蓮の道 法華経 (2010) 

2019.7.11

●01 法華経・・・成立の背景-1     2010/12/18(土) 午後 9:42

○法華経の背景

お釈迦さまは、紀元前500年くらいに北インドで活躍されましたが、
法華経が成立したのは、紀元50年くらいだと言われています。
つまり、法華経は他の大乗経典と同様にお釈迦さまが亡くなられて
500年以上経ってから成立しました。

その成立の背景には、次の3つがあります。
 
 ‖臂菠教の発展 
 ∈絞明こ
 B晶ゞ気留洞

●大乗仏教の発展

仏教教団は、教えの解釈の違いなどによって多くの宗派があります。
まず、お釈迦さまの滅後、約100年に戒律の解釈の違いから、
保守的な上座部と進歩的な大衆部の2つに分かれました。

その後、大衆部は廃れていきましたが、
上座部の中では、さらに分派が起こり、中でも説一切有部が伸びました。
お釈迦さまより、直接説法を聞き修業した僧たちを「声聞」と呼びましたが、
お釈迦さまの滅後、お釈迦さまの教えを第一にし、学習・研究した人々も声聞と呼び続けました。
説一切有部(有部)は声聞の大きな団体だったわけです。

有部の人々は、お釈迦さまの教えを学問的に研究した結果、
仏教を複雑化し、しかも「すべてが有る」と結論付けた学派です。
お釈迦さまの説く教えの核は、「実体はない」という「無我の教え」ですので、
有部の学派は、お釈迦さまの教えに対立したことになります。

有部の教えに異議をとなえたのが大乗の人々でした。
お釈迦さまは無我を教えたが、それは万物に共通する真理であって、
有部の説く「有」は間違えた解釈だとしました。
そこで、「一切に実体はない」という意味の「空」という言葉を駆使して、
有部の教えを否定しました。
その代表的な経典が「般若経」です。
般若経は、有部の教えを完全否定するために、
全編にわたって否定文が多く、空が中心に説かれています。

有部の教えを批判し、お釈迦さまの教えに帰れ!
という運動が大乗仏教を興したのですが、
大乗仏教が興った理由にはもう一つの運動が有ります。

声聞(上座部)とは出家した仏教徒たちでした。
出家した声聞衆は、学問、戒律、瞑想によって悟りを得ようとする者達ですが、
在家の仏教徒は、そんな出家修行者に対する布施が第一の修行とされました。
つまり、托鉢に対して、食事を布施することです。

しかし、在家仏教徒の中に、
「布施とは単に托鉢に応じるだけでなく、困った人を手助けすることにある。」
という思想が始まりました。
この利他という布施の思想は発展し、自分の救われだけでなく他者と共に救われることが理想だとして、
徐々に大乗の部派が出てきました。
つまり、大乗は在家が中心となって起こった新興宗教です。

大乗とは、大きな乗り物ということで、
多くの人々と共に救われることを望む部派のことです。
自分たちの立場を大乗とした部派の人々は、
自分のみの救われを目標とする説一切有部をはじめとする
上座部の部派を小乗と呼び軽蔑しました。
小乗仏教徒は、成仏できないとさえ言われました。

小乗を否定し、大乗を肯定する大乗仏教思想は発展し、
小乗は、大乗へと人々を導くための方便の教えであった、という思想が生まれました。
そして、小乗仏教徒だって、成仏出来るのだとしたのです。
これを「一乗妙法」と言い、その思想は、妙法蓮華経に説かれています。

合掌

●02 法華経・・・成立の背景-2     2010/12/18(土) 午後 11:52

○差別世界

紀元前1500年頃、インドの地にアーリア人というヨーロッパ系の民族が侵入し、
先住民を征服しました。
アーリア人が、自分たちの宗教に先住民の宗教を加えて成立させたのがバラモン教で、
現在のインドの国民宗教であるヒンドゥー教の前身です。

バラモン教の大きな特徴にカーストという身分制度があり、
カーストには、ヴァルナという四姓制度とジャーティという共同体の単位があります。

ヴァルナとは、バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、スードラという四姓制度のことで、
バラモンが上位、スードラが下位になります。
バラモンは僧侶のこと、クシャトリアは武士のこと、ヴァイシャは平民のこと、
スードラは奴隷のことです。
ヴァルナは血筋であり、基本的には親から子へとその身分が引き継がれます。

ヴァルナはバラモン社会の大枠ですが、ジャーティは細かい職業や内婚集団の区分で、
「壺つくりのジャーティ」、「清掃のジャーティ」、「羊飼いのジャーティ」というように、
その数はインド全体で2,000とも3,000ともいわれています。

スードラ(奴隷)は先住民族であり、スードラはバラモンの影に触れることも許されません。
一生虐げられ、しかも子供にも同じ運命が引き継がれます。
日本の昔の身分制度に士農工商があり、その枠外にエタ・非人がありましたが、
ヴァルナの枠内にもアチュート(パーリヤ)という不可触民(アンタッチャブル)の人々がいます。
アチュートは人々に忌み嫌われ、軽蔑され 罵られました。

スードラ、アチュートの子として生まれたら、死ぬまでその身分のままです。
しかし、現在の人生の生き方の結果によって、次の生では高いカーストになれるとし、
現在のカーストは、過去の生き方の結果なので、そのことをしっかりと受け入れて今を生きなさい、
というバラモン教の教えである「輪廻転生」によって、人々を指導しました。
誠に勝手な教義の様にも思えます。
人間が勝手に決めたカースト制度を、まるで神の決めたルールの様に教え、
そのカーストを決定するのは、自分の業だとしたのですから。
信心深い人々は、自分の行いを正し、次の転生に期待して生きたわけです。

「人に差別はない」、と唱えたのが釈尊です。
身分制度による差別だけでなく、男女にも差別はないとしています。
仏教教団には、カーストに関わらずに入団出来、しかも入団後の上下関係には、
元のカーストによる影響はありませんでした。
入団後は、先輩と後輩という差しかなく、入団前にスードラでも、
元クシャトリアよりも先に入団すれば、入団後は上座になりました。

極端な例では、アングリマーラという殺人鬼でさえ弟子となったのですから、
仏教教団の寛容さが分かります。

法華経を読む時、差別という時代背景を念頭に置く必要があります。

合掌

●03 法華経・・・成立の背景-3     2010/12/19(日) 午前 0:05

○他宗教の影響

アジアの人々は、古い文化に新しい文化を融合させて、
さらに新しい文化を生み出すことが得意の様です。
日本において、古代神道と仏教を融合させた神仏習合の風習があった様に、
インドでも、土着の宗教+アーリア人の宗教=バラモン教、
仏教+ヒンドゥー教=密教、ヒンドゥー教+イスラム教=シーク教という風に融合の文化があります。
おそらく、土着の信仰の基盤に多神教の考えがあるからなのだと思います。

仏教と言えば上座部、と言われていた一世紀の頃、新興宗教として起こった大乗仏教が、
龍樹菩薩の「空の理論」を武器に上座部と対立しました。
最初は、上座部の「有」の理論を否定する「空」の理論で大乗の優位さを証明していたのですが、
大衆の求めているものは単純明快な信仰であるため、もっと人々のニーズに応じた教えが必要となり、
創作されたのが法華経です。

法華経作者は、理論中心の経典ではなく、信心中心の経典を創りだしました。
その中心に、無我・空・実相という仏教の最も重要な教えを示しながらも、
数々の不思議なエピソードやいくつもの譬え話によって経典を味付けし、人々を魅了しました。

法華経の核となる教えは、一乗妙法、久遠本佛、菩薩行道だと言われています。
一乗妙法とは、「全ての生命体は法華経という教えによって成仏できる」とする教え、
久遠本仏とは、「釈尊の本体は、はるか昔に悟りを開き、はるか昔より人々を救済している
久遠実成の本佛である」という教え、
菩薩行道とは、「法華経を教え広めることが菩薩の最高の修行である」という教えです。
どの教えも、法華経以前には説かれていないもので、法華経発表当時は
画期的な教えとされたことでしょう。

しかし、この画期的な教えは、ある宗教の教えが参考にされているとも言われています。
それは意外にもキリスト教です。

ここでは久遠本佛を例にして説明しましょう。
仏教は他の宗教とは大きく異なり、元々神への信仰という概念がありませんでした。
人間釈尊と釈尊の教え、釈尊の教団への帰依を重要とし、
人間を支配するような神、この世界の創造主としての神への信仰はなかったのです。
大乗の人々は、信じる対象を求め、キリスト教を真似て釈尊を神的存在へと昇格させ、
信心するようになりました。
誰もが救われるという思想、教えを広めることこそが重要であるという教えの背景にも
キリスト教の影響があると言われています。

合掌

●04 法華経・・・蓮華の意味     2010/12/19(日) 午前 0:36

●蓮華

蓮華はインド原産で、白・赤・黄・青の4種があり、内、白・赤は、「ハス」のことで、
黄・青は「スイレン」を指します。
泥中から出た清い華のイメージから、古くから宗教のシンボルとされました。
バラモン教、ヒンドゥー教では、神々の多くは、蓮華の上に立つ姿で描かれています。
ヒンドゥー教の大いなる女神であるラクシュミー(仏教では吉祥天)は、
赤蓮華の上に立つ姿で登場する事が多く、
ブラフマー(梵天)、シヴァ(大黒天)、ヴィシュヌなども蓮華上に立つ姿で表されることが多いようです。

仏教では泥水の中から生じ、清浄な美しい花を咲かせる姿が仏の智慧や慈悲の象徴とされ、
様々に意匠されています。
如来像の台座は蓮華をかたどった蓮華座です。

妙法蓮華経でいう蓮華とは、白蓮華のことです。
白蓮華は花の中でも最も清く美しい花だとされ、最高位の仏、教えのシンボルになっています。

●蓮華の意味

‥ッ翩埓
蓮華は清らかなところに咲く花ではなく、むしろ濁った泥沼に根をはわせ、
その濁りに染まることなく美しい花を咲かせます。
濁った水とは、苦しみに満ちた世界、美しい花は悟りを意味します。
このことは、妙法蓮華経従地湧出品の、「世間の法に染まざること蓮華の水にあるが如し」という
文章にもなっています。

白蓮華のような妙法
法華経にて説かれている内容は、最も勝れた内容なので、世の中の形ある物の内で
最も美しく清らかである白蓮の華に譬えているという説です。
経典によく出てくる分陀利華(ふんだりけ)とは、白蓮華の音訳です。

2擴牝瓜(けかどうじ)
蓮華が、華と実を同時に備える様に、
全ての衆生は、生まれながらに仏性を具えているということを表しています。
または、衆生の仏性と本仏の関係を華果同時として表しています。
または、迹門と本門の関係を華果同時として表しています。
迹門とは、インドに生まれ菩提樹下にて悟りを開いた釈尊の教説のことで、
本門とは、久遠の本仏を顕している教説のことです。

私は、華果同時という説を重要に感じています。
華果同時が、因果具時を表しているからです。

因果具時は、法華経の中では、非常に重要な教義ですので
じっくりと説明していく予定です。

合掌

●05 法華経 タイトルの意味     2010/12/19(日) 午前 10:00

●妙法蓮華経
       (梵:サッダルマ・プンダリーカ・スートラ Saddharma pundarika-sutra)

妙法=サッダルマ、蓮華=プンダリーカ、経=スートラで、プンダリーカとは白い蓮華のことを指します。
 よって、「正しい白蓮華の様な最も優れた教え」という意味です.

大乗仏教の最も重要な経典のひとつです。
漢訳は、竺法護(じくほうご)訳10巻の正法華経、鳩摩羅什(くまらじゅう)訳8巻の妙法蓮華経、
闍那崛多(じゃなくった)ら訳8巻の添品妙法蓮華経の3種が現存しますが、
鳩摩羅什訳のものが有名です。
28品からなり、譬喩を交えた文学的な表現で法華一乗の立場や永遠の生命としての本仏を説きます。
天台宗・日蓮宗の所依の経典です。
法華経とも言います。

○妙法
大乗仏教の代表的な経典は、般若経と法華経と華厳経です。
般若経は智慧を説いた教えで、法華経は慈悲を説いた教え、華厳経は仏を説いた教えです。

妙法とは、正しい法、不思議な法、深遠な真理、言葉に出来ないほどの深い教え、
という意味の言葉で、法華経ではこの妙法を基に慈悲の実践行が説かれています。
ちなみに、華厳経での仏とは、毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)のことで、別名を大日如来と言います。
毘盧遮那仏は、法身の仏であり、法華経で説かれる本仏と同じ仏です。

○蓮華
蓮の華のことです。
前の章をご参照ください。

○経
経典のことです。

合掌

●06 法華経 法華経の異名     2010/12/19(日) 午前 10:06

●妙法蓮華経十七の異名

〔砧無膳
∈脳―ぢ人
B臺広経
ざ喫郢Х
ナ所護念
Π貔攴仏秘密法
О貔攴仏之蔵
┛貔攴仏秘密処
能生一切諸仏経
一切諸仏之道場
一切諸仏所転法輪
一切諸仏堅固舎利
一切諸仏大巧方便経
説一乗経
第一義住
位法蓮華経
浦脳緞〔

合掌

●07 法華経 南無妙法蓮華経     2010/12/19(日) 午前 10:09

○南無妙法蓮華経

南無とは帰依のことで、拠り所にするという意味です。
つまり、南無妙法蓮華経とは、妙法蓮華経という教えに帰依することを言います。
南無妙法蓮華経を題目と言い、妙法蓮華経を五字、南無妙法蓮華経を七字として、
五字七字の題目とも言います。
本格的に題目を修行の中心にしたのは、日蓮上人です。

南無妙法蓮華経を唱える宗派は、天台宗、日蓮宗、法華宗などと、新宗教の創価学会、立正佼成会、霊友会などがあります。

合掌

●08 法華経 無量義経     2010/12/19(日) 午後 0:26

●はじめに

このページを開いていただき誠にありがとうございます。
このページでは、法華三部経と言われる無量義経の私なりの解釈をしています。

このページでは、仏教用語が多く出てきます。
仏教にあまり馴染みのない方にとっては、それぞれの単語の意味が分からず、
非常に難しい内容になっていると思います。
また、法華三部経を何度かお読みになった方を対象にしていますので、
まったく経典を知らない人にとっても非常に難しいと思います。
出来る限り、仏教用語などについては、解説を入れる様にしましたのでご参考にお願いいたします。

なお、私は未熟者ですので、ここでの内容、表現には、間違いもあると思います。
その時にはメールや掲示板などでお教えくだされば幸いです。

●無量義経

お釈迦さまが法華経を説く直前に説いた教えだと言われていますが、
実際の所は分かっていません。
中国で作られた偽経だともいわれていますが、
一般的には、三部経の開経として読まれる事が多いため、
ここでは、三部経の開経としての無量義経を紹介します。

合掌

●09 法華経 徳行品第一     2010/12/19(日) 午後 1:44

第1:徳行品(とくぎょうほん)

 [主要人物] 大荘厳菩薩
 [内 容] 大荘厳菩薩がお釈迦さまの完全円満な徳と衆生を救済する行を讃嘆する章です。


●ストーリー [序分]
時は約2500年昔、場所はインド北部の霊鷲山。
お釈迦さまのありがたい教えを聞きに集ったのは、菩薩、出家僧、在家者たち。
そこには人間だけでなく、動物たちや天の神、竜などの魔神達の姿もありました。
間もなく説法を始められるお釈迦さまに対し、全ての人たちがお釈迦さまの元に行き、
一人一人深く礼をしていきます。
そしてお釈迦さまの徳の高さを褒めたたえ、献身的に他者を導く行に対し深く帰依の思いを表しました。

●主な登場人物

○大荘厳菩薩(だいしょうごんぼさつ)

●六成就 (法人時主処衆)
 ’\
  法成就。釈尊の説法を正確に記述しているということです。
 我聞
  人成就。この我とは、ほとんどの経典において、
  釈尊の侍者として説法を聞いた阿難のことをいいます。
  我聞とは、阿難が聞いた釈尊の説法であることを意味しています。
 0貉(いつ)
  時成就。釈尊が説法をしたのは、いつであるかを記述しています。
 な(誰が)
  主成就。この教えを説かれたのは釈尊に間違いないという記述です。
 ソ参舎城(どこで)
  処成就。釈尊がどこで説法をしたのかを記述しています。
 ν紳臠羌崕亜蔽に)
  衆成就。この教えを阿難と共に聴聞したのが誰かを記述しています。

●聴聞衆
 
 ○菩薩摩訶薩・・・8万人

 ○八部衆
   ‥掘淵如璽凜 法ΑΑε珪絣Δ凌澄后弁霤掘帝釈天など)
   ⇔供淵福璽)・・・蛇神
   L觝機淵筌シャ)・・・精霊
   ごワ鯒漫淵ンダルヴァ)・・・飛天(香の半神半人)
   グそね紂淵▲好蕁法ΑΑλ眇
   Σ猩依紂淵ルーダ)・・・鳥人
   Ф枡疝紂淵ンナラ)・・・馬頭人身
   摩ご羅伽(マホーラガ)・・・大蛇の神格、蛇頭人身

 ○四衆
   “羌屐ΑΑ出家僧男性
   比丘尼・・・出家僧女性
   Mデ椋鼻ΑΑ在家男性
   ねデ粍弌ΑΑ在家女性

●菩薩の称歎
 まず、菩薩を称歎する。

[学習のポイント]
 他者と出会った場合、まず挨拶をすることは当然の行為ですが、
 次には、相手の良いところを称歎するといいでしょう。

合掌

●10 無量義経 説法品     2010/12/19(日) 午後 2:11

第2:説法品(せっぽうほん)

 [聞き手代表] 大荘厳菩薩
 [内 容] 釈尊が無量義の教えを説く章です。
真理を悟り、相手の機根を見抜くことが出来れば、
あらゆる人々を臨機応変に救うことが可能です。
釈尊の説法の特徴は、「対機説法」だと言われますが、
その心得と実践方法を説く章です。

●ストーリー [正宗分]

大荘厳菩薩が、お釈迦さまを褒めたたえた後に、
「これまでに数限りない教えを聞いてきましたが、菩薩が悟りを得るための、
最も有効な修行をお教え下さい」
と質問をし、それに対し、お釈迦さまが、
「よい時に聞いてくれました。私は間もなくこの世を去ろうとしているため、
質問にお答えできるのは今しかありません。
ここに一つの法門があります。それは無量義の法門です。
この修行を行えば菩薩は必ずや成仏することができるでしょう」と答えました。
無量義の教えとは、性相空寂を観察することによって得ることの出来る智慧によって、
衆生を救済する修行方法を示したものです。
最高の真理は一つしかありませんが、衆生の機根、性質、欲求のありかたが千差万別なので、
一人一人に応じて教えを説けば、無量の教えとなります。
つまり無量義となります。
最高の真理が無量の教えを生むことを深く理解し、菩薩が臨機応変に衆生を救う修行をマスターすれば、
最高の悟りである阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得ることが出来るという教えです。
この修行こそが菩薩の修行に最も有効である、とお釈迦さまはお説きになりました。

