蓮の道 般若心経 (2014) |
2019.7.13
これまで、『般若経』『般若心経』という書庫で、般若心経の解釈をさせていただきましたが、まだまだ分かりやすい内容とはいえません。自分の勉強のために、もう一度最初から『般若心経』の解釈に取り組ませていただきます。
皆さんからのコメントを心よりお待ちしています。
現代語訳
まず、簡単に『般若心経』を訳します。空などの用語は、そのまま使っていますから、仏教に馴染んでいない方にとってはチンプンカンプンかも知れませんが、おおよそ、このような内容が説かれていると理解していただけたら幸いです。
般若波羅蜜多心経
観自在菩薩は、深く智慧の完成のための修行をされていた時、この世界を構成する要素のすべては空だと見極められて、一切の苦難と災厄から離れられました。
舎利子よ。
形あるものは空と離れていません。空は形あるものと離れていません。形あるものは、すなわち空であり、空はすなわち形あるものです。感受作用、表象作用、意志作用、認識作用も同じです。
舎利子よ。
すべての事象の特徴は空なのですから、生ずることはなく、滅することはなく、垢があるのではなく、清らかではなく、増すことはなく、減ることはありません。
空においては、認識される色形はなく、感受はなく、想起はなく、意志はなく、認識はありません。感受がありませんから、その物を見る眼はなく、音を聞く耳はなく、香りを嗅ぐ鼻はなく、味を味わう舌はなく、触れる身もなく、イメージする意識もありません。見ることがないので、色形はなく、聞く音はなく、嗅ぐ香りはなく、味わう味はなく、触れる対象はなく、イメージされる対象もありません。よって、眼で見られた世界はなく、ないし、心でイメージされた世界もありません。
十二因縁という教えによって説かれる対象はありません。無明とは、あるのは名前だけであり、そのような実体は認識されません。よって無明が尽きるということもありません。ないし、老死というものも認識することはできず、よって老死が尽きることもありません。
四諦の法門で説かれている苦というものも認識されず、苦の原因も、苦の滅も、苦を滅する道も認識することはできません。智というものも認識することはできませんし、よって智を得ることはありません。得るところがないからです。
菩薩は智慧の完成によって、心にとどこおりがなく、とどこおりがないことによって、恐怖を感じる事がありません。一切の誤った考え方から遠く離れているので、安穏の境地に入ることができます。過去・現在・未来の諸仏は、智慧の完成によって最上最高の悟りを得ることが出来るのです。
ここに智慧の完成に至るための呪文があります。これは、最高の呪文であり、他に類を見ない呪文です。よく、一切の苦を除きます。真実であって虚妄ではありません。では、最後に智慧の完成の呪文を説きましょう。
すなわち、その呪文とは次の様なものです。
ギャーテイギャーテイ。ハラギャーテイ。
ハラソウギャーテイ。ボウジソワカ。
以上が般若心経です。
般若心経は般若経の心
般若心経のタイトルにある心とは、もともと心臓の意味です。人間にとって心臓が大事なところであるように、般若経の肝心・要のところをまとめているので般若心経と名付けてあるといいます。
般若経は、大乗仏教の初期に編纂された経典群です。三蔵法師玄奘が集大成として訳した『大般若経』は600巻だといいますから膨大な量ですね。巻物が600巻なのですから、読むだけでどれだけの時間がかかるか分かりません。
般若経の経典で有名なものに、『八千頌般若経』『金剛般若経』『善勇猛般若経』などがあります。般若心経は、要約された経典ですから、般若心経だけを読むよりも、これらの他の般若経を読んでおいたほうが理解の助けになります。
般若心経は空の教え
般若心経の核となる教えは、空です。般若経で説かれた空を、短い経典で要約しています。しかし、空とは、何であり、どのようなものであり、何に似ており、どのような特徴を持ち、本質とは何であるかは説かれていません。空とは、「実体がないこと」だと言葉の意味を伝えることはできますが、その言葉によって何を表わそうとしているのかは謎です。
