蓮の道 法華経序品 (2014) 

2019.7.11

●序品-1 「如是我聞」     2014/6/8(日) 午後 6:03

●妙法蓮華経序品第一 #1

第一 通序

1. 信・聞・時・主・処の経の五事

今回から、『妙法蓮華経』に入ります。無量義経は一巻三品しかありませんでしたが、『妙法蓮華経』は、全八巻二十八品から成っていますのでかなり長いです。ゆっくりと進めていこうと思っていますから、何年もかかるかもしれません。

*真読

如是我聞。一時仏住。王舎城。耆闍崛山中。与大比丘衆。万二千人倶。

*訓読

是の如きを我聞きき。
一時、仏、王舎城・耆闍崛山の中に住したまい、大比丘衆、万二千人と倶なりき。

*現代語訳

このように私は聞きました。
ある時、仏はマガダ王国の都ラージャグリハにあるグリドラクータ山に住み、高い位の男性出家修行者が一万二千人集っていました。

*解説

通序とは、どの経典にも共通する序文のことです。

 信…如是
 聞…我聞
 時…一時
 主…仏
 処…王舎城。耆闍崛山中

如是我聞というのは、「このように私は聞きました」と宣言することによって、作り話ではなく聞いた内容だということを明確にしています。では、誰が聞いたのかというと、多くの経典は阿難(アーナンダ)という釈尊の侍者だと言われます。侍者とは、仕えてお世話をする者のことで、阿難は出家して以来25年間も釈尊のそばにいて、雑用をつとめました。いつも釈尊のそばにいましたから、弟子たちが釈尊のところに来て問答をする時も、釈尊が出家者に説法をする時も、釈尊が在家信者に教えを説く時にも、いつもその話を聞いていました。多くを聞いたので「多聞第一」と呼ばれます。

釈尊が亡くなられてすぐに、摩訶迦葉(マハーカーシャパ)の提案によって結集(けつじゅう)が行われました。結集とは、釈尊の教えが曲がって伝わらないように弟子たちで説法内容を確認し合った事業のことです。この時、最も教えを聞いていたことから、阿難の記憶をもとにして検討をしたようです。阿難は、まず、「このように私は聞きました」と宣言し、それから記憶している説法内容を全員に伝え、一つ一つを全員で確認し合い、間違いなく調ったならば、全員でその内容を唱えました。この時に唱えられた内容が、口伝によって後続の弟子たちに伝えられました。

「如是我聞」は、その説が仏法だという証として、大乗仏教経典でも使われます。大乗仏教は、明らかに釈尊の説を書き写したものではなく、弟子たちの創作なのですが、釈尊の思想を受け継ぐものだから「如是我聞」という言葉が最初にあるのでしょう。

*タイトルの意味

●Nidaana-Parivarto Naama PrathamaH

 ニダーナ "Nidaana" = 因縁、縁起、由来
 パリヴァルト "parivarto" = 章
 ナーマ "Naama" = 名称
 プラッタマ "prathama" = 第一の

サンスクリット語から訳せば、「因縁の章 第一」となります。ニダーナとは、その物事のゆかりという意味と因縁生起の意味があります。

●序品-2 「声聞衆」     2014/6/10(火) 午後 8:05

●妙法蓮華経序品第一 #2

第一 通序

2. 同聞衆

(1)声聞衆

集会に集った者たちの中から、まずは声聞衆の名が挙げられて紹介されます。

*真読

皆是阿羅漢。諸漏已尽。無復煩悩。逮得己利。尽諸有結。心得自在。
其名曰。阿若喬陳如。摩訶迦葉。優楼頻螺迦葉。伽耶迦葉。那提迦葉。舎利弗。大目健連。摩訶迦旃延。阿菟楼駄。劫賓那。喬梵波提。離婆多。畢陵伽婆蹉。薄拘羅。摩訶拘希羅。難陀。孫陀羅難陀。富楼那弥多羅尼子。須菩提。阿難。羅侯羅。如是衆所知識。大阿羅漢等。復有学無学二千人。摩訶波闍波提比丘尼。与眷属六千人倶。羅侯羅母。耶輸陀羅比丘尼。亦与眷属倶。

*訓読

皆これ阿羅漢なり。諸漏すでに尽くして、また煩悩なく、己利を逮得(たいとく)し、諸の有結を尽くして、心自在を得たり。

その名を、
 阿若喬陳如(あにゃきょうぢんにょ)
 摩訶迦葉(まかかしょう)
 優楼頻螺迦葉(うるびんらかしょう)
 伽耶迦葉(がやかしょう)
 那提迦葉(なだいかしょう)
 舎利弗(しゃりほつ)
 大目健連(だいもつけんれん)
 摩訶迦旃延(まかかせんねん)
 阿菟楼駄(あぬるだ)
 劫賓那(こうひんな)
 喬梵波提(きょうぼんはだい)
 離婆多(りはた)
 畢陵伽婆蹉(ひつりょうかばしゃ)
 薄拘羅(はくら)
 摩訶拘希羅(まかくちら)
 難陀(なんだ)
 孫陀羅難陀(そんだらなんだ)
 富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)
 須菩提(しゅぼだい)
 阿難(あなん)
 羅侯羅(らごら)

という。
是の如き衆に知識せられたる大阿羅漢等なり。また学・無学の二千人あり。摩訶波闍波提比丘尼(まかはじゃはだいびくに)、眷属六千人と倶なり。羅侯羅(らごら)の母 耶輸陀羅(やしゅだら)比丘尼、また眷属と倶なり。

*現代語訳

この人々は、皆、聖者の悟りの位である阿羅漢たちです。諸々な欲望をすでに滅し尽くしており、煩悩はありません。自分の利益を得て、現象にとらわれることがなく、心は自在を得ています。

この阿羅漢たちの名をあげましょう。

 アージュニャータ・カウンディヌヤ
 マハー・カーシャパ
 ウルヴィルヴァー・カーシャパ
 ガヤー・カーシャパ
 ナディー・カーシャパ
 シャーリプトラ
 マハー・マゥドガリヤーヤナ
 マハー・カートゥヤーヤナ
 アニルッダ
 カッピナ
 ガヴァーン・パティ
 レーヴァタ
 ピリンダ・ヴァトサ
 バックラ
 マハー・カウシュティラ
 マハー・ナンダ
 スンダラ・ナンダ
 プールナ・マイトラーヤニープトラ
 スブーティ
 アーナンダ
 ラーフラ

といいます。
多くの人々に、善き影響を与えている大阿羅漢たちです。また、学習中の弟子や学習を終えた弟子たちが二千人います。釈尊の育ての母であるマハー・プラジャーパティーが眷属六千人と共におり、釈尊の元妻であり、ラーフラの母であるヤショーダラーも多くの眷属と共にいます。

*解説

ここでは、会座に集まった声聞たちの名前が列挙されています。五比丘の一人で最初に釈尊の教えを覚ったとされる阿若喬陳如(あにゃきょうぢんにょ)の名前が最初にあり、釈尊の子の羅侯羅(らごら)が最後に書かれ、その後、釈尊の育ての母である摩訶波闍波提比丘尼(まかはじゃはだいびくに)、羅侯羅(らごら)の母の耶輸陀羅(やしゅだら)の名があります。耶輸陀羅は、釈尊の元妻です。

『無量義経』では、まず菩薩の名前が紹介されましたが、『妙法蓮華経』では、先に声聞衆の名前が紹介されます。これは、『無量義経』は、菩薩に対する教えだったのに対し、『妙法蓮華経』が声聞衆に対して説かれた教えだということを表しています。

このように、仏教経典では、誰に対して教えが説かれたのかを明確にしています。仏教は対機説法ですから、機根の高低によって教えの内容も異なり、時には矛盾することもありますから、きちんと最初に誰に対する教えなのかが書かれています。法華経の場合は、最初に声聞の名前がありますから、声聞を主にして説かれたということです。

*用語の解説

○声聞 (しょうもん)
(梵)シュラーヴァカ "Sraavaka"

声を聞く者のことです。
釈尊の教えを聞いたので声聞といいました。初期仏教では、釈尊の弟子は全員声聞といわれていましたが、後には上座部仏教の出家した修行者のことを声聞というようになりました。

○阿羅漢 (あらかん)
(梵)アルハン "arhan"

アルハンの音写が阿羅漢です。意訳して、「応供」といいます。供養されるのに相応しい者といういみです。狭義には、上座部仏教の最高の悟りを得た者のことをいい、広義には仏教の最高の悟りを得た者のこととされます。もとは、人々から供養・恭敬・尊重・讃歎される者として、仏陀の尊称の一つでしたが、後には声聞の修行の果だとされました。

●序品-3 「菩薩」     2014/6/11(水) 午後 9:12

●妙法蓮華経序品第一 #3

第一 通序

2. 同聞衆

(2)菩薩衆

声聞衆の次に菩薩たちの名前が列挙されています。

*真読

菩薩摩訶薩。八万人。皆於阿耨多羅三藐三菩提。不退転。皆得陀羅尼。楽説弁才。転不退転法輪。供養無量。百千諸仏。於諸仏所。植衆徳本。常為諸仏。之所称歎。以慈修身。善入仏慧。通達大智。到於彼岸。名称普聞。無量世界。能度無数。百千衆生。

其名曰。文殊師利菩薩。観世音菩薩。得大勢菩薩。常精進菩薩。不休息菩薩。宝掌菩薩。薬王菩薩。勇施菩薩。宝月菩薩。月光菩薩。満月菩薩。大力菩薩。無量力菩薩。越三界菩薩。跋陀婆羅菩薩。弥勒菩薩。宝積菩薩。導師菩薩。如是等。菩薩摩訶薩。八万人倶。

*訓読

菩薩摩訶薩八万人あり。皆、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)に於いて退転せず。皆、陀羅尼(だらに)を得、楽説弁才あって、不退転の法輪を転じ、無量百千の諸仏を供養し、諸仏の所に於て衆の徳本を植え、常に諸仏に称歎せらるることをえ、慈を以て身を修め、善く仏慧に入り、大智に通達し、彼岸に到り、名称普く無量の世界に聞えて、よく無数百千の衆生を度す。

その名を

 文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)
 観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)
 得大勢菩薩(とくだいせいぼさつ)
 常精進菩薩(じょうしょうじんぼさつ)
 不休息菩薩(ふくそくぼさつ)
 宝掌菩薩(ほうしょうぼさつ)
 薬王菩薩(やくおうぼさつ)
 勇施菩薩(ゆうぜぼさつ)
 宝月菩薩(ほうがつぼさつ)
 月光菩薩(がっこうぼさつ)
 満月菩薩(まんがつぼさつ)
 大力菩薩(だいりきぼさつ)
 無量力菩薩(むりょうりきぼさつ)
 越三界菩薩(おつさんがいぼさつ)
 跋陀婆羅菩薩(ばつだばらぼさつ)
 弥勒菩薩(みろくぼさつ)
 宝積菩薩(ほうしゃくぼさつ)
 導師菩薩(どうしぼさつ)

という。
是の如き等の菩薩摩訶薩八万人と倶なり。

*現代語訳

菩薩摩訶薩の八万人が共にいました。皆、最高の悟りを目指しており、その目的に向かって努力を続け、後戻りすることがありません。皆、ダーラニーを得ており、説法が巧みで、人々が修行から離れず、後退することのない教えを説いています。非常に多くの諸仏を敬い、諸仏に従って様々な善行を行い、常に諸仏に讃えられ、慈悲の心によって行動し、大いなる智慧に通達し、悟りに至り、その名は広く世間に知られ、多くの人々を救いました。

この菩薩摩訶薩の名をあげましょう。

 マンジュシリー
 アヴァローキテーシュヴァラ
 マハー・スターマプラープタ
 ニティヨーディユクタ
 アニクシプタドゥラ
 ラトナ・パーニ
 バイシャジャ・ラージャ
 プラダーナシューラ
 ラトナ・チャンドラ
 チャンドラ・プラバ
 プールナ・チャンドラ
 マハー・ヴィクラーミン
 アナンタ・ヴィクラーミン
 トライローキア・ヴィクラーミン
 バドラパーラ
 マイトレーヤ
 宝積菩薩(ほうしゃくぼさつ)
 導師菩薩(どうしぼさつ)

といいます。
このような高位の菩薩摩訶薩八万人が同席していました。

*解説

声聞の次に菩薩の名が列挙されています。ここに紹介されている菩薩たちは、現実に存在した修行者ではなく、法身の菩薩と呼ばれます。法身の菩薩とは、真理を本体とする菩薩のことで、分かりやすく言えば仏教の教義を象徴する菩薩たちです。

*用語の解説

○菩薩 (ぼさつ)
(梵)ボーディサットヴァ "bodhisattva"

菩提を目指す人のことです。菩提とは、「目覚め」のことであり、日本では「さとり」と訳されています。よって、悟りを求める修行者のことをいいます。摩訶薩とは、大いなる人のことです。

○阿耨多羅・三藐三菩提 (あのくたらさんみゃくさんぼだい)
(梵)アヌッタラ・サンミャクサンボーディ
"anuttara-samyaksambodhi"

無上正等覚と訳されますが、音写のままで使われることが多いようです。最高の悟りのことです。

○陀羅尼 (だらに)
(梵) ダーラニー "dhaaraNii"

ダーラニーとは、「記憶して忘れない」ということです。本来は、仏教修行者が覚えるべき教えや作法などをしっかりと記憶することを言いました。後に変じて、「記憶する呪文」のことをいうようになりました。意訳して総持、能持、能遮ともいいます。能持とは諸々の善法をよく持つことであり、能遮とは諸々の悪法をよく遮ることです。

●序品-4 「天衆」     2014/6/13(金) 午後 9:58

●妙法蓮華経序品第一 #4

第一 通序

2. 同聞衆

(3)雑類衆  〕潦衆・色界衆

大乗仏教では、インド神話に登場する神々、神獣、鬼神たちが、仏法を守護する役割をもって登場します。特に天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩侯羅伽は、天龍八部衆とされています。ここでは、まず天の神々が紹介されています。

*真読

爾時。釈提桓因。与其眷属。二万天子倶。復有名月天子。普香天子。宝光天子。四大天王。与其眷属。万天子倶。自在天子。大自在天子。与其眷属。三万天子倶。娑婆世界主。梵天王。尸棄大梵。光明大梵等。与其眷属。万二千天子倶。

*訓読

その時に釈提桓因(しゃくだいかんにん)、その眷属二万の天子と倶なり。また、名月天子(みょうがつてんじ)・普香天子(ふこうてんじ)・宝光天子(ほうこうてんじ)・四大天王あり。その眷属万の天子と倶なり。自在天子・大自在天子、その眷属三万の天子と倶なり。娑婆世界の主梵天王・尸棄大梵(しきだいぼん)・光明大梵等、その眷属万二千の天子と倶なり。

*現代語訳

そこには、シャクラ神が、その眷属の二万人の天上界の神々の子と共に参列していました。チャンドラ天子、サマンタ・ガンダ天子、ラトナ・プラバ天子と四大天王も多くの眷属と共にいました。イーシュヴァラ天子、マヘーシュヴァラ天子も多くの眷属と共にいました。娑婆世界の大神であるブラフマー神、シキン大梵、ジョーティシュ・プラバ大梵等もその眷属一万二千人の天子と共にいました。

*解説

衆生が輪廻転生する世界のことを三界といいます。三界とは、欲界・色界・無色界の三つの世界のことです。この中の欲界・色界にする神々が紹介されています。釈提桓因(しゃくだいかんにん)とは帝釈天のことです。