無量義の教えを聞いた後、大荘厳菩薩は、新たな疑問を持ちました。
そして、同様の疑問を感じている人々を代表して、
「これまでの教えよりもこの無量義の教えの方が有効な修行であるという理由をお聞かせください」
と、お釈迦さまに質問をしました。
それに対しお釈迦さまが、「私は菩提樹の下に6年間端座して、
最高の悟りである阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得ました。
仏の観方で衆生を観れば、一人一人皆、機根、性質、欲求が異なることが分かり、
機根、性質、欲求が異なるために種々に教えを説きました。
種々の教えは、方便の力によって行いました。
私は40余年教えを説き続けてきましたが、それらは方便の教えであり、
唯一究極の真理は説いていません。
よって、衆生は未だ悟りを得ていないのです。
みなさん、この無量義の教えこそが究極の真理を明かす教えです。
この教えを修行すれば、菩薩は必ずや成仏することができます」
と答えました。

●主な登場人物
○大荘厳菩薩(だいしょうごんぼさつ)
 無量義の教えは、大菩薩である大荘厳菩薩との質疑応答の形式をとっています。
ということは、内容的に非常に高度な教えであることが分かります。

●無量義の教え
無量義とは、無限ともいえる程の多くの教えのことです。
人はそれぞれ機根、性質、欲求が異なりますので、
全ての人を救おうとすれば、人の数だけ教えが必要です。
しかし、あらゆる教えは、一つの真理から発しているという内容です。

ー汰蠅隆兒 ‖莪戝奮・・・性相空寂
無量義の教えを習得するために、まず菩薩は、ものごとからの執着から離れ、
すべてのものに、生じる・滅する、大きい・小さい、多い・少ない、正しい・正しくないというような
二分的な分類はないと観察します。
この執着から離れたものの見方を性相空寂といいます。
つまり、五蘊皆空的、観方です。
菩薩は、あらゆる執着から離れて、ありのままの世界をとらえる見方をすることが第一です。

⊇粟犬脇麒的に物事をとらえるため苦の世界にいる
二分的な分類は、本来はないのですが、衆生は基本的に二分に物事をとらえ、
これは徳だ、これは損だと打算的な考えを持ち、そこに執着して行動するため、
それが悪業となり、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天という6つの精神界をめぐり、
苦しみもがく結果になっています。
菩薩は、衆生が二分的な考え、執着心によって苦しみの中にいることをよく観察したならば、
哀れを感じ、大慈悲の心をおこして、衆生を本質的に救うことを決心します。

実相の観察 第二段階・・・四相の義・・・生・住・異・滅
衆生を救うことを決心したならば、もう一度深く実相を観察します。
第一段階では、「性相空寂」、という観方をしましたが、
第二段階では、「生・住・異・滅」というものごとの表れを観ます。

執着のない観方で世界を観察すれば、
これから生じるであろう現象を見極めることができ、
その現象がとどまるであろうことを見極めることができ、
その現象が変化するであろうことを見極めることができ、
その現象が滅するであろうことを見極めることができます。
生・住・異・滅という観方をマスターできたならば、
次に現象は刻々と変化するものであり、
一瞬一瞬に生・住・異・滅という変化が行われていることを明らかに悟ることができるでしょう。

ぜ汰蠅隆兒 ‖荵庵奮・・・一法より生ず
実相を悟ることができたならば、衆生の一人一人の機根(教えを理解する能力)、
性質、欲求を観察します。
そうすれば、人々の機根、性質、欲求は、まさに十人十色であることが分かります。
人の数だけ機根、性質、欲求があるため、一人一人を救おうとすれば衆生に対する教えも
人の数だけ必要であり、その教えの内容も人の数だけ必要になります。
しかし、無量ともいえる教えは、一つの真理から生じています。
その一つの真理とは、空の義の無相であり、無相というのは一切の差別がなく、
差別をつくらないものであり、一切の差別を作らないので、
一切が平等であり、これを名付けて実相と言います。
分かりやすく言えば、特徴を見出さないことであり、認識しないことをいいます。
特徴を見ず、認識しないと言うことは、そのものを見ないことと同義であり
よって、執着しないことをいいます。
そのためには、三解脱門の禅定が必須です。

 そのものを実体してみない
 実体として観ないから認識しない
 認識しないから執着しない

ゼ汰蠅箸い真理による救いの実践
こうして得た実相の悟りの結果に起こってくる慈悲心というものは、
本物であり、純粋なものです。
よって、衆生の苦しみを根本的に解消することができます。
苦しみを解消したならば、さらに教えを説き、衆生に喜びを与えることができます。
この様に実相という真理をしっかりと把握した上で、
衆生の機根、性質、欲求のありかたに応じて教えを説修業を続けたならば、
菩薩はきっと成仏することができます。

真理は実相であり、一つしかありませんが、
衆生の機根、性質、欲求のありかたが千差万別なので、
一人一人に応じて教えを説けば、無量の教えとなります。つまり無量義となります。
ここで重要なのは実相です。悟りの立場から観た(仏知見)世界のことです。

●無量義経とそれ以前の教えとの関係

○四十余年不顕真実
お釈迦さまは、悟りを開いてから40年あまりの伝道生活の中で、
実はまだ悟りの真実の内容については説いていないと告げました。
これまで説いてきたことは、方便であったと言うのです。
では、その悟りの真実の内容とは何か? 
それが諸法実相です。

○初・中・後の説

初期に説いた四諦の法門・八正道でも、中期に説いた十二因縁・六波羅蜜でも、
今説いた無量義経でも、
「あらゆるものは本来空寂であり、代謝して住せず、念念に生滅する。」
と説きました。
言葉は同じでも、言葉の意味は異なります。
言葉の意味が異なるため衆生の受け止め方も異なります。
初期に説いた四諦の法門・八正道では、声聞を求めるものを中心に菩提心を起こし、
中期に説いた十二因縁では、縁覚を目指すものを中心に菩提心を起こし、
六波羅蜜では、菩薩を求めるものを中心に仏道に入る心を起こしました。
この様に初・中・後の説によって人々の教化の結果は異なります。

―蘋

○四諦の法門
四諦の法門とは、原始仏教の教えの基本が示されています。
諦とは、現代日本語の「あきらめ」ではなく、「真理」の意味です。

ゞ貭・・・迷いのこの世界は全てが苦であるという真理です。一切皆苦。五蘊皆苦。
⊇個・・・苦の原因は愛執であるという真理です。
L把・・・愛執を完全に滅すれば、理想の世界に成るという真理です。
て残・・・愛執を断つには、八正道の修行が必要であるという真理です。

○八正道

\妓
∪技廖弊技廾圈
正語
だ偽
ダ橘
正精進
Ю鞠
╂議

中説

○十二因縁
〔橘澄覆爐澆腓Α法ΑΑΣ甬鄒い量技呂糧冉此H冉困虜本が無明なので代表名とした。
行(ぎょう)・・・志向作用。
識(しき)・・・識別作用
ぬ梢А覆澆腓Δ靴)・・・物質現象(肉体)と精神現象(心)。
ハ蚕茵覆蹐しょ)・・・六つの感覚器官。
触(そく)・・・六つの感覚器官に、それぞれの感受対象が触れること。
Ъ(じゅ)・・・感受。
┛Α覆△ぁ法ΑΑΤ薜Α
取(しゅ)・・・自分の求めるもののために馳求する位。
有(う)・・・存在。
生(しょう)・・・生まれること。
老死(ろうし)・・・老いと死。

○六波羅蜜
”杙槐藩緻(ふせ)・・・与えることであり、具体的には、財施・無畏施・法施の行などです。
∋戒波羅蜜(じかい)・・・戒律を保持することです。
G辱波羅蜜(にんにく)・・・耐え忍ぶこと。
だ鎖頁藩緻(しょうじん)・・・努力すること。
チ議蠻藩緻(ぜんじょう)・・・特定の対象に心を集中して、散乱する心を安定させること。
γ匏吐藩緻(ちえ)・・・般若波羅蜜とも。

8綫癲丙)
 無量義経。

●仏の悟りを得たい者は、無量義経を修学せよ!

●無量義経=妙法蓮華経

実は、ここで説かれた教えは法華経とほぼ同じ教えです。
無量義の教えとして説いてはいますが、内容は法華経そのものです。
無量義経の主要な説法はわずか2ページです。
法華経350ページに比べずいぶんと凝縮して説法されていることが分かります。
2ページならば法華経よりも無量義経を勉強した方が効率がいいのでは?
と誰もが思うと思います。

 しかし・・・。

お読み頂ければ分かりますが、ズバリと説いてあるだけあって、無量義経の説法は非常に難解です。
それもそのはず、ここで質問しているのは大荘厳菩薩という非常に徳の高い菩薩であり、
お釈迦さまは大菩薩に対して応えているのですから、かなり高度な内容です。

無量義経は菩薩向きの教えであり、妙法蓮華経は菩薩以外の人々にも
分かりやすく同じ内容を説いています。
従って、ここで無量義の教えを細部にわたって説くよりも、一度ざっと無量義経を読んでおき、
妙法蓮華経に進んで、法華経を理解した後に再度、教えを再確認した方が
理解が深まると思います。

合掌

●11 法華経 十功徳品     2010/12/19(日) 午後 2:27

○第3:十功徳品(じっくどくほん)

 [聞き手代表] 大荘厳菩薩
 [内 容] この章では、無量義の教えを理解し、実行する者の功徳が十段階で説かれています。
最初の功徳は、仏になることをより深く決心することであり、第十段階の功徳は、
もちろん自他の「成仏」です。

●ストーリー

大荘厳菩薩が、
「無量義の教えは、何れのところより来て、去って何れのところに至り、とどまって何れのところに住しますか?」
という質問をし、お釈迦さまが、
「この経は本諸仏の室宅の中より来たり、去って一切衆生の発菩提心に至り、
 諸々の菩薩の行のところに住します」
と答えます。
さらに、釈尊は、この教えを修行することの功徳を十に分けて説きました。

●主な登場人物

○大荘厳菩薩(だいしょうごんぼさつ)

●功徳(プニヤ)(グナ)

.廛螢福ΑΑα厩坩戮貌舛箸靴洞颪錣辰討い訃,譴新覯未鮠靴能力のこと。
▲哀福ΑΑ勝れた性質のこと。

●この教えは、どこから来て、どこに至り、どこに住するのか?

 お釈迦さまさの答えは、
 「この経は、本諸仏の室宅からきて、
  一切衆生の発菩提心に至り、
  そして諸々の菩薩行の中にとどまるのです」

●無量義の教えの功徳

 無量義経と法華経は、同じ教えですので、その功徳もほぼ同様です。
 法華経の功徳を学ぶ際にこの十功徳品を参考にすることをお勧めします。

‖莪譴慮徳
 発菩提心、慈悲喜捨の心、六波羅蜜の心などを起こさしめます。

第二の功徳
 多少でもこの教えを理解できたならば、一つの教えから無量の教えが展開していくことを
理解できます。

B荵阿慮徳

ぢ荵佑慮徳

ヂ荼泙慮徳

β莽擦慮徳

第七の功徳

第八の功徳

第九の功徳

第十の功徳
 自分だけでなく、他者にも五種法師の修業を定着させた者は、
 最高の悟り(阿耨多羅三藐三菩提)を得ることができます。
 すなわち、最終ゴールである仏になることができます。

合掌

●12 法華経 序品第一     2010/12/19(日) 午後 7:03

○第1:序品(じょほん)

 [主要人物] 弥勒菩薩、文殊菩薩
 [内 容] 法華経の壮大なるプロローグの章です。
       法華経が、いつ、どこで、誰に対して説かれるのか、
       また、これから説かれる経がどの様なものであるかが説かれています。

●ストーリー [全体の序分であり、迹門の序分]

時は約2500年前、場所はインド北部の霊鷲山。
釈尊のありがたい教えを聞きに集ったのは、菩薩、出家僧、在家者たち。そこには人間だけでなく、動物たち

や天の神、竜などの魔神達の姿もありました。
釈尊が無量義経を説き、瞑想三昧に入られたところから法華経は始まります。
三昧に入られてしばらくして、天より美しい花が釈尊と聴聞衆の頭上に降り、
地が六種に震動し、人々はこの未曽有の出来ごとに歓喜しました。
次に釈尊の眉間より光が放たれ、この世界のあらゆる場所を照らしました。
その光は、地獄より天上界まで、六道にいる人々の姿を照らし、
諸仏が説法している状態を照らし、菩薩や僧が修行し悟りを開いていく状態を照らし、
諸仏が涅槃に入る状態を照らしました。
この不思議な光景を見ていた弥勒菩薩は、このことの意味を知りたくて、文殊菩薩に尋ねたところ、
文殊菩薩は、以前にもこれと同じ体験をしたことがあることを言い、
この不思議な出来事は「妙法蓮華経」の導入に違いない、と答えました。

●主な登場人物

○菩薩

〔關嬖郢А覆澆蹐ぼさつ)(マイトレーヤ)
慈悲の菩薩。阿逸多(アイッタ)とも。
釈尊の次に仏陀になることが決まっている菩薩であり、それは56億7千万年後だといわれています。
そのため、現在は兜率天で仏陀になる日を待って、懸命に修行中という形になっています。
序品には、弥勒菩薩の前世である求名菩薩(ぐみょうぼさつ)も登場します。

∧玄貶郢А覆發鵑犬紊椶気帖法淵泪鵐献絅轡絅蝓次
実在の人物で、智慧の菩薩といわれています。
大乗仏教では、釈尊の脇侍として普賢菩薩と並びます。
獅子に乗った姿も多く見られます。

○八部衆

仏法を守護する八神のことで、仏教が流布する以前の古代インドの鬼神、
戦闘神、音楽神、動物神などが仏教に帰依し、護法善神となったものです。
それぞれに大勢の部衆がおり、法華経を聞きに八部衆が大勢参加しました。

‥掘覆討鵝法淵如璽凜 
元々は、バラモン教での神々が仏教に取り入れられ、護法善神となった者たちです。
代表として、梵天、帝釈天、大黒天、持国天、増長天、広目天、多聞天、歓喜天などがいます。
梵天はブラフマン、帝釈天はインドラ、大黒天はシヴァ、歓喜天はガネーシャとインドでは呼ばれています。

⇔供覆蠅紊Α法淵福璽)
蛇神、水神。上半身は人間で、下半身は蛇(インドコブラ)という姿をしています。
釈尊が悟りを開く際に守護したとされ、仏教に竜王として取り入れられ守護神とされています。
妙法蓮華経の会座には、八大竜王がおり、その多くがインドの古い神話に登場する
大竜王(ナーガラージャ)だということです。

L觝機覆笋靴磧法淵筌シャ、ヤクシー)
古代インド神話に登場する鬼神で、のちに仏教に取り入れられ護法善神の一尊となりました。

ごワ鯒漫覆韻鵑世弔弌法淵ンダルヴァ)
帝釈天に仕える半神半獣の奏楽神団で、大勢の神の居る宮殿の中で、
美しい音楽を奏でる事に責任を負っています。水の精のアプサラスの夫です。

グそね紂覆△靴紊蕁法淵▲好蕁
戦いの神であり、古くは帝釈天と争う存在でした。

Σ猩依紂覆るら)(ガルーダ)
インド神話に登場する炎の様に光り輝き熱を発する神鳥です。
竜や蛇を食べる聖鳥とされました。
日本では、カラス天狗のモデルとなっています。

Ф枡疝紂覆んなら)
インド神話に登場する音楽の神々(または精霊)です。
男のキンナラは半人半馬であり、馬頭人身とも、人頭馬身ともいわれます。
女のキンナリーは天女です。

摩ゴ羅伽(まごらが)
キンナラと同じく音楽の神です。
身体は人間ですが、首は大蛇であり、龍種の一つとされます。
ナーガはコブラの神格でしたが、マゴラガはニシキヘビの様な蛇の神格であるとされています。

○十大弟子

お釈迦さまの弟子の中でも特に優秀だった十名です。
全員が、声聞です。

ー僕弗(しゃりほつ)(シャーリプトラ)・・・知恵第一
∨琺徒椒吋麩◆覆泙もっけんれん)(マハーモッガラーナ)・・・神通第一
K琺轍猴奸覆泙かしょう)(マハーカッサパ)・・・頭陀第一
た槓酊鵝覆靴紊椶世ぁ法淵好屐璽謄)・・・解空第一
ド拵案疚鐶人綟子(ふるなみたらにし)(プールナマイトラーヤニープトラ)・・・説法第一
λ琺轍獵啀筺覆泙かせんねん)(マハーカッチャーナ)・・・論議第一
Оて疥А覆△覆蠅帖法淵▲縫襯奪澄法ΑΑε郡秣莪
優波離(うぱり)(ウパーリ)・・・持律第一
羅ご羅(らごら)(ラーフラ)・・・密行第一
阿難(あなん)(アーナンダ)・・・多聞第一

○四衆

“羌屐覆咾)・・・出家の男性信者。
比丘尼(びくに)・・・出家の女性信者。
Mデ椋鼻覆Δ个修)・・・在家の男性信者。
ねデ粍弌覆Δ个ぁ法ΑΑ在家の女性信者。

●如是我聞(にょぜがもん)

「この様に私は聞きました」という意味です。
これが法華経の書き出しの文です。

●此土の六瑞(6つの目出度いこと)
お釈迦さまが、無量義経の説法を終わられると三昧に入られ、
その後、天上界より白い蓮の華などの花々が降りそそぎ、喜びで地が震え、
衆生は大喜びしました。
そして、誠に不思議な事に、お釈迦さまは、眉間の白毫相より光を放って、
東方(過去)の世界の出来事を照らし出しました。

\睨/陝ΑΑμ砧無膳个寮睨
入定瑞・・・無量義処三昧
1華瑞
っ脇或
ソ梓鄂
κ光瑞

●多土の六瑞
お釈迦さまの、眉間の白毫相の光によって、照らし出された東方の世界の出来事です。

仝六趣瑞・・・衆生が六道輪廻し、苦しんでいるのが見えた。
見諸仏瑞・・・諸仏の姿が見えた
8諸仏説法瑞・・・諸仏が衆生を救済しているのが見えた
じ四衆得道瑞・・・出家者と在家者が得道するのが見えた
ジ菩薩修行瑞・・・菩薩が修行するのが見えた
Ω諸仏涅槃瑞・・・諸仏が涅槃に入るのが見えた

[学習のポイント]
 同じ光によって、六道の衆生、菩薩、諸仏が映し出されていると言うことは、
 妙法蓮華経の「互具」の思想のイメージつけでもあります。

●弥勒菩薩と人々の疑念と発問
弥勒菩薩と人々は、今、目の前で現実に起こっている不思議な出来ごとの意味に疑念を感じ、
弥勒菩薩が、皆を代表して文殊菩薩に不思議の因縁を尋ねました。

