小林昭美 日本語千夜一夜〜古代編〜5 |
2021.02.07 更新2026.08.26
【漢字の海へ】
第142話 漢字検定に挑む
第143話 四文字熟語の世界
第144話 部首を探す
第145話 虹はなぜ虫偏なのか
第146話 韓流ドラマに学ぶ朝鮮語
第147話 小学校1年生の「こくご」
第148話 日本語は乱れているか
[コンピュータは日本語を理解できるか]
第149話 日本語ワープロの発明
第150話 自然言語と人工言語
第151話 話しことばと書きことば
第152話 ことばにとって意味とは何か
第153話 自動翻訳機械は可能か
[ことばの明治維新〜漢学から洋学へ〜]
第154話 吉川幸次郎と『新唐詩選』を読む
第155話 良寛禅師の言語生活
第156話 夏目漱石の言語生活
第157話 『明暗』の日本語を解剖する
第158話 森鴎外の言語生活
第159話 『渋江抽斉』の日本語を解剖する
[古代日本語語源字典]
第160話 古代日本語語源字典序
第161話 古代日本語語源字典 索引
第162話 あ・われ(我)の語源
第163話 いか(如何)の語源
第164話 うぐひす(鶯)の語源
第165話 おく(奥)の語源
第166話 かがみ(鏡・鑑)の語源
第167話 かた(肩)の語源
第168話 かみ(神)の語源
第169話 き(黄)の語源
第170話 くがね(黄金)の語源
第171話 くも(雲)の語源
第172話 けふ(今日)の語源
第173話 こめ(米)の語源
第174話 さす(紗)の語源
第175話 さけ(酒)の語源
第176話 さやけし(清)の語源
第177話 しづか(静)の語源
第178話 しむ・そむ(染)の語源
第179話 すごろく(双六)の語源
第180話 せき(関)の語源
第181話 た(田)の語源
第182話 たて(楯・盾)の語源
第183話 ちり(塵)の語源
第184話 つどふ(集)の語源
第185話 とき(時)の語源
第186話 とら(虎)の語源
第187話 な(汝)の語源
第188話 なみ(浪)の語源
第189話 ぬれる(濡)の語源
第190話 は(歯)の語源
第191話 はな(花)の語源
第192話 ひ(火)の語源
第193話 ふさぐ(塞)の語源
第194話 へび(蟠)の語源
第195話 ほとけ(仏)の語源
第196話 ま・め(目)の語源
第197話 まふ(舞)の語源
第198話 みなもと(源)の語源
第199話 むぎ(麦)の語源
第200話 めぐる(廻)の語源
第201話 や(矢)の語源
第201話 ゆふ(夕)の語源
第203話 りきし(力士)の語源
第204話 わに(鰐)の語源
第205話 古代日本語と中国語(子音編)
第206話 古代日本語と中国語(母音編)
[源氏物語を読む]
かなの発明によって
日本語は日本語独自の文字体系を持つようになった。
「源氏物語」は仮名文字の発明によって生まれた文学である。
かなの発明によって日本語はどう変わったか。
第207話 ひらがなの発明
第208話 桐壺の巻を読む
第209話 帚木の巻を読む
第210話 雨夜の品定め〜帚木〜
第211話 馬の頭(かみ)の女性観〜帚木〜
第212話 賢い女について〜帚木〜
第213話 空蝉の巻を読む
第214話 夕顔の巻を読む
第215話 町屋の朝〜夕顔〜
第216話 夕顔の死〜夕顔〜
第217話 若紫の巻を読む
第218話 末摘む花の巻を読む
第219話 紅葉賀の巻を読む
第220話 青海波の舞の夕べ〜紅葉賀〜
第221話 琴の調べ〜紅葉賀〜
第222話 花の宴の巻を読む
第223話 葵の巻を読む
第224話 賢木の巻を読む
第225話 花散里の巻を読む
【漢字の海へ】
日本には漢字検定という制度があって、漢字の達
人になることが日本語に堪能なことのひとつの指標とされている。そのため毎年漢字検定を受ける人の数は250万人を超えるという。
漢字検定には1級から10級まであって、1級は
大学生・一般が対象で出題される漢字の数は常用漢字も含めて約6000字とされている。6000字にはちょっと自信がもてないという人のためには準1級と
いうのがあって、出題される漢字の範囲は約3000字とされている。
一般には2級
をとると就職などに有利だとされていて、漢字の数も1945字と少なくなる。2級は高校卒業・大学・一般を対象としている。出題には海女(あま)、玄人
(くろうと)、祝詞(のりと)、寄席(よせ)などが含まれていて四字熟語の「鶏口牛後」や「呉越同舟」などがでる。合格するのには8割程度の正解が必要と
され、2級の検定の合格率は2割り台だという。
2級もむずかしいという人のためには準2級とい
うのがあって、硫黄(いおう)、相撲(すもう)、草履(ぞうり)、凸凹(でこぼこ)、や四字熟語の「驚天動地」や「孤立無援」などが出題されたことがあ
る。以下3級の中学卒業程度から10級の小学校1年生修了程度まである。
3級 中学校卒業程度。1600字。
乙女(おとめ)、風邪(かぜ)、足袋 (たび)、雪崩(なだれ)、
4級 中学校卒業程度。1322字
小豆(あずき)、時雨(しぐれ)、土 産(みやげ)、大和(やまと)、
5級 小学校6年生。1006字
6級 825字
7級 小学校4年生修了まで。640字
入学・卒業、得点・失点、健康、高 校、広告、外交、など、
落ちる、登る、放す、な ど、
8級 小学校3年生修了程度。440字
9級 小学校2年生修了程度。240字
10級 小学校1年生修了程度。80字
日本の多くの漢和辞典のもとになっている中国の
『康熙字典』には49,030字の漢字が収録されているという。また、諸橋徹次の『大漢和辞典』には漢字が5万余語、熟語が53万余語収録されているとい う。
漢字は基本的
に表意文字だから、物の数だけ文字があってもいいはずである。そのうち幾つを知っていれば日本語として不自由なく読み書きできるのだろうか。漢字検定1級
は5万とある漢字のなかからわずか6000を選んで問うているのだが、その問題をみてみるとまず、「次の漢字の読みをひらがなで記せ」とある。
1.開敞、 2.拳養、 3.黌堂、 4.溽暑、 5.品騭、
6.貶む、 7.齎す、 8. 躋る、 9.贐、 10. 槭、
常用漢字で育った世代には到底むりである。中国
人でも読めないであろう。漢字検定は1級の合格者のイメージとして中国の古典文学者を思い描いているのであろうか。これはとてもむりだたあきらめて2級の
問題をみてみると、、、
1.乾漆、 2.煮沸、 3.譲渡、 4.激甚、 5.豪壮、
6.忌む、 7.懇ろ、 8.
脅かす、9.泡、 10. 疎い、
1級の問題の正解は次の通りである。
1.かいしょう、2.かんよう、3.こうどう、4.じょく しょ、5.ひんしつ、
6.さげす、 7.もたら、 8.のぼ、 9.はなむけ、 10.
かえで、
2級の問題の正解は次の通りである。
1.かんしつ、2.しゃふつ、3.じょうと、4.げきじん、5. ごうそう、
6.い、 7.ねんご、 8.おびや、 9.あわ、 10. うと
日本語では漢字の読み方には音と訓がある。音は
中国風の読み方であり、訓は漢字の意味に相当する日本語をあてたもので、いわば当て字である。
1.人を貶(さげす)んだような態度をとる。
2.酒肴を齎(ただ)して旧知 を訪う。
3.軍功により大佐に躋(の ぼ)った。
4.贐(はなむけ)の詩を贈 る。
5.蔦や槭(かえで)が茂る山 道に分け入った。
中国語にはカ
ナがないからすべて漢字で書かなければならない。日本語でも記紀万葉の時代にはカナがなかったから万葉集などはすべて漢字だけで書いてある。しかし、現代
の日本語にはカナがあるのだから、やまとことばはひらがで書いててもよいのではないかという疑問がわいてくる。
かつて漢字文
化圏といわれた中国、朝鮮、ベトナムについてみると、中国では簡体字が使われ、朝鮮では教育漢字は1000字ほどが使われている。ベトナムでは漢字は完全
に廃止されてアルファベット表記になっている。現在漢字検定が成り立つのは日本だけかもしれない。韓国では漢字が使われることはあるがその読み方は音のみ
で訓読みはない。北朝鮮ではハングルだけで漢字は使われていない。それでも何の不便もないのである。
漢字検定には熟語訓のテストもある。
1.四阿、 2.飛白、 3.鬼灯、 4.水雲、 5.肌理、
6.檸檬、 7.鶏魚、 8. 沙蚕、 9.拳螺、 10. 九面芋、
試験の問題にでるほど難題ではなくとも、日本語
にはかなり熟語訓がある。月代(さかやき)、殺陣(たて)、三和土(たたき)、案山子(かかし)、女形(おやま)、梅雨(つゆ)、小豆(あすき)、老舗
(しにせ)、七夕(たなばた)などである。
動物・植物の名はカタカナで書くのことになった
が、秋刀魚(さんま)、時鳥(ほととぎす)、虎魚(おこぜ)、紫陽花(あじさい)、女郎花(おみなえし)、百日紅(さるすべり)、土筆(つくし)、秋桜花
(コスモス)などはまだ使われている。
ところで、漢字検定問題の正解は次の通りであ る。
1.四阿(あずまや)、2.飛白(かすり)、3.鬼灯(ほおず き)、4.水雲(もずく)、
5.肌理(きめ)、 6.檸
檬(レモン)、7.鶏魚(いさき)、 8.沙蚕(ごかい)、
9.拳螺(さざえ)、 10. 九面芋(やつがしら)、
これが日本語をより豊かにする表記であるかどう か、これを使いこなせることが美しい日本語を使うことになるのかどうかは、見解の分かれるところであろう。
漢字の使用を音だけにしたら、学校教育の負担は ずいぶん軽くなるはずである。例えば2級の訓読みテストはいらなくなり、次のようになる。
1.いむべき悪習をあらためる。
2.賓客をねんごろにもてな す。
3.インフレで生活がおびやか される。
4.なが年のゆめがあわときえ た。
5.経済情勢にうとい人物だ。
これでもなん
の不便もないはずだが、現在の日本語の表記では漢字となかのバランスをとることによって、読みやすさが生れていることも確かである。「なが年のゆめがあわ
ときえた」ではひらがなが多すぎて読みにくい。朝鮮語がハングルだけで表記しても、読みにくくならないのは、分綴法が用いられているからである。例えば、
俳句や短歌のように5音節とか7音節で区切るとひらがなだけでも読みにくくなくなる。「ながねんの ゆめが あわと きえた。」
日本語や中国
語には句読点というものもなかった。句読点は西欧の言語から取り入れられた。句読点とつけかたは人によって、ばらつきがあるが、現代の日本語は句読点に
よってだいぶ読みやすくなった。もし、日本語に分綴法が取り入れられれば、日本語はもっと漢字をへらしても、読みやすいことばになるだろう。
朝鮮語では分かち書きが行われている。朝鮮語の
分綴法は、英語などのように単語による綴り分けではなく、助詞などは独立せず、句による綴り分けである。例えば韓流ドラマ
のさきがけとなった『冬のソナタ』のシナリオの一部をとりあげてみると次のようになっている。(原文はハングル)
yeo-ja-teul-eun
nam-ja-rang tal-ra, yak-heun-i-na kyeol-hon-eul app-tu-go
iss-eu-meyon
kap-ja-gi ja-gi jon-jae-ga ta tarr-a-peo-rin keos katt-eun saen-gak-i
teul-myeon-seo u-ul-hae jan-da-go.
ここでは漢字はまったく使われていなぎが、朝鮮
語には漢字語源のことばが数多く含まれている。例えば、次のごとくである。
yeo-ja(女 者)-teul-eun nam-ja(男
者)-rang tal-ra, yak-heun(約 婚)-i-na
kyeol-hon(結 婚)-eul app-du-go
iss-eu-meyon kap(急)-ja-gi ja-gi(自 己)
jon-jae(存 在)-ga ta tarr-a-peo-rin keos
katt-eun saen-gak-i
teul-myeon(突 然)-seo u-ul(憂 欝)-hae jan-da-go.
「女と男は違うの。婚約とか結婚とかを前にしていると、急に自分の存在が希薄になっ たよう な気がして、憂欝になるものよ。」
朝鮮語では
まったく漢字を使わずに書いても何の支障もない。もっとも漢字には同音異語を書きわけることができるという利点もある。また、中国語のように声調のある言
語ではアルファベット表記にすると、ひとつひとつアクセント記号をつけないと読みにくくなるとい欠点もある。ベトナム語には声調があるので、アルファベッ
トだけで表記する現代のベトナム語はかえって繁雑にみえることも確かである。
日本では国語審議会が開かれるたびに漢字の数が
増えている。パソコンを使えば簡単に漢字に変換することができるので、もっと漢字はふやしてもよいという議論もある。
漢字制限が古
典を読めなくしている、という議論もある。しかし、夏目漱石の作品も舊假名遣ひ」を「新仮名使い」にあらため、旧漢字を新漢字にあらためても作品の品格を
そこねることにはならない。現に万葉集は「春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山」という歌を「春過ぎて 夏来たるらし 白栲の 衣乾したり 天
の香具山」と読み下して国民的文化遺産として受け継いでいる。
中国でも紀元前600年くらいにできたとされる
『詩経』を簡体字で出版している。文字は一般の人は容易に読めることが大切であって、専門家は専門家で原典を研究すればいいという考え方である。
漢字検定は 80点がおよその合格ラインで、2級で合格率は20パーセント台だという。難関であることが挑戦者に闘志をわかせているようにも思われる。しかし、漢字検
定は日本語の運用能力の検定といよりも、むしろ英語でいえばスペリング・テストに近い。美しい日本語は漢字の数を増やすことによって、その美しさを増すこ
とになるのだろうか。
四文字熟語が
日本の漢字文化の一角をしめるに至っている。四文字熟語は中国の古典のなかの文句を引用したものが多い。例えば「温故知新」は『論語』のなかの「温故而知
新」による。故(古き)を温(たず)ねて新しきを知る、という意味である。故(ゆえ)がなぜ古(ふるい)のか、温度の「温」がなぜ「たずねる」なのかとな
ると、いささか心もとない。漢和辞典によると「温」はもともと「温める」「煮る」「茹でる」が原義であり、そこから「熟成」「習熟」という抽象的な意味に なったという。
「酒池肉
林」といえば「酒と女におほれる」ことかと思い続けていたが、どうもそうではないらしい。冨谷至の『四字熟語の中国史』(岩波新書)によると、殷の時代に
帝紂(ていちゅう)という暴虐な王がいた。『史記』によると帝紂は「酒を以て池と為し、肉を懸けて林となし、男女をして倮(はだか)にし、相(あ)い其の
間を逐(お)わしめ、長夜(ちょうや)の飲を為す」とある。これによれば肉は食肉であり、ごちそうを林に懸けた、ということになる。漢和辞典を調べてみて
も「酒池肉林=酒をたたえて池とし、肉を木に懸けて林とするの意。豪遊をきわめるさま。」とある。ステーキを食べてワインを飲むくらいなら、現代のサラ
リーマンにもたまには手の届かぬ贅沢ではない。
「風林火山」は中国の兵法書『孫子』の「故其疾
如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山」つまり「疾(はや)きこと風の如く、徐なること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如
し」からきている。
「風林火山」
は武田信玄の旗印であることは有名であるが、武田氏の歴史を記録した『甲陽軍艦(こうようぐんかん)』には「其徐如林」が「其静如林」となっている。
「徐」は徐行の徐であり、漢和辞典によると「おもむろ、ゆるやか、おだやか」となっている。それを『甲陽軍艦』は「静か」と読みかえたのである。
相撲の大関昇 進の口上や横綱昇進の口上にもしばしば用いられる。最近の大関では貴花の「不撓不屈」、若の花の「一意専心」、琴光喜の「力戦奮闘」、白鵬の「全身全霊」
などがある。横綱では若の花の「堅忍不抜」、白鵬の「精神一到」がある。また、「我れ未だ木鶏たりえず」は昭和の大横綱双葉山が七十連勝を阻まれた時に残
した言葉として有名である。真の名人にはまだ達していない、というのである。木鶏とは闘鶏の鶏が空威張りをしたり、虚勢をはったりしなくなり、遠くからみ
るとまるで木鶏の(木作りの鶏)のような状態にいたることで、他の鶏は相手にならず、逃げていくほど完璧に強いことをいう。完全な徳を身に付けた状態、
「道の体得」をいう
四文字熟語は中国語ではあるが人口に膾炙してい
て、耳で聞いても多くの人に理解されるところにその魅力がある。漢字検定でも四文字熟語は出題の定番である。
2級:次の四字熟語の(1〜10)に入る適切な語を下の中から選び、漢字二字で記 せ。
ア 会者(1)、イ 放歌(2)、ウ 勢力(3)、エ 心頭 (4)、オ 快刀(5)、
カ (6)弱
行、 キ (7)万 里、 ク (8)漢 才、 ケ (9)休 題、 コ(10)無 二
うんでい、 かんわ、 こうぎん、 じょう り、 はくし、 はくちゅう、
めっきゃく、 ゆいいつ、 らんま、 わこん
準1級:次の四字熟語の(1〜10)に入る適切な語を下の中から選び漢字二字で記 せ。
(1)絶倒、 (2)曲浦、 (3)嘗胆、 (4)心猿、 (5)雀躍、
四面(6)、
清濁(7)、 暮色(8)、 白虹(9)、 抜山(10)
いば、 がいせん、 がしん、 かんじつ、 きんき、 そう ぜん、 そか、
ちょうてい、へいど
ん、 ほうふく、
1級:次の四字熟語の(1〜10)に入る適切な語を下の中から選び漢字二字で記 せ。
(1)
同 穴、 (2)虎搏、 (3)附耳、 (4)鉄壁、 (5)当路、
風光(6)、 載籍(7)、 兵馬(8)、 琑砕(9)、 拳拳(10)
かいろう、 こうかん、 こうそう、 さいじ、 さいろう、 じょうそく、
どうしょう、 ふくよう、 めいび、 りゅうじょう
ここでは四字熟語を知っているかだけではなく、 それを漢字で書けるかも問われている。
8割正解できれば合格である。
回答は次のようになる。
2級:
ア 会者定離、イ 放歌高吟、ウ 勢力伯仲、エ
心頭滅却、オ 快刀乱麻、
カ 薄志弱行、キ 雲泥万里、ク 和魂漢才、ケ 閑話休題、コ 唯一無二、
準1級:
(1)抱腹絶倒、(2)長汀曲浦、(3)臥薪嘗 胆、(4)意馬心猿、(5)欣喜雀躍、
(6) 四面楚歌、(7)清濁併呑、(8)暮色蒼然、
(9)白虹貫日、(10)抜山蓋世、
1級:
(1)偕老同穴、(2)竜攘虎搏、(3)躡足附 耳、(4)銅牆鉄壁、(5)豺狼当路、
(6)風光明媚、(7)載籍浩瀚、(8)兵馬倥 偬、(9)琑砕細膩、(10)拳拳服膺、
これらの四文字熟語のなかには、普通にはよく知
られていないものもあるので、念のため辞書で意味を確かめておく。
○意馬心猿。 いろいろと考えが変わって一つのこと に落ち着かないこと。
○白虹貫日。 白色の虹が太陽をつきとおす。天が人 の誠意によって感動してあらわす現象のこと。
(史記・鄒陽)
○抜山蓋世。 力は山を引き抜くくらいで、気持ちは 世の中をおおいつくすほどである。
力が強く、意気盛んなさま。(史記・項羽)
○偕老同穴。 夫婦の契りが非常にかたく、ともに老 い、同じ墓に葬られること。
○竜攘虎搏。 竜と虎が格闘するように、互角の力を
持った者同士が激しく争うこと。
○豺狼当路。 やまいぬと狼が通り道にいる。邪悪な 大臣が重要な地位にいて、自分勝手に権
力を振るうこと。(後漢・張綱)
○兵馬倥偬。 戦争で忙しく、心も落ち着かないこ と。
四文字熟語は
中国の古典からきているものが多い。中国の古典に親しむことの少なくなった現代人にはなじみの薄いものが多くなっているいることはやむをえないことだろ
う。漢字検定試験は世の中のこうした世相に抗っているかのようにもみえる。難解な四文字熟語のうち、「躡足附耳」「銅牆鉄壁」「琑砕細膩」については手許
にある中級の漢和辞典にも載っていないので、意味を確かめることをあきらめた。銅牆は銅の塀であり、鉄壁は鉄の壁だから、守りがかたいことだろう。四文字
熟語もここまでくると衒学趣味に近くなる。
日常に使って親しまれる四文字熟語は以心伝心、
温故知新、栄枯盛衰、竜頭蛇尾、羊頭音狗肉、獅子奮迅、付和雷同などの範囲を越えないほうが無難ではあるまいか。ことばは相手に受けとめられてはじめて、
ことばとして機能する。
中国で四文字
熟語が多く使われるようになったのは科挙の試験と関係があるらしい。まだ文字を読める人が少なかったころ、科挙の試験を受けようとする人びとは自分の学を
競うかのように、古典を典拠とする四文字熟語を使って文章を書き、またそれを読解できることを誇示するようになった。読書人・士大夫階級は一般庶民との差
別化を維持するために読解力のレベルを高めていかなければならない。そのようにして、漢文はますます難解になり、士大夫階級と庶民の差はさらに広がって いったのである。
その科挙の試
験でもっとも重要な科目であったのが作詩であった。漢詩は約束ごとが多い。平仄(決められた音節の組み合わせ)、決められた位置での対句などがあり、その
なかで巧みに典拠をもつ熟語を使って質の高い詩文を作る。作詩は文学者としての資質を官僚に要求するのではなく、読書人としての知識をはかる最も有効な方
法であったのである。
中国古代の詩
『詩経』はおおむね一句四言からなっている。六朝時代(4〜6世紀)には四六駢儷体(しろくべんれいたい)が美文とみなされた。四六駢儷体は四字句と六字
句を組み合わせたもので、わが国でも太安万侶が古事記の序文などに用いている。「イザナギの命が、黄泉(よみ)の国を訪れて現世に帰り、禊(みそぎ)をし
て目を洗うときに日と月が現われ、海水に浮き沈みして身を洗うときに、多くの神々が出現した。」というところは次のように書いてある。
出入幽顕 日月彰於洗目 浮沈海水 神祇呈於滌 身
日本語にする
と「幽顕に出入りして、日月目を洗うに彰(あらわ)れ 海水に浮沈して、神祇身を滌(そそ)ぐに呈(あらは)れき」だが、中国語で読むと四音節に六音節の
組み合わせになっている。古事記の序文は四文字の対句を多く用いた華やかな漢文である。中国語はリズムで読む文章であることが、よくわかる。このほかにも
四文字の対句がいくつも使われている。
夫 混元既凝 気象未效 無名無為 誰知其形 然 乾坤初分
「夫(それ)
混元既に凝(こ)りて、気象未だ効(あらわれ)ず。 名も無く為(わざ)も 無し。誰か其の形を知らむ。然れども 乾坤(けんこん)初めて分かれ
て、、、」となる。漢文の訓読は一種の翻訳であり、原文のもっているリズムは失われている。漢文は通常句読点を用いたり、分かち書きもしないが、文章は四
文字あるいは六文字の句によって構成されているから読める。中国語の四文字熟語は音楽における音節のような役割をはたしているともいえる。
ことばのリズムもちがい、同じ文字でもその意味 が必ずしも同じではない日本語では中国語の四文字熟語は、ことばの壁を越えられないこともしばしばある。
「曲学阿世」
はサンフランシコ平和条約締結に際して、時の首相吉田茂が東京大学総長であった詩字学者の南原繁を非難した時のことばとして知られている。「曲学阿世」と
は「真理を曲げて世の人に気に入られるような説をとなえる、、学を曲げて世に阿(おもね)る」ことをいうと解されている。『史記』に「無曲学以阿世」によ
るとされ「曲学、以て世に阿(おもね)ること無かれ」とあり、吉田茂はこの字句を引用したのである。「阿」とは何か。漢和辞典によると
� ,�か。高い丘。
�◆,茲襦�よりかかる。
�� おもねる。へつらう。
�ぁ,�ま。まがりかど。
�ァ,爐諭�のき。「四阿(あづまや)」
�Α,笋錣蕕�いさま。
�А仝討咾�けのことば。また、人を呼ぶときに親しみ を表すためにつける接頭辞。
「阿兄(あけい)」。〈国訓〉お。婦人または子どもの名の上につけて呼ぶ愛称。
「阿関(おせき)」「阿国(おくに)・婦人」「阿千(おせん)」
「阿蘭(おらん)」
「あいうえお」の「あ」も、中国語では「丘」か
ら「出雲の阿国」や「おしん」まで意味は多様である。「曲学阿世」の場合は「いいかげんな学によって、世に迎合するなかれ」ということになる。四文字熟語
も使い方を誤ると曲学阿世のそしりを招くことになりかねない。
中国には古い
時代を模範として、堯舜のような時代を現代に実現するという尚古思想が長い間その根底にあった。尚古思想は現実のありさまを否定し、本来はこうあるべき
だ、こうあるのが望ましい、そういう理想的な状態が過去にあった、そこに復帰すべきだという思想であり、尚古思想はある種の理想主義であり、ロマン主義で
ある。日本に於ける四文字熟語も良寛などが万葉の歌とともに漢詩を作り、鴎外、漱石などが漢詩で自由に自分の感情を表現できた時代がよかったという尚古の
思想、あるいは過去を美化しようとするロマン主義が底流に流れているのではなかろうか。しかし、そういう時代は日本ばかりでなく中国でも、もどってきそう もない。
日本には国語
辞典のほかに漢和辞典があって漢字の読み方や意味は漢和辞典で引く。漢和辞典の漢字は通常部首の画数順にならべられており、「男」という字について漢和辞
典で調べるためには「男」の部首が「田」なのか「力」なのかしらなければならない。「女」という字は「くノ一」で構成されているが「ノ」でも「一」でもな
く「女」という部首がある。
漢字検定試験でも漢字の部首を問う問題が出され ている。
2級:次の漢字の部首を記せ。 <例>菜
(艹)、 間(門)、
1.虞、 2.朱、 3.摩、 4.殿、 5.煩、
6.匁、 7.涯、 8.甘、 9.奨、 10. 叙
答は次のとおりである。
1.虍、2.木、3.手、4.殳、5.火、6.勹、7.氵、8. 甘、9.大、10. 又
部首をしらなければ辞書も引けない。しかし、 「摩」はなぜ「麻」でははく「手」なのだろうか。「煩」はなぜ「頁」ではなく「火」なのだろうか。
日本の漢和辞 典の多くは214種類の部首による分類を基本としている。白川静の『字通』によると「摩は説文によると「研(と)ぐなり」とあり、それより研磨することを
いう。手で撫でるようにする行為をいう」とある。また、「煩は説文によると「熱にて頭痛むなり」とするが、この火は身熱ではなく、人に加えられるものであ る」とある。
「説文」とは後漢の許慎によって紀元100年に
成立した『説文解字』という中国の古い辞書のことで文字学の聖典とされている。部首はいわば森羅万象を214の類別に分類したものであるともいえる。
[人 体] 口、手、毛、牙、爪、皮、目、耳、肉、舌、足、身、血、首、骨、鼻、歯、
[親 族] 父、母、氏、女、子、
[人 文]
文、言、食、香、心、
[道 具] 弓、矢、矛、玉、田、皿、臼、糸、舟、衣、瓦、車、門、鼓、
[天 地]
土、日、月、水、火、石、金、雨、風、音、山、川、谷、里、
[動 物] 犬、羊、羽、貝、虫、馬、鬼、魚、鳥、酉、隹、鹿、鼠、龍、亀、角、
[植 物] 木、竹、米、麦、麻、瓜、草、禾、豆、
[形 態] 大、小、白、赤、青、色、黄、黒、老、長、高、
しかし、万物
はそんない都合よく分類できるものではない。「摩」は麻+手であるが、手で撫でるという原義があるので部首は「手」であり、「煩」は火+頁であるが、火と
関係のある文字なので部首は「火」である、ということになる。外観は同じでも「胸」「胴」は肉月であり、「月」「朝」は月である。人間の体に関係のあるの
ものを示す文字は同じ「月」でも「にくづき」とよばれて、おおむね左側に「月」がある。
(1) 肌、肝、肚、胆、胸、脇、胴、脚、脳、腕、腸、
腹、腰、膝、
これらとは別に、次のような一群の文字がある。
(2) 服、朋、朕、朦、朧、
さらに、右側に「月」のついた、
(3) 朔、朗、期、朝
などがあり、(2)と(3)については「にくづき」ではなく、「つきへん」の 部にでている。
「にわとり」は「鶏」でもあり「雞」でもある。
「鳥」も「隹」も鳥である。「隹」は雀、隼、雁、雛などに使われ、「鳥」は鳶、鳳、鴉、鴨、鵞、鵠、鵲、鴬、鶴、鷲、鷺、鸞、などに使われる。朝鮮語で
「鳥」は鳥(sae)である。日本語でも鳥の名前に「す」がついたもの
は多い。カラス、カケス、ウグイス、ハヤブサ、などである。これらの鳥の「ス」は朝鮮語の鳥(sae)によるものである。朝鮮語の鳥(sae)をさらに遡れば中国語の「隹」にたどりつく。スズ
メの「ス」も「隹」であろう。雄(オス)、雌(メス)の「ス」も雄鶏、雌鶏であり「隹」に由来する。
「とり」には「酉」もある。酉の市の酉(とり)
である。この酉は十二支に関係がある。酉の部に収めれれている漢字は十二支ではなく酒にかんするものがほとんどである。「酒」は「氵」だと思うが酊、酌、
酎、酔、酢、などとともに「酉」の部に出ている。
「熱」は灬部
であり、魚は魚部、鳥は鳥部である。「交」「京」「亭」は亠部だが、「立」「高」「音」「辛」などはそれぞれで部首をなしている。「見」は「目」と関係が
ありそうだが「見」も部首をなしている。「勝」は「力」の部、「謄」は「言」の部、「騰」は「馬」の部ということになる。
白川静によれ
ば、「男」は田+力。力は耒(すき)の象形。田と農具の耒(力)とを組み合わせて耕作のことを示す。男はもとその管理者という語で、のち五等の爵号の一つ
となった。説文に「丈夫なり。田に従いひ、力に従ふ。男は力を田に用ふるを言ふなり」とするが、力は筋力の意ではない。周初の金文令彝(れいい)に「諸
侯、侯・田・男に四方の命を舎(お)く」とあって、男は外服諸侯の一つであり、農地の管理者をいう。男女を連称することは、列国期に至ってみえる。詩経は
室寿(むろほ)ぎの歌で、男女の出生のことを歌う。詩篇では男女は士女と対称するのが普通であった。金文では男を一夫・二夫のように数え、これが農夫の称
で、これを統括するものを大夫という。」とある。
「女」は女子が跪(ひざまず)いて座す形。説文
に「婦人なり。象形」とあり、手を前に交え、裾をおさえるように跪く形。動詞として妻とすること、また代名詞として二人称に用いる。代名詞には、のち汝を
用いる。」とある。
部首は複雑な漢字を分類するために考案されたも
のであるが、その数は時代によって変わってきている。後漢の『説文解字』には部首が540あったという。それが『康熙字典』では214部首に整理され、日
本の漢和辞典は『康熙字典』の部首をおおむね踏襲している。
「男」は説
文では独立した部首をなしており、舅、甥の二字が男部に属していた。その後、玉篇では男部に嬲(じょう)の字を加えている。嬲は嬈(じょう)の俗字で、仏
典に用いられた。現在では「男」は「田」部に、「舅」は「臼」部に、「甥」は「生」部に、「嬲」は「女」部に分類されるようになった。
「女」は説文でもすでに姓・姜など273文字が
おさめられている。女部は水部などとともに属する文字の多い部首である。姉・妹・娘・婦・妻・姫・妃ばかりでなく、奴・委・始・嫌なども女部に属する。
漢字は象形文 字といわれているが、指事(上・下)、会意(武=戈+止・信=亻+言)、形声(江=氵+工・河=氵+可)などの造語法によって複雑に形声されてきたもので
あり、ひつつの基準で5万を超える文字を214部首に分類することはむずかしい。「放」は「攵」部、「牧」は「牛」であり、「開」は「門」部、「聞」は
「耳」部というのは歴史的経緯はあるとしても合理的であるとは言い難い。「土」と「士」が区別されているのに、「甲」「申」「由」がいずれも「田」部とい
うのもいかがなものであろうか。
部首を覚えな
くとも辞書が引けるようにする方法もないわけではない。例えば「放」を「方」で引いたら「攵」部を見よ、「牧」を「攵」部で引いたら「牛」部を見よ、とす
ればすむことではなかろうか。そうすれば辞書を引くための基礎知識としての部首の試験は漢字検定から省くことができる。
実際、現在中国語を習う人が使っている「中日辞 典」はa,b,c,順である。阿(a)、哀(ai)、安(an)などの順になっている。また、中国でもアルファ
ベットは小学校の低学年から教えられていて、漢字の北京語読みを全国に普及するのに役立っている。小学校の国語教科書は『語文』 YŬ
WÉNとされている。現代の北京語では「語」はyŭ、「文」はwénである。現代の中国語を知るためには現代の北京語
の発音を知ることの方が漢字が『康熙字典』でどの部首に属していたかを知るよりもはるかに大切である。中国の国語教科書の一部をみてみると次のとおりであ
る。(簡体字は日本式漢字に改めた)
qiū tiān
秋 天
tiān nà me gāo nà me
lán
天 那 麼 高、 那 麼 藍。
gāo gāo de lán tiān shàng piāo zhe jĭ duŏ bái
yún
高 高 的 藍 天 上 飄 着 幾 朶 白 雲。
中国の小学生は低学年からアルファベットを習っ
ているから部首にたよらずにa,b,c,順の辞書を引くことができる。
日本でも五十音順の漢字の字書がでいている。白
川静の『字通』である。この辞書では漢字は日本漢字音のアイウエオ順にア(阿)、アイ(哀)、アク(悪)、アツ(圧)、アン(安)のように並んでいるので
部首を知る必要はない。
江戸時代の知
識人、教養人、文化人の条件は漢文が書け、漢詩が作れることであった。徳川光圀の『大日本史』も頼山陽の『日本外史』もみな漢文で書かれている。蘭学者杉
田玄白の『解体新書』でさえ漢文で書かれている。その時代には漢和辞典は必須の辞書であり、部首を知らないということは漢和辞典の引き方を知らないことを
意味したに違いない。しかし、現代では漢和辞典はいわば中国語の古語辞典であり、現代中国語の字典としてはその役割を終わりつつあるともいえる。
漢字は偏(へん)や旁(つくり)を組み合わせて できている。
偏(へん) 偏の「亻」
旁(つくり) 偏の「扁」
冠(かんむり) 冠の「冖」
脚(あし) 志の「心」
垂(たれ) 病の「疒」
繞(にょう) 通の「辶」
構(かまえ) 国の「口」
現在使われて
いる漢字のほとんどは声符と意符の組合わせでできているともいえる。草冠の漢字は草に関係があり、木偏の漢字は木に関係があるものが多い。また、同じ声符
をもった漢字は声が近い。偏・遍・篇・編は「へん」と読む。しかし、冠は冠(かん)であり、同じ声符をもった元は元(げん・がん)である。また脚は脚
(きゃく)、去は(きょ)である。繞は繞(にょう)、暁は暁(ぎょう)、焼は焼(しょう)である。通は通(つう)であるが、桶は桶(とう)、踊は頭子音が
脱落して踊(よう)となる。日本語の通(とおる)は桶(とう)に通じ、桶(おけ)は踊(よう)の弥生音であろう。
漢字の歴史は
亀甲文字にはじまり、現在まで約3300年の歴史があり、ひとつひとつの漢字はその歴史を垢を背負っているともいえる。去(きょ)という字はその昔、脚
(きゃく)と同じ韻尾をもっていたに違いないが、韻尾がいつの時代にか脱落して去(きょ)になったものと考えられる。繞(にょう)、暁(ぎょう)、焼
(しょう)も声符は同じであり、音韻変化の痕跡を留めている。堯[ngyô]が古く、繞[njiô]になった。疑母[ng-]と日母[nj-]は
近く転移しやすい。焼[xyô]は堯[ngyô]が摩擦音化したものであろう。
漢字の部首も
その文字ができた時代の物の見方を留めているものがある。虫偏の文字には虫に関係のあるものが多いが「虹」のように虫とは関係のないものが含まれている場
合がある。「虹」は意符が「虫」であり、声符が「工」である。工という音の虫であると考えるのが自然である。白川静の『字通』には次のように書いてある。
声符は工(こ
う)。工は左右にわたってそりのあるもので、虹の胴体と考えられている 部分はその形。その頭は蜺(げい)の字の従う兒の形で、左右両頭のものとされた。
説 文に「螮蝀(ていとう)なり。状、虫(き)に似たり」とあり、虹は竜形の獣とされた 。それゆえその字はみな虫に従う。その雄は虹、雌は蜺(霓)とい う。
つまり、古代
の中国人は虹を竜にみたてたというのである。それならなぜ龍は虫偏ではないのだろうと聞いてみたい気もするが、誰に問うたらいいのだろうか。とにかく説文
の時代にはすでに、文字ができた時代のことは分からなくなっていて、虹の語源は竜だという解釈が行われていたということであろう。 漢字は古代中国人の心
を映している。虹(にじ)となると古代人の心に近づいてみないとその心は分からない。
古代中国の虫(き)には現代の虫とは異なるもの
もふくまれている。
【虫】虱、蚤、蚕、蛹、蛆、虻、蚊、蝿、蛍、 蝉、蛾、蝶、蛺、蜂、蟀、蟻、蜻蛉、蟷螂、
【その他】虹(にじ)、蛇(へび)、蝮(まむし)、蛙(かえる)、蟇(がま)、蝦(えび)、
蟹(かに)、蛸(たこ)、蛤(はまぐり)、蜆(しじみ)、蜷(にな)、蝸牛 (かたつむり)、蛋(たまご)、蜜(みつ)、 蠟(ろう)、
虫にまつわるものは動詞としても用いられる。蝕 (むしばむ)、触(さわる)、蟄(かくれる、こもる)、蠢(うごめく)、蟠(わだかまる)。
人間もまた虫
に分類されてしまうことすらある。「蛮」は南蛮の蛮であり、野蛮の蛮である。蜀は目が大きく体の曲がった毛虫のことだが、四川省付近にあった侯国の名でも
ある。蜑(あま)もまた虫偏である。蜒は中国の南方に住む水上生活者の総称で蛋民ともいう。竜蛇の卵から生まれると考えられていたという。「閩」は辞書で
ひきときは門構えだが、作りは「虫」である。「閩」は福建に住む人間の謂いである。
漢字には「貝」という部首がある。「貝」は巻貝
の象形だといる。そのためか、蛤(はまぐり)、蜆(しじみ)は貝部には入っていない。しかし、蜷(にな)、蝸(かたつむり)も虫偏である。貝類はなぜ貝部
にはいらないのだろうか。
貝は貝殻のことであり、古代中国では貝は貨幣と して交換された。そのため貝部の文字は貨幣に関係のあるものが多い。
【貝】貨、寶、財、賣、買、購、貸、賃、貴、 賞、賜、貢、賄、賂、贈、贋、貧、貪、贄、
貝部の漢字に
は生きた貝を表すものはひとつも含まれていない。動物や植物の名前の漢字はむずかしいものが多い。動物・植物の名前はカタカナでかくことになっているか
ら、現在ではわざわざむずかしい漢字を覚えて書く必要はない。しかし、書かれた文字を読めないと困ることもあるので、漢字検定では瑇瑁、槭、鮴、栂、など
が出題されている。答えは瑇瑁(たいまい)、槭(かえで)、鮴(ごり)、栂(つが)である。
魚部の漢字にも魚でないものが含まれている。
魯(おろか)、鮑(あわび)、鮮(あざや か)、鮹(たこ)、鯨(くじら)、
鯨は魚+京であり、京は「大きい」を意味する。
現代の科学知識では魚ではなく哺乳動物であることが知られているが、だからといって鯨を豸+京に変えるということはない。文字の世界では鯨は今でも「鯨」 である。
魚部の漢字には日本で作られた国字も多い。
鮗(このしろ)、鮲(まて・貝)、鯏(あさ り)、鯎(うぐい)、鯒(こち)、
鯱(しゃち)、鯰(なまず)、鰯(いわし)、鱩(はたはた)、鱈(たら)、鱚(きす)、
これらの国字は中国における漢字の原理にのっ
とって工夫されている。漢字は中国で生れたものであり、外国語である日本語を書き表すには不便な面もあった。そこで国字や仮名がうまれた。漢字文化圏のな
かでもさまざま工夫が行われている。
ベトナムでは
かつて字喃(チュノム)という国字が使われたことがある。漢字は中国語を表記するために作られたものなので、中国語の音をとれば義が伝わらず、義をとれば
音がずれてしまう、という問題があった。音をとれば意味がベトナム語と一致せず、訓をとれば中国語の音と違ってします。例えば、ベトナム語では「市」を
「しょ」という。そこで「助」の下に「市」を書き添えて「助/市」
で「じょ」と読み、かつ「市」を意味する国字とする。ベトナム語で「三」を「ぱ」という。そこで「巴+三」で「ぱ」と読んで「三」を意味する国字を作っ
た。同じように「五」は「南+五」で読みは「なむ」、「年」は「南+年」と書いて「なむ」と読み、「年」を意味するといった具合である。
漢字だけで日
本語を表記しようとした太安万侶は『古事記』序のなかで次のように述べている。「上古の時は、言(ことば)と意(こころ)と、みな朴(すなほ)にして、文
を敷きて句を構ふること、字に於きて即ち難し。已(すで)に訓によりて述べたるは、詞(ことば)心におよばず。全く音を以ちて連ねたるは。事の趣さらに長
し。」そこで太安万侶は音と訓を併用して古事記の日本語を表記することにした。
西夏文字は中
国の西域で発明された文字であるがるが、字喃よりもっと野心的で西夏語を漢字をまったく使わずに書ける文字体系をなしている。西夏国は11世紀から13世
紀まで中国の西域にあった国で井上靖の『敦煌』の舞台でもある。敦煌の郊外には映画『敦煌』の撮影に使われていたセットが沙漠のなかに残っていて、観光名
所のひとつになっている。
西夏では漢訳
仏典やチベット語の仏典からの翻訳が盛んに行われ、敦煌の莫高窟などに残されていた。昇偏に血=情け、菩薩=情けを悟る者と訳されている。西夏語はチベッ
ト・ビルマ系の言語のようである。声調があるのは中国語と同じだが、ことばとしては中国語とはまったく違う言語である。
西夏文字はい
くつかのパーツを複雑に組み合わせた表意的な文字で画数になおすと十画とか二十画もあるものが多い。漢字のように音符と意符の組み合わせではなく意味を中
心に類語を作っていく傾向が強いので解読はかなりむずかしい。筆者は東京外国語大学の公開講座で荒川慎太郎先生の教えを受けたが、その構造を理解しえたと
はいい難い。西夏文字はパソコンのフォントもあるにはあるが、受ける側がそれに対応していないと文字化けしてしまうので、漢字におきかえてその構造を示す
と概ね次のようになる。
漢字ではパー
ツは偏と旁に分けられ偏は普通簡略化されていて、旁は音符をあらわすことが多いが、西夏語ではそれぞれのパーツが自己主張をしていて、横に三つ、あるいは
縦横に並べられている。漢字に置き換えると例えば、纈、辮、纐、纎、のごとくである。なかには、髭、鬚、のような構成のものもあり、朦朧靄戀灣鸞贏躑鷺櫻
衢鬱というような文字が並んでいるように見える。西夏文字は6000を超えていて、それがそれぞれ350ほどのパーツの組み合わせでできている。今では西
夏語を話す人はいないが、西夏が滅んだあともかなり長い間使われていたようである。
このような複
雑な体系の文字を解読するのは容易なことではない。文字ひとつひとつがひとつの意味をもっていることは漢字と同じである。しかし、それをどのように発音し
たかはあきらかでない。西夏文字が解読できたのは主に仏典のおかげである。華厳経や法華経が漢語やチベット語から西夏語に翻訳されていて、それらの資料が
かなり残っていたので今ではかなり解読されている。日本では石浜純太郎や西田龍雄が西夏文字の解読に貢献している。
西田龍雄の『西夏文字』(紀伊國屋文庫)による とその造語法は例えば次のごとくである。
心+柔=孝、心+無=忘れる、心+悟る=願
う、心+A=恐れる、心+B=憂う、
変える+二つに切る+鉄(冠)=のこぎり、変える+A=翻訳する、
骨+人+皮+木(冠)=(木のごとく)痩せる、
鎌+A=切る、切る+B=分ける、切る+C=刈る、切る+D=別れる、切る+E=離れる 、 切る+F=裂く、
また、「酒」
+「越える」=「酔う」といったぐあいである。漢字は歴史の古い文字であり、中国の長い歴史と文化がそのなかに凝縮されている。しかし、漢字は音節文字で
あるため、音節構造の異なる言語には適用されにくい。音素文字であるアルファベットが広がったのは子音と母音の組み合わせが自由であり、どの言語の音節構
造にも適用できた点が大いに関係していると思われる。西夏語は語順や統語構造も中国語とは違う。そこで西夏語にふさわしい文字を考案したわけだが、それが
使われたのはおそらくごく限られた階級の人びとに留まり、使われた期間も約300年であった。
日本語では国字も考案されたが、仮名が考案され
たため新しい文字体系を作り出す必要はなくなった。しかし、古事記や万葉集の漢字だけの日本語を読んでいると、いかにも漢字は日本語を表記するのには不便
な文字であることがわかる。
日韓の間には
36年間におよぶ植民地支配という不幸な歴史があった。1945年祖国は解放され、米軍政庁に続き、1948年8月15日に韓国は独立した。日本では終戦
記念日である8月15日は韓国では光復節、つまり光がよみがえった日である。戦後日韓の間に和解が成立し日韓基本条約が調印されたのは1965年のことで ある。
日韓基本条約が成立しても、韓国人の日本に対す
るわだかまりが消えたわけではない。「日帝時代を頑迷に反省しない日本人は許せない」という反日感情が強くある。それが歴史教科書問題や靖国参拝、竹島を
めぐる論争などとなって、しばしば噴出する。
日本の大衆文化が韓国社会に深く浸透するように
なったのは1998年のワールドカプ共同開催と金大中大統領の訪日以来のことである。それと呼応すりょうに日本でも韓流ドラマの隆盛がはじまった。
韓流ドラマの さきがけとなったのは『冬のソナタ』である。『冬のソナタ』は2003年にNHKBS2で放送された。その反響が大きかったためにNHK総合でも放送さ
れ、さらにTBS(関東)や朝日放送(関西)でも放送された。メイド・イン韓国のラブ・ストリ−に日本中が熱狂したといっても過言ではない。
儒教の影響の 強い韓国社会では家族の拘束や性的規範による制約が多く、自由恋愛はむずかしいというのが実態である。そこで描かれる恋愛は「ロミオとジュリエット」のよ
うな葛藤や嫁姑の問題が多かった。しかし『冬のソナタ』ではそのようなステレオタイプがみごとに排除されている。そのすがすがしさが韓国でこのドラマが成
功した原因といえる。カン・チュンサン(姜俊尚)を演じたペ・ヨンジュン(裴勇俊)とチョン・ユジン(鄭惟珍)役のチェ・ジウ(崔志宇)の人気は高まり、
次々にヒットするようになった。
『冬のソナタ』の原題は"Kyeo-ul Yeon
Ga"(キョウリョンガ)である。日本語の題名は英訳の"Winter Sonata"による。原題を直訳すると『冬の恋歌』となる。
「キョウル」は「冬」、「ヨン」は「恋」、「ガ」は「歌」である。韓流ドラマの字幕をみていると韓国での漢字の読み方が日本漢字音と違うことに気がつくこ とが多い。
1.朝鮮語では"l"の次に"i"介音がくると規則的に脱落する。
恋歌(ヨンガ)、離宮(イグン゜)、両班(ヤン゜バン)、臨津江(イムジンガン)、
李舜臣(イスンジン)、梨花(イファ)、林巨正(イムコッチョン)、麟坪(インビョン)、
柳誠源(ユソンウオン)、
2.朝鮮語では語頭の清音は語中・語尾では濁音に なる。
恋歌(ヨンガ)、勇俊(ヨン゜ジュン)、崔志宇(チェ・ジウ)、
3.朝鮮語では語頭の母音・半母音は前の語の韻尾 とリエゾンする。
冬(キョウル)恋歌(ヨンガ)=冬恋歌(ヨウリョンガ)、李��炯
(イ・ミニョン゜) 、
黄真伊(ファン゜ジニ)、漢陽 (ハニャン゜)、郁里河(ウン゜ニヘ)、
国内城(クンネソン゜)、康陵
(カン゜ヌン゜)、江陵(カン゜ヌン゜)、
暗行御史(アメンオサ)、
4.韓国語では韻尾の-n・-m・-ngを区別する。(-ngは「ン゜」であらわす)
俊尚(チュン゜サン)、勇俊(ヨン゜ジュン)、安南(アン・ナム)、長今(チャン゜グム)、 金剛山(クム・ガン゜サン)、妓生(キセン゜)、帯方(テバン゜)、芳遠(バンウオン)、
鳳林(ポン゜リム)、兪応孚(ユウン゜ブ)、
5.日本漢字音ではサ行の音が朝鮮漢字音ではタ行 であらわれることがある。
姜俊尚(カン゜チュンサン゜)、崔志宇(チェ・ジウ)、朱蒙(チュモン゜)、
国祖母(コクチョモ)、済州島(チェジュド)、三田渡(サンチョンド)、晋城(チンソン)、 肖古(チョゴ)王、春香伝(チュニャンジョン)、正祖(チョン゜ジョ)、
清河園(チョンハウン)、総兵官(チョン゜ビョン゜グアン)、
鄭蘭貞(チョン゜ナンジョン)、
6.日本漢字音ではカ行の音が朝鮮漢字音ではハ行 であらわれることがある。
張禧嬪(チャン゜ヒビン)、漢城(ハンソン゜)、河城(ハソン゜)、韓国(ハングク)、
華城(ファソン゜)、許筠(ホギュン)、訓民正音(フンミンジョン゜ウム)、
顕徳(ヒョンドク)、恵嬪(ヘビン)、黄砂(ホン゜サ)、孝寧(ヒョニョン)、
光海君(クアンヘグン)、江華島(カン゜ファド)、興安君(フン゜アングン)、
洪吉童伝 (ホン゜ギルトン゜ジョン)、昭顕(ソヒョン)、西海(ソヘ)、
司憲府持平(サホンプチビョン)、 荘献(チャンホン)、大行首(テヘン゜ス)、
無学大師(ムハクテサ) 、
7.中国語の韻尾-tは朝鮮漢字音では規則的に-lに転移する。
張吉山(チャン゜ギルサン)、監察府(カムチャルブ)、述爾忽(スリホル)、
荘烈(チャンニョル)、達率(タルソル)、哲宗(チョルジョン)、日月(イルウオル)剣 、 靺鞨(マルグル)族、弥鄒忽(ミチュホル)、
8.朝鮮漢字音は中国語の合音をよく保っている。
大王世宗(テワン゜セジョン゜)、王道(ワン゜ド)、慰礼宮(ウ イレ・グン゜)、
衛士(ウイサ)、威化島(ウイ ファ・ド)、河緯地(ハウイジ)、
承政院(スンジョンウオン)、
9.朝鮮漢字音では中国語の来母ばかりでなく、疑 母、日母も脱落する。
【疑(ng-)母】慶源(キョン゜ウオン)、月山(ウオルサン)、元範(ウオンボ ン)、
水原(スウオン)、
【日(nj-)母】恭譲王(コン゜ヤン゜ワン゜)、古爾(コイ)大王、
申師任堂(シンサイムダン゜)、譲寧(ヤン゜ニョン゜)、中人(チュイン)、
仁川(インチョン)、任士洪(イムサホン)、李珥(イイ)、
中国文学の碩学、一海知義は『一海知義著作集
10 漢字の話』のなかで次のようにいっている。
漢字は、単に渡来しただけでは、意味がありま
せんでした。日本人がそれを使って漢文を書き、 やがて日本語を表記するようになって、はじめて漢字の渡来は意味をもつものになったわけで
す。
漢字はおそくとも1、2世紀ごろには日本に渡来していたでしょうが、渡来の意味が実を結ぶの は、7世紀以後だといっていいでしょう。(p.167)
漢字文化が古
事記、日本書紀、万葉集として実を結ぶ前に700年〜800年の歳月が流れていた。その間にもことばは変化し、発音はかわった。その痕跡が日本語の訓(弥
生音)のなかに残されている。初期の漢字文化の担い手である史(ふひと)はほとんどが朝鮮半島の出身者であったので朝鮮漢字音の影響も受けた。しかし、朝
鮮漢字音の影響については河野六郎をのぞいて、ほとんど言及されていない。
日本語のなかにも朝鮮漢字音の影響を受けたと思
われることばがたくさんある。
1.朝鮮語では"l"の次に"i"介音がくると規則的に脱落する。
朝鮮語では"l"が語頭にくることはない。古代の日本語でもラ行で はじまることばはなかった。その ため、日本語でも"l"が脱落した例がある。
硫黄(yu-wang)い おう、陸(yuk)お か、柳(yu)や な木、良(yang)よ き・よい、
2.朝鮮語では語頭の清音は語中・語尾では濁音に なる。
日本語では小林と書いて「こばやし」と読む。
「ばやし」という日本語があるわけではなく、 「はやし」が語中では濁音になるからである。朝鮮語も語頭の清音が語中では濁音になる。
日本語や朝鮮語では濁音が語頭にくることはなかった。ハングルではkopayashiと書いて「こばや し」と読む。日本でもいろは
歌のできた平安時代末期までは濁音を表示する必要はなかった。
いろはにほへと 色 は匂へど
ちりぬるを 散 りぬるを
わかよたれそ 我が世 誰ぞ
つねららむ 常 ならむ
うゐのおくやま 有為の奥山
けふこえて 今 日越えて
あさきゆめみし 浅 き夢見じ
ゑひもせす 酔 ひもせず
ところが馬車、売買、倍、莫大、暴力、罰、な
ど語頭に濁音をもった中国語がたくさん入ってく るに及んで語頭音は清音であるという規則がくずれてしまった。今ではバス、バイオリンなどを 濁音で
表記しなければ意味がわからなくなってしまう。
3.朝鮮語では語頭の母音・半母音は前の語の韻尾 とリエゾンする。
観音(かんのん)、因縁(いんねん)、輪廻(りんね)、安穏(あ んのん)、懸念(けねん)
など仏教系のことばに多い。
4.韓国語では韻尾の-n・-m・-ngを区別する。(-ngは「ン゜」であらわす)
三(さん)、甘(かん)、藍(らん)、艦(か
ん)、兼(けん)、店(てん)、談(だん)、染 (せん)、音(おん)、心(しん)、金(きん)などの韻尾は本来(-m)なのだが、日本語では(-m) と(-n)の区別はされず、-n・-mも「ん」で現われる。しかし、朝鮮漢字音では中国
語の韻尾(-n)と (-m)は弁別されている。
5.日本漢字音ではサ行の音が朝鮮漢字音ではタ行 であらわれることがある。
中国の音韻学で知照系と呼ばれる声母がある。
知は舌上音、照は正歯音とも呼ばれる。知」は唐 の時代以前は「端」の音だったものがi介音の影響で口蓋化したものであり、「照」は
「精」の音 がi介音の発達により変化したものだとされている。日
本漢字音の照(ショウ)は唐代の中国語音 に準拠しており、照(てる)は古い中国語音の痕跡を留めている。朝鮮漢字音の辰(jin/sin)は破擦 音から摩擦音への変化の過程を示してい
る。日本語音では訓のタ行が古く、サ行音が新しい。
照(jo)て る、辰(jin/sin)た つ、塵(jin)ち り、縦(jong)た
て、誰(chu)だ れ、津(jin)つ、
絶(jeol)た える、作(jak)つ くる、出(chul)で る、就(chwi/chu)つ
く、取(chwi)と る、
衝(chung)つ く、妻(cheo)女 つま、千(cheon)ち、
ただ、この音韻変化は地域により変化の進みぐ
あいが異なっていたものと思われ、日本語の訓 (弥生音)がタ行を留めているのに、朝鮮漢字音では摩擦音に変化しているものもみられる。
常(sang)つ ね、垂(su)た れる、床(sang)と こ、束(sok)つ か、散(san)ち る、十(sio)と お、
手(su)て、
盾(sun)た て、
また、日本語の訓(弥生音)がサ行なのに朝鮮 漢字音が破擦音のものもみられる。
知(ji)し
る、沈(chim/sim)し ずむ、澄(jing)す む、潮(jo)し お、
王力の推定による古代中国語音は次の通りであ る。
知[tie]、 沈[diэm]、 澄[djэng]、 潮[dio]、 照[tjiô]
6.日本漢字音ではカ行の音が朝鮮漢字音ではハ行
であらわれることがある。
日本語の訓(弥生音)のなかには、朝鮮漢字音 の痕跡を残しているものがみられる。
閑(han)ひ
ま、艦(ham)ふ ね、火(hwa)ひ、 灰(hui)は い、戸(ho)へ、 幌(hwang)ほ ろ、
頬(hyeop)ほ
お、脛(kyeong/hyeong)は ぎ、衡(hyeong)は かり、濠(ho)ほ り、
化(hwa)ば ける、響(hyang)ひ
びく、花・華(hwa)は な、惚(heul)ほ れる、吼(hu)ほ える、
日本語のハ行はファ・フィ・フ・フェ・フォ
だったというのが、ほぼ定説になっているが、それ はおそらく平安時代以降のことであり、弥生時代、古墳時代をつうじて日本語は中国語や朝鮮語 の喉
音をハ行で受け入れてきたものと思われる。
喉音は日本語音にない音であり、カ行音(牙
音)に近いこともあって後にはカ行で受け入れられ ることになる。しかし、中国語や朝鮮漢字音の牙音(カ行音)もまた喉音と混同されることも あっ
た。つまり、喉音と牙音は必ずしも正しく弁別されていなかった。
骨(kol)ほ ね、掘(kul)ほ る、降(kang)ふ
る、経(kyeong)へ る、減(kam)へ る、古(ko)ふ るい、
7.中国語の韻尾-tは朝鮮漢字音では規則的に-lに転移する。
日本語でも中国語の韻尾-tがラ行であらわれる場合が、動詞を中心にみられ る。朝鮮漢字音の影響 であろう。
擦(chal)す
る、刷(swal)す る、出(cheul)で る、惚(heul)ほ れる、拂(pul)は らう、祓(pul)は らう、
8.朝鮮漢字音は中国語の合音をよく保っている。
日本語でも旧かなづかいでは王は王(わう)で
あったが、ワ行の合音の要素は失なわれて現在で は王(おう)となっている。しかし、古代の天皇のおくり名にホムタワケ(応
神)、イザホワケ (履中)、ワカタケ(雄略)などがあり、この「わ け」「わか」は王(wang)をさしているものと思 われる。また、日本漢字
音でマ行にあらわれる漢字尾の訓(弥生音)でワ行であらわれるのは合 音の痕跡であろう。
例:綿(myeon)わ た、尾(mi)を、
忘(mang)わ すれる、
9.朝鮮漢字音では中国語の来母ばかりでなく、疑 母、日母も脱落する。
朝鮮漢字音では疑母(ng-)や日母(nj-)もi介音の前で脱落する。日本語の訓(弥生音)にも朝 鮮漢字音 と同じように頭子音が脱落したものがみられる。
【疑(ng-)母】魚(eo)う お、御(eo)お、 仰(ang)あ おぐ、我(a)・ 吾(o)あ・あれ、
【日(nj-)母】 入(ip)い
る、熱(yeol)あ つい、弱(yak)よ わい、柔(yu)や わら、茹(yeo)ゆ でる、
軟(yeon)や わらかい、譲(yang)ゆ
ずる、潤(yun)う るおう、
古代日本語の1人称我(あ)や吾(あれ)も疑 母が脱落したものである。
例:阿(あ)はもよ女(め)にしあれば、、、(古事記歌謡)
吾(あ)を待つと君が濡 れけむ、、、、、(万108)
阿礼(あれ)こそは世の 長人、、、、、、(古事記歌謡)
安礼(あれ)をおきて人 はあらじと、、、(万892)
中国の通貨「元」は朝鮮漢字音では元(won)であり、中国語の「元」と同じである。日本の通貨
円も朝鮮漢字音は圓(won)であり、朝鮮漢字音で読む限り、中国・韓国・日本
の通貨は同じである。元(ゲン)、ウオン、円ともに中国語語源であり、韓国のウオンも日本の円もともに中国語の元の転移音ということになる。
日本の古典や 訓への朝鮮漢字音の影響については今までほとんどかえりみられてこなかった。明治以来、日本人は欧米の文化を取り入れ文明を開化させてきた。明治は欧米の
産業革命と市民革命、宗教改革を同時になしとげた時代でもあった。坂の上の雲を見つめて歩き続けたのは秋山真之や正岡子規ばかりではなかった。
歩き続けて百余年、ふと気がついたら隣国やアジ ア諸国についてはほとんど知らずに突っ走ってきた年月であった。韓流ドラマのブームはそんなことに気づかせてくれる。
現在全国の小学校で採用されている国語の教科書
のなかで、もっとも多く使われているのは光村図書の教科書だそうである。小学校1年生は最初の「こくご」の時間に、とのような国語を習うのだろうか。
は る な かがわ りえこ
はるの はな
さいた
あさの ひかり
きらきら
おはよう
おはよう
みんな ともだち
いちねんせい
これが現代の小学校1年生が最初にならう日本語
である。はじめに「せんせいに あわせて あかるい こえで」とある。絵入りの暖かい装丁で、大人が読む『文芸春秋』などよりはよほど紙の質もよい。しか
も、無償配布である。つい次のページも開けてみたくなる。
うたに あわせて あいうえお
あかるい
あさひだ
あいうえお
いい こ と
いろいろ
あいうえお
うたごえ
うきうき
あいうえお
えがおで
えんそく
あいうえお
おいしい
おむすび
あいうえお
ここで気がつくのは、小学校の「こくご」の教科 書では分かち書きが行われているということである。
は るの はな
あさの ひかり
みんな ともだち
かなだけで書かれた日本語は分かち書きをしない
と単語や句の単位がみえてこない。「春の花」「朝の光」「みんな友だち」と漢字かなまじり文では単語の単位が見わけやすい。
学年を追って
国語の教科書をみてみると小学校2年生の教科書までは分かち書きをし、あるいは読点(、)を多用しているようである。文部科学省による『小学校学習指導要
領』の付録『学年別漢字配当表』によると小学校1年生では漢字を80字、2年生では160字習うことになっている。
日本語は漢字を240字程度使って書くと、分か ち書きしなくても読みやすく書けるということがわかる。
光村図書の『こくご』で最初にでてくる漢字は 「木」である。
「木」と いう かんじは、
「き」の すがたから できました。
・木の したに かけこみました。
・おおきな 木に のぼりました。
・くるまに きを つけましょう。
「木」 と いう かんじは つかえません。
まことに適切な説明である。「木」が表音文字で
なく、表意文字であることを伝えようとしている。小学校1年生はどのような漢字を習うのであろうか、光村図書の教科書に出てくる順に並べてみると次のよう になる。
木、
口、目、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、虫、山、水、雨 上、下、竹、田、 川、林、森、月、子、空、大、男、女、手、天、見、学、 校、 字、
正、車、人、中、力、日、 出、火、金、土、青、小、休、本、犬、 早、名、夕、町、百、千、糸、気、玉、村、白、音、 文、赤、生、耳、王、年、