空の定義を試みる方がいますが、空を定義することは不可能です。空は、言葉によって説明されるような対象ではありません。概念を超えています。最初の段階では、仮の定義として、空とは執着しないことを教える言葉としておいたほうが無難です。
このブログでは、仏教をテーマにしています。仏教にとって、縁起と空は非常に重要な教義です。
般若心経を読み解くためにも、法華経を知るためにもl、縁起と空を学んでおく必要があります。
そこで、先日より、龍樹の『中論』をテーマにする書庫を設けました。縁起と空を学ぶための必読書ですので、ぜひお読みください。
中論とは、龍樹の論書です。
大乗仏教の最も重要な教義である「空」について論じていますので、大乗仏教を学ぶ者は、一度はその名を聞いていることでしょう。また、多くの方は中論を読み、学ばれていることでしょう。
大乗仏教の必読書ではありますが、中論は超難解です。多くの方は、中論の最初にある「帰敬序」で参ってしまうようです。私も若い頃、興味を持って読んでみましたが、まったくもって理解できませんでした。しょっぱなにある不生不滅の縁起という言葉で、頭が混乱し、そのうち分かるだろうと思って先を読んでも、さっぱりでした。その後も何度かチャレンジしてみましたが、「?」です。
30年近く経って、ようやく少しずつ意味が分かってきました。どうやら、中論は固定観念を悉く破す内容のようです。頭を柔らかくしておかなければ、まったく理解できない内容です。
これから、中論について私なりの解釈をしていこうと思っています。よろしくお願いいたします。
中論の最初には、「帰敬序」と呼ばれる偈があります。縁起を説かれた仏を讃嘆しています。また、これから論じられる縁起が、どのようなものかを示しています。
*真読
不生亦不滅
不常亦不断
不一亦不異
不來亦不出
能説是因縁
善滅諸戯論
我稽首礼仏
諸説中第一
*訓読
不生また不滅
不常また不断
不一また不異
不来また不出
能く是の因縁を説き
善く諸の戯論を滅す
我れは稽首して仏を礼す
諸説中の第一なりと
*現代語訳
生ぜず 滅せず
常でなく 断たれることなく
同一でなく 異なることなく
来ることなく 出ることのない
様々な言語的思想の消滅という
縁起の理法をお説きになられた仏を
あらゆる説法者の中で
最も優れた方として敬意を表し
礼をいたします。
*サンスクリット語
anirodham anutp?dam
anucchedam a???vatam
anek?rtham an?n?rtham an?gamam anirgamam
ya? pratiitya samutp?da? prapancopa?ama? ?ivam
de?ay?m?sa sa?buddhas ta? vande vadat?? varam
*サンスクリット語の和訳
滅することなく 生じることなく
断たれることなく 常住ではなく
一つではなく 異なることなく
来ることはなく 出ることはない
多様な想いの止滅という
縁起を示された仏を
最高に優れた説法者として礼をいたします。
*単語の意味
○アニローダ "anirodha"
a + nirodha
a = 否定
nirodha = 滅すること
ニローダの否定
→ 不滅・破壊の否定
○アヌトパーダ
"anutp?da"
an + utp?da
an = 否定
utp?da = 生じること
ウトパーダの否定
→ 不生・生産の否定
○アヌチェダ
"anuccheda"
an + uccheda
an = 否定
uccheda = 短く切ること
ウチェダの否定
→ 不断
○アシャーシュヴァタ "a???vata"
a + ???vata
a = 否定
???vata = 常住のこと
シャーシュヴァタの否定
→ 不常・常住の否定
○アネカールタ
"anek?rtha"
an + eka + artha
an = 否定
eka = 一つ
artha = 感覚・意味
エカールサの否定
→ 不一・多種多様・一つ以上のこと
○アナーナールサ "an?n?rtha"
a + n?n + artha
a = 否定
n?n = 異種
artha = 感覚・意味
→ 不異
○アナーガマ "an?gama"
an + agama
an = 否定
agama = 到着
アーガマの否定
→ 不来
○アニルガマ "anirgama"