●序品-5 「龍王」     2014/6/14(土) 午後 5:19

●妙法蓮華経序品第一 #5

第一 通序

2. 同聞衆

(3)雑類衆  ⇔恐衆

*真読

有八龍王。難陀龍王。跋難陀龍王。娑伽羅龍王。和修吉龍王。徳叉迦龍王。阿那婆達多龍王。摩那斯龍王。優鉢羅龍王等。各与若干。百千眷属倶。

*訓読

八龍王あり。

 難陀龍王(なんだりゅうおう)
 跋難陀龍王(ばつなんだりゅうおう)
 娑伽羅龍王(しゃからりゅうおう)
 和修吉龍王(わしゅうきつりゅうおう)
 徳叉迦龍王(とくしゃかりゅうおう)
 阿那婆達多龍王(あなばだったりゅうおう)
 摩那斯龍王(まなしりゅうおう)
 優鉢羅龍王(うはつらりゅうおう)

等なり。
各(おのおの)若干(そこばく)百千万の眷属と倶なり。

*現代語訳

八人のナーガ王も参列していました。

 ナンダ・ナーガ王
 ウパナンダ・ナーガ王
 サーガラ・ナーガ王
 ヴァースキ・ナーガ王
 タクシャカ・ナーガ王
 アナヴァタプタ・ナーガ王
 マナスビン・ナーガ王
 ウトパラカ・ナーガ王

等です。
それぞれが、多くの眷属と共にいました。

*解説

次に龍王が紹介されています。
梵語の「ナーガ」 "naaga" を中国で龍と訳しています。ナーガとは、インドに棲むキングコブラが神格化されたものですが、中国にはキングコブラがいなかったので、龍の字が当てられました。龍とは、「辰」とも言われる大蛇に似た神獣です。日本は中国の影響を受けていますので、日本人が仏教の龍を描く時は、中国の龍のイメージです。ただし、仏像として造る時は、唐時代の武士の格好をしています。

●序品-6 「キンナラ王」     2014/6/17(火) 午後 7:12

●妙法蓮華経序品第一 #6

第一 通序

2. 同聞衆

(3)雑類衆  6枡疝絏衆

*真読

有四緊那羅王。法緊那羅王。妙法緊那羅王。大法緊那羅王。持法緊那羅王。
各与若干。百千眷属倶。

*訓読

四緊那羅王あり。

 法緊那羅王(ほうきんならおう)
 妙法緊那羅王(みょうほうきんならおう)
 大法緊那羅王(だいほうきんならおう)
 持法緊那羅王(じほうきんならおう)

なり。
各若干百千の眷属と倶なり。

*現代語訳

四人のキンナラ王も参列していました。

 ダルマ・キンナラ王
 スダルマ・キンナラ王
 マハーダルマ・キンナラ王
 ダルマダラ・キンナラ王

です。
それぞれが、多くの眷属と共にいました。

*解説

緊那羅とは、梵語のキンナラ "kaMnara" の音写です。帝釈天の眷属で音楽を奏でる楽師として登場します。神でもなく、人でもなく、畜生でもなく、鳥でもないといわれます。

●序品-7 「ガンダルヴァ王」     2014/7/4(金) 午前 8:53

●妙法蓮華経序品第一 #7

第一 通序

2. 同聞衆

(3)雑類衆  ごワ鯒眠衆 けんだつば

*真読

有四乾闥婆王。楽乾闥婆王。楽音乾闥婆王。美乾闥婆王。美音乾闥婆王。各与若干。百千眷属倶。

*訓読

四乾闥婆王あり。

 楽乾闥婆王(がくけんだつばおう)
 楽音乾闥婆王(がくおんけんだつばおう)
 美乾闥婆王(みけんだつばおう)
 美音乾闥婆王(みおんけんだつばおう)

なり。
各若干百千の眷属と倶なり。

*現代語訳

四人のガンダルヴァ王も参列していました。

 マノージュニャ・ガンダルヴァ王
 マノージュニャ・スヴァラ・ガンダルヴァ王
 マドゥラ・ガンダルヴァ王
 マドゥラ・スヴァラ・ガンダルヴァ王

です。
それぞれが、多くの眷属と共にいました。

*解説

乾闥婆とは、梵語のガンダルヴァ "Gandharva" の音写です。仏教では帝釈天の眷属の音楽神とされています。香を食べるとされ、神々の酒ソーマの守り神とも言います。

●序品-8 「アスラ王」     2014/7/10(木) 午前 8:56

●妙法蓮華経序品第一 #8

第一 通序

2. 同聞衆

(3)雑類衆  グそね絏衆 あしゅら

*真読

有四阿修羅王。婆稚阿修羅王。去羅騫駄阿修羅王。毘摩質多羅阿修羅王。羅侯阿修羅王。各与若干。百千眷属倶。

*訓読

四阿修羅王あり。
婆稚阿修羅王(ばぢあしゅらおう)
 カ羅騫駄阿修羅王(からけんだあしゅらおう)
 毘摩質多羅阿修羅王(びましったらあしゅらおう)
 羅侯阿修羅王(らごあしゅらおう)

なり。
各若干百千の眷属と倶なり。

*現代語訳

四人のアスラ王も参列していました。
バリン・アスラ王
 カラスカンダ・アスラ王
 ヴェーマチトリン・アスラ王
 ラーフ・アスラ王

です。
それぞれが、多くの眷属と共にいました。

*解説

サンスクリット語のアスラ "asura" を音写して、阿修羅といいます。ヤクザ映画などの争いの様子を阿修羅と譬えるように、阿修羅とは「戦闘の魔神」だといわれます。

神話では、娘を帝釈天にさらわれたと知った阿修羅王が帝釈天に戦いを求めて以来、ずっと戦闘状態が続いているといいます。もとは神の一人でしたが、戦いに敗れて海底に落されてからは、神の位を奪われました。

日本の興福寺にある阿修羅像が有名です。合掌して柔和な顔をしているのは、阿修羅が改心し、仏教に帰依したところだと言われます。

●序品-9 「ガルダ王」     2014/7/17(木) 午前 9:07

●妙法蓮華経序品第一 #9

第一 通序

2. 同聞衆

(3)雑類衆  Σ猩依絏衆 かるら

*真読

有四迦楼羅王。大威徳迦楼羅王。大身迦楼羅王。大満迦楼羅王。如意迦楼羅王。各与若干。百千眷属倶。韋提希子。阿闍世王。与若干。百千眷属倶。各礼仏足。退坐一面。

*訓読

四迦楼羅王あり。

 大威徳迦楼羅王(だいいとくかるらおう)
 大身迦楼羅王(だいしんかるらおう)
 大満迦楼羅王(だいまんかるらおう)
 如意迦楼羅王(にょいかるらおう)

なり。
各若干百千万の眷属と倶なり。

*現代語訳

四人のガルダ王も参列していました。

 マハー・テージャス・ガルダ王
 マハー・カーヤ・ガルダ王
 マハー・プールナ・ガルダ王
 マハルッディ・プラープタ・ガルダ王

です。
それぞれが、多くの眷属と共にいました。

*解説

サンスクリット語のガルダ "Garuda" を音写して、迦楼羅といいます。神話では、ヴィシュヌ神の乗り物の大きな鳥です。龍や蛇を食べます。

古代インドの神話に登場する神々が、仏教に取りいれられて、仏法を守護するようになり、「天龍八部衆」と呼ばれるようになりました。八部衆とは、天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩侯羅伽です。この内、夜叉王・摩侯羅伽王の名は紹介されていません。

●序品-10 「人王衆」     2014/7/17(木) 午前 9:48

●妙法蓮華経序品第一 #10

第一 通序

2. 同聞衆

(3)雑類衆  Э猷衆

*真読

韋提希子。阿闍世王。与若干。百千眷属倶。各礼仏足。退坐一面。

*訓読

韋提希(いだいけ)の子 阿闍世(あじゃせ)王、若干(そこばく)百千の眷属と倶なりき。各仏足を礼し退いて一面に坐しぬ。

*現代語訳

ヴァイデーヒーの子、アジャータシャトルも多くの眷属と共に参列していました。各々が釈尊のみ前に進み、ひざまついて、そのみ足に頭をつけ、退いて会座に戻りました。

*解説

阿闍世(あじゃせ)王とは、マガダ国の王です。仏教に帰依していますが在家信者です。多くの眷属も共に来ていますので、在家の人たちも参列していたのでしょう。

*用語の解説

○韋提希(いだいけ)
(梵)ヴァイデーヒー "Vaidehii"

韋提希は、マガダ国の頻婆娑羅(びんばしゃら)王の妃です。頻婆娑羅王は仏教に帰依し、仏教教団を援助しました。

釈尊はガンジス川流域で活動していました。その中でもマガダ国を中心地だったようです。マガダ国は、当時、カースト制度が比較的緩く、バラモン以外の出家者の多くが行をしていました。釈尊が晩年に過ごしたとされる霊鷲山もこの国にあります。

○阿闍世(あじゃせ)
(梵)アジャータシャトル "Ajaatashatru"

頻婆娑羅王と韋提希の息子です。
『観無量寿経』という浄土教の経典などによれば、提婆達多にそそのかされた阿闍世王子が、父王を幽閉し、それを助けようとした韋提希も幽閉しました。父王は幽閉された塔の中で餓死しましたが、大臣たちの意見によって韋提希の命は奪われませんでした。阿闍世は、父の後、王になります。父を殺した後悔で苦悩し、脳の病も起こして、救いを釈尊に求め、釈尊に助けられて仏教に帰依しました。

●序品-11 「通序」     2014/7/17(木) 午前 10:15

●妙法蓮華経序品第一 #11

第一 通序

前回までで、「通序」は終わりました。
通序とは、多くの経典に共通する序章のことです。「如是我聞」に始まり、いつ、どこで、誰が、誰に対して説かれたのかが書いてあります。

初期経典では、ごく簡単に書かれていますが、大乗仏教になると記述が長くなりました。参列している者たちの名前や修行の度合いも書かれるようになっています。

これから『法華経』が説かれるわけですが、その縁に触れたのは、声聞衆・菩薩衆・天龍八部衆・人王衆たちです。大乗仏教は、出家修行を対象にするのではなく、一切衆生を対象にします。特に法華経では、一切衆生の本質的な平等を説いていますから、人間以外の神々や魔神・聖獣・鬼たちも参加しているのでしょう。

次回からは、「別序」にはいります。

●序品-12 「別序」     2014/7/17(木) 午前 10:51

●妙法蓮華経序品第一 #12

第二 別序

1. 集衆序

ここからは、「別序」に入ります。別序とは、法華経における序章のことです。

*真読

爾時。世尊。四衆囲繞。供養恭敬。尊重讃歎。

*訓読

その時に世尊、四衆に圍繞(いにょう)せられ、供養・恭敬・尊重・讃歎せられて

*現代語訳

その時に世尊は、人々に囲まれて、供養、恭敬、尊重、讃歎されて

*解説

供養・恭敬・尊重・讃歎という言葉は、法華経の中によく出てきます。諸仏を身と言葉によって敬意を表します。

●序品-13 「説法」     2014/7/20(日) 午後 8:36

●妙法蓮華経序品第一 #13

第二 別序

2. 現瑞序

(1)此土六瑞 \睨/

*真読

為諸菩薩。説大乗経。名無量義。教菩薩法。仏所護念。

*訓読

諸の菩薩の為に大乗経の無量義・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもう。

*現代語訳

多くの菩薩たちのために、大乗の『無量義』という教えを説かれました。この教えは、菩薩を教化する教えであり、諸仏が大切に護っている教えです。

*解説

大乗の『無量義』という教えが、『無量義経』のことかどうかは分かりません。『無量義経』は、サンスクリット語の原典がないために、中国で作られた偽経かも知れないという説があります。なので、大乗の『無量義』というのは、大乗の多くの意義をもつ教えという意味だと解釈する方もいます。

教菩薩法とは、菩薩に対して説かれた教えということであり、仏所護念とは諸仏が護っている教えだということです。この深い意味は『法華経』にて徐々に明かされます。

●序品-14 「三昧」     2014/7/28(月) 午前 11:00

●妙法蓮華経序品第一 #14

第二 別序

2. 現瑞序

(1)此土六瑞 入定瑞

*真読

仏説此経已。結跏趺坐。入於無量義処三昧。身心不動。

*訓読

仏、この経を説きおわって、結跏趺坐(けっかふざ)し無量義処三昧に入って身心動じまわず。

*現代語訳

仏は、この教えを説き終えられると姿勢を調えて坐られ、無量義の教えを深く噛みしめる三昧に入られました。身も心も落ち着かれており、まったく動くことがありませんでした。

*解説

無量義の教えを説き終えられた釈尊は、足を組み坐禅の姿勢になられて、無量義の教えを深く思惟する三昧に入られました。無量の方便と一つの真実という「多即一」の法門について今一度観察されました。この三昧は、『方便品第二』まで続きます。よって、『序品第一』では、釈尊の言葉による説法はありません。

*用語の解説

○結跏趺坐(けっかふざ)

禅定の坐法。足を交差させて、逆脚の太ももの上に足の甲をのせる坐り方です。足の裏が上を向きます。ヨーガではこれを、パドマ・アーサナ(蓮華坐)といいます。

○三昧(さんまい)
(梵)サマーディ"samaadhi"

禅定中に精神集中が深まりきった状態のこと。

●序品-15 「雨華地動」     2014/7/31(木) 午後 0:18

●妙法蓮華経序品第一 #15

第二 別序

2. 現瑞序

(1)此土六瑞 1華瑞 っ脇或

*真読

是時天雨。曼陀羅華。摩訶曼陀羅華。曼殊沙華。摩訶曼殊沙華。而散仏上。及諸大衆。普仏世界。六種震動。

*訓読

この時に天より曼陀羅華(まんだらけ)・摩訶曼陀羅華(まかまんだらけ)・曼殊沙華(まんじゅしゃげ)・摩訶曼殊沙華(まかまんじゅしゃけ)を雨らして、仏の上 及び諸の大衆に散じ、普仏(ふぶつ)世界六種に震動す。

*現代語訳

この時に天上から、マンダーラヴァ、大マンダーラヴァ、マンジューシャカ、大マンジューシャカという珍しくも美しい花々が、釈尊と人々の上にふってきました。そして、大地は、揺れ、動き、震え、また広い範囲でも揺れ、動き、震えました。

*解説

天から華が舞い散り、地が振動したという出来事は、経典中によくでてきます。仏の入胎・出胎・出家・成道・転法輪・入滅のそれぞれのときに、天の華が散り、大地が震動しました。これは、天から地までが感応していることを表しています。ですから、実際に地震が起こっているわけではありません。

●序品-16 「衆生が喜ぶ」     2014/7/31(木) 午後 0:35

●妙法蓮華経序品第一 #16

第二 別序

2. 現瑞序

(1)此土六瑞 ソ梓鄂

*真読

爾時。会中。比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。天。龍。夜叉。乾闥婆。阿修羅。迦楼羅。緊那羅。摩侯羅伽。人非人。及諸小王。転輪聖王。是諸大衆。得未曽有。歓喜合掌。一心観仏。

*訓読

その時に会中の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩侯羅伽・人・非人 及び 諸の小王・転輪聖王、この諸の大衆未曽有なることを得て、歓喜し合掌して一心に仏を観たてまつる。

*現代語訳

その時に、この集会では、男女の出家修行者、男女の在家修行者、天上界の神々、ナーガ、ヤクシャ、ガンバルヴァ、アスラ、ガルダ、キンナラ、マホーラガ、人、人でないもの、王族の者たち、これらの人々は、珍しくも不思議な体験をして、歓喜し、合掌して、一心に仏を仰ぎ見ました。

●序品-17 「放光」     2014/8/1(金) 午後 8:32

●妙法蓮華経序品第一 #17

第二 別序

2. 現瑞序

(1)此土六瑞 κ光瑞

*真読

爾時仏放眉間白毫相光。照東方。万八千世界。靡不周遍。下至阿鼻地獄。上至阿迦尼咤天。

*訓読

その時に仏、眉間白毫相(びゃくごうそう)の光を放って、東方万八千の世界を照したもうに周遍(しゅへん)せざることなし。下、阿鼻地獄に至り、上、阿迦尼タ天(あかにたてん)に至る。

