蓮の道 法華経物語 (2010) 

2019.7.10

●法華経物語  2010/12/10(金) 午後 6:40

このブログのテーマは、「法華経」です。

仏教の経典の一つなのですが、初期の経典とは違っていて、全体が一つの物語になっています。それが、大きな特徴だと言えます。

まず、法華経初心者の方々のために「法華経物語」と題して、教えなどを控えめにしてストーリーを追ってみようと思います。

法華経は、「ならびに開結」と言って、開経と結経が前後に配され、法華三部経として読まれることがあります。開経とは、「無量義経」で、結経は、「仏説観普賢菩薩行法経」です。ですが、ここでの「法華経物語」では、
省かせていただきましたのでご了承ください。

では、SF的な壮大な物語をお楽しみください。

合掌

●法華経物語 第一章 序章  010/12/10(金) 午後 7:05

私はこの様に聞きました。

今から約2500年前、お釈迦さまが王舎城の霊鷲山に留まっていた時のことです。
お釈迦さまは、出家修行者一万二千人と共におられました。

お釈迦さまのありがたい教えを聞きに集ったのは、徳の高い菩薩たち、修行を積んだ男女の出家僧、男女の在家者たち。そこには、人間だけでなく、天上界の神々や龍や魔神たちの姿もありました。

お釈迦さまは、無量義の教えを説き終わると、瞑想に入られました。説法の座で結跏趺坐し、今お説きになられた無量義の教えをかみしめられました。三昧に入られてしばらくして、天より美しい花が、お釈迦様と聴聞衆の頭上に降りそそぎ、大地が六種類に揺れ、人々はこの不思議な出来ごとに歓喜し、合掌して一心にお釈迦様を見たてまつりました。

次にお釈迦さまの眉間より光が放たれ、過去の世界のあらゆる場所を照らしました。
その光は、下は地獄界から、上は天上界から下は地獄まで、六道にいる人々のあらゆる姿を照らし、諸仏が説法している様子を照らし、菩薩や僧が修行をして悟りを開いていく様子を照らし、諸仏が涅槃に入る様子を照らしました。

この時、弥勒菩薩は、説法会に集う人々が、この不思議な光景の意味を知りたいと願っているのを知り、自分自身も知りたいと願っていたので、文殊菩薩にこのことの意義を質問しました。

文殊菩薩は、以前にもこれと同じ体験をしたことがあることを告げ、この不思議な出来事は、「妙法蓮華経」の説法に入る準備に違いないので、一心に合掌をして待ちましょうと答えました。

合掌

●法華経物語 第二章 方便の章  2010/12/10(金) 午後 7:43

お釈迦さまは、深い瞑想から覚められて、舎利弗に言いました。

「舎利弗よ。諸仏の悟った内容は、非常に奥が深く、難しく、通常の人々には理解できるものではありません。難しい内容ですから、私はこれまで方便をもって、人々の執着を離れさせてきました。執着があれば、真理を見極めることが出来ないからです」

「舎利弗よ。如来の見解は非常に深く、一切の真理を悟っています。しかし、この真理は、まだ人に説かない方がいいでしょう。仏の見極めた真理は、非常に難しく、仏と仏のみしか諸法実相を観察できないからです。それは、世界をありのままに観る観方のことで、あらゆるものが、何であるか、どの様なものか、何を以ってか、如何なる特徴を持つか、如何なる本質を持っているか、ということを観る観方のことです」

ここでお釈迦さまは、この教えを説けば、混乱する者が多く現れる、という理由で説法を断念されました。

説法会に参加していた多くの人々は、仏の得た真理が非常に深くて分かりにくく、一切の弟子たちにとって、説いても納得できない教えである、というお釈迦さまの言葉に疑問を感じました。

舎利弗は、みんなと同じ疑問を持っていたので一同を代表して、お釈迦さまに質問しました。

「世尊。何故、世尊は今、方便を称嘆されるのですか? また、難解難入の真理を、何故称嘆されるのですか? 私は、いまだかつて世尊から、このような説を聞いたことがありません。今、ここに集う人たちは、皆疑いの心を持っています。ただ、願わくば世尊、この事を分かり易くお教え下さい」

お釈迦さまは、舎利弗に言いました。
「舎利弗よ、やめなさい。この真理を説けば、皆さんはきっと驚き、疑いの心でいっぱいになるでしょう」

舎利弗は再び請い、お釈迦さまは再び断り、しかし、舎利弗はさらに請うたので、お釈迦さまは三度目についに応じることにしました。

「舎利弗よ、あなたは三度にわたって懇願しました。それでは、あなたに対して話しましょう。よく聴きなさい、聴いて心に留めなさい」

その時に説法会の、出家者や在家者たちの中の五千人が立ち上がって、お釈迦さまに一礼をするとその場から立ち去りました。 この者たちは、まだ悟ってもいないのに、悟っていると思い込んでいる増上慢の人達でした。お釈迦さまは、黙ったまま彼らが去るのにまかせ、制止しようとはしませんでした。

五千人が立ち去った後、お釈迦さまは、
「枝葉は払われ、真に教えを求める者のみが残りました。舎利弗よ、今こそ、あなたに真の法を説きましょう」
と告げ、いよいよ真理についての説法が始まりました。