草、貝、入、右、足、石、左、立、花、先、
日
常よく使われる漢字のなかでも画数が比較的少ないものが選ばれていることがわかる。しかし、小学校1年生が習う漢字は80字といっても、習う側の負担はそ
れだけではない。「木」は「木よう日」のときは木(もく)と読むということもやがて習う。また「日」は日(ひ)ばかりでなく、「一日(いちにち)」、「三
日(みっか)」などと読む。大人には当たり前のことが小学生や日本語をはじめて習う外国人にはかなりの負担になる。特に数は大変である。
一(いち)まい、一(いっ)ぴき、一(ひと)つ、二(に) ひき、二(ふた)つ、
三(さん)びき、三
(みっ)つ、四(し)、四(よん)ひき、四(よっ)つ、
五(ご)ひき、五(い つ)つ、六(ろく)まい、六(ろっ)ぴき、六(むっ)つ、
六(むい)日、七(し ち)にん、七(なな)ひき、七(なな)つ、七(なの)日、
八(はち)まい、八
(はっ)ぴき、八(やっ)つ、八(よう)日、九(きゅう)ひき、
九(く)、九(ここの) つ、十(じゅう)まい、十(じっ)ぴき、十(とお)、
これは「こくご」の時間の話で、「さんすう」の
時間になると1、2、3、4、5、6、7、8、9、10となる。そのうえ、漢字では「十一、十二、二十一、二十二」と、桁があがると表記が変わるのにたい
して算用数字では11,12,21,22と
桁があがっても表記はかわらない。最近では新聞なども数字は算用数字を使うことが多くなっている。日本語を母語とするわたちは日常は意識しないで使ってい
るが、はじめて「こくご」を習う小学生には日本語の表記法はむずかしい。国語の教科書が横書きになれば、算用数字だけですむのではなかろうか。現に中国で
は教科書ばかりでなく、ほとんどの文書が横書きになっている。
1年生の後半で習う「日づけと よう日」のとこ ろをみてみることにする。
お 日さま 大すき、 日よう日。
月が出た 出た、 月よう日。
火の ようじんだ、火よう日は。
ホースで 水まき、 水よう日。
くりの 木 見つけた、木よう日。
お金を もらった、金よう日。
土あそび する、土よう日だ。
漢字を音で読むか、訓で読むかについては規則性
がない。「日(にち)よう日(び)」は同じ「日」を音と訓で読み分けている。朝鮮語では漢字は音読みだけだから混乱はない。しかし、日本語では漢字を音と
訓に読み分ける。漢字検定には小学校1年生修了の級があって漢字の 読み方を問うている。
白いウマが 草( )げんをはしる。
草( )ぶえを ピーッ と ならす。
へやの 空気( )を いれかえる。
きょうの 空( )は くもが おおい。
オリン ピックで 金( )メダルを とる。
おやつを かう お金( )を もらう。
音( )
がくに あわせて すずを ならす。
となりの へやで もの音( )が する。
さらに、漢字は書き順が決まっている。漢字検定
には書き順の問題もある。
気、九、出、百、円、水、下、町、左、目、足、林、名、 月、空、王、音、文、雨、糸、
現在教育漢字
は1006字とされている。ほかに常用漢字というのがあって2136字、そのうえに人名漢字がある。戦後の漢字制限で当用漢字別表(教育漢字に相当)は
881字、当用漢字(常用漢字に相当)は1850字と定められたが、いくたびかの改訂をへて現在にいたっている。漢字の数は改訂のたびに増えている。それ
はひとつには混じり書きをさけたいということからきている。たとえば「語彙」という単語を「語い」と書いたり、「石鹸」を「石けん」、「範疇」を「範ちゅ
う」と書いたのでは単語の区切りが分かりにくいからである。しかし、語彙の「彙」や「鹸」はほかにはほとんど使わない文字である。このような漢字を加えて
いく限り、漢字は限りなく増えていく。それにともなって読み、書き、書き順、部首などを覚えていくとなると学校教育の負担はますます増えていく。
韓国では漢字は1000字ほどに制限されてい
る。北朝鮮ではハングルだけで表記する。ベトナムは漢字を廃止した。中国では簡体字を採用して画数の多い漢字は少なくして、古典も簡体字で読めるようにし ている。
漢字はもとも
と体系をもって作られたものではなく、長い時間をかけて、必要に応じて積み上げてきたものの集積である。過去に使われたことのある漢字をすべて読み書きす
るようにすることはほとんど意味がない。漢字を表意文字として使いこなすためには森羅万象をあらわす文字をすべて備えなくてはならなくなる。『康熙字典』
や諸橋徹次の『大漢和辞典』は4万字を超える漢字を収録しているという。日本語でも中国語でも、自然言語につかわれている音素や音節の数は限られているか
ら、表音性を重視する表記法を採用すれば漢字の数はかなり減らしても十分に豊かな日本語を表記できるはずである。
文字の歴史は
表意文字から表音文字へと発展過程を経るように思える。漢字も8割は音を表す音符をもつことによって文字としての機能を十全に果たせるようになってきた。
エジプトの絵文字であるヒエログリフも表意機能だけでなく表音機能をもっている。たとえば「水」は波の形を描いて表すが、その同じ記号が所有格をあらわ
す。所有格のような抽象度の高い概念は表意文字になりにくいから、エジプト語で同じ発音をもった「水」で表すのである。また、固有名詞の場合も「クレオパ
トラ」の「レオ」はライオンを書いて「レオ」と読ませている。しかし、日本では人名漢字の制限をゆるめたため、小学校の先生も児童の名前が読めないという
事態にたちいたっている。日本人は漢字の画数を占って我が子の運勢を托すことさえしている。日本は言霊(ことだま)のさきはう国ではなくて、文字(漢字)
の霊に魂(たましい)をこめる国になろうとしているようさえに思える。
日本にはすで
に表音文字としての仮名があるのだから、漢字はかなり減らしても豊かな日本語表現をするのに支障は生じないはずである。それには、小学校低学年の教科書が
そうなっているように綴り分けが必要かもしれない。ただ、戦後新かなづかいが採用されたときに、旧かなづかいで覚えてしまった人がなかなか切りかえられな
かったように、ことばは保守的なものだから、すでに今までの表記法になじんでしまっている人びとには抵抗があるであろう。小学校1年生の「こくご」の教科
書をみると、日本語の表記法が矛盾に満ちたものであることがよくわかる。しかし、「ことば」は人間の営みの蓄積だから、システムとしての合理性だけを求め
ることがた困難であることも、また事実である。
日本語は乱れているという。ら抜きことばが横行
し、敬語がすたれている。美しい日本語の規範が守られなくなってきている。
ことばは変わ
る。現代の日本語は漱石や鴎外の時代の日本語とは同じではない。しかし、私たちはどこかで、美しい日本語の時代があったのだという思いをもっているのでは
なかろうか。本居宣長にとってそれは『古事記』の「やまとことば」であり、良寛にとっては万葉集の日本語が理想の日本語であった。
最近では水村美苗の『日本語が亡びるとき』が多
くの読者の支持をえている。この本は副題が〜英語の世紀の中で〜となっていて、普遍語である英語が席捲するなかで、私たちのことばである日本語が亡びてし
まうのではないかという視点で書かれている。
「言
葉の専門家である言語学者の多くは、私のこのような恐れを、素人のたわごととして聞き流 すにちがいない。私が理解するかぎりにおいて、今の言語学の主
流は、音声を中心に言葉の体系 を理解することにある。それは、文字を得ていない言葉も文字を得た言語も、まったく同じ価値 をもったものとして考察
するということであり、〈書き言葉〉そのものに上下があるなどという 考えは逆立ちしても入りこむ余地がない。言語学者にとって言葉は劣化するのではな
く変化する だけである。かれらにとって言葉が「亡びる」のは、その言葉の最期の話者〈より精確には最後 の聞き手〉が消えてしまうときでしかな い。」(p.51)
水村美苗は書き言葉に至上の地位を認めている。
日本語が明治維新以降名実ともに「国語」として成立したのは、まず日本の〈書き言葉〉が、日本人のなかで、高い位置をしめ、成熟していたからだという。
そして、現代の国語教育について「誰にでも読める
だけでなく、誰にでも書けるような文章を教科書に載せるという馬鹿げたことをするようになったのであった。」(p.304)となげいている。「日本語の国語教育はまずは日本
近代文学を読み継がせるのに主眼を置くべきである。」(p.317)「口語の変化がそのまま反映された文章を「新し
い」などと言って喜ぶのは、〈書き言葉〉のもつ規範性がいかに文化を可能にするかを理解していないからだである。」(p.318)と断じている。
かつて普遍語であったラテン語も中国語も書き言
葉こそが規範であり、学校では普遍語を書き言葉として学んだ。しかるに日本の国語教育はその理想を「〈読まれるべき言葉〉を読む国民を育てるところに設定
しなかった。」(p.303)という。水村美苗は福沢諭吉、二葉亭四迷、夏目漱
石、森鴎外、幸田露伴、谷崎潤一郎などの文章を読み書きできるようにするのが国語教育のあるべき姿だと考えているようである。
さて、日本語
の書き言葉はそんなに完成したものなのだろうか。まず「日本語が亡びる」というが「日本語」は「ニホンゴ」と読むのだろうか「ニッポンゴ」と読むべきなの
だろうか。「亡びる」と「滅びる」とはどう違うのだろうか。日本語は「亡びる」のだろうか「滅びる」のだろうか。
ことばは文化を背負っていると同時に、歴史の垢 も蓄積している。漢字の読み方には音と訓があるばかりでなく、同じ音でも呉音あり漢音もある。
日本:(ニホン)日本画、日本海、日本酒、日本髪、(ニッ ポン)日本(国 号)、 日本永代蔵、
(ニホン・ニッポン)日本語、日本一、日本記録、日本製、日本晴、日本犬、
市場:(いちば)魚市場、青物市場、(シジョウ)市場価格、売り手市場、青果物市場、
漁: (ギョ)漁獲、漁業、漁港、(リョウ)禁漁区、大漁、(ギョ・リョウ)休漁期、
池: (いけ)用水池、養殖池、養魚池、(チ)貯水池、沈殿池、遊水池、配水池、
地: (ジ)地で行く、(チ)地に落ちる、(ジ・チ)足が地につかない、地熱、
頭: (トウ)頭角、頭取、頭髪、口頭、(ズ)頭蓋骨、頭痛、頭突き、
大: (ダイ)大寒、大黒柱、(タイ)大安、(おう)大一番、大御所、大地震、
小豆:(あずき)、商品市場に限って(ショウズ)、
豚汁:(ぶたじる)関東、(トンじる)関西、
同音のことばにいくつもの漢字を使い分けること もある。
ほろびる:亡びる、滅びる、
おかす:犯す(法を〜、 間違いを〜)、侵す(領分を〜、国境を〜)、冒す(危険を〜)、
かする:科する(刑を
〜、制裁を〜)、課する(税を〜、義務を〜、制限を〜)、
同音の漢字はほとんど無数にあり、あるものは区
別して使われ、あるものはほとんど同じ意味に使われている。
意思・意志、異状・異常、観察・監察、幹事・監事、機運・
気運、機械・器械、機具・器具、
既製・既成、規制・規 正、起点・基点、共同・協同、計理・経理、最後・最期、次男・二男、
実体・実態、粛正・粛
清、主席・首席、招集・召集、定跡・定石、食料・食糧、信書・親書、
震動・振動、征圧・制
圧、制作・製作、清算・精算、成長・生長、体勢・体制、追求・追求、
定型・定形、廃水・排
水、表記・標記、平行・並行、野生・野性、用件・要件、路地・露地、
これらのほと
んどは、現代ではあまり意味をもたないものも多い。「定石」は囲碁に用いられ、「定跡」は将棋の用語である。碁と棋はもともと「其」であり、語源は同じで
ある。「召集」は旧日本語の用語であり、現在では国会の召集だけに使われている。「招集」は地方議会や自衛隊に使われていることばである。漢字には同音意
字が多いから、それをあえて区別しようとすると、衒学的にならざるをえない。
立ち合い(立ち合い演説)・立ち会い(相撲)、
最少(〜公倍数、〜 限)・最小(〜得点)、
野天風呂・露天風呂、
世帯(戸籍、統計などの 場合)・所帯(〜じみる、〜やつれ)、
違法(〜建築、〜駐 車)、不法(〜入国、価格を〜につり上げる)、
不(〜細工、〜作法、〜
祝儀、〜調法、〜用心、筆〜精)・無(〜愛想、〜遠慮、〜礼)、
日本人はまず
漢字によって文字を知り、中国語を書くために工夫され、積み上げられてきた文字によって、文字に表すことのできなかった日本語を表記してきた。平安時代に
仮名が発明されたて、現代の日本語は漢字仮名交じり文で書かれている。しかし、現代の日本語表記法は最善のものなのだろうか。
このほかにも当て字や慣用句があって、知ってい
る人にはあたりまえの読み方だが、国語を勉強している生徒や外国人は個別に覚えなければならない。当て字が公式な表記法として認められているのである。
五月雨(さみだれ)、時雨(しぐれ)、梅雨(つゆ)、紅葉 (もみじ)、田舎(いなか)、
土産(みやげ)、明日
(あす)、今朝(けさ)、小豆(あずき)、海女(あま)、
海苔(のり)、海老(え
び)、乳母(うば)、大人(おとな)、河岸(かし)、風邪(かぜ)、 七夕(たなばた)、
水村美苗が日本語の書き言葉として推奨する夏目
漱石の文章はどのようなものであったのだろうか。『日本語が亡びるとき』のなかから『三四郎』についての部分を引用してみる。
前
の晩、断る勇気がなかったとめに、名古屋で汽車を一緒に降りた女とずるずると同じ宿に泊ま り、わけがわからぬうちに、なんと女と同じ蒲団に寝ることに
相成ってしまった三四郎である。 理由にならない理由をつけ、横にわった女と自分とのあいだにくるくるとタオルを巻いて敷き、 体を硬直させてまんじ
りともせず一夜をすごした。そして、そのあげくに、翌日、別れ際になっ て、女に「あなたは余つ程度胸がない方ですね」と冷笑されてしまった。(p.205)
このなかの
「あなたは余つ程度胸がない方ですね」という部分をすんなりとは読める現代人は少ないだろう。漢字仮名交じり文では漢字はことばのまとまりを際立たせる役
割をしているから「余(あま)つ程度(ていど)胸(むね)がない」と読んだとしても、それは読者がわるいのではなく、日本語の書き言葉の規範に問題がある
のではなかろうか。旧仮名使いでは「つ」を小さく書くという習慣もなかったから、なおさらである。
この部分を岩波文庫で見ると「あなたはよっぽど
度胸のない方(かた)ですね」となっていて、これなら現代の日本語の文章に慣れ親しんでいる人にもよみやすい。岩波文庫では漱石の作品の表記を次のような
方針で改めているらしい。
1.旧仮名づかいを現代仮名づかいに改める。
2.「常用漢字表」に掲げられている漢字は新字体に改める。
3.漢字語のうち代名詞・副詞・接続詞など、使用頻度の高いものを一定の枠内で平仮名に改め る。
4.平仮名を漢字に、あるいは漢字を別の漢字にうつすことは、原則としておこなわない。
5.読みにくい語には振り仮名を使用する。
これで漱石も大分読みやすくなった。しかし、冒 頭の部分をみてみても、現代の表記とは大分ちがう。( )内は振り仮名を示す。
う
とうととして眼(め)が覚(さ)めると女は何時(いつ)の間(ま)にか、隣の爺(じい)さ んと話し始めている。この爺さんは慥(たし)かに前の前の駅
から乗った田舎者(いなかもの) である。発車間際(まぎわ)に頓狂(とんきよう)な声を出して、馳(か)け込んで来て、いき なり肌を抜いだと思っ
たら脊中(せなか)の御灸(おきゆう)の痕(あと)が一杯あったので、 三四郎(さんしろう)の記憶に残っている。
現代の読者は振り仮名の部分を読めないと想定さ
れているようである。明治の日本語は意味宇を伝えるのは漢字であり、「てにをは」や活用語尾を伝えるのは仮名であるという役割分担ができているようであ
る。漢字の部分だけ取り出してみると、おおむね意味が通じる。
眼、覚める、女、何時、間、隣、爺さん、話、始め、爺
さん、慥か、前、前、駅、乗った、田舎 者、発車、間際、頓狂、声、出、馳け、込んで、来て、肌、抜いだ、思っ た、脊中、御灸、痕、 一杯、三四郎、記憶、残って、
音読みであるとか、訓読みであるとかの問題ではなく、意味を伝えるものは漢字、日本語の文法を伝える助詞や活用語尾だけはひらがなという原則が貫かれてい
る。明治の日本語の文章は漢文の読み下し文との整合性を保っていたのである。振り仮名の部分を平仮名になおして、振り仮名なしでも読める文章にすると次の ようになる。
う
とうとしてめがさめると女はいつのまにか、隣のじいさんと話し始めている。このじいさんは たしかに前の前の駅から乗ったいなかものである。発車まぎわ
にとんきょうな声を出して、かけ 込んで来て、いきなり肌を抜いだと思ったらせなかのおきゅうのあとが一杯あったので、さんし ろうの記憶に残ってい る。
この方がずっと読みやすい日本語だといえないだろうか。しかし、このように意味を伝える部分をひらがなで書くなどということは漱石にとっては考えられない
ことであったに違いない。この書き方の欠点は、どこまでが意味を担う単語で、どこからが文法の機能を担う助詞や語尾なのか分からず、文章の意味が捉えにく
という点にある。
第
二次世界大戦後、北朝鮮では漢字を全廃してハングルだけで表記するようになった。韓国でも、一部漢字を混用しつつも、大部分ハングルでかくようになってい
る。漢字文化圏といわれるなかで、ベトナムは約百年前に漢字の使用をやめ、ローマ字にアクセント(声調)の印をつけた文字を使うようになった。
しかし、日本語や中国
語、タイ語、ビルマ語などは分かち書きをしない。日本語も仮名だけだとかえって読みにくい。また、英語などのように固有名詞を大文字で書くこともしないか
ら「さんしろうの 記憶に残っている」というのも分かりにくい。漢字仮名交じり文は日本語の単語を際立たせるのに役立っていることがわかる。
漱石や鴎外の 作品を現代の子どもにも普通に読めるようにする表記法はないのだろうか。中国では現在二千数百字の簡体字が使われている。しかし、それによって中国人は古
典が読めなくなってしまったわけではない。かなり以前から李白も杜甫も、『論語』も『史記』も、また中国最古の詩集である『詩経』さえも、簡体字で印刷さ
れた本が数多く出版されている。そしてもちろん『三国志』も『水滸伝』もである。専門家をめざすのではなく、一般教養を身につけるためなら、簡体字を知っ
ていれば十分だというわけである。
確かに漱石の
作品を恣意的に書き変えてしまうわけにはいかないだろう。しかし、これだけの振り仮名がないと、もはや漱石の作品は読めないのだろうか。常用漢字というの
はそんなに不便なものなのだろうか。「慥(たし)かに」を「確かに」とし、「脊中(せなか)」を「背中」としたら、漱石の作品性は失われてしまうのだろう
か。漱石や鴎外は幼少のころ漢文の教育を受け、漢詩も数多く残している。しかし、漢文をほとんど習わず、英語を習うようになった現代の人間が漱石や鴎外を
読みこなすことはむずかしくなってきている。
ひらがの多い日本語は確かに読みにくい。しか
し、分かち書きをするか、句読点をふやせばかなり読みやすくなるはずである。ちなみに『三四郎』の冒頭の部分を仮にひらがなだけで表記してみると次のよう になる。
う
とうとと して、めが さめると、おんなは いつの まにか、 となりの じいさんと は なしを はじめて いる。この じいさんは、たしかに まえ
の まえの えきから のった いなかもので ある。はっしゃ まぎわに、とんきょうな こえを だして、かけこんで きて いきなり はだを ぬ
いだと おもったら せなかに おきゅうの あとが いっぱい あった ので、「さんしろう」の きおくに のこって いる。
この文章は漢字仮名交じ
り文に慣れてしまった大人には受け入れがたい表記かもしれない。しかし、子どもや、はじめて日本語を習う外国人には、よみやすく、読み間違えのしようのな い表記
法なのではないだろうか。文章は句からなり、句は単語からなり、語は語幹と語尾からなっている。日本語は前置詞などがないから、句は必ず意味を担う部分か
らはじまり、文法を担う部分で終わる。日本語、中国語、タイ語などは分かち書きをしないが、世界中の多くのことばは分かち書きされている。分かち書きをす
ることによって、文章の構造をつかみやすくしているのである。
世界のすう勢は表音表記の方に向かっている。漢字ですらが7〜8割は声符をもったいわゆる形声文字であり、中国語はすべて音読みだから、中国語も表音文字
を目指しているとさえいえる。漢字仮名交じり文にするとしても、もっと読みやすい、ルビを振らないでもすむ表記法はないものだろうか。例えば、
う
とうととして 目がさめると、女は いつのまにか、隣のじいさんと 話を始めている。この じいさんは 確かに 前の前の駅から 乗った いなかもので
ある。発車まぎわに とんきょう な 声をだして、かけ込んで来て、いきなり 肌を脱いだと 思ったら、背中に おきゅうのあ とが 一杯あったの
で、「三四郎」の 記憶に 残っている。
現在、中国の
小中学校で学ぶ漢字は約三千だといわれている。一方、日本の常用漢字は約二千である。しかし、日本の漢字の読み方には呉音・漢音、それに訓があり、日本人
は二千の漢字の形だけでなく、約四千の音・訓を覚えなくてはならない。中国では三千だが大部分は一字一音である。しかし、漢字仮名交じり文が、漢字を減ら
せば減らすほど文章の意味がとりにくくなるという性質をもっている限り、分かち書きを取り入れない限り、漢字を増やそうという潜在的な圧力増していくだろ う。
中国の教科書
は全編横書きで統一されている。漢文には本来句読点はなかったが、句読点が施されるようになった。これによって読む時の息継ぎの場所が分かりやすくなった
ばかりでなく、中国語の文の構造がとらえやすくなった。また、簡体字を用いることで古典も現代中国語の表記で読めるようになっている。中国ではまた、小学
校の低学年からローマ字を取り入れ、漢字の北京音を標準的な共通音として全国に普及しようとしている。
漢字文化圏の
なかでベトナムと北朝鮮が表音文字化し、韓国もほとんどハングルだけで文章を書けるようになった時代に、日本だけが漢字の数をふやし、明治の日本語を規範
として教えようとすることになると、日本は漢字の呪縛から取り残されてしまうことはないのだろうか。漢字は常用漢字を二千としても、その奥には四万を越え
る予備軍がひかえている。
水村美苗は、
それをあえて漱石・鴎外の時代の漢字仮名交じり文に帰れと主張している。美しい日本語の原点は明治時代にあり、というのである。明治は遠くなり、明治は近
代日本の始祖であり、日本語も明治をはじまりとするというロマン主義が、日本人に受け入れやすくなってきている。
日本人は記紀万葉の時代から、いかに漢字を手な
づけて日本語という外国語を書くのに適した使い方ができるか、工夫に工夫を重ねてきた。万葉集は原文の万葉仮名を現代の表記法に変えても、その文学的価値
を失うものではない。
東野炎立所見而反見為者月西渡(柿本人麻呂)
茜草指武良前野逝標野行野守者不見哉君之袖布流(額田王)
東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾き ぬ(万48)
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(万20)
専門家は万葉 仮名で読めるようになるのが望ましいだろう。しかし、高校の教科書では現代文で万葉集はじゅうぶん味わえるのではなかろうか。明治の日本文学もまだまだ工
夫の余地が残されているのではなかろうか。少なくとも明治の日本語に帰ることをもって足れりとするのではなく、歴史の垢を洗い落とす作業も必要なのではな かろうか。
日本語が乱れ
ているとすれば、乱れているのは若者ことばでも、ら抜きことばでもなく、現代の日本語の規範が、歴史の垢をため込み過ぎているともいえる。必要なのは漢字
を増やすことでも、明治の日本語をもって模範とすることでもなく、現代の日本語にふさわしい表記法を未来に向かって作り出すために、その第一歩を踏み出す
ことではなかろうか。
[コンピュータは日本語を理解できるか]
コンピュータの言語はほとんどが英語で書かれて いる。
Function(関数)、
Statement(文)、 Operator(演算子)
Expression(式)、 Object(変数)、 Identifier(識別子)
そのほかにもif, else, double, goto, break などの英語がコンピュータのプログラミング言語に
は使われている。ことばをコンピュータで処理することは1946年にはじまったが、1960年代まではコンピュータが出力する文字はローマ字
とカタカナだけであった。日本語は常用漢字に限っても2,136字もの漢字があるので日本語入力はむずかしかっ た。
邦文タイプラ
イターは数千個の活字を選択できるように作られていたが、数千字の配置を覚えるのが大変で、キーボードが大きくなるため疲れやすい。また、キーボードが大
きくなるため、高速の入力がむずかしいなどの問題があった。地球上のほとんども文字はキーボード上のキーと文字を一対一で関係づけることで簡単に入力する
ことができる。日本語の漢字仮名まじり文はコンピュータ時代には対応できないのではないかと考えられていた時期もあった。
英文タイプライターは文字数も少なく、操作しや
すい。話し言葉をほとんど同時に入力することもできる。そこへ記録装置のついたワードプロセッサーが登場したので、大量の情報を記録し、適宜印刷すること
も可能になった。
世界初の仮名漢字変換機能をそなえた日本語ワー ドプロセッサーが生れたのは1978年のことである。はじめは漢字直接入力方式、ペン
タッチ方式、手書文字認識方式などの変換方式が互いに競い合っていた。現在使っているような日本語ワードプロセッサーが生れたのは1980年代になってからである。1990年代に入るとパーソナルコンピュータ、インター
ネット急速に普及して仮名漢字変換技術も定着してくる。
日本語は分か
ち書きをしないから、意味を有する最小の単位である単語をコンピュータに認識させるのが困難である。そのほかにも正書法が確立していない、同音意義語が多
いなどの問題がある。例えば、「かれはせんせいです。」という文章を入力する場合、コンピュータはいくつかの選択肢のなかからどれかを選ばなくてはならな い。
1.彼 歯 専 制 出 す
2.枯 れ葉 先生 で す
3.枯 葉 戦 勢 出 須
4.涸 れ波 千 世 で す
これはほんの一例だが、さらに一文字ずつ打ち込 めば「蚊礼波戦勢出巣」となって出てくる可能性だって皆無ではない。しかし、仮名漢字変換の方式を研究する過程で、
日本語の性質についていくつかのことが経験的に分かってきた。
・ひとつひとつの仮名を漢字に変換するより、単語 あるいは文節を単位に変換するほうが
「うまくいくことが多い」
・日本語には自立語(名詞、動詞、形容詞、形容動 詞、副詞など)と付属語(助詞、助動
詞、接辞など)があり、自立語の語幹は漢字で表 記し、付属語、副詞はひらがなで表記
することが多い。
・日本語では付属語は少数なので登録できる。
・単語には使用頻度の多い単語とそうでない単語が あるので、優先順位をつけておくとよ
い結果がえられる。
・隣接する単語は関連のある単語である場合が多 い。例えば「大学のせんせい」とあれば、
「せんせい」は専制や宣誓ではなく「先生」であ る可能性が高い。
これらの事実
からワープロでは統計的手法、機械学習、予測入力機構などが開発されていった。ワープロはユーザーの入力から学習を行い、間違いを訂正させた場合は、同じ
間違いを繰り返さない機能がついている。最近のワープロは直近の入力を記憶していて、次の入力を予測する予測入力機構がついている。
それでも間違
いを完璧になくすことは不可能である。日本語には同音異議語が多い。また、日本語は分かち書きをしないので「ここではきものをぬいでください」といっても
「ここでは|着物を|脱いでください」なのか「ここで|履物を|脱いでください」なのかわからない。日本語には正書法が存在せず、「枯れ葉」、「枯葉」な
ど送り仮名に個人差があることも大きな問題である。
人間の場合は
文脈によって正しい語を決定していると考えられる。そして、意味を考えて同音異議語を選択しているから「はし」が「橋」であるか「箸」あるいは「端」であ
るか間違えることはない。しかし、現在の技術ではコンピュータが完全に文脈の意味を捉えることは困難である。何かを洞察するという点においては人間のほう
が圧倒的に優れている。
日本語、中国
語、タイ語などは分かち書きをしない。印刷技術がふきゅうするまでの日本語や中国語は句読点も使わなかった。日本語は句読点を使うようになってから、かな
り読みやすくなった。しかし、それでもまだ日本語の文章はそう読みやすいとはいえない。アナウンサーなど朗読のプロは文章の区切りに / / な
どを書きいれて読みやすくなるように工夫している人が多い。中国語では句読点をふやして読みやすくしているようである。
地球上のほとんどの言語では、ひらがな入力でき
る程度の機能があれば十分である。しかし、日本語ワープロにはさまざまな技術が使われている。日本語入力の技術は1990年代以降はワープロからパソコンのワードへと引き
継がれてゆく。
【かな漢字変換】単語の読みとそれに対応する表 記、単語の品詞情報などを数万件から
十万件記録したファイルをメモリに保存する必要 がある。
【予測入力】単語の出現しやすさを表すパラメータ を用いて引いてきたり、今までに用い
られた用例から予測入力を示すことも行われてい る。
・できるだけ出現しやすい単語を出す
・単語間がなるべく自然につながるようにする。 (例:「夏」と「暑い」は共起しやすい)
【データ構造】データには保存しておくだけの静的
データと追加や削除が行える動的デー
タがある。データにはメモリのなかの特定の場所 をアドレスとして指定して保存してお
かないと取り出すことができない。
【最短経路】データはメモリにまとめて保存され、 どの要素へも高速でアクセスできるよ
うに配列することが重要である。そのためには同 じ計算を何回も繰り返させるのではな
く、あるまとまったデータを仮にx あるいはy
としてまとめて処理しておいて、必要に
応じてx あるいはy に再帰するという方法も有効である。再帰は数学に おける代入、こ
とばにおける代名詞に似ている手法である。x やy はデータそのものではなく、あるま
とまったデータを圧縮したものの代理人である。
再帰を用いることによって、計算を繰
り返さなくともすでに計算ずみのまとまったデー タを呼び出すことができる。
【機械学習】コンピュータは学習能力をもってい る。かな漢字変換でもこのコンピュータ
の学習能力を利用して変換の正確さを向上させる
ことができる。最近のコンピュータは
メモリの容量が大きいから、「このひらがな文は こういう漢字かなまじり文に変換する」
というデータを大量に記憶させておいて、コン ピュータに自動的に推定させる方法を導
入している。
日本語入力は以上のほかにもコンピュータのさま ざまな機能を駆使して作動しているが、それでも100%正しい変換をすることはできない。むずかしいの
は、ある文で正しかったものがある文では間違いになるということである。たとえば「あめ」は「雨」に変換されることが確率的に多いので「雨」を優先させて
おくと「飴」が必要なときも「雨」が選択されてしまう。
漢字には同音
異議語が多い。漢字、幹事、監事、感じ、などの場合コンピュータはどれを選んだらいいのか簡単には判断できない。また、「金」と書いても「きん」「かね」
「かな」があり、「米」と書いても「べい」「まい」「こめ」「よね」などがある。コンピュータの設計者はどの音と対応させておいたらいいのか迷うだろう。
日本ではワー プロの普及によって書けないけれども読める文字がふえているから、漢字をふやすべきだという議論が行われている。しかし、ほんとうにそれでいいのだろう
か。ワープロを使ってみると日本語の表記法がいかに恣意的で、話しことばでは簡単に理解できることが書きことばではいかに複雑に表記されているかがよく分 かる。
印刷の普及によって句読点が使われるようにな
り、日本語が読みやすくなったように、ワープロの普及によって分かち書きが行われるようになり、同音異議語が使われることが少なくなる、など日本語の書記
法が改善されることこそ求められているのではなかろうか。
コンピュータはこれからも速くなり、メモリ容量
も増えるばかりである。しかし、日本語の表記法そのものが恣意的であり、正書法も定まっていないのでは、コンピュータがいくら進歩しても、対応のしようが
ないのではなかろうか。
参考文献:徳永拓之『日本語入力を支える技術』技 術評論社
コンピュータによる言語処理が行われるように
なってきたため、コンピュータによるプログラミング言語などの人工言語に対して、人間が日常に使っている言語を自然言語と呼ぶようになった。
人間はコンピュータ言語を使うことによってコン
ピュータと対話している。自然言語をコンピュータによって処理することによって、自然言語の構造が明らかになってきている側面もある。言語は日常意識する
ことなく使われているので、その構造は人工言語によってはじめて解明されることも多い。
コンピュータは電子計算機と呼ばれるように、も
ともと計算を効率的にするために開発されたものである。しかし、コンピュータは人工頭脳などと呼ばれることもあり、中国語では「電脳」とよばれるように、
計算機であると同時に情報処理機械でもある。コンピュータ言語は自然言語とどのように違うのだろうか。また、自然言語処理はどのように行われるのであろう
か。自然言語は人文科学の分野で主に扱われ、人工言語は自然科学の分野で扱われている。
現在使われているようなコンピュータの原型がで
きたのは1940年代のことである。1946年にペンシルバニア大学で作られたENIACには17,468本の真空管が使われていたという。
トランジスタが開発される以前のことである。現在
のパソコンはトランジスタで構成された半導体チップが使われており、ひとつのチップの上に数百万個の電子スイッチに相当するトランジスタが集積されてい
る。コンピュータはパソコンに使われているばかりでなく、電気炊飯器から自動車、工作機械などに組み込まれている。
コンピュータに使われている命令の言語は比較的 簡単でAND、OR、NOT、IF といった類ものである。たとえば「3丁目3番地に
保存されているデータをコピーして、そのコピーを5丁目3番地に書け」とか「Aに加算して、その結果をBに書け」、「Bの中身が0ならば、次の命令は4丁
目3番地にある」などである。
命令は単純なものが多いが、現在のパソコンは1 秒間に20〜30億回の命令を実行することができるので、単純な命
令を繰り返し何百回も行うことができる。また、コンピュータのプログラムにはいくつかの命令のセット(ライブラリー)が用意されていて、それらを組み合わ
せることによって、プログラマーはより効率的なプログラムを書くことができる。
例えば、パソコンのワードを使って「日本語入力
ソフト」と書きこみたいとき、ローマ字入力で”nihongonyuuryokusofuto”とする場合とかたかな入力で「にほんごにゅう
りょくそふと」とする場合のふたつの方法が考えられる。かたかな入力のほうがタッチの数がすくないので、習熟すれば早く入力できる。かな入力の場合もロー
マ字入力の場合も可能な表記の候補はいくつか出てくる。
に(二・煮・似など)ほ(保・穂・歩・帆・補な ど)ん(ん)ご(後・碁・五・語など)
にゅう(入・乳など)りょく(緑・力など)そ (曾・素・蘇など)ふ(不・府・冨・夫
など)と(戸・斗・徒・杜など)
問題は日本語ではかなの一字が必ずしも漢字の一
字に対応していないことである。漢字は一文字で数音節のものもあるので、辞書で検索するときも単語の単位を発見していかなければならない。
に(二・煮・似など)・ほん(本・翻・奔な ど)・ご(後・碁・五・語など)・にゅう(入・
乳など)・りょ(旅・慮・侶など)・くそ(屎・
糞など)・ふと(太)
にほん(二本・日本)ご(後・碁・五・語)にゅ うりょく(入力・乳緑)そふ(祖父)・
と(人)
などの試行錯誤をへて「日本語入力ソフト」にた どりつくことになる。
「日本語を入力するためのソフトです」というよ
うな文章の場合も同じである。日本語は分かち書きをしないから、文節を探しだすのが大変である。「にほんご・を・にゅうりょく・する・ための・そふと・で
す」と単語の単位を示すか、「にほんごを・にゅうりょくする・ための・そふとです」と文節を区切って入力すると、だいぶ入力はしやすくなる。日本語では自
立語(名詞・動詞など)は漢字で表記し、名詞にはかなの助詞がつき、動詞には活用語尾がついてかなで表記されるという規則性があるからである。
コンピュータは日本語を理解しているわけではな
く、プログラムの命令によって表示する文字を選んでいるだけである。日本語の表記法は複雑である。漢字にも音と訓があり、そのほかに平仮名と片仮名があ
る。アルファベットの略語などが使われることもある。
「そふと」と入力して「ソフト」と出力するには
「そ・ふ・と」と入力してひとつずつ「ソ・フ・ト」と出力させることもできる。その場合は例えば「そ(3丁目5番地)」を「ソ(13丁目5番地)」に変更
せよ。「ふ(8丁目3番地)」を「フ(18丁目3番地)」に変更せよ。「と(4丁目5番地)」を「ト(14丁目5番地)に変更せよ。というような命令を繰
り返すことになる。
また、命令のセットを使って、より効率的に「そ
ふと」の保存されている丁目の番号を10桁の番号に変更せよ、として処理することもできる。日本語パソコンではF7 のキーがそれにあたる。最近のパソコンは容量も増
え、計算速度も速くなってきている。かな漢字変換のプログラムにもさまざまな改善がなされている。しかし、日本語入力の使い勝手はワープロ時代からほとん
ど改善されていないように思われる。その原因はふたつあるように思われる。ひとつは日本語入力ソフトの問題であり、もうひとつは日本語表記法自体のもって
いる問題である。
パソコンの容量が増えたからといって漢字の数を
ふやせば、それだけ検索するのに時間がかかる。そして漢字と漢字の組み合わせの数も飛躍的に増える。現在のパソコンには「辺」のほかに「邊」も入っていて
ランダムに並べられている。「斉」と「斎」も並列に並べられている。仮に2000字の漢字を処理するパソコンを40,000字の漢字を処理できるようにす
れば、それはプログラムの改善ではあるが、計算速度は落ち誤選択の可能性もそれだけ高まる。処理する情報量の多さと計算速度はトレードオフする。
そこで考えられるのは、例えば、常用漢字だけを
処理する第一段階と、常用漢字以外の漢字も処理できる第二段階に分けることである。2000字の漢字を処理するためのパソコンならばかなりの正確さで出力
させることができるはずである。第一段階と第二段階の切り替えは「漢字1」「漢字2」などのキーを設定しておけば簡単にできる。
もうひとつは、日本語表記そのものの改善であ
る。漢字は万葉集の時代から日本語の表記に使われてきており、日本語表記の歴史は漢字の歴史であるといっても過言ではない。その分だけ漢字は時代の垢をた
めこんでいる。話し言葉で「にほんご にゅうりょく そふと」と発音すれば理解できるものを書きことばでは「日本語・入力・ソフト」と漢字かなまじりで書
かなければ理解できないのだろうか。
日本語は分かち書きの習慣がないため、「にほん
ごにゅうりょくそふと」と入力しようとするとコンピュータはどこに単語の切れ目があるのか判断できなくなってしまう。入力する側が「にほんご・にゅうりょ
く・そふと」と単語の単位をしめしてENTERキーを押すことにすればコンピュータの負担は大分
軽減される。「日本語を入力するためのソフト」のような文章でも、「日本語を・入力する・ための・そふと」と文節を区切って入力すれば変換の確率は格段に
向上する。日本語の格助詞(て、に、を、は)は名詞にしかつかない。またかな表記する用言の活用語尾は動詞・形容詞・形容動詞にしかつかないので、それを
プログラムに書きこんでおくことは比較的簡単である。
単語入力、あるいは文節入力の習慣をつけること
がコンピュータとの親和性を増す秘訣である。そのためには、日本語を分かち書きすることが必要である。少なくともパソコンとの対話には分かち書きが必要で
ある。文字列が長くなればなるほどパソコンの負担は増大する。パソコンは文字数の3乗回の計算をこなさなければならない、といわれている。
「コンピュータは計算をするために作られたのだ
から、知能を実現することはできない」という意見もある。しかし、コンピュータは命令として打ち込まれた記号を理解し、それを実行することができる。人間
のことばも「記号」であることはソシュール以来定説になっている。それなのに日本語とコンピュータの親和性はこれほどまでに悪いのだろうか。
文字言語は音声言語の上にはじめて成り立つもの で、その逆ではない。話し言葉は人間に生得のものであるのに対し、書きことばは発明されなければならなかった。歴史上発明され文字体系はそう多くないか ら、発明された文字はさまざまなことばを表記するために借用されていった。漢字は中国で発明されたが、朝鮮半島や日本、中国などで使われるようになった。 パキスタンで話されているウルドウ語とインドで話されているヒンディー語はほとんど同ことばであるのにイスラム教国であるパキスタンではアラビア系文字を 使い、ヒンドウ教国であるインドではインド系の文字が使われている。
エジプトのヒエログリフでも「クレオパトラ」の
「レオ」の部分にはライオンの絵があてられている。また、「水」は波を三つ描いて表すが、「水」の絵は水と同じ発音である所有格の「の」を表すのにも用い
られている。完全に象形だけでは抽象概念なことを表すことはできない。象形文字というのは文字の起源のことであって、さまざまな形の転用があってはじめて
文字体系として機能する。
11世紀には中国の西域、敦煌の近くの西夏国で
西夏文字が作られた。井上靖の『敦煌』にも登場する舞台である。西夏文字は漢字の原理をもとにして作られた西夏語を表記するための文字だが、しだいに表音
的に転用されていった。そして、13世紀に西夏が亡びると文字も使われなくなってしまった。
ベトナムでも字喃は普及せず、1945年阮朝が滅亡とベトナム民主共和国の成立とともに
クオック・グーというローマ字を国字として採用するようになり、漢字を捨てた。
モンゴル人民共和国もまた漢字を捨ててロシア文
字でモンゴル語を表記するようになっていった。
中華人民共和国においてすら、漢字は簡体字が採
用され、小学校の低学年からピンインというローマ字表記を取り入れて、全国で同じ漢字が使われるばかりでなく、子どもたちは全国どこでも漢字の北京音が理
解できるようにする教育が行われている。
しかし、その後朝鮮半島では漢字は音読みだけに使 われるようになっていった。そして、現在では北朝鮮では漢字は廃止されてハングルだけが使われ、韓国では1000字ほどの漢字は使われているもののハングルを基本
とする表記になっている。
日本語の場合を考えても母音が5つ、子音が
「カ・サ・タ・ナ・ハ・マ・ヤ・ラ・ワ」9つで音素は15もあればすむ。音節の数も「いろは」48文字でだいたいはまかなえる。
そこで問題は、その音節をどのように組み合わせて
意味を表すことばにしていくかということになる。自然言語では「単語や文節をきりだす」「文の構造を解析する」「文の意味を理解する」ということが無意識
のうちに繰り返し行われている。
文字はどの言語でも通常音声に対して極めて粗雑 にしか対応していない。文字が発明されるためには、人間の頭のなかにある言語に関する知識を発見する必要があった。日本語の仮名は空海や円仁など中国に留 学した僧侶が中国でサンスクリットを学び、ことばには意味をもった最小の単位である単語のほかに「音節」というものがあるということを学び、それを日本語 にあてはめて、はじめて生れた。日本語にもサンスクリットと同じように音節という単位があるということを発見したのである。ことばは有限の音節の結合から 成り立っていて、その結合によって意味の単位である単語を無限に生み出すことができる。
山青花欲然 山
は青くして花は然(も)えんと欲す
今春看又過 今
(こ)の春も看(ま)のあたりに又過ぐ
何日是歸年 何
の日か是(こ)れ帰る年ぞ
日本語の読み下しをみてみると、漢詩で使われて いる漢字はすべからく使われている。漢字の自立語(名詞や動詞)はすべて日本語に取り入れられて、それに助詞や動詞の活用語尾などがつく、というのが日本 語の書きことばの原型である。この原則は『論語』の読み下しなどにも取り入れられている。
亦
(また)説(よろこ)ばしからずや
有朋自遠方來不亦樂乎
朋
(とも)遠方より来たる有り
亦
(また)楽しからずや
人不知而不��不亦君子乎
人
知らずして、�А覆い�どおら)らず
亦
(また)君子(くんし)ならずや
コ 糊(hū) 壺(hú) 虎(hŭ) 戸(hù)
ヒ 非(fēi) 肥(féi) 斐(fĕi) 費(fèi)
フ 夫(fū) 浮(fú) 府(fŭ) 父(fù)
カ イ
灰(hūi) 回(húi) 悔(hŭi) 会(hùi)
カ ン
酣(hān) 寒(hán) 喊(hăn) 汗(hàn)
カ ン 歓(huān)
還(huán)
緩(huăn) 患(huàn)
ハ ン 帆(fān) 煩(fán)
反(făn) 飯(fàn)
フ ン 分(fēn) 焚(fén)
粉(fĕn) 糞(fèn)
堅い(↔も
ろい)・硬い(↔や
わらかい)・固い(↔ゆ
るい)、
登る(木や山に)・上る(坂を)・昇る(日が)、
書く(文字を)・描く(図・絵を)、
泣く(赤ん坊が)・鳴く(鳥が)、
作る・造る(造作)、納める・収める(収納)、聞く・聴く(聴聞)、開く・拓く(開拓)、
映す・写す(映写)、脅かす・威す(脅威)、見る・視る・観る・診る・看る、
梅雨(つゆ)、時雨(しぐれ)、雪崩(なだれ)、陽炎(かげろう)、紅葉(もみじ)、
田舎(いなか)、土産(みやげ)、老舗(しにせ)、為替(かわせ)、大和(やまと)
中国語は漢字一字がひとつの単語だから、分かち
書きはしていないけれども、漢字をつらねても、単語ごとに分かち書きをしているのと同じ効果がある。日本語はいくつかの音節がつらなってひとつの単語を構
成している。名詞や動詞などの自立語は全部漢字で書き助詞や活用語尾を仮名でかくことにすれば、単語や文節の単位が明確になって読みやすい。
しかし、それでは『康熙字典』や諸橋徹次の『大漢 和辞典』にあるように4万字もの漢字を使わなければならなくなる。
漢字制限をしても「憂欝」は「憂うつ」では困 る、ということになる。「うつ」は助詞でも活用語尾でもないからである。
ことばは意味を伝えることにその存在意義があ
る。ことばの意味とは何であろうか。近代言語語学の父といわれる、言語学者のフェルディナン・ド・ソシュール(1857〜1913)は「記号なしで明確な思考はありえない」と述べて
いる。実世界は存在するが、記号を媒介することなく対照を人間が認識できない、ということである。ソシュールは、「記号は、対象に貼り付けられたラベルで
はなく、名前こそが意味を分節する」と述べたのである。ソシュールは、ことばや文字を「シニフィアン」と命名し、ことばや文字によって指し示されるものを
「シニフィエ」と名づけた。そして、ことばや文字が物に後付けされたのではなく、ことばや文字によって物が規定されるのだと主張した。
つまり、犬、猫、馬、牛という物があって、それ
に名前が付けられたのではなく、「犬」や「猫」ということばが自然界を識別しているのだという。しかも、その名づけ方は恣意的である。「犬」というものは
「イヌ」であっても、dogであってもよい。ドイツ語ではder
Hundであり、フランス語ではchienである。中国では犬(quan)であり、朝鮮語ではkaeである。しかし、それらはいずれも「犬」という同
じ動物の名称である。
しかし、名前は物につけられた名称ではなく、名
前こそが物を分類する。例えば日本語や中国語では「牛」は牛だが、英語では「牛」はoxかcowかのいずれかである。ことばが物を分類しているの
である。日本語や中国語では「兄」と「弟」を区別し、「姉」と「妹」を区別するが、英語では兄弟はbrotherであり、姉妹はsisterである。兄と弟、姉と妹を区別しようとする場合はelder
brotherとかyounger sisterといわなければならない。しかも、英語では普通my brotherとかmy
sisterとだけいうことが多いから、長幼の序が分かりにく い。
ことばや文字は「シニフィエ」と結びつくことに
よって情報を伝えることが可能になる。つまり、ことばは意味も獲得する。ソシュールは「言語は脳の中にだけある」と明言している。
日本語には出世魚というものがある。ブリは15cmくらいまではワカシと呼ばれ、40cmくらいになるとイナダ、60cmくらいになるとワラサ、90cm以上になるとブリと呼ばれるようになる。生物学的
にはいづれも「ブリ」である。しかし、同じ魚でも成長の早い魚は当年の魚、2年目の魚、3年目の魚では大きさも味もちがい商品
価値も違うので別の名前をつけておいたほうが便利である。
魚の名前は地方によっても違う。
関東:ワカシ→イナダ→ワラサ→ブリ
関西:ツバス→ハマチ→メジロ→ブリ
四国や広島県では「ヤズ→ハマチ→ブリ」の3段階
に分けられているし、北陸などでは「ツバエリ→コズクラ→フクラギ→アオブリ→ハナジロ→ブリ」の6段階の呼び名があるという。魚の別の名前をつけられる
ことによって別の物のみなされる。ソシュールのいうように「ことばが意味を分節する」のである。
この情報化の時代においても、地域によって別の
名前で呼ばれている。それぞれの市場では何の不便も感じていない。国語というものは近代国家の統一によってもたらされたものであり、現在でもひとつの国の
なかに公用語が複数ある多言語国家はたくさんある。ひとつの国のなかにさまざまな方言があっても、その方言を使う人にとっては何の不便もないこともある。
多言語国家では個人はしばしばバイリンガルであり、方言を使う人は標準語も使う人が多い。
ことばや文字は意味と結びつくことによって、はじ
めてことばとして機能する。大人はしばしば辞書を引くことによってことばの意味を確かめる。外国語を習うときなどは辞書は不可欠である。しかし、赤ん坊は
辞書を使わずに母語を覚える。赤ん坊はことばと意味の結合をどのようにして知るのだろうか。
人間は誰でもことばを話す。ことばは人間ととも
にあるともいえる。しかし、生れたばかりの赤ん坊はことばを話すわけではない。ことばは人間に生まれながらにして備わった特質であるが、赤ん坊に歯が生え
てくるように、成長とともにことばを話し、ことばを理解するようになる。生後6〜9カ月は喃語期とよばれる準備期間である。生後9カ月から14カ月になると一語文を話すようになる。そして生後
17カ月から26カ月になると二語文が話せるようになる。
ことばの能力は成長とともに伸びていく。目の能
力は日本人でもアメリカ人でも大体同じであると考えられる。しかし、ことばの認知能力は環境によって異なった発達の仕方をする。赤ん坊は世界中の言語がつ
かる様々音声を区別する潜在能力をもって生れる、と考えられる。しかし、その感応力は年齢とともに劇的に失われる、と考えられる。日本語環境のなかで育つ
子どもはvとb、tとthを区別する必要がないから、それを区別する能力は
顕在化することなく失われる。中国語環境に育つ子どもは四声を区別する能力を顕在化させることができる。
日本語環境のなかで育つ赤ん坊は「犬」という動
物が「ワンワン」「いぬ」あるいは「シロ」などを呼ばれるのを何回か経験するはずである。犬を飼っていない家庭でも「ママ」とか「パパ」ということばを聞
くはずである。子どもは辞書をもって生れてきているわけではないから、「パパ」「ママ」「ワンワン」もその意味を理解することはむずかしいはずである。
「パパ」「ママ」「ワンワン」は赤ん坊のなかでは、確定しない何かでしかない。仮にそれをx、y、zとする。何回か繰り返しそれを聞いているうちに「パ
パ」はx、「ママ」はy、「ワンワン」はzへと結びついていく。ことばの使用が意味へと凝固していくのである。内容は使用によって決定される。
記号は同じものに繰り返し使われなければならな
い。交通信号の赤はどこでも「止まれ」であり、青は世界中どこでも「行け」であることによって記号の意味を伝えている。自然言語でも記号は使用されるたび
にその意味が規定されていく。「パパ」は「パパ」に繰り返し使われることによって「パパ」を意味することになる。そして、「パパ」は「ママ」と差別化され
ていく。しかし、「パパ」「ママ」「ワンワン」とx、y、zとの結びつきはあくまでも恣意的であり、「パパ」はxであってもyまたはzであっても何の不思
議もない。「パパ」ということば自体は「パパ」という人の実像とは何の類似性も認められない。
「パパ」といことばは、やがて、うちのパパだけ
ではなく、碧ちゃんちの「パパ」にも、翔太くんちの「パパ」にも使われる名称であることを知る。それに反して「シロ」は家の犬には使われるが碧ちゃんちの
犬には使われないことを知るにいたるにちがいない。
二語文期になると「白い犬」とか、「パパ好き」
とかいえるようになる。人間は言語は話す潜在能力をもって生れてくるからといって、はじめから関係代名詞が使えたり、日本国憲法が読めるわけではない。文
章が理解できるようになるまでには数千時間あるいは数万時間の学習が必要であることも確かである。
文章が理解できるようになると、長い記号列を分
割して句構造に解析できるようになり、疑問文、否定文、受け身などができるようになる。日本語環境で育つ子は日本語の文法を取得し、英語環境で育つ子ども
は英語の文法を無意識のうちに身につける。
1.これは 犬 です。
This is a dog.
2.これは犬ですか。
Is this a dog.
3.これは犬ではありません。
This is not a
dog.
1では、日本語は助詞(は)を使い、英語ではbe動詞を使っている。また、英語ではdog
に不定冠詞(a)がついている。
2では、日本語では疑問の副助詞(か)を文末に つけることによって疑問文を表してい
る。英語では語順を換えることによって疑問文を 表している。
3では、日本語では文末に否定の助動詞をおくこ とによって否定を表している。英語で
はbe動詞のあとに否定のnotをつけている。
英語と日本語の違いをみただけでも語順がかなり
違う。世界の言語には、日本語のようにS(主語)+O(目的語)+V(動詞)の言語や、英語のようにS(主語)+V(動詞)+O(目的語)の語順のことば
ばかりでなく、ハワイ語などのように動詞が語頭にくることばもある。また、イヌイット語(エスキモー語)や北米インディアンのことばであるモホーク語やナ
ヴァホ語などは単語が極端に長く、単語が5〜9もの接辞から成り立っていることも珍しくない。そのような言語は多総合語と呼ばれ、ほとんどの文法関係を動
詞に格標識をつけることによって表す。これらの言語では単語の辞書を作ることも困難である。
しかし、はじめてことばに接する赤ん坊にとって
はどんな言語も想定内のことであり、言語習得の障害になることはない。人はことばの順序を組み換えるだけで異なる意味を作り出すこともできる。また、こと
ばの意味は名詞や動詞の意味に注目するだけでなく、助詞や活用語尾などにもしっかり注意しなければ正しく理解できない。しかし、言語間の違いは一定のパ
ターンの範囲に納まるので、子どもはいくつかのパラメータ(可変部)の組み合わせとして学ぶことができるというのだ。
人間はこのように、いくつかのパラメータを組み
合わせることによって複雑な文章を理解することができる。また、今まで使われたことのないような組み合わせによって創造的な文章を創出することもできる。
もし、ことばが辞書と文法書さえあれば理解でき るものであれば、英語から日本語への翻訳も、日本語から中国語や朝鮮語への翻訳も、ナヴァホ語やモホーク語から英語やフランス語への翻訳も自動的にできる はずであると考えたとしても不思議はない。
朝鮮語:na
neun ko-yang-i i da.
英語: I
am a cat.
ドイツ語:Ich
bin eine Katze.
フランス語:Je
suis un chat.
朝鮮語のneunは日本語の助詞「は」にあたる。主語の名詞の終音
が子音である場合はeunであり、主語の終音とリエゾンするという規則に
なっている。朝鮮語の語順は日本語と同じである。
我(wŏ)是(shì)猫(māo)
我+である+猫
英語の場合は「我輩」という日本語が1人称であるという情報がなければ、be動詞をamに変換することができない。日本語には人称による
動詞の変化はないから、これは何らかの形で付加情報として加えなければならない。不定冠詞のaも問題になる。日本語の「猫」は単数だか複数だか
分からないから、これは単数であるということをインプットしてやる必要がある。英語の名詞には単数・複数の区別のあるものと区別のない抽象名詞のようなも のもある。またcarp(鯉)やcattle(家畜)のような集合名詞もあるからやっかいであ
る。さらにまた、fishのような単語は単体をあらわすこともあるが、未定
数であることもあるので扱いにくい。
名詞に定冠詞(the)をつけるべきか不定冠詞(a)をつけるべきかについても、規則は複雑で英語を母 語とする人でさえ十分に説明できない場合がある。同様の問題は日本語の「は」と「が」の場合にも起こる。
「我輩は三匹の猫を飼っている」とした場合は、 英語、フランス語、ドイツ語ではthree、trois、dreiでいいが、日本語では「三つの猫」ではなく「三匹 の猫」でなければならないので、逆に英語などから日本語に翻訳する場合は助数詞をつけ加えなくてはならない。
英語のcapは日本語では「帽子」とすればいいが、日本語の 「帽子」はcapなのかhatなのか見極めなければならない。日本語の「机」はdeskかもしれないし、tableである可能性もある。「椅子」はchairかも知れないし、sofaかもしれない。Stoolである可能性もある。「記号は、対象に貼り付けら れたラベルではなく、名前こそが意味を分節する」というソシュールのことばを思いださざるをえない。
日本語の場合は「黒い」「白い」「赤い」「青
い」「黄色い」「茶色い」が色彩を表す形容詞である。あとは緑、橙、紫、藍色、茜色、鼠色などもあるが名詞である。英語ではred
flower、blue
sky、green
leavesなど色彩を表す形容詞は名詞を修飾することができ
るが、日本語では「赤い花」「青い空」はいいとして、緑は「緑い葉」とはいえない。「緑の葉」あるいは「緑色の葉」となる。
緑が日本語の基本色彩語に入っていなかったこと は交通信号の色を「青」ということからも知られる。英語ではgreenであるが日本語では緑は青のなかに含まれることが
ある。日本語の場合「黄色い」「茶色い」は形容詞として使えるが、複合語だから後からできたものであろう。相撲の土俵の「白房」「黒房」「赤房」「青房」
あたりが基本であろう。
動物: 鳶色、鴇(とき)色、鼠色、玉虫色、
植物: 桃色、藤色、山吹色、橙色、紫色、茶色、茜色、牡丹色、菖蒲(あやめ)色、
天然: 空色、水色、東雲色、曙色、
合成語:黄緑色、海老茶色、薄墨色、薄紅色、唐紅(か
らくれない)、
江戸紫、萌黄色、
Take
coffee.(コー
ヒーを飲む)
Take
a meal.(食
事を取る)
Take
my advice.(忠
告を聞く)
Take
(a) cold.(風
邪をひく)
Take
fire(火
がつく)
Take
me to the ball game.(野
球を見に連れていく)
英語のhaveについても「持つ」のほかにいくつかの用法があ る。Have tea(お茶を飲む)、have rain(雨が降る)、have a baby(赤ん坊を生む)、have a bath(入浴する)などがあって、それが英語の表現を豊 かにしている。しかし、これでは英語の単語をコンテクストなしに日本語に移すことは不可能だということになる。例えば、日本語を英訳する場合でも場合によって 訳語を選ばなければならない。
よ
く聞く(listen~carefully)
よく訪ねる(visit~often)
Are
you coming home in the weekend?
「ええ、帰って行きます」
Yes, I am coming home.
Don’t you go to church on Sunday?
「ええ、行きません」
No,
I don’t go to church on Sunday.
We
are students.
You
are a girl.
They
are girls.