*現代語訳

その時に、釈尊は、眉間の白い巻毛より光を放って、他方のあらゆる世界を隅々まで照らし出しました。下は、阿鼻地獄にまで至り、上は、色究竟天に至りました。

*解説

三昧中の釈尊の眉間から光が放たれて、東方の世界を照らし出しました。東とは、プールヴァ "puurva" の訳です。プールヴァには、東という意味と「それ以前」という意味がありますから、過去の意味も含んでいます。

釈尊が東方(過去)の世界に光を放って、地獄界から天上界までのあらゆる世界を照らし出しました。地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上の世界を照らし、霊鷲山にいる人々にその世界に住む衆生の姿を見せました。

これから、その他方の衆生の様子が描かれます。それは、『法華経』の内容を表していますから重要です。

●序品-18 「此土六瑞」     2014/8/1(金) 午後 8:51

●妙法蓮華経序品第一 #18

第二 別序

2. 現瑞序

(1)此土六瑞

瑞とは、吉兆のことです。なので、此土六瑞とは、この世界での六つのめでたい兆しのことです。これから『法華経』という最上最高の教えが説かれるに先だって、現在の霊鷲山にて起こった六つの吉兆について述べられています。此土六瑞とは次のことでした。

\睨/
 釈尊が「無量義の教え」を説いたこと

入定瑞
 釈尊が無量義処三昧に入ったこと

1華瑞
 天上から天上界の花々が降りそそいだこと

っ脇或
 大地が六種に震動したこと

ソ梓鄂
 大衆が喜んだこと

κ光瑞
 釈尊の眉間から光が放たれ、他の世界を照らし出したこと

●序品-19 「他土六瑞」     2014/8/21(木) 午後 9:20

●妙法蓮華経序品第一 #19

第二 別序

2. 現瑞序

(2) 他土六瑞

*真読

於此世界。尽見彼土。六趣衆生。又見彼土。現在諸仏。及聞諸仏。所説経法。并見彼諸。比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。諸修行得道者。復見。諸菩薩摩訶薩。種種因縁。種種信解。種種相貌。行菩薩道。復見諸仏。般涅槃者。復見諸仏。般涅槃後。以仏舎利。起七宝塔。

*訓読

此の世界に於て、尽く彼の土の六趣の衆生を見、また彼の土の現在の諸仏を見、及び諸仏の所説の経法を聞き、並びに彼の諸の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の諸の修行し得道する者を見、また諸の菩薩摩訶薩の種々の因縁・種々の信解・種々の相貌(そうみょう)あって菩薩の道を行ずるを見、また諸仏の般涅槃したもう者を見、また諸仏般涅槃の後、仏舎利を以て七宝塔を起つるを見る。

*現代語訳

この世界にいながらにして、他方の世界で迷い苦しんでいる人々を見、また、他方の世界で活躍されている諸仏を見、また、諸仏が様々な教えを説いているのを聞き、また、他方の世界の出家修行者たちや在家修行者たちが、様々な修行をし、道を得るのを見、また、菩薩摩訶薩たちが、様々な体験、様々な信心と理解、様々な様相を具え、菩薩の道を行じるを見、また、諸仏が、完全な涅槃に入られるのを見、また、諸仏が完全なる涅槃に入られた後に、仏の遺骨を納めて七宝の塔を建てるのを見ました。

*解説

釈尊の眉間から光が放たれ、他方の世界が照らし出されました。他方の世界とは、過去の世界であり、または空間的に別の世界と観ることもできます。その他方の世界の様子を、霊鷲山に集う聴聞衆ははっきりと観ることができました。このことを「他土六瑞」といいます。

 1. 六趣を見るの瑞
 2. 諸仏を見るの瑞
 3. 諸仏の説法を聞くの瑞
 4. 四衆の得道を見るの瑞
 5. 菩薩修行相を見るの瑞
 6. 仏涅槃を見るの瑞

●序品-20 「弥勒菩薩の疑問」     2014/8/25(月) 午後 6:41

●妙法蓮華経序品第一 #20

第二 別序

3. 疑念序

(1) 弥勒の疑念

*真読

爾時。弥勒菩薩。作是念。
今者世尊。現神変相。以何因縁。而有此瑞。今仏世尊。入于三昧。是不可思議。現希有事。当以問誰。誰能答者。

復作此念。
是文殊師利。法王之子。已曽親近供養。過去無量諸仏。必応見此。希有之相。我今当問。

*訓読

その時に弥勒菩薩是の念を作さく。
「今、世尊、神変の相を現じたもう。何の因縁を以てこの瑞ある。今、仏世尊は三昧に入りたまえり。この不可思議に希有の事を現ぜるを、当に以て誰にか問うべき、誰かよく答えん者なる」

また、この念を作さく。
「この文殊師利法王の子は、すでにかつて過去無量の諸仏に親近し供養せり。必ずこの希有の相を見るべし。我今、当に問うべし」

*現代語訳

その時に、偉大なるマイトレーヤ菩薩は、このように考えました。
「今、世尊は、不思議な現象を現わされました。この現象を通して何を教えて下さっているのでしょう? どのような理由があって不思議な力を表わされたのでしょう? 今、世尊は深い瞑想に入っておられて、この理由を質問することができません。この不可思議な出来事が起ったことを一体誰に問えばいいのでしょう? 誰が分かりやすく答えて下さるのでしょう?」

また、このようにも考えました。
「ここにおられるマンジュシリー法王子さまは、これまでの過去の世において、無量の諸仏に仕えて、供養をし、修行をされたと聞いています。おそらくは、この珍しい出来事についても、過去に体験されていることでしょう。私は、今、マンジュシリー法王子さまに質問をしてみましょう」

*解説

ここには、弥勒菩薩と文殊師利法王子(文殊菩薩)という二人の大菩薩の名が出てきます。文殊菩薩とは、慈悲の象徴であり、文殊菩薩は智慧の象徴として登場しています。慈悲によって智慧を知るということが、暗示されています。

法華経には、多くの菩薩が登場します。菩薩とは、成仏を目指している修行者のことですが、弥勒菩薩や文殊菩薩などの菩薩は、「法身の菩薩」と言って、法の象徴としての菩薩です。仏教の教義の慈悲・智慧などを象徴して、弥勒菩薩・文殊菩薩となって登場しています。

●序品-21 「人々の疑問」     2014/8/25(月) 午後 6:48

●妙法蓮華経序品第一 #21

第二 別序

3. 疑念序

(2) 大衆の疑念

*真読

爾時。比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。及諸天龍。鬼神等。咸作此念。
是仏光明。神通之相。今当問誰。

*訓読

その時に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷 及び、諸の天・龍・鬼神等、咸くこの念を作さく。
「この仏の光明神通の相を、今、当に誰にか問うべき」

*現代語訳

その時に、この集会に集う男女の出家修行者、男女の在家修行者、そして天上界の神々、ナーガ、鬼神など、多くの者たちがこのように考えました。
「この仏さまの光明による不思議な出来事を、今、誰に問えばいいのでしょう?」

●序品-22 「弥勒菩薩の質問」     2014/8/25(月) 午後 6:58

●妙法蓮華経序品第一 #22

第二 別序

4. 発問序

(1) 長行

*真読

爾時。弥勒菩薩。欲自決疑。又観四衆。比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。及諸天龍。鬼神等。衆会之心。而問。文殊師利言。

以何因縁。而有此瑞。神通之相。放大光明。照于東方。万八千土。悉見彼仏。国界荘厳。

*訓読

その時に弥勒菩薩、自ら疑を決せんと欲し、また四衆の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷 及び 諸の天・龍・鬼神等の衆会の心を観じて、文殊師利に問うて言わく。

「何の因縁を以て此の瑞神通の相あり、大光明を放ち東方万八千の土を照したもうに、悉く彼の仏の国界の荘厳を見る」

*現代語訳

その時にマイトレーヤ菩薩は、自分自身の疑問を晴らしたいと思い、また、多くの人々の心を察して、マンジュシリー菩薩に問いました。

「何の理由があって、世尊は、この珍しくも、ありがたい神通力を現わされているのでしょう? 世尊は、大いなる光明を放って、他方の多くの国土を照らし、ことごとく他方の仏さまの世界の素晴らしさを見せて下さっています」

●序品-23 「弥勒菩薩の質問〜偈」     2014/8/26(火) 午前 11:12

●妙法蓮華経序品第一 #23

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  1) 此土の六瑞を問う

弥勒菩薩が偈(韻文)によって、文殊菩薩に釈尊の現している不思議について質問します。

*真読

 文殊師利 
 導師何故
 眉間白毫 
 大光普照
 雨曼陀羅 
 曼殊沙華
 栴檀香風 
 悦可衆心
 以是因縁 
 地皆厳浄
 而此世界 
 六種震動
 時四部衆 
 咸皆歓喜
 身意快然 
 得未曽有

*訓読

 文殊師利 
 導師何が故ぞ
 眉間白毫の 
 大光普く照したもう
 曼陀羅 曼殊沙華を雨らして
 栴檀(せんだん)の香風 
 衆の心を悦可す
 この因縁を以て 
 地 皆 厳浄(ごんじょう)なり
 しかも 此の世界
 六種に震動す
 時に四部の衆 
 咸く皆歓喜し
 身意快然(けねん)として 
 未曽有なることを得

*現代語訳

 マンジュシリー菩薩さま
 世尊はなぜ、眉間から大いなる光を放ち
 世界を照らし出されているのでしょうか?
 天上界から、珍しく美しい花々をふらし
 センダンの香りを漂わせて
 人々の心を悦ばせています。
 このことによって、大地も人々も
 厳かで穢れがありません。
 しかも、この世界が様々に震動しました。
 その時、人々は誰もが歓喜し
 身も心も悦びを感じ
 ありがたい現象を体験しました。

●序品-24 「眉間の光明」     2014/8/26(火) 午前 11:18

●妙法蓮華経序品第一 #24

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  1) 此土の六瑞を問う

*真読

 眉間光明 
 照于東方
 万八千土 
 皆如金色
 従阿鼻獄 
 上至有頂
 諸世界中 
 六道衆生
 生死所趣 
 善悪業縁
 受報好醜 
 於此悉見

*訓読

 眉間の光明 
 東方 
 万八千の土を照したもうに 
 皆金色の如し
 阿鼻獄より 
 上有頂に至るまで
 諸の世界の中の 
 六道の衆生
 生死の所趣 
 善悪の業縁
 受報の好醜 
 此に於て悉く見る

*現代語訳

 眉間の光明は
 他方の多くの世界を照らし出し
 その世界を黄金色に浮かび上がらせています。
 阿鼻地獄から、有頂天にいたるまで
 様々な世界の中の迷える人々の
 事物・現象が因縁によって起こっているということ
 善悪の行為とその縁となるもの
 報いによって、好い状態、醜い状態に
 環境が変化することを
 ここに居ながらにしてことごとく見ました。

●序品-25 「諸仏の説法」     2014/8/26(火) 午後 1:57

●妙法蓮華経序品第一 #25

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  1) 此土の六瑞を問う

*真読

 又観諸仏 
 聖主師子
 演説経典 
 微妙第一
 其声清浄 
 出柔軟音
 教諸菩薩 
 無数億万
 梵音深妙 
 令人楽聞
 各於世界 
 講説正法
 種種因縁 
 以無量諭
 照明仏法 
 開悟衆生

*訓読

 また諸仏 聖主師子
 経典の 微妙第一なるを
 演説したもう
 その声(みこえ)清浄に 
 柔軟の音(みこえ)を出して
 諸の菩薩を教えたもうこと 
 無数億万に
 梵音深妙にして 
 人をして聞かんと楽(ねが)わしめ
 各(おのおの)世界に於て 
 正法を講説するに
 種々の因縁をもってし 
 無量の諭を以て
 仏法を照明し 
 衆生を開悟せしめたもうを観る

*現代語訳

 また 他方の諸仏が、
 最上の教えを説かれている様子も
 見ることができました。
 その仏さまのお声は、
 清浄で柔らかい音であり
 多くの菩薩たちに対して
 清らかで 深く 
 きわめて優れた教えを
 説き示されました。
 各世界において 
 正しい教えを説くのに
 様々な出来事を話し
 多くのたとえ話をして
 仏法を誰にでも
 分かるように説き明かし
 人々を悟りへと
 導いているのを見ました。

●序品-26 「苦」     2014/8/26(火) 午後 10:56

●妙法蓮華経序品第一 #26

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  1) 此土の六瑞を問う

*真読

 若人遭苦 
 厭老病死
 為説涅槃 
 尽諸苦際

*訓読

 もし人苦に遭うて 
 老病死を厭うには
 為に涅槃を説いて 
 諸苦の際を尽くさしめ

*現代語訳

 もし、人が苦にあって
 老化、病気、死などの
 苦悩から離れたいと願うならば
 その人のために安らぎの境地を説いて
 迷いの世界から離れる
 修行を説き示しました

*解説

苦とは、憂悲苦悩のことです。仏教では、生老病死の苦を四苦といって、苦の代表としています。生老病死に苦の実体があるのではなく、生老病死をどのように捉えるかで、憂い、悲しみ、苦しみ、悩むことになります。老いることを嫌い、抵抗し、なんとかしようとすることで、それが果たせず苦となります。

生老病死という現象を嫌わず、抵抗せず、受け入れることによって楽になります。受け入れることによって、その現象への執着から離れることができて、煩悩が滅していきます。その事象を好むのも執着になりますが、嫌うことも執着になります。

●序品-27 「縁覚」     2014/8/27(水) 午前 9:51

●妙法蓮華経序品第一 #27

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  1) 此土の六瑞を問う

*真読

 若人有福 
 曽供養仏
 志求勝法 
 為説縁覚

*訓読

 もし人福あって 
 かつて仏を供養し
 勝法を志求するには 
 為に縁覚を説き

*現代語訳

 もし人が善行を積んで福を得て
 これまでに諸仏を供養し
 勝れた教えを求める人がいるならば
 その人のために 
 縁覚の修行を説き示しました

●序品-28 「菩薩」     2014/8/27(水) 午前 10:10

●妙法蓮華経序品第一 #28

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  1) 此土の六瑞を問う

*真読

 若有仏子 
 修種種行
 求無上慧 
 為説浄道

*訓読

 もし仏子有って 
 種々の行を修し
 無上慧を求むるには 
 為に浄道を説きたもう

*現代語訳

 もし菩薩がいて
 様々な修行を実践し
 無上の智慧を求める人がいるならば
 その人のために
 浄き道を説き示しました。

*解説

インドでは、カースト制度があり、親の種を子が受け継ぐ決まりがあります。司祭の子は司祭であり、王族の子は王族であり、平民の子は平民であり、奴隷の子は奴隷です。生まれによって身分と職業、環境が決まるというシステムです。

このことに、釈尊は反対でした。「人は生まれによって尊いのではなく、行為によって尊いのだ。人は生まれによって卑しいのではなく、行為によって卑しいのだ」といって、生まれによる身分差別を否定し、聖なる道を歩むようにと指導しました。

菩薩とは、成仏を目指して菩薩行を実践する者たちですから、聖なる道を歩んでいます。よって、いずれ仏に成りますから、「仏の子」と呼んでいます。いずれ明らかになりますが、一切衆生には成仏の可能性があると説かれていますから、そのことから言えば、一切衆生は誰もが仏の子です。法華経は、平等思想を説く教えですが、一切平等の根拠はそこにあります。

●序品-29 「多くの見聞」     2014/8/27(水) 午後 6:18

●妙法蓮華経序品第一 #29

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  1) 此土の六瑞を問う

*真読

 文殊師利 
 我住於此
 見聞若斯 
 及千億事
 如是衆多 
 今当略説

*訓読

 文殊師利 
 我 此に住して
 見聞すること斯のごとく 
 千億の事に及べり
 是の如く衆多なる 
 今 当に略して説くべし

*現代語訳

 マンジュシリー菩薩さま
 私が、ここに居ながらにして
 見て聞いたことは
 このように非常に多くの出来事でした
 この多くの出来事から
 今は、略して語りましょう