「もろもろの仏や、如来がこの妙法を説くのは、三千年に一度だけ咲くという優曇鉢華(うどんばつげ)の花のようなものです。滅多にあることではありません」

「仏は一大事の因縁をもってこの世に出現します。一大事の因縁とは、人々に如来の智慧を開かせ、示し、悟らせ、そこに入らせることです。そのために如来は世に出現するのです。現在・過去・未来・十方の仏が世に出るのも同じ理由からです」

「もろもろの仏・如来はただ菩薩だけを教化します。如来の教えは、成仏という目的を達成するための道を示すものであり、聖人などの境地を目指すものではありません。一仏乗のみがあって、他に二つ目三つ目の乗物があるわけではないのです。つまり修行の目的は成仏であり、菩薩・縁覚・声聞などを目的とはしないのです。過去・未来・現在に現れる諸仏は、全て一仏乗のためです」

「舎利弗よ。もろもろの仏は、五濁の悪世に現われます。悪世の衆生は、あらゆるものへの執着が強く、心が汚れ、善根がなく、自己中心的で迷いに満ちた存在であるため、もろもろの仏は方便力によって、一仏乗を菩薩・縁覚・声聞の三つに分けて人々を導くのです。声聞たちが聖者の位に到達したとしても、成仏を求めなければ、その人は大きな間違いをしていると知るべきです」

「存在は常に空ですが、成仏のきっかけは、縁によって起こります。そのために、一乗を説くのです」

「皆さんは、今、諸仏が方便を説く理由を知りました。疑惑を起こすことなく、心に大歓喜を生じて、自らまさに成仏することを知りなさい」

合掌

●法華経物語 第三章 譬えの章    2010/12/10(金) 午後 8:19

誰もが仏に成れるという説法を聞いて、舎利弗は大いに歓喜し、立ち上がって合掌し、そして釈尊に言いました。

「私たちは、世尊のご指導により、悟った存在になったのだと自負していましたが、世尊は、成仏の保証である授記を菩薩には与えても、わたしたち声聞には与えず、しかも、小乗の教えしか説いて頂けないことに、実は不満を感じていました。
 しかし、ただ今の説法を頂き、これまで私たちが学んだ教えは、まぎれもなく最上の悟りへと導く方便として説かれた教えだと知りました。今、私の一切の疑念は消えました。世尊のこの教えを聞いて、私は、本当の仏の子になったのです。私は、きっと成仏し、天の神々と人々に敬われることを得て、無上の教えを転じて、多くの菩薩を教化したいと思います」

それを聞いてお釈迦さまは、舎利弗に語りました。
「舎利弗よ、お前は限りなく遠い未来において、幾千万億の諸仏に仕え、 菩薩のなすべきことを終えた後、成仏を得るでしょう。名を華光如来(けこうにょらい)と言い、その国を 離垢といい、その時代は大宝荘厳と呼ばれるでしょう。なぜ、大宝荘厳と呼ばれるのかというと、菩薩たちの修行の場だからです。非常に多くの菩薩が、この国に充満しています」

そこにいた全ての人々は、声聞の舎利弗が最上の悟りの記を受けるのを見て、大いに歓喜し、上衣を脱いで釈尊に捧げました。 なぜ、みんなが大喜びするのかというと、舎利弗の授記こそが声聞の最初の授記だったからです。帝釈天や梵天王は、天子の衣や天の花の曼陀羅華をもって供養しました。 虚空には、散ぜられた天衣が舞い、美しい音楽が響きわたりました。

その時に諸天神は、お釈迦さまにこの言葉を贈りました。
「世尊は、鹿野苑で五人の比丘に 初めて法を説かれ、今、ここ霊鷲山で無上の大法輪を転じられました!」

仏は昔、鹿野苑において初めて方便の教えを説かれ、今、この霊鷲山で無上の真理の教えを説かれました。このことは、非常に有難いことだと天上界の神々が大喜びしているのです。


舎利弗は、お釈迦さまに言いました。
「ここにいる千二百人の阿羅漢たちは、世尊の教えの通り修行を重ね、生・老・病・死を離れて、悟りを得たと思っております。 しかし今、いまだかつて聞いたことのない世尊の教えを聴いて、自分たちの得た悟りと、最上の悟りの違いが分からず動揺しております。どうか皆の疑惑をはらしてください」

お釈迦さまは、舎利弗に語りました。
「それでは舎利弗よ、ひとつたとえ話をしましょう。智のある人は、たとえ話で教えを悟る事が出来るでしょう。」

 

●法華経物語 第四章 信解の章  2010/12/10(金) 午後 11:55

○登場人物
 摩訶迦葉・・・まかかしょう
 摩訶迦旃延・・・まかかせんねん
 摩訶目健連・・・まかもっけんれん
 須菩提・・・しゅぼだい

その時、お釈迦さまの大弟子の四大声聞が、お釈迦さまの前に進み出ました。摩訶迦葉、摩訶迦旃延、摩訶目健連、須菩提の長老四人衆は、誰もが仏に成れるのであり、仏は衆生の成仏を導くという説を聴き、舎利弗への授記を眼の前にして、声聞も実際に成仏できると知って自分たちも成仏の可能性があることを実感しました。四大声聞は大いに歓喜し、衣服を整え、一心に合掌して、お釈迦さまに言いました。

「私たちは、教団におきましては、リーダーのお役を頂いておりますが、老衰しております。そのせいか、お釈迦さまのお説きになる教えへの反応も鈍り、最上の悟りを求める心さえも薄れていました」

