非因非縁非自他〜」も理解できると思います。ただし、納得できるまでには時間がかかるかも知れません。ある程度、仏教を理解できるようになってから、じっくりと観じたほうがいいでしょう。

●無量義経徳行品第一 #12   2015.1.3

第二 別序 「修徳の三身」

●現代語訳

 持戒・禅定・智慧・解脱
 解脱知見の徳を修められて
 仏さまは 生じられ
 三昧・六神通力・三十七道品
 これらの修行から
 仏さまは 発せられ
 慈悲・十力・四無畏
 これらのはたらきによって
 仏さまは 起きられ
 人々の善の行為の
 因縁によって 出現されました

●訓読
 戒・定・慧・解・知見より生じ
 三昧・六通・道品より発し
 慈悲・十力・無畏より起り
 衆生善業の因縁より出でたり

●真読

 戒定慧解知見生(かいぢょうえげちけんしょう)
 三明六通道品発(さんみょうろくつうどうぼんほつ)
 慈悲十力無畏起(じひじゅうりきむいき)
 衆生善業因縁出(しゅじょうぜんごういんねんしゅつ)

 *三明を三昧と記す本もあります。

●無量義経徳行品第一 #13      2015.1.1

 第二 別序 「三十二相を述べて悟りを讃える」

●現代語訳

 姿かたちとして 示されるのは
 身の丈 一丈六尺(4.8m)
 身体中より 紫金の光を発し
 姿勢正しく まわりを照らされ
 際立った存在です。
 眉間の白い毛は月のように旋り
 うなじからは
 太陽のような光が四方に放射し
 頭髪は 渦を巻き 紺青色で
 頭頂は 高く盛り上がっておられます。
 眼は 清らかで まるで鏡のようであり
 まぶたは 上下にまじろぎます。
 眉は 紺色でスラリとのび
 口と頬は よく整っています。
 唇と舌は 赤く丹華のようで
 歯は 雪のように白く
 四十本が揃っています。
 額は広く 鼻は長く 
 面門は開いており
 胸には 卍 があり、
 獅子のように胸を張っています。
 手足は柔らかく 車のような紋があり
 腋と手のひらには 細い線があって
 内外に握ることができます。
 手は長く 指は細く真っ直ぐで
 皮膚のきめは細かく
 毛は 右に渦巻いています。
 くるぶしと膝は 美しく現われていて
 性器は 馬のように隠れており
 筋は 細く 鎖骨は しっかりとしています。
 足は まるで鹿のように伸びています。
 前も後も美しく
 清浄であって垢がありません。
 濁った水に入っても汚れず
 塵も身体に付きません。
 このように仏は 三十二相があり
 細かく見れば 八十種の
 よき相をお持ちです。

●訓読

 示して 丈六紫金の
 暉(ひかり)を為し 
 方整照曜として甚だ明徹なり
 毫相月のごとく旋り
 項(うなじ)に日の光あり 
 旋髪紺青(せんぱつこんじょう)にして
 頂きに肉髻(にくけ)あり
 淨眼明鏡のごとく上下にまじろぎ 
 眉しょう紺舒(こんじょ)にして
 方(ただ)しき口頬(くきょう)なり
 唇 舌 赤好(しゃっこう)にして
 丹華の若く 
 白歯の四十なる
 なお珂雪のごとし
 額広く鼻修(なが)く面門開け 
 胸に万字を表して
 師子の臆(むね)なり
 手足柔なんにして千輻を具え 
 腋掌合縵(やくしょうごうまん)
 あって内外に握れり
 臂修肘長(ひしゅちょうちょう)
 にして指直く細し 
 皮膚細なんにして
 毛右に旋(めぐ)れり
 踝膝露現(かしつろげん)し
 陰馬蔵(おんめぞう)にして 
 細筋鎖骨
 鹿膊脹(ろくせんちょう)なり
 表裏映徹し 浄くして垢なし 
 濁水(じょくすい)も
 染むるなく塵を受けず
 是の如き等の相三十二あり 
 八十種好見るべきに似たり