●序品-30 「他土の六瑞」     2014/8/28(木) 午後 2:11

●妙法蓮華経序品第一 #30

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  2) 他土の六瑞を問う

*真読

 我見彼土 
 恒沙菩薩
 種種因縁 
 而求仏道

*訓読

 我 彼の土の 
 恒沙の菩薩
 種々の因縁をもって 
 仏道を求むるを見る

*現代語訳

 私は、他方世界の
 多くの菩薩たちが
 様々な因縁をもって
 仏道を求めているのを見ました。

*解説

ここからは、釈尊が光り照らし出した他方の世界の様子が語られています。まずは、菩薩の修行の様子です。

●序品-31 「布施」     2014/8/28(木) 午後 2:50

●妙法蓮華経序品第一 #31

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  2) 他土の六瑞を問う

*真読

 或有行施 
 金銀珊瑚
 真珠摩尼 
 車巨碼碯
 金剛諸珍 
 奴婢車乗
 宝飾輦輿 
 歓喜布施
 回向仏道 
 願得是乗
 三界第一 
 諸仏所歎

 或有菩薩 
 駟馬宝車
 欄楯華蓋 
 軒飾布施

*訓読

 或は施を行ずるに 
 金・銀・珊瑚
 真珠・摩尼(まに) 
 シャコ・碼碯(めのう)
 金剛・諸珍 
 奴婢(ぬび)・車乗
 宝飾(ほうじき)の
 輦輿(れんよ)を 
 歓喜して布施し
 仏道に回向して 
 この乗の
 三界第一にして 
 諸仏の歎めたもう所なるを
 得んと願うあり

 或は菩薩の 
 駟馬(しめ)の宝車
 欄楯華蓋(らんじゅんけがい) 
 軒飾(こんじき)を布施するあり

*現代語訳

 または、布施を実践するのに
 金・銀・サンゴ
 真珠・珠玉・シャコ、メノウ
 ダイヤモンドなどの珍しい宝
 召使、車、宝で飾った輿(こし)などを
 喜んで布施し
 その布施の功徳を
 仏道を得ることにふり向けて
 この世界で最高の 
 諸仏が讃嘆する教えを
 会得したいと願うのを見ました。

 あるいは、菩薩たちが
 4頭立ての美しく飾った馬車を
 施すのを見ました。

*解説

弥勒菩薩は、他方の世界の菩薩が物品を布施し、その布施の功徳を悟りを得ることへと回向して、仏法を会得したいと願っている様子を観ました。

菩薩の行は、六波羅蜜だといわれます。六波羅蜜とは、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧という六つの行を行じて、それぞれの行を完成させることです。その行の最初が布施です。

*用語の解説

○回向(えこう)
(梵)パリナーマナー "pariNaamanaa"

廻向とも書きます。廻らして差し向けることです。自分の善行の功徳を廻らせてひるがえして、衆生や自分の悟りのために差し向けることをいいます。日本では、死者への追善のことも廻向といいます。

●序品-32 「身の布施」     2014/8/28(木) 午後 3:16

●妙法蓮華経序品第一 #32

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  2) 他土の六瑞を問う

*真読

 復見菩薩 
 身肉手足
 及妻子施 
 求無上道
 又見菩薩 
 頭目身体
 欣楽施与 
 求仏智慧

*訓読

 また 菩薩の 
 身肉手足
 及び妻子を施して 
 無上道を求むるを見る

 また 菩薩の 
 頭目身体を
 欣楽(ごんぎょう)施与して 
 仏の智慧を求むるを見る

*現代語訳

 または、菩薩たちが
 自分の肉体や手足 妻や子供を施して
 無上の教えを求めるのを見ました

 または、菩薩たちが
 頭、目、身体を 喜んで布施して
 仏の智慧を求めるのを見ました。

*解説

ここには、菩薩が身の布施をして、仏道を求めている様子が語られています。自分の肉体や手足を施すというのは、文字通りに自分の手足を切り落として、他者に与えるという意味ではなく、手足を使って他者に奉仕したということです。

●序品-33 「出家」     2014/8/29(金) 午後 8:19

●妙法蓮華経序品第一 #33

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  2) 他土の六瑞を問う

*真読

 文殊師利 
 我見諸王
 往詣仏所 
 問無上道
 便捨楽土 
 宮殿臣妾
 剃除鬚髪 
 而被法服

*訓読

 文殊師利 
 我諸王の
 仏所に往詣して 
 無上道を問いたてまつり
 便ち楽土 
 宮殿(くでん)
 臣妾(じんしょう)を捨てて
 鬚髪(しゅほつ)を
 剃除(たいじじょ)して 
 法服を被(き)るを見る

*現代語訳

 マンジュシリー菩薩さま
 私は、王さまたちが
 仏さまのみもとにお詣りに来て
 無上の教えを質問し
 そして、楽に暮らせるほどの土地や
 宮殿や家来や奥方を捨てて
 髪と髭を剃り落し
 修行者の服を着るところを見ました

*解説

弥勒菩薩は、他方の国で、多くの王様が仏から教えを聞いて、自分の身分や自分の家族、自分の家族や家来から離れるのを見ました。そして、髪と髭を剃り、法服を着るのを見ました。つまり、王様たちが出家する様子を見ました。

法服とは、袈裟(けさ)のことです。袈裟とは、梵語のカシャーヤ "Kasaya" の音写です。意味は混濁色です。在家は白い布をまとっていましたので、出家者は在家と区別して、布を黄土色に染めました。染める時に色んな物を使い、混濁色となりましたので袈裟(混濁色)の名があります。

袈裟は、死体をくるんでいた布を墓場で集め、ボロボロになって使い道のないような布を縫い合わせて作られました。このような布を使ったのは、インド社会ではカースト制度の枠にも入らないような最も底辺の人たちでした。これまで王様だった人が、底辺の服を着るのですから強い決断が必要です。しかも、髪や髭まで剃り落すのですから、見栄とか体裁も出家の際は捨てたようです。

●序品-34 「独覚」     2014/8/29(金) 午後 8:51

●妙法蓮華経序品第一 #34

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  2) 他土の六瑞を問う

*真読

 或見菩薩 
 而作比丘
 独処閑静 
 楽誦経典

*訓読

 或は 菩薩の 
 しかも比丘と作って
 独(ひとり)閑静(げんじょう)に処し 
 楽(ねが)って経典を誦するを見る

*現代語訳

 または、菩薩が
 出家修行者となって
 独り、人里離れた静かな場所に住み
 進んで経典を読んでいるところを見ました

*解説

比丘とは、男性の出家修行者のことです。初期仏教では、俗世間から離れて出家した修行者は、僧伽に入りました。僧伽とは、共に戒律を守り、修行をする集団のことです。修行が進んだ比丘は、僧伽からも離れて山野に籠り、独りで修行をしました。この独りの修行者のことを独覚といいます。

仏教の修行は二段階があります。煩悩から離れる行と智慧を得る行です。煩悩とは、智慧を覆うものであり、智慧の眼を曇らせるものですから、まずは煩悩を滅する行をする必要があります。煩悩とは、執着によって起こりますから、具体的には、あらゆるものへの執着から離れることが重視されました。よって、出家が勧められ、さらに独りの行が勧められました。

●序品-35 「菩薩・縁覚」     2014/9/3(水) 午前 9:32

●妙法蓮華経序品第一 #35

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  2) 他土の六瑞を問う

*真読

 又見菩薩 
 勇猛精進
 入於深山 
 思惟仏道

*訓読

 また 菩薩の 
 勇猛精進し
 深山に入って 
 仏道を思惟するを見る

*現代語訳

 また 菩薩が
 強く精進の心を起こし
 深い山奥に入って
 仏の道を思惟するところを見ました。

*解説

菩薩とは、衆生を救うために行じている者のイメージがありますが、ここでは、山奥に入って仏道を思惟する菩薩のことが描かれています。菩薩が独覚(縁覚)の行をしているという感じです。同様に菩薩は声聞の行をすることもあるし、人間や神々として学んでいる者もいます。このことは、法華経では重要な思想です。

●序品-36 「神通」     2014/9/4(木) 午前 8:56

●妙法蓮華経序品第一 #36

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  2) 他土の六瑞を問う

*真読

 又見離欲 
 常処空閑
 深修禅定 
 得五神通

*訓読

 また 欲を離れ 
 常に空閑に処し
 深く禅定を修して 
 五神通を得るを見る

*現代語訳

 または、欲から離れて
 常に人の踏み入らない場所に住み
 深く瞑想を実践し
 不思議な力を得るところを見ました。

*用語の解説

○神通(じんづう)
(梵)アビジュニャー "abhijNaa"

精通していること。
禅定を修めることなどによって得られる無礙自在な超人間的な不思議な能力のこと。

○五神通(ごじんづう)

神通のなかで、神足通・天耳通・他心通・宿命通・天眼通を五神通といいます。

○神足通(じんそくつう)
(パーリ)"iddhi-vidha-NaaNa"

機に応じて自在に身を現し、思うままに山海を飛行し得るなどの通力。

○天耳通(てんにつう)
(パーリ)"dibba-sota-NaaNa"

ふつう聞こえる事のない遠くの音を聞いたりする超人的な耳。

○他心通(たしんつう)
(パーリ)"ceto-pariya-NaaNa"

他人の心を知る力。

○宿命通(しゅくみょうつう)
(パーリ)"pubbe-nivaasaanussati-NaaNa"

自分の過去世(前世)を知る力。

○天眼通(てんげんつう)
(パーリ)"dibba-cakkhu-NaaNa"

他人の過去世(前世)を知る力。

*五神通に漏尽通を加えたものを六神通といいます。

○漏尽通(ろじんつう)
(パーリ)"aasavakkhaya-NaaNa"

自分の煩悩が尽きて、今生を最後に、生まれ変わることはなくなったと知る力。

●序品-37 「讃嘆」     2014/9/4(木) 午前 9:05

●妙法蓮華経序品第一 #37

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  2) 他土の六瑞を問う

*真読

 又見菩薩 
 安禅合掌
 以千万偈 
 讃諸法王

*訓読

 また 菩薩の 
 禅に安じて合掌し
 千万の偈を以て 
 諸法の王を讃めたてまつるを見る

*現代語訳

 または、菩薩が
 禅によって 心安らかに 合掌をし
 たくさんの詩によって
 仏さまを讃えているところを見ました。

●序品-38 「受持」     2014/9/4(木) 午前 9:10

●妙法蓮華経序品第一 #38

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  2) 他土の六瑞を問う

*真読

 復見菩薩 
 智深志固
 能問諸仏 
 聞悉受持

*訓読

 また 菩薩の 
 智深く志固くして
 よく諸仏に問いたてまつり 
 聞いて悉く受持するを見る

*現代語訳

 また 菩薩の
 智慧が深く 志が固く
 諸仏に教えを問うて 教えを聴き
 ことごとく 受持するのを見ました。

●序品-39 「説法を楽しむ」     2014/9/7(日) 午前 11:24

●妙法蓮華経序品第一 #39

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  2) 他土の六瑞を問う

*真読

 又見仏子 
 定慧具足
 以無量諭 
 為衆講法
 欣楽説法 
 化諸菩薩
 破魔兵衆 
 而撃法鼓

*訓読

 また 仏子の 
 定慧具足して
 無量の諭を以て 
 衆の為に法を講じ
 欣楽(ごんぎょう)説法して 
 諸の菩薩を化し
 魔の兵衆を破して 
 法鼓を撃つを見る

*現代語訳

 また 仏の子が
 禅定と智慧を具えていて
 多くの譬え話を用いて
 人々のために教えを説き
 自らが喜んで説法をして
 菩薩たちを教化し
 仏道の邪魔をするものを払いのけて
 大いに教えを弘めるのを見ました。

●序品-40 「平常心」     2014/9/7(日) 午前 11:44

●妙法蓮華経序品第一 #40

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  2) 他土の六瑞を問う

*真読

 又見菩薩 
 寂然宴黙
 天龍恭敬 
 不以為喜

*訓読

 また 菩薩の 
 寂然宴黙にして
 天・龍 恭敬すれども 
 以て喜とせざるを見る

*現代語訳

 また 菩薩が
 もの静かで口数が少なく
 天上界の神々や龍神などから
 尊敬され讃えられても
 決していい気になって喜ぶような
 ところがないのを見ました

*解説

菩薩の忍辱の行です。
忍辱とは、他から迫害を受けても決して怒らず平常心を保つことをいいますが、逆に他から敬われ、讃えられ、褒められてもルンルン気分にならないことも忍辱です。平常心で受けとめ、恭敬を受けたことに感謝します。

忍辱とは、自分の感情をコントロールすることです。喜怒哀楽などの感情に振り回されて我を忘れることなく、感情に執着しないようにします。

●序品-41 「光」     2014/9/7(日) 午後 0:30

●妙法蓮華経序品第一 #41

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  2) 他土の六瑞を問う

*真読

 又見菩薩 
 処林放光
 済地獄苦 
 令入仏道

*訓読

 また 菩薩の 
 林に処して光を放ち
 地獄の苦を済い 
 仏道に入らしむるを見る

*現代語訳

 また 菩薩が 
 林に住み
 その身体から光を放って
 地獄界の人々を救い
 仏道に導いているのを見ました。

*解説

菩薩が身体から光を放って地獄界の人々を仏道に導くというのは、地獄の人々を智慧によって救うということです。仏教では、智慧は光に譬えられます。煩悩を闇に譬え、闇は光によって滅せられるからです。

●序品-42 「睡眠せず」     2014/9/11(木) 午後 1:29

●妙法蓮華経序品第一 #42

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  2) 他土の六瑞を問う

*真読

 又見仏子 
 未嘗睡眠
 経行林中 
 勤求仏道

*訓読

 また 仏子の 
 未だかつて睡眠せず
 林中に経行し 
 仏道を勤求するを見る

*現代語訳

 また 仏の子が
 寝る時間も惜しんで
 林の中で教えを反復して唱え
 仏道を求めるのを見ました

●序品-43 「持戒」     2014/9/11(木) 午後 1:46

●妙法蓮華経序品第一 #43

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  2) 他土の六瑞を問う

*真読

 又見具戒 
 威儀無欠
 浄如宝珠 
 以求仏道

*訓読

 また 戒を具して 
 威儀欠くることなく
 浄きこと宝珠の如くにして 
 以て仏道を求むるを見る

*現代語訳

 また、戒律を保って
 威厳をもって行動し
 真珠のように浄く
 このことによって
 仏道を求めるのを見ました。

*解説

菩薩の行は六波羅蜜です。六波羅蜜とは、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧のことです。この二番目にある持戒とは、戒を保つことです。戒を保つためには、まず誓うことが重要です。戒は自主的に守ると決めますので、誰かから罰せられることはありません。

●序品-44 「増上慢との関わり」     2014/9/14(日) 午前 9:37

●妙法蓮華経序品第一 #44

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  2) 他土の六瑞を問う


*真読

 又見仏子 
 住忍辱力
 増上慢人 
 悪罵捶打
 皆悉能忍 
 以求仏道


*訓読

 また 仏子の 
 忍辱の力に住して
 増上慢の人の 
 悪罵捶打(おめすいちょう)するを
 皆 悉くよく忍んで 
 以て仏道を求むるを見る

*現代語訳

 また、仏の子が
 忍辱の力を十分に具えていて
 思いあがった修行者たちの
 攻撃に合っても 
 それを耐え忍び
 このことによって
 仏道を求めるのを見ました。

*解説

増上慢とは、まだ悟ってもいないのに、自分は悟っていると思って、おごり高ぶった心のことです。

仏教の教義には、浅深があります。例えば、縁起の理法でも、ヒマワリの種と水や温度という条件が調って花が咲くというような小学生レベルから、不生不滅の縁起という高度なものまで説かれています。低い教えを聞いて満足し、「俺は仏教をマスターした!」と豪語して、高慢になっていれば、その人は増上慢の人だといえます。