「お釈迦さまは、昔より、非常に永きに渡って説法をされており、私たちも、永い間、その座にあって、身体は疲れております。何ものにも実体を観ず、何ものにも執着をせず、何ものにも欲望の心を起さないという三解脱門の禅定に入らず、菩薩の様に自在に振る舞わず、仏の地を清めず、衆生を救わず、その様な修行に喜びを見いだせずにいました」

「なぜならば、私たちは、来世においては、三界から脱し、安穏の境地に行けると涅槃の証を頂けたからです。私たちは、老衰しており、仏が菩薩に教える最上の悟りについても、楽しみや喜びを感じる心も生じなくなっていました」

「今、声聞の仲間の舎利弗が、成仏の保証の記を授けられるのを聞いて、これまでにない程の大きな喜びを感じております。私たち、声聞も成仏できるとは、これほどの喜びはありません。このことは、計り知れない程の珍しい宝を、求めてもいないのに思いもよらずに得る事ができた喜びです」

「世尊。私たちの今の思いを、たとえ話にして発表させて下さい」

○長者窮子のたとえ

ある長者の息子が、幼い頃に家出をし、50年もの間各地を放浪していました。定職につかず、家もなく、ふらふらとし、非常に貧乏で、その日暮らしの毎日でした。

ある時、行くあてもなく歩いていると豪華な邸宅前に立ち止りました。その豪華な邸宅は実は自分の父親の家だったのですが、息子はそのことに気付かず、うらやましく邸宅内を見ていました。邸宅内には、父親である長者が居ました。外にいる男を一目で自分の息子だと気づいた長者は、自分が父であることを秘密にし、使者にその男を連れてくるように命じました。しかし、息子は使者を見て、捕まえられて殺されると勘違いし、地に倒れ気絶してしまいました。息子の落ちぶれた姿を見て、息子が抵抗しない様にと、使者にみすぼらしい格好をさせて、「便所掃除の仕事があるが、やってみないか?」と誘わせました。

便所掃除ならばと息子は仕事を引き受け、長者の邸宅に行き真面目に働き始めました。たまに長者も汚い格好をし、息子に近づき、一緒に働きました。息子は一生懸命に働き、やがて20年の月日が流れ、長者の財産を管理するまでに至りました。間もなく臨終する事を覚り、年老いた長者は、親戚縁者、知人、友人を集め、みんなの前で親子であると明かし、息子に財産の全てを与えました。

長者とは仏であり、窮子とは衆生のことです。ここでも、仏と衆生の親子関係が強調されています。50年間各地を放浪したというのは、苦しみに満ちた世界を智慧を持たずに煩悩のままに生きてきたということです。その挙句、にっちもさっちも行かなくなり路頭に迷っていた状態を窮子と言っています。卑屈な状態でもあります。喩えでは、窮子に出来そうな汚くて簡単な仕事を与え、自信を得させたころに、重要な仕事を与えたとなっています。つまり、仏は、それぞれの人々が出来そうで、苦に成らないことをまず与え、機根を引き上げた後に、最高の智慧を教えるということです。

合掌

●法華経物語 第五章 薬草の譬えの章  2010/12/12(日) 午後 0:18

その時にお釈迦さまは、摩訶迦葉、及び諸々の大弟子たちに告げました。
「その通りです、その通りです。迦葉は、よく如来の真実の功徳について発表しました。誠にあなたの言われたとおりです。しかし、如来には、さらに、もっと深い功徳がありますが、その内容は、皆さんが、どんなに長い年月を掛けようとも、とうてい解き明かすことは出来ないでしょう」

「迦葉よ。よく心得て下さい。如来は、一切の教えを知り、それを自在に説く者です。如来が何を説いても、それがどの様な内容でも、空しいものはありません。一切の教えは、仏の智慧の方便によって説かれています。その教えは、人々を一切の智慧の境地へと導きます」

「如来は、すべてのものごとが、これからどの様に展開するのかをよく知っており、また、一切の人々の心の奥の動きまでよく知っており、自由自在に見通しています。また、すべてのものごとにおいて、真相を見極めており、すべての人々に一切の智慧を示しています」

「迦葉よ。譬えて話しましょう」

○三草二木のたとえ

この世界の、山や川、谷間や平地には、様々な植物が生えています。草や林、やぶや、薬草など、種類も様々で名前も形も様々です。上空を密雲が覆い、一時に等しく雨を降らせました。雨は、草や林、やぶや、薬草などの区別なく、平等に降り注ぎます。小さい根、小さい茎、小さい枝、小さい葉や、中ほどの根、中ほどの茎、中ほどの枝や、大きい根、大きい茎、大きい技、大きい葉を平等に潤すのです。

雨は平等に降りますが、それを受ける草木には、大小の差、種類の相違があり、受け取り方が異なります。同じ雲から、同じ雨が降ってきたのにも関わらず、生長の度合いが違い、咲く花が違い、結ぶ実が異なります。同じ土地に生えた植物でも、ひとつの雲から降った雨の潤いを受けたものでも、草木には、これほどの違いがあるのです。仏の教えと人々の関係もやはり、これと同様である事を知らなければなりません。

「迦葉よ。この中の大雲とは如来のことであり、草や林、やぶや、薬草などが人々です。如来は、人々に対して同じように教えを説くのですが、人によって受けとめ方が異なるため、各々がそれぞれの個性で生長します」