a +
nirgama
a = 否定
nirgama = 出る・出発
ニルガマの否定
→ 不出
○プラティーティヤ・サムトパーダ
"pratiitya-samutp?da"
pratiitya + samutp?da
pratiitya = 確認・認識
samutp?da = 起こる・生じる
→ 縁起
○プラパンチャ "prapanca"
→ 多様さ・多様な想い・戯論
→ 広がりの意識。
○ウパシャマ "upa?ama"
→ 静寂・停止
○シヴァ "?iva"
→ 優れている
○デシャヤーマーサ "de?ay?m?sa"
→ 示された
○サンブッダ "sa?buddhas"
→ 目覚めた方
○ヴァンデ "vande"
→ 礼・称賛
○ヴァダターム "vadat?m"
→ 話す
○ヴァラ "vara"
→ 最高の・恩恵
〜帰敬序
中論「帰敬序」…不生・不滅の縁起
龍樹がこれから論じようとする縁起は、不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不出の縁起です。
生・滅とは反対概念です。その両辺を否定することで、何にも執着しないことを表しています。生じるということに執着せず、滅することに執着しません。また、それ以外の何にも執着しません。同様に、常であることを否定し、断つことを否定することによって何にも執着しません。同一と多種、来ることと出ることにも執着しません。このように何にも執着しないことを中道といいます。八不によって中道を示していますから、これを八不中道といいます。
しかし、不生不滅の縁起というのは理解しがたいですね。縁起とは、因縁和合によって起こり、滅することだと学んでいますから、不生不滅の縁起というと矛盾してしまいます。
まずは、最初の章である「観因縁品第一」において、不生不滅の縁起とはどのようなものかが説かれることになります。
中論とは、仏教教義の根本である中を頌(じゅ)の形式で論じています。頌とは詩のことです。サンスクリット語のタイトルをそのまま訳せば『根本中頌』です。最初に「帰敬序」があり、本文として27章があります。
*サンスクリット語
ムーラマディヤマカ・カーリカー
"Muulamadhyamaka-kaarikaa"
○ムーラマディヤマカ "Muulamadhyamaka"
muula + madhyamaka
muula = 根本
madhyamaka = 真の中間
→ 根本としての中
○カーリカー "kaarikaa"
→ 教義の要点を詩にしたもの
→ 頌
*構成
全27章のタイトルです。鳩摩羅什の訳した『中論』にある品題と、中村元先生の訳した章第、それぞれの章の頌の数を書いておきます。ただし、頌の数は訳された本によって異なります。
帰敬序
観因縁品第一
第1章「原因(縁)の考察」(全14詩)
観去来品第二
第2章「運動(去来)の考察」(全25詩)
観六情品第三
第3章「認識能力の考察」(全9詩)
観五陰品第四
第4章「集合体(蘊)の考察」(全9詩)
観六種品第五
第5章「要素(界)の考察」(全8詩)
観染染者品第六
第6章「貪り汚れの考察」(全10詩)
観三相品第七
第7章「作られたもの(有為)の考察」(全34詩)
観作作者品第八
第8章「行為の考察」(全13詩)
観本住品第九
第9章「過去存在の考察」(全12詩)
観燃可燃品第十
第10章「火と薪の考察」(全16詩)
観本際品第十一
第11章「始原・終局の考察」(全7詩)
観苦品第十二
第12章「苦しみの考察」(全10詩)
観行品第十三
第13章「形成されたもの(行・有為)の考察」(全8詩)
観合品第十四
第14章「集合の考察」(全8詩)
観有無品第十五
第15章「自性の考察」(全11詩)
観縛解品第十六
第16章「束縛・解脱の考察」(全10詩)
観業品第十七
第17章「業と果報の考察」(全33詩)
観法品第十八
第18章「アートマンの考察」(全11詩)
観時品第十九
第19章「時の考察」(全6詩)
観因果品第二十
第20章「原因と結果の考察」(全24詩)
観成壞品第二十一
第21章「生成と壊滅の考察」(全21詩)
観如來品第二十二
第22章「如来の考察」(全16詩)
観顛倒品第二十三