●真読

 示為丈六紫金暉(じいじょうろくしこんき)
 方整照曜甚明徹(ほうしょうしょうようじんみょうてつ)
 毫相月旋項日光(ごうそうがっせんきょうにっこう)
 旋髮紺青頂肉髻(せんぱつこんじょうちょうにっけい)
 浄眼明照上下?(じょうげんみょうきょうじょうげじゅん) 
 眉ショウ紺舒方口頬(みしょうこんじょほうくきょう)
 脣舌赤好若丹菓(しんぜつしゃっこうにゃくたんげ)
 白齒四十猶珂雪(びゃくししじゅうゆかせつ)
 額広鼻脩面門開(がっこうびしゅめんもんかい)
 胸表卍字師子臆(くひょうまんじししおく)
 手足柔軟具千輻(しゅそくにゅうなんぐせんぶく)
 腋掌合縵内外握(やくしょうごうまんないげあく)
 臂脩肘長指直纖(ひしゅちゅうぢょうしじきせん)
 皮膚細軟毛右旋(ひふさいなんもううせん)
 踝膝不現陰馬蔵(かしつろげんおんめぞう)
 細筋鎖骨鹿膊腸(さいこんさこつろくせんちょう)
 表裏映徹浄無垢(ひょうりようてつじょうむく)
 浄水莫染不受塵(じょくすいまくぜんふじゅじん)
 如是等相三十二(にょぜとうそうさんじゅうに)
 八十種好似可見(はちじっしゅごうじかせん)

●無量義経徳行品第一 #14     2015.1.3

第二 別序 「衆生の相も仏の相に通じる」

●現代語訳

 このように特徴のある姿をされていますが
 実際には 相があるとかないということを
 超越された方であり
 すべての相は 見たままではありません。
 真実としては 相はありませんが
 人々のために 相を持って現れられました。
 人々の相も またその通りです。

●訓読

 しかも 実には相非相の色なし 
 一切の有相眼の対絶せり 
 無相の相にして 有相の身なり 
 衆生身相の相も また然なり

●訓読
 而実無相非相色(にじつむそうひそうしき)
 一切有相眼對絶(いっさいうそうげんたいぜつ)
 無相之相有相身(むそうしそううそうしん)
 衆生身相相亦然(しゅじょうしんそうそうやくねん)

●解説

仏教用語の「相」とは、非常に重要な言葉です。一般的には、姿かたちなどの見た目のことを言いますが、仏教用語としての相は、「特徴」という意味です。個々の事物・現象は、それぞれの特徴をみることによって区別されます。10人の人間がいれば、男女で分け、年齢で分け、体格、美醜などの特徴をみて分けます。特徴がまったく同じであれば、同類とみなされます。

 個の特徴→区別・差別

仏の三十二の徳相が讃えられましたが、実際には、仏は、そのような特徴があるとか、特徴がないということを超越されています。特徴を認識できる対象ではありません。相手に特徴があるとみているのは観る者であり、それは観る者のつくりだしたイメージによるものが大きいのです。

そのことは、すべての対象にも同じことが言えます。大小、優劣、美醜などの特徴をみて差別・区別しますが、それらはすべて観る者の概念・観念・イメージによって決定されています。本来は、すべてのものは無相であり、特徴はありません。仮にそのように認識されているだけです。

●無量義経徳行品第一 #15     2015.1.3

第二 別序 「相の用」

●現代語訳

 人々は そのような仏さまの相をみて
 喜び 礼拝をなして
 心から帰依をし 敬意を表して
 真心を込めるようになります。
 仏は 驕り高ぶりを捨てることによって
 このような素晴らしい相を得られました。

●訓読

 よく衆生をして 歓喜し礼して 
 心を投じ敬を表して
 慇懃(おんごん)なることを成ぜしむ 
 これ自高我慢の除こるに因って
 是の如き妙色の身を成就したまえり

●真読

 能令衆生歓喜礼(のうりょうしゅじょうかんぎらい)
 虔心表敬誠慇懃(げんしんひょうきょうじょうおんごん)
 因是自高我慢除(いんぜじこうがまんぢょ)
 成就如是妙色躯(じょうじゅにょぜみょうしきく)

 *虔心表敬は投心表敬とも記されます。

●解説

仏はなぜ三十二相を持つのかというと、人々との因縁によります。仏が慈悲のはたらきをされたために、人々の心に供養・恭敬・尊重・讃歎の心がめばえ、仏を光り輝く徳相ととらえたのです。

●無量義経徳行品第一 #16    2015.1.3

第二 別序 「帰敬歎」

●現代語訳

 今 私たち八万の衆は
 ともに皆 深く敬意を表しています。
 あらゆる思想や執着心 意識を滅せられ
 象や馬をうまく調教するように
 人々の心を善に導かれる
 執着のない聖なるお方に帰依いたします。
 心から礼をなし
 法身としても 色身としても
 戒律・禅定・智慧・解脱
 解脱知見を成しとげられたことに
 帰依いたします。
 心から礼をなし
 素晴らしいお姿に帰依いたします。
 心から礼をなし
 非常に深い智慧に帰依いたします。