「如来の説法とは、本質的にはひとつであり、同じ働きを持つものです。それは煩悩からの解放という特徴、愛欲から離れるという特徴、執着を滅するという特徴を持っていますが、最終的には最上の智慧にまで至らしめます」

「如来は、全ての生命体が、どのような種別であり、どの様な特徴を持ち、どの様な体をもち、どの様な性をしているのか、また、どのような事を念じ、どのような事を思い、どのような事を修行し、どの様に念じ、どのように修行するのか、また、どのような教えによって念じ、どのような教えによって思い、どのような教えによって修行し、どのような教えによって、どのような教えを得るのであるかという事を知っています」

「全ての生命体は、自分がどの様な境地に居るかを知りませんが、ただ如来のみは、全ての生命体の境地を、明らかに観ており、明らかに見極められ、しかも何ものにも捉われていません。かの草や、木や、叢や、林や、諸々の薬草は、自分では上中下の性質がある事を知らないようなものです。それぞれの人々は、それぞれの境地によって受ける教えの違いがありますが、如来は、それらの人々が受けている様々な教えが、本来は一つであることを知っています」

「如来は、それを同一の特徴、同一の働きの教えと知っているのです。それは煩悩からの解放という特徴、愛欲から離れるという特徴、執着を滅するという特徴、最上絶対の悟りの境地、そして、ついには空に帰着するものです」

「仏は、すべての人々に仏性があり、等しく成仏を目指していることを知ってはいるのですが、現実的には、人々には様々な欲望があるため、その違いに応じて徐々に導いています。機根に応じて説く事が重要なのです。そのために、最高の教えは未だ説いてはいません」

「迦葉をはじめとする、ここに集える皆さん。皆さんは、実に素晴らしい方々です。よくぞ、これまで、方便の教えを学んで、よく信じ、それを身につけることができました。なぜ、皆さんが素晴らしいのかと言うと、仏の説法は随宜であり、対機なので、その真意は解りにくく、本質は知りがたいものだからです。皆さんは、立派にそれが出来ました」

合掌

●法華経物語 第六章 授記の章  2010/12/13(月) 午前 8:20

○摩訶迦葉への授記
その時に、お釈迦さまは、諸々の大衆に向かって言いました。
「私の弟子である摩訶迦葉は、未来世において、多くの仏を供養して、
 広く偉大なる教えを世に広めることができ、そして、最後に仏に成るでしょう。
 名を光明如来、国を光徳、時代を大荘厳といいます。」

その時に、目連、須菩提、摩訶迦旃延らは、みんな感動のあまりに身をふるわせ、
一心に合掌し、お釈迦様を仰ぎ見ていましたが、
やがて声を揃えてお釈迦さまに言いました。
「釈迦族の法の王である世尊に申し上げます。
 私どもを哀れと思し召され、どうぞお声をおかけください。
 私どもの心の奥の決心をお察し下さり、授記を頂けるならば、
 甘露が身に注がれて熱が冷め、清々しい気持ちに成れるのと同様に、
 この上もなく幸福な事でございます。」

○大王の膳のたとえ
「譬えて申し上げれば、私どもは今、飢饉で苦しんでいる国から逃れてきて、
 いきなり大王のごちそうの膳の前に座った様なものです。
 頂いていいものかどうか、迷うばかりで、誰も食する事が出来ません。
 もし、大王に食べていいのだと一言頂ければ、安心して食べる事が出来ます。
 同様に、私どもは、小乗の過ちに気づきながらも、
 大乗の教えをどの様に学べばよいかが分かりませんでした。
 私ども声聞も、いつかは成仏できるとお伺いしても、
 この自分が仏に成れるのかどうかが心配です。
 それは、ちょうど、大王のごちそうが目の前にあっても
 食べられないのと同じ気持ちでございます。
 もし、世尊より、授記を頂けるならば、私どもの心は安らかになるでしょう。
 どうか、わたしどもに、授記を与え下さい。」

○須菩提への授記
お釈迦さまは、須菩提だけでなく、多くの大弟子たちが同様の思いをしていることを
お見通しになり、諸々の出家僧たちに向かって言いました。
「この須菩提は、当来世において、多くの仏を供養し、菩薩行を修行した後に、
 仏となることが出来るでしょう。
 名を名相如来、時代を有宝といい、その国を宝生といいます。」

○摩訶迦旃延への授記
「また、この摩訶迦旃延は、当来世において、多くの仏を供養し、菩薩行を修行した後に、
 必ずや仏となるでしょう。
 名を閻浮那提金光如来といい、その国は地獄・餓鬼・畜生・阿修羅の
 四悪趣に属する者は一人もなく、天上界と人間界の者ばかりです。」

○目連への授記
「つぎに、この目連は、当来世において、多くの仏を供養し、菩薩行を修行した後に、
 まさに成仏することを得るでしょう。
 名を多摩羅跋栴檀香如来といい、時代を喜満と名付け、国を意楽といいます。」

「私の弟子には、この様な素晴らしい徳を具えた者が、他にもたくさんいます。
 その数は500名程ですが、いつかはかならず授記いたしましょう。
 未来世において、ことごとく仏となるでしょう。
 さて、皆さんは、この世において、はじめて私の教えを聞いたものと思っているでしょうが、
 実はそうではなく、私と皆さんには宿世の因縁があるのです。
 今から説きますので、皆さんはよくお聞きください。」