[学習のポイント]
 群衆を代表して弥勒菩薩は、文殊菩薩に質問をしています。
 この行為は、非常に素晴らしい行いです。
 よく、講習会やセミナー、説明会において、聴衆側は全く意味が分かっていなくても
 話を進める主催者がいますが、こんな時に弥勒菩薩の様に全員を代表して質問をするのです。
 そうすれば、その質問者のお陰で、聴衆は疑問を晴らす事が出来ます。

●文殊菩薩の答問

○文殊師利、過去の出来事を明かす
文殊菩薩は、以前にもこれと同じ体験をしたことがあることを言い、
この不思議な出来事は「妙法蓮華経」の導入に違いない、と答えました。

○今日の如来もまさに大乗経の妙法蓮華・教菩薩法・仏処護念と名づくるを説きたもうべし。

○合掌して一心に待ちたてまつれ。

合掌

●13 法華経 方便品第二-1     2010/12/19(日) 午後 9:17

○第2:方便品(ほうべんぼん)

 [聞き手代表] 舎利弗
 [内 容] 究極の悟りの内容が説かれた重要な章で、迹門の柱といわれます。
       その内容は、諸法実相(十如是の法門)、一大事因縁、開三顕一という深いものです。
       開三顕一は、方便品から授学無学人記品までで説かれる教えで、
       釈尊がこれまで説いてきた教えは方便であり、この法華経で最高の真理を
       説くというものです。
       それを、声聞・縁覚・菩薩の三乗を仮に開き、一仏乗を顕すという意味で
       開三顕一と言います。
       一仏乗とは、誰もが仏に成れるという教えです。

●ストーリー [迹門・正宗分、法説周の正説段]

その時、お釈迦さまは瞑想から覚められ、舎利弗に語りました。
「舎利弗よ。諸仏の智慧はかぎりなく深く、難解難入です。
 通常の人々が理解できるものではありません。
 如来が深い智慧を得ることが出来たのは、 無辺の昔から多くの諸仏に仕え、
 修行をした結果だからです。
 これまで如来は、その法があまりに難解なので、
 衆生に対しては種々の方便をもって教えを説き、
 もろもろの執着から離れさせてきました。」

「舎利弗よ、如来の見解は非常に深く、一切未曽有の法を成就しています。
 しかし、この法はまだ説かない方がいいでしょう。
 なぜなら、仏が成就した法は、非常に難しく、ただ仏と仏のみしか、
 諸法の実相を観察することが出来ないからです。
 それは、世界をありのままに観る観方のことで、
 物事の外観、内面、本体、それらのエネルギーと作用、
 お互いが因となり縁となり、果報となる関わり、
 それらが全て一つの真理から発しているということです。」

聴聞衆の多くは、仏の得た法が非常に深くて分かりにくく、説いても納得できない、
一切の声聞・辟支仏の及ばない教えである、というお釈迦さまの言葉に疑いの心を生じました。

そして、みんなを代表して舎利弗が質問しました。
「世尊。いまだかって世尊からこのように聞いたことがありません。
 何故、方便を称嘆されるのですか? 
 また、難解難入の法を何故称嘆されるのですか?」

お釈迦さまは、舎利弗に言いました。
「舎利弗よ、やめなさい。
 この法を説けば、皆さんはきっと驚き、疑いの心でいっぱいになるでしょう。」

舎利弗は再び請い、お釈迦さまは再び断り、しかし舎利弗はさらに請うたので、
お釈迦さまは、三度目についに応じて語りました。
「舎利弗よ、あなたは三度にわたって懇願しました。それでは話しましょう。
 よく聴きなさい、聴いて心に留めなさい。」
その時に会衆の中の僧や在家者たち五千人が立ち上がって、
お釈迦さまに礼をするとその場から立ち去りました。
お釈迦さまは、黙ったまま彼らが去るにまかせ、制止しようとはしませんでした。
お釈迦さまは、
「枝葉は払われました。真に法を求める者のみが残りました。
 舎利弗よ、今こそ、あなたに真の法を説きましょう。」
「諸仏、如来がこの妙法を説くのは、三千年に一度だけ咲くという優曇鉢華の花のようなものです。
 滅多にあることではありません。
 仏は一大事の因縁をもってこの世に出現します。
 一大事の因縁とは、衆生に如来の知見を 開き、示し、悟らせ、そこに入らせることです。
 そのために如来は世に出現するのです。」

「諸仏、如来はただ菩薩を教化します。
 如来の教えは、成仏という道を示すものであり、聖人などを目指すものではありません。
 つまり、一仏乗のみがあって、他に二つ目三つ目の乗物があるわけではないのです。
 過去・未来・現在に現れる諸仏は、全て一仏乗のためです。」

「舎利弗よ。
 諸仏は五濁の悪世に現われます。悪世の衆生は、心が汚れ、善根がなく、
 自己中心的で迷いに満ちた存在であるため、諸仏は方便力によって、
 一仏乗を三つに分けて導くのです。
 声聞たちが、聖者の位である阿羅漢(あらかん)に到達したとしても、
 成仏を求めなければ、その人は大きな間違いをしているのです。」

「存在は常に空ですが、成仏のきっかけは、縁によって起こります。そのため、一乗を説きます。」

「皆さんは、今、諸仏が方便を説く理由を知りました。疑惑を起こすことなく、
 心に大歓喜を生じて、自らまさに成仏することを知りなさい。」

●迹門の柱
方便品は、迹門の柱です。
迹門とは、実際に肉体を持ってお生まれになったお釈迦さまの教えのことであり、
法華経28品中、序品〜安楽行品第十四までをいいます。
つまり、法華経の前半です。
その前半における最も重要な章ですので、じっくりと取り組んでいきましょう。

●主な登場人物

○舎利弗(しゃりほつ)(シャーリプトラ)

知恵第一。
シャーリーとは母親の名前で美しい目をした女性だったらしい。
プトラとは子の意味なので、舎利弗とはシャーリーの子供という意味です。
舎利弗は非常に頭のいい方で、当時のインドではずば抜けていたといいます。
目連とは仏教に帰依する前からの友人でした。
聞き手代表が知恵第一の舎利弗だということは、知的に深い問答がされることが分かります。

[学習のポイント]
 舎利弗は、頭のいい方ですが、声聞修行者であり、菩薩の域には達していませんでした。
 方便品で、舎利弗が聞き手代表に選ばれたのは、声聞衆の代表と言う意味もあります。

●方便(ウパーヤ)

この章のタイトルは、「方便」ですので、方便の意味を押さえておきましょう。
方便とは、「近づく」「到達する」という意味ですが、
「巧みな手段」「正しい方法」という様にも訳されます。
しかし、方便品における方便の意味は、真実教(悟りそのものを直接的に説いた教え)に対する
方便教(真実に導く手立てとして相手に応じて種々に示した教え)の場合の方便の意味です。

 真実教=悟りそのものを直接的に説いた教え=法華経
 方便教=真実に導く手立てとして相手に応じて種々に示した教え

法華経では、これまでお釈迦さまが説いてきた教えは、
真実に導く手立てとして相手に応じて種々に示した教えであって、
悟りそのものを直接的に説いた教えではなかったことを説き、
その真実の教えを説いた経典こそが、この法華経である、
としています。

●無問自説

通常、お釈迦さまの説法は質疑応答の形式をとっています。
誰かの質問に対してお釈迦さまが答えるという形式です。
しかし、この方便品では、誰からも質問がないのに、
お釈迦さま自らが舎利弗に対して説法を始めます。
そのことから、お釈迦さまが、この教えを説く事を強く望んでいたことが分かります。

合掌

●14 法華経 方便品第二-2     2010/12/19(日) 午後 9:33

●諸法実相

妙法蓮華経の中心教義は諸法実相です。
諸法実相とは、仏による世界の観方のことで、
「一切のものの真実の相(すがた)」のことです。
法華経の説法の導入部分で、いきなり高度な教えの
実相がでてきたのですから、びっくり仰天ですね。
実相とは、ありのままの相のことを言うのですが、
私たち通常の人間は、先入観(固定観念)があり、
そのものをその通りに見ることが出来ません。
自分にとって都合のいいように見てしまいがちです。
ですから諸法実相は、仏と仏とが分かる世界であり、
仏以外の者の知るところではありません。
諸法実相は、法華経の中心教義です。
難しい教えですので、この後徐々に説かれることになります。

諸法実相は大乗仏教の旗印であるという意味で、
「一法印」とも呼ばれます。
これは、三法印(無我・無常・涅槃)に対する考え方です。

○縁起(因縁・因果の法則)

諸法実相とは、悟りの立場から観る
存在のあるがままの真実の姿かたちのことですが、
言いかえれば、縁起する存在を表す用語です。

世界の一切は、直接にも間接にも
何らかのかたちでそれぞれがそれぞれと
関わり合って生滅変化している、
という考え方を指します。

縁起の語は、「因縁生起」(いんねんしょうき)の略で、
「因」は原因、「縁」は条件のことです。

縁起は、「此があれば彼があり」、「此がなければ彼がない」
という二つの定理によって、簡潔に述べられます。
例えば、木などの燃える物があって、それに火を点ければ火がありますが、
燃える物がなければ火は無くなります。

○因縁異時

通常、縁起観をイメージする際、時間経過をイメージして因果を展開させています。
例えば、種が有り、それを土にまき、水をやり、光があたり、適温になれば芽が出て、
やがて、生長し、花が咲き、実をつける・・・
という様に時間経過によって縁起することを、因縁異時といいます。

○因縁?時

因縁異時とは異なり、因縁が同時に起こっていると観る縁起です。
火は、紙や木などがなければ燃えません。
この時の火と紙との関係の縁起の事を因縁?時といいます。

○法界縁起
一切の現象が絶えず因縁によって生起することです。
すべての個々の事物・事象の中に一切が含まれるという形で、
あらゆる存在が互いに関連し合って生起していることです。
これは、華厳経で説かれた教えですが、法華経と通じる教えです。

○十如是の法門

十如是の法門とは、諸法実相を、
相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等という
10のカテゴリーで説いた教えです。
「万物の相は真理である」、「万物の性は真理である」、という様に、
相・性・体・力・作・因・縁・果・報は全て真理であるという教えです。
如是には色々な意味があり、相を例にとれば、
「この相は真理である」、「かくの如くの相」、「相はかくの如し」
という風に読み取れます。
これを「空・仮・中」の三諦と言います。
サンスクリットの法華経原本には十如是の法門はなく
中国の訳経僧の鳩摩羅什の意訳だといわれています。
十如是の法門への評価は高く、天台宗開祖の智據覆舛)や
日蓮上人は絶賛しています。

○十如是

’\Я
 形相。形態。現象。特徴。形として捉えることの出来る万物の姿のこと。

如是性
 本質。精神、心、智慧。

G\体
 本体。相・性を合わせた生命体、物質の主体、本体のこと。

で\力
 潜在的能力。エネルギー。諸々の行を起こす本の能力のこと。

デ\Ш
 作用。自他への作用のこと。

η\О
 直接的な原因のこと。

如是縁
 条件、間接的な関係のこと。

如是果
 因に対する結果のこと。

如是報
 縁に対する間接的な結果のこと。

如是本末究竟等
 相から報にいたるまでの9つの事柄が究極的に無差別平等であること。

○十如是の法門とは
十如是の法門は、非常に難しい内容であり
方便品では、釈尊も触りしか説かず、
詳しく解き明かすのは後に回しました。
ですので、ここでも細かく説くことは避け、
如来寿量品において詳しく説明しようと思います。

リンゴの実を例にして説明すれば、相とは形・色をいいますので、
リンゴの相は、直径約10センチくらいの球体で
緑から赤色のグラデーションをなす物体です。
これが「相」です。

リンゴの実を観察すれば、リンゴの木に成る果実であり、
実自体は子孫を残すものであり、
動物の餌になるという性質があることが分かります。
これが「性」です。

さらにリンゴの実をよく観れば、体内には種があり、
種のまわりにはたっぷりの養分がたくわえられ、
実を保護するための皮があることが分かります。
これが「体」です。

以上の相・性・体にて、リンゴそのものがどんなものかが理解できます。

リンゴの実には、種という新しい木になるための
エネルギーが内存していると同時に、
いずれ熟して動物たちの餌となるエネルギーが内存しています。
なぜ動物たちの餌になる必要があるのかというと、
動物の餌となり、体内に入り、
別の土地に行って便として地に落ちるためです。
これが「力」です。

リンゴの実は、木になるというエネルギーを発動させる作用と
動物たちの餌になるという作用を持っています。
これが「作」です。

「因」とは、相・性・体・力・作を持つものです。
相・性・体・力・作を持つものが、他の相・性・体・力・作を持つものと
因縁を結び、力・作が作動します。
つまり、「縁」がなければ、エネルギーや作用は発揮されず、
縁があればエネルギーや作用が発動します。

「報」というのは、少し難しい内容で多くの方が誤解しているようです。
ここでは、自分の行為が後の因縁・因果をつくる因となるという意味で
受け取っておくくらいでいいと思います。

リンゴの実をじっくりと観察すれば、
相・性・体・力・作・因・縁・果・報の
それぞれに真理を観ることが出来ます。
では真理とは何かと言えば、大乗仏教の中心教義である空です。
空とは、「あらゆるものは因縁によって生滅するため実体はない」という意味です。

合掌

●15 法華経 方便品第二-3     2010/12/19(日) 午後 9:48

●一念三千

十如是の法門を基に、天台大師・智擇提案した観法です。
一念とは、瞬間的な心(念)であり、三千とは、極小から極大のあらゆる存在が
互いに関連し合って生起している宇宙全体を指します。
具体的には、

 十界×十界×十如是×三世間=三千

この観法において重要な課題は、自分の中の仏性を観ることです。

○十界

人間の心の状態を10種に分類したもので、
地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界があります。
この内、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界の六界は凡夫の世界であり、
人間が迷い輪廻する世界です。六道ともいいます。
声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界は四聖(ししょう)といい、仏道修行によって得られる世界です。
十界を六凡四聖とも言います。

|蝋界

地獄とは、心の状態の中では最悪の状態です。
苦しみを次々と受け、怒り、悲しみ、恨み、妬み、憎しみ、欲求不満、猜疑心、暗鬼などの
マイナス感情とマイナス思考が心の中を支配し、どっぷりと浸かった状態です。
なかなか、他の心の状態に移ることができません。
心が乱れきってしまえば、狂った状態に変化し、さらに落ちれば破壊された状態になります。
そうなると、苦しみが苦しみを呼び、心の中の暗黒面がどんどん広がることになります。
地獄には層があり、最下層は、無間地獄、阿鼻地獄と呼ばれる世界です。
この地獄は、俗に「奈落の底」と呼ばれます。
無間地獄・・・読んで字のごとく、間がないことですが、二つの意味があります。
それは永遠に近いこと、そして絶え間ないことです。
果てのない光のない世界で果てしない苦しみをいつ果てるともなく負い続けるのです。
地獄に落ちる人は悪業によるといいます。
つまり罪の償いのために落ちる世界です。

餓鬼界

餓鬼とは、強欲の状態です。
たとえ欲しいものを得たとしても満足することを知らず、常に欲求不満の状態になります。

C楡験

本来の畜生とは、人間以外の生物のことを指しますが、
十界での畜生の状態とは、まるで家畜の様に知恵がなく、
食べて寝て性交することにしか興味・関心のない状態のことです。
自分の頭で考えることなく、本能の赴くままに行動する愚かな状態です。

そね絣

修羅とは、自分本位の状態をいいます。
分かち合いの心がなく、欲しいものは争ってでも得ようとしますので、
修羅とは闘争心を指すことが多いようです。
また、自分が正しいという主張が強く、その立場を守るためには、
他者が自分の非を口にすることをも許しません。
自分の方が上だ、自分の方が価値がある、自分の方が選ばれている、
自分の方が美人だ、という風に他者との比較がベースにあり、
優越感や自分の正しさのためには戦い続けます。

タ由

地獄・餓鬼・畜生・修羅・天の状態は、多かれ少なかれ誰もが経験することです。
重要なのは、その場所にすみつかないこと、たとえ居心地が良くても、
自分をコントロールし、平常心へと心を正すことです。
そのセルフ・コントロールの出来る状態が人間です。

ε軍

天が煩悩の世界と言うと意外に思われるかも知れませんが、
この天とは、有頂天を指し、束の間の喜びの状態をいいます。
有頂天の時、心は喜びにとらわれ、まわりが見えなくなり、
つい人を傷つける言動をすることがあります。
優越感にひたり、おごり高ぶったり、人をバカにしたり、
いつもとは違った自分が現れることが多々あります。
試合に勝った時、試験に合格した時、誰もが喜びの状態になりますが、
その状態にいつまでも留まることなく平常心へと戻るセルフ・コントロールが必要です。

Ю縞抗

学習主義の出家者のことです。
釈尊の声を聞いて学ぶ人たちで、聖者とも呼ばれます。
ただし、まだ自分という縛りから離れておらず、自分だけが悟ろうという意思が強いため、
大乗修行者からは小乗と言われています。
小乗とは、小さな乗り物のことです。
この世界を此岸、悟りの境地を彼岸としたとき、その間には川が流れているとします。
いかだや船などの乗り物がなければ渡れません。
その船には、一人しか乗れない小さなもの、沢山の人と一緒に渡ることのできる大型船があります。
小乗とはこの小さな船のことで、声聞はこの小さな舟だと言われています。
それも、いかだクラスの舟です・・・。

┗鏗亞

体験主義の修行者のことです。
師に頼ることなく、独りで山にこもって修行をする人たちで、
自然界との関わりの中で自分を見つめ、悟りを目指します。
花の咲く姿、虫の声、川のせせらぎ、風の音、枯れ葉の舞から気づきを得て悟りへと至ろうとします。
声聞よりも悟りに近い状態になれますが、他者への説法などの利他行がないため小乗とされます。

菩薩界

菩薩とは、佛になることを目指した修行者のことです。
自他を差別することなく、他者の救済にあたり、共に仏道を目指しています。
大型のフェリーなどに乗り込み、多くの人々を乗せ、共に向こう岸に行こうとする
船長の様な存在でしょうか。

仏界

仏とは最上最高の悟りを得た者の意味です。

○十界互具

それぞれの十界に十界が存在することです。
仏界にも地獄界が存在し、地獄界にも仏界が存在します。
仏の状態にあっても、地獄に落ちる可能性があり、地獄界にいる状態でも仏になる可能性があります。
十界の全てに仏界があるということは、全ての心の状態の中に仏の種があるということです。

○三世間
五蘊(ごうん)世界・仮名(けみょう)世間・国土世間。
これは、龍樹菩薩の大智度論にて説かれています。

仝溽樟こ
 人間を構成し、世界を構成している構成要素の世界です。
 五蘊が色受想行識であることから考えると、単なる物質的要素でなく、
 精神的なものを主としています。

○五蘊
 五蘊とは、人間や世界を構成しているものです。

 色蘊(しきうん)・・・人間の肉体、物質
 受蘊(じゅうん)・・・感受作用
 想蘊(そううん)・・・表象作用
 行蘊(ぎょううん)・・意志作用
 識蘊(しきうん)・・・ 認識作用