法華経では、増上慢の者との関わりについて、何度もくりかえし注意が与えられています。増上慢の者は、「私は正しい」という自信にあふれていますから、自分と異なる思想とは対立することになります。こちらは争う気がなくても、どんどん攻撃してきます。それを誹謗と呼びます。

菩薩は、誹謗を受けても平常心を保ち、決して喧嘩を買うようなことはしません。打たれても蹴られても、ただ合掌をし耐え忍ぶのみです。そして、誹謗という縁を通して学びます。

また、重要なことは、自分の心にもある増上慢です。修行が進めば、「自分は悟った!」というような勘違いが起こります。それを思い込み、妄想と気づかずに暴走を始めたならば、仏道から離れてしまう可能性が強くなります。増上慢とは、他でもなく自分自身かも知れません。

●序品-45 「善き友」     2014/9/15(月) 午前 10:55

●妙法蓮華経序品第一 #45

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  2) 他土の六瑞を問う

*真読

 又見菩薩 
 離諸戯笑
 及痴眷属 
 親近智者
 一心除乱 
 摂念山林
 億千万歳 
 以求仏道

*訓読

 また 菩薩の 
 諸の戲笑(けしょう)
 及び痴なる眷属を離れ 
 智者に親近し
 一心に乱を除き 
 念を山林に摂め
 億千万歳 
 以て仏道を求むるを見る

*現代語訳

 また 菩薩が
 様々な遊びや戯れや
 愚かな仲間から離れ
 智慧のある者に近づき
 一心に心の乱れを除き
 山林に入って
 心を落ち着かせることによって
 非常に長い間
 仏道を求めているのを見ました。

*解説

環境は、その人の心の状態に相応しく存在します。真面目に働いていた時と、堕落して遊び呆けるようになってからとでは、人間関係も一変します。暴走族は暴走族とつるみ、おたくはおたくと友達になります。類は友を呼びます。菩薩が、修行を進めていけば、いつの間にかその人のまわりには、徳の高い人たちが集まってきます。

●序品-46 「布施」     2014/10/4(土) 午前 9:44

●妙法蓮華経序品第一 #46

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  2) 他土の六瑞を問う

*真読

 或見菩薩 
 肴膳飲食
 百種湯薬 
 施仏及僧
 名衣上服
 価直千万

 或無価衣 
 施仏及僧
 千万億種 
 栴檀宝舎
 衆妙臥具 
 施仏及僧
 清浄園林 
 華果茂盛

 流泉浴池 
 施仏及僧
 如是等施 
 種種微妙
 歓喜無厭 
 求無上道

*訓読

 或は 菩薩の 
 肴膳飲食
 百種の湯薬を 
 仏 及び僧に施し
 名衣上服の 
 価直千万なる

 或は 無価の衣を 
 仏 及び僧に施し
 千万億種の 
 栴檀の宝舎
 衆の妙なる臥具を 
 仏 及び僧に施し
 清浄の園林 
 華果茂く盛んなると

 流泉浴池とを 
 仏 及び僧に施し
 是の如き等の施の 
 種々微妙なるを
 歓喜し厭(あ)くことなくして 
 無上道を求むるを見る

*現代語訳

 また 菩薩が
 様々な食べ物や飲み物
 多くの薬を
 仏さまや教団に施し
 立派な服や高級な衣を
 仏さまや教団に施し
 多くの栴檀の木で作られた
 仏道修行のための建物や
 多くの立派な寝具を
 仏さまや教団に施し
 清浄な果樹園の
 花が咲き 果実がみのり
 川や泉や温泉などを
 仏さまや教団に施し
 このように様々な最高の布施を
 喜んで 嫌がることなく実施し
 仏道を求めるのを見ました。 

●序品-47 「ひとつ」     2014/10/15(水) 午後 9:40

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  2) 他土の六瑞を問う

*真読

 或有菩薩 
 説寂滅法
 種種教詔 
 無数衆生

 或見菩薩 
 観諸法性
 無有二相 
 猶如虚空

*訓読

 或は菩薩の寂滅の法を説いて
 種々に 無数の衆生を教詔する有り

 或は菩薩の諸法の性は
 二相有ること無し
 なお虚空の如しと観ずるを見る

*現代語訳

 または、菩薩が成仏にいたる教えを説いて
 様々に多くの人々を教化しているのを見ました。

 または、菩薩がこの世界の全てのものをつくるものは
 二つのものではなく虚空のように一つであると
 観察しているのを見ました。

*解説

ここには、菩薩が様々な方便を説いて人々を導いているところと、菩薩がこの世界を一切の差別・区別なく一切平等であることを観察しているところを見たことが述べられています。

二相とは、二つに分けられたもののことです。私たちが何かを認識するとき、何らかの基準を必要とします。上だと観るのは、それよりも下のものがあるからであり、大きいと観るのは、それよりも小さいものがあるからです。何の基準もなく、上下、大小、浄不浄、遠近などという見方は出来ません。すべての認識は因縁によります。

しかし、それぞれの個を観察すれば、それ自体には何の特徴もありません。比べるものがなければ特徴を観ることはできません。地球は大きいですか? と問われても答えることはできません。地球は月よりも大きく、太陽よりも小さいのですから、何らかの比べるものを示さなければ特徴を観ることはできません。

私たちは、素粒子を観れば素粒子を個と観ます。月を観れば月を個と観ます。太陽系、銀河系を個として観ることもあります。何らかの他のものと比べれば、大宇宙でさえも個と観ることでしょう。二つに分けて観ているのは人間の観察をするときの方法であり、対象となる世界は分かれて存在するものはありません。すべては一つだと知ることによって、一切の平等を悟ることができます。あらゆるものは本来虚空のように無分別であり、分別しているのは人間なのだと知ることは重要なことです。すべてはひとつであり、二つ目、三つ目というものはありません。このことは、法華経で何度も繰り返されます。これが、空の思想だからです。

●序品-48 「降魔成道」     2014/10/16(木) 午後 0:20

●妙法蓮華経序品第一 #48

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  2) 他土の六瑞を問う

*真読

 又見仏子 
 心無諸著
 以此妙慧 
 求無上道

*訓読

 また 仏子の 
 心に所著なくして
 この妙慧を以て 
 無上道を求むるを見る

*現代語訳

 また 菩薩の心に執着がなく
 この最上の智慧によって
 無上の道を求めるのを見ました。

*解説

仏教の修行には、二段階があります。執着から離れることと、智慧によって妙法を悟ることです。ありのままのことを仏教では真実といいます。真実を観るはたらきが智慧です。智慧のはたらきによって、私たちは世界をありのままに観ることが出来ます。しかし、何かに執着していれば、真実を観ることは出来ません。色眼鏡を掛けていると色が変わってしまうように、執着心があればものごとを歪んで見てしまいます。真実を観るためには、まず執着から離れることが重要なのです。色眼鏡を外すことが勧められます。

智慧を覆うものを煩悩といい、煩悩は執著(執着)から生じると言います。煩悩は苦の原因ですから、執着から離れ煩悩を滅すれば、苦から解放され智慧を得ることができると説かれます。仏教では、いきなり智慧によって真実を悟りなさいとは説かず、最初は浄い行いをするようにと勧め、煩悩を浄めるように導きます。善を為し、悪を為さず、浄行を為すことによって、徐々に執着から離れていき、その分智慧がはたらいて、最終的には妙法を悟れます。

二段階があるというのは方便です。仏教では妙法を悟るようにと導くのですが、相手に応じて執着から離れるための教えを説くのです。

●序品-49 「仏塔」     2014/10/16(木) 午後 11:05

●妙法蓮華経序品第一 #49

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  2) 他土の六瑞を問う

*真読

 文殊師利 
 又有菩薩
 仏滅度後 
 供養舎利

 又見仏子 
 造諸塔廟
 無数恒沙 
 厳飾国界
 宝塔高妙 
 五千由旬
 縦広正等 
 二千由旬
 一一塔廟 
 各千幢幡
 珠交露幔 
 宝鈴和鳴

 諸天龍神 
 人及非人
 香華伎楽 
 常以供養

*訓読

 文殊師利
 また 菩薩の 
 仏の滅度の後
 舎利を供養するあり

 また 仏子の 
 諸の塔廟を造ること
 無数恒沙にして 
 国界を厳飾し
 宝塔高妙にして 
 五千由旬
 縦広正等にして 
 二千由旬
 一一の塔廟に 
 各千の幢幡あり
 珠をもって
 交露せる幔あって 
 宝鈴和鳴せり

 諸の天・龍神 
 人及び非人
 香華妓楽を 
 常に以て供養するを見る

*現代語訳

 マンジュシリー菩薩さま
 また 菩薩が
 仏さまが亡くなられた後に
 仏さまの遺骨を
 供養する様子を見ました。

 また 菩薩が
 国中に多くの仏塔を建て
 華々しくその土地を飾っており
 それらの宝塔の高さは非常に高く
 縦横の幅は等しくて方形で 非常に広く
 それぞれの仏塔には
 様々な 旗やのぼりや
 宝石を連ねた幕が張られ
 鈴が美しく鳴っていました。

 天上界の神々や龍神
 地上界の人々や
 人以外の者たちも
 お香や花や音楽を奏でて
 常に供養しているのを見ました。

*解説

ここには、仏舎利を供養する様子が描かれています。古代よりインドでは、聖者が亡くなるとその遺骨を塔に納めてそれを信仰する習慣がありました。釈尊が亡くなれた後もその遺骨(仏舎利)は、塔に納められ人々は供養をしました。釈尊の遺骨は八カ所の塔に納められたのですが、約100年後のアショカ大王の時に遺骨は掘り出されて細かく砕かれ、国中に分けられ、仏塔信仰が盛んになりました。

アショカ大王は、インドを統一した偉大なる王です。アショカ大王はインド統一後仏教に帰依し、仏教を国教に定めました。よって、広範囲に仏塔が建てられ、仏教は広く国民に信仰されるようになりました。

●序品-50 「荘厳」     2014/10/17(金) 午後 4:46

●妙法蓮華経序品第一 #50

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  2) 他土の六瑞を問う

*真読

 文殊師利 
 諸仏子等
 為供舎利 
 厳飾塔廟
 国界自然 
 殊特妙好
 如天樹王 
 其華開敷
 仏放一光 
 我及衆会
 見此国界 
 種種殊妙
 諸仏神力 
 智慧希有
 放一浄光 
 照無量国

*訓読

 文殊師利
 諸の仏子等
 舎利を供せんが為に 
 塔廟を厳飾して
 国界自然に 
 殊特妙好なること
 天の樹王の 
 その華開敷せるが如し
 仏一の光を放ちたもうに 
 我 及び衆会
 この国界の 
 種々に殊妙なるを見る
 諸仏は神力 智慧希有なり
 一の浄光を放って 
 無量の国を照したもう

*現代語訳

 マンジュシリー菩薩さま
 菩薩たちが
 仏さまの遺骨を供養するために
 塔を飾って華やかにし
 それを各地に建てましたので
 自然と国中が
 安らぎのある美しい世界となり
 まるで天上界の樹王の花が
 満開になったようでした。
 その世界に 世尊が眉間より
 光を放たれたことによって
 私や会座のみんなは
 このような華やかな世界を
 見ることができました。
 諸仏は神通力をお持ちになり
 稀なる智慧をお持ちです。
 そのお力によって浄き光を放たれて
 多くの国を照らし出されました。

●序品-51 「妙法」     2014/10/17(金) 午後 5:08

●妙法蓮華経序品第一 #51

第二 別序

4. 発問序

(2) 偈頌  2) 正しく文殊の答えを請う

*真読

 我等見此  
 得未曽有
 仏子文殊 
 願決衆疑
 四衆欣仰 
 瞻仁及我
 
 世尊何故 
 放斯光明
 仏子時答 
 決疑令喜
 何所饒益 
 演斯光明

 仏坐道場 
 所得妙法 
 為欲説此 
 為当授記
 示諸仏土 
 衆宝厳浄
 及見諸仏 
 此非小縁
 文殊当知 
 四衆龍神
 瞻察仁者 
 為説何等

*訓読

 我等 これを見て 
 未曽有なることを得
 仏子文殊 
 願わくは衆の疑を決したまえ
 四衆欣仰(ごんごう)して 
 仁(きみ) 及び我を瞻(み)る

 世尊何が故ぞ 
 この光明を放ちたもう
 仏子時に答えて 
 疑を決して喜ばしめたまえ
 何の饒益(にょうやく)する所あってか 
 この光明を演べたもう

 仏 道場に坐して 
 得たまえる所の妙法
 為(さだ)めてこれを説かんとや欲す 
 為めて当に授記したもうべしや
 諸の仏土の 
 衆宝厳浄なるを示し
 及び 諸仏を見たてまつること
 これ小縁に非じ
 文殊当に知るべし 
 四衆龍神
 仁者(にんじゃ)を瞻察(せんざつ)す 
 為めて何等をか説きたまわん

*現代語訳

 私たちは これらのことを見て
 非常に珍しい体験をしていると感じています。
 仏の子であるマンジュシリー菩薩さま
 願わくは 人々の疑問を晴らして下さい。
 人々は 期待に胸をふくらませて
 あなたと私を見ています。

 世尊は なぜ光明を放たれたのでしょうか?
 マンジュシリー菩薩さま どうぞお答えください。
 そして 疑問を晴らして喜ばせて下さい。
 どのような利益を下さるために
 この光明を放たれているのでしょうか?