日本語の文章でもあいまいさをなくすことはでき ない。「刑事は血まみれになって逃げる犯人を追いかけた」という日本語の文章は「刑事は血まみれになって追いかけた」ともとれるし、「血まみれになって逃 げる犯人」と理解することもできる。「血まみれになって刑事は、、、」とすれば、血まみれになったのは刑事であり、「血まみれになって逃げる犯人を刑事は 追いかけた」とすれば、あいまいさは避けられる。修飾語は被修飾語の近くにおくと解釈のあいまいさは減らすことができる。しかし、修飾語と被修飾語の距離 が離れていることは文法的には違反ではない。
現在の自動翻訳では文法書にだけ頼るのではな く、大量の対訳コーパスから膨大な対訳例を集めて、コンピュータに2言語間の翻訳の仕方を学習させるという方法も取り入れられている。文法的処理をして翻 訳する方法に対して、用例に依拠した翻訳方法といえる。複数言語間の対訳データを数百万文の規模で収集し、コンピュータに記憶させて翻訳する方法である。 この場合はコンピュータが作業をするのだから開発のコストは低く抑えられる。しかし、高価で高性能の計算機が必要になる。処理する情報量が多くなるため高 速化がむずかしくなる、という課題もある。
統計的機械翻訳では文法よりも用例を重視するこ とになる。これは英語学習などについても考えさせる課題を提示している。学校では文法を重視して英語を教える。しかし、学生はなかなか英語が話せるように はならない。街の英会話学校では用例を重視して実用英語を教える。英会話学校の生徒は文法上の間違いをするかもしれないが、ある程度英語が通じるようにな る。
そこで、語彙や文法による処理とハイブリッド型
の翻訳機械も開発されている。しかし、コンピュータによる自動翻訳はワープロによるかな漢字処理ほどにも成功しているとはいいがたい。人間の脳のなかにあ
る言語を生み出す機構については、まだまだ分からないことが多い。
[ことばの明治維新〜漢学から洋学へ〜]
現代の日本語は漢字仮名交じり文でかくことがあ
たりまえになっている。しかし、日本語は固有の文字をもたなかったので、奈良時代には漢字で日本語を書いた。万葉集は漢字だけで書かれている。平安時代に
仮名が発明されて、日本語の助詞や動詞の活用語尾は仮名で書きくわえられるようになった。
江戸時代になっても正式な書きことばは漢文であり、漢字仮名交じり文は和歌や日記などという住みわけができていた。良寛などは万葉調の和歌もたくさん残
しているが、漢詩も自在に作ることができた。明治の文豪森鴎外や夏目漱石は小説も書いたが漢詩も多く残している。鴎外や漱石の日本語の基礎には漢学があっ た。
漢文と日本語文というバイリンガルな言語生活は、当然日本語そのものにも大きな影響を与えている。現在の義務教育では漢文はとり上げられなくなってし
まっているが、漢詩・漢文は現代の日本語にどのような痕跡を残しているのか、吉川幸次郎の『新唐詩選』(岩波新書)によって漢詩と日本語の関係を考えてみ ることにする。
『新唐詩選』では杜甫の詩を十五首とり上げて、 それを日本語として読み下している。そのうちの一首「夜」は次のようになっている。
夜
露下天高秋氣清 露 下 天高 秋氣清し
空山獨夜旅魂驚 空 山 独夜 旅魂驚く
疎燈自照孤帆宿 疎 燈 自ずから照らして孤帆宿し
新月猶懸雙杵鳴 新 月 猶お懸かりて雙杵鳴る
南菊再逢人臥病 南 菊 再び逢うて人は病に臥し
北書不至雁無情 北 書 不至らず雁無情
歩簷倚杖看牛斗 簷 に歩して杖に倚りて牛斗を看る
銀漢遥應接鳳城 銀 漢は遥かに應に鳳城に接するべし
漢文を読み解く要諦は、まず句読の区切りをつける
ことだという。中国語の文章には句読点がなく、助詞や活用語尾がないから句読の切り方ひとつで意味が変わってしまう。「露下□天高□秋氣清」と正しく句を
区切ることができれば、読み下しは半分できたようなものである。あとはそれを音と訓に読みわけて日本語の調子をととのえていく。
吉川幸次郎は中国留学から帰った昭和六年(1931)ころから、中国人と同じように漢詩を中国語音で音
読した。そして翻訳するときは、読み下し文をはさまず、ただちに日本語にうつすことを主張し、実践もした。吉川幸次郎は杜甫の詩「夜」を次のように訳して
いる。訓の部分を( )にして、音の部分を下線にしてみると次のようになる。
露(つゆ)下(お)ち天高(たか)くして秋(あき)の氣は清(きよ)く
空(むな)しき山(やま)に獨(ひと)りいる夜(よる)は旅(たび)の魂(たましい)
の驚(おどろ)く
疎(わび)しき燈(ひ)は自(み)ずから照(て)らして孤(ひと)つの帆(ふね)の
宿(とどま)り
新月は猶(な)お懸(か)かりて雙(ふた)つの杵(きね)の鳴(な)る
南(みなみ)の菊に再(ふたた)び逢(あ)いつつ人(ひと)は病(や まい)に
臥(ふ)し、
北(きた)の書(ふみ)は不至(とど)かず雁(かり)の無情(つれな)し
簷(のきば)に歩(あゆみ)杖(つえ)に倚(より)て牛斗のほしを看(み)る
銀(あま)の漢(かわ)は遥(はる)かに鳳城に應接 (つ ら)なるなるべし
この読みだとほとんどが日本語になっている。音
読みになっているのは、天、気、新月、菊、牛斗、鳳城だけである。そのほかはすべて訓(日本語)に直されている。夜の船着き場の風景が浮かびあがってく
る。新月は夕方の西の空に出てすぐ落ちる。雙杵は砧である。南の国にさすらうようになって秋の菊を再び見ることになった。ふるさとの北国からは手紙も来な
い。杖をついて星を眺め、故郷を思う。天の川の方向に都長安があるに違いない。「鳳城」は長安である。
二つの読み方の違いは前者は音を主とした読み下
しであり、後者は日本語への翻訳そ主とした翻訳である。このふたつを比べると次のようになる。下線は音読であり、( )内のカタカナは音読であり、ひらが
なは訓読である。
秋(シュウ・あき)、空(クウ・むなしい)、独(ドク・ひとり)、旅(リョ・たび)、魂
(コン・たましい)、疎(ソ・わびしい)、燈(トウ・ひ)、孤(コ・ひとつ)、帆(ハン・
ふね)、宿(シュク・とどまる)、雙(ソウ・ふたつ)、杵(ショ・きね)、南(ナン・み
なみ)、臥(ガ・ふ)す、雁(ガン・かり)、北(ホク・きた)、書(ショ・ふみ)、無情
(ムジョウ・つれなし)、簷(エン・のきば)、歩(ホ・あゆみ)、銀漢(ギンカン):銀
漢(あまのがわ)、接(セッする・つらなる)、
日本人は漢文を訓読することによって、やまとこ
とばと漢字を対応させることを学んだ。しかし訓読みは、中国語を書くために作られた文字に日本語の単語を当てるわけだから、いわば当て字である。同じ漢字
でも中国語の意味は多様であり、漢字がつねに同じように読み下されているわけではない。また、同じ日本語に異なった漢字をあてはめることもある。
○夜(よる)。
空山獨夜旅魂驚 空 しき山に独りいる夜(よる)旅の魂の驚く(「夜」)
露従今夜白 露
は今夜(コンヤ)従(より)して白く(「月夜憶舎弟」)
日夜令我臧 日 に夜(よる)に我が臧(さ いわい)を 令(いの)り(「新婚別)
「夜」は夜(ヤ・ヨ・よる)の読みがある。漢字
二字の場合は音で読まれる傾向がある。今夜(コンヤ)があるから「日夜」も日夜(ニチヤ)と読んでもいいようにも思われる。訓の夜(よ)は中国語音の夜
(ヤ)の転移したものであろう。古代中国語音では夜は夜[jyak]であった。夜と同じ声符をもつ液(エキ)はいまだ
に古代中国語の韻尾を留めている。夜(ヤ・よ)はともに古代中国語の韻尾[-k]が失われたものである。夜(よる)は夜[jyak]の韻尾の[-k]が転移したものであろう。夜(よる)は日本が本格
的な文字時代に入る前に中国語からの借用した弥生音である。
○下(おり)る。
露下天高秋氣清 露下(お)り天高くして秋の氣は清く(「夜」)
無邊落木蕭蕭下 無辺の落木は蕭蕭として下(お)ち(「登高」)
下者飄轉沈塘坳 下 (ひく)き者は飄(ただよ)い轉(まろ)びて塘(いけ)の坳(く ぼ)に沈む(「茅屋為秋風所破歎」)
「下」は音が下(カ・ゲ)、常用訓は下(した・
しも・もと・さげる・さがる・くだる・くだす・くださる・おろす・おりる)がある。現代の日本語では露は「下(おり)る」、落木は「落ちる」、下者は「低
き者」であろう。しかし、唐代の中国語では動詞にも形容詞にも使われている。李白の詩では「日落長沙秋色遠」とある。霜は下りて、日は落ちるのである。
現代の日本語では下(カ)流、下(ゲ)水、下(した)見、川下(しも)、足下(もと)、下(さ)げる、下(さ)がる、下(くだ)る、下(くだ)す、下
(くだ)さる、下(お)りる、などである。
漢詩の読み下しは原文の漢字をそのまま使って日本語をそれにあてはめていくのが基本であるから、中国語の意味の範囲は日本語の意味の範囲と必ずしも一致
しない場合がある。しかし、日本の漢字は中国語の漢字の使い方を規範としているから、中国語の漢字に対応する日本語の訳は限りなく増えていく。
○「天」と「空」
露下天高秋氣清 露下ち天(テン)高くして秋の氣は清く(「夜」)
秋天漠漠向昏黒 秋の天(そら)は漠漠として昏黒に向かう(「茅屋為秋風所破歎」)
現代の日本語では「天」は天(テン・あめ・あ
ま)で「そら」は「空」である。天(そら)という読みはない。吉川幸次郎は杜甫の「空」を「空(むな)しい」とも読み下している。
空山獨夜旅魂驚 空
(むな)しき山に獨りいる夜は旅の魂の驚く(「夜」)
空知賣酒壚 空 (むな)しく知る売酒の壚(「贈高式顔」)
現代の中国語では昨天、今天、明天といえば昨
日、今日、明日のことである。星期天は日曜日であり、春天は季節をあらわす。天空といときは「天」は「空」と同義である。しかし、日本語では「天」は天
(あめ・あま)であって、「空」は青空(そら)、空(あ)き巣、空(あ)ける、空(むな)しい、などである。
○獨(ひと)り・と孤(ひと)つ
空山獨夜旅魂驚 空しき山に独(ひと)りいる夜は旅の魂の驚く(「夜」)
疎燈自照孤帆宿 疎(わび)しき燈は自ずから照らして孤(ひと)つの帆(ふね) に宿(とどま)り(「夜」)
徧挿茱茰少一人 徧く茱茰を挿んで一人(ひとり)を少(か)かん(王維)
人間の場合は「独(ひと)り」だが船などの場合
は「孤(ひと)つ」が用いられている。孤独では孤と独は類義語である。ここでは「孤」は物に「独」は人について「ひとりぼっち」という意味に使われてい
る。「ひとり」には「一人」も用いられているが、「一人」というときは人数であり、「少一人」は「一人足りない」の意味である。
○旅(たび)
空山獨夜旅魂驚 旅魂驚く空しき山に獨りいる夜は旅(たび)の魂の驚く(「夜」)
君行雖不遠 君の行(たび)は遠きにはあらずと雖も(「新婚別」)
萬里悲秋常作客 萬里 秋を悲しみて常作客(たびびと)と為り(「登高」)
杜甫の詩「新婚別」では「行」が「行(たび)」
にあてられている。旅行ということばは類義語を二つ重ねたものである。旅人は客でもある。
○自(おの)ずから照(て)らす。
疎燈自照孤帆宿 疎しき燈は自(おの)ずから照らして孤つの帆に宿り(「夜」)
自失論文友 文を論ずる友を失いて自(より)のちは(「贈高式顔」)
中国語の「自」には「おのずから」と「より」と いう二つの意味がある。この場合は日本語として同じ訳をつけるわけにはいかない。
照(ショウ)は照(て)ると同源語である。「照」の古代中国語は照[tjiô]である。中国語音史によると照系の音は隋唐の時代
に端系の音が口蓋化してできたという。日本語の照(てる)は古い中国語音の痕跡を留めている。
○帆(ふね)
疎燈自照孤帆宿 疎しき燈は自ずから照らして孤つの帆(ふね)に宿り(「夜」)
船尾跳魚溌剌鳴 船(ふね)の尾(しりえ)に跳る魚は溌剌として鳴る(「漫成」)
帆(ほ)をもって船(ふね)全体を表すのは詩的
な表現である。「帆」を「帆(ほ)」と訳したのでは十分に意味が伝わらない。杜甫の詩では船(ふね)使われている。船(ふね)は船(ふね)であり、その一
部である帆(ほ)を表すことはない。
○宿(とどま)る。
疎燈自照孤帆宿 疎しき燈は自ずから照らして孤つの帆に宿(とどま)り(「夜」)
沙頭宿鷺聯拳静 沙の頭に宿(やど)る鷺は聯拳として静かに(「漫成」)
雲在意倶将晩 雲は在(とど)まりて意は倶に晩れなんとす(「江亭」)
不可久留豺虎亂 久しく豺虎の乱に留(とど)まる可からず(「返照」)
潦倒新停獨酒盃 潦倒新たに停(とど)む濁酒の盃(「登高」)
「宿」は「宿(やど)る」とも読まれている。一 方、「とどまる」には「宿」「在」「留」「停」などが用いられている。「とまる」「とどまる」は類義語である。
○雙(ふた)つ
新月猶懸雙杵鳴 新月は猶お懸かりて雙(ふた)つの杵の鳴る(「夜」)
大小必雙翔 大いなると小さきと必ず雙(なら)び翔(か)ける(「新婚別」)
「雙」は中国語では名詞にも動詞にも使われる。
○鳴(な)る。
新月猶懸雙杵鳴 新月は猶お懸(か)か りて雙(ふた)つの杵の鳴(な)る(「夜」)
風急天高猿嘯哀 風は急に天は高くして猿の嘯(な)くこと哀し(「登高」)
「鳴」は「鳴(な)る」にも「鳴(な)く」にも
使われる。「鳴る」のは杵のような無生物であり、「鳴く」のは生物である。「嘯(な)く」は「嘯(うそぶ)く」とも読み、嘆き泣くときに用いられる。鳥は
「鳴く」「啼く」であり、人は「泣く」。
○病(やまい)
南菊再逢人臥病 南の菊に再び逢いつつ人は病(やまい)に臥し(「夜」)
衰年病肺惟高枕 衰えたる年に肺を病(や)みて惟(ひと)えに枕を高くし(「返照」)
患氣經時久 氣を患(や)みてより年を經ること久し(「賓至」)
「病」は名詞「病(やまい)」にも動詞「病 (や)む」にも使われる。日本語の「やむ」には「患(や)む」があてられることもある。
○臥(ふ)す。
南菊再逢人臥病 南の菊に再び逢いつつ人は病に臥(ふ)し(「夜」)
嬌児悪臥踏裏裂 嬌児は臥(ね)ざま悪しくして裏を踏みて裂く(「茅屋為秋風所破歎」)
「臥」は「臥す」と書くと「臥(ガ)す」とも読
めるし「臥(ふ)す」とも読める。「茅屋為秋風所破歎」では「臥(ね)る」と読ませている。「ふす」には「伏す」も用いられるが「伏す」は顔を下に向けて
服従することであり、「臥す」は寝ころがることである。日本語の「伏す」の語源は中国語の「伏(フク)」であろう。
○書(ふみ)・文(ふみ)
北書不至雁無情 北 の書(ふみ)は至かずして雁の無情し(「夜」)
自失論文友 文 (ふみ)を論ずる友を失いて自りのちは(「贈高式顔」)
日本語の文(ふみ)は文(ブン)と同源である。
日本語には「ン」で終わる音節がなかったので文(フン・ふみ)、絹(ケン・きぬ)、金(キン・かね)、君(クン・きみ)、殿(デン・どの)、玄(ゲン・く
ろ)、困(コン・こまる)、兼(ケン・かねる)、呑(ドン・のむ)、沁(シン・しみる)、染(セン・そめる)などのように中国語の韻尾[-n,-m]のあとに母音を付加して発音した。書は文と同義語
である。
○雁(かり・ガン)。
雁(ガン)と雁(かり)とは同源である。雁(かり)は雁[ngean]の[-n]と[-l]に転移したものである。[-n]と[-l]とは調音の位置が同じであり、転移しやすい。中国
語の韻尾[-n]が日本語でラ行に転移した例はかなりある。昏(コ
ン・くれ)、郡(グン・こおり)、薫(クン・かおり)、辺(ヘン・へり)、俺(アム・おれ)、怨(エン・うらむ)、嫌(ケン・きらい)、練(レン・ねる)
などである。雁は雁(かりがね)とも呼ばれる。
○看(み)る。
歩簷倚杖看牛斗 簷に歩み倚りて牛斗のほしを看(み)る(「夜」)
今春看又過 今の春も看(ま)の あたりに又過ぐ(「絶句」)
見爾不能無 爾を見(み)ては無き能わず(「贈高式顔」)
何時眼前突兀見此屋 何の時か眼前に突兀として此の屋を見(み)ば (「茅屋為秋風所破歎」)
「看」は中国語では「見守る」の意味が強い。 「絶句」の「看(ま)のあたりに)」は「みるみるうちに」のような意味である。日本語ではいずれも「みる」である。
○遥(はる)かに。
銀漢遥應接鳳城 銀の漢は遥(はる)かに應に鳳城に接なるなるべし(「夜」)
絶塞愁時早閉門 絶(はる)かなる塞に時を愁いて早く門を閉ざす(「返照」)
「絶(はる)かなる塞」は人里離れた絶境の塞と いう意味である。
○應(まさ)に。
銀漢遥應接鳳城 銀の漢は遥かに應(まさ)に鳳城に接なるなるべし(「夜」)
喧卑方避俗 喧卑(けんぴ)は方(まさ)に俗を避け(「賓至」)
正是江南好風景 正(まさ)に是れ江南の好風景(「江南逢龜年」)
呼児正葛巾 児を呼びて葛巾(かつきん)を正(ただ)さしむ(「賓至」)
還應倒接離* 還た應(おそ)らく接離*を
倒(さか)さにせしなるべし (李白) 離*= 罒/離
日本語の「まさに」には應、方、正、が使われて
いる。「應に」は「まさに、、、すべし」という場合に使われる。「方に」は「ちょうど今」、「正に」は「まさしく、ちょうど」の意味である。「正」は「正
(ただ)す」にも使われている。「應」は應(おそらく)と訳されることもある。
○接(つら)なる。
銀漢遥應接鳳城 銀の漢は遥かに應に鳳城に接(つら)なるべし(「夜」)
烽火連三月 烽火は三月に連(つら)なり(「春望」)
「接(つら)なる」は接続する、「連なる」は連 続するという意味である。「連接」という成語もあるくらいだから「連」と「接」はお互いに隣同士だ。
中国語の漢字は約4万あるといわれている。そのひとつひとつと日本語
の単語を関連づける仕事は記紀万葉の昔から延々と続けられてきた。その結果が現在の日本語の表記法になっている。しかし、中国語の四万字と日本語の単語と
の結びつきは、1対1ではなく、重複する単語もあり、ずれているものもあり、複雑なマトリックスになっているから、その対応は容易ではない。
中国語の文字を日本語に当てはめるために千年以
上続いた格闘の最終段階を吉川幸次郎は戦っていた。日中戦争の最中にも支那服を着て、支那に生れなかったのは残念だ、などといっていたという。「支那の学
問をおさめるためには、私は支那人になりきろう、と決心した。大学を出てから十年間、昼も夜も、私は支那の本だけ読み、親に出す手紙いがいは、相手が分
かっても分からなくても漢文、日記、論文、すべて漢文で書いた。」と後に回想している。
漢字仮名交じり文を読む人の立場からすると、
「正」は「正」だけでは「正(ただ)」と読むのか「正(まさ)」と読むのかわからないから、送りがをみて「正しい」、「正す」だったら「正(ただ)し
い」、「正す」だったら「正(ただ)す」と読む。「正に」、「正しく」は「正(まさ)に」、「正(まさ)しく」と読む。「正しく」は「正(まさ)しく」か
もしれないし、「正(ただ)しく」かもしれない。まず、送り仮名をみて、つぎに漢字にもどって読み方を決める。書いてある順番に読んでいるわけではない。
こんな表記法をもった文字は世界でも日本にしかない。
一字の漢字の読み方は送りがなによってきまる。
「臥す」は「臥(ふ)す」または「臥(ガ)す」と読む。「臥る」は「臥(ね)る」と読む。漢字仮名交じり文は文字を順番に追っていったのでは読めない。漢
字が出でてきたら、まずその先にある送り仮名をみて、もう一度前の漢字にもどってその読み方を決めているのである。だから、アナウンサーなどが原稿を読む
時、下読みが必要になってくる。
日本では中国における漢字の使い方を規範とする
考え方が強いので、日本語で文章を書くときも中国における漢字の使い分けを踏襲しようとする傾向がある。そのため日本における漢字の訓は複雑を極めてい
る。音は呉音、漢音、それにせいぜい唐音の3種類だが、訓は多岐に分かれる。中国語の意味の範囲とそれに対応する日本語の意味の範囲が一対一で対応してい
るわけではないから、訓が日本語の表記を複雑にしている。
中国語の「上」には日本語の「上(うえ)」「上
(かみ)」「上(あ)げる」「上(あ)がる」「上(のぼ)り」「上(のぼ)る」などが対応している。
中国語の「下」には日本語の「下(した)」「下(しも)」「下(もと)」「下(さ)げる」「下(さ)がる」「下(くだ)る」「下(くだ)さる」「下(く
だ)す」「下(お)ろす」「下(お)りる」「下(ひく)い」などがある。
また、日本語の「上(あ)がる・上(あ)げる」には中国語では「上」「揚」「挙」「騰」があり、「上(のぼ)り・上(のぼ)る」には「上」「登」「昇」 がある。
日本語の「下(さ)がる・下(さ)げる」は中国語でも「下」だが、「下(くだ)る・下(くだ)す」は「下(お)りる・下(お)ろす」は中国語では「下」
「降」があり、「下(ひく)い」には中国語では「下」「低」がある。
同じ漢字を使っていても、日本語と中国語ではそ
の意味の範囲がある面では異なり、ある面では重複している。それを、中国語をしらない普通の日本人が正しく書きわけることは不可能に近い。読む立場からし
ても、送り仮名をてがかりに読み方を模索するしかなく、送り仮名がない場合もある。送り仮名があっても複数の読み方が可能な場合もあって、むずかしい。
漢字をやまと言葉で読む訓読みは漢文の訓読を通
して発達してきた。しかし、漢字ひとつひとつに日本語で読みを与えることは容易でなく、訓読みの体系を複雑にしている。日本語の表記法を読みやすいものに
するためには、漢字の制限ばかりでなく、常用訓の整理も必要であろう。
漢字の音と訓を使って日本語を表記しようという
考え方は万葉仮名の時代から変わっていない。しかし、音と訓の組み合わせがあまりにも複雑なために万葉集は解読不能になってしまった歌もある。現在の日本
語もふり仮名なしでは読めない日本語になってしまう危険を内包している。
良寛は江戸時代後期宝暦八年(1758)に越後の出雲崎に生れたと伝えられている。幼名を
栄蔵といった。出雲崎というところは松尾芭蕉が『奥の細道』で「荒海や佐渡に横たふ天之河」と詠んだことで知られている。良寛は後に「いにしへに変らぬも
のは荒磯海(ありそみ)と向かひに見ゆる佐渡の島なり」と詠んでいる。
○良寛「儒」を学ぶ
良寛は十二歳の頃から約六年間、大森子陽という儒者について漢籍を主とする基礎的な教養を身につけた。学んだ本は『論語』や『文選』だろうという。
江戸時代は学問といえば漢学の時代であるといえる。幕府の学校や藩校では朱子学(儒学)が講じられ、僧侶たちは漢訳仏典によって仏教を学んだ。頼山陽は
『日本外史』を漢文で書いた。庶民の間でも和漢混淆文で書かれた『太平記』がもてはやされていた。『太平記』はまた、講談の世界でも喝采を博していた。講
談の世界もまた耳で聞く漢文の世界であった。詩吟の世界では頼山陽の「川中島」がもてはやされていた。
鞭聲粛々夜過河 鞭
聲粛々夜河(かわ)を過(わた)る
暁見千兵擁大牙 暁 (あかつきん)に見る千兵の大牙を擁するを
遺恨十年磨一剣 遺 恨なり十年一剣を磨(みが)き
流星光底逸長蛇 流 星光底長蛇を逸す
良寛が大森子陽の塾に通い「論語」を愛読したこ とは、後年のおびただしい論語抄録の遺墨が証明している。
一思少年時 一 たび思う、少年の時、
讀書在空堂 書 を読んで空堂(人気ない部屋)に在り。
燈火數添油 燈
火、数々(しばしば)、油を添へ、
未厭冬夜長 未 だ厭(いと)わざりき、冬夜の長きを。
○良寛「禅」を学ぶ
良寛は、やがて十八の頃、尼瀬の曹洞宗光照寺に入って禅僧としての修業をはじめる。儒教的世界から仏教的世界への転身である。さらに二十二歳のとき、國
仙和尚に随行して備中玉島の圓通寺に行き、そこで三十四歳にいたるまで修業した。禅の修行の中心は坐禅である。仏教の経典はいわゆる漢訳仏典である。中国
を経て伝えられた仏教の世界もまた漢文の世界である。坐禅をくみ、仏典を読んで、そのなかで自分をみつめる。その心のうちが漢詩となって表される。
自來圓通寺 円 通寺に来たってより
幾度經冬春 幾 度か冬春を経たる
衣垢聊自濯 衣 垢(あか)づけば聊(いささか)自ら濯い
食盡出城闉
食 尽くれば城闉(じょういん)を出づ
門前千家邑 門 前千家の邑(むら)
更不知一人 更 に一人を知らず
曾讀高僧傳 曽
(かつ)て高僧伝を読む
僧伽可清貧 僧 伽は清貧を可とす
良寛は円通寺で道元の『永平禄』を読み、『法華
経』を読み、『論語』を読んだ。そして『寒山詩』に親しんだ。『六祖伝』や『龐居士語禄』もとりだして読んでいたと思われる。なかでも道元の『正法眼蔵』
は必読書であった。良寛は円通寺で独り『永平禄』すなわち道元の著作に没入した。「讀永平録」という長い漢詩を残している。その冒頭の部分は次のようには じまる。
春夜蒼茫二三更 春 夜蒼茫たり二三更
春雨和雪灑庭竹 春 雨、雪に和して庭竹に灑(そそ)ぐ
欲慰寂寥良無由 寂
寥を慰めんと欲するも良(まこと)に由なく
背手模索永平禄 背 手に模索す永平禄
曹洞禅の祖道元は、只管打坐、ひたすら坐禅をす
ることをすすめる。一方、曹洞宗では、一に作務、二に座禅、三に看経といわれ、日常の勤労を重視していた。宋の時代、中国では仏教自体が老荘的発想を同化 していた。
憶在圓通時 憶 う、円通に在りし時
恆歎吾道孤 恒 に吾が道の孤なるを歎ぜしを
般柴懐龐公 柴
を般(はこ)んでは龐公(ほうこう)を懐(おも)い
踏碓思老盧 碓 (うす)を踏んでは老盧を思う
入室非敢後 入 室、敢て後(おく)るるに非ず
朝參常先徒 朝 参、常に徒(と)に先んず
一自從散席 一 たび席を散じてより
悠々三十年 悠 々たり三十年
山海隔中州 山
海、中州を隔て
消息無人傳 消 息、人の伝ふるなし
感恩竟有涙 恩 に感じて竟(つい)に涙あり
寄之水潺湲 之
れ寄す水の潺湲(せんえん)たるに
龐公は中国の馬祖一の弟子で、いつも柴運びをし
ていたといわれる。老盧は唐の時代八カ月ひたすら米をついていたという。ともに作務実践の禅者である。入室とは、師に問うために室に入ることで、朝参と
は、早朝に方丈の義礼に参加することをいう。
良寛は三十三歳の冬、師から印可を受け、その証として偈うけた。師の国仙は良寛について漢詩を残している。
良也如愚道轉寛 良 や、愚の如く、道轉(うたた)寛(ひろ)し
騰々任運得誰看 騰 々任運、誰か看るを得ん
爲附山形爛藤杖 為
に山形爛藤の杖を付す
到處壁間午睡�� 到 る処の壁間午睡�痢粉廖砲燭�
自分は、ひまがあると町へおりて子どもと遊び、
時には農家の壁にもたれて居眠りをしている。どこにいようが気にしないで壁にもたれて、閑かにごろりと昼寝をしている。天然自然と一致するまで身を捨てき
ることであった。
「愚」ということばは荘子にも出てくることばのようであるが、悟達のひとつの手がかりであった。愚であることは、まず己への執着を捨てることである。良
寛自身の心境は次の詩に表わされている。
少年捨父奔他國 少 年、父を捨てて他国に奔(はし)る
辛苦描虎猫不成 辛
苦、虎を描いて猫も成らず
箇中意志人倘問 箇 中の意志、人倘(も)し問はば
只是從來榮蔵生 只 是れ従来の栄蔵生
○良寛「万葉」を学ぶ
良寛は仏教の世界での栄達は求めず、托鉢僧になる道を選ぶ。そしてやがて良寛は故郷越後に帰り五合庵の住人となる。ここでは良寛は万葉集を愛読し、万葉
調の歌を作る。良寛が万葉集に親しみ、万葉調の歌を詠むようになったのは、五合庵に移ってからのことだと考えられている。良寛の書簡には万葉集を貸してほ
しいという依頼などが残されている。
あしびきの 國 上の山の
山もとに い ほりをしつつ
朝ゆふに 岩 のかげ道
踏みわけて い 往き還(かへ)らひ
山みれば 山 も見がほし
里みれば 里 も賑(にぎ)はし
春されば 椿 花さき
秋べには
野 べに妻(つま)とふ
小男鹿(さをしか)の 聲をともしみ
あらたまの 年 の十(と)とせは
過ぎにけるかも
五合庵は国上(くがみ)山の山腹、寺泊の東北、
海の見えるところにある。建て坪は四坪半、八畳一間の庵である。五合庵は良寛の生き方を具現した庵でもある。良寛には国上山や五合庵を詠った歌や詩がいく つかある。
あしひきの国上の山を今もかも鳴いて越ゆらむ山ほととぎず
あしひきの国上の山の山畑に蒔きし大根(おほね)ぞあさず食(を)せ君
山かげの岩間に伝ふ苔水のかすかに我はすみわたるかも
月よみの光を待ちてかへりませ山路は栗のいがの多きに
水や汲まむ薪や伐(こ)らむ菜やつまむ朝のしぐれの降らぬその間に
良寛は万葉調の歌を作っているだけでなく、書を
求められると万葉仮名風の漢字を使って書いているものさえみられる。
幾転見礼者 来 てみれば
和可布留散束 我 が古里
波あ礼耳け理 は 荒れにけり
尓者裳萬閑起もお 庭 も真垣も落
知者能みし天 ち 葉のみして
堂良ち祢の者々可 た
らちねの母が
か多み登あ散 形 見と朝
由ふ尓佐渡能 夕 に佐渡の
志まべ遠宇ち見 島 べをうち見
都る可母 つ るかも
世能中耳 世 の中に
末之良奴東 ま じらぬと
爾者 に は
安羅禰止毛 あ らねども
非登利安処非曾 ひ
とり遊びぞ
和礼は 我 は
末左礼留 ま される
○良寛解脱す
良寛は備中玉島の円通寺で二十二歳から三十四歳まで十二年間禅の修行をした。その後、越後に帰り五合庵などに住まい托鉢僧として過ごした。良寛さんはよ
く歌を詠み、漢詩を作った。
冬ごもり 春さりくれば 飯(いひ)乞ふと 草の庵をたちいでて
里にい行けば玉鉾(たまほこ)の 道のちまたに子供らが いまを春べと手まりつく
ひふみよいむな 汝(な)がつけば あはうたひ あがつけば 汝はうたひ
つきて歌ひて霞たつ 永き春日を暮らしつるかも
反歌
霞たつ永き春日を子供らと手毱つきつつこの日暮らしつ
つきてみよひふミよいむなやここのとを十(とを)とおさめてまたはじまるを
この里に手毬(てまり)つきつつ子どもらと遊ぶ春日はくれずともよし
歌もよまむ手毬もつかむ野にも出む心ひとつをさだめかねつも
良寛の漢詩、特にすぐれた漢詩の背景には禅があ る。和歌にはそれがほとんどない。そして良寛の和歌禅に代って萬葉集がある。
○良寛 老荘にいたる。
良寛は儒を学び、禅を学び、万葉を学び、漢詩を作り、歌を詠んだ。それは天下国家のためでもなく、立身出世のためでもなかった。そのなかで良寛がついに
見つけたものは何だったのだろうか。
少小學文懶爲儒 少 小のとき文を学んで儒となるに懶く
少年參禅不傳燈 少
年、禅に参ずれど燈を伝えず
今結草庵爲宮守 今、 草庵を結んで宮守(みやもり)と為(な)る
半似社人半似僧 半
ばは社人に似、半ばは僧に似たり
良寛は禅を通じて老荘の世界に近づいてゆく。
生涯懶立身 生 涯、身を立つるに懶(ものう)く
騰々任天眞 騰 々、天眞に任(まか)す
嚢中三升米 嚢 中、三升の米
爐邊一束薪 爐 邊、一束(いっそく)の薪(たきぎ)
誰問迷悟跡
誰 か問はん、迷悟の跡
何知名利塵 何 ぞ知らん、名利の塵
夜雨草庵裡 夜 雨、草庵の裡(うち)
雙脚等�凌� 雙 脚、等�里某�ばす
良寛はたびたび「懶」や「任」を使っている。
「懶(らん)」はこの場合「物憂し」で、何となく気がすすまない、めんどうがる、億劫がるということである。「懶」という字は現在ではほとんど使われるこ
とはないが、良寛の漢詩ばかりでなく、漢詩ではよく使われることばである。「生涯懶立身」の漢詩は「生涯立身出世などにはうとく、あるがままに天然自然の
真理に、自分を任せている。頭陀袋には三升の米があり、囲炉裏ばたには、一束の薪があるだけだ。迷いや悟りというようなことは、もうどうでもいい。名誉や
利益なども、知ったことではない。夜雨ふる庵にいて、二本の足を所在なく伸ばしているだけだ」ということになる。「懶」と「任」がこの詩のキーワードに
なっている。良寛のなかには儒教の世界と老荘の世界、そして万葉の世界が共存している。
良寛は文政十一年の三条大地震のとき、知人にあ
てた手紙のなかで次のようにいっている。
災難に逢(あ)ふ時節には災難に逢ふがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ
災難をのがるる妙法にて候
世を捨てるとはまさにこういう境地であろう。し
かし、この手紙を受け取った人が良寛の境地を理解できたかどうかは不明である。良寛は経済優先の現代をも超えている。
夏目漱石は慶応三年(1867)に生れた。明治改元の前年であり、良寛が示寂した
天保二年(1831)から三十六年後のことである。
漱石は明治七年(1874)浅草寿町の戸田小学校に入学している。このころの
小学校の教科書には洋学者による西洋の教科書の翻訳が多く、たいていは漢文直訳体であったという。その後、明治十二年(1879)に、その頃神田一ツ橋にあった府立一中(現在の日
比谷高校)に入学している。当時の中学校には正則中学校と変則中学校があり、府立一中は正則中学校であった。変則中学校では授業は英語で行われていたが、
正則中学校である府立一中では普通の授業は日本語ばかりで行われていた。漱石は一旦府立一中に入学したが、英語を習わなくては大学予備門へ進むことができ
ないと知ると、失望して退学した。
○漢学か英学か
ところが漱石は府立一中を退学したにもかかわらず、英語学校に転じようとはせず、漢学塾である二松学舎に移った。二松学舎では講義は朝の6時か、7時こ
ろから始まる。二松学舎では『日本外史』『十八史略』『小学』『蒙求』『文章規範』などを学び、さらには『唐詩選』『孟子』『史記』『論語』『唐宋八家
文』『前後漢書』へと進む。しかし、漱石が二松学舎に在学していたのは約一年間だけである。二松学舎を退いてから、明治十六年(1883)には大学予備門受験の目的で英語習得のために成立
学舎に入る。
儒学から洋学へ転換しつつある時代に、英語を学ぶためには、変則中学に転じなければならなかった。「考えて見ると漢籍許り読んでこの文明開化の世の中に
漢学者になった処仕方なし」と漱石は『落第』のなかで振り返っている。
漱石が生れた時代は、江戸時代の儒教的文化が作
るあげた世界像が崩れ落ちようとしている時代であった。漱石は近代的な学制によって教育された日本人の最初のジェネレーションに属していた。しかし、儒学
から洋学への転換は一朝にして行われたわけではない。当時の学校教育の根底にあったのはやはり依然として漢学であった。漱石も洋学よりは漢学により多くの
親近感を覚えていた。
漱石はとにかく大学に入って何かを学ぼうと決心 する。明治一七年(1884)神田一ツ橋の大学予備門予科に入学した。同級生に
南方熊楠などがいた。明治二一年(1888)には第一高等学校に進み、同級生に正岡子規がい た。明治二三年(1890)には東京帝国大学文科大学英文科入学する。当時東
京大学の教官はほとんどがお雇い外国人であった。漱石は英文学が漢文学のようなものなら生涯を捧げて悔いはないと決心したのであった。『文学論』序で漱石
は次のように述べている。
余は少時好んで漢籍を学びたり。之を学ぶ事短かきにも関らず、文学は斯くの如き者な
りとの定義を漠然と冥々裏に左国史漢より得たり。ひそかに思ふに英文学も亦かくの如
きものなるべし、斯の如きものならば生涯を挙げて之を学ぶも、あながち悔ゆることな
かるべしと。余が単身流行せざる英文科に入りたるは、全く此幼稚にして単純なる理由
に支配せられたるなり。(『文学論』序)
左国史漢とは中国の代表的な歴史書である。
「左」は孔子の弟子である左丘明が、孔子の『春秋』の背景となる史実を記述した『春秋左史伝』である。「国」もやはり左丘明の著作と伝承される国別の春秋
時代史である。「史」は、有名な前漢の司馬遷の著作『史記』のことで、黄帝から前漢の武帝のことまでを記述した紀伝体の歴史書である。「漢」は『漢書』で
ある。後漢の班固の撰による前漢の一代の歴史書である。中国では科挙の試験の受験者にとっての必修数科目であった。わが国では平安時代以降、文章家の必読
書とされていた。
漱石は明治二二年、第一高等中学校の生徒だったと
き、房総半島を旅行し『木屑録(ほくせつろく)』という漢文による紀行文を残している。
保田之南里許有灣窈然爲半月状灣之南端一巨岩高五丈上豐下削状如巨人之拳砉然裂地面
起掌之下端稍坦平可坐數人其上巑岏開張如簦望之欲墜不墜如惴惴焉有不安者
保田の南一里ばかりのところに湾がある。窈然(ようぜん)として半月状になっている。
湾の南端に巨岩があり、高さは五丈、上は豊かで、下は削られ巨人の拳(こぶし)のよ
うである。砉然(けきぜん)として地を裂いて起っている。掌(たなごころ)の下端は
やや平坦で数人が座ることができる。その上は巑岏(さんがん)として、開帳すること
簦(とう)のごとし。これを望めば墜(お)ちんとして墜ちず、惴惴(ずいずい)焉(え
ん)として安んぜざる者あるごとし。
ここではこの文章を解読することが目的ではない が、漱石は漢籍をよく読んでおり二十二歳にしてこのような漢文が書けたということを確認しておきたい。
○文明開化の時代
・明治28年愛媛県尋常中学校(松山中学)に赴任。子規の指導のもとに句作に打ち込む。
・明治29年熊本の第五高等学校へ赴任。四年間を過ごす。教え子に寺田寅彦。
・明治33年文部省から二年間の英国留学を命じられる。漱石三十四歳。
漱石は漢学に代わるものを英学に求めていた。し
かし、スウィフトやジェーン・オースチン、ダニエル・デフォーなどのイギリス文学のなかに漱石が見たものは、漢学で習ったものとはまったく異質なもので
あった。『マクベス』『リア王』『ハムレット』とても『論語』などにみられるような人間の守るべき道徳、規範を示すものからは程遠いものであった。
漢籍に親しみ、儒学、ことに朱子学の価値観を学んだ漱石にとって、英学は優越する西洋文明を学ぶためのものでなければならないはずであった。
大学在学中に漱石はJ.M.ディクソンの依頼で「方丈記」を英訳している。英語名は”A Description of My
Hut”である。明治26年(1893)大学を卒業すると、「ジャパン・メール」の記者を
志願し、禅について英語の論文を提出したが不採用に終わった。入学当初からの夢であった、西洋人に伍して英語で文学上の著作をしようとした抱負が崩れはじ
めた。漱石は迷っている。
イギリスに留学中、漱石は英詩を作りはじめる。
漢学を学んだものにとって漢詩を作ることは必須の教養であった。漱石は英学を学んだ以上英詩を作ろうと決意したにちがいない。漱石は十二篇の英詩を残して
いる。そのうちのひとつに”I looked at her”が ある。
I looked at her as she looked at me;
見つめられ、その女(ひと)と目を合わす
We looked and stood a moment, 二人はしばし佇む
Between Life
and Dream 夢か現か
We never met since; ただそれだけの出会いだった
Yet oft I stand
それなのに、しばしば私は佇む
In the primrose path サクラソウの小径に
Where Life means Dream.
夢は現
Oh that Life could おう、現は
Melt into Dream, 夢に忍びこむ
Instead of
Dream 夢よ
Is constantly いつまでも消えないで、
Chased away by Life! 現にもどさないでくれ!
(November27,1903)
Primrose pathは「ハムレット」の第一幕第三場にあることばで、
「悦楽を求める」ことを意味する。Melt into Dreamも
「ハムレット」第一幕第二場のハムレットの独白のなかに出てくる。肉体が「融けて露になる」ことを願うことばである。
漱石は悩み続けたにちがいない。漢学、とりわけ
朱子学で習った天下国家の論は英学のどこにあるのか。人の道はどこに描かれているのか。英文学のテーマの大半は色恋である。これは忠孝を中心とする儒教的
思想と大いに違う。それは、あたかも南画の画家が西洋の絵画に接し、西洋の絵画は裸婦ばかりではないかといって驚いたのにも似ている、といっても言い過ぎ
ではないだろう。ロンドンに来た漱石は間もなく「漢学に所謂と英学に所謂文学とは到底同定義の下に一括し得べからざる異種類のものならざるべからず」とい
うことを骨身にしみて悟らされた。漱石は英詩を作るのをやめてしまう。
○英文学は男子一生の仕事か
その後の漱石は明治36年(1903)小泉八雲の後任として東京帝国大学英文科講師にな
り、第一高等学校講師も兼任することになる。東京帝国大学では漱石は『マクベス』『リア王』『ハムレット』などを講じている。漱石は外国文学の批評的鑑賞
をするにも、日本人の標準をもってすることに意義があると考えた。しかし、漱石の考え方が英国人の見方と違う場合、自分の考え方を押し通すにはイギリス文
学は漱石からはあまりにも遠かった。漱石は漢学からきた文学観念をもって英文学を読んだ。しかし、漢学の価値観をもってイギリス文学をみることには限界が
あったともいえる。漱石はイギリス文学に打ち込みつつも迷い続けている。
能 もなき教師とならんあら涼し
薔薇ちるや天似孫(テニソン)の詩見厭(みあき)たり
明治三八年(1905)高浜虚子のすすめで『吾輩は猫である』を「ホトトギズ」に発表した。その評判はあまりにも高く、漱石は日本文学の作家として身を立てることを決意するにいたる。
明治四十年(1907)朝日新聞入社して『虞美人草』などを発表した。漱
石は『虞美人草』を書くために『文選』を読みなおしたという。漱石は自分の文学の思想をイギリス文学ではなく、漢学に求めていたともいえる。もっとも
「猫」の諧謔はスウィフトの影響があるともいわれるから、漱石がイギリス文学を捨てたというわけではないだろう。しかし、漱石が英詩を作ることをやめた後
も漢詩を作り続けたことは事実である。
○修善寺の大患
明治四三年胃潰瘍で療養中、大量に吐血し生死の際をさまよった。いわゆる修善寺の大患は漱石の人を見る目、世の中を見る目、自然を見る目をも変える人生
の大事だった。以降漱石は老荘に近づいて行く。いわゆる「即天去私」つまり「天に則(のっと)り、私を去る」という思想である。天とはつまり自然である。
自然に従い己を去る、という意味である。『思いだす事など』には漱石自身の作った次のような漢詩がみられる。
仰臥人如唖 仰臥して人唖(おし)の如し
黙然見大空 黙然として大空を見る
大空雲不動 大空に雲動かず
終日杳相同 終日杳(よう)として相(あい)同じ
「則天去私」の思想については専門家の間でも見
方が分かれる。漱石の弟子の小宮豊隆が「則天去私」に純化していった、と考えるのに対して江藤淳は「それから」を経て「明暗」に至る彼の一貫した我執の主
題の原動力になっていると主張して、見解を異にしている。小宮には、漱石は「則天去私」の悟達をめざして、これを達成した聖人と見えた。漱石が晩年、弟子
たちとの会合で、しばしば「則天去私」を話題の中心にしていたことは、阿倍能成もくわしく書いているから、漱石が東洋の思想に傾いていたことは否定できな
いだろう。齢五十にして達した「則天去私」と青春時代に身につけた「近代自我」が漱石のなかで葛藤し、作品の創造に結びついている。いつの時代にも、古い
酒袋の酒を新しい酒でけに詰めかえることはそう簡単ではない。
○漱石の個人主義
大正五年(1916)、晩年の漱石は『明暗』連載開始し、午後は日課と
して漢詩を作る。一方で『明暗』執筆中の漱石は大正三年(1914)は学習院で『私の個人主義』という講演もしてい
る。その記録をみると、漱石が西洋流の個人主義を肯定していることがわかる。
私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何する
者ぞという気概が出てきました。いままで茫然と自失していた私に、ここに立って、こ
の道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字
なのであります。
漱石は『明暗』を書き、漢詩を作りながら、近代的な自我について考え抜いていた。儒学の世界観のなかで育った漱石は、単に私的な、孤独な衝動にすぎないエゴイズムを容認できなかった。「しかし、自分が
それだけの尊重し得るように、社会から許されるならば、他人に対しても個性を認めて、彼らの傾向を尊重するのが理の当然になって来るでしょう」ともいって いる。
晩年の漱石は東洋文明に先祖がえりして、西洋文明のことは忘れてしまったのかというと、それはそう簡単ではない。漱石は漢学を受け入れる時には何の疑問ももたなかった疑問を、英学について持ってしまっ
たのです。『明暗』は「則天去私」ということばも「個人主義」ということばも一回もでてこない。 しかし、晩年の漱石
は個人主義への懐疑のために、禅家風な虚無主義を他方の端に描いてみる。日本の近代化の必然性をみてとっている反面、近代の個性の発達をめざす積極主義へ
の懐疑に立たされる。そして、老荘的無為を半信半疑の間にあこがれる。
ご存じの通り英吉利(イギリス)という国は大変自由を尊ぶ国であります。それほど自
由を愛する国でありながら、また英吉利ほど秩序の調(ととの)った国はありません。
実をいうと私は英吉利を好かないのです。嫌いではあるが事実だから仕方なしに申しあ
げます。あれほど自由でそうしてあれほど秩序の行き届いた国は恐らく世界中にないで
しょう。日本などは比較にもなりません。しかし彼らはただ自由なのではありません。
自分の自由を愛するとともに他の自由を尊敬するように、小供の時分から社会的教育を
ちゃんと受けているのです。
漱石の時代には、個人主義はなお危険思想視され
ていたことを念頭におかなければならない。漱石は近代的自我についてはっきりと述べている。これは大正三年(1914)年の時点ではかなり革新的な意見であった。党派心
とか国家というものが一般には個人より大切だと考えられていた時代の発言として重く受け止めなければいけないだろう。
○老荘への回帰
『行人』連載中の大正三年頃から、漱石はしきりに南画風の水彩画をたしなみ、また良寛の書に傾倒していく。つてを求めて良寛の書を手に入れたときの喜び
を漱石は書簡に次のように書いている。「良寛上人の筆跡はかねてより希望にて、年来御依頼致置候処今回非常の御奮発にて、、、漸く御入手下され候由、近来
になき好報、感謝のことばもなく、ひたすら恐縮致候」。漱石が入手した良寛の書は七言絶句と和歌であったという。
芳草連天春将暮 桃花乱点水悠々 我亦従来忘機者 悩乱光風殊未休
わがやどを たづねてきませ あしひきの やまのもみぢを たよりがてらに
漱石は『明暗』を書きながら、毎日午後は漢詩の 詩作を楽しんでいた。大正五年十二月九日死去の二十日前の詩(十一月十九日)である。
大愚難到志難成 大 愚到り難く 志成り難し
五十春秋瞬息程 五 十の春秋 瞬息(しゅんそく)の程(てい)
觀道無言只入静 道
を観(み)るに 言(げん)無くしてただ静に入り
拈詩有句獨求清 詩 を拈(ひね)りて句有れば独(ひと)り清(せい)を求む
迢迢天外去雲影 迢
迢(ちょうちょう)たり天外去雲(きょうん)の影
籟籟風中落葉聲 籟 籟(らいらい)たり風中落葉(ちょうよう)の声
忽見閑窓虚白上 忽
(たちま)ち見る閑窓(かんそう)虚白(きょはく)の上
東山月出半江明 東 山(とうざん)月出でて半江(はんこう)明(あ きら)か なり
大愚はもと「荘子」にもあることばだそうだが、
ここでは大愚良寛を思い描いているのであろう。迢迢は「はるかに」、籟籟は「さやかに」、虚白は「空虚な空間」で「荘子」による。半江は「大川の半分」で
白居易の詩にある。
漱石は明治四四年「文芸と道徳」と題する講演の
なかで、「私は明治維新の丁度前の年に生れた人間でありますから、どちらかといふと中途半端な教育を受けた海陸両棲動物のような怪しげなものでありま
す。」とも述べている。漱石は江戸の道徳や思想を受け継ぎ近代の思想との間で悩み抜き、それを一身に受け止めたために神経衰弱にもなった。漱石は漢学を愛
していた。英文学の世界が漢学にかわりうるものであるかについては晩年になっても懐疑的であった。明治維新の革命と反革命が漱石のなかでは、最後までせめ ぎ合っていた。
漱石の心情は子規とともに楽しんだ俳句のなかに
残されている。それは漢学的でもなく、英学的でもなく、まさに日本人漱石の心のうちを映している。そのことも見逃してはなるまい。漱石は漢学をおさめ、英
学をおさめ、ついに文人になった。
良寛に鞠(まり)をつかせん日永(ひなが)哉(かな)
有る程の菊抛(な)げ入れよ棺の中
古里に帰るは嬉し菊の頃
肩に来て人懐かしや赤蜻蛉
思う事只一筋に乙鳥(つばめ)かな
朝寒も夜寒も人の情かな
漱石は大正5年(1916)12月9日に亡くなっている。朝日新聞に連載中
だった『明暗』は12月14日まで掲載され、未完に終わっている。その日の新聞によって最終回を見てみると、その最後の連載は次のように始まっている。
明暗(めいあん) 漱石 百八十八
津田は清子の剥い てくれた林檎に手を触れなかった。
「貴女いかゞです。折角吉川の奥さ
んが貴女の ためといつて贈つてくれたんですよ」
「さうね、さうして貴女が又わ
ざわざそれを此所迄持つて來てくだすつたんですね。その御親切に對しても頂かなくっちゃ悪い わね」
清子は斯う云ひながら、二人の間(あひだ)にある林檎の
一片を手に取つた。然し それを口へ持つて行く前に又訊い た。
「然し考へる と可笑いわね。一體何う したんでせう」
「何が何う したんです」
「私吉川の奥さ んにお見舞を頂かう とは思はなかつたのよ。それから其お見舞を また貴女が持つて來て下さ らうとは猶更思はな かつたのよ」
津田は口のうちで「さうでせう、僕で さへそんな事は思はなかつたんだから」と云つた。
新聞にはルビが振ってある。『明暗』は未完だったから、その結末はどうなるの
だろうと、漱石ファンなら誰でも思う。生真面目な主人公の津田に対して自由奔放に振る舞う清子について、清子こそ「則天去私」の自然さをそなえた人物に発
展していくだろうという人もいる。また、清子の自由こそ近代的個人主義だと考える人もいる。作家の水村美苗などは自分自身が考えた『明暗』の完結篇を書い
て『続明暗』として発表している。
しかし、ここでは『明暗』の作品論をするのではない。漱石の使った日本語は我々が現在使っている日本語と同じだろうか、違うとすればどこがどのように
違っているのか、検証してみるのが主題である。
『明暗』最終回の冒頭の部分をみても、漱石の日
本語はわかりやすい。「林檎」は難しい字だなあ、と思う。しかし、まだ常用漢字がなかったから当たり前だ。そのほかでは、「貴女」と書いて「あなた」と読
ませるのも今では使われていないなあ、とも気づく。「貴」も「女」も常用漢字表にはあるが、「貴」は貴族(キゾク)、貴重(キチョウ)などの「キ」、貴
(とうと)い、貴(たっと)ぶ、などと読み、「女」は女子(ジョシ)、天女(テンニョ)、せいぜい女房(ニョウボウ)くらいまである。訓では女(おん
な)、女神(めがみ)であって貴女(あなた)とは書かない。
それでは「林檎(りんご)」や「貴女(あなた)」という日本語はなくなってしまったのか、というと表記法が変わっただけで、日本語の中には「リンゴ」も
「あなた」も生きている。漱石の時代の日本語とくらべてみて一番変わったのは、まず戦後常用漢字が定めれて難しい漢字が使われなくなったこと。そして仮名
使いが改められたことであろう。しかし、『明暗』の日本語を解剖してみると、ほかにもいくつか変わった点がみられる。
1.西洋の語彙が使われるようになってきていること。
良寛さんの文章にはなかったものとして、まず西洋文化とともに西洋のことばが日本語のなかに入ってきたことがあげられる。
煙草(タバコ)、茛盆(タバコぼん)、煙管(キセル)、隠袋(ポケット・かくし)、停車
場(ステーション)、舗床(ペーブメント)、公園(パーク)、石鹸(シャボン・せっけん)、
酒場(バー)、指洗盆(フィンガーボール)、貴婦人(レデー)、合羽(カッパ)、上靴(ス
リッパー)、羅紗(ラシャ)、性(セックス)、愛(ラブ)、台詞(セリフ)、諧謔(ヒュー
モア)、光景(シーン)、耶蘇教(ヤソきょう)、論理(ロジック)、衝撃(ショック)、象
徴(シンボル)、
煙管(キセル)、石鹸(シャボン)、合羽(カッ
パ)、羅紗(ラシャ)はポルトガル語起源だという。隠袋、石鹸は隠袋(かくし)、石鹸(せっけん)とも呼ばれている。これらは漢語への翻訳あるいは漢字へ
の転写であるが、カタカナで表記された外来語も数多くある。
(食べ物など):パン、バタ、トースト、サラド、ハム、ソップ(スープのこ と)、コー
ヒー、レモン、ウーロン茶、ビール、ライスカレー、ナイフ、フォーク、コップ、ナプ
キン、テーブル、
(着物など):紺セルの洋服、綿フラネルネルを重ねた銘仙、メリンス、ホー ムスパン、
ステッキ、ネクタイ、半ズボン、コート、インバネス(外套)、ハンケチ、キッド(子ヤ
ギ)の靴、ズック靴、デパートメント・ストア、
(生活):マッチ、ガス、窓ガラス、オペラグラス、ピアノ、インキ、 トーダンス、ピン
クッション(針刺し)、マンションハウス(ロンドン市長の官舎)、
着物のファッションなどは今では見られなくなっ
てしまっているものもある。「リチネ」という語もよく出てくるが「ヒマシ油」だそうである。マンションハウスとはずいぶんハイカラだと思ったがこれはロン
ドン市長の官舎である。現在日本語で使われている「マンション」とはずいぶん違う。
2.音読みの漢字はほとんど読めるものばかりである。
もちろん常用漢字以外の漢字も使われている。しかし、その頻度はそう多くない。音読の漢字はほとんどが二文字のものであり、一文字の漢字で音読するもの
はそう多くない。
僕(ボク)、妻(サイ)、金(キン)、先(セン)を越す、膳(ゼン)、晩(バン)、罐(カ
ン)、お客(キャク)、変(ヘン)だ、埒(ラチ)、対(タイ)して、毫(ゴウ)も、信(シン) じる、気(キ)、方(ホウ)、腑(フ)に落ちる、
妻は現在では妻(つま)というほうがふつうだろ
う。金(キン)は金属であり、金(かね)は金銭で区別されるのは今も同じである。先(セン)を越すは現代では先(さき)を越すというに違いない。いずれに
しても一文字で音読みする漢字は漱石の時代も今も少ない。
漱石は漢学の素養があったから、さぞかし難しい
漢字を使ったのではないかと思いきや、ほとんどの漢字が現代の漢字の知識で読めるのである。音読みは呉音、漢音などの違いが時にあるにしても比較的読み方
が安定している。とりわけ、漢字が二つ続いた場合は音読のことが多いから、漢字が二つ続いたら音読だとあらかじめ予測できる。比較的頻度の多いカ行とサ行
の漢字についてランダムに例示してみると次のようになる。
(カ行):恰好、感慨、解決、会社、寒菊、過去、活溌、合点(ガテ ン)、金箔、記憶、
機嫌、偽物(ギブツ)、嬌態、疑問、偶然、結構、軽蔑、牽制、燦爛、下卑た、下女、
勾配、高尚、格子(コウシ)、御飯、瘢痕、今度、滑稽、強情、紅茶、
(サ行):琑末、最初、散歩、雑駁、視線、質問、七宝、斟酌、お辞儀、 時分、自分、遮
断、俊巡、終焉、正直、酔興、杜撰(ズサン)、専有、刹那的、説明、石鹸、贅沢、咀嚼、
相違、掃除、疎髯(ソゼン)、存在、
「疎髯」ということばは聞いたことがないにして
も、ほとんどが現代日本語の想定内なのではなかろうか。「偽物(ギブツ)」は現代では「偽物(にせもの)」ではないかな、「酔興」は「酔狂」ではないかな
と思うくらいで、あとは常用漢字の範囲を若干超えていても自然に読める。
三文字以上の漢字はほとんどが複合語である。御
都合、御親切、勉強家、座蒲団、葡萄状、無頓着、二三日、前途遼遠、書生部屋、紅茶茶碗、などである。
現在よく使われている漢字と違うものは少しある。( )内に現在の漢字を示した。
笑談(冗談)、洗湯(銭湯)、脳力(能力)、容子(様子)、給使(給仕)、辛防(辛抱)、
填補(補填)する、
3.訓読みの漢字は一文字の漢字が多い。
訓読みの一文字漢字のなかには現在はほとんど使われなくなった読みもかなり見られる。
現在ほかの漢字が使われているものについては( )で示した。
(名詞):己(おれ・俺)、妾(あたし・私)、室(へや・部屋)、腮・
頷(あご・顎)、腋
(わき・脇)、肚(はら・腹)、眸・瞳子(ひとみ)、沓(くつ・靴)、狗(いぬ・犬)、敵
(かたき・仇敵)、意(こころ・心)、擒(とりこ・虜)、香(におい・臭)、午(ひる・
昼)、矜(ほこり・誇)、瞬(まばたき・目ばたき)、因(おこ・起)り、斜(はす)、
(動詞):診・診察(み)る、露(あら・表)わす、醒(さ・覚)める、 逢(あ・会)う、
中(あ・当)てる、圧(お・押)し潰す、駄まる(黙る)、活(い・生)きた、牽(ひ・
引)き付ける、退(ひ・引)く、逼(せま・迫)る、活(い・生)ける、扇(あお)る、
急(せ)き込む、騙(だま)す、憑(の)り移る、僻(ひが)む、誂(あつら)え、媚
(こ)びる、嵌(は)め込む、慢(たか)ぶる、炒(い)り豆、冴(さ)える、潜(く
ぐ)る、倦(う)む、体(なり)、質(たち)、贐(はなむけ)、塞(つか)える、
(形容詞など):繊(ほそ・細)い、蒼(あお・青)い、燦(きら)つく、華麗 (華やか)
な、疾(と)く、
漢字一字で表示されるやまとことばの多くは、ほか の漢字に置き換えることができる。 複数の読み方のある漢字も見られる。
嫂(あによめ・ねえさん・おんな)、例(いつも・ためし)、機(しお・はずみ)、掌(た
なごころ・てのひら)、温(ぬくもり・あたたか)い、惚(ほれる・とぼ)ける、
訓読みは漢字の日本語訳だから、対応する漢字は
複数ありうる。同じことばに複数の漢字があれられている例もまれではない。
姉・嫂(ねえ)さん、眸・瞳子(ひとみ)、欠・欠伸(あくび)、懐・懐中(ふところ)、
遑・暇(いとま)、宅・自宅・家(うち)、想・憶(おも)い、嘘・偽・虚言(うそ)、途・
路(みち・道)、困・窮(こま)る、
4.二文字熟語は難読字が多い。
現代の日本語の表記は漱石の時代よりも整理されてきているといえる。しかし、二文字の漢字を訓読みするものについては、慣用がありむずかしい。いわゆる
熟語訓である。漱石の時代には現代よりも熟語訓の使用は多い。
お土産(みやげ)、胡坐(あぐら)、欠伸(あくび)、仮寝(うたたね)、田舎(いなか)、
悪戯(いたずら)、陽炎(かげろう)、足袋(たび)、松明(たいまつ)、餉台(ちゃぶだ
い)、木精(こだま)、光沢(つや)、抽斗(ひきだし)、穏和(おだやか)、四方・四辺・
周囲・四周(あたり)、周囲(ぐるり・まわり・あたり)、身体(からだ)、服装・体(な
り)、年歯・年齢(とし・歯は齢)、粗野(がさつ)、空虚(からっぽ)、効能(ききめ)、
生計(くらし)、共謀(ぐる)、紙幣(さつ)、音信(たより)、性質・質(たち)、品質(も
の)、鶏卵(たまご)、徒然(つれづれ)、媒介(なかだち)、褞袍(どてら)、火熨斗(ひ・
のし)、階子・梯子(はしご)、懐中・懐(ふところ)、平生(ふだん・ひごろ)彗星(ほ
うきぼし)、破綻(ぼろ)、花崗岩(みかげいし)、邸宅(やしき)、自暴(やけ)、無能(や
くざ)、温泉(ゆ)、所以(ゆえん)、理由(わけ)、為替(かわせ)、
これらのことばは現代の日本語では音読みに置き
換えられつつある。身体(からだ・シンタイ)、穏和(おだやか・オンワ)、粗野(がさつ・ソヤ)、紙幣(さつ・シヘイ)、光沢(つや・コウタク)、年齢
(とし・ネンレイ)彗星(ほうきぼし・スイセイ)、破綻(ぼろ・ハタン)、花崗岩(みかげいし・カコウガン)、邸宅(やしき・テイタク)、温泉(ゆ・オン
セン)などである。
同じ文脈のなかで違った漢字が用いられている例
もある。「彼は玄関の突当たりの狭い部屋(へや)から出る四、五人の目の光を一度に浴びた。窓のない室(へや)は狭いばかりでなく実際暗かった。」(一
七)また、「悧巧・怜悧(りこう)」のように同じことばに異なった漢字を用いた例や「怜悧(レイリ)」と音読みにしている例もある。
熟語訓は「当て字」だからだんだん使われなく なっていく傾向にあるのではなかろうか。しかし、熟語訓は身近なことばのなかに根強く残っていく可能性もある。
(人称):貴方・貴女(あなた)、良人(うち・おっ と)、宅(うち)、叔父(おじ)、叔母・
小母(おば)さん、従姉・従妹(いとこ)、兄妹(きょうだい)、彼奴(あいつ)、一人(ひ
とり)、二人(ふたり)、
(日時):今日(きょう)、今年(ことし)、今朝(け さ)、明日(あした)、明後日(あさ
って)、昨日(きのう)、昨夜・昨夕(ゆうべ)、一昨日(おととい)、
5.『明暗』と漢詩の詩作と
漱石は大正五年八月十四日から十一月二十日、つまり十二月九日の永眠の二十日前まで、百日の間に七十首の漢詩を連続して作った。漱石は芥川龍之介と久米
正雄への手紙に「僕は不相変『明暗』を午前中に書いてゐます。四五日前から午後の日課として漢詩を作ります。」と書いている。英文学に入る前の漱石はもと
もと漢学が好きであった。その時期読みふけった『老子』は漱石にとって自家薬籠中のものだった。日本語による『明暗』の執筆と漢詩の詩作というバイリンガ
ルな言語生活は漱石のなかでどのように位置づけられていたのだろうか。この時期に作った漢詩を見てみたい。
無題 九月十七日
好焚香炷護清宵 好 (よし)香炷を焚(たいて)清宵を護(まもる)
不是枯禅愛寂寥 是 (これ)枯禅の寂寥を愛する不 (ならず)
月暖三更憐雨静
月 (つき)暖(あたたかにして)三更 雨(あめの)静(しず
かなるを)憐(あわれみ)
水閑半夜聴魚跳 水
(みず)閑(のどかにして)半夜 魚(うおの)跳(はねる
を)聴(きく)
思詩恰似前程遠 詩を
思(おもえば)恰(あたかも)前程の遠(とおきに)似(に)
記夢誰知去路遥 夢 (ゆめを)記すれば誰(たれか)知(しらん)去路の遥(は るかなるを)
獨坐窈宨虚白裏 独 (ひとり)窈宨虚白の裏(うらに)坐すれば
蘭��照盡入明朝 蘭 �� 照(てらし)尽(つくして)明朝に入(いる)
読み方は吉川幸次郎によって訓読みの部分にかなを付して、音読みの部分には下線をつけてみた。漢詩は漢字で書いてあるあるが、日本語として読むことを想定しているので訓読みが多い。もちろん漢詩の知識
がなければ書けない。「窈宨」は詩経に出てくることばで、奥深いもの静かな心理である。「虚白」は荘子の語で、うつろで清潔な心をいう。蘭��は蘭の油を燃
料とした灯火である。しかし、基本的には日本語に訓訳して読めるように書いてある。
『明暗』の日本語の文章も漢詩の文章も、漢字仮名交じり文として読むことを想定して書かれているというのは、言い過ぎだろうか。『明暗』の文章には漢語は意外に少なく、漢詩は訓読みを想定した漢字が多く使われているのである。
森鴎外は文久二年(1862)津和野で生れた。鴎外の生まれた文久二年という年
は、ペリー来航以来九年、明治維新に先立つこと六年であった。鴎外は漱石より五歳年上である。明治一七年(1884)漱石が神田一ツ橋の大学予備門に入った時、鴎外は
すでにドイツ留学の途上でインド洋にあった。
○漢学の修業
森林太郎は六歳で「論語」、七歳で「孟子」の素読を学んだ。八歳になると藩校養老館に入学して四書(大学・中庸・論語・孟子)、五経(易経・書経・詩
経・礼記・春秋)、左伝、国語、史記、漢書を復読した。父がいわゆる蘭医だったので、九歳になると父からオランダ文典を学んだ。藩校における林太郎の成績
は抜群だったという。少年林太郎が学んだ儒教的な教養は身に滲みこんで、鴎外の人となりの根本はこれによって決定づけられた。
明治五年(1872)藩主に随い父が侍医として東京に移り住むことに
なって、林太郎も本郷の進文舎に進みドイツ語を学ぶことになった。十一歳という頭の柔らかい時期にドイツ語を学べてことが、医学に従事する者にとって必須
の外国語を学ぶうえで役立った。林太郎にとって医者になることはまわりの希望でもあり、本人にも何の迷いもなかった。明治七年(1874)東京医学学校に入学した。わずか十三歳であった。
当時の東京医学校の教授は全員ドイツ人だったという。緒方収二郎は「鴎外とその周辺」のなかで、「当時先生がドイツ語で講義すると、森君は直に漢文に訳し
てノートしたことを記憶しています。」と書いている。鴎外にとって書きことばは漢文で何の不自由もなかったにちがいない。
鴎外は初期に翻訳を多くしているが、ドイツ語や 英語の詩をまず中国語に訳したらしい。ニコラウス・レーナウNikolaus
Lenau(1802-50)のMondlichtの漢訳「月光」の冒頭の部分は次のように訳され ている。
Das Mondlicht
月光
Dein gedenkend irr’ ich einsam
思汝無已孤出蓬戸 汝
の無きを思い已に孤(ひとり)蓬戸(ほうこ)を出(い)で
Diesen Srtom entlang;
沿岸行且吟 岸
に沿(そひ)て行き且(か)つ吟ず
Könnten lausehen wir gemeinsam
安得倶汝江上相聚 い
づくんぞ汝倶(とともに)江上に相(あい)聚(つどひ)
Seinem Wellenklang!