合掌

●法華経物語 第七章 化城の譬えの章  2010/12/14(火) 午後 11:02

お釈迦さまは、もろもろの出家僧たちに向かって話されました。
「遠い、遠いむかしのことです。
 一人の仏がいました。
 名を大通智勝如来といい、国を好成、時代を大相といいました。」

○前世の結縁
「大通智勝如来のご寿命は、540万億那由他劫というとても長いものでしたが、
 その仏がお若い頃、禅定の場にお座りになり、あらゆる魔を破し終わって、
 最上の悟りに至ろうとしていた時の事です。
 あともう少しのところで、完全なる悟りは現実にはなりませんでしたので、
 大通智勝如来は、さらに禅定をお続けになりました。
 結跏趺坐し、心身をゆるがすことなく、お座りになり続けましたが、
 最高の悟りには至りませんでした。」

「その時に天上界の神であるトウ利天は、大通智勝如来のために
 以前より用意しておいた菩提樹下の獅子座に大通智勝如来を案内し、
 『どうぞ、この場所にて最上の悟りをお開き下さい』
 と、申し上げたので、仏はそれに従いました。」

「その後も、大通智勝如来は、禅定を続け、その結果、
 ついに諸仏と同じ最高の悟りがみ心に現れ、最上の智慧を成就されました。」

○16王子法輪を転ぜんことを請う
「大通智勝如来は、出家する前、ある国の太子だったのですが、その時、まだ幼い
 16人の王子がありました。
 王子たちはそれぞれ、種々の珍しい玩具を持って遊んでいたのですが、
 父が、最上の悟りを得られたと聞いて、皆、珍しい玩具を捨てて仏の処へ参拝に行きました。
 母や親族たちは、涙を流しながら彼らを見送りました。
 王子たちの祖父である転輪聖王と、多くの大臣たち、人民たちも共に
 大通智勝如来の元へと参拝しました。
 16人の王子たちは、仏を讃えた後、大通智勝如来に教えを講じて頂けるよう願いました。」

○十方の梵天、説法を勧請する
ここで、お釈迦さまは、諸々の出家僧に改まった口調で言葉を続けました。
「大通智勝如来が最上の悟りを得られた時のことを話しましょう。
 十方の多くの諸仏の世界は感動して震動し、これまでうす暗かった場所、暗かった所に
 光明がさし、すっかり、世界が明るくなりました。
 すると、これまでは、暗くて辺りが見えていなかった為、一人ぼっちなのだと思い込んでいたのが
 急に周りの人々が見え始め、大勢の人と共にいることに気づき、人々は驚きの声をあげました。」

「あらゆる世界を照らし出した光は、東の梵天王の宮殿にも届きました。
 これまでにない、神々しき光明の不思議の謎を解くため、
 もろもろの梵天王は集まって会談しました。
 そして、謎の答えを求めて光の放たれている西の方へと飛んでいくと、
 大通智勝如来が菩提樹の下で、多くの人々、神、動物に囲まれているのが見えました。
 そして、16人の王子たちが、『どうぞ、教えをお説き下さい』と仏に願っているのが見えました。
 それを観た梵天王たちは、大通智勝如来の元へと降りると、深く礼拝し、花を散じて供養し、
 自分たちの宮殿を仏に捧げました。
 そして、『どうぞ、教えをお説き下さい』とお願い申し上げました。
 大通智勝如来は、無言でうなずかれました。」

「その後、他の十方方向の梵天王たちも、同じく光明の不思議を訪ねて
 次々と大通智勝如来の元へと降りると、深く礼拝し、花を散じて供養し、
 自分たちの宮殿を仏に捧げました。
 そして、『願わくは、この功徳をもって、普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆共に仏道を成ぜん』
 とお願い申し上げました。」

○請を受ける
「その時に大通智勝如来は、十方の諸々の梵天王たちと16人の王子の願いを受けて、
 まず、『四諦の法門』の教えを三通りにお説きになり、
 続いて『十二因縁の法門』の教えをお説きになり、
 これらの教えを聞いた人々は、今まで持っていた誤った観念に気づいて、それを捨て去り、
 何事にも執着しない心を得る事ができ、その心でさらにこれらの教えを思惟した結果、
 迷いの心から解放され、真理に精神を集中し、安穏の境地に至る修行を
 実施できるようになりました。」

「その後も、大通智勝如来は、四諦・十二因縁の教えを、数日にかけて説き続け、
 多くの弟子たちが安穏の境地に至るまでになりました。
 少年だった16人の王子たちは、出家して沙弥となりました。
 この王子たちは、前世において、無数の仏にお仕えし、
 修行を積み、成仏を願ってきた者たちでしたので
 教えを受ける力が鋭く、智慧が明らかで、しかも徹底していました。
 16人の沙弥たちは、仏に申し上げました。
 『世尊。ここに集う人々は皆、迷いを離れた境地に達しています。
 どうぞ、私どものために最上の教えをお説き下さい。』」