第23章「顛倒した見解の考察」(全25詩)
観四諦品第二十四
第24章「四諦の考察」(全40詩)
観涅槃品第二十五
第25章「涅槃の考察」(全24詩)
観十二因縁品第二十六
第26章「十二支縁起の考察」(全12詩)
観邪見品第二十七
第27章「誤った見解の考察」(全30詩)
中論の第一章は、「観因縁品第一」です。
サンスクリット語の第一章のタイトルは、プラティヤヤ・パリークシャー "pratyaya pariiks'aa"
です。プラティヤヤとは、信念・信仰・概念・定義などの意味です。しかし、通常、漢訳では、「縁」と訳されています。ここでは縁という意味と信念という意味の両方で、中論を読んでいくことにします。
パリークシャーは、調査とかテストのことです。考察という訳がぴったりですね。よって、プラティヤヤ・パリークシャーを直訳すれば、「縁についての考察」、または「信念についての考察」です。
では、最初の詩を読んでみましょう。
*真読
諸法不自生
亦不從他生
不共不無因
是故知無生
*訓読
諸法は自ら生ぜず
また他より生ぜず
共ならず無因ならず
是の故に無生を知る
*現代語訳
すべての事物・現象は
自身からも生じず
また他からも生じず
自他の二つからも生じず
原因がなく生じることもありません。
このことから理解できることは
事物・現象は生じないということです。
*サンスクリット語
na svato naapi parato na
dvaabhyaaM naapy ahetutaH
utpannaa jaatu vidyante bhaavaaH kva cana ke cana
*サンスクリット語の和訳
自らではなく
他ではなく
二つからではなく
原因がないのではない。
存在は生じてはいない
ということを知る。
*単語の意味
○ナ "na"
→ 〜ではない。
○スヴァタ "svata"
sva +
ta
sva = 自分自身
ta → 受け身の過去分詞
○ナーピ "naapi"
na +
api
api = 強調する言葉
→ 決して〜ではない
○パラタ "parata"
para
+ ta
para =
最高・上位・他・遠く・反対側・絶対性
○ドヴァバイヤーン "dvaabhyaaM"
dva + abhyaaM
dva = 二つ
abhyaaM → 〜から
→ 二つから
○ナーピ "naapy"
na + apy
= naapi
→ 決して〜ではない
○アヘツタ "ahetuta"
a + hetu + ta
hetu = 原因・理由・因
→ 無原因
○ ウトパンナー "utpannaa"
→ 発生・出現・現象
○ジャートゥ "jaatu"
→ 常に
○ヴィドヤンティ "vidyante"
vid +
yante
vid = 認識・理解
yante → 第三人称
○バーヴァ "bhaavaa"
→ 存在
→ 有情としての存在・迷いの生存のこと
○クヴァ "kva"
→ どこ・どこかに・どの場所・どこへ・部分
○チャナ "cana"
→ そして〜ではない
○ケチャナ "kecana"
→ いくつかの
*現代語訳
すべての事物・現象は
自身からも生じず
また他からも生じず
自他の二つからも生じず
原因がなく生じることもありません。
このことから理解できることは
事物・現象は生じないということです。
縁起という用語を辞書で調べてみると、次のように書いてありました。
因縁生起の略。
因縁によって万物が生じ起こること。
ほとんどの辞書は、これに似た解説がされていると思います。一切の事象は因縁が和合して起こる、というのが縁起だと私も学んできました。
ところが、龍樹は、一切は生じないと言います。それ自身からも、他からも、自他の二つからも、原因がないところからも、ものは生じないのですから、生じるということは否定されるといいます。
自身から生じるというのは、原因と結果がまったく同じだということです。つまり、自身から自身が生じているということです。まるで、コピーするかのように自身から自身が生まれるということです。たとえば、私は私から生まれるということですし、自動車は自動車から生じるということです。そのようなことは現実的ではありませんから、自身から生じるということは否定されます。