 仏さまのお声は 雷が鳴り響くように
 多くの人々に広まります。
 そのお声による教えは
 誰もが好む声であり
 柔らかく 違和感がなく 智慧があり
 納得ができ 正しく 奥深く 
 尽きることがなく
 他と比べることのない程に優れ
 清浄で 非常に奥深い趣があります。
 四諦・六波羅蜜・十二因縁など
 人々の心と行いに応じて
 教えを説かれます。

 もし この教えを聞くことができれば
 心から執着が除かれ
 多くの変化へのとらわれから
 離れることができます。
 仏さまのみ教えを聞くことによって
 声聞の弟子たちは
 まずは 思想の迷いを捨てて
 須陀?(しゅだおん)の位に入り
 次には 貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)の
 三毒を捨てて 
 斯陀含(しだごん)の位に進み
 次には 色欲・貪欲・財欲などの欲を捨てて 
 阿那含(あなごん)の位になり
 最後には 煩悩を捨てて
 阿羅漢(あらかん)の果を
 得ることができます。
 または 煩悩なく 執着のない
 縁覚の境地に入り
 または 無分別の菩薩の果を
 得ることができます。
 あるいは 多くの善をすすめ悪をとどめる言葉や
 障害を乗り越えて 
 自由自在にすすんで説法をする
 大いなる説得力を得て
 非常に奥深く 極めて優れた詩を説き
 修行を自由自在に行って
 法の清らかな水路で洗い清め
 または 身を躍らせて
 空を飛びまわる様な神の足を現じ
 水中 火中に出入りしても
 自由な身体を持てるようになります。
 如来の教えは 以上の様に清浄無辺にして
 人々の考えの域をはるかに超えています。
 私たちは また共に深く頭を下げ
 時に応じて説法をされる
 その教えに帰依いたします。
 深く頭を下げ
 清きお声に帰依いたします。
 深く頭を下げ
 十二因縁・四諦の法門・六波羅蜜の
 教えに帰依いたします。

●訓読

 今 我等八万の衆 
 倶に皆稽首して咸く 
 善く思想心意識を滅したまえる 
 象馬調御無著の聖に帰命したてまつる
 稽首して法色身戒定慧解 
 知見聚に帰依したてまつる
 稽首して妙種相に帰依したてまつる 
 稽首して難思議に帰依したてまつる
 梵音雷震のごとく響き八種あり 
 微妙清浄にして甚だ深遠なり
 四諦・六度・十二縁 
 衆生の心業に随順して転じたもう 
 もし 聞くことあるは意開けて 
 無量生死の衆結断せざることなし
 聞くことあるは 或は
 須陀?斯陀・阿那・阿羅漢 
 無漏無為の縁覚処 
 無生無滅の菩薩地を得
 或は 無量の陀羅尼 
 無礙(むげ)の楽説大弁才を得て 
 甚深微妙の偈を演説し 
 遊戯して法の清渠(しょうこ)に
 澡浴(そうよく)し 
 或は躍り飛騰(ひとう)して神足を現じ 
 水火に出没して 身自由なり
 如来の法輪相 是の如し 
 清浄無辺にして思議し難し
 我等咸く また共に稽首して 
 法輪転じたもうに
 時を以ってするに帰命したてまつる 
 稽首して梵音声に帰依したてまつる 
 稽首して縁・諦・度に帰依したてまつる

●真読

 我等八万之等衆(がとうはちまんしらしゅう)
 倶共稽首咸帰命(ぐくけいしゅげんきみょう)
 善滅思想心意識(ぜんめつしそうしんいしき)
 象馬調御無著聖(ぞうめぢょうごむぢゃくしょう)
 稽首帰依法色身(けいしゅきえほうしきしん)
 戒定慧解知見聚(かいぢょうえげちけんじゅ)
 稽首帰依妙幢相(けいしゅきえみょうどうそう)
 稽首帰依難思議(けいしゅきえなんしぎ)
 梵音雷震嚮八種(ぼんのんらいしんきょうはっしん)
 微妙清浄甚深遠(みみょうしょうじょうじんじんのん)

 四諦六度十二縁(したいろくどじゅうにえん)
 隨順衆生心業転(ずいじゅんしゅじょうしんごうてん)
 有聞莫不心意開(うもんまくふしんいかい)
 無量生死衆結断(むりょうしょうじしゅけつだん)
 有聞或得須陀?(うもんわくとくしゅだおん)
 斯陀阿那阿羅漢(しだあなあらかん)
 無漏無為縁覚処(むろむいえんがくしょ)
 無生無滅菩薩地(むしょうむめつぼさつぢ)