「大通智勝如来は、16人の沙弥たちの願いをお聞きいれになって、
 二万劫を過ぎた後、『妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念』という教えを説かれました。
 仏がこの教えを説かれた後、16人の沙弥たちは、最上の悟りのために、
 一心にその教えを信じて受け、くりかえして学び、ついには完全に理解するに至りました。
 16人の沙弥たちの他、一部の人々は完全なる理解をしましたが、
 多くの人々は、その教えを信じる事が出来ず、理解できぬまま困惑する者もいました。」

「大通智勝如来は、非常に長い間、妙法蓮華を説き続けられた後、静かな部屋に入られ、
 とても長い禅定に入られました。
 16人の沙弥たちは、大通智勝如来が禅定に入られたのを見て、自分たちが仏の代わりに
 それぞれに法の座にのぼり、出家・在家の修行者のために妙法蓮華を、
 聞く人の程度に応じて色々と説き分けました。
 その説法は、非常に長い時間続きました。」

「16人の菩薩沙弥たちは、それぞれが数え切れぬ程の人々を救いました。
 教えの概要を示し、理解できたならさらに細かく教えを説き、
 教えを学んで実践することの利益を述べ、喜びを共感しました。
 この導きによって、人々は最上の悟りを得ようという決心を起しました。」

○定より起って称歎する
「大通智勝如来は、長い間の三昧より起たれると、説法の座におつきになりました。
 そして、人々に対し次の様に言いました。
 『この16人の菩薩たちは、まれに見る立派な人達です。
  みなさんが、この16人の菩薩たちの教えを信じ、受持し、
  この教えに従って修行すれば、最上の仏の智慧を得るでしょう。
  この16人の菩薩は、常に自ら進んで妙法蓮華の教えを説きました。
  その功徳をもって、それぞれの菩薩が教化した無数の人々は、
  何度生まれ変わっても、その菩薩のもとに生まれ合わせ、
  その菩薩に仕えて教えを学び、ことごとく皆が信解しました。
  そのお陰で、数知れぬ仏にお会いでき、しかも、それは現在も続いており、
  さらに未来まで尽きる事がありません。』」

「諸々の出家僧たちよ。
 今こそ、重要なことを話しましょう。
 大通智勝如来の弟子である16人の菩薩たちは、全員が完全なる悟りを得る事が出来、
 現在も、十方の国土において教えを説いています。
 そして、それぞれ数知れぬ程の菩薩や声聞を弟子として、ひきいています。」

○16人の仏
「16人の仏の内、西の世界には阿弥陀如来がおり、
 そして、この娑婆世界には、この釈迦牟尼仏がいます。
 出家僧たちよ。
 前にも言いましたが、私たちが過去世において、沙弥であった頃、
 それぞれが、多くの人々を教化し、その多くの人々は、最上の教えを悟ることを求めていました。
 現世においても、その関係は続いています。
 現世においても、声聞の地位にあって、引き続き私の教えを聞いている者がいるのです。
 この人々は、この教えによって徐々に仏道に入ることでしょう。
 これ程、成仏をするまでに長い時間がかかるのは、如来の智慧が難信難解だからです。」

「その時、私が教化した無数の人々とは、皆さんのことです。
 また、私が入滅した後の未来世の声聞に他なりません。」

「諸々の出家僧たちよ。
 如来が自らの入滅の時が近づいたことを知り、人々の心が清浄であり、信がかたく、
 空の義を明らかに悟り、しかも深く禅定に入っていると知ったならば、
 その時こそ、諸々の菩薩、声聞を集めて妙法蓮華を説くのです。
 この世間に、声聞・縁覚という二乗はありません。
 ただ、一仏乗をもって最上の智慧を得る事が出来ます。」

「諸々の出家僧たちよ、よく理解して下さい。
 如来の方便は、深く人々の性質に入ります。
 多くの人々が、低い教えを望み、様々な欲望に捉われているのを知っていますので、
 これらの人々の為には、心の安らぎを得ることを教えます。
 この教えは、その人にぴったりと合った教えですから、聞く人はそれを信受します。」

「では、ここで、声聞・縁覚という二乗を方便として説き、
 人々の機根が高まった時に一仏乗を説くということを
 『化城宝処のたとえ』にして話しましょう。」

○化城宝処のたとえ
〜多くの人々が、遥か彼方にあるという宝のある場所(宝処)を目指して旅をしていました。
 その中に一人の優秀な導師がおり、彼は、宝処までの道順をよく知っていました。
 宝処まで 2/3 程の道のりをきたところで、人々は険しく厳しく長い道のりに疲れてしまい、
 引き返したいと意見をし始めました。
 そこで導師は、方便力をもって幻の城を化現させ、そこで人々を休息させ、旅の疲れを癒しました。
 人々が満足したことを見て、導師はこれは化城であることを告げて、化城を消しました。
 そして、再び宝処に向かって出発し、ついには人々を真の宝処へと導きました。

○合譬
「優秀な導師とは仏です。宝処とは、成仏の事です。
 成仏までの道のりは、非常に険しく厳しく長いため、修行者の精進に乱れが生じ、
 中には、途中で挫折する者もいます。
 そこで仏は、修行者の志を軌道修正するために、声聞・縁覚という仮の喜びを与え、
 疲れを癒し、疲れが癒された時に、真の目的地を示すと言うことです。」