他から生じるというのは、原因と結果がまったく異なるということです。結果が原因とは別の他から生じているということです。これは、水から火が起こるというようなものですから矛盾しています。結果とは異なるものを原因とはいえませんから、他から生じるということは否定されます。
自他の二つから生じるというのは、自身から生じるということと、他から生じるということを合わせています。自生・他生は既に否定されていますので、この二つを合わせ持つのであれば、このことは否定されます。
原因がなく生じるというのは、突然、無から有が生じるということですから現実的ではありません。これも否定されます。
自生・他生・自生+他生・無因生。この4つの生起は否定されました。第五の生起はありませんから、すべての生起が否定されたことになります。
理論的には、生起は否定されたわけですが、しかし現実的には、あらゆるものは生じ、滅しています。龍樹のこの論には、一つの仕掛けがあります。それは、自とか他とか、因とか果を、固定的に観てしまう人間の思考のくせを突いていることです。まるで手品のように、その人の固定観念を利用して混乱させています。
龍樹は、相手を混乱させて面白がっているわけではなく、真理を観察する時にそのような固定観念はいりませんから、自分の固定観念に気づき、それを滅するようにと勧めています。
自・他という差別・区別を私たちはしていますが、自というものは固定したものではありません。自が固定していないのであれば、他が固定されるはずもありません。なぜなら、すべてのものは、それ自身にとっては自だからです。すべての自は固定されていませんから他も固定されません。
一切のものには、固定した実体はありません。なので、自身から生じるとか、他から生じるというのは、言葉の遊びであって何も意味していません。
難解な内容ですね。
徐々に解き明かしていけたらと思います。
*真読
如諸法自性
不在於縁中
以無自性故
他性亦復無
*訓読
諸法の自性の
縁中に在らざるが如く
自性無きを以っての故に
他性も亦復た無し
*現代語訳
事象を事象として成り立たせる
それ自体(自性)は
縁の中には存在しません。
それ自体が存在しないならば
他のものも存在しません。
*サンスクリット語
na hi svabhaavo bhaavaanaaM
pratyayaadisu vidyate
avidyamaane svabhaave parabhaavo na vidyate
*サンスクリットの和訳
最初の縁には
確かな自性を認識しない。
自性を認識しないならば
他のものも認識しない。
○ナ "na"
→ 〜ではない
○ヒ "hi
→ 確かな
○スヴァバーヴァ "svabhaava"
sva + bhaava
sva = 自分自身
bhaava = 存在
→ 自然・本性・自性
○バーヴァナー "bhaavaanaa"
→ 開発
○プラティヤヤアディス "pratyayaadisu"
pratyaya + adisu
pratyaya = 縁・信念・信仰・概念・定義
adi = 最初の
→ 最初の縁
○ヴィドヤ "vidya"
→ 認識・知識
○アヴィドヤマーナ "avidyamaana"
a + vidya + maana
a = 否定
vidya = 認識・知識
maana = 心
→ 認識をしない
○パラバーヴァ "parabhaava"
para + bhaava
para = 他・最高・上位・遠く・反対側・絶対性
bhaava = 存在・感情
→ 他の存在
*現代語訳
事象を事象として成り立たせる
それ自体(自性)は
縁の中には存在しません。
それ自体が存在しないならば
他のものも存在しません。
ここには、自性(じしょう)という重要な言葉がでてきます。サンスクリット語の、スヴァバーヴァ "svabhaava"
を中国で自性・自体と訳しました。スヴァバーヴァを直訳すれば、「自分自身の存在」「自然の存在」です。
スヴァバーヴァという言葉は、大乗仏教が起こる前に勢力のあった説一切有部が使っていた言葉です。説一切有部は、不変・不滅の存在が有ると主張し、そのような実在をスヴァバーヴァと呼びました。龍樹もそれに倣ってスヴァバーヴァという言葉を使い、それを否定して無自性といいました。サンスクリット語では、ニヒスバーヴァ