聞此流水音 此 の流水の音を聞くをえん
蓬戸はよもぎを編んで作った戸のことで、みすぼ らしい家をあらわす。次の詩はバイロンの戯曲「曼弗列度(マンフレッド)」(Manfred 1817)の
第一幕第一場冒頭の主人公マンフレッドの独白であるが、鴎外はこれをハイネの独訳から漢訳している。
魔語
When the
moon is on the wave,
波上繊月光糾紛 波 上の繊月(せんげつ)光 糾紛(きゅうふん)たり
And the
glow-worm in the grass,,
螢火明滅穿碧叢 蛍 火の明滅して碧叢(へきそう)を穿つ
もっとも当時は漢詩文が知識階級の重要な教養で
あり、学校の掲示でも日常の往復文書でも漢文でやるという風であった。鴎外はドイツ留学中日記を残しているが、その多くは漢文である。『航西日記』の第一
日目、明治一七年七月二三日の記述は次のようなものである。
初余之卒業於大學也。蚤有航西之志。以為今之醫學。自泰西來。縱使觀其文諷其音。而
苟非親履其境。即郢書燕説耳。至明治十四年叨辱學士稱。賦詩曰。(中略)昂々未折雄飛
志。夢駕長風萬里船。盖神已飛於易北河畔矣。未幾任軍醫爲軍醫本部僚屬。躑躅鞅掌。
汨没于簿書案牘之間者。三年於此。而今有茲行。欲毋喜不可得也。
鴎外の初期の小説はともかくとして、漢詩や漢文
の日記は現代の教育を受けた者にはほとんど解読できない。要旨は「自分は大学を卒業した時から洋行したいという志をもっていた。現在の医学は西洋から来た
ものであり。本を読んだり、講義を聴くだけでは分からない。現地に行ってみないと分からないことがある。明治十四年に大学を卒業して学士の称号を得た時
に、早く留学してみたいという詩を作った。自分の心はすでに易北河(エルベ河)のほとりにあったが、軍医になり軍医本部に所属して時を待っていた。そして
今ようやくドイツに行けることになった。喜んではいけないと云われても喜ばずはいられない。」ということになる。日記のなかには漢詩もいくつか残されてい る。
負笈三年歎鈍根 還東何以報天恩 關心不獨秋風恨 一夜歸舟過涙門
これは帰国の際、船が紅海からインド洋に出よう
とする時に作られた詩であるが、「三年もドイツに留学したけれども、思うように成果はあがらず、帰国してからどう恩返ししていいか分からない」という趣旨 の詩である。
○鴎外と漱石
森鴎外と夏目漱石とは、しばしば並び称せられる。それぞれの年譜を並べてみると次のようになる。
| 森鴎外 | 夏目漱石 | |
| 生れ | 文久二年(1862)、津和野に生れる | 慶応三年(1867)、東京に生まれる |
| 6歳 | 論語を学ぶ | |
| 7歳 | 孟子を学ぶ | |
| 8歳 | 藩校養老館で四書を復読 | 浅草寿町の小学校に入学 |
| 9歳 | 藩校養老館で五経を復読 | |
| 父から和蘭文典を学ぶ | ||
| 10歳 | 藩校養老館で左国史漢を復読 | |
| 室良悦に和蘭文典を学ぶ | ||
| 11歳 | 上京し、本郷進文学舎で独語を学ぶ | |
| 12歳 | 東京府第一中学校に入学 | |
| 13歳 | 東京医学校予科に入学 | |
| 15歳 | 二松学舎に入り、漢学を学ぶ | |
| 16歳 | 東京医学校予科本科に進む | |
| 17歳 | 私立成立学舎に入学、英語を学ぶ | |
| 18歳 | 大学予備門に予科に入学 | |
| 20歳 | 大学を卒業、陸軍軍医となる | |
| 22歳 | 本科一部(文学)に入学、英文専攻 | |
| 23歳 | ドイツ留学(4年間) | |
| 24歳 | 帝国大学文科英文科に入学 | |
| 27歳 | 帰国、陸軍軍医学校教官となる | 帝国大学文科英文科卒業 |
| 28歳 | 訳詩集『於母影』 | |
| 29歳 | 『舞姫』 | |
| 34歳 | 軍医学校長となる | イギリス留学(2年間) |
| 38歳 | 小倉に赴任(3年間) | |
| 39歳 | 『吾輩は猫である』 | |
| 44歳 | 修善寺の大患 |
鴎外は20歳で大学を卒業しているのに対して漱石が大学を卒 業したのは27歳であった。生まれたのは鴎外が漱石より五年早い だけだが、鴎外は何の迷いもなく江戸時代と同じ教育を受けている。それに対して漱石の初等教育は明治の教育を受けた第一ジェネレーションといえる。漱石に は漢籍への愛着があり、漢学と洋学のどちらを学ぶべきか、大いに悩んだ。
鴎外と漱石とは、生前交際というほどのものはなかったようである。しかし、両者はともに漢学の素養を身につけて育ち、ヨーロッパに留学して近代文明に接
し、はなばなしく文壇にデビューしたという点では同じ精神史を歩んでいるように見える。鴎外はドイツ留学記念三部作ともいえる『舞姫』『文づかひ』『うた
かたの記』を発表した。漱石の場合は『吾輩は猫である』がデビュー作であり、『坊ちゃん』『草枕』『虞美人草』が帰国三部作となっている。鴎外の場合も、
漱石の場合も外国で新しい文学にふれた衝撃が初期の創作の原点となっている。
鴎外はドイツ留学に留学した時には留学先の言葉 が自由に聞け、自由に話せた。彼は留学の全期間を通じて欧州の文学書を熟読した。このことは鴎外の残した書籍をみても明らかである。大学の自由な空気にふ れることが機縁となって、近代的な自我に見覚め歴史や文学に関心を持つようになった。留学は鴎外の専門分野である医学の新しい知識を身につけるばかりでな く、自身の思想や生き方を大きく変える契機となった。『舞姫』は鴎外の文名を一躍高めることになった。社会的名声が高まるにつれ、鴎外はもはや一軍医では なくなっていた。鴎外は次のように述懐している。
談ずるには足らないと云ひ、予が官職を以て相對する人は、他(あれ)は小説家だから
重事を托するには足らないと云って、暗々裡に我進歩を礙(さまた)げ、我成功を挫(く
ぢ)いたことは、幾何といふことを知らない。(『鴎外漁史とは誰ぞ』)
ヨーロッパへの留学は鴎外にとっても漱石にとっても近代的自我を目覚めさせたという点では重要である。自分のなかに近代的な自我を探す旅が作品を作り出
す原動力になっていた。しかし、鴎外にとっても漱石にとっても晩年の創作を支えた原動力は挫折ではなかったろうか。挫折が今までは見えなかった自分自身を
再発見する力になっていたように見える。
鴎外にとって挫折とはいわゆる小倉左遷である。漱石にとって挫折とはいわゆる修善寺の大患である。鴎外は明治三二年(1899)から三五年(1902)まで第十二師団軍医部長として九州の小倉に勤務を 命ぜられた。三八歳から四一歳という働き盛りである。
普通のサラリーマンにとって転勤はあたりまえのことだが、エリートをもって認ずる鴎外にとってそれは左遷以外の何ものでもなかった。二十歳で大学を卒業 した鴎外は二三歳でドイツに留学し、俺が一番だと思い続けてきた。小倉への転勤が鴎外にとって左遷であったのは、東京帝国大学医学部で同期だった小池正直 が陸軍軍医としては最高のポストである陸軍軍医監に任じられていたからである。小池は鴎外より八歳年上であった。しかし、それは鴎外にとっては大変な屈辱 だった。鴎外はこの頃から幼少時以来の漢学的古典的教養への思慕が再び高まってくる。当時の手紙によって、ある日の鴎外の小倉での生活を覗いてみる。
六時に稽古濟み歸りて 湯をつかひ晩飯し 直ちには葉巻一本啣(くは)へて散歩に出
で申候 一本がなくなるまで 小倉の町を縱横無礙に歩めば 丁度一時間立ち 至極體
によろしく候 それにて九時頃に相成申候 それより佛語の手帳を浄書し 又梵語(サ
ンスクリット)を少しやれば 十時半か十一時になり 直ちに寝ることヽいたし候
小倉時代の鴎外は軍医として巻き返しをはかって いたわけではない。役人の世界では同期がトップに立ったら、もう他の同期生にはチャンスがない、というのが今も昔も常識である。鴎外は三年間の小倉時代を 通じて自分自身をみつめ直そうとしていたようにみえる。明治三五年には第一師団軍医部長として東京に戻り、明治四十年には軍医総監に任じられ、陸軍医の最 高ポストである陸軍省医務局長に補せられた。小池と同期とはいえ、年齢に八歳の差があったことが幸いした。
漱石が『吾輩は猫である』を書いた明治三八年には、鴎外は『於母影』、『舞姫』、『うたかたの記』、『文づかひ』、『即興詩人』などを発表していた。し
かし、鴎外は『ヰタ・セクスアリス』のなかで主人公の金井君の目を借りて次のように書いている。
小説を書きだした。金井君は非常な興味をもって読んだ。そして技癢(ぎよう)を感じ
た。そうすると夏目君の『吾輩は猫である』に対して『我輩も猫である』というような
ものが 出る。『我輩は犬である』というようなものが出る。金井君はそれを見て、つい
ついやになってなんにも書かずにしまった。
しかし、その頃の鴎外の日記や手紙をみるとことはそう簡単ではなかったようである。
石本次官新六新聞紙に署名すべからずと警告す。(十一月二十九日)
それにしても「技癢」とは現在ではあまり見かけ なくなったことばである。意味は広辞苑によると「他人のするものを見てむずむずすること。自分の技量を示したくてもとかしく思うこと」だという。くだいて 言えば「やきもち」あるいは「負け惜しみ」、もう少し上品にいえば「競争心」あるいは「負けじ魂」ということになる。「技癢」ということばがこの時期の鴎 外の行動を解くキーワードになっているようである。
鴎外はどうも競争心が強かったようである。軍医と しては同期の小池正直とはりあい、文学では坪内逍遥と論争をくりひろげ、医学に関しても学会で専門的な論争をしていたようである。漱石に対する競争心が晩 年の鴎外の豊かな文学作品を生みだす一つの原動力になっていたことは確かであろう。
鴎外は幾多の中傷と挫折とに耐えて、ようやく陸 軍軍医の最高の地位である陸軍軍医総監陸軍省医務局長に就任してから、続々と珠玉のような作品の公表をはじめた。もいちど鴎外と漱石の時代を年表で確認してみたい。
| 森鴎外 | 夏目漱石 | |
| 明治38年 | 『吾輩は猫である』 | |
| 明治39年 | 『草枕』『二百十日』 | |
| 明治40年 | 『野分』『虞美人草』 | |
| 明治41年 | 『夢十夜』『三四郎』 | |
| 明治42年 | 『ヰタ・セクスアリス』 | 『それから』 |
| 明治43年 | 『青年』 | 『門』 |
| 明治44年 | 『妄想』 | |
| 明治45年 | 『かのやうに』 | 『彼岸過迄』『行人』 |
| 大正2年 | 『阿部一族』 | |
| 大正3年 | 『大塩平八郎』 | 『心』 |
| 大正4年 | 『山椒大夫』 | 『道草』 |
| 大正5年 | 『渋江抽斉』『高瀬舟』 | 『明暗』 |
| 『寒山拾得』『伊沢蘭軒』 | ||
| 大正6年 | 『北条霞亭』 |
日本の近代文学にとって何という豊穣な時代であ
ろう。鴎外は明治四二年を転機として多筆になった。陸軍における地位が安定して周囲に遠慮や気がねなしに思うままにふるまうことができるようになった、の
もその理由のひとつであろう。大正五年には鴎外はすでに五五歳である。六一歳で没するのだからまさに晩年である。『渋江抽齊』が毎日新聞に連載される。そ
れから十日もたたぬうちに、漱石夏目金之助の最後の大作『明暗』が朝日新聞に連載されはじめる。
鴎外は小説を書き、漢詩を作ったばかりでなく、
歌も詠み詩も書いた。明治四四年(1907)には観潮楼で歌会も催している。まさに明治の文人
であった。明治四十年(1907)『うた日記』のなかにふと心にうかぶ青春の思い出 をうたったものがある。
扣鈕(ぼだん) 於南山
南山の たたかひの日に
袖口の こがねのぼたん
ひとつおとしつ
その扣鈕惜し
べるりんの 都大路の
ぱつさあじゆ 電燈あをき
店にて買ひぬ
はたとせまへに
えぼれつと かがやきし友
こがね髪 ゆらぎし少女(をとめ)
はや老(を)いにけん
死にもやしけん
はたとせの 身のうきしづみ
よろこびも かなしびも知る
袖のぼたんよ
かたはとなりぬ
ますらをの 玉と碎けし
ももちたり それも惜しけど
こも惜し扣鈕
身に添ふ扣鈕
南山の戦いで二つのうち一つをなくしてしまった
カフスボタン。二十年前ベルリンに留学中に買い求めた青春の思い出のボタン。あの頃の金髪の彼女は今どうしているのだろうか。鴎外の詩は、漢詩の流れをく
む、いわゆる詩というよりも、むしろ万葉集の長歌のような趣がある。
『澀江抽斎』の冒頭にはつぎのような抽斎の述志 の詩が掲げられている
三十七年如一瞬 三 十七年、一瞬の如し
学医伝業薄才伸 学 医の業を伝えるに薄才の伸びるをもってす
栄枯窮達任天命 栄
枯窮達は天命に任(まか)す
安楽換銭不患貧 安 楽をもって銭に換え貧を患(うれ)うることなし
「抽斎は内(うち)徳義を蓄へ、外(ほか)誘惑
を郤(しりぞ)け、恒(つね)に己の地位に安んじて、時の到るのを郤待ってゐいた」しかも抽斎は鴎外と同じく「医者であった。そして官吏であった。そして
経書や諸子のような哲学方面の書を読み、歴史も読み、詩文集のやうな文芸方面の書をも読んだ」人である。「かつてわたくしと同じ道を歩き」「其健脚はわた
くしの比ではなかった」この澀江抽斎に鴎外は「畏敬」を捧げ「親愛」を覚える。森鴎外は晩年史伝の考証的研究に没頭して、ついに渋江抽斎に邂逅し、抽斎の
なかに自己を発見して喜びとした。
医者としての鴎外は西洋の医学を全面的に受け入
れることができた。しかし『渋江抽斉』を書いたときの鴎外の心の中は東洋の文化に回帰している。和魂洋才とは云うものの森鴎外における和の基層をなしてい
たのは漢である。それは森鴎外ばかりでなく、幕末から明治にかけての日本人すべてにいえることである。夏目漱石も福沢諭吉もその例外ではない。
『渋江抽斉』は鴎外晩年の長編で、いわゆる史伝も
のに属する。石川淳はこれを鴎外の最高傑作だとしている。ここでは『渋江抽斉』の作品論ではなく、鴎外がどのような日本語を使ってこの晩年の傑作を書いた
か、を検証してみることにしたい。『渋江抽斉』は大正五年一月一三日『東京日日新聞』に森林太郎の名で第一回が掲載された。その冒頭の部分を当日の新聞で
見てみると、まず冒頭の部分は漢詩からはじまる。
三十七年如一瞬。學醫傳業薄才伸。榮枯窮達任天命。安樂換銭不患貧。これは澀江抽齊(ちうさい)の述志の詩で
ある。想ふに天保十
二年の暮に作つた
ものであらう。弘前の城主津軽順承(よりつぐ)の定府の醫官で、當時近習詰に
なつてゐた。
漢字に歯はルビが振ってあるが漢詩にはルビはない。漢詩は次のように読む。「三十七年一瞬の如し。医
を学び業を伝えては薄才伸ぶ。栄枯窮達は天命に任す。安楽貧に換え銭に患えず。」これは渋江抽斉の詩であるが、鴎外は人時代前の弘前藩の典医に自分自身を
見た。抽斉は医者であり、官吏であった。経書や諸子のような哲学の書を読み、歴史を読み、詩文集のような書も読んだ。抽斉は四十年足らずの月日を家業であ
る学医として過ごし、栄達は天命に任せてきた。貧を患えず安楽を得ている、と抽斉はいっている。しかし、鴎外はこの詩のことばのなかに抽斉の諦観をみだし
ているのである。鴎外は続けて書いている。
此詩を瞥見す
れば、抽齊は其貧に安(やす)ん
じて、自家の材能を父祖傳來の醫業の上に施し
て ゐたかとも思はれ
よう。しかし私は抽の不平が
二十八字の底に隱さ
れてあるのを見(み)
ずにはゐられない。、、、老驥櫪に伏すれども、志千里に在りと云ふ意(い)が此中に蔵せられてゐる。
森鴎外は明治の時代を生き、ドイツで西洋医学を
学んだ第一世代の近代人だが、その教養の基礎は漢学にあった。鴎外の作品では漢詩が多く出てくるわけではないが、その日本語表現の底には漢学があり、その
文字使いは四書五経を読んだ人のそれである。
『渋江抽斉』には、当時使われていた外来語もで
てくる。煙草・烟草(タバコ)、煙管(キセル)、莫大小(メリヤス)、虎列拉(コレラ)、加答児(カタル)などである。キセルはカンボジア語に由来すると
いわれている。しかし、鴎外の日本語が現代の日本人にとって読みにくいのは外来語が多いからでも、漢語が多いからでもない。『渋江抽斉』の一部を読んでみ ることにする。
わたくしは少い時から多読の癖があって、随分多く書を買う。わたくしの俸銭の大部分
は内地の書肆と、ベルリン、パリイの書估との手に入ってしまう。しかしわたくしはか
つて珍本を求めたことがない。或る時ドイツのバルテルスの『文学史』の序を読むと、
バルテルスが多くの書を読もうとして、廉価の本を渉猟し、『文学史』に引用した諸家の
書も、大抵レクラム版の書に過ぎないといってあった。わたくしはこれを読んで私かに
殊域同嗜の人を獲たと思った。(その二)
(ダイブブン)、内地(ナイチ)、書肆(ショ シ)、書估(ショコ)、珍本(チンポン)、
学史(ブンガクシ)、序(ジョ)、廉価(レン カ)、本(ホン)、渉猟(ショウリョウ)す
る、引用(インヨウ)する、諸家(ショカ)、大 抵(タイテイ)、版(ハン)、殊域(シュ
イキ)、同嗜(ドウシ)、
【訓読漢字】少(わか)い、時(とき)、癖(く
せ)、多(おお)く、買(か)う、手(て)
入(い)る、求(もと)める、或(あ)る、読 (よ)む、過(す)ぎない、私(ひそか
に、人(ひと)、獲(え)る、思(おも)う、
いて、勢(いきおい)集団教育の法に従(したが)わざるを得(え)ない。そしてその
弊を拯(すく)うには、ただ個人教授の法を参取する一途があるのみである。是(ここ)
において世(よ)には往々昔(むかし)の儒者の家塾を夢(ゆめ)みるものがある。然
(しか)るにいわゆる芸人ひ名取(なとり)の制があって、今(いま)なお牢守せら
ていることには想(おも)い及(およ)ぶものが鮮(すくな)い。(その百十八)
前の例文では「おもう」に「思う」があてられて
いたが、この文章では「想(おも)う」が当てられている。訓は漢字の意味に相当する日本語をあてるわけだから、同じ日本語にいくつかの漢字が当てられるこ とが多い。
かす、鬆(ゆる)める、喪(うしな)う、纏(まと)う、翫(もてあそ)ぶ、儆(いま
しめ)る、遽(にわか)に、纔(わずか)に、聊(いささ)か、肆(ほしいまま)、輒(た
やすく)、闌(たけなわ)、
駐留、継続、教誨、看視、知識、過誤、譴責、困苦、依拠、捕捉、謀議、窮極、娯楽、
これらの漢字に対応する訓は同じである。
聴聞(きく)、怨恨(うらむ)、覚醒(さめる)、遭遇(あう)、墜落(おちる)、断絶(た
つ)、停止(とどめる)、駐留(とどめる)、継続(つぐ)、教誨(おしえる)、看視(みる)、
知識(しる)、過誤(あやまち)、譴責(せめる)、困苦(くるしむ)、依拠(よる)、捕捉
(とらえる)、謀議(はかる)、窮極(きわめる)、娯楽(たのしむ)、
漢字を使って表記しているからといって中国語を 表記しているのではなく、日本語を表記しているのだから「見る」あるいは「みる」と表記すればすむのではなかろうか。しかし、幼少のころから漢学を通じて 漢字の世界に親しんできた鴎外にとっては別の見方があったに違いない。漢字を使っている限り、その漢字の用法は漢字の本場である中国のそれに限りなく近い ものでなければならない。そこで、まず漢字で文章を構成する。そしてその漢字に日本語をあてはめていく、ということが行われていたのではないか。漢字の意 味が先にあって、それに日本語をあてはめていく。だから、日本語の読み方、訓は漢字の翻訳になる。
ことのり)、魁(さきがけ)、媒(なこうど・なかだち)、杯(さかずき)、諱(いみな)、
堆(うずたか) く、幼(いとけな)い、慮(おもんばか)る、顧(かえりみ)る、覆
(くつがえ)る、 抛(なげう)つ、指(ゆびさ)す、挟(さ
しはさ)む、
先(さ
きだ)つ、
媒人(なこうど)、草鞋(わらじ)、足袋(たび)、石灰(しっくい)、土器(かわらけ)、
記念(かたみ)、揶揄(からかう)、可笑(おか)しい、所以(ゆえん)、就中(な
かんずく)、
菜蔬は最も莱菔(だいこん)を好んだ。生で食うときは大根(だいこん)おろしにし、
烹て食うときはふろふきにした。(その六十二)
「魚」は魚(うお)に、「肴」は肴(さかな)に 用いられているらしい。「幼」は「幼(いとけな)い」に用いられ「穉」が「穉(おさない)」に用いられている。煙草を「のむ」ときは「喫(の)む」が使わ れている。しかし、同じ文脈のなかで同じ文字を使うのを避けている場合もしばしばみられる。
に掛かると、仙台藩の哨兵線に出合った。銃を擬した兵卒が左右二十人ずつ轎(かご)
を挟んで、一つ一つ戸を開けさせて誰何する。(その八十一)
常に弊衣を著(き)ている竹逕が、その頃から絹布を被(き)るようになった。(その九
十一)
あった。(その百十五)
の述志の詩である。想ふに天保十二年の暮に作つたものであらう。弘前の城主津軽順承
の定府の醫官で、當時近習詰になつてゐた。
ゐたかとも思はれよう。しかし私は抽齊の不平が二十八字の底に隱されてあるのを見
ずにはゐられない。、、、老驥櫪に伏すれども、志千里に在りと云ふ意が此中に蔵せられ
てゐる。
【音読字】年、一瞬、医、業、薄才、栄枯、窮達、天命、安楽、抽斉、述志、詩、天保
十二年、城主、定府、医官、当時、近習、瞥見、貧、自家、材能、父祖、伝来、医業、
不平、二十八字、老驥、櫪、千里、蔵、
【訓読字】如(ごと)し、学(まな)ぶ、伝(つた)える、伸(の)ばす、任(まか)
す、貧(まず)しい、銭(ぜに)、換(か)える、患(わずら)う、不・ず、生(い)か
す、渋江(しぶえ)、心(こころ)、述(の)べる、想(おも)う、暮(くれ)、作(つく)
る、弘前(ひろさき)、津軽(つがる)、順承(ゆきつぐ)、詰(つ)める、此(この)、
其(それ)、安(やす)んじる、上(うえ)、施(ほどこ)す、思(おも)う、私(わたく
し)、底(そこ)、隠(かく)れる、見(み)る、馬(うま)小屋(こや)、伏(ふ)す、
志(こころざし)、在(あ)り、云(い)う、中(なか)、
【その他】三十(サンジュウ)七(なな)年(ネン)、
てきた。栄枯窮達は天命に任せ。貧しさに患わされるのともなく安楽を得ている。これ
は渋江抽斉が心のうちを述べた詩である。思うに天保十二年の暮に作ったものであろう。
弘前の城主である津軽順承の定府の医者で、当時は近習詰めになっていた。
の上に施していたかと思われよう。しかし私は抽斉の不平が二十八字の底に隠されてあ
るのを見ずにはいられない。、、、老いた馬は馬小屋に伏すけれども、志は千里にあり、と
いう気持ちがこの中に込められている。
名詞や動詞など意味をになう単語をすべて漢字で
表記しようとしても、常用漢字だけでは足りない。しかし、明治時代の日本語である鴎外や漱石の文章を常用漢字で表記しようとすれば、それは不可能とはいえ
ない。むしろ問題は漢字の数よりも、訓読みの漢字をど のように用いて日本語を表記するかにあるのではなかろうか。
つまり、「生える、
生やす」のときは「生(は)」、「生まれる、生む」 のときは「生(う)」、「生(ショウ)じる」のときは「生(ショウ)」と読む。送り仮名のない時は「生(なま)」
または「生(き)」となる。つまり現代の日本語の表記は「書いてある順番」では読めない。活用語尾をまず確認して、その後に漢字にもどって、その読み方を
決めるという、極めて変則的な表記法になっているということである。
中国語を表記するために発明された漢字を使っ て、日本語をどのように表記するかという万葉集の時代からの課題はまだ完全に解決されたわけではない。
[古代日本語語源字典]
第160話 古代日本語語源字典序
第161話 古代日本語語源字典 索引
第162話 あ・われ(我)の語源
第163話 いか(如何)の語源
第164話 うぐひす(鶯)の語源
第165話 おく(奥)の語源
第166話 かがみ(鏡・鑑)の語源
第167話 かた(肩)の語源
第168話 かみ(神)の語源
第169話 き(黄)の語源
第170話 くがね(黄金)の語源
第171話 くも(雲)の語源
第172話 けふ(今日)の語源
第173話 こめ(米)の語源
第174話 さす(紗)の語源
第175話 さけ(酒)の語源
第176話 さやけし(清)の語源
第177話 しづか(静)の語源
第178話 しむ・そむ(染)の語源
第179話 すごろく(双六)の語源
第180話 せき(関)の語源
第181話 た(田)の語源
第182話 たて(楯・盾)の語源
第183話 ちり(塵)の語源
第184話 つどふ(集)の語源
第185話 とき(時)の語源
第186話 とら(虎)の語源
第187話 な(汝)の語源
第188話 なみ(浪)の語源
第189話 ぬれる(濡)の語源
第190話 は(歯)の語源
第191話 はな(花)の語源
第192話 ひ(火)の語源
第193話 ふさぐ(塞)の語源
第194話 へび(蟠)の語源
第195話 ほとけ(仏)の語源
第196話 ま・め(目)の語源
第197話 まふ(舞)の語源
第198話 みなもと(源)の語源
第199話 むぎ(麦)の語源
第200話 めぐる(廻)の語源
第201話 や(矢)の語源
第201話 ゆふ(夕)の語源
第203話 りきし(力士)の語源
第204話 わに(鰐)の語源
第205話 古代日本語と中国語(子音編)
第206話 古代日本語と中国語(母音編)
[源氏物語を読む]
かなの発明によって
日本語は日本語独自の文字体系を持つようになった。
「源氏物語」は仮名文字の発明によって生まれた文学である。
かなの発明によって日本語はどう変わったか。
『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』はいずれも漢字だけで綴られている。それに対して『源氏物語』はかな文字で書かれている。漢字は中国語を表記するために
発明されたものであり、漢字だけをもって日本語を表記するためには音、訓などさまざまな手法が駆使される必要があった。
これに対して、かな文字は日本語の音節に対応したものであり、中 国語にはなく、日本語にある用言の活用や助詞、助動詞などを書き表すことができる。
『源氏物語』の
作者は紫式部、成立の年代は、正確にはわからないが11世紀の初めとされている。紫式部自筆の源氏物語が存在しているわけではない。当時は印刷技術があっ
たわけでもなく、本は書写されたため、同じ源氏物語といっても諸本があり、本文にも異同がある。これらの異本を本格的に校訂したのは鎌倉時代に入ってから である。
現在、底本としてよく使われているのは青表紙本と
呼ばれるもので、藤原定家の手が加わっているといわれる。現在は宮内庁書陵部蔵になっているが、複写した本が出版されているほか、国会図書館などではパソコ
ンで閲覧することができる。
原文はほとんど がひらがなで漢字が一部交っている。我々が高校などで習う『源氏物語』は実は現代の読者にも解読できるように、漢字仮名交り文に書き換えられたものであ り、原文には句読点もなく、濁点ない。そればかりか、引用文の「○○」も表示されていないから、そのままでは素人には解読が困難である。有名な桐壺の巻の冒頭部分を青表紙本で見てみるとつぎのようになる。
ら怒可すくれ天と記めき多まふあり介りハしめより王連盤と於もひ阿可里給へる御可
多ゞゝ免さ満しき物尓おとしめ曾弥ミ多まふ於奈し程それより下らふの更衣堂ちハまし
てや寿可ら須
御とき、女御、更
衣、給ふ、御かた、物、程、下らう、
○
日本語の音としての漢字の使用
徒(つ)、乃
(の)、記(き)、尓(に)、可(か)、多(た)、介(け)、奈(な)、
怒(ぬ)、於(お)、阿(あ)、里(り)曾(そ)、弥(ね)、寿(す)、須 (す)、
○ 漢字音の韻尾が脱落したもの
連(れ)、盤
(は)、安(あ)、天(て)、王(わ)、免(め)、満(ま)、堂(た)、
○
濁音が表記にあらわれていないもの
いつ(徒)
れ、さふらふ、やむことなき、あらぬか(可)、 すくれて、ハしめより、
あ(阿)か(可)
り、おなし、やすからす(須)、
○ カタカナ表記
ハ、ミ、
(1) 日本語は開音節で、それぞれの音節は母音で終わる
ため、漢字の韻尾は省略してかな
としてつかわれているものが多い。
(2) 濁音に清音の漢字が使われている。古代日本語では
語頭に濁音がくることはなかった。
同じ漢字でも、語頭では清音として読み、語中・語尾 では濁音で読む。古代日本語の濁音と清
音は、いわば相補分布していたので、同じ漢字が使われていても、語頭にあれば清音、語中・
語尾では濁音に読むという規則があったので、清濁を読み分けることができた。
(3) 現在の文字体系でいう「ひらがな」と「かたかな」
は完全には区別されていなかった。
「ハ」は「八」の仮名であり、「ミ」は「三」の仮 名であり、ひらがなにも、かたかなにも使わ れた。
『源氏物語』はひらがなで書いてあるとはいえ、青 表紙本の原本をみると、ひらがなの元となった漢字の原型が、かなり残されている。「ひらがな」は日本語を表記するための新しい文字体系である。しかし、漢字を知っている人なら誰でも読むことができた。「ひらがな」は漢字の草書体から発生したものだからである。
現在ひらがなとして使われている文字は決まってい るが、この時代にはさまざまな漢字の草書体が用いられていて、一音一字にきまっているわけではない。
野、乃、廼、農、濃)、と(登、東、度、砥、土、斗)、き(起、幾、喜、支、木、貴、
期、記、季)、に(爾、丹、耳、仁、児、而、尼)、か(可、加、嘉、閑、賀、家、香、
佳)、
いわゆる変体仮名を現代使われているような「ひ らがな」で表記してみると、源氏物語の原文はつぎのようになる。
らぬかすくれてときめきたまふありけりハしめよりわれはとおもひあかり給へる御かた
ゝゝめさましき物におとしめそねミたまふおなし程それより下らふの更衣たちハまして
やすからす
山岸徳平校注の日本古典文学大系では次のように表 記している。ルビは( )で示した。
となき際(きは)にはあらぬが、すぐれて時(とき)めき給(たま)ふ、ありけり。
はじめより、「われは」と、思(おも)ひあがり給へる御かたゝゞ、めざましき者におと
しめそねみたまふ。
おなじ程、それより下�瓠覆欧蕕奸砲旅弘瓩燭舛蓮△泙靴董�安(やす)からず。
日本語の「みなもと」は「水の原(もと)」である。「水」は「源」の「氵」である。水(みず)の語源は朝鮮語の(mul) と同源である。「原」の古代中国語音は原[ngiuan] である。疑母[ng-]
は古代日本語ではマ行であらわれるものが多い。韻尾の[-n
] は入声音[-n
] の転移したものであり、「原」の祖語は原[muat]
であると考えられる。中国語の疑母[ng-] が日本語でマ行であらわれる例としてはつぎのよう
なものがある。
詣[ngyei] もうでる、迎[ngyang] むかえる、
「物語」の古代中国語音は物[miuət]、語[ngia]である。白川静の『字通』によると語[ngia]は言[nagian]と双声である、という。してみると、源氏物語の物
語もまた古代中国語の「物言」に依拠した倭音である可能性がある。物[miuət]の韻尾の[-t]は[-n]と調音の位置が同じであり、転移しやすい。物(もの)は物[miuət] と同源である。語[ngia]は言[ngian]に近い。言[ngian] の韻尾の[-n]は[-t]と調音の位置が同じであり、訓は言(こと)である。日本語の「物語」は中国語と音義ともに近く、同源である。
○ 下らふ(下�瓠�
「下らふ」の「らふ」はひらがなで書かれているが、漢字で書けば「下�瓠廚任△襦�「�瓠廚慮殿綯羚餮豌擦���[liap] あるいは��[lap]
である。「下�瓠廚髻峅爾蕕奸廚判颪い真佑蓮�中国語の「�瓠廚留と�が[-p] であることを知っていた。つまり中国語音についても深い知識をもっていた、ということになる。
『源氏物語』は原文のままでは意味が分からない部分が多いので、 現代語訳というものがいくつか出て、かなりよく読まれている。これを『源氏物語』の原文と対比してみると、日本語の変遷、あるいは日本語の表記の変化がよ く分かる。
与 謝野晶子の『新訳源氏物語』の初版は明治45年から大正2年にかけて上・中・下巻にわけて出版されて、非常な評判を呼んだ。初版は全訳というよりも意訳で あり、省略も多くあったという。いわゆる与謝野源氏は全訳ではない。また各章のはじめに与謝野晶子自身の歌などが入っている。
昭和13年になると『新訳源氏物語』を改訳して 『新新訳源氏物語』を出している。この新新訳では冒頭の「天皇」のところが伏せ字になっているという。戦争に向かう時代の雰囲気を反映しているといえるだ ろう。
る後宮(こうきゅう)がおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深い御愛寵(あ
いちょう)を得ている人があった。
最初から自分こそはという自信と、親兄弟の勢力に恃(たの)む所があって宮中にはいった
女御たちからは失敬な女としてねたまれた。
その人と同等、もしくはそれより地位の低い更衣たちはまして嫉妬(しっと)の焔(ほ
のお)を燃やさないわけもなかった。
与 謝野晶子と同じ頃、谷崎潤一郎もまた『源氏物語』の翻訳をはじめていた。谷崎は結局3回源氏物語を翻訳している。谷崎は原文の余情を重視し、「原文と対照 して読むためのものではない」としている。ここに引用したのは昭和48年の中公文庫版であり、谷崎の新々訳源氏物語をもとにしている。
い)が大勢伺候(しこう)していました中に、たいして重い身分ではなくて、誰(だれ)
よりも時めいている方がありました。
最初から自分こそはと思い上っていたおん方々は、心外なことと思って蔑(さげす)んだり嫉 (ねた)んだりします。その人と同じくらいの身分、またはそれより低い地位の更衣たちは、
まして気が気ではありません。
谷崎は途中からは口述で訳業をすすめている。その 間の事情は『高血圧症の思ひ出』に、次のように記されている。
て、どうしても秘書を雇ふ必要を感じ、四五人の人を試みた後に、京都の古い呉服屋で
旧家の一人娘である伊吹和子氏に五月中旬からから来て貰うことにきめた。この人は京
都大学に通ふかたはら、澤瀉(おもだか)博士の門に入つて万葉を研究してゐるので、
源氏の翻訳の手伝ひをするには申し分なかった」
たので、こちらからは先生を、右に見上げる格好になる。
私は、かねて渡されていた硯に朱墨を磨り、筆記用の写経筆を持って身構えた。
先生は、机の上に何種類かの注釈書や参考書を披げ、件(くだん)の旧訳本を見ながら、
一心に想を練って、口の中で何度もつぶやいてから、一くぎりずつ、ぽつり、ぽつりと
口述される。
私はそれを、言われた通りに書き込んでいった。
瀬戸内寂聴の現代語訳『源氏物語』は1996年 (平成10年)に刊行されている。瀬戸内も2002年に新装版をだしている。瀬戸内源氏は原文ものもつ雰囲気は伝えながらも、現代の読者が注釈なして現代 文として読みとおせるように、独自の文体で書かれている。
にぎ)しくお仕えしておりました帝(みかど)の後宮(こうきゅう)に、それほど高貴
な家柄の御出身ではないのに、帝に誰よりも愛されて、はなばなしく優遇されていらっ
しゃる更衣がありました。
はじめから、自分こそは君寵(くんちょう)第一にとうぬぼれておられた女御たちは心
外で腹立たしく、この更衣をたいそう軽蔑したり嫉妬(しっと)したりしています。
まして更衣と同じほどの身分か、それより低い地位の更衣たちは、気持ちのおさまりよう
がありません。
内容は光源氏と呼ばれる、稀に見る美貌の持ち主 で、文武両道にすぐれた皇子が主人公である。平安時代の宮廷を背景に、人並以上に好色な主人公の女遍歴が描かれていく。
物語としての魅力はもちろんのこと、紫式部が宮仕 えしていた一条天皇の宮廷の様子や、当時の日本語がどのようなものであったかも分かり、興味がつきない。
源氏物語冒頭に据えられた桐壺の巻は、光源氏の 父
桐壺帝の物語である。桐壺帝は多くの美女を後宮に擁しながら、あまり身分の高くない桐壺の更衣をこよなく寵愛する。その寵愛は他の妃たちの嫉妬をあおり、
ついに心身ともに衰弱して死んでゆく。
後には三歳の皇子が残された。帝は母を失った皇子を宮中に引き取り、更衣の形見として育てる。それが光源氏である。
仮名の発明によって、はじめて日本語が表音文字 で書写
できるようになったともいえる。『源氏物語』は物語文学のひとつの頂点であると同時に、当時の日本語の姿を写したものとして、かけがえのないモニュメント で もある。
ここからは、源氏物語を通して平安時代の日本語 の
姿を復元してみることにしたい。日本古典文学大系の表記によって原本の表記にできるだけ近い形に復元を試みることにする。
「いづれの御(おほん)とき(時)にか。」と表記 されているものは、原本では「いづれの御ときにか」と( )なしで表記されているものとする。
また、源氏物語
の本文の雰囲気を伝える現代文として、参考までに谷崎源氏を合わせて引用させてもらった。谷崎源氏は谷崎潤一郎自身が序文で述べているとおり「原文と対照
して読むためのものではない」としているが、紫式部が現代に生きていたら、これに近い日本文になったのではないかという思いから、日本語の変遷のひとつの 例証とし
て読んでみたい。
1.きりつぼ【日本古典文学大系】
桐壺は源氏の父である。源氏は桐壺帝の妃である藤 壺への、密かな恋心などが描かれている。
いづれの御時(とき)にか。女御・更衣、あまたさぶらひ給ひけるなかに、
いと、やむごとなき際(きは)にはあらぬが、すぐれて時(とき)めき給(たま)ふ、
ありけり。
はじめより、「われは」と、思(おも)ひあがり給へる御かたがた、めざましき者に、お
としめそねみたまふ。
おなじ程、それより下�瓠覆蕕奸砲旅弘瓩燭舛蓮△泙靴董△笋后憤臓砲�らず。
『源氏物語』の原文はほとんどひらがなで書かれ て
いるが、漢語や漢語起源のことば(倭音)が交っていないわけではない。『源氏物語』は弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代など長い間の中国大陸、ある
いは朝鮮半島との交流の歴史の痕跡をその日本語のなかに留めている。
漢語と漢語起源のことば
桐壺の巻の日本語 を解剖してみると、概ね次の3種
類に分かれる。
○ 漢語(漢音・呉音):女御(にようご)・更衣(かうい)、下らふ (�瓠法�
○ 漢語起源のことば:
御(おほん・おん)、とき(時)、われ(我)、お も(思)ひ、者(もの)、
○ 訓(やまとことば): 給(たま)ひける、きは(際)、程(ほど)、やす(安)
い、
ここでは、一般に「やまとことば」と考えられて い ることばのなかで、倭音(漢語起源のことば)について考えてみたい。
○
御(お・おん・おほん・み・ゴ・ギョ)
「御とき」は通常「おほんとき」と読まれている。「女御」は「にようご」であり、「御かたがた」は漢字で書いてあるが「おんかたがた」である。
源氏物語には「御息所」と書いて「みやすどころ」と読ませるところもある。また、つぎのような例もみられる。
「御(お)しのび」、「御(お)もてなし」、「御(おん)身」、「御(おん)前」、
「御(み)心」、「御(み)くだり」、
王力の『同源字典』によれば、「御」の古代中国 語 音は御[ngia] である。疑母[ng-] は後口蓋で発せられる音である。疑母[ng-] は[m-] と
同じく鼻音でありり、マ行であらわれることがある。
また、中国語の疑母[ng-] が、日本語でナ行であらわれ
る例もいくつかある。ナ行は調音の方法がマ行と同じ鼻音であり、調音の位置も近いので転移したものである。
例:御[ngia]
み、雅[ngea]美・みやび、芽[ngea] め、眼[ngean] め、元[ngiuan] もと、
護[ngo] まもる、迎[ngyang]
むかえる、詣[ngyei] もうでる、
訛[nguai] なまり、偽[ngiuai] にせ、額[ngeak] ぬか、願[ngiuan] ねがう、
一方、疑 母[ng-] は鼻濁音である。古代の日本語では濁音が語頭に立つことがなかったので、中国語の御[ngia] は頭音[ng-]
が脱落して御(お・おん)となった。朝鮮語音は御(eo)であり、倭音の「お」「おん」は朝鮮語音に近い。
漢和字典を引いてみると、「御」はゴ(呉音)、
ギョ(漢 音)とある。漢音の御(ギョ)は唐代に発達した中国語の介音[-i-] を反映したものである。
結論として御(み)は日本漢字音(呉音・漢音)成 立以前の中国語音に依拠した音である。
○ 時(とき)
日
本古典文学大系の『源氏物語』では、「とき」はひらがなで表記されている。漢和字典を引くと「時」は呉音・時(ジ)、漢音・時(シ)となっている。また、訓は時(とき)とされている。王力の『同源字典』によれば、古代中国語
音は時[zjiə] である。
声符の「寺」には、特
(トク)、寺(ジ・てら)、時(ジ・とき)などの読みがある。これらの漢字は、ある時、あるところで同じ発音を共有していたものと考えられる。もし、「時」に特[dək]と同じ音価をもった時代があったとすれば、日本語
の「とき」は中国語の古代音時[dək] を継承していると考えることができる。「とき」は中国語の「時」と同源であり、時(とき)の祖語は中国語の「時」である。
○ 我(われ)
「われ」はひらがな表記であるが、日本語の「われ」は中国語の「我」あるいは「吾」であろう。「我」「吾」の古代中国語音は我[ngai]、吾[nga]である。日本漢字
音は我(ガ)、吾(呉音・グ、漢音・ゴ)とされているが、中国語音では正確には鼻濁音であり、我(カ゜)、吾(コ゜)である。
我(カ゜)、吾(コ゜)と「われ」とは 一見関係なさそうにみえるが、中国語の疑母 [ng-] は鼻音であり、[m-]
と調音の方法が同じである。また、「われ」の「わ」は合口音であり、[m-] に近い。両方とも両唇を閉じ
る、あるいはすぼめるという点で調音の方法はきわめて似ている。調音の方法が似ている音は、聴覚印象も近い。
古代日本語では鼻濁音が語頭に来ることがなかった
ので、我[ngai]、吾[nga]は倭音では語頭の[ng-]が脱落して、「あ」「あれ」になり、一方[ng-]は鼻音から合口音に転移して「わ」に転移した。古代日本語の「あ」「あが」「あれ」、「わ」「わが」「われ」は、中国語の「我」と意味は同じであり、音も近い。
中国語音の[ng-]が日本語でマ行に転移した例は多い。
例:御[ngia](ゴ・み)、眼[ngean](ガン・め)、元[ngiuan](ゲン・もと)、
芽[ngea](ガ・め)、迎[ngyang](ゲイ・むかえる)、
源氏物語の時代には一人称をあらわすことばに「まろ」がある。
漢字では「麻呂」「麿」「丸」などと書き、奈良時代には多く男性に使われた。平安時代には男女ともに自称として使われるようになったが、「まろ」も中国語
の我[ngai]、吾[nga] と関係のあることばであろう。
○「物」「者」
源氏物語の底本では「物」が使われているが、「日本古典文学大系」では「者」になおしている。
現在では人間には「者」が使われ、物品には「物」が使われているが、『源氏物語』の底本には「物」とある。物(もの)は中国語起源のことばであり、古代中
国語音の物[miuət] に依拠している。
者(もの)は借訓である。古代中国語では人間には「者」、それ以外のものには「物」を用いたのに対して、古
代日本語では人間にも物にも同じ「もの」をもちいていたようである。
参照:第207話 ひらがなの発明
谷崎 潤一郎訳『源氏物語〜桐壺〜』
谷崎潤一郎はこの部分を、現代の日本語として次のように訳している。ルビは( )で示した。
何という帝(みかど)の御代(みよ)のことでしたか、女御(にょうご)や更衣(こう
い)が大勢伺候(しこう)していました中に、たいして重い身分ではなくて、誰(だれ)
よりも時めいている方がありました。
最初から自分こそはと思い上がっていたおん方々は、心外なことに思って蔑(さげす)
んだり嫉(ねた)んだりします。
その人と同じくらいの身分、またはそれより低い地位の更衣たちは、まして気が気では
ありません。
2.長恨歌〜きりつぼ〜【日本古典文学大系】
長恨歌は玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋を題材にした詩 で、その絵に添えてある伊勢や紀貫之の和歌などとか漢詩でも、恋人との死別の悲しみを歌ったものが多い。
このごろ、あけくれ御覧ずる長恨歌の、御繪(ゑ)、亭子院の書(か)かせ給ひて、伊勢・
貫之(つらゆき)に詠(よ)ませ給へる、やまとことの葉をも、唐土(もろこし)の歌
をも、たゞ、そのすぢをぞ、枕(まくら)ごとに、せさせ給ふ。いと、こまやかに、あ
りさまを問(と)はせたまふ。あはれなりつる事、忍(しの)びやかに奏(そう)す。
漢語起源のことば
「長恨歌」、
「亭子院」などの名詞だけでなく、「御覧ずる」、「そう(奏)す」などの動詞にも漢語が使われている。源氏物語はひらがなで書かれてはいるが、「やまとこ
とば」だけの文学ではない。律令制国家成立以降の日本にとって、漢語は政治にも宮廷生活にとっても不可欠なものになっていた。『源氏物語』が書かれた時代の
宮廷では和歌や漢詩が読まれていた。
○ 漢語(漢音・呉音):御覧ずる、長恨歌、亭子院、伊勢、そう(奏)す、
○
漢語起源のことば(倭音):ゑ(繪)、か (書)く、よ(詠)む、葉(は)、
○ 訓(やまとことば):給ふ、もろこし(唐土)、うた(歌)、つらゆき(貫之)、
まくら(枕)、
と(問)ふ、事(こと)、しの(忍)ぶ、
○ 繪(ゑ)
「絵」は呉音が絵(ヱ)、漢音が絵(カイ)である。呉音と漢音の間にかなりの乖離がある。「絵」の古代中国語音は絵[huat/huai]である。中国語の[h-]は喉音であり、日本語にはない音である。同じ声符
を持つ「会」も会[huat/huai](呉音ヱ・漢音カイ)であり、会釈(エシャク)、
法会(ホウエ)などと読む。呉音系、あるいは仏教系の用語では会(ヱ)である。。
例:回[huəi](呉音・ヱ、漢音・カイ)、恵[hiuei](呉音・ヱ、漢音・ケイ)、
壊[hoəi](呉音・ヱ、漢音・カイ)、
これらの漢字は呉音では回向(エコウ)、壊疽(エソ)な どと読まれる。中国語の喉音は呉音で失われているが、日本語で訓
とされている漢字の読み方のなかにも倭音の痕跡を留めているものがいくつか見られる。
例:合[həp](音・
ゴウ、訓・あふ)、 恨[hən](音・ コン、訓・うらむ)、
穴[hyet](音・ ケツ、訓・あな)、 荒[huang](音・ コウ、訓・あれる)、
行[heang](音・ コウ、訓・ゆく)、横[hoang](呉 音・オウ、漢音・コウ、訓・よこ)、
「回」では呉音で喉音[h-]
が失われているのに対して「合」では訓では喉音[h-]
は失われているが、音ではカ行であらわれている。これを「横」について時系列で並べてみると次のようになるのではあるまいか。
横[hoang]:訓(横・よこ)→呉音(横・オウ)→漢音(横・コウ)、
喉音[h-]
は音ではカ行であらわれないかというと、そうでもない。同じ声符をもった「或」について調べてみると次のようになる。
或[hiuək]:訓(或・ある)→音(或・ワク)、
域[hiuək]: 音(域・イキ)、
國[hiuək]: 音(國・コク)
喉音[h-]
がカ行で読まれるようになったのは、ある時期に一斉に起こったことではなく、同じ声符をもった漢字でもカ行で読まれるもの、ア・ヤ・ワ行で読まれるものなどがある。例えば、和[huai]の日本漢字音は和(ワ)であるが、同じ声符をもつ
「禾」は禾本科植物などでは禾(カ)と読まれる。また、黄[huang]は黄(呉音・オウ、漢音・コウ)であるが訓は黄 (き)とカ行音を留めている。
漢字は象形文字であり、読み方が変わっても文字の 形はもとのままの姿を留めることが多いので、漢字の読み方がいつ変化したか、つきと めることは困難でる。
○ 書(か)く
長恨歌の場合、絵をもとに歌を書かせたので「かく」が用いられている。現代では書であれば「書」、絵であれば「描」の文字を用いる。日本語の「かく」の語源は画[hoek]であろう。
○ 詠(よ)む、
「よ(詠)む」は現代では「読」が常用されているが、語源的には詠[hyugang]、あるいは誦[ziong]であろう。詠[hyuang]の朝鮮語音は詠(yeong)であり、日本語の詠(よむ)は朝鮮語音に近い。誦[ziong]
の声符は甬[jiong] であり、「誦」も誦[jiong] のような発音があった可能性がある。
○ 葉(は)
「葉(は)」の古代中国語語は葉[jiap]である。日本語の「葉(は)」は中国語の葉[jiap] の韻尾が音節として独立したものであろう。
谷崎
潤一郎訳『源氏物語』〜桐壺〜
谷崎潤一郎訳の現代日本語ではつぎのように読み下 されている。
近頃は、明け暮れ亭子院(ていじのいん)がお書かせになった長恨歌(ちょうごんか)の
絵をご覧になり、その絵に添えてある伊勢や貫之(つらゆき)の和歌だとか、または漢
詩(からうた)だとか、そういう筋のことばかりを語り草にしていらっしゃいます。
やがて命婦をお近づけになって、様子を細々(こまごま)とお尋ねになります。命婦は哀れであっ
たことどもを忍びやかに申しあげます。
現
代の日本語では漢字をかなり使った方が読みやすい。それは、日本語には単語と単語の間を分けて書く、分かち書きが行われておらず、ひらがなだけで書くと単
語の分かれ目がわからなくなってしまうからであろう。漢字は単語の分かれ目、特に語幹の部分を際立たせる役割をになっている。
時
は過ぎて、「帚木」では源氏は近衛の中将になっている。美貌の源氏は宮中のプレーボーイである。長い五月雨(さみだれ)の一夜、宮中に物忌みのため籠もっ
ている源氏のところに、頭(とう)の中将、左馬(さま)の頭(かみ)、藤式部の丞(じょう)の三人が集まり、女の品定めが始まる。三人ともいずれ劣らぬ好 色者である。
はゝきゞ【日本古典文学大系】
光源氏、名(な)のみことごとしう、言(い)ひ消(け)たれたまふ咎(とが)おほか
なるに、「いとゞ、かゝるすきごとゞもを、末(すゑ)の世にも聞(き)きつたへて、か
ろびたる名をや流(なが)さむ」と、忍(しの)び給ひけるかくろへごとをさへ、語(かた)
りつたへけん、人の物言(い)ひさがなさよ。
さるは、いといたく世をはゞかり、まめだち給ひけるほど、なよびかに、をかしきこと
はなくて、交野(たかの)の少将には、笑(わら)はれ給ひけんかし。
まず、表題の「はゝきゞ」から検討してみることに する。
○ 帚(ははき)
「帚木」と書いて帚木(ははきぎ)と読む。「帚」の古代中国語音は帚[tjiu]
であり、日本語の「ははき」とは関係がない。しかし、同じ声符をもつ「婦」の古代中国語音は婦[biuə]であり、「ははき」
の「はは」は中国語の婦[biuə]と関係がある可能性がある。
古代日本語には濁音で
はじまる音節はなかったので、清音「は」を重ねて転写したものであろう。白川静の『字通』によれば、「婦[biuə]は母[mə]と声近く、両者は関連する語であろう」としてい
る。「母」も日本語では「はは」である。
『風土記』では伯耆大山の伯耆も伯耆(ははき)と
読むことになっている。源氏物語でも拍子は拍子(はうし)、格子(かうし)と、ルビが振られている例がある。『岩波古語辞典』では「ははき[帚]羽掃キあるいは葉掃キか」としている。伯耆(ははき)の場合は、「伯耆」の伯[peak]を「はは」としたものであろう。「帚木」の場合
は、「帚」の古代中国語音に婦[biuə]のような音があり、それが転移して「はゝき」に なったのであろうか。
参照:第224話・つづ(續)ける。
漢語 起源のことば
これまで『日本
語千夜一話』では『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』など、漢字だけで書かれた日本語をあつかってきた。『源氏物語』は基本的に「かな」で書かれた日本語であ
る。しかし、『源氏物語』の日本語のなかにも、日本が本格的文字時代に入る前、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、など律令制国家誕生以前に、中国語などから借
用したとみられる漢語起源のことばが数多く含まれている。この章に引用した『源氏物語』の日本語を三つに分類することができる。
1.漢語、
2.漢語起源のことばであるが「やまとことば」として定着したもの、
3.日本古来のことば、
○ 少将
源氏物語の時代、宮廷では漢語が多く使われていた。さまざまな官位、官職は漢語である。
少将、中将、大将、右大臣(うだいじん)、左大
臣(さだいじん)、右近(うこん)、
左近(さこん)、左右大辦(だいべん)、民部(みんぶ)、式部(しきぶ)、東宮(とうぐう)、
中宮、齊宮、勅使(ちよくし)、按察(あぜち)使、女房(にようばう)、女御(にょうご)、
更(かうい)、下�瓠覆欧蕕Α法⊂纛瓠覆犬笋Δ蕕Α法¬辛悄覆澆笋Δ屐法⊇ね�職(すりしき)、 文章博士(もんざうはかせ)、正三位(じやうさんみ)、
宮中の役所も漢語である。右近(うこん)、左近 (さこん)などの官名も右近衛府、左衛府の役人の呼称である。源氏物語には、内裏の役所などがいくつも登場する。
弘徽殿(こきでん)、承香殿(そきやうでん)、 後涼殿(こうらうでん)、南殿(なでん)、
溫明殿(うんめいでん)、淑景舎(しげいさ)、朱雀院(すざくゐん)、
柳花苑(りうくわゑん)、鴻蘆館(こうろくわん)、
○
漢語(漢音・呉音):光源氏(げ んじ)、少将、
○ 漢語起源(倭音):な(名)、世(よ)、なが(流)す、かた(語) る、物(もの)、
さが(性)、野(の)、
○ 訓(やまとことば):光(ひかる)源氏、い(言)ふ、け(消)す、とが(咎)、すゑ (末)、
き(聞)く、しの(忍)び、給ふ、人、わら(笑)ふ、
○ 名(な)
ここに引用した文章の中だけでも漢字の「名」という表記もあり、ひらがな「な」という表記も使われている。「な」は呉音「ミョウ」・漢音「メイ」・訓「な」
であると漢和字典には書いてある。「名」の古代中国語音は名[mieng] である。中国語の頭音[m] が日本語でナ行であらわれる例である。韻尾の[-ng]
は失われている。
例:苗[miô] なえ、猫[miô] ねこ、鳴[mieng] なく、寐[muət] ねる、
無[miua]
ない、眠[myen] ねむる、
日本語は開音節であ り、中国語の韻尾が脱落した。
例:香[xiang] か、黄[huang]
き、湯[sjiang] ゆ、
田[dyen] た、津[tzien] つ、帆[biuəm] ほ、目[miuk] め、眼[ngean] め、
源氏物語では鳥邊野(とりべの)、文字(もじ)、 洞院(とうゐ)、精進(さうじ)などの韻尾が脱落した例がみられる。
○ 世(よ)
「世」の呉音は世(セ)、漢音は世(セイ)、訓は世(よ)とされている。「世」の古代中国語音は世[sjiat]とされている。「世」と同じ声符をもった漢字に泄(セ
ツ)があり、古代中国語では「世」も韻尾に[-t]の音をもっていたと考えられる。しかし、随唐のころには入声音[-t] は失われて世[sjiai]
となっていたと考えられる。日本語の「よ」は中国語の世[sjiai] の頭音が、 介音[-i-]
の発達により脱落したものである。世(よ)と同じような例は、いくつかあげることができる。
例:矢[sjiei] や、射[djyak]
いる、織[tjiək] おる、折[tjiat] おる、灼[tjiôk] やく、
床[dzhiang] ゆか、山[shean]
やま、赤[thjyak] あか、色[shiək] いろ、
臣[sjien] おみ、身[sjien] み、真[tjien] ま、
今[kiəm] いま、犬[khyuan] いぬ、弓[kiuəng] ゆみ、寄[kiai] よる、
拠[kia] よる、居[kia]
ゐる、禁[kiəm] いむ、
○ 流(なが)す
「流」の古代中国語音は流[liu]である。古代日本語ではラ行音が語頭に立ことがな
かったので、中国語の[l]は調音の位置が同じナ行に転移した。
例:梨[liei] なし、練[lian] ねる、浪[lang] なみ、
○ 性(さが)
日本語の「さが」は古代中国語の性[sieng] と同源である。性[sieng]の祖語は性[seg] である。中国語の韻尾[-ng]
は隋唐の時代以前には[-k] あるいは[-g] に近かったと考えられている。性(さが)は中国語の古 代音の痕跡を留めている。源氏物語のなかでも[-ng]
がカ行あるいはガ行であらわれる例がいくつかあ る。
例:造[dziung] つくる、丈[diang] たけ、莖[heng] くき、翁[ong]
おきな、床[dzhiang] とこ、
影[yang/kyang] かげ、常[zjiang] とこ、横[hoang] よこ、送[song] おくる、
○ 交野(かたの)
「野(の)」もまた漢語起源の「やまとことば」である可能性が高い。「野」の古代中国語音は野[jya]
であり、日本漢字音は野(ヤ)または野(ジョ・
ショ)であると漢和字典には書いてある。訓の野(の)はこれらのいずれとも関係なさそうである。しかし、「野」の声符は「予」であり、同じ声符をもった漢
字「杼」は古事記歌謡では「杼」が「と」あるいは「ど」とし て使われている。
例:阿加斯弖杼富礼(あかしてとほれ)、袁登賣杼母(をとめども)、阿礼波意母閉杼(あれはお もへ ど、迩本杼理能 (にほどりの)、伊耶古杼母(いざこ
ども)、岐許延斯迦杼母(きこえ しかども)、許々呂 波母閉杼(こころはもへど)、加流袁登賣杼母(かるをとめども)、
古事記の時代の日本漢字音には「杼」に杼(ど)という音があったのである。「杼」の声符「予」は「野」と同じである。「ど」は「の」と調音の位置が同じであり、転移しやすい。「野」にも野(の)という音
があった蓋然性は高い。日本語の野(の)は「やまとことば」ではなく、中国語の「野」と同源であろう。
歴史 的仮名使い
○「む」と「ん」
こ の短い引用文のなかにも、「なが(流)さむ」と「つたへけん」、「給ひけんかし」という二種類のかな表記が使われている。「流さむ」というのであれば、
「つたへけむ」「給ひけむかし」とあるべきではなかろうか。源氏物語の青表紙本は藤原定家の手が入っているという。藤原定家は日本語を仮名で書くための規
範を定めた人である。それなのに源氏物語では「む」と「ん」の用法にかなり揺れている。
例:寝(しむ・しん)、前坊(ぜむばう・ぜんば
う)、對面(たいめむ・たいめん)、
怨(ゑむ・ゑん)、驗者(けむざ・けんざ)、艶(えむ・えん)、念(ねむ・ねん)、
遺言(ゆゐごむ・ゆゐごん)、學問(がくもむ)・衛門(ゑもん)、難(なむ・なん)、
古代日本語には「ん」で終わる音節は
なかった。中国語の韻尾[-n] や[-m] を表すのに、日本語の「む」を用いていた。しか
し、中国語の語彙が日本語に浸透してくるのにしたがって「ん」という仮名が使われるようになったものと思われる。
仮名の「む」は舞[miua]、無[miua]などの略字(草書体)であり、「ん」は无[miua]の略字であるという。してみれば、日本語の「む」
も日本語の「ん」も中国語の原音は[m]「む」だということになる。しかし、古来日本語の「む」は「子音+母音」で
一音節をあらわしたのに対して、中国語から入ってきた韻尾の[-m] あるいは[-n] は一音節をなす音ではなかった。
ちなみに、これらの漢字の古代中国語の韻 尾は[-m] と[-n] があり、日本漢字音では中国語韻尾の[-m]と[-n] が弁別されているわけではなかった。
例:前[[tzian]、面[mian]、怨[iuan]、言[ngian]、問[miuən]、門[muən]、難[nan]、
寝[tsiəm]、験[tsiam]、艶[hiam]、念[niəm]、
朝鮮漢字音ではこの区別は保たれており、古代中国
語音の[-n]は朝鮮語でも[-n] であらわれ、[-m] は[-m] であらわれる。
古代日本語には「ん」という音節はなかったものと
思われる。源氏物語の時代には中国語の韻尾[-n] も[-m]
も「む」または「ん」が用いられ、混用されている。漢字文化圏のなかにも[-m] と[-n] を弁別する地域とそうでない地域がある。
広東語 北京語 朝鮮語 日本語
[-m] [-n] [-m] [-n]
[-n] [-n] [-n] [-n]
谷崎潤一郎訳『源氏物語〜帚木(ははきぎ)〜』
光源氏(ひかるげんじ)、光源氏と、評判だけは仰々しくて、一面には非難をお受けにな
るような失錯(しっさく)も多いことですのに、その上にもこういう好色事(すきごと)
どもを後の世までも伝えられて、軽々しい人間のように言われるのではあるまいかと、
努めて人目につかないようにしていらっしった内証事(ないしょごと)をさえ、明るみ
に出して語り伝えたとは、さても口さがない人々もあることです。
とはいうものの、実は非常に人目を憚(はばか)って、真面目(まじめ)らしく慎(つ
つし)んでおられましたので、そうなまめかしい面白い話などはありませんので、あの
名高い交野(かたの)の少将には笑われていらしったかもしれません。
女性についてはいずれ劣らぬ遍歴をもつ男たちが、
経験談や、とっておきの打ち明け話などを披露する。左馬の頭(かみ)の話は、女を上、中、下の階級に分けて、中流の女にこそ、掘り出し物がある、という説 を出す。
源氏物語の帚木の巻は「雨夜の品定め」でも知られ
た巻である。次にその一節をとりあげて、この時代の日本語を分析してみることにする。ここは源氏と藤式部の丞、それに馬頭(うまのかみ)の男三人が集まっ
て、女についての意見を交わす場面である。
日本古典文学大系では「左の馬のかみ(頭)」と書いてあるが原文は「左
の馬のかみ」である。日本古典文学大系の校注者である山岸徳平が、現代の読者の便宜を考えて、古注などを参考に「かみ」を「頭(かみ)」と漢字を あてはめたものである。
「御物忌≪ものいみ≫」とあるところは、原本に「御物忌」と書いてあるが、校注者は「物忌」を「ものいみ」とルビをふったことを示し ている。
「馬」「藤式部」「世」「中将」などは原文も漢字で書いてある。なお、原文には句読点や濁点、「 」などはないが、古典文学全集 にしたがって表記した。
雨夜の品定め〜ははきぎ〜【日本古典文学大 系】
左の馬の頭(かみ)、藤式部の丞(じょう)、「御物忌(ものいみ)に籠(こも)らん」
とて、參(まゐ)れる、世のすきものにて、ものよく言(い)ひ通(とは)れるを、中将、
待(ま)ちとりて、この品(しな)々を、わきまへ定(さだ)めあらそふ。いと、
聞(き)き憎(にく)きこと多かり。
「なりのぼれども、もとより、さるべきすぢならぬは、世の人の思(おも)へることも、
さはいへど、なほ異(こと)なり。
又、もとは、やんごとなきすぢなれど、世に經(ふる)たづきすくなく、時世うつろひ
て、おぼえ衰(おとろ)へぬれば、心は心(こころ)として事(こと)足(た)らず、
わろびたる事ども、出(い)で來(く)るわざなめれば、とりどりにことわりて、中の
品(しな)にぞおくべき。
受領(ずりやう)と言(い)ひて、人の國(くに)の事(こと)に、かゝづらひいとな
みて、品(しな)、定(さだ)まりたる中にも、又、きざみきざみありて、中の品(しな)
の、けしうはあらぬ、えり出(い)でつべき頃(ころ)ほひなり。
なまなまの上達部(かむだちめ)よりも、非參議の四位どもの、世のおぼえ口惜(くちを)し
からず、もとの根(ね)ざし賤(いや)しからぬが、安(やす)らかに身をもてなし、
ふるまひたる、いと、かはらかなりや。
漢
語・朝鮮語起源のことば
○「紫式部」
「式部」は式部省の略で、礼式、文官の人事を扱う。式部省、
民部省、治部省、兵部省、刑部省、大蔵省、宮内庁などは役所の名称である。大学も式部省の管轄で、学者出身者が任ぜられることが多いとい
う。式部は女官の呼び名でもある。平安時代には女性は名前がなかったから、式部省の役人ファミリーに属する女官で、ニックネームは紫というところであろ う。
「紫・式部」は「紫」が名前で「式部」ば属性であ
る。「光・源氏」にしても、「光」が名前(ニックネーム・呼称)で源氏が姓である。現代の日本語では「式部の紫」「源の光」とう語順になりそうな気がする
が、どうだろうか。
○「中将」
「中将」は歴史的仮名使いでは「ちうじやう」で
ある。仮名は開音節(音節が母音で終わる)日本語を表記するために発明されたものだから、多くが漢語である役所やその役人の職位を表記するには必ずしも適
していなかった。中国語は一文字が一音節だから「中将」は二音節で中[tiuəm] 将[tziang] となる。しかし、ひらがな表記にすると「ちうじや
う」と五文字になってしまう。
中将は近衛府の次官である。近衛府には左近と右近 のふたつがあった。
○「受領(ずりやう)」
「受領」は国守(地方行政官)であ る。受領は中国語音では受[zjiu] 領[lieng] と二音節であるが、かなで表記すると「ずりやう」
と四文字になってしまう。「受」は現代の漢字音では受(ジュ)だが、平安時代の漢字音では介音[-i-] が表記されていない。受(ず)領(りやう)の受
(ず)は恐らく、中国語で介音[-i-] が発達する随の時代以前の中国語音を継承したもの で、受[zu] に近かったのではなかろうか。
○「参議」
「参議」は朝議に参与する、の意味で太政官にお かれた。大納言、中納言に次ぐ重職である。
「雨夜の品定め」で使われていることばも、漢語、漢語起源のやまとことば、朝鮮語と同源のやまとことば、本来のやまとことば、に分けることができる。
○
漢語(漢音・呉音):左、藤式部、じよう(丞)、中将、時世、中、ずり やう(受領)、
かむだちめ(上達部)、非參議、四位、
○
漢語起源のことば:馬(うま)、御物忌(ものいみ)、籠(こも)る、
世(よ),通(とほ)る、 品(しな)、定(さだ)める、思(おも)ふ、經(ふ)る、出(い)で、
來(く)る、國(くに)、中(なか)、出(い)づ、頃(ころ)、
口(くち)、惜(を)し、根(ね)、身(み)、
○ 朝鮮語と同源のことば:た(足)る、
○ 訓(やまとことば):かみ(頭)、藤(ふじ)、まゐ(參)る、言(い) ふ、ま(待)つ、
き(聞)く、にく(憎)い、おほ(多)い、ひと(人)、こと(異)なる、 また(又)、おとろ(衰)へる、こころ(心)、こと(事)、四位、
いや(賤)しい、やす(安)らか、
○ 夜(よ)
漢和字典によると夜(ヨ)が漢字音で夜(よ・よる)は訓とある。「夜」の古代中国語音は夜[jya/jyak] である。「夜」は「液」と同じく中国語の祖語は韻
尾に[-k]という子音をもっていたと考えられる。訓の夜 (よる)の(る)は古代中国語の韻尾[-k] の転移したものであろう。唐代の中国語音では韻尾 の[-k]
が脱落して夜[jya] となった。日本語の夜(よ・ヤ)はいづれも、唐代の 中国語音に依拠した借用語である。古い順に並べると夜(よる→よ→ヤ)ということになる。
○ 馬(うま・むま)
スウェーデンの言語学者ベルンハルト・カールグレン(1889-1978)は英語の著書『言語学と古代中国』(1920年・オスロ)のなかで日本語の「うま」「うめ」は
中国語の「馬」「梅」の借用語ではないかと指摘した。中国語の馬[mea]、梅[muə] は両唇音であり、唇を合わせて発音する。万葉集で
は馬(むま)、梅(むめ)とも呼ばれている。馬、梅は呉音・漢音以前の漢字音と考えて間違いないであろう。「馬頭」は「馬(うま)の頭(かみ)」と読むが、「左馬頭」となると「左馬頭(さまのかみ)」と読む。源氏物語の時代には、すでに両方の読み方が通用していた。
○ 忌(い)む
日本語の「いむ」には「忌」の漢字があてられている。古代中国語音は忌[giə]である。「物忌み」とは平安時代の陰陽道でたたり
を恐れて物事を避けたこと。禁忌ということばもあり、習慣上避けることである。「禁」の中国語音は禁[kiəm]であり、日本語の「いむ」は禁[kiəm] の頭音[k]
が介音[-i-] の影響で脱落したものである可能性が高い。
○ 籠(こも)る
万葉集第一番目の歌に「籠毛與美籠母乳(こもよみこもち)」(万1)ではじまる雄略天皇の歌とされる歌がある。ここでは「籠」は「こ」にあてらていて
「も」には「毛」あるいは「母」をあてている。「籠」の古代中国語音は籠[long] である。
スウェーデンの言語学者ベルンハルト・カールグレ
ンによると中国語の来母[l] には入りわたり音があり、時代を更に遡ると、[kl]のようなおとであったのではないかとしている。その証拠に同じ声符
をもった漢字がラ行でもあらわれ、カ行でもあらわれるということがある。
例:裸(ラ)・果(カ)、洛(ラク)・各(カ
ク)、涼(リョウ)・京(キョウ)、
斂(レン)・験(ケン)、藍(ラン)・監(カン)、簾(レン)・兼(ケン)、
これは、古代中国語に[kl-] あるいは[hl-] のような入りわたり音があったと仮定すると、整合的に説明できる。
「籠」の古形は籠[klong]であって、入りわたり音の発達したものが籠[kong]となり、入りわたり音の脱落したものが籠[long]となった、と考えられる。
籠(ロウ)は籠[klong]の入りわたり音が脱落したものであり、籠(かご・ こ・こもる)は入りわたり音の[k] が発達したものである。
中国語の韻尾[-ng] は調音の位置は[-k][-g] と同じであり、籠(かご)は中国語の韻尾が[-g]
に近い音であった時代の発音を継承している。籠(こも)は中国語の韻尾[-ng] がマ行に転移したものである。中国語の韻尾[-ng]
は鼻濁音であり、調音の方法が[-m][-n] と同じである。調音の位置や方法が同じ音も転移しやすい。
○ 通(とほ)る
「通」の古代中国語音は通[thong] である。「通」の声符は用[jiong] である。「用」を声符とする漢字には「用」「甬」
「通」「痛」「桶」「樋」などがある。通(とほる)は通[thong] と同源である。
痛(いたい)は痛[thong]
の語頭音の前に母音「い」が添加されたものである。桶(おけ)は語頭音が[-i-] 介音の発達によって脱落して桶(おけ)になったものである。韻尾の[-ng]
は中国語の祖語では入声音[-k] に近い音であったと考えられている。
○ 品(しな)
「品」の古代中国語音は品[phiəm]
である。日本漢字音は呉音「ホン」、漢音「ヒ ン」、訓「しな」ということになっている。九品仏(クホンブツ)、品挌(ヒンカク)、品川(しながわ)である。
東京の下町方言ではヒとシの区別がつかない場合が 多い。訓の品(しな)は中国語の品(ヒン)の転移したものである可能性がある。品[phiəm] は[-i-]
介音の発達によって摩擦音化した。
○ 思(おも)へる
古代中国語の「思」は思[siə]である。中国語音の思(シ)と日本語の思(おもふ・おぼす)は関係がないようにみえる。
日本語の「おもふ・おぼす」には通常中国語の 「思」の字があてられているが、語源的には思慕の慕[ma/mak]ではないかと思われる。中国語では意味の同じこと
ば、あるいは意味の似ている漢字を並べて成句をつくることがある。「思」「慕」は意味が近い。日本語には濁音ではじまることばがなかったから、慕[ma/mak]
の語頭に 母音「お」をつけたものであろう。
○ 經(ふ)る
「經」の古代中国語音は經[kyeng]である。中国語には喉音[x][h]があり、日本語のカ行に調音の位置(後口蓋音)が
近いことから、日本漢字音(呉音・漢音)ではカ行であらわれる。訓ではハ行であらわれるものが多い。經[kyeng] は喉音ではないが、古代中国語の喉音[x][h]
は日本語では[k][kh][g] と弁別されなかったいから、「經」は經(ケイ・ふる)となったのであろう。
古代中国語の[k-][kh-][x-][h-]が現代の漢字文化圏でどのような音としてあらわれ ているかを調べてみると次のようになる。
古代中国語音 現代北京音 広東音 朝鮮漢字音 日本漢字音(音・訓)
經[kyeng] jing ging kyeong ケイ・ふる
古[ka] gu gu ko コ・ふるい
廣[kuang] guang gwong kwang コウ・ひろい
檜[kuat] gui wuih hwi カイ・ひのき
墾[khən] ken han kan コン・はり
掘[giuət] jue gwaht kul クツ・ほる
減[ngiuam] jian gaam kam ゲン・へる
火[xuəi] huo fo hwa カ・ひ
花[xoa] hua fa hwa カ・はな
華[hoa]
hua wah hwa カ・はな
注目すべきは、広東音で火(fo)、花(fa)と発音されていることである。日本語では[k-][kh-][g-][ng-] と[x-][h-]
はいずれもハ行に転移したと考えられる。
○ 出(い)で
「出」は現代の日本語では「出(で)る」であり、「出」は「で」と読む。しかし、源氏物語では「い(出)でく(來)る」となっていて「出」は「い」である。
「出」の古代中国語音は出[thjiuət]である。古代中国語の[th]は中国語音韻学では次清音とよばれ、清音[t]と濁音[d]の間に相当する。日本語には次清音はないので日本
漢字音では濁音になることが多い。
例:土[tha](ド)、唾[thuai](ダ)、呑[thən](ドン)、などである。
古代日本語には濁音ではじまる音節がなかったので、 語頭に母音「い」を添加して出(いで)として日本語の音韻構造に適応させた。韻尾の[t]
は調音の位置が同じ[l](日本語ではラ行)に転移した。「出」にふりがな をつけるとしたら、語源的には「い出(でる)」である。
現在の日本語では「い」がなぜ冒頭にあるかわから なくなってしまっているので、「井出(いで)」とか「伊達(だて)」、「井戸(いど)」「和泉(いづみ)」、
などのように「い」に相当する文字を添加して書いて読みやすくしている。しかし漢字の「出」は「でる」であって、「い」は母音が添加されたものに過ぎない。
○ 來(く)る
「來」の古代中国語音は來[lə]である。スウェーデンの言語学者ベルンハルト・
カールグレン(1889-1978)によると古代中国語の[l] には[kl]
のような入りわたり音があったのではないかという。日本語の來(くる)は古代中国語音の入りわたり音の痕跡を留めたものであろう。
参照:こ も(籠)る
○ 口(くち)
日本語の「くち」は中国語の口(コウ)に似ている。これが他人のそら似なのか、関係のあることばなのかは明らかでない。一つの推論として日本語の「くち」
は中国語の「口嘴」と関係があるのではあるまいか。古代中国語の「口」「嘴」は口[kho]、嘴[tsie]である。日本語の「くち」は中国語の「口嘴」の転
移したものである可能性がある。
○ 根(ね)
古代中国語の「根」は根[hən]である。日本語の「ね」は古代中国語の
根[hən]の頭音[h]が脱落したものであろう。古代中国語の[h]は介音[-i-] の前ではよく脱落する。
例:為[hiuai](イ)、域[huiək](イキ)、運[hiuən](ウン)、和[huai](ワ)、
黄[huang](コウ・オウ)、皇[huang](コウ・オウ)、
日本漢字音では呉音に喉音[h-] の脱落したものが多く、漢音で
はカ行であらわれるものが多い。
例:会[huai](呉音・エ、漢音・カイ)、壊[huəi](呉音・エ、漢音・カイ)、
恵[hyuei](呉音・エ、漢音・ケイ)、
さらに音と訓の関係をみてみると、訓に語頭音の脱落
したものが多く、音ではカ行であらわれるものがみられる。
例:会[huai](カイ・あう)、合[həp](ゴウ・あう)、恨[hən](コン・うらむ)、
行[heang](コウ・ゆく)、荒[xuang](コウ・あらい)、穴[hyuet](ケツ・あな)、
さらに解釈を困難にするのは訓がカ行であらわれ、 音ではア行であらわれる例があることである。
例:雲[hiuən](ウン・くも)、越[hiuat/jiuat](エツ・こえる)、影[yang](エイ・かげ)、
煙[yen](エン・けむり)、
これらの事象を整合的に説明するには、例えば会[huai]は次のような段階を経て変化したと考えるしかない であろう。
1.会[huai](あふ) 日本語には喉音がないから、頭音は脱落し て訓(あふ)になった。
2.会[huai](ヱ) 古代日本語には二重母音がなかったから、「会」は 「ヱ」であらわした。
3.会[huai](カイ) 頭音の[h-]
は調音の位置の近いカ行に転移した。
「雲」の場合は、おそらく次のようになる。
1.雲[hiuən]の介音[-iu-]
は発達しておらず、雲[hən] が日本語で雲(くも)になった。
2.雲[hiuən]の介音[-iu-] が発達してきたため、頭音[h]
は脱落して雲(ウン)となった。
「影」の場合は、次のように説明できるであろう。
1.影[yang]の古代中国語音は「景」のように景[kyang] であった。
古代中国語の韻尾[-ng]は古くは[-k][-g]
に近かったから、影[kyang] は影(かげ)になった。
2.頭音[k-]が介音[-y-] の影響で脱落した。また、韻尾の[-k] が[-ng]
に変化したため、日本漢
字音では影(エイ)になった。
○ 身(み)
「身」の古代中国語音は身[sjien]
である。中国語の身[sjien] は口蓋音であり、 頭音が脱落して身(み)になった。介音[-i-]の影響で頭音が脱落した例としては、次のよう
ものをあげることができる。
例:身[sjien]
(シン・み)、矢[sjiei](し・や)、世[sjiai](セ・よ)、息[siək](ソク・いき)、
宵[siô](ショウ・よい)、臣[sjien](シン・おみ)、洗[syən](セン・あらう)、
山[shean](サン・や
ま)、生[sheng](セイ・いきる)、色[shiək](ショク・いろ)、
射[djyak](シャ・いる)、折[tjiat](セツ・おる)、真[tjien](シン・ま)、
赤[thjyak](セキ・あか)、織[tjiək](ショク・おる)、灼[tjiôk](シャク・やく)、
床[dzhiang](ショウ・ゆか)、
介音[-i-]の影響で頭音が脱落するという現象は中国語音のなかでも起こっている。口蓋化などによって頭音が脱落するというのは日本語だけの特色ではなく、一般的な現象でもある。
例:除[dia]・余[jia]、説[sjiuat]・悦[jiuat]、誦[ziong]・甬[jiong]、札[tzheat]・乙[eat]、
詳[ziang]・羊[jiang]、勺[tjiôk]・約[jiak]、尺[thjyak]・訳[yak]、錫[syek]・易[jiek]、
○
た(足)る
朝鮮語で足のことを訓で足(ta-ri)という。日本語で「たる」を「た(足)る」と表記 するのは、朝鮮語の足(ta-ri)の借用である。
朝鮮語の足(ta-ri)は更にその起源をたどれば、古代中国語の足[tziok]にたどりつく可能性がある。足[tziok] の祖語は、介音[-i-]
の影響で摩擦音化する前には足[tok] に近い音であった可能性があり、足[tok]が足[tol]に転移したものであると考えることができる。
○
世(よ)(参照:第209話)、
歴史的仮名使い
○ じよう(丞)・中将(ちうじやう)、
古代中国語の「丞」は丞[sjiəng]であり、「将」は将[tziang]である。丞[sjiəng]は「じよう」と表記されているのに対して、将[tziang]は「しやう」と表記されている。「しよう」と表記
される漢字と「しやう」と表記される漢字は次のように分かれる。
[しよう]:丞[zjiəng](じよう)、追従[dziong](ついじよう)、
[しやう]:中将[tziang](ちうじやう)、 文章[tjiang](もんじやう)、 上[zjiang]手(じやうず)、
吉祥[ziang](きちじやう)、 生[sheng](しやう)、本性[sieng](ほんじやう)、
蒸韻[əng]、東韻[ong]の漢字は「しよう」と表記され、陽韻[ang]、耕韻[eng]の漢字は「しやう」と表記されている。しかし、「文章」などは夕顔の巻では「文章博士
(もんぜうはかせ)」と書かれているので漢字音の表記には揺れもあったものとみられる。
谷崎 潤一郎訳『源氏物語〜帚木・雨夜の品定め』
左馬頭(さまのかみ)と藤式部丞(とうしきぶのじょう)とが、おん物忌の宿直(との
い)にやって来ました。
両人ながら世の好色者(すきもの)で、弁舌の達者な人たちですから、中将が持ち構えて
いたようにして、このしなじなの判定について議論を闘(たたか)わします。
中には随分
聞き苦しい話なども多く出るのでした。
「いくら成り上りましても、もともと筋目のよくない者は、何といっても世間の人の思
わくも違います。
また本来はやんごとない生れでありながら、世渡りのたつきを失い、時勢が変わって来
て、人々の気受けも衰えてきますと、気位(きぐらい)ばかりは高くとまっていまして
も、生活が不自由になり、体裁の悪いことなどもも出来てくるわけですから、これらは
それぞれの理由によって、中(ちゅう)の品に入れるべきでしょう。
受領(ずりょう)といって、地方の政務にたずさわっている人々、これは大体身分が定
(さだ)まっていま
す中にも、またいくらかずつ等級がありまして、そういう中から中
(ちゅう)の品として恥かしくないようなのを、選び出すのに都合のいい御時勢です。
なまなかの上達部よりは、非参議の四位の者どもで、世間の気受けもまんざらでなく、
素性(すじょう)もいやしくないっといったようなのが、安楽な暮しを立ててのんびり
と振舞っているのなどは、たいそう朗かで、気持のいいものです。
雨夜の品定めでは、妻は子供っぽく無邪気な女を、
好みの女に育てていくのがいい、という説も出る。馬の頭(かみ)は弁舌さわやかに弁じたて、源氏の中将は聞き役にまわる。女の品定めは佳境に入り、つ
いに調度品や絵などの品定めにたとえるに及ぶ。
馬の頭(かみ)の女性観〜ははきぎ〜【日本古典文学大系】
馬(むま)の頭(かみ)、物定(さだ)めの博士(はかせ)になりて、ひゝらぎゐ(居)たり。
中将は、「このことわりを聞(き)きはてん」と、心に入≪れ≫てあへしらひ居(ゐ)給へり。
「よろづの事(こと)によそへておぼせ。木の道(みち)の工匠(たくみ)の、萬(よろづ)
物を心に任(まか)せて作(つく)り出(い)だすも、臨時(りんじ)のもて遊(あそ)
びものゝ、その物と、跡(あと)も定(さだ)まらぬは、そばつきざればみたるも、「げ
に、かうもしつべかりけり」と、時につけつゝ、さまをかへて、今(いま)めかしきに、
目移(めうつ)りてをかしきもあり。
大事として、まことに、うるはしき、人の調度(てうど)の、かざりとする、定(さだ)
まれるやうあるものを、難(なむ)なくし出(い)づる事(こと)、猶、まことの、物の
上手(ず)は、さまことに、見(み)え分(わか)れ侍≪り≫。
又、繪(ゑ)所に(上手(じやうず)多(おほ)かれど、墨(すみ)がきに選(えら)
ばれ、つぎつぎに、さらに劣(おと)り勝(まさ)るけぢめ、ふとしも見(み)えわか
れず。
かゝれど、人の見及(およ)ばぬ蓬莱(ほうらい)の山、荒海(あらうみ)の怒(いか)
れる魚(いを)のすがた、唐(から)國の烈(はげ)しき獸(けだもの)のかたち、
目(め)に見(み)えぬ鬼(おに)の顔(かほ)などの、おどろおどろしく作(つく)り
たる物は、心に任(まか)せて、ひときは目(め)驚(おどろ)かして、實(じち)には
似(に)ざらめど、さて、ありぬべし、
漢
語起源のことば
上の文章では
「物」、「中将」、「心」、「入」、「給」、「木」、「時」、「目」「移」、「大事」、「難」、「猶」、「上」、「侍」、「所」、「見」、「人」、
「山」、「國」が漢字で書かれている。しかし、このうち、音で読まれるのは「中将」「大事」「上ず」のみであとは訓読みである。
ひらがで書かれているものでも漢字音をあらわして いるものもいくつかある。はかせ(博士)、りんじ(臨時)、てうど(調度)、ゑ(繪)、じち(實)である。
古代日本語には語頭にラ行音がくる音節はなかっ た源氏物語の時代になると「りんじ(臨時)」のようにラ行ではじま る漢語が使われるようになる。
○ 漢語(漢音・呉音):博士(はかせ)、中将、臨時(りんじ)、大事、調度(てうど)、
上手(じやうず手)、繪(ゑ)所、蓬莱(ほうらい)、實(じち)、
○
漢語起源のことば:馬(むま)、物(もの)、定(さだ)める、見(み)る、居(ゐ)る、
かざり、難(なむ)、入(いれ)る、作(つく)り、出(い)だす、時(とき)、
今(いま)、目(め)、出(い)づる、及(およ)ぶ、山(やま)、魚(いを)、
荒海(あらうみ)、唐國(からくに)、顔(かほ)、
○ 訓(やまとことば):かみ(頭)、き(聞)く、心(こころ)、給ふ、こ と(事)、木(き)、
みち(道)、たくみ(工匠)、まか(任)せる、あそ(遊)び、あと(跡)、
移(うつ)る、人(ひと)、猶、み(見)える、わか(分)れる、侍(はべ)る、
ゑ(繪)所(ところ)、おほ(多)い、すみ(墨)、えら(選)ぶ、おと(劣)る、 まさ(勝)る、いか(怒)る、はげ(烈)しい、けだもの(獸)、おに(鬼)、
おどろ(驚)く、に(似)る、
漢語と漢字起源のことば
○ 居(ゐ)る、今(いま)、及(およ)ぶ、山(や ま)、
「居」「今」「及」「山」の古代中国語音はそれぞれ、居[kia]、今[kiəm]、及[giəp]、山[shean]
である。中国語の介音[-i-]は隋の時代に発達してきたと考えられているが、居[kia]、今[kiəm]、及[giəp]、山[shean]
はいずれも介音を含んでおり、介音の影響で頭音 が脱落したものとみられる。
参照:第209話・世(よ)、第210話・身(み)、
○
入≪れ≫る、
「入」の古代中国語音は入[njiəp] である。源氏物語では「入る」も「入れる」も同じ
く「入る」と表記しているので、日本古典文学大系では「入≪れ≫る」として「れ」を補って、これが他動詞であることを明らかにしている。日本語の「いる」「いれる」はいずれも中国語の「入」と同源である。日母[nj]
は口蓋化の影響で頭音がしばしば脱落する。
例:餌[njiə] え、如[njia] 何・いかに、熱[njiat] あつい、若[njiak]
わかい、
弱[njiôk] よわい、譲[njiang] ゆずる、柔[njiu] やはら、
「入」の朝鮮漢字音は入(ip)
である。朝鮮漢字音では中国語の日母[nj]は規則的に脱落して「日本」は日本(il-bon) となる。また、餌、如、熱、若、弱、譲、柔の朝鮮
漢字音は餌(i)、如(eo)、熱(yeol)、若(yak)、弱(yak)、譲(yang)、柔(yu) である。朝鮮漢字音は古代日本語に近い。
○
出(い)づる、
「出」の古代中国語音は出[thjiuət] である。日本語の「いづる」は古代中国語の出[thjiuət]
の語頭に母音「い」を添加したものである。参 照:第210話・い(出)で、
○ 見(み)る
「見」の古代中国語音は見[hyan]である。漢字の「見(ケン)」と訓の「見(み) る」では一見関係なさそうに見えるが、古代中国語の見[hyan]
の祖語は見[hmyan]
のような音であったと推定できる。[h]は入りわたり音であり、入りわたり音が発達したものが「見(ケン)」であり、入りわたり音の脱落したものが「見(みる)」である。
「見」と同じ声符号をもった漢字には、看[khan]、観[kuan]、顕[xian]、現[hyan]、などがあり、いずれも音義ともに近い。宮田一郎編の『上海語常用同音字典』(光生館)に
よると、現代の上海語ではmの前に入りわたり音が来るという。
例:馬(hma)、梅(hmai)、鰻(hman)、網(hmang)、妹(hmai)、夢(hmang)、埋(hma)、慕(hmu)、
米(hmi)、寐(hmai)、
日本語の「見(みる)」「見(ケン)」はいずれも、中国語の祖語見[hmyan] に由来するものである。
同じ声符をもった漢字でも、「海」の日本漢字音は海(カイ)であり、「毎」は毎(マイ)である。『上海語常用同音字典』によると、現代の上海音では「海」は海(hai)
であり、「毎」は毎(hmai) だという。日本語の「海(カイ)」は海(hai) を継承したものであり、「海(うみ)」は毎(hmai)
の入りわたり音が脱落して、語頭に母音が添加されたものである。このほかにも、入りわたり音の痕跡を伝える日本語をあげることができる。
例:馬(hma) むま、梅(hmai) むめ、鰻(hman) むなぎ、網(hmang) あみ、
妹(hmai) いも、夢(hmang)
いめ、埋(hma) うもる、慕(hmu) おもう、
米(hmi) こめ、寐(hmai) ねむる、
結論として、日本語の見(みる)は、中国語の「見」と同源である。
○ かざり
日本語の「かざり」は「華[hoa]飾[sjiək]」ではなかろうか。「華飾」とは美しい飾りのこと である。中国語の韻尾[-k]
は普通カ行であらわれる。「かざり」 に対応する中国語音は調音の位置の同じ[-t] であることが多い。しかし、上海方言では飾[sjiək] も室[sjiet]
も湿[sjiəp] も韻尾の[-k][-t][-p] は区別されず、みな喉門閉鎖音の[?]であらわれる。「飾」が上海音のように飾(sə?)
