小林隆 方言が明かす日本語の歴史 (2006) 

 小林隆さんは、1957年の生まれで、東北大学で国語学を学び、国立国語学研究所に勤めたあと、東北大学の日本語学講座の教授として、方言の立場から日本語の歴史を研究されています。

 文献を通して、言語を研究すると、どうしても文献の多い、都会の言葉の研究に偏ってしまう。日本の民衆が使っていた言葉を、方言の中に求めて研究するというのが先生の立場です。

 日本語の文法に関係する以下の二つのテーマについて、内容を紹介します。

「見よ」から「見ろ」へ  p.3

 古語の動詞の命令形が「見よ」であるのに、現代では「見ろ」となっています。「見よ」は、京都を含む近畿(関西)地域の言葉で、昔はもちろん、現代でも、「見よ」は生き残っている。「見ろ」は、東京(東日本)地域の言葉で、現在はもちろん、万葉集の東歌にも、命令形の「ろ」が使われている。

 現代の共通語は、東京方言を基礎としていることから、地域の変動により、命令形の「見よ」から「見ろ」への変化となったわけで、言語としての変化ではないといのが、方言学からの見解ということになります。

 「見よ」という言い方は、関西でも、日常的に使うものではありませんが、「何々を見よ」という文語的な言い方は、現代日本人には通じると思います。

 「見る」という動詞は、古語辞典でも、「み、み、みる、みる、みれ、みよ」 という命令形だけが、「よ」になる、考えてみれば不思議な活用をします。「よ」は、命令形につづけて、「見ろよ」という言い方もします。もしかしたら、歴史的に、何らかの関連があるのかもしれません。

「二段活用は生きている」  p.6

 例えば、現代の「起きる」という動詞は、古語では「起く」なので、活用が「き、き、く、くる、くれ、きよ」となり、二段に活用しますが、現代語では、「き、き、きる、きれ、きろ」と一段活用になります。

日本語が、「起く」から「起きる」へと変化したのは、まぎれもない事実のようですが、方言学の立場からは、二段活用は、消滅したわけではなく、現在でも、九州各地と紀伊半島の一部に残っているとのことです。

 同じ「おく」て゜も、「置く」は、古語でもカ行四段活用「か、き、く、く、け、け」で、現代語につながります。二段活用がどうして一段活用に変化したのか、この本には説明がありませんが、興味深いできごとだと思います。

 

 この本では、さらに、「駒(こま)」と「馬(うま」、「くすりゆび」と「くすしゆび」、「おととい」と「おとつい」、東北弁の「さ」の源流などの問題をとりあげて、解説していますので、興味のある方は、是非、お読みください。

 

 

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