"niHsvabhava" です。この無自性は、中論の重要な用語です。
因縁とは、因と縁との関係のことです。すべてのものは、因だけであるのではなく、縁だけであるのではありません。縁に依るのですから、固定した自性・自体というものはありません。自性がないのであれば、他のものにも実体というものはありません。
*真読
因縁次第縁
縁縁増上縁
四縁生諸法
更無第五縁
*訓読
因縁 次第縁
縁縁 増上縁
四縁は諸法を生じ
更に第五の縁無し
*現代語訳
原因としての縁(因縁)と
認識の対象となる縁(次第縁)と
続いて起こる縁(縁縁)と
助力するものとしての縁(増上縁)という
この4つの縁によって
すべての事物・現象は生じます。
第五の縁というものはありません。
*サンスクリット語
catvaaraH pratyayaa
hetus'caalambanamanantaram
tathaivaadhipateyaM ca pratyayo naasti paNcamaH
*サンスクリット語の和訳
原因 関係 連続的 支配的
という4つの縁がある。
第五の縁は存在しない。
*単語の意味
○チャトヴァーラス "catvaaraH"
catvaaraH = catvaaras
→ 4つのもの
○プラティヤヤ "pratyaya"
→ 縁・信念・信仰・概念・定義
○ヘツシュチャアラムバナムアナンタラム
"hetus'caalambanamanantaram"
hetu + aalambana + anantaram
hetu = 原因・理由・因・条件
aalambanam = 依存
anantaram = 連続的
○タターイヴァ "tathaiva"
→ 同様に・真実として
○アディパティヤン "adhipateyaM"
adhipa + teyaM
adhipa = 支配者・国王
teyaM = ta + iyam
iyam = これ・この場所
→ この場所の支配者
○チャ "ca"
→ そして
○ナアスティ "naasti"
na + as
na = 〜しない
as = 存在
→ 存在しない
○パンチャマ "paNcama"
→ 第五番目のもの
*現代語訳
原因としての縁(因縁)と
認識の対象となる縁(次第縁)と
続いて起こる縁(縁縁)と
助力するものとしての縁(増上縁)という
この4つの縁によって
すべての事物・現象は生じます。
第五の縁というものはありません。
ここには、四縁について説かれています。四縁とは、因縁・次第縁・縁縁・増上縁のことです。鳩摩羅什訳の『摩訶般若波羅蜜経』にも出てくる説です。
狭義では、結果を引き起こすための直接的な原因を「因」というのに対し、原因を助ける間接的な原因を「縁」といいますが、広義では、因縁を合わせて、「因」とも「縁」ともいいます。四縁の場合は、広義での縁のことです。なので、イメージとしては、原因と観たほうが分かりやすいかも知れません。
*四縁
�^�縁
因としての縁のこと。因即縁のこと。
�⊆‖莟錙陛�無間縁)
前の刹那の心が、次の刹那の心の原因となること。
�1鎹錙塀蟇鎹錙�
認識の対象が認識を起こさせる原因となること。
�ち�上縁
ものが生じることを助けるはたらきのこと。
ものが生ずるのに積極的に力を与える場合(有力増上縁)と、他のものが生ずるのを妨げないことが原因になるという消極的な場合(無力増上縁)の2種がある。
これらの4つの縁によって、すべての事象はあるのであって、第五の縁はありません。
*真読
果為従縁生
為従非縁生
是縁為有果
是縁為無果
*訓読
果は縁より生ずと為すや
非縁より生ずと為すや
是の縁は果有りと為すや
是の縁は果無しと為すや
*現代語訳
結果を起こす作用は
縁をもって生じません。
作用は縁をもたずには生じません。
縁は作用を持つものではありません。
縁は結果を持たないものではありません。
*サンスクリット語
kriyaa na pratyayavatii
naapratyayavatii kriyaa
pratyayaa naakriyaavantaH kriyaavantas'ca santyuta