に近い音をもっていたとすれば、華飾は日本語で華飾(か ざり)となったとしても不思議はない。
○ 荒海(あらうみ)
「荒」の古代中国語音は荒[xuang] である。白川静の『字通』によれば「荒[xuang] は凶[xiong]
に近く、凶荒という」とある。中国語の喉音[x][h] は介音[-i-] の前では、しばしば脱落する。日本語の荒(あら
い)は「荒」の倭音である可能性が高い(参照:第210話・ね(根))。
「海」の古代中国語音は海[xuə]
である。同じ声符をもつ「毎」の古代中国語音は毎[muə] である。「海」と「毎」とは声符が同じであること
から、随唐の時代以前に海[hmə]という音の時代があって、入りわたり音の[h-]が発達したものが海[xuə]になり、[h-]が脱落したものが毎[muə]になったものと考えることができる。
日本漢字音の海(カイ)あるいは上海の海(ハイ) は入りわたり音[h]の発達したものに依拠した音であり、海(う
み)は入りわたり音の脱落した海[muə]に母音(う)が添加されたものである。
参照:み(見)る、第 210話・馬(うま)、
○ 魚(いを)
「魚」の古代中国語音は魚[ngia] である。古代日本語では語頭に鼻濁音がくることばがな かったから、中国語の頭音[ng-] は介音[-i-]
の影響で脱落した。朝鮮漢字音では「魚」は 魚(eo)であり、の魚(いを)は朝鮮漢字音に近い。朝 鮮漢字音では中国語の疑母[ng-]は規則的に脱落する。
例:我(a)、芽(a)、臥(a)、眼(an)、雁(an)、岸(an)、顔(an)、五(o)、呉(o)、吾(o)、玉(ok)、御(eo)、
魚(eo)、語(eo)、言(eon)、業(eop)、疑(ui)、議(ui)、迎(yeong)、月(wol)、樂(ak/rak/nak)、
○
難(なむ)
「難」の古代中国語音は難[nan]である。難(なむ)は中国語の難[nan] の韻尾[-n]
がマ行に転移し、母音が添加されたものである。難と同系のことばでは、灘(なだ)、難波(なには)などがある。古代日本語には「ン」という音節はなかったので、中
国語の韻尾[-n] [-m]は弁別されず、マ行であらわれることがある。
例:文[miuən](ぶみ・ブン)、君[giuən](きみ・クン)、浜[pien](はま・ヒン)、
○ 上手(じやうず)
「手」の古代中国語音は手[sjiu]である。手(す)は呉音とされている。受領(ずり
やう)、誦經(ずきやう)などのように、中国語の手[sjiu]、受[zjiu]、誦[ziong]
は呉音では、手(ず)、受(ず)、誦(ず)となることがある。中国語では隋の時代に口蓋化が起こったといわれ、呉音はそれ以前の中国語音に準拠している可能性がある。
○ 作(つく)り
「作」の古代中国語音は作[tzak] である。日本漢字音では「作(サク)」は音、「作(つく)る」は
訓とされている。日本語の「作る」は中国語の作[tzak]
と音義ともに近く、同源であろう。日本語の「つくる」には「造」があてられることもある。「造」の中国語音は造[dzuk]
であり、造作という成句もある。造[dzuk] は作[tzak] に近く、「つくる」は「造」・「作」と同源である。
○ 目(め)
「目」の古代中国語音は目[miuk]である。日本語の「め」は古代中国語の目[miuk]に依拠したことばである。漢字には同じ声符をもった
文字で韻尾[-k]が脱落する例はかなりある。
例:亜(ア)・悪(アク)、意(イ)・憶(オ ク)、異(イ)・翼(ヨク)、易(イ・エキ)、
画(ガ・カク)、造作(ゾウサ)、試(シ)・式(シキ)、漬(シ)・責(セキ)、
時(ジ)・特(トク)、避(ヒ)・壁(ヘキ)、富(フ)・福(フク)、
墓(ボ)・莫(バク)、夜(ヤ)・液(エキ)、
「目」は「眼」とも音義ともに近い。「眼」の古代 中国語音は眼[ngean]である。鼻濁音の[ng-] は調音の方法が[m-]
と同じでありマ行に転移した。そして、韻尾の[-n]は脱落した。中国語の[ng-]がマ行に転移した例としては次のようなものがあ る。(参照:第208話・御)
例:芽[ngea] め、御[ngia] み、雅[ngea]美・みやび、元[ngiuan] もと、
護[ngo] まもる、迎[ngyang]
むかえる、詣[ngyei] もうでる、
また、眼[ngean] のように中国語の韻尾[-n]が脱落した例には次のようなものがある。
例:津(シン・つ)、辺(ヘン・へ)、田(デン・ た)、酸(サン・す)、帆(ハン・ほ)、
袁(エン・を)、文字(もじ)、今宵(こよひ)、本意(ほい)、 半蔀(はじとみ)、
また、同じ声符をもった漢字でも韻尾の[-n]
が保たれているものと、脱落したものに読み分けられてい る例もある。
例:軍(グン)・輝(キ)、尹(イン)・伊
(イ)、播(ハ)・番(バン)、亀(キ・キン)、
○ 顔(かほ)
日本語の「かほ(顔)」は「やまとことば」であると一般に考えられている。「かほ」には「顔」の字があてられている。「顔」の古代中国語音は顔[ngean]である。日本語の「かほ」は「顔貌」と関係のあることばではないだろうか。「顔貌」の中国語音は顔[ngean]
貌[meô] である。貌[meô] の[m-] は[p-]
と調音の方法が同じであり、聴覚印象も近い。日本語の「かほ」は中国語の「顔]貌」と音義ともに近く、同源であろう。中国語の顔貌の意味は 「顔かたち」るある。
○ 唐國(からくに)
「からくに」には「唐国」の漢字があてられている。源氏物語の時代の中国は唐であるから、「唐国」という文字があてられている。しかし「から」に対応する
漢語は漢[xan] であり、「から」の語源は「漢」であろう。現在の 日本語でも中国で使われている文字を中国文字とはいわずに、漢字という。
「國(くに)」の語源は郡[giuən] であると、スウェーデンの言語学者ベルンハルト・ カールグレン(1889-1978)
は『言語学と古代中国』(1920年・オスロ)のなかでいっている。日本語の「く
に」は中国語の「郡」が行政用語として入ってきたものであろうという。たしかに、朝鮮半島の北部には楽浪郡、帯方郡などがおから、この地方に住む人びとにとっては「郡」はひとつの国の役割を果たしていたにちがいない。いかがであろうか。
歴史的仮名使い
○ かうも しつべかりけり、
歴史的仮名使いでは「かう」と「こう」が使い分け
られている。「かう」にあてられている漢字は陽韻[-ang]のもが多く、「こう」にあてられている漢字は東韻[-ong]のものが多い。
[かう]:更[keang]衣、格[keak]子、香[xiang]、剛[kang]、郷[xiang]、高[kô]、強[giang]、
交[keô]、向[xiang]、行[heang]、江[kong]、好[xu]、号[hô]、降[hoəm]、
[こう]:鴻[kong]臚館、勾[ko]欄、公[kong]、口[kho]、功[kong]、弘[huəng]、興[xiəng]、
孔[khong]、厚[ho]、紅[hong]、
○ てうど(調度)
現代の仮名使いでは「調度」は「ちょうど」と書く。しかし、歴史的仮名使いでは調度(てうど)となっている。歴史的仮名使いに「ちやう」という表記がな
かったわけではない。また、「ちよう」と表記される漢字もある。「ちやう」と表記だれる漢字は耕韻[-eng]、陽韻[-ang]のものが多い。「ちよう」は東韻[-ang]である。
[てう]:調[dyô]度、朝[diô]、銚[dyô]、誂[dyô]、嘲[zjiô]、鳥[nyu]、条[dyu]、超[thiô]、
[ちやう]:丁[tyeng]、町[tyeng]、長[diang]恨歌、帳[tiang]、丈[diang]夫、挑[dyô]、
[ちよう]:重[diong]陽、
さらに「てふ」と書くこともあった。蝶(てふ)、帖(でふ)では「ふ」は蝶[thyap]、帖[thiap]
の韻尾[-p] をあらわしている。 しかし、源氏物語の時代に、はたして「てふ」「てう」が正確に書き分けられていたかとなると、疑問も残る。源氏物語「桐壺」の冒頭に
でてくる「下�瓠廚漏荵�本では「げらふ」と書かれているが、青表紙本といわれる写本では「下羅う」と書かれている。
仮名使いは約束事であり、「てう」と書いたからと
いって調(て・う)と発音したわけではないだろう。現代の仮名使いでも調(ちょう)と書いたからといって調(ちょ・う)と読むわけでもない。「やまとこと
ば」をひらがなで書くにも、さまざまな工夫宇が必要であったが、漢語をひらがなで書くには、漢語の音韻構造に対する知識が不可欠であった。
○
じやうず(上手)
上手は現代の仮名使いでは上手(じょうず)であるが、歴史的仮名使いでは「じやうず」である。「じやう」のほかに「じよう」という表記もある。「じやう」と「じよう」は使わ
れる漢字が異なっている。「じやう」は陽韻[-ang]、耕韻[-eng]が多く、「じよう」は東韻[-ong]、蒸韻[-əng]が多い。
[じやう]:上[zjiang]手(じやうず)、 本性[sieng](ほんじやう)、吉祥[ziang](きちじやう)、
声[thjieng]明(しやうみ やう)、精[dzieng]進(しやうじ)、装[tzhiang]束(しやうぞ き)、
菖[thjiang]蒲(しやうぶ)、成[zjieng]仏(じやうぶ つ)、上[zjiang]�瓠覆犬笋Δ� ふ)、
[じよう]:丞[zjiəng](じよう)、 追従[dziong](ついじよう)、 縄[djiəng](じよう)、
勝[sjiəng](しよう)、
装束には装束(さうぞき)という読み方もある。「さう」には陽韻[-ang]、耕韻[-eng]
などがもちいられていて、「じやう」と似ている が、「じよう」とは違う音をあらわしているようである。
[さう]:装[tzhiang]束(さうぞき)、精[dzieng]進(さうじ)、菖[thjiang]蒲(さうぶ)、
上[zjiang]衆(さうず)、正[tjieng]身(さうじみ)、相[siang]、生[sheng]、早[tzu]、
草[tsu]、双[sheong]、倉[tsang]、筝[tjiu]、
谷崎潤一郎訳『源氏物語』〜帚木・馬の頭(かみ)の女性観〜
馬頭(うまのかみ)は審判の博士(はかせ)になって、ひとりで弁じ立てています。 中将は今の議 論を最後まで聞いてしまおうと、熱心に相手をするのでした。
「いろいろのことに擬(なぞら)えて考えてごらんなさいませ
たとえは細工人は、よろずの器を 思いのままに作り出しますが、その場限りの翫弄物(もてあそびもの)、これというきまった型の ない品物ですと、一風変
わった洒落(しゃれ)たものを拵(こしら)えましたら、なるほどこれも 趣向であると思われて、当世向きに、目先を変えたところが嗜好(しこう)に叶い、
面白いことも あるでしょう。
けれども、大切なものとして本当にきちんと整った調度品の装飾とする、一定の様式のあるものを 欠点なく作り出すことになりますと、やはり本当の名人は、そうでないものと様子が違って見分け られます。
また絵所(えどころ)には達者な絵師が大勢いますが、下絵を画(か)かしてみただけでは、誰が 誰に勝(まさ)っているとも、ちょっと区別がつきません。
ですが、人間が見たことのない蓬莱(ほうらい)の山、荒海の怒れる魚の姿、唐国(からくに)に 棲(す)む凄い獣(けもの)の形、眼に見えぬ鬼の顔などと
いった仰々しい仮作物(かさくぶつ) は、空想に任せて思い切って人目を驚かすように画きさえすれば、実際とはかけ離れていましょう とも、それで通って
しまうでしょう。
賢い女は尊ばれる。かつては良妻賢母を育てるためには、女大学まであった。しかし、一方で、賢い妻は敬遠されることもある。男の本音はどの辺にあるのだろうか。時代は一夫多妻の平安時代である。現代のジェン
ダー論とは異次元の世界が展開する。平安時代の宮廷は男が主役で、女は脇役の世界であった。官位につくのは男であり、女を選ぶもの男であった。馬頭(うまの
かみ)は男性の立場から女性論をくりひろげる。
賢い女について〜ははきぎ〜【日本古典文学大 系】
まだ、文章(もんじやう)の生(しやう)に侍りし時、賢(かしこ)き女のためしをな
ん見給へし。
かの、馬頭の申し給へるやように、公事(おほやけごと)をもい言(い)ひ
合(あ)はせ、私(わたくし)ざまの、世(よ)に住(す)まふべき心おきてを、思ひ
めぐらさむ方(かた)も、いたく深(ふか)く、才(ざえ)のきは、なまなまの博士
(はかせ)はづかしく、すべて、口(くち)あかすべくなん、侍らざりし。
それは、ある博士(はかせ)のもとに、「學問など侍≪り≫」とて、まかり通(かよ)ひ
し程に、「主人(あるじ)の女(むすめ)ども、多(おほ)かり」と聞(き)き給へて、
はかなきついでに、いひ寄(よ)り侍りしを、親(おや)、聞(き)きつけて、盃
(さかづき)もて出(い)でゝ、「我(わ)≪が≫、二(ふた)つの道うたふをき聞(き)け」
となん、聞(
きこ)えごち侍りしかど、をさをさ、うちとけてもまからず、かの親(おや)
の心
を憚(はばか)りて、さすがに、かゝづらひ侍りし程に、いと、あはれにおもひ後見
(うしろみ)、寝覺(ねざめ)の語(かた)らひにも、身の才(ざえ)つき、おほやけに
仕(つか)うまつるべき、道々しきことを教(をし)へて、いと清(きよ)げに、消息
(せうそこ)文にも、假名(かんな)といふ物を、書(か)きませず、むべむべしく言
(い)
ひまはし侍るに、おのづから、え罷(まか)り絶(た)えで、その者を師としてなん、
わづかなる腰折文(こしをれぶみ)作(つく)ることなど、習(なら)ひ侍りしかば、
今(いま)に、その恩(おん)忘(わす)れ侍らねど、なつかしき妻子(さいし)とう
ち頼(たの)まむに、無才(むさい)の人、なまわろならん振舞(ふるまひ)など、見
(み)えんに、恥(は)づかしくなん見(み)え侍りし。
漢語起源のことば
「我(わ)が、二(ふた)つの道うたふを聞(き)
け」といのは、白氏文集にある「聴我歌両途、富家女易嫁早軽其夫、貧家女難嫁嫁晩孝於姑」による。「我が両途を歌ふを聞け。貧家の女であるが、夫にもよ
く仕えるぞ」ということで、博士は貧家の娘こそ嫁にはよいとほのめかしたのである。
「腰折文」とは、和歌の第三句と第四句との接続が悪い
下手な和歌のことである。
ひらがなは表音文字だから源氏物語の時代の日本語の発音を知ることができる。また、漢字をどのように読んだかについての手がかりを
えることもできる。例えば、「文章」という漢字は文章(もんじやう)であり、「消息」は消息(せうそこ)と表記されている。
○
漢語(漢音・呉音):文章(もんじやう)、生(しやう)、才(さえ)、博士(はかせ)、
學問、消息(せうそこ)文、師(し)、恩(おん)、妻子(さいし)、無才(むさい)、
○ 漢語起源のことば:時(とき)、馬頭(うまの
かみ)、合(あは)せる、世(よ)、
住(す)む、 口(くち)、女(むすめ)、寄(よ)る、出(い)で、我(わ)、
寝覺(ねざめ)、語(かた)る、身(み)、物(も の)、書(か)く、絶(た)える、
腰
折文(こしをりぶみ)、作(つく)る、今(いま)、忘(わす)れる、振舞(ふるまひ)、
見(み)る、
○
訓(やまとことば):はべ(侍)る、かしこ(賢)い、たま(給)ふ、うまのかみ(馬頭)、
おほやけごと(公事)、い(言)ふ、わた
くし(私)、かた(方)、ふか(深)い、
かよ(通)ふ、あるじ(主人)、おほ(多) い、き(聞)く、おや(親)、さかづき(盃)、
ふた(二)つ、みち(道)、こころ(心)、はばか(憚)る、ほど(程)、うしろみ(後見)、
つか(仕)へる、をし(教)へ
る、きよ(清)い、まか(罷)る、もの(者)、
こしを りぶみ(腰折文)、なら(習)ふ、たの(頼)む、ひと(人)、ふるまひ(振舞)、
は(恥)づかし
○ 文(ふみ)
「文」の古代中国語音は文[miuən]である。古代日本語では鼻濁音[m-]
語頭にくることが困難だったたので文[miuən] は文(ふみ)となった。韻尾の[-n]がマ行であらわれる例としては、君(クン・き
み)、浜(ヒン・はま)、鎌(ケン・レン・かま)、困(コン・こまる)などをあげることができる。
○ 合(あ)はせる
「合」の古代中国語音は合[həp]である。日本漢字音は合(音・ゴウ、訓・あふ)で ある。中国語の喉音[x-]・[h-]
は日本語にはない音であり、日本漢字音では脱落す ることが多い。
参照:第208話・ゑ(絵)、第210話・ね (根)、第211話・あらうみ(荒海)、
同じ喉音[x]・[h]でも漢字によって転移のしかたがちがう。
| 古代中国語音 | 訓 | 呉音 | 漢音 |
| 合[həp] | あふ | ゴウ | ゴウ |
| 会[huat/huai] | あふ | ヱ | カイ |
| 絵[huai] | ゑ | ヱ | カイ |
| 根[hən] | ね | コン | コン |
| 荒[huang] | あれる | コウ | コウ |
| 海[xuə] | うみ | カイ | カイ |
これを整理してみると、つぎのようなことが分かる。
1.倭音(訓)ではすべての喉音は脱落している。
2.「会」「絵」では呉音でも喉音は脱落している。
3.うみ(海)では基層音が海[hmuə]であったため、喉音が脱落して海[muə]となり、語頭に母 音「う」が添加された。
4.恵(倭音・めぐみ、呉音・ヱ、漢音・ケイ)、回
(倭音・まわる、呉音・カイ、漢音・カ イ)などの場合も基層音は恵[hmiuei]、回[hmuəi]だったものと思われる。倭音にマ行の音 があわわれ
ている。
さらに、次のような 例もある。
| 国古代音 | 訓 | 呉音 | 漢音 |
| 黄[huang] | き | オウ | コウ |
| 横[hoang] | よこ | オウ | コウ |
| 皇[huang] | きみ | オウ | コウ |
| 行[heang] | いく・ゆく | ギョウ・ゴウ | コウ |
あることばは古代日本語の段階で頭音を失い、またあるこ
とばは呉音の段階で頭音を脱落させている。しかし、訓、呉音、漢音はそれぞれ、別系統の音ではなく、一連の音韻変化のなかの一つの段階を示している。一
般論として、歴史的には訓がもっとも古く、次に呉音がきて、最後に漢音がくるものと考えられるが、倭音にカ行音が残っているものもある。
上にあげた例のほかにも雲[hiuən](訓・くも、音・ウン)、越[hiuat](訓・こえる、音・エツ)などがある。
ヨーロッパの言語学では「音韻法則に例外なし」な
どといって、音韻変化は一斉に起こるものとされている。しかし、借用語の場合は、いつの時代に、どの地方のことばを、どのような経路で借用したのかによって変化
の起こる時期が違うように思われる。
○ 寄(よ)る
「寄」の古代中国語音は寄[kiai]
である。漢和字典では「音・寄(キ)、訓・寄(よる)」とあるが声符「奇」には奇[iai]という音もあり、寄(よる)は中国語の寄[kiai] と同源である。
例:寄[kiai] キ・椅[iai]子・イス、國[kuək] コク・域[hiuək] イキ 、完[huan] カン・院[hiuan] イン、
○ 腰折文(こしをりぶ み)
「折」の古代中国語音は折[tjiat]である。折(をる)は中国語の頭子音[tjiat]が介音(i)の影響で脱落したものである。日本語の「をる」は中国語の折[tjiat]
と同源である。
参照: よ(世)(第209話)、身(み)(第210話)
○ 絶(た)える
「絶」の古代中国語音は絶[dziuat]である。漢字には同じ声符をサ行とタ行に読み分け
るものが多くみられる。この場合、サ行音はタ行音の摩擦音化したものである。摩擦音化は介音[-i-]の発達によって起こった。タ行音が古く、サ行音の方が新しい。
例:占(セン)・点(テン)、専(セン)・傳(デ ン)、喘(ゼン)・端(タン)、
戦(セン)・単(タン)、説(セツ)脱(ダツ)、尺(シャ
ク)・択(タク)、
石(シャク)・拓(タク)、純(ジュン)・屯(トン)、惇(ジュン)・敦 (トン)、
氈(セン)・壇(ダン)、
音がサ行で訓がタ行の例もみられる。音と訓は音義ともに近く、同源である。
例:絶(ゼツ・たえる)、楯(ジュン・たて)、苫
(セン・とま)、出(シュツ・でる)、
○ 忘(わす)れる
「忘」の古代中国語音は忘[miuang] である。語頭の[m-]
は両唇を合わせて調音する音であり、合口性が強い。 忘[miuang] は介音[-iu-]をともなっており、ワ行[w-] に近い。中国語の[m-]
がワ行に転移した例としては、綿[mian](メン・わた)、罠[mien](ミン・わな)をあげることができる。現代の北京語では古代中国語の頭音[m-]がしばしば(w)であらわれる。
例:文(wen)、聞(wen)、無(wu)、鳴(wu)、舞(wu)、未(wei)、味(wei)、尾(wei)、武(wu)、
○
舞(まひ)
「舞」の古代中国語音は舞[miua]である。舞は(訓・まひ、呉音・ム、漢音・ブ)で
あるとされている。しかし、訓の「まひ」もやまとことばではなく、中国語の「舞」の転移したものである。
以下については既に述べた。
参照:物(もの) (第207話)、語(かた)る(第207話)、わ(我)が(第208話)、
書(か)く(第208話)、世(よ)(第209話)、
思ひ(第210話)、
今(いま)(第211話)、作(つく)る」(第211話)、見(み)る(第211話)、
歴史的仮名使い
○ 消息(せうそこ)文
「消息」とは便りのことで、これを「せうそこ」と 表記している。旧仮名使いでは逍遥(せうえう)、焼香(せうか
う)、少将(せうしやう)、少納言(せうなごん)、焼酎(せうちう)である。戦前の教科書には「学校へ行きませう」と書いてあった。
大槻文彦の『言海』で
は、「どぜう [泥鰌] どぢやうノ條ヲ見ヨ。」とある。「どぜう」は「どぢやう」と書くのが正式だと大槻文彦は考えていたようである。『言海』の改訂版である『大言海』をみると「どぢやう」の項には次のように書いてあ
る。
どぢやう [塵 添壒嚢鈔ニ、土長ノ音ヲ當テタリ、或云、泥鰌ノ音ノ轉化カト、或泥生又、
土生ノ音ノ轉トイフ。常ニどぜうト記スハイカガ] 魚ノ名、淡水ニ産ス。形鰻ニ似テ短
ク、黒キ斑アリテ、腹白ク、鬚アリ、泥中ニ潜ミ、時時、水面ニ浮ビテ沫ヲ吐ク。泥
ノモノハ、肥エテ、斑薄ク、沙中ノモノハ痩セテ、斑、分明ナリ。泥鰌。
日本語の仮名が
発明されてから、約千年たって明治の時代になっても、話し言葉の日本語をどうやって「かな」で表記したらいいのかよくわからないということがあったのである。
源氏物語にも「しやう」という仮名使いがないわけ ではない。
例:床子(しやうじ)、正日(しやうにち)、正三位(しやうさんみ)、殿上(でんじやう)、
吉祥天女(きちじやうてんによ)、文章(もんじやう)、衆性(すじやう)、
本性(ほんじやう)、
「せう」と表記された漢語と「しや
う」と表記された漢語の言音はどのように違うのだろうか。
[せう]: 消[siô]、逍[siô]、焼[ngyô]、少[sjiô]、
[しやう]:将[tziang]、床[dzhiang]、正[tjieng]、上[zjiang]、祥[ziang]、生[sheng]、性[sieng]、
章[tjiang]、
旧仮名使いで「せう」と表記されている漢字の韻尾
は中国語音韻学でいうところの䔥(宵)韻であり、「しやう」と表記されている漢字の韻尾は陽韻であり、区別されていることが分かる。王力の
『同源字典』の表記法を使えば「せう」は[iô]であり、「しやう」は[iang]であり、混同されることはほとんどない。「少将」
は「せうしやう」と表記することになる。
源氏物語をひらがなで書写した人は、漢語の音韻についても正確な知識をもっていたことが分かる。おそらく紫式部も雨夜の品定めで評定されている賢
い女のように漢詩も書き、正確に韻を踏むことができたのであろう。
谷崎潤一郎訳『源氏物語』〜帚木・賢い女につ いて〜
「まだ大学の文章(もんじょう)の生(しょう)でございました時分、賢い女というも
のの実例を見ましたことがございます。あの馬頭が言われましたように、公(おおやけ)
向きの話なども分り、私様(わたくしざま)の世渡りの道などを考える方も深く心得て
おりまして、学才の程度も、なまなかの博士など恥かしいくらいで、すべて、相手に口
を開かせないほどでした。
それは、私が、或る博士のもとへ学問などをしに通いました 頃、その先生に娘たちが大勢
あることを聞きまして、ふとした折に言い寄ったのでござ
いましたが、親が聞きつけて、
固めの盃(さかずき)を持ち出しまして、「聴我歌両途(我 が二つの道を歌うを聴け)」
などと申したことでございましたけれども、こちらはそんな に深入りはいたしませず、
ただ親の心を察しまして、さすがにいくらかは情に絆(ほだ)されておりますと、先(さき)
はたいそう親切に世話をしてくれまして、寝ざめの語ら
いにも、身のためになる学問の話や、
役人として知っていなければならない道々のことを教えてくれますし、消息なども非常に見事に、
仮名(かな)ちうものを交(ま)ぜないで、しかつめらしく書いてよこしますので、なかなか
縁を切ることができず、その女を師匠にしまして、ちょっとした下手な詩文などを作ることを
習いましたので、今もその恩は忘れませんが、それでも可愛い妻子(さいし)として頼りに
しようというのには、無学な男は何かにつけてふつつかな振舞いを見られますから、きまりが
悪うございます。
源氏物語の時代にも、手紙などを仮名をまじえず、漢
字ばかりで書く女性がいたことがわかる。しかし、そのような女性は無学な男性にはけむたい存在で、打ち解けた妻として頼りにするには、気がひけた、といの
が頭の中将の意見である。
源氏は紀伊の守(かみ)の若い後妻、空蝉と無理や
りに契る。しかし、空蝉はその後きびしい態度で源氏を寄せ付けない。源氏は空蝉の弟の小君(こぎみ)を文使いにして、またしても空蝉に迫ろうとする。空蝉
はそれを察知して身一つで難を逃れる。一緒に寝ていた妹を空蝉だと思い契った源氏は、空蝉の脱ぎ残した小袿を持ち帰り、残り香をなつかしむ。
「うつせみ」の「蝉」は日本漢字音は蝉(ゼン)で あり、訓は蝉(せみ)である。古代中国語音は蝉[zjian] である。日本語の「せみ」は中国語の蝉[zjian]
と同源である。
1.う つせみ【日本古典文学大系】
寝(ね)られ給(たま)はぬまゝに、「我は、かく、人に憎(にく)まれてもならはぬを、今宵(こひょひ)なむ、はじめて、「憂(う)し」と、世(よ)を思
(おも)ひ知(し)りぬれば、はづかしくて、ながらふまじくこそ思(おも)ひなりぬれ」などのたまへば、涙をさへこぼして臥(ふ)したり。
「いとらうたし」とおぼす 手(て)さぐりの、細(ほそ)く小(ちひ)さき程、髪(かみ)の、いと長(なが)からざりしけはひの、似通(にかよ)ひたるも、思(おも)ひなしにや、あはれなり。
○ 漢語起源のことば
「こよひ(今宵)」の「こ」は今(コン)の韻尾
(ン)が脱落したものでるある。「よひ」は「ゆふ(夕)」と関係のあることばであろう。「宵」の古代中国語音は宵[siô] であり、夕[syak]
と音義ともに近い。「よひ」は宵[siô] あるいは、夕[syak] の頭音が介音の発達によって脱落したものであろう。
「憂」の古代中国語音は憂[iu]
である。呉音は「憂(ウ)」、漢音は「憂(ユウ)」であ る。
「憂(う)し」は中国語の「憂」を日本語として活用させたもので、音義ともに「憂」に近い。「うし」は「あはれ」とともに源氏物語の通奏底音になっていることばであるが、中国語の「憂」の概念を日本的に発展させたものである。
「けはひ」はひらがな表記であるが、漢語の「氣配」 である。
◎ 漢語:けはひ(気配)、
◎漢語起源のことば:今宵(こよひ)、憂(う)い、寝(ね)る、我(われ)、世(よ)、
思(おも)す、知(し)る、臥(ふ)す、手(て)、長(なが)い、あはれ、
◎やまとことば:給(たま)ふ、人(ひと)、憎(にく)む、、はづかし、のたまふ、こぼす、
細(ほそ)い、小(ちひ)さい、程(ほど)、髪(かみ)、似通(にかよ)ふ、
◎朝鮮語と関係の深いことば:涙(なみだ)、
○ね(寝)る
日本語の「ねる」に「寝」の字があてられている。しかし、古代中国語の「寝」は寝[tsiəm]
であり、義は近いが音は共通点がない。日本語の「ねる」は中国語の眠[myen] あるいは寐[muət] と関係のあることばであろう。
眠[myen]
の頭音[m-]
は鼻音であり、同じく鼻音である[n]と調音の方法が同じである。調音の位置も、[m-]は両脣音であり、[n-]は前口蓋音(歯茎の裏)であり、お互いに近い。調音
の位置や方法が同じ音は転移しやすい。(参照:第209話・な(名))、
例:苗[miô] なへ、猫[miô] ねこ、鳴[mieng]
なく、寐[muət] ねる、無[miua] ない、名[mieng] な、
また、韻尾の[-n][-t] は[-l]
と調音の位置が同じであり、日本語ではラ行であらわ れることが多い。
[-n]の例:換[xuan] かえる、還[hoan]
かへる、限[heən] かぎる、漢[xan] から、寛[khuan] ひろい、
雁[ngean] かり、薫[xiuən] かをり、巾[kiən]
きれ、塵[dien] ちり、辺[pyen] へり、
[-t]の例:刷[shoat] する、擦[tsheat] する、出[thiuət]
でる、払[piuət] はらふ、掘[giuat] ほる、
○知(し)る
「知」の古代中国語音は知[tie]である。「しる」は[t-]が摩擦音化してサ行に転移したものである。「知」 の現代北京音は知(zhi)である。
○涙
「涙」の古代中国語音は涙[liuei]であった。古代の日本語にはラ行ではじまることば はなかったから、中国語の[l-] は調音の位置が同じナ行に
転移したものであろう。浪(ロウ・なみ)、流(リュウ・ながれ)、臨(リン・のぞむ)などもその例である。「なみだ」の「みだ」は「水」である。
「涙」の朝鮮漢字音は涙(nu)である。日本語の「なみだ」は涙(nu)と朝鮮語で水をあらわす(mul)のあわさった複合語である、という説もある。
○臥(ふ)す
「臥」の古代中国語音は臥[ngua] である。臥(カ゜)と「ふす」とは一見関係なさそ
うにみえる。しかし、古代日本語のハ行には中国語の疑母[ng-] があらわれることもある。疑母[ng-] は調音の位置が喉音[h]
に近い。臥(ふす)のほかにも疑母[ng-] が日本語でハ行であらわれる例としては、牙[ngea]
(は)、脛[ngyeng](はぎ)などをあげることができる。古代日本語のハ行は必ずしも中国語の声母[p-] と対応していない。
例:降[hoəm] ふる、羽[hiua] は・はね、灰[huəi] はい、宏[hoəng] ひろい、弘[huəng] ひろし、
華[hoa]・花[xoa] はな、揮[xiuəi] ふるう、古[ka] ふるい、蓋[kat] ふた、骨[kiuat] ほね、
干・乾[kan]
ひる、廣[kuang] ひろい、經[kyeng]ふる、寛[khuan] ひろい、堀[giuət] ほり、
○手(て)
「手」の古代中国語音は手[sjiu] である。「手」は手[tjiu] に近い音もあったのではあるまいか。手[sjiu] は掌[tjiang]
に近い。中国語音韻学では照系[tj]は端系[t]から派生したと考えられている。サ行の音はタ行の音が口蓋化 される前にはタ行の音であった漢字がいくつかある。
例:取[tsio](シュ・とる)、種[doing](シュ・たね)、収[sjiu](シュウ・とらえる)、
就[dzyu](シュウ・とる)、出[thiuət](シュツ・でる)、楯[djiuən](ジュン・たて)、
床[dzhiang](ショウ・とこ)、照[tjiô](ショウ・てる)、衝[thjiong](ショウ・つく)、
丈[diang](ジョウ・たけ)、常[zjiang](ジョウ・つね)、津[tzien](シン・つ)、
同じ声符をもった漢字のなかにもタ行とサ行に読み 分けるものがいくつかみられる。タ行音が介音(i)の発達などで摩擦音化したものである。
例 :
透 トウ・秀 シュウ、調 チョウ・周 シュウ、鈍 ドン・純 ジュン、途 ト・除 ジョ、
桶 トウ・誦 ショウ、探 タン・深 シン、
○長(なが)き
「長」の古代中国語音は長[diang]である。古代日本語には濁音ではじまる音節はな
かったので語頭の[d]はナ行であらわれることがあった。日本語 の「ながい」は中国語の長[diang]と音義ともに近く、同源であろう。
タ行[t]、ダ行[d]、ナ行[n]は調音の位置が同じであり、転移しや すい。中国語には有声音があり、透韻[th-] もまたナ行音であらわれることがある。
例:啼[dyei](テイ・なく)、塗[da](ト・ぬる)、投[do](トウ・なげる)、
逃[do](トウ・にげる)、濤[du](トウ・なみ)、鈍[duən](ドン・にぶい)、
脱[thuat](ダツ・ぬぐ)、嘆[than](タン・なげく)、呑[thən](ドン・のむ)、
○あはれ
「あはれ」は平安時代の王朝文学を知るうえでの重要な文学的、美学的概念のひとつである。本居宣長は『源氏物語』は「もののあはれ」という一語に集約でき
る、とまで言った。
「あはれ」ということばは日本語のなかでその意味を深めていった。しかし、語源をたどると漢語の
「哀憐」からきているのではあるまいか。「哀憐」の古代中国語音は哀憐[əi-lien] である。漢語に「哀憐」という成句があり、「悲し
みあわれむ]ことをいう。「あは れ」も漢語起音であり、平安朝文学のなかで、その意味を「やまとことば」として昇華していったのではあるまいか。
参照:
我(208話)、世(よ)(第 209話)、思(おも)ふ(第210話)、
○ 谷崎潤一郎訳『源氏物語』〜空蝉〜
お寝(やす)みになれませんので、「私(わたし)はこのように人に憎まれたりしたこと
はないのに、今宵(こよい)始めて世の中の辛(つら)さを知ったので、もう恥かしく
て、生きている空もないような気がして来た」などと仰せられますと、涙をさえこぼし
て臥(ね)ています。
たいそう可愛らしいとお思いになります。手さぐりで触(さわ)ってごらんになります
と、ほっそりした小柄な体(からだ)つき、髪がそんなに長くはなかったけはいの、思
いなしか似ているようなのも哀れなのです。
2.碁を打つ女〜うつせみ〜【日本古典文学大系】
現在では、女性棋士もいるが、碁は主に男性が打
つ。しかし、源氏物語の時代に、は宮廷で女房たちが打ち興じたらしい。源氏物語絵巻にも碁を打つ女性の姿が描かれている。碁は大陸伝来のものであり、正倉院
御物にも漆塗りの碁盤がみられる。
碁打(う)ちはてゝ、けちさすわたり、心とげに見えて、きはゞゝしうさうどけば、奥
(おく)の人は、いと静(しづ)かにのどめて、
「待(ま)ち給へや。そこは、持(ぢ)にこそあらめ。このわたりの劫(こふ)をこそ」
などいへど、
「いで、この度(たび)は負(ま)けにけり、隅(すみ)のところゞゝゝ、いでゝゝ」
と指(および)を屈(かが)めて、
「十(とを)、二十(はた)、三十(みそ)、四十(よそ)」
など數(かぞ)ふるさま、伊豫(いよ)の湯桁(ゆげた)もたどゝゞしかるまじう見(み)
ゆ。少(すこ)し品(しな)おくれたり。
○ 漢語起源のことば
「碁(ご)」の古代中国語音は碁[giə]である。「碁」の声符は「其」である。将棋の「棋」と「碁」は同源である。棋院といえば碁会所のことであり、日本棋院といえば碁の団体のことである。
現在の日本語でも『戦艦大和の最期』などと使われることがある。「碁」の祖語は碁[gə] であり、介音[-i-] が発達によって棋[giə]
と発音されるようになった。したがっ て、碁(ゴ)のほうは古く、棋(キ)のほうが新しい。
「持(ぢ)」は試合などで勝負の決まらない状態を
いう。「持碁」ともいう。「持」の古代中国語音は持[diə]である。
「劫(こふ)」とは力で相手をおじけさせることを
いう。囲碁では、敵と味方が一目の石を取り合う場合、互いに他の一手を打ってからでないと、とることができない形をいう。「劫」の古代中国語音は劫[kiap]であり、「こふ」
の「ふ」は入声韻尾[-p]をあらわす。
「伊豫(いよ)」 日本の古地名には二文字の好字をあてたものが多い。伊豫國も古くから開けた土地で『和名抄』には「國府在越智郡行程上十六日下八日」とある。つまり、当時は京都か
ら伊予まで船で上りに十六日、行きにも八日もかかったことになる。
◎漢語(漢音・呉音):碁(ご)、持(ぢ)、劫(こふ)、伊豫(いよ)、
◎漢語起源のことば:打(う)つ、見(み)える、奥(おく)、静(しづ)か、度(たび)、
屈(かゞ)める、湯(ゆ)、品(しな)、
◎訓(やまとことば):こころ(心)、ま(待)つ、たま(給)ふ、ま(負)ける、すみ (隅)、
よび(指)、とを(十)、はた(二十)、みそ(三十)、よそ(四十)、
かぞ(數)ふ、けた(桁)、すこ(少)し、
○打(う)つ
「打」の古代中国語音は打[tyeng]である。漢和字典によると、日本漢字音は呉音・打
(ちょう)、漢音・打(テイ)、慣用音・打(ダ)とある。「打」と同じ声符をもった漢字にはつぎのようなものがある。
例:灯[təng]、丁[tyeng]、訂[deny]、停[dyeng]、亭[dyeng]、釘[tyeng]、貯[tio]、庁[thyeng]、
頂[tyeng]、町[thyeng]など
「打」は打[dyeng]に近い音だったのではないかと考えられる。「打」
が濁音だったとすれば「うつ」は、濁音である打[dyeng]の前に母音を添加したものであろう。古代の日本語
には濁音ではじまる音節がなかったから、濁音の前に母音などを添加して、日本語として発音しやすくした。
例:痛[thong] いたい、弟[dyei]
おと、頭[do] あたま、渡[dak] わたる、
○奥(おく)
漢和字典を調べてみると、日本漢字音は呉
音漢音ともに奥(オウ)、慣用語音として奥(オク)があげられている。白川静の『字通』によれば「奥」の古代中国語音は奥[uk]
であるという。奥(オウ)は奥(オク)の韻尾が脱落したものである可能性が高い。「奥」と同じ声符をもった漢字に「澳」「燠」がる。いずれも澳(おき)、燠(おき)で入声韻尾の痕跡をとどめている。「澳」は現代の慣用漢字をあてると「沖(おき)」であり、「燠」は、今はもう使われなく
なってしまったが火鉢などに火だねを貯えておく燠(おき)である。
○静(しづ)か
「静」の古代中国語音は静[dzieng]
である。日本漢字音は静(呉音・静「ジョウ」、漢 音・静「セイ」)である。日本語の「しずか」は中国語の静[dzieng]
の頭音が濁音であるために、語頭に清音を添加した ものだと考えられる。韻尾の[eng] は[ek] に相通し、「静」の祖語は静[dziek]
に近い音価をもっていた考えられている。
「しずか」はまた、静寂[dzieng-tzyek]が転移したものである可能性もある。
○度(たび)
「度」の古代中国語音は度[dak]である。支度(シタク)などという場合は現在でも
「度」は度(タク)と読む。日本語の「たび(度)」は度[dak]からは少し離れている。しかし、度(たび)は度[dak]の異音ではないかと思われる。
古代日
本語には濁音ではじまる音節はなかったので頭音の[d] は清音の「た」に転移した。韻尾の[-k] は[-p]
と聴覚印象が近かったために混同された可能性がある。中国でも長江沿岸の上
海などでは古代中国語音の韻尾[-p][-t][-k]は弁別されず、みな咽喉閉鎖音[?]になる。
○屈(かゞ)める
「屈(かゞ)める」の「屈」の古代中国語音は屈[khiuət]である。中国語の[kh-]は次清音と呼ばれ、日本語漢字音ではしばしば濁音
であらわれる。古代の日本語では濁音が語頭に立つことがなかったので、語頭の次清音[kh-]
はまず清音を先行させ、「が」と重複させたとものと思われる。清音と濁音が重複する例としては次のようものあげることができる。
例:屈[khiuət](クツ・かがめる)、限[heən](ゲン・かぎる)、授[zjiu](ジュ・さずける)、
静[dzieng](セイ・しずか)、沈[diəm](チン・しずむ)、鎮[tien/dyen](チン・しずめる)、
續[ziok](ゾク・つづく)、綴[tiuat/thjiuat](テツ・つづる)、 集[dziəp](シュウ・つどふ)、 逗[do](トウ・とどまる)、
○湯(ゆ)
「湯」の古代中国語音は湯[thang] である。同じ声符をもった漢字に陽[jiang]、揚[jiang]
などがあり、湯[thang] は口蓋化音の発達により、湯[jiang] に近い音に転移していたものと思われる。日本語の「ゆ」は湯[jiang]
に依拠したものであろう。
湯桁とは湯槽(ゆぶね)のことである。古歌に「伊
予の湯の湯桁の数は左八つ右は九つ中は十六、すべて三十三ありといへり」とあり、伊予の道後温泉の湯槽は数が多いことで有名であった。
○品(しな)
(参照:第210話)
○見(み)える(参照:第211話)、
○歴史的仮名使い
歴史的仮名使いでは「こふ」と「こう」を 書き分けている。「劫」の古代中国語音は劫[kiap]であり、劫(こふ)とと表記されている。。
[こふ] の例:劫火[kiap](こふか)、 業[ngiap]苦(ごふく)、
[こう] の例:弘[huəng]徽殿(こうき
でん)、公[kong](こう)、口[kho](こう)、
後[ho]宮(こうき う)、
○谷崎潤一郎訳『源氏物語』碁を打つ女〜空蝉〜
碁を打ち終って、駄目を押す具合がすばしこそうに見えて、何かてきぱきとしゃべりながら
躁(はしゃ)いでいますと、奥の人はえらく落ち着いて、
「待って下さい。そこは持(じ)でしょう。この劫(こう)のところを」などと言うのですが、 「いや、今度は負けました。
こことこの隅は何目(なんもく)でしょうか、どれどれ」
と指を折りながら、「十、二十、三十、四十」などと勘定する様子が、伊豫(いよ)の
湯桁(ゆげた)でも数えられそうにきびきびしています。 少し品(しな)が劣って見えます。
この頃、源氏は六条の御息所のところに通ってい
た。ある日、六条の御息所を訪ねる途中に、五条の乳母のところに寄る。乳母の家は五条の町屋の中にあった。乳母は病気が重く、頭を丸めて尼になっている。
そこで、源氏は、乳母の家の外で門の開くのを待っている間に隣の家の垣根に咲く夕顔の花に惹かれた。夕顔の花が取り持つ縁で、源氏はその家の女を知り通う ようになる。
ゆふがほ【日本古典文学大系】
六條わたりの御忍(しの)びありきのころ、内裏(うち)よりまかで給(たま)ふ中宿
(なかやど)りに、「大貮の乳母(めのと)の、いたく、わづらひて、尼(あま)になり
ける、とぶらはん」とて、五條なる家(いへ)、たづねておはしたり。
御車(くるま)入(い)るべき門(かど)は、さしたりければ、人して、惟光(これみつ)
召(め)させて、またせ給ひけるほど、むつかしげなる大路(おほぢ)のさまを、見わた
し給(たま)へるに、この家のかたはらに、檜垣(ひがき)といふもの、新(あたら)
しうして、上(かみ)は、半蔀(はじとみ)四五間(けん)許(ばか)り上(あ)げ渡
(わた)して、簾垂(すだれ)なども、いと白(しろ)う涼(すゞ)しげなるに、をか
しき額(ひたひ)つきの透影(すきかげ)、あまた見(み)えてのぞく。
漢語起源のことば
「夕顔(ゆふがほ)」の「夕」は夜[jya]に関係のあることばであろう。「かほ」は顔[ngean]貌[meô]であろう。中国語で「顔貌」は顔かたちを意味す る。
数字にはかなり早くから漢語が入ってきていたもの と思われる「大貮」、「五條」、「六條」、「四五けん(間)」はいずれも漢語読みである。
「はじと
み(半蔀)」の「は」は「半」である。「こよひ(今宵)」の「こ(今)」と同じように中国語音の韻尾[-n][-m]が脱落したものである。中国語では半[puan]、今[kiəm]で一音節になっている。しかし、日本語は母音で終わる
開音節であるため、半(ハン)、今(コン)とすると二音節になってしまう。日本語でも一音節で発音しようとすると、半(ハ)、今(コ)となってしまわざる
をえなかったのであろう。蔀は板を張った格子で、半蔀(はじとみ)は上部だけ、つり上げられるようになったものである。
○
漢語(漢音・呉音):六條、大貮、五條、四五けん(間)、はじ とみ(半蔀)、
○
漢語起源のことば:御、乳母(めのと)、尼(あま)、とぶらふ、家(いへ) 、車(くるま)、 入(い)る、見(み)わたす、檜垣(ひがき)、渡(わた)す、
簾垂(すだれ)、透影(すきかげ)、
○ 訓(やまとことば):しの(忍)ぶ、うち(内裏)、たま(給)ふ、なか やど(中宿)り、
わづらふ、たづねる、かど(門)、人、め(召) す、むつかし、
おほぢ(大路)、かたはら、あたら(新)しい、かみ(上)、
はじ
とみ(半蔀)、ばか(許)り、あ(上)げる、しろ(白)い、
すゞ(涼)しい、をかしき、ひた ひ(額)、あまた、
○
うち(内裏)
「内裏」と書いて、ここでは内裏(うち)と読ませ
ている。文字は漢字で、読みは「やまとことば」である。内裏(ダイリ)と読むのは内裏[nuəi-liə]の日本漢字音である。「内」の呉音は、内(ナイ)、
漢音は内(ダイ)である。
○ 乳母(めのと)
「乳母」の古代中国語音は乳母[njia-mə]である。「めのと」は「乳母」と書いているが、原
義は「乳人」であろう。日母[nj-] は[m-] が口蓋化したものであり、「乳」の祖語は乳[ma] に近い音があったものと思われる。現在は日母に
なっている漢字でもマ行音の痕跡を留めたことがいくつかある。
例:女[njia](め)、稔[njiəm](みのる)、認[njiən](みと)める、燃[njian] (も)える、
「人」を「と」と短縮して呼ぶことは、現在でも行わ れていて、素人(しろうと)、弟(おとうと)、舅(しゅうと)などの「と」は人(ひと)の短縮形である。
○ 尼(あま)
「尼」の古代中国語音は尼[niei]である。日本語の「あま」は中国語の「尼」と関係
のあることばであろう。鼻音[n-]は同じく鼻音の[m-]と調音の方法が同じであり、しかも調音の位置が近 い。調音の方法や位置の近い音は転
移しやすい。現代の日本語でも、ナ行とマ行で発音されることばがいくつかある。
例:韮・蒜(にら・みら)、蜷(にな・みな)、壬[njiəm]生(みぶ)、乳[njia]部(みぶ)
また、同じ声符をもった漢字でもナ行に読まれるも
のとマ行に読まれるものがある。声符「爾」の音価は「ミ」→「ニ」→「ジ」と変化したものと思われる。
例:爾[njiai](呉音「ニ」、漢音「ジ」)、邇[njiei](呉音「ニ」、漢音「ジ」)、
璽[njiai](呉音・漢音「シ」、慣用音「ジ」)、彌[miai](呉音「ミ」・漢音「ビ」)、
彌勒(みろ く)・阿彌陀(あみだ)、
○ とぶらふ
「とぶらふ」は漢字では「弔」と書く。日本語の
「とぶらふ」、は中国語の「弔」あるいは「弔問」と関係のあることばであろう。「弔問」の古代中国語音は弔問[tyô-miuən]である。
○
家(いへ)
古代中国語の「家」は家[kea]である。「家」の日本漢字音は呉音・「ケ」、漢
音・「カ」である。家は頭子音が脱落すると家「や」になり、また、頭子音が転移すると家「ヘ」になる。日本語の「いへ」は家(へ)に母音「い」が添加されたものであろう。
万葉集では「吾が家」を 「和伎覇(わぎへ)」、「和企弊(わぎへ)」などと表記している。「家」 は「へ」でもああった。中国語の家[kea]
聴覚印象は家[hea] に近かったのであろう。
(参照:第211話・經 る)。
○ 車(くるま)
「車」の古代中国語音は車[kia]
であると考えられている。日本漢字音は車「シャ」 である。しかし、車と同じ声符をもった「庫」は庫(コ)である。また、「車」の朝鮮漢字音は車(cha/keo)
である。日本語の「くるま」は古代中国語の「車」 と関係の深いことばであろう。「車輪」の「輪」も日本語の「くるま」と同系のことばであろう。
「車輪」の古代中国語音は車輪[kia-liuən]であり、日本語の「くるま」と音義ともに近い。
○ 檜垣(ひがき)
「檜」の古代中国語音は檜[huai]である。日本漢字音は檜(カイ)であり、訓は檜
(ひのき)である。中国語の喉音[h]は訓ではしばしばハ行であらわれる。カ行音と喉
音のハ行音は調音の位置が近く転移しやすい。日本語の檜(ひ)は古代中国語の檜[huai]が転移したものであろう。
(参照:第211話・經 る)。
「垣」の古代中国語音は垣[hiuan]であり、日本漢字音は垣(エン)である。中国語の 喉音[h-] が介音[-iu-] の前では脱落する。
例:禾[hua] カ・和[huai] ワ、螢[hyueng] ケイ・營[jueng] エイ、緩[hiuan] カン・援[hiuan] エン、
絵[huai]((カイ・ヱ)、壊[huəi] (カイ・ヱ)、恵[hyuei] (ケイ・ヱ)、皇[huang]((コウ・オウ)、
黄[huang](コウ・オウ)、横[hoang](オウ・よこ)、恨[hən](コン・うらむ)、
行[heang](コウ・ゆく・いく)、合[həp](ゴウ・あう)、
日本語の垣「かき」は
中国語の垣[hiuan]の語頭音の痕跡を留めたものである。訓読みの漢字のなかには 喉音[h-] の痕跡を残しているものもある。
例:熊[hiuəm](ユウ・くま)、雲[hiuən](ウン・くも)、越[hjiuat](エツ・こえる)、
○ 渡(わたす)
「わたる」「わたす」は漢字で書くと「渡」であ る。「渡」の古代中国語音は渡[dak] である。日本語の「わたる」は「過渡」ではなかろうか。過[kua]
であろうか。[k-][h-]は介音(u)のまえで脱落することが多い。和[huai]、話[huat]、は「ワ」であり、割[kat]
は割(カツ・わる)である。また、朝鮮漢字音では元(won)、原(won) である。韻尾の[-k][-t][-p] は古代日本語ではしばしばラ行であらわれる。
○ 簾垂(すだれ)
「すだれ」の「簾」は簾[liam]である。「垂」は垂[zjiuai]である。しかし、「垂」と同じ声
符をもった唾は唾[thuai]である。垂[zjiuai] は唾[thuai] が口蓋化したものであり、「垂」の祖語は垂[thuai]
に近い音価をもっていた可能性がある。日本語の訓、垂(たれる)は中国語祖語の痕跡をとどめている。
「すだれ」の「す」には「簾」の字があてられているが、
語源的には簀[tzhek]であろう。簀とは竹を編んだもののことで、また、
細い木や竹を並べて床にしく物のことである。日本語の「すだれ」は中国語の簀垂[tzhek-thuai] に依拠したことばである。
○
透影(すきかげ)
「透」の古代中国語音は透[thu]である。透の声符は「秀」は秀[siu]である。秀[siu] は透[thu]
が介音[-i-]の発達によって口蓋化したものである。「す きかげ」の「すき」は透[thu]
の口蓋化した音を継承したものであろう。「透」には「すける」という訓もある。
「影」の古代中国語音は影[yang]である。「影」と同じ声符をもった漢字に景[kyang]がる。影[yang]は景[kyang ] の頭子音が脱落した
ものである。影(かげ)は声符、景[kyang] の頭音を継承したものであろう。「影」と「景」は声義において通用する。日本語でも景虎(かげとら)など人名にも使われている。
○い≪入≫る(参照:第211話)。
歴史的仮名使い
「四條」、「五條」は漢語である。漢字で書いてあるが、歴史的
仮名使いで書けば四條(しじやう)、五條(ごじやう)である。現代の日本語で「じょう」と表記するもののなかには、歴史的仮名使いでは「じやう」と書くもの
と「じよう」と書くものがある。
[じやう]:條[dyu]、精[dzieng]進、浄[dzieng]土、成[zjieng]仏、上[zjiang]手、
装[tziang]束、菖[thjiang]蒲、将[tziang]軍、筝[tzheng]、笙[sheng]の笛、
[じよう]:丞[zjiəng]、承[zjiəng]、乗[djiəng]、勝[sjiəng]、證[tjiəng]、鍾[tjiong]、
中国語の韻で、陽韻[-ang]、耕韻[-eng] のものは「じやう」と書き、蒸韻[-əng]、東韻[-ong]のものは「じよう」と表記している。
「精進」は精進(さうじ)と書かれていることもある
(参照:第215話)。「装束」は装束(せうぞく)とも書く。「菖蒲」は菖蒲(さうぶ)とも書く。筝(しやう)は筝(さう)とも書く。また、笙(しやう)は笙(さ
う)とも書く。
これらのことば に二つの異なる読み方があったの か、表記の揺れなのかは明らかでない。恐らく現在の漢字に相(ソウ・ショウ)、装
(ソウ・ショウ)と二つの読み方があるのと同様に、直音のものと拗音のものが併存していたのではあるまいか。
谷崎潤一郎訳『源氏物語』〜夕顔〜
六条あたりに人目を忍んでお通いの頃、内裏(うち)からそちらへお出ましになる中宿
(なかやど)りに、大弐(だいに)の乳母(めのと)が重い病気で尼になったのを見舞
っ
てやろうとお思いになって、五条にあるその家を尋ねて、お立ち寄りになりました。
御車(みくるま)を入れるべき門がとざしてありましたので、惟光(これみつ)を呼び
におやりになって、待っていらっしゃる間、むさくろしい大路(おおじ)のさまを見渡
されますと、この家の傍(かたわ)らに、檜垣(ひがき)というものを新しく作って、
上の方は半蔀(はじとみ)にして、四五間ばかり吊り上げてあり、簾(すだれ)なども
たいそう清
く涼しそうに垂らしてある向うから、美しい額(ひたい)つきをした透影
(すきかげ) が数多(あまた)ちらちらして、こちらを覗(のぞ)いているのが見えます。
源氏物語には句読点がないから、どこで文章が切れて
いるのか、分かりにくい場合が多い。日本語では主語などが省略されることが多いから、文脈で補っていかないと意味が通じないことがある。日本語は動詞など用言中心の言語だということができる。主語や目的語
は省略されていることがある。
主語のない日本語
日本語の文章は主語をよく省くので、源氏物語を読ん
でいても主語が誰だか分からなくなることがある。なかには目的語が省かれていることもある。上の文章の主語を≪ ≫で補い、述部の部分をア
ンダーラインで示すと次のようになるであろう。
≪ 源氏が≫六條わたりの御忍びありきのころ、≪源氏が≫内裏よりまかで給ふ中 宿りに、
≪
源氏は≫「大貮の乳母の、いたく、わづらひて、尼になりける≪者を≫、と ぶらはん」
とて、≪乳母の≫五條なる家、≪源氏が≫たづねておはしたり。
≪ 乳母の家の≫御車いるべき門は、さしたりければ、≪源氏は≫人して、惟光召させて、
≪
開門を≫またせ給ひけるほど、むつかしげなる大路のさまを、≪車から≫見わたし給
へるに、
≪乳母の≫この家のかたはらに、檜垣といふもの、新しうして、≪檜垣の≫上
は、半蔀四五間ばかり上げ渡して、簾垂なども、いと白う涼しげなる≪家≫
に、をかし
き額つきの透影、あまた見えて≪車の方を≫のぞく。
源氏は夕顔と契り、この契りは来世までも続けよう
とお誓いになります。夕顔と一夜を明かした朝、町屋では鳥の声や物売りの声は聞こえないで、金峯山に参籠に行く行者の声や、念仏をとなえる声が聞こえて
きます。仏教は伝来以来、宮廷で取り入れられてきましたが、中国の文化や文字を日本に定着させたのも僧侶たちでした。その仏教が京都では町屋にまで広がっているのです。
町 屋の朝〜夕顔〜【日本古典文学大系】
明(あ)け方(がた)も、近(ちか)うなりけり。鳥(とり)のこゑ(聲)など聞(きこ)えで、 たゞ、翁(おきな)びたる聲(こゑ)に、ぬかづくぞ聞(きこ)ゆる。
起居( たちゐ)のけはひ、堪(た)へ難(がた)げに行(おこな)ふ。 いと、あはれに、「朝(あ した)の露に異(こと)ならぬ世(よ)を、何(なに)をむさぼ
る、身の祈(いの)りにか」と、 きゝ給ふに、御嶽精進(みたけさうじ)にやあらん、
「南無當來導師(なもたうらいだうし)」とぞ、拝(をが)むなる。
「かれ聞(き)き給へ。この世(よ)とのみは、思(おも)はざりけり」 と、あはれがり給ひて、
優婆塞(うばそく)が行(おこな)ふ道(みち)をしるべにて來(こ)ん世(よ)も深(ふか)き 契≪り≫たがふな。
長生殿の古(ふる)きためしはゆゝしくて、羽(はね)をかはさむと引(ひ)きかへて、彌勒(み ろく)の世(よ)をかね給(たま)ふ。
漢
語起源のことば
日本の仏教は漢訳仏教であり、多くの漢語が仏教とともに入ってきた。「御嶽精進(みたけさうじ)」、「南無當來導師(なもたうらいだうし)」、「優婆塞(うばそく)」、「彌勒(みろく)」はいずれも漢語である。
「御嶽精進(みたけさうじ)」は金峰山(きんぷせ ん)に参籠する前に、山伏が精進して、弥勒菩薩に祈願することをいう。
「南無當來導師(なもたうらいだうし)」の「南
無」はサンスクリット語をそのまま漢字にしたもので「帰依する」という意味である。「南無」の「無」は末音添記で南[nəm]の韻尾が[-n]ではなくて[-m]であることを明確に示すために添記されたものであ
ろう。「南無當來導師」は彌勒に祈ることばで、この祈りのことばで御嶽精進だと知ることができる。
「優婆塞」は在俗のまま仏道を修業する人をいう。彌勒(みろく)は未来に衆生を救う菩薩である。
長生殿は唐の玄宗皇帝と揚貴妃が愛を誓った場所で
ある。「長生殿で玄宗皇帝が楊貴妃と契った例は死別に終わって未来まで添いとげられなかったから、、」ということになる。○
○
漢語(漢音・呉音):御嶽精進(みたけさうじ)、南無當來導師(なもたうらいだうし)、
優婆塞(うばそく)、長生殿、彌勒(みろく)、
○
漢語起源のことば:鳥(とり)、翁(おきな)、起居(たちゐ)、堪(た)へる、あはれ、世 (よ)、身(み)、御嶽精進(みたけさうじ)、思(おも)ふ、來(こ)ん、古(ふる)き、羽 (
はね)、かはす、
○ やまとことば:あ(明)ける、かた(方)、ちか(近)く、こゑ (聲)、きこ(聞)える、かた (難)い、おこな(行)ふ、露、こと
(異)なる、なに(何)、いの(祈)り、給ふ、みたけさ
うじ(御嶽精進)、をが(拝)む、き(聞)く、おこな(行)ふ、みち(道)、しるべ、ふか (深)き、契≪り≫、たがふ、ひ (引)きかへ、
○
朝鮮語と関係のあることば:あさ(朝)、
○ 鳥(とり)
「鳥」の古代中国語音は鳥[tyu] である。現代北京音は鳥(niao)
である。広東語音は鳥(niuh) であり、朝鮮漢字音は鳥(jo) である。日本漢字音は、いうまでもなく鳥(チョウ)
である。歴史的仮名使いでは鳥(てう)である。日本語の「とり」は古代中国語の鳥[tyu] の転移したものであろう。
○ 翁(おきな)
「翁」の古代中国語音は翁[ong] である。「翁」の声符は公[kong] である。「おきな」の「おき」は公[kong]
の語頭子音が脱落したものである。中国語の韻尾[-ng] は古代中国語の入声調音[-k] が転移したものであり、「翁」の祖語は翁[ok]
に近かったと考えられる。「おきな」の「な」は女(をみな)の女[njia] であろう。
○ 起居(たちゐ)
「起居(キキョ)」は漢語である。日本語の「たち ゐ」は「立+居」であろう。「立」の古代中国語音は立[liəp]
である。古代日本語ではラ行ではじまる語彙はなかったの
で、中国語のラ行は倭語ではタ行に転移した。ラ行とタ行は調音の位置が同じであり、転移しやすい。(参照:第211 話)
例:立[liəp](リツ・たつ)、瀧[leong](ロウ・たき)、龍[liong](リュウ・たつ)、
粒[liəp](リュウ・つぶ)
居(ゐ)は古代中国語の居[kia]の語頭音が脱落したものである。
○ 堪(た)へる
「堪」の古代中国語音は堪[khəm]
である。堪の声符は甚[zjiəm] である。同じ声符をもった漢字に「勘」「 湛」があり、「勘」の古代中国語音は勘[khəm] であり、「湛」は湛[təm]
である。
「堪」の日本漢字音は呉音「コン」、漢音「カ ン」、慣用音「タン」である。訓は「たえる」。
「勘」の日本漢字音は呉音「コン」、漢音「カ ン」、意味は「かんがえる」である。
「湛」の日本漢字音は呉音「デン」、漢音「タ
ン」、ほかに「ジン」「チン」という音もある。
「甚」の日本漢字音は呉音「ジン」、漢音「シン」、意味は「はなはだしい」だという。
この間の関係を整合的に説明するのはむずかしい。
漢和字典には堪(カン)の慣用音として堪(タン)をあげているから、日本語の「たえる」は堪(タン)にいきょしたものだろう、と考えるのがもっとも素直な 説明だろう。
湛[təm] が口蓋化によって甚[zjiəm] になるのは納得できる。しかし、中国語では堪[khəm] や勘[khəm] も口蓋化によって甚[zjiəm]
になったのだろうか。
中国語には同じ声符を持った文字でカ行とサ行にわ
たって読まれる文字がほかにもたくさんある。このことから、中国語では[k-][kh-][g-] や喉音[h-][x-]
も口蓋化によって摩擦音化したのではないかということが推定することができる。
例:嚇(カク)・赤(セキ)、感(カン)・鍼(シ
ン)、宦(カン)・臣(シン)、
耆(キ)・嗜(シ)、詣(ケイ)・旨(シ)、伎 (ギ)・支(シ)、期(キ)・斯(シ)、
祇(ギ)・氏(シ)、嗅(キュウ)・臭(シュウ)、絢(ケン)・旬(ジュン)、
賢(ケン)・腎(ジン)、喧(ケン)・宣(セン)、坤(コン)・神(シン)、
堪(たえる)ばかりでなく、鍼(はり)も、臭(くさ
い)も、神(かみ)漢語起源のことばであろう。(参照:第212話・絶(ゼツ・たえる))
○ 古(ふる)い
古代中国語の「古」は古[ka]である。同じ声符をもったに涸[hak] がある。「古」も涸[hak] に近い音をもっていたものと想定できる。日本語の
「ふるい」は古代中国語の「古」と同源であろう。
(参照:第210話・經)
○ 羽(はね)
はね(羽)の「羽」の古代中国語音は羽[hiua] である。日本漢字音は羽(ウ・は・はね)である。
日本漢字音の羽(ウ)は羽[hiua]の頭音[h]
が脱落したものである。羽(は)は羽[hiua] の頭音が喉音[h]がハ行に転移したものである。喉音[h]
は合音(iu)の前ではしばしば脱落する。羽(は)は羽[hiua]の頭音[h] 痕跡をハ行に残しており、音の羽(ウ)は頭音[h] が脱
落した後の中国語音を継承している。
(参照:第210話・ふ(經)る、第214話・檜垣)
中国語の頭音[h]
は日本語にはない音であり、日本語ではさまざまに転移して受け入れられている。
1.古代日本語にカ行あるいはハ行音として喉音[h-]
の痕跡の残るもの。
雲[hiuən](ウン・くも)、越[hiuat](エツ・こえる)、媛[hiuan](エン・ひめ)、
黄[huang](オウ・コウ・き)、熊[hiuəm](ユウ・くま)、
2.呉音では喉音[h-] 音が脱落し、漢音にはカ行音としてあらわれるもの。
絵[huai](ヱ・カイ)、恵[hyuei](ヱ・ケイ)、黄[huang] (オウ・コウ・き)、
3.日本語の音では喉音[h-]の痕跡が残り、訓では[h-] が脱落しているもの。
合[həp](ゴウ・あふ)、
4.音でも訓でも喉音[h-]が脱落しているもの。
芋[hiua](ウ・うも・いも)、横[hoang](オウ・よこ)、行[heang](コウ・ゆく)、
借用語は一般に、受け入れた時代の音を継承している。このことから、中国での喉音[h]の脱落はかなり長い時間をかけて起こり、地域に
よっても差があったであろうことが想定できる。日本漢字音は古代日本語音(訓)→呉音→漢音と推移していく。
○ かはす
日本語の「かはす」は中国語の交[keô]と関係のあることばであろう。
○ あさ(朝)
日本語の「あさ」は朝鮮語の朝(a-chim)と関係のあることばであるといわれている。
参照:世(よ)(第209話)、身(み)(第210話)、來(こ)ん(第210話)、
あはれ(第213話)、思(おも)ふ(第213話)、
歴 史的仮名使い
『源氏物語』には漢語も多く使われている。仮名は「やまとことば」の表記に使われているばかりでなく、漢語の表記にも使われている。漢語を仮名で表記する