 仏さまが菩提樹下に坐られて
 得られました最高の真実を
 これから 説かれようとされているのでしょうか?
 または 私たちに成仏の予言を
 授けて下さるのでしょうか?
 様々な仏国土の
 華やかで浄く美しい様を
 光によってお示しになられ
 また 諸仏を見ることができたのは、
 これは 決して小さな縁ではありません。
 マンジュシリー菩薩さま。
 どうぞ ご覧下さい。
 人々も龍も神々も
 皆 あなたを見つめて待っています。
 どうぞ この不思議の意味を
 お教えください。

*解説

弥勒菩薩が、一同を代表して文殊菩薩にこの不思議な出来事の意味を質問しています。弥勒菩薩の質問の中に「妙法」「授記」という言葉がありますので、すでに弥勒菩薩は不思議の意味をおおよそ知っているのでしょうが、みんながはっきり分かるように質問をしたのでしょう。

法華経のテーマは「妙法」です。妙法とは、ここにもありますように、釈尊が菩提樹下で悟られた最高の真実のことです。釈尊は妙法を得て智慧を完成させたのですから、最も重要な内容です。

●序品-52 「善男子」     2014/10/18(土) 午前 11:58

●妙法蓮華経序品第一 #52

第二 別序

5. 答問序

(1) 長行  1) 帷付して答える

*真読

爾時。文殊師利。語弥勒菩薩摩訶薩。及諸大士。
善男子等。如我惟忖。今仏世尊。欲説大法。雨大法雨。吹大法螺。撃大法鼓。演大法義。

*訓読

その時に文殊師利、弥勒菩薩摩訶薩、及び諸の大士に語らく。
善男子等。我が惟忖(ゆいじゅん)するが如き、今、仏世尊、大法を説き、大法の雨を雨らし、大法の螺(かい)を吹き、大法の鼓を撃ち、大法の義を演べんと欲するならん。

*現代語訳

その時にマンジュシリー菩薩は、マイトレーヤ菩薩をはじめとする多くの菩薩たちに言いました。
「善男子のみなさん。私の考えを述べさせて頂きましょう。今、世尊は、大いなる教えを説き、大いなる教えを多くの人々に伝え、大いなる教えを広く弘め、大いなる教えを人々の心に響かせ、大いなる教えの真実を述べられようと考えられているのでしょう」

*解説

弥勒菩薩の質問に文殊菩薩が応えました。弥勒菩薩は、みんなを代表していますので、弥勒菩薩に答える形で全員に語っています。

ここに「善男子」とあります。無量義経の時に何度も出てきた言葉なのですが、妙法蓮華経ではここで初めて使われています。善男子とは、良家の男性のことです。男子というと、一般的には男の子の意味で使いますが、仏教では成人の男性のことを男子といいます。

良家の男性のことですが、この場合の良家とは身分制度としての良家のことではありません。司祭階級や王族出身の者に対して使っているのではなく、仏子のことです。仏の子という意味を込めて良家の男子よと呼びかけています。このことからも、仏教はインド社会を制するカースト制度から離れ、仏の子として平等であるという思想があることが分かります。仏の子なのですから、成長すれば仏に成れるということです。

大法とは大いなる教えのことです。妙法と同じ意味として使われます。文殊菩薩は、「これから釈尊が妙法を説かれるのです」と、みんなに告げられています。

●序品-53 「難信の法」     2014/10/28(火) 午後 8:30

●妙法蓮華経序品第一 #53

第二 別序

5. 答問序

(1) 長行  2) 曾って見を略答する

*真読

諸善男子。我於過去諸仏。曽見此瑞。放斯光已。即説大法。是故当知。今仏現光。亦復如是。欲令衆生。咸得聞知。一切世間。難信之法。故現斯瑞。

*訓読

諸の善男子。我過去の諸仏に於て、かつて此の瑞を見たてまつりしに、この光を放ちおわって、即ち大法を説きたまいき。この故に当に知るべし。今、仏の光を現じたもうも、またまた是の如く、衆生をして咸く一切世間の難信の法を聞知することを得せしめんと欲するが故に、この瑞を現じたもうならん。

*現代語訳

善男子たちよ。私が過去の諸仏におつかえした時、ここで起こっているような不思議な出来事を見たことがあります。過去の諸仏は、眉間から光を放たれたすぐ後に、大いなる教えを説かれました。そのことから察するに、今、世尊が眉間から光を現わされたのも過去と同じように、人々に対して、非常に信じがたい教えを聞かせ、悟らせたいと願って、このような不思議な現象を起こされたのでしょう。

●序品-54 「如来十号」     2014/10/28(火) 午後 9:40

●妙法蓮華経序品第一 #54

第二 別序

5. 答問序

(1) 長行  3) 曾って見を広答する 〆能薜貶の同道

*真読

諸善男子。如過去無量無辺。不可思議。阿僧祇劫。爾時有仏。号日月燈明如来。応供。正遍知。明行足。善逝。世間解。無上士。調御丈夫。天人師。仏。世尊。

*訓読

諸の善男子。過去無量無辺不可思議阿僧祇劫の如き、その時に仏います。日月燈明如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と号く。

*現代語訳

善男子の皆さん。はるかなる過去に一人の仏さまがいらっしゃいました。名前は、日月燈明如来といいました。供養を受けるにふさわしい聖者、正しく等しいことを覚った方、一切智を得た方、行学を満たした方、智慧によって迷いから出た方、世間を了解した方、無上の方、衆生を導く方、神と人の師、最高の真実悟られ、世で最も尊い方と呼ばれました。

*用語の解説

○如来(にょらい)
(梵)タターガタ "tathaagata"

真実より現れ出た者。真実のままに現れて真実を人々に示す者。

○応供(おうぐ)
(梵)アルハン "arhat"

阿羅漢とも音写される。応受供養のことで、人間・天上の者々から尊敬され、供養を受けるに相応しい有徳の士をいう。

○正遍知(しょうへんち)
(梵)サムヤク・サンブッダ "samyak-saMbuddha"

正しく完全に真理を悟った者。一切智を具え、一切法を了知する者。宇宙のあまねく物事、現象について正しく知る者のこと。

○明行足(みょうぎょうそく)
(梵)ヴィドヤーチャラナ・サンパンナ "vidyaacaraNa-saMpanna"

明とは、宿命・天眼・漏尽の三明の智慧と、行とは身口意の三業を完全に具えた者。

○善逝(ぜんぜい)
(梵)スガタ "sugata"

善く逝ける者の意味で、迷いの世界をよく超えて出て、再び迷いの還らない者。

○世間解(せけんげ)
(梵)ローカヴィッド "lokavid"

世間・出世間のことをことごとく知る者。

○無上士(むじょうし)
(梵)アヌッタラ "anuttra"

世間において最も尊い者。

○調御丈夫(じょうごじょうぶ)
(梵)プルシャ・ダムヤ・サーラティ "puruSadaMyasaarathi"

御者が馬を調御するように、衆生を調伏制御して悟りに至らせる者。

○天人師(てんにんし)
(梵)シャースター・デーヴァーナーム・チャ・マヌシャーナーム・チャ
"zaastaa-devanamu-ca manuSyaaNaaM ca"

天と人の師となる者。地獄・餓鬼・畜生などの迷いの世界にある者をすべて教え導くが、天と人とを導くことが多いので天人師という。

○仏(ぶつ) (梵)ブッダ "buddha"

仏陀。目覚めた者。

○世尊(せそん)
(梵)バガヴァット "bhagavat"

多くの徳を具えて、世間から尊ばれる者。

●序品-55 「三つの道」     2014/11/1(土) 午後 3:01

●妙法蓮華経序品第一 #55

第二 別序

5. 答問序

(1) 長行  3) 曾って見を広答する 〆能薜貶の同道

*真読

演説正法。初善。中善。後善。其義深遠。其語巧妙。純一無雑。具足清白。梵行之相。為求声聞者。説応四諦法。度生老病死。究竟涅槃。為求辟支仏者。説応十二因縁法。為諸菩薩。説応六波羅蜜。令得阿耨多羅三藐三菩提。成一切種智。

*訓読

正法を演説したもう、初善・中善・後善なり。その義深遠に、その語(みこと)巧妙(ぎょうみょう)に、純一無雑にして、具足清白梵行の相なり。

声聞を求むる者の為には応ぜる四諦の法を説いて、生老病死を度し涅槃を究竟せしめ、辟支仏(びゃくしぶつ)を求むる者の為には応ぜる十二因縁の法を説き、諸の菩薩の為には応ぜる六波羅蜜を説いて、阿耨多羅三藐三菩提を得、一切種智を成ぜしめたもう。

*現代語訳

最初説かれた教えも、中頃説かれた教えも、終わりに説かれた教えも、すべての教えが正法に基づいて説かれました。その教えは、非常に深く、言葉が巧みで純粋であり、清らかで大いなる道を示していました。

声聞を求むる者の為には、応じて四諦の法を説いて、生老病死への執着から離れさせて安楽の境地へと導き、縁覚を求むる者の為には、応じて十二因縁の法を説き、諸の菩薩の為には、応じて六波羅蜜を説いて、最高の悟りを得させ、智慧の完成へと導きました。

*解説

ここには、声聞・縁覚(辟支仏)・菩薩という重要な言葉がでてきます。

古代インドでは、心の声、神の声、悪魔の声を聞く者のことを声聞といいましたが、仏教では師の声を聞く者を声聞と呼びました。釈尊在世の頃は、師は釈尊ですから、釈尊の声を聞く者が声聞でした。出家と在家の区別はありませんでしたから、仏弟子は全員声聞でした。釈尊が亡くなられてからは、次第に意味合いが変わっていき、出家の修行僧のことをさすようになりました。師の声を聞く者のことであり、それは口伝された釈尊の言葉を聞く者という意味合いがあります。

仏弟子であれば、全員が声聞でしたが、修行が進むと独りで山に入り、人里離れた場所で修行をする者たちがいました。それを独覚といいます。声聞の次の修行段階です。声聞を出家修行の意味として使いだしてからは、在家→声聞→縁覚(独覚)という修行の段階が示されました。

釈尊が亡くなられてから、声聞たちは、釈尊を神格化するようになり、とても自分たちが釈尊のような境地には成れないとして、成仏よりも低い境地の聖者の位を目指すようになりました。聖者とは煩悩を滅した境地であり、その境地を解脱といい、解脱を果たした者を阿羅漢(あらかん)と呼びます。初期仏教では、解脱と成仏、阿羅漢と仏とは同じ意味でしたが、どんどん意味合いが変わったようです。

大乗仏教が始まると、大乗仏教のリーダーたちは自らを菩薩と呼ぶようになりました。菩薩とは菩提(成仏)を求める者のことです。もともとは、成道前の釈尊のことをいいましたが、大乗仏教は成仏を目指しますので菩薩と自称しました。釈尊はみんなに成仏を勧めたのですから、それにしたがったのです。声聞たちが解脱を求め、成仏を目指さないことへの批判精神も入っていたようです。

> 声聞を求むる者の為には応ぜる四諦の法を説いて、
> 生老病死を度し涅槃を究竟せしめ…

声聞を求める者とは、出家して解脱を求める人たちのことです。世間の生活は苦に満ちていることを明かし、その原因が我執であり、我執から離れれば解脱すると説きました。その解脱の道が八正道です。

四諦・八正道は在家への教えではなく、出家者への教えです。在家に世間は苦であることを説けば、絶望してしまいます。執着は苦の母であることは説きますが、在家を怖がらせるような教えを仏教では説きません。もし、相手が出家することが可能ならば、四諦に近いことを説き、出家に導きましたが、家族を支えている者には四諦・八正道は説かなかったようです。このように相手に相応しく釈尊は教えを説いたのです。

> 辟支仏を求むる者の為には応ぜる十二因縁の法を説き

辟支仏とは、独覚・縁覚のことです。我執から離れるために世間を捨てて出家し、僧伽という出家者の共同体に入った声聞は、さらに我執から離れるために独りになって修行をしました。何も持たず、ジャングルの奥地に入って、虎や毒蛇と共に生活するのです。十二因縁に根本にあるのが無明であり、無明は分別することによって苦へと結ばれます。分別から離れる行として、大自然に身を投じたわけです。この行は死を覚悟した者にしか出来ませんから、声聞でもかなり修行が進んだ者だけが選べます。

> 諸の菩薩の為には応ぜる六波羅蜜を説いて、
> 阿耨多羅三藐三菩提を得、一切種智を成ぜしめたもう。

菩薩は在家中心です。多くの人々と触れ合いながら、共に成仏を目指します。在家の最も大きな行は布施です。布施とは、自分のものを他に与え、分かち合う行です。布施によって我執から離れようとするのです。布施をはじめとする行が六波羅蜜ですから、菩薩には六波羅蜜を説きました。

仏は、声聞を求める者には四諦・八正道を説き、縁覚を求める者には十二因縁を説き、菩薩を求める者には六波羅蜜を説かれました。これは、勉強が好きな子には塾に行かせ、運動の好きな子には部活をさせるようなものです。子どもの興味のあること、性格に合っていること、出来そうなことでなければ、長続きはしません。相手に相応しく道を説いたということです。

●序品-56 「同道」     2014/11/1(土) 午後 5:06

●妙法蓮華経序品第一 #56

第二 別序

5. 答問序

(1) 長行  3) 曾って見を広答する 中間二万仏の同道

*真読

次復有仏。亦名日月燈明。次復有仏。亦名日月燈明。如是二万仏。皆同一字。号日月燈明。又同一姓。姓頗羅堕。

弥勒当知。初仏後仏。皆同一字。名日月燈明。十号具足。所可説法。初中後善。

*訓読

次にまた仏います、また日月燈明と名く。次にまた仏います。また日月燈明と名く。是の如く二万仏、皆同じく一字にして日月燈明と号(なづ)く。また同じく一姓にして頗羅堕(はらだ)を姓とせり。

弥勒当に知るべし。初仏・後仏、皆同じく一字にして日月燈明と名け、十号具足したまえり。説きたもう所の法、初・中・後善なり。

*現代語訳

その日月燈明如来が滅度した後、次にまた仏さまが現われました。名前は、同じく日月燈明如来といいました。その日月燈明如来が滅度した後、その次にもまた仏さまが現われました。名前は、また同じく日月燈明如来といいました。このように次々と多くの仏さまが代わる代わる現れ、皆、名前は、同じく日月燈明如来といいました。姓も同じく頗羅堕(はらだ)といいました。

マイトレーヤよ、このことをしっかりと知っておいてください。最初の仏さまも、最後の仏さまも、皆、同じく日月燈明如来といい、仏さまだけが持つという十の徳を具えられていました。お説きになられた教えは、最初も、中間も、最後もすべて正しい教えでした。

●序品-57 「八王子」     2014/11/1(土) 午後 5:28

●妙法蓮華経序品第一 #57

第二 別序

5. 答問序

(1) 長行  3) 曾って見を広答する 最後一仏の同道

*真読

其最後仏。未出家時。有八王子。一名有意。二名善意。三名無量意。四名宝意。五名増意。六名除疑意。七名響意。八名法意。

是八王子。威徳自在。各領四天下。是諸王子。聞父出家。得阿耨多羅三藐三菩提。悉捨王位。亦随出家。発大乗意。常修梵行。皆為法師。已於千万仏所。植諸善本。

*訓読

その最後の仏、未だ出家したまわざりし時、八王子あり。一を有意(うい)と名け、二を善意(ぜんに)と名け、三を無量意(むりょうい)と名け、四を宝意(ほうい)と名け、五を増意(ぞうい)と名け、六を除疑意(じょぎい)と名け、七を響意(こうい)と名け、八を法意(ほうい)と名く。

この八王子、威徳自在にして各四天下を領す。この諸の王子、父出家して阿耨多羅三藐三菩提を得たもうと聞いて、悉く王位を捨て、また随い出家して、大乗の意を発し、常に梵行を修して、皆、法師と為れり。すでに千万の仏も所に於て諸の善本を植えたり。

*現代語訳

その最後の日月燈明如来が出家する前に、八人の王子がいました。王子たちの名前は、有意(うい)、善意(ぜんに)、無量意(むりょうい)、宝意(ほうい)、増意(ぞうい)、除疑意(じょぎい)、響意(こうい)、法意(ほうい)といいました。

この八人の王子は、厳かで徳が高く、自在であり、それぞれが四方の領地を治めていました。この王子たちは、父が出家し、無上の悟りを得たことを聞いて全員が王位を継承せず、父に従って出家し、悟りを求める心を起こして、常に仏道修行を修めて、皆、教えを説く者となりました。すでに多くの諸仏に従い、多くの善行をなしていたのです。

●序品-58 「未曽有」     2014/11/1(土) 午後 5:40

●妙法蓮華経序品第一 #58

第二 別序

5. 答問序

(1) 長行  3) 曾って見を広答する 最後一仏の同道

*真読

是時。日月燈明仏。説大乗経。名無量義。教菩薩法。仏所護念。説是経已。即於大衆中。結跏趺坐。入於無量義処三昧。身心不動。

是時天雨。曼陀羅華。摩訶曼陀羅華。曼殊沙華。摩訶曼殊沙華。而散仏上。及諸大衆。普仏世界。六種震動。

爾時。会中。比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。天。龍。夜叉。乾闥婆。阿修羅。迦楼羅。緊那羅。摩侯羅伽。人非人。及諸小王。転輪聖王等。是諸大衆。得未曽有。歓喜合掌。一心観仏。

*訓読

この時に日月燈明仏、大乗経の無量義・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもう。この経を説きおわって、即ち大衆の中に於て結跏趺坐し、無量義処三昧に入って身心動じたまわず。

この時に天より曼陀羅華(まんだらけ)・摩訶曼陀羅華(まかまんだらけ)・曼殊沙華(まんじゅしゃけ)・摩訶曼殊沙華(まかまんじゅしゃけ)を雨らして、仏の上(みうえ)及び諸の大衆に散じ、普仏(ふぶつ)世界六種に震動す。