*サンスクリット語の和訳
行為は縁をもちません。
縁をもたない行為はありません。
縁は行為をもちません。
行為をもってまさに存在する。
*単語の意味
○クリヤー "kriyaa"
→ 行為・行動・動機
○ナ "na"
→ 〜ではない
○プラティヤヤヴァテイ "pratyayavatii"
pratyaya + vat
pratyaya = 縁・信念・信仰・概念・定義
vat = 〜のように
○ナープラティヤヤーヴァテイ
"naapratyayavatii"
na + apratyaya + vatii
na = 否定
apratyaya = 不信・疑惑
vat = 〜のように
○ナークリヤーヴァンタハ "naakriyaavantaH"
na + akriyaa + van + taH
na = 否定
akriyaa = 行為がない
van = 好む
○サンティヤウタ "santyuta"
santy + uta
santy = 存在する
uta = まさに
→ まさに存在する
*現代語訳
結果を起こす作用は
縁をもって生じません。
作用は縁をもたずには生じません。
縁は作用を持つものではありません。
縁は結果を持たないものではありません。
因果とは、同一ではなく、異なるのではありません。
これは因である、これは縁である、これは果であると観るのは、あくまでも仮の観方です。事物は因でもあるし、縁でもあるし、果でもあります。スイカの種はスイカの花や実にとっては「因」であり、虫が食べれば虫にとっての「縁」であり、スイカの種はスイカが育った結果ですから「果」です。因・縁・果だと観ることは仮です。固定した実体として、因・縁・果があるのではありません。
言葉に捉われず、固定観念でものごとを観ないことが重要です。言葉にすれば、ものごとを固定してしまいます。言葉への妄信から離れることが重要です。
鳩摩羅什の般若心経
『般若心経』といえば、日本では三蔵法師玄奘の訳した経典が有名ですが、般若心経の訳は、玄奘のものだけではありません。いくつかの訳があります。今回から、『妙法蓮華経』の漢訳で有名な鳩摩羅什の訳した般若心経をご紹介します。
鳩摩羅什は、この経典のタイトルを『摩訶般若波羅蜜大明呪経』としました。サンスクリット語の般若心経には、タイトルがついていませんので、タイトルは漢訳した人がつけています。
鳩摩羅什は4世紀頃、玄奘は7世紀頃に活躍されていますから、鳩摩羅什の訳した『摩訶般若波羅蜜大明呪経』は、玄奘の『般若波羅蜜多心経』よりも約300年ほど前に訳されています。
摩訶般若波羅蜜大明呪経
観世音菩薩。行深般若波羅蜜時。照見五陰空。度一切苦厄。舎利弗。色空故無悩壊相。受空故無受相。想空故無知相。行空故無作相。識空故無覚相。何以故。舎利弗。非色異空。非空異色。色即是空。空即是色。受想行識亦如是。舎利弗。是諸法空相。不生不滅。不垢不淨。不増不減。是空法。非過去非未來非現在。是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味觸触法。無眼界乃至無意識界。無無明亦無無明尽。乃至無老死無老死尽。無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。菩薩依般若波羅蜜故。心無?礙。無?礙故無有恐怖。離一切顛倒夢想苦悩。究竟涅槃。三世諸仏依般若波羅蜜故。得阿耨多羅三藐三菩提。故知般若波羅蜜是大明呪。無上明呪。無等等明呪。能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜呪即説呪曰。
竭帝竭帝 波羅竭帝 波羅僧竭帝 菩提僧莎呵
摩訶般若波羅蜜大明呪経
合掌
●摩訶般若波羅蜜大明呪経
摩訶=大いなる・偉大なる・優れている
般若=智慧。真実をあるがままに観るはたらき。
波羅蜜=完成
大明呪=大いなる智慧の呪文
経=経典・教え
〜偉大なる智慧の完成のための大いなる呪文についての教え
サンスクリット語の般若心経には、タイトルがありません。最後にある "iti prajn?p?ramit?-h?dayam sam?ptam"
という結びの言葉の「プラジュニャーパーラミター・フリダヤ」から、玄奘は『般若波羅蜜多心』と訳しています。フリダヤの直訳は「心臓」なので、「心」という語で訳したのでしょう。