のも、そう簡単ではなかった。精進(さうじ)、當來(たあうらい)、導師(だうし)、などは現代の表記では精進(ショウジン)、當來(トウライ)、導師
(ドウシ)である。これらの表記と漢字原音との関係はどうなっているのだろうか。
○「さう」と「しやう」
「精進」には精進(さうじ・しやうじん)、「筝」には筝
(さう・しやう)、「装束」には装束(さうぞく・しやうぞき)、「菖蒲」には菖蒲(さうぶ・しやうぶ)という表記もある。現代の漢字音でも呉音と漢音では読み方が違う。
例:精(呉音・ショウ、漢音・セイ)、筝(呉音・ショウ、漢音・ソウ)、
装(呉音・ショウ、漢音・ソウ)、菖(呉音・ショウ、漢音・ショウ)
「しやう」は中国語の介音[-i-] をあらわしているものと思われる。中国語の介音[-i-]
は隋の時代に発達してきたと考えられているが、日本漢字音は呉音の方にあらわれる。恐らく江南地方で早くから発達したものを仏教用語を通じて呉音のなかに取り入れたものであろう。源氏物語の時代には、すでに呉音と漢音の両方が使われていた。
○「たう」と「とう」
「たう」と「とう」 は源氏物語では区別して用いられていた。「たう」には陽韻[-ang]
などの文字が用いられ、「とう」には東韻[ong]、蒸韻[əng] などの文字があてられている。「刀[tô]自」は刀自(とじ)とも読む。
[たう]:當[tang]來、唐[dang]、堂[dang]、導[du]師、
[とう]:頭[do]中将、東[tong]宮、燈[təng]籠、童[dong]子、刀[tô]自、
○「ちやう」と「ちよう」
「ちやう」と「ちよう」は源氏物語の時代には区別して用いられていた。「ちやう」は陽韻[-ang]、耕韻[-eng]
の漢字が当てられ、「ちよう」には東韻[-ong]の文字が用いられている。両方とも介音[-i-] をともなっている。
[ちやう]:長[diang]恨歌、長[diang]生殿、町[thyeng]人、丈[diang]夫、杖[diang]、
[ちよう]:重[diong]陽、重[diong]畳、重[diong]宝、
谷 崎潤一郎訳『源氏物語』〜夕顔・町屋の朝〜
明け方も近くなりました。 鶏(とり)の声などは聞えないで、御嶽精進(みたけそうじ)の行者た ちでしょうか、
年老いた声で祈禱をしながら礼拝(らいはい)するのが聞こえます。
立居(たちい)の様子も苦しそうに行(ぎょう)をしています。
可哀そうに、朝(あした)の露に 異ならぬ浮世に、何を求めようとしての祈りであろう
かと、聞き耳をお立てになりますと、「南無 当来(なむとうらい)の導師」と言って拝ん でいるのです。
「あれをお聞きなさい、あの人たちも、此の世はもとより来世までもと考えているので すよ」と哀 れがり給うて、
優婆塞(うばそく)が行う道をしるべにて
来ん世も深きちぎりたがふな
長生殿の故事(ふるごと)はあまりめでたい例(ためし)ではありませんから、翼(つ
ばさ)を交 (かわ)す契に引きかえて、弥勒(みろく)出世の後までもと約束をなさいます。
源氏はついに夕顔を町屋から連れ出すのに成功しま
す。二人はひたすら愛し合い、永遠の愛を誓いあうのでした。短い期間ながら心を尽くして愛し合ったのに、夕顔は物の怪につかれたように脅え、苦しんで、や
がて思いがけなくも息絶えてしまいます。
そして、今度は源氏の君自身が気分が悪くなってし
まいます。病気平癒を祈願して、陰陽師の行う神の祭りやお祓い、仏教の加持祈祷など、ありとあらゆる御祈祷が行われます。
1.病気平癒祈願〜夕顔〜【日本古典文学大系】
まことに、臥(ふ)し給(たむげに、弱(よわ)るやうにし給ふ。
内裏(うち)に、聞(きこ)し めし、嘆(なげ)く事かぎりなし。 御祈(いの)り、かたがたに、ひまなくのゝしる。
祭(まつり)・祓(はらへ)・修法(すほふ)など、言(い)ひ盡(つ)くすべくもあらず。 世 (よ)に類(たぐひ)なく、ゆゆしき御有様(ありさま)なれば、「世(よ)に長(なが)
くおは しますまじきにや」と、天(あめ)の下(した)のさわぎなり。
漢語起源のことば
修法(すほふ)というのは漢
語である。古代中国語音は修法[siu-piuap] である。修[siu]の介音[-i-]ははぶかれて修(す)になっている。
誦經(ずきやう)なども誦[ziong] の介音[-i-]が脱落した例である。宿禰(すくね)なども古代中国語音は宿禰[siuk-myei]
であり、介音[-i-] は脱落して宿[suk] のように発音されている。これらは、朝鮮漢字音でも 修(su)、宿(suk)、誦(song)
となっており、源氏物語の頃の日本漢字音は朝鮮漢 字音に近い。
「すほふ」の「ふ」は中国語の韻尾[-p]
を忠実に再現したものである。旧仮名使いでは蝶[thyap] も「てふ」「てふてふ」であった。
○ 漢語(漢音・呉音):修法(すほふ)、
○
漢語起源のことば:臥(ふ)す、いたく、苦(くる)しむ、弱(よを) る、限(かぎ)り、
御、ひま、祭(まつり)、祓(はらへ)、世(よ)、長(なが)き、天(あめ)、騒(さわ ぎ)、
○ 朝鮮語と同源のことば:二三日(ふつかみか)、
○ 訓(やまとことば):たま(給)ふ、ふつかみか(二三日)、 うち(内裏)、きこ(聞)す、
なげ(嘆)く、こと(事)、いの(祈)り、い(言)
ふ、ひつ(盡)くす、たぐひ(類)、
ゆゆし、おはす、した(下)、わざ、むげ(無下)に、ありさま(有様)、
○ 痛(いた)く
「痛」の古代中国語音は痛[thong]である。「いたい」は痛[thong]の頭音[th]の前に母音「い」がついたことばである可能性があ
る。中国語の[th-]は次清音とよばれ、濁音に近い。日本語では濁音で はじまる音節がなかったから、母音をつけて発音しやすくした。
例:討[thu] うつ、打[tyeng/thyeng] うつ、弟[dyei] おと、頭[do] あたま、
「痛」と同じ声符をもったかんじとしては、次のよう なものをあげることができる。
例:通[thong] とほる、樋[thong]
とい、涌[jiong] わく、桶[dong] おけ、
通、樋[thong ]は通・樋[tong] と調音の位置が同じである。涌[jiong]
は頭音が介音[-i-] の発達によって脱落したものである。桶[dong](おけ)には介音[-i-]
の発達により、桶[diong]のような音価をもった段階があり、頭音[d] 脱落によって桶(おけ)となったのであろう。
○ 苦(くる)しむ
「苦」の古代中国語音は苦[kha] である。「苦」と同じ声 符を持った漢字に涸[hak] があり、韻尾に入声音[-k] がみられる。「苦(くる)
しむ」の「る」、「古(ふる)い」の「る」は中国語音の[-k] の転移したものであろう。
○ 弱(よわ)る
「弱」の古代中国語音は弱[njiôk]である。日本語の「よわ(弱)い」「よわ(弱) る」は弱[njiôk] の頭音[nji-]
が脱落したものである。朝鮮漢字音では中国語の日 母[nji-]は規則的に脱落する。
例:弱(yak)、若(yak)、耳(i)、乳(yu)、柔(yu)、熱(yeol)、入(ip)、日本(il-bon)、
朝鮮漢字音では肉[njiuk] は肉(yuk)「ユッケ」である。日本語でも日母[nji-]は失われてア行、ヤ行、ワ行などに転移するものが ある。
例:弱[njiôk] よわい、若[njiak] わかい、譲[njiang] ゆずる、柔[njiu] やわら、入[njiəp] いる、
餌[njiə]
え、熱[njiat] あつい、
○ 限(かぎ)り
「限」の古代中国語音は限[hean]である。古代日本語では語頭に濁音がくることはな
かったから、まず清音を先行させて「かぎり」のように、音節を重ねることによって日本語の音韻体系に取り入れられた。「かぎり」の「り」は韻尾[-n]が転移したものである。[-n]と[-l]は調音の位置が同じであり、
転移しやすい。
中国語の濁音の前に清音の音節を添加した例として は次のようなものがある。
(参照:第224話・續く)
例:屈[khiuət] かがむ、係[hye] かかり、懸[hiuen] かける、静[dzieng] しずか、
進[tzien] すすむ、続[ziok]
つづく、畳[dyap] たたみ、停[dyeng] とどめる、
○ 閑(ひま)
「閑」の古代中国語音は閑[hean]である。平安時代の日本語のハ行音は「ファ、
フィ、フ、フェ、フォ」であったといわれるが、源氏物語にあらわれるハ行音のことばのなかには、漢語の喉音[h]を継承したと思われるものがいくつかみられる。
例:華[hoa] はな、降[hoəm] ふる、媛[hiuan] ひめ、宏[heang] ひろい、
弘[huəng] ひろい、浩[hu]
ひろい、含[həm] ふくむ、艦[heam] ふね、
○ 祭(まつり)
「祭」の古代中国語音は祭[tziai]である。同じ声符を持つ漢字に、察[tziat]、擦[tziat]
があり、「祭」の祖語も韻尾に入声音[-t]があったものと考えられる。「擦」は「する」であり、「祭」(まつり)は中国語の祖語、祭[tziat]と関係があるのであろう。
「まつ り」の「ま」については不明である。「祭」の原義は「供え物をそなえ祭壇を清める儀式」の
ことで、中国語には「墓祭」「禡祭」「軷祭」などがある。墓[mai/mak]祭は先祖の祭り、禡[mea]祭は軍神を祭り兵士の士気を高める祭り、軷[buat]祭
は道祖神の祭りである。「まつり」はこれらのことばと関係があるかもしれない。
○ 祓(はらへ)
「お祓い」の「祓」の古代中国語音は祓[buat]である。韻尾の[-t] は[-l] と調音の位置が同じであり、動詞ではラ行に転移すること
が多い。朝鮮漢字音では中国語の韻尾[-t]は規則的に[-l]に転移する。
例:祓(pul)、抜(pal)、佛(pul)、地下鉄(ji-ha-cheol)、万年筆(man-nyeon-ppil)、
日本語の祓「はらへ」は中国語の「祓」と同源である。払(はらう)も同様である。
○ ありさま(有様)
「ありまさま」は漢字で「有様」と書かれることがあるが、国字である。しかし、日本語の「ありさま」に「有様」をあてるのは、それなりの理由がなければならない。
古代中国語の「有」は有[hiuə] であり、「様」は様[jiang] である。「ある」は有[hiuə]
の頭音[h-] の脱落したものに対応する。「様」の声符は羊[jiang]であり、同じ声符をもつ漢字に祥[ziang]、詳[ziang]などがある。様[jiang]
は祥[ziang] 吉[ziang] の頭音が脱落したものであり、「様」の祖語は様[ziang] に近い音価をもっていたものと思われる。中国語の韻尾[-ng]
は調音の方法が[-m] と同じであり、日本語ではマ行であらわれることも多い。
例:浪[lang]なみ、状[dziang]
さま、相[siang]さま、霜[shiang] しも、弓[kiuəng] ゆみ、公[kiuəng] きみ、
○ 天(あめ)
「あめ」は天[thyen]の頭音が脱落したものであろう。
漢字を学ぶ初期の教科書として『千
字文』というものがある。『古事記』によれば百済の王仁がわが国にもたらしたという。わが国でも飛鳥奈良時代以降、漢字の教科書として用いられた。その冒
頭に「天地玄黄。宇宙洪荒。」という四文字成句があり、「テンチのあめつちは、クヱンクワウと黒く、黄なり。ウチウのおほぞらは、コウクワウとおほいにおほ
きなり。」と文選読みに読んだ。文選読みとは、漢文の音読みにつづけて訓で意味を翻訳して読む読み方である。「天地」は「あめつち」と訓読されている。天地(テンチ)は漢字の音読みで、天地(あめつち)は「やまとことば」とされている。
「天地」の古代中国語音は天地[thyen-diet]である。これが天地(テンチ)
となる。しかし、天地(あめつち)も古代中国語音に依拠したことがである可能性がある。「あめ」は天[thyen]は頭音[th]が介音[-y-]
の影響で脱落したものであり、韻尾の[-n]はマ行に転移し た。韻尾[-n] は同じく鼻音である[-m] と調音の方法が同じであり転移しやすい。日本語では[-n]
と[-m] は弁別されたいない。
「つち」の古代中国語音は地[diet] である。古代日本語では濁音ではじまる音節がなかった
ので清音「つち」になった。韻尾の入声音は唐代には失われているが、古い中国語音の痕跡を留めている。つまり、文選読みは「音+訓」ではなくて、「唐代
の音+弥生音(周代の漢字音に依拠する古い漢字音で8世紀に日本が本格的な文字時代になる前に、すでに「やまとことば」として日本語のなかに定着してしまっていた漢字音)」ということになる。
○ 騒(さわぎ)
「騒」の古代中国語音は騒[su] である。 騒[su]
の母音は合口音であり、ワ行音に近い。また、中国の音韻学者、王力によれば幽韻[u] は冬韻[ung]、覺韻[uk] とも通ずるという。日本語の「さわ(騒)ぎ・さわ
(騒)ぐ」は中国語の騒[su] と同源であり、中国語音の転化したことばであろう。
○ 二三日(ふつかみか)
「日」の古代中国語音は日[njiet]である。朝鮮語では 「日」のことを日(hae)という。日本語の日(ひ)は朝鮮語の日(hae)
と同源である可能性が高い。朝鮮語の日(hae) は喉音であり、後口蓋音の(k)に調音の位置が近く、転移しやすい。「ふつか」「みか」の「か」は朝鮮語の日(hae)
の転移したものである。
参照:御(第208話)、世(よ)(第 209話)、臥(ふ)す(第213話)、
長(なが)き(第213話)、
歴史的仮名使い
『源氏物語』の日本語では修法(ずほふ)のように、現在 では拗音化している音が直音で読まれることが多い。
○「す」・「しう」・「しゆう」
拗音「しう」あるいは「しゆ う」の直音の「す」であらわれることがしばしばある。その理由は二つ考えられる。
1.中国 語音で介音[-i-]の発達する以前の音を留めている可能性がある。
2.日本語に拗音がなかったために、中国語の拗音
は日本語としては直音として定着した。
『源氏物語』の時代の仮名使いでは「す」「しう」「しゆう」などがみられる。
は後のことであろう。
[す]:修[siu] 業・すぎ やう、誦[ziong] 經・ずき やう、數[sheo] 珠[tjio] すず、
朱[tjio] 雀院・すざ
くゐん、受[zjiu] 領・ずり やう、宿[suk] 世・すくせ、
従[dziong] 者[tjya] ずざ、洲[tjiu] す、
巣[dzheô] す、 寿[zjiu] す、 主[tjio] す、 住[dio] すむ、
上[zjiang] 手[sjiu] じやう・ず、
周[tjiu] 防・すは )、駿[tziuən] 河・するが、
[しう]:主[tjio]、州[tjiu]、秀[siu]、祝[tjiuk]言、
[しゆう]:衆[tjiuəm]、主[tjio]、宗[tzuəm]旨、主従[dziong]
祝言(しうげん)の「しう」は祝[tjiuk]
の韻尾が音便化したもので、ほかに、格子(かうし)、拍子( はうし)などがある。「格」「拍」の韻尾はいずれも入声音で、格[keak]、拍[peak] である。
○「ず」・「づ」
歴史的仮名使いでは「ず」と「づ」とは原則として区別されて いる。「づ」は「つ」の濁音であり、中国語原音が定母[d-]
あるいは透[th-] のものに使われている。
[づ];図[da](づ)、頭[do](づ)、豆[do](づ)、徒[da](づ)、出[thjiuət](づ)
しかし、『源氏物語』の時代には「ず」には中国語原音が澄母[dj-] あ徹母[thj-] であったものがふくまれている。
[ず]:誦[ziong](ず)、受[zjiu](ず)、従[dziong](ず)、術[djiuət](ずち)、順[djiuən](ずん)、
随[duai](ずい)、呪[tjiuk](ず)、
中国漢字音の澄母[dj-] は定母[d-] から派生したといわれ、徹母[thj-]
は透母[th-] から口蓋化によって生まれたと考えられている。『源氏物語』の仮名使いはすでに始まっていた口蓋化の影響を受けて、澄系[dj-] 、徹系[thj-]
の漢字が「ず」に使われている。
○「ほふ」・「ほう」
「ほふ」は原則として中国語の韻尾が[-p]のものに用いられ、そのほかは「ほう」と書く。
[ほふ]:法[piuap] ほふ、
[ほう]:方[piuang] ほう、奉[biong] ほう、峰[phiong] ほう、宝[pu]
ほう、豐[phiuəm] ほう、
蓬[beong]莱・ほうらい、鳳[biuəm]凰・ほうわう、暴[bôk/bong] ぼう、謀[miuə] ぼう、
し
かし、実際には「法師」を法師(ほうし)と書いた写本もあることから、平安時代に実際に「ほふし」と「ほうし」の区別がどの程度守られていたかは明らかではない。法
(ほふ)は中国語原音の法[piuap] を意識した多分に規範的な表記法であったものと思われる。その後は、法(ほふ)は法(ほう)に合流し、現代
の仮名使いにいたる。
谷崎潤一郎訳『源氏物語』〜夕顔・病気平癒祈 願〜
君はほんとうにおわずらいなされて、たいそう苦しがらせ給い、二日三日たつうちに、 すっかり御 衰弱の御様子なのです。
内裏(うち)でもそれを聞(きこ)し召して限りなく御心痛になります。
御平癒の御祈禱が方々でしきりに催されます。
祭、祓(はらえ)、修法(ずうふ)など、言いつく すべくもありません。
世にたぐいなく、怪しいまでにお美しい御器量なので、御短命なのではあるまいかなど
と、天(あ め)が下の人々がこぞって心配をします。
2.野辺の送り〜夕顔〜【日本古典文学大系】
かつて契りを結んだ人(夕顔)は、火葬によって煙 となってしまった。その煙を、夕顔だと思って眺めていると、夕方の空までむつまじく感じられる。
空(そら)の、うち曇(くも)りて、風ひややかなるに、いと、いたく、うちながめ給 ひて、
見(み)し人のけぶりを雲と眺(なが)むれば
夕の空もむつましきかな
と、 ひとりごち給へど、え、さしいらへも聞(きこ)えず、「かやうにて、おはせましかば」と思 ふにも、胸(むね)ふたがりておぼゆ。
耳(みゝ)かしがましかりし、砧(きぬた)の音(おと)をおぼし出(い)づるさへ、戀しくて、 「まさに長(なが)き夜」と、うち誦(ずん)じて、臥(ふ)し給 へり。
漢語起源の日本語
「まさにながき(長)き夜」は白楽天の詩「聞夜砧」の一節による。『白氏文集』平安時代に伝えられて、貴族の間で愛読されていた。
誰家思婦秋擣帛
誰(た)が家の思婦(しふ)ぞ、秋帛(きぬ)を打つ
月苦風凄砧杵悲 月苦(さ)え、風凄(すさま)じく、砧(きぬた)の音悲し
八九月正長夜
陰暦八月、九月は、正に長いことよ、
「ずん(誦)ず」は古代中国語の誦[ziong]の転移したものであり、漢語といえる。動詞で漢語
が使われている例としては、「御覧ずる」、「奏す」などをあげることができる。
○ 漢語(漢音・呉音):ずん(誦)ず、
○
漢語起源のことば:曇(くも)り、見る、雲、眺(なが)める、むつま じい、思ふ、
耳(みゝ)、音(おと)、出(い)づる、 戀、長(なが)き、夜、臥(ふ)す
○訓(やまとことば):そら(空)、風、ひややか、給ふ、夕、ひとり、き こ(聞)える、
おはす、むね(胸)、きぬた(砧)、
○ 曇(くも)り
「曇」の古代中国語音は曇[dəm]である。日本語の「くもり」はむしろ雲[hiuən]と関係のあることばであろう。
「雲」の日本漢字音
は雲(ウン)、訓は雲(くも)である。雲(ウン)は古代中国語音の喉音[h-]が介音(i)の影響で脱落したもので、唐代の中国語音に依拠し
ている。訓の雲(くも)は唐代より前の時代の中国語の喉音[h] の痕跡をとどめたものである。古代中国語の韻尾[-n][-m]
は日本漢字音では弁別されていない。(参照:第 209話)
○ 眺(なが)める
「眺」の古代中国語音は眺[thyô]
である。音の眺(チョウ)と訓、眺(ながめる)はあまり関係がなさそうである。透母[th-] は調音の位置が泥母[n-]
と同じであり、ナ行に転移しやすい。また、宵韻[ô]は薬韻[ôk]と相通ずる。
古代中国語の[d-][th-]などが倭音でナ行であらわれる例としては次のよ
うものをあげることができる。
例:長[diang](ながい)、陳[dien](のべる)、直[diək](なおる)、値[diə/diək](ね)、
暢[thiang](のびる)、抽[thiu](ぬく)、中[tiuəm](なか)、
日本語の「ながめる」は中国語の眺望
[thyô-miuang] と関係のあることばではあるまいか。中国語で「眺望」とは「遠 くを見渡すこと」である。
○ 睦(むつ)まじい
「睦」の古代中国語音は睦[miuk]である。日本漢字音は呉音・モク、漢音・ボク、
訓・むつむである。睦(むつ)もまた中国語の睦[miuk]に依拠したことばである。「睦」と同じ声符の漢字に陸[liuk]
がある。マ行とラ行は意外に近親性がある。[l-] は調音の位置は[m-] に近い。中国語で[l-] の音価をもった漢字が、日本語ではマ行であらわれることがある。
例:漏(ロウ・もる)、嶺 (レイ・みね)、両(リョウ・もろ)、亂(ラン・みだる)、
濫(ラン・みだりに)、緑(リョク・みどり)、戻(レイ・もど る)、
中国の音韻学者、王力は『同源字
典』のなかで令[lieng]と命[mieng]は同源であると指摘している。日本語では「陸奥」と書いて「むつ」と読ませてい
るが、もともと「陸」は一字で「むつ」とも読めるのである。
○ 耳(みゝ)
「耳」の古代中国語音は耳[njiə]である。日母[nj-]
は明母[m-] が口蓋化して生まれたものであると考えられる。日本語の「みみ」は「耳」が耳[miə]
に近い音価をもっていた時代の痕跡をとどめているものと思われる。(参照:第214話・乳母)
日本語の「みみ」は中国語の「耳」の頭音を重ねた
ものである。古代日本語ではマ行の頭音は重複することが多い。
例:馬(むま・うま)、梅(むめ・うめ)、名(な まえ)、眠(ねむる)、など。
○ 音(おと)
「音」の古代中国語音は音[iəm]である。日本語の「おと」は中国語の音[iəm] と同源である可能性がある。
中国語の韻尾[-n] はさらに時代を遡ると入声音[-t] に近い音だったと考えられている。また、中国語の韻尾[-m] は、入声音[-p]
であったと考えられている。
| 陽 音(唐代) | [-m] | [-n] | [-ng] |
| 入声音(古音) | [-p] | [-t] | [-k] |
しかし、古代日本語では韻尾の[-m] と[-n] を弁別しなかった。また中国語の韻尾[-p] はタ行であらわれることが多い。「音」の祖語は音[-iəp] に近い音価をもったものであり、それが日本語ではタ行(おと)に転移したと考えることができる。(参照:第209話・「ん」と 「む」)
中国語韻尾の[-p] がタ行であらわれる例:立[liəp] リツ、接[tziap] セツ、雜[dzəp] ザツ、
中国語の韻尾[-m] あるいは[-n] が日本語でタ行であらわれる例としては次のようなものをあげることができる。
灘[nan](ナン・なだ)、本[puən](ホン・もと)、満[muan](マン・みつる)、
言[ngian](ゲン・こと)、面[mian](メン・おもて)、楯[djiuən](ジュン・たて)、
「戀」の古代中国語音は戀[liuan]である。中国語の来母[l]は語頭に入りわたり音があり、「戀」の祖語は戀[hliuan] に近い音価をもっていたものと考えられてい
る。同じ声符をもった漢字がカ行とラ行に読み分けられている例は多い。
例:裸(ラ)・果(カ)、各(カク)・洛(ラ ク)、兼(ケン)・簾(レン)
監(カン)・藍(ラン)、樂(ラク・ガク)、
来(ライ・くる)、栗(リツ・くり)、
日本語の戀(こひ)は、戀[hliuan] の入りわたり音がカ行に転移し
たものだということになり、すべては整合的に説明できる。
古代中国語には語頭に複合子音があったという説は、 スウェーデンの言語学者ベルンハルト・カールグレン(1889-1978) が最初に提出したものであり、現在ではかなり広 く受け入れられている。もし、この説が正しいとすれば、日本語の戀(こひ)は 古代中国語の痕跡を留めたことばである可能性がある。
○ 誦(ずん)ず
「誦」の古代中国語音は誦[ziong]である。日本漢字音は呉音は、誦「ズ」、漢音は、誦
「ショウ」とされている。「ずんす」は中国語の誦[ziong] と同源であろう。(参照:修
法(すほふ))、
思(おも)ふ(第213話)、臥(ふ)す(第213話)、
空がいつか曇って、風が冷たくなって来たあたりの景色を、たいそうしみじみとお眺め なされて、
と、ひとりごとを仰せになるのですけれども、御返歌もよう申し上げません
亡き女君が今この所 にいらっしたならばと、思うだけで胸が一杯になるのです。
君はあの晩お耳についてやかましかった砧(きぬた)の音を、思い出し給うさえ恋しく て、「正長 夜(まさにながきよ)」と打ち誦(ずん)じてお寝みになりました。
現在でも四十九日の法要は行われている が、源氏物語の時代にも四十九日の法要はひとつの節目であった。日本古典文学大系の編者は「四十九日」を「なゝなぬか」と読ませているが、中国語で は四十九日のことを「七七日」という。
かの人の四十九日(なゝなぬか)、忍(しの)びて、比叡(ひえ)の法(ほ)花堂(だう)
にて、 ことそがず、装束(さうぞく)より初(はじ)めて、さるべきものどもこまかに、誦(ず)經など させ給(たま)ふ。經・佛のかざりまで、おろそかならず。
惟光(これみつ)が兄(あに)の阿闍梨(あざり)、いと尊(たふと)き人にて、二(に)
なうし けり、御文(ふみ)の師(し)にて、むつましく思(おぼ)す文章博士(もんざうはかせ)召 (め)して、願文(ぐあんもん)作(つく)らせ給ふ。
その人となくて、あはれと思ひし人の、はかなきさまになりたるを、阿彌陀(あみだ)佛 にゆづり 聞(きこ)ゆるよし、あはれげに、書(か)き出(い)で給へれば、
「たゞ、かくながら、加(くは)ふべき事侍らざめり」 と申す。
漢語起源のことば
日本の仏教はインドから直接入って来たのではな く、中国を介してはいってきたので漢語が多く使われている。「ほとけ」という日本語も、やまとことばのなかにもともとあった語彙を中国語の「佛」にあてたも のではなく、「ほとけ」の「ほと」は中国語の「佛」の転移したものである。○
もん)、阿彌陀(あみだ)佛、
○ 漢語起源のことば:もの、かざり、御、文(ふみ)、思(おぼ)す、作(つく)る、あはれ、思 ふ、さま、書(か)き、出(い)でる、加(くは)ふる、
○ 朝鮮語と同源:四十九日(なゝなぬか)、
○ 訓(やまとことば):人、四十九日≪なゝなぬか≫、 しの(忍)ぶ、はじ(初)め、こまかに、 たま(給)ふ、おろそか、あに(兄)、た
ふと(尊)き、め(召)す、はかなき、きこ(聞)ゆ る、事、侍る、申す、
「佛」の古代中国語音は佛[biuət]である。「佛」はサンスクリット語のbuddhaの音訳で「浮屠」などの文字があてられたこともある。「ほとけ」
の「け」は「物の怪(け)」の「け」ではないかといわれている。
○ 飾(かざり)、
「飾」の古代中国語音は飾[sjiək]である。「かざり」は中国語の華飾[hoa-sjiək]に依拠したことばであろう。中国語には華飾と
いう成句があって、美しい飾りを意味する。飾[sjiək]
の韻尾は転移している。
○ 加(くは)ふる
「加」の古代中国語音は加[keai]である。中国語の「加」と日本語の「くはふる」は
音韻的には完全には対応しないが、意味は同じである。日本語の「くはふる」は中国語の「加」の転移したことばである可能性が高い。
○ 参照:もの(第207話)、御(第
208話)、書(か)く(第208話)、
出(い)でる(第210話)、作(つく)る(第211話)、文(ふみ)(第212話)、
あはれ(第213 話)、思(おぼ)す(第213話)、さま(第216話)、
○ 四十九日≪なゝなぬか≫
中国では三月三日は上巳、五月五日は端午の節句、
七月七日は七夕、九月九日は重陽節などを節目の日として節句を祝っている。死後四十九日(なゝなぬか)も節目の日としている。四十九日を
「なゝなぬか」
というのは掛け算である。
広開土王碑文にも同じような例があって、「好太王二九登祚」という文章が刻まれている。これは「好太王は二九(2×9
=18)にして天子の位についた」と解される。つまり二十九歳ではなく、十八歳で天子の位についた、という意味である。中国文化圏ではかなり早くから掛け算
が行われていたことになる。
現在では法華堂と書いて「ホッケドウ」と読む。源 氏物語では「ほけだう」である。法[hiuap] の韻尾[-p] だから法花堂(ほふけだう)となるべきものが促音化したものである。中国語韻尾の[-p]
はハ行であらわれることは少なく、歴史的仮名使いでも法華堂(ほつけだう)という表記がないわけではない。
花[xoa]は華[hoa]と字は違うが同源である。「花」と「華」は音義ともに近い。
現代の北京語では両方とも花(hua)、華(hua) である。中国の音韻学者、王力は『同源字典』を著して「音
近ければ、義近し」としている。声符の異なる漢字でも音が近ければ同源語である可能性があるというのである。
話し言葉は文字ができるよりずっと以前からあった。漢字は一時期に全部ができたわけではなく、長い年月にわたって、さまざまな地域でできてきた
ものを集めたものである。したがって、同じ意味のことばにさまざまな文字があてられれる結果になっている。(参照:第215話「だう」・「どう」)
○「さう」・「そう」
歴史的仮名使いでは「さう」と「そう」が区別されている。
[さう]:装[tzhiang]束・さうぞく、穀倉[tsang]院・こくさうゐん
、障[tjiang]子・さうじ、
懸想[siang]・けさう、
文章[tjiang]博士・もんざうは
かせ、蔵[dzang] ・さう、
精[dzieng]進・さうじ、
筝[tzheng/tzhieng]曲・さうき
よく、笙[sheng]・さう、
正[tjieng]身・さうじ )、草[tsu]・さう、曹[dzu]司・さうじ、
[そう]:奏[tzo]・(そう)す、総[tzong]領・そうり
やう、僧[tzəng]正・そうじ
やう、
贈[dzəng]・ぞう、
「さう」という表記のほかに「しやう」という書き 方も行われていた。恐らく介音[-i-] の発達にともなって「しやう」とも書かれるように
なったのであろう。
上[zjiang]手・じやうず、筝[tzheng/tzhieng]・しやう、精[dzieng]進・しやうじん、
浄土[dzieng]・じやうど、正[tjieng]身・しやうじみ、
中国語では随から唐にかけて介音[-i-] が発達してきたと言われている。「相」は相[sang]→相[siang]になり、「装」は装[tzhang]→装[tzhiang]に変化した。源氏物語の「さう」
は「しやう」になる前の中国語音の痕跡を留めているものと考えられる。
これらの漢字の現在の朝鮮漢字音は相(sang)、装(jang)、章(jang)、障(jang)、精(jeong)、正(jeong)で、拗音の発達はあまりみられない。「さう」は朝
鮮漢字音に近かったのではないかとも考えられる。
阿闍梨はサンスクリットの音訳で、僧侶の称号である。「師」をあらわす。「闍」の声符は者[tjya]である。「者」と同じ声符をもった漢字に都[ta]、屠[da]、煮[tjya]、奢[sjya] などがある。「闍」は闍(ざ)は[ta] が摩擦音化したものである。現在では一般に阿闍梨(あじゃり)という。
「願」の古代中国語音は願[nguan]である。中国語音には合口音と開音があり、合口音は脣をすぼめて発音するもので介音[-u-]あるいは(-iu-]をともなう。日本漢字
音の願(ぐわん)は中国語の合口音に依拠したものである。現在でも 九州方言では合音が残っているという。開音・合口音の例としてはつぎのようなものをあげ
ることができる。
合口音:願[nguan]、元[ngiuan]、原[ngiuan]、頑[ngiuan]、月[ngiuat]、
谷崎潤一郎訳『源氏物語』〜夕顔・四十九日 の法要〜
かの人の四十九日を、人目を忍んで、比叡山(ひえいざん)の法華堂(ほっけどう)で、
諸事を省 かず、装束(しょうぞく)から始めて何もかも手落ちなく、ねんごろに誦経(ずきょう)などをお させになります。
経や佛の飾りまでもおろそかにはなさいません。惟光の兄の阿闍梨(あじゃり)はたい そう尊い人 なので、たぐいなく立派に勤めます。
御学問の師匠で、親しくしていらっしゃる文章博士(もんじょうはかせ)を召して、願 文(がんも ん)を作らせられます。誰ということは書かず、可愛く思っていた人がはか
なくなってしまったに ついては、阿弥陀佛(あみだほとけ)のお手にお任せ申しますとい う意味を、あわれげに書いてお 見せになりますと、
「このままで結構でございます。一字も附け加えることはございますまい」 と申します。
源氏は病を患い、北山の行者の所へ加持を受けに行
く。そこで、ある僧都のもとに身を寄せている美しい少女に出会う。少女は藤壺の姪だとわかり、面影が似ていることに惹かれて、源氏は自分の邸に連れてきて
育てるようになる。この少女こそが源氏の終生の伴侶となる紫の上である。この巻ではまた、父桐壺帝の妃藤壺との道ならぬ愛 も描かれている。
1.わかむらさき【日本古典文学大系】
わらは病(やみ)にわづらひ給(たま)ひて、よろづに、まじなひ・加持(かぢ)など、
まゐらせ 給(たま)へど、しるしなくて、あまたゝび、起(おこ)り給(たま)へば、 ある人、
「北山(きたやま)になむ、なにがし寺(でら)といふところに、かしこき行(おこな) ひ人侍 る。
去年(こぞ)の夏(なつ)も、世におこりて、ひとびと、まじなひわづらひしを、やがて、 とゞむるたぐひ、あまた侍りき。しゝこらかしつる時は、うた
て侍るを、とくこそ心みさせ給は め」
など、きこゆれば、めしにつかはしたるに、
「 老(お)いかゞまりて、室(むろ)の外(と)にもまかでず」
と、申したれば、
「いかゞはせむ。いと忍(しの)びてものせん」
と、の給ひて 御供(とも)に、むつましき四五人(よたりいつたり)ばかりして まだ暁に、 おはす。
漢語起源のことば
源氏物語の時代には病気は物の怪がつくことによっ
て起こると考えられていた。病気を治すには加持祈祷によって物の怪を払わなければならなかった。宮廷は社寺に加持祈祷を命じた。
若紫(わかむらさき)の「若」は古代中
国語音は若[njiak]である。日本語の「わかい」は中国語の若[njiak]の声母[nj-]が脱落してワ行に転移したことばである。
「むらさき」の語源は根から紫色の染料のとれる草
の名前だといいわれている。「むらさき」はさらに「むら+さき」であるという説もある。「むらさき」は「群(むれ)咲(さき)」だともいわれている。語源はよくわからないものが多いから語源譚が生まれる。「さくら」は「咲(さく)+な」あるいは「咲(さく)+花
(はな)」といような語源説もあるに。ことば遊びとしては面白いが体系的、規則的でないから検証のしようがない。
○ 漢語(漢音・呉音):加持(かぢ)、
○ 漢語起源のことば:たび、起(おこ)る、きた山(やま)、寺(てら)、行(おこな)ふ、
去年(こぞ)、世(よ)、とどむる、心み、かがま
る、時、御、暁、
○ 訓(やまとことば):わらはやみ(病)、わづらふ、まじなひ、まゐる、 しるし、あまた、
たま(給)ふ、人、きたやま(北山)、なにがし、いふ、ところ、かしこし、おこな(行)ふ、 侍
る、こぞ(去年)のなつ(夏)、侍る、心みる、きこゆる、めす、つかはす、お(老)い、
むろ(室)、と(外)、まかでる、申す、しの(忍)ぶ、とも
(供)、おはす、
よたりいつたり(四五人)、
○ 度(たび)
日本漢字音は度(ド)、度(タク)である。支度(シタク)などの場合は度(タク)である。「度」の古代中国語音は度[dak]である。韻尾の[-k]
が脱落して度[da] となった。
現代の北京音は度(du)、広東音は度(douh)、上海音は(du)、朝鮮漢字音は度(to)である。広東音が古代中国語音の韻尾の痕跡を留め
ているだけで、ほとんどの地域で[-k] は失われている。日本語の「たび」は古代中国語の韻尾[-k] の痕跡だと考えられる。度(たび)は度[dak]
の韻尾が転移したものであろう。
古代中国語の韻尾[-p][-t][-k]
は時代により、あるいは地域によって、区別が失われ、あるいは韻尾そのものが失われ ていく。
| 中国古代音 | 広東語音 | 上海語音 | 北京語音 | 朝鮮音 | 日本音 |
| [-p] | -p | -t | 脱落 | -p | ハ行・タ行・ウ音便 |
| [-t] | -t | -t | 脱落 | -l | タ行 |
| [-k] | -k | -t | 脱落 | -k | カ行 |
上海語音の韻尾は一応[-t]
としたが、咽喉閉鎖音[?]であり、[-p][-t][-k]の区別はない。北京音では入声音[-p][-t][-k] の韻尾はすべて失われた。
日本語の[-p]は旧仮名使いでは法(ほふ)、蝶(てふ)などでは
ハ行で表記されたが、現代仮名使いでは法(ほう)、蝶(ちょう)の音便化された。また、接[tziap](セツ)、湿[sjiəp](シツ)雜[dzəp](ザツ)のようにタ行に転移したものもある。
○ 起(おこ)る
「起」の古代中国語音は起[khia]である。日本語の「おこる」は古代中国語の頭子音
起[kha]の前に母音が添加されたものであろう。中国語の[kh-]は中国語音韻学では次清音と呼ばれ、日本漢字音では 濁音であらわれる。「おこ
(起)る」の「お」は濁音の前に母音添加されたものであろう。「る」は動詞の活用語尾である。中国語には動詞の活用はない。
日本語の音韻構造の特色のひとつは母音で終わる開
音節であることであるとされているが、中国語にくらべて母音で始まる音節の多いことも、特徴としてあげることができる。『広辞苑』で調べてみると母音ではじまる単語は2588ページ中、375ページで約14.4%にあたる。
これに対して『中日辞典』では1988ページ中、a,e,i,o,uではじまるページはわずか28ページで1.4%しかない。『標準韓国語辞典』では1099ページ中160ページで、14.5%である。
古代の日本語では中国語の濁音や、次清音[kh-][th-][ph-] の前に母音を添加することがしばしばある。
例:暴[bôk]
あばく、頭[do] あたま、挑[dyô] いどむ、出[thjuət] いづ、泉[dziuan] いづみ、
碁[giə] いご、弟[dyei]
おと<古語>、丘[khiuə] おか、憩[khiat] いこい、破[phuai] やぶる、
○ 寺(てら)
「寺」の古代中国語音は寺[ziə]である。「寺」と同じ声符をもった漢字に時[zjiə]、特[dək]、等[təng] などがある。
中国語の寺[ziə]には「特」と同じように入声韻尾[k]を持った時代があったのではなかろうか。「寺」の
古代音が寺[dək]だったとすれば、日本語の寺(てら)は中国語音に
依拠したことばであると考えることができる。「てら」は日本に仏教とともに入って来たものだから、日本固有のことばがそれ以前からあったとは考えられない。(参照:第208話:時(とき))
声符「寺」は次のように変化したと考えられる。
特[dək]→等[dəng]→[diəng]→寺[ziə]
○ 行(おこ)ふ
「行」の古代中国語音は行[heang]である。日本語の「おこなふ」は行[heang]と正確には対応していないが、行(おこなう)は中
国語音の転移したものである可能性がある。行[heang]の頭子音[h-] の前に母音が添加されて行(おこ)になった。頭子音[h-]
が脱落したものが、「行(ゆく)」になった。
○ 去年(こぞ)
「去年(こぞ)」の「こ」は漢語である。「去」の古代中国語音は去[khia]
である。「去」は過去(かこ)などでも「こ」であらわれる。去(こ)は介音[-i-] が発達する前の中国語音を継承している。
万葉集などでも「去年之春」(万1430)などの表記 があり、許[xa/xia]、巨[gia] などの漢字が「こ」の表記にしばしば使われてい る。
○ 停(とどま)る
日本語の「とどまる」は中国語の停[dyeng]と関係のあることばである。「と
どまる」の「とど」は中国語の濁音[d]を濁音ではじまることばのない日本語の音韻構造に なじませるために清音「と」を重ねたものである。
中国語の韻尾[-ng] は古代日本語ではカ行またはマ行であらわれる。疑母[-ng]
は調音の位置がカ行と同じであり、調音の方法(鼻音)がマ行と同じである。調音の位置や方法が同じ音は転移しやす
い。「まる」の「る」は日本語の動詞の活用語尾の一部である。「とどむ」でもよい。
(参照:第213話・しず(静) か、第224話・つづ(續)ける)、
○ 心み
源氏物語では「心み」と書かれている。日本語の「こころ」とは
何かは不明である。万葉集では「こころ」に「心」「情」「意」が用いられている。古代中国音で日本語の「こころ」にあてはまりそうなのは、魂[khuən]
である。中国語音の[kh-]は次清音であり、日本語では頭音が重複して「こころ」となる
ことは充分考えられる。また、韻尾の[-n]は[-l]と調音の位置が同じであり、転移しやすい。魂[khuən] は意味も「魂
(たましい)」、「人の精神、心」「心持ち」など日本語の「こころ」に近い。「心魂」という成句もあり、「心のそこ」の意味である。
「こころみ」は現代日本語では「試み」と表記され ていが、原義は「心」とは直接関係のないことばであろう。
○ 暁
「暁」の古代中国語音は暁[ngyô]である。日本語の「あかつき」は「あかとき」で
「暁時」のことであろう。「暁」の古代中国語音は暁[ngyô]である。「あかつき」の「あか」は中国語の頭音[ng-] の脱落したも
のである。疑母[ng-]は介音[-i-][-y-] などの影響でしばしば脱落する。また、宵韻[ô]は薬韻[ôk]と相通じる。同じ声符の漢字でも韻尾に[-k]
をともなうものと、そうでないものがある。「暁」の祖語は暁[ngyôk] に近い音価をもっていたものと思われる。
例:宵[siô]・削[siôk]、曜[jiô]・躍[jiôk]、夭[yô]・沃[ôk]、悼[dô]・卓[teôk]、䔥[syô]・粛[siuk]、
宵韻[ô] が日本語でカ行であれわれる例はいくつかあげることができる。これらはいずれも宵韻[ô] が[ôk]
と発音されていた時代の痕跡をとどめている。
例:猫[miô]「ねこ」、焼[ngyô]「やく」、 小[siô]「すくな
い」少[sjiô]「すこし」、
○ 参照:御(第208話)、世(よ)(第 209話)、山(やま)(第211話)、
かがまる(第213話)、
谷崎潤一郎訳『源氏物語』若紫
瘧病(わらわやみ)をおわずらいになって、いろいろと禁厭(まじない)や加持(かじ)
などをな さいますけれども、その験(しるし)がなくて、たびたび発作(ほっさ)に悩
んでいらっしゃいま すと、或る人が、「北山に、某(なにがし)寺という所に、偉い行者 がおります。
去年の夏もあの病気が流行(はや)りまして、ほかの行者たちが持てあつかっておりま したのを、 わけなく直した例がたくさんございます。
こじらせると厄介(やっかい)で ございますから、早速お試(ため)しなさいませ」などと申し上 げますので、使いをやっ てお招きになりますと、
「老衰いたしておりまして、足腰が不自由でございますから、室(むろ)の外へも出ま せん」
と申しますので、
「ではいたし方がない、忍んで行こう」と仰せになって、睦(むつま)じい者を 四五人だけ供にお連れなされて、まだ暗いうちにお出かけになります。
2.満願成就〜若紫〜【日本古典文学大系】
加持祈祷によって願いがかなえられると、僧侶に布
施を贈るばかりでなく寺のまわりの人々にまで祝いの品が配られる。
聖(ひじり)、御まもりに、獨鈷(とこ)たてまつる。
見給(たま)ひて、僧都、聖徳太子(さう とくたいし)の、百濟(くだら)より得(え)
たまへりける、金剛子(こむがうじ)の數珠 (すゞ)の、玉(たま)の装束(さうぞく)
したるを、やがて、その國(くに)より入(い)れた る箱(はこ)の、唐(から)めい
たるを、透(す)きたる袋(ふくろ)に入≪れ≫て、五葉(え ふ)の枝につけて、紺瑠璃(こむるり)の壺(つぼ)どもに、御薬(くすり)ども入(い)れて、 藤・櫻などに
つけて、ところにつけたる御贈(おく)り物(もの)ども、さゝげたてまつり給ふ。
君、聖(ひじり)よりはじめ、讀經しつる法師(ほふし)の布施(ふせ)、まうけのもの
ども、さ まざまに取(と)りに遣(つか)はしければ、そのわたりの山がつまで、さる べき物(もの)ども 給ひ、誦(ず)經などして出≪で≫給ふ。
漢語起源のことば
獨鈷(とこ)、はインドでは武器であったといわ れるが、仏教では法具として使われる。金剛子(こむがうじ)の「金剛」は堅い、
「子」は木の実。真っ黒く、極めて堅いから数珠の玉としてよく使われた。主として朝鮮産である。紺瑠璃(こむるり)、は紺色のガラスである。正
倉院の御物にも紺瑠璃坏、紺瑠璃壺があり、イラン方面からもたらされたものとされている。
○
漢語(漢音・呉音):獨鈷(とこ)、僧都、聖徳太子(さうとくたいし)、數珠(すゞ)、
金剛子(こむがうじ)、装束(さうぞく)、紺瑠璃(こむ
るり)、五葉(えふ)、讀經、
法師(ほふし)、布施(ふせ)、誦(ず)經、
○
漢語起源のことば:御、まもり、み(見)る、くだら(百濟)、くに(國)、 い(入)れる、
はこ(箱)、から(唐)、す(透)く、もの(物)、
君、さまざまに、と(取)る、
やま(山)、出≪で≫る、
○ 訓(やまとことば):ひじり(聖)、たてまつる、たま(給)ふ、え
(得)る、たま(玉)、
藤、櫻、ふくろ(袋)、枝、つぼ(壺)、くすり (薬)、藤、櫻、ところ、つける、
おく(贈)る、さゝげる、わたり、山が
つ、つか(遣)はす、
○ まもり
日本語の「まもり」は中国語の護[ngio]
であろう。中国語の疑母[ng-]は鼻音であり、調音の方法が[m-]と同じである。日本語の「まもり」の護[ngio]の頭音がマ行であらわれたものである。「まもり」は「ま+も+り」とマ行音が重複しているが、古代日本語では語頭のマ行音は重複することが多い。
例:馬[mea] むま、梅[mea] むめ、鰻[miuan] むなぎ、牧[miuək] むまき、など、
日本語の「まもり」は音義ともに中国語の護[ngio] に近く、「まもり」は中国の護[ngio]
の転移したものであろう。では(例えば周の時代の漢字音は護[mo]に近く、日本語の「まもる」は中国語音の語頭音を 重複させたものであろう。同じく疑母[ng-]
をもった御[ngea] も御(み)であらわれる。
(参照:第208話・御)
○ 百濟(くだら)
「百濟」と書いてなぜ「くだら」と読むのかは明ら かではない。古代中国語音は百濟[peak-tzyei]
であり、朝鮮漢字音は百(paek)濟(jae)である。「くだ
ら」の「く」は百[peak]の韻尾の[-k]であり、頭音の[p-]は介音の影響で脱落したものと考えることができる。
「くだら」は広開土王碑には「百殘」と書かれてお り、「殘」は殘[dzan]である。殘[dzan]
の祖語は殘[dan]に近い音であった可能性がないわけではない。も し、この仮説が受け入れられるとすれば、「くだら」は百殘[peak-dan]
の転移したものだということになる。中国語の韻 尾[-n]が倭音でラ行であらわれる例はかなり多くみられ る。
例:漢[xan]
から、寛[khuan] ひろい、換[xuan] かえる、還[hoan] かえる、雁[ngean] かり、
巾[kiən] きれ、玄[hyuen]
くろ、昏[xuən] くれ、算[suan]盤 そろばん)、塵[dien] ちり、
駿[tziuən]河 するが、敦[tuən]賀 つるが、
播[puan]磨 はりま、 邊[pyen] へり、片[phian] ひら、
○ 國(くに)
スウェーデンの言語学者ベルンハルト・カールグレ ン (1889-1978) は『言語学と古代中国』の中で、日本語の「くに」
は中国語の「郡」であろうとしている。古代中国語の「郡」は郡[giuən]である。朝鮮半島の北部には漢の時代から楽浪郡、帯方郡などの植民地がおかれていた。そこに住む人びとは、「郡」を「くに」に近いものと考えていたとしてもおかしくない。もし、そうだとすれば日本語の「くに」は郡[giuən]
と同源であり、現在使われている漢字の「國」は律令制度が定着してからのものであるということになる。しかし、これを証明するのはむずかしい。
○
箱(はこ)
「箱」の古代中国語音は箱[siang]であり、日本語の「はこ」と意味は近いが、音のう
えでは関係がありそうにない。日本語の「はこ」は匣[heap]であろう。中国語音の[h-]はしばしばハ行であらわれる。「はこ」に
は篋[heap]、筐[kiuang]もあり、いずれも日本語の「はこ」に音義ともに近 い。
○ 君
古代中国語音の「君」は君[giuən]
である。日本語の君(きみ)は古代中国語音の君[giuən] と同源であろう。中国語の韻尾[-n]を日本語でマ行であらわれる例は多い。
(参照:第209話・「ん」 と「む」)。
1.中国語の韻尾[-n]が倭音でナ行であらわれるもの。
絹[kiuen]
きぬ、秈[shean] しね、段[duan]・壇[dan] たな、殿[dyən] との、
2.中国語の韻尾[-n]が倭音でマ行であらわれるもの。
肝[kan] きも、簡[kean] かみ、混[huən] こむ、困[khuən こまる、蝉[zjian] せみ、弾[dan]たま、 填[dyen]
つめる、屯[duən] たむろ、繙[piuan] ひも、蟠[buan] へび・へみ、浜[pien] はま、
嬪[pien] ひめ、文[miuən]
ふみ、眠[myen] ねむる、純[zjiuən] すむ、
○ 取(と)る
「取」の古代中国語音は取[tsio]である。取[tsio]
は介音[-i-]の発達によって摩擦音化したもので、「取」の祖語は取[tso]あるいは取[to]に近かったものと考えられる。日本語の「とる」は
中国語の古代音の痕跡を残したことばであろう。
○参照:物(もの)(第207話)、御(第 208話)、出(で)る(第210話)、
入(い)れる(第211話)、見る(第213話)、透(す)く(第214話)、
さまざまに(第216話)、
歴史的仮名使い
○ 僧都(そうづ)
古代中国語の僧都(そうづ) の「僧」は僧[tzəng]である。歴史的仮名使いでは中国語の韻尾が蒸韻[-əng]
のものを「そう」と表記した。
装束(さうぞ く)の「装」は装[tzhiang] である陽韻[-ang] のものは「さう」と表示した。装[tzhiang]
には[-i-] 介音があるはずだが、中国語の介音は日本語音には反映されていない。
(参照:第216 話・さうぞく(装束))
○
聖徳太子(さうとくたいし)
「聖」の古代中国語音は聖[sjieng] である。日本漢字音は呉音・聖「ショウ」、漢音・
聖「セイ」、である。聖[sjieng] は耕韻[-eng] であり、[-i-] 介音があるはずだが、日本語音には反映されていない。(参
照:第215話・精進、第216話・装束)
歴史的仮名使いで「さう」と表記される漢字には、耕韻[-eng] のものと陽韻[-ang]
のものがある。日本漢字音は呉音「ショウ」、 漢音「セイ」のものが多い。歴史的には「さう」のほうが古く、「しやう」は介音[-i-]
の発達を反映して拗音化したものである。
例:聖[sjieng]、精[dzieng]進、請[tsieng]、正[tjieng]、装[tzhiang]束、文章[tjiang]、相[siang]、
象[ziang]、像[ziang]、床[dzhiang]、桑[sang]、菖[thjiang]蒲、常[zjiang]、蔵[dzang]、倉[tsang]、
○ 數珠(すゞ)
「數」の古代中国語音は數[sheok] あるいは[sheo] である。「珠」は珠[tjio]
である。日本漢字音は珠「シュ」である。數珠 (すゞ)は介音[-i-]
が反映されていない。ちなみに、朝鮮漢字音は數(su)珠(ju)である。源氏物語の日本漢字音は朝鮮漢字音に近 い。(参照:第216話・修法)
○
五葉(ゑふ)
「葉」の古代中国語音は葉[jiəp]である。「ゑふ」 の「ふ」は葉[jiəp] の中国語韻尾[-p] を反映している。
○讀經(どきやう)・誦經(ずきやう)
「讀」の古代中国語音は讀[dok]である。「經」は經[kyeng]である。讀經(どきやう)は讀[dok]の韻尾[-k]と經[kyeng]の頭音[k-]がひとつになったものである。
「誦經(ずき やう)」の「誦(ず)」は誦[ziong] であり、介音[-i-] は日本語音に反映されていない。
韻尾の[-ng]は脱落している。「誦」の朝鮮漢字音は誦(song)であり、やはり、介音[-i-]は反映されていない。日本語や朝鮮語の祖語には拗音はなかったのではなかろうか。
(参照:第216話・修法、装 束)、
○ 法師(ほふし)
法師の「法」の古代中国語音は法[piuap]である。「ほふし」
の「ふ」は古代中国語音の韻尾[-p]を写したものである。
日本漢字音では中国語の韻尾[-p]はタ行であらわれることがある。立[liəp](リツ)、接[tziap](セツ)、雜[dzəp](ザツ)などである。法華堂(ホッケドウ)、法被(ハッピ)、法度(ハット)のように促音化することもある。「法師」の朝鮮漢字音は法師(peop-sa)である。朝鮮漢字音では中国語の韻尾[-p]は規則的に(-p)であらわれる。
(参照:第213話・劫、第216話・修法)
谷崎潤一郎訳『源氏物語』〜若紫・満願成就〜
聖は君のおん守りに、独鈷(とつこ)をお贈り申し上げます。 僧都はそれを見られて、聖徳太子が 百済(くだら)からお取り寄せになった金剛子(こ
んごうじ)の数珠(じゅず)の、玉の飾りのつ いたのを、昔その国から入れて送って来
たままの唐風(からふう)の箱に納めて、透(すか)しの ある袋に入れて、五葉(ごよ
う)の枝に結いつけてお贈り申し、また紺瑠璃(こんるり)の壺など にお薬を入れて、
藤、桜などの枝に結いつけたのや、山里にふさわしい土産物(みやげもの)など も取り添えて差し上げられます。
君は聖を始めとして、読経を勤めた法師への布施(ふせ)、その他用意の品々をいろいろ
と京へ取 りにおやりになりまして、そのあたりの山樵(やまがつ)へまで相応の物を下 しおかれ、御誦経 (みずきょう)の布施などをして立ち出でられます。
「かな」書きには句読点がなかった
ひらがなの発明によって日本語は表音文字で表記で
きるようになった。当時は活字がないからすべて写本であり、筆書きである。中国語にも句読点をつける習慣はなかった。平安時代の日本にも、分かち書きや句
読点をつける習慣はなかったから、祐筆が書いたものでも判読はかなり困難だったにちがいない。若紫の一節を底本の通りに活字にしてみると次のようになる。
漢字も一部交ってはいるが、かなの部分はどこに単語の区切りがあるのか、判読はむずかしい。
ひじり御まもりにとこたてまつる見たまひて僧都さうとくたいしのくだらよりえたまへ
りけるこむがうじのすゞのたまのさうぞくしたるをやがてそのくによりいれたるはこの
からめいたるをすきたるふくろに入て五えふの枝につけてこむるりのつぼどもに御くす
りどもいれて藤櫻などにつけてところにつけたる御おくりものどもさゝげたてまつり給
ふ君ひじりよりはじめ讀經しつるほふしのふせまうけのものどもさまざまにとりにつか
はしければそのわたりの山がつまでさるべきものども給ひず經などして出給ふ
日本では日本語をあらわす文字として「かな」が発明
されたのに、結局現在でも漢字仮名交じり文が普通であり、「かな書き」は普及しなかった。源氏物語を原文で読んでみると、かなだけでは単語の単位をみつけることがむずかしい。現代の日本語の文章では、漢字は分かち書きの役割をはたしているともいえる。単語
がみつからなければ辞書を引くこともできないし、意味をとることもできない。
英語やヨーロッパの言語では単語を分かち書きして
いる。朝鮮語でもハングルは句(単語+助詞や活用語尾)を分かち書きしている。中国語は漢字そのものが語の単位になっているから、分かち書きをする必要がない。中国語の表記には句読点もはなかったが、最近は中国語でも活字本では句読点をつける。
日本でも小学校3年生くらいまでの国語の教科書
では、仮名書きが多くて読みにくいから分かち書きを取り入れている。外国人に日本語を教える日本語教室では、分かち書きが取り入れられている。分かち書きがな
いと辞書を引けないからである。
夕顔のことがいとおしく思い出される。なんとか夕
顔のような、あまり気の張らない、可愛い女性はいないものかと思いつづけていた折も折、ひとりの姫君が、誰とも会わずに、琴だけを友として暮らしていると
いう情報を得ます。源氏はやがてこの姫君とも結ばれるが、夕顔のあどけない優しさが心に残っているためか、この女性のぎこちない態度には魅力を感じませ ん
ある雪の降る朝、雪明かりでその姫君の顔を見る と、鼻の先が真っ赤になっていて興ざめです。
1. すゑつむ花【日本古典文学大系】
おもへども、なほ飽(あ)かざりし夕顔(ゆふがほ)の露に、おくれしほどの心地(ち)
を、年(とし)月ふれど、おぼしわすれず、こゝもかしこも、うちとけぬ限(かぎ)り
の、けしきばみ心(こころ)深(ふか)き方の御いどましさに、けぢかく、なつかしか
りしあはれに、似(に)る物なうこひしく、おもほえ給ふ。
「いかで、ことごとしきおぼえはなく、いとらうたげならむ人の、つゝましきことなか
らん、見(み)つけてしがな」と、こりずまに、おぼしわたれば、少(すこ)しゆゑづ
きて、きこゆるわたりは、御耳(みゝ)とめ給(たま)はぬ隈(くま)なきに、「さても
や」と、思(おぼ)しよるばかりの、けはひあるあたりにこそは、ひとくだりをも、ほ
のめかし給ふめるに、なびき聞(きこ)えず、もてはなれたるは、をさをさあるまじき
ぞ、いと目(め)なれたるや。
漢語起源のことば
この文章のなかでも、ひらがなで書かれた漢語が含
まれている。けはひ(氣配)、けしき(氣色)である。「心ち」は「心み」などと同様に訓借(当て字)である。「心ち」
の「ち」は現在では「心地」と書かれることが多いが、漢語には「心地」という成句はない。「心地」の「地」は音借(音の当て字)であり、意味は「心持ち」である。
現代の日本語では「けしき」は一般に「景色」と書
くが、源氏物語では「氣色」である。「氣色」とは「気持ちが顔色にあらわれること」であり、「景色」は風景である。「氣」の古代中国語音は氣[khiəi]である。日本漢字音は呉音は氣(ケ)、漢音は氣(
キ)とされている。日本語のエ段の音はイ段の音に近い。現在でも地名で気仙沼(けせんぬま)、土気(とけ)などは氣(け)と読まれている。「氣配」という
漢語はなく、国字である。
○ 漢語(漢音・呉音):心地(ち)、気配( けはひ)、氣色(けしき)、
○
漢語起源のことば:花(はな)、摘(つ)む、もふ、夕顔( ゆふがほ)、ふる、おぼす、
わすれる、うちとける、限(かぎ)り、あはれ、御、似(に)る、物(もの)、こひし、
いかで、おぼえ、見(み)る、ゆゑづく、耳(みゝ)、とめる、なびく、目(め)、
○ 訓(やまとことば):あ(飽)く、露、心ち
(地)、とし(年)、月(つき)、こゝ、
かしこ、こころ(心)、ふか(深)き、方(かた)、いどまし、なつかし、ことごとし、
らうたし、つつまし、給ふ、人、すこ(少)し、ゆゑ、きこゆる、わたり、くま(隈)、
あたり、ひとくだり、ほのめかす、きこ(聞)える、
○ 花
日本語の「はな」は中国語の花[xoa]あるいは華[hoa]と関係のあることばであろう。中国語の喉音[x][h]は倭音ではハ行であらわれる。「はな」
の「な」については不明である。
○ 摘(つ)む
「つむ」は漢字では「摘む」と書く。摘(つむ)は古代中国語の摘[tyek]
である。韻尾の[-k]は普通カ行であらわれるので説明が必要である。韻尾が[-p] ならば、マ行に転移する例はある。[-p] と[-m]
は調音の位置が同じであり転移しやすい。しかも、日本語は第二音節では清音が濁音になるという性質をもっている。
例:鴨[keap]
かも、汲[xyəp] くむ、狭[heap] せまい、挟[hyap] はさむ、鋏[kyap] はさみ、
しかし、韻尾が[-k]
がマ行であらわれる例はないことはないが、調音の位置や方法に共通点がないので、合理的な説明がむずかしい。現代の上海語では韻尾の[-p][-t][-k]は弁別されず、みな咽喉閉鎖音の[?]であらわれる。もし、「摘」が江南地方の発音の影響をうけていたとすれば、摘[tyep]
に近い音をもっていたことになり、日本語の 「つむ」は摘[tyep] 同源だということになる。
韻尾の[-k]
が日本語でマ行であらわれる例としては次のようなものがある。
例:燭[thjiok] ともる、極[giək] きわめる、摘[tyek] つむ、
○ 經(ふ)る
「經」の古代中国語音は經[kyeng]である。中国語には後口蓋音[k]と喉音[h]があるが、日本語には喉音はない。そのため後口蓋
音[k]も喉音[h]もともにカ行であらわれることが多い。平安時代の
日本語のハ行音は両唇音で「ファ、フィ、フ、フェ、フォ」に近かったとされているが、それ以前に日本語にはハ行であらわれるものもあった。經(ふる)は平安時代以前の日本漢字音の痕跡をとどめている。
(参照:第210話)。
例:經[kyeng](ケイ・ふる)、火[xuəi](カ・ひ)、灰[huəi](カイ・はい)、花[xoa](カ・はな)、 掘[giuət](クツ・ほる)、減[ngiuam](ゲン・へる)、桧[kuat](カイ・ひのき)、
漢字の海[xuə]の日本漢字音は海(カイ)であるが、「上海」など
は海(ハイ)である。カ行とハ行は近い。現在の日本漢字音ではカ行であらわれことばも、古代日本語ではハ行であらわれることがある。
○ うちとける
現代日本語の表記では「打ち解ける」と書く。「うちとける」の「うち」は打[tyeng]
の頭音の前に母音「う」が添加されたものである。「とける」は「融ける」あるいは「溶ける」であろう。古代中国語の「融」は融[jiuəm]であり、「溶」は溶[jiong]
である。いずれも、口蓋化によって頭音をうしなっていて、祖語は融[duəm]、溶[dong] あるいは溶[dok] である。喩韻[j-]の漢字の多くは定韻[d]
の頭音が口蓋化によって失われたものである。
例:多[tai]・移[jiai]、途[da]・余[jia]、脱[thuat]・悦[jiuat]、誕[dan]・延[jian]、
澤[deak]・驛[jyak]、談[dam]・炎[jiam]、濯[diôk]・躍[jiôk]、
台湾の音韻学者、董同龢は『上古音韻表稿』のなか
で「融」の上代音は融[diong]であるとしている。「融」に融[diong]という音があったとすれば、韻尾の[-ng]はさらに時代をさかのぼれば入声音 [-k]
にたどりつくから、「融」は日本語の「とける」と同源だと考えられる。
(参照:第213話・打つ)、
○ いかで
「いかで」は「やまとことば」のようにみえるが、漢字で書くと「如何で」であり、漢語に由来することばである。「如何」の古代中国語御は如[njia]・何[hai]
である。日母[nj-] は脱落し、何[hai] の[h-]はカ行に転移した。
「如」の頭音[nj]は朝鮮漢字音では規則的に脱落し、「如」は如(yeo)となる。日本語の「いかに」は「如何」の朝鮮
語読みに近い。中国語を含む中国文化は弥生時代以降、朝鮮半島を通して日本に入ってきており、文字を 司る史(ふひと)の多くも朝鮮半島出身であった。
○おぼしわたる
「おぼす」は「おぼ(慕)す」と同源であると考えられる。(参照:第213話)
「わたる」は渡[dak]と関係のあることばであろう。中国語には過渡という成句がある。意味は「渡し」である。日本語の「わた