仮名(けみょう)世間
 衆生世間ともいい、生命のあるもの。

9馘收ご
 器世間ともいい、山河大地など。環境となる世間のこと。

合掌

●16 法華経 方便品第二-4    2010/12/19(日) 午後 10:12

●一大事因縁(開示悟入)

一大事因縁とは、仏がこの世界に現れた理由のことです。
仏は、一切衆生を成仏させるためにこの世に出現されました。
一切衆生の仏知見の開示悟入のために仏は出現したのです。
仏知見とは、仏の世間の観方であり、ありのままを観ることをいいます。
つまり、諸法実相の観方のことです。


 仏の一大事因縁とは、まず一切衆生の仏知見を開くということです。
 仏知見を開くということは、衆生は仏知見が閉じているということを表しています。
 お釈迦さまが悟りを開かれた時、
 「奇なるかな。奇なるかな。一切衆生悉く皆如来の智慧と徳相を具有す。
  ただ妄想・執着あるを以ってのゆえに証得せず。」と仰いました。
 つまり、衆生は皆、仏知見を持っているというのに妄想・執着があるために仏知見が開いていない、
 と仰ったのです。
 具体的には、「自分も仏性を具えている」ということを気付かせることです。


 仏知見を開いたならば、次に衆生に仏知見を示します。
 示すとは、分かりやすいようにはっきりと伝えることです。
 つまり、仏知見で世界を見たときのあり様を具体的に伝えます。


 仏知見を示したならば、次に衆生が仏知見を悟れる様に導きます。
 つまり、仏知見で世界を観ることが出来れば、
 この世界が苦脳のない安穏な境地になるということを悟る様に導きます。


 仏知見を悟らせたならば、最後に衆生を仏知見に入れる様に導きます。
 つまり、仏知見で世界を観ることが出来る境地へと導きます。

[学習のポイント]
 仏の一大事因縁とは、衆生の仏知見の開示悟入のために仏が世に出現する
 ことをいいます。
 と言うことは、次の二つの意味が有ります。

 ―粟犬漏示悟入が可能である。
 ∧は、衆生の開示悟入を援助する。

合掌

●17 法華経 方便品第二-5     2010/12/19(日) 午後 10:25

●開三顕一(会三帰一、開権顕実)

開三顕一とは、「三つを開いて一つをあらわす」という意味の言葉です。
これまでのお釈迦さまは、声聞・縁覚・菩薩という三つの修行方法によって人々を導いてきました。
しかし、それは方便であり、一大事因縁によって、全ての衆生のゴールは、
成仏することであると説かれた教えのことです。

\縞后ΑΑΤ惱主義の人。
 勉学を好み、師匠の言葉によって学習する人の事です。

縁覚・・・体験主義の人。
 師につかず、縁を観察し、瞑想によって悟りを目指す人々です。

J郢АΑΑΦ澪兌腟舛凌諭
 菩薩にも段階があり、三乗という場合は低い段階の菩薩を指します。
 すなわち、学習、瞑想、戒律よりも、苦しみもがいている人々を
 救うことを第一に考え実行する人々のことです。

○方便教

 真実教=悟りそのものを直接的に説いた教え
 方便教=真実に導く手立てとして相手に応じて種々に示した教え

開三顕一によって、お釈迦さまがこれまで説かれた教えは方便であり、
一仏乗の教えを説くための準備であった事が明かされました。

お釈迦さまは、成道して45年の間、多くの教えを説きました。
お釈迦さまは、人々の機根に応じて教えを説いたため、八万四千の法門があったといわれます。
お釈迦さま入滅後、弟子たちは教えの内容を経典としてまとめました。
多くの教えがあったため、経典の数も膨大です。
その膨大な経典の中で、代表的な経典は、法句経、阿含経、般若経、維摩経、涅槃経、
華厳経、法華三部経、浄土三部経、金剛頂経などが挙げられます。
方便品によって、釈尊はこれまでの教えは方便であった事を説かれました。
ということは、法華経以前の経典は方便経であったということです。

合掌

●18 法華経 方便品第二-6     2010/12/19(日) 午後 10:32

●五濁の悪世

「舎利弗よ。
  諸仏は五濁の悪世に現われます。悪世の衆生は、心が汚れ、善根がなく、
 自己中心的で迷いに満ちた存在であるため、諸仏は方便力によって、
  一仏乗を三つに分けて導くのです。


々綢(こうじょく)
 時代が長くたったために起こる濁り。公害、環境破壊など。

煩悩濁
 貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)の煩悩が盛んになったために起こる感情の濁り。
モラルやマナーは忘れられ、人間らしさが失われるため、犯罪が増えます。

衆生濁
 衆生の差別感が強くなったために起こる愛情の濁り。
 表面的な差別にとらわれ、それぞれが自我を主張するために争いが増えます。

じ濁
 見方の違いから起こる思想の濁り。邪悪な思想・見解がはびこり、対立が激しくなります。

ヌ紳(みょうじょく)
 衆生の寿命が次第に短くなるために起こる生きがいの濁り。
 生き生きとした命が見えなくなり、計画性、努力がなくなります。

合掌

●19 法華経 譬喩品第三     2010/12/20(月) 午後 7:57

○第3:譬喩品(ひゆほん)

 [聞き手代表] 舎利弗
 [内 容] 方便品の説法によって、舎利弗が自分の可能性に目ざめ、歓喜し、
仏を目指して修行することを誓います。
舎利弗の誓いを聞いて、その誓いが本物であることを認め、
お釈迦さまは舎利弗に対し、声聞最初の授記をさずけます。
授記とは、仏になることの保証を仏が授けることです。
しかし、方便品で気づけたのは舎利弗のみであったため、
多くの人々に分かりやすいようにとお釈迦さまは、譬喩(ひゆ)をもって
一仏乗の教えを説きました。
そのたとえが、有名な「三車火宅のたとえ」です。

●ストーリー [迹門・正宗分、法説周(領解、述成、授記)、譬説周(正説)]

方便品の説法を聞いて、舎利弗は歓喜し、立ち上がって合掌し、そしてお釈迦さまに言いました。
「私たちは、釈尊の教えによって悟った存在になったのだと自負していたのに、
釈尊からの授記はなく、小乗の教えしか説いて頂けないことに疑問を感じていました。
しかし、今、これまで私たちが学んだ教えは、最上の悟りへと導く方便として
説かれた教えだと知りました。
今は一切の疑念は消えました。
釈尊のこの法を聞いて、私は、本当の仏の子になったのです。」

それを聞いてお釈迦さまは、舎利弗に語りました。
「舎利弗よ、お前は限りなく遠い未来世において、幾千万億の諸仏に仕え、
菩薩のなすべきことを終えた後、成仏を得るでしょう。
名を華光如来(けこうにょらい)と言い、その国を 離垢といい、
その時代は大宝荘厳と言われるでしょう。」

そこにいた全ての人々は、舎利弗が最上の悟りの記を受けるのを見て大いに歓喜し、
上衣を脱いでお釈迦さまに捧げました。
帝釈天や梵天王は、天子の衣や天の花の曼陀羅華をもって供養しました。
虚空には、散ぜられた天衣が舞い、美しい音楽が響きわたりました。
会衆の中から賞賛の声が聞こえました。

「釈尊は、鹿野苑で五人の比丘に 初めて法を説かれ、
今ここ霊鷲山で無上の大法輪を転じられました!」
舎利弗はお釈迦さまに言いました。
「ここにいる千二百人の阿羅漢たちは、釈尊の教えの通り修行を重ね、
生・老・病・死を離れて、悟りを得たと思っております。
しかし今、いまだかって聞いたことのない釈尊の法を聴いて、
自分たちの得た悟りと最上の悟りの違いが分からず動揺しております。
どうか皆の疑惑をはらしてください。」

お釈迦さまは、舎利弗に語りました。
「それでは舎利弗よ、ひとつたとえ話をしましょう。智のある人は、たとえ話で教えを悟る事でしょう。」
こうしてお釈迦さまが、方便品で説いた内容をたとえ話にしたのが、「三車火宅のたとえ」です。

●主な登場人物
○舎利弗

●舎利弗の歓喜と懺悔(さんげ)と誓願

方便品の説法によって、舎利弗がお釈迦さまの説法の深さに気付き、
そして大いに歓喜しました。
そして、釈尊に懺悔しました。
「私はこれまで、菩薩が授記・成仏なさるのを見ましたが、
自分たち声聞には授記・成仏がないことから、仏知見から遠い存在なのだろうかと感じ、
非常に悲しく思っていました。
また、釈尊は、なぜ、私たちには小乗の教えしか説いてくれないのだろうと思うこともありました。
これは、私たちの誤りであり、釈尊の誤りではありません。
私たちが修行を続け、待っていれば、釈尊は必ず大乗の教えを説いてくださるからです。
どうやら私たちは、方便の教えを方便とは理解できず、
釈尊の方便の教えを聞いて仏法を悟ったつもりになっていたのです。
 しかし、今、これまでに聴いたことのない未曽有の教えを聞き、諸々の疑惑は消え、
安穏の心を得ました。
今日、この様に自覚しました。私たちは仏子なのです。
仏の口、仏の教化より生まれ、仏の分を得たのです。私は誓願いたします。私はまさに成仏し、
全ての皆さんに尊敬されるようになり、諸々の菩薩を教化致します!」

○舎利弗は小乗の代表者

 舎利弗は、小乗仏教の代表者として法華経に登場しています。
 小乗仏教徒、特に声聞の僧たちは、釈尊の説いた無我や空の教えを研究する事に没頭し、
結果として無我や空を虚無として捉えました。
虚空(無我・空)と虚無とは、全く異なる概念なのですが、虚無を答えとした声聞の多くは、
消極的、受動的になり、生き続ける気力を失い、疲れた状態になっていました。

●舎利弗への授記・・声聞最初の授記

授記とは成仏の保証のことで、きちんと修行をしたならば・・、という条件つきの保証です。
具体的には、仏の名前、土地、時代、仏の寿命などが、告げられます。

●舎利弗の願い

舎利弗が釈尊に、衆生のために開三顕一の教えをもっと分かりやすく説いてくださいとお願いします。
「これまで声聞・縁覚の人々は、釈尊からの教えを受け、修行をし、生老病死の苦から離れ、
涅槃を得たと思っていました。
しかし、その涅槃は修行の最終ゴールではなく、成仏こそが目的であるという教えを聞き、
疑惑を生じています。
できれば、皆さんのために因縁を説いて疑問をはらして下さい。」

●三車火宅のたとえ(釈尊)

お釈迦さまは、舎利弗の質問に対し、
「私は先ほど、諸仏は種々の因縁、比喩、言辞をもって方便して法を説くのは、
衆生を、最上の悟りに導くためだと言いました。
この諸々の所説は皆菩薩を教化するためです。
では、この内容を比喩によって分かりやすく説きましょう。」

〜ある時、長者の屋敷が火事になりました。
中にいた長者の子供たちは遊びに夢中になっており、火事に気付かず、
長者が声をかけ、説得しても外に出ようとはしませんでした。
長者は自分の力で無理にでも救いだそうと考えますが、
それでは間に合わないと感じ、何とか速やかに救いだす方法はないかと思案しました。
そこで、一計を案じ、長者は、子供たちが欲しがっていた「羊の車」「鹿の車」「牛の車」が
外にあるから取りにおいでと誘いました。
三車があると聞いて子供達は、先を争うように外に出ました。
子供たちを救うことの出来た長者は、子供たちに大白牛車を与えました。

○三車火宅のたとえの意味

 長者=仏
子供たち=衆生
火宅=苦しみに満ちたこの世界
羊車・鹿車・牛車の三車=声聞・縁覚・菩薩の三乗=方便の教え
大白牛車=一仏乗の教え。

長行(散文)のところでは出てきませんが、偈(韻文、詩)のところでは、
火宅の様子が詳しく描写されています。

●主師親の三徳

 今 此の三界は皆これ我が有なり。
その中の衆生は 悉くこれ吾が子なり。
しかも 今 此のところは諸々の患難多し。
ただ我一人のみ よく救護をなす。

この宇宙は仏の世界であり、仏の救いを受けぬ者はないということで、
日蓮上人はこの一節より主師親の三徳を唱えました。

 ー腓瞭繊ΑΑΠ貔攴粟犬鮗藐遒靴堂爾気襪海
 ∋佞瞭繊ΑΑΠ貔攴粟犬魘気導いて下さること
 親の徳・・・一切衆生を慈愛して下さること

合掌

●20 法華経 信解品第四     2010/12/20(月) 午後 8:21

○第4:信解品(しんげほん)

 [話し手代表] 四大声聞・・・須菩提、摩訶目健連、摩訶迦旃延、摩訶迦葉
 [内 容] 釈尊による方便品での説法、舎利弗への授記、三車火宅のたとえによって、
四大声聞が、自分の可能性に目覚め、自分たちの理解したことを
「長者窮子のたとえ」にして発表した章です。

●ストーリー [迹門・正宗分、譬説周(領解)]
譬喩品によって、お釈迦さまが舎利弗に記を授け、さらに三車火宅のたとえによって、
開三顕一の教えがより分かりやすく説かれました。
その結果、四大声聞が開三顕一を深く悟り、そして、四大声聞が自分たちの悟りの内容を喩えにし、
お釈迦さまに発表しました。その喩えが、「長者窮子のたとえ」です。

●信解
 信とは、感情のはたらきのことで、解とは理智のはたらきのことです。
 信解のサンスクリット語は、「アディムクティ」です。
信解意外にも、不動・決心・確信、仏道にしっかり心を結びつけ動揺しないことなどとも訳されます。
鳩摩羅什(くまらじゅう)は、アディムクティを信力という言葉にも訳しています。

●主な登場人物

○四大声聞
 四人共に釈尊の十大弟子です。

/槓酊鵝覆靴紊椶世ぁ法淵好屐璽謄ー)
 解空第一。
長者の身分から出家した人で、空に関しては弟子中ナンバー・ワンだとされています。

∨琺徒楫鯱◆覆泙もっけんれん)(マハー・モッガラーナ)
 神通第一。
神通力とは超能力のことで、目連は超能力者として有名でした。
舎利弗とは幼少の頃からの親友で、ほぼ一生を通して修行を共にしています。

K琺轍獵啀筺覆泙かせんねん)(マハー・カッチャーナ)
 論議第一。一説では、釈尊が仏陀になると予言したアシタ仙人の弟子で、アシタ仙人の命令によって仏弟子になったとされています。

に琺轍猴奸覆泙かしょう)
 頭陀第一。
頭陀(ずだ)とは、托鉢行のことで、摩訶迦葉は必要最小限の物で暮らすことに長けていました。
バラモンの出身で、20歳の時に出家し、しばらくはバラモンとして修行していましたが、
お釈迦さまに出会って仏教に帰依しました。
仏教第二祖です。

●四大声聞の歓喜、懺悔
 お釈迦さまによる方便品での開三顕一の説法、譬喩品での舎利弗への授記、
三車火宅のたとえによって、四大声聞は一仏乗の教えを悟り、大いに歓喜しました。

●長者窮子のたとえ(摩訶迦葉)
 釈尊から学んだ開三顕一の教えの内容を確認するために、四大声聞を代表して
摩訶迦葉が発表した喩え話です。

〜ある長者の息子が、幼い頃に家出をし、50年もの間各地を放浪したあげく、
ある豪華な邸宅前にたどり着きました。
息子は定職につかず、家もなく、金もなく、ふらふらとし、非常に貧乏な暮らしをしていました。
その豪華な邸宅は実は自分の父親の家であり、自分にとって実家なのですが、
息子はそのことに気付かず、うらやましく邸宅内を見ていました。
外にいる男を一目で自分の息子だと気づいた長者は、自分が父であることを秘密にし、
使者に息子を連れてくるように命じましたが、息子は使者を見て、捕まえられて殺されると勘違いし、
地に倒れ気絶してしまいました。
息子の落ちぶれた姿を見て、息子が抵抗しない様に使者にみすぼらしい格好をさせて、
「便所掃除の仕事があるが、やってみないか?」と誘わせました。
便所掃除ならばと息子は仕事を引き受け、長者の邸宅に行き真面目に働き始めました。
たまに長者も汚い格好をし、息子に近づき、一緒に働きました。
息子は一生懸命に働き、やがて20年の月日が流れました。
年老いた長者は、ついに息子に対して親子であると明かし、息子に財産の管理を任せました。

○長者窮子のたとえの意味
 長者=仏
息子=衆生
便所掃除=方便
 自分は迷った人間だ、罪の子だ、などという卑屈な考えを捨て、
仏の子であるという真実に目覚めよ、というたとえです。

 長者窮子のたとえは、仏と弟子の関係を長者と窮子の関係でたとえており、
その関係は一対一です。しかし、仏と弟子は一対多の関係です。
つまり、四大声聞達はまだ小乗の域を出ていません。

合掌

●21 法華経 薬草喩品第五     2010/12/20(月) 午後 8:51

○第5:薬草喩品(やくそうゆほん)

 [聞き手代表] 摩訶迦葉
 [内 容] 四大声聞の発表を聞いて、声聞たちの覚りが間違いないことを知った釈尊が、
開三顕一の教えを仏と衆生との関係を中心に説いた章です。
仏は一切衆生を仏にするために説法をされますが、
衆生の方の機根・性質・欲求が異なるために受け止め方に違いがでます。
そんな仏の教えの平等さと受け取る衆生の差別を、「三草二木のたとえ」にして
釈尊が説かれました。

●ストーリー [迹門・正宗分、譬説周(述成)]

●主な登場人物

○摩訶迦葉

●三草二木のたとえ
大地には無数ともいえる種類の草木が生い茂っています。
草木の大きさは大中小があり、性質、姿、形も千差万別ですが、
大雲が起こり雨が降り注がれると、すべての草木は平等に潤います。
しかし、雨は平等に降りますが、草木の違いによって成長の仕方は異なり、花も実も異なります。

○三草二木のたとえの意味

大雲=仏
雨とは教え
小草とは人間や天上の神々
 中草とは声聞・縁覚の二乗
上草とは二乗の教えを通過した菩薩
 小樹とは大乗の教えを理解した菩薩
大樹とは大乗の教えの奥義を理解した菩薩

この説話の大雲とは仏で、雨とは教え、小草とは人間や天上の神々、中草とは声聞・縁覚の二乗、
上草とは二乗の教えを通過した菩薩、小樹とは大乗の教えを理解した菩薩、
大樹とは大乗の教えの奥義を理解した菩薩です。
それら衆生は各自の機根に応じて、一乗の教えを二にも三にも聞きますが、
仏は大慈悲をもって一味(一乗の異名)実相の教えを衆生に与え、利益で潤したことを例えています。

仏は個人に対しても法を説きますが、ある時は数人に対し、
ある時は数千人に対して同時に法を説きます。
全く同じように仏が説法しても、聞く人によって、根性欲が異なるため、受け止め方は様々です。