一方、鳩摩羅什はフリダヤを「呪文」と訳しています。フリダヤに呪文の意味があることは空海も言っています。般若心経の最後には、「竭帝竭帝〜」という呪文があります。鳩摩羅什や空海が呪文としたのは、この最後の呪文なのか、または般若心経全文なのかは分かりませんが、その両方の可能性は十分にあります。
合掌
●観世音菩薩。
「世の音を観る」というと不思議な感じがします。音は聴くものであり、見るものではありません。音をどうやって観るのだろうと考え出したら、夜も寝られなくなります。
この「観」とは仏教用語です。仏教用語の「観」は、特定の想念や心の本性などを心の中で観察することですから、眼で見ることとは違います。観世音菩薩の「観」とは、心を観察するはたらきのことです。
観世音菩薩を、玄奘は観自在菩薩と訳しました。自在に観察することです。一見、違った意味にとれますが、世の音を観察することも、自在に観察することも、一切を観ることに通じます。
釈尊は、菩提樹の下で一切を観て、最高の真実を悟られ、智慧を完成されました。智慧を完成することによって、自他が一体になり、一切の差別から離れ、区別がなくなり、一如平等の境地に入りました。つまり、成仏されました。
釈尊の悟られた真実、完成した智慧は概念から離れていますから、言葉に依って説くことはできません。言葉で説くことは出来ませんが、言葉に依ってしか人々を成仏へと導けませんから、釈尊は言葉を駆使しました。
仏教で説かれた教えは、道案内のための道標です。縁起・空・無我・無常・無相・無作・無願などの言葉を手掛かりにして、行く道を示しています。その言葉に執着するのではなく、縁起を観たら、縁起によって観て、次のステップに進むことが重要です。道標がなければ迷子になりますが、道標の前で止まっていれば先に進めません。
般若心経の最も重要なテーマは、「観る」ということです。そのことを般若心経を通して観ていきましょう。
合掌
●観世音菩薩。行深般若波羅蜜時。照見五陰空。度一切苦厄。
〜観世音菩薩は、深く智慧の完成の行を行じていた時、世界を構成する五つの要素には実体がないことを見極め、一切の苦厄から離れた。
般若とは智慧のことで、波羅蜜は完成のことですので、般若波羅蜜とは「智慧の完成」の意味です。観世音菩薩は、深く智慧の完成の行をしていたとありますが、具体的に何を行じたのかはよく分かりません。多くの般若経には、六波羅蜜のことが説かれていますから、行深般若波羅蜜というのは六波羅蜜の完成にいたる最終段階だという説があります。六波羅蜜とは、六つの行の完成と完成にいたる道のことです。
�”杙棔覆佞察�
与えること・分かち合うこと
�∋�戒(じかい)
善い習慣から離れないこと
�G�辱(にんにく)
耐え忍ぶこと
�だ鎖福覆靴腓Δ犬鵝�
努力すること
�チ議蝓覆爾鵑犬腓Α�
心を集中して、散乱する心を安定させること
�γ匏邸覆舛─�
諸法に通達し、煩悩を離れて真理を悟ること
それぞれの行を行い、最終的には、それぞれの行を完成させ、禅定の完成をし、智慧を完成させるのが六波羅蜜です。このことから、禅定・智慧が重視されます。禅定とは、心を止めること、智慧とは観ることだとも言われ、これをサマタ・ヴィパッサナー(止観)といいます。観ることは、智慧を完成させるための重要な行だとされています。
「観世音菩薩。行深般若波羅蜜時。照見五陰空」というのは、観ることに長けた菩薩が、観る修行を完成させる時、真理を観た、ということでしょう。このことからも、般若心経は、「観ること」を説く教えだといえます。
「照見五陰空」とは、五陰(ごおん)を空だと観たということです。五陰とは、五蘊とも訳される言葉で、五つの集まりのことです。その五つとは、色・受・想・行・識です。色とは物質のこと、受は感受作用、想は表象作用、行は意志作用、識は認識作用のことです。この世界を物と心とに分け、心をさらに受想行識に分けています。「五陰空」とは、心身環境に実体はないということであり、このことを悟って、観世音菩薩は苦厄から離れたと言います。
合掌
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