る」は中国語の「過渡」と同源ではあるまいか。
古代中国語の「過」は過[kuai] である。見母[k-] や匣母[h-] は介音[-u-]
の前でしばしば脱落してワ行音であらわれる。(参照:第214話:わた(渡)す)
例:話[huai] ワ、和[huai] ワ、禍[huai]
カ・わざわい、割[kat] カツ・わる、運[hiuən]・軍[kiuən]、
○ ゆゑづく
現代の日本語では「ゆえ」は一般に「故」と書く。しかし、語源的には「ゆゑ」は理由の由であろう。「ゆゑづく」は「由[jiu]づく」である。意味は「一流の名門らしいところ
が身についている」ことで「由」は由緒の由である。
○ 耳(みゝ)とめる
「耳」の古代中国語音は耳[njiə]である。日母[nj]はさらに遡れば女[njia](め)、乳[njia]母(めの と)、などのように[m]
であらわれる。日母[nj-] は明母[m-] の口蓋化したものである可能性がある。日本語の
「みみ」は中国語の「耳」と同源である。「みゝ」のようにマ行音が重ねられているのは、馬(むま)、梅(むめ)などの古代語には例が多い。
「みゝとめる」は「耳留める」である。
○ 目(め)なれる
日本語の「め」は中国語の目[miuk] あるいは眼[ngean]
の韻尾が脱落したものである。眼[ngean] の声母[ng] は[m]と調音の方法が同じであり転移しやすい。目[miuk] と眼[ngean]
は音義ともに近い。
(参照:第211話・目)
「なれる」は馴[ziuən] である。「馴」の祖語は馴[njiuən]
に近い音価をもっていたのではあるまいか。日母は不安定な声母であり、日母[nj-] は後に[dj] または[zi]
に変化した。同じような例として似[ziə](ジ・にる)をあげることができる。
人体をあらわす日本語には中国語起源と思われるこ
とばが多い。言語学者のスワデシは人体名称などどの民族、言語にも共通する語彙を基礎語彙とよび、基礎語彙に共通なものが多ければおおいほど言語の類縁関
係が深い、と主張した。日本語と中国語は系統的には類縁関係がないと考えられているが、なぜか人体をあらわす語彙に同源のものが多い。
例:目[miuk]・眼[ngean] め、耳[njiə] みみ、眉[miei] まゆ、頬[kyap] ほほ、頸[kieng] くび、
口嘴[kho-tziue] くち、口辺[kho-tziue-pyen] くちびる、舌[djiat] した、牙[ngea] は、
顔貌[ngean-meõ] かほ、手[sjiu] て、腹[piuk] はら、肝[kan] きも、脛[hyeng] はぎ、
○ なびく
「なびく」は「靡く」と書く。「靡」は麻[mea]と非[piuəi]の合成文字である。麻[mea]の[m]は鼻音であり、調音の方法が[n] と
同じである。調音の方法が同じ音は転移しやすい。日本語の「なびく」は
「麻」と「非」の合成語であろう。このような合成漢字には「駒」=「馬+句」、「麿」=「麻+呂」などがある。
○ 参照:物(もの)(第207話)、御(
第208話)、夕顔(ゆふがほ)(第211話)、
忘(わす)れる(第212話)、おもふ(第213話)、あはれ(第213話)、
似(に)る(第213話)、限(かぎ)り(第216話)、こひし(第216話)、
谷崎潤一郎訳『源氏物語』〜末摘花〜
どう思ってみてもやはりいまだに心残りな夕顔(ゆうがお)の、露に先立たれたあの折
のお気持ちを、年月を経てもお忘れになれません。ここでもかしこでも、へんに様子ぶ
った方々ばかりが、お互いに警戒し合い、競争し合っていらっしゃるのをご覧になりま
しては、あのなつかしく親しみやすかった面影(おもかげ)の類(たぐい)なさを、今
も恋しくお思いになります。
どうかして重々しい身分の者でない、世にも可愛らしい人柄の、気兼ねのいらないよう
なのを見つけたいものよと、性懲(しょうこ)りもなく思いつづけていらっしゃいます
ので、少しでもすぐれているような評判のあるたりのことは、漏れなく聞き込んでおい
でなされて、ひょっとしたらとお思いになる素振りのあるようなのには、一筆二筆ほの
めかしてごらんになるらしいのですが、そのお言葉に靡(なび)かないで逃げてしまう
ようなのは、まずもってありそうにないというのも、さりとは曲がなさ過ぎることです。
2. 赤鼻の姫君〜すえつむ花〜【日本古典文学大系】
最近では冷暖房も完備して、寒さに頬を赤くした子
どもや、鼻先が赤く染まった人を見かけることはなくなったが、平安時代の宮廷では寒さは宮廷の麗人にも迫っていた。ユーモラスな一節である。
「ふりにける頭(かしら)の雪をみる人も劣(おと)らずぬらすあさのそでかなわかき者は、かた ちかくれず」とうち誦(ず)し給ひて、鼻(はな)の、色に出(い)でゝ、「いと寒(さむ)し」 と見(み)えつる御おもかげ、ふと思ひ出(い)でられて、ほゝゑまれ給ふ。
「頭中将に、これを見(み)せたらん時、如何(いか)なることを、よそへいはむ、つねに、う かゞひ來(く)れば、いま、見(み)つけられなん」と、すべなうおぼず。
漢語起源のことば
「わかき者は、かたちかくれず」とあるのは白氏文
集からの引用である。白氏文集に「夜深煙花尽。霰雪白粉々。幼者形不蔽。老者体無温。悲喘与寒気。併入鼻中辛。」とあり、源氏物語の筆者紫式部はもちろん
白氏文集を読んでいて「幼者ハ形不レ蔽レ、老者ハ体ニ無レ温、悲喘ト与二寒気一、併セテ入リテ二鼻中一辛」の部分に言及している。そのことは当時
の源氏物語の読者もそれを読んでいたことを前提としている。
「頭中将」は「頭(とう)の中将(ちうじ
やう)」と読む。「馬頭」のときは「馬(うま)の頭(かみ)」と読む。日本語の漢字は音には呉音、漢音、訓などがあるばかりでなく、訓でも何種類かの読み
方がある場合があるので、解読はしばしば困難を伴う。
○ 漢語(漢音・呉音):ず(誦)す、頭中将、
○
漢語起源のことば:ふる、見(み)る、ぬらす、そで、若い、色、出(い) で、御おもかげ、 ほゝゑむ、時、如何(いか)、つねに、思ふ、來(く)る、おぼす、
○ 訓(やまとことば):かしら(頭)、雪、人、おと(劣)る、者、かた ち、かくれる、
鼻(はな)、給ふ、寒(さむ)し、これ、うかがふ、
○
朝鮮語と関係のあることば:あさ、
○ ふる
「ふる」は雪が「降る」と、時を「経る」をかけている。「降」の古代中国語音は降[hoəm]であり、「ふる」は中国語の喉音[h-]
がハ行であらわれれいる。「経」の 古代中国語音は経[kyeng]で、「ふる」は中国語の[k-] が日本語ではカ行に転移している。匣母[h-] と見母[k-]
は調音の位置が近く、転移しやすい。(参照:第 210話)、
○ 濡(ぬ)らす
「濡」の古代中国語音は濡[njio]である。日母[nj-]
は泥母[n-] に近く、日本語ではナ行であらわれることがあ る。日母[nj-]
は呉音ではナ行であらわれ、漢音では「ジ」であらわれる。肉(にく)、熱(ねつ)のように、はやくから「やまとことば」のなかにとけこんでいることばもある。日本語の「ぬらす」は中国語の「濡」と同源である。
例:肉[njiuk] ニク、熱[njiat] ネツ、耳[njiə] ニ・ジン、児[njie] ニ・ジ、然[njian] ネン・ゼン、
日[njiet] ニチ・ジツ、若[njiak] ニャク・ジャク、柔[njiu] ニュウ・ジュウ、人[njien] ニン・ジン、
○
袖(そで)
「袖」の古代中国語音は袖[diu]である。「由」と声符とする漢字には由[jiu](ユウ)、油[jiu](ユウ)、袖[diu](シュウ)、軸[diuk](ジク)、抽[thiu](チュウ)、笛[dek](テキ)などがある。日本語の「そで」は中国語の
袖[diu] と関係のあることばであろう。「そで」
の「で」は日本語の「手」の連想であろう。楊(ヨウ・やなぎ)の「ぎ」などの場合も日本語の「木」の連想が含まれている。
○ 若(わか)い
「若」の古代中国語音は若[njiak]である。日本漢字音は呉音・若(ニャク)、漢音・
若(ジャク)である。朝鮮漢字音では日母[nj-]は規則的に脱落して、若(yak)、弱(yak)、日(il)、などとなる。日本語の「わかい」は中国語の頭音[nj-]が脱落してワ行に転移したことばであろう。
弱「よわい」も中国語の弱[njiõk]の頭音が脱落してヤ行に転移したことばである。ア 行、ワ行、ヤ行は転移しやすい。
例:行(いく・ゆく)、言(いう・ゆう)、王(オ ウ・ワウ)、蛙(ア・ワ)、など、
○ 色
「色」の古代中国語音は色[shiək]である。日本語の「いろ」は古代中国語音の色[shiək]の頭音が口蓋化の影響で脱落したことばである。韻尾の[-k]
はラ行に転移した。(参 照:第209話・世(よ)、第210話・山(やま))、
韻尾の[-t] がラ行に転移することは多いが、[-k]
がラ行に転移する例もいくつかあげることができる。
例: 悪[ak] わるい、黒[xək] くろ、或[hiuək] ある、涸[hak]
かれる、識[tjiək] しる、織[tjiək] おる
○ 御おもかげ
日本語の「おもかげ」は漢字で書くと「面影」である。「面」の古代中国語音は面[mian]であり、日本語の「おも」は語頭に母音「お」が添加されたものである。韻尾の[-n]
は脱落している。韻尾の[-n] がタ行に転移したものが面(おもて)である。
「影」の古代中国語音は影[yang]
である。同じ声符をもった漢字に景[kyang] がる。「影」の祖語は影[kyang]
に近い音価をもっていたと考えられる。日本語の「かげ」は中国語の「影」あるいは「景」と同源である。日本語でも、人名などでは「景虎」と書いて「かげとら」と読ませたりする例もある。
○ ほゝゑむ
日本語の「ほほ」は中国語の頬[kyap] と同源である。「ほほ」 の「ほ」は中国語の韻尾[-p]
をあらわしている。古代中国語の[k-] は日本語では、しばしばハ行であらわれる。
例:蓋[kat] ふた、骨[kuat] ほね、姫[kiə]
ひめ、古[ka] ふるい、廣[kuang] ひろい、
干・乾[kan] ひる・ほす、果[kuai] はたす、經[kyeng] へる、
「ゑむ」の漢字は「笑」であるが、日本語の「ゑ む」は漢字の「笑」と同義であなるが、音は関係なさそうである。
○ 如何(いか)に
「末摘む花」の冒頭の部分の引用に「いかで」というのがあった。「いかで」も「いかに」も漢語の「如何」と同源である。「如」の古代中国語音は如[njia]である。朝鮮漢字音では疑母[nj-]
が脱落して、如(yeo)である。古代日本語でも疑母[h-] はカ行に転移した。
(参照:いか(如何)で)
○ 常(つね)に
「つねに」の常用訓は「常」である。「常」の古代中国語音は常[zjiang]である。「常」は訓では常夏「と
こなつ」のように「とこ」とも読む。頭音の声母[zj]は定母[d-]の口蓋化したもので、「常」の祖語は
常[dang]に近い発音だったものと考えられている。「つね」は韻尾の[-ng] がナ行に転移したものであり、
「とこ」はカ行に転移したものであろう。韻尾の[-ng]は調音の位置が[-k] と同じである。[-ng]、
[-n]、[-m]はいずれも鼻音であり、調音の方法が同じである。調音の位置が近いおとや、調音の方法が同じ音は転移しやすい。
[-ng]
がナ行・マ行に転移した例:常[zjiang] つね、兄[xyuang] あに、弓[kiuəng] ゆみ、浪[lang] なみ、 様[ziang]
さま、霜[shiang] しも、誦[ziong/jiong] よむ、窮[kiuəm] きわまる、澄[diəng] すむ、
[-ng]
がカ行に転移した例:常[zjiang] とこ、床[dzhiang]とこ、塚[tiong] つか、 茎[heng] くき、
双[sheong]六・すごろ
)、桶[dong] おけ、丈[diang] たけ、衝[thjiong] つく、舂[siong] つく、
仰[ngiang] あおぐ、 迎[ngyang]
むかへる 、楊[jiang] やぎ・やなぎ、 揚[jiang] あげる、
影[yang] かげ、翁[ong] おきな、長[diang]
ながい、行[heang] ゆく、横[hoang] よこ、
○ あさ
あさ(朝)は朝鮮語のあさ(a-chim)と同源だとされている。
○ 参照:時(第208話)、 出(い)で(第210話)、來(く)る(第210話)、
思ふ(第213話)、○みる・み(見)せる(第213話)、
音便形の表記の方法
「すべなうおぼす」
という表現の「すべなう」は「すべなく」の音便形である。「末摘む花」の冒頭の部分には「物なう、戀しく」という表現があった。「物なう」は
「物なく」の音便形である。「戀しく」は音便化すると「戀しう」となるはずである。
音便化は日本語でも、中国語語源のことばでもよく起こる。
例:格[keak]子 かうし、拍[peak]子 はうし、麹[kiuk]子 こうじ、など
現代の日本語でも「格子」は「こうし」と書くから
といって「こ・う・し」と発音するわけではない。東京や京都も「と・う・きょ・う」「きょ・う・と」
などと発音するわけではない。それはいわば表記上の約束事である。ローマ字ではTokyo、Kyotoと表記するからといって、「トキョ」「キョト」と
読むことを想定しているわけではない。表音文字は発話の不完全な模写であり、近似値である。
しかし、源氏物語の時代に「すべなく」は口語では音便化していたからころ「すべなう」と表記したのであろう。しかし、「すべなう」と書いてあるからといっ
て、「す・べ・な・う」と発音したのではあるまい。「すべなう」は音便形を示すための近似値であり、音価は「すべのう」に近かったかもしれない。
谷崎潤一郎訳『源氏物語』〜末摘む花・赤鼻の姫君〜
「ふりにける頭(かしら)の雪を見る人も おとらず濡(ぬ)らすあさの袖かな」
『幼者形不レ蔽
(わかきものかたちかくれず)』と誦(ずん)じ給うて、鼻の先が花の色になったえ らく寒そうに見えたおん面影を、ふと思い出されて、ついほほえみをお漏らしになります。
頭中将にあれを見せたら、どんな形容をするであろうか、いつも様子を窺(うかが)いに来る人で あるから、今に見つけられるであろうと、厄介(やっかい)にお思いになります。
10月の10日あまりに、朱雀院への行幸がある。
その日の催し物はこれまでになく格別にすばらしいと前評判でしたので、行幸に随行しない女御などに見せられないのを残念に思って、御前でリハーサルをして
藤壺に見せます。源氏の中将は青海波を踊りました。二人舞いである青海波のお相手は頭の中将がなさいました。
夕日が輝くなか、楽の音が響き渡り、源氏の君の足
拍子や表情などは、世にまたとないほどすばらしいものでした。
1. もみぢの賀【日本古典文学大系】
朱雀院(すざくゐん)の行幸は、神無月(かんなづき)の十日あまりなり。
世(よ)のつねならず、おもしろかるべき度(たび)のことなりければ、御方々々、物、見たまは ぬ事を、くちを しがり給(たま)ふ。
うへ(上)も、藤壺(つぼ)の、見給(たま)はざらんを、あかずおぼさるれば、試樂(しがく) を、御前(ごぜん)にてせさせ給(たま)ふ。
源氏中将は、青海波(せいがいは)をぞ、舞(ま)ひ給(たま)ひける。
片手(
かたて)には、大殿(との)の頭中将、かたち・用意(ようい)、人には異(こと)なる を、たち並(なら)びては、花(はな)のかたはらの深山(みや ま)木なり。
入≪り≫がたの日影(かげ)、さやかにさしたるに、樂(がく)の聲(こゑ)まさり、物のおもし ろき程に、おなじ舞(まひ)の、あしぶみ・おもゝち、世
(よ)に見えぬさまなり。
漢語起源のことば
○「もみじ」は源氏物語では 仮名で「もみぢ」と書
いてある。万葉集では「黄葉」「紅葉」などと書かれている。中国語の黄[huang] と紅[hong] は音が近い。中国語で四原色といえば、赤、青、
白、黒であり黄色は含まれていない。「黄」と「紅」は音も近いが、義(色)も近いと考えられていたのであろう。「もみじ」は和語である。
○「賀」の古代中国語音は賀[hai] である。「賀正」の「賀」であり、意味は「よろこ ぶ」「いわう」である。匣母[h-]
は日本語漢字音では賀「ガ」であらわれることが多 い。我[ngai]
も日本漢字音では我「ガ」であるが、「我」は鼻濁音であり、中国語では違う音である。区別して表記するとすれば、賀「ガ」、我「カ゜」である。
喉音の例:賀[hai] ガ、画[hoek] ガ、害[hat] ガイ、學[heuk] ガク、丸[huan] ガン、含[həm] ガン、
後[ho]ゴ、護[ho] ゴ、号[hõ] ゴウ、
鼻音の例:我[ngai] カ゜、牙[ngea] カ゜、芽[ngea] カ゜、臥[nguai]
カ゜、雅[ngea] カ゜、
瓦[nguai] カ゜、樂[ngõk] カ゜ク、眼[ngean] カ゜ン、
○「朱雀院」は上皇の御所で三条朱雀にあったので この呼び名がある。古代中国語音は朱[tjio]雀[tziõk]院[hiuan]
で拗音であるが、源氏物語の時代の漢字音では拗音でなく、直音で発 音されている。古代日本語には拗音がなかったからであろう。
○「試樂」の中国語原音は
「試[sjiək]樂[ngõk]」である。「試」の声符は式[sjiək]であり、古くは「試」にも韻尾に[-k]の音があったものと考えられているが、唐代には韻
尾の[-k] はだつらくしていて試樂(シカ゜ク)と読む。試樂は天皇が出御するだいじな祭りにだされる神楽 の予行演習である。
○「青海波」は二人舞の雅楽の曲名である。片手は お 相手の舞い方をさす。舞人は波に千鳥の模様のある上着をつけ、鳳凰の頭をかたどった兜をかぶり、剣を帯びて踊る。
○ 御前(ごぜん)は漢語である。「御」の中国語音は御[ngia] である。原本はひらがな表記だから御前(おんまへ)、あるいは御
前(みまへ)、ではなく御前(ごぜん)と漢語読みしていたことになる。古代日本語には濁音ではじまることばがなかったので、濁音ではじまる御前(ごぜん)
は平安時代には外国語の響きをもったことばであったに違いない。(参照:第208話)
訓の御前(おんまへ)、御前(みまへ)も中国語の御[ngia]
が和語として古代日本語に取り入れられてものであり、御(おん)、御(み)も中国語の日本語に御[ngia] と同源である。御(おん)は御[ngia]
の語頭に母音が添加されたものであり、御(み)は御[ngia] の頭音御[ng-] がマ行に転移したものである。疑母御[ng-] と明母御[m-]
とはともに鼻音であり、調音の方法が同じである。古代日本語には御[ng-] ではじまる音節はなかったので、マ行に転移した。
「もみぢの賀」にで
てくる日本語を整理してみるとつぎのようになる。
○ 漢語(漢音・呉音):朱雀院(すざくゐん)、行幸、試樂(しがく)、御 前(ごぜん)、
源氏、中将、青海波(せいがいは)、頭中将、用意(ようい)、樂(がく)、
○ 漢語起源のことば:神
無月(かんなづき)、世(よ)、つね、度(たび)、御、物(もの)、
見(み)る、くちをし、おぼす、舞(ま)ふ、かた手(て)、大殿(との)、た ちならび、
花(はな)、深山(みやま)、入る、日影(かげ)、さす、もの、おもゝち、さま、
○ 朝鮮語と同源:十 日(か)、日(ひ)か げ、
○
訓(やまとことば):神無月(かんなづき) の十日(か)、おもしろき、こと、方、事、給ふ、
うへ(上)、藤(ふじ)、つぼ(壺)、たま(給)ふ、あく、か
たて(片手)、大との(殿)、
かたち、人、こと(異)なる、なら(並)ぶ、かたはら、木、こ ゑ(聲)、程、おなじ、
あしぶみ、
○ 神無月(かんなづき)
「かんなづき」を「神無月」と書くのは、神様が出雲に集合してしまって、いないからだという俗説がある。水無月(みなづき)、水上(みなかみ)はどうで あ
ろうか。「水無月」は六月のことであり、水が無いわけがない。無(な)は現代日本語でいえば「の」にあたることばであり、「水無月」は「水の月」つま
り、水のある月のことである。「水上」は「水の上(かみ)」つまり、水源に近い所である。「神無月」は陰暦11月のことで、「神の月」の意であろう。
○
舞 (ま)ふ
「舞」の古代中国語音は舞[miua] である。日本も「まふ」は中国語の舞[miua] と同源である。舞(まふ)は
中国語の原音・舞[miua]が日本語の動詞として活用したものである。「まふ」の「ふ」は動詞の活用語尾である。中国語には動詞の活用はないが、日本語や朝鮮語には動詞の活用がある。
(参照:第212話・ふるまひ(振舞))
○ 大との
「大との」の「大」は漢字で書いてあるが和語であり、「との」はひらがなで表記されているが、漢語起源のことばである。
「殿」の古代中国語音は殿[dyən]である。日本漢字音は殿(デン)、訓は殿(との) である。古代日本
語には[-n]で終わる音節はなかったので、韻尾に母音をつけ
て、殿(との)とした。君[giuən](クン・きみ)なども韻尾に母音をつけて和語として中国語を取り入れたものである。
○ たちならび
「たちならび」は漢字仮名交じり文で書けば「立ち並び」であろう。「立」の古代中国語音は立[liəp]である。「たち」「たつ」は立[liəp] の頭音[l-]
がタ行に転移したものであり、「たつ」は立[liəp] の韻尾[-p] がタ行に転移したものである。中国語の韻尾[-p
]は日本漢字音ではしばしばタ行で置き換えられる。 接[tziap](セツ)、摂[siap](セツ)、雜[dzəp](ザツ)などは、韻尾[-p]
がタ行に転移たものである。古代中国語の入 声韻尾には[-p][-t][-k] があるが、日本語では必ずしも明確に弁別されていない。
「ならび」の語源は不明である。古代日本語にはラ行音ではじまる音節はな かったので、調音の位置の近いタ行に転移する例がいくつか見られる。
例:立(リツ・たつ)、龍(リュウ・たつ)、滝 (リュウ・たき)など
○ 日かげ
日(ひ)は朝鮮語の日(hae)と同源である。「かげ」はひらがなで表記してある
が「影」であろう。「影」の古代中国語音は影[yang]である。「影」は景[kyang]と声符が同じであり「影」にも影[kyang]という音があって、それが後に脱落したものと考え
られる。同じ声符をもった漢字でも曜 ヨウ・躍 ヤク、夭 ヨウ・沃
ヨク、のようい読み分けられるものがある。カ行の韻尾が古く、曜(ヨウ)、夭(ヨウ)は音便化したものである。韻尾の[-ng]
がカ行であらわれる例としては次のようなものをあげることができる。
例:影[kyang](ケイ・エイ・かげ)、光[kuang](コウ・かげ)、莖[heng](ケイ・くき)、
塚[tiong](チョウ・つか)、丈[diang](ジョウ・たけ)、暴[bõ](ボウ)・爆[bõk](バク)、
双[sheong](ソウ)・双六(すごろく)、相[siang](ソウ)・相模(さがみ)、
日本語の「かげ」には二つの語源がある。光[kuang]と影[kyang]である。「つきかげ」などの「かげ」は光[kuang]のことである。
(参照:第214話・すきかげ(透 影)第216話・二三日≪ふつかみか≫)
○ さす
日本語の「さす」には射す、挿す、差す、刺す、指す、などの漢字があてられている。これらの漢字の古代中国語音は射[djyak]、挿[tsheap]、差[tshea]、刺[tsiek]、指[tjiei]である。
「日がさす」の場合は「射[djyak]す」である。現代の日本漢字音は射(シャ)である
が古代日本語では直音であらわれる。これらの漢字は朝鮮語でも直音であらわれる。
(参照:第216話・修法(すほふ)、第 217話・数珠(すず))
朝鮮漢字音の例:射(sa)、者(sa)、渋(sap)、修(su)、數(su)、主(su)、首(su)、宿(suk)、小(so)、
○
か(日)
朝鮮語と同源のことばとして「十日(か)」と「日かげ(影)」がある。
「日」は朝鮮語では日(hae)である。日本語の日(ひ)は朝鮮語の訓を借用した ものであり、日(か)はその転移したものである。朝鮮語の(h)
は喉音であり、調音の位置が日本語のカ行に近い。
○ 参照:御(第208話)、物(もの)(第 208話)、おもゝち(第208話)、
世(よ)(第209話)、深山(みやま)(第211話)、たびたび(度)(第213話)、
見(み)る(第
213話)、かたて(片手)(第213話)、 おぼす(第213話)、
舞(ま)ふ(第 213話)、さま(第216話)、入る(第217話)、
花(はな)(第218話)、常(つね)(第218話)、
歴史的仮名使い
○行幸
源氏物語では漢字で表記されている。「行幸」は音ならば行幸(ぎやうかう)、訓ならば「みゆき」と読まれたはずである。行幸の古
代中国語音は行幸[heang-heang]である。歴史的仮名使いのなかにも「きゃう」と書くものと「きよう」と表 記ものがある。
[きやう]:京[kyang]、郷[xiang]、杏[heang]、狂[giuang]、境[kyang]、香[xiang]、仰[ngiang]、経[kyeng]、
[きよう]:凶[xiong]、恐[khiong]、興[xiəng]、凝[ngiəng]、
「きやう」と表記してあるものは唐韻[-ang]、耕韻[-eng] の漢字であり、「きよう」と表記しているものは東韻[-ong]、蒸韻[ -əng]
の漢字である。「きよう」と表記されている漢字は中国語の[-i-] 介音を含んでいる。「きやう」と読む漢字にも介音[-i-]
ふ含みものもあるが、唐代に於ける介音[-i-] の発達が日本語のかなの表記に反映していると思われる。
歴史的仮名使いでは「かう」と書くものと「こう」と 書くものがある。
[かう]:更[keang]、香[xiang]、向[xiang]、強[giang]、剛[kang]、郷[xiang]、講[ko]、交[keõ]、高[kõ]、
江[kong]、好[xu]、降[hoəm]、
[こう]:公[kong]、功[kong]、孔[khong]子、紅[hong]、鴻[kong]、口[kho]、後[ho]、興[xiəng]、弘[huəng]、
「かう」は陽韻[-ang] が多く、「こう」は東韻[-ong] のものが多いが例外もある。
○ 中将
「中将」も漢字で書いてあるが、歴史的仮名使いでは中将(ちうじやう)である。「中将」の古代中国語音は中将[tiuəm-tziang]である。歴史的仮名使いには「じやう」のほかに
「じよう」と表記される漢語もある。
[じやう・しやう]:常[zjiang]、浄、吉祥[zjiang]、城[zjieng]、成[zjieng]仏、生[sheng]、
[じよう・しよう]:丞[zjiəng]、乗[djiəng]、承[zjiəng]、縄[djiəng]、證[tjiəng]、勝[sjiəng]、称[thjiəng]、
昇[sjiəng]、松[ziong]、冗[niong]、
「じやう」「しやう」は陽韻[-ang]、耕韻[-eng]のもが多く、「じよう」「しよう」には蒸韻[-əng]、東韻[-ong]のものが多い。(参照:「かう」・「こう」)
現代の表記法では「しょう」と表記するものを、歴 史的仮名使いでは「せう」と表記する場合もある。(参照:第212話・ 消息(せうそこ))
○
用意(ようい)
「用意」は「ようい」である。歴史的仮名使いでは「よう」と書くものと、「やう」と書くものとがある。
[よう]:用[jiong] よう、容[jiong] よう、俑[jiong] よう、
[やう]:様[jiang] やう、揚[jiang]貴妃 やうき
)、芙蓉[jiong] ふやう、瓔[ieng]珞 やうらく、
歴史的仮名使いで「よう」と書くものの古代中国語音は東韻[-ong]のものが多い。「やう」と表記するものには陽韻[-ang]、耕韻[-eng]のものが多い。しかし、例外もみられる。
(参照: 「じやう」・「じよう」)
谷崎潤一郎訳『源氏物語』〜紅葉賀〜
朱雀院(すざくいん)への行幸は十月(かんなづき)の十日あまりのことです。
このたびはなみなみならず面白いはずの御儀(おんぎ)なので、后(きさき)や女御のおん方々は、 御見物になれないのを残念にお思いになります。
お上(かみ)も藤壺(ふじつぼ)がご覧になりませんのを物足りなく思(おぼ)し召(め)されて、 試楽(しがく)を御前(ごぜん)でおさせになります。
源氏の中将は青海波(せいかいは)をお舞いになりました。相手役には大殿(おおいとの)の頭中 将、器量も、用意も、人にすぐれていらっしゃいますが、源氏の君と立ち並んでは花の傍(かたわ) らの深山木(みやまぎ)なのです。
入りかたの日が鮮(あざや)かにさしていますのに、楽(がく)の音(ね)が一段と高まって、今し も感興のたけなわな折から、同じ舞ながら君が舞い給う足拍子、お顔だち、世にたぐいない見物(み もの)なのです。
行幸には、皇子(みこ)たちもみなお供します。春
宮(とうぐうう)も御臨席なさいます。楽人の乗り込んだ船も池を漕ぎまわり、唐(から)や高麗(こま)の舞など数えきれないほど多く演じられます。宮廷の
文化は唐や朝鮮半島とも深くつながっているのでした。舞も政(まつりごと)の重要な一部だったのでした。
1. 青海波の舞〜紅葉賀〜【日本古典文学大系】
行幸には、皇子(みこ)たちなど、世(よ)に殘(のこ)る人なく、仕(つか)うまつり給へり。
春宮(とうぐう)もおはします。
例(れい)の樂の舟ども、漕(こ)ぎめぐりて、唐土(もろこし)・高麗(こま)と盡(つ)くし たる舞(まひ)ども、種(くさ)おほかり。
樂(がく)の聲、鼓(つゝみ)の音(おと)、世(よ)をひびかす。
一日(ひとひ)の、源氏の御夕影(ゆふかげ)、ゆゝしう思(おぼ)されて、御誦(みず)經な ど、所々にせさせ給ふを、聞(き)く人も「ことわり」と、あはれがり聞(きこ)ゆるに、春宮の 女御は、「あながちなり」と、にくみ聞(きこ)え給(たま)ふ。
垣代(かいしろ)など、殿上人、地下(ぢげ)も、「心殊(こと)なり」と、世(よ)≪の≫人に 思(おも)はれたる有職(いうそく)のかぎり、整(とゝの)へさせ給へり。
宰相二人(ふたり)、左衛門督(さゑもんのかみ)、右衛門督(うゑもんのかみ)、ひだり・右(みぎ)の樂(がく)のことをお行(おこ)ふ。
舞(まひ)の師どもなど、世(よ)になべてならぬをとりつつ、おのおの籠(こも)り居(ゐ)て なん習(なら)ひける。
漢語起源のことば
源氏物語の時代、宮中では漢語がかなり使われてい
た。春宮(とうぐう)、女御、殿上人、宰相、左衛門督(さゑもんのかみ)、右衛門督(うゑもんのかみ)、などである。春宮は皇太子の宮殿で東宮とも書く。
衛府には近衛府、兵衛府、衛門府があり、それぞれ 左右に分かれていた。左衛門督は近衛の御門より左を担当する長官であり、右衛門督はは右側を担当する。
馬頭(うまのかみ)のときは「頭」と書いて「か
み」と読み。左衛門督(さゑもんのかみ)、右衛門督(うゑもんのかみ)は「督」と書いて督「かみ」と読む。「かみ」は頭「かしら」であもる。
○
漢語(漢音・呉音):行幸、春宮(とうぐう)、例(れい)、樂(がく)、源氏、女御、
殿上人、地下(ぢげ)、有職(いうそく)、宰相、左衛
門督(さゑもんのかみ)、右衛門督
(うゑもんのかみ)、師、
○ 漢語起源のことば:皇子(みこ)、世(よ)、舟、めぐる、高
麗(こま)、舞(まひ)、
音(おと)、御、夕影(ゆふかげ)、思(おぼ)す、あはれ、御誦(みず)經、
垣代(かいしろ)、思(おも)ふ、かぎり、籠(こも)る、居(ゐ)る、
○ 朝鮮語と同源:ひとひ(一日)、
○
訓(やまとことば):のこ(殘)る、人、つか(仕)へる、おはす、こ (漕)ぐ、
もろこし(唐土)、つ(盡)くす、種≪くさ≫、聲、つゝみ(鼓)、ひびく、ひとひ(一日)、
ゆゝし、所、給ふ、き(聞)く、ことわり、かいしろ(垣代)、聞こゆ、殿上人、 心、
こと(殊)、とゝの(整)へる、ふたり(二人)、督(かみ)、ひだり(左)、みぎ(右)、
こと(事)、おこな(行)ふ、なべる、なら(習)ふ、
○ 皇子(みこ)
「みこ」は漢字では「皇子」、「御子」、「親王」とも書く。原義はおそらく「御子」であろう。
○ 舟
スウェーデンの言語学者ベルンハルト・カールグレン(1889-1978)は『言語学と古代中国』(1920年・オスロ) において、日本語の「ふね」の語源は中国語の
「盆」ではないかとしている。現代の日本語では「盆」は「ふね」の意味には使われていないが、『古事記』にはそのような用法があるという。現在でも「湯ぶね」などという。
舟に関係する中国語のなかでは盤[buan]、舨[piuan]、舫[piuang]、艦[heam]などがあり、日本語の「舟」に音義ともの近い。「盤」は
「おおざら」、あるいは「たらい」である。「舨」は「舢舨」などといい、小舟である。「舫」は「もやいぶね」である。「艦」は軍船である。
(参照:第218話、
第 219話・經)、
「舟」の朝鮮語はpaeである。日本語の「ふね」は朝鮮語のpaeと関係がある可能性もある。長崎のペーロンは舟の 競争である。
○ めぐる
日本語の「めぐる」にあたる漢字は「廻」である。「廻」の古代中国語音は廻[huəi] である。中国語の喉音[h-]・[x-]
を語頭にもつ漢字のなかには日本語の訓でマ行に対 応するものがいくつか見られる。
中国語の喉音[h]・-[x-]
が日本語でマ行であらわれる例としては見[hyan](ケン・みる)、向[xiang](コウ・むかう)などをあげることができる。また
中国語の声符がカ行とマ行で読み分けられる例としては海[xə]・毎[mə]、忽[xuət]・物[miuət]、黒[xək]・黙[muək]
などをあげることができる。
「廻」の祖語は廻[hmuəi] のような音価をもっていて、入りわたり音[h-]
がうしなわれたものが廻(めぐる)となり、入りわたり音[h-] が発達したものが廻(カイ)になったと考えられる。
○ 高麗(こま)
「高麗」と書いて「こま」と読む。高麗[lyai] の[l] は[m] に近く転移することがある。[l]は調音の位置が歯茎の後であり、[m]
は両唇音で調音の位置が近い。調音の位置が同じ、 あるいは近い音は転移しやすい。
例:陸(リク)・睦(ムツ)、勵(レイ)・萬(マ ン)、漏(ロウ・もる)、
両(リョウ・もろ)、嶺(リョウ・みね)、戻(レイ・もどる)、
○ 御誦(みず)經
「誦」の日本漢字音は呉音が誦「ジュ」、漢音は誦「ショウ」である。源氏物
語では「誦(ず)す」、「誦(ずん)ず」、「念誦(ねんず)」、「誦經(ずきやう)」などと読む。源氏物語では現在は拗音になっているものが直音であらわれる
場合が多い。(参照:第219話・さ≪射≫す)
例:修法(ずほ ふ)、朱雀院(すざくゐん)阿闍梨(あざり)、上手(じやうず)、
文章(もんざう)、障子(さうじ)、精進(さうじ)、装束(さ うぞく)、
正身(さうじみ)、菖蒲(さうぶ)、有職(いうそ く)、宿禰(すくね)
これらの漢字の朝鮮語音は修(su)、朱(ju)、闍(sa)、上(sang)、章(jang)、障(jang)、精(jeong)、装(jang)、正(jeong)、菖(chang)、職(jik)、宿(suk)であり、直音の痕跡を留めているものがみられる。
古代日本語の「宿禰」も、朝鮮漢字音は宿禰(suk-ni)であり、日本語の宿禰(すくね)に近い。しかし、 「経」は仮名でかけば「きやう」であろう。
○ 垣代(かいしろ)
「垣」の古代中国語音は垣[hiuan]、日本漢字音は垣(エン)である。中国語の頭音[h-]は喉音であり、日本漢字音ではカ行であらわれるこ
とが多い。源氏物語では垣 代(かいひろ)と読まれている。日本語の垣(か
き)あるいは垣(かい)については中国語との関係が想定できる。「しろ」と「代」の関係については不明である。
○ ひとひ(一日)
「ひとひ」の「ひ」は朝鮮語の日(hae)と同源である。「ひと」は「やまとことば」である。
○ 参照:世(よ)(第209話)、籠(こも)る
(第210話)、居(ゐ)る(第211話)、
夕影(ゆふかげ)(第213話)、思(おぼ)す・おも(思)ふ(第213 話)、
あはれ(第213話)、音(おと)(第216話)、かぎり(第216話)、
舞(まひ)(第219話)、
歴史的仮名使い
○ 行幸
漢字で書かれているが、ひらがなで漢語を表記しようとすれば行幸(きやう・かう)であろう。(参照:第219話・行幸)
○ 春宮(とうぐう)
皇太子の異称で東宮とも書く。「東宮」は皇太子の御座所で、「春宮」は官舎をさすともいう。語源的には「東宮」であろう。
「宮」の古代中国語音は宮[kiuəm] である。「宮」の訓は宮「みや」である。日本語の 「みや」は古代中国語の宮[kmiuəm] の頭音[k-]
が脱落したものであった可能性がある。
(参照:こ ま(高麗)、第210話・こも(籠)る)、第211話・うみ(海))、
スウェーデンの言語学者ベルンハルト・カールグレ ン(1889-1978)は古代中国語の[l-] には入りわたり音[k-]
があったとしている。「宮」の声符は呂[lia] であり、古代中国語音に入りわたり音があったとす ると「宮」は宮[klia]
であった可能性がある。そうだとすると、宮(キュ ウ)は入りわたり音[k-] が発達したものであり、宮「みや」は入りわたり音[k-]
が脱落したものである蓋然性がある。[l] と[m] は調音の位置が近く、転移しやすい。(参照:こま (高麗))、
○ 女御
「女」の古代中国語音は女[njia]である。日本漢字音は呉音・女(ニョ)、漢音・女
(ジョ)である。しかし、「女御」とか「女房」のときは女(ニョウ)となることがある。
(参照:第208話、第219話・ごぜん(御 前))、
○
殿上人
「殿上人」の場合は「でんじやうびと」である。「殿」は殿(との)と読まれることもある。「殿」の古代中国語音は殿[dyən]
である。日本漢字音は呉音・殿(デン)、漢音・殿 (テン)とされている。訓は殿(との)である。日本語には[-n] で終わる音節がなかったので[-n]
に母音を添加して殿(との)とした。古代日本語に
は母音調和があったので第一音節の殿(との)の母音「と」と添加された母音「の」は同じ調音の位置の音となった。(参照:第219話・大との(殿))、
○
有職(いうそく)
有職とは学問のあることで、音楽、書道芸能方面にすぐれてゐ人のこともさした。現代の日本漢字音では有職(ユウショク)となるところだが、源氏物語などでは有職(いうそく)と発音された。
「有職」の古代中国語音は有職[hiuə-tjiək]である。唐代には中国語の喉音[h-]は介音[-i-]の前では失われていた。日本漢字音では「有」は呉
音・有(ウ)、漢音・有(ユウ)とされている。
「職」の日本漢字音は呉音・職(シキ)、漢音・職
(ショク)である。「有職」では「いう・そく」と読む。源氏物語の漢字音では介音[-i-] は脱落することが多い。(参照:御誦(みず)經)
○ 宰相
「宰相」は漢字で表記されているが、ひらがなで書けば宰相(さいしやう)である。(参照:第211話)
谷崎潤一郎訳『源氏物語』〜青海波の舞・紅葉賀〜
行幸には親王(みこ)たちなど、世に残るお方もなく供奉(ぐぶ)なさいました。
春宮(とうぐう)もお供なさいます。例の音楽の船々が池の中を漕(こ)ぎめぐって、唐土(もろ こし)の楽(がく)、高麗(こま)の曲と、舞の手を尽くし、番組の種類も多いようでした。
楽の声、鼓(つづみ)の音(おと)が天地を揺るがすばかりです。あの試楽の夕べの源氏の君のお 姿の美しさを、空恐ろしく思し召して、御祈禱(ごきとう)
などをあちこちでおさせになりますの を、漏れ聞く人々ももっともなおんこととお案じ申し上げますのを、春宮の女御は「てもあんまり な」とお憎みになり ます。
垣代(かいしろ)などには殿上人からも、地下(じげ)からも、優(すぐ)れているという評判の ある有職(ゆうそく)の限りをお集めになりました。
参議(さんぎ)二人と、左衛門督(さえもんのかみ)、右衛門督(うえもんのかみ)とが左右の楽 のことを執(と)り行(おこな)います。
人々は前から、舞の師などにも世の常ならぬ名手を招き寄せて、おのおの家に閉(と)じ籠(こ も)って練習をしたのでした。
対訳「源氏物語」
源氏物語の原文に谷崎潤一郎訳の『源氏物語』を重
ねてみると、谷崎潤一郎はかなり原文に忠実に現代語訳していることが分かる。原文には句読点がなく、ひらがなが多いので読みにくい。動詞の終止形で区切っ
てみても、その動詞の主語を特定できない文章もある。日本語の文章は主語が主体ではなく、動詞が核になっていて、その動詞をさまざまな副詞句が修飾してい
る。目的語だけが明示されていて、主語が明らかでないものもある。
行幸にはみこたちなどよにのこる人なくつかうまつり給へり
≪行幸には親王(み こ)たちなど、世に残るお方もなく供奉(ぐぶ)なさいました。≫
春宮もおはします
≪春宮(とうぐう)
もお供なさいます。≫
れいの樂の舟どもこぎめぐりてもろこしこまとつくしたるまひども種おほかり
≪例の音楽の船々が
池の中を漕(こ)ぎめぐって、唐土(もろこし)の楽(がく)、高麗(こま) の曲と、舞の手を尽くし、番組の種類も多いようでした。≫
がくの聲つゝみのおとよをひびかす
≪楽の声、鼓(つづ み)の音(おと)が天地を揺るがすばかりです。≫
ひとひの源氏の御ゆふかげゆゝしう思されてみず經など所々にせさせ給ふをきく人もことわりとあ はれがりきこゆるに春宮の女御はあながちなりとにくみきこえたまふ
≪あの試楽の夕べの
源氏の君のお姿の美しさを、空恐ろしく思し召して、御祈禱(ごきとう)など をあちこちでおさせになりますのを、漏れ聞く人々ももっともなおんこととお案じ
申し上げますの を、春宮の女御は「でもあんまりな」とお憎みになります。≫
かいしろなど殿上人地下も心ことなりとよ人におもはれたるいうそくのかぎりとゝのへさせ給へり
≪垣代(かいしろ)
などには殿上人からも、地下(じげ)からも、優(すぐ)れているという評判 のある有職(ゆうそく)の限りをお集めになりました。≫
宰相ふたり左衛門督右衛門督ひだりみぎのがくのことをおこなふ
≪参議(さんぎ)二
人と、左衛門督(さえもんのかみ)、右衛門督(うえもんのかみ)とが左右の 楽のことを執(と)り行(おこな)います。≫
まひの師どもなどよになべてならぬをとりつつおのおのこもりゐてなんならひける
≪人々は前から、舞
の師などにも世の常ならぬ名手を招き寄せて、おのおの家に閉(と)じ籠(こ も)って練習をしたのでした。≫
源氏の君は琴の絃が切れてしまうのを恐れて、調子
を下げて短い曲を弾きます。そして、姫君に渡します。姫君はまだお小さいので、お手つきが本当に可愛らしいのです。源氏は笛を吹き鳴らしながら教えます。
姫君はたいへん聰明で、むずかしい調子なども一度で覚えてしまわれます。
1.琴の調べ〜紅葉賀〜【日本古典文学大系】
「筝(さう)の琴(こと)は、中の細緒(ほそを)の堪(た)へがたきこそ、ことろせ けれ」
とて、平調(ひやうでう)におし下(くだ)して、調(しら)べ給ふ。かきあはせばかり弾(ひ) きて、さしやり給へれば、え怨(ゑ)じもはてず、いと美(うつく)しう弾(ひ)き給ふ。
ちひさき御程(ほど)に、さしやりて、ゆし給ふ御手(て)つき、いと美(うつく)しければ「ら うたし」と思(おぼ)して、笛(ふえ)ふき鳴(な)らしつゝ、教(をし)へ給ふ。
いと、さとくて、かたき調子(てうし)どもを、たゞ一(ひと)わたりに、習(なら)ひ取(と) り給ふ。
大方(おほかた)、らうらうしう、をかしき御心ばへを、「思ひし事(こと)、かなふ」と思(お ぼ)す。
「保曾呂倶世利(ほそろぐせり)」といふ物は、名は憎(にく)けれど、おもしろう吹(ふ)きす まし給へるに、かきあはせ、まだ若(わか)けれど、拍子(はうし)たがはず、上手(ず)めきた り。
漢語起源のことば
宮廷では中国からもたらされた琴や琵琶が演奏され
ていた。和琴(わごん)という和風に改良された琴もあった。貴族たちは競ってその演奏を習い、またそれを聞くのを楽しみにしていた。
保曾呂倶世利(ほそろぐせり)は「名は憎けれど」 と言われている通り、耳なれないことばであるが、筝曲の名である。
○
漢語(漢音・呉音):筝(さう)、平調(ひやうてう)、怨(ゑ) ず、ゆす、拍子(はうし)、
上手(ず)、
○
漢語起源のことば:琴(こと)、中、堪(なか)へる、ところせ し、はつ、御、手(て)、
思(おぼ)す、鳴(な)らす、かた
い、取(と)る、思ふ、物(もの)、名(な)、
若(わか)い、
○ 訓(やまとことば):ほそを(細緒)、ところ、くだ(下)す、しら
(調)べ、給ふ、
、 ひ(弾)く、ちひさい、いとうつく(美)し、らう たし、程(ほど)、ふえ(笛)、
をし(教)へる、さとし、ひと(一)つ、なら(習)ふ、お ほかた(大方)、らうらうし、 をかし、心、事、かなふ、にく(憎)い、ふ(吹)く、た がふ、
○ 琴(こと)
「琴」の古代中国語音は琴[giəm] である。琴は中国から伝わった楽器であるから、日
本語の琴(こと)の語源も中国語起源であろう。日本で改良されたものを和琴(わごん)という。「こと」は琴[giəm] の韻尾が転移した倭音であり、和琴(わご
ん)は音である。
中国語の韻尾[-m] が倭音でタ行に転移した例としては音(オン・お と)などがある。中国語韻尾の[-m]
に対応する入声音は[-p]
であるが、日本漢字音では古代中国語の韻尾[-p]はしばしばタ行であらわれる。例:立[liəp](リツ)、接[tziap](セツ)、雜[dzap](ザツ)などである。[-m]・[-p]
は両唇音であり、[-n]・[-t] は前口蓋音(歯茎の裏側で調音される)であり、調 音の位置が近い。調音の位置が近い音は転移しやすい。
○
堪(た)へる
「堪」の古代中国語音は堪[zjiəm] である。照[tj-]、神[dj-]、禅[zj ]などの漢字音は端[t-]、定[d-]
などの音が口蓋化したものが多いから、堪[zjiəm] も口蓋化する以前には堪[tiəm] あるいは堪[dəm] に近い音があったものと思われる。堪(たへる)は
隋唐の時代に中国語音が口蓋化する以前の古い発音の痕跡を留めているものと考えられる。絶(たえる)も絶[dziuat] の倭音であろう。(参照:第215話)
○ ところせし
「せし」は「狭」である。「狭」の古代中国語音は 狭[heap] である。また、「狭」の現代北京音は狭(xia)
であり、仮名で表記すれば狭(シア)である。同じ 声符をもつ「陝」は陝西省(センセイショウ)などサ行で発音されている。語頭の[h-] あるいは[k-]
は介音(i)が伴う場合に口蓋化されてサ行に転移する場合があ る。日本語の狭(せし・せまし)は中国語の「狭」に依拠した倭音である。
○ はつ
「はつ」は漢字でひょうきすれば「果つ」であろ う。「果」の古代中国語音は果[kuai] である。果[kuai] は[khuai] あるいは[huai]
にも近く、倭音ではハ行であらわれるものもも多い。
(参照:第210話・經る、第218話)
○ 鳴(な)らす
「鳴」の古代中国語音は鳴[mieng] である。日本語の鳴(なく・なる)は中国語の鳴[mieng] の転移したものである。中国語音の[m-]
が日本漢字音でナ行に転移した例としては名[mieng](メイ・な)、苗[miô](ビョウ・なえ)、猫[miô](ビョウ・ねこ)、眉[miei](ビ・まゆ)などをあげることができる。中国語の韻尾[-ng]
は[-k] から変化したものが多い。
例:衝[tjiong](ショウ・つく)、舂[siong](ショウ・つく)、丈[diang](ジョウ・たけ)、
影[yang](エイ・かげ)、双[sheong] 六(ソウ・すごろ く)、相[siang] 模(ソウ・さがみ)、
○ かたい
「かたい」は漢字で表記すれば「堅」である。 「堅」の古代中国語音は堅[kyen] である。堅(かたい)は漢語の「堅」の倭音であ
る。「堅」は隋唐の時代以前には堅[kyet] に近い音だったものと考えられる。[-n] と[-t] は調音の位置が同じである、転移しやすい。中国語 音の[-n]
が倭音でタ行であらわれる例としては本[puən](ホン・もと)、満[muan](マン・みつる)、綿[mian](メン・わた)、面[mian](メン・おもて)、言[ngian](ゲン・こと)、元[ngiuən](ゲン・もと)、などをあげることができる。
○参照:物・もの(第207話)、御( 第208話)、名・な(第209話)、
手・て(第213話)、思・おぼす(213話)、取・とる(第217 話)、
若・わかい(第218話)、
歴史的仮名使い
○ さう(筝)
「筝」の古代中国語音は筝[tzheng] である。歴史的仮名使いでは「そう」と表記する漢 語もある。「さう」は介音[-i-]
をともなったものが多く、「そう」は介音[-i-] をともなわない音に対応しているようである。筝、
相、精、装については筝(呉音・ショウ、漢音・ソウ)、相(呉音・ソウ、漢音・ショウ)、精(呉音・ショウ、漢音・セイ)、装(呉音・ショウ、漢音・ソ
ウ)と漢和字典にはあり、日本漢字音でも拗音になるものが多い。
歴史的な名使いで「さう」と表記されているものの
中国語原音は陽韻[-ang]、耕韻[-eng]、それに幽韻[-u] のものであり、「そう」は東韻[-ong]、蒸韻[-əng]、候韻[-o]
に対応している。「相」、「装」などは介音[-i-] の発達する前の音、相[sang]、装[tzhang] を反映しているのではなかろうか。
[さう]:相[siang]、装[tzhiang]束(さうぞき)、筝[tzheng/tzhieng]、精[dzieng]進(さうじ)、
早[tzu]、草[tsu]、
[そう]:総[tzong]、僧[tzəng]、奏[tzo]、
「精進」は精進(しやうじん)、「装束」は装束
(しやうぞき・しやうぞく)と書かれることもある。介音(i)の発達を反映したものであろう。
歴史的仮名使いには「しよう」という表記もある。
蒸韻[-əng] のものも陽韻[-ang] のものもみられるが、いづれも口蓋化音である。中
国語原音の口蓋化を反映しているものと思われる。現代の日本漢字音にも呉音と漢音があって、同じ漢字にふたつの読み方があるように、源氏物語の時代の漢字
にも直音と拗音の二つの読み方があったものと思われる。「さう」と「そう」は区別されているが、「しよう」は「さう」の異音であり、中国における介音[-i-]
の発達を反映している。
[しよう]:承[zjiəng] 香殿、丞[zjiəng]、昇[zjiəng] 殿、勝[sjiəng]
負、将[tziang] 軍、
○ ちう(中)
「中」は漢字で書いてあるが、ひらがなで表記する
と中(ちう)である。歴史的仮名使いで「ちう」と表記される漢字には中[diuəm]、柱[dio]、注[tjio]、誅[tjiu]
などがある。歴史的仮名使いには「ちゆう」という表記をする漢 字音はない。
○ ひやう(平)
「平」の古代中国語音は平[bieng]
である。日本漢字音は呉音・平(ビヨウ)、漢音・ 平(ヘイ)、慣音・平(ヒョウ)と漢和字典にはある。
歴史的仮名使いでは「ひやう」と書く。兵[pyang]
庫、屏[byeng] 風、拍[peak] 子、なども「ひやう」である。拍子は拍子(ハク シ)の音便化したもので、拍子(はうし)とも書く。
○
てう(調)
「調」の古代中国語音は調[dyô] であり、日本漢字音は呉音・調(ジョウ)、漢音・ 調(チョウ)である。歴史的仮名使いでは調[dyô]
子、朝[tiô] 賀、潮[zjiô]、銚[dyô] 子、などは「てう」と表記する。いずれも宵韻[ô] の漢字である。
長[diang]
生殿、町[thyeng]、定[dyeng]、など中国語の韻尾が[-ng] の漢字尾は「ちやう」と表記する。これらは陽韻[-ang]、耕韻[-eng]
の漢字である。
○ ゑ(怨)じもはてず
「怨」の古代中国語音は怨[iuan] だと考えられている。「ゑず」は怨[iuan] の韻尾[-n]
の脱落したものである。古代日本語には[-n] で終わる音節はなかったので中国語の韻尾[-n]
はしばしば脱落した。ひらがなの元になった漢字のなかにも韻尾に[-n]・[-m] をもつ漢字がいくつも含まれている。
例:安(あ)、雲(う)、天(て)、仁(に)、半 (は)、満(ま)、連(れ)、
「ゑ」と表記される漢字と「え」と表記される漢字
は区別されている。宛[iuan]、遠[hiuan]、円[hiuən]、淵[yuen]、垣[hiuan]
などは「ゑん」と表記し、宴[yan]、艶[jiam]、縁[djiuan]、などは「えん」と表記する。
古代中国語の喉音[h-]
に由来する漢字は「ゑ」と表記し、[d-] の頭音が口蓋化の影響で脱落したものは「え」と表
記しているようである。古代中国語では随の時代に口蓋化音が発達し、唐代になると、その影響で頭音の[h-] あるいは[d-] が脱落するという傾向があらわれた。
日本漢字音は唐代の中国語音に依拠しているものが 多い。唐代には[hiu-]、[dj-] も頭音がすでに失われていて、区別がつかなかった
ものと思われるが、表記上の規範として守られたのであろう。
○ ゆ(由)す
「ゆ」は「由」である。「由」は左手で絃を押さえて吟を出すことをいう。「由」の古代中国語音は由[jiu] である。「由」の日本漢字音は呉音・由(ユ)、漢
音・由(ユウ)とされている。「由」には由(ヨウ)という読みもあり、用[jiong] と通用する。「ゆす」の意味は「用いる」である。
○
はうし(拍子)
「拍子≪はうし≫」は拍[peak] の音便形で、格[keak] 子(かうし)などと同じである。発音の歴史的変化
はこのようにして起こる。『風土記』には伯耆(ははき)とされている。これも音便形の一種であろう。
○ 上ず(手)
「上ず」は「上手(じやうず)」であろう。「上・ 手」の古代中国語音は上[zjiang]、手[zjiu] である。「手」の頭音は禅[zj-]
であるが、口蓋化する前の音は定[d-]に近かったものと考えられる。「上ず(手)」の 「ず(手)」は手[zjiu]
が口蓋化する前の形である手[du]の痕跡を留めているのではあるまいか。
日本語の手(て)も古代中国語音の痕跡を留めてい
るものと考えられる。手(シュ・ず・て)は同源であり、手(て)→手(ず)→手(シュ)と変化してきたものであろう。(参照:第214話・「じやう」)
谷崎潤一郎訳『源氏物語』〜琴の調べ・紅葉賀 〜
筝(そう)のことは、中の細緒の切れやすいのが面倒だから」と、調子を平調(ひょうちょう)に お下げになって、まず御自分がおしらべになります。
搔(か)き合せばかりを弾いて、姫君の前へおやりになりますと、そう拗ねてばかりもいらっしゃ れないで、たいそうきれにお弾きになります。
お小さいので、体を伸ばして由(ゆ)をなさるお手つきが美しいので、愛らしくお感じなされて、 笛を吹き鳴らしつつお教えになります。
たいへん悟りが早く、むずかしい調子などをただ一度でお覚えになります。
何ごとにつけても器用な、発明なお心ばえなので、これこそかねて望んでいた通りの人を得たのだ とお思いになります。
保曾呂倶世利(ほそろぐせり)という曲は、変な名ですけれども、節面白く笛をもって吹き澄まし 給うと、それと合奏なさいますのが、未熟ながらも拍子(ひょうし)が間違わず、上手めいて聞こ えるのでした。
2.琵琶の音〜紅葉賀〜【日本古典文学大系】
宮廷では男性も女性も琴や琵琶を奏でる。催馬楽が
催され、囲碁なども男性に限らず、女房たちの遊びでもあった。催馬楽は古代の民謡で、平安時代には宮廷の音楽のなかに取り入れられた。
夕立して名殘涼(すゞ)しき宵(よひ)のまぎれに、溫明殿(うんめいでん)のわたりを、たゝず み歩(あり)き給へば、この内侍、琵琶(びは)を、いと、をかしう、ひきゐたり。
御前などにても、男方(をとこがた)の御遊(あそ)びにまじりなどして、ことに、まさる人なき 上手(ず)なれば、ものゝ恨(うら)めしう思(おぼ)えけるをりから、いとあはれに、きこゆ。
「瓜(うり)作(つく)りに、なりやしなまし」と、聲(こゑ)は、いとをかしうて謡(うた)ふ ぞ、少(すこ)し心づきなさ。
「鄂州(がくしう)にありけん昔(むかし)の人も、かくや、をかしかりけむ」と、耳(みゝ) とゞまりてきゝ給ふ。
弾(ひ)きやみて、いといたう思ひ亂(みだ)れたるけはひなり。
漢語起源のことば
溫明殿(うんめいでん)は平安京内裏の殿舎のひと
つで、紫宸殿の東南にあった。
「瓜(うり)作(つく)り」は催馬楽に「山城の狛
のわたりの瓜つくり、、、我を欲しといふ、いかにせむ。なりやまし、、、」とあるのによる。
「鄂州(がくしう)」は地名で白楽天がこの地に
宿って、秋の夜、女の歌うのを聞いたことがあった、と白氏文集にある。鄂州にいたという昔の人も、女が夜に歌うのを聞いて、こんなに感興がふかかったので
あろうか、としている。
○ 漢語(漢音・呉音):溫明殿(うんめいでん)、内侍、琵琶(びは)、鄂州(がくしう)、
○
漢語起源のことば:夕立、名殘、御、上手(ず)、恨(うら)めし、思 (おぼ)える、
作(つく)る、耳(みゝ)、思、亂(みだ)れる、
○
訓(やまとことば):すゞ(涼)しき、よひ(宵)、あり(歩)き、給 ふ、前(まへ)、
をとこがた(男方、)あそ(遊)ぶ、うり(瓜)、
こゑ(聲)、うた(謡)ふ、
すこ(少)し、心、むかし(昔)、人、ひ(弾)く、みだ(亂) れる、
○ 夕立
「夕」の古代中国語音は夕[zyak] である。日本漢字音は呉音・夕(ジャク)、漢音・
夕(セキ)である。白川静の『字通』によると「夕は昔[syak]、夜[jyak] とも、声近く同系の語である」という。日本語の 「ゆふ」は夜[jyak]
の韻尾の音便化したものとも、夕[zyak] の頭音が脱落して、韻尾の[-k] が音便化したものであるとも考えることができる。
夕(ゆふ)は宵[siô](よひ)とも音義ともに近い。
「立」の古代中国語音は立[liəp] である。中国語の来母[l] は[t]
と調音の位置が同じ(歯茎の裏)であり、転移しや
すい。立(リツ・たつ)、粒(リュウ・つぶ)、龍(リュウ・たつ)、滝(ロウ・たき)、隆(リュウ・たかし)、など音でラ行であらわれる音が訓ではタ行で
あらわれる場合が多い。古代日本語にはラ行ではじまる音節がなかったので 中国語の来母[l]はタ行に転移した。
○ 名殘
「名」の古代中国語音は名[mieng] であり、日本漢字音は呉音・名(ミョウ)、漢音・ 名(メイ)である。[m-]・[n-]
はいずれも鼻音であり、調音の方法が同じである。 また、[m-] は両唇音であり、[-n] は調音の位置が歯茎の裏(前口蓋音)であり調音の
位置が近い。調音の方法が同じであり、調音の位置が近い音は転移しやすい。(参照:第209話)、
名残「な+ごり」の「ごり」は「殘」の訓「殘(の
こり)」の短縮形である。
○ 恨(うら)めし
「恨」の古代中国語音は恨[hən] である。古代中国語の喉音[h-] は介音[-i-]
などの影響で唐代に入ると脱落するが、日本語の 「うらむ」「むらめし」は中国語の「恨」と同源の倭音である。
韻尾の[-n] は調音の位置が[-l]
と同じであり、日本語ではラ行に転移した。古代日 本語では語頭にラ行音が立つことはなかったが、語中、語尾ではラ行音があった。中国語の韻尾[-n]
がラ行に転移した例としては次のような漢字をあげ ることができる。
例:怨[iuan](エン・うらむ)、恨[hən](コン・うらむ)、漢[xan](カン・から)、
雁[ngean](ガン・かり)、巾[kiən](キン・きれ)、玄[hyuen](ゲン・くろ)、
昏[xuən](コン・くれ)、換[xan](カン・かえる)、還[hoan](カン・かえる)、
潤[njiuən](ジュン・うるおう)、寛[khuan](カン・ひろい)、片[phian](ヘン・ひら)、
辺[pyen](ヘン・へり)、
○参照: 御(第209話)、上手(ず)( 第213話、第220話)、耳・みゝ(第218話)、
思(おぼ)える(第213話)、作(つく)る(第211話)、
谷崎潤一郎訳『源氏物語』〜琵琶の音・紅葉賀 〜
夕立があがって、そのあとが涼しくなった宵(よい)の暗まぎれに、温明殿(うんめいでん)のあ たりをそぞろ歩きしていらっしゃいますと、この内侍が琵琶(びわ)をたいそう見事に弾いている のです。
御前なども、男たちの管弦の中に交わったりして、立ち勝(まさ)る者がいないほどの上手なの が、心に恨みを抱(いだ)きつつ奏(かな)でますので、ひとしおしんみと聞こえます。
「瓜作りになりやしなまし」と、声はたいそう綺麗(きれい)に謡(うた)っていますのが、少し 不似会いで、気味が悪いのです。
昔の鄂州(がくしゅう)の女とやらこういう綺麗な声であったろうかと、耳をとめてお聞きになり ます。やがて弾き止んで、ひどく思い乱れている様子です。
2月に南殿で桜の花見の宴が催されます。その日は
よく晴れて、漢詩の会が開かれました。伏せてある紙を開くと、お題が与えられます。源氏の宰相の中将は、この日「春」というお題を与えられ、「春」に押韻
する漢詩を作ることになりました。漢詩を作ることは上流階級の男性のたしなみであり、日本最初の漢詩集である『懐風藻』は万葉集よりも先にできている。
1.はなのえん【日本古典文学大系】
二月(きさらぎ)の廿日あまり、南殿(なでん)の櫻の宴せさせ給ふ。
后・春宮(とうぐう)の御 局(つぼね)、左右にして、まうのぼりたまふ。
弘徽殿の女御は、中宮のかくておはするを、をりふしごとに、安(やす)からずおぼせど、物見に は、え(過)ぐし給はで、まゐり給ふ。
日、いとよく晴≪れ≫て、空の氣色、鳥の聲(こゑ)も心地(ち)よげなるに、御子達(みこた ち)、上達部(かむだちめ)よりはじめて、その道のは、みな、探韻(たんいむ)給はりて、詩 (ふみ)作(つく)り給ふ。
宰相中将、「「春」といふ文字(もじ)たまはれりとのたまふ聲さへ、例(れい)の人に異(こ と)なり。
漢語起源のことば
○「花の宴」の「花」の古代中国語音は花[xoa] である。日本語の「はな」は中国語の花[xoa] を語幹とした複合語であろう。華[hoa]
も花[xoa]と音義ともに近く、いずれも日本語にはない喉音な ので日本漢字音ではカ行に転移して花(カ・はな)、華(カ・はな)となる。
「花の宴」の「宴」は宴(えん)、「怨恨」の 「怨」は怨(ゑん)である。いずれも漢語であるが、中国語の原音は宴[yan]、怨[iuan] である。
○「みこたち(御子達)」の達[that/dat] は漢語である。「かむだちだちめ(上達部)」の部[bo/bəu]
も漢語である。ここでは部(め)であるが、バ行、マ行はいずれも脣音であり調音の位置が同じである。調音の位置が同じ音は転移しやすい。
例:無[miua](ム・ブ)、萬[muan](マン・バン)、幕[mak](マク・バク)、
舞[miua](ブ・まう)、侮[miua](ブ)辱・毎[muə](マイ)、
奉[biong](ブ)行・奉[biong](ホウ)公、武[miua](ム)蔵・武[miua](ブ)士、
古漢和字典で無(ム)は呉音とされ、無(ブ)は漢
音とされている。また、舞(ブ)は音とされ舞(まう)は訓とされ、舞(ブ)訓とされている。しかし、舞(まう)は舞(ブ)の古い形であり、倭音である。
「幕」は呉音・幕(マク)、漢音・幕(バク)、
訓・幕(まく)とと辞書には書いてある。中国語音である幕(マク)が偶然にも「やまとことば」である幕(まく)と一致するということはありうるのであろう
か。幕(マク・まく)は倭音である。
氣色(けしき)は現代日本語では「けしき」に風
景の「景色」の文字を用いる。氣色(けしき)の原義は「自然界の動き」であるが、転じて「機嫌」「顔色」などに使われることもある。
○
漢語(漢音・呉音):南殿(なでん)、宴、春宮(とうぐう)、左右、弘 徽殿、女御、中宮、
氣色、心地(ち)、御子達(
みこたち)、上達部(かむだちめ)、探韻(たんいむ)、
宰相、中将、例(れい)、
○ 漢語起源のことば:御、をりふ
し、おぼす、物見(ものみ)、過(す)ぐす、鳥、
御子達(みこたち)、詩(ふみ)、作(つく)る、文字(もじ)、
○
朝鮮語と同源のことが:廿日(か)、 日、