●仏の四弘誓願
 〔い静戮擦兇觴圓賄戮擦靴
 ¬い晴鬚擦兇觴圓浪鬚擦靴
 Lい整造爾兇觴圓楼造爾靴
 ぬい折載僂擦兇觴圓涅槃せしめ

合掌

●22 法華経 授記品第六     2010/12/21(火) 午前 8:00

○第6:授記品(じゅきほん)

 [聞き手代表] 四大声聞・・・須菩提、摩訶目健連、摩訶迦旃延、摩訶迦葉
 [内 容] 釈尊が四大声聞に授記をする章です。

●ストーリー [迹門・正宗分、譬説周(授記)]

●主な登場人物
 四大声聞・・・須菩提、摩訶目健連、摩訶迦旃延、摩訶迦葉

●大王の膳のたとえ
 飢えたる者が大王の前にいき、ごちそうを出されても、大王の許しがなければ食べにくい。
大王より、「召し上がれ」と許しを得れば安心して食べることができます。
この様に、我々にも釈尊の口から授記が欲しいと、たとえをもって授記を願いました。

合掌

●23 法華経 化城喩品第七     2010/12/21(火) 午前 8:13

○第7:化城喩品(けじょうゆほん)

 [聞き手代表] 諸々の比丘たち
 [内 容] 因縁説として、前世における仏と弟子たちとの関係を説き、
成仏までの長い修行期間に対して不安を感じている者たちに対して、
「化城宝処のたとえ」を説いて力づけました。

●ストーリー [迹門・正宗分、因縁周(正説)]
はるか昔のこと、大通智勝如来という仏が、好成という名の世界にいました。
その仏が修行中、間もなく最高の智慧を得ることを予測した神々は、
菩提樹の下に獅子座を設け、悟りを開かれることをお助けしようと陰ながらお世話をしました。
その仏は菩提樹の下に坐して長い時間が過ぎ、ついに成仏しました。
大通智勝如来には、出家する前に16人の子供がおり、子供たちは父が悟りを開いたことを知って、
大通智勝如来の元へと訪れ、ぜひとも教えを頂きたいと願いました。
また、大通智勝如来が悟りを得た時、十方のそれぞれの世界は六種に震動し、
それぞれの世界の中央より光が放たれ、これまで薄暗かった場所や
暗い闇だった場所を明るく照らしました。
この不思議な光景を見て、天に住む諸々の梵天王たちは、集まり、意見を交換しました。
そして、世界を観察し、仏が出現したことを知り、大いに歓喜し大通智勝如来の元へと訪れ、
自分たちの宮殿を寄贈し、ぜひとも教えを頂きたいと願いました。
いつしか、大勢の人々や魔人、神々、精霊たちも聴聞に集まり、一心に教えを待っていました。

大通智勝如来は、16人の子供たちと梵天王たちの願いを聞き入れ、教えを説き始めました。
まずは、四諦の法門を説き、十二因縁の法を説き、みんなが理解できるまで何度も説きました。
そして、16人の子供たちは教えを深く理解し、出家し、もっと深い教えを求めるようになりました。
大通智勝如来は、聴聞衆の機根が高まった事を知り最高の教えである妙法蓮華経を説きました。
16人の子供たちは、妙法蓮華経を理解しましたが、ほとんどの人々にとっては理解しがたく、
疑いの心を持つようになりました。
大通智勝如来は、あきらめることなく、長い間妙法蓮華経を説き続けられた後、三昧に入られました。
16人の子供たちは、大通智勝如来が三昧に入られたのを知り、
自分たちで妙法蓮華経を説き広めました。
三昧から目覚めた大通智勝如来は、16人の子供たちが妙法蓮華経を布教していたことを喜び、
みんなの前で誉めたたえました。

お釈迦さまは、以上の話をした後、みんなに向かって言いました。
「大通智勝如来の16人の弟子たちは、多くの人々を教化した結果として、今では成仏を果たし、
十方の世界に分かれて教えを説いています。
その中の一人が私であり、娑婆世界を受け持っている仏です。」

●主な登場人物
○大通智勝如来
○大通智勝如来の16人の子供たち
○梵天王たち

●釈尊と仏弟子たちとの因縁

○大通智勝如来

○十六人の子供たち

○十方の大梵天王たちの請願

●回向文(結願の文)
 願わくはこの功徳を以って普く一切に及ぼし我らと衆生と皆共に仏道を成ぜん。

●大通智勝如来の説法
○三たび十二行の法輪を転じたもう。
 三通りの四諦の法門のこと

 ー転
 勧転
 証転

○十二因縁の法
 ―臈
 逆転

○妙法蓮華経・教菩薩法・仏所護念

●示教利喜
 教えを説く順序

 ー
  教えのおおまかな内容を示すこと。
 教
  示すことによって、相手の心が動いたことを確認し、教えの内容を詳しく説くこと。
 M
  その教えを実行することにより、利益を得るように導くこと。
 ご
  その教えを実行し続けることが、人生の喜びとなるように仕向けること。

●化城宝処のたとえ
多くの人々が、遥か彼方にあるという宝のある場所(宝処)を目指して旅をしていました。
その中に一人の優秀な導師がおり、彼は、宝処までの道順をよく知っていました。
人々は、険しく厳しい道のりに疲れ、宝処まで 2/3 程の道のりをきたところで、
引き返したいという意見が多く出る様になりました。
そこで導師は、方便力をもって幻の城を化現させ、そこで人々を休息させ、旅の疲れを癒しました。
人々が満足したことを見て、導師はこれは化城であることを告げて、化城を消しました。
そして、再び宝処に向かって出発し、ついには人々を真の宝処に導きました。

○化城宝処のたとえの意味
導師は仏、旅をする人々は一切衆生、遥かな道のりは仏道修行の厳しさや困難、
化城は二乗の悟り、宝処は一乗の悟りであり、仏の化導によって二乗がその悟りに
満足せずに仏道修行を続けて、一乗の境界に至らしめることを説いています。

合掌

●24 法華経 五百弟子受記品第八     2010/12/21(火) 午前 8:20

○第8:五百弟子受記品(ごひゃくでしじゅきほん) 

 [聞き手代表] 富楼那(ふるな)、キョウ陳如(きょうちんにょ)
 [内 容] 富楼那、キョウ陳如をはじめとする沢山の高弟たちへ授記を与える章です。
開三顕一を覚ったキョウ陳如が、覚った内容を、「衣裏繋珠のたとえ」にして発表します。

●ストーリ-  [迹門・正宗分、因縁周(領解、述成、授記)]

●五百弟子
 この章では、1200人の声聞の弟子たちが授記を受けますが、500人の弟子が、
「普明如来」という名号を授けられるため、五百弟子受記品のタイトルがあります。

●主な登場人物
○富楼那(ふるな)(プルナ)
 富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)とも。
弥多羅尼とは富楼那の母親のことです。
富楼那の父親はバラモンであり、お釈迦さまの父親であった浄飯王の国師でした。
 十大弟子の一人で説法第一。
舎利弗とは問答友達であり、お互いを高く評価していたということです。

○キョウ陳如(きょうちんにょ)(アニャー・コンダンニャ)
 阿若キョウ陳如(あにゃきょうちんにょ)とも。
初転法輪の際の五比丘の一人で、最初に釈迦の教えを理解できたために、
お釈迦さまが、「アニャー!(よく、理解できました!)」と言ったためこの名があります。

●衣裏けい珠のたとえ(キョウ陳如の発表)
〜ある貧乏な男が、金持ちの親友の家に招かれ酒に酔い眠ってしまいました。
親友は急な用事により遠方に外出することになり、
眠っている男を起こそうとしましたが起きませんでした。
そこで親友は、彼の衣服の裏に高価な宝珠を縫いこんで出かけました。
しばらくして男は起き上がると、親友の家を出て、他国をさすらい、
少しの収入に満足して暮らしていました。
時がたち、男は再び親友に出会いました。
親友は男がまだ貧乏な暮らしをしていることに驚き、男に宝珠のことを伝えました。

○衣裏けい珠のたとえの意味
金持ちの親友は仏、貧乏な男は声聞、宝珠は真実一乗の教えです。
成仏は仏性の自覚から。

合掌

●25 法華経 授学無学人記品第九     2010/12/21(火) 午前 8:30

○第9:授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)

 [聞き手代表] 阿難(あなん)、羅ゴ羅(らごら)
 [内 容] 釈尊の侍者である阿難と釈尊の実子である羅ゴ羅、
二千人の声聞の修行者へ記を授ける章です。
この授記によって、説法会に集ったほとんどの者が記を受けたことになります。
学とは、まだ学ぶことが残っている声聞衆で、無学とは学ぶことの無くなった
修行者のことです。

●ストーリー [迹門・正宗分、因縁周(領解、述成、授記)]

●学・無学の修行者
 小乗仏教の修行者のこと。

○学(有学)
まだ学ぶことが残っている修行者のこと。
小乗の重要な教えである四諦の法門を深く理解していますが、
煩悩を立ち尽くすまでには至らず、戒・定・慧の三学を学んでいる修行者の事です。
小乗仏教の修行の階位に四向四果 (しこうしか)がありますが、
最終階位である阿羅漢果に至っていない修行者のことです。

○無学
 もはや学ぶべきことは学び尽くしてしまった修行者のことです。

○四向四果 (しこうしか)
 小乗仏教の修行の四つの階位のことで、「向」とは修行の目標、「果」は到達した境地を示します。

〕体(よる)
 聖者の流れに入った階位です。
一来(いちらい)
 一度 天界に生れ再び人間界に戻ってさとりに入る階位です。
I坿垳(ふげん)
 もはや人間界にもどることなく、天界以上の階位に上って悟りに至る階位です。
ぐね經糎(あらかん)
 応供(おうく)とも。尊敬や施しを受けるに相応しい聖者の階位です。

●主な登場人物

○阿難(あなん)(アーナンダ)
多聞第一。
十大弟子の一人。アーナンダとは、「歓喜」の意味です。
釈尊の従弟で、提婆達多の弟です。
出家後、釈尊が涅槃に入られるまで、約25年間常に近侍し、身の回りの世話を行っていました。
そのため教説を最もよく聞いており、記憶していたので、
第1回の経典結集の時には彼の記憶に基づいて釈尊の教えを口述し、
経典が編纂されたといいます。

○羅ゴ羅(らごら)(ラーフラ)
密行第一。
十大弟子の一人。
ラーフラとは、「障害」の意味があり、お釈迦さまが出家を決断しようとした時に
妻の耶輸陀羅が懐妊したため、障害という名がつけられた、という説があります。
しかし、私は、親が子に、ましてやお釈迦さまが息子に障害と命名した事に合点がいきません。
別の説で、ラーフラとは、龍の頭を意味する言葉で釈迦族のシンボルのため、
この名をつけたとあります。私はこちらの説の方がピンときます。
釈尊には、太子の頃、三人の妻がおり、それぞれに子供がいて、
三人の子供は皆出家し、仏弟子になりました。
しかし、三人の中でラーフラのみが聖者となったため、
他の二人の子が経典に登場する事は少なかったようです。
ラーフラは、不言実行を以って密行を全うし、密行第一と称せられましたが、
勉学を好んだため、学習第一とも称せられました。

●身近な人の教化は難しい
アーナンダ、ラーフラへの授記が遅れた理由は、アーナンダが釈尊の侍者であり、
ラーフラが釈尊の実子であったためです。

●願
○総顔・・・四弘誓願
 全ての菩薩の起こす願いの事です。,詫他で、↓い麓利の誓願です。

―粟弧喫媽栖蠹戞覆靴紊犬腓Δ爐悗鵑擦いんど)
 無辺の衆生を、すべて救済するという誓願です。
煩悩無量誓願断(ぼんのうむりょうせいがんだん)
  無量の煩悩を、すべて断つという誓願です。
K〔臾疑埓栖蠱辧覆曚Δ發鵑爐犬鵑擦いんち)
 無尽の教えを、すべて学ぶという誓願
な道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)
  無上の仏道を、すべて成し遂げるという誓願

○別願・・・自身の願い

合掌

●26 法華経 法師品第十     2010/12/21(火) 午前 8:40

○第10:法師品(ほっしほん)

 [聞き手代表] 薬王菩薩
 [内 容] 聴聞衆が開三顕一を覚り、菩薩の自覚を持ったことを知り、
釈尊の説法は次の段階に上がります。仏に成る修行とは、
法師の修行だということです。法師とは人のために仏法を説く人のことです。
この章では、法師の修行内容、心構え、その功徳が説かれています。

●ストーリー [迹門・流通分]

釈尊は薬王菩薩に対して、「人が法師の修行をするならば、その人に対し私は記を授けます」
と告げました。
すなわち、人々のために教えを説き広めるという行為こそが一番の修行であると教えたのです。

●主な登場人物
○薬王菩薩
 薬王菩薩は、薬上菩薩とともに薬を人々に与えた功徳により菩薩の位になったといいます。
 薬王菩薩、薬上菩薩は、釈迦如来の脇侍として付き従う菩薩です。
 法華経薬王菩薩本事品で紹介されます。

●聴聞代表が菩薩に
 この章からは、お釈迦さまの説法の相手が薬王菩薩へと変わります。
これまでは、舎利弗などの声聞相手だったのですが、菩薩へと変わるのです。
このことから、教菩薩法である妙法蓮華経が、
いよいよ本格的に説かれるのだということが理解できます。

●法師
 法師とは、「法の師匠」のことです。
ここでの法とは、仏の教えを指します。
仏教の師には、法師の他にも、禅師・経師・律師・論師・三蔵師などがいますが、
法華経では法師の修行の重要性が説かれています。

●五種法師の修行
 受持・読・誦・解説・書写という5つの修行のことです。
 ただし、法華経の章によっては、書写がなく受持・読・誦・解説の四種であることがあります。
これは、法華経28章が一気に出来たものではなく、長い年月をかけて成立したためです。
四種で書かれた方が古い章です。

ー持
 教えを受け、心に持ち続けること。


 教えを読むこと。


 教えを暗記すること。

げ鮴癲淵機璽爛ティ)
 教えを解説すること。

ソ饉
 教えを写し書くこと。

●十種供養
_

瓔珞(ようらく)
 仏像の首飾、宝冠、天蓋の装飾や、仏前の荘厳(しょうごん)(飾り)に多く用いられる
玉や貴金属に紐を通してつないだ飾りのこと。
に香(まっこう)
 粉末状の香のこと。
ヅ氷(ずこう
焼香
 香を焚くこと。
啌(そうがい)
幢幡(どうばん)
衣服
伎楽(ぎがく)

●願生

●如来の使い

●法華経の教えを行じることが最大の供養であり、法華経を罵ることが最大の罪である

●すべての経の中で法華経が第一である
 我が所説の諸経 しかも此の経の中において 法華最も第一なり

●法難に対し仏が護る

●高原穿しゃくのたとえ
 法華経を知ったという事は悟りに近い。

●衣・座・室の三軌
^瓠ΑΑ柔和忍辱の心
∈臓ΑΑΧを悟った智慧
室・・・大慈悲心

●仏の守護

 〔法蓮華経を説く者には、仏は化人を遣わして法を聴かせます。
 ¬法蓮華経を説く者に、刀や杖、瓦石を加えてくる人がいたら、仏は化人を遣わして護衛します。
 L法蓮華経を説く者が、一人で人里を離れた、静かな場所にいて、
ひっそりとして人の声がない場合、妙法蓮華経を読誦すれば、仏は清浄光明の身を現わします。
 ぬ法蓮華経を説く者が、もし章句を忘れた場合、その人に対し法を説いて通して理解させます。
 ヌ法蓮華経の徳を有する者が、四衆のために妙法蓮華経を説き、 
人里を離れた場所で読誦すれば、その衆生は仏の姿を観ることが出来ます。
 μ法蓮華経を説く者が、一人で人里を離れた、静かな場所にいたら、 
仏は天・龍・夜叉・鬼神などを遣わして、聴法の衆とします。

合掌

●27 法華経 見宝塔品十一     2010/12/21(火) 午前 8:55

○第11:見宝塔品(けんほうとうほん)

 [聞き手代表] 大楽説菩薩
[内 容] 地より多宝如来が内部に座る巨大な塔が現れ、虚空に浮遊し、
釈尊もその塔に入り、二仏が並んで座りました。
多宝如来は妙法蓮華経が説かれる場所に参上することを誓願した仏です。
その後、十方の仏と菩薩も集い、人々は仏の神通力によって空中に浮遊し、
説法の場所は霊鷲山より、虚空へと変わりました。  
そして、釈尊は、人々に末法における法華経弘通の人を求められました。
 
●ストーリー [迹門・流通分]

 宝塔涌現、分身来集、通一仏土。

●主な登場人物

○多宝如来
証明法華の仏。
法華経が説かれる場所に出現し、その説かれた内容に間違いがないことを証明する仏。

○大楽説菩薩

●宝塔涌現

●平等大慧

●大楽説菩薩の質問
 世尊、何の因縁を以ってか此の宝塔あって地より涌出し、又その中よりこの音声を発したもう。

●釈尊の答え
○此の宝塔の中に如来の全身います。
○多宝如来の大誓願
 多宝如来がまだ菩薩だった頃、次の様に大誓願をされました。
 「もし私が成仏して滅度の後、十方の国土において妙法蓮華経が説かれたならば、
この経を聴くために、私を祭る塔をその前に涌現して、証明役となり、讃えて善哉と言いましょう」

●三変土田
仝思の惑
 三界の煩悩を浄化する。
⊃从擦力
 限りない現象に的確に判断出来ない迷いを破する。
L橘世力
 迷いの根本を破す。

●二仏並座
 多宝如来と釈尊が並んで座ります。
 ○多宝如来・・・法身の仏
 ○釈迦牟尼仏・・・報身、応身の仏

●令法久住
 法華経の広宣流布の呼びかけです。
 「誰がこの教えを説いてくれますか? 今こそ、その時です!」

●六難九易
 絶対に不可能と思われる9つの事よりも、仏の滅後に法華経を広めることの方が
難しいということを説いたもの。

○六難
 
々説此経難(こうせつしきょうなん) 
仏の滅後に、悪世の中で、法華経を説くことは難しい。

書持此経難
 仏の滅後に、法華経を書き、あるいは人に書かせることは難しい。

暫読此経難
 仏の滅後に、悪世の中で、しばらくの間でも法華経を読むことは難しい。

ぞ説此経難
 仏の滅後に、ひとりのためにも法華経を説くことは難しい。

ツ絢此経難
 仏の滅後に、法華経を聴受して、その義趣を質問することは難しい。

受持此経難
 仏の滅後に、よく法華経を受持することは難しい。

○九易
 上記の6つの項目よりも、次の9つの項目の方が易しいと説いています。

〕招仞睨^
 法華経以外の無数の経を説くこと

⊃槎閇鈎岼
 須弥山をとって他方の無数の仏土に投げること

世界足擲易
 足の指で大千世界を動かして遠くの他国に投げること

ね頂説法易
 有頂天に立って無量の余経を説法すること

デ超遊行易
 手に虚空、大空をとって、自由に歩くこと

β地昇天易
 大地を足の甲の上に置いて梵天に昇ること

大火不焼易
 枯草を負って大火に入っていっても焼けないこと

┨説得通易
 八万四千の法門を演説して聴者に六通を得させること

大衆羅漢易
 無量の衆生に阿羅漢位を得させて六神通をそなえさせること

●宝塔偈(此経難持の偈)