 或得無量陀羅尼(わくとくむりょうだらに)
 無礙楽説大辯才(むげぎょうせつだいべんざい)
 演説甚深微妙偈(えんぜつじんじんみみょうげ)
 遊戲澡浴法清池(ゆけそうよくほうしょうこ)
 或躍飛騰現神足(わくやくひとうげんじんそく)
 出沒水火身自由(しゅつもつすいかしんじゆう)

 如是法輪相如是(にょぜほうりんそうにょぜ)
 清浄無辺難思議(しょうじょうむへんなんしぎ)
 我等咸復共稽首(がとうげんぶくけいしゅ)
 帰依法輪転以時(きえほうりんてんいじ)
 稽首帰依梵音声(けいしゅきえぼんのんじょう)
 稽首帰依縁諦度(けいしゅきええんたいど)

●無量義経徳行品第一 #17      2015.1.3

第二 別序 「仏徳歎」

●現代語訳

 世尊は はるかなる昔より
 非常に苦労をされ
 数々の徳行を修められました。
 ご自分のためだけではなく
 人や天の神々のために
 様々な魔神たちのためにされ
 その功徳は 広く人々に及ぼしました。
 とても捨てがたい様々な
 財宝 妻子国城を捨てて
 それらの物質的な物
 外面的なものだけではなく
 内面的な執着も
 惜しむことなく捨て去りました。
 その頭脳によって悟られたこと
 目で正しくとらえられた世界は
 すべて他者に施され
 諸仏によって唱えられた
 清浄なる戒律を大切に保たれて
 命にかけても
 破られる事はありませんでした。
 もし 人が刀や杖を持って現われて
 振りまわし危害を加えようとしても
 悪口を言い、激しく罵っても
 一度たりとも
 お怒りになることはありませんでした。
 非常に長い年月
 修行を続けられても怠けることはなく
 昼も夜も心を穏やかにして乱れる事がなく
 この世の一切の修行の道
 教えを学んでおり
 智慧が深く 人々の機根を見通されています。
 この様な理由から
 今 自在の力を得て
 教えにおいて自在にして
 法の王となられました。
 私たちは また ことごとく
 皆ともに頭を深く下げ
 よく諸々の勤め難くを勤められた
 そのご努力に心から帰依いたします。

●訓読

 世尊往昔の無量劫に 
 勤苦に衆の徳行を修習して
 我人天龍神王の為にし 
 普く一切の諸の衆生に及ぼしたまえり
 よく一切の諸の捨て難き 
 財宝妻子及び国城を捨てて
 法の内外に於いて悋む所なく 
 頭目髄脳悉く人に施せり 
 諸仏の清浄の禁を奉持して 
 乃至命を失えども 毀傷したまわず
 もし 人刀杖をもって来って害を加え 
 悪口罵辱すれども 終に瞋りたまわず
 劫を歴て身を挫けども 惓惰したまわず
 昼夜に心を摂めて常に禅にあり
 遍く 一切の衆の道法を学して 
 智慧深く 衆生の根に入りたまえり
 この故に 今自在の力を得て 
 法に於いて 自在にして法王と為りたまえり
 我 また咸くともに稽首して 
 よく諸の勤め難きを勤めたまえるに
 帰依したてまつる

●真読

 世尊往昔無量劫(せそんおうしゃくむりょうごう)
 懃苦修習衆徳行(ごんくしゅしゅうしゅとくぎょう)
 為我人天龍神王(いがにんでんりゅうじんのう)
 普及一切諸衆生(ふぎゅういっさいしょしゅじょう)
 能捨一切諸難捨(のうしゃいっさいしょなんしゃ)
 財宝妻子及国城(ざいほうさいしぎっこくじょう)
 於法内外無所悋(おほうないげむしょりん)
 頭目髓腦悉施人(づもくずいのうしっせにん)
 奉持諸仏清浄戒(ぶぢしょぶつしょうじょうかい)
 乃至失命不毀傷(ないししつみょうふきしょう)
 若人刀杖来加害(にゃくにんとうぢょうらいかがい)
 悪口罵辱終不瞋(あっくめにくじゅふしん)
 歴劫挫身不倦惰(りゃっこうざしんふけんだ)
 昼夜攝心常在禪(ちゅうやせっしんじょうざいぜん)
 遍学一切衆道法(へんがくいっさいしゅどうほう)
 智慧深入衆生根(ちえじんにゅうしゅじょうこん)
 是故今得自在力(ぜここんとくじざいりき)
 於法自在為法王(おほうじざいいほうおう)
 我等咸共倶稽首(がとうげんくけいしゅ)
 帰依能懃諸難懃(きえのうごんしょなんごん)
 

 

 

 

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