合掌

●法華経物語 第八章 五百人の弟子への受記の章  2010/12/15(水) 午後 3:49

その時に富楼那は、智慧と方便の教えを聞き、諸々の大弟子に記を授けるのを聞き、
またお釈迦さまと自分たちの宿世の因縁を聞き、また、もろもろの仏は自由自在の神通力を
具えておられるのを知って、かつて味わったことのない程の思いに満たされました。
心が清らかで躍動するのを感じ、直ぐさまに、座より起って仏の前に進み寄り、
額を仏の御足につけて礼拝し、一方に退いて座り、お釈迦さまの尊いお顔を仰ぎ見て
まじろぎもしませんでした。

○説法第一
その時にお釈迦さまは、諸々の出家僧たちに言いました。
「皆さん。この富楼那をご覧なさい。
 私は、いつも富楼那は『説法第一』であると褒め称え、またその優れた功徳を讃えてきました。
 富楼那はこれまでの過去世においても、無数の仏のみもとにおいて、仏の正法を護持し
 助けてひろめ、常に説法者の中において最も第一でした。
 また、仏の説かれた空の義を明らかに理解しており、四無礙智を得て、常に明瞭に、
 清浄に教えを説いて、人々に疑惑を起すことなく、菩薩としての神通力を具えて
 その寿命に従って常に仏道を修行してきました。」

「皆さん。この富楼那は、過去の七仏においても説法者の中において最も第一でした。
 今、私のもとにおいても説法第一です。そして、未来世においても、説法第一となり、
 仏の正法を護持し助けてひろめることでしょう。」

「富楼那は実際には菩薩の行をしていながら、表向きには声聞の様にふるまっているのです。
 衆生の悟りを求めて、輪廻の輪から離れたいと言う目的で修行している様ではありますが、
 実は、大乗の悟りをもって世界を清らかにする修行を実践しているのです。
 あるときは、普通の人が貪欲、怒り、愚鈍な面を具えていることを示すために現れ、
 あるときは、誤った考えをいだく邪教も衆を示すために現れることもあります。
 私の弟子たちは、この様な方便を用いて人々を救います。
 もし、私が、菩薩たちが人々を救うために様々に形を変えてこの世に現れる事実を
 詳しく述べたならば、聞く人々はきっと当惑し、疑いを抱く事でしょう・・・。」

○富楼那への授記
「さて、富楼那は、菩薩としての道を完成させていき、はかり知れぬ程の時間を経て
 この世界において無上の悟りを得、成仏するでしょう。
 名を法明如来といい、その世界には地獄・餓鬼・畜生などの悪道はなく、
 また女性もおらず、すべての人々には淫欲がありません。
 大神通力を持ち、誰もが身体より光明を放ち、飛行能力を持つ事でしょう。
 信念は固く、精進・智慧あって、全てみな金色であって、
 三十二の特徴ある人相を持ち、自らを飾るでしょう。」

○請を念う
その時に1200人の阿羅漢たちは、次の様に思いました。
「ああ、なんと喜ばしき事でしょう。この様な感動は、いまだかつてありません。
 もし、世尊が、他の大弟子たちと同様に、私どもにも授記を頂けたなら
 どんなにか嬉しい事でしょう。」

○1200人の阿羅漢たちの阿羅漢たちへの授記
お釈迦さまは、1200人の阿羅漢たちの心を知り、摩訶迦葉に告げました。
「この1200人の阿羅漢たちに私は、最上の成仏を保証しましょう。
 大弟子キョウ陳如比丘よ。
 あなたは多くの仏を供養し、後に成仏します。
 名を普明如来と申します。
 この内の500人の阿羅漢たちよ。
 優楼頻螺迦葉、伽耶迦葉、那提迦葉、迦留陀夷、優陀夷、アヌルダ、離婆多、
 劫賓那、薄拘羅、周陀、莎伽陀らは、皆、仏と成るでしょう。
 名はことごとく同じであり、一号にして普明如来と申します。」

その時に500人の阿羅漢たちは、授記を得た喜びで大喜びし、踊り上がり、
直ぐさまに座より起って、仏さまの御足に額をこすりつけて礼拝し、
自分たちの至らなかった過去を大いに反省して、懺悔しました。

代表をして、キョウ陳如がお釈迦さまに申し上げました。
「世尊。
 今まで私どもは、ただ煩悩を除く修行に集中し、それだけで安穏の境地に達しているのだと
 思いあがっていました。
 今、はじめて、そのことが誤りだと知りました。
 無智同然だと反省しております。
 なぜならば、私たちは、如来と同様の智慧を求めて生まれてきたのであります。
 なのに、小さな智慧を得て、満足するとは情けないことでございます。」

○衣裏けい珠のたとえ
「世尊。譬えて申し上げます。
〜ある貧乏な男が、金持ちの親友の家に招かれ、酒に酔って眠ってしまいました。
 親友は急な用事により遠方に外出することになり、眠っている男を起こそうとしましたが起きません。
 貧乏な男を不憫に思った親友は、彼の衣服の裏に高価な宝珠を縫いこんで出かけました。
 しばらくして男は起き上がると、親友の家を出て、他国をさすらい、
 少しの収入に満足して暮らしていました。
 貧乏な男は、衣裏の宝に気付かないままに時がたち、男は再び親友に出会いました。
 親友は男がまだ貧乏な暮らしをしていることに驚き、男に宝珠のことを伝えました。
 高価な宝珠を手に入れていた事を知った男は、大喜びしました。