合掌

●28 法華経 提婆達多品第十二     2010/12/21(火) 午前 9:11

○第12:提婆達多品(だいばだったほん)

 [聞き手代表] 比丘たち、智積菩薩、文殊菩薩
[内 容] 過去の出来事を説き、流通の大切さを明らかにします。
提婆達多という悪人の成仏と、竜宮に住む龍女の女人成仏を説いた章です。
善知識になることの功徳が示されています。 

●ストーリー [迹門・流通分]

●主な登場人物

○提婆達多(ダイバダッタ)(デーヴァダッタ)
釈尊の十大弟子の一人である阿難(アナン)の兄であり、
釈尊とはいとこの関係になる釈迦族の一員です。
提婆達多もお釈迦さまのもとに出家し、修行を積み、優秀な弟子として高く評価されました。
しかし、お釈迦さまに対し、「より厳しい戒律の施行」を進言したのですが、
受け入れられなかったため、釈尊教団から離れ、独自の教団を作りました。
教団から出て、新しい教団を立ち上げることは、破和合僧の罪にあたり、
提婆達多は仏教教団にとって罪人となりました。

また、提婆達多は、破和合僧の罪以外にも、大きな石を山頂から落としてお釈迦さまを殺そうとし、
お釈迦さまの足の指から出血させたという罪、お釈迦さまを殺そうとしていたところを
蓮華色比丘尼にとがめられ、彼女を殴り殺したという罪、という三逆罪を犯したため、
生きながらにして無間地獄に落ちたと言われています。

三逆罪の後も自分の爪に毒をぬり、お釈迦さまを殺そうとしましたが、地が割れ、炎が噴き出し、
巻き込まれて焼け死に、阿鼻地獄に落ちたと言います。
ただし、現在の仏教学では、提婆達多がお釈迦さまを殺そうとしたり、
お釈迦さま殺害を邪魔する者を殺したという事は、後年のでっちあげではないかという意見も多く、
極悪非道の提婆達多というイメージは、後年に作られた増一阿含経などの
経典作成時の創作だとしています。
いつしか、提婆達多は主人公のお釈迦さまに対する悪役を演じるはめになったということでしょう。
法華経には、全く提婆達多の悪行は書かれていません。
提婆達多品に書かれている内容は、提婆達多が過去世において
お釈迦さまの善知識(仏縁)であった因縁によって、未来世において必ず成仏するという事です。
一般的には、悪人成仏という風に提婆達多品を解釈しますが、
ここでは、善知識の成仏にもスポットを当ててみましょう。
 
○阿私陀仙人(阿私仙)
提婆達多の前世

○文殊菩薩

○龍女
 娑伽羅龍王の娘。八歳。
 娑伽羅龍王は、龍宮の王とされています。

●下座の修行
 お釈迦さまは前世において、提婆達多の前世である阿私陀(あしだ)仙人につき、
下座の修行をしました。

●善知識
 正しい道理を教える者のこと。
 知識とも。善知識とは、直訳すると「善い友人」という意味の言葉で、
人々を仏道に誘い導く者のことです。
華厳経では、どんな姿をしていようと仏道に導く者は善知識である、としています。
 逆に誤った道に導く者を悪知識といいます。

●提婆達多への授記

 ○名称=天王如来
 ○世界=天道
 ○寿命=二十中劫

●龍女の成仏

○女人成仏

○畜身成仏

○即身成仏

●善知識の功徳
提婆達多品では、善知識の2つの立場が説かれています。
一つは善知識になった者の立場で、提婆達多の例をあげ、
過去において釈尊の善知識であった提婆達多が、
その功徳によって未来に成仏することが書かれています。
もう一つは善知識に出会った者の立場で、お釈迦さまと竜女の2例があげられています。
前述の様にお釈迦さまは、過去において提婆達多という善知識と出会い、
その縁あって成仏しました。
また、文殊菩薩が竜宮に出向き、そこの住民たちに法華経を説いた事が紹介され、
法華経を素直に受持した竜女の功徳が書かれています。
それは竜女という人でもなく、男でもない、二重差別を受けていた者の即身成仏という功徳です。
つまり、文殊菩薩という善知識を受けた者の功徳が書かれています。
要約すれば、「導いた者も導かれた者も大きな功徳がある」という事です。

合掌

●29 法華経 勧持品第十三     2010/12/21(火) 午前 9:15

○第13:勧持品(かんじほん)

 [聞き手代表] 薬王菩薩、大楽説菩薩
 [内 容] 釈尊の養母である摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)、元妻の耶輸陀羅(やしょだら)
への授記と、菩薩、阿羅漢たちの殉教の誓いの章です。
二万の菩薩が此土の弘経の誓願をし、五百、八千の声聞衆が他土の弘経の誓願をします。

●ストーリー [迹門・流通分]

●主な登場人物

○薬王菩薩

○大楽説菩薩

○摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)(マハー・プラジャーパティー)
釈尊の養母。比丘尼の代表格。
釈尊教団は女人禁制でしたが、摩訶波闍波提が何度も釈尊にお願いをし、
阿難の助けもあって、摩訶波闍波提が女性最初の出家僧となりました。

○耶輸陀羅(やしょだら)(ヤソーダラー)
釈尊の元妻。お釈迦さまとの間に出来た子がラーフラです。
摩訶波闍波提と共に出家しました。

●女人成仏
釈尊の養母である摩訶波闍波提比丘尼と元妻の耶輸陀羅比丘尼に、釈尊が授記を授けます。

●不惜身命
我身命を愛せず、ただ無上道を惜しむ。我はこれ世尊の使いなり。

●三類の強敵

 ‖衆増上慢
 道門増上慢
 Q╂餐上慢

合掌

●30 法華経 安楽行品第十四     2010/12/21(火) 午前 9:37

○第14:安楽行品(あんらくぎょうほん)

 [聞き手代表] 文殊菩薩 
 [内 容] 法華経中、重大な四品のひとつです。
なぜなら、方便品から一貫して説かれた一仏乗の教えの具体的修行方法が
細かく説かれているからです。 
勧持品で不惜身命の誓いを立てた人々の中の、初心行者のために安心して
修行が出来る様にと、釈尊が法師の心得、行動を丁寧に説かれる章です。
それは、摂受の布教方法であり、迹門の流通のために必要な方法です。
さらに、法華経が最高の教えである事を、「髻中明珠のたとえ」にして説かれました。

●ストーリー [迹門・流通分]

勧持品で、諸々の菩薩が、どの様な法難に出会おうとも法華経を広めます、
ということを誓いましたので、文殊菩薩が一同を代表してお釈迦さまに質問をしました。
「私どもが末法の悪世において、法を護持し、説き広めるためには、
具体的にどの様な心掛けが必要でしょうか?」
その質問に対しお釈迦さまが、法華経行者の心得をお説きになりました。
その内容が四安楽行です。

●主な登場人物

○文殊菩薩

●四安楽行

安楽行とは、安らかな気持ちで、自らが進んで、修行・説法することです。

/醗続攅
 身のふるまいと交際における基本的な心得。

口安楽行
 言葉つかい、言ってはならないことなど。

0娑続攅
 嫉妬、へつらい、悪意の戒め。

だ栖螳続攅
 全ての人を仏道に導くことを誓願し、その事に向かってまっしぐらに行じること。

●髻中明珠のたとえ

〜転輪聖王は、兵士に対してその手柄に従って城や衣服、財宝などを与えていました。
 しかし髻(まげ)の中にある宝珠だけは、みだりに与えると人々が驚き怪しむので
 容易に人に授与しませんでした。

○髻中明珠のたとえの意味
 この喩えの転輪聖王とは仏で、兵士たちは弟子、種々の手柄により与えられた宝とは
 法華経以前の様々な教え、髻中の明珠とは法華経であることを表しています。
 また、転輪聖王とは、武力でなく仏法によって世界を治める理想の王のことです。

合掌

●31 法華経 従地湧出品第十五     2010/12/21(火) 午前 9:47

○第15:従地湧出品(じゅうじゆじゅつほん)

 [聞き手代表] 弥勒菩薩
 [内 容] 略して、開近顕遠を示す章です。
       他世界から、諸仏と共に集っていた菩薩たちが、
       「私たちにこの世界での広宣流布をさせて下さい」と申し出たところ、
       釈尊は、「それには及びません。その役割の者はすでにここにいるのです」
       と断りました。
       その時、地より無数の菩薩たちが、釈尊の前に現れました。
       その地湧の菩薩たちは皆徳の高い相を具え、教化の力を持っていました。
       特にリーダー格の四大菩薩は仏に近い存在でした。
       しかし、人々はこれほどの菩薩を一体誰が育成したのかが疑問になり、
       代表して弥勒菩薩が質問したところ、釈尊の答えは、
       「この大菩薩たちを教化したのは私です」という驚きの内容でした。
       無量ともいえる大菩薩たちを教化したのが、
       成道して四十余年の釈尊であるという答えを、にわかに信じることが出来ず、
       弥勒菩薩はその不思議の理由をさらに問いました。

●ストーリー [本門・序分]

●主な登場人物

○弥勒菩薩

○地湧の菩薩

●迹門の教えから本門の教えへ

釈尊は上行菩薩を筆頭とする無量の地涌の菩薩を大地より呼び出し、
「私は久遠よりこのかたこれ等の衆を教化してきたのです」と重大な宣言をしました。
これを聞いた大衆は、
「成仏を遂げて40年くらいの釈尊が、これ等久遠よりの大菩薩達を教化できるのか?」
と疑念を抱き、弥勒菩薩が大衆を代表して釈尊に問います。
この質問によって法華経の肝心である如来寿量品が引き起こされました。

●地湧の菩薩

●四大菩薩

地湧の菩薩の筆頭の四人の大菩薩のこと。
金色の身で三十二相を具えた菩薩である、ということから、悟りを求める菩薩ではなく、
悟りに至った仏が衆生を救うためにこの世界に現れた菩薩だとされています。

 ‐綛塋郢

 ¬喫婢塋郢

 浄行菩薩

 ぐ体行菩薩

合掌

●32 法華経 如来寿量品第十六-1     2010/12/21(火) 午後 1:57

○第16:如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)

 [聞き手代表] 弥勒菩薩
 [内 容] 広く、開近顕遠を説く章です。
       本門の柱だけでなく、法華経全体の中心の章です。
       法華経は仏教中最高の教えだとされていますので、
       仏教中、最も重要な章はこの如来寿量品だといえます。
       では、この章で何が説かれているのかというと、
       本仏釈尊の正体とそのはたらきについています。
       如来の寿命というタイトルがつけられていますが、
       単に生命という意味ではなく、智慧、慈悲、力作、功徳などの結晶をいいます。
       釈尊は、従地湧出品での弥勒菩薩の質問に対し、
       「これから語る内容を信じて理解して下さい」と何度も繰り返した後、
       「私の成仏は四十余年前ではなく、実は時間の観念を超越した遥かな昔のことです。
       私は、成仏して以来、無量の人々を教化し続けてきました。」とおっしゃいました。
       そして、永遠不滅の本仏釈尊は、必要に応じて肉体を持った仏となり、
       この世界に現れ、入滅することを説かれました。如来の語る教えは、
       全て衆生を悟りに導くためです。
       様々な仏の名や教え、菩薩や聖人たちの名や教えを説き示し、
       様々な教化によって悟りに導きます。
       続いて、機根の低い人々を救うために、方便として入滅することを話され、
       そのことを、「良医治子のたとえ」にして説かれました。

●ストーリー [本門・序分]

お釈迦さまは、諸々の菩薩たちと一切の大衆に対し告げました。
「皆さん。私がこれから話す如来の真実の言葉を信じ、理解して下さい。」

お釈迦さまが、この言葉を三度告げると、弥勒菩薩をはじめとする菩薩大衆は、
合掌して釈尊に言いました。
「釈尊。願わくは、真実のお言葉をお聴かせください。私たちは釈尊のお言葉を信受したてまつります。」

この言葉を四度告げ、お釈迦さまは、人々がしっかりと心構えを持っていることを確認し、
語り始めました。
「では皆さん。真実を聴いてください。それは、如来の本体とそのはたらきです。
一切の衆生は、私の成仏は菩提樹の下に座った時だと思っていますが、
私の実の成仏は、無量無辺の昔のことなのです。
成仏してからずっと、私はこの娑婆世界にあって説法・教化しています。
他のあらゆる世界においても衆生を導いています。

皆さん。私は以前、燃燈仏などについて説き、それらの仏が涅槃に入ることを説きました。
それらは全て方便です。つまり、真実に導くための手段だったのです。
皆さん。もし、誰かが私の前に来たならば、私は智慧をもってその人を観察し、
機根・性質・欲求を見抜き、相手に相応しい方法を考え、その場、その場で、仏の名を変えたり、
仏の寿命の長短を説いてきました。
世界に現れては、まさに涅槃に入るであろうと言い、そして様々な方便をもって
絶対なる真理を説き明かして、人々に歓喜の心を発さしめてきました。
 皆さん。私は、諸々の衆生の中の、自分だけの悟りを求める徳が薄く、 
 汚れた心を持つ人々に対しては、その人のために私は若くして出家し、
 悟りを開いたのだ、と説きました。
 しかし、私は実の成仏してからこれまで、久遠なることは、先ほど説明した通りです。
 ただ、方便をもって衆生を教化して、仏道に入れんがために以上の様な教えを説きました。
 皆さん。如来の語る教えは、全て衆生を悟りに導くためです。
 様々な仏の名や教え、菩薩や聖人たちの名や教えを説き示し、
 様々な教化によって悟りに導きます。
 その言葉、説は、真実にして虚実ではありません。
 なぜかと言えば、如来はありのままに、あらゆる世界を観察することが出来るからです。
 生死には、死はなく、生はなく、とどまることもなく、生死の迷いを超越した悟りの境地もありません。
 現象には実体があるのではなく、また無いのでもなく、変化しないのではなく、変化するのではなく、
 三界に住む者が見る様な三界ではありません。
 諸々の衆生の種々の機根・性質・欲求・行動・思考があるのを観察し、
 諸々の善根を起こそうと欲して、因縁・比喩・言葉の使い方によって色々な教えを説きます。
 この様なはたらきを仏は怠ることなく続けています。
 以上の様に私は成仏してから、非常に久遠です。
 寿命は無量で、常に存在し続けて消滅しません。
 皆さん。私は菩薩の道を行じて、成仏してからの寿命は、今もまだ尽きていません。
 これまでの時間の倍はあります。
 しかし、今、実際には世を去るのではないのに、あえて世を去ると宣言しています。
 如来は、この方便をもって人々を教化します。
 なぜなら、もし仏が永く世にいたならば、徳の薄い人は善根を起こそうとしません。 
 心が貧しく卑しくなり、五欲に執着して、

●主な登場人物

○弥勒菩薩

●法華経の中心の章
如来寿量品は、本門の柱というだけでなく、法華経全体の中心の章でもあります。
法華経は仏教中最高の教えと言われていますので、この如来寿量品は仏教の核となる教えです。
ここで説かれている内容は、本仏の正体と本仏の衆生教化の方法です。

●如来の秘密、神通の力

如来寿量品で説かれた内容とは、如来の秘密と神通の力です。
如来の秘密とは、如来の本体の事で、如来の神通の力とは、如来の働きの事です。

●如来寿無量
如来の寿命は永遠だという意味で、仏は生じたり、滅したりはせず、常住であると説いています。
お釈迦さまはこれまで、無常を説いてきましたが、仏は無常ではありません。
法華経の次に説かれた涅槃経にある有名な詩に「所行無常偈」があります。
この詩は和訳され、「いろは歌」になっています。

 「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」
   諸行無常・・・色は匂へど 散りぬるを
   是生滅法・・・我が世誰ぞ 常ならむ
   生滅滅已・・・有為の奥山 今日越えて
   寂滅為楽・・・浅き夢見じ  酔ひもせず

あらゆる現象は変化します。
これを生滅の法といい、この事を理解できなければ苦悩となります。
生滅を滅した時、諸々の苦は消え、悟りの世界へと入ります。

●久遠実成の本仏

大乗仏教において、仏について説かれた重要な経典に、華厳経があります。
法華経は法を中心に説かれた教えですが、華厳経は仏にウェイトを置いた教えです。
華厳経での仏とは、毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)のことで、別名を大日如来と言います。
華厳経の正式名称は、「大方広仏華厳経」であり、大方広仏とは、
「大いなる時間と空間を超越した仏」の意味です。
ということは、毘盧遮那仏は、法身の仏であり、法華経で説かれる本仏と同じ仏です。

●仏の三身

人間としてのお釈迦さまは、在世中に、
「肉身をもった仏に頼ってはいけません。仏は法を悟った者ですから、法こそが真実のよりどころです」
と弟子たちに説いていました。
しかし、お釈迦さま入滅までは、目の前のお釈迦さまに頼り、法を拠り所にはしませんでした。
法を拠り所にしようと改めて考える様になったのは、お釈迦さま入滅後の事です。
肉体を持った仏と、法そのものの仏という二身の仏の考え方となりました。
この時、肉体を持った仏は、人々を救うために、人々に応じて出現する仏という意味の
応身仏という名称がつけられ、永遠不滅の身である法そのものの仏は、
法身仏という名称がつけられました。
その後、肉体を持った人間が修行によって悟りを開いた仏の身が考えられる様になり、
報身仏という名称がつけられました。
三十二相八十種好を持つ仏であり、仏像のモデルにもなっています。

 )/畔
  本仏。宇宙の真理・真如そのもの。色も形もない真実そのものの体をいいます。

 応身仏
  化身。衆生教化の対象に応じて現れた仏です。

 J鷽畔
  受用身。修行によって悟りを得た仏。釈尊も報身仏の一人です。

●六或示現
 衆生救済のための本仏の働きです。

 ^燭い聾平箸鮴發・・・本仏、法身仏
 或いは他身を説き・・・他の姿として現れた仏
 0燭い聾平箸鮗┐掘ΑΑ釈尊
 ぐ燭い和梢箸鮗┐掘ΑΑΔ海寮い妨修譴真諭
 グ燭い聾併を示し・・・順化の教え(喜び、楽をともなう救い)
 Π燭い和昌を示す・・・逆化の教え(痛み、苦をともなう救い)