○ 訓(やまとことば):きさらぎ(二月)、廿日、 櫻、給ふ、后、つぼね(局)、まうのぼる、
おはす、をりふし、やす(安)い、す(過)ぐす、まゐる、給ふ、晴 (れ)、空、
こゑ(聲)、心ち(地)、みこたち(御子達)、か
むだちめ(上達部)、はじめ、その、 道、みな、春、のたまふ、人、こと(異)なる、
○ 詩(ふみ)
日本語の「ふみ」は中国語の文[miuən] の倭音である。この引用文の 場合、漢詩、和歌などの詩歌をさしているので、「詩」を用いて「ふみ」と読ませた。
日本漢字音では音は呉音も漢音も中国語音に依拠し
たものであるが、訓は中国語の意味に近い「やまとことば」を自由に選んであてはめることができる。しかし、日本語の「ふみ」の語源は中国語の詩[sjiə]
ではなく、文[miuən] であろう。また、もじ(文字)は文[miuən] 字の韻尾[-n] が脱落したものである。(参照:第212話)
○
廿日(か)
「日」の古代中国語音は日[njiet] である。日本語の日(ひ)あるいは日(カ)ということばは、中国語の日[njiet] とは全く別系統の
音である。日本語の「ひ」は朝鮮語の日(hae) と同源である。廿日(か)の「か」は朝鮮語の日(hae) の転移したものである。朝鮮語の(hae)
は喉音であり、日本語にはない音なので、日本語で は調音の位置の近いカ行に転移した(参照:第216話)。
○ 参照:御(第208話)、折・をり(
第212話)、おぼす(第213話)、
物見(第208話・第213話)、鳥(第215話)、作(つく)る(第211 話)、
歴史的仮名使い
○ たんゐむ(探韻)
探韻とは文台の上に韻字を書いた紙を伏せておい
て、列席者は官位順にその紙を取りに行き、韻字を賜り、その韻にふさわしい漢詩を作る遊びである。中将はこの日は「春」というお題をいただいている。
「探韻」の古代中国語音は探[thəm]・韻[hiuən] である。源氏物語の仮名書きは[-m] と[-n] が反対になっている。中国語音に忠実に再現すれば
探韻(たむゐん)であろう。古代日本語には[-n]や[-m] で終わる音節がなく、[-n]と[-m] は弁別されていなかったので、混同が起こった(参
照:第209話)
○ 宰相中将
「宰相中将」は漢字表記であるが、歴史的仮名使い
では宰相(さいさう)、中将(ちうじやう)になる。(参照:第215話、第219話)
ひらがなができてすぐに外国語である漢語の表記が
定まったわけではないので、ひらがな表記の確定しがたい漢語については漢字で表記したものが源氏物語には多いように思われる。
谷崎潤一郎訳『源氏物語』〜花宴〜
二月(きさらぎ)の二十日(はつか)あまりに、南殿(なんでん)の桜の宴をお催しになります。
后(きさき)と春宮(とうぐう)の御座所を、玉座の左右にしつらえて、お二方がお出ましになり ます。
弘徽殿(こきでん)の女御(にょうご)は、中宮がこういう風に控えていらっしゃることを、折節 ごとに面白からずお感じになるのですが、今日のような物見の日には、じっとしていらっしゃれな いで、御参列になります。
日が非常によく晴れて、空の色、鳥のこえも快げなので、親王(みこ)たち、上達部(かんだち め)を始めとして、その道の人々は皆探韻(たんいん)を賜わって、詩をお作りになります。
宰相(さいしょうの)中将(ちゅうじょう)は、「春という文字をいただきました」と仰せになり ます。
2.柳花苑の舞い〜はなのえん〜【日本古典文学大 系】
楽器の演奏に合わせて舞われる舞いは宮廷の花で
あった。頭中将(源氏)は美貌のうえに舞いも優雅で女房たちを魅了した。
左の大臣(おとゞ)、うらめしさも忘(わす)れて、涙おとし給ふ。
「頭中将、いづら、遲(おそ)し」とあれば、「柳花苑(りうくわゑん)」といふ舞を、これは、 いますこし、うち過(す)ぐして、
「かかる事もや」と、心づかひやしけむ、いとおもしろければ、御衣(そ)給はりて、いと珍(め づら)しきことに、人思(おも)へり。
漢語起源のことば
宮廷の官名は通常漢語であるが、左大臣(さだいじんン)は左大臣(ひどりのおとゞ)と呼ばれることもあった。頭中将は頭(とう)の中将(ちうじやう)であるが「馬頭」となると馬(うま)の頭(かみ)とな
る。
「柳花苑(りうくわゑん)」の中国語音は柳[liu]・花[xoa]・苑[iuan] である。柳花苑は唐から来た舞いである。古代日本
語にはラ行ではじまる音節はなかった。中国語の頭音[l] は介音[-i-] をともなう場合には規則的に脱落した、日本語の柳
(やなぎ)は倭音の柳(ユ)に木(き・ぎ)が添加された複合語である。万葉集では数えるほどの仏教用語を除いてラ行では
じまることばは用いられていないが、源氏物語では柳(りゅう)、臨時(りんじ)、瑠璃(るり)などラ行ではじまる漢語が使われるようになっている。
花「くわ」
の「わ」は中国語の花[xoa] が花[xua] に近い合口音えあったことを示唆している。
(参照:第216話・願文 (ぐあんもん))
○
漢語(漢音・呉音):頭中将、柳花苑(りうくわゑん)、
○ 漢語起源のことば:忘(わす)れる、舞、御、衣(そ)、思ふ、
○
訓(やまとことば):左、おとゞ(大臣)、涙、給ふ、おそ(遲)い、す (過)ぐす、事、心、 めづら(珍)しい、人、
○ 衣(そ)
日本語の「そ」は「衣」と表記されることが多い。 たしかに、「そ」の意味は中国語の「衣」に相当する。しかし、日本語の「そ」は中国語の裳[tjiang]
にさかのぼることばであろう。源氏物語のなかでは 修[siu] 法(すほう)、受[zjiu] 領(ずりやう)、従[dziong] 者(ずざ)、數[sheok]
珠[tjio] (す
ゞ)、誦[ziong](ず)經、など介音[-i-] が脱落した例がいくつかみられる。
○
参照:御(第208話)、思ふ(第 213話)、忘(わす)れる(第218話)、
舞(第218話)、
谷崎潤一郎訳『源氏物語』〜柳花苑の舞い・は なのえん〜
左大臣(ひだりのおとど)は、日頃の恨(うら)めしさも忘れて涙をお落としになりま す。
「頭中将はいかにしたぞ、早く」とありますので、柳花苑(りゆうかえん)という舞を、これは少し念入りに舞いましたのは、こういうこともあろうかと、心づ
もりをしていたのでしょうか、非常に見事でしたので、お上からおんぞ(御衣)を賜わりますのを、あまり例のないことだと人々は思うのでした。
桐壺帝が譲位して、東宮が帝位につき、世の中が一
新する。源氏は近衛の中将から大将に昇進し、身分があがられたためか、忍び歩きもつつしまれるようになる。藤壺の院は、御退位後の今では、世間一般の夫婦
のように、藤壺の宮とお二人で睦まじく暮らしています。新帝の母なので皇太后になられた今后(いまきさき)は、宮中にはかりおいでになります。
源氏は葵の上の懐任以来、葵の上につききりで安産 の加持祈祷などをさせている。葵の上には物の怪が取りついて苦しめる。
1.あふひ【日本古典文学大系】
世≪の≫中變(かは)りて後(のち)、よろづ物憂(う)く思(おぼ)され、御身のやむごとなさ も、添(そ)ひ給へば、かるがるしき御忍(しの)びありきもつゝましう、こゝもかしこも、おぼ つかなさのなげきを重(かさ)ね給ふ報(むく)いにや、なほ、われ
につれなき人の御心を、 つ きせずのみ思(おぼ)しなげく。
今(いま)は、ましてひまなう、たゞ人(うど)のやうにて、そひおはしますを、いま今后(いま きさき)は、心(こころ)やましう思(おぼ)すにや、内裏(うち)にのみ侍(さぶら)ひ給へ ば、たちならぶ人なう、心やすげなり。
漢語起源のことば
「あふひ」は現代の日本語では葵「あおい」であ る。「葵」の古代中国語音は葵[kiui]
であり、「あふひ」はやまとことばであろう。古代日
本語は二重母音を避ける傾向があった。Aoiでは母音つながりになってしまうのでAhuiと子音を入れた。会(あ)ふ、言(い)ふ、上(う
へ)、葉(えふ)、多(おほ)い、負(お)ふ、なども同じである。
○ 漢語(漢音・呉音):憂(う)し、
○
漢語起源のことば:世(よ)、中(なか)、物(もの)、思(おぼ) す、御身、かるい、御、
おぼつかない、われ、報(むく)い、御心、今(いま)、ひま、たちな らぶ、
○ 訓(やまとことば):かは(變)る、のち(後)、よろづ、やむごとな
き、そ(添)ふ、給ふ、 ここ、かしこ、しの(忍)ぶ、なげく、かさ(重)ねる、つれなし、人、御心、つきる、
うど(人)、きさき(后)、うち(内裏)、さぶら(侍)ふ、たちならぶ、やすい、
○ 憂(う)し
「憂(う)し」の憂[iu]
は漢語である。日本漢字音は呉音・憂(ウ)、漢
音・憂(ユウ)である。優婆塞(うばそく)など仏教用語には呉音が多い。「憂(う)し)」は漢語の語幹を日本語に取り入れ活用させたものである。(参照: 第213話)
○ 輕(かる)い
「輕」の古代中国語音は輕[khieng] である。日本語の「かるい」あるいは「かろんずる」など
は中国語の語幹から出たものである可能性がある。
中国語の韻尾[-ng] が日本語でラ行に転用されたと思われる例としては
次のようなものをあげることができる。
例:經[kyeng] ふる、 降[hoəm] ふる、 通[thong] とほる、 香[xiang]
かほる、荒[xuang] あれる、
狂[giuang] くるう、 輕[khieng] かるい、廣[kuang] ひろい、弘[huəng] ひろい、
中国語の韻尾[-ng]は調音の位置は[-k]に近く、調音の方法は鼻音であり[-m]に近い。日本語で韻尾がラ行であらわれるものは用
言で活用するものが多い。
「經[kyeng](ふ)る」の「る」は中国語の韻尾[-ng]に相当するものであると見ることもできるし、經[kyeng]
は語幹の「ふ」だけで、「る」は日本語の活用形の 一部だとみることもできる。「輕[khieng](かる)い」の場合はどうであろうか。輕[khieng] の「かる」
は中国語の韻尾[-ng] に相当するものであると見ざるをえないのではある まいか。
○ 報(むく)い
「報」の古代中国語音は報[pu]
だとされている。中国の音韻学者王力の『同源字 典』によると報[pu]は幽[u] 韻に属する。幽韻は陰声であり、それに対応する陽 声は冬[ung]
韻であり、入声は覺[uk] 韻であるという。(参照:白川静『字通』・字通の 編集についてp.19)
つまり、報[pu] は報[pung]
あるいは報[puk] とも通ずる。[p-] は両唇音であるから、同じ両唇音でもある[m-] と通じる。
したがって、日本語の「むくい」は古代中国語の
「報」と同源であり、音義ともに「報」に近い。「むく(報)い」は「報」の倭音である、と考えることはできないであろうか。古代の音韻変化は証明すること
は困難である。ただ、その復元が蓋然性があると認められるかどうかにある。
幽韻[u]の漢字で日本語の訓に韻尾の[-k]の痕跡を残していると思われるものをいくつかあげ ることができる。これをもって傍証とすることにする。
例:酒[tziu](シュ・さけ)、 柳[liu](リュウ・やぎ・ やなぎ)、流[liu](リュウ・ながれ)、
就[dzyu](シュウ・つく)、
中[tiuəm](チュウ・なか)、 富[piuə](フ)・福[piuək](フク)、
宙[diu](チュウ)・軸[diuk](ジク)、繍[siu](シュウ)・粛[siuk](シュク)、
○ 参照:物
もの(第208話)、御身・御心(第208話)、我 われ(第208話)、
世 よ(第209話)、思(おぼ)す(第210話)、、今
いま(第211話)、
おぼつかない(第210話・思(おぼ) す、閑 ひま 第(216話)、
立(たち)ならぶ(第219話)、中
なか( 第221話)、
谷崎潤一郎訳『源氏物語』〜葵〜
御代(みよ)が変りまして後は、何事も億劫(おっくう)にお感じになり、官位も高くなられたせ いもありましょうか、軽々しいお忍び歩きもなさりにくく
て、ここかしこのおん方々が心もとない 思いをさせられていらっしゃるのでしたが、その報(むく)いでか、相変らず自分につれないかの おん方のお心を、
限りもなく嘆いてばかりおいでになります。
前(さき)の帝(みかど)は、今はまして尋常人(ただびと)のような御自由さで、絶えず藤壺の 宮と御一緒にお暮し遊ばされますのを、今后(いまぎさき)
は面白からずお思いになってか、いつ も内裏(うち)にばかりいらっしゃいますので、もはやこちらには肩を並べる人もなくて、お気楽 そうに見えるので す。
2.物の怪〜あふひ〜【日本古典文学大系】
源氏物語の時代は物の怪が病気を引き起こす原因だ
と考えられていた。葵の上に物の怪が憑いて苦しめる。源氏は葵の上の病床で六条の御息所の生霊をみてしまう。
大殿には、御物の怪(け)めきて、いたう、わづらひ給へば、誰(たれ)もたれも思(おぼ)し嘆 (なげ)くに、御ありきなど、便(びん)なき頃(ころ)なれば、二條の院にも時々(ときどき) ぞ渡り給ふ。
さはいへど、やむ事なき方(かた)は、殊(こと)に思ひ聞(きこ)え給へる人の、珍(めづら) しきことさへ添(そ)ひ給へる御腦(なや)みなれば、心ぐ
るしう思(おぼ)し嘆(なげ)きて、 御修法(みずほふ)や何(なに)やと、わが御方(かた)にて多(おほ)く行(おこな)はせ給 ふ。
物の怪(け)、生霊(いきすだま)などいうもの、多(おほ)く出(い)で來(き)て、さまざま の名(な)のりする中に、人に更(さら)に移(うつ)ら
ず、たゞ、みづからの御身に、つき添 (そ)ひたるさまにて、殊(こと)におどろおどろしう、わづらはし聞こゆる事もなけれど、ま た、片時(かたと
き)離(はな)るゝ折(をり)もなきもの、一(ひと)つあり。
「いみじき驗者(けむさ)どもにも從(したが)はず、しふねき、氣色(けしき)、おぼろげの物 にあら ず」と見る(み)えたり。
漢語起源のことば
「けむさ(驗者)」。「驗」の古代中国語音は驗[ngiem] であり、「けむさ」の「む」は中国語の韻尾[-m]
を忠実にあらわすために「ん」をさけたのであろ う。
「者」の古代中国語音は者[tjya] である。現代の日本漢字音では拗音化を反映して者
(シャ)となっているが、源氏物語では者(さ)である。渚[tjia] は渚(ショ・す)であり、州・洲[tjiu] は州・洲(シュウ・す)である。
ちなみに、「者」の朝鮮漢字音は者(sa) である。朝鮮漢字音では四(sa)、死(sa)、私(sa)、事(sa)、射(sa)、沙(sa)、舎(sa)
であり、漢語の[i]あるいは介音(i)が(a)になる傾向がみられる。(参照:第216話・「御修法(みずほふ)」)
○
漢語(漢音・呉音):便(びん)、二條の院、御修法(み ずほふ)、驗者(けむさ)、
○ 漢語起源のことが:大殿(との)、御物(もの)の怪(け)、思(おぼ)
す、頃(ころ)、
時(とき)、渡る、腦(なや)み、くるしい、御 修法(みずほふ)、もの、出(い)で、
來(く)る、さまざま、名(な)のり、中(なか)、御身(み)、さま、片時 (かたとき)、
折(をり)、見(み)える、しふねき、おぼろげ、
○
訓(やまとことば):おほ(大殿)、わづらふ、給ふ、たれ(だれ)、嘆(なげ)く、ありく、
なに(何)、いふ、やむ事なき、かた(方)、こと(殊)に、きこ(聞)える、そ(添)ふ、
こと、 めづら(珍)しい、おほ
(多)く、おこな(行)ふ、いきすだま(生霊)、人、
さら(更)に、うつ(移)る、みづから、つきそ(添)る、こと(殊)に、わづらはし、
聞こゆる、事、か たとき(片時)、はな(離)るゝ、ひと(一)つ、いみじき、したが(從)ふ、
○ 物(もの)の怪(け)
「怪」の古代中国語音は怪[kuəi] である。日本漢字音は呉音・怪(ケ)、漢音・怪
(カイ)である。古代日本語は重母音をさける傾向にあったので、怪(ケ)となった。同様の例としては、介(カイ・ケ)、会(カイ・ケ)、界(カイ・ケ)、
皆(カイ・ケ)、開(カイ・ケ)などをあげることができる。「物の怪」の物(もの)は倭音、怪(け)は呉音で ある。(参照:第207話・物(もの))
○頃(ころ)
「頃」の古代中国語音は頃[khiueng] である。中国語の韻尾[-ng] は倭音ではしばしばラ行であらわれることがある。
(参照:かる≪輕≫い)
○ 腦(なや)み
「腦」の古代中国語音は腦[nu]
である。白川静の『字通』によると、「腦[nu]は怒[na]、擾[njiu] と声近く、心に恨み怒って、情の擾(みだ)れるこ
とをいう。」とある。「腦」は音義ともに日本語の「なやみ」に近い。 「なやみ」は「腦」の倭音が転移したものであろう。
○ 出(い)で
「出」の古代中国語音は出[thjiuət] である。日本漢字音は呉音・出(スチ・スイ)、漢
音・出(シュツ)である。訓は出(でる・だす・いでる)である。透[th] 声は端[t] 声、定[d] 声と調音の位置が同じであり、端[t]声は清音、透[th]
声は次清音、定[d] 声は濁音である。日本語の「でる」は中国語の出[thjiuət] の頭音[th] が濁音のダ行に転移し、韻尾の[-t]
がラ行に転移したものである。古代日本語には濁音 ではじまる音節はなかったので語頭に母音を添加したのが「い(出)で」である。「で」は送り仮名ではなく中国語の
「出」に対応している。むしろ「い出(で)」とでもかくべきものであろう。
韻尾の[-t] がラ行に転移する例は用言などに多い。
例:払(フツ・はらう)、祓(バツ・はらう)、刷 (サツ・する)、没(ボツ・うもる)、
朝鮮語では中国語の韻尾[-t]は規則的に[-l]に転移する。
例:出(chul)、払(pul)、祓(pul)、刷(swal)、没[mol]、地下鉄[ji-ha-cheol]、万年筆[man-nyeon-ppil]、
○ 來(く)る
「來」の古代中国語音は來[lə] である。スウェーデンの言語学者ベルンハルト・
カールグレン(1889-1978)は古代中国語の[l] は[kl] あるいは[gl] であったのではないかとしている。確かに同じ声符
をもった漢字でカ行とラ行に読み分けられるものは数多くある。
例:果(カ)・裸(ラ)、各(カク)・洛(ラ ク)、諫(カン)・練(レン)、
監(カン)・藍(ラン)、験(ケン)・斂(レ ン)、兼(ケン)・簾(レン)、
京(キョウ)・涼(リョウ)、樂(ガク・ラ ク)、
古代中国語の頭音に重子音はなかったにしても、入 りわたり音[h]のようなものがあって、それが発達したものがカ行
音になり、それが脱落したものがラ行音になったと考えるカールグレンの説は蓋然性があるように思われる。(参照:第211話・海(カイ・うみ))
○
折(をり)
「折」の古代中国語音は折[tjiat] である。日本語の「をる」は古代中国語の折[tjiat]の頭音が口蓋化の影響で脱落したものではなかろう
か。中国語の頭母音が脱落した例としてはつぎのようなものをあげることができる。
例:折[tjiat](セツ・をる)、織[tjiək](ショク・おる)、射[djyak](シャ・いる)、
床[dzhiang](ショウ・ゆか)、色[shiək](シキ・いろ)、緒(ショ・を)、
邪[zya](ジャ・や)、
倭音は頭音が脱落し日本漢字音になると頭音があら
われている。注目すべきことは頭音の脱落は中国語音においても起こっていることである。同じ声符をもった漢字でも頭音の脱落しているものと、痕跡を留めて
いるものがある。
例:勺[tjiôk]・約[jiôk]、尺[thjyak]・訳[jyak]、説[sjiuat]・悦[jiuat]、
除[zia]・余[jia]、詳[ziang]・羊[jiang]、誦[ziong]・甬[jiong]、
○しふねき
日本語の「しふねき」は中国語の「執念」にあた り、執念深いことをいうという。古代中国語の執念は執念[tzhiəp-niəm]
である。「執」の日本漢字音は呉音・漢音ともに執 (シュウ)であり、慣用音として執(シツ)があると漢和字典には書いてある。源氏物語のいう「しふねき」の「ふ」
は中国語の韻尾[-p]を表記したものである。(参照:第216話・すほ ふ(修法))
「しふねき」 の「き」は中国語音の念[niəm]
を忠実に継承しているとはいいがたい。「執念深き」の意味であろう。
○ おぼろげ
「おぼろげ」朧氣であろう。古代中国語の朧氣は朧[long/liong] 氣[khiəi] である。「おぼろ
げ」の「お」は母音添加である。古代日本語では語頭にラ行音がくることがなかったので、「お」を添加した。語頭の[l-] は[b-]
と調音の位置が近い。調音の位置の近い音は聴覚的にも近く、転移しやすい。
○参照:物・もの (第207話)、
時・とき(第208話)、名(な)のり(第209 話)、
御身(み)(第208話、第210話)、思(おぼ)す(第210話 )、
中(なか)(第211話)、見(み)える(第213話)、渡る(第214話)、
苦(くる)しい(第216話)、さまざま(第216話・ありさま(有様))、
大殿(との)(第219話)、
谷崎源一郎訳『源氏物語』〜物の怪・葵〜
大殿(おおいとの)ではおん物怪(もののけ)の御様子で、ひどくお苦しみなされますのを、誰も 誰も心痛していらっしゃいますので、君も当分お忍び歩きなどは具合が悪く、二条院へも時たまに しかお越しになりません。
何といっても御身分の上からは、どなたよりも大切に思っていらっしゃいますお方の、おめでたい ことまで取り添えた御病気ですから、たいそう御心配にたって、御修法(みすほう)や何やかや と、御自分のお部屋でいろいろおさせになります。
物怪、生霊(いきりょう)などというものがたくさん出て来まして、さまざまの名告(なの)りを します中に、憑人(よりまし)にはどうしても乗り移らず、
ただ御病人のおん身にじっと取り憑 (つ)いているらしくて、別に物凄くお責め申すのではありませんが、片時もお体を離れずにいる のが一つあります。
すぐれた験者(げんじゃ)どの法力(ほうりき)にも調伏(ちょうぶく)されず、執念深くくっつ いています様子が、並大抵(なみたいてい)のものではないと思えるのでした。
六条の御息所は、源氏との仲に失望して、伊勢下向
の決心をします。葵の上は良家のご出身でもあり、正妻として、けむたくもあったのですが、お亡くなりになってから後は、世の人も宮中でも、今度こそは御息
所が正妻になるのではと、いう噂が絶えませんでした。しかし、源氏の君のお通いは、途絶えてしまったのでした。
そこで、今度こそは断ち難い思いを一切断ち切っ
て、憂き世を離れて伊勢へ出発しよと決心したのでした。源氏の君は、さすがに名残惜しくて、お手紙(消息)だけは、たびたびお届けになります。御息所も、
ご対面することは、今更かなわないことだと、あきらめておられます。
源氏の君は春秋2回の御読経(みどきょう)の会の
ほかにも、さまざまな法会をなさいます。また漢詩の会を開いたり、韻塞(いんふたぎ)なども会も催されて、楽しまれます。源氏は詩文の才能にも長けているのでした。
1.さかき【日本古典文学大系】
齊宮の御下(くだ)り、近(ちか)うなり行≪く≫まゝに、御息所、もの心ぼそく思(おも)ほす。
やむごとなく、煩(わづら)はしき物におぼえ給へりし、大殿のきみも、失(う)せ給ひて後、「さりとも」と、世≪の≫人も聞(きこ)えあつかひ、宮の内
(うち)にも、心(こころ)ときめきせしを、そのゝちしも、かき絶(た)え、あさましき御もてなしを、見給ふに、「『まことに憂(う)し』と、おぼす事こ
そありけめ」と、しりはて給ひぬれば、よろづのあはれを、思(おぼ)しすてゝ、ひたみちに、いで立(たち)給ふ。
親(おや)、添(そ)ひて下
(くだ)り給ふ例(れい)も、殊(こと)になけれど、いと、見放(みはな)ちがたき御有様(ありさま)なる事つけて、「うき世を行(ゆ)き離(はな)れな
ん」と、思(おぼ)すに、大将の君、さすがに、「『今は』と、かけ離(はな)れ給ひなん」も、口惜(くちを)しく思(おぼ)されて、御消息(せうそこ)ば
かりは、あはれなるさまにて、たびたび通(かよ)ふ。
對面(たいめむ)し給はん事をば、「今更(いまさら)にあるまじき事」と、女君も思(おぼ)す。
漢語起源のことば
「さかき」は「賢木」とも書くが「榊」とも書く。
神事用の木で「榊」は日本人が作った国字である。「賢」の古代中国語音は賢[hyen]である。日本漢字音は呉音・ゲン、漢音・ケンであ
る。常用訓は「かしこい」である。
賢木という木は漢和字典にのっていないから、おそ
らく中国に「賢木」というのはないだろう。「かしこい」ことは「さかし」ともいうから賢木(さかき)はそこからきたことばであろう。万葉集に「古(いにし
へ)の賢(さか)しき人の遊びけむ吉野の川原見れど飽かぬかも」(万1725)という歌がある。万葉集の表記は「賢人之」である。
「賢」を「かしこい」あるいは「さかし」とするの は、はたして「やまとことば」を同じ意味をもつ漢字「賢」にあてたものであろうか。同じ声符をもつ堅[kyen]
は堅(ケン・かたい)であり、堅(かたい)は漢語 起源の倭音である。堅[kyen] の韻尾の[-n] は[-t] と調音の位置が同じであり、転移したものであると
説明できる。入声音の[-t] のほうが古く、[-n] は唐代の音である。
しかし、賢[hyen](かしこ・さかし)となると、似ている点はあるもの
の倭音であると決めつけるには傍証がなさすぎる。(参照:第221話)
○ 漢語(漢音・呉音):齊宮、憂(う)し、例(れい)、消息
(せうそこ)、對面(たいめむ)、
○ 漢語起源のことば:御、行≪く≫、御息 所、もの心、物、思(おも)ほす、物(もの)、
大殿(おほとの)、きみ、世 (よ)、宮、絶(た)える、見(み)る、しる、あはれ、
いで立(た)つ、思(おぼ)す、すてる、見放(みはな)つ、御有様(ありさま)、
うき世、行(ゆ)く、あはれ、さま、たびたび、今更(いまさら)、女君、
○ 訓(やまとことば):くだ(下)る、ちか(近)い、御息
所、心ぼそい、やむごとなし、
わづら(煩)はし、給ふ、大殿(おほとの)、う(失)せる、 後(のち)、人、
きこ(聞)える、うち(内)、心、ときめく、その、のち、あさましい、もてなし、
よろづ、事、おや(親)、そ(添)ふ、くだ(下)る、殊
(こと)、はな(離)れる、
かよ(通)、いまさら(今更)、
○ 捨(す)てる
「捨」の古代中国語音は捨[sjya]
である。日本漢字音は呉音・漢音とも捨(シャ)で ある。
しかし、古代日本語では中国語の口蓋化や介音[-i-] の発達はあまり反映されない傾向にある。
「捨(す)てる」は「捨」の倭音である可能性が高 い。
例:射[djya](シャ・さす)、 朱[tjio] 雀(シュ・す)、修[siu]
法(シュウ・すほふ)、
受[zjiu] 領(ジュ・ずりやう)、誦[ziong] 經(ショウ・ずきやう)、數[sheo] 珠[tjio](ずず)、
従[dziong] 者(ジュウ・ずさ)宿[siuk] 禰(シュク・すくね)、州・洲[tjiu](シュウ・す)、
摺[tjiəp](シュウ・する)、渚[tjia](ショ・す)、障[tjiang](ショウ・さはる)、
勝[sjiəng](ショウ・すぐれ)、状[dziang](ジョウ・さま)、
○ 無(な)けれど
「無」の古代中国語音は無[miua]である。[m] と[n] はいずれも鼻音であり、中国語音の[m]は倭音ではナ行にあらわれる場合が多い。「ない」
は中国語の「無」の倭音である。
例:無[miua](ム・ない)、名[mieng](メイ・な)、鳴[mieng](メイ・なく)、
苗[miô](ビョウ・なえ)、猫[miô](ビョウ・ねこ)、撫[miua](ブ・なでる)、
○ 行≪く≫
「行」の古代中国語音は行[heang] である。日本漢字音は呉音・行(ギョウ)、漢音・
行(こう)、唐音・行(アン)とされている。日本語では行(ゆく)あるいは行(いく)である。日本語の「ゆく」あるいは「いく」は古代中国語の行[heang]
である。ヤ行はア行の拗音であり、中国語原 音の介音[-i-]などの影響で転移しやすい。
○ 御息所(みやすどころ)
六條の御息所である。御息所の御(み)であ る。「息」の古代中国語音は息[siək]である。訓の息(いき)は中国語の頭音[s] が介音[i]
の影響で脱落した倭音であろう。息の動詞は「いこ ふ」であり、息(やすむ)は「いこふ」の同義語である。(参照:第208話)
「所」の古代中国語音は所[shia/thjia] である。「ところ」の「とこ」は中国語の「所」と 関係のあることばである可能性がある。照[tj]
系の文字は端[t]系の文字の口蓋化したものであり、随唐の時代に口 蓋化される以前の所[shia/thjia] は所[tha]
に近かった可能性がある。大野晋『岩波古語辞典』
によると「所」「処」は「トコ(床)と同根。ロは接尾辞。」だという。「所」「処」と同系の漢字について調べてみると、次のような音訓の対応をあげること ができる。
例:床[dzhiang](ショウ・とこ)、照[tjiô](ショウ・てる)、衝[thjiong](ショウ・つく)、
丈[diang](ジョウ・たけ)、常[zjiang](ジョウ・とこ)、畳[dyap](ジョウ・たたみ)、
○ 宮
「宮」は斎宮(さいぐう)、春宮(とうぐう)、東
宮(とうぐう)などが出てくる。「宮」の古代中国語音は宮[kiuəm]であるとされている。もし古層の中国語音に入りわ
たり音があって、「宮」に宮のような音があったとすれば、宮(みや)は入りわ
たり音が脱落したものであり、音の宮(キュウ・グウ)は入りわたり音が発達したものだと、見ることができる(参照:第211話・見る)。
もし、宮[hmiuəm](みや)が古代中国語の入りわたり音[h-] を失ったものであると するならば、京[kyang](キョウ・みやこ)は京[hmyang]
の入りわたり音[h-] が発達したものが京(キョウ)であり、入りわたり音[h-] の脱落したのが京(みやこ)に継承されたということになる。
○
いで立(た)つ
「出」の古代中国語音は出[thjiuət] である。日本語の出(でる)は中国語の出[thjiuət]
の転移したものである。語頭の[th] は中国語では次清音であり、日本語では濁音であら われることが多い。韻尾の[-t] は調音の位置が[-l]
と同じであり、ラ行に転移しやすい。中国語の韻尾[-t] は朝鮮漢字音では規則的に[-l] に転移する。(参照:第210話・い(出)で)。
「立」の古代中国語音は立[liəp] である。古代日本語にはラ行ではじまる音節はな かったので、中国語の頭音[l] はタ行に転移した。
例:立[liəp] たつ、龍[liong] たつ、滝[leong] たき、粒[liəp] つぶ、蓼[lyu] たで、
「立」の韻尾の[-p]は日本漢字音ではしばしばタ行に転移する。
例:立[liəp] リツ、接[tziap] セツ、摂[siap]
セツ、雜[dzəp] ザツ、
○ 見放(みはな)つ
「はな(放)つ」は中国語の「放」に関係あるかも
しれない。「放」の古代中国語音は放[piuang] である。(参照:第211話・見る)
○ うき世
「うき世」は「憂き世」であるともいい、「浮き
世」であるともいう。「う(憂)き」は呉音であり、「浮(う)き」はやまとことばである。谷崎潤一郎訳の『源氏物語』では「浮き世」となっている。(参
照:第213話・憂し)、
○ 参照:物(もの)心(第207話・物)、御 (第208話)、世(よ)(第209話)、
思(おぼ)す(第210話)、今更(いまさら)(第211話)、しる(第213話)、
消息(せうそこ)(第212話)、絶(た)える(第212話)、
見(み)る(第213話)、たびたび(第
213話)、あはれ(第213話)、
憂(う)し(第213話)、御有様(ありさま)(第216話)、
君(きみ)(第
217話)、大殿(おほとの)(第219話)、
歴史的仮名使い
○ 對面(たいめむ)
「面」の古代中国語音は面[mian] であり、韻尾は[-m] ではない。中国語音の韻尾[-m]・[-n] についての源氏物語の表記はゆれている。(参照:
第208話)、
○ 消息(せうそこ)(参照:第212話)、
谷崎潤一郎訳『源氏物語』〜賢木〜
齊宮(さいぐう)の伊勢へお下(くだ)りなさいます日が近づくにつれて、御息所(みやすどころ)はもの心細(こころぼそ)くお思いになります。
御本妻として気の置けるものにお思いになっていらしった、大殿(おおいとの)の姫君がお亡くなりなされましてからは、何と言っても今度こそはこのお方が
と、世の人々も 噂(うわさ)を申し、宮の内の人々も胸をときめかしていましたものを、そののちはなおさらふっつりと打ち絶えて、心外なまでに冷(つめ)
たいお仕打ちをお示しになるのは、全く自分を忌まわしいものとお思いになるわけがあったに違いないと、分っておしまいになりましたので、いろいろの愛着を
振り捨て給うて、一途(いちず)に思い立たれるのです。
母親が附き添ってお下りになるという例も、別段にないのですけれども、とても手放しにくいおん有様(ありさま)であるというのをかこつけに、浮世を遠く離
れて行こうとお思いになりますので、大将(だいしょう)の君も、さすがにこれなりお別れになるのが名残り惜しく、おん消息ばかりは、あわれを籠(こ)めて
たびたびお取り交(かわ)しになります。
ご対面なさいますことは、今さらにあるべきでないと、女君も思っていらっしゃいます。
2.歌比べ〜さかき〜【日本古典文学大系】
平安時代の宮廷ではしばしば漢詩や和歌の歌比べが
行われている。歌比べは順位を競う歌合戦であり、賞品も出た。歌比べはまた社交の場でもあった。
夏(なつ)の雨(あめ)、のどかに降(ふ)りて、つれづれなる頃(ころ)、中将、さるべき集(しふ)ども、あまた持(も)たせて、まゐり給へり。
とのにも、文殿(ふどの)あけさせ給ひて、まだ開(ひら)かぬ御厨子(みづし)ども≪の≫珍(めづら)しき古集(しふ)の、故(ゆゑ)なからぬ、すこし選(え)り出(い)でさせ給ひて、その道(みち)みちの人、わざとはあらねど、あまた召(め)したり。
殿上人も大學(がく)のも、いと多(おほ)う集(つど)ひて、左右にこまどりに、かたわかせ給へり。賭(かけ)物どもなど、二(に)なくて、挑(いど)みあへり。
塞(ふた)ぎもてゆくまゝに、難(かた)き韻(ゐん)の文字(もじ)ども、いと多(おほ)くて、おぼえある博士(はかせ)どもなどの、惑(まど)ふところどころを、時(とき)どき、うちの給ふさま、いとこよなき御才(さえ)の程なり。
「いかでかうしも、足(た)らひ給ひけん。なほ、さるべきにて、かくよろづの事、人には、勝(すぐ)れ給へるなりけり」と、めで聞(きこ)ゆ。
漢語起源のことば
ここにはいくつかの漢語が使われている。「古し
ふ」「みづし」「大がく」「ゐん」「もじ」「はかせ」「さえ」などかな表記のものも漢語である。
「しふ」は「集」であり、「ふ」は集[dziəp]
の韻尾の[-p] を忠実に写している。
「づし」は「厨子」で「厨」の古代中国語音は厨[dio] である。日本漢字音は呉音・厨(ズ・ジュウ)であ
り、漢音・厨(チュウ)である。現代の漢字音では厨房(チュウボウ)の厨(チュウ)であるが、源氏物語では介音(i)が脱落して厨(づ)である。介音[-i-]
は中国では随の時代に発達してきたものと考えられ ている。
「さえ」は才[dzə] であり、之韻[ə] である。現代の北京語では之(zhi)
であるが古代の中国語音は之[tjiə] のようなあいまい母音であったと考えられており、 才[dzə] は「さえ」と表記されている。日本語の「え」は[ai]
あるいは[ia] に近い音であったと考えられている。
○ 漢語(漢音・呉音):中将、古集(しふ)、御 厨子(みづし)、殿上人、大學(がく)、左右、
二(に)、韻(ゐん)、文字(もじ)、博士(はかせ)、才(さえ)、
○ 漢語起源のことば:降(ふ)る、頃(ころ)、文殿(ふどの)、御厨子(みづ し)、
出(い)で、物(もの)、挑(いど)む、塞(ふた)ぎ、時(とき)、勝(すぐ)れる、
○ 朝鮮語と同源のことば:た(足)る、
○
訓(やまとことば):なつ(夏)、あめ(雨)、も(持)つ、給ふ、ひら (開)く、程、
めづら(珍)しき、ゆゑ(故)、え(選)る、みち
(道)、人、め(召)す、殿上人、
おほ(多)く、つど(集)ふ、かけ(賭)、かた(難)き、 まど(惑)ふ、事、
きこ(聞)ゆ、
○ 降(ふ)る
「降」の古代中国語音は降[hoəm] である。日本漢字音は降(コウ)である。中国語の
喉音[h]は日本語にはない音である。日本漢字音(呉音・漢
音)では調音の位置の近いカ行に転移するが、倭音(奈良時代以前に日本語に受け入れられた漢語音)ではハ行に転移するものが多い。
(参照:第210話・經
る第218話・經る・降る)
○ 文殿(ふどの)
「文」の古代中国語音は文[miuən] である。日本漢字音は呉音・文(モン)、漢音・文
(ブン)である。「ふみ」は「文」の倭音である。「文殿(ふどの)」の「ふ」は「ふみ」の「ふ」である。「文字
(もじ)」という場合の「も」は呉音の文(モン)の「も」である。「文箱(ふばこ)ということばもある。「殿」の古代中国語音は殿[dyən]
である。「どの」は「殿」の倭音である。
(参照:第212話・文(ふみ)、第219 話・大との、第222話・文字、)
○ いど(挑)む
「挑」の古代中国語音は挑[dyô] である。古代の日本語には濁音ではじまる音節はな かったから「ど」の前に母音を添加した。「挑(いど)む」は倭音であろう。
○ ふた(塞)ぎ
「塞」の古代中国語音は塞[sək] である。日本漢字音は呉音、漢音ともに塞(サク・
サイ)である。意味は砦である。日本語の「ふさぐ」は閉塞[pyei-sək] であろう。日本語の
「せき」、は現代では「関」の字が当てられているが、語源的には「せき」は塞[sək] である。
○ 勝(すぐ)れる
「勝」の古代中国語音は勝[sjiəng] である。日本漢字音は呉音、漢音ともに勝(ショ
ウ)である。常用訓は勝(かつ・まさる)である。倭音では中国語の口蓋化する以前の痕跡を留めている場合が多い。「勝(すぐ)る」は勝[sjiəng]
の倭音であろう。中国語の韻尾[-ng] は[-k][-g] と調音の位置が同じであり、転移しやすい。中国語 の韻尾[-ng] のなかには、古くは入声音[-k]
であったものが多いとされている。
例:誦[ziong] 經 (ずき やう)、修[siu] 法 (すほふ)、數珠[shio-tjio] (すゞ)、
上手[sjiu] (じやうず)、捨[sjya](すて)、射[djyak] (さす)、 袖[siəu]手( そで)、
○ 参照:物
もの(第207話)、時 とき(第208話)、足(た)る(第210話)、
頃 ころ(第223話)、出(い)で(第223話)、
谷崎潤一郎訳『源氏物語』〜歌比べ・さかき〜
夏の雨がのどかに降ってつれづれの折から、中将がしかるべき詩集どもをたくさんお持ちになって参上されました。
君も書殿(ふどの)を開(あ)けさせ給うて、まだお開(ひら)きになったことのない御厨子(みずし)どもの中から、珍しい古集の由緒ありげなのを少しお選(え)り出しなされて、その道の人々を、目立たぬように大勢お召しになりました。
殿上人も大学の人々もたいそう多く集まって来ましたのを、左方(ひだりかた)と右方(みぎかた)と、一人置きにお分けになりました。
賭物(かけもの)なども、類(たぐい)なく立派なものをかけて競争するのでした。
だんだん塞(ふさ)いで行くにつれて、むずかしい韻の文字が多くて、名高い博士などがまごつくようなところどころを、ときどきお口添えなさる御学才のめでたさ。
「どうしてこうもいろいろの徳が備わっていらっしゃるのであろう。」
「勝(すぐ)る」は勝[sjiəng]
の倭音であろう。中国語の韻尾[-ng]は[-k][-g]と調音の位置が同じであり、転移しやすい。中国語 の韻尾[-ng] のなかには、古くは入声音[-k]
であったものが多いとされている。
2.和漢朗詠〜さかき〜【日本古典文学大系】
歌比べでは「やまとの和歌」ばかりでなく「唐の漢詩」も作られ、競われた。
皆(みな)、この御事を褒(ほ)めたるすぢにのみ、大和(やまと)のも唐(から)のも作(つく)り續(つづ)けり。
我≪が≫御心地(ち)にも、いたう思(おぼ)しおごり て、「文王の子(こ)、武王の弟(おとうと)」と、うち誦(ず)し給へる、御名(な)のりさへぞ、げにめでたき。
「成王の何(なに)」とかの給はんとすらん。そればかりや、また心もとなからむ。
漢語起源のことば
「文王のこ(子)、武王のおとうと(弟)」。史記
に「我(周公)文王子、武王弟、成王伯父云々」とある。桐壺院を文王に、朱雀帝を武王に比している。「成王のなに(何)」とすると成王は春宮にあたる
ので、気が咎めるであろう。
「誦(ず)す」は「誦(ずん)ず」ともいわれた。誦(ず)は呉音である。 (参照:第216話)
○
漢字音(呉音・漢音):御心地(ち)、 文王、武王、誦(ず)す、成王、
○ 漢字起源のことば:褒(ほ)める、唐(から)、作(つく)る、續(つづ)ける、
我≪が≫、御心地(ち)、思(おぼ)す、弟(おとうと)、御名(な)、
○ 訓(やまとことば):みな(皆)、御事、やまと
(大和)、御心ち(地)、こ(子)、給ふ、
なに(何)、こころ、
○ 褒(ほ)める
「褒」の古代中国語音は褒[pau]
である。日本語の「ほむ」は褒美[pau-miei] に由来するのではなるまいか。中国語には「褒美」 で「ほめる」という意味がある。
○ 唐(から)
「唐」の古代中国語音は唐[dang] である。日本語で唐を「から」とするのは、漢[xan] に由来するものと考えられる。漢[xan] の韻尾の[-n]
は[-l] と調音の位置が同じ(歯茎の裏、前口蓋)であり、 転移しやすい。中国語の韻尾[-n] が倭音でラ行であらわれる例としては次のようなも
のをあげることができる。
例:漢[xan](カン・から)、韓[han](カン・から)、寛[khuan](カン・ひろい)、
換[huan](カン・かえる)、還[hoan](カン・かえる)、巾[kiən](キン・きれ)、
玄[hyuen](ゲン・くろい)、昏[xuən](コン・くれ)、辺[pyen](ヘン・へり)、
怨[iuan](エン・うらむ)、
○ 續(つづ)ける
「續」の古代中国語音は續[ziok] である。古代の日本語には獨音で始まる音節はな
かったので、頭に清音を添加して発音しやすくしたものであろう。このような例としてはたくさんの例をあげることができる。(参照:第213話・静(しず) か)、
例:續[ziok](ゾク・つづく)、限[heən](ゲン・かぎる)、願[ngiuan](ガン・ねがう)、
授[zjiu](ジュ・さずける)、静[dzieng](セイ・しずか)、沈[diəm](チン・しずむ)、
鎮[tien/dyen](チン・しずめる)、忠[tiuəm/diuəm](チュウ・ただしい)、
直[diək](チョク・ただちに)、綴[tiuat/thjiuat](テイ・テツ・つづる)、
集[dziəp](シュウ・つどう)、逗[do](トウ・とどまる)、
中国語の一音節が日本語の一音節とうまく対応する
わけではない。濁音あるいは鼻濁音が語頭に来る中国語の音節については、まず、日本語としてなじみやすい音節を先行させて次に濁音節を続かせるという方法
が古代日本語では行われていたのである。
万葉集の時代に梅が梅(むめ)、馬が馬(むま)と
同系統の音を重複させて発音されていたことはよく知られている。「梅」は梅(むめ)→梅(うめ)→梅(マイ)→梅(バイ)という順序で漢語の日本語音は形
成されていったようである。明母[m-] ばかりでなく、日母[nj-] についても頭子音の重複がみられる。
例:梅[muə](バイ・マイ・むめ・うめ)、馬[mea](バ・マ・むま・うま)、
眠[myen](ミン・ねむる)、母[mə](ボ・はは)、婆[buai](バ・ばば)、
南[nəm](ナン・みなみ)、耳[njiə](ジ・ニ・みみ)、揉[njiu](ジュウ・ニュウ・もむ)、
撚[njian](ネン・もむ)、稔[njiəm](ネン・みのる)、
中国語の語頭子音が濁音である場合に、日本漢字音
(倭音)では必ずしも「清音+濁音」という重複によって語頭濁音を避けるだけでなく、「清音」を重複させて中国語の語頭濁音にかえるということも行われた ようである。
例:進[tzien/dzien](シン・すすむ)、前[tzian/dzuan](ゼン・すすむ)、係[hye](ケイ・かかり)、
薦[tzian/dzyak](セン・すすめる)、啜[thjiuat](テツ・セツ・するる)、
懸[huen](ケン・かける)、滌[dyuk](ジョウ・すすぐ)、畳[dyap](ジョウ・たたみ)、
傳[diuen](デン・つたえる)、拙[tjiuat](セツ・つたない)、土[tha](ド・つち)、
地[diet](チ・つち・とち)、槌[diuəi](ツイ・タイ・つち)、慎[zien](シン・つつしむ)、
調[dyô](チョウ・ととのえる)、
○ 我≪が≫
日本古典文学大系では「我御心ち(地)にも」と底
本にあるところを「我≪が≫御心ち(地)にも」と≪が≫を補っている。これは現代の読者の便宜のために補ったのであって、万葉集などでは主語、主題に関す
る助詞は通常表記されていない。(参照:第208話・われ)
例:我衣手乃(万1994)わがころもでの、我背子之(万2841)わがせこの、
吾住坂乃(万504)わがすみさかの、吾戀流(万210)わがこふる、
○ 心地(ち)
「地」の古代中国語音は地[diet]
である。日本漢字音は呉音・地(ジ)、漢音・地 (チ)とされている。「心」の古代中国語音は心[siəm] であり、日本語の「こころ」とは関係がなさそうで
ある。日本語の「こころ」に近い漢語としては魂[khuən] をあげることができる。
魂[khuən] の頭音[kh-]
は次清音であり、日本漢字音では濁音であらわれる 場合が多い。 中 国語の濁音は倭音っでは重複してあらわれることが多い。また、魂[khuən] の韻尾[-n]
は[-l] と調音の位置が同じであり転移することが多い。
「魂」の意味は人の生命のもとになるもので、人が死ぬと肉体から離れ天にのぼると考えられていた。日本語の「こころ」にも近い。「魂」の訓は「たましい」とされていが、語源的に
は日本語の「こころ」は漢語の「魂」と関連の深いことばであろう。
○ 弟(おとうと)
「弟」の古代中国語音は弟[dyei]
である。日本漢字音は呉音・弟(ダイ)、漢音・弟 (テイ)、慣用音・弟(デ)である。兄弟(ダイ)、師弟(テイ)、弟子(デシ)、のごとくである。
「おとうと」は「弟人」であろう。中国語の「弟」 は弟[dyei] あり、頭音が濁音なので倭音では母音(お)が添加
された。「おとうと」の「と」は「おとひと」の「と」であろう。
結論として、日本語の「おとうと」は中国語の 「弟」の転移したことばである。
○ 参照:御(第208話)、名(な)(第 209話)、思(おぼ)す(第210話)、
作(つく)る(第211話)、
谷崎潤一郎訳『源氏物語』〜和歌と漢詩・さかき 〜
皆がこの君をお褒め申すような意味にばかり、歌だの詩だのを作りつづけたのでした。
御自分でも得意におなりなされて、「文王子(ぶんのうのこ)、武王弟(ぶおうのおとうと)」と 打ち誦(ずん)じ給うたのは、いかにも結構なおん名のりです。
でも、成王(せいおう)の何とおっしゃろうとするのでしょうか、こればかりは、はっきりとおっ しゃれますまい。
橘の花が咲き、ほととぎすが鳴く時節に、五月雨
(さみだれ)の間の晴れた日に、源氏は桐壺帝の女御の一人を見舞いに出かけたことがあります。目ざすお方のところは、全く想像していた通り
で、人影も少なく、ひっそりとしていて、たいそう哀れな感じでした。故院のことなども偲ばれて、源氏は思わずお泣きに なるのでした。
「古の事語らへば時鳥(ほととぎす)いかに知りて か古声(ふるこゑ)のする」などという古歌などを思いだします。
1.花ちるさと【日本古典文学大系】
人しれぬ、御心づからの物思(おも)はしさは、いつとなきことなめれど、かく、大方(おほかた)の世につけてさへ、わづらはしう、思(おぼ)し亂(みだ)
るゝ事のみまされば、物(もの)心ぼそく、世の中、なべて厭(いと)はしう、おぼしならるゝに、さすがなる事、多(おほ)かり。
漢語起源のことば
「花ちるさと」の「花」は漢語起源のやまとことばである。「花」の古 代中国語音は花[xoa ] である。中国語の喉音[x]・[h]
は倭音ではハ行であれわれる。(参照:第218 話)
「散(ち)る」の古代中国語音は散[san] である。漢字音で同じ声符がサ行とタ行にまたがっ
てあらわれるものはある。
例:除[ziə](ジョ)・途[da](ト)、純[zjiuən](ジュン)・屯[duən](トン)、
石[zjyak](セキ・シャク)・拓[thak](タク)、秀[siu](シュウ)・透[thu](トウ)、
占[tjiam](セン)・点[tyam](テン)、深[sjiəm](シン)・探[thəm](タン)、
日本漢字音でも音がサ行で、訓がタ行のものはみら れる。この場合タ行が古く、サ行は新しい。訓は倭音であり、音は中国語で介音[-i-]
の発達によって摩擦音化したものを反映していると 考えることができる。
例:時[zjiə](ジ・とき)、寺[ziə](ジ・てら)、辰[zjiən](シン・たつ)、
常[zjiang](ジョウ・つね・とこ)、苫[sjiam](セン・とま)、
散[san](サン・ちる)の場合もこれにあてはまると考える
ことができる。しかし、散[san] には介音[-i-] がない。日本語の散(ち)るが古代中国語音に依拠
した倭音であるかどうかは決めかねるといわざるをえない。「さと(里)」はやまとことばである。
○
漢語起源のことば:しる、御、物(もの)、思(おも)ふ、思(おぼ)す、世(よ)、
中(なか)、厭(いと)ふ、
○
訓(やまとことば):さと、人、心、つたなきこと、おほかた(大方)、 わづらはし、
みだ(亂)るゝ、事、まさる、おほ(多)し、
○ しる
「知(し)る」の古代中国語音は知[tie] である。日本漢字音は音が知(チ)、訓は知(し
る)である。知(しる)のほうが古く、知(チ)のほうが新しいということになる。一般にタ行音が介音(i)の影響で摩擦音化してサ行音に転移することはあっ
ても、その逆はない(参照:散る)。
考えられる可能性としては、古代中国語音の知[tie] には[sjie] や[tsie]
に近い音がかなり古くからあって、倭音では知
(し)として受け入れた。しかし、日本漢字音(呉音、漢音)では知(チ)を規範音として受け入れた、ということではなかろうか。現代の北京音は知(zhi)
であり、朝鮮漢字音では知(ji)である。
○ 厭(いと)ふ
「厭」の古代中国語音は厭[iap] である。日本漢字音は厭(エン・ヨウ・アツ・オ
ウ・オン)である。「厭(いと)ふ」は中国語の韻尾[-p] がタ行に転移したものである。古代中国語の韻尾[-p]
は蝶[thyap](てふ)のように忠実に再現される場合もあるが、 日本漢字音では多くの場合タ行に転移する。
例:立[liəp]
リツ、接[tziap] セツ、摂[siap] セツ、雜[dzəp] ザツ、
○
参照:物(もの)心(第207話)、御心(第208話)、世(よ)(第209話)、
思(おも)ふ・思(おぼ)す(第210話)、中(なか)(第221話)、
谷崎潤一郎訳『源氏物語』〜花散里〜
われから求めて人に知られぬ物思いをなさることは、今に始まったことではないのでしょ
うけれども、こんな具合に一般の世の中のことにつけてさえ、煩(わずら)わしくて気苦労なことばかりが殖(ふ)えて行きますので、何となく心細く、なべての浮世が厭(いや)におなりになりながら、さすがに残り惜しいことも多いのでした。
2.昔語り〜花ちるさと〜【日本古典文学大系】
かの本意(ほい)の所は、思(おぼ)しやりつるもしるく、人目(め)なく静(しづ)かにて、おはする有様(ありさま)を見給ふにも、いとあはれなり。まづ、女御の御方(かた)にて、昔(むかし)の物語(がたり)など聞(きこ)え給ふに、夜更(ふ)けにけり。
廿日の月、さし出(い)づる程(ほど)に、いとゞ木高(たか)き陰(かげ)ども、木暗(こぐら)う見(み)えわたりて、近(ちか)き橘の薫(かを)り、懐(なつか)しう匂≪ひ≫て、女御の御けはひ、ねびにたれど、あくまで用意(ようい)あり、あてに、らうたげなり。
「勝(すぐ)れて花(はな)やかなる御おぼえこそなかりしかど、むつましう懐(なつか)しきかたに、おぼしたりし物を」など、思(おも)ひ出(い)で聞(きこ)え給ふにつけても、むかしの事、かきつらね思(おぼ)されて、うち泣(な)き給ふ。
郭公(ほととぎす)、ありつる垣根(かきね)≪の≫にや、おなじ聲(こゑ)にうち鳴(な)
く。「したひ來(き)にけるよ」とおぼさるゝ程(ほど)も、艶(えん)なかりし。
「いかに知(し)りてか」など、忍(しの)びやかに、うち誦(ず)し給ふ。
橘(たちばな)の香(か)をなつかしみ郭公花散(ち)る里(さと)をたづねてぞとふ
漢語起源のことば
まず冒頭に「ほい」ということばが出てくる。「ほ い」は「本意」である、「本」は本[puən] である。漢和字典を引いても本(ほ)という読みは出てこな
い。しかし、中国語韻尾の[-n] はしばしば脱落する。今宵(こよひ)、文殿(ふどの)などの例がある。日本の古地名にも例が多い。
例:安房
あは、安曇 あづみ、 安藝 あき、因幡 いなば、 仁田 にた、飛騨 ひだ、隠岐 おき、
○
漢語(漢音・呉音):本意(ほい)、女御、御けはひ、用意(ようい)、艶(えん)、
誦(ず)す、
○
漢語起源(倭音):思(おぼ)す、目(め)、静(しづ)か、有様(ありさま)、見る、
あはれ、物語(がたり)、夜、出(い)づる、陰(かげ)、薫(かを)り、御、
勝(すぐ)れる、 花(はな)やか、御おぼえ、なかりし、物
(もの)、思(おも)ひ、
思(おぼ)す、泣(な)く、 鳴(な)く垣 根(かきね)、、來(き)にける、いかに、
知(し)る、香(か)、散(ち)る、
○ 鮮語と同源:廿日(か)、ほ ととぎす(郭公)、
○
訓(やまとことば):かの、所、しるし、人、おはす、給ふ、かた (方)、むかし(昔)、
ふ(更)ける、きこ(聞)える、月、廿日、ほど(程)、木、たか(高)き、
こぐら(木暗)
う ちか(近)き、橘、なつか(懐)しき、かた、匂≪ひ≫、ねぶ、
らうたし、むつまじく、事、おなじ、こゑ(聲)、ほど(程)、しの(忍)ぶ、
さと(里)、たづねる、
○ 陰(かげ)
「かげ」には陰[iəm] と影[yang] がある。陰は闇であり、影は日影にも光にも使う。
月影などというときは月の光の意味である。影[yang] は光[kuang] に音義ともに近い。日本古典文学大系では「陰」という漢字があてられ
ているが、ここでは月影のことだから「影」を使うべきではなかろうか。
(参照:第214話・すきかげ(透影))、
○ 薫(かを)り
「薫」の古代中国語音は薫[xiuən] である。中国語の喉音[x]・[h] は日本漢字音ではカ行であらわれることが多い。 「かをり」の「を」は介音[-iu-]
に対応して、合口音であることをあらわす。また、 韻尾の[-n]はラ行に転移している。[-n] と[-l] は調音の位置が同じ(歯茎の後、前口蓋)であり、
転移しやすい。香[xiang]も音義ともに薫[xiuən] に近く、香(かおり、かおる)などの漢字にあてら れる。
○ おぼえ
「おぼえ」は「思(おも)ほえ」だという。現在の 日本語では「覚え」と書くが中国語の慕[mak]
であろう。万葉集には「母」を「おも」とする例がある。朝鮮語の「おもに」も、中国語の[m-] の前に母音「お」を添加した例である。 (参照:第210話)
○ 無(な)かりし
「無」の古代中国語音は無[miua] である。日本語の「ない」と中国語の「無」は同義
である。同義の語にやまとことばを当てるのが訓である。ところが、同義同音あるいは、同義で音も近ければ、それは中国語からの借用、あるいは転用である可
能性がある。(参照:第224話・無(な)けれど)
中国語の[m] と日本語のナ行はともに鼻音である。調音の方法が
同じ音は転移しやすいから、古い時代の転移音(倭音)である可能性も考えてみなければならない。中国語の[m] が古代日本語でナ行にあらわれる例としては、次のような語
をあげることができる。
例:無[miua](ム・ない)、名[mieng](メイ・な)、猫[miô](ビョウ・ねこ)、
苗[miô](ビョウ・なえ)、鳴[mieng](メイ・なく)、眠[myen](ミン・ねむる)、
○ つらねる
「つらねる」は「連ねる」あるいは「列なる」であ る。「連」の古代中国語音は連[lian] であり、「列」は列[liat]
である。古代の日本語にはラ行ではじまる音節はな かった。そのため語頭にタ行音を添加して「連(つら)ねる」「列(つら)ねる」とした。
中国語の[l]
は調音の位置が[t]・[n] と同じ(歯茎の裏、前口蓋音)であり、調音の位置 が同じ音は転移しやすい。[l] がタ行音あるいはナ行音に転移したものと思われる
例としては、次のようなものをあげることができる。
タ行に転移した例:龍[liong](リュウ・たつ)、滝[leong](ロウ・たき)、立[liəp](リツ・たつ)、
粒[liəp](リュウ・つぶ)、卵[luan](ラン・たまご)、 陵[liəng](リョウ・つか)、
力[liək](リキ・ちから)、留[liu](リュウ・とどまる)、隣[lien](リン・となり)、
ナ行に転移した例:浪[lang](ロウ・なみ)、梨[liet](リ・なし)、練[lian](レン・ねる)、
涙[liuei](ルイ・なみだ)、流[liu](リュウ・ながれ)、臨[liəm](リン・のぞむ)、
朝鮮漢字音では語頭の[l]
は規則的に[n] に転移する。また介音[-i-]をともなう場合は、規則的に脱落する。
頭音[l]
が脱落した例:龍(yong/ryong)、滝(rong)、立(ip/rip)、粒(ip/rip)、力(yok/ryok)、
留(yu/ryu)、隣(in/rin)、梨(i/ri)、練(yon/ryon)、流(yu/ryu)、臨(im/rim)、
頭音[l] が[n]
に転移した例:浪(nang/rang)、卵(nan/ran)、陵(neung/reung)、涙(nu/ru)、
[r]
の音が併記されているのは、中国語の原音が規範として意識されて いるからである。韓国人の人名などで「李」は李(i) と発音されるが、規範は李(ri)
であることが意識されている。北朝鮮では李(ri) と発音するようにしているという。
「涙」の朝鮮漢字音は涙(nu)
である。日本語の「なみだ」は朝鮮語の涙(nu) と「水」の朝鮮語の水(mul) の複合語である可能性がある。
○ 泣(な)く
「泣」の古代中国語音は泣[khiəp] である。一方、「泣」 の声符は立[liəp]である。ウウェーデンの言語学者ベルンハルト・
カールグレン(1889-1978) によると中国語の[l] は語頭に入りわたり音があり、「立」 は立[kliəp]・[hliəp]
のような音であったのではないかという。(参照: 第221話・夕立)
立(リツ)は入りわたり音[k] が脱落したものであり、泣(キュウ)は入りわたり
音が発達したものであると考えることができる。
日本語の「なく」には「鳴」も用いられる。古代中国語の「鳴」は鳴[mieng] である。中国語の語頭音[m]
は鼻音であり、[n] も鼻音であり、調音の方法が同じである。また[m] は両唇音であり、[n] は歯茎の後で調音されるので、調音の位置も近い。
調音の方法が同じ音や調音の位置が近い音は転移しやすい。
中国語の「泣」も、もし古第中国語に泣[liəp]
という音があったとすれば音義ともに鳴[mieng] に近いといえる。 結論として、日本語の「泣く」「鳴く」はともに古 代中国語音に依拠したことばである。
(参照:第221話・な(鳴)く)
○ 垣根(かきね)
「垣根」の「垣」の古代中国語音は垣[hiuan] である。「根」は根[kən]
である。日本語の「かき」は垣[hiuan] に対応するものであろう。「ね」は根[kən] の頭音が脱落したものであろう。
参照:第220
話・垣代(かいしろ)、第210話・根(ね)、第214話・檜垣(ひがき)
○ 郭公(ほととぎす)
「ほととぎす」は中国語で郭公(カッコウ)ともい
う。日本語の「ほととぎす」の「す」は朝鮮語で鳥を意味する鳥(sae) と関係のあることばである。日本語の鳥の名前には
「す」のつくものが多い。鴉(からす)、鴬(うぐいす)、鴃(もず)、
かけす、などである。「す」は更にさかのぼれば古代中国語の「隹」にたどりつくものと思われる。現代では「鳥」が
用いられているが、隹[tjiuəi]もまた鳥の意味がある。
○ 参照:物 もの(第207話)、物語(がたり)(第207話)、御(第208話)、
夜(第210話)、出(い)づる(第210話)、來(き)に ける(第210話)、
思(おぼ)す・思(おも)ひ(第210話)、目
め(第211話)、
見る(第211話)、静(しづ)か(第213話)、あはれ(第213話)、
誦(ず)す(第216話)、ありさま(有様)(第216話)、花 はな(第218話)、
如何(いか)に(第218話)、廿日(第222話)、勝(すぐ)れる(224話)、
歴史的仮名使い
○えん(艶)
「艶」の古代中国語音は艶[jiam]である。「宴」は宴[yan]、「怨」は怨[iuan] である。歴史的仮名使いでは艶(エン)、宴(エ
ン)、怨(ヱン)である。
艶[jiam]、宴[yan] が開口音であるのに対して怨[iuan] の介音は[-iu-]
であり、中国語音韻学でいう、いわゆる合口音であ
る。「ヱ」はワ行音であり、「エ」と「ヱ」の区別は、唇をせばめて合口で発音するかどうかにかかっている。(参照:第222話・宴(えん))、
○ようい(用意)
「用意」の「用」の古代中国語音は用[jiong] である。歴史的仮名使いには「よう」と「やう」が
ある。「よう」と表記される漢字音と「やう」と書かれる漢字を比べてみると次のようになる。
[よう]:用[jiong]、俑[jiong]、容[jiong]、
[やう]:陽[jiang]、楊[jiang]、羊[jiang]、様[jiang]、養[jiang]、
「よう」と表記されている漢字の韻は東韻[ong]であり、「やう」と表記されている漢字の韻は陽韻[ang] であることが分かる。源氏物語の時代の宮廷でこと
二つが区別して用いられていたかどうかは分からないが、宮廷では漢詩が盛んに作られており、中国語の韻を知らないと正しく押韻した漢詩を作ることができな
かったから、文字(漢字)を書く人は知識として知っていたであろうことは想像に難くない。
谷崎潤一郎訳『源氏物語』〜昔語り・花散里〜
目ざすおん方の御殿へおいでになりますと、推量しておれれた通り人気(ひとけ)も稀(まれ) に、ひっそりとしていらっしゃるおん有様なので、たんそう哀れなのです。
まず女御のおん方で、昔のおんものがたりなどをなさいますうちに、夜が更(ふ)けて来ました。
二十日の月がさし出ますと、丈(たけ)の高い木立ちの下影がひとしお小暗く見えわたっ
て、軒端 (のきは)に近い橘(たちばな)の薫(かお)りがなつかしく匂(にお)って来まして、女御のお んけはいは年は召されましたけれども、飽(あ)くまで嗜(たしなみ)があって、上品に、可愛ら しいのです。
故院がおいで遊ばした頃は、そう際立(きわだ)って花やかな御寵愛こそありませなんだけれど も、気の置けない、なつかしいお相手に思し召していらしったものをなどと、思い出されますにつ れて、昔のことがつぎつぎに偲ばれ給うて、お泣きになります。
ほととぎすが、さっきの垣根のでしょうか、同じ声で啼きます。自分のあとを慕って来たのかと、 お思いになる御様子も艶(えん)なのです。
「いかに知りてか」などと、忍びやかに吟詠(ぎんえい)なさいます。
橘の香をなつかしみほととぎす花ちるさとをたづねてぞ訪(と)ふ
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