その時に会中の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩侯羅伽・人・非人及び諸の小王・転輪聖王等、この諸の大衆未曽有なることを得て、歓喜し合掌して一心に仏を観たてまつる。

*現代語訳

この時に、日月燈明仏は、大乗経の無量義という教えを説かれました。その教えは、菩薩への教えであり、諸仏が大切に護っている教えです。この教えを説き終えられると、仏さまは、大衆の前で姿勢を調えてお坐りになり、瞑想に入られ、無量義の教えを深く噛みしめられました。瞑想に入られた仏さまは、身も心も動じることがありませんでした。

この時、天から非常に美しい花が大量に降ってきて、仏さまと大衆の上に舞い降りてきました。そして、仏さまの世界は震動しました。

その時に、会座の男女の出家修行者、男女の在家修行者、天上界の神々、ナーガ、ヤクシャ、ガンバルヴァ、アスラ、ガルダ、キンナラ、マホーラガ、人と人でない者、王族の人々は、この様々な不思議な出来事を見て、喜び、合掌して、一心に仏を見ました。

●序品-59 「妙法蓮華の教え」     2014/11/1(土) 午後 6:10

●妙法蓮華経序品第一 #59

第二 別序

5. 答問序

(1) 長行  3) 曾って見を広答する 最後一仏の同道

*真読

爾時。如来。放眉間白毫相光。照東方万八千仏土。靡不周遍。如今所見。是諸仏土。弥勒当知。

爾時。会中。有二十億菩薩。楽欲聴法。是諸菩薩。見此光明。普照仏土。得未曽有。欲知此光。所為因縁。

時有菩薩。名曰妙光。有八百弟子。是時。日月燈明仏。従三昧起。因妙光菩薩。説大乗経。名妙法蓮華。教菩薩法。仏所護念。六十小劫。不起于座。時会聴者。亦坐一処。六十小劫。身心不動。聴仏所説。謂如食頃。是時衆中。無有一人。若身若心。而生懈倦。

*訓読

その時に如来、眉間白毫相の光を放って、東方万八千の仏土を照したもうに、周遍(しゅうへん)せざることなし。今見る所のこの諸の仏土の如し。弥勒当に知るべし。

その時に会中に二十億の菩薩あって、法を聴かんと楽欲(ぎょうよく)す。この諸の菩薩、此の光明普く仏土を照すを見て、未曽有なることを得て、此の光の所為因縁を知らんと欲す。

時に菩薩あり、名を妙光という。八百の弟子あり。この時に日月燈明仏、三昧より起って、妙光菩薩に因せて大乗経の妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもう。六十小劫座を起ちたまわず。時の会の聴者もまた一処に坐して、六十小劫身心動せず。仏の所説を聴くこと、食頃(じききょう)の如しと謂えり。この時に衆中に、一人のもしは身、もしは心に懈倦(けげん)を生ずるあることなかりき。

*現代語訳

その時に如来は、眉間の白毫相から光を放って過去世界のたくさんの仏国土を照らし出されました。その光は、広く隅々まで行きわたりました。今、ここで起こっていることと同様のことが、過去においても起こっていたのです。マイトレーヤよ。このことをよく知っておいてください。

その時に、会座には多くの菩薩たちがいて、教えを頂きたいと願いました。この菩薩たちは、仏さまが光をだして過去世界を照らすという稀な出来事を体験し、仏さまが光を出されている理由を知りたいと願いました。

この時に一人の菩薩がいました。名前を妙光といい、八百人の弟子を持っていました。この時に、日月燈明仏は、瞑想から醒めて立ち上がられ、妙光菩薩に対して、大乗経の妙法蓮華の教えを説かれました。この教えは、菩薩への教えであり、諸仏が大事に護っている教えです。非常に長い時間をかけて教えを説かれましたが、その間、仏さまは会座から離れることはありませんでした。会座の大衆も、その間、その場を離れず、身も心も動じることがありませんでした。ところが、仏さまの説法の時間は、一回の食事時間くらいにしか感じられませんでした。この時、会座の人々は、誰一人として飽きて怠ける者はいませんでした。

*解説

文殊菩薩が言うには、遠い昔、日月燈明仏は多くの不思議な出来事を起こした後、妙法蓮華の教えを説いたというのです。

●序品-60 「入滅」     2014/11/1(土) 午後 6:32

●妙法蓮華経序品第一 #60

第二 別序

5. 答問序

(1) 長行  3) 曾って見を広答する 最後一仏の同道

*真読

日月燈明仏。於六十小劫。説是経已。即於梵魔。沙門。婆羅門。及天人。阿修羅衆中。而宣此言。如来於今日中夜。当入。無余涅槃。

時有菩薩。名曰徳蔵。日月燈明仏。即授其記。告諸比丘。
是徳蔵菩薩。次当作仏。号曰浄身。多陀阿伽度。阿羅訶。三藐三仏陀。

仏授記已。便於中夜。入無余涅槃。仏滅度後。妙光菩薩。持妙法蓮華経。満八十小劫。為人演説。日月燈明仏八子。皆師妙光。妙光教化。令其堅固。阿耨多羅三藐三菩提。是諸王子。供養無量。百千万億仏已。皆成仏道。

*訓読

日月燈明仏、六十小劫に於て この経を説きおわって、即ち梵・魔・沙門・婆羅門 及び天・人・阿修羅衆の中に於て、この言(みこと)を宣べたまわく。『如来、今日の中夜に於いて、当に無余涅槃に入るべし』

時に菩薩あり、名を徳蔵という。日月燈明仏即ちそれに記を授け、諸の比丘に告げたまわく。
『この徳蔵菩薩、次に当に作仏すべし。号を浄身多陀阿伽度(じょうしんただあかど)・阿羅訶(あらか)・三藐三仏陀(さんみゃくさんぶっだ)といわん』

仏、授記しおわって、すなわち中夜に於て無余涅槃(むよねはん)に入りたもう。仏の滅度の後、妙光菩薩、妙法蓮華経を持ち、八十小劫を満てて人の為に演説す。日月燈明仏の八子、皆、妙光を師とす。妙光教化して、それをして阿耨多羅三藐三菩提に堅固ならしむ。この諸の王子、無量百千万億の仏を供養しおわって、皆、仏道を成ず。

*現代語訳

日月燈明仏は、長い時間をかけて、この教えを説き終わって、神々や魔神、出家者、バラモン教の司祭たち、及び、天上界の神々や地上界の地上界の人々、阿修羅などの人間以外の者たちの中で、このように発表されました。『如来は、今日の夜半に入滅いたします』

この時に一人の菩薩がいました。名前を徳蔵といいました。日月燈明仏は、徳蔵菩薩に未来の成仏を予言し、出家の修行者たちに告げました。

『この徳蔵菩薩は、未来において成仏します。名前は、浄身如来といいます。供養を受けるのに相応しい聖者、最上の聖者と呼ばれます』

仏さまは、成仏の予言を授けた後、その日の夜半に入滅されました。仏さまの入滅の後、妙光菩薩は妙法蓮華経を大切に護り、長期にわたって人々に説法しました。日月燈明仏の八人の子供たちは、皆、妙光菩薩を師としました。妙光菩薩は、王子たちを教化しましたので無上の悟りをしっかりと得ることができました。この王子たちは、多くの仏を供養し終わって、皆、成仏することができました。

●序品-61 「然燈」     2014/11/1(土) 午後 7:00

●妙法蓮華経序品第一 #61

第二 別序

5. 答問序

(1) 長行  3) 曾って見を広答する 最後一仏の同道

*真読

其最後成仏者。名曰然燈。八百弟子。中有一人。号曰求名。貪著利養。雖復読誦衆経。而不通利。多所忘失。故号求名。是人亦以。種諸善根。因縁故。得値無量。百千万億諸仏。供養恭敬。尊重讃歎。

弥勒。当知。爾時妙光菩薩。豈異人乎。我身是也。求名菩薩。汝身是也。今見此瑞。与本無異。是故惟忖。今日如来。当説大乗経。名妙法蓮華。教菩薩法。仏所護念。

*訓読

その最後に成仏したもう者、名を然燈(ねんとう)という。八百の弟子の中に一人あり、号を求名(ぐみょう)という。利養に貧著せり。また衆経を読誦すといえども、しかも通利せず、忘失する所多し。故に求名と号く。この人また諸の善根を種えたる因縁を以ての故に、無量百千万億の諸仏に値いたてまつることを得て、供養・恭敬・尊重・讃歎せり。

弥勒、当に知るべし。その時の妙光菩薩は豈(あ)に異人(ことひと)ならんや、我が身これ也。求名菩薩は汝が身これなり。今、此の瑞を見るに本と異ることなし。この故に惟忖(ゆいじゅん)するに、今日の如来も当に大乗経の妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもうべし」

*現代語訳

王子たちの中で最後に成仏した者の名を然燈といいました。八百人の弟子がおり、その中の一人の名を求名と言いました。利己的な性格で、欲望に執着していました。様々な教えを読んでも、教えを理解せず、忘れてしまうことが多々ありました。なので、求名という名がありました。しかし、この求名も様々な善行をなしましたので、その因縁によって、多くの諸仏に仕え、供養し、敬い、尊び、讃歎しました。

マイトレーヤよ、よくお聞き下さい。その時の妙光菩薩は実は私でした。そして、求名菩薩は過去世のあなたでした。今、この不思議な出来事を見れば、過去の出来事と同じです。このことから考えれば、今日の世尊も、大乗経の妙法蓮華経を説かれるに違いありません」

*解説

ここに然燈仏が登場します。然燈仏は、サンスクリット語のディーパンカラ "Dipankara" の訳です。遠い過去において、釈尊に授記をした仏として有名です。法華経では、『如来寿量品第十六』でもう一度名前が出てきます。

●序品-62 「偈頌」     2014/11/2(日) 午後 0:39

●妙法蓮華経序品第一 #62

第二 別序

5. 答問序

(2) 偈頌  1) 曾って見を広答する 〆能薜貶の同道

*真読

爾時。文殊師利。於大衆中。欲重宣此義。而説偈言。

 我念過去世 
 無量無数劫
 有仏人中尊 
 号日月燈明
 世尊演説法 
 度無量衆生
 無数億菩薩 
 令入仏智慧

*訓読

その時に文殊師利、大衆の中に於て重ねてこの義を宣べんと欲して偈を説いて言わく。

「我過去世の 
 無量無数劫を念うに
 仏人中尊有(いま)しき
 日月燈明となづく
 世尊法を演説し 
 無量の衆生
 無数億の菩薩を度して 
 仏の智慧に入らしめたもう

*現代語訳

その時にマンジュシリー菩薩は、大衆の中でこれまで話したことを、もう一度詩にして説いて言いました。

 私が 過去世の
 はるか昔のことを想い起こせば
 人々の中で最も尊い方である
 仏さまがおられました。
 名前を日月燈明仏といいました。
 世尊は教えを説かれ
 多くの人々と菩薩たちを悟りへと導き
 最高の智慧を得させました。

●序品-63 「無量義」     2014/11/2(日) 午後 0:49

●妙法蓮華経序品第一 #63

第二 別序

5. 答問序

(2) 偈頌  1) 曾って見を広答する ∈埜絨貶の同道

*真読

 仏未出家時 
 所生八王子
 見大聖出家 
 亦随修梵行

 時仏説大乗 
 経名無量義
 於諸大衆中 
 而為広分別
 仏説此経已 
 即於法座上
 跏趺坐三昧 
 名無量義処

*訓読

 仏 未だ出家したまわざりし時の 
 所生の八王子
 大聖の出家を見て 
 また随って梵行を修す

 時に仏 
 大乗経の無量義と名くるを説いて
 諸の大衆の中に於て 
 為に広く分別したもう
 仏 この経を説きおわり 
 即ち法座の上に於て
 跏趺(かふ)して三昧に坐したもう 
 無量義処と名く

*現代語訳

 仏さまが まだ出家する前に
 生まれていた八人の王子たちは
 父である大聖者が出家されたのを見て
 自分たちも父について出家し
 清らかな修行の道に入りました。

 ある時 仏さまは
 大乗の無量義の教えを説かれました。
 仏さまは 多くの人々の中で
 それぞれの機根に合わせて
 教えを分かりやすく説かれました。
 仏さまは この教えを説き終えられると
 法座にお坐りになったままで
 姿勢を調えられて
 無量義処という瞑想に入られました。

●序品-64 「希有の事」     2014/11/2(日) 午後 1:35

●妙法蓮華経序品第一 #64

第二 別序

5. 答問序

(2) 偈頌  1) 曾って見を広答する ∈埜絨貶の同道

*真読

 天雨曼陀華 
 天鼓自然鳴
 諸天龍鬼神 
 供養人中尊
 一切諸仏土 
 即時大震動
 仏放眉間光 
 現諸希有事

 此光照東方 
 万八千仏土
 示一切衆生 
 生死業報処
 有見諸仏土 
 以衆宝荘厳
 瑠璃頗黎色 
 斯由仏光照
 及見諸天人 
 龍神夜叉衆
 乾闥緊那羅 
 各供養其仏

 又見諸如来 
 自然成仏道
 身色如金山 
 端厳甚微妙
 如浄瑠璃中 
 内現真金像
 世尊在大衆 
 敷演深法義
 一一諸仏土 
 声聞衆無数
 因仏光所照 
 悉見彼大衆

*訓読

 天より曼陀華(まんだけ)をふらし 
 天鼓自然に鳴り
 諸の天・龍・鬼神 
 人中尊を供養す
 一切の諸の仏土 
 即時に大いに震動し
 仏眉間の光を放ち 
 諸の希有の事を現じたもう

 此の光東方 万八千の仏土を照して
 一切衆生の
 生死の業報処を示したもう
 諸の仏土の 
 衆宝を以て荘厳(しょうごん)し
 瑠璃(るり)・頗黎(はり)の
 色なるを見ることあり 
 これ仏の光の照したもうによる
 及び諸の天・人・龍神・夜叉衆
 乾闥・緊那羅 
 各その仏を供養するを見る

 また 諸の如来の 
 自然に仏道を成じて
 身の色金山の如く
 端厳にして甚だ微妙なること
 浄瑠璃の中
 内に真金の像を
 現ずるが如くなるを見る
 世尊大衆に在して
 深法の義を敷演したもう
 一一の諸の仏土
 声聞衆無数なり
 仏の光の所照に因って
 悉く彼の大衆を見る

*現代語訳

 天から珍しい花がふりそそぎ
 天の太鼓が自然に鳴り響き
 天上界の神々・龍・鬼神が
 仏さまを供養しました。
 仏さまの世界は震動し
 仏さまは 眉間から光を放って
 様々な不思議な出来事を表わしました。

 この光は 過去の世界を照らし出し
 一切の人々が 行為の報いによって
 転生している世界を示しました。
 その仏の世界は、
 様々な宝石で厳かに飾られており
 ルリやハリのように輝いていました。
 それは 仏さまの光が
 照らし出したことによります。
 天上界の神々と地上界の人々
 龍神や夜叉たちのそれぞれが
 仏さまを供養するのを見ました。

 また 多くの如来が
 自然に仏道を成じて
 お身体の色は金色の山の様であり
 お姿が整っていて威厳があり
 甚だ趣深く繊細であることは
 譬えれば 清いルリの石の中
 内側に純金の像を現わされるのに似ています。
 世尊は 大衆の中にあって
 非常に奥深い教えを説かれました。
 一つ一つの仏土は
 声聞衆が数多くいました。
 仏さまの光によって照らされることによって
 ことごとく彼の大衆を見ました。