 金持ちの親友とは仏であり、貧乏な男とは衆生、宝珠とは仏性です。
 自らの仏性に気付いた時こそ、成仏の第一歩であることを示しています。」
 
「前世において、世尊が菩薩であった頃、私どもを教化して、
 最上の智慧を得ようとする志を起させて下さいました。
 しかし、今世に生まれてからは、そのことをすっかりと忘れており、
 最上の智慧を求めようとはしませんでした。
 そして、煩悩を捨てて安穏の境地に入ったと思い込んでいました。
 まるで、その日暮らしの日銭を稼いで満足していた様なものでございます。」

「しかし、最上の智慧を求める心は、私の中に確実に在るのであり、失ってはいません。
 世尊は、覚悟して次の様に教えて下さいました。
 『比丘たちよ。あなたたちが得たと思っている涅槃は、本物の涅槃ではありません。
  これまでの長い前世において、仏と成るための善根を植えしめしてきましたが、
  現世においては、方便として安穏の境地を示したのです。
  しかし、皆さんは、仮の涅槃を本物の涅槃と思いこんだのです。』
 と教えて下さいました。」

「世尊のお言葉によって、私たちは目が覚めました。
 私どもは、実は菩薩だったのです。
 そして今、成仏の記を授けられ、それゆえ、非常に大きな喜びで
 かつてない程の感動を感じております。」

合掌

●法華経物語 第九章 学・無学人への授記の章    2010/12/15(水) 午後 8:28

○阿難、らごらの二人の記を請う

その時に阿難とラゴラは、心の中でひそかに思いました。
「私たちは、常にこの様に思惟してきました。
 もし、授記を得る事が出来れば、どんなにうれしいだろうかと。」

そこで、二人は座より起って、仏さまの御前に行き、
御足に額を付けて礼拝し、こう申し上げました。
「世尊。
 私どもにも授記を受ける資格があるのではないかと存じますがいかがでしょうか。
 ただ、我らが帰するのは、如来にのみでございます。
 また、我らが、世尊のお弟子であることは、天上界、人間界、阿修羅界の人々にも、
 よく知られております。
 阿難は、いつも世尊のおそばに仕えておりまして、すべての教えをしっかりと記憶しております。
 ラゴラは、世尊の実子でございます。
 もし、成仏の保証を授けられましたなら、たんに私どもの願いが達せられるばかりでなく、
 多くの人々も喜んでくれることと思います。」

その時に、学習中の弟子たちと学習を終えた弟子たちの、合わせて2000人が、
皆、座より起ちあがって、一斉に右の肩をあらわにし、仏さまの御前に参り、
一心に合掌しながらお釈迦さまを仰ぎ見て、阿難・ラゴラと同じ願いを胸にし
一方に控えました。

○阿難への授記

その時にお釈迦さまは、阿難に向かってお告げになりました。
「あなたは、未来世において、必ず仏の悟りを得る事が出来ます。
 非常に長い間、多くの仏を供養し、教えを護り、受け、実践したのちに、
 最上の悟りを得ます。
 名を山海慧自在通王如来と言い、国を常立勝幡と言い、時代を妙音遍満と言います。
 仏の寿命はほぼ無限に近く、その教えが正しく伝わる期間は、仏の寿命の倍ほどです。」

その時に、説法会の多くの新発意の菩薩は、ことごとくこの様な思いをしました。
「これまでに授記された菩薩たちでも、これ程までに高い記を受けた者はいません。
 何の因縁があって、阿難はこの様に素晴らしい記を得たのでしょう?」

その時にお釈迦さまは、諸々の菩薩の心の中の疑問をお察しになり、次の様に告げました。
「諸々の善男子よ。
 私と阿難とは、はるかなる過去世において、空王仏という仏さまの御元において、
 同時に、最上の悟りを得たいと言う心を起しました。
 阿難は常に多くの教えを聞くことを願い、私は学んだ教えの実践に精進しました。
 この違いで、私の方が先に最上の悟りを得る事が出来たのです。
 しかし、阿難は、現世においても私の教えを護り、保持し、
 また、将来においても諸仏の教えを護って、諸々の菩薩衆を教化し、成仏するでしょう。
 『多聞』こそが、阿難の本願なのです。
 それが故に、この上のない程の授記をされることが出来たのです。」

○ラゴラへの授記

その時にお釈迦さまは、ラゴラに告げました。
「あなたは来世において、まさに成仏することでしょう。
 名を号蹈七宝華如来と言います。
 あなたは、これから先、数多い仏を供養し、そして、生まれ変わる毎に、
 現在と同様に、世々仏の長子として生まれることでしょう。
 仏の寿命、正法の伝わる期間は、ほぼ山海慧自在通王如来と同様です。」

その時に世尊は、学習中の弟子たちと学習を終えた弟子たちの2000人を見まわしました。
その2000人は、心が柔らかく、素直で、静かに落ちつき、清らかであり、
一心にお釈迦様を仰ぎ見ていました。

お釈迦さまは、阿難に告げました。
「あなたは、この学習中の弟子たちと学習を終えた弟子たちを見ましたか?」

阿難は答えました。「はい。見ました。」

○学・無学人への授記

「阿難よ。
 この諸人等は、これから先、非常に多くの仏を供養し、教えを護持して、
 その最後身において、十方の国で同時に仏となることでしょう。
 みなが同じく一号にして、宝相如来と言うでしょう。」

合掌

 

 

 

 

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