○本仏の教化方法
本仏は、あらゆる姿となり衆生を教化します。
また、現象は全て本仏の説法です。六或示現とは、そういう意味です。

○己身
本仏は形のない姿で現れ、衆生を教化します。

○他身・・・全ては我が師
本仏は身体を持った姿で現れ、衆生を教化します。
ある時は学校の先生になり、ある時は野球の監督となり、ある時は通りすがりのおばちゃんとなり、
ある時は子供となって、その人を教化します。
そういう応身による救いは、仏に限らず、高い位の菩薩も実行しています。
その代表格が観世音菩薩で、観世音菩薩は三十三身に身を変じて人々を教化します。
本仏や法身の菩薩による他身の救済を、衆生の側から観察した時、
出会う人は全て仏なのだという意識を持つことが肝心です。
吉川英治氏の有名な言葉に、「我以外皆我師」があります。
砕いて言えば、「私以外の者は皆私の師である」という意味です。
この精神があれば、驕ることなく相手から教えを吸収できると思います。
さらにもっと深く観察すれば、縁となるものは全て仏の他身であることが分かってきます。
風が吹いて落ち葉が散ったり、美しい花に蝶がとまったり、自然界で起こるもことの全て、
本やテレビ、映画の世界、家庭や職場などでのあらゆる人間たち、動植物たち、
目に映る全てのものは実は仏の救いなのだと分かってきます。

○己事・・・楽による教化
喜び、楽をともなう教化の仕方です。

○他事・・・苦による教化
お釈迦さまは、この世界は苦で満ちているとし、「一切皆苦」だと説きました。
苦しい事は誰だって嫌ですので、人は苦しみから遠ざかろうと努力し、
観て見ぬふりをし、避けて通る術を身につけます。
しかし、苦は学び向上するための重要な鍵です。
苦の感情がなければ、人間は思い悩んだり、反省したり、現状を乗り越えようと努力したりしません。
菩薩ともなれば、苦の感情を積極的に受け止め、
「今、仏は私に何を教えようとしているのだろう?」
と深く思惟することが必要です。
応身の仏が、他事を示します。
家族の姿となって死んでしまったり、上司となって苛めたり、
家が燃えたり、交通事故を起こしたり・・・。

合掌

●33 法華経 如来寿量品第十六-2     2010/12/21(火) 午後 2:04

●諸法実相

妙法蓮華経の中心となる教義は、諸法実相です。
方便品の最初に、如来の悟った真理とは諸法実相であり、
この真理は通常の人間には難解難入である、と釈尊が言われ、
十如是の法門によって簡単に説明をされました。

その後、仏が世に出現するのは、全ての人に諸法実相の智慧を悟らせるためである、
という一大事因縁をお説きになり、また、仏がこれまで声聞・縁覚・菩薩という修行方法を伝えたのは
方便であり、実は諸法実相を悟るという成仏の方法を伝えるのが本道であったことを
開三顕一としてお説きになりました。
開三顕一にて、誰もが修行次第で仏に成れるということを、初めて人々に発表されたわけですが、
菩薩と舎利弗以外は、その意味を理解できませんでした。
そこで一旦最重要項目である諸法実相の説法を置いておき、開三顕一について、
喩え話や授記、因縁話によって衆生に理解させました。
そして、聴聞衆の全員が成仏出来ることを確信し、菩薩の自覚に立って教えを広めることを
誓ったことによって、時が来たことを悟った釈尊が、ついに如来寿量品にて
諸法実相を明らかにお説きになりました。
諸法とは全ての現象であり、実相とは真理です。
簡単に言えば、あらゆる現象は真理そのものである、という意味です。
言いかえれば、あらゆる現象の中に求めている答えである真理があるということです。
私たちは真理を求めて学習し、修行するわけですが、
実は答えは目の前に展開する現象の中にあるのです。
 
釈尊は、誰もが修行次第で仏に成れるということを法華経の中で説かれましたが、
もう一つ重要な事を法華経で説かれています。
それが、如来寿量品で説かれた久遠本仏です。
本仏は、宇宙の大生命とも表現されます。

●十如是の法門

方便品にて、軽くさわりだけ説明した十如是の法門を、改めて詳しくご説明します。
復習してみると、十如是の法門とは、諸法実相を、相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等
という10の分類で説いた教えであり、万物の相は真理である、万物の性は真理である、
という様に、相・性・体・力・作・因・縁・果・報は全て真理であるという教えでした。

’\Я
 形相。形態。現象。森羅万象。形として捉えることの出来る万物の姿のこと。
 この相は真理である。

如是性
 本質。精神、心、智慧。

G\体
 本体。相・性を合わせた生命体、物質の主体、本体のことです。

で\力
 潜在的能力。エネルギー。諸々の行を起こす本の能力です。

デ\Ш
 作用。自他への作用のことです。

η\О
 直接的な原因。

如是縁
 条件、間接的な関係。

如是果
 因に対する結果。

如是報
 報い・縁に対する間接的な結果。

如是本末究竟等
 相から報にいたるまでの9つの事柄が究極的に無差別平等であること。

合掌

●34 法華経 如来寿量品第十六-3     2010/12/21(火) 午後 2:08

●良医治子のたとえ(釈尊)

ある所に腕の良い医者がおり、その医者には沢山の子供がいました。ある時、良医の留守中に子供たちが毒薬を飲んで苦しんでいました。その時に良医が帰り、薬を調合して子供たちに与え、半数の子供たちは素直に薬を飲み、身体を治すことができました。

しかし、残りの子供たちは正気を失い、薬を拒否しました。良医は、なんとか子供たちに薬を飲ませようと一計を案じ、「私は年をとりました。間もなく死ぬでしょう。この薬はいい薬なので、子供たちよ、服してください」と言い残し、外出しました。そして使いを出し、子供たちに父親が出先で死んだと伝えさせました。父の死を聞いた子供たちは、嘆き悲しみ、大いに憂いて、父親が残してくれた良薬を飲んで、毒を消すことができました。子ども達が回復したことを知った良医は、家に戻り子ども達と会いました。

○合譬

この喩えの良医は仏で、毒を飲んで苦しむ子供たちが衆生、良医が子供たちを救う姿は仏が一切衆生を救う姿、良医が死んだというのは、仏が方便で涅槃したことを表しています。

合掌

●35 法華経 如来寿量品第十六-4     2010/12/21(火) 午後 2:25

●自我偈

我仏を得てより来 経たる所の諸の劫数 無量百千万億載阿僧祇なり
常に法を説いて 無数億の衆生を教化して 仏道に入らしむ 
爾しより来無量劫なり
衆生を度せんが為の故に 方便して涅槃を現ず
而も実には滅度せず 常に此に住して法を説く
我常に此に住すれども 諸の神通力を以て
顛倒の衆生をして 近しと雖も而も見ざらしむ

衆我が滅度を見て 広く舎利を供養し
咸く皆恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず
衆生既に信伏し 質直にして意柔軟に
一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜まず
時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず
我時に衆生に語る 常に此にあって滅せず
方便力を以ての故に 滅不滅ありと現ず
余国に衆生の 恭敬し信楽する者あれば
我復彼の中に於て 為に無上の法を説く
汝等此れを聞かずして 但我滅度すと謂えり

我諸の衆生を見れば 苦海に没在せり
故に為に身を現ぜずして 其れをして渇仰を生ぜしむ
其の心恋慕するに因って 乃ち出でて為に法を説く
神通力是の如し 阿僧祇劫に於て
常に霊鷲山 及び余の諸の住処にあり
衆生劫尽きて 大火に焼かるると見る時も
我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり
園林諸の堂閣 種々の宝をもって荘厳し
宝樹華果多くして 衆生の遊楽する所なり
諸天天鼓を撃って 常に衆の妓楽を作し
曼陀羅華を雨らして 仏及び大衆に散ず
我が浄土は毀れざるに 而も衆は焼け尽きて
憂怖諸の苦悩 是の如き悉く充満せりと見る
是の諸の罪の衆生は 悪業の因縁を以て
阿僧祇劫を過ぐれども 三宝の名を聞かず
諸の有ゆる功徳を修し 柔和質直なる者は
則ち皆我が身 此にあって法を説くと見る
或時は此の衆の為に 仏寿無量なりと説く
久しくあって乃し仏を見たてまつる者には 
為に仏には値い難しと説く
我が智力是の如し 慧光照すこと無量に
寿命無数劫 久しく業を修して得る所なり

汝等智あらん者 此に於て疑を生ずることなかれ
当に断じて永く尽きしむべし 仏語は実にして虚しからず
医の善き方便をもって
狂子を治せんが為の故に
実には在れども而も死すというに
能く虚妄を説くものなきが如く
我も亦為れ世の父 諸の苦患を救う者なり
凡夫の顛倒せるを為て 実には在れども而も滅すと言う
常に我を見るを以ての故に 而も・恣の心を生じ
放逸にして五欲に著し 悪道の中に堕ちなん
我常に衆生の 道を行じ道を行ぜざるを知って
度すべき所に随って 為に種々の法を説く
毎に自ら是の念を作す 何を以てか衆生をして
無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと

合掌

●36 法華経 如来寿量品第十六-5     2010/12/21(火) 午後 2:26

●自我偈の意味       工事中

合掌

●37 法華経 分別功徳品第十七     2010/12/21(火) 午後 2:30

○第17:分別功徳品(ふんべつくどくほん)

 [聞き手代表] 弥勒菩薩
 [内 容] 久遠実成の本仏を悟った者の功徳

●ストーリー [本門・正宗分]

●主な登場人物

●四信五品・・・信仰者の心掛け

○在世の四信

 ^貲或解・・・諸法実相の目覚め
 ⇔解言趣・・・法華経をあらまし理解すること
 9為他説・・・法華経に帰依し、布教すること
 た漆観成・・・仏とともに居ることの実感

○滅後の五品

 ―蘓鏨遏ΑΑλ_攘个鯤垢い突難いと歓喜する位
 読誦・・・法華経を受持し、読誦する位
 説法・・・法華経を受持し、他者のために説法する位
 し鷙塹仕戞ΑΑλ_攘个鮨解し実践に移しながら、六波羅蜜を行ずる位
 ダ宜塹仕戞ΑΑΥ袷瓦墨伺藩緻を行じつつ、法華経を体解する位

合掌

●38 法華経 随喜功徳品     2010/12/21(火) 午後 2:34

○第18:随喜功徳品(ずいきくどくほん)

 [聞き手代表] 弥勒菩薩
 [内 容] 分別功徳品において説かれた四信五品の内、
       最も重要である初随喜の功徳を説いた章です。

●ストーリー [本門・流通分]

●主な登場人物

○弥勒菩薩

●初随喜の功徳
教えに随喜する、すなわち心から「有難い」と思うその感激と歓喜こそが、
信仰にとって欠くことのできない大きな根本要素です。

●五十展転
仏の滅後に法華経を聞いて随喜して人に伝え、またその人が随喜して人に伝えという風に、
次々に伝えていき繰り返して五十人目に伝え、聞いた人が随喜した場合、
その人の功徳は絶大だということです。
いわんや一番最初に聞法して随喜する人の功徳は更に大きいというものです。

●仏縁に会う尊さ、それを与える尊さ

合掌

●39 法華経 法師功徳品     2010/12/21(火) 午後 2:38

○第19:法師功徳品(ほっしくどくほん)

 [聞き手代表] 常精進菩薩
 [内 容] 法師の行を積極的に続ける者が、目、耳、鼻、舌、身、意という六根に
       受ける功徳が説かれた章です。

●ストーリー [本門・流通分]

●主な登場人物

○常精進菩薩

常に精進をする菩薩です。
成仏までの道は長く、怠けずに歩き続けることが必要です。
しかし、頑張り続けるとストレスがたまり、くじけてしまい、仏道から離れてしまうこともあります。
時には休憩をとり、道から外れぬように、長い道のりをゆっくりと歩き続けることが必要です。

●六根清浄

人間に具わった六根を清らかにすることです。
なぜ六根を清らかにすることが必要かと言うと、世界をあるがままに観察するためです。

●菩薩の四無畏

 〜躬不忘・・・教えをしっかりと記憶して忘れないこと
 ⊃埣遼〔堯ΑΑα蠎蠅虜性欲に合わせて法の薬を処方すること
 A映縮篥・・・質問、反発に対して真理に合わせて答えること
 で獣琶疑・・・どんな疑問に対しても、きちんと仏の真意を伝えること

●世法も仏法に一致

もし俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん。

合掌

●40 法華経 常不軽菩薩品第二十     2010/12/21(火) 午後 2:51

○第20:常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)

 [聞き手代表] 得大勢菩薩
 [内 容] 安楽行品では、迹門の布教方法である、「摂受」が説かれていますが、
       この常不軽菩薩品では、本門の布教方法である、「折伏」を説いています。
       遠き過去、威音王如来入滅後の像法の世に、常不軽と呼ばれた菩薩が、
       仏性礼拝行の功徳によって、六根清浄を得、さらに妙法蓮華経を得、
       最高の悟りに達した事が説かれています。この往事の説法によって、
       法華経の弘通を勧められます。

●ストーリー [本門・流通分]

お釈迦さまは、得大勢菩薩に語りました。
「妙法蓮華経を保ち修行する者に悪口を言い、罵る者たちは、大きな罪の報いを受けるでしょう。
 また、妙法蓮華経を保ち修行する者の功徳は、すでに説いた様に、六根が清らかになるのです。」

はるか昔のことです。
その世界の仏であった威音王如来が入滅してしばらくした頃、仏の教えが形式化してしまい、
教えを悟りのためでなく単なる研究対象にしたり、悟ってもいないのに悟り顔をして
威張り散らす聖者もどきの出家僧が多く存在していました。
そんな中に常不軽菩薩という一人の菩薩がいました。
この菩薩は、出会う出家僧たちに対し、
「私はあなたを軽んじません。なぜなら、あなたは菩薩となり、いつか成仏する人だからです。」
と言い礼拝しました。
この菩薩は、経典を読誦することなく、ただ礼拝を積極的に行いました。
人々の中には、常不軽菩薩の言葉に怒りを表し、
「お前は何の根拠があって俺に授記をするのだ。そんな偽りの授記など俺はいらんぞ!」
と石をぶつけたり、棒でなぐりました。
しかし、それでも常不軽菩薩はめげることなく、少し離れたところから、
「私はあなたを軽んじません。あなたはいつか、必ず成仏します。」
と礼拝しました。

いつもこの言葉を人々に告げるため、いつしかこの菩薩は馬鹿にされ、
常不軽とあだ名をつけられました。
常不軽と馬鹿にされ、棒で打たれ、石つぶてに傷付きながらも、
なおも常不軽菩薩は怒ることなく礼拝行をし続けました。
その功徳があって、死期が近づいた頃、常不軽菩薩は威音王如来が、
先に説かれた妙法蓮華経を虚空の中で聴く事が出来ました。
その内容をことごとく受持した常不軽菩薩は、六根清浄を得ることが出来ました。
加えて寿命も延び、元気になった常不軽菩薩は、広く人のために妙法蓮華経を説きました。

以前は常不軽というあだ名をつけて苛めていた人々も、
現在の常不軽菩薩の聖者としての姿と説法を聴き、
信伏して従う様になりました。
こうして多くの人々を教化して、常不軽菩薩は最上の悟りという最高の真理を得ることができました。
常不軽菩薩は入滅後、二千億の日月灯明仏に出会い妙法蓮華経を説き続けました。
その因縁から、さらに二千億の雲自在灯王仏に出会い妙法蓮華経を説き続けました。
こうして人々を教化し続け、六根清浄を得た後、ついに最上の悟りという最高の真理を悟ることができ、
成仏に至ったのです。

得大勢菩薩よ。
この常不軽菩薩とは、前世の私自身なのです。
そして、常不軽菩薩を軽んじ罵った人々は、二十千万億劫のあいだ仏に会えず
、一万劫のあいだ阿鼻地獄に堕ちて苦しみ、この罪を終えて、
やっと常不軽菩薩の教化の場に会えました。
その人々とは、今ここに居る最上の悟りにおいて退転することのない境界のものたちなのです。
得大勢菩薩よ。この妙法蓮華経は菩薩に利益を与え、最上の悟りに至らしめます。
この故に菩薩たちよ、如来の滅後において、常に是の教えを受持し、
読誦し、解説し、書写してください。

●主な登場人物

 ○常不軽菩薩

 ○得大勢菩薩

●常不軽菩薩品の要点

 ○仏性礼拝行

合掌

●41 法華経 如来神力品第二十一     2010/12/21(火) 午後 2:55

○第21:如来神力品(にょらいじんりきほん)

 [聞き手代表] すべての人
 [内 容] 地湧の菩薩のリーダーである上行菩薩に付属(別付属)をします。
そして、その付属のために、釈尊と諸仏が十大神力を示現する章です。

●ストーリー [本門・流通分]

●主な登場人物

●十大神力

 ―亶長舌(二門信一)・・・信仰の対象はただひとつ

 ¬唸κ光(二門理一)・・・真理はひとつ

 0貉謦がい(二門教一)・・・三乗即一仏乗

 ざ羔γ道悄米麑膺涌譟法ΑΑ自他一体。異体同心。

 ハ纂鐫脇亜米麑膵坩譟法ΑΑκ郢Ч圓亮汰

 ι畍大会(未来機一)・・・未来は機根が同等になる。

 Ф中唱声(未来教一)・・・未来は宗教が団結する。

 咸皆帰命(未来人一)・・・未来は全ての人が法華経信者となる。

 遙散諸物 (未来行一)・・・未来は全ての人が法華経行者となる。

 通一仏土 (未来理一)・・・未来は真理に従って大調和する。

●四句要法
 法華経の功徳の要点

 ’〕茲琉貔擇僚衢の法

 如来の一切の自在の神力

 G〕茲琉貔擇糧詬廚梁

 で〕茲琉貔擇凌喊爾了

●結要付属
 地涌の菩薩への別付属。

●即是道場
 釈尊の付属に応えて、菩薩行が実践されるところ。

合掌

●42 法華経 嘱累品第二十二     2010/12/21(火) 午後 2:58

○第22:嘱累品(ぞくるいほん)

 [聞き手代表] すべての人
 [内 容] 嘱とは付属のことで、累とは煩累(はんるい)のことです。
       煩累とは、煩わしく面倒なことをいいます。
       よって嘱累とは、「煩わしい事を託すること」です。
       付属の対象を全ての人々に広げる章です。
       人々が使命をよく受けたので、多宝如来と異世界の仏たち、
       菩薩たちにそれぞれの世界に戻る様にすすめ、
       その仏たちはこの間の出来事を大いに讃えました。

●ストーリー [本門・流通分]

●主な登場人物

●総付属

合掌

●43 法華経 薬王菩薩本事品     2010/12/21(火) 午後 3:00

○第23:薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)

 [聞き手代表] 宿王華菩薩
 [内 容] 化他流通。苦行について。身の実践。
  説法の舞台は、再び霊鷲山に戻ります。
       本事とは、往時(過去)の所業のことであり、
       この章では薬王菩薩の本事を示し、自己犠牲、
       献身的な実践こそが最大の供養であるということを説いています。

●ストーリー [本門・流通分。(本迹の流通)]

●主な登場人物

○薬王菩薩

薬王菩薩から学ぶことは、人間にとって自己犠牲ほど高貴な精神はなく、
実践こそが教えに対する最高の供養であるということです。

合掌

●44 法華経 妙音菩薩品第二十四     2010/12/21(火) 午後 3:03

○第24:妙音菩薩品(みょうおんぼさつほん)