●序品-65 「六波羅蜜」     2014/11/2(日) 午後 1:47

●妙法蓮華経序品第一 #65

第二 別序

5. 答問序

(2) 偈頌  1) 曾って見を広答する ∈埜絨貶の同道

*真読

 或有諸比丘 
 在於山林中
 精進持浄戒 
 猶如護明珠

 又見諸菩薩 
 行施忍辱等
 其数如恒沙 
 斯由仏光照

 又見諸菩薩 
 深入諸禅定
 身心寂不動 
 以求無上道

 又見諸菩薩 
 知法寂滅相
 各於其国土 
 説法求仏道

*訓読

 或は 諸の比丘の
 山林の中に在って
 精進し浄戒を持つこと
 なお明珠を護るが如くなるあり

 また 諸の菩薩の
 施・忍辱等を行ずること
 その数 恒沙の如くなるを見る 
 これ仏の光の照したもうに由る

 また 諸の菩薩の
 深く諸の禅定に入って
 身心寂かに動せずして
 以て無上道を求むるを見る

 また 諸の菩薩の
 法の寂滅の相を知って
 各その国土に於て
 法を説いて仏道を求むるを見る

*現代語訳

 あるいは 多くの比丘たちが
 山林の中にあって
 精進し、持戒することは
 まるで美しい真珠を
 傷を付けぬように
 真剣に護る事に似ています。

 また 多くの菩薩たちが
 布施や忍辱などの修行をすること
 その数が非常に
 多数であることを見ました。
 これは仏さまの光が
 照らし出されたことによります。

 また 多くの菩薩たちが
 深く様々な禅定に入って
 心身を落ち着かせ乱さず
 それによって無上道を
 求めるのを見ました。

 また 多くの菩薩たちが
 事物・現象の因縁を
 断った境地を知って
 それぞれが その世界において
 教えを説いて
 仏道を求めるのを見ました。

●序品-66 「何の因縁か?」     2014/11/2(日) 午後 1:59

●妙法蓮華経序品第一 #66

第二 別序

5. 答問序

(2) 偈頌  1) 曾って見を広答する ∈埜絨貶の同道

*真読

 爾時四部衆 
 見日月燈仏
 現大神通力 
 其心皆歓喜
 各各自相問 

 是事何因縁

 天人所奉尊 
 適従三昧起
 讃妙光菩薩
 
 汝為世間眼
 一切所帰信 
 能奉持法蔵
 如我所説法 
 唯汝能証知

 世尊既讃歎 
 令妙光歓喜
 説是法華経 
 満六十小劫
 不起於此座 
 所説上妙法
 是妙光法師 
 悉皆能受持

*訓読

 その時に四部の衆 
 日月燈仏の
 大神通力を現じたもうを見て 
 その心 皆歓喜して 
 各各に自ら相問わく 

 『この事何の因縁ぞ』

 天・人所奉の尊
 適(はじ)めて三昧より起ち
 妙光菩薩を讃めたまわく
 
 『汝は為れ世間の眼
 一切に帰信せられて 
 よく法蔵を奉持す
 我が所説の法の如き
 ただ汝のみよく証知せり』

 世尊 既に讃歎し
 妙光をして歓喜せしめて
 この法華経を説きたもう 
 六十小劫を満てて
 この座を起ちたまわず 
 説きたもう所の
 上妙の法
 この妙光法師 
 悉く皆よく受持す

*現代語訳

 その時に 男女の出家者・在家者たちは
 日月燈明仏が大神通力を現わしたのを見て
 その心 皆大いに歓喜して
 各人がお互いに質問をしあいました。

 『この出来ごとは何の因縁でしょう?』

 天上界の神々と地上界の人々に
 供養された仏さまは
 ちょうどその時に三昧より起って
 妙光菩薩を誉め称えました。

 『あなたは世間の眼です。
 一切の衆生に信じられ
 よく仏の教えを護っています。
 私の説く教えの真実は
 ただ あなたのみがよく理解しています』

 仏さまは 妙光菩薩を讃歎し
 妙光菩薩を大いに喜ばせました。
 そして その後に法華経をお説きになりました。
 非常に長い時間をかけて
 法華経をお説きになられましたが
 その間 一度たりとも
 座から離れることはありませんでした。
 仏さまの説かれた最高の教えを
 妙光菩薩はことごとく受持しました。

●序品-67 「諸法実相」     2014/11/2(日) 午後 2:49

●妙法蓮華経序品第一 #67

第二 別序

5. 答問序

(2) 偈頌  1) 曾って見を広答する ∈埜絨貶の同道

*真読

 仏説是法華 
 令衆歓喜已
 尋即於是日 
 告於天人衆

 諸法実相義 
 已為汝等説
 我今於中夜 
 当入於涅槃
 汝一心精進 
 当離於放逸
 諸仏甚難値 
 億劫時一遇

 世尊諸子等 
 聞仏入涅槃
 各各懐悲悩 

 仏滅一何速

 聖主法之王 
 安慰無量衆

 我若滅度時 
 汝等勿憂怖
 是徳蔵菩薩 
 於無漏実相
 心已得通達 
 其次当作仏
 号曰為浄身 
 亦度無量衆

*訓読

 仏この法華を説き
 衆をして歓喜せしめおわって
 尋いで即ちこの日に於て
 天・人衆に告げたまわく

『諸法実相の義
 すでに汝等が為に説きつ
 我 今 中夜に於て
 当に涅槃に入るべし
 汝一心に精進し
 当に放逸を離るべし
 諸仏には甚だ値いたてまつり難し 
 億劫に時に一たび遇いたてまつる』

 世尊の諸子等
 仏 涅槃に入りたまわんと聞いて
 各各に悲悩を懐く

『仏滅したもうこと一と何ぞ速かなる』

 聖主 法の王
 無量の衆を
 安慰(あんに)したまわく

『我もし滅度しなん時
 汝等憂怖すること勿れ
 この徳蔵菩薩 
 無漏実相に於て
 心すでに通達することを得たり 
 それ次に当に作仏すべし
 号をいって
 浄身と為(なづ)けん 
 また無量の衆を度せん』

*現代語訳

 仏さまは この法華経を説き
 多くの人々は 大いに歓喜しました。
 続いて その日の内に
 仏さまは 天の神々と地の人々に告げました。

『私は諸法実相の教えを
 すでに皆さんに説き明かしました。
 私は今夜 夜中に入滅します。
 皆さんは 一心に精進し
 怠ることのないように勤めて下さい。
 諸仏に会うことは 非常に難しいものです。
 数億万年に一度 会えるか否かです』

 仏さまの弟子たちは
 仏さまが入滅されることをを聞いて
 それぞれが悲しみを懐き
 口々に言い合いました。

『仏さまは 何故
 こんなにも速く入滅されるのでしょう』

 聖者の主であり
 法の王である仏さまは
 次の様に語って
 無量の人々を慰めました。

『私が滅度の時
 どうか悲しみ 苦しまないでください。
 この徳蔵菩薩は 迷いや煩悩がなく
 この世のあらゆる実相に
 心はすでに通じています。
 徳蔵菩薩は 私の次に仏となります。
 名を浄身といい
 無量の人々を救うことでしょう』

*解説

仏は法華経を説かれ、そのことを「私は諸法実相の教えをすでに皆さんに説き明かしました」と告げています。このことから、法華経とは諸法実相の教えだということが分かります。鳩摩羅什が、諸法実相と訳している言葉は、サンスクリット語の法華経では、「ダルマ・スヴァバーヴァ」"dharma-svabhaava" と書いてあります。この言葉を直訳すると「法の自性・本性」です。

諸法実相とは、諸々の存在の真実の姿かたちのことです。真実とは、あるがままのことですから、仏のみが観察できる事物です。この諸法実相は法華経の核となる思想ですから、方便品から徐々に明らかになっていく内容です。

●序品-68 「弥勒の因縁」     2014/11/2(日) 午後 4:20

●妙法蓮華経序品第一 #68

第二 別序

5. 答問序

(2) 偈頌  1) 曾って見を広答する ∈埜絨貶の同道

*真読

 仏此夜滅度 
 如薪尽火滅
 分布諸舎利 
 而起無量塔
 比丘比丘尼 
 其数如恒沙
 倍復加精進 
 以求無上道

 是妙光法師 
 奉持仏法蔵
 八十小劫中 
 広宣法華経
 是諸八王子 
 妙光所開化
 堅固無上道 
 当見無数仏
 供養諸仏已 
 随順行大道
 相継得成仏 
 転次而授記

 最後天中天 
 号曰燃燈仏
 諸仙之導師 
 度脱無量衆

 是妙光法師 
 時有一弟子
 心常懐懈怠 
 貪著於名利
 求名利無厭 
 多遊族姓家
 棄捨所習誦 
 廃忘不通利
 以是因縁故 
 号之為求名

 亦行衆善業 
 得見無数仏
 供養於諸仏 
 随順行大道
 具六波羅蜜 
 今見釈師子
 其後当作仏 
 号名曰弥勒
 広度諸衆生 
 其数無有量
 彼仏滅度後 
 懈怠者汝是
 妙光法師者 
 今則我身是

*訓読

 仏 この夜滅度したもうこと 
 薪尽きて火のきゆるが如し
 諸の舎利を分布して 
 無量の塔を起つ
 比丘・比丘尼 
 その数恒沙の如し
 ますます また精進を加えて 
 以て無上道を求む

 この妙光法師
 仏の法蔵を奉持して
 八十小劫に中に
 広く法華経を宣ぶ
 この諸の八王子
 妙光に開化せられて
 無上道に堅固にして
 当に無数の仏を見たてまつるべし
 諸仏を供養しおわって
 随順して大道を行じ
 相継いで成仏することを得
 転次して授記す

 最後の天中天をば
 号を燃燈仏という
 諸仙の導師として
 無量の衆を度脱したもう

 この妙光法師
 時に一りの弟子あり
 心常に懈怠(けだい)を懐いて
 名利に貧著せり
 名利を求むるに厭(あ)くこと無くして 
 多く族姓の家に遊び
 習誦する所を棄捨し 
 廃忘して通利せず
 この因縁を以ての故に
 これを号けて求名となす

 また 衆の善業を行じ 
 無数の仏を見たてまつることを得
 諸仏を供養し 
 随順して大道を行じ
 六波羅蜜を具して
 今 釈師子を見たてまつる
 それ後に当に作仏すべし 
 号を名けて弥勒といわん
 広く諸の衆生を度すること
 その数 量有ることなけん
 彼の仏の滅度の後
 懈怠なりし者は汝これなり
 妙光法師は
 今 則ち我が身これなり

*現代語訳

 仏さまは その夜
 まるで薪の火が消えゆく様に
 静かに入滅されました。
 遺骨は分散され
 国中に数多くの塔が建てられました。
 比丘・比丘尼たちは増え
 よりいっそうの精進をされ
 一心に無上の道を求めました。

 この妙光法師は
 仏の数々の教えをしっかりと受持して
 非常に長い間 広く法華経を弘めました。
 日月燈明仏の八人の王子は
 妙光法師によって誤った思想を捨てて
 無上の悟りを求めるための修行に
 精進することを心に決めていましたので
 無数の諸仏の教えを
 理解することが出来ました。
 諸仏を供養し
 その教えに従って菩薩道を行じましたので
 八人の王子たちは
 次々と成仏することを得
 お互いに授記しあいました。

 最後に成仏した仏を
 燃燈仏といいます。
 多くの聖人の導師として
 多くの人々を救いました。

 この妙光法師には
 一人の弟子がいました。
 心には常に怠け心があり
 名誉や利益に執着していました。
 名誉や利益を求めるために
 いつも裕福な家を訪ねて遊び呆け
 学び習った教えはすぐに忘れ去り
 真実を悟ることはありませんでした。
 この因縁から
 彼は求名と呼ばれました。

 しかし、求名も徐々に善業を行じる様になり
 次第に仏の教えが分かる様になり
 遂には無量の仏の教えを
 理解できるまでになりました。
 諸仏を供養し
 その教えに従って菩薩道を行じ
 六波羅蜜を具えて
 その功徳から
 現在は釈迦牟尼如来の弟子となっています。
 そして釈迦牟尼如来の教えによって
 必ずや後世に成仏することでしょう。
 名をマイトレーヤといい多くの人々を救います。
 昔 日月燈明仏の滅度の後
 求名と呼ばれた者は
 実はあなたの前身です。
 そして、妙光法師とは
 今は、この私のことなのです。

*解説

文殊菩薩の話を要約すると次のような感じです。

○過去に日月燈明仏という如来が出る。
○日月燈明仏は滅し、その後再び日月燈明仏が出る。
○滅しては現れることを繰り返し、最後の日月燈明仏のとき、八人の子がいた。
○日月燈明仏は、無量義の教えを説いた後、さまざまな不思議な現象を現わす。
○その後、日月燈明仏は、妙光菩薩によせて法華経を説く。
○日月燈明仏は、涅槃に入る前に徳蔵に授記をする。
○日月燈明仏の滅後、妙光菩薩は日月燈明仏の八人の子達と衆生を教化し続ける。
○八人の子達は次々と成仏し、最後に成仏した者を然燈仏という。
○然燈仏の弟子の一人に求名がいた。
○求名は、最初は道を外していたが、次第に善業を行じ菩薩道を行じる。
○この求名とは弥勒菩薩であり、妙光菩薩は文殊菩薩である。

ここには、弥勒菩薩の前世が書かれています。弥勒菩薩が求名と呼ばれていた頃は、名声や利益を求め、お金持ちのところに行って遊び呆けていたけれど、教えの縁によって善業を行じるようになり、菩薩行を為し、その因縁によって今は釈迦牟尼仏に出会ったのだといいます。

名声や利益を求め、お金持ちのところに行って遊び呆けていたというのは、大乗仏教が起こった頃、実際に問題になっていた出家者たちの愚行のようです。なので、そのような出家者たちへの皮肉が入っているのでしょう。そのような道を誤った者でも善き縁に出会えれば軌道修正ができるということでしょう。

●序品-69 「求道心」     2014/11/2(日) 午後 4:47

●妙法蓮華経序品第一 #69

第二 別序

5. 答問序

(2) 偈頌  2) 分明に判じて答える

*真読

 我見燈明仏 
 本光瑞如此 
 以是知今仏 
 欲説法華経
 今相如本瑞 
 是諸仏方便
 今仏放光明 
 助発実相義
 諸人今当知 
 合掌一心待
 仏当雨法雨 
 充足求道者
 諸求三乗人 
 若有疑悔者
 仏当為除断 
 令尽無有余

*訓読

 我 燈明仏を見たてまつりしに
 本の光瑞此の如し
 これを以て知んぬ
 今の仏も 
 法華経を説かんと欲するならん
 今の相 本の瑞の如し
 これ諸仏の方便なり
 今の仏の光明を放ちたもうも
 実相の義を助発せんとなり
 諸人今当に知るべし
 合掌して一心に待ちたてまつれ
 仏当に法雨を雨らして
 道を求むる者に充足したもうべし
 諸の三乗を求むる人
 もし疑悔有らば
 仏当に為に除断して
 尽くして余りあること
 なからしめたもうべし」

*現代語訳

 このように私は
 過去に日月燈明仏による
 光明の奇跡を見たことがあります。
 そのことから推察すれば
 今の世尊も きっと法華経という
 重大な教えを説かれようと
 されているのでしょう。
 今のこの出来事は 過去の出来事と同じです。
 これは 諸仏の方便です。
 今 世尊が光明を放たれているのも
 実相の教えを学びたいという思いを
 奮い立たせるためです。
 皆さん。そのことをよく知ってください。
 合掌して 一心にお待ちなさい。
 世尊は 教えの雨を降らして
 仏道を求める者を満足させてくださいます。
 声聞・縁覚・菩薩の境地を求める人たちが
 もし疑問や不安を抱えていても
 世尊は 皆さんのために
 それらをすべて一掃して下さるでしょう。

*解説

仏が法華経を説く前に様々な不思議な出来事を現わしたのは、人々の求道心を高めるためだったということです。「合掌して一心に待ちたてまつれ」と文殊菩薩がいうように、これから始まる法華経の説法を求める心を高めることが必要です。

以上で『妙法蓮華経序品第一』は終わります。

 

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