黒川創 鴎外と漱石のあいだで (2015) 

2017.3.17

 副題が、日本語の文学が生まれる場所 と素晴らしいので、購入しました。

 黒川さんが、ご自身の文学論を陳述するという本ではありませんでしたが、

いろいろと、興味深い情報が満載で、けっこう、面白く読みました。

 

 第一章は、「鴎外と台湾と魯迅のあいだ」という題で、「文藝」2015年春号に発表したものです。

 鴎外を取り上げた、台湾の「一八九五」という映画 (監督洪智育、2008年) についての内容を、

興味深く読みましたので、一部、紹介します。

映画は、日清戦争の勝利で台湾の接収に出向く日本軍と、これに抵抗する現地の義勇軍との戦いを描いたもので、

司令官は、北白川宮能久 (よしひさ) 親王ですが、森鴎外も陸軍軍医監として、従軍します。

 台湾映画にも関わらず、日本軍側から見ての戦況が、鴎外役の俳優 貴島功一朗の日本語ナレーションによる

鴎外の「日記」の朗読が、ときおり、はさまれるという趣向がとられています。

 

 義勇軍の抵抗がはげしく、また、日本軍側も、マラリヤや、コレラなどの風土病による死者が、

戦死者数をはるかに上回っているなか、北白川宮が、鴎外に向かって、

「国際的には、今回の掃討作戦は暴行だとみなされている。無辜の民を虐殺していると。民の抵抗も許されると......。」

遮るように、鴎外が言葉をはさむ。

「申し訳ありませんが、ひと言よろしていでしょうか。本島は、わが領土となりました。民たちはわが国民であり、

このような殺戮行為はやはり.....。」

 将校たちが部屋に入ってきて、この会話は、中断します。

 また、別の場面で、

北白川宮。「医者として、戦地で従軍することになり、非常に心苦しいことであろう。」

鴎外。「・・・蔓延する伝染病のため (それで命を落とした兵士は) 戦死する兵士の数十倍に達していると言えるでしょう。

病で失われた一人ひとりの命を思うと、いたたまれません。殿下、私には戦争というものがわからなくなってまいりました。」

 実際の鴎外の行動は、映画のストーリーとは、かなり異なっているようです。

 

 第二章は、「女のいいぶん」という題で、「文藝」2015年夏号に発表したものです。

森しげ、前田卓、管野須賀子という三人の女性の話が、鴎外・漱石との関係において、語られますが、

ここでは、鴎外の後妻の森しげについて、少し、紹介します。鴎外は、41歳のとき、23歳の荒木志げ と見合い結婚します。

鴎外が、「半日」という作品で、妻の悪妻ぶりを書いたところ、妻の逆鱗にふれ、「一夜」という続編を書いたのですが、

妻にみつかり、発表を阻止されるということがあり、鴎外が妻への懐柔策として小説執筆を勧め、

雑誌「青鞜」などに20篇を超える作品を発表します。

 彼女の作品については、黒川さんが、かなり詳しく紹介しています。

 

 さて、鴎外の4人の子供も、鴎外についての本を書くのですが、漱石の方についての、黒川さんの説明を、引用します。

p.144-145 

 夏目漱石の家では、そんな様子はない。彼の子どもたちは、父親に対して、もっときちんとした口の利き方をしたはずだ。

ここには、鴎外と漱石のあいだの、一種不思議な印象の逆転がある。そして、この点について言えば、当時の中流

知識人の家庭としては、夏目家のほうが普通で、森家がくだけていたのである。

鴎外やしげが、それを好んだということでもあったろう。

(中略)

 また、森鴎外の遺族と違って、漱石の遺児たちは、家庭内で異常な状態になるのはつねに父だったと、一致している。

そして、彼らは、末っ子の夏目伸六が何冊かの父に関する回想を出版したのを除けば、ほとんど、

父、漱石についての書物を書かなかった。家庭内における漱石は、つねに狂気を帯びた危険な人で、

彼らにとっては安心してなじむことのできない対象だった。偉大な文学者としての側面については、

ほかにもっと知る人があるだろう、というのが遺児たちの態度である。

 

 第三章は、「漱石と鴎外のあいだで」という題で、新たに書き下ろしたものです。少し引用します。

p.232

 日本の近代文学の形成にもっとも力あったのは、煎じ詰めれば夏目漱石 (1867-1916) だろうと、かねて私は考えた。

彼の創作は、日本のみならず、中国の魯迅 (1881-1936)、朝鮮の李光沫 (1892-1950) といった、

それぞれの社会における近代文学の体現者たちにも影響をもたらした。

p.252

 とはいえ、いくら煎じ詰めるにせよ、日本近代の作家で、漱石だけが重要というわけにはいかない。やはり私は、

その対極に森鴎外という存在を得たことが、近代日本の文学史に僥倖となったと感じる。

 漱石は、「文学」をめぐって革命家のおもざしを帯びる。鴎外は、そうではない。

彼には、人も生物である以上、必要な悪を併せ食まなければならないと自覚するところがあった。

漸進的、というより、むしろ、人間の進歩に必ずしも信を置かない見方である。

社会で「悪」をも平気で食してくることが、彼をよき家庭人であらしめた。妻しげが機嫌や体調を損ねると、夜中に

彼が幼い子どもらの小便の世話を焼く、その声が、別棟で寝起きする長男 於菟 や、母 峰子 にも聞こえたという。

漱石は、そうした記憶を家族に残していない。

彼は世間向きには「余裕派」を標榜したが、家庭ではほとんど余裕のなかった人である。

 

 

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