 [聞き手代表] 妙音菩薩、華徳菩薩
 [内 容] 化他流通。三昧。口の実践。
       東方の一切浄光荘厳国から、釈尊を供養し、
       法華経を聞くために霊鷲山に来た妙音菩薩について説いた章です。
       釈尊は、妙音菩薩が三十四種に身を変現して
       衆生を救う神通の力(普現色身三昧)を持つことを説き、
       法華経の流通を勧めました。

●ストーリー [本門・流通分。(本迹の流通)]

●主な登場人物

○浄華宿王智如来(じょうけしゅくおうちにょらい)

○妙音菩薩
 理想の現実化
 ヒンドゥー教の女神である弁才天(べんざいてん)と同一視されることもあります。

○華徳菩薩(けとくぼさつ)

○現一切色身三昧(げんいっさいしきしんざんまい)

合掌

●45 法華経 観世音菩薩普門品第二十五     2010/12/21(火) 午後 3:08

○第25:観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんほん)

 [聞き手代表] 無尽意菩薩、持地菩薩
 [内 容] 法華経中、重大な四品のひとつです。
       なぜなら、本仏のはたらき(用)を観世音菩薩のはたらきによせて
       表しているからです。
       この章では、西方に住むという観世音菩薩のはたらきについて
       説かれています。
       それは、普く門を開き、相手に応じて姿を変えて示現し、
       衆生を救うというはたらきです。

●ストーリー [本門・流通分(本迹の流通)。化他流通。三昧。意の実践]

●主な登場人物

○観世音菩薩(アヴァローキテーシュヴァラ)

 観音菩薩、観自在菩薩とも。
 智慧の経である般若心経に登場するように、真実の智慧の象徴とされています。

●普門示現

観世音菩薩が、衆生の根性欲に応じて、様々な姿に変じ、あまねく衆生を救うことで、
法華経には、三十三身に変じて法を説くことが説かれています。
その人を教化するのに、仏の姿が相応しい場合は仏の姿となり、
辟支仏の姿が相応しい場合は辟支仏の姿になるというものです。

(1)仏身(ぶっしん)
(2)辟支仏身(びゃくしぶつしん)
(3)声聞身(しょうもんしん)
(4)大梵王身(だいぼんおうしん)
(5)帝釈身(たいしゃくしん)
(6)自在天身(じざいてんしん)
(7)大自在天身(だいじざいてんしん)
(8)天大将軍身(てんだいしょうぐんしん)
(9)毘沙門身(びしゃもんしん)
(10)小王身(しょうおうしん)
(11)長者身(ちょうじゃしん)
(12)居士身(こじしん)
(13)宰官身(さいかんしん)
(14)婆羅門身(ばらもんしん)
(15)比丘身(びくしん)
(16)比丘尼身(びくにしん)
(17)優婆塞身(うばそくしん)
(18)優婆夷身(うばいしん)
(19)人身(じんしん)
(20)非人身(ひじんしん)
(21)婦女身(ふじょしん)
(22)童目天女身(どうもくてんにょしん)
(23)童男身(どうなんしん)
(24)童女身(どうにょしん)
(25)天身(てんしん)
(26)龍身(りゅうしん)
(27)夜叉身(やしゃしん)
(28)乾闥婆身(けんだつばしん)
(29)阿修羅身(あしゅらしん)
(30)迦樓羅身(かるらしん)
(31)緊那羅身(きんならしん)
(32)摩ご羅迦身(まごらかしん)
(33)執金剛身(しゅうこんごうしん)

●現一切色身三昧(げんいっさいしきしんさんまい)

 普現色身三昧。
 一切衆生の形体を自由に現わす ことのできる三昧。

●大悲代受苦

●徳も力も妙法とその実践から生じる。

合掌

●46 法華経 陀羅尼品第二十六     2010/12/21(火) 午後 3:12

○第26:陀羅尼品(だらにほん)

 [聞き手代表] 薬王菩薩 他
 [内 容] 法華経を守護するため、薬王菩薩や勇施菩薩等が神呪を説いた章です。

●ストーリー [本門・流通分。(本迹の流通)]

●主な登場人物

薬王菩薩、勇施菩薩、毘沙門天王、持国天王、十羅刹女

●陀羅尼(だらに)(ダーラニー)

「暗記されるべき呪文」の意味です。
呪文の一種で、比較的長いものを言います。
通常は訳さず、サンスクリット語原文を漢字に音写したものを唱えます。

合掌

●47 法華経 妙荘厳王本事品第二十七     2010/12/21(火) 午後 3:16

○第27:妙荘厳王本事品(みょうそうげんおうほんじほん)

 [聞き手代表] すべての人
 [内 容] 化他流通。誓願。
        荘厳王の過去の因縁の章です。
        仏道修行には、善知識の存在がいかに必要であるかを、
        妙荘厳王の昔話を通して説かれます。

●ストーリー [本門・流通分。(本迹の流通)]

●主な登場人物

●因縁の大切さ
 前世で法華経を実践し、その徳を「因」として、今世で善い「縁」、善知識に会えたからこそ、
 今こうして法華経を学べる。

●身近な人を導くには実証が必要

○奇跡の意味
 仏法を学び、信じることによって、人格が一変し、したがって日常の行いがすっかり変ったことを意味しています。

●指導的立場の人の信仰は影響が大きい。

合掌

●48 法華経 普賢菩薩勧発品第二十八     2010/12/21(火) 午後 3:25

○第28:普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぼつほん)

 [聞き手代表] 普賢菩薩
 [内 容] 自行流通。神通。
       東方宝威徳仏の弟子である普賢菩薩が、法華経の説法を聞きに霊鷲山に
       往詣しましたが、説法がすでに終わっていたため、せめて肝要なところの
       再説をと釈尊にお願いしました。
       そこで釈尊は、四つの大事(四法成就)を述べられました。
       勧発とは、信心発起を勧めることで、古くよりこの章は、
       再演法華と呼ばれています。

●ストーリー [本門・流通分。(本迹の流通)]

●主な登場人物

○普賢菩薩(ふげんぼさつ)(サマンタバドラ)

 行の菩薩。法華経を唱え、行じる人々の前に東方より白象に乗って現れる菩薩。

●四法成就

 ―仏に護念せらるることを得

 ⊇堯垢瞭阻椶鮨△

 正定聚に入り

 ぐ貔攴粟犬魑澆Δ凌瓦鯣せるなり

合掌

●49 仏説観普賢菩薩行法経     2010/12/21(火) 午後 3:28

●仏説観普賢菩薩行法経

 [聞き手代表] 阿難
 [内 容] 法華三部経の結経です。

●ストーリー

●主な登場人物

○普賢菩薩(ふげんぼさつ)(サマンタバドラ)

○阿難

●諸法実相

 無分別の法

合掌

●無量義経・・・性相空寂     2010/12/21(火) 午後 7:56

やっと、法華三部経のあらましが、終わりましたので、
少しずつ内容の吟味に入っていきたいと思います。
まずは、性相空寂から。

 性相・・・心と身体。厳密に言えば性とは、本質的なもの、相は特徴のこと。
 空寂・・・空を悟った境地

法華経の諸法実相に通じる教義ですが、同義ではありません。
ここでは、一切のものの空に焦点が当てられており、
一切のものの空性を知る事に依る安穏の境地のことを言っています。

般若心経の「照見五蘊皆空、度一切苦厄」と同義だと思います。
一切が空であると悟る事に依って、安穏の境地に入るということです。

経典では、性相空寂ということを念頭に置き、無大、無小、無生、無滅、
非住、非動、不進、不退、なお虚空の如く二法あることなしと観察しなさい、と言います。
この大小、生滅、住動、進退の8つの否定については、般若心経のところで詳しく述べた通りです。
つまり、三解脱門の瞑想による、結論です。

 そのものは空である。
 空なので無相である。
 無相なので無願である。

言いかえれば、

 そのものには、実体はない。
 実体がないので、認識がおこらない。
 認識が出来ないので、執着がおこらない。

大小、生滅、住動、進退は、ものが有るからそういう認識に至る。
よって、有ると見なければ認識に至らず、全てはスペースになる。 

●法華経・・・開経偈     2010/12/21(火) 午後 10:43

●開経偈

妙法蓮華経を唱える際に、初めに開経偈を読みあげます。
妙法蓮華経という有難い教えに出会えたことに感謝し、
必ずやこの教えを理解しようという思いを募らせるためです。

 無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭い奉ること難し、
 我今見聞し、受持することを得たり、願わくは如来の第一義を解せん。
 至極の大乗、思議すべからず、見聞触知皆菩提に近づく。
 能詮は報身、所詮は法身、色相の文字は、即ち是れ応身なり。
 無量の功徳、皆この経に集まれリ。
 是故に自在に冥に薫じ密に益す。有智無智罪を滅し善を生ず。
 若しは信、若しは謗共に仏道を成ず。
 三世の諸仏、甚深の妙典なり。生生世世、値遇し頂戴せん。

〜この上もなく深い最高の教えには、何万年という非常に長い時間の中においても
出会う事は難しいものです。
私は今、その教えに出会い、心にしっかりと受け止めることが出来ました。
願わくは、如来のみが知るという絶対なる真理を悟りたいと存じます。
大乗の真理は、思考によって得られるものではありません。
見ること、聞くこと、触れること、知ることが悟りへの道です。
真理を明らかにするものは世に出た仏であり、明らかにされる内容は絶対なる真理です。
そして、文字としての経典は、私たちに応じて現わされた仏の姿です。
無量の功徳は、全てこの妙法蓮華経に集結しています。
よって意のままに、知らず知らずのうちに功徳が身につき、密かに利益を与えることができます。
智慧ある者も、智慧なき者も、罪を滅し、善根を生じさせます。
もしこの経を信じていたとしても、もし批難していていたとしても、
誰もが仏道を歩む事が出来ます。
妙法蓮華経は、現在・過去・未来の諸仏の非常に深い境地を顕された勝れた教えです。
何度生まれ変わっても、この妙法蓮華経を求め、頂戴致しましょう。

今回は、開経偈の中の、
「能詮は報身、所詮は法身、色相の文字は、即ち是れ応身なり」
という文章に注目してみましょう。大乗の真理は、
思考(分別智)によって得られるものではなく、
直観に依るとし、大乗の真理を人々に説かれるのは報身仏であり、
説かれる内容は法身仏であり、人々の目に映る相は、応身仏である、としています。
では、報身仏、法身仏、応身仏とはどういう仏なのかというと、
実はイマイチ定義がしっかりしていません。
古くは、宇宙の本仏である法身仏と、人の身体を持って世に出現した
色身仏の二種類でしたが、後に色身仏に二種があるとして、
報身仏、応身仏という概念が生まれました。
定義がはっきりしていないのは、この報身仏、応身仏のことで、
この二種はあいまいに捉えられています。

このブログでは、報身仏、法身仏、応身仏を次の様に定義する事にします。

)/畔(真理)
 仏の本体。宇宙のあらゆるものの根源であり、真理そのもの。
∧鷽畔
 受用身。修行によって悟りを得た仏。釈尊もその一人です。
1身仏
 化身。衆生教化のために、対象に応じて現れた仏です。

「能詮は報身」とは、「説いている主体は報身仏である」ということで、
説法をしているのは、釈尊などの様に修行によって悟りを得たとされる仏陀である、
ということです。

「所詮は法身」とは、「説かれている客体は法身仏である」ということで、
釈尊が説いている内容は、宇宙の真理であり、本仏のことであるということです。

「色相の文字は、即ち是れ応身なり」とは、経典に書かれている文字は、
本仏の化身であるということです。

合掌

●法華経・・・三種類の法華経     2010/12/21(火) 午後 11:06

●三種類の法華経
 
法華経には、三種類の法華経があると言えます。
それは、私たちが手に取り、読誦することの出来る経典(書)としての法華経、
すなわち応身仏としての法華経と、釈尊などの報身仏の説かれた妙法蓮華経と、
宇宙の本仏である法身仏が説かれている真の妙法蓮華経の三種類です。

〃佚気遼_攘弌扮身仏としての法華経)
経典の法華経とは、文字による法華経です。
つまり、書として世に出た、私たちも入手可能な法華経です。
2500年前に釈尊によって説かれた教えを、後の仏弟子たちが、編修した書物です。
報身仏の説かれた妙法蓮華経の紹介書であり、法身仏の説く真の妙法蓮華経の
手引書です。

例えば、ここに、「将棋」という本があるとします。
その本が将棋そのものではないということは、すぐに理解できるし、
おそらく将棋の遊び方ののった「将棋の紹介書」、「将棋の手引書」みたいな本であることも、
すぐに分かります。

経典の法華経には、最も重要な教えである諸法実相について、
どの様なものかという内容は説かれていません。
諸法実相という真理を悟るためのカギ的な役割となっています。
よって、この経典としての法華経を表面だけで読んでしまうと真理に至る扉は開かれません。
しかも、そのカギが何であるかも、容易には分からないように巧みに隠してあります。

∧鷽畔の説く妙法蓮華経

報身仏の説く妙法蓮華経とは、この世界で肉体を持って生まれた仏が、
説かれた妙法蓮華経のことです。
具体的には、2500年前に霊鷲山にて釈尊によって説かれた妙法蓮華経のことを
指しますが、経典には、序品の日月灯明仏の説かれた妙法蓮華経、
化城喩品の大通智勝如来とその16人の弟子たちによって説かれた
妙法蓮華経などの様に報身仏の説く妙法蓮華経が数カ所に出てきます。

K/畔の説く真の妙法蓮華経

法身仏とは、大日如来、毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)、妙法蓮華経の本仏釈尊の様に、
時間と空間を超越した仏の事です。

法身仏の説く真の妙法蓮華経とは真諦です。
それは、世俗の真理を超えた絶対の真理、根本・究極の真理のことで、
第一義諦、勝義諦とも言います。
真諦は、文字・言葉を超えた真理であるため、
他者から学ぶだけでは悟る事は出来ず、自らが体験し、気づき、
目覚める事によってしか悟ることは出来ません。

コーヒーを飲んだ事のない人に、コーヒーの味を伝える事は不可能です。
コーヒーを飲むという体験によってのみしか、コーヒーの味を知ることは出来ません。
本や他者によってコーヒーの味とはこういうものである、と聞いて、
想像で感覚をつかめても、それは本物ではありません。
見た目や香り、味覚、湯気の感じ、熱さ、ほっとする感じ、美味しいという満足感などは
体験しないと分からない世界です。

同様に自転車に乗った事のない人に、自転車に乗った感覚を伝える事は不可能です。
自転車に乗るという体験によってのみしか、自転車に乗った感覚を知る事は出来ません。
本や他者によって自転車に乗った感覚とはこういうものである、と聞いて、
想像で感覚をつかめても、本物ではありません。
バランス感、スピード感、気持ちよさ、恐ろしさ、ドキ・ドキ、ワク・ワクは、
体験しないと分からない世界です。

仏の悟りの内容も、悟った者にしか分かるはずがなく、仏と仏にしか共通理解は出来ません。
釈尊が真諦を悟った時、他者に対してこの悟りの内容を伝えることは不可能だと思い、
一旦は教えを説き広めることを断念したそうです。
しかし、梵天王からの強い要望があり、再び思案して、方便によって人々の機根を高め、
機根が高まり時期が来たときに真諦の悟り方を伝えようと決心したのだといいます。

法身仏は、人々に対して真諦を悟れるようにと説法しています。
では、法身仏は、どの様な方法で真の妙法蓮華経を説くのでしょう?
答えは、応身仏・報身仏になって説いています。
応身仏とは化身のことで、本仏は人々を教化するために、様々な色身に化します。
男性の身で教化する必要がある時は男性の身となり、
女性の身で教化する必要がある時は女性の身となり、
子供の身で教化する必要がある時は子供の身となり、
猫の身で教化する必要がある時は猫の身となります。
生物だけでなく、必要であれば、パソコンになったり、テレビになったり、
映画になったり、漫画になったりもします。

身だけではなく、現象によっても人々を教化します。
あらゆる出来事は、本仏の説法です。
交通事故、火事、水難、強盗、人との出会いや別れ、それらの苦しい出来事も
全てが本仏の説法です。
全ては、真諦を悟らせんがためです。

真の妙法蓮華経とは、本仏による一切衆生への教えの事です。
教えの内容は究極の真理である諸法実相であり、教えによって一切衆生は
成仏することが可能です。
真の妙法蓮華経は、本仏の教えですので、宇宙の時と空間を超えて、
いつでも、どこでも、誰にでも、平等に説法されています。

真の妙法蓮華経の内容は、大きく方便と真理とに分かれています。
本仏は事物と現象を通し、衆生に方便と真理を説くのです。
経典の法華経を読めば理解できるように、
方便とは、人々を究極の真理に導くためのステップであり、
方便にて人々の機根を上げてから、最終的に究極の真理を教えます。
とは言っても、これは方便、これは真理という様に分類されたものでもなく、
凡夫には非常に分かりにくい世界です。

合掌

●法華経・・・本仏について     2010/12/22(水) 午前 0:55

法身・報身・応身の仏と言うと非常に分かりにくいので、こんな言い方に変えます。

 法身・・・本仏、宇宙の仏
 報身・・・お釈迦さま
応身・・・事物・現象・・・つまり、縁となるもの

本仏とは、真理そのものなのですが、直接衆生に話しかけることが出来ません。
そこで、数千年に一度、お釈迦さまの様な仏陀が誕生され、
宇宙の真理について、語り尽くされます。
しかし、お釈迦さまが、お説きになっていることは、実は真理そのものではなく
真理を体解するための修行方法です。

そのお釈迦さまの説かれた修行方法を書によって、世に出されたのが
私たちが手に出来る妙法蓮華経です。

三種類の法華経についても、次の様に定義することにします。

 妙法蓮華経=経典
 法華経=お釈迦さまの教え。
 真の法華経=本仏の説かれた教え・・・ただし、事物・現象によってのみ説かれる

書の妙法蓮華経を読めば、お釈迦さまが説かれたとされる法華経の内容が分かります。
しかし、経典一巻がまるごと譬喩である妙法蓮華経からは、法華経の教義を特定することが
非常に困難ではあります。

簡潔に言えば、

 \弧紳里寮犬る目的は成仏である。
 ∪弧紳里成仏することを、本仏は援助する。本仏は無始無終の真理である。
 生命体には、十界の種が互具しており、縁に依って十界が展開する。
 だ弧紳里、仏種を成長させるためには、善行が必要である。
 ダ弧紳里、仏種を伸ばすためには、他者への善知識になることが必要である。
 生命体が、仏陀となるためには、六波羅蜜の完成が必要である。

密教の大日如来は、言葉巧みに法を説きますが、妙法蓮華経の「久遠実成の本仏」は無口です。
しかし、本仏も、その人その場合にピッタリとした教化を、事物・現象を通して施してくださいます。
といっても、聖書の中で空腹で死にそうなモーセ一向に「マナ」という食べ物を天から降らすような
そんな、物質的奇跡ではなく、「気づき」としての施しです。

合掌

 

 

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